猿の群れから共和国まで

丘浅次郎




一 歴史れきしと生物学


 アメリカやヨーロツパには数多くの共和国きょうわこくがある、人類じんるいはじ猿類えんるい共同きょうどう祖先そせんから起つたものとすれば、これ等の共和国きょうわこくも遠い昔までさかのぼればさるむれの様なものであつたにちがひない、それから長い年月の間に次第しだい々々に変遷へんせんしてついに今日の状態じょうたいたつしたのであらう。次にべる所は生物学から見たこの変遷へんせん大略たいりゃくである。
 そもそも国の変遷へんせんを調べることは、従来じゅうらいの学問のけ方にしたがへばまった歴史れきし領分りょうぶんぞくする。したがつて、アメリカやヨーロツパの共和国きょうわこく過去かころんずるのは当然とうぜん歴史家れきしかの仕事であつて、生物学などとは何ら関係かんけいごとくに思うてる人が多い。所が、わたしの考へによれば、これは大きな間違まちがひで、およ人類じんるい団体だんたい変遷へんせんろんずるに当つては、づこれを生物学てき観察かんさつすることが何よりも必要ひつようである。生物学てきに見るとはすなわ人類じんるいを生物の一種いっしゅ見做みなし、その団体だんたい変遷へんせんろんずるに当つてもえず他の動物の団体だんたい比較ひかくしながら考へを進めて行くことである。しかして生物学てきに考へる場合には、従来じゅうらい所謂いわゆる歴史れきし上の事実を一々参考さんこうする必要ひつようは少しもない、たゞ大体の変化へんかだけを承知しょうちしてれば、それでよろしい。わたしが今この文を書きつづるに当つて歴史れきしの書物の一頁いちぺーじをも読まぬのは、実はその必要ひつようみとめないからである。
を見る者は森を見ず」といふことわざが西洋にあるが実際じっさい一本一本の丁寧ていねいに調べてる様なことでは森全体の様子は到底とうてい分らぬ。また「廬山ろざんつては廬山ろざんを見ず」(注:雄大ゆうだいまたは複雑ふくざつすぎて、本来の姿すがたをとらえがたいことのたとえ)などともいうて、自身が山の中につては、その山全体の姿すがた無論むろん見るわけに行かぬ。普通ふつう歴史れきしでは自身が人類じんるい団体だんたいの内にあつて、その一員として団体だんたいを内から見るゆえ、何年の何月何日に何のぼう何所どこで何をしたとかいふ様な細かいことにはよく気がくが、団体だんたいの全部が大きくゆるやかに変遷へんせんして行くことには心附こころづかずにる。その有様ありさまあたかも一本一本のを調べて森全体のことを知らずにるのにひとしい。これに反して生物学てきの見方では、他の動物の団体だんたい生活を背景はいけいとした舞台ぶたいの中央に人類じんるい団体だんたいゑ、自分は遠くはなれた桟敷さじきから見物してる心持ちでながめるゆえ、細かいことは無論むろん何も見えぬが全体としての姿すがたかえつてよく知れる。それは丁度ちょうど少しくへだたつた所から見ると森全体の形がよく知れるのと同じ理窟りくつである。斯様かようくらべて見ると、普通ふつう歴史れきしは目の細かいあみ雑魚ざこすくうてる様なもの、生物学てきの見方はあらい太いあみくじらとらへようとする様なもので、両方とも同じく何物かをようとするのではあるが、あらい細かいに非常ひじょう相違そういがあるから、あらい方を目的もくてきとする場合には細かい方は眼中がんちゅうくにおよばぬ。今わたしがアメリカやヨーロツパの共和国きょうわこく過去かこを生物学てきろんずるに当つて所謂いわゆる歴史れきし上の事実を度外視どがいしするのは、あたか雑魚ざこ鯨網くじらあみの目をおよけるのをかまはずにくのと同じ心持ちである。

二 さるの生活(上)


 先づさるむれの生活状態じょうたいから考へて見よう。一口にさるというても、その中には色々の種類しゅるいがあつて生活の模様もようも決して一様いちようではない、ゴリラや猩々しょうじょう(注:オランウータン)のごとき大きな強いさるは多数に集まつて群体ぐんたいつく必要ひつようもなく、したがつて実際じっさいつくりもせぬが、他の種類しゅるいでは多くは一定数のさるが一団体だんたいとなり、えさを取るにもてきたたかふにもつねに力をあわせて共同きょうどうの生活をいとなんでる、此所ここべるのは斯様かよう団体だんたい生活をいとな普通ふつう猿類えんるいの生活状態じょうたいである。
 猿類えんるい大概たいがい数十ぴきまたは数百ぴきが集まつて一団体だんたいとなり、かく団体だんたいにはかな一疋いっぴき大将たいしょうがあつて、すべての者はみな絶対ぜったいにその命令めいれい服従ふくじゅうしてる、猿類えんるいさんする地方では斯様かよう団体だんたいが数多くならび住んで、あるい他種たしゅの動物の攻撃こうげきふせいだり、あるいは同種類しゅるいの他の団体だんたいたたかふたりして日をくらしてるのである。
 さる団体だんたいを見て第一に気のくのは協力きょうりょく一致いっちのよく行はれてることである。協力きょうりょく一致いっち団体だんたい生活に必要ひつよう条件じょうけんで、これが行はれなければ団体だんたい生活はまったくなり立たぬから、いやしくも団体だんたい生活をいとなむ動物である以上いじょうは、程度ていど協力きょうりょく一致いっちの行はれぬものはない。さる団体だんたいごときも、何十ぴき何百ぴきのものが、ことごとく全団体だんたい共同きょうどう目的もくてきのために力をきょうせてともはたらき、弱い者を助けおさない者をみちびいて、決して自身一己いっこのために我儘わがまま振舞ふるまいをする者はない。とく怪我けがでもした者のある場合には他の者が集まつて非常ひじょうに親切に世話をする。また万一、自身一己いっこ利益りえきのために団体だんたい全部の利益りえき撞着どうちゃく(注:矛盾むじゅん)するやうなことをあえてする者があれば、大将たいしょうきびしくこれをばつしてほとん半殺はんごろしの目に合はせるゆえ、一度でりて決して二度とはせぬ、斯様かよう次第しだいで、ひとつは生れながらの本能ほんのうにより、一は生れた後の訓練くんれんにより協力きょうりょく一致いっちがよく行はれるが、これはてきなる団体だんたいたたかふに当つては何よりの強味つよみである、協力きょうりょく一致いっち性質せいしつが十分に発達はったつした団体だんたいでは身体は百あつても心は一つであるが、この性質せいしつおとつた団体だんたいでは百の身体には百の心があるゆえ相対あいたいしてたたかふ場合にいずれがかちるかは態々わざわざろんずるまでもない。されば猿類えんるいの有するこの性質せいしつは、長い年月の間、団体だんたい間の生存せいぞん競争きょうそうえず行はれた結果けっかとして、自然しぜん淘汰とうたによつて次第しだいきづき上げられたものと思はれる。

二 さるの生活(下)


 次に猿類えんるい団体だんたいいちじるしく目にくのは絶対ぜったい服従ふくじゅう性質せいしつである。これは協力きょうりょく一致いっちの実をげるための手段しゅだんとも見做みなすべきもので、団体だんたいが全部一致いっちしてもっと有効ゆうこうはたらるのは、さる一疋いっぴきごとにこの性質せいしつそなはつてあるにる。前にもべた通り、さるかく団体だんたいにはかな一疋いっぴき大将たいしょうひかへてるが、すべての者が絶対ぜったいかれ命令めいれい服従ふくじゅうすれば、団体だんたいはたらきはいふまでもなく全部一致いっちする。すなわち身体の数はいくつあつても、ことごと大将たいしょう意志いししたがうてその手足の様に動けば、団体だんたいあたかも大きな一疋いっぴきごとくに敏捷しゅんびんに立ちまわることが出来るが、この事は進んでてきめるに当つても、止まつて自身を守るに当つても非常ひじょう有利ゆうりである。各自かくじ服従ふくじゅうすれば団体だんたいの行動が一致いっちし、団体だんたいの行動が一致いっちすればてきなる団体だんたいに対して勝つことが出来る。てきに勝てば自分の団体だんたい利益りえきるが、団体だんたい利益りえきれば、その一員たる自分も利益りえきあずかることになる。斯様かよう次第しだいで、各自かくじ服従ふくじゅうせいそなへることは、結局けっきょく団体だんたい生存せいぞん上、大に有利ゆうりであるゆえ団体だんたい間の生存せいぞん競争きょうそうが長い間引きつづけば、自然しぜん淘汰とうたはたらきによつて、この性質せいしつは一歩一歩発達はったつし行くものと考へねばならぬ。猿類えんるいの今日有する服従ふくじゅうせいおそらくくして生じたものであらう。
 さるかく団体だんたいにはかな一疋いっぴき大将たいしょうがあることはすでに前にべたが、如何いかなる一疋いっぴき大将たいしょうになるかといふに、これは何時いつも全団体だんたいの中できばもっとするどく、うでもっとも強く、もっと経験けいけんみ、もっと戦術せんじつたくみな者にかぎられる。すなわち実力のもっとすぐれた者でなければ大将たいしょうになれぬから、事実、年長のおするにまつてる。しかも万一服従ふくじゅうかえんぜぬ(注:承諾しょうだくしない)者が生じた場合には、きばうでとによつて服従ふくじゅう余儀よぎなくせしめるだけの力がなければ大将たいしょうの役はつとまらぬから、苟且かりそめにも部下の者からかなえの軽重(注:荘王そうおうが、しゅうを軽んじ、周室しゅうしつに伝わる宝器ほうきである九鼎きゅうていの大小・軽重を問うたという「春秋左伝」宣公せんこう三年の故事こじ)を問はれる様では到底とうていその資格しかくはない。さる団体だんたいつね斯様かよう智勇ちゆう兼備けんび精力せいりょく絶倫ぜつりん大将たいしょうを上にいただいてるのであるが、これがまたかれらの団体だんたい生活に取つてはもっと有利ゆうり制度せいどである。昆虫こんちゅうなどの様な本能ほんのうのみによつて万事を行ふ動物では、生れた後の経験けいけんによつて生活の能率のうりつが進むといふことがないから、斯様かような動物が団体だんたい生活をいとなむ場合には、団体だんたい内の各員かくいんことごとく同等のくらいめる。かいこまゆつくるのも蜘蛛くもあみるのも、生れながらの本能ほんのうによつてたくみに行ふのであるから、おしへるとかならふとかいふ必要ひつようは少しもない。それゆえありはち団体だんたいには分業によるはたらきの相違そういはあるが、だれみちびくとかだれしたがふとかいふ様な階級の差別さべつまったく見られぬ。これに反して哺乳類ほにゅうるいなどでは、生れてから後の経験けいけんによつて次第しだいに力がし、生活の能率のうりつが高まつて行くゆえ、その団体だんたいの内には無経験むけいけん若者わかものから経験けいけんんだ年長者までいく通りもの階段かいだんがある。しかして斯様かよう団体だんたいもっとも高い能率のうりつはたらかせるには、団体だんたい中のもっと経験けいけんんだ一疋いっぴき大将たいしょうに定め、すべての者をして絶対ぜったいにその命令めいれい服従ふくじゅうせしめるにかぎる。しも哺乳類ほにゅうるい昆虫こんちゅうるい真似まねをして平等がた団体だんたいつくつたとすれば、各自かくじはその有する経験けいけんだけのはたらきより出来ず、しかも団体だんたい内には何時いつも、はなは経験けいけんとぼしい若者わかものが多数にそんするをまぬがれぬから、団体だんたい能力のうりょく総量そうりょういきおすこぶひくからざるをない。しかるにしも団体だんたい内でもっと経験けいけんんだ一疋いっぴき大将たいしょうあおぎ、すべての者が絶対ぜったいにその命令めいれいしたがふこととすれば、大将たいしょうが長い年月の間に貴重きちょう経験けいけんたん大将たいしょう一疋いっぴき利用りようせられるばかりではなく、全団体だんたい利益りえきのために利用りようせられることになるから、能率のうりつを進める上に、このくらい有効ゆうこうなことはない、されば、生後の経験けいけんによつて各自かくじ戦闘せんとう能力のうりょく次第しだい増進ぞうしんする様な種類しゅるいの動物が団体だんたい生活をいとなむ場合には、団体だんたい内でもっと経験けいけんんだ一疋いっぴき大将たいしょうとしていただ階級かいきゅうがた制度せいど採用さいようするのがもっと得策とくさくであるが、さる団体だんたいでは実際じっさいこの制度せいどが行はれてるのである。
 以上いじょうべた通りさる団体だんたいには協力きょうりょく一致いっち精神せいしん発達はつたつし、服従ふくじゅうせいさかんであつて、一疋いっぴき大将たいしょうを上にいただいて絶対ぜったいにその命令めいれいしたがうてるが、これ等はいづれも団体だんたい間の生存せいぞん競争きょうそうが長い間行はれたために、自然しぜん淘汰とうた結果けっかとして次第しだい次第しだいに生じたことで、今後もおそらく同じ方向に進み行くであらう。

三 原始げんし時代の人類じんるい


 次に原始時代の人類じんるい如何いかなる状態じょうたいにあつたかと考へるに、これは多分猿類えんるい相似あいにたものであつたにちがひない。最早もはや遠い昔にぎ去つたことゆえ直接ちょくせつに調べることは無論むろん出来できぬが、貝塚かいずかからり出した遺物いぶつや、現今げんこん野蛮人やばんじんの生活状態じょうたいからして程度ていどまではさつすことが出来できよう。石斧いしおの土器どきが一ヶ所から沢山たくさんに出る所を見ると、団体だんたい生活をいとなんでゐたことはたしかであるが、また今日の最下等さいかとう野蛮人やばんじん状態じょうたいから考へるとあまり大きな団体だんたいは作らなかつたらしい。先づ普通ふつう猿類えんるい団体だんたいくらいの所であつたらうと思はれる。しかしてかく団体だんたいには一人の酋長しゅうちょうがあつて、無上むじょう権威けんいふるひ、他の者はすべてその命令めいれいふくしてた。このことはさる団体だんたい野蛮人やばんじん蕃社ばんしゃ(注:台湾たいわんの先住民族みんぞく高砂たかさご族)の集落や集団しゅうだんに対する呼称こしょう)に比較ひかくして見ても知れるが、なお理論りろんてきに考へてもくあるべきはずである。すなわ人類じんるいさると同じく、各自かくじ、生後の経験けいけんによつて一歩一歩戦闘せんとう能力のうりょくして行く動物である以上いじょうは、その団体だんたい当然とうぜん階級かいきゅうがたぞくするに定まつてる。されば原始げんし時代の人類じんるい団体だんたい生活は、大体において猿類えんるいたものであると考へて大きな間違ちがひはなからう。
 原始時代の人類じんるい猿類えんるいことなつたもっといちじるしい点は、言語げんごを有することと道具どうぐを用ひることである。これは、その後に人類じんるい猿類えんるいすこぶことなつた生活をする様になつた主な原因げんいんであるが、初期しょきにおいてはあまはなはだしい相違そういを生ずるにはいたらぬ。何故なぜといふに、さるにも種々しゅしゅの鳴き声があつてうれしい時、悲しい時、おこつた時、あやまる時には、それぞれ音声がちがひ、聞く者にその意味が通ずるから、さるにも一種いっしゅ言語げんごがあるといへる。また、さる団体だんたいたたかふときには、みな手頃てごろな石をひらうて投げ合ふから、すでに道具を用ひ始めてるのである。されば原人とさるとの相違そういは、わずか言語げんごや道具の発達はったつ程度ていどに少しのがあるだけにすぎぎなかつたゆえその生活の状態じょうたいも大同小異しょういであつたものと見做みなさねばならぬ。しかして斯様かような生活は随分ずいぶん長くつづいたことであらう。人類じんるいが火を用ひ始めたことは、人類じんるいらしい生活をする発端ほったんであつたが、その以前いぜんに何十万年も斯様かよう状態じょうたいごしたであらう。また、青銅せいどうや鉄などの金属きんぞくを自由に使ふことは文明の端緒たんしょであつたが、それまでにはさらに何万年もかつたであらう。この長い年月の間に原人の団体だんたい生存せいぞんのためにえず競争きょうそうし、てきする団体だんたいは勝つて生きのこり、てきせぬ団体だんたいけてほろせ、自然しぜん淘汰とうた結果けっかとして、協力きょうりょく一致いっち団体だんたい精神せいしんと、一人の酋長しゅうちょうに対する絶対ぜったい服従ふくじゅう性質せいしつとは次第しだい次第しだい発達はったつし来つたことゝ思はれる。
 この時代の酋長しゅうちょう無論むろんさる団体だんたいにおける大将たいしょうと同じく、酋長しゅうちょうたるべき実力を十分にそなへてらねばならぬ。他の者があまんじて酋長しゅうちょう服従ふくじゅうするのは、一は酋長しゅうちょう服従ふくじゅうすることは団体だんたいのために有利ゆうりであり、いては自分のためにも有利ゆうりであることを十分にしんじてるからである。この事は多数の人間が一人をかしらいただき、力をはせて仕事をする場合には何時いつでも必要ひつようなことで、げん漁業ぎょぎょう場で何十人かの漁夫ぎょふ何艘なんそうかの船に乗つて一の仕事に従事じゅうじするときには、かなず一人の親方があつて、すべての者は絶対ぜったいかれ命令めいれい服従ふくじゅうし、親方が懐手ふところでをしながら、あご指図しじすると、わかい者はみなかれの手足のごとくによくはたらく。親方はわかい時からの長年の経験けいけんによつて如何いかにすれば仕事がもっともよく成功せいこうするかを知つてゆえかれ命令めいれいしたがふことはみなの者の利益りえきであり、しも親方が指図しじしてれねば到底とうていそれだけの利益りえきられぬ。原人の酋長しゅうちょうもこれと同じ理窟りくつで、実際じっさい酋長しゅうちょうたるべき実力をそなへたものでなければ酋長しゅうちょうにはれぬ。されば酋長しゅうちょうが死んだ場合には、団体だんたいの内でもっとひいでた者がただちに後をいで酋長しゅうちょうり、たとへ前酋長しゅうちょうの子でもおとうとでも実力がなければ、勿論むろん酋長しゅうちょうとはれず、他の者と同様に新酋長しゅうちょうつかへねばならぬ。
 また一人の酋長しゅうちょうが自身で直接ちょくせつに全部を統轄とうかつする間は団体だんたい制限せいげんえて大きくなることは出来できぬ。これはさる団体だんたいでも同様であるが、団体だんたいあまり大きくなると、指揮者しきしゃ命令めいれいが全部に行きとどかず到底とうてい一人の酋長しゅうちょうでは持ち切れぬ様になる。「大男総身そうしん智恵ちえまわね」といふがあるが、原人の団体だんたいも大きくぎると全部の統一とういつけ、新な酋長しゅうちょう候補者こうほしゃあらわれてたちまち二分するをまぬがれぬ。これはあたかもアメーバが程度ていどまで成長せいちょうすると、次にはかな分裂ぶんれつして二疋にひきになるのと同じである。一つのに住む蜜蜂みつばちの数があまりに多くなると、きゅう女王は働蜂はたらきばちの一部を引きれてからび出しさらに新なつくるが、原人の団体だんたいでも、この様な分封ぶんぽう(注:分かれ)が始終しゅうし行はれたであらう。
 団体だんたいの大きさが一定の制限せいげんえなかつたことゝ、酋長しゅうちょうが実力本位ほんい一代制いちだいせいであつたことは原始時代における人類じんるい団体だんたい生活の特徴とくちょうであつた。

四 団体だんたい発達はったつ


 原人がさることなる点は言語げんごを有すること、道具を用ひることであるが、これあま発達はったつせぬ間は前にべた通り、ほぼ猿類えんるいと同様の生活状態じょうたいに止まつてゐた。しかるに人類じんるい団体だんたい団体だんたいとがたたかふに当つてはいづれも言語げんごと道具とを用ひ、その進んだものほどかち見込みこみが多いから、長い間には両方とも段々だんだん進歩した。しかして、言語げんごや道具が進歩するにしたがひ、人類じんるい団体だんたいさる団体だんたいとの間に次第しだい々々にいちじるしい相異そういあらわはれて来た。
 原人の団体だんたいが一定の大きさ以上いじょうぬのは、一人の酋長しゅうちょうが自身で直接ちょくせつ統御とうぎょる人数に際限さいげんがあるからであつたが、言語げんご発達はったつすると、これによつて自分の意志いしをいひあらわし、他人にこれをとりがせることが出来できる。すなわ酋長しゅうちょうは部下の中から適当てきとうみとめる者をえらび、これに自身の意志いしつたへて命令めいれい取継とりつがしめることが出来できるから、団体だんたいは前よりは数倍大きくなつても、差支さしつかえないことにる。数名の部下の者が手分けしても到底とうてい直接ちょくせつ統御とうぎょし切れぬほどの大きさにたつした場合には、部下の者等はさらにそのまた部下の内から適当てきとうな者をえら命令めいれいつたへしめることが出来できる。斯様かようにして、酋長しゅうちょう命令めいれいを部下がまたその部下に取継とりついでつたへさせることにすれば、団体だんたい如何いかに大きくなつても、一人の命令めいれいが全部にれなくつたはることになる。また道具が発達はったつして通信つうしん運搬うんぱんが前にくらべて容易よういになれば、一人の命令めいれいもと大勢おおぜいの人間を動かす事も困難こんなんでなくなる。昔から衆寡しゅうかてきせず(注:少数では多数にかなわない)といふて、他の条件じょうけんべて同一である場合には、人数の多い団体だんたいの方がかなず人数の少い団体だんたいよりは強いに定まつてゐるから、多くの団体だんたいあい対立してたがい競争きょうそうするさいには、大きさにいても当然とうぜん競争きょうそうまぬがれぬはずであるが、前にもべた通り、原始げんし時代には団体だんたいの大きさに一定の制限せいげんがあるために、この方面の競争きょうそうは決してはげしくはならぬ。しかるに言語げんごと道具とが発達はったつして、この制限せいげんのぞかれた以上いじょうは、かく団体だんたいてきなる団体だんたいに負けぬためには、大きさにおいてもてきおとらぬ様につとめねばならぬ。てき団体だんたいくらべて自分の団体だんたいの人数がはるかおとる様では非常ひじょうに心細いからあらゆる方法ほうほうこうじてわが団体だんたいを大きくせねばならぬが、それには自然しぜん繁殖はんしょくによる人口の増加ぞうかだけでは到底とうてい間に合はず、附近ふきん団体だんたい併呑へいどんしてすみやかに自分の団体だんたいを大きくしようとつとめるにいたる。くして人類じんるい団体だんたいの間には征服せいふく競争きょうそうつづき、その結果けっかとして、団体だんたいの数は次第しだいげんじ、かく団体だんたいの大きさはそれだけして行く。その間には共同きょうどう大敵たいてきを前にひかへたために、二の団体だんたい合意ごういてき聯盟れんめいする事も勿論むろんあらう。団体だんたいの大きさがせば、それにともなうて酋長しゅうちょうくらい次第しだいに上つて、はじ蕃社ばんしゃ頭目とうもくであつたのが、村長、郡主ぐんしゅ大名だいみょうなどに匹敵ひってきする幾多いくた階段かいだんついに王としょうするにいたり、此処ここに王国と名づける大きな団体だんたい出来でき上る。
 団体だんたいが大きくなつて、酋長しゅうちょう直接ちょくせつ命令めいれいを下さぬ様になると、さる団体だんたいにはかつて見られぬ新な事情じじょうが生ずる。はじめは真に実力を有する酋長しゅうちょう命令めいれいを下し、輔佐ほさの者はたんにこれを取りとりぐだけであるが、実際じっさい人民じんみんれるのは輔佐ほさの者だけであるゆえしも実力を有する酋長しゅうちょうから出たと同様の命令めいれいを、輔佐ほさの者が自身の発案はつあんで、酋長しゅうちょうからとしていひわたせば、それでも、充分じゅうぶんおさまつて行く。斯様かよう次第しだいで後にいたつては、直接ちょくせつ人民じんみん指揮しきする者さへ実力をそなへてればよろしい事になり、それより上にくらいして、間接かんせつ命令めいれいを下す階級かいきゅうのものは、かなずしも実力をそなへるにはおよばぬ。長い間に服従ふくじゅうせい充分じゅうぶん発達はったつし来つた人民じんみんは、だんへだてゝ上にくらいする者に対しては、たゞ尊敬そんけいすることを知るだけで、決してこれを評価ひょうかするごと失礼しつれいなことをあえてせぬゆえ、実力の有無うむあまり問題にならぬ。団体だんたいが大きくなつて、司配しはいするがわが多人数になつてからは、治者ちしゃは全体として被治者ひちしゃの全体を統轄とうかつればよいのであるから、かなずしもその一人一人がことごとすぐれた実力をそなへるをようせぬ、とく被治者ひちしゃとは直接ちょくせつれることのない上級の治者ちしゃには、他にまさつた実力を有する必要ひつようはない。団体だんたいの小さかつた時代には厳重げんじゅうに実力本位ほんいであつた酋長しゅうちょうも、団体だんたいが大きくなつた後は、実力の有無うむかかわらずつとまる様になつた。
 言語げんご道具どうぐが進歩して、団体だんたいが大きくなる間に、のうはたらきの副産物ふくさんぶつとして宗教しゅうきょう哲学てつがくが生まれた。宗教しゅうきょう哲学てつがくのことをろんずるのはこの文の主意でないからくわしいことはりゃくするが、言語げんご発達はったつすれば色々のことを考へるやうになり、うたがうてかれば哲学てつがくが生じ、しんじてかれば宗教しゅうきょうが生じた。人間は肉体と霊魂れいこんとからり立ち、肉体は死んでも霊魂れいこん何時いつまでものこるといふ信仰しんこう一般いっぱんひろまると、これにもとづいた風俗ふうぞく習慣しゅうかんが行はれる様になる。たとへば、酋長しゅうちょうが死んでも、その霊魂れいこんが生きのこつて自分の上に立つてゐると思へば、有がたくもあり、またおそろしくもあり、生きてゐる中に命じていたことをし実行せねば如何いかなるたたりにふかも知れぬとの心配から、その子を後継者こうけいしゃとして酋長しゅうちょうあおぐといふ様なことも行はれる。実力本位ほんいの時代には、たとへ酋長しゅうちょうの子でもしゅうひきゐるに足るだけの実力がければ到底とうてい酋長しゅうちょうとなることは出来できぬが、団体だんたいが大きくなり、実力はなくとも酋長しゅうちょうつとまるといふ様な時代になると、酋長しゅうちょう世襲せしゅうてきにすることが可能かのうとなり、其所そこ宗教しゅうきょうてき信仰しんこうくわはると、酋長しゅうちょう世襲せしゅうてきにするといふ制度せいどたしかになる。大きな団体だんたいでは司配しはいするがわの人数だけでも、非常ひじょう大勢おおぜいで、それがあたか雛段ひなだんごとくに最上さいじょうから最下さいかまで沢山たくさん階段かいだんに分れ、最上さいじょうの一人をはじめとして、上のだんほど人数が少く、下のだんほど人数が多い。その中で真に実力本位ほんいとする必要ひつようのあるものはたゞ一部だけであつて、上の部にくらいする者はみな世襲せしゅうてきとしてもつとまるのである。されば酋長しゅうちょう世襲せしゅうてきとなると同じく、部下も次第しだい世襲せしゅうてきとなるが、酋長しゅうちょう出世しゅっせしたものを王と名づけるならば、これ等はすなわ世襲せしゅう貴族きぞくである。かくして、世襲せしゅうの王と、世襲せしゅう貴族きぞくと、世襲せしゅう制度せいどかたじけなさ(注:恐れ多いこと)を御用ごよう宗教しゅうきょうとの三つがそろうた完全かんぜんな王国が出来でき上つた。

五 世襲せしゅう王国と団体だんたいてき精神せいしん


 以上いじょうごと世襲せしゅうてきの王国は、人類じんるい団体だんたいが大きくなれば自然しぜん出来でき上るべき性質せいしつのもので、階級かいきゅうがた団体だんたい生活の形式としてはこれより以上いじょうのものは有りない。原始時代から長い間の自然しぜん淘汰とうたによつて次第しだい々々に養成ようせいせられ来たつた団体だんたいてき精神せいしん絶対ぜったい服従ふくじゅうせいとがそのまゝつづくものとすれば、世襲せしゅう王国では実に理想りそう通りの団体だんたい生活が行はれる、団体だんたいてき精神せいしんとは何事なにごとにも団体だんたい全部の利害りがいを第一に考へ、自分一身のことなどは少しもかえりみぬといふ精神せいしんであるが、この精神せいしん旺盛おうせいであれば、上にくらいする者の発する命令めいれい何時いつも国の利益りえきになることのみであるから、下の者がこれに対してすこし不服ふふくを感ずるわけもない。また絶対ぜったい服従ふくじゅう性質せいしつだれにもそなはつてあれば、全国の者が王一人の意志いししたがうて動作するから、少しも統一とういつける所がなく、一国があたかも一人のごとくにはたらける。これは平時にも戦争せんそうおりにも非常ひじょう有利ゆうりなことである。全国が司配しはいする者と司配しはいせられる者との二層にそうに分れ、司配しはいする者の中には最上さいじょうの王から最下さいかの小役人まで雛段ひなだんごとくに数多くの階級かいきゅうがあり、かく階級かいきゅうの者は、その上の級の者には絶対ぜったい服従ふくじゅうし、下の級の者からは絶対ぜったい服従ふくじゅうせられると定まつてをれば、何所どこにも矛盾むじゅん衝突しょうとつの生ずる気遣きづかひがなく、団体だんたい生活としては実に模範もはんてきのものといはねばならぬ。
 斯様かような王国では王の命令めいれいしたがふことはすなわち国の利益りえきのためにはたらくことに当るゆえ、王に忠義ちゅうぎつくす事と国をあいすることとは同一である。王のために命をてることはすなわち国のために命をてることを意味する。すべての階級かいきゅう世襲せしゅうてきであるから、家といふものが非常ひじょうに重く見られ、何よりも系図けいず大切たいせつで、かく個人こじんはその当人の有する技量ぎりょうよりも、如何いかなる先祖せんぞからつたかによつてあたいけられる。社会の全部が階級かいきゅうてきに仕組まれ、王をのぞいては、何の階級かいきゅうにも、これに命令めいれいを下すべき上の階級かいきゅうがあるから、生活とはすなわち上の命令めいれいしたがふことと心得こころえて、王のい国が有らうなどとはゆめにも想像そうぞうせぬ。だれにも身分が定まつてあり、一つのぼれば非常ひじょうよろこぶから、階級かいきゅうを進めることは一等の賞与しょうよであり、階級かいきゅうの高いことは何よりの名誉めいよである。階級かいきゅうしめすための肩書かたがきもっとも大切であつて、人のあたいまった肩書かたがきによつて定まる。しかしてだれもが肩書かたがきとうとめば、肩書かたがきをるために人人が一生懸命けんめいはたらくから結局けっきょくは、国が進歩することになる。
 また斯様かような王国では何事でも王の意志いしによつて出来できるから、しも王が学問や芸術げいじゅつ奨励しょうれいすれば、これのものはいちじるしく進歩しんぽする。大学をつくるとか学士院がくしいんもうけるとかして王が保護ほごすれば学者はくらしにはれることなく、もっぱら学問に従事じゅうじすることが出来できるから、学問は無論むろん進歩しんぽする、芸術げいじゅつの方もこれと同様で、王の御抱おかかへとなれば、食ふ方の心配なしに立派りっぱな作品をせいすることが出来できる。宗教しゅうきょうも国教として王の保護ほごを受ければ大にさかんになつて、一人の不信者ふしんしゃもない状態じょうたいに立ちいたるであらう。階級かいきゅうせいの世の中では学者でも芸術家げいじゅつかでも僧侶そうりょでも無論むろん多くの階級かいきゅうがあり、王からもらうたそれぞれの肩書かたがききによつて世間からはそれぞれ尊敬そんけいせられる。一言でいへば、独裁どくさいの王国は団体だんたい生活の形式としては実に立派りっぱなものであつて、それが長くつづけば、燦爛さんらんたる文明を生ずべき可能かのうせいそなへてる。ただしこれは、団体だんたいてき精神せいしん絶対ぜったい服従ふくじゅう性質せいしつ何時いつまでも継続けいぞくするものと仮定かていした上のことである。
 しからば実際じっさいにおいては如何いかといふに、立派りっぱな王国が出来できころには団体だんたいてき精神せいしん絶対ぜったい服従ふくじゅう性質せいしつすでにそろそろと退化たいかし始めてゐる。前にもべた通り、これ等の性質せいしつ階級かいきゅうがた団体だんたい生活にくべからざるものとして、自然しぜん淘汰とうたによつて養成ようせいせられたものである。小さな団体だんたいが数多くならそんして、たがいはげしく生存せいぞん競争きょうそうを行うてゐた原始時代にはてきする団体だんたいだけがかつて生きり、てきせぬ団体だんたいは負けてほろせて、自然しぜん淘汰とうたが行はれたが、その後団体だんたい次第しだいに大きくなるにしたがひ、この事が段々だんだん行はれがたくなり、団体だんたい益々ますます大きくつてからは団体だんたい間の自然しぜん淘汰とうたまったんでしまうた。所が、自然しぜん淘汰とうたが止めば、その時まで自然しぜん淘汰とうたによつて養成ようせいせられ、またはささへられ来つた性質せいしつただち退化たいかし始めることは、生物界に通じた規則きそくであつて、必要ひつようのない所に住む鳥のつばさが小さくなつたのも、真闇まつくら洞穴どうけつ内に住む魚の消失しょうしつせたのもみなそのれいぎぬ。協力きょうりょく一致いっち団体だんたい精神せいしんや、その方便ほうべんたる絶対ぜったい服従ふくじゅう性質せいしつも、この規則きそくれず、団体だんたい間の自然しぜん淘汰とうたが止んでからは次第しだい退化たいかし来つたが、これ等の性質せいしつ退化たいかしては、さしも見事な世襲せしゅうてき独裁どくさい王国にもいたる所に破綻はたんの生ずるをまぬがれなかつた。

六 服従ふくじゅうせい退化たいか


 団体だんたいてき精神せいしん旺盛おうせいである間は、王でも、その部下でも、まったく国のためのみを思うてゆえ、その発する命令めいれいすべて国の利益りえきとなる事ばかりで、少しも利己りこてきの分子がくわはらぬ。しかるにこの精神せいしん退化たいかすると、国の事などは第二にき、先づ自身のよくたさうとはかり、そのめ来つた有力な位地ちい利用りようして人民じんみん無理むりなことをひ始める。人民じんみんは長い間の絶対ぜったい服従ふくじゅうれてゆえ最初さいしょうち無理むり命令めいれいにも柔順じゅうじゅんしたがうてるが、服従ふくじゅうせい程度ていどまで退化たいかすると到底とうてい我慢がまん出来できなくなり、上の者に対して反抗はんこうし始める。くして司配しはいする階級かいきゅう司配しはいせられたる階級かいきゅうとの間にたたかひが始まるが、このたたかひは団体だんたいてき精神せいしん服従ふくじゅうせい退化たいかすればするほど、はげしくるべき性質せいしつのもので、容易よういなことでは調停ちょうていのぞみがない。また服従ふくじゅうせい退化たいかすると、物の考へ方が段々だんだんかわつて来て、今まで当然とうぜんと思うてたことがにわか不合理ふごうりに見え始める。たとへば自分のまずしいくらしにくらべて上の者がはなはだしい豪奢ごうしゃきわめてても、身分がちがふからくあるべきはずと思うて今までは辛棒しんぼうしてたのが、如何いかにも馬鹿ばかげた様に見えて来る、はだかにしてくらべたら智慧ちえでも腕力わんりょくでもわれの方がまさつてるのに、何故なぜかれは遊びながら贅沢ぜいたくくらし、われ何故なぜ日々の生活のためにこの様に苦しまねばならぬか。我々われわれの作つたパンをはせ、我々われわれつた着物を着せて我々われわれやしなうて彼等かれらに、何故なぜ我々われわれ極度きょくど尊敬そんけいはらうて、その命令めいれい服従ふくじゅうせねばならぬか。服従ふくじゅうせい退化たいかすると、斯様かような問題がしきりむねうかんで来るが、如何いかに考へてもその理由が見出されぬから、時の社会制度せいど不条理ふじょうりきわまるものと断定だんていし、これをくつがえさねば社会は進歩しんぽせぬとかたしんずる者も出て来る。人民じんみんの心がこの様にかわつて来ては、上の者がこれをおさめて行くことはすこぶ困難こんなんらざるをない、服従ふくじゅうせいさかんであつたころにはよくおさまつたのが後にいたつておさがたつたのであるゆえ、上の者はるべく人民じんみんの考へ方を昔のまゝにとどめさせてかうとつとめるが、服従ふくじゅうせい退化たいかする原因げんいん依然いぜんとしてそんする以上いじょうこの努力どりょく結局けっきょく無効むこうである。
 団体だんたいてき精神せいしん退化たいかして国王やその部下ぶかが勝手なことをし始めると、いきおひ国王と人民じんみんとの利害りがい衝突しょうとつし、国の政治せいじを国王一人にまかせていては何事を仕出かすか分らぬとの懸念けねんから、人民じんみんは国王にせまつて、国王といえども、これだけの規則きそくは決しておかさぬといふ約束やくそくをさせようとする。国王は自分の権限けんげんせばめられることは無論むろんこのまぬから、はじめは斯様かような申し出を拒絶きょぜつするが、多勢たぜい無勢ぶぜいつい余儀よぎなくこれを承諾しょうだくする。くして出来できたものが斯様かような国の所謂いわゆる憲法けんぽうであるから、立憲りっけん王国なるものは、憲法けんぽうも何もなくてよくおさまつた専制せんせい王国から見れば、団体だんたいてき精神せいしん余程よほど退化たいかした後にはじめて出来できたものである。くして憲法けんぽうだけは出来できても、昔からの階級かいきゅう制度せいどそのまゝに行はれてる間は、特殊とくしゅ利益りえきる上の階級かいきゅうと、不利益りえき位地いちに立つ下の階級かいきゅうとのあらそひは中々おさまらず、上の階級かいきゅう何所どこまでも従来じゅうらい制度せいど保存ほぞんすることにつとめ、下の階級かいきゅうは自分に不利益ふりえき制度せいどるべくすみやかにこれを撤廃てっぱいしようとはかる。このあらそひは服従ふくじゅうせい退化たいかとも次第しだいはげしくなり、双方そうほうともに全力をつくしてたたかつづけるが、全体から見れば、特権とっけん階級かいきゅうはいふに足らぬほどの少数であるゆえ多勢たぜい無勢ぶぜい到底とうていかなはず、一歩一歩退しりぞいて、ついには国王までがそのくらいたもつことが出来できぬ様になつて、天下は一人の天下にあらず、天下は天下の天下なりといふ状態じょうたいに立ちいたる。およ共和国きょうわこくなるものは、斯様かよう筋道みちすじを通つて、出来できたものであるから、まった服従ふくじゅうせい退化たいかしたために生じた結果けっかである。

七 共和国きょうわこく出現しゅつげん


 さて共和国きょうわこくになつたら、それでおさまるかといふに、共和きょうわ政治せいじ要求ようきゅうするまでに服従ふくじゅうせい退化たいかした人間は、それと同時に団体だんたいてき精神せいしん退化たいかしてゆえ如何いか制度せいどばかりをあらためて見ても、到底とうてい完全かんぜん団体だんたい生活は出来できぬ。団体だんたいてき精神せいしんとは生れながらに協力きょうりょく一致いっちせずにはられぬといふ精神せいしんであるが、この精神せいしん退化たいかしては、団体だんたいかく部分の間にあらそひがえず、つて権力けんりょくにぎつた仲間なかま得意とくいであるが、他の者等は大に不平ふへいであるゆえおりを見てこれをたおさうとつとめる。これはたんに全国の政権せいけんに対してのみではなく、いづれの方面も同様であるから、団体だんたい内はあらそひでたされ、競争きょうそうに勝つた者がとくと定まれば、競争きょうそう益々ますますはげしくなるが、くては理想てき団体だんたい生活からは次第しだいに遠ざかり行くばかりである。
 昔からの特権とっけん階級かいきゅう革命かくめいによつてたおたとしても、人類じんるいの社会てき生活の状態じょうたい従来じゅうらいの通りであると、さらべつ方面の特権とっけん階級かいきゅうあらわれて、多数の者はその奴隷どれいとなることを余儀よぎなくせられる。道具を用ひることは人類じんるいが他の動物とことなる点であるが、道具が発達はったつすると貧富ひんぷの間にはなはだしいが生じ、貧者ひんしゃ富者ふしゃのために非常ひじょう圧迫あっぱくせられるにいたる。団体だんたいてき精神せいしん退化たいかしてかく個人こじんすでまった利己りこてきになつてるから、富者ふしゃとみの力によつてさらとみさうとつとめ、そのため富者ふしゃ貧者ひんしゃ極度きょくどまで虐待ぎゃくたいする。しかるに貧者ひんしゃの方もすでに大部分は昔の服従ふくじゅうせいうしなうてゆえ、決して富者ふしゃ虐待ぎゃくたいへてはず、徒党ととうを組んでかなずこれに反抗はんこうする。昔の特権とっけん階級かいきゅうたおれたのは、多少その時節じせつ到来とうらいしたゝめに自然しぜんたおれたごとかんがあるが、貧富ひんぷあらそひでは、中々その様に簡単かんたんには行かず、貧者ひんしゃが長く富者ふしゃを苦しめようとかれば、自分も苦しくて共倒ともだおれとなるおそれがある、されば、この問題を解決かいけつするには、財産ざいさんかんする社会の仕組を根柢こんていからつくへるのほかはないが、くして見たら、都合つごうのよい仕組が出来できるかいなかは何とも答へられぬ。団体だんたいてき精神せいしんうしなうた人間が多数に集まつて団体だんたい生活をいとなんでるのであるから、仕組だけを如何いかあらためて見ても、到底とうてい完全かんぜんなものにはならぬ。幾分いくぶんかでも改良かいりょう出来できれば、それで満足まんぞくするの外はない。今後如何いかなる社会改良かいりょうさくこうぜられようとも、かく個人こじんの持つて生れる協力きょうりょく一致いっち団体だんたいてき精神せいしんあいかわらず退化たいかして行く以上いじょうは、理想てき団体だんたい生活は何時いつまでたつてもおそらく実現じつげんせられぬであらう。
 以上いじょうべた通り人類じんるい団体だんたい生活の歴史れきしの中でもっと完全かんぜん団体だんたい生活の行はれてたのは初期しょきの王国時代であつて、それから追々おいおい団体だんたいてき精神せいしん服従ふくじゅうせいとの退化たいかにより社会の仕組が次第しだい変化へんかして、ついに今日の共和国きょうわこくまでにつたのである。初期しょきの王国時代は原始時代からえず発達はったつし来つた団体だんたいてき精神せいしん服従ふくじゅうせいとを受けて、団体だんたいがよくまとまり、王の命令めいれいしたがうて国民こくみん一致いっちしてはたらいた。その後、団体だんたいてき精神せいしん服従ふくじゅうせい退化たいかしたゝめに、団体だんたいしまりが悪くなり、所々ところどころ亀裂きれつを生じたので、これをふせぐために、道徳どうとく法律ほうりつはじめてつくられた。自由のさけび声が聞える様になつたのは、それよりはるかに後である。さらに王国時代の末期まっきに近づくと、新旧しんきゅう思想の衝突しょうとつはげしくなり、国王の部下は全力をつくして新思想の撲滅ぼくめつつとめたが、服従ふくじゅうせい退化たいかもとづく時代の変化へんかには如何いかんとも抵抗ていこうすることが出来できず、つい共和国きょうわこく出現しゅつげんを見るにいたつたのである。ヨーロツパやアメリカの数多い共和国きょうわこくは一国ごとにその歴史れきしことなるが、さるむれから今日までにいたる長い経過けいかを一口につづめていへばおそらく以上いじょうごとくであつたらうと考へる。

八 歴史れきしと生物学てきの見方との一致いっち


 ついでにいうてくべきは服従ふくじゅうせい退化たいかともなふて歴史家れきしか自身の頭もかわつて行くことである。服従ふくじゅうせいさかんな時代には記録きろくのこくべき価値かちのある人間はたゞ上にくらいする少数の者だけのごとくに感ぜられ、下にくらいする多数の人間は有つてもくても同様に思はれた。それゆえ、そのころ歴史れきしあたかも少数の人間の人物列伝れつでんごと体裁ていさいのもので、だれ何時いつ何所どこで生れて、何をなして、何時いつ死んだといふ様なことがくわしく記してある。しかるに、服従ふくじゅうせい退化たいかして来ると、歴史家れきしかの物の考へ方も次第しだいかわつて来て、上に立つ少数の者だけが人間であるわけではない、エネルギーの総量そうりょうからいへば、下にくらいする多数の者の方が何倍多いか分らぬ。されば歴史れきし研究の対象たいしょう個々ここの人物ではなく、人類じんるい団体だんたい全部の変遷へんせんでなければならぬことに気がいて来る。およ如何いかなる事件じけんでも、その生ずるにはかなず生ずべき原因げんいんがある。また事件じけんの生ずべき事情じじょうせまつて来れば、早晩そうばんかなずそれが生ずる、あたかも春が来て気候きこうあたたかになれば、花がかなき、秋が来て気候きこうが寒くなれば、葉がかなず落ちるのと同様である、しかし、何月何日から花がき始めるか、何のえだから葉が落ち始めるかは、の時の事情じじょうによつて無論むろん一様いちようではない。同じ花でも南国では早くき北国ではおそく。かき一重ひとえへだてたとなり同志どうしの庭でも日当りや風通しがちがへば、左のえだから葉の落ち始めるもあり、右のえだから葉の落ち始めるもある。いづれにしても花がくべき時が来れば花がき、葉の落ちるべき時が来れば葉が落ちるのであるから、斯様かよう相違そういは全体から見れば実に些細ささいなことである。人類じんるい団体だんたい生活の変遷へんせんいてもこれと同様で、その場所ばしょ々々でちがふ様な一個いっこ一個の事件じけんは全部を見渡みわたすに当つてはまで重大視じゅうだいしするにはおよばぬ。たとへば王朝をたおして共和国きょうわこくを起した叛軍はんぐん大将たいしょうだれであつたかといふ様なことは従来じゅうらい歴史れきしではすこぶる重大な事項じこうであつたが、歴史れきし家の頭がかわつて、王朝がたおれたのは、その当然とうぜんたおれるべき時期が到来とうらいしたためであると考へる様になると、叛軍はんぐん大将たいしょうが何といふ個人こじんであつたかは、左程さほど重大な問題ではなくなる。斯様かようなことをくわしく調べてるのは、あたかもどの花が何時何分にいたとか、どのえだから一番先に葉が落ちたとかいふことを丁寧ていねいに調べて、春が来れば花がき、秋が来れば葉が落ちるといふ大きな点をわすれてる様なものである。事件じけんの生ずべき原因げんいんがあり、その生ずべき時期がせまつて来れば、甲某こうぼうが出なければ、かな乙某おつぼうが出て、何時いつか、何所どこかでその事件じけんが起らずにはまぬ。斯様かような考へをもつて、昔から今日までの人類じんるいかく団体だんたい変遷へんせん見比みくらべ、事物の大小軽重をよく識別しきべつし、時勢じせいが大きく変化へんかし行く真の原因げんいんは何であるかをさぐもとめたならば、歴史れきしの研究はまったく生物学てきの見方と一致いっちするにいたるであらう。
(大正十三年三月)




底本:「近代日本思想大系 9 丘浅次郎集」筑摩書房
   1974(昭和49)年9月20日 初版第1刷発行
入力:矢野重藤
初出:猿の群れから共和国まで
   1924(大正13)年4月 「大阪毎日新聞」
校正:
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