従来の教育学書を開いて見ると、教育の
目的は
完全なる人を
造るにあるなどと書いてあるが、かような
抽象的の言い方では、実地教育を
施すに当たっての
標準としては何の役にも立たぬ。全体
完全なる人とは
如何なる者を指すか。古今に通じて
絶対なものかまたは時代に
応じて
変化するものなのか、などと
論じ始めると、人々によって
説も
違うであろうから、学科
課程を選んだり、
教授法を定めたりする
必要の目前に
迫っておるごとき場合にはとうてい間に合わぬ。されば
実際ことを運ぶ上にはなお少しく、
具体的の
標準を定めておかねばならぬ。
我ら(注:
私)の考えによれば、教育学なるものは、元来、生物学の
基礎の上におかれねばならぬ物であるが、生物学の立場から見れば、教育の
目的はすこぶる明白で、かついくぶんか
具体的に言い
現わすことができる。
如何なる動物でも、そのなすことは、
自己の
個体を
維持するためか、
自己の
種族を
維持するためかのほかに出ぬが、教育はむろん第二のほうに
属する仕事で言わば
生殖作用の仕上げとも見なすべき
性質のものである。すなわち、人間のごとき、生活
状態の
複雑になった動物では、ただ子を
産み落としただけでは
自己の
民族を
永く
生存せしめ
得べき
望みがはなはだ少ない。ゆえに、これを
適当に教育し、これだけの人数の
子供をこれだけの
程度まで育て上げておきさえすれば、
親達は死んでも、わが
民族の
将来はほぼ安全であるという
見込みのつくまでにしておかねばならぬ。言を
換えて言えば、教育の
目的はもっぱらわが
民族の
維持保存にある。それゆえ、もしも教育者が
民族の
維持に
必要なことをなさずにいたり、または
民族の
維持に
不利益なことを行のうたりすれば、これは全く教育の
目的を
忘れた
非常な
心得違いと言わねばならぬ。
さてわが
民族の
維持発展を
図るに当たって、まず第一に考えねばならぬのは、
如何なる
民族を相手として
争わねばならぬかということである。
大戦争のすんだ後ゆえ当分はふたたび
戦争などはなかろうと考える人も多いが、
利害関係の
相異なるいくつかの強い
民族が地球上に
並び
存している
以上は、その間に
衝突の起こるべきは
当然であるゆえ、いつまた
武力に
訴えて勝負を決せねばならぬような
時節がこぬとも
限らぬ。
仮にしばらく
戦争がないとしても、いわゆる平和の
戦争が今後
激烈になりゆくべきは
誰も
疑わぬところであって、この
戦争に
敗れた
民族は、やはり
鉄砲の打ち合いに
敗けたのと同様にずいぶん
悲惨な
境遇に
陥るをまぬがれぬ。すなわち
戦争があってもなくても、
異民族間の
競争はとうてい
避くべからざることで、この
競争に
堪えぬような
劣った
民族は
将来独立して
生存し
続け
得べき
望みはない。されば教育に
従事する者は、つねにわが
民族と、
競争の相手なる
敵民族とを
比較し、
彼我(注:
相手と自分)の長所短所を考えて、いささかたりとも、
我に
劣れる点があるならば、全力をつくしてこれを
補い
改めることにつとめねばならぬ。
今日世界で一等国と見なされているのは、いうまでもなくアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ等の
諸国であるが、今後は
如何なる
民族もいたるところで、これらの強い
民族と
競争する
覚悟を
要する。交通の開けなかった昔は、遠く
相離れている
民族は
互いに
関係なく
存在することもできたが、
現今のごとくに文明が進んで、世界が
狭くなっては、どこを向いて進んでも、
彼らとの
交渉を
避けることはできぬ。しこうして、
二民族の相
接蝕するところでは
優者が勝ち、
劣者が
敗けるのは
当然の
理でいまだかつて
例外のあったことはない。今わが
民族と
彼らとを
比較して見るに、はなはだ
残念ではあるが、学問
芸術においても、
殖産工業においても
一段劣っていることはいなむことのできぬ事実であって、
或る二、三の方面にいたっては、ほとんど
比較にもならぬほどのはなはだしい
懸隔(注:かけはなれていること)がある。医学だけは、他の一等国に
比して
恥ずるところはないとの
評判を聞くこともあるが、これは医者自身の
吹聴(注:言いふらすこと)するところであるゆえ、あたかも商品の
広告文と同じで、決して
割引きなしにそのまま
信ずべきものではなかろう。とにかく、わが
民族が
彼らに
比してすべての方面に
劣っていることの明らかである
以上は、
我々は
彼らよりもよほど多くの
努力を教育に用いるように心がけねば、とうてい近き
将来において、
彼らと対等の
位までに進むことは
望みがたい。教育者はよろしくつねに先進一等国を
競争の
目標とし、
彼らと対等の
競争をなし
得る
程度までに、わが
民族を進めることを仕事の
目的と定めておかねばならぬ。
教育は次代の
国民を
養成する事業であるゆえ、
将来に重きをおくべきは言うまでもない。今の小学
児童が
四十歳、
五十歳になったころに、その時代の他の一等
国民と
競争するにあたって、
必要な
資格を
備えさせることができぬようでは、今日の教育が
成功したとは言われぬ。三代も五代も後のことまでを考えて、
孫の代や
曾孫の代にわが
民族に
有利なようにと教育の仕方を
工夫することができれば、これはむろんはなはだ
結構であるが、百年も百五十年も後のことまで見通し
得るような先見の明のある教育家はすこぶるまれであろうから、これはまず
無理な注文として、
差し当たり、一代後のことを考え、これに
適するようにと、教育の仕方を
工夫することができたならば、それで
満足するのほかはない。
蝶が
卵を
産みつけるにあたっては、
必ず、その
卵からかえった
幼虫の
餌となるべき植物の葉を
選ぶが、もしも人間が
子供を教育するにあたって、その
子供の
成長した後の
事情に
適せぬごとき育て方をするようでは、実に虫にも
劣るわけである。一代といえば短いようにも思われるが、
最近三十年間における文明の進歩を
顧みると実に
驚くべきもので、
飛行機、
潜水艇、自動車、活動写真は言うにおよばず、もはや古くさく感ずる電車や
蓄音機さえも、その間に発明せられた物である。されば、今後の三十年間にも、これに
匹敵するだけの大進歩がくるものと考えて
間違いはないであろうが、今日すでにわが
民族にまさり、今より一代後にはさらにいちじるしく
優るべき
彼ら西洋の
諸民族を相手として、わが子は
戦わねばならぬと考えたならば教育者は実に
一刻も
安閑(注:のんびりとして
静かなさま)としておるべき場合でない。
我らは
我国の教育者に対して、
現代のみに
着眼せず、つねに一代後を
標準として、万事を計画することを切に
希望せざるを
得ない。
かような考えをもって、
現時の
普通教育を
見渡すと、
遺憾(注:
残念)ながら、真の教育の
目的にかなわぬと思われることを数多く発見する。
将来のためになる
施設が、同時に
現代の世の中からも
歓迎せられる場合にはもとより
論はないが、
将来のために
必要なと思われることと、
現代に受けのよいこととが
一致せぬ場合には、人々によって
選ぶところが大いに
違う。
我らのごとくに、教育はつねに一代後を
標準とすべきはずと考える者から見ると、わが
民族の
将来にとって
有益であろうと思われるほうを
捨ておいて、
現代に受けのよいことに
骨を
折るのは、
現代のために
将来を
犠牲に
供するわけにあたり、すこぶる教育の
目的にかなわぬことと
断言せざるを
得ない。今かような
例と思われるものを二、三つぎに
述べて見よう。
「悪筆は一生の
損」という習字
教授の
広告をしばしば新聞紙上に見ることがあるが、
実際今日の世の中では、字の上手なことは一つの
得で、会社などにつとめても、字の書ける者は大いに
重宝がられ、したがって
収入も
余計になる。されば、学校でも、習字の
巧みな
卒業生を出せば、
現代の父兄からは
悦ばれるに
違いない。しかしながらこれが一代後に他の
民族と
競争するにあたって、何の役に立つかと考えて見ると、大いに
疑わしいと言わざるを
得ない。それも、時間に
余裕があってのことならば、あえて
論ずるにもおよばぬが、今日は昔と
違い、何ごともきわめて
迅速にはかどり、時間の
価はそれだけ
貴くなって、
一刻たりとも
不経済に
費すことをゆるされぬ。かかる時世に住んで、空には
飛行機が
飛び、海には
潜水艇の走るのを見ながら、「ソレ
肘を上げて、ソレ
筆を立てて、そこを
押えて、ここを
撥ねて」とゆうゆう時間を
費して、
将来何の役に立つかが
疑問であることを教えるのは
如何にももったいないように感ずる。しこうして、この時間は、もしも他の方面に
利用したならば、
民族の
将来のためにきわめて
有効な
結果を生ずべき時間から
裂き取った時間である。
また新聞紙の
広告にはときどき、「
若奥様儀御養生不被為相叶御逝去被遊」とか「
乍略儀以紙上奉謹謝儀」とかいうごとき
奇妙な文章を見ることがあるが、今の世の中はかような文章を読み
得ることを
誰にも
要求する。今日の小学校の
卒業生は何の役にも立たぬ。受取り一つ
満足には書けず
普通の手紙も
満足には読めぬとの
非難を聞くことがあるが、これは多くは前のごとき文章を読み
得るような
卒業生を出せとの
要求の声である。これに対して、
如何なる
所置(注:置き場)を取ってよいかと考えるに、
現代に受けのよいことを
望む教育者は、この
要求に
応じかような文章を読むことを
生徒に教えて、
非難をまぬがれようとつとめるであろうが、一代後の世界を
標準として
案を立てるならば、これは
当然排斥すべきことであろう。かような場合に、真の教育者のなすべきことは、目前の
状態に
応じて、学校教育を
仕込むのではなく、
将来の
事情に
適するように世の中を
改造するつもりで、
努力することでなければならぬ。
せんだってあるところで国語の
試験に「
法廷に黒白を
争う」という
文句を出したら「お寺の庭で
碁を打つこと」と
解釈した者があったという話である、一体わが国の文章は昔からの
習慣で、文字をもてあそぶことが主になっているゆえ、
平易な言葉で言えば
誰にも分かるべきことをわざわざ分かりにくい文字を
並べて
喜んでいる。学校で国語を
授ける
際にもとかくこのくせが
抜けず、ややもすれば、
教師は
玩弄(注:おもちゃ。
慰みものとしてもてあそぶもの)文を
授けたがり、
生徒も
玩弄文を
覚えたがる。学校の
掲示場に「
炎帝駕を
巡らして
云々」とか「天高く
馬肥ゆ
云々」とかいう
広告がはりつけてあるのをしばしば見るが、これも
一種の
慰みと考えれば何の
差支えもない。しかし、
必修科目の
範囲内に
玩弄文を入れることは
如何がであろうか。
我らの考えによれば文を
玩弄することは、
一種の
娯楽であるゆえ、
囲碁、
謡曲、
義太夫、
浪花節などと同じく、これを
好む人が勝手に
稽古とすることはあえて
妨げぬが、教育の一部にこれを
加えるのははなはだ理由のないことである。他の
民族と
交渉なしに
生存のできた時代ならば、教育に多少のむだがあっても、直ちにそのための
損害が
現われるにはいたらぬが、今日のごとくに、
各民族が、他に
敗けぬために全力をつくさねばならぬ世の中では、少しのむだもたちまち、その
結果が見えるゆえ、
将来のために役に立たぬと思われることは、ことごとく
義務教育からははぶいて、その時間を他の方面に
利用するように心がけねばならぬ。今日、中学校や女学校で用いている国語の教科書の中には、
我らから見ては、
玩弄文としか思われぬものが数多くあって、
生徒はこれを学ぶために多大の時間を
費しているが、一代後を
標準として考えると、これらはよほどまで、はぶいてよろしかろう。教育が
特殊階級の
装飾であったころには、他人の読めぬ字が読めるということに多少の意味があったであろうが、教育が
国民一般にひろがった今の世に、
誰も
彼もが、ことごとく
玩弄文を
覚える
必要は少しもない。
従来の
習慣にとらわれ、いやしくも教育を受けた人間はこのくらいの文字は知っていなければならぬなどと考えて、ぜいたくな文章を
子供らに強いることは、決して教育の真の
目的にかなうとは言われぬ。
一代後を
標準として考えると、今日の
普通教育の
課程からは
節減してもよろしかろうと思われる部分が、なおいくらもあるが、しからば
如何なる方面を
増さねばならぬかと
尋ねると、
我らは知育方面と答えることに
躊躇せぬ。今後他の
民族と
競争するためには体育も
徳育もみな
必要であるはむろんのことで、決して
徳育や体育を軽んじてよろしいというわけではないが、教育に用い
得べき時間に
制限がある
以上は、次の二点を考えて
取捨を決せねばならぬ。すなわち第一には、相手の
民族に
比して、わが
民族の
特に
劣っているのは
如何なる方面であるか。第二には、
如何なる方面の教育が
最も多く
効を
奏するか、との二点であるが、そのうち、第一のほうから考えて見るに、知力においても体力においても、
平均劣っていることは
残念ながら事実である。しこうして、今後の
競争に
最も重大な
関係を有するのは知力であって、今回の
戦争のごときも、主として知力の
戦争であると言われている。されば、今後の
民族間の
競争に
敗けぬためには、知力において他に
劣らぬことが
必要で、いやしくも知力がいちじるしく
劣るようではとうてい
競争場裡に
位地を
保つことはできぬ。それゆえ、
如何なる
名義の下にでも、知育の
程度を
不充分ならしめることは、わが
民族の
将来のためにきわめて
不得策である。次に第二の問題について考えて見ると、およそ教育の中には、十の
努力に対して十の
効果のあがる部分もあり、十の
努力に対してわずかに一の
効果より
得られぬ部分もあり、事によれば、百の
努力に対して
零の
効果もないこともあって、その
奏効(注:
効き目が
現れること)を予期し
得べき
程度は、
各方面によって決して一様でない。
或る時、
或る家の
子供に、小学校の
卒業式の
答辞を
如何に書こうかと
尋ねられた
際に、たわむれに、「
私共の入学しました時は
六歳と何ヶ月かでありましたが、
唯今、
卒業いたします時は
十二歳と何ヶ月に
成りました、
之は全く校長
初め
諸先生方の
御骨折りの
御蔭で
御座ります」と書いたがよろしかろうと言うたら、
子供は、それは先生のおかげではないと言うて
承知しなかった。しかし教育者の中には
六歳の
脳を持った
子供を六年かかって、
十二歳の
脳を持った
子供に仕立て上げたのは、全部教育の力であるごとくに思い
込んでいる人も多いらしい。したがって、いずれの方面に向うても教育を
施しさえすれば、注文どおりに
変化せしめ
得るかのごとくに
論ずる人もあるが、
実際そのようにはむろんならぬ。知育の方面は
効果がてきめんに
現われ、教えただけ
子供の学力は明らかに
延びるが、他の方面は、なかなかその
割合には進まず、
教師が
如何に
努力しても予期したことの十分の一も
成功せぬことがしばしばある。これにはもとより一々理由のあることであるが、学校教育において、
最も
奏効の
率の高いのは知育であるは
疑いをいれぬところで、何国においても知育に
偏せぬ(注:一方にだけかたよらぬ)学校教育のないのはすなわちそのためである。
わが
民族の
体質の
劣れるのを見て、直ちにこれを
従来の教育が知育に
偏した
結果と見なす人がある。少年の
行儀の悪くなりゆくのを見れば直ちにこれを知育に
偏した教育の
罪に帰する人がある。しかしてかような
評判が立つと、教育者はひたすら知育に
偏するという
非難を
恐れて、知育の時間を
割いて他の方面に向けるようであるが、一代後のわが
民族のことを考えると、これははなはだ
不得策のように思われる。わが国
従来の教育における知育が
如何なる
程度にあったかは、外国の中学校、女学校の教科書と、わが国の中学校、女学校の教科書とを
比較して見るがよろしい。わが教科書の
内容の
貧弱なることは実になさけないほどで、これではとうてい
彼らと対等の
競争ができるはずはないとの感を
禁じ
得ない。すなわちわが国の知育は他国に
比して大いに
劣っているのであるから、今後これを何倍にも増さねばならぬはずである。しかるに他の方面の教育の
効果のあがらぬのを見て、その真の
原因をきわめず、かるがるしく
罪を知育に
塗り
付けて、さらぬだに
不完全なわが国の知育をさらに
一層引き下げようと
試みることは、実にわが
民族の
将来を考えぬ
所業と言わねばならぬ。
このごろは教育界に理科
熱が
盛んであるが、
従来の
例に
照らせば、かような一時
的の
熱は、またたちまち
冷めて決して
長続きはせぬ。おそらく今回の
熱も大した
効果をあげ
得ずして、消え
失せることであろう。
民族発展の上に理科
知識のきわめて
必要なるは言うまでもないことで、
特にわが国のごとき、
従来この方面でははるかに他の
民族におくれていたところでは、
一層その
発達に
努力せねばならぬが、理科は決して、一時の
熱によって進歩するものではない。真に理科の進歩を
図るにはまず、その
根底から
培養してかからねばならぬ。理科の
根底とはすなわち何ごとに対しても、どこまでも研究して
得心のゆくまでは止めぬという強い研究心である。この強い研究心を
養成することができたならば、
創造、発明は
続々とできるであろうが、もしこれを
養成することができぬとすれば、いつまでたっても他人の発明を
真似して、わずかに
似て
非なる物を
造り
得る
程度以上にはのぼれぬ。されば、この方面において、真にわが
民族の
将来のためを図るならば、理科を
奨励するにあたっても、今
製造して今
儲かるというごとき
現在のみを考えることをせず、やはり一代後を
標準として、一代後に他の
民族に
劣らぬだけの
立派な発明のできるようにと、まず、その
根底から
築き上げることに
努力すべきである。
初等の
普通教育において、
子供に研究心を起こさせるには
博物学科の
材料がすこぶる
有効であることは
誰も
認めるところであるにかかわらず、これを全く
捨ておいて、ただ
製造工業に
直接の
関係のある物理学と化学とだけを
奨励するのは、一代後を
標準として考える者から見ると、何ともその意を
解することができぬ。
研究に
必要な第一の
条件は自由に考えるということである。すべての方面に自由に考えることが
許されれば
民族内に研究
的気分がみなぎって、理科方面にも研究がいちじるしく進むこともあり
得るであろうが、もしも
或る方面において、思想の自由を
圧迫し、ここより先は考えてはならぬ。このことに関してはこのとおりに
心得よと一々
押えて
延びさせぬようにすれば研究心は全く
萎縮せざるを
得ぬゆえ、その空気の中で、ただ、
酸とアルカリや重力と
摩擦とに
関してのみ自由に考えろとせき立てても、その
効能はすこぶる
微弱ならざるを
得ない。一代後を
標準として考えれば、思想の自由を
許すことが、理科
奨励の
最も
有効な
手段であろう。
おわりに一言しておきたいのは、少年の思想を
導くにあたっても、教育者は一代後を
標準とすべきことである。
歴史はくり返すという
諺はあるが、
歴史の中には同じことをくり返す部分もあれば、一度進んだらふたたびもとにはもどらぬ部分もある。
例えば海岸の波のごとくで、一度一度に
浪は
寄せては帰るが、その間に
潮はだんだんと
差してくる(注:
潮が
満ちてくる)。
潮はふたたび引くことがあるが、
歴史では、これに相当することがあるや
否やは
疑わしい。一度進んだらふたたびもどらぬという
歴史上の
潮の一つは、十九
世紀から二十
世紀の
初めにわたって、いちじるしく
現われた文明
民族の
奴隷根性の
消滅である。
我らの考えによれば
歴史はこの時を
境として大いに
体裁を
変ずるであろう。すなわち昔は人間に
奴隷根性が
旺盛であって、
英雄に対しては全く
奴隷として
服従していたゆえ、
歴史といえばことごとく、
引率者なる
個人の
伝記のごとき形で、多数の
民衆は全く
歴史家の
眼中にははいらなかった。クレオパトラの鼻が一分(注:3cm)
低かったらローマ
帝国の運命はかくのとおりではなかったろうというのも、
強ちに
拒絶することはできぬ。しかるに今後は
歴史に記すべきは、
民族全体としての行動であって、その
引率者の
誰であるかはあまり重きをなさぬ。
例えば今回の世界
大戦のごときも、後の世の
歴史家が
記述するときには、ドイツ
民族の
勃興がイギリス
民族の
将来をおびやかし、とうてい一
戦争なしにはすまぬような
状態に立ちいたったので、
些細な
偶然のできごとからたちまち
戦いが始まったというごとくに書かれるであろうと
推察する。かような具合いに
歴史的事件の主動者は今後はいつも
民族全体であって、
談判の局に当たる者はただ
民族の
意志を代表する使いと見なされ、決して昔のごとくに
英雄豪傑として神のごとくに
崇拝せられるにはいたらぬであろう。文明の
程度の
異なるに
従い、
奴隷根性の早く
消滅する
民族とおそくまで
残る
民族とがあり、文明の
劣っている
民族ではなおしばらくは、人間を
若干の階級に分けて、上の者に対しては
奴隷として
服従することに
甘んずるであろうが、いずれにしても
奴隷根性の
消滅の方向に進みゆくことは世界
人類の
大勢であって、
如何に
別誂えの教育を
施しても、これを
有効に
防ぎ止めることはできぬ。わが
民族の思想が一代後には
如何なる
状態にあるかは
容易に知ることはできぬが、少年の思想を
導こうという
抱負のある教育家は、他の
民族は
将来如何なる方向に進みゆくかを
充分に
洞察し、これを
参考して
適宜な
手段を取らねばならぬ。今日の進歩した教育家の中には決してないことであろうとは思うが、万一、
頑迷固陋(注:考え方に
柔軟さがなく、
適切な
判断ができないこと)な教育者の
一群があって、二十
世紀の青年の
脳髄を十八
世紀的に
改造することが国家のために
有益であると思い
込み、あらゆる
方法を
講じて、その実行を
試みたならば、
必ず青年らの
反抗心を
呼び起こして、かえってゆゆしい
結果を生ずるにいたるであろう。真にわが
民族の
行末をおもんぱかる教育者は、知育においても、体育においても、
徳育においても、つねに一代後を
標準として
策をめぐらすことが何よりも
必要である。
(大正七年十一月)