先ずチョン髷を切れ

丘浅次郎





 本号はとくに教育改造かいぞう号と名づけられるそうであるが、それはわが国今日の教育は早晩そうばん改造かいぞうようすると考える人が多数にあるので、それらの人々の意見をかかげるとの趣意しゅい(注:物事ももごとをなすときの考えやねらい)であろうとさつする。わが国今日の教育が改造かいぞうようするやいなやはおそらくもはや問題ではなく、如何いか改造かいぞうすべきかということが当面の問題であるごとくに見受けるが、それならば、われら(注:わたし)はすでにまん一年前にこれに答えておいた。すなわちわれらは昨年さくねん一月の本誌ほんし上に「一代のち標準ひょうじゅんとせよ」と題して、今後の教育の取るべき根本の方針ほうしんろんじたが、それがちょうどこの問題の答えに相当する。それゆえこのたびは、わが国教育の改造かいぞうはまずいずれの点より着手ちゃくしゅすべきかをいて、読者の参考さんこうきょうしようと考える。
 樹木じゅもくみきえだこずえと葉とがあるごとくに、教育事業にもみきにあたる部分もあれば、こずえにあたる部分もある。こずえだけの改造かいぞうならばたやすくできるが、その代わりに大した効果こうかはあがらぬ。みきから改造かいぞうしてかかれば、面目めんもく(注:世間せけん周囲しゅういに対する体面たいめん立場たちば名誉めいよ)を一新することができるが、これを行なうには大英断だいえいだん(注:きっぱりとことめること)をようする。われらの見るところによれば、わが国今日の教育はみきの根元から改造かいぞうする必要ひつようがある。もしもみききゅうのままにしておくならば、こずえ改造かいぞうのごときはほとんど何の役にも立たぬ。言うまでもなく、教育者は次代じだい国民こくみん養成ようせいする者ゆえ、つねに他の人々よりは先に立って将来しょうらいのことを洞察どうさつし、将来しょうらいの世の中にてきするようにと児童じどうを教えみちびかねばならぬ。すなわち思想のもっとも進歩した人でなければ、有効ゆうこうな教育をほどこないわけである。ところが、わが国今日の教育者はことごとくこの資格しかくそなえた人ばかりであろうか。雑誌ざっしなどにあらわれた教育者の意見なるものを見ると、かえって他の方面にはたらいている人々よりはいちじるしく思想がおくれているごとくに感ずることがしばしばあるが、もしも教育者の物の考え方が時世じせい(注:時とともにうつわる世の中)にともなうだけに進んでいないとすれば、教育の改造かいぞうなどはとうてい行なわれるのぞみはない。また教育者の中のる者は進んだ思想を持っていながら、やむをざる特殊とくしゅ事情じじょうのためにこれを陰蔽いんぺい(注:ある物を他の物でおおすこと)しておる次第しだいならば、教育の改造かいぞうのためにはこのやむをざる事情じじょう撤去てっきょすることが、何よりも急務きゅうむである。いずれにせよ、教育者の思想を表裏ひょうりともに世界の大勢たいせいともなわしめることが、教育改造かいぞうの手始めでなければならぬ。


「先ずチョンまげを切れ」という表題を見て、チョンまげなどをうた教育者の一人もいない今日、何を切るのかと不審ふしんに思う人もあろうが、チョンまげには二種類にしゅるいべつがある。一は頭骨とうこつの外にあって目に見えるチョンまげで、ほか頭骨とうこつの内にあって目に見えぬチョンまげである。明治めいじ維新いしんの後に両方とも同時に切りてられた。実をいうと、頭の内のチョンまげを切りてたゆえ、そのしるしとして頭の外のチョンまげを切りてたのであった。しかるにその後、頭の外のチョンまげはついに今日まで、復活ふっかつ機会きかいなかったに反し、頭の内のチョンまげは、切った当座とうざ(注:しばらくのあいだ)こそかみの毛がきわめて短かったが、その後だんだんとびて、明治めいじ二十年代の前半の中ごろには立派りっぱなチョンまげえるようになり、明治めいじ四十年代の前半の中ごろにはさらに前に倍する大チョンまげとなった。頭の内のチョンまげというのは国粋こくすい(注:伝統でんとうざしたその国固有こゆう長所ちょうしょ美点びてん保存ほぞんしょうする仮面かめんをかぶった頑迷がんめい固陋ころう(注:考え方に柔軟じゅうなんさがなく、適切てきせつ判断はんだんができないこと)な旧弊きゅうへい(注:古い習慣しゅうかん制度せいどなどの弊害へいがい)思想のことである。一度て去った旧弊きゅうへい思想がかくふたたびさかんになったのは、むろんそれぞれ理由のあることであるが、これは問題外としてここにはろんぜぬ。まず国民性こくみんせいのしからしむる(注:そうさせる)ところとでも言うておくのが一番あたりさわりがなかろう。
 われらが小学校にかようていた明治めいじ十年ごろには旧弊きゅうへい旧弊きゅうへいとして遠慮えんりょなく排斥はいせき(注:しのけること)することができたようにおぼえている。そのころは、今日は友引ともびき(注:陰陽道いんようどうで、わざわいが友人におよぶとする方角)だとか、明日は暗剣殺あんさつけん(注:九星きゆうせい方位ほういの一でもっときょうとする)だとかいえば旧弊きゅうへいな人としてみなからわらわれた。学校でも一白いつぱく(注:九星きゆうせいの一。五行では水にぞくし、本位ほんいは北とする)が何だとか、二黒じこく(注:九星の一。五行では土にぞくし、本位ほんいは西南とする)が何だとか言う子供こどもがあれば、さような旧弊きゅうへいなことはしんずるなと言うて先生からさと(注:納得なっとくするようにおしみちびく)された。しかるに今日は如何いかというに、社会の木鐸ぼくたく(注:世の人を おしみちびく人)だとか自分で名乗っている新聞紙に九星(注:陰陽道おんようどうを通じた運勢うんせい吉凶きっきょううらな基準きじゅん)の出ていないものははなはだ少数である。しかうして(注:それから)読者の多数は新聞紙を手にすると、まず何よりも先にその日の運勢うんせいのところを見る。新年に諸方しょほう(注:あちこち)からもらう柱暦はしらごよみ(注:家の柱などにかけておく小さなこよみ)に九星や吉凶きっきょうの書いてないのは一つもない。一昨年いっさくねんまでは丸善まるぜん柱暦はしらごよみだけにはそれがないので、さすがは洋書をあきなう(注:売買ばいばいする)だけにべつであると思うていたら昨年さくねんのからはこれが出てきた。旧弊きゅうへい復古ふっこも今日の程度ていどまでにたつすればまず完全かんぜんと言うてよろしかろう。


 国粋こくすい保存ほぞんするということはだれが考えて見ても悪かろうはずはない。自分の国の他国にすぐれている点をいつまでもうしなわぬようにと努力どりょくするのは、たん人情にんじょうであるのみならず、国の存立そんりつのためにも実に必要ひつようなことである。しかしながら、真の国粋こくすいなるものは何国の人に聞かせても、なるほどもっともであると得心とくしんするようなものでなければならぬ。世界の広い舞台ぶたいへ持ち出して、だれも感服せぬようなものならば、はじめから国粋こくすい名付なづくべき価値かちはない。見聞けんぶんせまいい者ほどつまらぬことを自慢じまんしたがるもので、アフリカの西海岸に住する「トマニヤール」族の蕃人ばんじん(注:野蛮人やばんじん)は「ピカッチ」神の前にささげた神火が、一度も消えたことのないのを無上むじょうほこりとしているが、これなどは蕃人ばんじんらが無暗むやみにありがたがっているにかかわらず、他の者から見れば三文さんもん(注:わずかな金額きんがくのこと)のねうちもない。されば何を国粋こくすいとするかを定める前には、まずもって世界の大勢たいせい(注:大体の状況じょうきょう)に通じ、公平なをもって、自国と他国とをくらべ、真に自国のすぐれる点を取るように注意せねばならぬ。他国の人々にはまるで通用せぬような偏狭へんきょう(注:考えがかたよっていてせまいこと)な考え方を、いて継続けいぞくせしめようとつとめるのは、国粋こくすい保存ほぞんではなくて、実は旧弊きゅうへいに対する執着しゅうちゃくぎぬ。
 維新いしん後にわが国民こくみん旧弊きゅうへいてたのは知識ちしきがその程度ていどまで進んだための自然しぜん結果けっかでなく、他の関係かんけいからむをず起こったことゆえ、文明と旧弊きゅうへいとを区別くべつすべき真の標準ひょうじゅんが分からず、何でも西洋人のすることが文明で、西洋人のせぬことが旧弊きゅうへいであると定めてかかった。たとえば牛肉を食うのが文明開化で、ナマコを食うのは未開みかい旧弊きゅうへい、クリスマスにを立てるのは文明で、釈迦しゃか誕生日たんじょうび甘茶あまちやつくるのは旧弊きゅうへい、ダンスは文明で、盆踊ぼんおどりは旧弊きゅうへいくつは文明で、下駄げた旧弊きゅうへいというように、従来じゅうらいなしきたたったことは何でもかんでもみな旧弊きゅうへい部類ぶるいに入れた。しかしこれではむろん長く我慢がまんのできるはずはないゆえ、しばらくするとその反動があらわれ、明治めいじ十五年から二十年のころには、国粋こくすい保存ほぞんの声とともに外国崇拝すうはい弊風へいふう(注:悪い風俗ふうぞく習慣しゅうかん)をめる(注:木・竹・えだなどを、げたりまっすぐにしたりして形をととのえる)ための有力な運動うんどうが起こった。これはもとよりかくあるべきことで、もし合理的ごうりてきに行なわれたならばきわめて結構けっこう次第しだいであるが、とにかく反動は他の極端きょくたんまでゆきたがるもので、国粋こくすい保存ほぞんとなえられるとともに、今まで閉息へいそくしていたすべての頑迷がんめい(注:頑固がんこでものの道理どうりがわからないこと)な旧弊きゅうへい思想がふたたび頭を上げ、ランプ亡国論ぼうこくなどという極度きょくど排外はいがい思想までが世に出るにいたった。その多少の曲折きょくせつはあったが種々しゅしゅ事情じじょうのために、次第しだいいきおいをて、ついに今日のごとき旧弊きゅうへい万能ばんのうの時代ができ上がったのである。


 小学校の生徒せいとにはわが国が世界第一の国であるごとくにしんじている者がいくらもある。これはおそらく自国をあいする心をさかんならしめるために、学校の先生が、かく教えむゆえであろうが、このことはよほど注意せぬと、不利益ふりえきともなうおそれがある。慢心まんしん(注:自慢じまんする気持きもち)は如何いかなる場合にも進歩をさまたげるものであるが、わが国がすでに世界第一であると考えれば、それで安心してさらに先へ進もうという奮発ふんぱつ(注:気力をふるい起こすこと)心が出ない。子供こども奮発心ふんぱつしんを起こさせるには、むしろわが国の他国におとっている点を痛切つうせつに感ぜしめることが必要ひつようである。わが国は今日まで偉大いだいな進歩をしてはきたが、先進諸国しょこくにくらべると、なお足もとにもおよばぬことがたくさんにあるから、一同非常ひじょう努力どりょくせねばならぬと教えて、慢心まんしんの発生を予防よぼうするのが何よりも肝要かんよう(注:非常ひじょう大切たいせつなこと)と思われる。
 わが国が先進諸国しょこくにくらべて、なおはるかにおとっている点はいくらでもある。せんだってはじめてドイツから直接ちょくせつ戦後せんご郵便物ゆうびんぶつを受け取ったが、日本の新聞紙には翌日よくじつの食物にも欠乏けつぼうしているかのごとくに報道ほうどうせられた戦敗はいせん当時にドイツで出版しゅっぱんせられた書物は、紙でも印刷いんさつでも、図版ずはんでも製本せいほんでも、戦勝せんしょう祝賀しゅくがした日本の製品せいひんのとうていおよぶところでない。博物館はくぶつかんのごときもヨーロッパやアメリカには一等国や二等国は言うにおよばず、三等国、四等国、五等国、六等国、七等国、八等国にいたるまで、動植鉱物こうぶつを集めて研究する国立の天産てんさん博物館はくぶつかんのない国は一つもないが、わが国にはいまだこれがない。道路は雨がればどろだらけで、くつなどではとうてい歩けず、自動車には一々専売せんばい特許とっきょどろよけをけねばならぬ。下水げすい名付なづけるものは道の両側りょうがわに見えてはいるが、流れているのはめったにないゆえ、実は汚水おすいのたまり場所にぎぬ。大小便だいしょうべんおけにくみ取って往来おうらいの真中をかついではゆくが、これさえすこぶるとどこおり(注:停滞ていたい)勝ちで、一荷につき七十せん以上いじょうも出して嘆願たんがん(注:事情じじょう説明せつめいして、ある事柄ことがら実現げんじつせつねがうこと)せねば容易よういに取ってゆかぬ。その他、急ぎ改造かいぞうようするものは、物質的ぶっしつてきの方面にも精神的せいしんてきの方面にもかぎりなくある。中学校や小学校の学科課程かていのごときも、他国におくれぬためには思い切り程度ていどを高めねばならぬ。とくに女学校のごときは、他国にしてあまりに懸隔けんかく(注:非常ひじょうがあること)がはなはだしい。文字も、むずかしい漢字や仮名かなを用いている間はよそとの競争きょうそうはとうていおぼつかない。
 わが国の風俗ふぞく習慣しゅうかんに対して外国人がくわえる批評ひひょうが、旧弊きゅうへい思想をそそのかすことがしばしばある。旅行者は帰ってから話のたねになるようなわった物を見たいゆえ、行くさきざきがなるべく西洋と正反対であることを希望きぼうする。たとえば日本の女が洋服を着たのを見ると口をきわめてこれをののしり、貴国きこくには全世界にそのを見ない優美ゆうびな「キモノ」があるのに何を苦しんで我々われわれ美術的びじゅつてき衣服いふくを着用するかなどというが、旧弊きゅうへいな人々はこれを聞いて直ちに得意とくいとなり、外国人までがほめる以上いじょうはわが国の衣服いふくあらためる必要ひつようはないとろんずる。しかしここに考うべきことは、西洋人が日本の女を見るのは博物館はくぶつかん陳列ちんれつ箱の中にある人形を見るのと同じ心持ちである。人形に着せる衣服いふく標本ひょうほんとしてならば、日本の女の衣服いふくもっと優等ゆうとうであるにちがいない。もしも西洋人にほめさせようと思うならば、桟橋さんばしとホテルと道路と自動車とだけを完全かんぜんにして、その他はのこらず昔のじゅん日本風にしておくがよろしい。西洋人の批評ひひょうを聞くときは、かれわれとの立場が全くちがうことを考えて、ほめられると直ちに慢心まんしんするごときあやまりのないように注意せねばならぬ。


 独創的どくそうてき精神せいしん養成ようせいとか発明力の培養ばいようとかいうことがせんだってじゅう、さかんにとなえられていたが、これはわが民族みんぞく将来しょうらいにとってはきわめて必要ひつようなことである。今後ほか民族みんぞくとの競争きょうそうに負けぬためには、何ごとも独力どくりょくで進めてゆかねばならぬが、そのためにはできるだけのう独創的どくそうてきはたらかせる習慣しゅうかんをつけるように骨折ほねおらねばならぬ。もっともさる如何いか仕込しこんでもさるだけのげいよりできぬごとく、人種じんしゅによって、それぞれ先天的せんてんてきに有する発明力がちがうであろうから、いずれの人種じんしゅでも同じ程度ていどまでたつられるというわけにはゆくまいが、努力どりょくすれば努力どりょくしただけの甲斐かいかならずあるべきはずである。しこうして発明力をすにはまず国民こくみん一般いっぱんの研究心をさかんにすることが必要ひつようで、そのためには何ごとでも自由に考えさせるようにせねばならぬ。また研究にはかならずしも直ちに実用になる事柄ことがらの研究ばかりとせまかぎらず、何ごとでもおよそ研究と名のくことならばことごとく奨励しょうれいするくらいにせねば国民こくみんの研究心はとうていさかんにはならぬ。むかし支那しなの何とかいう人がよいい馬をもとめるために死んだ馬を一疋いっぴき五百テールで買うて見せたという話があるが、真に研究心をさかんならしめるには、このくらいの覚悟かくごようする。一ヶ月ばかり前にアメリカ、カリフォルニアのサンタバーバラにある比較ひかく鳥卵学ちょうらんがく博物館はくぶつかん報告ほうこく第一、二号をもろうたが、世界中のあらゆる鳥のたまごを集めて比較ひかく研究することを唯一ゆいつ目的もくてきとする博物館はくぶつかんてるなどとはわが国の人のゆめにも思わぬことであろう。一昨年いっさくねん来遊らいゆうした未知みち英国えいこく婦人ふじんから突然とつぜんの手紙で、自分の息子むすこは当時出征しゅっせい(注:軍隊ぐんたいわって戦地せんちに行くこと)中であるが非常ひじょう熱心ねっしん鳥類ちょうるいの研究者であるゆえ、このたびの旅行のみやげとして日本産にほんさん鳥類ちょうるいたまごを一そろい買うて帰りたいが、何という標本ひょうほん店がよろしいか、同船した海軍かいぐん軍医ぐんいから貴君きくんの名を聞いたゆえおおたづねすると言うてこられたことがあったが、わが国には鳥のたまご標本ひょうほんをそろえて売っている店は一軒いっけんもないゆえ、むをず、四百種類しゅるいもある日本産にほんさん鳥類ちょうるいの中のわずかに十幾種じゅういくしゅかのたまごを持ち合わせていた店を紹介しょうかいして、それだけを買わせた。何ごとをも研究せずにはいられぬというほどに国民こくみん一般いっぱんの研究心が高まらねばとうてい外国におとらぬような発明もできるものではない。
 独創的どくそうてき精神せいしんをやしなうには何ごとも自分の力で独立どくりつ判断はんだんするくせをつけるのが第一であるが、そのためには何びとにも自分で考えて見て、間違まちがいであると思うたことを遠慮えんりょなく言わせねばならぬ。これをおさえつけて発表せしめぬものは、取りも直さず、独創的どくそうてき精神せいしんばえをみつぶすことに当たる。むかし、ある政治家せいじかは「政治せいじかなめ(注:ある物事のもっと大切たいせつ部分ぶぶん)は悪をなしがたき世の中をつくるにあり」と言うたと聞くが、独創力どくそうりょく養成ようせいするには、独創力どくそうりょくびやすき世の中をつくることが肝要かんようである。迷信めいしん迷信めいしんとして公然こうぜん排斥はいせきすることのできた明治めいじ初年しょねんはこの点においては今日よりははるかにまさっていた。虫封むしふうじの御札おふだ迷信めいしんであると断言だんげんすることをはばからねばならぬような旧弊きゅうへいきわまる世の中をつくっておいて、如何いか独創力どくそうりょく養成ようせいに力を入れても、いかりを下ろして船をこぐのと同様で、おそらく何の役にも立たぬであろう。


 教育者の中には、青年らをして外来の新思想にれしめることを大いに危険きけんなりとして、非常ひじょうおそれている人も少なくないようであるが、新思想のために危険きけんおちいるのは、実はただ、頑迷がんめい旧弊きゅうへい思想だけである。数多い新思想の中には、そのままに受け入れてはあぶないものももとよりあろう。しかしながら相当の知識ちしきそなえた者が独力どくりょく判断はんだんして見たならば、そのあぶないゆえんが容易ようい観破かんぱ(注:看破かんぱ」。見破みやぶる)せられるであろうから、当方の知識ちしきさえ進んでおれば、大して危険きけんなものではない。変動へんどうの多かるべき将来しょうらいのことを思うと、新しい思想にもれしめず、独力どくりょくでこれを判断はんだん取捨しゅしゃする機会きかいをもあたえぬほうが、むしろ一層いっそう危険きけんではないかとあんじられる。およそ他からの危険きけんのくるのをおそれるのは、自身が危険きけん状態じょうたいにあるものにかぎる。すなわち危険きけんは他物にそんするのではなく、自身にそんするのである。自身に存立そんりつすべき理由がたしかにあれば、位置いち安泰あんたいであって、少しも他物をおそれるにはおよばぬ。自然しぜんにまかせておいたらたちまちたおれるべきはずのものを人為的じんいてきささえて立てておこうとするゆえ、非常ひじょうほねれるのである。ビールのびんでも、これをつくえの上に自然しぜん位置いちに立てておけば、すわりがよくて、完全かんぜんであるが、これをさかさまに立てると不安定ふあんていですこぶるあぶない。風がいても、つくえゆれれても直ちにたおれる心配があるゆえ、いつまでもさかさまに立てておくには屏風びようぶでかこうたり、人の通行をきんじたりせねばならぬ。真に危険きけんのぞくには、さかさまのびんを自然しぜん位置いちにもどすのが一番である。
 以上いじょう断片的だんぺんてきべたとおり、今日の世の中には頑迷がんめい旧弊きゅうへい思想が大分だいぶはびこっているようであるゆえ、教育を改造かいぞうするにはまずこれからあらためてかかることが必要ひつようである。これは教育者の力だけでできることではないかも知れぬが、教育者の努力どりょくによって、いくぶんかこのことの行なわれる時期を早めることはできよう。もっとも教育者が口には教育の改造かいぞうとなえながら、思想が依然いぜんとして頑迷がんめいであるならば、むろん話にならぬ。教育の改造かいぞうについては今後も種々しゅしゅの意見が発表せられるであろう。また種々しゅしゅ考案こうあんが実行せ
られるであろう。しかしながら頑迷がんめいなる旧弊きゅうへい思想をそのままに尊重そんちょうしておくならば、改造かいぞうはいつまでもたん枝葉しよう改造かいぞうにとどまり、ほとんど有名無実むじつに終わるであろうとしんずる。真に教育を改造かいぞうするつもりならば、今一度明治めいじ初年しょねんに立ち帰ったつもりになり、大英断だいえいだんをもって頭骨とうこつ内のチョンまげを切りてることが何よりも先に必要ひつようであろう。
(大正八年十一月)







底本:「煩悶と自由」有隣堂
   1968(昭和43)年7月20日 発行
入力:矢野重藤
初出:1920(大正9)年1月   「教育研究」に掲載
校正:
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