述懐

丘浅次郎





 わたしが高等師範しはん学校の教授きょうじゅ任命にんめいせられたのは明治めいじ三十年の九月であるゆえ、昨年さくねんの九月でまん十ヶ年をつとめたことになる。学校の教員が、同じところに十年つとめることは決してとくに長いとは思わぬ。もしできるならば、すべての教員が二十年も三十年もないし四十年も五十年も同一の学校にとどまって同一の事業に従事じゅうじするがよろしい。しかしながら、ぞくに十年は一昔というとおり、人間の短い一生から見れば十年くらいを一期限いちきげんと見なしてろんずるのがもっと便利べんりであるゆえ、今ここにいささかわたし過去かこ十年間を通じて感じていたことを記して、この期限きげんにおけるわたしの思想の一端いったんを後日の参考さんこうのためにとどめておきたいと考える。
 ほかのことはしばらくおいて、今わたしべようと思うのは教育学および教授きょうじゅほうに対するわたしの感じである。教育の人生に大切なること、その民族みんぞくの運命に偉大いだい関係かんけいを有すること、教育の進んだ国民こくみん繁栄はんえいし、教育の進まぬ国民こくみん衰微すいび(注:いきおいがおとろえて弱くなること)することなどはわたしとても充分じゅうぶん承知しょうちしている。とくに動物の中でもやや高等な種族しゅぞくには子を教育するものの多くあるのを見、かつその方法ほうほうの整えるを見れば、教育が神経しんけい系統けいとう発達はったつした動物の生存せいぞんくべからざるものなろことが明らかに分かり、今日の列国競争きょうそう場裡じょうりにおいても、教育は民族みんぞく生存せいぞん最大さいだい必要ひつよう条件じょうけんであるごとくに感ずる。またわたしは、実際じっさい自分の子供こどもは家庭でも充分じゅうぶんに教育し、かれらに対しては立派りっぱに教育者の位地いちに立つ覚悟かくごを持っている。一言で言えば、わたしは教育をもっと尊重そんちょうする者の一人である。
 高等師範しはん学校は普通ふつう教育の淵源えんげん(注:物事の起こりもとづくところ)であるとはかねてうわさに聞きおよんでいたゆえ、ここへつとめるようになってからは、まず第一に図書室へ行って、教育学や教授きょうじゅほうの書物をりて読んだ。もっとも日本語で書いた書物はかく教授きょうじゅ所持しょじしておられるゆえ、わざわざそなえておく必要ひつようがないからでもあろうが、古い本ばかりで、新版しんぱんのものはきわめて少なかった。しかし新版しんぱん物も多くは外国書をたねにして書いたものらしく聞いたゆえ、受売うけうりの小売店で買うよりも、おろし売の問屋で買うたほうがしながよろしかろうと思うて、イギリス語、ドイツ語、フランス語等の外国書を何冊なんさつ順々じゅんじゅんりてきて読んで見た。合計で幾冊いくさつ読んだか今おぼえてはおらぬが、ずいぶんたくさんに通読した。こうしてその結果けっか如何いかであったかと言うに、それは次のとおりである。
 わたしは教育学の書物を幾冊いくさつ読んでもついに教育学の一端いったんをもうかがうことができなかった。何故なぜかと言うに、教育学書の内容ないようにはわたし理解りかいのできる部分と理解りかいのできぬ部分とがあって、理解りかいのできぬ部分は幾度いくど読んで見ても理解りかいができなかったゆえ、何の役にも立たず、また理解りかいのできた部分はわざわざ議論ぎろんするにもおよばぬ当然とうぜんのことのごとくに感じた事柄ことがら、すなわち読まぬ前からすでに承知しょうちしていた事柄ことがらか、さもなくば根本からあやまった愚論ぐろんであるごとくに感じた事柄ことがらばかりであったゆえ、これまた何の利益りえきもなかった。それゆえ、わたしは、多くの教育学書をのぞいて見たにかかわらず、ついに今日にいたるまで、教育学に対しては全くの門外漢もんがいかん(注:その物事について専門家せんもんかでない人)である。本校生徒せいと諸氏しょしが一とおりの講義こうぎだけをいて、免状めんじょう持ちの立派りっぱな教育学者となられるのにくらべて見ると、その数倍の書物を読みながら、少しも教育学の真髄しんずい理解りかいぬのは、おそらくわたしのう構造こうぞく先天的せんてんてきに教育学にてきせぬようにできているのではないかと考えて歎息たんそくすることもあるが、こればかりは如何いかんともいたし方がない。かかる次第しだいであるゆえ、わたしがたまたま教育家の会合のせきへでも出るときは、わたし態度たいどはあたかも茶の湯を知らぬ田舎者いなかものが茶の湯のせきばれたときのごとくで、どちらの手で茶碗ちゃわんを持ってよろしいのやらどこへおいてよろしいのやら、一向いっこう分からず、止むなくそのせき居合いあわす老練ろうれん教育家をお寺の和尚おしょう様とも庄屋殿しょうやどのとも見立てて、徹頭てっとう徹尾てつびその挙動きょどう真似まねせざるをなかったことは、今さら白状はくじょうするも実におはずかしいことである。
 次に教授きょうじゅほうかんしても同様の感じがある。かんなたくみに使わねば上手じょうずな大工とは言えず、こてたくみに使わねば上手な左官さかんとは言えぬごとく、たくみに教授きょうじゅすることのできぬ者は上手じょうず教師きょうしとは言われぬ。およそ学課がっかを教えるという以上いじょうは、その教授きょうじゅ方法ほうほうにもこころを用うべきはもちろんのことであって、授業じゅぎょう効果こうかのあがるかあがらぬかは、一はその方法ほうほう巧拙こうせつ基因きいんすることは言うまでもない。これだけのことはわたしとても充分じゅうぶん承知しょうちしているゆえ、不肖ふしょうながらる学科の教授きょうじゅを引き受けた上は、その方法ほうほうにももとより充分じゅうぶんこころを用いておる。たとえば、毎学年毎学期の始めに時間にり当てた予定の教案きょうあんつくるにあたっても、普通ふつう教育におけるわが受持ち学科の価値かちを考え、卒業生そつぎょうせい将来しょうらい業務ぎょうむをおもんぱかり、如何いかにせばもっと有効ゆうこう教授きょうじゅができるであろうかと思うて、そのためには、大いにこころを用いている。ようするにわたしは、教授きょうじゅ方法ほうほうもっとも重きをおく一人であると自分ではしんじているのである。それゆえ、本校につとめるようになってから教授きょうじゅほういた書物を、外国書、日本書ともに、ずいぶん多く読んで見た。もっとも全部を通読したわけではなく、わたしの受持ち学科にかんするあたりだけをひろい読みにしたのであるが、その結果けっかとしては、ただ次のごときことを発見したのみであった。
 わたし教授きょうじゅほうの書物を読んで、その内容ないようを左の四種よんしゅに分かつたことができた。第一しゅだれが考えても当然とうぜんと思うこと、すなわち、わざわざろんずるまでもないと感じた事項じこう、第二しゅ机上きじょう空論くうろんであると感じた事項じこう、すなわち議論ぎろんの立てようによって、いずれにでもろんずることのできると感じた事項じこう、第三しゅ議論ぎろんの出発点からすでにあやまっていると感じた事項じこう、第四しゅは、あまり馬鹿ばか馬鹿ばかしくて思わずき出した事項じこうである。右のうち、もっとも大部分をめているのが第二しゅ事項じこう、すなわちわたし机上きじょう空論くうろんであるごとくに感じた事項じこうで、その次に大部分をめているのが、第一しゅ事項じこう、すなわちわたしがあたり前のことと感じた事項じこうであった。かような次第しだいで、わたしは多くの教授きょうじゅほうの書物をうかがうたにかかわらず、いわゆる教授きょうじゅほうに対しては、今日にいたるまで、全くの門外漢である。わたしはかつてる教育雑誌ざっしに、教授きょうじゅをなすには学力、親切しんせつ常識じょうしき(注:社会の構成員が有していて当たり前のものとしている社会的な価値観かちかん知識ちしき判断力はんだんりょく)の三者が必要ひつようであるという素人しろうと意見をかかげたことがあるが、今日といえどもなお同様の素人しろうと意見を有しておるのみである。かかる素人しろうとてき見地けんちから観察かんさつするゆえ、わたしは今日さかんに行なわれている教授きょうじゅほう研究会なるものに実際じっさい何ほどの真価しんかがあるか判断はんだんすることができず、各県かくけん各郡かくぐん各村かくむらに毎年もよおされる無数むすう講習会こうしゅうかいで、打ちそろうて教授きょうじゅほうの研究せられるのを見て、これだけの人数が、これだけの時間をほかの方面に向けて、利用りようしたならば、教育上、さらに一層いっそう有効ゆうこうな仕事ができるではなかろうかなどという素人しろうとてきの考えも生ずる。教授きょうじゅほうなどというものは議論ぎろんをこね始めたらば、いつまでたっても落着らくちゃくするものではない。その証拠しょうこには教授きょうじゅほうの書物の広告こうこくを見ると、本書は何々主義しゅぎ教授きょうじゅほうであるなどと書いて、ほかの主義しゅぎ陳腐ちんぷとののしり、著者ちょしゃ自身の主義しゅぎ斬新ざんしんほこって大いにき立てている。全体かく何々主義しゅぎなどと言うて、さかいかぎった窮屈きゅうくつ主義しゅぎなるものをもうけて、万事ばんじそれでとおそうとするごときは、教育上何の必要ひつようがあるか大いにうたがわしい。教授きょうじゅ方法ほうほうは教育の目的もくてきにかないさえすれば、よろしいのであるから、臨機りんき応変おうへんに、いずれの主義しゅぎ、いずれの方法ほうほうをも利用りようするがよかりそうなものであるとは、わたしが今日もなおひそかに考えているところである。今日の教育界において教授きょうじゅほうもっとも進歩しているのは小学校であるとは、もっぱらの評判ひょうばんであるが、もし今日のごとくにまん六歳ろくさい以上いじょう児童じどうに一ヶ年をついやして、イロハだけを教えるような方法ほうほうが、教授きょうじゅほう研究の結果けっかであるとすれば、かかる教授きょうじゅほうの研究が中等教育以上いじょうにまでもおよぶことはわが国の将来しょうらいの教育に対して、よろこぶべきことか、うれうべきことか、われ素人しろうとの大いに判断はんだんに苦しむところである。そうじて、今日の教授きょうじゅほうなるものはたくみにぎるのではなかろうかと思われるが、あまりに教授きょうじゅほう精巧せいこうつくぎると生徒せいと独力どくりょくで苦しんで学ぶことが、それだけげんじて、かえって結果けっかがよろしくないかも知れぬ。吉田よしだ静致せいち君がかつて「教授きょうじゅほうよろしくつたなるべし」とろんぜられたのも、おそらくこの意味であったろうと思う。 なお一両年(注:一、二年)後からは、中等教員の検定けんてい試験しけんに何学科の試験しけんを受ける者もかならず教育学の試験しけんをもかねて受けねばならぬことにさだまったようであるが、これもわたしなどのごとき素人しろうとには、その必要ひつようがいまだに分からぬ。しかし、これは未来みらいのことで、そのこう結果けっかあらわれるのはさらにその先の未来みらいのことであるゆえ、ここに考えをべることは見合わせる。
 以上いじょうげたことはわたし過去かこ十ヶ年に対する懴悔ざんげ話しである。いずれの宗教しゅうきょうでも懴悔ざんげをすればつみほろびるとくようであるゆえ、わたしつみほろぼしのつもりでありのままをべたのである。わたしは前にも言うたとおり、教育の重んずべきことも、教授きょうじゅ方法ほうほうの大切であることも、充分じゅうぶん承知しょうちしておるにかかわらず、今日のいわゆる教育学と今日のいわゆる教授きょうじゅほうとに何ほどの真価しんかがあるかを判断はんだんしうる境遇きょうぐうにいまだたつせぬゆえ、ただおそらく教育学にも教授きょうじゅほうにもわたし理解りかいしえぬ部分にその真価しんかそんするのであって、その今日教育社会に非常ひじょう貴重きちょうせられている理由も、おそらくかかるあたりそんするのであろうと漠然ばくぜん臆測おくそくするのみである。教育学、教授きょうじゅほうの中心と見なされる学校にいて、大小無数むすうの教育家に日々せつしながら、かかる素人しろうとくさきことを「教育」誌上しじょうべるのは如何いかにも不似合ふにあいのようであるが、過去かこ十年間におけるわたしは、実際じっさいかくのごときありさまにあったのであるからいたし方がない。しかし、もし僥倖ぎようこう(注: 思いがけない幸い)にもわたしがなお十年、もしくは二十年も本校にしょくほうずることができたならばそのうちにはかならず教育学のありがたさ、教授きょうじゅほうのかたじけなさを身にみて感ずる時がくるであろうと思うて、今よりそれを楽しみにしている次第しだいである。
(明治四十一年一月)






底本:「煩悶と自由」有隣堂
   1968(昭和43)年11月10日 第1刷発行
入力:矢野重藤
初出:1908(明治41)年1月 教育
校正:
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