教育学の書物には教育の
目的について、
種々高尚なことが書いてあるようであるが、
実際においては教育の
目的は列国
競争場裡に立って、
立派に
独立して行けるだけの
資格を
備えた
次代の
国民を
養成するにあることはたしかである。もしこの
目的にかなわぬような教育を
施す国があったならば、その国の
前途はすこぶるあぶない。されば教育に
従事する者はこの
実際的の
目的を
常に
意識して
一刻もこれを
忘れてはならぬ。
さて列国
競争場裡に立って
立派に
独立して行けるように
次代の
国民を
養成するには、まず他の国々と自分の国とを
比較してその
優劣を考え、わがほうに
劣った点があるならば力をつくして、
一刻も早く他の国に追いつき、なおこれを追い
越すようにつとめねばならぬ。またわがほうにまさった点を見いだしたならば、これはなお
奨励していつまでもまさった
位置を
保つように
心掛けねばならぬ。それにはまず他の国々に
比してわが国が
現在いかなる
状態にあるかを
熟知することが
必要である。
わが国は一度は
清国と
戦って勝ち、次には世界の強国なるロシアと
戦って勝ち、今は一等国の中にかぞえられるようになった。しかしながら
軍事以外の方面を
英、
米、
独、
仏等のごとき他の一等国と
比較して見ると、いかにひいきめをもって見てもかれらに
匹敵するとは言われぬ。いな二等国、三等国と言われる国々にくらべてさえはるかにおよばぬ点もはなはだ多い。
物産について見ても、わが国の
主要な
輸出品は
生糸、茶のごときほとんど
天産物そのままのもので、他の一等国のごとき
精巧な
機械、薬品、
工芸品ではない。外国人に見せて
自慢のできるものは、
富士の山か
瀬戸内海の
景色か、ないしは
芸者の
手踊りくらいで、他の一等国のごとくに、
完備した
博物館もなければ、
智力で
造り上げた
巧妙な
製作品もない。内国
博覧会を開いてももっとも
評判にのぼるものは八千円の
造花とか、一万円の
刺繍とか、
単に
根気を
要する指先仕事ばかりで、文明を代表すべき
機械館にはわずかに
玩具にひとしい
製麺機械が人を
呼んでいるに
過ぎぬ。かように数え上げれば
際限がないほどに、今日のわが国には他の一等国に
比して、とうてい足もとにもおよばぬほどに
劣っている点が多い。しかしてその
根源は何にあるかといえば、いずれも理科の
知識の
普及せぬこと、その
応用の
発達せぬことである。
法律がいかに
完備しても、
文芸がいかに
隆盛におもむいても、理科の
知識が今日のごときありさまにとどまり、理科の
応用が今日のままで進まなかったならば、今後のわが国はいかにして他の一等国と
競争してゆくことができるであろうか。いささかでも国の
将来を考える者は決して
平然と安心しておられる
次第ではない。
昔は交通の開けなかったために、わが国のごときアジアの
片隅にあって他の一等国と遠く
離れているところでは、たとい多少他に
劣った点があっても、ただちにそのため
不利益をこうむるごときことはなかったが、今日のごとくに二週間あればヨーロッパからこられる時代となっては、いささかでも他に
劣った点があれば、そのためたちまち
窮境におちいるおそれがある。国と国との間には
干戈を交える真の
戦争のほかに、つねに平和の
戦争なるものがあって、これに
敗ければやはり国は
衰える。真の
戦争のための
軍備がつねに
必要であると同じく、平和の
戦争に対してもつねに大いに
準備しなければならぬが、いかなる国がこの
戦に勝つ
望みが多いかというと、むろん理科
的知識の進んだ国である。今日ドイツ国が
英国をも
凌駕して、世界
各方面の商業に
成功しているのは、全く理科
的研究の進んだ
結果で、
英国の新聞などを見ると、しきりにこのことを
論じているが、わが国よりははるかにすぐれた
英国でさえそのとおりであるから、わが国のごときは、
特に
非常の
奮発をもって理科の教育を進めなければ、今後他の一等国との平和の
戦争に
加わることさえできぬようになる。
銀座辺の
玩具店には他の外国
製の
玩具はあまり見当たらぬがドイツ
製のはたくさんに
並べてあって、しかもそれが
精巧に、
堅固にできていて、
価が安い。
蒸気機関と
発電器と
電燈との
雛型が一つの台に
据え
付けられてあるものが、わずかに十円くらいで買える。これを
価が高くて、たちまち
破損する内地
製の学校用理科
器械にくらべると実に
雲泥の
差で、真に
情ない感じが起こるが、理科の
知識が
職工にまで
普及して、
単に外形をまねるのでなく、真に
理屈を
了解するようにならねば、かようなものはとうてい
造れぬ。したがって海外へ
輸出して、他国の
製品と
競争することなどはむろんできぬ。近来
清国へ内地
製の理科
器械を
輸出して、大いに
好評を
得なかったのは、一は
職工に
充分の
知識がなかったゆえで、
必ずしも商人の
横着のみに
原因したわけではなかろう。
わが国がいまだ一等国と
呼ばれなかった間は、他の一等国の研究の
結果をそのままもろうてまねすることができた。かれらはあたかもおとなが
小児を見るごとき心持で、わが国を見ていたから、何をも
隠さずに教えてくれたが、わが国が
露国に勝って
自ら一等国と名乗るようになってからは、様子が全く
一変して、かれらはわが国を
競争の相手と見なし、大いにわが国を買いかぶって、もし工業上の
秘密を
漏らしたならば、
即座にこれをまねして、たちまち自国を
圧倒しうる力を有するもののごとくに
心得てか、
視察員が来てもいっさい門をとざして見せぬようになった。されば今後はすべてわが国で研究し、他国に
劣らぬように、他国にまさる速力をもって理科の
知識を進めねばならぬから、理科教育の
奨励は実にわが国目下の
急務である。
理科教育を
奨励するには、まずその
根柢なる理科
的精神を
養うことが
必要である。理科
的精神とは何事も実物について自身に研究し、もし
疑わしいことがあったならば、どこまでも実物から
解釈を
求めるという心を指すのであって、この
精神がなければ理科は決して
発達するものでない。
単に書物で読んだことをそのままに
暗記し、
教師から聞いたことをそのままに
覚え
込むごときは、理科
的精神の正反対で、たとい
事柄は理科
的のことでも、かような学び方では真の理科とは名づけられぬ。小学校で理科を
授けるにあたっても、もし
単に
事柄を教えるだけであって、この
精神を
養成することを
忘れたならば、その教育上の
効果はまことに少ない。世には
近眼者流があって、理科は直ちに実用のできるものでなければ、教える
価値がないように思うているがこれは
大間違いで、
普通教育における理科の
真価はむしろ
上述のごとき理科
的精神を
養成して、研究心を起こさしめる点に
存するのである。また高等なる
専門教育にても、
基礎となるべき
純正科学を
飛び
越して、ただちにその
応用を
授けんとするのは、あたかも
土台と
下座敷とを
略して、二階だけを
建築しようとするごとくで、とうてい
不可能である。農学校、山林学校、
水産学校をいくつ立てても、その教科目を見れば、やはり動物学や植物学が
主要なる部分を
占めていて、これらの
基礎学科の
発達せぬ間はその
応用の方面も
充分に
発達する
見込みはない。しかるにわが国では農学や
水産学の大切なことを知っても、その
基礎となるべき動物学や植物学は
無用の学のごとくに見なしているが、これはあまりに先の見えぬことである。
元来科学上の大発見は電気でもエッキス光線でも、すべて
応用をかえりみぬ
純粋研究の
結果にできたもののみで、
初めから
応用を
目的とした研究には、これに
匹敵する大発見はかつてない。しかしいったん大発見のできた
以上はただちにこれが
種々の方面に
応用せられるは言うまでもないから、
純正科学の
発達はすなわち
応用科学の
発達の
先駆であって、
純正科学の
奨励は、やがてその
応用方面の
奨励となるのである。さすがにドイツ国はこの明らかな
理を知って、
純正応用ともに理科の
発達に力をつくしている。今回新たに
設けられたカイゼルウィルヘルム理科
奨励会のごときも、目下
応用の
有無に
関せず、ただ理科の研究を進めることを
目的としているが、
顧みてわが国のありさまをこれにくらべると、実に何というてよろしいやら心細い
極みである。
要するにわが国は他の一等国に
比して、理科
的知識とその
応用とにおいてはるかに
劣等の
位置にあり、今後よほどの
奮発をしなければとうていかれらと
肩を
並べて
競争場裡に立つことはできぬ。しかし理科
的知識を進めるには、まずその
根柢たる理科
的精神を
養成して、
盛んに研究心を起こさせることが
必要である。かように考えると、
普通教育における理科
的訓練はわが国の
将来に重大な
関係を有するものであって、決して今日までのごとくに軽んぜられてよろしいものではない。教育の
任にあたる者で、いやしくもわが国の
将来を考えるものならば、大いにこの点に注意して、全力をつくす
覚悟がなくてはならぬ。
理科を
発達せしめるには理科
的精神を
養成しなければならぬが、理科
的精神とは前に
述べたとおり書物に書いてあることでも、他人から聞いたことでも、ただちにそのままに
信ずるごときことをなさず、できる
限り実物について
照らし合わせ、もし
疑うべきことがあれば、さらにこれを研究するという
精神で、語をかえて言えば何事もまず
疑い、次に研究によってその
解釈を
求めるという
精神である。すなわち
信ずべき理由を見いだせば
信じ、
疑うべき理由のある間は
疑い、いずれともにさらに研究を進めるのが理科
的精神で、この
精神をもって
自然界に対し、研究を
怠らなければ理科は
必ず
進歩し、その
応用の
途も
必ず開ける。この
精神と正反対に
位するものは
迷信である。
迷信とはその時代相当の
知識をもって考えて、とうてい
信ずべき理由のないことをみだりに
信ずるのを名づける。理科は
疑いによって始まり、研究によって
進歩するものであるから、話して聞かされたことを頭から
信じてかかる
迷信とは、
性質上とうてい両立することはできぬ。理科に
適する
脳髄は
迷信には
適せず、
迷信に
適する
脳髄は理科に
適せず、同一の
脳髄をもって理科と
迷信とを
兼ねつとめることはできぬから、理科を
奨励することは、すなわち
迷信を
退けることにあたる。もっとも人間の
知識は
次第に
進歩するものゆえ、今日真理と見なされることが、
将来には
迷信と名づけられる時がくるやもしれぬ。
歴史を見れば、多くの「真理」なるものは
初め
異端の
説として
現われ、
暫時もっぱら行なわれたるのち、ついには
迷信として
葬られるのが
定例のごとくであるから、今日の真理もあるいは
一時的の真理かもしれぬが、これはやむをえない。われらは時代相当の
知識を
標準として、
迷信とみなすべきものを
迷信として
論ずるよりほかに
途はないのである。さて今日わが国の
状態を見ると、
迷信とみなすべきものの行なわれていることはきわめて多い。これがすなわちわが国に理科
的精神の
普及せぬ
証拠で、これを見ても理科教育をいっそう
盛んにせねばならぬことが知れる。数日前のある新聞に、ある地方の寺で
和尚と
小僧とが
喧嘩をして、
小僧は
鬱憤のあまり刀をもって寺の
本尊なる
木製の
仏像を切ったところが、
仏像の
眼に
涙が出たとの
噂が広まって、そのため日々数千人の
参詣者があって、寺は大
繁昌であるとの記事があったが、かようなことを
信ずるに
適した
脳髄を有する人がわが国にはまだなかなか多い。先年
鶴見近在のお
穴様の
繁昌したときには、
参詣人を相手にする
永久的建築の
店家が五百
軒もできて、
線香の
煙りがはるかにへだたったところからもよく見えた。電車の中には
占いの
広告が
並んであり、毎日の新聞紙上には九星運命の記事が
掲げてある。どこの国でも全く
迷信のないところはないが、二十
世紀の一等国としては、わが国はあまりにはなはだしいように思う。かような頭を持った人間が大多数を
占めているようでは、年々
非常な速力で理科
知識応用の進みつつある他の一等国にまけぬように
競争してゆくことが
果たしてできるであろうか。
今日の
立憲政治国には決してないことであるが、昔はずいぶん
迷信によって
民を
治めようとしたところがある。
主権者を神の代表者なりと
信ぜしめ、
主権者の
意志はすなわち神の
意志であるから
絶対に
服従すべきものであると教え、これにそむく者は神の代表者なる
主権者によって
厳罰に
処せられるという仕組みにして
民を
治めようとしたが、これは
治める
側から見ればきわめて都合のよい仕組みで、もし
完全に行なわれさえすれば、何の
困難もなく長く
治めてゆくことができる。また
治められる
側から見ても
主権者があまり
無法なことをせず、
民を
愛撫してくれさえすれば
喜んで長く
治められ、
泰平を
謳歌して
子々孫々無事を楽しむことができるであろう。それゆえ、
迷信によって
民を
治めるということは、その時だけのことを考えると、しいて
非難すべきものではなく、
暫時なりとも、それによって国が
治まり、
民が
安楽に
暮らせるならば、かえって
賞讃すべき
価があるかもしれぬが、世が進み
隣国との交通も開け、
人民の
思想が広くなってくると、いつまでも昔のままに
迷信を
保たしておくことが
困難になり、
治める
側に立つ者は、いきおいあるいは
坊主を
雇い入れたり、あるいは教員に
命令を下したりして、
迷信の
保存に力をつくさなければならぬように立ちいたる。かくしてわざわざ力をつくして
迷信の
保存をつとめるようになれば、
自然の
結果として、何事に対しても
疑いを起こすごとき
傾向を
防ぎ、
人民の研究心をおさえることになるから、理科
的知識の
発達は
是非ともそのために
障害せられ、文明の
進歩はきわめて
遅くなるはやむをえない。世の中に国が一つよりない場合には
単に国が
治まり、
民が幸福でありさえすればよいのであるから、もし
迷信によってこの
目的が
達せられるならば、それでまことに
結構であるが、地球上にはたくさんの国があって、これがおのおの力をきわめて
互いにはげしい
競争をしている
以上は、
単に国内の
平穏無事のみを
目的として安心してはおられぬ。
必ず他にまけぬだけに
進歩しなければならぬが、この方面から考えると、
迷信をもって
民を
治めるということには大いなる
害がある。
前にも
述べたとおり、昔の世の中ではずいぶん
迷信によって
民を
治められる者も、しばらく
泰平をうたうことができたが、世が進んで人の
知識も
自然に
発達せんとする場合に、なお
旧来の
迷信を
利用して
民を
治めんとはかることは、その国の
将来に対してははなはだ
不利益なことである。
治める
側の者はただ
一途に国を思い、
民を思うて
旧来の
迷信の
保存につとめるのであるとしても、これは目前のことのみに
重きをおいて、
将来のことを
度外視した
誤った考えである。
時勢の
進歩を
顧みず
旧来の
迷信をしいて
保存しようとすれば、いきおい理科
的精神をおさえることになり、理科の
発達を
妨げ、理科
的知識の
応用を
遅からしめて、文明の
進歩を
阻害することになるが、列国
競争場裡にあって
独立を
保ってゆくには、このことはよほど考えねばならぬ。今日
最も文明の進んだ
英、
米、
独等のごとき強国は
従来迷信を
利用することの
最も少なかった国々で、今日文明におくれて
衰弱の
状におもむきつつあるイスパニヤのごときはかつて
最も多く
迷信を
利用したことのある国ではなかろうかと考える。
迷信をもって
民を
治めれば、
治める者は
骨が
折れぬかもしれぬが、国の
進歩はそのために
遅れる。これに反して
民の研究心を
励ませば、
治める者は
骨が
折れるが国の
進歩はいちじるしい。
要するに
迷信によって
民を
治めんとするのは、
現在のために
将来を
犠牲に
供することにあたるから、かりに今日かような
政策を取るとしたならば、その国の
前途は実に
危ういものである。
新聞紙の
報ずるところによると、近来わが国では教育の
一手段として、神社
仏閣等に
参詣することが行なわれ始めたようで、何村の小学校では校長が
生徒全部を
率いて
鎮守の
社に
参拝して
御供物をいただいて帰ったとか、何学校の
生徒団体が何寺に
詣でたとかいう記事を見ることがしばしばあるが、これについては教育者のよほど注意しなければならぬ点があると思う。それは何かといえば、すなわち
迷信を
避けることである。神社
仏閣に
参詣することはわが国
従来の
風俗であって、われらのごとき者でさえ、神社
仏閣のあるところへ行けば
必ず
参拝することに定めているが、神社や
仏閣の由来、
縁起を書いたものを見ると、いずれも昔の
未開の時代に
誰かが
造ったものと見えて、今の
知識をもっては明らかに
迷信と見なさざるをえぬようなことで
充たされている。学校の
生徒などに
特に
神仏を
敬わしめようと
導く場合には、
往々かような
迷信を
迷信として
退けることを
躊躇するごときことがないであろうか。もしいささかでも
迷信を
退けることを
躊躇し、
生徒らをしていささかでも
迷信におちいらしめるおそれがあったならば、その国家の
将来におよぼす
影響は決して
好良なりとは言われぬ。
現在の
宗教から
迷信に
属する部分を引き去って、
残余の部分を
尊崇するように
導くことができるならばまことに
結構であるが、
神仏を
敬う心を
速かに
養おうと急ぐのあまり、知らずしらず
迷信を
伝え広げるようなことがあったならば、
利よりも
害のほうがはるかに多い。これは
実際教育に
従事している者の深く考えなければならぬことである。
元来
神仏を
尊崇することを
奨励したならば、世の
風俗が
改良せられるであろうか
否かがすでに
疑問である。今日教育ある一部の人々の間に
宗教が全く
勢力を
失うにいたったのは、
現在の
宗教がもはやかかる人々に
適せぬゆえであって、とうていこれを
回復することはむずかしい。また昔から「
椿の木と後生
願いに
真直はない」と言うて
宗教に
熱中する人に
模範的人格を
備えたものはかえって少ない。
成田山に
詣でる
連中や
太鼓をたたきお題目を
唱えて
練り歩く人たちが
盛んにふえたら、世の中の
風俗が
立派になろうとはいかにも考えられぬ。知事が
衣冠束帯して赤地
金欄の
覆いかけたる
唐櫃を
奉侍して神社に
詣でるとか、
烏帽子、
直垂の
伶人、
綾錦の
水干に下げ
髪の
童子、
紫衣の
法主が
練り出し、
万歳楽や
延喜楽を
奏するとかいうことは、昔の
風俗を
保存するとしてはよろしいかもしれぬが、これによって世道の
敗頽を
防ごうと
企てるのはもはや今日の時世には
適せぬことである。
「苦しい時の
神頼み」という
諺もあるとおり、何事でも
種々の
方法をつくしても
効果の
現われぬ場合には
神仏に
頼るようになりやすい。たとえば病人でもかの医者にも
診てもらい、この病院へも入れたりしてもいちじるしく
効のないときは、ついに
加持や
祈祷を
頼むようになるが教育者が今ごろ急に思い立ったかのごとくに、神社
仏閣をあがめるようになったのは、あるいは世道人心の
敗頽に対して
種々の
政治策を
試みて、いずれも
効を
奏せぬところからついに
神仏でも
信心したら少しはご
利益があろうかと考えるにいたったかもしれぬ。もしさようなれば
事情は大いに
察すべきであるが、いまだ
講究の
余地があろうと思う。とにかくわが国の
現状を
顧みると、大いに理科
的精神を
鼓吹して
各方面の研究心を
養成し、文明に進む
基礎を
造ることが目下の
急務なることは明らかであるから、
普通教育においては
特にこのことに意を注ぎ、いささかでもこれを
妨げるおそれのあることは
絶対に
避けなければならぬ。
(明治四十四年五月)