人類の将来

丘浅次郎





 何事にかぎらず未来みらいくのは決して容易よういではない。昔から「一寸いっすん先はやみ」とふ通り、次の瞬間しゅんかん如何いかなることが起るかは、前以まえもつて知ることの出来できぬがつねである。多少学術がくじゅつ上の根拠こんきょを有する天気予報よほうでさへ当らぬことが多いゆえ世間せけんからは当るも八卦はっけ、当らぬも八卦はっけと同様に見做みなされてる。されば今日の所では未来みらいの予言は到底とうてい普通ふつうの人間には出来できぬことで、これる者があつたならば、其者そのものかならず人間以上いじょう所謂いわゆる予言者のるいでなければならぬごとくに思はれてる。
 しかしながら、未来みらいのこととても、べてが全く予言の出来できぬもののみとはかぎらぬ。来年のこよみに何月何日には日蝕にっしょくが有つて、何時何分何秒に始まつて、何時何分何秒に終ると明記してあるが、それがかならたしかに当る。今年あらはれるハレー彗星すいせいなどもいく十年も前からすでに今年あらはれるべきことが天文学者には知れてあつて、今後また何十何年目にふたたあらわれ出るとふ事までが明かにわかつてる。他の方面において予言がべて不可能ふかのうなるごとくに見ゆるに反し、天体にかんしてのみ正確せいかくに予言の出来るのは何故なぜであるかとふに、これは決して特別とくべつ秘密ひみつがあるわけではなく、たゞ既往きおうける天体の運動を正確せいかく測定そくていし、の運動を支配しはいする法則ほうそくさぐもとめ、これ将来しょうらいに当てめて、予言するのみである。されば他のこととても、天文学で将来しょうらい推測すいそくするのと同一の方法ほうほうによつて考へたならば、多少の予言の出来できぬことはない。われらが今此所ここいささ人類じんるい将来しょうらいいてろんずるのは、決して予言者をもつみずかにんずる次第しだいではなく、たんに天文学者が天体を観測かんそくし研究するのと同一の態度たいどを取り、生物界の既往きおう変遷へんせんを調べ、それより生物各種かくしゅ栄枯えいこ盛衰せいすい(注:さかえたりおとろえたりをり返す人の世のはかなさをいう)を支配しはいする法則ほうそくさぐもとめ、これ人類じんるいの場合に当てめて、将来しょうらい推測すいそくしやうとこころみたにぎぬ。天体の運動の簡単かんたんなるに反し、生物界に起る現象げんしょうきわめて複雑ふくざつであつて、到底とうてい数学てきに計算は出来できぬから、時をして予言することはもとより出来できぬが、ただその進み行く方向と、おわりたつすべき終局点しゅうきょくてんとだけはおそらくあやまりなく推測すいそくるであらうとしんずる。
 これより先づ、人類じんるい如何いかにして生存せいぞん競争きょうそう場裡じょうりに他の動物に打ち勝ち、今日見るごと優勢ゆうせい位地ちいるにいたつたかを考へ、次に地質ちしつ学上のかく時代に全盛ぜんせいきわめた諸種しょしゅの動物が、如何いかにして一時かる勢力せいりょくるにいたつたか、また何故なぜそれがついほろせたかを調べ、それ等をもととして人類じんるい将来しょうらいいてわれらの推測すいそくする所を順次じゅんじべて見やう。


 さて人類じんるいは他の動物にして如何いかなる点がまさつてたのでべて他の動物に打ち勝つて、今日の位地ちいるにいたつたかと考へるにおそらくだれでもただちに気のくことであらうが、それは思考しこう力、推理すいり力の器官きかんなる脳髄のうずい発達はったつせることと運転の自由自在じざいなる手を有することとである。かりに人間の手に屈伸くっしん自在じざいの指がなくて、その代りに馬や牛に見るごとひづめが着いてあつたと想像そうぞうして、それでも人間が今日の位地ちいまでたつたであらうか、いなかと考へれば、人類じんるいの進歩に取つて手が如何いかくべからざる物であつたかゞただちに知れる。手に指がなかつたならば、第一、物がにぎれぬから如何いかなる簡単かんたん器械きかいをも使ふ事が出来できぬが、しも人間に器械きかいを使用するのうかつたならば、到底とうてい他の動物にまさるべき目醒めざましいはたらきは出来できなかつたにちがひない。人間が他の動物に打ち勝つたのも、文明人が野蛮人やばんじん征服せいふくしたのも全く器械きかいの力にるのである。人間の外にも幾分いくぶんかの器械きかいを用ひる動物が全くないわけではないが人間のことくに一から十まで器械きかいばかりを使ふものは他にないゆえ、実に「人間は器械きかいを使ふ動物なり」と定義ていぎくだしても差支さしつかへはない。また脳髄のうずいの方が充分じゅうぶん発達はったつしなかつたと想像そうぞうすると、の場合にも人間は決して今日の位地ちいたつなかつたにうたがいない。およ如何いかなる器械きかいでも、これを用ひるに当つては手を使ふと同時にかならのうをも使ふもので、器械きかいつくるに当つてはさらに多くのうを用ひる。のう工夫くふうした器械きかいつくつて使用してれば、手はそのため漸々ぜんぜん熟練じゅくれんして益々ますます精巧せいこうはたらる様になり、手をはたらかして経験けいけんつもればのうはそのためさらに進歩して前よりも一層いっそうよく考へる様になり、両方で相助け合うて、両方ともに益々ますます発達はったつする。のう思考しこう力、推理すいり力が進めば、自分にしてはるか筋肉きんにくの強いもの、感覚かんかくさといもの、爪牙そうがするどいものに対しても智力ちりょくによつて容易よういに打ち勝つことが出来るが、人類じんるいが他の動物に打ち勝つたのも、文明人が野蛮人やばんじん征服せいふくしたのもべて方法ほうほうつたのである。
 元来如何いかなる器官きかんでも突然とつぜん一足いっそくびに発達はったつするものではなく、かならむべき順序じゅんじょ漸々ぜんぜん進み来るもので、人類じんるいのうなども手と器械きかいとにつて経験けいけんの重なるにしたがうて発達はったつしたのであるが、これと大関係かんけいの有るのは言語である。今日の所では言語を有する動物は人間のみであるゆえる人が「人は言語を有する動物なり」と定義ていぎを下したのももっともである。通常ふつう言語は口でふもののことくに見做みなされてるが、実は口はたんに言語に必要ひつような音声を発するだけの器官きかんであつて、真に言語を使ふ器官きかんのうであるから、我々われわれつねのうで物言うてるとふた方がむしろ正しい。言をへれば、言語なるものはのうはたらきに使ふ器械きかいであつて、手が種々しゅしゅ器械きかいを用ひてはたらごとくに、のうは言語を用ひてはたらくのである。器械きかいはじめは石斧いしおの石棒いしぼうごと粗末そまつなものであつたのが、終に自動車やライノタイプ(注:印刷いんさつ版型はんがた作成さくせいする装置そうち)などすこぶ精巧せいこうなものが出来たごとく、言語もはじめはいたつて粗末そまつなものであつたのが、漸々ぜんぜん進歩して精巧せいこうなものとなり、のう精巧せいこうな言語を使うて、益々ますます推理すいりの力を進め智力ちりょくし、何事をもよく工夫くふうして、ついに他のしょ動物に打ち勝つて今日の優勢ゆうせいなる位地ちいたつしたのである。
 人類じんるいの起りを想像そうぞうするに、おそらく今日より何百万年か何千万年かの昔に其頃そのころ生存せいぞんして猿類えんるいの中の一種いっしゅ樹上じゅじょうの生活より地上の生活にうつり、後足のみで体をささへ直立してあゆみ、くして自由になつた前足を用ひて簡単かんたん器械きかいを使ひ始め、あるいは石を拾うててきに投げ、あるいえだつててきふせぐべきぼうとなし、あるいは石を打ち合せ、れてするどの生じたものはこれおのまたは刀として用ひ、小さいへんやじりとしての先にむすけ、石を打ち合せあるいは木をこすり合せてるとき偶然ぐうぜん火を発する事を屡々しばしば経験けいけんする間には、ついに自由に火をつく方法ほうほうおぼえ、随意ずいいに火を用ひる様になつた以上いじょうは、これによつて土器どきくことも出来、次には鉱物こうぶつねつして青銅せいどう、鉄さへもつて、種々しゅしゅ武器ぶきつくるまでに進むであらうが、程度ていどまで進んだ以上いじょうは、最早もはや人類じんるいてきとしておそるべきものは一つもく、自分に危害きがいくわへる獣類じゅうるいことごと退治たいじし、自分の種属しゅぞく漸々ぜんぜん蕃殖はんしょくして全世界にひろがり、終にたたかいへば人類じんるい相互そうごたたかいのみを意味する今日の有様ありさままでに進み来つたのであらう。またく手を用ひてることが進歩する間には、経験けいけんの重なるにれて、のうはたらきも速かに発達はったつし、終には困難こんなん無形むけい事柄ことがらをも抽象ちゅうしょうてき思考しこうするまでに進み来つたのであらう。我々われわれ人類じんるいくのごとのうと手とのはたらきにつて、今日位地ちいまでにたつしたのであるが、さて今後は如何いかり行くであらうか。


歴史れきしくりり返す」とことわざがある。これおそらく時の古今ここんを問はず同じ原因げんいんがあればかならず同じ結果けっかが生ずることをふたものであらう。しからばる事の将来しょうらいろんずるに当つては、かっ既往きおう歴史れきし中に起つた似寄によりの事件じけんなりり行きを調べて、参考さんこう比較ひかくする事ははなは必要ひつようである。今人類じんるい将来しょうらいろんずるに当つても、先づ人類じんるいより以前いぜんの地球上に全盛ぜんせいきわめて各種かくしゅの動物が、終に如何いかなる運命にふたか、また何故なぜその様な運命にふたかをくわしく研究して参考さんこうせねばならぬ。
 人類じんるい以前いぜんに地球上に全盛ぜんせいきわめてた動物のれいげれば、古生代(注:約5億4,200万〜約2億5,100万年前)にける魚類ぎょるい両棲類りょうせいるい、中生代(注:約2億5,217万年前〜約6,600万年前)にける爬虫類はちゅうるい、第三期(注:6,430万年前〜2,600万年前)にける獣類じゅうるいなどである。此等これら各々おのおのその時代においては、もっとも今日の人類じんるいごとくに絶対に優勢ゆうせいなる位地ちいめて、かりにもこれてきる動物は決して他にかつた。とくに中生代の蜥蜴類とかげるい旺盛おうせいきわめていきおいほとんど想像そうぞうおよばぬほどで、近頃ちかごろ発掘はっくつせられた化石のみにいて見ても北アメリカから出たアトラントサウルスといふ蜥蜴とかげなどは体の長さが十六間(注:28.8m)もあつて、今日の最大さいだいくじらよりもさらに大きい。こんな動物がうろ/\と陸上りくじょうまわつてたときの実際じっさいの様子は如何いかであつたらうか。また其頃そのころの海の中にはイタチオサウルス、プレシオサウルスなどと名づけるくじらのやうな大きな蜥蜴とかげるい無数むすうおよいでた。また空中にはつばさを有する蜥蜴とかげるい沢山たくさんんでたが、の中で、プテラノドンと種類しゅるいなどはつばさひろげると三間半(注:6.3m)もあつて、今日最大さいだいぶ鳥なる南米のコンドルわしくらべてほとんど三倍も大きい。くのごとく、の時代においては陸上りくじょうを走るものも、水中をおよぐものも、空中をけるものもことごと蜥蜴とかげるいのみで、いささかでもこれ匹敵ひってきすべき動物は他にかつたのである。次に第三期にける獣類じゅうるいもその通りで、たんに身体の大きさのみにいてうても、ヂノテリウムとしょうする象類ぞうるいごときは頭骨ずこつだけでも長さが一間(注:1.8m)近くある。マケロヅスととらにはきばの大さがほとんど短刀ほどあり、鹿しかには左右のつのが二間(注:3.6m)以上いじょうひろがつたものがある。さればの時代にける獣類じゅうるいは中生代の蜥蜴とかげるいと同じく、如何いかなる動物が出て来やうが到底とうていほろぼされるごときことはゆめにも有りべからざるいきおいであつた。しかるにり行きは如何いかと見ると、中生代の大きな蜥蜴とかげるいも、第三期のおそろしい獣類じゅうるいも、両方ともに実際じっさいおいてはたちまちにしてほろせ、次の時代にははとん全滅ぜんめつ姿すがたり終つたのである。
「中世代の大蜥蜴アトラントサウルス」のキャプション付きの図
中世代の大蜥蜴おおとかげアトラントサウルス
 一時絶対ぜったい優勢ゆうせいめて向ふ所全くてきなしともふべき有様ありさまにあつた此等これらの動物が、何故なぜたちまおとろほろびるにいたつたかは、大に研究すべき問題である。の問題にいては、古生物学の書物にも何もろんじてなく、生物学者等の間には何のせつもない様で、普通ふつうにはただこれ等の動物よりもなほ一層いっそうまさつたものがあらはれたために、生存せいぞん競争きょうそうやぶれてほろびたのであらうと簡単かんたんに思はれてるが、われらの考へではの問題は斯様さよう簡単かんたん解決かいけつせらるべきものではなく、さらに深く研究をようする。第一、すで優勢ゆうせい位地ちいに立つてるとふことは、生存せいぞん競争きょうそう上その動物に取つておおい有利ゆうりな点であるゆえかりに同等の競争きょうそう者があらはれたと想像そうぞうしても、決して容易よういに負ける理由はない。一種いっしゅの動物が絶対ぜったい優勢ゆうせい位地ちいめて以上いじょうは、のこりの動物はこれしてことごと劣等れっとう位地ちいに立つてることは勿論むろんであるが、今まで劣者れっしゃ位置いちに立つてたものの中から一種いっしゅ突然とつぜん速力そくりょくもつて進歩し、今まで絶対ぜったい優勢ゆうせいたもつてたものを追ひし、たちまこれ全滅ぜんめつせしめるとふことは容易よういに有るべき事でない。山が海となり、海が山となつて天地もくつがえるかと思ふ様な大変動へんどうが地球の表面に起つた場合はいざ知らず、かる天変てんぺん地異ちい以上いじょうは、其時このとき劣者れっしゃの中から、其時このときさい優者ゆうしゃたちまほろぼすべきほどの力を有するものがあらはれやうとは容易よういしんぜられぬ。しからば前にべたごとき一時全盛ぜんせいきわめた動物種属しゅぞく何故なぜたちまほろびたかとふに、われらの考によれば、の動物種属しゅぞく自身の内に、自ら滅亡めつぼうすべき原因げんいんが生じて原因げんいんが内からはたらくのと、外からめるてきの力とが相合してついこれ滅亡めつぼうせしめたのである。
「第三期の巨獣ヂノテリウムの頭骨」のキャプション付きの図
第三期の巨獣きょじゅうヂノテリウムの頭骨ずこつ
 およそ物がほろびるには二通りの原因げんいんがある。一は外につて外からはたら原因げんいんで、他は内に生じて内からはたら原因げんいんである。我国わがくに歴史れきして見ても、平家がほろびて源氏げんじおこつたのは、決して平家が引続ひきつづ健全けんぜん発達はったつして優勢ゆうせいるべきはずの所へ、源氏げんじさらにそれ以上いじょうまさつたものとなつて、競争きょうそう結果けっかこれをたおしたのではない。しも平家に内からほろびるべき原因げんいんかつたならば、競争きょうそうはるか不利益ふりえき位地ちいにあつた源氏げんじが、後よりこれを追ひしてたおのぞみは到底とうていかつたであらう。おごれる平家がひさしからずしてほろびたのは、平家のほろびるべき原因げんいんすでに内からはたらいて、最早もはやあやうりかゝつた所を源氏げんじが外からたおしたゆえあたかも内部のちた枯木かれき些細ささいの風にもたおれるごとくに、容易よういほろびたのである。つね生存せいぞん競争きょうそうはげしい世の中にあつては、如何いかに一時優勢ゆうせいたもつた動物でも、内からほろびる原因げんいんはたらいて、の運命がかたむいて来た場合には、今まで劣等れっとう位地ちいにあつたもののために、たちまたおされてしまふことは当然とうぜんである。中生代に天下を我物わがもの顔に横行おうこうしたイタチオサウルスやプレシオサウルスがわずかに一時代かぎりでほろせたのも、第三期のおそるべき猛獣もうじゅうおどろくべき巨象きょぞうしばらくで全く死にえて後に子孫しそんさぬのも、全く平家のほろびたのと同様の理由にもとづくのである。
 一時絶対ぜったい優勢ゆうせいたもた動物種属しゅぞくを内からはたらいて滅亡めつぼうせしめた原因げんいんは何であるかとふに、われらの見る所によれば、いずれの場合にてもかならはじ種属しゅぞくを急に勃興ぼっこうせしめた原因げんいんと同一のものである。これ一寸ちょっと聞くとはなは不思議ふしぎに思はれるであらうが、少しくわしく調べるとの理由が明かになつて来る。およそ何事でも一利いちりあればかなら一害いちがいあるはまぬががたい事で、人の伝記でんきなどを読んで見ても、同一の性質せいしつ其人そのひとの長所であると同時に、また短所でもあるとふやうな文句もんく往々おうおう見るが、動物の有する諸種しょしゅ性質せいしつにもこれと同様なことがある。る動物は体の大きく筋肉きんにくの強いことにつて他の種属しゅぞくに打ち勝ち、る動物は武器ぶきするどいことにつて他の種属しゅぞくに打ち勝ち、其他そのほかそれ/″\ことなつた方面に他にすぐれた所があつたために、優勢ゆうせい位地ちいたつたであらうが、かりに身体が大きく力が強かつたために他に打ち勝つた動物にいて見るに、体の大きく力の強いとふことはたしか生存せいぞん競争きょうそう上他の動物に勝つに都合の性質せいしつではあるが、また生活に多量たりょうの食物をようすること、成長せいちょうに多くの年月を待たねばならぬこと、蕃殖はんしょくおそかるべきこと、働作どうさ敏捷びんしょうくこと、其他そのほかなほ種々しゅしゅ不利益ふりえきなことが必然ひつぜん附帯ふたいして来るゆえ、一定の度をえれば、体の大なることはかえつて生存せいぞん競争きょうそう上に都合が悪くなるわけである。またきばつのの大きくするどいことはこれを用ひててきたおすには無論むろんきわめて有利ゆうり性質せいしつであるが、これとても、きばや角だけが単独たんどく発達はったつるものではなく、これせるための頭骨ずこつ顎骨がっこつも、これを運用すべき筋肉きんにくも、筋肉きんにくやしなふべき血管けっかんとも発達はったつせざるをゆえきばや角が大きくなれば、それだけ、の動物の負担ふたんが重くなつて、これも一定の度をえると、あたか相当に多くの海陸軍かいりくぐんつくつた貧乏びんぼう国が、武器ぶき維持いじするために重税じゅうぜいする結果けっかとして、べて他の方面が疲弊ひへいし、終には国全体がおとろへざるをごとくに、やはり生存せいぞん競争きょうそうにはかえつて不適当ふてきとうなものとつてしまふ。およ性質せいしつそなへたるがためべて他の種属しゅぞくに打ち勝つて、絶対ぜったい優勢ゆうせい位置いちに進んだ動物は、後にはさら性質せいしつを用ひて相互そうご競争きょうそうするをまぬがれぬもので、筋力きんりょくで天下を取つた種属しゅぞくは後には自己じこ種属しゅぞく内で相互そうご筋力きんりょくもつあらそひ、きば優勢ゆうせいめた種属しゅぞくは後には自己じこ種属しゅぞく内で相互そうごきばもつたたかゆえ益々ますます体の大きなもの、きばの強いものでなければ生存せいぞんすることが出来ず、くしてはじ種属しゅぞくをして他にまさらしめた性質せいしつ何所どこまでも際限さいげんなく進まねば止まぬ有様となるが、前にべた通り、如何いかはじ生存せいぞん競争きょうそう都合つごうかつた性質せいしつでも程度ていどえるとかえつて生存せいぞん競争きょうそう不利益ふりえきなものとなり、つ身体がる一定の生活ほうてきする様に専門せんもんてきに遠く変化へんかするとべて他の方面には、それだけ不適当ふてきとうなものとらざるをず、したがつてそれだけ融通ゆうずうかぬものとり、終に生存せいぞん競争きょうそう不利益ふりえき位地ちいおちいつて、漸次ざんじ他の種属しゅぞくのためにほろされるにいたつたのである。
 以上いじょうべたことをなおくわしくろんずれば、多くの実例じつれいあげげて証拠しょうこ立てることが出来できるが、くてはあま専門せんもん学の範囲はんい深入ふかいりすることとゆえ此所ここにはりゃくする。たゞわれらの考への要点ようてんべれば次のごとくである。すなわ地質ちしつ学上のかく時代に優勢ゆうせい位地ちいめて諸種しょしゅの動物が後にいたたちまほろせたのは、決してたんに他の種属しゅぞくのためにめられてけたわけではなく、むしほろびる原因げんいんが内部に生じたのにるのである。しかして、の内部に生じた原因げんいんふのは、すなわはじ種属しゅぞくをしてべて他の動物につて優勢ゆうせい位地ちいたつせしめた原因げんいんと同一のものである。シヤミセンガイやオウムガイの様な何所どこすみに生きてるか分らぬほど微々びびたる生活をいとなんでるものは、かえつて古生代から今日まで引続ひきつづいて細長く生存せいぞんしてるに反し、一時急にさかんになつて、しばらくは絶対ぜったい優勢ゆうせいたもつてたやうな動物が、ことごとく次の時代にほろせたとふことは、われらが此所ここべたごと原因げんいんによると考へるの外には到底とうてい説明せつめい仕様しようい様である。
 くのごとく化石学上のれいしめす所によると、一時地球の表面に優勢ゆうせい位地ちいめてた動物種属しゅぞくは、何れもはじ種属しゅぞくをして他の動物に打ち勝つて、優勢ゆうせい位地ちいたつせしめたその同じ性質せいしつが、やがてかえつてわざわいをなして、そのためことごとほろせてしまふたが、さて人類じんるい如何いかであらうか。人類じんるいだけはひとり他の動物とは全くちがうて、人類じんるいをして、今日の優勢ゆうせいなる位地ちいたつせしめたのうと手との力にり、言語と器械きかいとを使用して、今後も永久えいきゅうかぎりなく益々ますますさかえ行くであらうか。はたまた他の動物と同一の法則ほうそくしたがうて、かつては人類じんるいをして他の動物に打ち勝たしめ、文明人をして野蛮人やばんじん征服せいふくせしめたのうと手とのはたらきが、やがてかえつてわざわいをなして、人類じんるいをして、あたかも空に向うて投げた石がち来るときのごときパラボラ線(注:放物線)を画いて一刻いっこくごとに速力をしつゝ滅亡めつぼうの運命に向うて進ましめごときことはいであらうか。


 前にべた通り人類じんるいが今日の有様ありさままでに進んだのは、全く言語と器械きかいとを用ひてはたらのうと手との力につたものであるが、の力の発達はったつともなうて如何いかなる事が起つたかとふに、およ器械きかいを用ひる以上いじょうは所有けんふものが生じ、財産ざいさんなるものがあらはれ、同時に財産ざいさんして利子りしを取る制度せいども起るが、必然ひつぜん結果けっかとして、終に貧富ひんぷ懸隔けんかくはなはだしくなり、める者は益々ますますみ、まずしきものは益々ますますまずしく、一社会の中に、遊びながら贅沢ぜいたくきわみつくす少数のごく富者ふしゃと、如何いかはたらいても生活に必要ひつよう衣食いしょくさへも充分じゅうぶんられぬ無数むすうごく貧者ひんしゃとを生ずるにいたる。西洋諸国しょこくでは今日すでこの有様ありさまたつしてるが、世の進むにしたがこの傾向けいこう益々ますますはげしくなるにちがひない。金の有りあま富豪ふごうと、生活のためには如何いかなるはじをもしの貧民ひんみんとがならそんすれば、その間によろしからぬ現象げんしょうの起るは当然とうぜんの理で、これのみでも世道の頽廃たいはい、人心の堕落だらく原因げんいんとしては充分じゅうぶんである。
 富者ふしゃ華美かびな生活を見、金力によつてほとんど何事をもざることなき有様ありさま目撃もくげきする多数の人々が、同じく一生を送るならばわれくのごとくにしてくらしたいと思ふは無理むりならぬことゆえ世間せけん一般いっぱんにたゞ金銭きんせんにのみ重きをく様になり、如何いかなる苦しみをしのんでも金銭きんせんめやうと決心する事を奮発ふんぱつと名づけ、何等かの方法ほうほうつて金銭きんせんたことを成功せいこうしょうし、父兄は行末いくすえを思うて子弟してい奮発ふんぱつひ、雑誌ざっし成功せいこう者のれいげてさかんに青年を煽動せんどうするゆゑ、益々ますます金銭きんせんのための競争きょうそうはげしくなるが、一人をして富豪ふごうならしめるためには、数万人が貧苦ひんくしのばざるべからざるは計算上明かであるゆえべての奮発ふんぱつ者がことごと成功せいこうすることは到底とうていのぞむべからざることで、実際じっさいにはの多数は何時いつまでもたゞはげしい競争きょうそうつづけ、苦しみながらついに一生を終るのである。肉体のよくには何れも際限さいげんがあるが、金銭きんせんに対するよくには際限さいげんいから、富者ふしゃ生存せいぞん競争きょうそう有利ゆうりなる地位ちい利用りようして、さらとみさうとめ、貧者ひんしゃ益々ますますこれに苦しめられ、終には毎日朝からばんまで牛馬ぎゅうばごとくにはたらいても、生存せいぞん必要ひつような食物、衣服いふくさへ充分じゅうぶんられぬほどになる。ようするに、今後は貧富ひんぷ懸隔けんかく益々ますますはなはだしくなり、一度貧困ひんこんおちいつたものは如何いか奮発ふんぱつしても容易よういに頭を上げることは出来ず、金銭きんせんのための競争きょうそう何所どこまでも劇烈げきれつになつて、従来じゅうらい道義どうぎ人情にんじょうかえりみてはられぬ様な世の中にり行くものと思はねばならぬ。
 また人間は何事にも器械きかいを用ひる結果けっかとして、生活が次第しだい自然しぜん状態じょうたいに遠ざかり、火を点じて、夜も明るくし、炭をいて冬もあたたかくする。さらに進んで夏も氷をつくり、電気おおぎを回転せしめてあつさふせぐが、器械きかいの力につて天然てんねんに反した生活をすると身体は次第しだい天然てんねんに対する抵抗ていこう力がげんじ、段々だんだん懦弱だじゃく(注:気持ちにりがなく、だらけていること)になつて、わずか寒暑かんしょさらされてもただちに病気にかかるやうになる。西洋人が靴下くつしたぐと風を引くとうておそれるのはすで其例そのれいである。また火を用ひて食物をて食ふ様になつてからはかたい物をむ歯の力が漸々ぜんぜんげんじて、歯は弱くかつ悪くなる。野蛮人やばんじんしては文明人の方が一般いっぱんに歯が弱く、同じ国の内では下等社会よりも上等社会の方が一般いっぱんに歯が悪いことは歯医者のよく知る所である。料理りょうりほうが進めばがそれだけ弱くなつて、終には食時毎しょくじごとにタカヂヤスターゼ(注:食べ物の消化を助ける薬)を飲まねばめしが消化せぬ様な人も生ずる。出産しゅっさんごときも元来普通ふつうな生理てきの作用であるから決して困難こんなんはずなく、獣類じゅうるいめす出産しゅっさんさい同僚どうりょうの助けをもとめる者のないのは無論むろんのこと、人類じんるいでもアフリカやオーストラリヤの土人は姙婦にんぷが旅行中に出産しゅっさんする場合には暫時ざんじ同伴者どうはんしゃはなれ、藪蔭やぶかげ出産しゅっさんませ、かたわら小河おがわ幼児ようじあらうて、ただちに自分のに乗せ、早足で同行者に追ひいて、平気で旅行をつづけるが、本来かく軽便けいべんであるべきものが、文明国になると、生死にもかんする大事件じけんとなり、かなら産婆さんば看護婦かんごふ産科さんか医者の助けをりなければめぬ事に定まり、その上に難産なんざん割合わりあい次第しだいして行く。く身体が段々だんだん弱くなつて、防寒具ぼうかんぐ避暑具ひしょぐ防湿具ぼうしつぐ頸巻くびまき手袋てぶくろ耳覆みみおおひ、呼吸器こきゅうき塵除ちりよ眼鏡めがね、ゼム、清心丹せいしんたん、タカヂヤスターゼ其他そのほか種種しゅしゅ雑多ざったの物の中、何か一つけてもたちまやまいるやうにれば、生命をたもつに必要ひつような物の品数が非常ひじょうに多くなり、それだけ生活費せいかつひが高くなつて、生活なんが度をし、生存せいぞん競争きょうそうになほ一層いっそう努力どりょくようすることにる。とく葬式そうぎの日だけ看護婦かんごふやとんで、車でともをさせるほど虚栄心きょえいしんちた人間が、富豪ふごう贅沢ぜいたくな生活をつねに目の前に見てるのであるゆえいくらあつてもなおその上に金銭きんせん不足ふそくを感じ、一にも金銭きんせん、二にも金銭きんせんただそれのみを思ひわずらうて一日も安んぜぬ様にるにちがひない。
 生存せいぞん競争きょうそう劇甚げきじんとなつて、はげしく競争きょうそうせねば自分の生存せいぞんあやういと不安ふあんねん一刻いっこく念頭ねんとうはなれぬ様になると、無意識むいしきてき競争きょうそうしてたときとはちがひ、ただそれだけでもはなはだしく神経しんけい刺戟しげきするが、人間が便利べんりあるい娯楽ごらくのためにつく器械きかいも、またはげしく神経しんけい刺戟しげきするものばかりである。今日でも一寸ちょっと外へ出ればただちに電車か汽車に乗るが、やかましいひびきは聴神経ちょうしんけいを通じて強くのう中枢ちゅうすう刺戟しげきする。れるとあまやかましく感じなくなるが、これただそのひびき意識いしきに入らぬだけで、実際じっさい耳と神経しんけいのうとの刺戟しげきせられてることはごう(注:すこし)もげんじない。活動写真を見る人はたんに画が動くごとくに感じてるが、実際じっさいは一秒に十回以上いじょうわり劇烈げきれつな光と暗黒とがかわがわ網膜もうまく視神経ししんけいのうとを刺戟しげきしてるのである。神経しんけいけいに対する刺戟しげき多過おおすぎるために神経しんけい次第しだい衰弱すいじゃくし、はたらきが過敏かびんとなり、病的びょうてきとなつて些細ささいな事をもはなはだしく気にけ、わずかなことをも非常ひじょう心配しんぱいし、少しく逆境ぎゃっきょうに立つとたちま失望しつぼう落胆らくたんし、あるい自暴じぼう自棄じきとなつて、軽々しく自殺じさつし、もしくは重罪じゅうざいすやうになる。今日でも統計とうけいしめす所にると、精神病せいしんびょう者、自殺じさつ者、犯罪はんざい者の数は一年ごとして行くが、今後は原因げんいん増加ぞうかするにしたがひ、さら一層いっそうはなはだしくなるものと覚悟かくごせねばならぬ。
 また教育が進んでのうはたらきが発達はったつすると、万事自身の智力ちりょく判断はんだん識別しきべつする力がゆえしも社会に不条理ふじょうり制度せいど存在そんざいするときはたちまこれに気がき、はげしく不都合ふつごうを感じ、のために不利益ふりえき位地ちいに立つてるものはがた不平ふへいを起すにいたる。無智むち野蛮やばん時代や半開時代には何様なにようにかしてゑずこごえず、安全にくらるものは、それで満足まんぞくして、貧乏びんぼうな自分のとなりに富裕ふゆうな人が稍々やや贅沢ぜいたくくらしてても、各々おのおのその分であるごとくに心得こころえて、へて何故なぜかれわれとの間にくのごと貧富ひんぷがあるかと考へもせぬが、世の中が進み、知識ちしきが開けるにしたがつて、何事においてもの理由を知らうとほつし、不条理ふじょうりきわまると思ふことを発見した場合には、これに対して不平ふへい不満ふまんねんきんなくなる。われよりも体格たいかく脳力のうりょくともにたしかおとつてかれが、何故なぜ社会においわれよりも上にくらいしてるか、れが毎日衣食いしょくるためにく苦しみつゝあるに、かれ何故なぜ快楽かいらくふけりながら安らけく世をわたつて行くか、正直しょうじきはたらわれ一顧いっこをもあたへざる世間は、何故なぜ強慾ごうよく不正ふせいなるかれくまでに尊敬そんけいするかと考へては、益々ますます劇烈げきれつ不平ふへいが起り、過多かた刺戟しげきのために神経しんけい過敏かびんになつてるところへ不平ふへいねんあらわれるから、愈々いよいよ我慢がまん出来できなくる。今日の虚無党きょむとう(注:ロシア皇帝こうてい暗殺あんさつなどの非常ひじょう手段しゅだんうつたえた1870〜80年代の革命家かくめいかたち)とひ、社会党しゃかいとうひ、無政府党むせいふとうふは、何れも不平ふへいために生じた結社けっしゃで、西洋の文明国には一国として比類ひるいのもののい所はないが、不平ふへい原因げんいん消滅しょうめつせぬ間は、今後も益々ますますさかんはびこるものと思はねばならぬ。また不平ふへいと、生活なんと、世間からの圧迫あっぱくとが一度に重なり合ふと、鬱憤うっぷんあま如何いかなる蛮行ばんこうをもあえてするやから続出ぞくしゅつする。今日までも暗殺あんさつ謀反むほんなど屡々しばしば行はれたが、今後はなほ一層いっそう頻繁ひんぱんに起るにちがひない。
 野生の動物には生存せいぞん競争きょうそう結果けっかつね自然しぜん淘汰とうたが行はれ、筋肉きんにく体力のおとつたもの、感覚かんかくにぶいもの、其他そのほか生存せいぞん不適当ふてきとうのものはほろびて、適者てきしゃのみが生存せいぞんするゆえ生存せいぞんてきする性質せいしつは代を追うてわずかづつ発達はったつし、決して退歩たいほすることはいが、人類じんるいには、何物とでも交換こうかんの出来る貨幣かへいが流通する様につた後は、自然しぜん淘汰とうたはたらきが中絶ちゅうぜつした。人類じんるいおいても生存せいぞん競争きょうそう劇烈げきれつで、敗者はいしゃ生存せいぞん出来できぬのであるから、たしか一種いっしゅ淘汰とうたが行はれてるにはちがひないが、今日人類じんるい生存せいぞん競争きょうそうおい勝敗しょうはいさだまる標準ひょうじゅんかならずしも身体のまされたこと、精神せいしんまさつたことではなく、多くは全く別種べっしゅ関係かんけいから勝敗しょうはいが決するゆえつねきわめてはげしい生存せいぞん競争きょうそうがありながら、優者ゆうしゃのみを生存せいぞんせしめると淘汰とうたは起らぬ。身体も健全けんぜん智力ちりょく相応そうおう発達はったつした者がひんせまつて自殺じさつすることもあれば、病身びょうしん愚物ぐぶつが医者と看護婦かんごふとをやと金銭きんせんの力で、無事ぶじ生存せいぞんして子をのこすこともある。立派りっぱな人間に育つべき体質たいしつ嬰児えいじがたゞ貧家ひんかに生れたばかりに、栄養えいよう不良ふりょう夭死ようしすることもあれば、両親のいずれにてもろくな者にはりさうもない月足らずのが、贅沢ぜいたくな定温哺育ほいく箱の助けにつて安全に成長せいちょうすることもある。くのごとく今日の人類じんるいには身体の健全けんぜんと、精神せいしん優秀ゆうしゅうとを標準ひょうじゅんとした淘汰とうたは全く行はれぬが、淘汰とうためば其時このときまで淘汰とうた標準ひょうじゅんであつた点がただち退化たいかし始めるのは、生物学上動かすべからざるたしかな事実である。暗黒あんこくどうの内につて優劣ゆうれつ標準ひょうじゅんとした自然しぜん淘汰とうたいと、の動物の次第しだい退化たいかする。ける獣類じゅうるいない所に住んで、ぶ力の優劣ゆうれつ標準ひょうじゅんとした自然しぜん淘汰とうたいと、其鳥そのとりつばさ次第しだいに小さく弱くなる。アメリカの大洞だいどう内に盲魚もうぎょや、ニユージーランドにさんする無翼鳥むよくちょうくして出来たものである。されば人類じんるいも肉体およ精神せいしん優劣ゆうれつ標準ひょうじゅんとした淘汰とうたが行はれぬ結果けっか、両者ともに漸次ざんじ退化たいかすべきは数のまぬかれざる所で、今後はかならいちじるしく退化たいか現象げんしょうあらはれるであらう。げんに今日でも西洋諸国しょこくではすで人類じんるい退化たいか現象げんしょうの少なからぬに気がき医者、法律ほうりつ家、社会学者などが集まつて、やかましくこれろんじ、そのために専門せんもん機関きかん雑誌ざっしをも発行して、これ防止ぼうしする方法ほうほうこうじてるが、淘汰とうたの行はれぬかぎりは退化たいかむをゆえ到底とうていいたし方はいのである。
 以上いじょう略述りゃくじゅつした通り、人類じんるいはじしょ動物に打ち勝つさいに、大に役に立つたのうと手とのはたらきが、其後そのご何所どこまでも発達はったつしたために、必然ひつぜん結果けっか、生活が自然しぜん状態じょうたいに遠ざかつて、身体が弱くなり、貧富ひんぷ懸隔けんかくはなはだしくなつて、生存せいぞん競争きょうそうはげしくなり、神経しんけい衰弱すいじゃくし、不平ふへい増進ぞうしんして、世道せどう人心じんしん益々ますます堕落だらくするのほかなきにいたつたが、此等これらべて広い意味にける退化たいか現象げんしょうぞくする。今日とてもすで世道せどう廃頽はいたい、人心の堕落だらくなげく人はいくらもあるが、原因げんいん人類じんるい自身の性質せいしつの内部に起つたものである以上いじょうは、今後も引きつづいて同一の方向に進むであらう。さてかる退化たいか現象げんしょうが今日以後いごさらに歩を進めたならば、人類じんるいの身体上、精神せいしん上、社会上に如何いかなる変化へんかを生ずるであらうか。これ我々われわれが今から慎重しんちょうに研究してくべき大問題である。


 づ生活の困難こんなん人心じんしん堕落だらくが今後身体上に如何いかなる結果けっかを生ずべきかを考へるに、第一に影響えいきょうこうむるのは性慾せいよくかんする方面である。生活の費用ひようの高まるにしたがひ、結婚けっこんして一家をささへ、妻子さいしやしなふことは段々だんだん容易よういでなくなり、相応そうおう資産しさんつくつた後でなければ結婚けっこん出来できぬ所から、自然しぜん晩婚ばんこんの風が生じ、中年以後いごまで結婚けっこんせぬ者も段々だんだん多くなる。しかるに性慾せいよく人類じんるい自然しぜん肉慾にくよくの中でもっとも力強いもので、青春ゆるがごとき時期に当つては、到底とうてい理性りせいつてひややかに制御せいぎょべきものではない。それゆえおおやけ結婚けっこん出来できぬ場合には、何等なんらか他の方法ほうほうつて満足まんぞくもとめ、結果けっかとして裏面りめん風儀ふうぎ次第しだいみだれるはむをぬ。また女子は身体の構造こうぞう上、資本しほんようせずして金銭きんせんもうべき方法ほうほうそなはつてあるゆえ、生活の困難こんなんな場合、しくは虚栄きょえい心を満足まんぞくせしむべき金銭きんせん不足ふそくを感ずる場合には、暫時ざんじ肉体をしてこれおぎなはうとするにいたやすい。はなはだしきにいたつては学校の授業じゅぎょうりょうんがために、ひそかにかせぐ女学生までも出来る。くして公然こうぜん結婚けっこんらずして性慾せいよく満足まんぞくべき簡便かんべん方法ほうほういたる所に出来る上は、青年はことごとこれつて満足まんぞくもとて、晩婚ばんこんもとより一生独身どくしんくらす男子も多くなり、今日でも西洋諸国しょこくではすでに、とつぐべき相手がいためによんどころなく独身どくしんくらす女子が非常ひじょう沢山たくさんにある。斯様かような世の中になれば梅毒ばいどく痳病りんびょう軟性なんせい下疳げかんなどの花柳病かりゅうびょう(注:性病。性行為感染症)がたちまひろがつて止まる所を知らぬであらうが、梅毒ばいどくはなはだしく身体を弱くしとく神経しんけいけいおかせば痳痺まひせい痴呆ちほうなどとうて、長くても二三年でかならず死ぬおそろしい精神せいしん病を生ずる。その上、梅毒ばいどくかなら子孫しそんつたはるゆえ、この病が世の中に蔓延まんえんすると、一代毎に一般いっぱん健康けんこうおとろへるはまでもない。先年ドイツ国ベルリンの大学で学生中に花柳病かりゅうびょうかかつてない学生のまれなるを知つて大におどろき、とく講義こうぎを開いて花柳病かりゅうびょうおそるべきことを学生にときき聞かせた。性慾せいよくの発動を講義こうぎつて停止ていしすることが出来たかいなかは知らぬが、性慾せいよくもとづく病がたしかに世の進むとともいきおい益々ますますひろがり行くはうたがいれぬ。西洋人が「開化(Civilizationシヴィライゼーション)は梅毒ばいどく化(Syphilisationシフィライゼーション)なり」とふのは全く実際じっさい的中てきちゅうした言葉である。
 また公に結婚けっこんする者も、生活なんすにしたがひ、目的もくてき一変いっぺんして、従来じゅうらいごときよき家庭をつくつて、健全けんぜんなる後継こうけい者をみ育てるためではなく、男は富者ふしゃむすめめとつて出世の手掛てがかりとやうとはかり、女も富者ふしゃとつして、生活なん心配しんぱいなくかつ栄燿えいよう(注:大いに栄えて、はぶりのよいこと)に世を送らうとするから、したがつて結婚けっこん自然しぜん結果けっかなる姙娠にんしんきらひ、あらゆる方法ほうほうを考へてこれけやうとする。性慾せいよく満足まんぞくは家の内外にもとめながら、子を育てる面倒めんどうまぬがれやうとする者が増加ぞうかすれば、一般いっぱん産児さんじの数が漸々ぜんぜん減少げんしょうするのは当然とうぜんのことで、げんにフランスのごときは、そのため国力のおとろへるおそれがあるので、種々しゅしゅその救済きゅうさい方法ほうほうこうじてる。またんでも、養育よういくを人手にまかせて、自身は楽をやうとする女が多くなると、ちち分泌ぶんぴつする性質せいしつ退化たいかして、西洋では今日すでんでもちちの出ぬ女の数が年々多くつてるが、今後は現象げんしょうさらに進むであらう。
 人類じんるいの生活が次第しだい自然しぜん状態じょうたいに遠ざかるにしたがひ、身体が漸々ぜんぜん薄弱はくじゃくになり、神経しんけい過敏かびんになることは前にもべたが、生存せいぞん競争きょうそうはげしくなるにともなうて、自分の生存せいぞん何時いつあやうくなるかも知れぬといふ心配しんぱい瞬時しゅんじ念頭ねんとうはなれぬと、つね不安ふあんねんず、漸々ぜんぜん苦悶くもん状態じょうたいおちいり、何等なんらかの手段しゅだんつて一刻いっこくでも圧迫あっぱくはげしい現実げんじつ世界をわすれて、借金しゃっきん取りもうぐいすの声に聞える夢幻むげんさかいに遊ぶことが出来れば、これ無上むじょう快楽かいらくと感ずるにいたる。さけ煙草たばこいたる所にさかんに用ひられるのはのためである。はじめて文明人に接触せっしょくした野蛮人やばんじんが、何よりもさけ煙草たばことをしがるのも、おそらく無意識むいしきてきながら、器械きかいを用ひてめて来る文明の圧迫あっぱく暫時ざんじだけでもわすれたいためであらう。さけ煙草たばこ有毒ゆうどく成分せいぶんふくむでゆえ多量たりょうつづけ用ひると中毒ちゅうどくを起す。酒精しゅせい(注:アルコール)の中毒ちゅうどくによつて震戦しんせんせい譫妄せんもうしょう(注:アルコールの離脱りだつ症状しょうじょうのひとつ)にかかり、煙草たばこ中毒ちゅうどくによつて視力しりょく鈍衰どんすいすることは世人の知るごとくであるが、さらおそるべきは子孫しそん体質たいしつがいすることである。医学上の統計とうけいによると精神せいしん病者、低能ていのう者、体質たいしつ異常いじょう者はほとんことごとの父母もしくは祖父母そふぼ等に酒客しゅかく(注:酒飲み)を有するものである。しかさけ煙草たばことはきわめて重いぜいして、経済けいざい容易よういに飲めぬやうにして外部から強制きょうせいてきふせぐことも出来、また煙草たばこには製造せいぞう者が如才じょさいなくいもの葉やはすの葉をかわかしてきざむから、害毒がいどくあるいおそれるに足らぬかも知れぬ。
 世の開けぬ中は農産のうさん物がそのまゝで直接ちょくせつ費消ひしょう者の手にわたゆえ、飲食物にまぜぜ物がいが、製造せいぞう工業がさかんになると飲食物も一ヶ所で多量たりょう製造せいぞうし、一時貯蔵ちょぞうしてくために防腐剤ぼうふざいくわへることもあり、また法外ほうがいもうけやうとして、容積ようせき重量じゅうりょうすために種々しゅしゅの物をずることもある。さけにサリチルさんくわへ、砂糖さとう温飩粉うどんこ房州砂ぼうしゅうすなぜ、醤油しょうゆにサツカリン(注:人工甘味料かんみりょう。トルエンなどから合成ごうせいされる)を入れることなどは今日すでさかんに行はれてるが、これ等も長い間には少しつつ身体をがいせぬともかぎらぬ。
 また製造せいぞう工業の発達はったつともなひ、人の仕事が益々ますます細かく分業てきになつて、身体のはたらきも一方にへんする様になり、耳を用ひる職業しょくぎょうの者は耳のみを過度かどに用ひ、を使ふ職業しょくぎょうの者はのみを過度かどに使ひ、そのためかく職業しょくぎょう固有こゆうの病も出来て来る。その上に職業しょくぎょうによつては年中えず綿屑わたくずむとか、塩酸えんさんけむりぐとか、自然しぜんの生活には決して有害ゆうがい物にれるゆえこれによつても身体は漸々ぜんぜん、悪くなる。田舎いなか衰微すいびして都会が盛大せいだいになるほど、このがい範囲はんいは広くなり、結果けっかいちじるしくあらはれる。


 以上いじょうは主として自然しぜんの生活より起る身体の退化たいかべたのであるが、次に智力ちりょくの進歩にともなうて精神せいしん上に如何いかなる変化へんかが生ずるかと考へるに、教育が進み知識ちしきせば次第しだいに何事にいてもの理由を知らうとよくし、つ自身の判断はんだん力にうったへて当否とうひ鑑別かんべつしやうとこころみる様になり、従来じゅうらいたゞ他動たどうてきに教へられてそのまゝしんじ来つた事に対してもうたがいはさむ様につて来る。これ従来じゅうらいたんに、知識ちしき上の権威けんい服従ふくじゅうしてたのが、支配しはいからだつして独立どくりつに考へ様とするのであるから、精神せいしんてき解放かいほうともふべき事で、結果けっかとしてべての方面に懐疑かいぎねんが生ずる。その中で精神せいしん上にもっといちじるしい影響えいきょうおよぼすのは道徳どうとく上にかんする懐疑かいぎである。もっと金銭きんせんり取りにいそがしい多数の人々は従来じゅうらいとても、ただ習慣しゅうかんしたがうて行動するだけで、道徳どうとく上の議論ぎろんなどは丸で眼中がんちゅういてなかつたし、また今後とても、多数の人々は実際じっさい生存せいぞん競争きょうそうに追はれて、此様このような問題を考へるひまく世をわたるであらうが、少しく学問でもする人は道徳どうとくく所と目前の事実とを対照たいしょうしてうたがいはさまざるをぬ様になる。たとへば書物には善人ぜんにんおわりさかえ、悪人は終にほろびるごとくに書いてあるが、実際じっさいには貧富ひんぷ懸隔けんかく生存せいぞん競争きょうそう劇甚げきじんのために、善人ぜんにんほろび悪人がさかえる方がかえつて多い様に見え、正直しょうじきに一生懸命けんめいはたらいてた者が不意ふい災難さいなんうて悲惨ひさんきわまる境遇きょうぐうおちいることもあれば、正直しょうじき横着おうちゃくきわまる事をして莫大ばくだい財産ざいさんつくつたものが、自分一代はふにおよばず、まごの代までさかえてれいもある。積善しゃくぜん(注:善行ぜんこうみ重ねること)の家がたちま断絶だんぜつして、積悪しゃくあくの家にかえつて余慶よけい(注:子孫が受ける幸福)のある事もある。斯様かような事実を目前に見ては、道徳どうとくとはそも何物であるかとの疑念ぎねんが起るは当然とうぜんで、「ぜんぜんなるがゆえすべし、悪は悪なるがゆえすべからず」とごと不得要領ふとくようりょう(注:要点がはっきりしないこと)な説法せっぽうには到底とうてい承知しょうち出来できなくなり、従来じゅうらい道徳どうとく根柢こんていからあらためて吟味ぎんみせねばならぬとの観念かんねんうかぶ。一方で理論りろん道徳どうとくかんしてうたがいいだく者の生ずる間に他方にはさらに一歩を進めて、実際じっさい処世しょせい上、道徳どうとくなるものを安く見縊みくびり、自分一身の損得そんとくから打算ださんして、生存せいぞん競争きょうそう上、道徳どうとくしたがふをとする場合には道徳どうとく尊重そんちょうし、道徳どうとくやぶるをとする場合には道徳どうとくててかえりみぬやからが多数に生ずる。西洋諸国しょこくで、他の方面の道徳どうとくはなはだしくおとろへたにかかわらず、商業上の道徳どうとくかたく守られてるのは斯様かよう動機どうきから起つたことであるから、これをもつて他の方面の徳義とくぎはかるの標準ひょうじゅんとすることは出来できぬ。人心じんしんかる程度ていどたつした上は、道徳どうとく彼等かれらに対して何の威厳いげんをもたもぬは勿論むろんである。
 生存せいぞん競争きょうそうはげしくなれば、目的もくてきのために手段しゅだんえらんではられぬ様になり、不正ふせいな事も聞きれては日常にちじょうごとくに思はれ、一旦いったん成功せいこうさへすれば、世間は光輝こうきくらまされて、如何いかなる手段しゅだんつたかはわすれて問はぬ。かるれい無数むすうあらはれるにしたがひ、道徳どうとく価値かち益々ますますみとめられなくなつて、ついには過去かこの時代にそんした古物のごとくに思はれ、実際じっさいの生活には全く度外視どがいしせられるにいたるやもはかがたい。世には往々おうおう、今日はきゅう道徳どうとく破壊はかいせられ、新道徳どうとくいまだ定まらぬ過渡かと時代であるから、世道せどう人心じんしんが多少混乱こんらん状態じょうたいにあるは止むをぬとく人もあるが、以上いじょうべたごとくに考へると、所謂いわゆる道徳どうとくなるものは、何を根柢こんていとして何時いつ出来でき上るものであるか真に心細こころぼそ次第しだいである。
 生活なんすにしたがうて、往々おうおう宗教しゅうきょうさけび声が一時多くなることもあるが、われらの考へにれば、これは決してる人人のろんずるごと信仰しんこう復活ふっかつ見做みなすべきものではく、ただ競争きょうそう場裡じょうり不安ふあんねんへずして何物にかつかいて慰安いあんもとめやうとこころみるのであるから、あたかおぼれんとする者がかんでわらにもつかかうとするのと同じであつて、無智むち爺婆じじばばが安心して信仰しんこうしてたのにすると全くおもむきちがふ。人が地獄じごく極楽ごくらくをそのまましんた時代には、宗教しゅうきょう風教ふうきょう(注:とくをもって人々を教えみちびくこと)の維持いじにも失意しつい者の慰安いあんにも有効ゆうこうであつたらうが、一旦いったん智力ちりょくが進んで懐疑かいぎねんを生じた者に対しては、到底とうてい多くの安心をあたへる力はない。とくに他人をすくふ前に、づ自分をすくふべき必要ひつようのある今後の宗教しゅうきょう家によつて、道徳どうとく幾分いくぶんでも維持いじせらるべきことはすこぶのぞみが少ない。
 くて道徳どうとく宗教しゅうきょうも、今後は生活なん智力ちりょく増進ぞうしんともな懐疑かいぎ不安ふあんねんしずめることは出来ず、生存せいぞん競争きょうそうの方は一刻いっこくも休まず追ひ立てるゆえ人心じんしんはたゞ堕落だらくの方向に進むの外にみちなきにいたるであらう。


 人類じんるいが社会を形造かたちづくつて生存せいぞんして以上いじょうは、たがいに力をきょうあい助けることが何よりも大切であるが、生活なんくわはるととも人心じんしん堕落だらくすると、此事そのこと次第しだいうすらいで行く。かく個人こじんの間の競争きょうそうはげしくなると、自分一身の生存せいぞんを図ることに全力をつくしてもなほ不足ふそくを感ずるほどであるゆえいきおひ他をかえりみることなどは出来できなくなり、したがつて何事をるにもたゞ自分一身の利害りがい損得そんとくからり出して計画せざるをぬ様になつてしまふ。元来人類じんるいごと協力きょうりょく一致いっち本能ほんのうすこぶ薄弱はくじゃくなるものには制裁せいさいもうけてたがあいいましめ、協力きょうりょく一致いっちやぶれぬやうにする仕組が必要ひつようである。昔は道徳どうとく宗教しゅうきょう等につて多少これた。しかるに今後は貧富ひんぷ懸隔けんかく知識ちしき増進ぞうしん等にともな利己りこ私慾しよく主義しゅぎいきおいて、宗教しゅうきょう道徳どうとくともおとろへるの外はないゆえ、たゞ強制きょうせいてきはたら法律ほうりつの外には、人類じんるい協力きょうりょく一致いっちはたらきをさしめるものはくなる。くなれば世は私慾しよく法律ほうりつとの競走きょうそうとなり、私慾しよくたくみ法律ほうりつ空隙くうげきもぐり、法網ほうもうれずしておおいもうえるべき方法ほうほう講究こうきゅうして実行し、これふせためにはさらみつなる新法律ほうりつつくられ、法律ほうりつの数はかぎりなくすであらうが、錠前じょうまえ改良かいりょうせられる毎に盗賊とうぞく錠前じょうまえやぶりも精巧せいこうになるごとくに、法律ほうりつみつになれば、それだけこれもぐじゅつも進歩し、私慾しよく相変あいかわらずべての方面にさかんはたらつづけるであらう。(注:すなわち庶民しょみん法律ほうりつ理解りかいできぬゆえ法律家が跋扈ばっこする世となるであろう)。
 かく個人こじんことごと私慾しよくつてはたらく世の中になれば、協力きょうりょく一致いっちようする事業はもとよりよく行はれるのぞみはない。たとひ協力きょうりょく一致いっちの外形だけは継続けいぞくしても、内容ないよう私慾しよくの集まりとかわつてしまふ。たとへば団体だんたい自治じちごときも、元来は多数の人々に適当てきとうみとめられ選出せんしゅつされた者がしゅうに代つて議員ぎいんとなるべきに、今後は私慾しよく主義しゅぎ跋扈ばっこするにしたがひ、位置いち利用りりょうしてもうけやうと思ふ者が、自分の方から候補こうほ者と名乗つてさかんに運動し、うるさく選挙せんきょ者にせまり、あらゆる手段しゅだんを取り、時には兇器きょうきを持ち出してまでも、他をはいして自分が当選とうせんしやうとつとめる様になるにちがひない。福沢ふくざわ(注:諭吉ゆきちかって「世界国つくし」の中に「政体せいたいありて主君なく、天下は天下の天下なり」とうたふた北米合衆国がっしゅうこくの人にはせると、米国は共和きょうは政治せいじふ理想てき政体せいたいで、かく個人こじん貧富ひんぷ上下のべつなく、憲法けんぽうによつて平等に政治せいじ上の権利けんりあたへられてるとふが、今日すで上述じょうじゅつごと有様ありさまに進んでゆえかりに自分がニユーヨーク市の住民じゅうみんになつたと想像そうぞうすると、自分の実際じっさいに有する政治せいじ上の権利けんりは、たゞ自分のこのまぬ候補こうほ者をえらむか、棄権きけんするかの二途にとの中、一つを随意ずいいえらると権利けんりのみにぎぬ。されば今後は協力きょうりょく一致いっちようするはたらきは漸々ぜんぜん困難こんなんになりついにはほとん不可能ふかのうになるやも知れぬ。
 智力ちりょくが進めば道徳どうとくに向うて懐疑かいぎはさむ様になると同じく、従来じゅうらい伝説でんせつによつてそんする社会の制度せいどに対しても、たん盲目的もうもくてき服従ふくじゅうしてらぬ様になり、批評ひはんてき態度たいどを取つてこれのぞむから、不条理ふじょうりなりと思ふことには反抗はんこうねんを起さゞるをない。たん祖先そせん御蔭おかげによつて、愚劣ぐれつ子孫しそん何時いつまでも社会の上位じょうい印度いんど世襲せしゅうてき階級制度せいどなどに対しては、第一にかる反抗はんこうねんが起るであらうが、これれがはげしくはびこつて現在げんざい制度せいどたおさうとこころみる者がさかんあらはれては、社会の秩序ちつじょ安寧あんねいやぶれるうれいがあるゆえ、国をおさめる局に当る者が力をきわめてこれおさへやうとするのは無理むりもない。しかしながらかる思想は外部からあつして発表させぬ様にすることは出来るが、心の中に思ふことまでを防止ぼうしすることは出来できゆえ、今後は智力ちりょくの進むにしたがひ、なほ一般いっぱんひろまるはまぬかれぬであらう。「地頭じとうには勝たれぬ」とことわざも有つて、時の強者に反抗はんこうするはそんであるゆえ大抵たいていの人は自身の利害りがいから考へて、容易よういに公には名乗らぬが、西洋諸国しょこくでは今日すでこれるいするねんほとんべての人の内心にそんする様に見受ける。なほ此等これらいてはろんずべき事が沢山たくさんにあるが、あまり長くるから止める。


 人類じんるい将来しょうらいなどとふ問題は到底とうてい四十ぺーじや五十ぺーじつまびらやかろんぜられるものではないから、此所ここにはもとよりきわめて大体の筋道すじみちだけをべたにぎぬが、これつても人類じんるいが今如何いかなる方向に進みつゝあるかとふ事だけは多少あきらかに知る事が出来やう。すなわ人類じんるいその始めのうと手との力につて他の動物に打ち勝ち、絶対ぜったい優勢ゆうせい位地ちいめることをたが、のうと手とのはたらきの進んだ結果けっか、今後は貧富ひんぷ懸隔けんかくはなはだしくなり、生活の困難こんなんし、身体は退化たいかし、神経しんけい過敏かびんとなり、不平ふへい懐疑かいぎねんが進み、私慾しよくのみがさかんになつて、協力きょうりょく一致いっちはたらきが出来できなくるべき運命を有するにいたつたのである。人類じんるいの場合においても、はじ生存せいぞん競争きょうそうもっと有効ゆうこうであつたの同じ性質せいしつかぎりなく発達はったつして、後にはかえつわざわいをなして、今後は滅亡めつぼうの方向に進むの外なくなつたのであるから、の中世代のアトラントサウルスがはじめ他の動物に勝つさい有効ゆうこうであつた体力が過度かど発達はったつし、ついにはそのため敏捷びんしょういて滅亡めつぼうしたのと全く同一の径路けいろを進みつつあると推測すいそくするの外はない。されば終局しゅうきょく地質ちしつ学上のかく時代に一時全盛ぜんせいきわめてた他のしょ動物と同じく、おそらくは次の時代までに略々ほぼ全滅ぜんめつするをまぬかれぬものと見做みなすが適当てきとうであらう。
 斯様かように考へて見ると、今日の人類じんるいあたか不治ふじの病の初期しょきかかつて有様ありさまで、かく民族みんぞくいまだ軽いながらも到底とうてい全快ぜんかい見込みこみのない不治ふじの病人に比較ひかくすべきものである。一個人いちこじん不治ふじの病の初期しょきかかつた場合には、他事を投げすてつて安楽に静養ようじょうする事も出来るが、地球の表面にけるかく民族みんぞくつねたがいにらみ合うて、わずかすきでもあらばあいたおさうと待つてるのであるから、もっぱら病をやしなふのみにかつてはられぬ。かならず外に向うては武備ぶびかためててきあなどりふせぎ、内は出来るだけの方法ほうほうこうじて一刻いっこくでも病勢びょうせいの進むことを止めて寿命じゅみょうを長くすることをつとめねばならぬ。今後にけるかく民族みんぞく間の競争きょうそうあたか不治ふじの病人が相たたかうてる様なものゆえ武備ぶびおとつたものがけるうれいがあるはあきらかであると同時に、病気の急に進んだ者もたちまてきたおされるはうたがいない。さればかく民族みんぞくともに全力をつくして、の両方面においつねに他の民族みんぞくまさるやうにつとめることが必要ひつようである。
 小医は人をいやし、大医は国を医すとふが、人類じんるい不治ふじの病なる世道の廃頽はいたいいやる者があつたならば、これこそ大医のさらに大なるものである。世は澆季ぎょうき(注:世の終わり)なりとは三千年の昔からえず人のひ来つたことであるが、この間にこれうれへて、世をすくはうとこころざした人はもとより多数に有つた。その中で死後の崇拝すうはい者にかつがれて今日まで名をつたへられたものにはキリスト、孔子こうしなどがあるが、此等これらの人々の教へた事は根本はきわめて簡単かんたんつ同一である。すなわち「おのれよくする所、これを人にほどこせ」しくは「おのれよくせざる所、これを人にほどこなかれ」とふことに帰着きちゃくするが、おしへは実行が出来さへすれば、世道の廃頽はいたい人心じんしん堕落だらく即座そくざ撤回てっかいすることが出来て、世はたちま極楽ごくらく浄土じょうどはずであるからきわめて結構けっこうであるが、しいかな今の世の中では実行が到底とうてい覚束おぼつかない。今日までこれつて世道人心じんしん堕落だらくふせなかつたことは、過去かこ歴史れきし証明しょうめいする通りであるが、今後とても同様である。生存せいぞん競争きょうそう劇烈げきれつな世の中では、一刻いっこくでも他に先んじておしへにしたがふた者はたちまち取り返しのかぬ苦境くきょうおちいおそれがあるゆえ、一民族みんぞく内のべての個人こじんが、一、二、三の号令ごうれいともことごとく打ちそろうておしへを守る様になる時の外は到底とうていその実行をのぞむことは出来できぬ。
 根本こんぽんてき治療ちりょうほういとすれば、其他そのほか方法ほうほうもとめるの外に道はないが、他の方法ほうほうは今日すでに文明諸国しょこく沢山たくさんに行はれてる。養育院よういくいん感化院かんかいん孤児院こじいん慈善会じぜんかい出獄者しつごくしゃ保護会ほごかい安価あんか食物供給所きょうきゅうしょ無銭むせん宿泊所しゅくはくしょ労働者ろうどうしゃ養老金ようろうきん貧困者ひんこんしゃ慰問いもん其他そのほか種々しゅしゅ救済きゅうさいほうみなこのるいである。此等これらは病の原因げんいんのぞくのではなくたんあらわれた症状しょうじょうに対する療法りょうほうであるゆえもとより姑息こそく(注:一時しのぎ)なるをまぬがれぬが、適当てきとうに行はれゝば、それだけのこう充分じゅうぶんにあるべきはずである。時としてはトラスト征伐せいばつ(注:カルテル、トラスト(企業きぎょう独占どくせん形態けいたいの一つ)、コンツェルンの独占どくせん活動かつどう規制きせいする政策)、累進るいしんてき相続そうぞく税法ぜいほう等の稍々やや外科げかてき治療ちりょうるいする方法ほうほう案出あんしゅつせられることもある。また身体の退化たいかぐためには、米国のる州でげんに行うてごとくに、遺伝いでんせいの悪病患者かんじゃには強制きょうせいてき生殖せいしょくきんずることも出来る。これつい人権じんけん云々うんぬんろんずる人もあるが、かるろんは足の先が壊疽えそかかつてくさり始めたときに細胞さいぼうけん云々うんぬんして患部かんぶ切断せつだんすることを躊躇ちゅうちょするのと同様な迂論うろんである。人類じんるい過去かこかんが将来しょうらいおもんぱかれば、前にげたごと諸種しょしゅ救済きゅうさいほういずれも今後益々ますます奨励しょうれいして出来かぎ協力きょうりょく一致いっち精神せいしんうしなはぬやうにつとめねばならぬ。これが、軍備ぐんび充実じゅうじつともに、他の民族みんぞくの間に介在かいざいして他の民族みんぞくまけけぬための唯一ゆいつ手段しゅだんである。
 終りになほ一言したいことがある。我等われら一昨年いっさくねんの一月中央公論ちゅうおうこうろん紙上に「所謂いわゆる文明のへいみなもと」と題する一篇いっぺんかかげたが、其後そのごあるる人から斯様かようろんは読者をして悲観ひかんおちいらしめるうれいはないかとの注意を受けた。今此所ここべたことに対してもあるいは同様の懸念けねんをする人がいともかぎらぬが、我等われらだんじて左様な心配しんぱい無用むようであると考へるのである。
 人間には一定の寿命じみょうがあつて早晩そうばん死なねばならぬことは、だれ承知しょうちしてらぬものはないが、のために悲観ひかんおちいつたとふ人はかつて聞かぬ。またの地球はの始め火のかたまりであつたのが、漸々ぜんぜん冷却れいきゃくして固形こけい地殻ちかくが生じ、くぼんだ所へ水がたまり、の後諸種しょしゅの生物が生じて、今日の有様までに進み来つた。今後はさら冷却れいきゃくして今日の月に見るごとく、水はこおつて氷となり、土はこおつて石となり、空気もこおつて液体えきたいとなり、さら固形体こけいたいとなるであらうが、くなつては生物は到底とうてい生活は出来できゆえ、今見るごとき生物はその前にべて消えせてあととどめぬであらうとは、地球をろんじた書物にはことごとく明記してある。また太陽と若干じゃっかん稍々やや大きな遊星と無数むすうの小遊星とよりる太陽けいなるものも、はじめは今日望遠鏡ぼうえんきょう実際じっさいいくつも見えるごとき星雲であつたのが、漸次ざんじ凝固ぎょうこして今日の姿すがたまでにつたのであるから、今後もなほ変化へんかつづけるべきものである。の上、太陽はこれに附属ふぞくする無数むすうの星とともにヘルクレス星座せいざの方へ非常ひじょうな速力で進みつゝあるとのことゆえついには如何いかり行くか分らぬ。年々歳々さいさい何の変化へんかい様に思ふのは、人の命が短かいために変化へんかを知るべき時間がいからで、あたかも大きな円の周辺しゅうへんの一小部が直線とことならぬのと同じことわりである。我等われら此所ここべたのは、たゞ人類じんるいのうと手とのはたらきの進んだ結果けっか、今日すで滅亡めつぼうの方向に進みつゝあるゆえ、地球が冷却れいきゃくして生物が全滅ぜんめつすべき時期を待たず、それよりはるかに前にほろせるであらうと予言したのみであるゆえ従来じゅうらい人のひ来つたことにして期限きげんの少しくちがほかにはあまり多くことつてらぬ。盛者必滅じょうしゃひつめつとはつねに人のとなへ来つたことで、始めあるものかならず終りあるは、これ生滅しょうめつほうである。天長く地ひさしくとか、天地無窮てんちむきゅうとか、終りき世とかふのは梨子なしを「有りの実」とよび硯箱すずりばこを「当り箱」と名づけるのと同じく縁喜えんぎいわかりの言葉で、数日の後にはかなられるに定まつたまつの切りえだを立てて常磐ときわさかえねがしるししとするのと同じ心持でつねとなへてるにぎぬ。
 そうじて、来るか来ぬか分らぬ危害きがいは、全く来ないものと見做みなし、来ることはたしかであつても、の来る時の定まらぬ危害きがいは当分は来ぬものと見做みなして、気にけずに生活してることが健康けんこうな人の常態じょうたいである。汽車に乗つて旅行すれば何時いつ衝突しょうとつして顛覆てんぷくせぬともかぎらぬが、乗つてからりるまでえずこれを心配しんぱいしてる者は一人もない。また人間は老少不定ろうしょうふじょう(注:人間の寿命じゅみょうがいつきるかは、老若ろうにゃくにかかわりなく、老人が先に死に、若者が後から死ぬとは限らないこと)とうて何時いつ死ぬか分らぬものであるが、毎日この事を考へて悲観ひかんつづける者は一人もない。斯様かようなことをつねうれひてくらすのはたゞ幽鬱ゆううつせい精神病せいしんびょう患者かんじゃのみである。されば万一この文を読んで悲観ひかんかたむく人があつたならば、の人はすで現時げんじ流行の神経しんけい衰弱すいじゃくしょうかかつてると診断しんだんせざるをゆえ我等われらの人に向うて、病勢びょうせいつのらぬ内にすみやか療養りょうように取りかかることを切に勧告かんこくする。
(明治四十二年十一月)





底本:「近代日本思想大系 9 丘浅次郎集」筑摩書房
   1974(昭和49)年9月20日 初版第1刷発行
入力:矢野重藤
初出:人類の将来
   1910(明治43)年1月「中央公論」
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