人類退化は防げないが、速度を遅らせることはできる。その処方箋の一つで、『活人』(一九二六)に掲載された。生活形式だけ近代化して思想が近代化しない日本の現状を諷刺し、偽善者を批判する。
昨年は
二十歳の
娘で
自殺をしたのが
幾人もあった。その理由は、
丙午の年であるために、
縁が遠いのを苦にしてである。まだ年の行かぬ
中はさほど気にも
止めずにいたのが、そろそろ
嫁入りをする
年頃になって、こちらで
良いと思う
縁談を先方から
素気なく
断られてみると、これではとても
善い所へは
片付けぬと
一途に思い
込み、
猫入らずを飲むに
至ったのであろうが、世の中にこのくらい、
不憫なことがまたとあろうか。
丙午に生れようが、
丁未に生れようが、人間として、少しも
変りのなかるべきことは、
常識で考えて見てもすこぶる
明瞭であるにかかわらず、
丙午の女は男を
喰うなどという根もない
迷信に
捕えられている
愚人が世間に多いために、かように
可愛そうなことが生じたのであるから、これは
迷信者が
直接に
殺したも同様である。夏の日に重い車を
挽かされ、牛や馬が苦しみあえぐのを見かねて、そのためにわざわざ所々に水飲み場を
設けてやるほどの
善人もある文明の時代に、かような
惨酷な
殺人罪を
黙って見ているとは、なんという
辻棲の合わぬことであろう。
先達ても、ある集会の
席で人の談話を聞いていると、
丙午の
迷信を
打破せねばならぬということには、
満場一致で
賛成のようであったが、さて自分の息子に
嫁を
貰うときには
如何と問われると、
丙午はやはり
避けたいという人がすこぶる多数であった。
迷信をいつまでも
跋扈させて
置くのはかような人たちである。
迷信の
害を
充分に知りながら、しかも
迷信から
逃れ
得ない人間が多数を
占めていては、いつまでたっても
迷信の
絶える
望みはない。
丙午のごとき、人を
殺すほどの
迷信に対してさえ、かような
優柔不断な
態度を取る人々は、他のやや軽い
迷信に対しては、もちろんすこぶる
寛大で、人が気にするなら、せぬ方がよかろうとか、人が
勧めるなら、やって見るもよかろうというて、
許して
置くゆえ、
馬鹿げた
迷信がいつまでも
盛んに行なわれる。
便所は
鬼門を
避け、
腹帯は
戌の日に
結ぶというごときことは、これだけを考えれば、
別に他人に
迷惑をかけるわけでもないから、めいめいの
勝手のようではあるがかようなことを
是認すれば、やがて、
丙午の
娘を
殺すという
結果を生ずる。
些細な
迷信でも、一つを
黙認すれば、他をも
黙認せねばならず、次から次へと、負けて行けば、
終には、いかなるはなはだしい
迷信でも
許さねばならぬことになる。されば、
恐しいのは、
迷信そのものよりも、むしろ
迷信を
許す
頭である。
今日のわが国の
状態を見ると、
衣食住にも、その他の
風俗習慣にも、
改めたらばよろしかろうと思われる点がいくらでもある。昔は他国との
競争がなかったゆえ、どんな
風俗でも
随意であったが、
現代のごとくに、交通が
盛んになって世界中の国々が
皆、
密接に
関係し、しかも、他国が速かに進歩する世の中にあっては、いかに
先祖代代からの
習慣であっても、
馬鹿げたことや、
不便なことはこれを
廃して、合理
的なものに
改めねばならぬ。もしも、
躊躇していつまでも
改めずにいると、たちまち他の国々より文明が後れて、とうてい同列に
加わることができなくなる。このことはすでに
大勢の人が
心付き、生活の
改善ということが
盛んに
唱えられ、そのための会まで
設けられた。今日
流行のいわゆる文化生活も、
日常の生活を
改善しようとする
努力から生じたものである。
まず
衣服から考えてみても、長い
袖をぶら下げていては、仕事の
邪魔であり、
幅の広い
帯を
結んでいては、どんなに
窮屈か知れぬ。
脱げやすい
下駄をはいては、電車の乗り
降りに
不便であり、
縮緬の
羽織は雨に
遇うと、一度で
汚点だらけになる。また、
畳の上に
座っていては、立つのが
面倒になって仕事ができず、
火鉢にかじりついていては、なおさら
能率が上らぬ。紙で
張った
障子は何度
張り
換えても
子供に
破られ、
縁側と雨戸とは
拭き
掃除と
開閉とに大いに手数がかかる。その他、三度の食事や
衣服の世話に追われて、
主婦の頭は死ぬまで進歩せず、生活を
簡単にしたいという考えさえ
容易に起らぬ。人の家を
訪ねるには、かならず
菓子を持って行き、先方から来るときには、ちょうどそれと同じ
値段の
菓子を持って来て返す。有名な人の旅行には、
送迎の人たちで
停車場がいっぱいになり、真に用事のある急ぎの客は、出ることも入ることもできぬ。宿屋へ
泊ればいくら茶代をやってよいやら分らず、ぐずぐず考えているととんでもない
冷遇を受ける。息子が
兵隊に行くと、何本も
旗を立ててお祭り式に送られるから、止むを
得ず、その人々に酒を飲まして思わぬ
借金が
殖える。まだ、数えたら
幾つあるか知れぬが、これらは
誰も、
皆、気の
付くことで、およそ、生活
改善が
唱えられる場合には、これらの
箇条を
掲げぬことはない。しかるに、方々で何回も
唱えられたにかかわらず、今日もなお
依然として
風俗が少しも
改まらぬのは
何故であろう。
私の考えによると、これはまったく頭が
変らぬからである。頭が
変らぬ
以上は、いかに声を大きくして生活
改善を
叫んでみたところで、けっして生活
改善の実はあがらぬ。
改善とは文字のとおり、
改めて
善くすることであるから、
馬鹿げ切った
迷信さえも思い切って
排斥し
得ないような頭では、何の
改善もできるはずがない。生活
改善に先だつものは、まず頭の
改善でなければならぬ。
頭の
改善というと、
誰も第一に教育のことを考えるであろうが、
明治、大正を通じて五十何年間の教育は、頭の
改善に一体どれだけの役に立ったか。「いろは」をも読めぬ人間は
確かに
減ったであろう、学校の
出席率はだんだん
殖えたであろう、大学も高等学校も次第に数が多くなった。
昇格した学校も少なくない。
学士も
博士も有り
余って
困っている。しかし、頭の
改善という点からみると、今日の教育は、
私などが小学校にいた
明治初年の教育に
比べて、なんら
優ったところがあるとは思えぬ。
明治八、九年の
頃には、学校でも家庭でも、
私は今日
盛んに行なわれているような
迷信を、話に聞いたことさえもなかった。たまたま、
六白だとか
九紫(注:六白や九紫は
暦、
占いに用いられる九星の一つ)だとかいい出す
老人があると、
旧弊人として
若い者から大いに
笑われた。
迷信を思う
存分に
排斥することのできたその
頃の教育は、今日から見ると頭の
改善にははるかに
有効であったように思われる。しかし、その後に
至って、頭があまり
改善せられては
困るような
事情でも生じたものとみえて、
明治二十二、三年の
頃からは、
迷信の
攻撃に大いに
手加減をするようになり、理科の
教授には、
迷信の
打破ということが
唱えつづけられているにかかわらず、
迷信は次第に
跋扈して、
終に今日のごとくに、どの新聞紙にもその日の
運勢が
掲げられるにいたった。
明治八、九年の
頃に死んだ人は、大学生が何百人も
揃うて、
八幡様に
総長の病気
全快を
祈ったり、市の
助役が、
雨乞いのために水天宮に
日参したりするような世の中が半
世紀の後に来ようとは
夢にも思わなかったであろう。
私の考えを
率直にいえば、生活の
改善にはまず
頭から
改めてかからねばならぬ。文化生活などというても頭が
改まらなければ、
単に
猿の
人真似であって、しばらくすれば、また
旧のとおりになる。しかして頭を
改めるには、まず、思い切って、
馬鹿げた
迷信を
捨ててみせることが
必要である。十人
十色というて、いつの世にも、一人一人で考えが
違い、早く開ける人もあり、
晩くまで開けぬ人もあるから、他人の
思惑を
気遣うていては、いつまで待っても、
改善の時期は来ない。多少
機嫌を
損ずる人があっても、それに
構わずに
断行するので、
初めて、
改善もできるのである。
明治の
初年にチョン
髷を切り落したときにも、反対した人はあったろう。
帯刀を
廃したときにも
憤慨した人はあったろう。
初めて役所で
椅子テーブルを用いたときにも、
腰が
冷えるとか何とか
不平をいうた者があったに
違いない。かような
連中を
眼中に
置かずに思い切って
断行したので、文明を進めることができたのである。
馬鹿げた
迷信さえも、
排斥することを
遠慮するような
姑息な
態度では、およそ「
改める」という字の
付くことは、何もできないにきまっている。
そこで
私は、生活
改善を
目的とする会の人々に次のことを
勧める。まず、事業を第一期と第二期とに分け、第一期には頭の
改善を、第二期には生活の
改善をはかることとする。しかして第一期には、頭の
改善を行なうための
手段として、まず
迷信の
打破を実行する。およそ物の曲ったのを直すには、反対の
側へ曲げる
位にせねば
効がない。それゆえ、
迷信を
打破するためには、わざわざ
迷信の反対のことをして見せる
位の
覚悟を
要する。生活
改善を
唱える人々は、もし家を
造るならば、はなはだしい
差支えのないかぎり、
便所を
鬼門に
造れ。息子の
嫁を
探すなら、まず
丙午の
娘を第一の
候補者に
選べ。
棟上げは二、三日
延ばしても
仏滅の日にせよ。
葬式はなるべくは友引きの日に出せ。この
位な
覚悟で着手しなければ、頭の
改善はできず、頭の
改善ができねば、いくら生活
改善、生活
改善と
騒いでも、
碌な生活
改善はできぬ。その代り、もし第一期の事業に
成功すれば、第二期の事業は実に
容易であって、ほとんど
捨て
置いても
独りでにでき上る。
以上ははなはだ
簡単ながら、
私の生活
改善案の
骨子である。それゆえ、
私から見ると、今日、生活
改善を
唱えて
居られる多数の
識者の実行
方法は、あたかもコンクリートの家を
建てるにあたって、一階の方を後に
廻し、まず二階から着手しようとしておられるごとくに感ずる。もし
私の考えが
間違うていれば仕合せである。
(大正十四年十一月)