アメリカやヨーロツパには数多くの
共和国がある、
人類が
初め
猿類と
共同の
祖先から起つたものとすれば、これ等の
共和国も遠い昔まで
遡れば
猿の
群の様なものであつたに
違ひない、それから長い年月の間に
次第々々に
変遷して
終に今日の
状態に
達したのであらう。次に
述べる所は生物学から見たこの
変遷の
大略である。
◇
抑も国の
変遷を調べることは、
従来の学問の
別け方に
従へば
全く
歴史の
領分に
属する。
従つて、アメリカやヨーロツパの
共和国の
過去を
論ずるのは
当然歴史家の仕事であつて、生物学などとは何ら
関係が
無い
如くに思うて
居る人が多い。所が、
私の考へによれば、これは大きな
間違ひで、
凡そ
人類の
団体の
変遷を
論ずるに当つては、
先づこれを生物学
的に
観察することが何よりも
必要である。生物学
的に見るとは
即ち
人類を生物の
一種と
見做し、その
団体の
変遷を
論ずるに当つても
絶えず他の動物の
団体と
比較しながら考へを進めて行くことである。
而して生物学
的に考へる場合には、
従来の
所謂歴史上の事実を一々
参考する
必要は少しもない、たゞ大体の
変化だけを
承知して
居れば、それで
宜しい。
私が今この文を書き
綴るに当つて
歴史の書物の
一頁をも読まぬのは、実はその
必要を
認めないからである。
◇
「
樹を見る者は森を見ず」といふ
諺が西洋にあるが
実際一本一本の
樹を
丁寧に調べて
居る様なことでは森全体の様子は
到底分らぬ。また「
廬山に
入つては
廬山を見ず」(注:
雄大または
複雑すぎて、本来の
姿をとらえがたいことのたとえ)などともいうて、自身が山の中に
居つては、その山全体の
姿は
無論見る
訳に行かぬ。
普通の
歴史では自身が
人類団体の内にあつて、その一員として
団体を内から見る
故、何年の何月何日に何の
某が
何所で何をしたとかいふ様な細かいことにはよく気が
附くが、
団体の全部が大きく
緩やかに
変遷して行くことには
心附かずに
居る。その
有様は
恰も一本一本の
樹を調べて森全体のことを知らずに
居るのに
均しい。これに反して生物学
的の見方では、他の動物の
団体生活を
背景とした
舞台の中央に
人類の
団体を
据ゑ、自分は遠く
離れた
桟敷から見物して
居る心持ちで
眺める
故、細かいことは
無論何も見えぬが全体としての
姿は
却つてよく知れる。それは
丁度少しく
距つた所から見ると森全体の形がよく知れるのと同じ
理窟である。
斯様に
比べて見ると、
普通の
歴史は目の細かい
網で
雑魚を
掬うて
居る様なもの、生物学
的の見方は
粗い太い
網で
鯨を
捕へようとする様なもので、両方とも同じく何物かを
獲ようとするのではあるが、
粗い細かいに
非常の
相違があるから、
粗い方を
目的とする場合には細かい方は
眼中に
置くに
及ばぬ。今
私がアメリカやヨーロツパの
共和国の
過去を生物学
的に
論ずるに当つて
所謂歴史上の事実を
度外視するのは、
恰も
雑魚が
鯨網の目を
泳ぎ
抜けるのを
構はずに
置くのと同じ心持ちである。
先づ
猿の
群の生活
状態から考へて見よう。一口に
猿というても、その中には色々の
種類があつて生活の
模様も決して
一様ではない、ゴリラや
猩々(注:オランウータン)の
如き大きな強い
猿は多数に集まつて
群体を
造る
必要もなく、
従つて
実際造りもせぬが、他の
種類では多くは一定数の
猿が一
団体となり、
餌を取るにも
敵と
戦ふにも
常に力を
協せて
共同の生活を
営んで
居る、
此所に
述べるのは
斯様な
団体生活を
営む
普通の
猿類の生活
状態である。
◇
猿類は
大概数十
疋または数百
疋が集まつて一
団体となり、
各団体には
必ず
一疋の
大将があつて、
総ての者は
皆絶対にその
命令に
服従して
居る、
猿類の
産する地方では
斯様な
団体が数多く
並び住んで、
或は
他種の動物の
攻撃を
防いだり、
或は同
種類の他の
団体と
戦ふたりして日を
暮して
居るのである。
◇
猿の
団体を見て第一に気の
附くのは
協力一致のよく行はれて
居ることである。
協力一致は
団体生活に
必要な
条件で、これが行はれなければ
団体生活は
全くなり立たぬから、
苟くも
団体生活を
営む動物である
以上は、
或る
程度の
協力一致の行はれぬものはない。
猿の
団体の
如きも、何十
疋何百
疋のものが、
悉く全
団体の
共同の
目的のために力を
協せて
共に
働き、弱い者を助け
幼い者を
導いて、決して自身
一己のために
我儘な
振舞をする者はない。
特に
怪我でもした者のある場合には他の者が集まつて
非常に親切に世話をする。また万一、自身
一己の
利益のために
団体全部の
利益と
撞着(注:
矛盾)するやうなことを
敢てする者があれば、
大将は
厳しくこれを
罰して
殆ど
半殺しの目に合はせる
故、一度で
懲りて決して二度とはせぬ、
斯様な
次第で、
一は生れながらの
本能により、一は生れた後の
訓練により
協力一致がよく行はれるが、これは
敵なる
団体と
戦ふに当つては何よりの
強味である、
協力一致の
性質が十分に
発達した
団体では身体は百あつても心は一つであるが、この
性質の
劣つた
団体では百の身体には百の心がある
故、
相対して
戦ふ場合に
何れが
勝を
得るかは
態々論ずるまでもない。されば
猿類の有するこの
性質は、長い年月の間、
団体間の
生存競争が
絶えず行はれた
結果として、
自然淘汰によつて
次第に
築き上げられたものと思はれる。
次に
猿類の
団体で
著しく目に
附くのは
絶対服従の
性質である。これは
協力一致の実を
挙げるための
手段とも
見做すべきもので、
団体が全部
一致して
最も
有効に
働き
得るのは、
猿の
一疋毎にこの
性質が
備はつてあるに
因る。前にも
述べた通り、
猿の
各団体には
必ず
一疋の
大将が
控へて
居るが、
総ての者が
絶対に
彼の
命令に
服従すれば、
団体の
働きはいふまでもなく全部
一致する。
即ち身体の数は
幾つあつても、
悉く
大将の
意志に
従うてその手足の様に動けば、
団体は
恰も大きな
一疋の
如くに
敏捷に立ち
廻ることが出来るが、この事は進んで
敵を
攻めるに当つても、止まつて自身を守るに当つても
非常に
有利である。
各自が
服従すれば
団体の行動が
一致し、
団体の行動が
一致すれば
敵なる
団体に対して勝つことが出来る。
敵に勝てば自分の
団体は
利益を
得るが、
団体が
利益を
得れば、その一員たる自分も
利益に
与かることになる。
斯様な
次第で、
各自が
服従性を
備へることは、
結局、
団体の
生存上、大に
有利である
故、
団体間の
生存競争が長い間引き
続けば、
自然淘汰の
働きによつて、この
性質は一歩一歩
発達し行くものと考へねばならぬ。
猿類の今日有する
服従性は
恐らく
斯くして生じたものであらう。
◇
猿の
各団体には
必ず
一疋の
大将があることは
已に前に
述べたが、
如何なる
一疋が
大将になるかといふに、これは
何時も全
団体の中で
牙が
最も
鋭く、
腕が
最も強く、
最も
経験に
富み、
最も
戦術に
巧な者に
限られる。
即ち実力の
最も
優れた者でなければ
大将になれぬから、事実、年長の
牡が
成るに
極まつて
居る。
而も万一
服従を
肯ぜぬ(注:
承諾しない)者が生じた場合には、
牙と
腕とによつて
服従を
余儀なくせしめるだけの力がなければ
大将の役は
務まらぬから、
苟且にも部下の者から
鼎の軽重(注:
楚の
荘王が、
周を軽んじ、
周室に伝わる
宝器である
九鼎の大小・軽重を問うたという「春秋左伝」
宣公三年の
故事)を問はれる様では
到底その
資格はない。
猿の
団体は
常に
斯様な
智勇兼備、
精力絶倫の
大将を上に
戴いて
居るのであるが、これがまた
彼らの
団体生活に取つては
最も
有利な
制度である。
昆虫などの様な
本能のみによつて万事を行ふ動物では、生れた後の
経験によつて生活の
能率が進むといふことがないから、
斯様な動物が
団体生活を
営む場合には、
団体内の
各員は
悉く同等の
位を
占める。
蚕が
繭を
造るのも
蜘蛛が
網を
張るのも、生れながらの
本能によつて
巧に行ふのであるから、
教へるとか
習ふとかいふ
必要は少しもない。それ
故、
蟻や
蜂の
団体には分業による
働きの
相違はあるが、
誰が
導くとか
誰が
従ふとかいふ様な階級の
差別は
全く見られぬ。これに反して
哺乳類などでは、生れてから後の
経験によつて
次第に力が
増し、生活の
能率が高まつて行く
故、その
団体の内には
無経験な
若者から
経験に
富んだ年長者まで
幾通りもの
階段がある。
而して
斯様な
団体を
最も高い
能率で
働かせるには、
団体中の
最も
経験に
富んだ
一疋を
大将に定め、
総ての者をして
絶対にその
命令に
服従せしめるに
限る。
若しも
哺乳類が
昆虫類の
真似をして平等
型の
団体を
造つたとすれば、
各自はその有する
経験だけの
働きより出来ず、しかも
団体内には
何時も、
甚だ
経験に
乏しい
若者が多数に
存するを
免れぬから、
団体の
能力の
総量は
勢ひ
頗る
低からざるを
得ない。
然るに
若しも
団体内で
最も
経験に
富んだ
一疋を
大将と
仰ぎ、
総ての者が
絶対にその
命令に
従ふこととすれば、
大将が長い年月の間に
得た
貴重な
経験は
単に
大将一疋に
利用せられるばかりではなく、全
団体の
利益のために
利用せられることになるから、
能率を進める上に、この
位有効なことはない、されば、生後の
経験によつて
各自の
戦闘能力が
次第に
増進する様な
種類の動物が
団体生活を
営む場合には、
団体内で
最も
経験に
富んだ
一疋を
大将として
戴く
階級型の
制度を
採用するのが
最も
得策であるが、
猿の
団体では
実際この
制度が行はれて
居るのである。
◇
以上述べた通り
猿の
団体には
協力一致の
精神が
発達し、
服従性が
盛んであつて、
一疋の
大将を上に
戴いて
絶対にその
命令に
従うて
居るが、これ等は
何れも
団体間の
生存競争が長い間行はれたために、
自然淘汰の
結果として
次第次第に生じたことで、今後も
恐らく同じ方向に進み行くであらう。
次に原始時代の
人類は
如何なる
状態にあつたかと考へるに、これは多分
猿類と
相似たものであつたに
違ひない。
最早遠い昔に
過ぎ去つたこと
故、
直接に調べることは
無論出来ぬが、
貝塚から
掘り出した
遺物や、
現今の
野蛮人の生活
状態から
推して
或る
程度までは
察すことが
出来よう。
石斧や
土器が一ヶ所から
沢山に出る所を見ると、
団体生活を
営んでゐたことは
確であるが、また今日の
最下等の
野蛮人の
状態から考へると
余り大きな
団体は作らなかつたらしい。先づ
普通の
猿類の
団体位の所であつたらうと思はれる。
而して
各団体には一人の
酋長があつて、
無上の
権威を
振ひ、他の者は
総てその
命令に
服して
居た。このことは
猿の
団体や
野蛮人の
蕃社(注:
台湾の先住
民族(
高砂族)の集落や
集団に対する
呼称)に
比較して見ても知れるが、
尚、
理論的に考へても
斯くあるべき
筈である。
即ち
人類も
猿と同じく、
各自、生後の
経験によつて一歩一歩
戦闘能力を
増して行く動物である
以上は、その
団体は
当然、
階級型に
属するに定まつて
居る。されば
原始時代の
人類の
団体生活は、大体において
猿類に
似たものであると考へて大きな
間違ひはなからう。
◇
原始時代の
人類が
猿類と
異なつた
最も
著しい点は、
言語を有することと
道具を用ひることである。これは、その後に
人類が
猿類と
頗る
異なつた生活をする様になつた主な
原因であるが、
初期においては
余り
甚だしい
相違を生ずるには
至らぬ。
何故といふに、
猿にも
種々の鳴き声があつて
嬉しい時、悲しい時、
怒つた時、
誤る時には、それぞれ音声が
違ひ、聞く者にその意味が通ずるから、
猿にも
一種の
言語があるといへる。また、
猿の
団体が
戦ふときには、
皆手頃な石を
拾うて投げ合ふから、
既に道具を用ひ始めて
居るのである。されば原人と
猿との
相違は、
僅に
言語や道具の
発達の
程度に少しの
差があるだけに
過ぎなかつた
故、
其生活の
状態も大同
小異であつたものと
見做さねばならぬ。
而して
斯様な生活は
随分長く
続いたことであらう。
人類が火を用ひ始めたことは、
人類らしい生活をする
発端であつたが、その
以前に何十万年も
斯様な
状態で
過ごしたであらう。また、
青銅や鉄などの
金属を自由に使ふことは文明の
端緒であつたが、それまでには
更に何万年も
掛かつたであらう。この長い年月の間に原人の
団体は
生存のために
絶えず
競争し、
適する
団体は勝つて生き
残り、
適せぬ
団体は
敗けて
亡び
失せ、
自然淘汰の
結果として、
協力一致の
団体精神と、一人の
酋長に対する
絶対服従の
性質とは
次第次第に
発達し来つたことゝ思はれる。
◇
この時代の
酋長は
無論猿の
団体における
大将と同じく、
酋長たるべき実力を十分に
備へて
居らねばならぬ。他の者が
甘んじて
酋長に
服従するのは、一は
酋長に
服従することは
団体のために
有利であり、
延いては自分のためにも
有利であることを十分に
信じて
居るからである。この事は多数の人間が一人を
頭に
戴き、力を
協はせて仕事をする場合には
何時でも
必要なことで、
現に
漁業場で何十人かの
漁夫が
何艘かの船に乗つて一の仕事に
従事するときには、
必ず一人の親方があつて、
総ての者は
絶対に
彼の
命令に
服従し、親方が
懐手をしながら、
顎で
指図すると、
若い者は
皆彼の手足の
如くによく
働く。親方は
若い時からの長年の
経験によつて
如何にすれば仕事が
最もよく
成功するかを知つて
居る
故、
彼の
命令に
従ふことは
皆の者の
利益であり、
若しも親方が
指図して
呉れねば
到底それだけの
利益は
得られぬ。原人の
酋長もこれと同じ
理窟で、
実際酋長たるべき実力を
備へたものでなければ
酋長には
成れぬ。されば
酋長が死んだ場合には、
団体の内で
最も
秀でた者が
直に後を
継いで
酋長と
成り、たとへ前
酋長の子でも
弟でも実力がなければ、
勿論酋長とは
成れず、他の者と同様に新
酋長に
仕へねばならぬ。
また一人の
酋長が自身で
直接に全部を
統轄する間は
団体は
或る
制限を
超えて大きくなることは
出来ぬ。これは
猿の
団体でも同様であるが、
団体が
余り大きくなると、
指揮者の
命令が全部に行き
届かず
到底一人の
酋長では持ち切れぬ様になる。「大男
総身に
智恵が
廻り
兼ね」といふ
句があるが、原人の
団体も大きく
成り
過ぎると全部の
統一が
欠け、新な
酋長の
候補者が
現れて
忽ち二分するを
免れぬ。これは
恰もアメーバが
或る
程度まで
成長すると、次には
必ず
分裂して
二疋になるのと同じである。一つの
巣に住む
蜜蜂の数が
余りに多くなると、
旧女王は
働蜂の一部を引き
連れて
巣から
飛び出し
更に新な
巣を
造るが、原人の
団体でも、この様な
分封(注:
巣分かれ)が
始終行はれたであらう。
団体の大きさが一定の
制限を
超えなかつたことゝ、
酋長が実力
本位の
一代制であつたことは原始時代における
人類の
団体生活の
特徴であつた。
原人が
猿と
異なる点は
言語を有すること、道具を用ひることであるが、これ
等が
余り
発達せぬ間は前に
述べた通り、
略猿類と同様の生活
状態に止まつてゐた。
然るに
人類の
団体と
団体とが
戦ふに当つては
何れも
言語と道具とを用ひ、その進んだものほど
勝を
得る
見込が多いから、長い間には両方
共に
段々進歩した。
而して、
言語や道具が進歩するに
随ひ、
人類の
団体と
猿の
団体との間に
次第々々に
著しい
相異が
現はれて来た。
◇
原人の
団体が一定の大きさ
以上に
成り
得ぬのは、一人の
酋長が自身で
直接に
統御し
得る人数に
際限があるからであつたが、
言語が
発達すると、これによつて自分の
意志をいひ
現し、他人にこれをとり
継がせることが
出来る。
即ち
酋長は部下の中から
適当と
認める者を
選び、これに自身の
意志を
伝へて
命令を
取継がしめることが
出来るから、
団体は前よりは数倍大きくなつても、
差支ないことに
成る。数名の部下の者が手分けしても
到底直接に
統御し切れぬ
程の大きさに
達した場合には、部下の者等は
更にそのまた部下の内から
適当な者を
選び
命令を
伝へしめることが
出来る。
斯様にして、
酋長の
命令を部下がまたその部下に
取継いで
伝へさせることにすれば、
団体が
如何に大きくなつても、一人の
命令が全部に
漏れなく
伝はることになる。また道具が
発達して
通信や
運搬が前に
比べて
容易になれば、一人の
命令の
下に
大勢の人間を動かす事も
困難でなくなる。昔から
衆寡敵せず(注:少数では多数にかなわない)といふて、他の
条件が
総べて同一である場合には、人数の多い
団体の方が
必ず人数の少い
団体よりは強いに定まつてゐるから、多くの
団体が
相対立して
互に
競争する
際には、大きさに
就いても
当然競争を
免れぬ
筈であるが、前にも
述べた通り、
原始時代には
団体の大きさに一定の
制限があるために、この方面の
競争は決して
劇しくはならぬ。
然るに
言語と道具とが
発達して、この
制限が
除かれた
以上は、
各団体は
敵なる
団体に負けぬためには、大きさにおいても
敵に
劣らぬ様に
努めねばならぬ。
敵団体に
比べて自分の
団体の人数が
遙に
劣る様では
非常に心細いから
有ゆる
方法を
講じて
我団体を大きくせねばならぬが、それには
自然の
繁殖による人口の
増加だけでは
到底間に合はず、
附近の
団体を
併呑して
速かに自分の
団体を大きくしようと
努めるに
至る。
斯くして
人類の
団体の間には
征服の
競争が
続き、その
結果として、
団体の数は
次第に
減じ、
各団体の大きさは
夫だけ
増して行く。その間には
共同の
大敵を前に
控へたために、二の
団体が
合意的に
聯盟する事も
勿論あらう。
団体の大きさが
増せば、それに
伴うて
酋長の
位も
次第に上つて、
初め
蕃社の
頭目であつたのが、村長、
郡主、
大名などに
匹敵する
幾多の
階段を
経て
終に王と
称するに
至り、
此処に王国と名づける大きな
団体が
出来上る。
◇
団体が大きくなつて、
酋長が
直接に
命令を下さぬ様になると、
猿の
団体には
嘗て見られぬ新な
事情が生ずる。
初めは真に実力を有する
酋長が
命令を下し、
輔佐の者は
単にこれを取り
継ぐだけであるが、
実際に
人民に
触れるのは
輔佐の者だけである
故、
若しも実力を有する
酋長から出たと同様の
命令を、
輔佐の者が自身の
発案で、
酋長からとしていひ
渡せば、それでも、
充分に
治まつて行く。
斯様な
次第で後に
至つては、
直接に
人民を
指揮する者さへ実力を
備へて
居れば
宜しい事になり、それより上に
位して、
間接に
命令を下す
階級のものは、
必ずしも実力を
備へるには
及ばぬ。長い間に
服従性が
充分に
発達し来つた
人民は、
段を
隔てゝ上に
位する者に対しては、たゞ
尊敬することを知るだけで、決してこれを
評価する
如き
失礼なことを
敢てせぬ
故、実力の
有無は
余り問題にならぬ。
団体が大きくなつて、
司配する
側が多人数になつてからは、
治者は全体として
被治者の全体を
統轄し
得ればよいのであるから、
必ずしもその一人一人が
悉く
優れた実力を
備へるを
要せぬ、
特に
被治者とは
直接に
触れることのない上級の
治者には、他に
勝つた実力を有する
必要はない。
団体の小さかつた時代には
厳重に実力
本位であつた
酋長も、
団体が大きくなつた後は、実力の
有無に
拘らず
務まる様になつた。
◇
言語や
道具が進歩して、
団体が大きくなる間に、
脳の
働きの
副産物として
宗教や
哲学が生まれた。
宗教や
哲学のことを
論ずるのはこの文の主意でないから
詳しいことは
略するが、
言語が
発達すれば色々のことを考へるやうになり、
疑うて
掛かれば
哲学が生じ、
信じて
掛かれば
宗教が生じた。人間は肉体と
霊魂とから
成り立ち、肉体は死んでも
霊魂は
何時までも
残るといふ
信仰が
一般に
弘まると、これに
基いた
風俗習慣が行はれる様になる。
例へば、
酋長が死んでも、その
霊魂が生き
残つて自分
等の上に立つてゐると思へば、有がたくもあり、また
恐ろしくもあり、生きてゐる中に命じて
置いたことを
若し実行せねば
如何なる
崇りに
遇ふかも知れぬとの心配から、その子を
後継者として
酋長に
仰ぐといふ様なことも行はれる。実力
本位の時代には、たとへ
酋長の子でも
衆を
率ゐるに足るだけの実力が
無ければ
到底酋長となることは
出来ぬが、
団体が大きくなり、実力はなくとも
酋長は
務まるといふ様な時代になると、
酋長を
世襲的にすることが
可能となり、
其所へ
宗教的信仰が
加はると、
酋長を
世襲的にするといふ
制度が
確になる。大きな
団体では
司配する
側の人数だけでも、
非常に
大勢で、それが
恰も
雛段の
如くに
最上から
最下まで
沢山の
階段に分れ、
最上の一人を
初めとして、上の
段ほど人数が少く、下の
段ほど人数が多い。その中で真に実力
本位とする
必要のあるものはたゞ一部だけであつて、上の部に
位する者は
皆、
世襲的としても
務まるのである。されば
酋長が
世襲的となると同じく、部下も
次第に
世襲的となるが、
酋長の
出世したものを王と名づけるならば、これ等は
即ち
世襲貴族である。かくして、
世襲の王と、
世襲の
貴族と、
世襲制度の
忝なさ(注:恐れ多いこと)を
説く
御用宗教との三つが
揃うた
完全な王国が
出来上つた。
以上の
如き
世襲的の王国は、
人類の
団体が大きくなれば
自然に
斯く
出来上るべき
性質のもので、
階級型の
団体生活の形式としてはこれより
以上のものは有り
得ない。原始時代から長い間の
自然淘汰によつて
次第々々に
養成せられ来たつた
団体的精神と
絶対服従性とがそのまゝ
続くものとすれば、
世襲王国では実に
理想通りの
団体生活が行はれる、
団体的精神とは
何事にも
団体全部の
利害を第一に考へ、自分一身のことなどは少しも
顧みぬといふ
精神であるが、この
精神が
旺盛であれば、上に
位する者の発する
命令は
何時も国の
利益になることのみであるから、下の者がこれに対して
些の
不服を感ずる
訳もない。また
絶対服従の
性質が
誰にも
備はつてあれば、全国の者が王一人の
意志に
従うて動作するから、少しも
統一に
欠ける所がなく、一国が
恰も一人の
如くに
働ける。これは平時にも
戦争の
折にも
非常に
有利なことである。全国が
司配する者と
司配せられる者との
二層に分れ、
司配する者の中には
最上の王から
最下の小役人まで
雛段の
如くに数多くの
階級があり、
各階級の者は、その上の級の者には
絶対に
服従し、下の級の者からは
絶対に
服従せられると定まつてをれば、
何所にも
矛盾や
衝突の生ずる
気遣ひがなく、
団体生活としては実に
模範的のものといはねばならぬ。
◇
斯様な王国では王の
命令に
従ふことは
即ち国の
利益のために
働くことに当る
故、王に
忠義を
尽す事と国を
愛することとは同一である。王のために命を
捨てることは
即ち国のために命を
捨てることを意味する。
総ての
階級が
世襲的であるから、家といふものが
非常に重く見られ、何よりも
系図が
大切で、
各個人はその当人の有する
技量よりも、
如何なる
先祖から
降つたかによつて
価を
附けられる。社会の全部が
階級的に仕組まれ、王を
除いては、何の
階級にも、これに
命令を下すべき上の
階級があるから、生活とは
即ち上の
命令に
従ふことと
心得て、王の
無い国が有らうなどとは
夢にも
想像せぬ。
誰にも身分が定まつてあり、一つ
昇れば
非常に
喜ぶから、
階級を進めることは一等の
賞与であり、
階級の高いことは何よりの
名誉である。
階級を
示すための
肩書は
最も大切であつて、人の
値は
全く
肩書きによつて定まる。
而して
誰もが
肩書を
貴めば、
肩書きを
得るために人人が一生
懸命に
働くから
結局は、国が進歩することになる。
◇
また
斯様な王国では何事でも王の
意志によつて
出来るから、
若しも王が学問や
芸術を
奨励すれば、これ
等のものは
著しく
進歩する。大学を
造るとか
学士院を
設けるとかして王が
保護すれば学者は
暮しに
追はれることなく、
専ら学問に
従事することが
出来るから、学問は
無論進歩する、
芸術の方もこれと同様で、王の
御抱へとなれば、食ふ方の心配なしに
立派な作品を
製することが
出来る。
宗教も国教として王の
保護を受ければ大に
盛んになつて、一人の
不信者もない
状態に立ち
至るであらう。
階級制の世の中では学者でも
芸術家でも
僧侶でも
無論多くの
階級があり、王から
貰うたそれぞれの
肩書きによつて世間からはそれぞれ
尊敬せられる。一言でいへば、
独裁の王国は
団体生活の形式としては実に
立派なものであつて、それが長く
続けば、
燦爛たる文明を生ずべき
可能性を
備へて
居る。
但しこれは、
団体的精神や
絶対服従の
性質が
何時までも
継続するものと
仮定した上のことである。
◇
然らば
実際においては
如何といふに、
立派な王国が
出来る
頃には
団体的精神も
絶対服従の
性質も
既にそろそろと
退化し始めてゐる。前にも
述べた通り、これ等の
性質は
階級型の
団体生活に
欠くべからざるものとして、
自然淘汰によつて
養成せられたものである。小さな
団体が数多く
並び
存して、
互に
劇しく
生存競争を行うてゐた原始時代には
適する
団体だけが
勝て生き
存り、
適せぬ
団体は負けて
亡び
失せて、
自然の
淘汰が行はれたが、その後
団体が
次第に大きくなるに
従ひ、この事が
段々行はれ
難くなり、
団体が
益々大きく
成つてからは
団体間の
自然淘汰は
全く
止んで
了うた。所が、
自然淘汰が止めば、その時まで
自然淘汰によつて
養成せられ、または
支へられ来つた
性質が
直に
退化し始めることは、生物界に通じた
規則であつて、
飛ぶ
必要のない所に住む鳥の
翼が小さくなつたのも、
真闇な
洞穴内に住む魚の
眼が
消失せたのも
皆その
例に
過ぎぬ。
協力一致の
団体精神や、その
方便たる
絶対服従の
性質も、この
規則に
洩れず、
団体間の
自然淘汰が止んでからは
次第に
退化し来つたが、これ等の
性質が
退化しては、さしも見事な
世襲的の
独裁王国にも
至る所に
破綻の生ずるを
免れなかつた。
団体的精神が
旺盛である間は、王でも、その部下でも、
全く国のためのみを思うて
居る
故、その発する
命令は
総て国の
利益となる事ばかりで、少しも
利己的の分子が
加はらぬ。
然るにこの
精神が
退化すると、国の事などは第二に
置き、先づ自身の
慾を
満たさうと
図り、その
占め来つた有力な
位地を
利用して
人民に
無理なことを
強ひ始める。
人民は長い間の
絶対服従に
慣れて
居る
故、
最初の
中は
無理な
命令にも
柔順に
従うて
居るが、
服従性が
或る
程度まで
退化すると
到底我慢が
出来なくなり、上の者に対して
反抗し始める。
斯くして
司配する
階級と
司配せられたる
階級との間に
戦ひが始まるが、この
戦ひは
団体的精神や
服従性が
退化すればするほど、
劇しく
成るべき
性質のもので、
容易なことでは
調停の
望みがない。また
服従性が
退化すると、物の考へ方が
段々変つて来て、今まで
当然と思うて
居たことが
俄に
不合理に見え始める。
例へば自分の
貧しい
暮しに
比べて上の者が
甚だしい
豪奢を
極めて
居ても、身分が
違ふから
斯くあるべき
筈と思うて今までは
辛棒して
居たのが、
如何にも
馬鹿げた様に見えて来る、
裸にして
比べたら
智慧でも
腕力でも
我の方が
優つて
居るのに、
何故、
彼は遊びながら
斯く
贅沢に
暮し、
我は
何故日々の生活のためにこの様に苦しまねばならぬか。
我々の作つたパンを
食はせ、
我々の
織つた着物を着せて
我々が
養うて
居る
彼等に、
何故我々は
極度の
尊敬を
払うて、その
命令に
服従せねばならぬか。
服従性が
退化すると、
斯様な問題が
頻に
胸に
浮んで来るが、
如何に考へてもその理由が見出されぬから、時の社会
制度を
不条理極まるものと
断定し、これを
覆さねば社会は
進歩せぬと
堅く
信ずる者も出て来る。
人民の心がこの様に
変つて来ては、上の者がこれを
治めて行くことは
頗る
困難と
成らざるを
得ない、
服従性が
盛んであつた
頃にはよく
治まつたのが後に
至つて
治め
難く
成つたのである
故、上の者は
成るべく
人民の考へ方を昔のまゝに
留めさせて
置かうと
努めるが、
服従性の
退化する
原因が
依然として
存する
以上は
此努力も
結局は
無効である。
◇
団体的精神が
退化して国王やその
部下が勝手なことを
為し始めると、
勢ひ国王と
人民との
利害が
衝突し、国の
政治を国王一人に
委せて
置いては何事を仕出かすか分らぬとの
懸念から、
人民は国王に
迫つて、国王と
雖も、これだけの
規則は決して
犯さぬといふ
約束をさせようとする。国王は自分の
権限を
狭められることは
無論好まぬから、
初めは
斯様な申し出を
拒絶するが、
多勢に
無勢で
終に
余儀なくこれを
承諾する。
斯くして
出来たものが
斯様な国の
所謂憲法であるから、
立憲王国なるものは、
憲法も何もなくてよく
治まつた
専制王国から見れば、
団体的精神が
余程退化した後に
初めて
出来たものである。
斯くして
憲法だけは
出来ても、昔からの
階級制度が
其まゝに行はれて
居る間は、
特殊の
利益を
獲て
居る上の
階級と、
不利益の
位地に立つ下の
階級との
争ひは中々
治まらず、上の
階級は
何所までも
従来の
制度を
保存することに
努め、下の
階級は自分に
不利益な
制度は
成るべく
速かにこれを
撤廃しようと
図る。この
争ひは
服従性の
退化と
共に
次第に
激しくなり、
双方ともに全力を
尽して
戦ひ
続けるが、全体から見れば、
特権階級はいふに足らぬほどの少数である
故、
多勢に
無勢で
到底叶はず、一歩一歩
退いて、
終には国王までがその
位を
保つことが
出来ぬ様になつて、天下は一人の天下にあらず、天下は天下の天下なりといふ
状態に立ち
至る。
凡そ
共和国なるものは、
斯様な
筋道を通つて、
出来たものであるから、
全く
服従性の
退化したために生じた
結果である。
さて
共和国になつたら、それで
治まるかといふに、
共和政治を
要求するまでに
服従性の
退化した人間は、それと同時に
団体的精神も
退化して
居る
故、
如何に
制度ばかりを
改めて見ても、
到底完全な
団体生活は
出来ぬ。
団体的精神とは生れながらに
協力一致せずには
居られぬといふ
精神であるが、この
精神が
退化しては、
団体の
各部分の間に
争ひが
絶えず、
勝つて
権力を
握つた
仲間は
得意であるが、他の者等は大に
不平である
故、
折を見てこれを
倒さうと
努める。これは
単に全国の
政権に対してのみではなく、
何れの方面も同様であるから、
団体内は
争ひで
満たされ、
競争に勝つた者が
得と定まれば、
競争は
益々激しくなるが、
斯くては理想
的の
団体生活からは
次第に遠ざかり行くばかりである。
◇
昔からの
特権階級は
革命によつて
倒し
得たとしても、
人類の社会
的生活の
状態が
従来の通りであると、
更に
別方面の
特権階級が
現れて、多数の者はその
奴隷となることを
余儀なくせられる。道具を用ひることは
人類が他の動物と
異なる点であるが、道具が
発達すると
貧富の間に
甚だしい
差が生じ、
貧者は
富者のために
非常に
圧迫せられるに
至る。
団体的精神が
退化して
各個人は
既に
全く
利己的になつて
居るから、
富者は
富の力によつて
更に
富を
増さうと
努め、そのため
富者は
貧者を
極度まで
虐待する。
然るに
貧者の方も
既に大部分は昔の
服従性を
失うて
居る
故、決して
富者の
虐待を
堪へては
居ず、
徒党を組んで
必ずこれに
反抗する。昔の
特権階級が
倒れたのは、多少その
時節が
到来したゝめに
自然に
倒れた
如き
観があるが、
貧富の
争ひでは、中々その様に
簡単には行かず、
貧者が長く
富者を苦しめようと
掛かれば、自分も苦しくて
共倒れとなる
虞がある、されば、この問題を
解決するには、
財産に
関する社会の仕組を
根柢から
造り
換へるの
外はないが、
斯くして見たら、
都合のよい仕組が
出来るか
否かは何とも答へられぬ。
団体的精神を
失うた人間が多数に集まつて
団体生活を
営んで
居るのであるから、仕組だけを
如何に
改めて見ても、
到底完全なものにはならぬ。
幾分かでも
改良が
出来れば、それで
満足するの外はない。今後
如何なる社会
改良策が
講ぜられようとも、
各個人の持つて生れる
協力一致の
団体的精神が
相変らず
退化して行く
以上は、理想
的の
団体生活は
何時まで
経ても
恐らく
実現せられぬであらう。
◇
以上述べた通り
人類の
団体生活の
歴史の中で
最も
完全な
団体生活の行はれて
居たのは
初期の王国時代であつて、それから
追々、
団体的精神と
服従性との
退化により社会の仕組が
次第に
変化して、
終に今日の
共和国までに
成つたのである。
初期の王国時代は原始時代から
絶えず
発達し来つた
団体的精神と
服従性とを受けて、
団体がよく
纏まり、王の
命令に
従うて
国民が
一致して
働いた。その後、
団体的精神や
服従性の
退化したゝめに、
団体の
締りが悪くなり、
所々に
亀裂を生じたので、これを
防ぐために、
道徳や
法律が
初めて
造られた。自由の
叫び声が聞える様になつたのは、それより
遙に後である。
更に王国時代の
末期に近づくと、
新旧思想の
衝突が
激しくなり、国王の部下は全力を
尽して新思想の
撲滅に
努めたが、
服従性の
退化に
基く時代の
変化には
如何とも
抵抗することが
出来ず、
終に
共和国の
出現を見るに
至つたのである。ヨーロツパやアメリカの数多い
共和国は一国
毎にその
歴史は
異なるが、
猿の
群から今日までに
至る長い
経過を一口に
約めていへば
恐らく
以上の
如くであつたらうと考へる。
序にいうて
置くべきは
服従性の
退化に
伴ふて
歴史家自身の頭も
変つて行くことである。
服従性の
盛んな時代には
記録に
遺し
置くべき
価値のある人間はたゞ上に
位する少数の者だけの
如くに感ぜられ、下に
位する多数の人間は有つても
無くても同様に思はれた。それ
故、その
頃の
歴史は
恰も少数の人間の人物
列伝の
如き
体裁のもので、
誰は
何時、
何所で生れて、何を
為て、
何時死んだといふ様なことが
詳しく記してある。
然るに、
服従性が
退化して来ると、
歴史家の物の考へ方も
次第に
変つて来て、上に立つ少数の者だけが人間である
訳ではない、エネルギーの
総量からいへば、下に
位する多数の者の方が何倍多いか分らぬ。されば
歴史研究の
対象は
個々の人物ではなく、
人類の
団体全部の
変遷でなければならぬことに気が
附いて来る。
凡そ
如何なる
事件でも、その生ずるには
必ず生ずべき
原因がある。また
或る
事件の生ずべき
事情が
迫つて来れば、
早晩必ずそれが生ずる、
恰も春が来て
気候が
温かになれば、花が
必ず
咲き、秋が来て
気候が寒くなれば、葉が
必ず落ちるのと同様である、
併し、何月何日から花が
咲き始めるか、何の
枝から葉が落ち始めるかは、
其の時の
事情によつて
無論一様ではない。同じ花でも南国では早く
咲き北国では
晩く
咲く。
垣一重を
隔てた
隣り
同志の庭でも日当りや風通しが
違へば、左の
枝から葉の落ち始める
樹もあり、右の
枝から葉の落ち始める
樹もある。
何れにしても花が
咲くべき時が来れば花が
咲き、葉の落ちるべき時が来れば葉が落ちるのであるから、
斯様な
相違は全体から見れば実に
些細なことである。
人類の
団体生活の
変遷に
於いてもこれと同様で、その
場所々々で
違ふ様な
一個一個の
事件は全部を
見渡すに当つては
左まで
重大視するには
及ばぬ。
例へば王朝を
倒して
共和国を起した
叛軍の
大将が
誰であつたかといふ様なことは
従来の
歴史では
頗る重大な
事項であつたが、
歴史家の頭が
変つて、王朝が
倒れたのは、その
当然倒れるべき時期が
到来したためであると考へる様になると、
叛軍の
大将が何といふ
個人であつたかは、
左程重大な問題ではなくなる。
斯様なことを
詳しく調べて
居るのは、
恰もどの花が何時何分に
咲いたとか、どの
枝から一番先に葉が落ちたとかいふことを
丁寧に調べて、春が来れば花が
咲き、秋が来れば葉が落ちるといふ大きな点を
忘れて
居る様なものである。
或る
事件の生ずべき
原因があり、その生ずべき時期が
迫つて来れば、
甲某が出なければ、
必ず
乙某が出て、
何時か、
何所かでその
事件が起らずには
済まぬ。
斯様な考へを
以て、昔から今日までの
人類の
各団体の
変遷を
見比べ、事物の大小軽重をよく
識別し、
時勢が大きく
変化し行く真の
原因は何であるかを
探り
求めたならば、
歴史の研究は
全く生物学
的の見方と
一致するに
至るであらう。
(大正十三年三月)