進化論といふ文字は
近頃では書物や
雑誌でも
屡読み、
又談話でも
屡聞く所であるが、さて
進化論とは何のことであるかと
尋ねると、
之を
説く人々によつて往々考も
違ふ様で、同じく進化論を
主張する人でありながら、
或る点に
就いては
互に
議論を
異にすることもあり、
又多数の人々の中には自分で
是が
進化論であると思ふものを
勝手に定めて
頻に
之を
主張したり
或は
之を
攻撃したりして
居る者もある様に見える。それ
故、進化論の大意を
述べるに当つては、先づ
是非とも進化論とは
如何なるものであるか、
如何なる点までは進化論者の
説が
悉く
一致して
居るか、
又如何なる点に
就いて進化論者は今日
尚議論を
戦はして
居るかを
最初に
確めて、進化論の
意義を
明にして
置くことが
必要である。
世間には
進化論を聞きかぢり、
普通の
猿が
進歩して人間になつたといふ説であると
早呑込みをして、
喋々其の
謬にして
信ずるに足らぬことを
弁ずる人も
沢山あるが、進化論は決して
左様なことを
主張するものではない。
又、
先達て
或る新聞の
漫録に
菊は
培養に
随つて
幾らでも
変形が出来るが、
幾ら変形しても
菊は
矢張り
菊であつて、
決して
牡丹にも
瞿麦にもならぬ。して見ると
進化論とやらいふ
喧しい
議論も
一向当てにはならぬと書いてあつたが、
是も前のと全く同様な
間違ひで、
菊が
変じて
牡丹や
瞿麦にならぬというても、決して
是が進化論の反対の
証拠となるものではない。
然らば進化論とは
如何なるものであるかといふに、一言でいへば、
進化論とは、動物・植物ともに何の
種類でも長い年月の間には
次第に
変化するものである。
而して
如何なる点が
如何なる方向に向つて変化するかは、
其時々の
事情で定まることで、
最初より
確定しては
居ないから、たとひ同一の
先祖から
生じた
子孫でも長い間
相異なつた方面に向つて
変化すれば、
次第々々に
相遠ざかり、
終には全く
相異なつた
数種に分れて
仕舞ふものであるといふ
説に
過ぎぬ。
是だけは生物界に
実際現れて
居る事実であるから、
凡そ生物学を
修めた人ならば、
唯も
皆真実と
認めざるを
得ぬことで、
之に
就いて反対の考を持つて
居る生物学者は
最早一人もない。今日学者等の
頻に
議論を
戦はして
居る所は、
総べて
之より
尚数歩も進んだ先の
仮説上又は
理論上のことばかりに
就いてである。
併し、
進化論は事実として
述べる所は右だけであるが、生物学上の
一個々々の事実を多く集め、
之より
帰納して
上述の
如き生物界全部に通ずる広き事実に
達するだけでは、
未だ十分に
満足は出来ない。
必ず
此事実の起る
原因・
法則を考へ出して、
之を
説明することを
試みねばならぬ。西洋にも「物の
原因を知り
得る人は
幸なり」といふ
諺が昔からあるが、
我々人間には物の原因が知りたいといふ
慾が、生れながら
備はつてあるから、
唯或る事実の
存在を
証明しただけでは
此慾が
承知しない。
必ず
何故に
其事実が起るかといふ
原因を研究せずには
居られぬ。今日
世人がダーウィンといへば
進化論のことを思ひ、進化論といへばダーウィンの
説であると考へるに
至つたのは、全くダーウィンが生物進化の事実を
証明して進化論の
基を定めると同時に、
其事実に対する
適当な
説明を
与へ、
其の起る
原因を
示して、大に
此慾を
満足せしめ
得たからである。
されば生物の進化を論ずるに当つては、進化の事実と
其原因・理由等を
説明する
理論とを十分に
区別して
置かねばならぬ。進化の事実といふのは前にも
述べた通り、生物の
各種類は長い年月の間には
次第に
変化すること、
及び
初め
一種の生物より起つた
子孫も長い年月の間には次第に
数種に分れ
得ることであるが、
此等は
孰れも生物界に
現れた
実際の事実から
帰納して
論じたことであるから、
唯広く通ずる事実とでもいふべきものであつて、決して人間が勝手に思ひ
付いた
理論ではない。それ
故此等の事実は多少生物界の事実を知つて
居る人は
唯も
疑ふことの出来ぬ性質のもので、
之を
疑ひ
又は
之を
無いと思ふ人のあるのは、全く生物界の事実が広く世間に知られて
居らぬからである。
若し生物界の
現象に
関する
知識が
世間一般に
普及したならば、生物進化の事実を
疑ふ人は
無論一人も
無くなつて
仕舞ふ。
之に反して進化の事実を
説明する
理論の方は
素より人間が
僅に一部を研究した
結果、考へ出したことであるから、
未だ
不十分の点は
幾らもあり、
尚研究の進むに
随ひ、
増補せられ
改正せられることも
屡あるべき
筈のもので、決して
既に
完結したものでもなければ
又全部動かすべからざる
程に
確定したものでもない。
寧ろ
未だ
僅に
基礎が
置かれただけのものといつて
宜しからう。
然るに世間では進化の事実も、
之を説明する
理論も、一所に
混じて
仕舞うて、進化の事実までも
或る
一派の人々の思ひ
付いた
空論であるかの
如くに考へて
居る人も少くない様であるが、
是は
勿論大きな
間違ひといはねばならぬ。
畢竟我国では昔から
自然界の実物を
観察し研究することが
余り行はれず、研究といへば
唯書物を読み、文字を
解することに
止まり、
論とか
説とかいへば、
皆机に向うて
案じ出した
空論ばかりであつたから、
世人も
習慣上、
論とか
説とかいへば、
総べて
斯様なものであると考へるに
至つたので、
我国従来の学問の仕方から考へて見ると、
進化論といふ表題を見て、
矢張り
孟子の
性善説とか
仏教の
原人論とかいふものと同じ様な、
単に
或る人の考へ出したものかと
世人の思ふのも決して
無理ではないが、本書に
於て今より
説かうとする進化論の
如きは、決して
斯様なものではなく、
其大部分は
唯実際の事実を
其まゝに
記述するに
過ぎぬ。
此事は
特に
初めより読者に
断つて
置かねばならぬことである。
凡そ事実と名づくるものは
二種の
別がある。一は
直接に目で見え、
特に
証明するにも
及ばぬもので、他の一は
直接には見えぬが、目前の事実を集め、
之より
理を
推して考へると
是非とも
斯様でなければならぬと思はれるもの、
即ち
間接に知り
得べきものである。
一例を
挙げて見るにゴム
球の
円いことは
誰も
直接に目で見える事実であるが、
之に反して
地球の円いといふことは目前に
現れた
種々の事実を考へた後に
間接に知り
得べき事実である。
我々は地球の表面を
離れることが出来ず、
随つてゴム球を見る
如くに地球の円いことを
一目に見ることは出来ぬが、地球の円いといふことは、今日の
開化した人間から見れば
最早少しも
疑ふべからざる事実であつて、
之を
疑ふのは
唯知識の足らぬ
未開の人間ばかりである。未開の人間は地球に
関する
知識の
範囲が
極めて
狭く、
僅に自分の住所の
近辺だけより知らぬ
故、
大抵世界は
何処まで行つても
際限のない
平坦なものと思ひ、
中々其の
球形なることなどには考へ
及ばない。
然るに
人智が進んで
陸には鉄道を
敷き、海には汽船を
通はせる様になると、
唯地球の円いことを
確に知るのみならず、地球を
余り大きく感ぜぬ様になる。生物学に
於ても全く
之と
同然で、
或る事実は
直接に見えるが、
又或る事実は目前の事実より
推し考へて、始めて
間接に知ることが出来る。
直接に目を
以て見ることの出来るのは
唯短い時間に
狭い場所の中で起る
現象だけであるが、
到底一目に
見渡し切れぬ
程の広さに
亘る事実
又は
到底一生涯の間に
経験し切れぬ
程の長時間に起る
現象等と
雖も、
知識の進むに
随ひ、
殆ど直接に見ると同様に
確に
之を知ることが出来る。進化論で
述べる所の生物進化の事実の
如きは
略此類に
属するもので、生物界に
関する
知識の足らぬ間は
素より
之に気も
附かず、
又了解も出来ぬが、今日生物学上の
現象を一通り知つて
居る人から見れば、地球の
円いといふことと同じく、
最早少しも
疑ふことの出来ぬ
性質のものである。
斯様に学問上
確定したことでありながら、今日に
至つても
尚此事実が世に十分に
認められるに
至らぬのは
唯生物に
関する
普通の
知識が
世上に広まつて居ないのに
基づくこと
故、本書には主として生物進化の
証拠ともいふべき事実を、生物学の
各方面から
幾つづつか
選み出して
順次に
之を
記載する
積りである。
然しながら、こゝに
既に
確定した事実と言つたのは、
唯生物は
次第々々に進化して今日の
姿に
達したものであるといふ
極めて
大体のことだけであつて、
其詳細に
至つては
未だ中々十分には
解らぬ。
例へば
一個の生物を取つて、
其生物は
如何に進化して今日の有様に
達したものであるかと
尋ねると、
確に答へられる場合は
甚だ少い。
現今尚生物学者が
互に
説を
異にして
居るのは、
斯かる
詳細の点に
就いてである。前に
例に引いた地球のことに
比べて言つて見れば、地球の円いといふことは
最早疑ふべからざる事実であるが、
実際地球の表面には山もあり海もあつて、決して、
幾何学でいふ様な真の球形ではない。
未だ高さの十分に
測定してない山や、深さの
精密に知れて居ない海は
到る
処に
沢山ある。生物学の方も全く
之と同様で、生物の進化し来つた事実は
最早疑ふことは出来ぬが、
蚤は
如何なる
先祖から
如何に進化して出来たものであるか、
蚊は
如何なる
先祖から
如何に進化して出来るものであるかと
詳しく
尋ねると、
未だ
解らぬことが
頗る多い。
併し山や海の
測量が
悉く出来上らなくとも地球の円いことが
明瞭に知られる
如く、
蚊や
蚤の進化の
経路が細かく
解らなくても生物が
総べて進化し来つたものであることは、今日
既に
断言することが出来る。
今日、進化論者が
尚互に
相争うて
居る所は、
総べて
斯様な
稍詳細なことばかりで、
何れに
決着しても決して生物進化の大事実を左右する様な
影響を
及ぼすものではない。
然るに世の中には
進化論者が今日
尚或る点に
就いて
議論を
戦はして居るのを見て、
進化論の根本たる生物進化の事実までが
未だ
疑問中のものであるかの
如くに考へて居る人もあるが、
是は全く
誤解に
基づくことと
謂はなければならぬ。
前に
述べた通り、生物進化の事実は多少生物学を
修めた者より見れば
最早決して
疑ふべからざるものであるが、生物進化の
起るは
如何なる理由によるかと
其原因を
尋ねると、
之に対する
説明は
未だ決して十分なものとは言はれぬ。生物進化の理由を説明しやうと
試みた人はダーウィン以前にも多少
無いこともなく、ダーウィン以後には
随分多数にあつたが、
其の
説く所は
孰れも
或る一部の事実には
適するが
到底生物進化の全部を
説明するには足らない。それ
故、今日と
雖も、多数の学者は
此不足を
補はんがため、
各或る
仮説を考へ出して、進化の理由を説明せんと
試みて居るが、一方の事実が
善く説明が出来るかと思へば、他の方で
差支へが出来たりして、中々
満足に行かず、
甲の
論者が
或る
仮説を
提出すれば、
乙の論者は
其説の
不都合なる点を
挙げて、
相弁じ、
相駁して、
何時形付くやら
解らぬ有様である。今日進化論者の
相争うて
居る問題は一部は
此の
如き理論的のものであるが、
是も
如何に決着したとて一向生物進化の事実を左右する様な
結果を生ずることはない。
恰も
何故地球が円いかといふ問題に対して学者間に
如何に
争があらうとも、地球の円いといふ事実には少しも
影響を
及ぼさぬと同じことで、
唯適当な説の出るまでは生物進化の理由が十分に
解らぬと言ふまでである。
斯くの
如く生物進化の理由を説明するために、今まで人の考へ出した
仮説は
種々あるが、今日の所、
最も
簡単で、最も多数の事実を
明瞭に
説明し、
且差支への生ずる場合の最も少いのは、言ふまでもなく
矢張りダーウィンの自然
淘汰の説であるから、本書に
於ては
理論の部は一切ダーウィンの考に
拠つて
述べる
積りである。
尤も
此説ばかりで生物進化の
総べての事実を説明することが出来るか
否かは当時学者の
議論して居る問題で、
著者なども
自然淘汰を
以て生物進化の
唯一の
原因とは決して
認めぬが、本書に
於ては
寧ろ進化の事実の方を主とする
積り
故、
斯かる理論上のことは
単に
巻末に
略述するに止める。
特にダーウィン
以後の
進化論は
皆ダーウィンの説の
増補修正とでもいふべき
位のものばかりで、全く
独立の
論拠を有するものは
余り
無い
故、ダーウィンの
説さへ十分に解れば、他の人の説も左まで
困難なしに
了解することが出来やうと思ふ。
又最初に生物進化の
証拠となるべき事実を
述べて、生物進化の真なることを明にし、次に
之を
解釈するための
理論を説くのが
順序であるかも知れぬが、
斯くすると理論を
説明するために
再び前の事実を
掲げる
必要が生じ、
実際に
於て記事が
重複する
憂があるから、本書に
於ては
便宜上此順序を
倒にし、先づ生物進化の
原因に対するダーウィンの説を
略述し、次に進化論の根本たる生物進化の事実を
証明する積りである。
進化論の大意を話すには、先づ生物進化の考の起つて来た
歴史を一通り
述べて
置いた方が、
之を
了解する上に
都合が
宜しい
様に思はれるから、ダーウィンが
彼の有名なる「
種の起源」といふ書物を
公にするに至つたまでの進化論の
歴史を、
極めて
簡単に
述べて見やう。
尤も進化論の歴史といへば
殆ど動物学の
歴史といつても
宜しい様なもので、
其最も古い所は
紀元前三百何十年かのアリストテレス時代から
説き起さなければならぬが、こゝでは
唯生物の進化に
関する考が
如何に時と
共に
変遷し来つたかを
明にするのが主であるから、歴史上の
詳細な
事蹟は
一切省いて言はず、人名の
如きも
唯其時々の思想の代表者とも見るべき人の名を
僅に三つ四つ
掲げるだけに止める。
凡そ動物でも植物でも親・子・
孫といふ様な近い一代づつの間には、少しも
著しい
変化を見ることなく、
代々子は全く親の
如く、親は全く
祖父母の
如くである様に思はれるから、
我々は
通常生物は何代
歴ても
其形状・
性質ともに少しも
変化の起らぬ様な心持ちがして、生物の
種類は長い年月の間には進化するものであるや
否やといふ
疑問が
胸に
浮ぶことさへ
殆ど決してない。それ
故、昔から
誰も馬の
先祖は
何処までも今のと同じ様な馬、犬の先祖は
何処までも今のと全く同じ様な犬であると思つて
居て、
尚其先の
先祖はと
尋ねたら、天よりや
降りけん、地よりや
湧きけんとでも言つて、
之を知らぬことを
白状するか、
又耶蘇教の人ならば
天地開闢の時に神様が
斯様に
御造りなされたものぢやと答へるより外には仕方が
無かつた。
我国などでは今日と
雖も
尚斯様な考を持つて
居る人が
甚だ多い様であるが、
是は決して
素人ばかりが左様であつた
訳ではなく、動植物を
専門に研究して居た西洋の学者等も昔は
矢張り
皆此通りで、近代の
分類的博物学の
元祖といはれるスヴュリゲ(注:スウェーデン)国のリンネーといふ大家でさへ
斯様な考を持つて
居て、
其著書の中に「
凡そ地球上にある生物の
種類の数は
天地開闢の時に
天帝が
造つただけ有る」と
明に書いて
置いた。
此リンネーといふ人は今より百九十六年前
即ち
西暦千七百七年に生れ、中学校で
余り
成績が
宜しくなかつたため、父親が
靴屋へ
奉公に
遣らうとした所を
或る医者に助けられて、医科大学に入学したが、
生来博物学的の天才があつたものと見え、
忽ち
其方面に
発達して、後にはウプサラ大学の博物学
教授となつた人で、
我国でいへば、
小野蘭山とか
飯沼慾斎とかいふ様な
多識家であつた。
漸く二十八
歳許りの時に「システマ・ナツレー」
即ち「
博物綱目」とでも
訳すべき表題の書物を
著したが、
此書によつて
博物学に一大
改革が行はれた。それは何かといふに、
其頃までは
各国ともに動植物の
名称には
皆自国の
俗語を用ゐ、同じ犬のことでも
国々により「ドッグ」とか「シャン」とか「フンド」とか
又は「カネ」とか「ペルロ」とか「サバカ」とか名づけ、
其上、山の犬とか、野の犬とか、耳の長い犬とか、
尾の短い犬とかいふ様に、
随意に
形容詞などを
附けて用ゐて
居たから、動植物
各種の
名称が実に
種々雑多で少しも一定せず、
随つて
一疋の虫・一本の草を
採つて来ても、
是が何といふ虫か、何といふ草か、
探し出すことが
殆ど出来なかつた所へ、リンネーは
其頃世の中に知られて
居ただけの動植物の
種類を
悉く
此一冊の書物の中に
纏めて
掲げ、動物界・植物界ともに先づ
之を
若干の
綱に
大別し、
更に
綱を分ちて
若干づゝの
目とし、
各目中に若干の
属を
置き、
総べての
種類を
分類して、
此中の
何処かに
編入し属・
種ともに
皆ラテン語の
名称を
附け、
各種には
之を
識別するに
必要な点だけを短く書き
添へて
検索に
便にし、
又学術上に用ゐる動植物の
名称は
恰も人間に
姓は何、名は
某と二つ名前がある
如くに
必ず
属名と
種名とを
並べて書くことに定めて、
所謂学名の形を一定したが、
斯ういふ
調法な書物が出来たから、
誰でも自分で動物・植物の
名称を
探し出すことが
極めて
容易になり、「システマ・ナツレー」
一冊さへ持つて居れば、山へ行つても野へ行つても、
禽獣草木の名が直に
解る様になつた。植物学で
便利上今日でも
尚用ゐて
居る林氏
綱目といふのは
即ち
此書である。
又其頃此書で
探して見ても
到底知れぬ
程のものならば、
是は
無論未だ世に知られて居ない
新種であるから、
新に名を
附け、
之にリンネー流の
型に
随つて
簡単な
特徴を書き
添へて
公にすれば、
世人は
皆之を
承認した。それ
故に新種発見を
以て何よりの
名誉と
心得る人等は
誰も
彼も
皆採集を
試み、一つでも
余計に新種を発見して新しい名を
附け様と
互に
競争したので、
此書の
出版になつた後は
博物学といへば全く
分類記載だけの学問の
如き有様となり、
此書も
常に
訂正増補せられて終に第十二版まで出来、
其著者なるリンネーは実に
斯学の
泰斗と
仰がれ、
非常な大学者として世に
尊敬せられるに
至つた。
斯くの
如く
著しい
勢力の有つたリンネーの
著書の中に動植物の種類は
最初神が
造つた
其まゝのもので
増えもせず
減りもせず、少しも
変化したことのないものであると
明に書いてあつたから、
其頃博物学を
修める人々は、
之を
金科玉条と
心得て、
偶々生物の種類は長い年月の間には多少
変化するものであらうといふ様な考を出す人があつても、
誰も
之を相手にしない
程であつた。
併し十八
世紀の終より十九世紀の始に
至る
頃には、
実際生物進化の事実に気が
附き、
且相当の
理論を考へて
之を説明しやうと
試みた学者が全く
無いことはなかつた。
ダーウィン以前に動物進化の
理を
説いた人々の中で
最も有名なのはフランス国のラマルクである。
此人は今より百五十九年前、
即ち千七百四十四年に生れ、パリー
府の「植物園」といふ動物園で動物学の
教授を
勤め、
一生涯比較的低い
位置で終つたが、実は
余程の学者で、
特に下等動物の
比較解剖、
貝類の化石などを深く研究して、
之に
就いて中中大部の
著述をした人であるが、自身の研究の
結果、
其頃世に行はれて
居た生物
種属不変の説は全く
誤であることに
心附き、
其反対の事実を
証拠立て、
且其理由を
説明しやうと
頻に
工夫を
凝らした
末、
遂に千八百九年
即ち当人六十五
歳の時に「動物
哲学」と題する一書を
著して、
己れの
説を世に
公にした。
此書物は今日
我々が読んで見ると、全く当今の
進化論と同じ様な所もあつて、
頗る面白く思はれ、
其頃にしては
誠に
珍しい本であるが、
斯様に
其時世よりは
遙に進み
過ぎて
居たので、
世人が
之を
解することが出来なかつたため、
且は
其当時此人よりも高い
位置にあり、
随つて世間に対して
勢力の
尚強かつた人等が
皆旧式の生物
種属不変の説を持つて
居たため、
折角苦心して書いた
此書も
出版後五十年
許りの間は全く世に
顧みらるゝに
至らなかつた。ラマルクが
此書で
論じたことの
大要は
略次の
如くである。
「現在、世の中に生きて居る動物は、孰れの種類を取つて見ても其生活の有様に適した身体を持つて居ないものはない。例へば蝙蝠に翼のあるのは飛翔に適し、'モグラ'の掌の平たくて鋤の如きは地を掘るに適し、蟷螂の前足の鎌に似たのは虫を捕へるに都合よく、バッタの後足の太いのは跳ねるのに必要である。語を換へて言へば、各動物ともに日々用ゐる部分は皆善く発達して十分其働きをなすに適して居るが、斯く身体の外形は皆其動物の生活の模様に応じて居るに拘らず、之を解剖して其構造を調べて見ると、蝙蝠と'モグラ'、又は蟷螂とバッタとは実に極めて互に善く似て居て、恰も同一の鋳型に入れて造つたものを単に少しづゝ或は延ばしたり、或は縮めたりして造つたかと思はれる程である。彼の蝙蝠の翼を見るに、指が五本備はつてある具合は丸で我々人間の手の通りであるが、唯其指が非常に長く延びて、其間に薄い皮が張つて居る。又'モグラ'の掌を見るに、是も指が五本備はつてある具合は我々人間の手に少しも違はぬが、唯指の節が皆短くて其代りに爪が大に発達して居る。若し、こゝに一人の飴屋があつて、既に飴を以て人間の手の形を造つたと仮定したらば、之を直して蝙蝠の翼にするには単に指を引き延ばして其間に薄い皮を張れば宜しい。又之を直して'モグラ'の掌にするには単に指を押し縮めて爪を太くすれば宜しい。総べて動物の身体は斯様な流儀に出来て居て、数種の動物が皆同一の模型を基とし、各種とも常に用ゐる処だけが特別に発達して、其ため種々の相違が起つた如くに見える場合が頗る多いが、是は若し天地開闢の際に神が各種の動物を別々に造つたものとしたらば、殆ど訳の解らぬことで、是には何か他に理由がありさうなものである。若し真に神が初めから別々に造つたものならば、蝙蝠の翼は唯飛ぶといふ目的に適ふ様に、又'モグラ'の掌は唯地を掘るといふ目的に適ふ様に、各根本から別の仕組を立てて造りさうなものであるのに、飛ぶための翼も掘るための掌も、同一の模型を多少延ばしたり、縮めたりしたかと思はれる様な形に出来て居るのは、誠に不思議と言はざるを得ない。所で、人間などを見ると常に用ゐる部分が特別に発達する様で、鍛冶屋は常に腕を余計に働かすから、腕の筋肉・骨骼ともに非常に発達し、車夫は絶えず脚を用ゐるから脚の筋肉・骨骼ともに著しく大きくなるが、他の動物とても理窟は之と同様で、矢張り常に用ゐる器官は益々発達して大きくなるに違ひない。又人間の方では車夫の子孫が必ず皆車夫になるに限らず、鍛冶屋の子孫が必ず皆鍛冶屋になるといふ訳でもないから、皆其当人一代の間に用ゐる器官が少し大きくなるだけであるが、動物の方では親・子・孫と代々略同じ様な生活をなし、蝙蝠は先祖代々空を飛び、'モグラ'は先祖代々地を掘り、急に習性の変ずることは極めて稀であつて、代々同一の器官ばかりを特別に働かせるから、其結果として其器官は代を重ねるに随ひ益々発達して大きくなるであらう。若し左様であるとしたらば、蝙蝠の指の長いのは代々空を飛ぶために指を延ばした結果、'モグラ'の爪の太いのは代々地を掘るために爪を用ゐた結果ではあるまいか。又蟷螂の前足の太いのは鍛冶屋の腕の太いのと同じくバッタの後足の太いのは車夫の脚の太いのと同じで、常に之を働かすから益々発達し、代を重ねるに随ひ愈著しくなつて、終に今日見るが如き形に成つたのではあるまいか。
「之に反して少しも用ゐぬ器官は次第々々に衰へるもので、怪我などをして久しく臥て居ると、身体には他に何の異状がなくても、脚は次第に細くなつて、終には全く起きて立つことも出来なくなるが、駝鳥の翼が極めて短くて到底飛ぶ役に立たず、'モグラ'の眼が甚だ小くて到底見る役に立たぬ等は、全く之と同様な理窟で、久しく少しも用ゐぬから、次第々々に退化して斯くの如くになつたのでは無からうか。常に頸を延ばして水底の餌を探る鶴は頸が非常に長くて鼻は甚だ短いが、鼻で自由自在に物を拾ふ象は鼻が頗る長くて頸は最も短い。善く飛ぶ鳥は足が弱く、善く走る鳥は翼が小い。総べて此等の現象は皆常に用ゐる器官が発達し、常に用ゐぬ器官が衰へた結果とより外に思はれぬ。
「斯くの如く動物の身体は丁寧に調べて見ると、皆常に用ゐる器官が益々発達し、常に用ゐぬ器官が漸々衰へて、遂に今日の姿になつた如くに見えるが、果して其通りならば、蝙蝠の先祖は決して今日の蝙蝠の如き発達した翼を持つて居なかつたに相違なく、又'モグラ'の先祖は決して今日の'モグラ'の如き発達した爪を持つて居なかつたに相違ない。其先祖は如何なる形のものであつたかは十分に解らぬが、動物は各種類ともに決して今日我々の見る通りの形で、世界開闢の際に突然神によつて造られたものではなく、長い年月の間に少しづゝ変化して今日の如きものとなつたといふことだけは、断言が出来る。即ち動物の各種類は決して一時の創造によつて急に現れ出たものでなく、一歩々々の進化によつて長い年月の間に漸々出来上つたものである。」
ラマルクの考の大体は以上述べた
如く、
其要点は、第一には動物の各種類は長い年月の間に形状が次第に変化して今日の
有様になつたといふこと、第二には動物の形状の
漸々変化するは主として各
器官の用・不用に基づくとのことであるが、
此考を
以て種々の動物の形状を観察すると、一応
尤もに思はれる点が
随分多くあり、今日より見れば
甚だ不完全な説明には
相違ないが、
其時代の考としては中々面白いものであつた。
併し
其頃フランスにはキュヴィエーといふ博物学の大家があつて、
此人が全くリンネー流の生物種属不変の説を主張したので、ラマルクの説は
遂に行はれなかつた。
此キュヴィエーといふ人はラマルクよりは二十五年も後に生れた人であるが、非常な勉強家で、馬車で路を往来する時にも常に手帳と
鉛筆とを持つて何か書いて居たといふ位であるから、著書も
頗る多く、動物に関する一個々々の事実を知つて居たことは実に
驚くべき程であつた。
其外、
尚世事にも長じた人と見えて終には我国でいへば文部省の局長といふ位な役を
務め、
男爵を
授けられ、
華族に列したが、
此人の学術上の功績の多くある中で、特に
挙ぐべきものは、動物
比較解剖の研究と化石の調査とである。
リンネーの分類法は単に動植物の
名称を
探り出すに便利な様に造つただけのもの
故、
其分ち方は
頗る人工的で、
恰も
支那や日本で昔から用ゐて居る
禽・
獣・
虫・
魚といふ位なものに過ぎず、例へば
蛤でも
蚯蚓でも、
章魚でも、
海鼠でも、
甚だしきは
盲鰻といふ魚までも、
皆虫類といふ中に混じて入れてあつたが、キュヴィエーは
比較解剖の結果に基づき、全動物界を大別して四門となし、
即ち
獣類・鳥類・魚類を始め、
蛇・
蛙・
蜥蜴・
'イモリ'に至る
迄、
凡そ身体の
中軸に
脊骨のある動物を
総括して
脊椎動物と名づけ、
蝶・
蜂・
蜘蛛・
蜈蚣・
蝦・
蟹の類より
蚯蚓・ゴカイに至るまで、
凡そ身体に関節のある動物を
総括して関節動物と名づけ、
章魚・
烏賊を始め、
栄螺・
田螺・
蛤・アサリ等の
如き身体の
柔かな貝類は
皆之を
総括して
軟体動物と名づけ、
又、ウニ・ヒトデ・クラゲ等の
如き動物は身体に頭と
尻との区別もなく
総べての
器官が
皆放散状に並んであるため、丸で
盥や
傘と同じ様に
唯表と裏との差別があるばかりで、前後左右は少しも
違はず、何方を前へ向けても少しも差支へのない形のもの
故、
之を
総括して放散動物と名づけた。
尤も動物を
脊椎動物と無
脊椎動物とに区別することだけは、
既にラマルクの行つて居たことであるが、
斯様に全動物界を四つに大別して
之に門といふ
名称を
附けたのは、全くキュヴィエーが始めてで、
是が今日行はれて居る動物自然分類法の土台である。
又キュヴィエーは高等動物の化石を
丁寧に調べて
其性質を
明にし、「化石の骨」と題する大部の書物を著して、
終に今日の
所謂古生物学を起した。
第一図 放散動物
抑も化石とは、言ふ
迄もなく、古代に生活して居た生物の遺体であるが、
斯様に気の
附いたのは
比較的近世のことで、
耶蘇紀元より数百年も前に当るギリシヤ時代の
哲学者には
却つて化石の真性を知つて居た人もあつた様に見えるが、
其後には種々の
牽強附会な説が行はれ、
降つて千七百年代に至つても
世人は化石に対しては実に笑ふべき考を
抱いて居た。例へば
或る人々は化石を
以て単に造化の
戯であるなどと言つて済ませ、
又或る人々は天地の間には
精気とでもいふべきものがあつて、
此物が動物の体内に入れば子となり、誤つて岩石中に入れば石の
螺、石の
蛤などに成ると論じ、
甚だしきに至つては神は
天地開闢の際に
諸種の動物を造るに当り、真の動物を造る前に先づ
泥を
以て
試験的に
其形を造つて見て、気に入らぬものは
之を山中へ投げ捨てたのが、今日化石となつて残つて居るのであると
論じた人々さへあつた。今から考へて見ると余り
馬鹿げて居て、
殆ど信ぜられぬ程であるが、
其頃は
耶蘇教の勢力が非常に
盛であつたために科学が全く
衰へて、
甚だしき迷信が世に行はれ、
耶蘇教の
坊主の中には
粘土でヘブライ文字を造り、
瓦に焼いて
之を山中に
埋めて置き、数年の後に
之を自分で
掘り出して神様の
御直筆であると言うて
一儲けしやうと計画した
山師などがあつた位の世の中であるから、実際
斯様な考が行はれて居たのも不思議はない。
併し、
其後化石に関する知識が
追々進歩し、ラマルクが貝類の化石を調べ、キュヴィエーが
獣類、魚類等の化石を調べるに
及んで、化石は
愈古代の動物の
遺体であるといふことが確になり、最早
之に
就いて疑を
挾む人は一人も無くなつた。
前にも述べた通り、キュヴィエーは全く動物種属不変の説を主張した人であるが、自分の研究の結果、化石の性質が
明になつたに
随ひ、
嘗てリンネーの書いて置いた
如くに、生物の種類の数は最初神が造つただけより無いといふ説を
其まゝに保つことが出来なくなつた。それは
此以前から化石は古代の動物の遺体であると考へた人は
幾らもあつたが、
観察が
極めて
粗漏で、
骨骼の形状の区別なども
丁寧に調べず、象の骨を
掘り出して
之を人間の骨であると思ひ
誤り、昔は何物も
皆大きくて、人間なども
此骨から考へて見ると
少くとも
我々よりは三層倍も大きかつたに
違ひないなどと言つて居た位で、
其一例にはスウィス国の
某と云ふ医者は、一種の大形の
山椒魚の化石を発見したが、
之を人間の
骨と思ひ
違へ、化石となつて出る位であるから、
是は全くノアの
大洪水の時に
溺死した人間の骨であらう。
天地開闢の時、神様が
御造りなされたアダム、エバ両人の子孫が盛に
繁殖し、追々悪事を働く様になつたので、神様大に
御怒り遊ばし、数百日の間続けて雨を
降らして
善人ノアの一族を除くの外、罪人どもを
悉く退治して
御仕舞ひになつたが、
此骨は
其節の罪人の一人に
相違なからうと言つて、「
洪水に
出遇うた人間」といふ意味の学名を
附け、「後の世の罪人どもよ、
此骨を見て
汝等の罪を
悔い改めよ」といふ様な優しい歌まで書き
添へて、
此発見を同国の
学術雑誌上に報告したことがある。人間の
骨骼は素より十分に知つて居て、他の動物の骨との
相違は直に解るべき
筈の医者でさへ
斯様な具合
故、たとひ化石は古代の動物の遺体であると気が
附いても、中々それが
何様な動物であつたやら種属の識別などは無論出来ず、
大概今日の動物と同じ様な種類であらうと推察して
誰も済まして居つた。
然るにキュヴィエーの精密な調査に
拠ると、化石となつて出て来る動物は、現今生きて居る動物とは確に全く種属が異なつて居て、同じく化石といふ中でも
其の出る地層々々に
随つて
皆種属が
互に
相違して居ることが解つた。そこで
此化石となつて
掘り出される動物は
何時造られ、
何時死に絶えたもので、
又現今の動物とは
如何なる関係を有して居るものであるかといふ疑問は
是非とも起らざるを得なかつたが、キュヴィエーは自分の説も打ち消さず
又化石の
因縁も
明瞭に説明するには
如何したらば
宜しからうと
頻に苦しんだ後、
遂に一の新説を案じ出した、
其説の
大略は
凡そ次の
如くである。
「現在生きて居る動物の種属は
皆開闢のとき神が造つただけのものであるが、
此開闢といふことは動植物に
就いては決して
唯一回に限られた訳ではなく、実は
幾度もあつた。
而して毎回
開闢の前には山が海になり、海が山になつて、天地も
覆るかと思はれる程の大変動によつて、
其時まで住んで居た動植物は一時に
悉く死に絶えて
仕舞ひ、
其跡に
更に新しい
一揃ひの動植物が造られたのである。
故に現今の動物と化石となつて
掘り出される動物とは、両方とも神に造られたには
相違ないが、
其の造られた時が全く
違ひ、古い方が
悉く死に絶えて
仕舞つた後に、新しい方が別に造られたものであるから、
其間には何の関係もない。今日高い山の頂上から魚類の化石や貝類の化石が出て来るのは、
其処が以前に海であつた
証拠で、
其化石の形が
如何にも苦みに
堪へず
跳ね
廻つた
如き有様であるのは、海が山になるときの変化が極めて急劇であつた
徴である。最初の世界
開闢以来今日に至るまでには、少くとも十四五回は地球の表面に
斯かる大変動があつて、
其度毎に
其時住んで居た動物は
皆死に絶え、
僅に化石となつて今日まで残つて居るのである」と、
斯様に論じてキュヴィエーは自分の主張して居た動物種属不変の説を立て通さうと
尽力した。
此説は地球の表面には
幾度も非常に急劇な大変動があつたものと仮定するのであるから、先づ
天変地異の説とでも名づけて置いたら
宜しからう。
今日から思ふと、キュヴィエーの天変地異の説は素より
確乎たる
証拠もなく、
随分牽強附会極る説の様に思はれるが、
其頃学者間に
於けるキュヴィエーの勢力は実に大したものであつたから、
此不思議な仮想説も
暫時世人の
信仰する所となつた。
尤もラマルク以後にも動物進化の説を
唱へて居た人は多少あつて、
其中でもフランス国のジョッフロアィ・サンチレールといふ学者などは、動物の形状性質は外界の状態に応じて変化して行くものであると論じて、大にキュヴィエーの説に反対し、
幾度もパリー府学士会院の講堂で公開の討論を行つた。
併し、何をいふにも、キュヴィエーの方は一個々々の事実を知つて居ることは非常なものであつたのと、
又一方ではサンチレールの動物進化の説は
甚だ不完全であつたのとで、千八百三十年七月三十日の討論の席で、終に表面上全くキュヴィエーの勝利に定まつた。
斯様なことがあつたので、
益々キュヴィエーの勢が好くなり、キュヴィエーの
唱へる議論ならば一も二もなく人が
之を信ずる有様となつて、
彼の天変地異の説も
暫くは全盛の姿であつた。
然るに同じ千八百三十年にイギリス国の地質学大家サー・チャールス・ライエルといふ人の著した「
地質学の原理」と題する有名な書物の第一版が出版になつたが、
此書物の
弘まるに
随ひ、キュヴィエーの天変地異の説は全く
其根柢を失ふに至つた。ライエルが「地質学の原理」の中に説いたことの大要を
摘んで言つて見ると、
「凡そ此地球の表面には開闢以来随分大きな変動があつて、山が海になり、海が山になつた処もある。高い山の頂上に浪の跡が有つたり、又山の中腹から蛤や魚類の化石が出たりするのは、疑もなく、昔、其処が海岸或は海底であつた証拠であるが、斯様に変つたのは、決して一時に急に起つたことではなく、絶えず少しつつ次第々々に変つて、長い年月を歴て遂に斯く著しい度に達したのであらう。元来カント、ラプラス等の唱へ始めた霞雲説に随へば、我地球の属する太陽系統は最初は極めて熱度の高い瓦斯の大きな塊であつたのが、次第に凝つて、中心は太陽となり、周辺には大小無数の遊星が出来た。此地球も素より其の一部分であるから、初は矢張り熱度の極高い瓦斯の塊、次には岩石を熔かした様な極めて熱い液体の塊となり、次に其塊の表面が少し凝固して固形体の薄い地殻が出来たのである。斯様なことは素より、実際、傍で見て居たものがある訳ではないから、此説は無論仮想の説には相違ないが、余程多くの地質学上の事実は此説によつて容易に説明することが出来る故、他に尚一層適当な説がない以上は、先づ此説を真と見做して置くより外には仕方がない。現今でも処々に火を噴き煙を出す山があること、処々に温泉の湧き出ること、及び何処でも地面を深く掘れば掘るほど底が益々温くなつて、平均十六間(注:29m)位を掘る毎に摂氏の一度づゝの割合で温度が昇ることなどから考へて見ると、地球の内部はいまでも尚火の塊であるらしく、又表面にある固形の地殻は此火の塊が漸々冷却した結果として生じたものと思はれるが、総べて何物でも冷えると容積が減ずるものであるから、此地球も追々冷えて行く中に少しづゝ容積が減じて収縮し、収縮すれば表面の地殻には是非とも皺が出来る。其有様は全く林檎の実を長く捨て置くと、水分が蒸発して全体が縮小し、其ため表面に皺が生ずるのと同じ理窟である。我々から見れば、山は頗る高く、海は驚くべく深いが、凡そ一間(注:1.8m)位の直径を有する地球の雛形を造つて、其表面に陸と海とを正しい割合に造れば、数千尋(注:数Km。1尋=1.818m)の深海も数万尺(注:数Km。1尺=30cm)の高山も僅に一分(注:3mm)に足らぬ凸凹に過ぎぬ。それ故、地球の表面にある海陸の凸凹の割合は到底蜜柑の皮の表面にある凸凹ほどに著しいものではない。此様な瑣細な凸凹は地球が少し冷えれば直に出来るべき筈で、少しも驚くには当らぬ。
「総べて地殻の変化は上述の如く、地球の冷えて行くに随ひ、何万億年かの間に表面に皺が生じて、漸々山と海との区別が出来、其区別が追々著しくなることの外には、唯風雨の働き、河海の働き等の如き我々が日夜目の前に見て居る様な尋常一様の自然現象の結果として起つたものである。風が吹き雨が降る毎に、山の表面にある岩石は少しづゝ砕けて泥沙となつて谷へ落ち、河の水に流されて海へ出で、河の出口の処に沈澱して年々新しい層を造ることは、我々の、現在、処々で見る所である。我国で何々新田といふ様な名の附いてある処は、多くは斯くして出来た地所である。斯様に泥沙の沈澱によつて生じた層は、最初は無論水平に出来るが、地球が少しづゝ冷却して地殻に皺が殖えるに伴なひ、後には褶をなして種種の方向に傾斜し、一部は山の頂となつて現れ、他の部は後の層に埋められて深く地面の下に隠れる様になる。彼の高い山の頂上から魚類や貝類の化石の出るのは全く右の如き変動によるので、決して一時に急劇な天変地異が有つた結果ではない。尤も、昨年の西印度の噴火、又は鳥島の破裂の様なこともあるが、是は地球全面から見れば実に極めて小部分で、大体を論ずる場合には殆ど勘定に入れるに及ばぬ程である。
「地球の表面に山が海になつた処、海が山になつた処があるのは、決して変動が劇烈であつた結果ではない。唯変動の時が極めて長く続いたからである。現今と雖も、毎日風雨水流等の働きにより、地球の表面に変動の止む時は無いが、其変動が急劇で無いから、余り人の目に立たぬ。併し、実際絶えず行はれてあること故、幾万年も幾億年も引き続く間には彼の「塵も積れば山」といふ諺の如く、其結果は実に驚くべき程になることは疑ない。地球の表面が今日の有様になつたのは、全く毎日起る所の普通の変動が積り積つた結果と考へなければならぬ。」
ライエルが種々の
実例を
挙げて右の
如くに論じたので、キュヴィエーの
天変地異の説は全く打ち
破られて
仕舞つたが、地球上にある動植物を
悉く殺し
尽して
仕舞ふ様な
天変地異が一度も無かつたとすると、化石の動植物と
現今生きて
居る動植物とは
其間に
如何なる関係を持つて居るものであるか。古代の動植物と
現今の動植物との
相異なる所を見ると、
或は生物の種属は時と
共に多少変化するものでは無からうか、との疑問は
更に
改めて研究を要することになつた。
千八百五十九年の十一月
廿四日即ち今より
凡そ四十四年前にダーウィンが
其著書「
種の起源」の
第一版を
公にした時までの生物
進化論の
大要は、
略右に
述べた通りである。世間では進化論といへば一口にダーウィンの
説である様に考へる人もあるが、以上述べた所にて
解る通り、生物進化の説はダーウィンより
余程以前にフランス国のラマルク、サンチレールなどが
既に
唱へて
居つたものである。
併し、進化の事実は
如何にして起つたものであるかといふ説明は両人とも
甚だ不十分で、ラマルクは
唯器官の用、不用に
基づくものなりと説き、サンチレールは外界の
状態に
変化が起れば
是が直に動物の形状、
性質に変化を起すものであると
論じたのみであつた。
然るにダーウィンは
唯進化の事実を
丁寧に集めて
之を
確実に
証拠立てたのみならず、
之を
説明するために自然
淘汰の
説といふものを考へ出したが、
此自然
淘汰の
説は生物進化の事実の説明に
適すること前の二説とは
雲泥の
相違で、生物学上
其時まで説明の出来なかつた
余程多くの事実も
之がために
容易に
其理由を知ることが出来た
故、
忽ち学者間に
非常な
信用を得て、
此説により説明の出来ぬ
現象は生物界に一つもないと言うて
喜んだ人も
沢山に出来た。
ダーウィンの人物
経歴及び
其著書「
種の起源」を
公にするに
至つた
顛末等の中には、大に
我等後進者の
心得となる点がある様に思はれるから、ダーウィンの
唱へ始めた説を
紹介する前に、少し
其事を
述べて置きたい。ダーウィンの生れたのは今より九十四年前
即ち千八百九年の二月十二日であるが、
其年は
不思議にも始めて動物の進化を
説いた書物「動物
哲学」が
出版になつた年である。生長して後、エヂンバラ、ケンブリッヂなどの大学で
修業し、二十二
歳の時「ビーグル」といふ世界
探検船に乗り組んで
殆ど六年間地球上の各地を探検して帰つたが、
其頃から
健康が
余り
勝れなくなつたので、三十三
歳の時ロンドンから汽車で行けば一時間もかゝらぬ程の
処にあるダウンといふ村に家を買つて
其処に
引籠り、市中の
雑沓を
避け、
一生涯静に学問の研究ばかりに力を
尽して、
終に去る
明治十五年
即ち千八百八十二年の四月十九日に世を去つた。ダーウィンは「ビーグル」号
航海の
節、世界の各地に
於て、動物・植物・
地質等を実見する間に生物
種属の
起源に
就いて
種々の
疑が起つたから、
之を十分に研究して見やうと決心して、イギリスに帰つてからも、
頻に
此事を考へた結果、三十四五
歳の
頃、
既に自然
淘汰の理に気が
附き、一通り
之を書き
綴つて人に見せたこともあつたが、
併し
斯様な
新説は軽々しく世に出すべきものでないと思ひ、
其後益々生物学上の事実を集め、
此説の
適否を
試し、十五六年も研究を
積んだ後、千八百五十九年
即ち自身の五十
歳の時に
至り
漸く
之を
公にした。
之を
近頃の学者が
漸く昨日思ひ
附いたことを今日
直に出版するのに
比べると、実に
雲泥の
相違である。
又千八百五十九年に
之を
公にしたのも全く
或る
偶然の出来事が起つたからであつて、
若し
其事が無かつたならば、「
種の起源」の出版も、
或は
尚数年間
遅れたかも知れぬ。
こゝに
偶然の出来事といふのは、千八百五十八年に
至りダーウィンの外に
尚一人自然
淘汰の
理を発見した人が出て来たことである。
此人はウォレースといふ大探検家で、南アメリカに四年、
東印度諸島に八年も
留まつて、
博物の研究に
従事したが、
其中、動物の
生態及び
分布の有様などから考へて、
殆どダーウィンの説と全く同様な説を思ひつき、
之を
一筋の
論文に書き
綴つてダーウィンの
手許まで送り
届け、
之を
学術雑誌上に
公にする様に
依頼して来た。ダーウィンは
之を受取つて読んで見ると、中に書いてあることは自分が、十四五年も前から考へて居たことと
殆ど
寸分も
違はぬから、大に
驚いて、
之をフッカー、ライエルなどいふ大家に見せ、
如何したら
宜しからうと相談した。所が、これらの人々は、かねてダーウィンが
此問題に
就いて研究して
居たことを知つて居るから、ダーウィンに
勧めて自然
淘汰の
理を短く書かせ、
之を
彼のウォレースから送つて来た論文と同一号の
林那学士会
雑誌に
並べて
掲載し、同時に世に
公にせしめた。
併し生物進化の事実の証明、自然
淘汰の
理窟などは
孰れも中々の大論であつて、
到底右の
雑誌上に
掲げた
論文位で
尽すことの出来るものでないから、
更にダーウィンは急いで
従来研究の結果の大要を書き
綴り、
一冊の書として翌年の十一月に出版したが、
是が、
即ち有名な「
種の起源」である。
斯くの
如く実際自然
淘汰の説を
唱へ出したのはダーウィンとウォレース二人同時であつたが、ダーウィンの方は
既に十四五年も前から考へて居たことでもあり、
又、
翌年に至り
立派な一冊の書物を出したりして、ウォレースに比べると、考が
遙に
周到であつた
故、ウォレースは
快く自然
淘汰発見の
功を全くダーウィン一人に
譲つて少しも
争らしいことをせぬのみならず、後に自分の
著した進化論の書物の表題まで「ダーウィニズム」と
附けたのは、実に
量の
寛い君子の
心掛けで、
彼の
僅の
功を相争ひ、
互に
罵詈し
誹謗する人々の
根性とは
到底日を同じうして
論ずることは出来ぬ。
それから
又此「
種の起源」といふ書物が実に感服に
堪へぬ本である。四百何十
頁位の中本ではあるが、
著者が
序文にも書いて置いた通り、
是は真の
摘要であつて、十倍も大部な書物が書ける程に十分な
材料が集まつて居る中から、最も必要な部分だけを
選み出して、短く書いたものである。
而して
其中の議論の仕様が
又非常に
鄭重で、
余程控へ目にしてある具合は、
僅の事実を基として
空論の上に空論を積み上げる
流儀とは全く正反対で、実に後世生物学を
修める者等の好き
模範と言つて
宜しい。
唯多くの事実を余り短く
詰めて書いたから、
全編余り
実質があり過ぎて、常に軽い書物を読み
慣れて居る人々には、
之を
咀嚼し消化するのに多少骨が折れるのは
拠ないことである。
以上、
略述した通り、今日
我々の有する生物進化の考は決して
突然生じたものでなく、十八世紀の
末頃より
漸々発達して来たものであるが、
其中生物進化の事実に関することは、最初は単に仮説に過ぎなかつたのが、ダーウィンの研究によつて
略確となり、ダーウィン以後の多数の学者の研究によつて
愈確乎として動かぬものとなつたのであるから、
是はダーウィンが
与かつて大に力あるには
相違ないが、
結局生物学全体が
著しく進歩した結果と
謂はねばならぬ。それ
故、生物進化論を
以てダーウィン説と
見做すことは決して
穏当ではないが、
之に反して生物進化の理由を説明するための自然
淘汰の説は全くダーウィンが初めて考へ出したものである
故、
是は真のダーウィン説と名づくべきものであるが、
我々は
此の説によつて初めて
何故生物は進化し来つたかといふ
原因の一部を
察することが出来る。
斯くの
如く生物進化の事実と、
之を説明するための自然
淘汰説とは全く
別物で、決して
混同すべきものではない。自然
淘汰説は今後の研究によつて
如何に
改められるか知らぬが、たとひ
此説が全く
誤謬として
打破られたと仮定しても、生物進化の事実は
依然として
存し、少しも
之によつて動かされることはない。
動植物は代を重ねる間には少しづゝ
形状・性質等が変化するものであるか
如何といふ問題を調べるには、
是非とも親・子・孫と
系図の
明に知れて居る個体を
幾代も
比較して見るのが
必要であるが、野生の動植物では
此事は
到底出来難い。
何故といふに野生の動物は
唯鉄砲で
撃つたり
網に
掛けたりして、
其場に
居合せたものを
捕獲するだけであるから、
其動物の親は
誰であるか、
其又親は
誰であるか全く解らず、
又之を長く
養つて
子孫の生れるのを待ち、
之を親と
比較することも決して
容易でない。植物とてもそれと同じく、どの木の実が
何処に落ちるか、どの草の種が
何処に
生えるか一向
解らぬから、目前に何百本同種の草木があつても、何れが親か、
何れが子か中々知れぬ。
之に反して
我等の
飼養して居る動植物は、多くは
其系図が
明に知れて居て、
牧畜の
発達した国々には、有名な牛や馬の系図が
立派な本に出来て居る位であるから、数代前の
先祖と数代後の子孫とを
比較することも
随分出来る。それ
故、今こゝに
掲げた
如き問題を実物によつて調査しやうとするには、先づ人の
飼養する動植物に
就いて調べるのが一番手近である。
我々が
飼養する動植物を見るに、
凡そ
一種として
各個体が
悉く同じ形状を
具へて居るものはない。
例へば馬でも牛でも犬でも
'鶏'でも、各一種の動物でありながら、
其中の
一疋づゝを取つて
比べて見ると
随分著しい
相違がある。日本馬とアラビヤ馬とを
比較し、
百姓の使ふ牛と
乳牛とを
比較し、
又はムク犬と洋犬を
比較し、チャボとブラマとを
比較して見れば、何でも
其間の
相違の
甚だしいことを
認めざるを
得ぬが、
此相違は
啻に
其動物一代だけに
限ることでなく、
其儘子孫に伝はるもので、アラビヤ馬の生んだ子は
矢張りアラビヤ馬、日本馬の生んだ子は矢張り日本馬である。
斯様に同一種の動物でありながら種々
違つた形状を有し、
且其形状を子孫に伝へるものを、生物学では各一変種と名づけるが、
此語を
遣つていへば、
凡そ
我等の
飼養する動植物には、一種として多くの変種を有せざるものは無いのである。我国の
'鶏'などは従来多少の変種のあつた所へ近来
沢山の
舶来変種が
輸入せられたので、
現今では単に
'鶏'といつたばかりでは、
如何な形状・性質のものを指すのであるか
解らぬ
故、一々
特別に名を
附けて
区別せなければならぬ様になつて来た。
即ち
'鶏'にはクキンの
如き大きなものもあり、
又チャボの
如き
丈の低いものもあり、羽色も種々
雑多で、雪の
如く
純白なもの、炭の
如く真黒なもの、
斑のもの茶色のものなどがあり、
性質の
如きも
皆それぞれ
違つて、年中
殆ど絶え間なく
卵を
産むことは産むが、産んだ後は少しも世話せぬものがあるかと思へば、
又一方には
幾つでも他の産んだ卵を引き受けて温めて
許り居るものもある。こゝに図を
掲げたのは
僅に
其二三に
過ぎぬが、コチン(ロ)、レグホーン(ホ)、チャボ(ニ)、ポーリッシュ(ハ)などを
互に比べて見ると、
其間に著しい
相違があり、
又之を
現今尚マレイ地方に
産する野生の
'鶏'(イ)に比べると
更に大きな
相違があることが
明に
解る。
併し、
斯く多くの変種を有するといふ点で
最も
著しいのは、
恐らくヨーロッパで人の
飼養して居る犬と
鳩との類であらう。
第二図 '鶏'の変種
我国では昔は犬といへば
唯ムク犬の様なものが一種あつただけで、毛色に赤とか白とか黒とか
斑とかの
相違はあるが、大きさも形状も性質も
殆ど同一で、どの犬を見ても一向
違ひが無い様であつたが、近来、大分、西洋種の犬が入つて来たので、多少種類が
殖え、
現今では
往来を通つて見ても、種々形状の
異なつた犬を見ることが出来る。
併し
到底西洋諸国にある様な
著しい
相違のある種々雑多の犬は見られぬ。今
其二三の例を
挙げれば、マスチッフは大きさ小牛の
如くで、力
飽くまで強く、
悠然と
控へて容易に
吠えず、ラップドッグは大きさ
殆ど
小猫位に
過ぎず、
無邪気に
戯れて
跳ね
廻りて婦人等に
愛せられ、トーイテリヤーなどは全く
玩弄物で、
之をマスチッフの
傍へ持ち行けば、
恰も
象の
隣に人が立つて居る位の割合である。
又大きな方には
尚アルプス山上の雪深き
辺に道に
迷うた旅人を
救ふため、
頸にブランデーと
気附け薬とを下げて歩くセント=ベルナード犬、
巧に水中を
游ぎて
危く
溺れんとする
小児を助けるニウ=ファウンドランド犬等は
孰れも外国の読本に出て居て、
誰も知らぬものはなからうが、
其他グレーハウンド(ハ)は全身極めて細く、鼻は
狭く
尖り、四足ともに細長くて走ることが
頗る
迅い。
独逸では
此種の犬を風犬と名づける。ヂヤハウンドも
略之と同形である。ブルドッグ(イ)は全身太く短く、四足も太く短く、
下顎も短いが、
上顎の方が
更に
遙に短い
故、鼻は上を向き、
牙は常に現れて
容貌が
如何にも
猛悪に見える。キングチャールス=スパニエル(ニ)は耳が長く
垂れ、全身の毛は長く
縮れて、
恰も
我国の
狆の
如き美しい犬である。
又ダックス(ロ)は
胴が長く、
丈が低く、足が
著しく曲り、モップスは身体小なれど、
肥満して
容貌の何となく
滑稽なるなど、
到底枚挙するに
遑はない。
又猟犬の各種類には各
特殊の性質が備はつて、
善く追ふもの、善く見付けるもの、善く
噛み付くもの等があつて、セッター、ポインター等の名は
皆其種の
狩猟上の特性から起つたものであることは、
世人の
既に知れる所なるが、
之より
更に
不思議な性質を有して居るのは、西洋の
羊飼の
連れて歩く犬である。
此犬は身体も余り大きからず、耳は短く立ちて、
姿は決して
立派では無いが、
巧に数百頭の羊を
警護し、常に羊の
群の周囲を走り
廻つて、
若し
一疋でも群を
離れる羊があつたならば直に
其足を
噛んで
之を
退け、決して
散乱せしめる様なことはない。それ
故、
此犬の
附いて居る羊の群は
何時も
一団に集まりて進行する。
斯くの
如く形状からいつても、性質から
論じても、西洋で人の飼つて居る犬の各種類の間の
相違は実に
甚だしいものである。
第三図 犬の変種
鳩も
従来我国で
飼つて居たのは
僅に一種類だけで、
幾つ見ても
唯羽毛の色が白いとか、黒いとか、
小豆色の
斑があるとか、
碁石の様な
模様があるとかいふ
位の
相違があるだけで、身体の形状・
諸部の
割合などは全く同じであるが、イギリス辺で人の
飼つて居るものを見ると、実に
千態万状で、
其間の
相違の
甚だしいことは実物を見ぬ人には
到底想像も出来ぬ程である。
例へばパウター(ハ)といふ種類では身体も
翼も足も
比較的に長く、体を常に
稍直立の位置に置いて、
餌嚢に空気を
嚥み
込み、
胸を球の
如くに
脹らせる性質を持つて居る。一体
鳩は
普通のものでも
鳩胸というて胸の
処を
突き出して居るものであるが、
此種類では
其上に
餌嚢が非常に大きく
発達して居る上へ、空気を吸ひ
込んで
恰も
小児の
玩具の風船球の
如くに円くするから、
嘴も
殆ど見えぬ位である。
又ファンテイル(ヘ)といふ種類は、
尾の羽毛を立て、
扇の
如くに
之を
拡げて歩く。通常日本の
飼鳩などでは、
尾の羽毛の数は
漸く十二本位であるが、
此種類では
尾の羽毛が三十五六本から四十本位もある。
之を
孔雀の
尾の様に立てて開き、
頸を後へ
引込めて歩くから、頭の後部が
尾の羽毛に
触れて居るのが常である。
総べて
斯様な種類は
唯人が
慰みだけに
飼ふもので、
其特徴とする点が
発達して居る程、人に
珍重せられ、前のパウターならば胸が大きく
脹れて居るほど上等で、ファンテイルは
尾が大きく拡がつて居る程、
価が高い。それ
故、
鳩の
共進会で一等賞でも取る様なものは、
我々から見ると
殆ど
畸形かと思はれる様な形状を
呈して居る。
又キャリヤー(ホ)といふ種類は
嘴が長くて
眼の
周囲には羽毛なく、
皮膚が
蛇の目形に
裸出して
恰も大きな
眼鏡を
掛けて居る様に見え、タンブラー(ニ)といふ種類では、頭は円く、
嘴は短くて
殆ど
雀の
嘴の
如くである。
其他、図中(ロ)に示したラント種の
如きは、体は短く
尾は直立して、
鳩らしい処は
殆ど少しも無い。以上は
鳩の形の種々ある中で最も異なつた例を五つだけ
挙げたのに過ぎぬが、
鳩には形状ばかりでなく、
習性にも
著しく
相違したものがある。
伝書鳩といふ種類は
如何なる遠方の土地に
連れて行つても、
之を空中に放せば
忽ち一直線に出発地に帰る性質を持つて居る。それ
故、
此鳩は諸国の
陸軍で、
戦争の際、
籠城でもした時、
通信の道具として用ゐるために常から
之を飼ひ
馴らして居るが、
斯かる性質の
鳩があると思ふと
又一方には
籠から
飛び出せば必ず
直に
角兵衛獅子の様に
背の方へ
廻転する性質を有するものがある。
是は前に名を挙げたタンブラー
即ち
訳すれば「
転倒者」といふ種類で、飛び出せば
是非とも
廻転せずには居られぬ具合は、
恰も我国のコマ
鼠と同様で、一は
縦に
廻転し一は水平に
廻転するの
違ひはあるが、両方とも
殆ど
病的といつて
宜しい
程である。
此種類の
鳩は
飛翔中に
廻転する度数の多い程、上等としてあるから、人に
誉められる様な
鳩は飛び出すや否や、
直にくる/\
廻つて、前へ進んで行くことは出来ない。
廻転の度数の多いものでは一分間に四十回も四十五回も
廻るさうである。
又鳴声も
鳩の種類によつて大に
相異なり、中にも
喇叭鳩・
笑ひ
鳩などといふ名前の
附いて居る種類は、実際
其名前の通り、
一は
恰も
喇叭の
如き声、
一は丸で人の笑ひ声の
如き鳴声を発する。
尚こゝに述べた外に、
鳩の変種は
極めて
沢山あつて、
到底枚挙し
尽すことは出来ぬ。ダーウィンは自身も二三の
養鳩協会に
加入して、実際
鳩を
飼養し、
飼鳩の形状の
異なつたものを出来るだけ
皆集めて
之を調査し、百五十余通りもあることを発見し、
之を大別して十一組に分類したが、
之を見てもヨーロッパの
飼鳩の変種の極めて多いことが
解る。
第四図 鳩の変種
尚其他、どの
家畜を見ても全く変種のないものは
殆ど一つも無い。馬なども西洋では種々の形のものがあり、
競馬用のものは、
丈高く足細くして、
如何にも身軽に見え、荷車を
挽かせる馬は身体極めて大にして、足も
非常に太く、
其蹄に
附ける
鉄靴は我国
普通の馬の二倍以上もある。始めてヨーロッパに行つた人は、先づ市中を通行する荷馬の大なるを見て
一驚を
喫する位である。馬車を
挽かせるための馬、人の乗るための馬なども
各々其用ゐ
途に
応じて形が
違ふが、中にも、シエットランド=ポニーといつて、
富家の
子供などの乗る小馬は高さ
僅に三尺(注:90cm)に足らず、
殆ど犬より少し大きなだけである。
飼牛にも今では中々種類が
沢山あり、角の長いもの、角の短いもの、角の
殆ど無いもの、
又は乳の
沢山出るもの、肉の余計に有るもの、
或は極めて速く生長するものなどがあり、
其用途も各多少
違ふゆゑ、ゼルシーとか、ショートホーンとか、ホルスタインとか、一種
毎に
特別な名を
附けて
之を区別する。
豚にも耳の短いもの、耳の長いもの、肉の多いもの、
脂の多いもの、
其他種々の点で相異なつた種類が
幾つもあり、羊の
如きは肉の
善きもの、毛の多きもの、同じく毛の多きものの中にも毛の細きもの、毛の
粗きもの、
縮れたもの、
延びて長きものなど実に
夥しい種類の数がある。
彼の有名なエスパニヤ
産のメリノ羊などは
唯其中の一種に過ぎぬ。
我国で
従来飼養する金魚も中々変種の多い動物で、
和金といふ類は
胴が長くて
尾が
割合に短く、
琉金といふ類は
胴が
比較的に短くて
尾が
頗る長く、
甚だ見事なものである。
又東京辺で丸子といふ類は腹が
無暗に円く、頭が短くて
殆ど
畸形の
如くに見え、先年
支那から輸入せられて来た
眼鏡金魚といふ類は
著しく
眼球が
突出して居る。
又鰭の形にも種々あつて、
或るものは
鮒尾と
称して
尾の
鰭が
単に
鮒・
鯉等の
如く縦に
扁平な一枚の板に過ぎぬが、
普通の金魚では
尾鰭は二枚に
裂けて左右に拡がつて居る。特に
或る種類では
尾鰭のみならず、
臀鰭といつて腹の後部の下面にある
鰭までが、左右二枚に分れて居て、
頗る
賑に見える。
以上
掲げた所の数例では、変種が
何時頃から生じたか
其起源が判然分らぬが、
現今我々の
飼養して居る動物の中には、
比較的短い時の間に種々の変種を生じたものが
幾らもある。
此等の動物は変種の少しもなかつた
頃から今日に
至るまでの変化の歴史が、
明瞭に
解つて
居るのであるから、動植物は
代々多少変化し得るものであるといふことの
最著しい目前の例と
謂つて
宜しい。
例へば今日多く人に
飼はれて居るカナリヤ鳥の
如きは、人が始めて
之を
飼養してから、
未だ三百年にはならぬ位であるが、
既に
随分多くの変種が出来て、白いのもあれば
斑のもあり、
頸の長いのもあり、毛の
逆立つたのもあつて、非常に
著しい
相違が生じた。
此処に
掲げた図の中で、(イ)は野生のカナリヤ、(ニ)は、
我邦などで
普通に
飼養する
純黄色の変種、(ロ)は頭の上に
帽子の
如き
毛冠あるもの、(ハ)は体が細くて
頸も
尾も長い
特別の変種であるが、
此等は
沢山にある変種の中から少数を選み出したに過ぎぬ。
第五図 カナリヤの変種
其他七面鳥・モルモットの
如きも
比較的近い
頃より人の飼ひ始めたものであるが、
既に種々の変種が出来て居る。モルモットは元南アメリカのブラジル国の
産であるが、今日ヨーロッパ・日本などで人の
飼養して居るものは、
最早ブラジル産の原種とは
余程違つて、
其間には
間の子も出来ぬ
位である。
又マデイラ島の東北に当るポルト・サントーといふ島の
兎は、今より五百年
許り前に、ヨーロッパから輸入したものであるが、今ではヨーロッパ産の
兎とは全く
違つて、動物学者によつては
之を
特別の一種と
見做す人もある位である。前に例に挙げたタンブラーと名づける
鳩の一変種なども、確に一変種と人が
認めるに
至つたのは
僅に今より四百年
許り前のことである。
カナリヤの変種でもポルト・サントーの
兎でも、
比較的短い
期限内に変化したのではあるが、
一代々々の間に目に
触れぬ程の少しづゝの変化をなし、
是が重なり
積つて
終に
明な変種となつたのであるから、
何時の間に変化したやら解らぬが、
斯様なものの外、
或る時、
突然、親と形状・性質の
著しく
異なつた子が生まれ、それが
基となつて一変種の出来ることも往々ある。
此種類の例で、世に知られて居るものは決して少くないが、最も有名なもの一つ二つだけを挙げて見るに、千七百九十一年に米国のセス・ライトといふ
農夫の所有して居た多くの羊の中、
一疋、形の異なつた子を産んだものがあつた。
此子羊は
胴が長くて足が短く、一見他の子羊とは大に体形が
違つたが、
是から出来た
子孫は
皆此羊の性質を受け
継いで、
胴が長く、足が短くて、
明に他の
羊群とは異なつた一変種を成した。
又南米パラグヮイ国の「角なし牛」といふ牛の一変種は千七百七十年に
突然生れた角なし
牡牛の子孫である。
斯くの
如く
我々の
飼養する動物には
突然変種を生じたものもあれば、
又知らぬ間に
漸々変種の出来たものもあるが、
兎に角幾らかの変種を
含まぬものは、今日の所、
殆ど一種もない有様で、
此後尚何程の変種が出来るか
解らぬといふことは、以上
掲げた数個の例だけによつても
明に解る。
次に
植物は
如何と考へるに、植物の方も全く
其通りで、麦でも、大根でも、
瓜でも、
林檎でも、
凡そ
我々の
培養する
草木には一種として多少
違つた形を
含まぬものはない。まだ農業の進歩しない半開国では、麦でも大根でも
各々一種よりないが、農業のよく開けた文明国では同じ麦、同じ大根といふ中にも種類があること、
恰も
鳩や
'鶏'と同様である。今二三の例を挙げて見るに、大根にも細根というて極めて細長いものがあり、
宮重・
練馬などの
如き太いものがあり、
彼の有名な
桜島の大根は太く円くて、
周囲が二尺(注:60cm)以上にもなる。
斯く大きなものがあると思ふと、
又二十日大根といふ種類には、
深紅色で
金柑程な
奇麗なものがある。通常西洋料理で
生で
附けるのは
是である。西洋にはラヂ=ノワール
即ち黒大根といつて、黒色を
帯びたものまである。
人参でも
大阪辺のは
金時人参といつて、真の
紅色で先まで太いが、東京辺の人参は
殆ど黄色で長い
円錐形である。西洋では
瓜の種類、
林檎の種類、
梨の種類、イチゴの種類などは実に
驚くべきほど
沢山あるが、我国ではまだ
其程度まで
培養法が発達して居ないから、八百屋の店を見ても
大抵林檎も一種、
梨も一種より無い。
蜜柑などには
雲州(注:島根県東部)・
紀州(注:和歌山県、三重県南部)など多少
著しく
相違したものがあるが、
併し最も変化の多い植物といへば、
我国では先づ植木屋の作る草花の類で、
其中でも
特に
菊の類、朝顔の類等であらう。園芸の書物を開いて見ると、
菊の変種は実に
夥しいもので、
五厘銅貨位(注:1.878cm)の
小菊から
直径七八寸(注:21cmから24cm)の
大輪まで、色も白・黄・赤の間ならば、
殆ど
望み通りにあつて、
弁の細いもの、広いもの、下へ
反るもの、上へ
巻くもの、両面同色のもの、上下色を
異にするものなど
到底枚挙することは出来ぬ程であるが、
之に各「
竜田川」とか「
蜀江の
錦」とかいふ美しい名が
附けて区別してある。
又朝顔の方は花の色や形のみならず、葉の
割れ方、
縮み具合などまで変化の多いこと
誠に
驚くべき程で、
普通の白・赤・青等の外に
小豆色もあり、黄色もあり、
縁だけ白いのもあり、五弁に分れたもの、
五弁が
悉く細くて
殆ど朝顔とは見えぬもの、
又一方では
八重咲の
牡丹に
似たものなど、
是も
到底其種類を数へ
挙げることは出来ぬ。
第六図 朝顔の変種
此等の変種の中には
僅か五十年か百年前位から始めて生じたものも少くない。
小豆色の朝顔なども昔は決して無かつたさうである。短い時期の間に
著しい変種の出来た例は動物よりは
遙に植物の方に多くあるが、
是は総べて草花や
野菜の類は多くは一年生で、
家畜などに比べると代の重なることが
頗る速いから、一代
毎に少しづゝの変化が起つても、
忽ち
是が
積り重なつて、
著しい
相違を生ずる
故であらう。されば生物は
如何に変化し得るものであるかを実物に
就いて確に経験したいと思ふ人は、二三年朝顔でも造つて見るが
宜しい。
種子次第、世話次第で
如何様のものでも出来る具合を見て、
其変化の著しいのに
驚かざるを
得ぬであらう。実は植物に
斯様な変化の性質がある
故、植木屋の商売も出来るのである。
以上述べた通り、
我々の
飼養するものは動物でも植物でも一種として変種のないものはない。
而して
其変種間の
相違は
遙に野生の二種の動物
或は植物間に
於けるよりも
著しいものがある。前に例に挙げたパウターといふ
胸を
脹らす
鳩と、ファンテイルといふ
尾を
拡げる
鳩との
相違、
或は小豆色
牡丹咲の朝顔と黄色の朝顔との
相違は確にツグミとシロハラとの
相違、
或は茶と
山茶花との
相違よりは
甚だしい。
若し
此等の動物・植物が
何処かの山中に自生して居たならば、
我々は決して
之を
以て各々同一種中に
含まれる二変種と
見做すことなく、
必ず
皆別々の種類と
認めるに
違ひない。
試に大根といふものを全く見たことのない人がアフリカの真中で細根と
宮重とを発見したと
仮り定めて見るに、
彼は決して
鼠の
尾の
如き細根大根も
角力取の
腕の様な宮重大根も同一種に属するものであるとの考を起す
気遣ひはない。
直に
之を
以て二種の全く
相異なつた種類と
見做すであらう。
然らば
我々は
何故今日
若し野生であつたならば必ず二種とするに
相違ない程に
明に形状の異なつたものを常に同一種に属する二変種と
認めて居るのであるか。
我々が細根大根も宮重大根も、植物学上、大根と名づける一種の中に入れて
唯其変種と
見做すのは、全く昔は細根とか
宮重とかいふ区別はなく、
唯単に大根といふ一種一通りだけより無かつたのが、人が長く
培養して居る中に、細根も出来、宮重も出来たことを
我々が知つて居るからである。
又パウターもファンテイルも動物学上カワラバトと名づける一種の中に入れて、
唯其変種と
見做すのは全く研究の結果パウターもファンテイルも同一の
先祖即ち今日野生して居るカワラバトの先祖より生じた子孫で、初めはパウター、ファンテイル等の
区別もなかつたのが、長い間人に
飼はれて居る中に
漸漸斯く形状の
異なつたものが出来たのであることを
我々が信じて居るからである。
之と同様で、朝顔ならば
如何様な形状を持つたものでも
皆野生の「朝顔」といふ一種の
蔓草から変化して出来たものであり、
'鶏'ならば
如何様な変種でも
皆今日
印度地方に
生存する野生の「
'鶏'」といふ一種の鳥から変化して出来たものである。羊でも、
豚でも、小麦でも、
人参でも、
皆昔は
唯野生の一種であつたのを人間が長い間
飼養し
培養したので今日見る
如き種々の形のものが出来たのである。
斯くの
如く
我々は
飼養動植物の
素性を知り、今こそ種々に形状・性質が
違つては居るが、
其先祖は各々一種であつたことを
覚えて居る
故、
之を一種と
見做し、
其中で形状の異なつたものを区別するために各々に
特別の
名称を
附けて、
之を変種として置くに過ぎぬ。
詰まる所、我我の
飼養し
培養する動植物は一種
毎に多くの異なつた形状のものを
含むが、
此等は
皆同一の先祖より
降つた
子孫で、
唯人に
養はれたために今日見る
如き種々の形のものが出来たのであるといふことが、動植物学上
明に
解つて居る
故、
之を集めて一種と
見做すのである。一代々々の間の変化、
即ち親と子との間、子と
孫との間の
相違は
殆ど目に見えぬ程であつても「
塵も積れば山」といふ
諺の通り、多くの代を重ねる間には動物・植物とも
著しく変化し得るものであることは、
此等の
飼養動植物の例を見れば、実に明白な、
毫も
疑ふことの出来ぬ事実である。
此事だけは
流石に昔の生物種属不変の説を
唱へた人々にも知れて居たから、
彼等は
飼養動植物は神が
態々人間のために造つたものであるから、
是は
特別である。
此類だけは人間の自由に変化せしめ得るものであると論じて、
之を例外とした。
併し
是は
素より少しも
根拠の無い説である。
何故といふに今日人の
飼養して居る動植物は
孰れも昔は一度野生のものであつて、中には
比較的近い
頃初めて人に養はれたものも少くない。歴史の出来た以後に人の
飼養し始めた動植物を数へると、
随分沢山あるが、
皆相当に多くの変種が
既に出来て居る。野生動物といひ
飼養動物といふも、
畢竟人間が
之を飼ひ始めるか飼はずに
捨て置くかによつて定まる
相違で、素より根本から
是は野生動物、
是は
飼養動物と判然した区別がある
訳ではない。
獅や
虎の様な
猛獣でさへ、養へば
馴れて芸をする位であるから、
何様な動物でも飼つて飼へぬことはあるまい。して見ると人間の飼ふために神が
特別に造つた動物だけは代々多少変化するが
其他の動物は決して変化しないものであるといふ
論は、少しも
拠り所のないものと
認めねばならぬ。植物に
就いても全く
之と同様である。
以上の
如き説は今日より見れば実に取るに足らぬ説で、改めて
弁駁するに
及ばぬものであるが、生物種属不変の説を
主張した人等でさへ人間の
飼養する動植物だけは
例外としたのを見ても、
如何に
飼養動植物の変化が
顕著であるかが解る。
飼養動植物には一種
毎に
大抵多くの変種のあることは
此章に
於て述べた通りであるが、
孰れの場合でも変種といふものは決して初めより変種として
存在したものではなく、人間が
飼養し始めてから次第々々に変化して生じたものである。
此一事だけから考へても動植物の形質は決して万世不変のものでないことが
確である。
さて人間が
飼養し来つた動植物は
如何なる理由により
如何なる方法に
随つて、各種
毎に
斯く数多の異なつた変種を生ずるに
至つたかといふに、
其理由・
原因は決して一通りに
限つた
訳でなく、種々の事情が
与かつて力ある様に思はれる。同一の植物に生じた種子でも
之を
甲・
乙・
丙・
丁等の相
隔つた国々に持つて行つて
蒔けば
之より生ずる植物の間に多少の
相違の起ることは決して
珍しくない。
尚三代・四代と時の
歴るに
随つて
其相違も
著しくなり、全く
異つた植物かと思はれるまでに変化するものも往々ある。
此等は
皆地味・土質の
相違、風雨・
乾湿の多少、温度の関係等より起る自然の変化で、別に人間の力が加はつて居る
訳ではない。
彼の秋田の
大蕗の種も、東京へ持つて来て植ゑては
到底葉が
斯様に大きくはならず、桜島の大根の種も京都・
大阪に移しては決して半分の太さにも達せぬは
此類であらう。
併し、
西洋諸国で見る
如き
著しい変種は決して
単に風土の異なるに
随つて出来たものばかりではない。例へばパウター、ファンテイルの
如き
鳩、グレイハウンド、ブルドッグの
如き犬は
到底単に気候や食物の関係から生じた変種とは思へぬ。
此等は天然自然に起る変化の外に
特別な
原因があつて終に今日の
如き著しい
姿を
呈するに至つたのである。
斯様な
著しい変種は
如何にして生じたかといふに、
是は全く人間の世話によつて出来たものであるが、
其方法は今日も現在
飼養者が常に行つて居る所で、別に不思議な法ではない。
唯多くある個体の中から
飼養者の理想に最も近い性質を
帯びたものを選み出し、
之を
繁殖の目的に用ゐ、
其の生んだ子の中から
又飼養者の理想に最も近い性質を帯びたものを選み出して
之を
繁殖せしめ、
代々同じことを
繰り返すに過ぎぬ。例へば極めて耳の長い
兎を造つて
一儲けしやうと思ふ人は、
沢山ある
兎の中から最も耳の長さうなものを選み出し、物指しを
以て
丁寧に耳の長さを測り、一番耳の長い
牝に一番耳の長い
牡を
掛けて子を生ませ、
其生れた子の中から
又一番耳の長いものを選り出して
之に子を生ませる。
斯く代々一番耳の長いものを選み出して
之を
繁殖の目的に用ゐる様にすると、一代
毎に少しづゝ耳の長い子が出来て、一代毎に少しづゝ
飼養者の理想に近づいて来る。今日見る
如き種々の動植物の著しい変種は
皆斯様に代々
飼養者が
繁殖の用に供すべきものを
選択した結果であるが、
是は人間の
料簡で行ふ
淘汰であるから
人為淘汰と名づける。
我々の
飼養する動植物の次第々々に改良せられて行くのは主として
人為淘汰の結果である。
人為淘汰を行ふに当つて、
飼養者が
唯一人よりなく、
其一人が
唯一種だけの理想を標準として
淘汰すれば、
飼養せられる動物
或は植物は
唯一方へ向つて変化する
許りであるが、
若し初めから数人の
飼養者が数種の理想を有し、
彼処では
甲の標準により、
此処では
乙の標準によつて
淘汰するといふ様に、別々に
淘汰して行けば、
其動植物は各々異なつた方向へ向つて変化し、次第々々に相遠ざかり、初め同一種のものも終には全く相異なつた数多の変種に分れて
仕舞ふ。人の
飼養する動植物に一種
毎に今日の
如く多くの変種の生じたのは、主として
此様な具合に
人為淘汰を行ひ来つた結果である。
前には
唯人為淘汰の方法を示すために
便宜上兎を例に取つたが、
是は我国でも
兎の流行する時には実際
物指しで耳の長さを測り、先に述べた通りのことを行ふ
故、単に最も手近な例として
之を選んだに過ぎぬ。
若し
人為淘汰の結果を示すためならば、
兎は決して適当な例ではない。
之には
寧ろ西洋諸国にある様な
著しい動植物の変種を挙げるが適切である。元来我国の
兎は
唯一種の
玩弄物で実際には何の役にも立たず、
且流行するときは
一疋五十円も百円もするものが、
一旦流行せなくなれば五十銭でも買人がなくなる位で、
之を飼ふものも一時の投機事業と心得て、流行する間は極めて
厳重に
淘汰を行ふが、流行が止めば全く
棄てて
顧みない。それ
故、長い間、人に飼はれたにも
拘らず、
人為淘汰の結果が目立つ程には積らず、今日の
飼兎も百年前の
飼兎も
略少しも
違はぬ。
之に反して西洋
諸国の農業の発達した
処では、何に対しても絶えず
人為淘汰を十分に行ひ、改良の上にも改良を加へる様に
尽力したので、
其結果として、前章に
掲げた
如き、
殆ど注文に応じて
特別に造つたかと思はれる様な
著しい変種を生ぜしめるに至つた。
斯様な変種を列べてある共進会などに行き、目の前に
之を見ると、実に
淘汰の力は
斯くまでに大きなものかと
驚かずには居られぬ。
斯くの
如く、
人為淘汰によりて動植物を人間の
随意に変化せしめることの出来るのは
何故であるかと考へるに、
之には三つの条件が備はつてあるからである。三つの条件とは、(第一)、親の性質は子に伝はること、(第二)、同一対の親より生れた子の間にも必ず多少の
相違あること、(第三)、生れる子の数は
比較的多くして、
其中より
或るものを選み出すべき
余裕あることであるが、
是だけの条件が残らず備はつてある
故、
淘汰も出来、
淘汰の結果も現れるのである。
親の性質が子に
遺伝することは
我々の日々
見聞する所で、改めて証明するに
及ばぬ事実である。人間の子は
唯人間であるといふのみならず、必ず
其親なる
特別の個人に
似る
如く、他の動物でも
皆其通りで、
兎の子は
兎全体に通ずる性質を帯びて居る外、
其親兎の
特殊な性質をも持つて生れる。動植物ともに
此遺伝といふ性質がある
故、
人為淘汰によつて
之を種々に変化せしめることが出来るので、
若し遺伝といふ現象が無く、親の
特殊の性質は子に伝はらぬと定つて居たならば、
人為淘汰も
無論何の役にも立たぬ。
彼の
兎を飼ふ人が
骨を
折つて耳の最も長い
兎を選み出して
之を
繁殖用に使ふのは、
唯耳の長い
親兎からは
矢張り耳の長い
子兎が生れることを、
経験上、信じて居るからである。
斯く親の性質が子に
遺伝することは当然のこととして、常には
誰も
殆ど
之を
念頭に置かぬ
程であるが、親に何か
特別な変つた点のあるときには
遺伝の現象が
著しく人の目に
触れる。
其中で最も
明なのは手足に指が六本ある
如き
畸形の場合であらう。一二の例を挙げて見るに、今より百六十年程前にエスパニヤの
或る処に
突然左右の手足ともに六本づゝ指のある男の子が生れ、
此男が始まりとなつて、それより三代の間に一家一門の中に
殆ど四十人
許りも六本指の人が出来たことがある。
若し六本指の男が必ず六本指の女と
結婚して代々続けば、
或は六本指の性質が固定して六本指の人種が出来るかも知れぬが、男でも女でも
皆五本の指を持つて居る
普通の男女と
結婚する
故、一代
毎に
此性質は
著しく
薄くなり、三四代の後には全く消えて
仕舞ふ。
又イタリヤの
或る町で、同じく六本指の男が
普通の女と
結婚し、
其間に出来た数人の子どもが
皆六本指で
唯最後の一人だけ五本指であつたので、父なる男は
此子を自分の子と
承認するを
欲せなかつたといふ話もある。
其他病気の遺伝することも人の常に
認める所で、特に精神病などになると、医者が極めて
厳重に
其系図を
穿鑿する。
併し、親の性質が残らず子に遺伝するものでないことも、
我々の
善く知つて居る事実である。人間の例を取つても、鼻の高い人に鼻の低い子の出来ることもあり、
肥えた人に
痩せた子の出来ることもある。けれども鼻は親に
似ないが眼付きが親の通りであるとか、親よりは
痩せて居るが歩き具合が
其儘であるとか、必ず何か親の性質の伝はらぬことはない。
又生れた子の性質の中で、
或点は父より伝はり、
或る点は母より伝はるが、何の性質は必ず父より伝はるとか、
又必ず母より伝はるとかいふ定まりは少しも無い様で、例へば眼付きは父に似、口元は母に似た子もあれば、
之と正反対で母の眼付と父の口元とを備へた子もある。
斯くの
如く
遺伝といふ現象のあることは、目前の事実で、
誰も
疑ふことは出来ぬが、さて親の性質の中で、
如何なる点だけが子に遺伝し、
如何なる点は遺伝せぬか、
又は
如何なる性質は父から伝はり、
如何なる性質は母から伝はるかといふ様に、
其詳細なる法則を考へると、
之に関する
我々の現在の知識は実に
皆無といつても
宜しい。
其他或る性質は親から男の子ばかりに伝はつて、女の子には丸で伝はらぬことがある。
又其反対の場合もある。千七百十七年に英国ロンドンに生れたランベルドといふ男は
奇態な
皮膚病で、身体の全面から短い
棘が生えて居たので、「
山荒し男」といふ
綽号を
附けられて、有名なものであつたが、
此性質は男の子や、男の
孫には伝はつたが、
娘や
孫娘には全く現れなかつた。
又親の性質が子の代には現れずに、孫の代に至つて現れる場合も
幾らもある。
牡牛は
無論乳を生ぜぬものであるが、
乳の善く出る
牝牛の生んだ
牡牛から出来た
牝牛が
祖母に似て
沢山に乳を出すことは、
牧畜家の常に知る通りであるが、それと同様に
牝羊には素より角の生えることはないが、
特別の形した角を持つた
牡羊から出来た
牝羊の生んだ
牡羊に
祖父の通りの角が生えた例もある。
斯様な場合に乳を多く出す性質
或は
特別の形した角を生ずる性質は、
如何にして
牡牛或は
牝羊の身体の内に
一生涯隠れて
存し、
其子の代に
至つて初めて現れるかといふ様に、広く
遺伝に関する事実を集め、
其理由・法則等を考へて見ると、
殆ど
解らぬこと
許りである。
我々の今日の知識の
程度では、遺伝の現象は
到底明瞭に
理解することは出来ぬ。
此困難な
遺伝の現象を説明せんがために、ダーウィン以後に多数の学者が種々の仮説を考へ出した。
其重なものだけでも七つ八つもあるが、
孰れも十分な土台の無い
架空の
論で、
到底一般の学者を満足せしめ得るほどのものではない。それ
故此等の説は
一括して遺伝説と名づけ、当分の内は真の進化論とは区別して置くが
宜しい。元来遺伝の現象は生物進化の一元素であるから、無論
之と
密接な関係があるに
相違ないが、ダーウィンの自然
淘汰の説では、
唯遺伝の事実なることを
認めさへすれば、生物進化の大体は説明が出来て、
敢へて遺伝の原因・法則等が
詳しく解るまで待つに
及ばぬから、本書に
於ては近来の遺伝説を一々
丁寧に述べる必要は少しも無い。
こゝに変化といふのは、
一疋の動物、一本の植物の
一生涯の間に起る変化を指すのではない。一代と次の代との間に生ずる変化、同一の親より生れた子同士の間に現れる
相違をいふのである。
此事を短く言ひ現すに、適当な語が無いから、
拠なく仮に変化と名づけて置くが、
之が
人為淘汰の出来る第二の条件である。
生物
一般に変化といふ現象のあることも、
我々の日々実際に見聞することで、
是れ
亦改めて証明するに
及ばぬ事実である。人間を例に取つても同一対の父母から生れた兄弟姉妹でも、二人として
総べての点に
於て全く相同じきものは決してない。
何処かに必ず
幾らかの
相違があるが、
此多少相異なつた兄弟等から生れた
従兄弟も
皆多少
互に
相違し、
其子孫は
尚更悉く多少
相違して居て、我国四千余万の人間の中で並べて置いたら
誰も
間違へる程に相似たものは
滅多に無い。他の動物でも全く
之と同様で、犬でも
猫でも同一の親から生れた子が
皆互に多少づゝは
違つて、決して
二疋全く同一なものはない。
併し、
我々は犬や
猫に対しては人間同士ほどに関係が深くないから、十分注意して
一疋づゝを見分ける必要もなく、
随つて
一疋毎の
特徴に気が
附かぬから、往々どの犬を見ても、どの
猫を見ても、全く同じ様に見えることがある。
是は
恰も西洋人を初めて見るときは、どの人も同じ様な顔に見えて、一向に区別が付かぬのと同様であらう。
慣れさへすれば、一人々々の
相違が
明になり、
親密に
交際する様になれば、
幾ら
善く
似て居る人でも決して
間違へる
気遣ひはない。
'鶏'でも、
鳩でも、馬でも、牛でも、
丁寧に調べて見さへすれば、一対の親から生まれた子の中にも必ず変化のあることは
直に解るが、さて動植物は
如何なる理由により、
如何なる法則に
従つて変化するものかと細かく考へると、
是は前の遺伝と同様、
甚だ
困難で、現時の
我々の知識では中中
了解の出来ぬことが多い。通常は親の性質を中心とし、
或は
之より過ぎたり、
或は
之に
及ばなかつたりして、多少の変化を生ずるに過ぎぬが、時とすると、
突然親には似ずして、
却つて数代前の先祖に
似た子の生れることもあれば、
又時としては親にも先祖にも似ない全く新しい性質を持つた子が不意に生れることもあつて、
如何なる変化が起るかは中々前から正しく予知することは出来ぬ。
併し、平均して言へば、親に
似ない子の生れるのは
稀な例外で、百中九十九までは親の性質を全く受け
継ぎながら、
唯或る
範囲内で多少変化するだけである。前の
兎の例を取つて言へば、仮に
親兎の耳の長さが
四寸(注:12cm)であつたとすれば、
子兎の生長した後の耳の長さは
或は全く親と同じく四寸(注:12cm)のものもあり、
或は親よりは少し短くて
僅に
三寸九分(注:11.7cm)位のものもあり、
或は親よりは少し長くて
四寸一分(注:12.3cm)位のものもある。
其中から耳の長さの四寸一分あるものを選み出し、
之に子を生ませれば、
其子の中には親と同じく耳の長さが四寸一分のものもあり、
又親より短くて四寸か三寸九分位のものもあり、
又親より
優れて四寸二分(注:12.6cm)位のものも出来る。植物でも
理窟は
之と同じである。総べて動植物の子が大体に
於ては親に
似ながら、
矢張り多少親と
違ふ有様は、
之を外の物に
譬へて言へば、
恰も矢で
的を
射るのと同様である。的を
狙つて
沢山の矢を
放つても
其中で的の真中に当るものは
滅多に無く、
大概は的の真中よりは少し上とか、少し下とか、
又は少し左とか少し右とかへ
寄つて、的を外れる、
併し
素より的を
狙つて射るのであるから、
所謂中らずと
雖も遠からずで、
無暗に遠方へ外づれることは無く、
孰れも的の近辺へ集まるものである。動植物の生む子も
之と同じく、
皆必ず
或る度までは親に似て居るが、親と
寸分も
違はぬといふものは
極めて
稀であつて、多くは親とも
互とも少しづゝ
相異なつて居る。
是だけは、
我々の日々見聞する事実から
帰納して確に
断言の出来ることである。
以上は
普通の場合であるが、前章で例に挙げたセス・ライトの足の短い羊や、前節で述べた六本指の人間などの様に
突然親とも兄弟とも全く
違つた性質を帯びた子の生れることが往々あるが、
此等は
如何なる具合で生ずるものやら全く
理窟も
解らず、
又何時生ずるものやら
毫も予知することも出来ぬ。前の的を
射る
譬に比べると、
恰も
群を
離れて遠く外れた矢の
如きものであるが、
斯かる
突飛な変化は
普通の変化とは根本的に性質の
違ふものか
又は単に程度の
相違だけであるかといふ問題に対しては、当時の学者の考も
様々で、中には
斯様な
突然な変化だけが生物種属の進化の
原因となるものであると
論じて
居る人もある。
詰まる所、生物が変化するといふ事実は
誰も
認めざるを得ぬが、
其理由・法則に
至つては未だ中々
解らぬ有様である。
併し、解らぬ事ほど何とか
我流に説明して見たいのが
人情で、今日までに変化の現象を説明しやうと
試みた仮説は
幾つとなく考へ出された。実にダーウィン以後の進化論は理論的の方面は
殆ど
遺伝と変化とに関する仮説ばかりと
謂つて
宜しい
程である。けれども
此章に
論ずる
人為淘汰も後の章に述べる
自然淘汰も
唯生物に変化といふ
性がありさへすれば必ず出来ることで、その原因や法則が十分に解らなくても説明上
甚だしく
差支へぬから、変化の現象に
就いての種々の仮説を一々こゝに
紹介するには
及ばぬ。今日
沢山にある仮説の中で
誰のが正しくても
誰のが
誤でも
進化論の
骨髄たる生物進化の事実には少しも関係を
及ぼすことはない。
凡そ物を
選択するといふ以上は、多数の相異なつたものの中から
或るものを
選択するに
極まつて居る。
何故といふに、全く同じものばかりならば、数は
幾ら多く有つても
彼と
此との間に少しも
相違がないから、
孰れを
選むといふことも出来ず、
又数が少くて五個あるものの中から四個を選み出し、十個の中から九個を選むといふ様では、
勢ひ不合格のものまで採用せざるを得ぬから、十分の
選択は出来ない。
我々の
飼養する動植物に
就いて考へて見るに、一対の動物が
一生涯に
僅に
二疋だけより子を生まぬものも決して無く、一本の植物で
一生涯に
唯一個より種子を生ぜぬものも決して無い。
皆必ず親の
跡を
継ぐに足るだけの数よりは数倍・数十倍
或は数百倍・数千倍も多くの子を生ずる。例へば
一粒蒔いた麦の
種子から数百
粒の種子が出来、一対の蚕の
蛾から数百
粒の卵が生まれる。牛馬の
如き大きな
獣類は
繁殖の最も
遅いものであるが、
是でも一対の
牝牡からは
一生涯の間には
十疋以上の子が生まれる。
而して
斯く多数に生まれる子が変化性によつて
皆多少
相異なつて居る
故、
飼養者は
此中より自分の理想に
最も近い性質を帯びたものを十分に選み出すことが出来るのである。
兎の例は前に挙げたが、
斯くの
如く
或る一定の標準に従つて一代
毎に最も
優れたものを
丁寧に
選択し、他のものは
総べて
繁殖せしめず、
唯当選したものだけに子を生ませて、
益々或る一定の性質の発達を
計ることは素より
兎に
限ることでなく、今日農業の開けた国では
何処でも
盛に
行つて居ることで、
此法を
厳重に行ふ処ほど
比較的短い時期の間に
立派な変種が出来る。馬・牛・羊などは
何処でも特に
選択を
厳重にするものであるが、
各々其目的に
随ひ標準を立て、
競馬用の馬ならば、足の最も
速なものを
選み、荷馬ならば最も力の強いものを選み、肉を食ふための牛ならば最も肉の多くて生長の速なものを選み、
又乳牛ならば最も多量に
乳の出る
牝牛、
或は
其牝牛を生んだ親の
牡牛、
或は
其牝牛から生まれた子の
牡牛を選んで、
繁殖の用に
供する。羊にも毛を取るためのもの、肉を食ふためのもの、両用のものなどあるが、毛を取るための羊では
選択が極めて
厳重で、先づ多くある羊の中から最も毛の
善かりさうなものを
沢山に選み出し、
其中から
二疋だけを引き出して、
選択用として
特別に
設けた台の上に
並び立たせ、
丁寧に毛を
比較し調べて見て、毛の
優れる方を台の上へ残し、毛の
劣れる方を台より下して、
其代りに次の
一疋を
載せて、再び調べ、優れる方を残し、
劣れる方を退けて順々に有りだけの羊を
皆比較し、
総べての中で真に第一等の毛を有するものを選み出して、
之に子を生ませる。羊の毛の最も上等なものを二つ並べて
其間の
微な
優劣を
識り別けるのは中々の
熟練の入ることで、
普通の人には
到底出来ぬが、そのため
牧羊の盛な土地には羊毛の
鑑定を
職業とし、
種羊選択の
際に相当な
報酬を取つて方々へ
傭はれて行く人々がある。今日世界に有名なメリノ羊などは全く
斯かる厳重な
淘汰を長い間
励行した結果である。
我々は前にも
述べた
如く
遺伝の理由・法則は一向
詳しく知らぬが、親の性質が余程まで子に伝はることは毎日実際に見る所で、少しも疑ふべからざる事実である。
又我々は変化の理由・法則は一向
詳しく知らぬが、同一の親より生まれた子が
皆多少
互に
相異なることは毎日実際に見る所で、
是れ
亦少しも
疑ふことの出来ぬ事実である。
此二通りの事実があつて、
其上、子の生まれる数は親の数に比して
頗る多いことも事実であるから、
唯一代
毎に
之を
淘汰する人さへあれば、
其結果として必ず動植物ともに
漸々形状・性質が変化し、
且種々の変種が生ずべき
筈である。単に
理論から言つても
斯くの通りであるが、現に今日
西洋諸国で見る
如き
飼養動植物の
著しい変種は実際
皆此方法によつて出来たものである。
人為淘汰の働き方を
尚一層
明瞭に理解するためには、前に
掲げた矢で的を
射る
譬に比べて考へて見るが
宜しい。的を
狙つて矢を
放つことは生物の方で言へば、
恰も遺伝性の働きに
比すべきもので、
其放つた矢が
殆ど
悉く的の中心よりは何方かへ外づれることは、
恰も変化性の働きに
匹敵する。
又一回に放つ矢の数は一対の親から生まれる子の数と見て
宜しからう。そこで、先づ
或る
処に的を
懸け、
之を
狙つて二十本なり三十本なり矢を放ち、次に矢の当つた
孔の中で最も右へ
寄つたものの処に的を
懸け直し、
更に
之を
狙つて二十本なり三十本なりの矢を放ち、
又其矢の当つた
孔の中で最も右へ寄つたものの処に
的を移し、数回
或は数十回も同様なことを
繰り返すと仮定したらば、
其結果は
如何、的は必ず毎回多少右の方へ移り、
終には最初在つた処とは
余程右の方へ遠ざかつた処に来るに
違ひない。
人為淘汰によつて動植物の変化する有様は簡単に言へば、
略此の
如き具合である。
併し、一代
毎に動植物を規則正しく
淘汰して最も
優等なものだけを
繁殖用とすることは、
飼養者の
貧富等の事情によつて出来る場合もあり、
又出来ぬ場合もある。英国の
如く大地主が数百
乃至数千の
家畜を養つて居る処では代々十分の
淘汰も出来て、
比較的短い時の間に
随分立派な種類も生ずるが、
貧乏人が
一軒毎に
一二疋づゝを飼つて居る処では、
到底其様な
真似は出来ず、
随つて何年過ぎても余り進歩する
見込はない。現に
驢馬の
如きは西洋諸国で昔から人の
飼つて居る
獣であるが、多くは
貧乏な
百姓などの飼ふもの
故、今日と
雖も
未だ一向に
立派な変種も出来ない。
又馬でも牛でも立派な変種のあるのは
皆政府
或は個人で広い場所に多数を
飼養し、学理に
随つて常に
丁寧に
淘汰を行ふ国だけである。我国などに昔から馬も牛も犬も
鳩も
皆唯一種類だけより無かつたのは今まで余り
人為淘汰の行はれなかつた結果であらう。我国では今日と
雖も総べての
家畜類に
甚だしい変種がない
故、
人為淘汰のことも
唯話に聞くだけで余り深くは感じないが、西洋では何の類にも
著しい変種が多いから、
人為淘汰の効力を特に深く感ずる。
而して
此点で最も進歩した国は英国であることを考へると、
英国人なるダーウィンが
人為淘汰のことから野生動植物のことに考へ
及ぼし、自然
淘汰の
理に考へ当つたのは、決して
偶然とは言はれぬ。
人為淘汰を行ふに当り、
飼養者は何を標準とし、何を目的とするかといふに、
大抵は
価の高いものを造つて金を
儲けやうとか
又は
珍奇なものを造つて他人に
誇らうとかいふ二通りより外には無い。
而して実用を主とする動物では
如何なるものが最も多く世に
需められるかといへば、
是は
勿論其動物の実用に
適する点の最も発達したもので、
乳牛ならば乳の最も多く出るもの、毛羊ならば毛の最も
善いものである。
又玩弄的動物ならば
普通のものとは
違つた
奇態な方面に変化したものが多く人に
珍しがられ、
価も自然高い。
彼の無暗に胸を
脹らせる
鳩の種類や
尾を
扇子の
如くに拡げる
鳩の種類などは
此例である。代々
斯様な点を
淘汰の標準とし、
斯様な点の最も発達したものを
選み出し、
之に子を生ませて
飼養し来つたから、今日ヨーロッパで価の高い上等の
家畜は
孰れも
此等の点が非常に発達して、
恰も注文に応じて
特別に
製造した
如き形状・性質を備へて居る。例へば肉を食ふための
豚は腹が地面に
触れぬ
許りに身体が
肥満し、四足も短く、鼻も短く、丸で大きな
腸詰肉が歩き出した
如くである。
又毛を取るための
綿羊は
柔い毛が非常に
沢山に生じて、
恰も綿の
塊に四足を
附けた
如くに見える。
又乳を
搾るための
牝牛は
乳房だけが無暗に大きく発達し、一度に
二升(注:3.6リットル)以上も乳を出して、
殆ど
乳汁製造器械と名づけてもよい様な
構造を持つて居る。
第七図 羊と豚と こゝに一つ注意すべきは、以上の
如き性質は
皆人間が自分の
需要に応じて
或る年月の間に造り上げたもの
故、人間に取つては
孰れも極めて便利・有益なものであるが、
其動物自身に取つては何の役にも立たず、
寧ろ
邪魔になることである。
豚の
肥えることは
之を食ふ人間に取つては
誠に結構であるが、
豚自身に取つては
唯歩行が困難になるだけで何の利益もない。羊の毛の多いことは
之を
剪つて毛布を
織る人間に取つては誠に
調法であるが、羊自身から見れば
恰も
夜具を
被せて歩かされた様なもので、
迷惑至極な話である。
又牝牛の乳の非常に多く出るのは、
之を
搾つて
飲む人間には
誠に結構であるが、自分の生んだ子が
到底飲み
尽せぬ程に
沢山の乳が出ることは親牛に取つては
唯うるさいばかりで何にもならぬ。
其他金魚の
尾の長いのは、
之を見る人間には
奇麗で
宜しいが、金魚自身は
其ため
速く
游ぐことが出来ぬ。
又八重咲の花や、
種子無しの
蜜柑は
之を
眺めたり食うたりする人間には
悦ばれるが、
其植物自身は
其ため
肝心の
生殖作用が出来ぬ。
前章に
於て
述べた通り、人間の
飼養する動植物には遺伝の
性と変化の性とが備はつてある所へ、人間が
干渉して一種の
淘汰を行つた結果、
終に今日見る
如き
著しい変種を生ずるに
至つたことは
疑ふべからざる事実であるが、さて野生の動植物は
如何と考へると、
之にも
矢張り同様な
事情がある。
先づ
遺伝性と変化性とに
就いて考へて見るに、野生の動植物では前にも言つた通り、親子兄弟の
関係が
明瞭に
解らぬから、一個づつを取つて
何れだけの性質が遺伝により親から伝はつたか、
又何れだけの点は変化によつて親兄弟と
違ふか、
直接に調べることは出来ぬが、長い間
絶えず
採集し
又は同時に多数を採集して
比較すれば、こゝにも遺伝
及び変化の性質が備はつてあることを
明に
証明することが出来る。
其中、遺伝の方は昔から人の少しも
疑はなかつた所で、
従来人の信じ来つた生物
種属不変の説も、
畢竟今年
採集した標本も昨年採集した標本も、五年前のも十年前のも、同一種に属するものは
皆形状が
殆ど同一である所から、親の性質は
悉く遺伝によつて子に伝はり、子の性質は
悉く遺伝によつて孫に伝はり、何代経ても形状・性質に少しの変化も
起らぬものと考へ、
之より
推して
天地開闢より今日まで生物の各種類は一定不変のものであると
論結した次第
故、野生の動植物に遺伝の性の備はつてあることは他人の
証明を待つまでもなく、
誰も初めより
信じて居る。
語を
換へて言へば、進化論以前の
博物家は子は
寸分も親に
相違せぬもの、孫は子に寸分も
相違せぬものと初めより思ひ
込んで居たので、生物の変化性に気が
附かず
偶々少し変つた標本を
獲ても、
唯偶然に出来たものと軽く考へ、変化性の重大なる意味に思ひ
及ばなかつたのである。
元来野生の動植物の変化性を
認めることは自然
淘汰説の一要件で、若し生物に変化性がないものとしたらば、
無論如何なる
淘汰も行はれやう
筈がない。
斯く生物学上、
肝要な問題なるにも
拘らず野生の動植物の変化性に注意し、広く事実を集めて確実に
之を研究しやうと試みたのは
殆どダーウィンが初めてである
故、
彼のダーウィンの
著した「
種の起源」といふ書物の中には
此点に関する
事項が
割合に少い。
併し、
其後には
此問題は
追々丁寧に研究せられ、研究の積むに
随ひて生物の変化性の
著しいことが
明瞭になり、今日の所では
大勢の学者が力を
尽して
之を研究して居たので、変化性を調べる学科は生物
測定学といふ名が
附いて生物学中の
独立なる一分科の
如き有様となり、
此学のみに関した専門の
雑誌まで発行せられて居る。生物の変化性に関する
知識はダーウィン時代と今日とでは
殆ど
雲泥の
相違があると言つて
宜しい。
「
種の起源」の発行後、
尚暫くの間は有名な動植物学者の中にも自然
淘汰の説に反対した人が
沢山あつたが、
其理由は
孰れも生物の変化性に関する知識が
頗る
乏しく、野生の動植物が
如何程まで変化するものであるかを知らなかつた
故である。今日の
如くに変化性の研究の進んだ以上は最早
苟も生物学を
修めた者には生物進化の事実を
認めぬことは
到底出来ぬ。
斯様に大切な
事項故、本書に
於ても野生の動植物の変化の
有様を
成るべく十分に述べたいが、一々実例を挙げて具体的に説明しやうとすると、
勢ひ無味
乾燥な数字ばかりの表や、
弧線などを
沢山に
掲げなければならぬから、こゝには
唯若干の例を引いて、大体のことを
述べるだけに止める。
凡そ
如何なる動植物の種類でも、
標本を数多く集めて
之を
比較して見ると、一として総べての点で全く
相同じきもののないことは、今日の研究で十分に
解つて居るが、
其互に
相異なる点の性質によつては、
特別の
器械を
以て
精密に測らなければ
解らぬ様なこともある。身長の
差違、体重の
差違等でも、
天秤や
物指しを用ゐなければ、
明には知れぬが、
況して体面の
屈曲の度とか
凸凹の
深浅の
割合とかの
相違を調べるには、特に
其ために造られた
複雑な器械を用ゐなければならぬ。
唯彩色・
模様等の
相違は眼で見ただけでも一通りは
解るから、野生動植物の変化性のことを述べるに当つては先づ模様の変化の
著しい例を第一に挙げてみやう。それには我国
何処にも
普通に
産する小形の
黄蝶などが最も適切である。
此処に
掲げたのは
黄蝶の図であるが、
翅は一面に美しい黄色で、
唯前翅の
尖端の
処だけが黒色である。
幼虫は
荳科の雑草の葉を食ふもの
故、
此蝶は
到る処に
沢山居るが、春から夏へ
掛けて多数を採集し、
之を並べて見ると、
翅の黒い処の多い少いに
著しい変化があり、
或る標本では(ニ)の
如く
前翅の
端が大部分黒く、
後翅の
縁も黒い
程であるが、
又他の標本では(イ)の
如く
翅は前後ともに全く黄色ばかりで、黒い処が
殆どない。それ
故、初めは
此蝶には
幾種もあると思ひ、実際黒色の部の多少によつて
之を数種に区別し、各種に一々学名を
附けたりしてあつたが、
岐阜の
名和氏、
横浜に居たフライヤー氏などの
飼養実験によつて、
悉く一種内の変化に過ぎぬことが
判然し、今では
之に「種々の変化を現す
黄蝶」といふ意味の学名が
附けてある。
第八図 黄蝶の変化
黄蝶のみに限らず、
蝶類は一体に
甚だ変化の多い動物で、日本に
普通なベニシヾミといふ
奇麗な
小蝶も、採集の時と場所とに
随つて、
紅色の
著しいものもあり、
又黒色の
勝つたものもある。
又揚羽蝶の中には産地によつて
後翅から後へ出て居る
尾の様なものが有つたり無かつたりする種類もある。他の
昆虫類とても
随分変化が著しい。
或る
甲虫類では
翅が有つたり無かつたりする程の
甚だしい変化を一種内に見ることがある。
又昆虫類の変化は成虫に
限る
訳ではなく、
随分幼虫や
蛹などにも
盛な変化があり、
或る学者の
調によると、一種の
蛾の幼虫に十六通りも変化があつた場合がある。今日
昆虫学者と
称して
昆虫を採集する人は世界中に何万人あるか知らぬが、多くは
唯新種らしきものを発見し
記載することばかりに力を
尽し、
此面白い変化性の現象を学術的に研究する人は、西洋でも
比較的甚だ少い。
鳥類は研究者の数も
随分多く、体の大さも通常
寸法を測るのに
丁度手頃であり、
且従来鳥類を調べる人は標本を
獲る
毎に身長、
翼の長さ、
嘴の長さ、足の長さ
等を
一疋づゝ
詳しく測ることが、必要上
習慣となつて居たので、変化に関する事実も、自然他の動物に比すると
余程多く知れてある。
雀でも
烏でも
唯遠くから見て居ると、どの
雀も、どの
烏も全く同じ様で、
互の間に少しも
相違がない様に思はれるが、
親しく
之を手に取つて
比較して見ると、
一疋として全く相同じきものが無いのみならず、
其間の
相違は
随分著しいもので、身長・
翼長等に一割半から二割
或は二割半位までの
差異のあることは
殆ど常である。二割の
相違といへば五尺(注:150cm)と六尺(注:180cm)との
相違で、
若し
是が人間であつたならば、一は
雲突く様な大男といはれ、一は
徴兵にも取られぬ
脊低といはれる。人間ならば
斯く著しく人の目に
附く
程の割合に
相違して居ても、
雀や
烏であると、一向人が知らずに居るのは全く
誰も
之に注意せぬからである。無論
此処に述べたのは生長の終つたものばかりで、日々生長する
幼鳥は
除いての話しである。鳥類の
寿命は
比較的甚だ長いが、人間と同じ様に
一旦生長の終つた後は何年
経ても身体に
著しい
増減はないから、以上述べた
相違は一時的でなく、
一生涯中の
相違である。
我国には未だ十分な
取調がないから、鳥類の変化の有様を
詳しく示すには、外国産のものを例に取らねばならぬが、次に
掲げた表はアメリカ産の
雀に似た鳥の変化を
現したものである。先づ
此表の造り方から述べて見るに、初め中央へ一本の
縦線を引き、
之を
平均の長さを示す
目標とし次に
一疋づゝ鳥の身長を測り、
数十疋ある標本を残らず測り終つた後、
其平均の長さを計算し置き、
更に再び
一疋づゝを取つて
其実際の長さと、先に計算によつて得た平均の長さとの差を測り、例へば三分だけ(注:9mm)平均より短かければ
縦線の左へ三分(注:9mm)
隔つた処に一つ黒点を
附け、五分(注:15mm)だけ平均より長ければ、縦線の右へ五分(注:15mm)
隔つた処に一つ黒点を
附けるといふ様にし、
斯くして身長の調が
済めば、次には同様の方法で
翼長を調べ、
又次に
尾長を調べて造つたものである。それ
故、
各段に
於て黒点の数は鳥の頭数を示し、各黒点の位置は平均との差異の多少を現す。
此表一つだけを見ても
如何に野生の鳥類に、
夥しい変化があるか、
明に
推察が出来るであらう。
第九図 鳥類変化の表(1)
尚一つ
此処に
掲げたのはアメリカ産の
烏に似た鳥の変化の表である。前のと全く同じ方法で造つたもの
故、別に説明にも
及ばぬが、
之には
嘴の長さの変化が示してある。
其他今日
特別に鳥類の変化を調べて造つた表には、指の長さ、
脚の長さ、眼の大きさ、羽毛の長短の順序などを
丁寧に示したものが
沢山にあるが、
煩しい
故、
此処には総べて
略する。
第十図 鳥類変化の表(2)
下等動物には変化の
甚だしいものが
頗る多い。中にも
海綿の類などは
余り変化が
烈しいので、種属を分類することが
殆ど出来ぬ程のものもある。現に海綿の
或る部類は種属
識別の標準の立て方
次第で、一属三種とも十一属百三十五種とも見ることが出来るといふが、
此等の動物では
唯変化があるばかりで、種属の区別は無いといつて
宜しい。
其他、
蝸牛などが
又変化の盛な動物で、
何処の国に行つても、多くの変種のないことはない。フランスの
或る学者の
調によると、「
森蝸牛」といふ一種には、百九十八の変種があり、「
園蝸牛」といふ一種には九十の変種がある。
我国などでも、
蝸牛の標本を数多く集めて見ると、一種
毎に中々変化が多くて
往々自分の手に持つて居る標本が、
孰れの種に属するか、判断に
困ることがある。
蛤、アサリ等の
貝殻の
斑紋にも、
随分変化が多い。
或は全部白色のものもあり、
或は全部色の
濃いものもあり、
又は波形の
模様あるもの
又は
鋸の歯の
如き
斑あるものなど、一つ
椀の中にあるだけでも全く同一のものは決して無い。
是は単に
貝殻の外面の模様に過ぎぬから、
殆ど何の意味もないことと思ふ人もあるかも知れぬが、
斯様に色の
違ふのは、
矢張り
之を生ずる肉の方に多少の
相違があるに
基づくことであらう。
以上
掲げたのは、最も手近な例を二三選み出したに過ぎぬが、今日の生物測定学の結果を見ると、
如何なる生物でも変化を
現さぬものは一種もない。
然も
孰れも
随分著しい変化を示して居る。
動物各種の変化は身長・
斑紋等の
如き単に外部に
顕れた点に
於てのみではない。内部の細かい構造にも中々
著しい変化がある。
併し動物を
一疋毎に
解剖することは、
唯身長を測つたりするのとは
違ひ、大に手数のかゝるもの
故、多数の標本を
解剖して
比較した例は
甚だ少い。
唯解剖学者が
解剖する際に、
偶然発見した変化を記録して置いたものだけであるが、それだけでも変化の
甚だしい例が
既に
沢山にある。
脊骨の数、
肋骨の数なども往々一種の動物内で変化があり、一二本多過ぎたり、足らなかつたりすることは、決して
珍しくはない。通常、
解剖の書物には
煩を
避けるために、何事も
唯模範的のものだけが
掲げてあるから、初学の者は
総べて
此の
如きものばかりであると思ひ
込み、実際
解剖して見て書物と
違ふので大に
驚くことがあり、
又気の早い者は
一廉の新事実を発見した
積りで、非常に
騒ぐこともある。何の
器官にも多少の変化はあるが、血管・
神経の配布などには特に変化が
甚だしい。
次の表は
独逸国の水産局の係の人が、一つ処で取れた
鯡を三百
疋ばかり
解剖して調べた
脊骨の数の変化を現すものである。縦の線は
脊骨の数を示し、横の線は百分比例で
疋数の割合を示す様に出来て居るが、総数の
殆ど
四割五分は五十五個の
脊骨を有し、
略四割は五十六個の
脊骨を有するに反し、五十七個の
脊骨を有するは
僅に一割、五十四個を有するは
僅に五分に過ぎず、五十八個
或は五十三個を有するものは総体の中に
僅に五六
疋より無い。
斯様に
疋数の多少には
著しい
相違はあるが、
鯡の
脊骨の数は少きは五十三個、多きは五十八個で、都合六個の変化がある。
第十一図 鯡の脊椎の数の変化
尚一つ
掲げたのは、
鰈の
臀鰭の骨の数の変化を示す表であるが、
鰈は人の知る通り
海底に
横臥して居る魚で、左右両側は全く色が
違うて
恰も他の魚類の
背と
腹との
如くに見え、真の背と腹とは
却て左右両側の
如くに見える。
而して
斯く背と腹との同じく見えるのは、
普通の魚類では腹の後部にあるべき
臀鰭といふ
鰭が、非常に大きくて
殆ど
背鰭と同じ位になつて居る結果であるが、
此臀鰭の骨の数を
算へると、種々の変化を発見する。
此処に出した表はイギリス国のプリマスで取れた一種の
鰈に
就いて
其変化を表したものであるが、最多数は四十二本・四十三本で、
稀には三十八本に過ぎぬのもあれば、
又四十八本もあるのも
何疋かある。
而して面白いことには同一種の
鰈でも、産地によつて
此数が
違ひ、ドイツ国北海岸の西部では、四十一本・四十二本のものが最多数で、東部へ行くと三十九本のものが最も多い。
之を表に造れば産地が東へ寄る程、曲線の山の
頂上に当る所が表の左方へ進んで行く訳である。
第十二図 鰈の臀鰭の線の数の変化を示す 此の
如く
縦横に線を引き、
之によつて生物の変化の有様を現すことは、今日生物測定学で最も
普通に用ゐる方法である
故、特に
其例を示したのであるが、
此法によれば生物の変化は
何時も一つの
弧線によつて現され、
其弧線の形状により変化の多少は
素より、一種
毎の変化の
為様の
特異の点までを、一見して
直に知ることが出来る。
外部の形状・内部の構造の変化は数字を
以て表に示せるが、動物の
習性の変化の
如きは、
其様に
精密には現せぬ。
併し習性にも中々変化の多いものであることは、次の二三の例でも解るであらう。
抑も動物の習性に変化があるか無いかといふことは、生物進化の
径路を考へる上に、大関係のある問題で、
若し動物の習性に決して変化はないものとしたならば、動物の進化も
容易には出来ぬ
理窟である。それ
故、
近頃動物を研究する人は特に
此点に注意して居るが、
丁寧に
観察して見ると、どの動物も習性の変化が
随分多くある。先年来アメリカの鳥類だけを
専門に調べた
某氏などは、
其報告書の中に、鳥類の習性は決して
従来人の思つて居た
如くに、一定不変のものではなく、一種中にも
一疋毎に多少の
相違があり、産地が異なれば
更に
甚だしい
相違があると
特書した。
ニウ=ジーランドの中央の島の山地に
棲むネストルといふ
奇妙な
鸚鵡があるが、
此鳥は他の
鸚鵡の
如く、
従来、花の
蜜を
吸ひ、果実を食つて生きて居たものであるが、西洋人が
移住し来つてから、
其習性に思ひ
掛けぬ変化が起つた。
或る時羊の
生皮が日に
乾してある
処に来て、
之を
喙んだのが始まりで、急に肉食を好む様になり、千八百六十八年
即ち
我明治元年
頃から
牧場に居る生きた羊の
脊を
喙み、肉に食ひ入り、特に好んで
腎臓を食ふ様になつた。羊は
無論そのために死んで
仕舞ふ。
斯く
突然大害を生ずる様になつたので、牧羊者は
捨て置く訳に行かず、力を
尽して
其撲滅に
従事したから、
此面白い
鸚鵡の種類も今では
極めて
稀になつた。
孰れ遠からぬ中には全く種が
尽きて
仕舞ふであらう。元来
鸚鵡の種類は
決して肉食せぬもの
故、
爪の
丈夫なのも、
嘴の太く曲つて居るのも、
皆唯樹木を
攀ぢ、
枝の上を
巧に運動するためであるが、
一旦習性が変ると、形の相似たのを
幸に、
直に
之を
鷲・
鷹同様に、肉を
裂き食ふために利用する具合は中々
妙である。
又ヨーロッパからニウ=ジーランドに輸入して
放した
雀類の小鳥なども、
其習性が大に変じて、ヨーロッパに
於けるとは根本的に形の
違ふ
巣を造る様になつた。一体、
習性といふものは、
余程までは
真似に基づくもので、通常は余り変化せぬものの様に見えるが、
一疋何か変つたことをするものが現れると、
直に他のものが
之に習つて、こゝに新しい習性が出来る。それ
故異なつた場所に移すと、動物の習性に変化を生ずることが
比較的に多いのであらう。
以上は動物の習性の変化の最も有名な例である。
斯く
著しい例は余り多くはないが、前にも述べた通り多少の変化は
極めて
普通であるから、親子の間と
雖も、習性が全く同一とは
限らぬ。
又同じ
子孫の中でも、
或るものは
旧習性を守り、
或るものは新習性を取ることもあり、
其間に自然に
相違が現れるのは
素よりである。
植物の変化は余程
著しい例が多い。
従来植物学者といへば少数の植物生理学などを
除けば、
其他は
皆植物の分類
即ち種属識別ばかりに
尽力したもの
故、変化性を調べるための材料は
既に十分にある。スウィス国の有名な植物学者ドカンドルは世界中の
樫の種類を残らず集めて研究したが、初め標本の数の少い間は、各種属を
判然区別することが出来たが、
追々標本の集まるに
随ひ、
曖昧なものが出て来て、前に判然区別のある二種と思つたものも、
其間の
境が
解らなく
成つて、大に
困難を感ずるに
至つた。例へば一本の
枝だけを取つても、
詳細に調べて見ると、
葉柄の長さには三と一と位の
相違があり、葉の形状にも
楕円形と
倒卵形とがあり、葉の
周辺が完全なものもあり、
鋸歯状のものもあり、
又羽状に分れたものもあり、葉の
尖端の
鋭いものもあり、円いものもあり、葉の
基部の細いもの、円いもの、
或は
心臓形に
逼出したものもあり、葉の表面に細毛の生じたものもあり、
平滑で全く毛の無いものもあり、
雄蕊の数にも種々の変化があり、
果実の長さにも一と三と位の
相違があり、果実の
成熟する時期にも種々の変化があるといふ様な場合があるので、中々、
若干の標準に
従つて種属を確定することは容易でない。ドカンドルは
此有様を見て、各種属の間に判然した
境界があると思ふのは
標本を多く見ない中の
謬見である、標本を多く見れば見るほど各種属の
特徴が定め
難くなると論じた。
以上は
唯一例に過ぎないが、
其他殆どどの植物を取つても
之に似たことがある。
何処の国でも有名な学者の
著した
其国産の
植物誌を二三冊も集めて
比較して見ると、必ず一方の学者が五種と
見做すものを他の学者は十種と
見做すといふ様な
識別の
相矛盾する例が
沢山にある。英国の書物から一例を
挙げて見るに、英国産の
犬薔薇といふ一種には二十八通りも
明な変種があり、
其間には順々の移り行きがあつて、
境が
判然せぬが、標本を一つづゝ別に見ると、
各別種の
如くに見えるので、
是まで
誰彼の植物家が
之に七十何種も名を
附けたことが出て居る。
併し、遠い英国の例を引くまでもなく、日本でも植物家の
著述を
彼此比較すると、
甲が独立の一種と
見做すものを
乙は単に
或る種類中の変種と
認めて、
互に説の合はぬ所が
甚だ多い。シーボルドの植物誌と
近頃の植物学
雑誌とでも
比較して見たら、
斯様な例は
殆ど
幾らでも
見附けることが出来る。
此章に述べた通り、少し
丁寧に調べて見ると、生物に変化性のあることは極めて
明瞭であるが、今日の生物学者は
唯生物に変化性があるといふ事実を知るだけでは
満足せず、
更に進んで変化の法則を
探求しやうと
試み、
其ため生物測定学といふ一分科を立てるに
至つた。世間には
未だ生物に変化性の有ることをも知らぬ人が多いが、
専門学者の方では
斯様な
議論などは
最早昔の話で今は
既に変化性の理法を調査する
段に進んで居るのである。
尤も
此学は
近来始まつた
許りのもの
故、熱心な研究者が
幾人もあるに
拘らず、未だ
其結果に確定したと
認むべきものは余り多くない。
且材料とする所は一個々々の標本の
寸法・重量などであるが、
之を研究する方法は中々
面倒で、ギリシヤ文字の
符号等を使ひ、複雑な
方程式を用ゐる
故、
突然之を述べることは
困難であり、
又十分に
之を
理解するには
微分や
解析幾何の
如き高等数学の
素養が必要であるから、本書に
於ては全く
之を
省略する。
併し、
其大体は
所謂予期の
勘定といふ計算法で、
簡単な
譬でいへば、次の通りである。
一銭(注:昔の通貨・百円のようなもの)の
銅貨をやたらに投げても二回の中、一回は表が上に出ることを
予期すべき
理窟であるが、二個の銅貨を同時に投げる場合には二個ともに表が上に出ることは四回の中
僅に一回より予期することが出来ず、三個を投げて三個ともに表が出ることは八回中
僅に一回より予期することが出来ぬ。
骰子を一個投げて一の出ることは六回中に一回予期すべきであるが、二個投げて両方ともに一の出ることは三十六回中に一回より予期することは出来ぬ。銅貨十個を投げて
皆表が出ることは二の
十乗(注:2を十回かけること。2×2×2×2×2×2×2×2×2×2の意味)
即ち千二十四回中に一回より予期せられぬ
勘定となる。
此理窟から割り出して
精細に
勘定すると、
二十歳の人は
尚何年生きることが出来さうであるか、
二十五歳まで生きて来た人は
尚何年生きることを予期すべきかといふことも計算が出来るが、
之が生命
保険の
基である。
唯月々の
掛金だけを取る多数の会社では
如何でも
宜しいが、真の生命保険会社では、全く
此計算法を土台として、
掛金率を定めなければならぬ。
之と同様に一種の生物の標本を多く集め、
之を測定して
此計算法で
勘定すれば、
其種の生物の変化性の度を数字で現すことも出来、また
若し
或る
淘汰が加はつたならば、
其種の生物は一代
毎に
如何ほど進化すべきものかといふ進化の係数をも算へ出せるといふ様な訳である。
野生の動植物にも
遺伝性と
変化性とのあることは前章に述べた通りであるから、一種の
淘汰が
之に加はりさへすれば、
恰も
飼養動植物が
人為淘汰によつて種々の
著しい変種を生じたのと同様に、代々必ず少しづゝ変化し、
終には
積つて先祖とは
甚だしく
異なつたものとなる
筈であるが、実際は
如何と考へて見るに、野生の動植物間には
確に
人為淘汰よりも
厳しい一種の
淘汰が日夜絶えず自然に行はれて居る。
其有様を簡単に述べれば次の通りである。
先づ動植物の
繁殖の
割合は何種を取つても中々
盛であるが、地球上に動植物の
生存し得る数には、食物
其他の関係から一定の
際限があつて、
到底生まれた子が
悉く生長し終るまで生存することは出来ず、一小部分だけは親の
跡を
継いで行くが、
其他は総べて
途中に
死絶えて、全く子孫を残さぬ。
即ち生存の競争に
打勝つたものは後へ子孫を
遺すが
敗けたものは
皆死に失せる。
而して
如何なるものが生存競争に打勝つかといへば、無論、生活に
適したものが生存するに定まつて居るから、代々多数のものの中から、最も生活に
適したもののみが生存して
繁殖する訳になるが、
是がダーウィンが初めて
心附き、生物進化の主なる
原因として世に
公にした自然
淘汰である。
自然淘汰の働きを
明に理解するためには、先づ動植物は
如何なる割合に
繁殖するもので、
若し生まれる子が
悉く生長するものとしたならば、
如何なる
速力で
増加するものであるかを知ることが必要である。
嘗てリンネーは植物の増加力の
盛なことを示すために、次の
如き場合を
仮想した。
此処に一本の草があり、二個の種子を生じて一年の
末に
枯れて
仕舞ふ。
翌年には
其二個の種子から二本の草が出来、各二個づゝの種子を生じて、
其年の末に
枯れて
仕舞ふ。
斯く代々一本の草が各二個づゝの種子を生じて進んで行つたならば、
如何に増加すべきかといふに、十年の後には千本
以上となり、二十年の後には百万本以上となり、三十年の後には十億本以上となる。
是は東京辺でよく人のいふ、
愛宕山の九十六段ある
石段の一番下の段に
一粒、次の段に
二粒、
又次の段に
四粒といふ様に、
倍増しに
米粒を置いて行くときは、一番上の段まで置くには、
幾粒を要するかといふ問と同じ
理窟で、一段
毎の増加は
唯一と二との割合であるが
所謂幾何級数
即ち
鼠算で
殖えて行く
故、
忽ち
驚く様に増加し、十回
毎にアラビヤ数字の
位取りが三段づゝも進む
勘定となるから、百回目には数字を三十以上も並べて書かなければならぬ程の、
到底我々の考へられぬ様な大数となる。
象は
総べての動物中で最も
繁殖の
遅いものであるが、
凡三十
歳位で生長を終へ、九十
歳になるまでの間に平均六
疋の子を生み百
歳まで生きるものと
見積つて
勘定しても、若し生まれた子が
悉く成長するものとしたならば、七百四五十年の間には一対の象の子孫が千九百万
疋程になる。
以上は両方ともに
繁殖力の最も少い場合を想像したものであるが、動物中に象ほど少く子を生むものは外に例が少い。
又毎年
僅に二個の種子より生ぜぬ様な植物は実際決して一種類もない。どの動植物でも
是よりは
遙に多数の子を生ずるものであるが、動物の中で最も多くの子を生むもので、人のよく知つて居る例は、魚類・
昆虫類等である。新年の
祝儀に使ふ
数の子は
鯡の子であるが、
卵粒の
頗る多い所から子孫の多く生まれる様に、一家の
益々繁昌する様にとの意を
寓して
斯く
一般に用ゐるのであらう。一体、魚類は卵を生むことの多いものであるが、
鱈などは一度に
殆ど千万に近い程の卵を生む。
我国の人口の四分の一に
匹敵する程の卵を一度に生むとは実に
驚くべきである。
又蚕の種紙には一面に細い
卵粒が
附いて居るが、
是は
僅の
雌蛾の生み付けたものである。多くの
昆虫は
略之と同様に多くの卵を生む。
斯様な例を一々挙げたらば
到底限りはない。次に植物は
如何と見るに、
是は
尚一層明で、一年生の小い草でも
一粒の種子から出来た草に何百
粒かの種子が生ずる。大きな
樹木になれば、毎年何個づゝの種子を生ずるか中々数へ
尽せぬ。
更に
菌類などを調べると、
其種子の数は実際無限といふべき程で、一個々々の種子は、五六百倍の
顕微鏡で見なければ
解らぬ位な、
極めて
微細なものであるが、
其数は
到底我等は想像も出来ぬ。
傘の開いた
生の
松蕈を
黒塗の
盆の上に
伏せて置くと、
暫くの間に
傘の下だけが
一面に白く
曇るが、
是は全く無数の目に見えぬ
程の
種子が落ちて
積つたためである。
斯くの
如く動植物の一代の間に生む子の数には種々の
相違があり、象の
如く
僅に
六疋位より生まぬもの、
菌の
如く無限の種子を生ずるものなどがあつて、子の多い少いには
甚だしい不同があるが、若し生まれた子が
悉く生長し
繁殖したならば、必ず
幾何級数の割合に増加すべきことは
理窟上明白なこと
故、
孰れの場合に
於ても、代々生まれた子が
悉く生存することは決して望むべからざることである。非常に多数の子を生ずる動植物が代々生まれただけ
悉く生長したならば、
忽ち地球の表面に一杯になるであらうとは、
誰も
直に考へるであらうが、少数の子を生む動植物とても
幾何級数で進む以上は、
理窟は全く同様で、前に挙げた
愛宕山の石段に
米粒を置く
譬の
如く、
忽ちにして地球の表面には
載せ切れぬ程になつて
仕舞ふ。
唯此有様に達するのが、多くの子を生む動植物に比べると、
幾年か後れるといふだけに過ぎぬ。
動植物は単に
理窟上こゝに述べた
如く速に増加すべき力を有するといふのみならず、実際に
於て
殆ど
斯かる割合に
繁殖した例が
幾らもある。動植物の増加力の非常に
盛なことは自然
淘汰を
論ずるに当つて
一刻も忘るべからざる
肝要の点である
故、二三の
著しい実例を次に挙げて見やう。
牛馬などの
如き大形の
獣類は一体
繁殖の
遅いものであるが、
此等でさへ、外界の都合が
宜しかつたため
忽ち
夥しく増加した例がある。コロンブスが第二回の航海の節、サン=ドミンゴー島に牛を二三
疋放したが、
忽ち
殖えて、二十六七年の後には四千
疋乃至八千
疋の牛群が
幾らもある様になつた。後に
至つて
之をメキシコ
其他の地方へ移したのが
基になり、
到る
処に非常に
繁殖し、千五百八九十年
頃にはイスパニヤ人がメキシコよりは六万五千以上、サン=ドミンゴーよりは六万五千以上、合せて十万以上の牛の皮を一年に
輸出した。
是は
素より
其頃生きて居た牛の一小部分を
捕へて殺したのに過ぎぬから、全体では
遙に
之よりは多数に居たのである。
又千七百年代の末にはブユノス=アイレスの野原だけに牛が千二百万
疋も居たといふから、アメリカ全体ではどの位居たか
解らぬ。
是が
皆初めコロンブスの放した二三
疋の牛の子孫である。
馬も昔はアメリカに居なかつたもので、アメリカ発見時代の人が船から上り馬に乗つて来るのを見て、旧土人等は上半分は人間の
如く下半分は野牛の様な
怪物が来たと言うて
驚いたといふ話がある位であるが、
其時代に
偶然放した馬が種となつて、短い間に非常に
繁殖し、特に広い野原のある
処では
夥しい数となり、千七百年代の末にはブエノス=アイレスの野原だけにも、
既に三百万
疋以上の野馬が居る様になつた。南アメリカの広原では、毎年
斯かる野馬を何万
疋となく
捕へるが、全体では
何程居るやら
殆ど
想像も出来ぬ。
是が
皆最初数
疋に過ぎなかつたものから、
僅か三四百年の間に生じた
子孫である。
驢馬もアメリカに
輸入せられてから、五十年程の後に
偶然逃げ出したものが
野生となり、エクワドールの都キートー辺では、非常に
繁殖して
邪魔になる程となつた。旅行者の
紀行によると、
此等の
驢馬は大群をなして原野に住し、馬が
路を失つて
紛れ
込んだりすると、
忽ち集まり来つて、
之を
噛み殺すか
蹴殺すかせずば
止まぬさうである。
豚も千四百九十三年にコロンブスがサン=ドミンゴー島に
放したものが
僅かに五十年
許りの間に非常に増加し、南北アメリカの大部に行き
渡り、
北緯二十五度から
南緯四十度位までの間には
何処でも多数に
之を見るに至つた。
ヨーロッパからオーストラリヤに
輸入した
兎が
暫くの間に非常に
殖えて、今では
始末に困る様になつたことは、
殆ど知らぬもののない位に有名な話である。
何時頃移殖したか
詳しいことは
解らぬが、ヨーロッパ人がオーストラリヤに移住したのが、今より
僅に二百十五年前、タスマニヤには二百年前、ニウ=ジーランドには百六十五年前のことであるから、
兎の輸入せられたのは、無論
之より余程後のことに
違ひない。
然るに今日の
兎の
夥しいことは実に非常なもので、汽車の
窓から見ても、
彼処にも
此処にも
野兎の
跳んで居るのが見える
程である。元来オーストラリヤといふ処は
獣類といへば
皆カンガルーの
如き
腹に
袋を有する類ばかりで、
普通我々の見る様なものは
一疋も産せず、
又ニウ=ジーランドの
如きは一種の
蝙蝠を
除く外は、
獣類といふものは全く居なかつた。
斯かる所へ
何疋かの
兎が入り来つたこと
故、食物は素より
沢山にあり、敵は
皆無といふ有様で、
兎の
繁殖を
妨げるものが何もなかつたので、
忽ちに増加して
終に今日の
姿になつたのである。
一寸考へると
斯様に
兎が多く居れば、
之を
捕へて
其肉を食ひ、
其毛を
織つたならば、最も利益がありさうであるが、実際は大反対で、
政府が
兎退治のために
費した金だけでも中々
莫大なものである。全体オーストラリヤは世界の牧羊場ともいふべき処で、
盛に羊を飼つて居るが、
兎の
餌とするものは
即ち羊の食物なる
牧草故、
兎と羊とは
到底両立することが出来ず、
兎が
殖えて牧草を食へば、羊を
飼ふことが
困難になり、牧場の
地価も百円したものが五十円に下るとか、
処によつては全く牧羊の
見込がなくなり、
随つて
地所も
無代価になつた場合がある。
又野菜も
兎が好んで食ふ
故、畑を造ることも出来ぬ。それ
故、オーストラリヤではむつかしい
法律を設けて
兎の
撲滅を
計り、時々
聯合の
兎狩を
催したり、
又年に
幾度か日を定めて
毒を
煉り交ぜた
団子を地面に
撒くことを
励行したりして、
恰もペスト
流行の際の
鼠狩と同様な
騒をして居る。
斯くすれば、
兎は何万とも数へられぬ程に取れるが、余り
多過ぎるので
如何ともし
難く、
唯山に積んで
腐らすばかりであつた。今では
之を
冷蔵して
輸出し、毎年数百万
疋もヨーロッパへ送るが、
此位なことでは
兎の数は
未だ中々
減らぬ様である。
ニウ=ジーランドでは、近来
豚も非常に
殖えて、農業に
著しい
害を
及ばす程になつた。ネルソンといふ一県だけでも二十ヶ月間に二万五千
疋の
野豚を
狩り取つたとのことである。
外国より輸入した植物が急に
繁殖増加した例は、動物よりは
著しいものが多い。
我国で最も目立つのはオランダ=ゲンゲといふ白い花の
咲く
蓮花草の様な草である。
是は多分外国から送つて来た荷物などに
紛れ
込んで、
偶然輸入せられたもので、
明治の初年
頃には
未だ
何処にも無かつたのが、
僅か十年か二十年の間に非常に
繁殖し、明治二十年
頃には
既に
帝国大学の
構内などに一面に生えて居た。今では
殆ど
之を見ない
処はない位で、高等
師範学校の
敷地内にも外の草なしに
此草ばかりの生じて居る処が、
随分広くある程になつた。
此草は我国ばかりで
斯様に増加した
訳でなく、温帯地方には、南北両半球ともに
何処にも非常に
蔓延り、ニウ=ジーランドなどでは、
此草の
殖えたために、
従来有つた
土着の草が
幾種も
絶え失せた位である。西洋料理で用ゐるクレソンといふ草も、今では大分我国に野生となつて
殖えたさうで、
静岡の
城の
堀などには一面にあるといふ話を聞いたが、
是は実際を見ぬから確には言はれぬ。
外国の例を引けば、
沢山にある。今日南アメリカのラプラタ地方には、元ヨーロッパ産の
薊が二三種ばかり
一杯に生えて、
殆ど他の草を交へぬ様な野原が何百方里(注:何百平方キロメートル)もある。
又アメリカ産のパンヤといふ綿を生ずる草も、今では熱帯地方には雑草として生えて居る。ニウ=ジーランドでは輸入植物の
繁殖を特に調べた学者があるが、
幾種かの植物は増加が
極めて
迅速で、
忽ち全島に
繁茂した。中にもミヅ=タガラシなどは
何処の河にも
一杯に生えて、船の通行に
邪魔な程となり、クライスト=チャーチ府の処で、アヴォン河に生えるミヅ=タガラシを常に
刈り取るだけの
経費が年に三千円も
掛つたといふ。
其他、黄色の花の
咲く一種の
菊科植物は
偶然此島に
紛れ
込み、急に増加し、上等の牧場も
僅か三年の間に
此雑草のために全く役に立たぬ様になつた処もある。
ランタナといふ
馬鞭草科の植物が、
西印度からセイロン島に輸入せられたのは、今より
僅に五十年前のことであるが、気候に
適したものと見えて、
忽ち
繁殖し、今ではセイロン全島に
蔓延り、平地は素より三千尺(注:900m)位の高い処まで、
此植物のために
殆ど景色も変る程の
勢である。
動植物ともに
若し生まれた子が
悉く
生存し、
繁殖したならば、
忽ち
驚くべく増加すべきこと、
及び実際に
驚くべく増加した例の
少からざることは以上
述べた通りであるが、
総べての動植物が
斯く増加しつゝあるかといふに、
是は
無論出来ないことで、大体に
於ては昨年も今年も来年も
同一処に
於ける動植物の数には
甚だしい
相違はない。
雀は年々
十疋づゝ子を生んでも格別に
殖える様子もなく、夏、肉類に
附く
蠅は一度に二百万も
卵を生み、卵は
直に
孵化して
僅に十四五日で生長し終るから、二週間
毎に百万倍に増加すべき
筈であるが、少しも目立つ
程には
殖えぬ。
然らば
如何なる動植物が実際
驚くべき増加をしたかといふに、前に挙げた例は
皆偶然或は
故意に人間が
移殖したものばかりで、何十万種もある動植物の中から見れば、実に
極めて
僅少な例外の場合に過ぎぬ。
且それも
何時までも限りなく同じ
割合で
繁殖する
訳ではない。
或る度に達すれば必ず自然に増加も止んで
仕舞ふもので、
彼の
評判の高いオーストラリヤの
兎でさへ、今は
或る地方では最早増加の
極に達した
模様があり、初めは
只でも
貰ひ人の無かつた
兎の冷蔵して輸出する様になつてからは
之を
取扱ふ商人も
殖え、
互に競争するので、原料も追々高くなり、今では昔の様に
儲からぬといふが、
是は
兎が
最早盛に増加せぬ
証拠である。南アメリカの牛馬も
略之と同様な有様に達して居る。
斯様に
繁殖の
極に達して
仕舞ふと、最早増加の余地が無いのであるから、一対の動物からは平均
二疋だけの子が
生存し、一本の木からは平均
一粒だけの種が生存して、
唯親の
跡を
継ぐだけとなるより外に仕方はないが、
若し同一地方に産する動植物が
悉く
此有様となつたならば、
其地方は年々
歳々動植物の数に少しの変化も起らず、
烏の減ることもなく、
雀の
殖えることもなく、去年
百疋居たものは今年も矢張り
百疋居る割合で、何年過ぎても自然界の有様が
依然として変ぜぬ
理窟である。実際
此通りの有様は世界中
何処へ行つても無いが、動植物
相互の関係を考へて見ると、
複雑極まるもので、
到底他の種類と全く無関係に
或る一種だけが独立に増加することは出来ぬ。例へば
此処に一種の草を食ふ
昆虫があると想像し、
此虫が
盛に
繁殖増加すると仮り定めたならば、
其結果は
如何。
忽ち今まであつた
或る草を食ひ
尽して、自分も食物の無くなつたために共に
倒れなければならぬ様になる。
又一方には今まで
此虫を食物として居た
或る鳥は
餌の急に増したのに力を得て
忽ち
繁殖し、
遂には
此虫を食ひ
尽すまでに
殖えるであらうが、虫を食ひ
尽して
仕舞へば、
此鳥も
亦餓死せざるを得ぬ。
若し
此時に
彼の草の種が
幾粒か残つて居て、生え出したとしたらば、
之を食ふ虫が
居ぬこと
故、
忽ち増加して
其辺一杯に
蔓延る。
又若し
此時に
彼の虫の卵が
幾つか残つて居て
孵化したとしたらば食物は
幾らでもあり、敵は全く居ぬから、
忽ち
繁殖して
盛に
彼の草を食ふ様になる。
此等の関係に
就いては
更に後の章で
詳しく述べるが、
兎に角、生物
相互の間には非常に複雑な関係のあるもので、
或る一種が増加しやうとすれば、
之を食ふものも
殖えて
之を
抑へ、中々
勘定通りに
速に
繁殖することは出来ぬ。
恰も少しでも高く売らうとする売人と、少しでも安く買はうとする買人との間に、
幾らならば売らう買はうといふ物の
相場が定まるのと同じ様に、長く一ヶ所に住する動植物の間には、食はれる動物
何疋に対し、
之を食ふ動物が
何疋の
割合ならば一方で食はれて
減るだけを、他方で
繁殖して
補うて行けるといふ様な具合に、動植物各種の数の割合の相場が自然に定まるものであるが、
此相場通りに行つて居れば、動植物各種の数は年々同じことで、自然界に
急劇な
変動は決して起らぬ。
此有様を自然界の平均と名づける。
尤も物の相場に日々多少の
変動のある
如く、自然界の平均を保つべき動植物の数の
割合も
寒暖の
相違、
風雨の多少などの
如き、
其時々の
事情で常に多少の
変動をなすことは
無論である。
此章に挙げた動植物の
烈しく増加した
例は、
孰れも自然界の平均を人工的に
破つた場合である。人間が牛馬を
輸入せぬ前にはアメリカではアメリカ産の動植物だけで自然界の平均が
保たれ、年々
著しい
変動も無かつた。そこへ、
突然牛馬が入つて来たが、
其増加を
制限すべき
敵動物が無かつたと見えて、
忽ち
斯くの
如く
繁殖したのである。オーストラリヤの
兎なども
之と同様で、元来オーストラリヤ産の動植物だけで、自然の平均を保つて居た所へ、
突然兎を輸入した
故、前述の
如き結果に達したのである。水面の高さの
異なつた二個の池も、
其間に
連絡のない間は両方ともに水も動かず、水量に
増減もないが、
堀を造つて二個の池を
続けると
忽ち一方から水が流れ
込み、一方の水が増す。
併し
何時までも増すのではなく、両方の池の水面が平均すれば流れは
止んで、水は再び静になる。自然界の平均を
破つたときも、
恰も
之と同様で、
殖えるべきものは
速に
殖え減るべきものは速に減じ、何年か何十年かを
経て再び自然界の
平均が取れる様になれば、
捨て置いても自然に止むものである。アメリカの牛馬、オーストラリヤの
兎も今日は
既に
殆ど
此境遇に達して居る。自然界の平均といふことは、動植物の
生存上自然の結果として生ずるもの
故、
此平均を
破る場合でなければ動植物の
或る種類が
突然急に増加する様なことは決して無い。たとひ一時急に増加した
如くに見えるものがあつても、
忽ち平均までに減じて
仕舞ふ。
我々の常に目の前に見る自然界は、
略平均を保つた有様で、年々
歳々動植物各種の数に
著しい変化がない。
我々は常に
此有様を
見慣れて居る
故に、動植物の増加力の
劇しいことには
平生少しも気が
附かず、計算して見て初めて
驚く位である。
併し
此章に挙げた例でも
解る通り、動植物の増加力の実際極めて劇しいことは
確で、
毫も
疑ふべきものでない。
是から考へて見ると、自然界の平均といふものは、
一種毎に無限に増加しやうとする動植物が、数百種も数千種も
相接して生活し、増加力を
以て
互に
相圧し合ひ、
其圧し合ふ力の平均によつて、
暫時急劇な
変動を
現さぬ状態をいふものである。
其有様は全く世界中にある国々が
皆戦争の
準備に
莫大な
入費を
掛け、
軍艦を造り、
砲台を
築くので、
僅に
暫時世の中が平和を
保つのと
異ならぬ。
此事は生物界の現象を
論ずるに当つては重大な
事項で、
然も常に人が
忘れ
易い点である
故、特にこゝに
述べたのである。
自然界は常に
略平均の有様を保つて、
或る一種の動植物だけが
盛に増加することは中々出来ぬ様になつて居るが、動植物各種の
実際に子を生む数は
甚だ多いのが
普通である。
而して、自然界の平均が保たれて居るのは、全く一対の動物からは、平均
二疋の子、一本の草からは、平均
僅に
一粒だけの種が
生存して、
唯親が自然界に
占領して居た位置を受け
継いで守るの結果であるから、残余のものは無論毎回実際に死に絶えて居るので、
我々が
之に
心附かぬは
単に注意の
行届かぬためである。
仮に
雀が十年間毎年十個づゝの
卵を生むと考へても、
一生涯には
百疋の子を生ずるが、年々
歳々雀の数に
著しい変化のないのを見れば、
其中平均九十八
疋づゝは何かの理由によつて死んで
仕舞ふに
相違ない。他の動植物とても
之と同じ
理窟で、
一生涯に数百万も
卵を生む魚類なども、先づ
其中から平均
二疋だけが生き残つて、他は
悉く死んで
仕舞ふが、
此多数のものが
如何にして死ぬかと考へるに、
之には種々の
原因がある。例へば寒暑・風雨の
如き
気候上の関係から死ぬものも
沢山ある。水に
溺れて死ぬものもあれば、
浪に
揉まれ、岩に
砕けて死ぬものもある。
又他の動植物のために
直接に命を
奪はれるものも
沢山にあり、食物が
足らぬために死ぬものも無数にある。
地球上には動植物各種をして自由に増加せしむべき
余地は少しもない。
其所へ動植物の各種が
遠慮なしに多数の子を生むのであるから、
互の間に
劇しい競争の起るは
見易い道理ではあるが、
其有様を
詳しく論ずるには、先づ
諸生物の生活する有様から考へてかゝらなければならぬ。
動物の中には
獅子・
虎・
狐・
狸の様に肉を食ふものもあれば、牛・馬・羊・
鹿の
如くに草を食ふものもあるが、
獅子・
虎等の
餌となるものは
矢張り草を食ふ動物
故、動物の食物は直接にか間接にか必ず植物より取るの外はない。
又海産の動物を取つて見るに、三尺(注:90cm)の魚は一尺(注:30cm)の魚を食ひ、一尺の魚は三寸(注:9cm)の魚を食ひ、三寸の魚は一寸(注:3cm)の虫を食ひ、一寸の虫は三分(注:9mm)の虫を食ふといふ様な具合で、どれもこれも
皆肉食動物ばかりの様であるが、最も小さな虫類は大洋の表面全体に
浮いて生活する無限の
微細藻類を
餌とするから、
此場合にも動物の食物の根元は矢張り植物界にある。然らば植物は何を食ふかといふに、
陸上の植物ならば空中より
炭酸瓦斯を取り、地中より水と
塩分とを取り、水中の植物ならば水中より総べての
養分を取り、
孰れも日光の力を
借りて
之を自分の体質に造り
換へ、生長し
繁殖するのである。それ
故、
緑色を
呈する植物は全世界の生物総体に対し、食物
供給の役を
務めるものといつて
宜しい。
斯くの
如き有様
故、植物なしには草食動物は生きて居られず、草食動物なしには肉食動物は生きて居られぬ。草を食はなければ生命が
保てぬのが草食動物の
天性であるから、草食動物を
飼ふ人は初めより毎日
若干の草を
犠牲に
供する
積りでなければならず、
又他の動物を食はなければ生命が保てぬのが肉食動物の天性であるから、肉食動物を飼ふ人は初より日々
若干の動物を
殺す
覚悟でなければならぬ。草と草食動物と肉食動物とが
相並んで
互に
犯さず、共に生存して行くといふことは
到底出来ぬことである。
昔、
印度の
釈迦が山中で
難行苦行をして
居られる
処へ、
悪魔が
試しに来た話がある。先づ
鳩に化けて飛んで来て、「お
釈迦様、今
鷹が私を
捕つて食はうと追ひ
掛けて来ます。
何卒憐れと思うて
御助け下さい」といつたので、
釈迦は
直に
鳩を
懐に入れて
隠してやつた。所へ、
又悪魔が
直に
鷹に化けて飛んで来て、「お
釈迦様、私は
久しく物を食はず、非常に
腹が
減つて居ります。今追ひ
掛けて来た
鳩を食はなければ必ず
直に
餓死します。何卒
憐れと思うて今の
鳩を出して下さい」といつた
故、
釈迦は
如何したら
宜しからうと
思案した後、自分の
腿の肉を少し
殺ぎ取つて
之を
鷹に
与へ、
遂に
鳩をも
鷹をも助けられたといふことである。
素より
是は
苟も
慈悲忍辱を
旨とするものは
此心掛けでなければならぬといふ
譬で、
教訓としては
最も
妙であるが、実際
此方法で
鳩も
鷹も助けられるかといふに中々
左様には行かぬ。
若し世の中に
鳩も
一疋、
鷹も
一疋より無く、
之を
僅に一日だけ助けるのならば、
此方法で
差支へないが、
総べての
鳩と総べての
鷹とを両方ともに
何時までも助けることは決して出来ぬ。
幸ひ
悪魔が一回だけより
鳩と
鷹とに化けて来なかつたから
宜しい様なものの、
若し根気よく
此試しを何回も
繰り返し、
又鳩に化けて来て
隠して
貰ひ、
又鷹に化けて来て
腿の肉を
殺いで
貰つたらば、一度に
半斤(注:300g)づゝとしても、十回には
五斤(注:3Kg)となつて、
此度は
釈迦が死んで
仕舞ふ。
又長閑な春の日に野外に
散歩して見ると、草木の青々と
茂り、花の美しく
咲いて居る処に、
蝶が
面白さうに飛び
廻り、小鳥が楽しさうに歌うて居る。
詩人は
之を
詩に作り、
画家は
之を絵に
画いて、共に
此世の楽しさを
賞め
讃へるが、
是は
極めて
皮相な感じで、少し
丁寧に考へて見たらば、世の中は
決して
斯く無事
平穏なものではない。鳥が
斯く歌うて
居られるのは今日までに数千万の虫を食ひ殺した結果で、歌ひながらも
尚虫の命を取らうと
探して居る。
又蝶が
斯く
舞うて居られるのも
幼虫の
頃に
沢山の
菜類を食ひ
枯らした結果である。
而して
彼処の
樹の
枝には
蝶を
捕へて殺し食はうと
蜘蛛が
巧に
網を
張つて待つて
居、
此処の樹の
頂上には小鳥を
捕へて殺し食はうと
鷹が
鋭い目を張つて
狙つて居るから、
蝶の命も、小鳥の命も、
殆ど
風前の
灯の
如く、一つ
油断すれば
忽ち食ひ殺されて
仕舞ふ
故、中々
気楽に
遊んでばかりは居られぬ。動植物は総べて
斯くの
如く
相殺し
相食つて、自然界の平均を保つて居るのである。
斯かる所へ、年々
歳々動植物の各種が
夥しく子を
産むのであるから、
其多数は無論他の動物のために
餌として食ひ殺され、生き残るものも、
餌を
得るために
甚だしく相争はなければならぬ。動植物の増加力は前にも述べた通り、実際無限であるが、それは代々生まれる子が
悉く生存し
繁殖するものと
仮定した上のことで、現在の
如く毎回生まれる
側から他の動物に
其大部分を食はれて
仕舞ふ場合には
素より
著しい増加の出来る
筈がない。
尚其上に一地方に
於ける各種の動物の食物の
総量には常に
制限があつて、生き残つたものを
皆養ふことは
到底出来ぬが、
仮に
兎が
一疋居るのを犬が
二疋で見付けたとしたならば、先に
兎を
捕へた犬は
飽食し、後れた方は
餓死せねばならぬ
訳故、
如何なる動物も食ふための競争は
免れぬ。
又兎の
二疋居る所へ犬が
一疋来れば、
速く
逃げた
兎は生き残り、
遅い方は食はれて
仕舞ふ訳
故、
大抵の動物は食はれぬための競争も
避けることは出来ぬ。動植物ともに各自
皆食ふ様に、食はれぬ様に、殺す様に、殺されぬ様にと競争して居るのが実際の状態である。
英国のマルサスといふ
経済学者は「人口論」といふ書物を
著したので有名な人であるが、
此書の
要旨は
略下の
如く、「
凡そ国の人口は
幾何級数の割合で増加するが、
之に対する食物
其他の
需要品は多く
見積つても
算術級数の
割合よりかは
殖えぬ。それ
故、
必ず近い内に食物の不足する時が来る。
其時には
営養不良のために身体は弱くなり、
随つて
病気も
殖え、生活の
困難なるために
強盗・
窃盗・
詐欺其他総べての
罪悪が
劇しく
蔓延つて、
如何とも出来ぬ世の中となる。
之を
防ぐには今より
結婚を制限し、
独身生活を
奨励し、子の生まれる数を減ずる
工夫をするより外には
致し方がない」といふのである。ダーウィンも
此書を読んで、動植物は
如何であるかと考へ、自然
淘汰の
理に気が
附いたといつて居るが、自然
淘汰説は
詰まりマルサスの「人口論」を広く動植物界に当て
嵌めた様なものである。
尤も
此書の始めて出版になつたのは今より百何年も前のことで、
其中には
根拠のないことや、実際と
違つたことが
幾らもある。
併し、人口の増加の
急劇なるべきこと、
随つて
生存のために競争が起らざるを得ぬといふだけは、
誰も真理と
認めねばならぬ。動植物は前にも述べた
如く現在
既に
此有様に達して居るのであるから、
如何なる種類と
雖も、
苟も
生存して居る間は決して競争以外に立つことは出来ぬ。
動植物の
生存競争を論ずるに当つては、先づ競争といふ字の意味を広くして用ゐなければならぬ。
我々は
普通人間社会に行はれる
互に
敵意を
挾んだ
故意の競争ばかりを
見慣れて居る
故、競争といへば
直に
斯様なものと思ふが、生物界では
偶然の競争でも無意識の競争でも、
故意の競争と同じ結果を生ずるものは、
皆同じく競争と
看做して論ずる。
例へば植物でも一本以上生ずることの出来ぬ
区域に、二個の種子が落ちれば、
此二個は
互に競争の位置にあるもので、
結局は
其中孰れか一個だけより生存することは出来ぬ。前の
節には主として動物を例に挙げて競争の
避くべからざることを説いたが、競争といふ字を
此意味に取れば植物とても競争の
烈しいことは決して動物に
劣るものではない。
されば生存競争には意識的のものと無意識的のものとがあり、
又競争に
与かる生物の種類からいへば
異種属間の競争、同一種属内の競争の別がある。
其中には個体間の競争もあれば団体間の競争もある。意識的の競争は
唯若干の動物間に行はれるだけで、下等動物の大半と植物全体とには
何時も
唯無意識的の競争のみが行はれて居る。
且高等動物の間にも無意識的の競争の行はれることは決して
稀でないから、
大体より論ずれば、生物の競争は九分通りまで無意識的であるといつて
宜しい。
こゝに
無意識的の競争の例を二つ三つ
挙げて見るが、
誰も知つて居る通り、花園の手入れを
怠つて
捨て置くと、
忽ち雑草が
蔓延つて、終には
折角植ゑて置いた花は
枯れて無くなり、全く雑草ばかりになつて
仕舞ふ。
是は
何故かといふに、
凡そ植物は生きて居る間は自然界の中に一定の場所を
占領して
之を
保つて居なければならぬが、各種ともに
皆無数の種子を生じ、
芽を出して増加しやうと
務めるから、
是非とも場所
占領の競争が起り、場所を
獲たものは
盛に
繁茂し、場所を失つたものは
忽ち
萎縮して
枯れ
失せなければならぬからである。花園は常に人が
干渉して雑草の
蔓延らぬ様にするから、花は安んじてそれ/″\一定の場所を
占め、
咲いて居られるが、人間の
干渉が止めば
直に雑草に場所を
奪はれ、生活が出来なくなる。雑草が直接に花を食ふ
訳では無いが、花の
要するものを雑草も要し、
彼れが
活きれば
我は死ぬといふ
間柄故、たとひ雑草は
唯蔓延らうと
勉めるばかりで、別に敵に勝ちたいといふ
料簡がなくとも、
其結果は実に
劇烈な戦争と少しも
異なる所はない。
オランダ=ゲンゲが今日
処々に
蔓延つて居るのも同様の例である。今日
此草の生えて居る処は
其前何も生えて居ぬ
裸地ではなく、
従来日本産の草が一面に生えて居た。
其処へ
此草の種子が
紛れ
込み、
繁殖するに
随つて、前から
其処にあつた草を
次第に追ひ退け、
其跡を
占領したのである
故、決して広い空家に引移つて来て、平和に
繁殖した訳ではない。無意識ながら
劇しい競争に打勝つて、今日の有様に達したのである。
又狭い処に
沢山の種子を
蒔けば、決して
皆が芽を出すことは出来ず、芽を出したものの中でも、
極少数のものの外は生長し続けることは出来ぬ。
籾は
一粒毎に一本の
稲を生ずべきもので、試に
一粒づゝ間を
隔てて広い処に
蒔けば、必ず
其通りになるが、
苗代には
幾ら
沢山の
籾を
蒔いても、
其苗代一杯になるだけより以上の
稲の
芽は出ぬ。
又此若い
芽は各生長して
穂を生ずる
筈のもので、実際
之を広い田に
移し、間を少しづゝ
隔てて植ゑると、
忽ち生長して多量の米を生ずるが、
若し
其儘に
捨て置いたらば、
殆ど千本の中に一本も真に生長して
穂を生ずるものは出来ぬ。
総べて植物が生長するには、各一定の面積を有する土地と、一定量の水・空気・日光等を要するもの
故、
狭い場所に多数が生長しやうとする時には、
互に
此等の
需要品を
奪ひ合はざるを得ぬ。
尤も、
供給の
額が
需要の額を
超えるときは、競争も起らぬ
筈であるが、日光の
如きものですらも、例へば一本が生長すれば、
其蔭に当るものは十分に
其恩に
浴することが出来ぬから、植物は日光のためにも競争をせざる訳には行かぬ。兄弟
墻に
鬩ぐことは無数の種子を生ずる植物に
於ては、
到底免るゝを
得ぬ所である。
斯くの
如く無意識的の競争は自然界
到る処に行はれて居るが、意識的と無意識的とを論ぜず、
互に競争するのは
如何なる動植物かと見れば、
何時も必ず同処に住し、同一の
需要品を有するものばかりで、
其中でも
彼れの
需要品と
此れの
需要品とが相重り合ふことの多いものほど、
其間の競争が
劇烈である。
而して
如何なる動植物が共同の
需要品を有すること最も多きかと
尋ねると、無論同一種類に
属するもので、
此等は形状構造が同一なるのみならず、食物が全く同一であり、
其他一般の習性が同一であつて、自然界の中に同一なる位置を
占めるべき
資格のもの
故、素より総べての点に
於て
互に競争せねばならぬが、動植物の種類は何十万もあること
故、
其中には
属を
異にし、
種を異にしても、余程までは同一の
需用品を要するものが
沢山にある。
此等は
皆人間社会に
譬へて言へば、
所謂商売
敵で、相接近して生活する
以上は同じく競争を
免れぬ。
彼れの
儲けた
一銭(注:百円ぐらい)は、
若し
彼れ
微かりせば我が
懐に入つた
筈の一銭である。
故に
彼れが一銭を
儲けたのは
恰も我が
握つた手から一銭を
'手宛'ぎ取つたと同じであると感じて、人間社会では意識的に競争するが、
是よりも
尚一層
劇烈な無意識的の競争が自然界の
到る処に春夏秋冬の別なく、日夜
絶えず行はれて居る。
併し無言無声の
裡に行はれて居る
故、
唯物の表面のみを見る人等は通常
斯かることを知らずに
過して居るのである。
先づ
異種間競争の
著しい例を四つ五つ
挙げて見るに、ヨーロッパには、昔は
鼠と言へば、
唯黒鼠が一種あつた
許りである所、千七百年代の初めに、ロシヤのヴォルガ河口辺にアジヤ産の
鳶色鼠が現れ、それより盛に
蔓延して、
到る
処従来の
黒鼠を追ひ
退け、今ではヨーロッパの
大抵の処では昔の
黒鼠は全く無いか、
又は有つても極めて
稀になつて
仕舞つた。
此二種の
鼠は形状、
習性ともに
大同小異で、生活に要する
需用品も
略全く同一である
故、
其間に劇しい競争が行はれ、
鳶色鼠の方が何か
僅の点で勝つて居たので、
斯かる結果に立ち
至つたものと見える。両種ともに
我国にも産するが、我国でも矢張り
鳶色の
鼠の方が
遙に多い。
此鳶色鼠は船などに
紛れ
込んで、今日交通の
盛な土地へは
何処へでも
拡がつて居るが、ニウ=ジーランドにも入つて、
忽ち盛に
繁殖した。
此島には元来旧土人が南洋の
或る島から持つて来たといふ一種の
鼠が住んで居たが、
鳶色鼠に
段々位地を
奪はれて、今では全く絶えて
仕舞つた。
又此島ではヨーロッパ産の
蠅が来てから、従来土着の
蠅は
追々亡び失せる有様である。
ロシヤには台所に住む一種の大きなアブラムシがあつたが、アジヤ産の
稍小なるアブラムシが入り
込んでから、前の種は
忽ちの間に全く
影も止めず、消えて
仕舞つた。
オーストラリヤに
蜜蜂を輸入してからは、
土着の一種の
蜜蜂は年々減じて行く様である。
植物の方にも例が
幾らでもある。デンマルク国の森林には昔は
殆ど
樺ばかりであつたが、今ではブナが追々
繁殖して、
樺は年々敗けて行く有様である。
痩せた
砂地には今日でも
樺ばかりの林があるが、土地の少しでも
肥えた処では、
樺とブナとが
交つて生えて居て、ブナの方が
何時も勢が
宜しい。一体、
樺は
日蔭には育たぬ木であるが、ブナの方は少々の
日蔭には一向平気で、
且自身は
枝葉を
繁らして一面に
蔭を造る
故、両方混じて生えて居ると、
樺は日光を得るためにブナより上へ出んとして
唯丈ばかり高くなり、長い間には追々弱つて
枯れて
仕舞ふ。人間でも
丈ばかり高い人のことを
俗に
日蔭の
桃の木といふが、日光は植物には
是非必要のもの
故、
日蔭に生えた植物は
如何にしてでも日光に
接しやうと、上へ上へと
延びるもので、森の中央にある木が
皆丈の高いのは
此競争より起ることである。
樺はブナの
蔭には生活が出来ず、ブナは
樺の
蔭にても少しも弱らず、ブナの
種子が落ちて生えた
芽は、
皆勢が
好いが、
樺の
種から生えた芽は一向に育たぬから、
樺は
此競争に
敗を取るのであらうと植物学者は論じて居る。
ニウ=ジーランドの河に、ミヅ=タガラシが
繁茂して、
之を
刈り取るばかりにも年々
莫大の
入費が
掛つたことは
既に前にも述べたが、
此草の
蔓延つて居る
河の岸に
柳を
植ゑると、
柳が河底の方へ一面に根を拡げて、
滋養分を
吸ふから、ミヅ=タガラシは生活が出来なくなるといふことが
解つたので、
諸処の
河岸に
沢山に
柳を植ゑた結果、今では
此草が余程減じて昔の様に
此草のために水流が
支へ、雨の
降る
毎に水が
溢れる
如きことは全く無くなつた。
柳とミヅ=タガラシとは植物
分類上からいへば、
随分掛け
離れたものであるが、両方とも
水辺に生じ、
水底の
泥土から
滋養分を取るといふ点で
一致して居るから、一方が
蔓延るには
是非とも他のものを追ひ退けねばならず、
随つて
此二者の間には
劇烈な競争が起らざるを得ない。
以上述べた通り、種属の
相異なる動植物の間には、
猫と
鼠、イナゴと
稲といふ様な
互に相食ひ、食はれるものの外、同一の
需要品を要するために
烈しい競争が絶えず行はれて居るものであるが、
此競争の結果は
如何と考へるに、
是は言ふまでもなく、各種属の
栄枯盛衰である。勝つたものが栄え、敗けたものが
衰へるは
理の当然であるが、地球の表面を見ると、山もあれば河もあり、森もあれば野もあり、日向もあれば
日蔭もあり、
痩せた地もあれば
肥えた地もあり、
尚其上に熱帯もあれば寒帯もあつて、全く相同じ処は
殆ど無い。それ
故、一種の生物が
普く
何処でも
勝を制するといふ訳には行かず、山では勝つても河辺では敗けるとか、砂地では勝つても
粘土の処では負けるとか、
又は
日向では勝つが
日蔭では負けるとかいふ具合に、
其場所々々で競争の勝負も
違ふもの
故、各種の生物は競争上自分の勝つ場所、もしくは負けざる場所に住居を定め、
互に
領分を守る様になる。
是が
即ち動植物
分布の定まる原因である。
特に植物は地に生えて動かぬもの
故、分布の
区域も
明瞭であるが、植物の分布が定まれば
之を
餌とする動物の分布も共に定まる。
其中にも
昆虫などの分布は
殆ど一種
毎に
或る植物の分布と
一致する。
岐阜蝶といふ
奇麗な
蝶は、ウスバサイシンといふ草の葉ばかりを食ふ
故、
此蝶の居る処は
唯此草の生える処に限られてある。
而して
昆虫の
分布が定まれば、
之を食する鳥類の分布も定まるといふ様な訳で、
皆互に相関係しながら、各々競争の結果として自然に
其分布の区域が定まる。
又同じ
需要品を要する
故、競争が
起るのであるから、習性が
稍異なり、
随つて生活上多少
違つた
需要品を要する生物は相接して住んでも
互に相犯すことが少い
故、
一箇所に共に長く生活することが出来る。全く同一の
需要品を要する生物は自然界の中に同一の
位地を
占めやうとするもの
故、
互に競争するが、
互に
需要品を異にする生物であると、一種類が自然界の中に占める位置の間の
空隙を他の種類が
占めることになるから、
啻に相競争せぬのみならず、
異なつた生物を混じて置けば、一定の区域内に成るべく多くの生物の量を
収容することが出来る。
恰も
一升(注:1.8リットル)
桝にジャガ
芋を
一杯に入れれば、ジャガ
芋は
最早其上には一つも入らぬが、
芋の間には
空隙がある
故、
蚕豆ならば
尚余程入れることが出来る。蚕豆を
一杯に入れれば、
蚕豆は
最早入らぬが、
粟なれば
尚相応に入れることが出来るのと同じである。
斯かる有様
故、一種
毎に無限の増加力を有する動植物各種は決して自然界に
空隙を残さぬ様に各
自己に
適する位置を
占領し、同区域内に
幾十種も数百種も混じて生活する。
又互に競争して居るものでも、
略互角の勢をなすものは勝負に長時間を要する
故、余り著しい変化も見えず、同じく相混じて生活する。それ
故、地球の表面の各部には
皆其部に
於て生存競争に負けぬ生物だけが
相混じて
群をなし、山には山の動植物
群、谷には谷の動植物群、砂地には砂地の動植物群、
日蔭には
日蔭の動植物群といふものが自然に定まり、
古井戸を
覗けば
其内には
古井戸内に
適する動植物
群が出来て居る。地球表面の各部の景色の異なるは、余程までは
其処の動植物群の相異なるに
因るものである。
斯く一種々々の動植物が
或る区域内に各一定の位置を
占領し、増加力を
以て
互に相圧し合ひながら、日々余り
著しい
変動を示さぬ有様が、
即ち前章の
終に述べた自然界の平均である。
併し、自然界の平均といふものは、決して
永久的一定不変のものではない。
桑田変じて海となる様な
地殻の
変動があれば、それに
随つて各処の動植物群に
変動が起り、動植物各種に
盛衰の生ずるは無論であるが、たとひ
斯かる
変動がなくとも、動物は食物を求めて遠い処に
移住を試みるものがあり、
又植物の種子は風に
吹かれ、鳥に運ばれて
随分隔たつた処までも達する
故、
略自然界の平均の保たれてある区域に、
突然新規の動植物が
紛れ
込むことは常に
幾らもあり、新規のものが入つて来れば、一時自然界の平均が破れる。
併し、増すだけのものが増し、減るべきものが減つて
仕舞へば、
其処の自然界は
更に新しい平均の有様に落ち着く。
又新規の動植物が
他処から
紛れ
込めば、自然界の平均は再び
破れ、
暫くすれば
更に新しい平均の有様に
静まる。
斯くして自然界の平均は
絶えず
破られ、絶えず改まり行くから、今日
蔓延つて居る種類も永久
蔓延つて居られるとは限らず、今日勢力のない種類も永久勢力がないものとは言はれぬ。
又互角の勢のものも永久
互角の勢を保つことは
殆ど出来ぬことで、長い間には
孰れかに
勝敗が決する
故、
之によつても素より動植物各種の
盛衰が定まる。
栄枯盛衰は人の身の上ばかりではなく、動植物の各種も、
異種間の競争の
烈しい結果、
盛衰の運命は
到底免れず、敗けたものは
衰へ、
衰への
極に達すれば終に
亡び失せて、
跡をも
止ぬ様になつて
仕舞ふ。昔あつて今なき動植物の種類は総べて
斯かる運命に
陥つたものである。
異種間の競争の有様を
詳しく調べれば、動植物各種の
栄枯盛衰の
理を
察することは出来るが、元来異種間の競争といふものは、
既に動植物各種が
並び
存して後のこと
故、
如何に
之を研究しても動植物各種は
如何にして生じたものであるかといふ
所謂種の起源に
就いての問題を
解釈することは出来ぬ。
之を
解するには必ず同種内の競争を十分に調査せなければならぬ。異種間の競争は
此節に述べた通り、生物各種
盛衰の
原因であるが、同種内の競争は
其種の進化の原因である。それ
故、同種内の競争の有様を研究し、
其結果を調べることは、ダーウィンの自然
淘汰説の主眼とする所である。
動植物各種の生む子の数の非常に多いことは、
既に前章に
述べた通りであるが、自然界には
隅々まで各種の動植物が
圧し合ふ様に位置を
占領して居るから、
到底新に多くの生物を
収容すべき余地はない。それ
故代々生まれる子の中から平均親と同数だけより生長し終へることは出来ず、
其他は
悉く何かの理由によつて、
途中に死んで
仕舞はなければならぬ。若し生まれる子が
皆互に寸分も
違はぬものであつたならば、
此際孰れが生き残るか
孰れが死ぬるかは全く
偶然に定まる
理窟であるが、
既に第五章で述べた通り、生物測定学の調査によると、野生動植物にも
著しい変化性があつて、一対の親より生まれた子にも形状・性質ともに、中中
互に
相違するものがあり、全く相同じきものは決してないから、少数のものだけより生き残ることが出来ぬといふ場合には、生き残るべきものと死すべきものとの運命が自然に定まつて居る。
即ち一個々々の間に多少の
相違がある以上は、敵に食はれぬ様に身を
護るに当つても、異種属の生物と競争するに当つても、
又食物を得るために
同胞と相争ふに当つても、
各々多少の
優劣あるは
免れぬ所であるから、
優つたものは生き残つて生長し
繁殖し、
劣つたものは死に絶えて
仕舞ふことになる。
例へばイナゴは常に鳥類に食はれるものであるが、多数に生まれた子の中には生まれながら後足の発達の度に
幾分かの
相違があり、
随つて
跳ねることの
幾らか速いものと
幾らか
遅いものとがある、
是は人間にも同じ兄弟の中に足の達者なものと弱いものとがあるのと同様である。
是が
皆鳥類に追はれ
捕へられやうとする場合には、
如何なるものが
最も
其難を
逃れる
見込を有するかといへば、無論最も後足の発達した最も
跳ねることの
巧なものである。
尤も、人間の競走にも常に一番になる名人が
偶然滑つて転んだために負けることがある様に、後足の最も発達したものが鳥に食はれることもあるには
相違ないが、大体から言へば、先づ
此通りであらう。そこで代々多数に生まれる子の中から最も後足の発達したもの
若干だけが生き残つて
繁殖し、他のものは
皆鳥に食はれて
仕舞ふとすれば、
此性質は遺伝によつて常に一代より次の代に伝はり、代々少しづゝ進んで、終には後足の
頗る発達したイナゴが出来なければならぬ。
又'モグラ'は常に
蚯蚓を食つて生きて居るものであるが、
蚯蚓を食ふ動物は外にも
随分沢山にあるから、多数に生まれる'モグラ'の子は
蚯蚓を余程
巧に取らぬと
餓死せなければならぬ。
然るに同じく生まれた子の中にも、前足の
爪の発達に多少の
相違があり、
爪の
幾らか大きくて
鋭いものもあれば、
幾らか小くて
鈍いものもある。
是が
皆同様に
蚯蚓を追うて歩く場合には
如何なるものが最も速く
蚯蚓を
捕へて
飽食する
見込を有するかといへば、
勿論爪の最も大きく
鋭いものである。そこで代々多数に生まれる子の中から最も
爪の発達したもの若干だけが生き残り、他のものは残らず
餓死して
仕舞ふとすれば、
此性質は
遺伝によつて常に一代より次の代に伝はり、代々少しづゝ進んで、終には
爪の
頗る発達した'モグラ'が出来る
筈である。
以上
掲げた例は両方とも単に
理窟だけを示すために、
事柄を非常に
簡単にして論じたが、実際に
於ては素より決して
斯く
簡単な訳のものではない。例へばイナゴが鳥に追はれるときにも、
唯後足さへ発達して居れば必ず競争に勝つとは
限らぬ。同じく緑色のイナゴでも、緑葉にとまれば鳥の目に
触れ
難いが、
白壁の上にとまれば著しく目に立つ
故、先づ鳥の
攻撃を受ける。それ
故、
何処にも構はずにとまる足の速いイナゴよりは、足は弱くても自身と同色の処のみを選んでとまるイナゴの方が助かり
易い。
又同じく緑葉にとまるイナゴの中では、たとひ
跳ねることは少々
遅くても、体色が最も葉の色に近いものが最後まで鳥の
攻撃を
逃れる訳である。
又後足が発達すれば
宜しいといつても決して無限に
何処までも大きく成れるものではない。
凡そ生物の体といふものは頭・
胴・手・足などが集まつて、初めて完全な一個が出来て居るのであるから、一個体をなせる各
器官の間には極めて
親密な関係があり、決して
或る一種の
器官が他の
器官に
構はずに大きくはなれぬ。後足ばかりが
無暗に大きくなつては、
従来の小な口で
咀嚼し、従来の短い
腸で消化し
吸収するだけの
滋養分では
之を養ひ切れぬ
故、先づ
此等から
改まらなければ出来ぬことである。今こゝには
僅に
二三ヶ条を
挙げたに過ぎぬが、生存競争の際に勝負に
影響を
及ぼす
事項は
殆ど無数にある
故、一々の場合に
如何なるものが勝つかは、
其生物の構造・生理・習性・外界の事情等が
悉く解つた上でなければ
確に予言することも出来ぬ。
斯かる次第で実際に
於ては決して例に述べた
如き簡単なものではないが、敵に食はれぬための競争に
於ても、
餌を食ふための競争に
於ても、代々多数に生まれる子の中で
如何なるものが勝ち、
如何なるものが負けるかは決して
偶然に定まる
訳ではなく、常に一定の標準によつて定まるといふことだけは、
誰も争ふことの出来ぬ事実である。
代々一定の標準に
随つて
淘汰して行けば、
其生物に一代
毎に
僅かづゝ変化し、代を重ねるに
随つて、
此変化も積つて
著しく現れ、終には
先祖に比べると
殆ど別種かと思はれる程になることは、人間の
飼養する動植物の方には
幾らも例があるが、野生の動植物にも同種内の競争の結果として、
矢張り、一種の
淘汰が常に行はれて居る。
併し
是は人間の
干渉を受けず、自然に行はれるもの
故、自然
淘汰と名づける。
人為淘汰に
於ては
飼養者が
淘汰すること
故、
其生物は代々
飼養者の理想とする所に向つて、少しづゝ進んで行くが、自然
淘汰に
於ては生存競争の結果として自然に
淘汰が行はれること
故、
其生物は代々生存競争の際に
利ある点が少しづゝ
発達して行く。
恰も
鳩の中から
胸の最も
脹れたものを代々選んだので、今日のパウターが出来、
又尾の最も
拡がるものを代々選んだので、今日のファンテイルが出来た
如く、イナゴの先祖から代々後足の最も発達したものだけが生き残つたので現在の
如きイナゴが出来、
又'モグラ'の先祖から代々前足の
爪の最も大きく
鋭いものだけが生き残つたので現在の
如き'モグラ'が出来たといふ様な訳である。
こゝに
附けて言ふべきは、同種内の
生存競争は必ずしも個体間ばかりに行はれるとは限らぬことである。動物には
単独の生活をなすものと、
団体を造つて生活するものとあるが、団体をなして生活するものでは、常に団体と団体との間に
劇しい競争が行はれ、生存競争に利益ある性質を帯びた団体は勝つて長く
存立し、不利益な性質を
帯びた団体は
忽ち敗れて
亡び失せる。それ
故、
斯かる種類の動物に
於ては生存競争の単位は団体であるが、
如何なる団体が最も勝つ
見込を有するかと考へると、言ふまでもなく、
其内の個体の数が相当に多くて、
是が
皆協力
一致し、
尚進んでは共同の事業を
分担して各自
専ら
其担当の
局に当る様な団体が最も強い。
如何に多数の個体より成る団体でも、
其中の各個体のなすことが
互に
矛盾する様では
労力の総量は
如何に多くても、
其大部分は団体内で
互に打ち消し合ひ、
到底団体として敵と対立して競争することは出来ぬ。
然るに団体競争の結果として、競争に
利益ある性質を
帯びた団体のみが常に生き残つて子を残す
故、こゝに述べた
如き性質は一代
毎に自然
淘汰によりて進歩し、団体内には一定の
秩序が生じ、
分業が行はれ、各個体は
幾分か
其独立を失ひ、全団体は
恰も
一段等の高き個体の
如きものとなるに
至る。社会と名づけるものは
即ち
斯かる団体である。
此章に
於て種々の生存競争の有様を論ずるに当つて、
何時も成るべく
理窟だけを
明瞭に
示すために、出来るだけ
簡単に考へたが、自然界は中々
斯様な
単純なものでなく、生物
相互の間だけにも
極めて複雑な関係があるもの
故、次の章で自然
淘汰のことを
尚詳しく説く前に、少し
此事を述べて置かねばならぬ。
英国スタッフォードシャヤーにあるダーウィンの
親戚の
持地面の中に
未だ一度も
耕作をせぬ広い
野原があつたが、
或る時、
垣を造つて
其中一部を
囲み、中に
樅の樹を植ゑた所、
其後二十五年
許りを
過ぎて調べて見たのに、元々全く同様であつた処でも、今は
垣の内と外とは植物動物ともに非常な
相違で、
垣の外には生えぬ植物が
著しいものだけでも十二種ばかり
垣の内に
繁茂し、
随つて
昆虫類も大に相異なり、
之を食ひに来る鳥類も
違つて、
垣の中には六種類
許りも来るが、
垣の外には全く別の種類が二三種来るばかりであつた。
又サレーの
或る村にも広い野原があるが、
近傍の
岡の上に二三本
樅の大木があるだけで、
樹木といつては他に一本も生えて居なかつた。
然るに、
或る時、単に
垣を造つて
其一部を囲んだのに、それより十年も過ぎぬ中に、
垣の内には一面に
樅の木が生えて圧し合ふばかりに生長した。
此樅の木は
蒔いたのでも植ゑたのでもない
故、全く
近辺の大木から
散つて落ちた種子より生じたに
違ひないが、若し左様としたらば、
垣の外にも落ちて生えぬ
筈はないと思つて、ダーウィンが
善く調べて見た所が、実際
野原一面に
芽が
生えて居て、
唯常に牛に食はれるために生長が出来ぬだけであつた。大木の一本から
凡そ一町(注:109m)ばかり
離れた
処で三尺(注:90cm)四方だけ地面を
丁寧に検査したのに、
其中に三十二本も
樅の
芽生えがあつて、試に
其一本を取つて見ると、
幹の切口に
年輪が二十六もあることを発見した。
即ち
樅の
種子が飛んで来て落ちることは
垣の内も外も
相違はないが、
垣の外では
絶えず牛が来て
若い芽を
尋ね求めて食ふ
故、生長が出来ぬので、
此木などは毎年芽を出し毎年牛に食ひ取られて二十六年も
経たのである。して見れば、
垣の内に
斯く
盛に
樅の
生えたのも決して不思議なことではない。
斯くの
如く
樹木の出来るか出来ぬかは牛馬の
有無によつて定まることもあるが、牛馬の有無は
又昆虫の有無によつて定まる様な場合がある。南アメリカのパラグワイ地方では、
嘗て牛馬などが野生になつたことがない。一体、南アメリカでは
何処でも野生の牛馬が非常に
蔓延つて居るのに、
此処ばかりに居ないのは、
奇態な様であるが、
或る学者等の調によると、
此地には牛馬の
幼児の
臍へ
卵を生み
附けて、
之を
斃す一種の
蠅が居るによるといふことである。
併し
此蠅には
又何か
之を害する敵があるに
違ひない。例へば
之に寄生する
昆虫があつて、常に
幾らづゝか
之を殺して居る位のことは必ずある。それ
故、
若しパラグワイで
或る
食虫鳥類が減じたらば、
此寄生昆虫が盛に
殖え、寄生
昆虫が
殖えたらば
此蠅が
著しく減じ、
蠅が減じたらば牛馬は
其害を
免れて野生となり、
繁殖することも出来るであらう。
而して牛馬が
殖えれば先づ植物に
影響を
及ぼし、
随つて
昆虫類・鳥類にも変化の起ることは前の例で述べた通りであるから、
又更に牛馬の
盛衰に関係を生じて来る。
以上は
孰れもダーウィンの
著書に出て居る例であるが、
尚一つ
方々へ引合ひに出される有名な例がある。
誰も知る通り、植物に種子の生ずるのは花の
咲いて居る間に
雄蕊から出た
花粉が風
或は虫の
媒介により
雌蕊の
柱頭に達するに
基づくことであるが、ダーウィンの実験によると、オランダ=ゲンゲの種子の生ずるのは全く
地蜂が来て
媒介するによることで、
蜂の来ぬ様に
網でも
被せて置けば
幾ら花が
咲いても種子は
一粒も出来ぬ。
然るに
地蜂の
習性を特に調べた学者の説によると、
此蜂は大部分
野鼠に食はれるさうである。
而して
鼠は素より
猫の
餌である
故、若し一地方に
猫が減じたらば、
鼠が
殖え
鼠が
殖えたならば
地蜂が減じ、
随つてオランダ=ゲンゲの種子の
産額も減ずる訳になる。
猫とオランダ=ゲンゲの
如き草とは、
一寸考へると全く無関係で、一方に
如何なる
盛衰があつても他の方へは少しも
影響を
及ぼすことは無い様であるが、
斯く順を追うて見ると、
其間には間接ながら大関係があると言はねばならぬ。自然界に
於ける生物
相互の関係は実に
如何なる辺に
存するか、
到底予想することは出来ぬ。
こゝに一つ特に注意して置くべきは、以上の例は
皆生物
相互の間には意外の所に関係のあるを示すだけのもので、決して自然界は
斯く
簡単なものではないといふことである。
此等の例は多少生物間の複雑な関係を示す積りで
掲げたのではあるが、自然界の複雑な有様は
素より
我々が万分の一も写すことの出来ぬ
位である
故、
此等の例を
以て自然の現象を
幾分か完全に
画いたものと
看做しては大
間違ひである。
兎角、
我々は物の
原因結果の
理窟を考へる時に、自然界の複雑なことを
忘れ、一の原因からは
唯一通りの結果を生じ、一の結果の生ずるには
唯一通りの原因よりない様に思ひ
誤り
易いもので、
或る現象の一の原因に考へ
当れば
直にそれを
以て
唯一の原因の
如くに思ひ、
又或る現象より生ずる一の結果を
推し考へれば
直にそれを
以て
唯一の結果の
如くに思ふ
傾きがある。然るに実際の自然界に
於ては、同時に無数の事件が並び進行し、多数の原因が
複雑に相関係しながら、同じく複雑な種々の結果を生じて居るから、中々一度には
明瞭に考へられぬ。
我々が通常物の原因結果を考へる具合は、
恰も一本の
鏈を
一節づゝ先へ先へと
探る
如くに、
唯一筋の線を
頼つて進むが、自然界の実際に
於ける原因結果の複雑な有様は、
強ひて物に
譬へれば、
鏈帷子を
幾重も重ねて
綴ぢ合せた様なもの
故、
其積りで考へぬと非常な
誤に
陥るやも知れぬ。最後に挙げた例の
如きも
理窟からいへば、無論
斯くなければならぬが、
是は複雑な自然界から他のものを
悉く
除き去つて、
唯猫と
鼠と
蜂とオランダ=ゲンゲとだけを残し置いた
如くに想像して、
其間の関係を
論じたまでのこと
故、実際は決して
斯く
単純に行くものではない。
此例を
掲げたのは、
唯世人は通常生物
相互の間に複雑な間接の関係のあることに気が
附かずに居るが、
此種の関係は
何処にも
存するといふことを示すために過ぎぬ。
さて前章に述べた
如く、生物界には常に
異種間にも同種内にも
劇烈な
競争が
日夜絶えず行はれて居るが、異種間の競争によつて各種の
盛衰存亡が定まり、同種内の競争によつて
其種が進化する。
而して競争の際には
如何なる標準によつて
勝敗が決するかといふに、自然界は前にも述べた
如く極めて複雑なもの
故、
我々が容易に
予め知ることは出来ぬが、
其場合々々の生存に
適する性質を
帯びたものが勝つことだけは確である。
然るに自然界は常に
成るべく平均の有様を保ちて、変化は
甚だ
徐々であるから、生存に
適する性質といふものも、一種類
毎に
就いては千代も万代も
略変らぬことが多い
故、各種の生物は
余程長い間代々
略同一な標準に
随つて
淘汰せられることになり、
淘汰の結果
次第次第に形状・構造
等に変化が生ずべき
筈である。
斯くの
如く
生存競争の結果は自然
淘汰であるが、自然
淘汰によつて生物各種に
如何なる変化が生ずるかは、一種
毎に
就いて別に考へねばならぬ。
併し、
是は無論
一朝一夕に出来るものではない。特に生物の身体を成せる
各器官の間には生長の
聯関などといふ事があつて、一種の
器官だけが身体の他の部分と全く関係なしに
独立に変化することは出来ず、
一器官に変化が起れば、
之より
延いて
殆ど全身に
影響を
及ぼすこともあるもの
故、今日の不完全な
我々の知識を
以ては、
到底十分には論ぜられぬ。
此生長の
聯関といふことも
唯経験上
若干の事実が知れて居るだけで、例へば
四肢が長く
延びれば、
之と同時に頭も長くなるとか、足に羽毛の生えた
鳩には外側の
趾の間に
膜があるとか、
嘴の短い
鳩は足が小く、
嘴の長い
鳩は足が大きいとかいふ様な、一個一個の
離れた事実は、
飼養者の
常に知る所であるが、
斯く一種の
器官に起る変化が必ず
或る他の
器官の変化に
伴はれるのは
何故であるか、
如何なる規則に
随うて
斯かる現象が起るかといふことは、
未だ極めて
不明瞭である。
之に限らず
総べて他の方面に
於ても、
我々の知識は未だ
甚だ不完全なもの
故、今日の所では
唯大体を論じて満足するより外に
致し方は無い。
優つた者が勝ち、
劣つた者が敗れるのは解り切つたことで、別に説明にも
及ばぬ様であるが、生存競争といふ字も自然界の現象を論ずるに当つては、
普通に用ゐるよりは大に
意義を広めて無意識的競争までも
含ませなければならぬ様に、
優勝劣敗というても、
我々が
優者と
見做す者が
何時も必ず勝ち、
劣者と
見做すものが
何時も
必ず敗れるとは限らぬ。
唯其場合に
於て
生存に
適するものが生存するといふ広い意味であるから、
我々が常に
劣者と
見做して居るものが
却つて生き残る様な場合があつても、
是は決して
優勝劣敗以外の現象ではない。
嘗て
磐梯山の
破裂したとき、
達者な者は
驚いて一番に家から飛び出して
負傷したり死んだりしたが、
腰の立たぬ人等は
遁げ出すことの出来なかつたために
却つて助かつた。
之を見て
或る人は
劣勝優敗だなどと論じたこともあるが、
斯かる際には
腰の立たぬ方が
適者で、達者な方が不適者である。
斯様なことが自然界には往々ある
故、
優勝劣敗といふよりは
寧ろスペンサーの用ゐ始めた
適者生存といふ文字を取つた方が
誤解せられる
恐がなくて
穏当であるかも知れぬ。生物界に
於て
優勝劣敗といふのは
何時でも
唯適者が生存するといふ意味であるが、
此意味に取れば
何時何処で用ゐても決して例外のあるべき
理窟はない。
斯くの
如く適者も不適者も初めから定まつたものでなく、場合
次第で
違ふことがあり、
随つて生物個体の存亡の標準は
其時々の事情に応じて異なるものであるが、
此事情といふものの中には年々
歳々絶えず変らぬものもあれば、
又一回限りで前にも後にも無いものもある。
磐梯山の
破裂の
如きは
唯一回限りで再びあるかないか知れぬことであるが、敵に食はれぬための競争、
食餌を食ふための競争の
如きは年々引続いて決して絶えることは無い。
斯く二種類ある中で
孰れが自然
淘汰に必要であるかといふに、
凡そ動物でも植物でも
淘汰の結果の
現れるのは、代々同一の標準によつて長い間絶えず
淘汰の行はれることが必要である
故、単に一回限りより無い事件は、生物の進化に向うては
殆ど何の
影響も
及ぼさぬ。
之に反して
如何なる事情でも
唯長い間絶えず引き続きさへすれば生物個体の
存亡の標準の一部分は常に
之によつて定まるから、生物進化の
一原因となることが出来る。敵より
逃れるための競争、
餌を取るための競争
等は
其最も
著しいものであるが、一地方に
於て
偶然稀に起る事件も、他の地方では規則正しく常に起る様なこともある
故、
甲の地方で生物進化の
原因として
働かぬ
事件が、
乙の地方では
明に
斯く働く場合が無いとも限らぬ。例へば
昆虫の
如きは
蟻を
除けば、
其他は通常、
蝶でも、
蜂でも、
'蝉'でも、
蠅でも、
皆翅を
以て飛ぶものばかりで、
翅の発達して居ることが生存の一条件となつて居る程であるが、大洋の真中にある小島の常に風の
烈しい処には
翅の無い飛ばぬ
昆虫が
甚だ多い。マデイラ島には
甲虫の種類が五百
許りもあるが、
其中半分は飛ぶ力の無い種類である。
又印度洋の南方にあるケルグレン島に産する
昆虫は
悉く飛ばぬ種類ばかりである。
是は
或は代々
翅の発達した善く飛ぶものは風に
吹き飛ばされて海中に落ちて死んで
仕舞ひ、余り飛ばぬものが生き残つたために自然
淘汰で
斯くの
如くになつたのかも知れぬ。
若し左様としたなれば、
此場合では前の
磐梯山の例の
如く、
翅の弱いものが適者で
翅の発達したものの方が不適者である。
斯くの
如く
如何なる性質を帯びたものが適者で、
如何なるものが不適者であるかは前から予め知ることの出来ぬもので、
唯競争の結果より見て生存した者を
其時の適者と
認めるより外はないが、生活の有様の
略解つて居る場合には
如何なる個体が競争に勝つべきであるかを
前以て推し考へることが出来る。
詰まる所、実際生き残つた個体は無論生き残るべき理由があつて生き残つたのである
故、
其理由を有したものを
優者と名づけるに過ぎぬ。
此点を
誤解すると、前の
如き例を引き出して生物界に
優勝劣敗の反対の場合があるなどといふ議論も起るが、こゝに
述べた意味に取れば素より反対の場合のあらう
筈はない。
而して
外界の事情に
著しい変化が無ければ生存競争に
於ける個体の存亡の標準にも余り変化が起らぬ
故、代々同一の標準に
随うて自然
淘汰が行はれ、
終に生物種属に著しい進化を
惹き起すに
至るのである。
生存競争に
於ける勝敗の標準は、
其時々の事情で
違ふ
故、総べての動植物を通じて自然
淘汰の結果を論ずることは出来ぬが、現在の動植物を
悉く集めて
彼此比較して見ると、
其大部分に
就いては
稍一定の方向に進む
如き
勢が見える。一定の方向とは
即ち体の構造が
簡単より複雑に向ふことである。
人間社会の有様を見るに、
野蛮国では各個人が
皆自分の生活に必要な衣・食・住の用品を造り、一人にて家も
建てれば衣服をも造り、
猟もして、少しも他人の手を
借らぬから、
一村落内の人間が
悉く
独りづゝに
離れても生活には不自由を感ぜぬ。
然るに
稍開けた国へ行けば、生活に必要な仕事を個人の間に分配し、各個人は
唯其担当の
業務のみに力を
尽し、家を建てる者は常に家ばかりを建て、他人の分までも建てる
代りに
衣服・食料は他より得て生活し、
又衣服を造る者は常に衣服ばかりを造り、他人の分までも造る代りに
住家と食料は他人より
仰いで暮して居る。
斯く事業を
分担すれば、同一の個人は長く同一の
業に
従事し、
随つて
其業に
熟達する
故、一人にて何でもする
野蛮人に比べれば、家でも衣服でも無論
遙に立派に出来る。
更に最も開けた文明国では分業が最も進んで
蝙蝠傘の骨ばかりを造る工場もあれば、
饅頭に入れる
餡ばかりを造る会社などもあつて、
各個人のなす仕事は
甚だ
狭くなり、
其代りに
其仕事は極めて
精巧な
域に達する。されば今日一国の文明
野蛮の
度を
測るには
分業の行はれることの多少を
以て標準とするより外はないが、さて文明国と
野蛮国とが戦争をすれば
孰れが勝つかといへば、
是は
素より論にも
及ばぬことで同じく武器と名は
附いても、
野猪や
鹿を
猟する片手間に
燧石を
欠いて造つた
石鏃と、
螺旋を造る
職工は
螺旋のみを造り、
筒を
磨く職工は
筒ばかりを
磨いて居る兵器工場の製作品とは
到底相対すべきものではない。それ
故、実際
野蛮国は
漸々文明国に
攻め取られ、
野蛮人は追々文明人に敗けて、
断絶せんとする有様である。
是は
極端と
極端との
比較であるが、
斯く
懸隔の
甚だしくない場合でも、
理窟は全く同様で、分業が少しでも進んだ方が、必ず仕事が
幾分か優る訳
故、他の事情が総べて同一である場合には、分業の進んだものの方が勝つと見て
宜しからう。
動植物の
生存競争に当つても同様なことがある。
凡そ動物が生活して行くには
酸素を
吸ひ入れることも必要であり、食物を取つて消化し
吸収することも必要であり、
滋養分を全身に
循環せしめることも必要であり、
炭酸瓦斯其他の
排泄物を体外へ出すことも必要である。
又運動も感覚することも必要であるが、今こゝに多数の動物個体があつて、
互に相競争すると仮定するに、身体各部の間に分業の行はれることの多いものは、人間社会の
有様に
比較しても解る通り、
此等各種の仕事が
皆善く行はれる
故、分業の行はれることの少いものに対して勝つ
見込がある。
是が代々
幾分づゝか勝敗の標準となれば、身体各部の間に分業の行はれぬ動物の子孫も、長い間には自然
淘汰の結果少しづゝ分業の行はれた動物に進化する
訳であるが、同一の
組織で種々の仕事を
均しく完全に行ふことは出来ず、運動するには運動に
適する
組織、
感覚するには感覚に
適する組織が必要である
故、分業の行はれると同時に身体各部の間に組織構造の
相違が生じなければならぬ。
即ち運動を
担当する部は
筋肉組織となり、感覚を
司どる部は
神経・組織・感覚器等となり、消化の働きをなす処は
胃・
腸となり、呼吸を
務める処は
肺或は
鰓となり、分業の進む程、身体の構造も
之に伴うて益益複雑に成るものである。
分業の結果として生じた各組織は、
恰も文明国の個人の
如く、生活に必要な事業の中、
唯一種だけを担当し、他の
事業は一切
之を他に
委ねて
其結果を収めるのみである。例へば運動の組織なる筋肉は
唯運動のみを
務め、感覚の組織なる
神経は
唯感覚ばかりを
司どり、他の組織の
吸ひ入れた酸素、他の組織の消化した
滋養分の分配を受けて生きて居る。それ
故若し運動の組織だけ、
或は感覚の組織だけを取り
離したならば
到底独立に生存することは出来ぬ。分業の進んだ運動の個体は一種
毎に
異なつた働きをなす組織が多数に集まつて出来て居る
故、全部
完全して居なければ生活が出来ず、一部分づゝに
離しては
忽ち死んで
仕舞ふが、
斯くの
如く身体の
諸部分の間の関係が
親密で、全部完全して居なければ生存が出来ぬ
故、
生存競争に
於て
遙に分業の進まぬ生物に比して不利益な場合も無いとは限らぬ。
其有様は
尚次の節に述べる所によつて
明に成るであらうが、競争者が
雙方ともに分業の進んで居るときには、確に一歩でも分業の先へ進んだものの方が勝利を得る
見込を有する訳であり、
且生存競争の最も
劇しいのは
互に最も相似た種類の間である
故、代々
此標準に
随つて
淘汰が行はれて、初め
簡単なものより次第に複雑な構造を有するものに進化し来つたと考へなければならぬ。
実際動植物を多く集めて
比較して見ると分業の行はれぬ簡単なものから、分業の進んだ複雑なものまで
漸々進歩する有様を
明に順を追うて行くことが出来る。
動物には構造の複雑な
分業の進んだものもあれば、構造の
簡単な分業の進まぬものもあるが、各生活に
必要な作用を行ふといふだけは同一である。
餌を食ひ、子を生むといふ点に
至つては、
複雑な動物も
簡単な動物も決して
甲乙はない。
併し同じ生活作用を
営み、
呼吸し、消化し、
吸収し、
排泄するといつても、分業の行はれた動物と分業の行はれぬ動物とでは
其働きの
精粗、
遅速に大なる
相違あるを
免れぬ。例へば犬と
蛙と
蝸牛と
蚯蚓とを取つて
比較して見るに光を感ずるために犬・
蛙・
蝸牛には
特別に
眼と
称する
器官があるが、
蚯蚓には無い。
併し夜は穴から出て、日中は地面の下に
隠れて居るのを見れば、
蚯蚓と
雖も決して全く光を感ぜぬ訳ではない。
唯其ための
特別の
器官がないばかりである。
又運動するためには犬・
蛙には
特別な足が
備はつてあるが、
蝸牛・
蚯蚓には足がなく、
唯全身を
以て運動する。
又呼吸するに当つては、犬は
肺ばかりを
用ゐるが、
蛙・
蝸牛は肺よりは
寧ろ
皮膚の方を多く用ゐ、
蚯蚓は肺がないから
唯皮膚ばかりで呼吸する。
斯くの
如く
蚯蚓は身体の
壁を
以て光をも感じ、運動もなし、
又呼吸も
営むが、
之を犬の
如く光を感ずるためには
眼を有し、運動するためには足を有し、呼吸するためには肺を有する動物の働き方に
比べると無論
遙に
遅く、
且粗末である。
動物界に
於ても人間社会に
於けると同じく、分業の行はれる度を
以て
高等と
下等との区別の標準とすることが出来る。身体各部の間に分業が行はれ、
組織間に
相違が生じて
其ため構造の複雑になつた動物を高等動物と名づけ、分業が行はれぬため構造の
未だ簡単な動物を下等動物と名づける。前の例に挙げた四種の動物を
此標準に照らして見れば、
最高等は犬で、次は
蛙、次は
蝸牛、
最下等が
蚯蚓と言はねばならぬ。
併し、動物には身体構造の仕組が根本から
違ふ類が
沢山ある
故、世界中の動物を高等から下等へと一列に
並べて
仕舞ふことは出来ぬ。
何故といふに全く構造の仕組の異なつた動物を
比較するのは、
恰も
時計と
望遠鏡とを比べる様なもので、
到底優劣を定めることの出来ぬ場合も
甚だ多いからである。
優勝劣敗と定まつたならば、下等動物は
皆亡び失せて高等動物ばかりの世となりさうなものである。分業の進んだものが勝ち、分業の進まぬものが
敗けると定まつたならば、終には最も分業の進み、最も構造の複雑な動物が一種だけに成つて
仕舞ひさうなものであると
論ずる人があるかも知れぬが、
是は世の中を余り
狭く
且簡単に見た
誤で、実際は決して
左様なものではない。前にも
述べた通り、地球の表面は
其処々により、各有様が
違つて、山もあり、野もあり、全く同じ
処は
殆ど決して無い位であるが、
其処々に
於ての生存競争に勝つたものが生活する
故、一種で
何処にも同じく
適することは
到底出来ず、山に
適するものは野に
適せず、
又山に適するといつても山の全部に適するものではなく、山の
或る部に
適するだけ
故、
其残つた位置は他の動物が
占め、多数の動物が相混じて生活し、自然界に
空隙を
余さず
其平均を保つことになる。それ
故、他の
事情が全く同一な場合には、分業の少しでも進んだ方が勝つ道理ではあるが、
如何に分業が進み、構造の複雑な動物が
発達しても、
所謂下等動物の生存すべき
余地は
其間に十分に
存して決して無くなることはない。
恰も
風月堂の
隣りに
駄菓子屋の店があつても、相手が
違ふ
故、両方とも
相応に売れて相
妨げぬ様なものである。されば自然
淘汰の結果、一方に
於ては絶えず分業の方向に進むものがあると同時に
又他方には分業の行はれぬ簡単な動物は、それ相当な位置を
占めて
繁殖して行くことが出来る。
又物毎に
一利あれば
一害あるは
免れぬ所で、分業が行はれれば仕事が
巧にはなるが、分業の結果
自全と
云ふことも進むから、部分が別々に
離れ
散つては
生存が出来ぬといふ不利益がある。
蚯蚓の身体には前後各部の間に
著しい分業がなく、
孰れの部を取るも
其部だけで生活に必要な作用を
略一通りは行ふことが出来る
故、半分に切られても各片が生きて居るが、犬の
如きものには
此真似は出来ぬ。それ
故同じく
負傷した場合には、平均下等動物の方が助かる
見込が多い。人間などは
脳を打たれても、
心臓を打たれても、
鉄砲の丸一個で死んで
仕舞ふが、
海月の
如きものになると、全身
篩の
如くに打ち
抜かれても平気である。
又大きな
宮殿を造るには小屋を一つ
建てるに比べると
遙に多くの日数が
掛かると同じ
理窟で、構造の
複雑な動物は簡単な動物よりは生長に非常の手間が
掛かり
随つて増加力も多少
遅い。生物中で最も
増加の
速なものは最も簡単な構造を有するもので、
黴菌類の
如きに
至ると
僅に半日か一日の間に初め一個あつたものから
数億兆になることもある。それ
故増加力の競争では高等動物は平均、下等動物には
遙に
及ばぬ。
斯くの
如き次第
故、自然界に
於ては高等動物と下等動物と
相並んで生活しても必ず高等動物が下等動物を打ち
亡ぼすとは限らず、処によつては下等動物でなければ生存の出来ぬことも
随分多いから下等動物は
何時までも適当な位置を保つて生存し、両方ともに自然
淘汰によつて進化し行くことが出来る。高等動物といひ、下等動物といふのは単に構造上から見たことで、各現在生活する
境遇に
適するといふことには、決して
甲乙の
差はない。
此意味に取れば、高等動物と下等動物との間に
優劣を区別することは決して出来ぬ
訳である。
我々は
通常構造の複雑な動物を高等と
見做し、
簡単な動物を下等と
見做す
故、複雑な動物が再び簡単な形に
戻り、前に持つて居た
特別の
器官を失ふ様な場合には
之を
退化と名づける。
併し、前に述べた通り複雑な動物が必ず簡単な動物よりも一層生存に
適すると
限つた訳でもなく、地球の表面の中には簡単な動物でなければ
生存の出来ぬ様な処が
幾らもある
故、複雑な動物の
子孫と
雖も、外界の事情が簡単な動物の方が生存の
見込の多い様な
有様となるか、
或は
其様な有様の処に
移住するかしたならば、代々少しづゝ簡単な動物が生き残り、自然
淘汰の結果次第々々に
簡易なものに変ずる
筈である。進化と退化とは字で見ると相対立して反対の意味を有するものの
如くに思はれるが、
所謂退化といふも
矢張り適者が生存して生じたもの
故、決して進化
以外のものではなく、単に進化の
特別の場合に過ぎぬ。
適するものが適せざるものになれば
是は真の
退化であるが、
斯様なものは生存が出来ぬから、
忽ち死に絶えて
仕舞ふ。
海岸へ行つて岩石、
棒杭等の表面を見るとフヂツボといふ貝の
如きものが一面に
附着して居るが、
此動物は
解剖上、発生上から調べて見ると、確に
蝦や
蟹と同じく、
甲殻類といふ類に属するが、
蝦や
蟹が
皆活溌に運動して
餌を探し
廻る中に
交つて、
此ものだけは岩などに
固着し、
一生涯動くこともなく、
餌を探すこともない。運動するための足も
筋肉もなければ、
餌を
探すための眼もない。外から見れば一枚の
貝殻を
被つた
如くであるから、昔は
之を
蛤・アサリの様な貝の類かと人が思つて居た。
斯くの
如きもの
故、
蝦や
蟹の
如く足があり眼があつて
巧に運動するものに
比較して、通例フヂツボを退化したものと
見做すが、
其境遇に
於ける生存に
適するといふ点では、決して
蝦・
蟹に
劣るものではない。海岸の岩石の表面に何万とも
何億とも数へられぬ程に
盛に生活して居るのは、
即ち
其処の生活に
適して居る
証拠である。仮に岩石の表面からフヂツボを
悉く取り
払ひ、
其代りに
之と同じ位の大きさの
蝦・
蟹を同じ数だけ置いたと想像するに、
蝦や
蟹では
到底斯く盛に生活することは出来ぬ。今
試にフヂツボの生活する有様を見るに、
丈夫に
固着して居る
故、
浪が
烈しく岩に打当つても
離れる
虞がなく、
随つて岩に打付けられて
砕かれる様なこともない。運動するための足もなく、
之を動かす
筋肉もなく常に
座した
儘故、
餓ゑることも
甚だ少く、少量の食物で事が足るが、食物が少くて
済む
故、固着して居ても
浪に打寄せられて来る
微細の
藻類などを取るだけで十分に生活して行ける。別に
餌を
捜すに
及ばぬから、
眼も入らぬ。
斯く
孰れの点を取つても、フヂツボの身体は
浪の打当る岩石の表面に生活するには
極めて
適して居るから、
蝦や
蟹は
如何に運動感覚の
器官が発達して居ても
此場所では
之と競争は出来ぬ。
第十三図 フヂツボ 元来動物の身体内にある
器官は
如何なるものと
雖も、費用の
掛らぬものは無い。一の
器官を
備へ置くには、
滋養分の一部を
割りて常に
之を
養はねばならぬ。
運動器官の発達した動物は運動
器官のために
滋養分の大部を
費さなければならぬから、
餓ゑることも
甚だ
速である。それ
故多量の食物を
求めねばならぬが、
坐して多量の食物は
獲られぬから、盛に動き
廻つて食物を
捜さねばならず、
而して運動すれば、
又餓ゑる。
之を外の物に
譬へれば運動する動物は
収入・
支出ともに多い会社で、運動せぬ動物は収入・支出ともに少い会社の様なものである。土地の
状況次第で前者の
適する処もあれば、後者の
適する処もあつて、
孰れが
繁昌し、
孰れが失敗するかは、単に出入額の多少ばかりでは定まらぬのと同じで、
勝敗は決して運動力の有無によつて定まるものではない。
以上は
唯一つの例に過ぎぬが、
退化といふことは生物界に決して
稀な現象ではない。
闇黒な
洞穴の中では魚でも
蝦でも眼が発達せぬ。
又他の生物に
寄生する類には
一般に運動・
感覚の
器官が
甚だしく少い。前に
掲げたことのある風の
荒い大洋の中の小島に住む
昆虫に飛ぶ力のないことなども
此類に属するが、
此等の場合とても
理窟は全く同様である。通常
我々が身体各部の間に分業の行はれた、構造の複雑な動物を高等動物と名づけ、構造の
簡単な動物を下等動物と名づけるのも、複雑な動物が
稍簡単な形に変ずるのを退化と名づけるのも、
皆高いと
貴いとを
結び合せ、低いと
卑しいとを結び合せる人間の心の働きで、
天然から見れば
唯適者が生存するといふことがあるばかり、決して高等動物が
優るとか、下等動物が
劣るとかに定まつたことはない。それ
故所謂退化といふものも決して生存上優つたものが
劣つた有様に
移るといふ意味に取ることは出来ぬ。
野生の動植物の各種が生む子の数は非常に多くて、
到底其中の小部分より生存することは出来ぬが、同一の親から生まれた子でも変化性によつて
各少しづゝ
違つて居る
故、
其間に自然
淘汰が行はれ、毎回最も
其時・
其処の生存に適したものが生き残つて子を生み、
遺伝性により
其性質を子に伝へる
故、生存に適する性質は代々少しづゝ進んで各生物は
漸々形状・構造・習性等に変化を生ずべきことは、
既に前章までに
説き来つた所であるが、
更に
其変化の
模様を考へると本章に
述べた通り、分業の
結果として簡単より複雑に進むべきは無論であるが、生物界の全部が一様に複雑に進む訳ではなく、外界の
情況に応じ、複雑な生物に
混じて簡単な生物も生存し行くもので、
特別の場合には
一旦複雑になつた生物が再び
簡単な有様に
戻ることも往々ある
筈である。今日生存する動植物は
孰れも
斯かる
径路を
歴て進化し来つたものであると論じなければならぬ。
右の
理窟を現在の動植物に当て
嵌め、
溯つて
其祖先は
如何であつたかを
推察すれば、
凡次の
如くである。
飼養動植物に
於ても
淘汰の標準が
違へば初め一種のものより後には数種の形が生じ、一種の野生
鳩から、パウターも、ファンテイルもキャリヤーもタンブラーも出来る
如く、天然に
於ても、同一の
先祖から
降つた子孫でも
住処が異なれば
生存競争に
於ける勝敗の標準が
違ふ
故、自然
淘汰の結果として、
是非とも形状・構造等が
各互に相異なる様になり、山にとまつたものと野に
移つたものとでは、たとひ先祖は同一でも、
終には二種の全く異なつたものとなるべき
筈である。
斯くの
如く常に一種から進化して数種に分かれるものとすれば、今日
我々の見る動植物の中で、
互に最も相似たものは
皆同一の先祖から
降つたものと
見做さねばならぬ。
即ち
北海道の
赤熊も
内地の
黒熊も共同の
熊の先祖より起り、
嘴太烏も
嘴細烏も
肥前烏も
皆共同の
烏の先祖より進化して生じたものと
見做すより
外には
致し方がない。
尚此考を
一層先へ
推し進めると、次の
如くになる。
凡人間でも、
概して言へば、親類の
縁の
濃いもの
程相似ることも最も多い通り、生物種属に
於ても共同の先祖より
互に相分かれたことの最も
晩いもの程
相似ることが
著しいと考へても大きな
間違ひでは無からう。例へば五百代前に共同の先祖から相分かれた二種の生物は、千代前に分かれたものに比すれば、
互に相似ることが多いと
見做しても
宜しからう。
然るに何十万もある動植物の種類を集めて見ると、
其中には
互に
極めて相似たものもあれば、
又甚だしく
違ふものもあつて、相似る度には
夥しい
懸隔がある。同じ
獣類といふ中にも、
狐と
狸との
如く
善く
似たものもあれば、
鯨と
蝙蝠との
如く
相離れたものもあり、同じ魚類といふ中にも、
鯉と
鮒との
如く善く似たものもあれば、
鰻とアカエヒとの
如く
相異なつたものもある。
併し、
鯨と
蝙蝠とが
如何に相異なつても、
其間の構造上の
相違は
獣と鳥との
相違に
比ぶれば
遙に少く、
鰻とアカエヒとは
如何に相異なつても
其間の
相違は
到底魚と
亀との
相違には
及ばぬ。
斯様に最も似たものから最も異なつたものまで、種々の
階段のある中から最も相似たものを
以て共同の先祖より起つたものと
見做せば、
其次位に相似たものは
矢張り
尚一層古き時代に共同の先祖より起つたものと
見做さねばならず、
赤熊と
黒熊とを共同の先祖より
降つたものと
見做したと同一の論法によれば、
熊と
狸とも矢張り共同の先祖より
降つたもので、
唯相分かれた時代が
赤熊と
黒熊との相分かれた時代より
幾らか前であつたと言はなければならぬ。
斯く
論ずるときは、
獣類は、
猿でも、
兎でも、牛でも、馬でも、総べて
極古い時代まで
溯ると、先祖は
唯一種であり、鳥類は
雀でも、
鳩でも、
鷹でも、
鶴でも、
遙昔の時代まで
溯ると、先祖は
唯一種であつたのが、種々に分かれ
降り、
漸々進化して今日の
如きものになつたと考へねばならず、
尚溯れば、動物は総べて動物共同の先祖から、植物は総べて植物共同の先祖から
降つたのみならず、
凡生物たるものは総べて生物共同の一種の先祖から起つたものであるといふ考に達する。
以上述べた所は、無論
推察論で極めて
漠然たるものである。地球の歴史は、
何億年やら
何兆年やら
我々から見れば
殆ど
無限ともいふべき長いもので、生物の進化し来つたのは
其間であるから、
我々の今日の知識を
以て
之を
明瞭に調べ上げることは素より出来ぬ。
我々人類の経験の
範囲は実に
比較にもならぬ程に
狭い
故、
其経験で知り得たことを基として限りなき昔のことを
推し考へやうとするは、
恰も
畳の目一つだけ位の
知識を基とし、
之を
推し進めて一里先のことまでも
究めやうとする様なもので、
甚だ
覚束ないことである。こゝに
述べたことの中でも、
狐と
狸とが共同の先祖より分かれ
降つたといふ位な近いことは
大概明瞭に想像も出来るが、動物の総先祖は
唯一種であつたか
如何かといふ様なことになると、最早実際らしい有様を心中に画いて見ることも
困難である。
唯我々の今日知り得たことを、今日の
脳力にて
何処までも
推すと、
斯かる考に達するといふまでである。
一々
詳しきことは解らぬが、生物の各種が絶えず少しづつ進化し、
且初め一種のものも後には数種に分かれるといふ以上は、生物の
系図が大体に
於て
樹枝状を
呈することは確である。
根元が一本の枝も何回となく
分岐して
彼の数が
益々増し、
其末梢を数へると、非常に多くある
如く、生物の
系統も、初め一種のものも常に枝分かれして、種類の数が追々増加し、今日見る
如き多数の種属が生じたのであらうが、今日
我々の目の前にあるのは
即ち
末梢端に相当する部だけで、
幹や太い枝に当る
処は
既に死んで
仕舞つた後
故、見えぬから、
我々は木の枝を見る
如くに生物の系統を
一目瞭然と見ることは出来ぬ。大木が土に
埋もれて
梢が現れて居るのならば、
唯土を
掘りさへすれば
直に枝の形を見ることが出来るが、生物の方では先祖は総べて遠き昔に死んで無くなり、古代の生物が化石となつて今日まで残つて居るのは極めて小部分に過ぎぬから、
大抵の場合には直接の方法で生物各種の
系図を
明にすることは出来ず、
拠なく
解剖上・発生上の事実を基として
推察するばかりである。
併し、推察とはいつても、総べての生物の総べての
解剖上・発生上の点が十分に解つた後には、
随分誤らぬ様に生物の系図の大部分を考へ出すことが出来る
筈である。数十万の生物種類を
解剖上・発生上の
類似の度によつて分類し、最も相似たものを集めて
各一群とし、最も相似た
群を集めて
更に一段大きな群とし、次第に大きな組に造り、常に似たものは集め、異なつたものは
離すといふ
主義に
随つて、全生物界を一大系統に
編成したと
仮定すれば、
是が
即ち生物各種の系図を示す訳で、先祖が
如何なるものであつたかは
直接に解らぬが、生物各種の間の
親類縁の
濃い
薄いは、
之によつて
明に知ることが出来る。昔の
博物学者は動植物を分類するに当つて
唯容易に各種を
捜し出せる様にと
務めたから、
其ために都合の
好い点を一つ二つだけ標準とした
故、
其分類表は極めて
人為的のもので、単に
索引附きの目録に過ぎなかつた。林氏
綱目の
如きは単に
雄蕊と
雌蕊との数で総べての植物を分類してある
故、
桜草も
躑躅も
煙草も朝顔も五本の
雄蕊と一本の
雌蕊とを有するといふ所から、
皆同一の
目の中へ編入してある。
然るに
此処に述べた様な方法により、
解剖上・発生上の点を
悉く考へ、各種間の
親類縁の遠い近いを確めて分類すれば、
其結果は単に生物の
名称を並べるが
如きものではなく、
直に生物の自然の系統を現すことに当るから、前の
人為分類に対して、
之を自然分類と名づける。今日動物・植物の分類に
志す人等の理想目的とする所は
是である。
古今の生物の
解剖上・発生上の点が
悉く解つて
仕舞へば、
之を基として
唯一通りの自然分類だけより出来ぬ
筈で、
此分類が
直に生物の系統を現すべき訳であるが、生物の
解剖・発生等は
現今我々が研究
最中で、今日までに発見し来つたことを
顧れば、
随分沢山にあつて、
唯学術進歩の速なのを
驚くばかりであるが、
尚解らぬこと、今より研究すべき
事項などを考へると、
殆どまだ山の登り口に居る
如き心地がして、人間の知識の進歩は
斯くまで
遅いものかと
歎息せざるを
得ぬ
位故、今日
直に自然分類を
完成することは素より出来ぬ。それ
故、今日の
所謂自然分類といふものは
皆不完全なもので、余程までは分類者一人の想像に基づくが、人々により各
其の知る所の部分が異なり、見る所の点が異なる
故、
殆ど一人々々に
其自然分類と
称するものが
違ひ、動物学の書物でも、植物学の書物でも、二冊取つて比べると、分類法の全く同じものは
殆ど無い。一種々々の生物の系統に関しては、
尚更議論が多い。
併し、
是は
我々の知識の不足に基づくこと
故、残念ながら今日の所
如何とも
致し方がないが、生物の系統を図に画けば、必ず
樹枝状を
呈するといふ大体のことに
至つては、生物学者中
最早一人も
異存を
唱へるものはない。
生物各種は絶えず少しづゝ進化し、
且初め一種のものも後には数種に分かれる
故、生物の系統は
樹枝状を
呈するといふことは、決して単に
生存競争・自然
淘汰等から
理窟で
推した
結論に止まる
訳ではない。実際生物が
斯かる有様に進化し来つたことの
証拠は生物学の
各方面に
殆ど
幾らでもある。次の章以下数章で述べるのは、
皆生物進化の
証拠といふべき事実である。
元来、事実があつて
然る後に
其説明を要するのが順序である
故、生物進化が事実であることを
証拠立ててから、
如何にして
斯かる進化が起つたかといふ説明に
及ぶべきであるが、
河を
探険するには多くは河口より
溯つて進むが、人に教へるときには
水源から河口の方へ
降つた方が解り易い様な事情もある
故、本書に
於ては先づ
原因の方から先に説いて、結果の
証明は後へ
廻すこととした。第三章より本章までに説いたことはダーウィンの自然
淘汰説の
大要で、生物の進化は
如何にして起つたかといふ説明であるが、次の章より述べることは、生物学の各方面から選み出した事実で、
孰れも生物の進化を証明するものである。自然
淘汰説の方は一々の場合に当て
嵌めると、まだ不十分な点もあり、自然
淘汰ばかりでは説明の出来ぬ
現象もあつて、追々改められることがあるかも知れぬが、次の章より述べることは、
孰れも有りの
儘の事実である
故、
誰も
非認することの出来ぬ性質のもので、
此等の事実が証明する所の大事実、
即ち生物は
恰も
樹の枝の
如くに
分岐して進化し来つたといふ事実も、
亦誰も
認めなければならぬものである。今日生物学者に
之を
疑ふものが一人もないのは、決して単に自然
淘汰説から理論的に考へたのではない。
寧ろ生物学の各方面には生物の進化を証明する事実が無数にある
故である。
ダーウィンは「
種の起源」を
著してから十二年を過ぎて、「人類の祖先」と題する書を
公にしたが、
其中に
雌雄淘汰といふことを
詳しく論じた。動物は
大抵雌雄が相合して子を生むものであるが、
其際配偶者を
獲るための競争が
起らざるを
得ない。
而して
雌雄の中、
雄の方は進んで求める
性質、
雌の方は
留まつて応ずる性質のもの
故、相争ふのは通常
雄で、
雌は
唯最も
優つた
雄に
従ふだけである。
若し
雌が単に戦に勝つた最も強い
雄に
従ふものならば、
淘汰の結果
唯雄だけが代々強くなるか
或は
其性質が
雌にも伝はつて両方ともに強くなるに過ぎぬが、実際動物の
習性を調べて見ると中々
斯く定まつたものではない。特に鳥類・
昆虫類などを調べて見ると、種類によつては
雌は最も
美麗な
雄に従ふものもあり、最も声の好い、歌の
巧な
雄に従ふものもあり、
又其上に最も
巧に
踊る
雄に従ふものもある。
何故斯様な性質が生じたかは
不明瞭であるが、事実は
此通りで、
腕力の競争よりも
寧ろ
容貌や
遊芸の競争に勝つた
雄が最も子孫を
遺す
見込のあることが多い。
此等に
就いては
従来博物学者が
丁寧に観察し
記述して置いたものが
沢山にあるが、読んで見ると
頗る不思議な
面白いことばかりである。特に鳥類に
就いては
此種の記録が多いが、
或る鳥は
産卵期に近づくと、
雄が
翼を
拡げたり、
尾を立てたりして羽毛の美なることを成るべく
著しく見せて
雌の愛を求めやうとする。
孔雀が
尾を開くのも
此類である。
又或る鳥は
産卵期に近づくと、
雄が
終日鳴き歌つて、
雌の愛を求める。
時鳥の鳴くのも
此類である。
又或る鳥の種類では
雌の集まつて見物して居る前で、
雄は確に
舞踊と名づくべき運動をするが、総べて
此等の場合には
雌が
選択者であり、
雄は
唯雌に選ばれやうとて争ふ
訳故、代々多数の
雄の中から最も
雌の意に
適つたものが、
生殖の
見込を有し、
其性質を子に伝へ、長い間には以上の点が
漸々発達する
理窟である。今日鳥類の
雄に非常な
美麗なもの、非常に声の
好きもの
等のあるのは、
斯く進化し来つた結果であらう。
第十四図 アルグス雉子の雄
雌を
奪ひ合ふために、
雄が
腕力的の競争をなすことは、無論
常にあることで、鳥でも、
獣でも、虫でも、魚でも、
其頃になると
大概劇烈な戦争が始まる。
而して代々
此戦争に勝つたものが子を
遺す
故、長い間には
此戦争に
適した性質が
漸々進歩する
筈である。
雄'鶏'の
距も、
其勇気も
或は
斯くして発達したものかも知れぬ。
又雌を
捕へた後でも、
之に
逃げ去られては
生殖の目的を達することが出来ぬ
故、代代
雌を
放さぬ様な
仕掛の最も発達したものが子を
遺すので、長い間には
斯かる
仕掛が次第に
完備する様な場合もある。水中に住むゲンゴラウといふ
甲虫の
雄の前足が
吸盤の
如くになつて居るのは
恐らく
斯く進化し来つた結果であらう。総べて
斯くの
如く生物個体間には
唯敵より
逃れるため、
餌を取つて食ふための競争の外に、
雌雄生殖の目的のためにも常に競争を
免れぬものであるが、
此競争に負けたものは
直には死なぬが、後に子を
遺さぬ
故、
唯勝つたものの性質のみが積み重なつて、生物各種は
其方面にも進化する
訳になる。敵より
逃れ、
餌を取つて食ふことに、直接に関係のない性質は多くは
此方法で進化し来つたものであらう。自然界に
於て
我々が美しいと感ずる
事項は
大抵此部に属するものである。
自然界の美を
賞讃する人は、先づ第一に花と鳥とを指すが、
其賞する点は
何時も
其生物が敵を
逃れ、
餌を食ふために必要な部分ではない。草の根、鳥の
胃・
腸などは一日も無くては生きて居られぬ部であるが、
之を
賞めた人は昔から決して一人もない。
又生殖の
器官は動物・植物に取つては最も重要なものであるが、
是も美しいとて賞められたことはない。花は植物の
生殖器官と
称するが、
其中で美しいのは周囲の
花弁ばかりで、
肝心の
雄蕊・
雌蕊は余り目立たぬ。然らば人の常に賞する所は何かといふに、
唯花の色とか鳥の声とかで、
孰れも
生殖の目的のために他を
誘ふものに過ぎぬ。美しい色の花は
皆所謂虫媒植物で、
雄蕊の中に生じた花粉を虫が
媒介して他の花の
雌蕊まで運ぶものばかりであるが、
此虫と花との関係は
甚だ複雑なもので、
是ばかりのために大部の書物が出来て居る。
沢山な花に対して
沢山な虫があること
故、自然
其間に多少専門が定まつて、
何の花には
何様な虫が来るか
略定まつて居るが、相手とする
其虫が来てくれなければ、花は
幾ら
咲いても
生殖の目的を
遂げずに、
其儘萎れて
仕舞はなければならぬ。アイスクリームや
西洋菓子に入れるヴァニラといふ
香の
佳いものは南アメリカに産する
蘭科植物の果実であるが、オランダ人が
之をジャヴァに移し植ゑた所、
媒介をする
昆虫が居ないので、少しも
果実が生ぜず、
拠なく
黒奴を
傭ひ、
筆を
以て
花粉を花から花へ移させたら、初めて
沢山に果実が出来たといふ
奇談もあるが、虫は通常色の美しい、
香の
佳い花を選んで飛び来るものであるから、代々
斯かる花が種子を
遺して、
終に今日見る
如き美しい花が出来たのであらう。
若し左様としたならば、
梅が
香も、
桜の色も、
唯生殖の目的のために虫を呼び寄せる道具として発達し来つたものである。
鳥の声も
其通りで、前に述べた通り
雄が
雌を
獲やうと競争する結果、
斯く発達したものと見える。
稀には
雌の方が
雄を
捕へるために競争する動物もあるが、
其様な類では
雌の方に
特別な性質が発達して居る。
併し、
是は例外で、
一般からいへば
相争ふのは
雄ばかりであるから、鳥に
限らず、
蛙でも、虫でも、
好く歌ふのは
皆雄の方である。
蛙の鳴くは
雄ばかりで、しかも
産卵の時期に限つて特に
盛に鳴き、夏
騒しく鳴く
'蝉'も鳴くのは
雄ばかりで、
雌は全く無言である。
此事は
極昔から人の知つて居たことで、古いギリシヤの
詩にも「
鳴呼'蝉'は仕合せ者である、
其妻は声を出さぬ」といつてあるが、
雄'蝉'の鳴いて居る処を
暫時眺めて居ると、
何時の間にか
雌が飛んで来て
其傍にとまり、
尚少時の後には
交尾する。
斯様に
丁寧に注意して見ると、花に鳴く
鶯でも水に
棲む
蛙でも、生きとし生けるものは
孰れも
雌を
呼ぶために
叫んで居ることが
解る。
其他、
香のことを考へても、
婦人の最も
珍重する
麝香は
印度辺に産する
麝香鹿といふ小な
鹿の
雄の
交接器の
末端に当る処の毛皮の中に
溜つた
脂で、
其天然の用は
交尾の時期に
雌を呼び寄せ、
其情を起させるためである。それ
故、
其時期以外には
甚だしく
香ふ程には生ぜぬ。
凡生物には
鯨の
如く何百年も生きるものもあれば、
又蜉蝣の
如く、朝に生まれて夕に死ぬるものもあつて、命の長い短いには各々
相違があるが、
寿命に限りあることは
孰れも同然である
故、生物各種が代々生存するには
生殖作用が
是非必要である。
餌を食つて消化する
営養の働きによつて個体が
維持せられる通り、
此作用によつて種属が
維持せられるものであるから、
種属生存の上から見れば
生殖は個体の死を
償ふ働きといつて
宜しい。
恰も営養の作用が出来なければ
其日限りに死に絶える
如くに、
生殖の作用が出来なければ、
其代限りに死に絶えるから、
唯死に
絶えるのに多少の
遅速があるだけで、種属生存の上から言へば、
孰れを重い、
孰れを軽いと区別することは出来ぬ。それ
故、現在の生物のなすことを見ると、
其目的とする所は、食ふためと
生殖するためとの外は無い。有名なシルレルの詩にも「
哲学者が何と言はうとも、当分の間は
餓と
恋との力で
浮世の
狂言が
行はれて行く」とあるのは、
此有様を
指したのであらう。
斯くの
如く営養と
生殖とは生存上共に必要である以上は、
餌を取るための生存競争の外に、子を遺すための
生殖競争も
是非起る
訳で、
代々一定の標準で勝敗が定まれば、
是れ
亦一種の
淘汰であるから、生物進化の方向を定める一原因となるに
違ひない。
而して
是も自然に起ること
故、自然
淘汰の一部であるが、ダーウィンの
雌雄淘汰と名づけたものは、
又其中の一部で、
雌雄両性に分かれた動物の
生殖競争から起る
淘汰だけを指したものである。
花の色、動物の
彩色等の
起源発達に
就いては、当時
尚種種の議論のあることで、他の作用とも密接な関係のあること
故、単に
雌雄淘汰だけで説明の出来るものではないが、生物間に常に
生殖競争がある以上は、生物進化の上に
影響を
及ぼすべきは当然のことで、色や
香の
如き日々の生存競争に直接の関係なき点が
如何にして発達進化したかといふ疑問の一部分は、
之によつて多少
了解が出来る。
併し、
此等に
就いては
尚研究を要する点が
甚だ多い様であるから、本書に
於ては単に以上だけをこゝに
附記するに止める。
一個々々の動物を
解剖して見ても、
又多数の動物を
比較解剖して見ても、動物は
皆共同の先祖から進化し来つたとすれば
解釈が出来るが、
天地開闢の時から別々に出来た
万世不変のものとすれば、
唯不思議といふだけで、
到底理窟の
解らぬ様な
事項を
沢山に発見する。
此等は生物進化の直接の
証拠とはいへぬかも知れぬが、生物の進化を
認めなければ、
如何しても説明の出来ぬもの
故、
所謂事情の上の
証拠である。事情の
証拠は一つや二つでは
或は
誤らぬとも
限らぬが、
沢山にある以上は全く直接の
証拠と
同然に確なものと
見做さなければならぬ。
動物の身体は
悉く生活上に必要な
器官ばかりで成り立つて居るとは限らぬ。特に高等の動物を
検すると、体の表面に現れた
処にも
又内部に
隠れた構造の方にも、生活上何の役にも立たぬ不用の
器官が
幾らもある。
我々自身の身体を見ても
眉などは
剃り落しても少しも
差支へがない
故、全く不用のもので、頭の毛も実は無くても余り不自由を感ぜぬ。
又男の
乳なども
僅に形があるばかりで、
一生涯用ゐることは無い。身体の内部を
解剖して見ると、
斯様な不用な
器官は
尚沢山に有る。
嘗て
或る
解剖学者は人間の
胎児が初めて出来るときから成人と成り終るまでの間に生ずる不用の
器官を数へ上げて見たが、
其数は
殆ど百近くもあつた。
耳殻を動かし得る人は極めて
稀であるが、
耳殻を動かすべき
筋肉は
誰にもある。
頭部の側面の
皮を
剥ぎ取つて
其中を見ると、
耳殻を前へ引く筋肉(ロ)が一つ、
耳殻を後へ引く筋肉(ハ)が二つ、
又耳殻を上へ引き上げるための
比較的大きな筋肉(イ)が一つある。
又耳殻自身の皮を
剥いで見ると、表には
大耳殻筋(ホ)
小耳殻筋(ニ)
耳珠筋(ヘ)
対耳珠筋(ト)などいふ筋肉が四つあり、
裏にも
尚二つ
許りも筋肉がある。一体、筋肉といふものは、
収縮によつて運動を起すのが役目で、
如何なる運動と
雖も筋肉の
収縮によらぬものはない。例へば
上膊の前面の筋肉が収縮すれば
臂の関節が曲り、
腿の前面の筋肉が収縮すれば
膝の関節が
伸びるが、
此等の働きによつて、
我々は
船を
漕いだり、
球を
蹴たりすることが出来る。然るに、
耳殻の周囲
並に表面にある筋肉は
唯存在するといふばかりで働くといふことは決して無い。それ
故、
我々は
耳殻を動かすべき筋肉は持ちながら、実際
耳殻を動かし得る人は千人に一人もない。
若し
天地開闢の際に神が
現今の通りの人間を造つたものとしたならば、
如何なる
料簡で
斯様な無益の筋肉を造つたか、
唯不可解といふより外はない。所が他の動物は
如何と調べて見ると、
獣類には
皆此等の
筋肉が発達し、
又実際に働いて用をなして居る。牛・馬や犬・
猫などが
耳殻を動かすことは
誰も常に見て知つて居ることであるが、
猿類でも
普通の
猿や
狒々などは多少
耳殻を動かすことが出来る。
唯猩々(注:オランウータン)の類になると、人間と同様で筋肉はありながら、
耳殻を動かす力は無い。元来、
耳殻は外より来る
音響を集めて
鼓膜に
達せしむるもの
故、
微細な音を聞くには有功なもので、
我々でも
微な
響を聞くには手を
添へて
之を
補ひ助けるが、
又之を動かせば
響の来る
方角をも知ることが出来て、敵の
攻めて来るのを
予知する等には
甚だ
調法なものである。然るに
斯く
或る動物には発達し、
或る動物には形があるだけで何の役にも立たぬのは
何故であるか。若し人間も
猿も犬も
猫も総べて同一の先祖から起つたもので、
其共同の先祖には
耳殻の筋肉が実際働いて居たものとしたならば、
遺伝によつて
是が総べての子孫に伝はり、自然
淘汰の結果、
耳殻を動かす必要のある様な生活を
営む方の子孫には
益々発達し、
其必要のない方の
子孫には
漸々衰へて、終に今日見る
如き形あつて働きなきものが出来たと考へて、一通りの
理窟は
解る。生物進化の事実を
認めなければ決して説明は出来ぬ。
第十五図 耳殻の筋
人間に
尾があるといつたら信ぜぬ人が多いかも知れぬが、皮を
剥ぎ、肉を
除いて、
骨骼だけにして見ると、
尻の処に小な骨が四つ
許り、
珠数の
如くに連なつて実際
尾を成して居る。
解剖学上
尾胝骨と名づけるのは
是であるが、肉に
埋もれて居るから素より外からは
解らぬ。
併し、
之を犬・
猫の
如き他の
獣類の
尾の骨と
比較して見ると、
唯長い短いの
相違があるばかりで、余り短い
故、外に現れぬといふに
過ぎぬ。
尾が無くて
尾の
骨だけがあるのも訳の解らぬことであるが、
更に
奇なことには、人体を多数に
解剖すると、
此尾胝骨を動かすべき筋肉を発見する。
尾の骨は身体の内部にあり、
且甚だ短くて何方へも動かし様もないから、
此屈尾筋といふ筋肉は
矢張り
耳殻の筋肉と同じく形あつて働きのないものである。人体だけのことを考へると、
斯様な筋肉のあることは
唯不思議といふばかりであるが、他の
獣類には
皆此筋肉が発達して実際に
尾を動かして居るから、
此等と
比較して考へて見ると、前と同様の結論に達せざるを得ぬ。
即ち若し人間も犬・
猫も同一の先祖から起つたもので、
其共同の先祖には
尾があり、
之を動かすべき筋肉も発達して居たとしたならば、
遺伝で
其形だけが人間にも残つて居ると考へることが出来るが、人間を全く別のものとしては
如何とも
解釈を下すことが出来ぬ。
第十六図 屈尾筋
馬の
脊中に
蠅などが来てとまると、馬は
其部の
皮膚を
振ひ動かして、
之を追ひ
払ふことは我我の常に見る所であるが、
此働きは
皮膚の直下に一面に
薄く
拡がれる一種の筋肉の収縮によることである。
此筋肉は
獣類には
一般に存在するもので、現に
猿などでも
之を働かせて
皮膚を動かすが、人間の身体を
解剖して見ると、頭全体から
頸・
肩の方へ
掛けて矢張り
此筋肉がある。
併し
我々の動かし得るのは、
僅に額の辺位で、
其他は頭の
頂上でも、後部でも、
頸・
肩等は
尚更のこと、少しも動かすことは出来ぬ。
額に
皺を寄せるだけは
此筋肉の働きであるが、他の部分に
於ては
此筋肉は
唯存在するといふばかりで、少しも働きの無い全然不用のものである。
内臓の中にも不用の
器官が
幾つもある。人間
及び
猩々の類には
小腸と
大腸との
境に当る、
所謂盲腸といふ部に
虫様垂と名づける
凡蚯蚓程の大きさの管が
附いて居るが、
盲腸炎を
療治するのに腹の
壁を切り開いて
此部を
除き去つても、容易に
平癒して少しも不都合が生ぜぬ所から見ると、
此器官は確に無くても
済む無用のものであるが、
唯実際何の役にも立たぬのみならず、
柿や
蜜柑の種子でも
其中に
紛れ
込むと
'火欣'衝を起して、
其ため
盲腸炎などになつて死ぬる人が毎年
幾人かある位
故、無い方が
遙に好いのである。
斯くの
如く人間に取つては
寧ろ
邪魔なものであるが、他の
獣類を
解剖して見ると、果実や
菜の葉を食ふ類では、
此部が
著しく発達して、実際に消化の働きを務めて居る。
兎などの
腹を切り開くと、先づ第一に目立つのは
此部で、小腸よりも大腸よりも
更に大きく、
其中には半分消化した食物が
一杯に満ちて居るが、
此部の長さが身長よりも余程長い種類もある位
故、
此様な動物では無論
此器官は消化器械の主要な部である。他の動物に
斯く必要な
器官が、
其必要のない人間や
猩々の腹の中に何の働きもせず、
唯形だけを小く存して居るのは、
如何なることを意味するものであらうか。
第十七図 虫様垂
以上述べた所は
皆獣類に関することであるが、他の動物にも
斯様な例は非常に
沢山にある。例へば鳥の
翼は空中を飛ぶための
器官であるが、鳥類の中には
翼はあつても飛ぶ力のないものが
幾らもある。アフリカ産の
駝鳥なども
翼はあるが、身体の大きさに
比較すれば
甚だ小い
故、少しも飛ぶ役には立たず、
唯走るときに
我々が
腕を
振る
如くに動かすだけである。南洋
諸島に
棲む
火食鳥では
翼は
極めて小く、外からは身体の両側に一二本づゝ
箸位の羽毛の
軸が見えるばかりである。
併し、
善く調べて見れば、
骨も筋肉も
翼だけのものは
備つて居るが、
其大きさは
殆ど
'鶏'の
翼程もない。
是が身長四尺(注:120cm)以上もある大鳥に
附いて居るのであるから、
殆ど
翼といふ名を
附けられぬ。
此点で
更に
甚だしいのはニウ=ジーランド島に産する
鴫駝鳥といふ
'鶏'位の大きさの
嘴の長い鳥である。
此鳥は羽毛は
鼠色で、昼間は
穴の内に
隠れ、夜になると出て来て、太い足で地面を
掘り、虫を食うて生活して居るが、
其翼は外からは全く見えず、
撫でて見て
僅に手に
触れる位である。
併し小いながら、
翼の形だけは有して居る。総べて
此等の鳥は、
一生涯飛ぶことの無いもの
故、
翼はあつても全く不用なもので、
若し初めから
斯くの
如き形に造られたものとしたならば、
唯不思議といふより外は無い。
之に
反して
孰れも
翼の発達して飛ぶ力を持つて居た先祖から
降つたもので、生活上に必要がない所から
翼だけが
漸々退化したものと考へたならば、
斯様に
痕跡ばかりが今日まで
存して居ることも、一通り
理会することが出来る。特に
其住処の
模様を見るにニウ=ジーランド島の
如きは昔から
狐・
狸はいふに
及ばず、総べて
獣類といふものが居なかつた
処故、夜出て歩く鳥などには実に安全な処で、
翼を用ゐて敵から
逃げる必要は無かつた。
其所へ西洋人が移住してから犬なども多く入つて来たので、飛ぶ力の無い
此鳥は
忽ち
捕へ殺され、今では非常に
稀になつて、近い中には全く種が
尽きさうな様子であるが、
此等の事情から考へても、
翼の発達した先祖から
降つたといふ方が余程真実らしい。
第十八図 鴫駝鳥
蛇には足のないのが当り前で、足が無くても
蛇は運動に
毫も差支へぬから、何でも余計なことを
附け加へるのを「
蛇足を
添へる」といふが、
印度、南アメリカ等の熱帯地方に産する
大蛇には実際足の
痕跡がある。外からは、
唯肛門の辺の左右両側に
鱗の間に長さ一寸(注:3cm)
許りの
爪が一つづつ見えるだけであるが、
解剖して見ると体の内には
腰の
骨・
腿の骨などまでが細いながら
明に
存して居る。
蛇は
蜥蜴や
鰐などと同じく
爬虫類に
属するもので、
解剖上・発生上とも
此等の動物とは極めて
相類似して
居るが、他の類が
皆四足を持つて居るのに、
蛇類だけに足が無い。
然も
蛇類が総べて全く足を有せぬ訳ではなく、数種の
大蛇には後足の
痕跡が存してある。
此等の点は
孰れも
蛇は四足を有した先祖から進化し
降つたものとすれば、一応
理窟も解るが、他の動物とは全く
関係なしに
蛇は初めから
蛇として
特別に造られたものとすると、少しも説明の出来ぬことである。
第十九図 大蛇の後足
ヨーロッパ、北アメリカなどの
闇黒な
洞穴の水中から、
是まで種々の魚類・
蝦類等が発見せられたが、
孰れも
普通のものとは
違つて、
盲目のものばかりである。
然も全く目が無い訳ではなく、魚類などでは、眼球が不完全ながら形が
備つてあるが、
皮膚に
蔽はれて居るので物を見ることは出来ぬ。
又最も
面白いのは
盲蝦の目で、一体、
蟹や
蝦の目には
柄が
附いてあつて、
柄の
根基が動く様になつて居るが、アメリカの
洞穴から
採れた
盲蝦では目の
柄ばかりが有つて、
肝心の物を見る部分が無い。
此様な例を目の前に見ては
如何に動物の
形状は一定不変のものであるといふ考に
慣れた人でも、
最早其説を
主張し続けることは出来ぬであらう。
斯様に、初め役に立つた
器官が、必要が無くなつた後まで
其痕跡を
留める例は、動物界には
沢山あるが、
我々人間社会を見ると、
之と同様なことが
幾らもある。一つ二つ
偶然思ひ出したものを
挙げて見るが、
金米糖を入れる
桐の箱には昔は一方に大きく開く所がある外に、
必ず
其反対の側の
隅の
処に小な口が
尚一つ造つてあつて、
之を開くと
金米糖が
一粒づゝ出る様になつて居た。昔の人は用も少く、気も長かつた
故、
此口から
一粒づゝ出して楽んで居たが、今日では
大抵一掴みづゝ口へ入れるから、小な
孔があつても
誰も
之を用ゐるものは無い。然るに
近頃に至るまで
金米糖の箱には
矢張り小な口の形だけが造つてあるものが多い。
然も真に開く口ではなく、
唯形ばかりで、
爪を
掛ける処などが
一寸造つてあるのみに過ぎぬ。
又人に物を
贈るときに
添へる
熨斗は、元
熨斗鮑の
一片を紙で包んだものであるが、今では紙包の方が主となつて、
熨斗鮑の方は往々
唯黄色に印刷した
画で
済ませてある。
此等は
孰れも
鴫駝鳥に
翼の
痕跡が残り、
大蛇の
腰に後足の
痕跡が残つてあるのと同様である。
尚其他洋服の
上衣の
袖の外側に
釦のあるのは昔シャツの
如くに実際用ゐたからであるが、今は単に
飾だけとなつて、何の役にも立たぬ。それ
故、今日では
之を
附けぬ人も多い。
帽子の
鉢巻の
結び目も、元は実際に結んだから出来たものであるが、今日では全体が造り
附け
故、
唯聊か形ばかりを存して居る。
又別の方面から
例を取れば、
英語などの文字の
綴り方を見ると、実際に発音せぬ字が
沢山にある。
仏語(注:フランス語)では特に多いが、
是も前と同様の
理窟で、今日の生活上実際に用ゐる方から考へると、発音せぬ無用な字を
綴りに交ぜて書くのは全く
無駄なこと
故、イギリス、フランス、アメリカなどでは読まぬ字は
略して書かうといふ
改良論が盛に行はれ、実際にも追々行はれる様であるが、
斯かる字も決して初めから読まなかつた訳ではない。初めは
皆発音したのが長い間に人が
漸々略して読まなくなつたのである。それ
故、
言語学上、文字の
起源などを調べ、国語の
変遷を研究するに当つては、最も必要なものであるが、動物の身体に見る所の不用
器官は
恰も
之と同じく、
其動物自身の生活上には何の役にも立たぬが、
我々が
斯かる動物の進化の
筋道を調べ、
如何なる先祖から
降つたものであるかを
推し考へやうとするに当つては、最も有力な
手掛りとなるものである。
獣類の中には犬・
猫の
如く単に地上を走るものもあれば、'モグラ'の
如く地中を
掘つて進むものもあり、
蝙蝠の
如く
空中を飛ぶものもあれば、
鯨の
如くに
海中を泳ぐものもある。それ
故、
其運動の
器官も
各々形状が
違ひ、犬・
猫では四足ともに
唯棒の
如き形であるが、'モグラ'では前足は地を
掘るに
適する様に短く
幅広くて、
恰も
鋤の
如くであり、
蝙蝠の前足は飛ぶために
翼の
如き形をなし、
鯨の前足は泳ぐために
鰭となつて居るが、
斯く外形は働きの
異なるに
随つて種々に
相違して居るに
拘らず、皮を
剥き、肉を
除いて、
骨のみとして比べて見ると、実に
其構造の根本的仕組の
一致せるに
驚かざるを
得ぬ。
第二十図 哺乳類の前肢
先づ
比較の
基として人間の
上肢(イ)を検するに、
肩と
臂との間には、
上膊骨といふ
骨が一本あり、
臂と手首との間には
前膊の骨が二本並んであり、手首の処には
腕骨といつて豆の様な骨が八つ
許りもあり、手の
甲の中には
掌骨が五本並び、
其先に
各々指の骨が
附いて居る。
我々は手を
以て物を
握ることが出来るのは
親指と他の四本の指とが
稍離れて相対して動く
故である。
猿も同じく物を
握り得るもの
故、骨の形状・
配置は人間と
殆ど
寸分も
違はぬ。犬(ロ)になると、
唯歩くばかり
故、指も五本ともに全く
並列し、
且親指だけは特に短く、足の
先端まで並んで居るのは、他の四本だけである。犬・
猫などは
歩行するときに常に前足は地に
触れて居るが、
其際地面に
触れるのは
唯指ばかりで、
恰も
我々が足の指先で
爪立つときの
如くである。
而して
我々の
掌に相当する処は骨が五本とも
皆長く合して一束となつて、
恰も
腕の続きの
如くに見える。次に'モグラ'の前足(ホ)の骨を調べて見ると、
此処にも骨の数の
揃つてあることは、犬や人間と少しも異ならず、
又其配置の順序も全く同様であるが、一つの骨の長さ・太さの割合には大きな差がある。先づ
我々の
上膊骨に当る骨も、
前膊に位する骨も
皆甚だ短く、
殆ど
肩の中に
埋もれてある
故、'モグラ'の前足は
恰も手首から先だけを
直に
肩の処に
附けた様に見える。
斯く根元の部分の
短きに反し、
掌骨・
指骨は共に十分に発達し、
其末端には太い
爪が生えて居るから、土を
掘るには極めて適当である。
蝙蝠の前足(ニ)は
翼の形をなして居るが、
其骨の数や列び方は人間・犬・'モグラ'などと少しも
違はず、
唯各片ともに
著しく細長く
延びたばかりである。
上膊骨・
前膊骨ともに非常に長いが、
其中、
前膊の方は二本ある骨の中一本だけが発達し、他は
恰も
髪の
如くに細くなつて、
唯痕跡を
留めるに過ぎぬ。指の骨は実に
比較にならぬ程に
延びて、細い
竹竿の
如くになり、
其間に
薄い
膜が
張つて居るから、全く
蝙蝠傘其儘で、非常に広い面積を有し、空中を飛ぶのに最も有功である。
蝙蝠の
翼と'モグラ'の前足とでは、外形は非常に
違ふが、
斯く
比較して見ると、
蝙蝠の
此骨は'モグラ'の
彼骨に相当するといふ様に、
一々比べることが出来て、
何方にも決して余る骨も足らぬ骨もない。
鯨の
鰭(ハ)は外形だけを見ると、少しも人間・
猿の
上肢にも、犬・
猫・'モグラ'の前足にも、
又蝙蝠の
翼にも
似た処はない。
獣類の足には何本かの指が必ずあり、
其先に
爪が生えて居るのが定まりであるが、
鯨の
鰭には少しも指の
境もなければ
爪もなく、単に魚類の
鰭の通りに見える。然るに
其骨骼を検すると、
肩の次には矢張り
上膊骨に相当する一本の骨があり、次には
前膊に相当する二本の骨があり、それより先には
腕骨・
掌骨・
指骨等に相当する多数の骨が五列をなして並んで居るから、
我々の手と一向
違はぬ。
唯種種の骨が
皆太く短く、
孰れも同様の形をして、
其間の
相違が
甚だ少く、
且、
我々の
臂・手首に相当する
関節も、指の
節々の間の関節も
殆ど
屈伸せず、
唯鰭全体が
弾力性を
以て多少
屈曲することが出来るばかりである。
海豹・
膃肭臍の類も同じく海の中に住んで居るが、
此等は時々陸上にも出るもの
故、身体の外形も、手足の構造も
尚余程陸獣らしい処があつて、
鯨ほどには魚に
似ない。例へば前足は短く
扁平で、大体に
於ては
鰭の形をなして居るが、五本の指が
判然と解り、役に立たぬながらも
皆爪が
立派にある。
鯨の
鰭と人間の手とでは余り
相違が
甚だしい
故、
或は
比較に
困難を感ずる人があるかも知れぬが、
其間に
膃肭臍の前足を
挾んで、順を追うて
比較して見ると、
此処に述べた
比較が
誤でないことは、
誰にも
明に
解るであらう。
さて
斯くの
如く飛ぶための
蝙蝠の
翼も、泳ぐための
鯨の
鰭も、外形こそは
著しく
違ふが、内部の
骨骼が同一の仕組になつて居るのは、
何故であらうかと考へて見るに、
若し
蝙蝠は初めより飛ぶものとして、
鯨は初めより泳ぐものとして、
天地開闢の時から
各別々に出来たとしたならば、少しも意味の
解らぬことで、
唯奇妙といふの
外はない。飛ぶためには
翼が必要であるが、
其骨が人間の手の骨と同一の仕組でなければならぬといふ
理窟は少しもない。
又泳ぐために
鰭が必要であるが、
其骨が犬の前足の骨と数も並び方も
揃はねばならぬといふ
理窟は少しもない。若し
器械師に飛ぶ器械を造れ、泳ぐ器械を造れと
唯命じたならば、器械師は単に
各其目的に
適ふ様に造るから、目的の全く
違つた器械は出来上つた後に少しも
互に相似た処はない
筈である。然るに実際
蝙蝠の
翼や
鯨の
鰭を見ると、
恰も人の手や犬の前足を器械師に
渡して、
之を引き延ばしたり、
圧し
縮めたり、
削つたり、打ち
拡げたりして飛ぶ器械と泳ぐ器械とに造り直せと命じたかと思はれる程で、外形だけは
各々其目的に
適ふ様に
互に著しく相異なつて居るが、根本の仕組には少しも
相違がない。
是は
如何にしても、
此等の動物が
皆共同の先祖より
降り、各相異なつた方向に進化し来つたので、
斯くの
如く形状が
相違するに
至つたものであると考へなければ、
其理由を解することが出来ぬ。
第二十一図 海豹の骨骼
若し
此等の動物が総べて共同の先祖より進化し
降つたものと
見做さば、以上の
如き事実は
唯説明が出来るといふばかりでなく、
是非斯くならなければならぬといふことも解る。先づ
如何なる先祖から
降つたものであるかと考へて見るに、自然
淘汰の説に
従へば、共通の点は共同の先祖から代々遺伝で伝はつたので、
互に相異なる点は
違つた外界の有様に適する様に変化し来つた結果と見て
大抵差支へがない
故、'モグラ'の
肩の中、
鯨の
鰭の中までに、
上膊骨・
前膊骨の存在して居る所から
推せば、共同の先祖には
此等の骨が
皆備はつて、
肩の関節、
臂の関節なども完全に働き、指は五本あつて、
節々が相応に動いたものに
違ひないが、
獣類共通の性質を備へた上に
臂の関節が動き指が五本あつたとすれば、陸上の
獣類と見なければならぬ。
何故といふに、魚の
鰭に
臂の節がないのを見ても知れる通り、水中の
游泳には
鰭の
途中に関節のある必要がない。
唯撓へさへすれば
宜しいからである。
鰭の中程に関節があつては、
恰も
腰の
折れた
団扇の
如くで、
却つて働きをなす上に
妨げとなるであらう。
犬・
猫・'モグラ'・
蝙蝠・
膃肭臍・
鯨等の共同の先祖が実際
如何なる形のものであつたかは素より確には解らぬが、
兎に角五本の指を備へた陸上の
獣であつたと仮定すれば、それより後のことは
略推察することが出来る。
即ち
其子孫の中、一部分は食物を海に求め、代々最も
游泳に
適した構造を備へたもののみが生き残り、
又他の一部分は地中に
餌を求めて
代々最も地を
掘るに適した構造を有するものだけが生き残るといふ様な具合に、子孫が
幾組にも分かれ、自然
淘汰の結果、各々
其生活の状態に適したものが出来たと考へられる。素より
是は
推察に過ぎぬこと
故、
詳細の点は
明には解らぬが、
斯様に考へれば、初め
不思議に思つた
事柄も大体に
於ては満足の出来るだけに
其理由を解することが出来る。
此考を除いては
到底何とも説明の
仕様はない。
又以上説いた
如くに、実際進化し来つたものとすれば、
恰も共同の先祖といふ一種の
既に存在して居た動物を取つて、
之を自然
淘汰といふ器械師に
渡し、
之を基として
飛ぶもの、泳ぐものなどを造れと命じたと同様であるから、外形は各々
其働きに適する様に相異なつたものが出来るが、根本の仕組は相同じからざるを
得ない。
斯く考へれば、実際
蝙蝠の
翼、
鯨の
鰭等に
於て見る構造は、単に説明が出来るといふのみならず、
此外には出来ぬものであるといふ考に達する。実際と
理論の
予期する所とが
斯く
一致する以上は、先づ
其理論を正当なものと
見做し置かねばならぬ。
南アメリカの南部の海岸には「
鱗羽潜り」と名づける大きな
海鳥が居るが、
其翼は他の鳥に見る
如き
羽毛が全く無くして、
鱗の
如きもので
蔽はれて居る。それ
故、外見も
殆ど鳥の
翼とは見えず、
寧ろ
海亀の前足の
如くに見えるが、
併し、鳥類の胸の両側に生じてあるもの
故、
翼なることは
誰にも
明瞭である。さて
此翼は鳥の体の大きさに比べると
甚だ小く、
且羽毛が無い
故、全く飛ぶ役には立たぬが、水中に
潜れば
之を用ゐて
速に
游泳し、魚類を追ひ
廻す有様は、
恰も飛ぶが
如くである。元来、鳥類の
飛翔の
器官であるべき
翼は、
此鳥では
其作用が一転して
游泳器官となつたが、
翼の表面を
蔽へる
鱗の
如きものを
詳細に調べて見ると、各々矢張り
羽毛には
相違なく、
唯其軸の根元だけが残つた
如き有様である。
是も
尋常の
翼を
備へて飛ぶ力を有した先祖から
降つたものと
見做さなければ説明の仕様がない。
第二十二図 鱗羽潜り 一体に海鳥には飛ぶよりも
寧ろ泳ぐ方が主である所から、
翼の短く小くなつた種類が
沢山にあつて、我国の海岸にも
海雀・
海烏などといふ
翼の
甚だ短い鳥が
幾らも居るが、
此等の鳥は単に波の表面に身体を引き
摺りながら飛ぶだけで、
殆ど
立派に飛ぶとはいへぬ程である。
烏や
鳩の
如き好く飛ぶ鳥の発達した
翼を
以て、
直に水中を
游ぐ道具に用ゐることは出来ぬが、短く小くなつた
翼は、水の中で動かせば
游泳の助けにならぬこともない。
而して
一旦游泳の
器官として役に立つ様になつた上は、自然
淘汰の結果、
益々游泳に
適する形状に進む
訳である。同一の
器官でも初めは飛ぶため、後には
游ぐためといふ
如くに、
途中で作用が変ずると、
其時から
淘汰の標準が変ずる
故、形状も前とは全く別の方向へ向つて変ずることになる。
鯨の前足が
鰭の形となつたのも、
蝙蝠の前足が
翼の形となつたのも、
皆此通りの
径路を
蹈んで進化し来つたものであらう。
誰も知つて居る通り、
獣類の中には
駱駝の
如く
頸の長いものもあれば、
猪の
如く
頸の短いものもある。
尚甚だしい例を引けば、アフリカに産する
麒麟は全身の
丈が三間(注:5.4m)もあるが、
頸だけでも六尺(注:1.8m)は十分にある。
又鯨・
海豚の類になると全く魚の
如くで、頭と
胴との間に別に
頸と名づけて区別すべき部分はない。然るに
奇妙なことには、
此等の動物を
解剖して見ると、
頸の長い短いに
拘らず、
頸の
骨は必ず七個ある。人間でも、
猿でも、牛・馬でも、犬・
猫でも、
頸の骨の数は
皆七個と定まつて居る。
獣類では他の
脊椎動物と同じく、頭の後から
尾の先まで、数多の
脊椎骨と
称する短い骨が
恰も
珠数の
如くに連なつて、身体の
中軸を造つて居るが、
胸の辺では
此脊椎の両側に
皆肋骨が
附いてある。
其第一番の
肋骨の
附着して居る
脊椎より前に位する
脊椎が
即ち
頸の骨であるが、
頸の長短に構はず七個ある
故、一個づゝの
頸骨の形は種類によつて大に
違ひ、
麒麟の
如き
頸の長い
獣では各長さが一尺(注:30cm)程もあつて
火吹竹の
如く、
鯨などの様な
頸の無い動物では短い間に七個
押し合つて入つて居るから、
各薄く、
扁平で、
恰も
煎餅の通りである。
第二十三図 麒麟の頸骨を示す 斯く
獣類の
頸の骨は必ず七個に限ることは、生活上何か必要があるかと考へるに、少しも左様なことは無い。現に
鯨の中でも
或る種類では
七枚の
頸の骨は
癒着して
一塊となり、
僅に境界の線が見えるだけで、働きの上からいへば、全く一個の骨となつて居る。他の動物でも七個では困るといふ理由もない代りに、
又七個でなければ
頸が十分に働らけぬといふ訳もなく、六個でも八個でも
乃至十個でも生活の上には少しも差支へは無い様である。然るに実際に
於ては、
斯くの
如く
頸の長短に
拘らず、
頸の骨が必ず七個あることは、若し動物各種が全く別々に造られ、
其儘少しも変化せずに今日まで
生存し来つたものとしたならば、
唯奇妙といふだけで、
毫も
其理由を
了解することが出来ぬ。
第二十四図 鯨の頸骨を示す 之に反して
若し
此等の動物は
皆同一の先祖より進化し
降つたもので、
其共同の先祖が七個の
頸骨を有して居たと仮定したならば、
頸骨の七つあるといふ性質は、
遺伝によつて総べての子孫に伝はり、生活法の異なるに
随つて自然
淘汰の結果
各適宜に長くも短くもなつたものと考へて、一通り
理窟が解る。若し左様としたならば、
斯かる点は
恰も家の
紋の
如きもので、現在の
職業は
互に
如何に
異なつても、一家一門の中は
皆紋だけは同じである通り、
現今地上を走るものも、海中を
游ぐものも、共に
其先祖の同じであるといふ
符号を身体構造の中に存して居る
次第であるから、昔に
溯つて
系図を取調べるといふ様な場合には、最も重要な
参考の
資料となるものである。
以上の
如きことは他の動物の他の
体部に
就いても
幾らもあることで、例へば
我国の海岸の浅い処には、
蝦・
蟹の類に属する
寄居蟹といふものが
沢山に居るが、
其身体の全体は
稍蝦に似て、前半は
頭胸、後半は腹である。
空いた
介殻を
捜し求めて、常に体の後半を
其中に入れ、
介殻を
引摺りながら、水の底を
這ひ歩き、敵に
遇へば
忽ち全身を
殻の中に
引込み、大きな
鋏を
以て
殻の口を
閉ぢるが、
試に
一疋を
捕へ、無理に
殻より引き出して検すれば、体の後半、
即ち
腹部は常に
介殻の中に
保護せられて居る
処故、
皮膚が
甚だ
柔くて、
蟹や
蝦の
堅い
甲とは全く
違ひ、
且介殻の中に
都合よく
嵌まる様に
螺旋状に巻いて居る。さて
蟹と
蝦と
寄居蟹とを比べて見るに、一は
巧に走り、一は
速に
游ぎ、一は
介殻を
引摺つて
這ひ歩き、運動法の異なるに
随ひ、体格にも
著しい
相違があるが、
此等の動物を並べて置いて
其体の後部
即ち腹と名づける処を
比較して見ると、外形が
違ひ、働きが異なるに
拘らず、
孰れも
皆根本の構造に
一致した処があり、
恰も同一の
模型に従うて造つたものを
更に
各々生活の有様に応じて造り直した
如くに見える。先づ
蝦の腹を検するに、六個の
節より成り、
其先端に
尾が
附いてあるが、
毎節ともに
堅い
甲で
蔽はれ、
其裏面には左右両側に一個づゝの
橈足が生じてある。
蟹では
如何と見るに、
頭胸部が非常に大きく発達し、腹部は
其下へ曲り
込んで
隠れて居るから上からは見えぬ。
俗に
蟹の
褌と
称へるのが
即ち
蟹の腹である。
蝦では
腹と
尾とが主なる運動の
器官で、急に敵に
攻められた時などは
尾を前へ強く
弾ねて、自身は
速に後へ飛び退くが、
尾と腹の内にある筋肉とは、
其時に働くもの
故、両方ともに十分に発達して居る。
之に反して
蟹では主なる運動の
器官は全く胸から生じた足ばかり
故、
尾も腹の
筋肉も退化して無くなつて居る。
其ため腹は
薄く小くなつて、
唯体の裏面に曲つて
附着して居るに過ぎぬが、
其節の数を
算へて見ると、矢張り
蝦と同じく六つある。
尤も
雄では節が往々
癒着して数が減じて居るが、
其様な場合でも
癒着した処には
微な横線が見えて、
元来節が六つあつたことを
明に示して居る。
又寄居蟹の腹部は前に述べた通り常に
介殻に
保護せられて居る
故、
皮膚が極めて
柔いが、
其背面には上の図に示した
如くに
稍皮膚の
堅い処が
六箇所だけ
縦に並んである。
是は確に
蝦の腹部の背面の
甲に相当するもので、
甚だ
柔いながらも、
尚元来六つの節から成り立つことの
明な
証拠を現して居る。
斯くの
如く
此等の動物は腹部の形状が実際種々に異なつてあるにも
拘らず、
孰れも六つの節から成るといふ点で
一致して居るが、
是は前の
獣類の
頸の骨と同様で、
皆同一の先祖から
降つた子孫であると
見做せば、先づ
理窟は解るが、
若し初めから全く無関係の別物としたならば、
蟹の
褌にも
寄居蟹の
柔い腹にも生活上何の必要も無いのに、矢張り
蝦と同様に六つの節のあることは、
唯不思議といふばかりで少しも訳が解らぬ。
第二十五図 寄居蟹
尚面白いことには、
琉球の
八重山島を始め、南洋の
諸島にはマックヮンというて陸上に住み、
椰子の実を食ふ大きな
蟹があるが、
其形は
頗る
寄居蟹に似て、
殆ど
寸分も
違はぬ程である。
併し、
寄居蟹と
違うて
空いた
介殻の中に腹部を
嵌め
込まず、
裸出したまゝで
落葉の間を
這ひ歩いて居る
故、腹部も背面だけには
堅い
甲があるが、
其数は矢張り六枚である。
而して腹部の裏を見ると、
此処には
蝦の腹部にある
如き足の変形したものが生じて居るが、
唯片側にあるだけで左右対をなしては居ない。
蟹や
蝦では身体は真に左右同形で、若し中央線に沿うて身体を
縦に二つに切つたならば、左右両半は全く同じ形となる様な構造を有して居るが、
寄居蟹は
巻いた
介殻の中に入るもの
故、
腹部だけは左右
著しく不同形で、特に
尾端には
介殻の
中軸を
挾むための
器官を備へて居る。
然るにマックヮンは
介殻の中へ腹部を
挿し入れぬに
拘らず、腹部の構造は全く
寄居蟹の通りで、
唯僅に
其背面が
堅くなつて居るだけに過ぎぬのは、
何故であらうか。
是は
如何に考へても、マックヮンは昔海岸に住んで、腹部を
介殻に
挿し入れて居た
寄居蟹が次第に陸上に上り、陸上の生活に
適した
有様に変化し、腹部を
介殻の中に入れぬ様になつたものと思ふより仕方はない。若しマックヮンは初めからマックヮンとして他の動物と関係なく、全く別に出来たものとしたならば、腹部の
裸出して居るに
拘らず、
何故、
寄居蟹と同様に左右不同形の構造を有するか、少しも理由を見出すことが出来ぬ。
以上は
僅に二三の例を挙げたに過ぎぬが、
比較解剖学上の事実は
殆ど一として生物進化の
証拠とならぬものは無く、
比較解剖学の書物を開いて見ると、
殆ど
毎頁に
斯様な事実が
載せてある。
併し、
其中、内部諸
臓腑に関することは
頗る複雑で、
突然説いても解り
難いことが多い
故、総べて
略して、こゝには
唯一つ
脊椎動物の
血管系統のことだけを述べることとする。
第二十六図 人類の心臓及び動脈基部
人間を始として、総べて
哺乳類の心臓は左右の
心耳、左右の
心室より成り、左心室からは一本の大動脈が出て、頭・
腕等へ血を送るべき
枝を出しながら、左へ後へ向つて曲り、
脊骨の前を
沿うて下へ進み、
内臓・
脚等へ血液を送り、
又右心耳からは一本の
肺動脈が出て、
直に左右の二枝に分れて左右の
肺に達する。全身を
巡つた血は右心耳へ帰り、肺で
清潔になつた血は左心耳へ帰り、
斯くして体内の血液
循環が行はれる。
是だけは、どの様な
生理書にも必ず書いてあること
故、
誰も知つて居るが、次に魚類では、血液
循環の
模様は
如何と見るに、
是は人間等のとは全く
違つて、心耳も心室も
各々一個づゝより無く、心室から前へ向つて出た一本の大動脈は
直に左右各四五本づゝの枝に分かれて、
悉く
鰓の中に入つて
仕舞ひ、
鰓の中で非常に細い管に分かれ、再び集まつて各一本となるが、血液がこゝを
通過するときに呼吸の働きが行はれるのである。
而して各一本づゝとなつて
鰓を出た血管は、
皆集まつて一本となり、
脊骨の下に沿うて後へ進む。
途中から種々の枝は出すが、動脈の幹部だけは先づ
此通りである。
斯くの
如く
獣類の
血管系と魚類の血管系とは
一寸見ると全く相異なり、少しも
似た点が無い様である。然るに
亀の血管、
蛇の血管、
蛙の血管、
'イモリ'の血管、
又外国には'イモリ'に似て
生涯鰓を
以て
呼吸する類があるが、
斯様な動物の血管等を調べ、順を追うて
比較すると、人間の血管の何の部は魚の血管の何の部に相当するといふことが判然と知れ、両方とも元同一の
模型によつて造られてあることが
明瞭に
解る。
尤も
此等のことは以上諸動物の
比較発生を調べれば、
尚一層確に解るが、
是は次の章に
譲り、こゝには
唯解剖上の事実だけを述べて見るが、魚類では呼吸の器械は全く
鰓ばかりで、
心室から出た大動脈は
悉く
鰓を通過するから、
其先は総べて呼吸の済んだ血ばかりが身体を
循環し、総べてが
静脈血となつて
心耳に帰つて来る。それ
故、魚類では心臓を通るのは静脈血ばかりである。所が、魚類の中には
肺魚類というて熱帯地方の
大河に住む
奇妙な類がある。
此類は
既に名で解る通り、
鰓の有る
外に肺を有し、呼吸の
器官が水に
適するものと空気に適するものと二通りになつて居るが、一体熱帯地方では
我々の温帯地方と
違ひ、一年が春・夏・秋・冬の四季に分かれず、半年は
雨降りが続き、半年は
旱魃が続いて、一年が
殆ど
乾湿の二期に分かれてある
故、
斯様な処に住するには最も調法な
仕掛けである。
即ち水の多い時には
普通の魚と同じく水中を泳いで水を
呼吸し、次に
旱魃が続いて水が無くなれば
泥の中へ
潜り
込み、
僅に空気を呼吸して命を
繋ぎ
又雨の
降る時の来るのを待つことが出来る。
而して
其肺は
如何なるものかと調べると、別に
此類だけにある
特殊の器械ではなく、
鯉・
鮒等の
如き
普通の魚類にも常に見る所の
鰾である。通常の魚類では
鰾は何の役に立つかといふに、中に
弾力性に富んだ
瓦斯を
含んで居ること
故、周囲の筋肉が
収縮すれば、
鰾は小くなり、体の
重量は
減ぜずに
容積の方だけが減じて体の比重が増すから、魚の体は自然に深い方へ
沈む。
又筋肉が
弛めば
瓦斯の
弾力性により
鰾は旧の大きさに
復し、体の比重が減ずる
故、魚の体は再び表面の方へ
浮び上る。金魚などを
飼つて置いて見て居ると、
鰭も
尾も少しも動かさずに
唯、静に
浮いたり
沈んだりすることがあるが、
是は全く
鰾ばかりの働きである。
斯かる魚は死んで
仕舞へば総べて筋肉が
弛むから、
鰾は中にある
瓦斯の自然の
弾力で
脹れ体の比重が減ずる
故、
恰も木の片の
如くに水面に横に
浮ぶ。
斯くの
如く、
鰾は
普通の魚では水中
浮沈の
器官であるが、
肺魚類では
此器官が不完全ながら、肺の働きを
務める。
其ためには管によつて食道と
連絡して居る。
鯉・
鮒等でも全く
此連絡が無いのではない。矢張り
鰾と食道とは
明に細い管で続いて居るが、
幾ら
鰾を圧しても食道の方へ
瓦斯の
洩れぬ所から考へると、単に
管があるといふだけで、実際
瓦斯の
通行することは無いらしい。
即ち
鯉・
鮒等に
於ては
此管は一種の
不用器官に過ぎぬ。然るに肺魚類では
此管が実際に役に立ち、空気は口より食道に入り、此管を過ぎて
鰾の中へ流通するから、
鰾は肺として働くことが出来る。
普通の
蛙の
蝌蚪、
並にヨーロッパ、アメリカ
等に産する、
一生涯水中に住んで
鰓を
以て水を呼吸する'イモリ'の類の呼吸の有様は
略之と同様である。
第二十七図 肺魚類の心臓及び動脈基部
普通の魚類の
鰾は素より一種の
臓腑として血液によつて
養はるべきもの
故、
鰓を通過する動脈の中の一本から枝が分かれて
此処に来る様になつて居るが、来るのは無論動脈血で、帰るのは静脈血である。然るに
鰾が呼吸の
器官として働く種類では、血管の配置の
模様は少しも
相違はないが、
鰾に来た血は
更に清潔となつて
心耳に帰る
故、心耳の中には一方からは全身を
巡つて来た静脈血が入り来り、一方からは
鰾即ち肺から帰つた
純粋の動脈血が入つて、二種の血が
一所に
出遇ふことになる。
或る種類では
既に心耳が多少左右の両半に分かれ、右の方へは全身を
巡つた血、左の方へは肺から帰つた血が入る様になり
掛つて居る。
併し、水の中に居るときは
鰓だけが働き、陸上へ出れば肺だけが働き、一方の働く間は他の方は必ず休んで居て、決して両方同時に働くことは出来ず、
詰まり
孰れも半分より働けぬ
故、
一疋で
鰓と肺とを
兼ね
備へて居ることは便利な様でありながら、実は左様でない。
諺にも「
二兎を追ふものは
一兎を
獲ず」といふ通り、二種の働きを
兼ねるものは
到底一種だけを
専門とするものの
如くには発達せず、
所謂「
虻も取らず、
蜂も取らず」といふ有様で、水中の呼吸に
於ては
唯鰓ばかりを有する魚類に
及ばず、空気を呼吸するに当つては
又肺だけを有する
蛙にも
及ばず、
孰れの方面でも他に優ることが出来ず、
僅に
特別に
之に
適した事情のある場所だけに生存することが出来る。
鰓と肺とを
兼ね備へた動物が現在
甚だ少数で、
其住処も
狭く限られてあり、
又蝌蚪が
蛙に変ずる際にも、水から出れば
鰓は
直に
衰へ、肺が急に発達して二者の両立して働く時間の
甚だ短いのも
此理によることであらう。さて、
一旦陸上に出て、空気ばかりを呼吸する様になれば、血管系に大きな変化が起るが、
蛙の
血管系は実際
斯様な変化の結果として生じたものである。
蛙も
蝌蚪の時代には、心臓・血管系ともに魚類の通りで、
殊に
其中なる
肺魚類とは少しも
違はぬ位であるが、生長が進んで陸上に出る様になると、
鰓は働くことが出来ぬから
忽ち
萎れて無くなり、
之と同時に今までは形がありながら実際呼吸の役には立たなかつた肺が急に
忙しくなつて発達する。
其有様は
恰も線路が
壊れて
汽車が不通になれば、それまで余り人の乗らなかつた
人力車が急に
忙しく盛になるのと同じである。肺が発達すれば肺に血が
沢山来る
故、
其通路なる血管も太くなるが、元来肺の方へは、大動脈から分かれて
鰓を通り、
脊中の方へ進む
数対の動脈の中の最後のものから細い
枝が来て、血を送つて居た所、
此枝が太くなつて、
却つて
心臓から直接に肺に行く幹の
如くになる。
是が
即ち肺動脈である。
之に反して
鰓より
脊中の動脈に達する間の部は、
元幹であつたのが
却つて細い枝の
如くになるが、
此枝は後
益々細くなり、終には単に
索となり、
尚後には全く消えて
仕舞ふが、
其結果として肺動脈は全く独立し、他の動脈との
連絡が絶える。
又鰓は元来動脈の
途中に
挾み
込まれたもので、
心臓から
鰓へ来るまでの管も、
鰓から先へ血の進み行く
管も、中を通る血液にこそ動脈血・静脈血の差別はあるが、
孰れも心臓から全身へ血の行く
径路の中の一部分
故、
解剖上は
動脈であるから、
鰓が無くなれば、
唯前に
毛細管に分かれた処が、分かれなくなるだけで、元
鰓を通過した血管は
各々簡単な一本の弓形の動脈となり、心臓から前へ出た大動脈は左右数対に分かれると
其儘、
皆体の側面に
沿うて
脊の方へ進み、終に合して
唯一本の
下行大動脈となつて
仕舞ふ。
此等の変化は文句で長く述べるよりも、図で
示した方が早く
且明瞭に解る。
第二十八図 'イモリ'の心臓及び動脈基部
斯くして
蛙の心臓から出た大動脈は一対の肺動脈と三四対の
動脈弓とに分かれる様になるが、動脈弓といふものは何本あつても各側ともに
忽ち一本に合して後へ向ふもの
故、
若し
其中一対が少し太くなつたならば、他は無くても
済む訳で、実際
蛙などでは
唯一対だけより残らず、他は
漸々細くなつた
末終に
悉く消えて
仕舞ふ。残つた一対が
即ち生長し終つた
蛙に見る所の動脈弓である。
又肺動脈と大動脈弓とは初めは
根元が共同であるが、
追々共同部の内面に
隔壁が出来て、血の
通路が二つに分かれ、終には
心室を出る処から全く別の二本の血管となつて
仕舞ふ。
第二十九図
蛙の心臓
及び動脈基部
[#「第二十九図 蛙の心臓|及び動脈基部」はキャプション]
動脈幹部の変化は以上述べた通りであるが、次に
心臓を検すると、
此処にも
著しい変化が起る。先づ
肺が盛になれば肺より帰つて来る
清潔な血も多くなつて、全身を
循環して帰る
不潔な血と
殆ど対等な分量となり、両方から
心耳に集まるが、
斯く肺の発達する間に心耳の方には内部に
縦の
隔壁が生じて、左右の二部に分かれ、心耳の内では
此二種の血液が
混ざらぬ様になる。それ
故、生長した
蛙の心臓は
二心耳・
一心室より成り、一個の心室へ両方の心耳から同時に血が入る
故、清潔な血と不潔な血とは心室内で混合し、
更に大動脈と肺動脈とに分かれて流れ出る様になつて居る。
亀などの
心臓及び動脈幹部は
蛙のと大同小異である。
蛇のも
略同様であるが、
唯心室内にも多少縦の
隔壁が
出来掛って、
幾らか左右両半に分かれ
掛り、清潔な血と不潔な血とが心室内で混ずることは
免れぬが、清潔な血は成るべく多く大動脈の方へ、不潔な血は成るべく肺動脈の方へ行く様な仕組になつて居る。
鰐類では
尚一歩進んで、左右の心室の間の
壁が全く
閉ぢ、肺静脈によつて左の心耳へ帰つた血は、左の心室を通つて
悉く大動脈の方へ出て行き、全身から右の心耳に帰つた血は、右の心室を過ぎて
悉く肺動脈の方へ出て行き、
心臓内で
此二種の血液が混合することの決して無い様になつて居る。次に鳥類の心臓・血管を調べると、大体に
於ては
之と同様で、心臓は二心耳・二心室より成るが、左の大動脈弓が無くなつて、右一本だけより無い。
又獣類・人間等では
之と反対で、右の方が無くなり、左の方ばかりが残つて居るのである。
魚と人間とだけより知らぬときは、
其心臓・血管ともに全く別の仕組に出来て居ると思はれるが、
斯くの
如く
其中間に立つ動物を
沢山に
解剖して、順を追うて
比較して行くと、魚類の
如き有様から一歩づゝ進化して終に人間で見る
如きものまでに変じ来る順序が
明に解り、人間の肺動脈は魚類の数対ある動脈弓の中の最後のものに相当し、
又人間の大動脈は魚の動脈弓の中の
或る一対の左半分だけに相当して、人間では
唯是だけが残り、魚類の他の動脈弓に
相当する部は消え去つたことも確に知れる。それから
心臓の方も初め一心耳・一心室のものが、肺の発達に
随ひ、先づ
心耳の中に
隔壁が出来て左右に分かれ、次に
心室の方も次第に左右の二つに分かれて、
終に人間に
於ける
如き二心耳・二心室の複雑なものまでになる具合が
明に
察せられるが、
此考は決して
空想ではない。現に人間の子供が母の
胎内で発生する際には、
心臓・血管ともに全くこゝに述べたと同様の径路を
過ぎて出来る。
此事に
就いては
尚次の章に
於て説く
積りであるが、心耳などには左右の間の
隔壁の最後に閉ぢた部分は、
一生涯他の部より
稍薄く、両面
凹んで
明に
識別することが出来る。
心臓が二心耳、二心室より成るとか、左心室からは大動脈が出て右心室からは肺動脈が出るとかいふ様なことは生理書で
誰も学ぶが、
之を学ぶものは
唯斯くの
如きものであると覚え
込むばかりで、
何故斯かる複雑な
仕掛けが出来たかとの
疑問が胸に
浮ぶことも
稀な様である。
併し、
理窟を考へて見ると、一個の
器官でありながら、心耳・心室ともに左右両半が
互に全く
連絡なく、切り
離しても
働きの上には差支へのない様になつて居るのも
不思議で、
又血液が身体を
循環するに当つて一度は
肺だけに行き、
一旦心臓に帰つて再び出直し、全身を
巡つて
復心臓に帰り、一回完全に
循環するには二度も心臓を通過する様になつて居るのも不思議である。若し人間の身体の構造は永久不変のもので、
何処まで
昔へ
溯つても今日と同じであつたものとしたならば、
此不思議は
何時までも解けぬが、こゝに述べた
如く、元来水中に生活し、水を呼吸するに
適する様に出来て居た
血管系を
基とし、
之を空気呼吸に適する様に順を追うて造り直し、一歩づゝ進んで出来上つたものとしたならば、
是非今日の有様の通りにならざるを
得ぬことが
明になる。
以上の数例は
孰れも身体構造中の一部だけを数種の動物に
就いて
比較したが、一種の動物の身体全部を
丁寧に検査すれば、今とは形の異なつた
先祖から進化して現在の
有様に達したといふ
形迹の見えることが
甚だ多い。特に
鯨などの類は
其最著しいもので、身体
孰れの部分を見ても
或る陸上の四足類より進化し来つたことが確に見える。
先づ身体の
軸となる
骨骼から述べて見るに、全身の外形は魚の通りであるが、
其内の
骨骼は犬・
猫等の
如き
獣類の
骨骼を基とし、
一々の骨片を延ばしたり縮めたりして、魚の形に
適する様に造り直したものの
如くに見える。
頸の骨のことは
既に前に述べたが、
煎餅の
如く
薄い骨が七枚も重なり合つて、頭と
胴との中間に
挾まつてある具合は、
如何に見ても元来初めから
斯くの
如くに出来たものとは考へられぬ。
又鰭の骨が犬・
猫の前足、人間・
猿の手などと少しも
違はぬことも前に述べたが、
上膊・
前膊等の骨が
極めて短くなりながら、
尚其形を存し、位置を変ぜぬ所は、
如何に考へても陸上
獣類の前足が縮まつて出来たものとよりは思はれぬ。仮に
飴で犬の
骨骼の模型を造り、
逼み出る処を圧し縮めて、無理に
之を魚の形の中に
詰め
込んだとしたならば、
頸の骨も前足の骨も
鯨類の実際の有様と少しも
違はぬ様なものが出来る。
第三十図 鯨の骨骼
又頭骨に
就いて考へても、昔し
風来山人(注:
平賀源内)が
天狗の
髑髏にして置いた骨は、
鯨類の一種なる
海豚の頭骨であるが、
門人等は
之を見て
或は
蛮夷の大鳥ホーゴルストロイスであらうとか
或は大魚の
頭骨であらうとか言うた位で、
嘴が長く
尖つて、一見した所では決して
獣類の頭骨とは見えぬ。
併し、
丁寧に
之を調べて見ると、犬・
猫・人間等の頭骨と全く同一の
骨片が同じ数だけ同じ順序に集まつて出来たもので、決して足らぬ
骨もなければ、余る骨もない。
唯一々の骨片の大小長短の
相違で、
斯く全形が
違ふばかりである。それ
故、仮に
飴で犬の頭骨の
模型を造り、上下の
顎骨を前へ長く引き延ばし、
鼻骨を頭の
頂上まで
押し上げなどすれば、
其結果は全く
海豚と同じものが出来る。同じく海中に住む魚類の頭骨などは総べて仕組が
違ふ。
又鯨には胸に
鰭が一対あるだけで、他の
獣類の後足に相当するものが全く見えぬ。
併し、
解剖して内部を調べると、
腰の辺に肉に
埋もれて、後足の
基部の骨だけが存してあるが、生活上には何の役にも立たぬ。全く不用の
器官である。
是も
大蛇の後足の
痕跡と同じく、後足を完全に備へた先祖から
遺伝によつて伝はり来つたものと考へなければ、外には全く説明の仕様がない。
鯨類は総べて
温血・
胎生で、生まれた子には乳を飲ませて
之を養ふが、
此等は
皆陸上に住む
獣類の
特徴である。
更に
内臓を
詳しく検すれば、消化器・
循環器・呼吸器・
排泄器など、
孰れも大体は牛・馬・犬・
猫のと大差なしと言つて
宜しいが、
其中特に考ふべきは呼吸の
器官である。海中で生まれ、海中で死んで、決して一度も陸上に上ることの無い
此動物が肺を
以て空気を
呼吸することは、若し
鯨が初めから
鯨として造られたものとしたならば、実に解すべからざることと言はねばならぬ。
鯨が肺を
以て空気を呼吸することは、決して
鯨の生活上に最も
適したことではない。
若し
鰓で水を呼吸することが出来たならば、水中に住む
鯨に取つては
其方が
遙に
都合が好い。
鯨は空気を呼吸せなければならぬ
故、一度水中に
沈んでも
幾分かの後には必ず水面に
浮び出るが、
此時を待つて
鯨漁師が
攻める
故、大きな
鯨も
比較的容易く
捕れる。若し大きな
鯨位のものが
沈んだ
儘で水面に
浮んで来なかつたらば、中々人間の手では
捕獲することは
困難である。
此等の点から見ても、
鯨の先祖は陸上に住んで居た
獣類であると考へなければ、総べて不思議なことばかりで、
到底理会することが出来ぬ。
尚其他詳しく
鯨の種々の
器官を一々調べると、進化の
証拠とも
見做すべき点が
沢山にあるが、こゝには
唯一つ耳の構造に関することを書き
添へるだけに止める。
哺乳類の耳の構造は人間の耳と
略同様で、人間の耳の構造は
生理書には必ず書いてある
故、改めて
詳しく説くには
及ばぬが、
其大体をいへば先づ
内耳・
中耳・
外耳の三部より成り、中耳と外耳との間に
鼓膜がある。
耳殻及び耳の
孔から
鼓膜に達するまでが外耳で、
鼓膜の内側にあつて空気を
含む
鼓室が中耳、
又それより内にあつて
液体に
満たされ、真に
聴神経の
末端の分布して居る処が内耳である。外耳の
務は外界から来た空気の
振動を
鼓膜に達せしめるだけで、
鼓膜が
之に感じて
振へば、
其振動は中耳内の
小骨の
媒介によつて内耳に伝はり、
其処で初めて神経の
末端を
刺戟して
響の感覚を引き起すことになる
故、外耳・中耳は共に空気の
振動を内耳に感ぜしめるための伝達の道具に過ぎぬ。それ
故、水中に
潜つて居る間は外耳と中耳とは何の働きも出来ぬ。水中では
響は
皮膚・骨等に伝はつて
直に内耳に達するから、魚類などを
解剖して見ると、耳は
唯内耳だけで、中耳も外耳もない、
鮒でも
鯉でも耳はあるが、体外に開く
孔がない
故、外からは見えぬのである。さて
鯨では
如何であるかといふに、
鯨は魚の
如くに常に水中に住みながら、耳の構造は全く陸上の
獣類と同様で、中耳もあれば
鼓膜もある。
併し、
其形状を調べて見ると、
何処も多少退化して、外耳道の
如きも
甚だ細い
故、水中に
於ては無論のこと、
何分毎にか一回づゝ
暫く水面へ頭を出すときにも、空気の
振動を内耳へ伝へる働きは
到底出来さうにない。
鯨の中耳・外耳は先づ不用の
器官と
謂つて
宜しい。
斯く常に水中に住んで中耳・外耳が役に立たぬに
拘らず、矢張り陸上の牛・馬・犬・
猫等と同様な構造の耳を有することも確に
鯨が陸上の四足
獣から進化して出来たものであるといふ
証拠の一と
見做すべきものであらう。
動物を
解剖して見ると、種々の
器官の構造に
於て
其動物が
漸々進化し来つたといふ
形迹を見出すことが多いが、動物の
発生の有様を調べ
且之を種々
比較して見ると、
更に
一層著しく
斯かる
形迹が見える。前章に
於ては単に
解剖学上の事実に
就いて述べたが、
解剖学上のことでも、
之を
了解するには相当の
素養を要する
故、
稍詳細なことは
突然述べることが出来ぬ。然るに、発生学上の事実は単に一時の定まつた有様を論ずるのではなく、
時々刻々変化して行く具合を説かねばならぬから、
更に
数倍困難で、
唯の
解剖でさへ相応に
込み入つてある所へ、「時」といふ元素が新に加はり、
解剖を平面に
譬へれば、発生はそれに「時」といふ厚さが
附いて、立体となる訳
故、簡単に十分に説くことは
到底出来ぬ。動物の発生の
途中には生物進化の
証拠ともいふべき事実が
殆ど無数にあるが、
此等を解る様に述べるには、先づ発生学研究の方法から説き始め、
傍ら実物の標本を
顕微鏡で見せたりせねばならぬ。
是は無論本書に
於て出来ることでない
故、
此章には
唯最も解り易い点を若干だけ選んで
掲げる。
一々の事実を述べる前に、先づ言つて置かねばならぬのは、動物は
如何なるものでも総べて
卵から
発生するといふことである。
'鶏'の卵
乃至魚の卵、
蚕の卵は、
誰も知つて居るが、
其他になると、卵を人が知らぬものが多い。
併し、実際を調べて見ると犬・
猫でも牛・馬でも、
我々人間でも
其出来始めは
皆一粒の卵である。卵には
'鶏'卵の
如くに大きなものもあるが、
大抵は
遙に小く、人間の卵などは直径は
僅に一分の十五分の一(注:0.2mm)に
過ぎぬ。
一粒の卵から複雑
極まる
構造を有した人間が出来るのであるから、
其間の変化は実に
驚くべきもので、
詳しく研究して見ると、面白いことが
頗る多い。
我々の食用にする
'鶏'卵は
唯生んだ
儘故、単に
蛋白と
卵黄とがあるだけであるが、
之を
雌'鶏'に温めさせると
僅に二十一日
許りの間に、中に
立派な
雛が出来る。
斯くの
如く、
'鶏'では親の体外で
雛が発生する
故、
此間の変化を調べるには
沢山の卵を
温めさせて置き、
其中から毎日朝・昼・
晩に一個づゝを取り出し、
殻を
割つて見れば
宜しい。細かいことは
特別の方法を用ゐて研究せねば解らぬが、大体だけは
斯様にすれば知れる。
其変化の有様は極めて複雑
故、こゝで述べることは出来ぬが、
我々が母の
胎内に
九箇月居る間には、
略'鶏'の
雛が二十一日の間に卵から出来るのと全く同様の順序を経過し、初め
一粒の小な卵から終に手足の完備した
幼児となつて生まれ出るのである。一は親の体外で発生し、一は親の体内で発生するだけの
相違で、初め
一粒の卵から起るといふには少しも
違ひはない。
第三十一図 人類の卵
卵から生長し終つて子を生むに
至るまでの経過を調べるのが
発生学である
故、中々
其研究は容易なことでなく、一種の動物の発生を十分に調べ上げるには、材料も余程十分になければならず、
又時日も余程長くかゝる。それ
故、今日の所、十分に発生の調べの行き届いた動物はまだ少数で、他は
僅に大体の
模様が解つた位に過ぎぬ。
又全く発生の調べてない動物も
沢山にある。
併し、発生学は今日最も
盛に研究せられて居る学科で、毎年毎月何か新しい事実が発見になる
有様故、今日より後には
尚余程面白いことが
沢山見出されるに
相違ない。次に述べる事実の
如きは単に
極少数を選み出したに過ぎぬ。
生長の終つた動物の体内に
屡不用の
器官の存することは、
既に前章に述べたが、動物の発生の
途中には生長の後になれば不用に属する
器官が一度出来て、
後再び消え失せることが往々ある。
其中には発生の
途中、実際用をなすものあれば、
又発生の
途中にも少しも役に立たぬ様なものもある。
牛・羊・
鹿などの類には、
下顎には前歯があるが、
上顎には全く前歯が無い。
此類が草の葉などを食ふ所を見ると、
下顎の前歯を
上顎の
齦に
押し当て、
恰も
下顎の前歯を
庖刀の
如く、
上顎の
齦を
俎の
如くに用ゐて
噛み切るが、
其ため
上顎の前部の
齦は
我々の足の裏の
如くに
堅くなつて居る。
斯くの
如く生まれてから死ぬまで
上顎には前歯はないが、
此類の発生を調べて見ると、不思議なことには生まれるより少し前に、一度
明に
上顎に前歯が出来る。
尤も
齦の内に出来るだけで、表面に現れ出るには至らぬが、切り開いて見さへすれば、確に歯の列んで居るのが見える。然も、
此歯は
一旦は出来るが、
暫くすると周囲の組織に
吸収せられて、再び消えて無くなつて
仕舞ふ。少しも
齦の外に現れず、特に母の
胎内に居ること
故、全く何の役にも立たぬ歯が、一度形だけ出来て
直に
又消え失せるといふ様な
無駄なことは、
若し生物各種が初めから各今日の通りに造られたものとしたならば、全く意味の解らぬことであるが、
之に反して、若し牛・羊の類は
漸々進化して今日の姿に達したものとしたならば、
其先祖には
上顎にも前歯があつて、
其性質が
遺伝によつて
発生の
途中に現れ、現在の生活上に不必要である
故、再び消え失せるのであらうと考へて、
幾分か
其理由を察することが出来る。
鯨類の中には
海豚の
如く歯を有するものもあるが、大形の
鯨は多くは口の中に
鬚を有するばかりで、歯は一本も無い。
此等の
鯨は極めて小な
餌を一度に無数に取つて、
其儘嚥み
込んで
仕舞ふもの
故、歯があつても全く無用である。然るに
其発生を調べると、前の牛・羊の前歯と同様で、生まれるより少し前に上下両
顎ともに
海豚の
如き細かい歯が一度
沢山に出来て、
又暫くすると消えて無くなる。こゝに
掲げたのは、長さ四尺(注:1.2m)
許りの
鯨の
胎児の頭の処だけを
凡そ三分の一に
縮めた
写生図であるが、生長すれば十間(注:18m)以上にもなる大きな種類で、生まれる
頃には最早歯は一本も無い。
併し、こゝに示した位の時には、
立派に列んで生えて居る。
但し、
是は
齦の皮を
剥いて
態々歯を示す様に
製した標本を写したもの
故、実際天然には図の
如くに現れて居る訳ではない。
兎に角、一度も用をなさぬ歯が
斯くの
如く生じて
又消えるといふことは、矢張り
鯨が
漸々進化して今日の
如き形状のものになつたと考へなければ、少しも説明の出来ぬことである。
第三十二図 鯨の胎児の頭部並に歯
人間を始め、他の
獣類でも、鳥類でも、
其発生の
途中には
皆一度
頸の両側に
鰓孔が出来て後に再び
閉ぢて消える。魚類は人の知る通り、総べて
鰓を
以て水を呼吸するが、
鰓のある処は頭と
胴との境の左右両側である。口から吸ひ
込んだ水が
鰓の前後を通過する際に、
鰓の内の毛細管を通る
血液と
鰓の外を流れる水とが相
触れて、
其間に
瓦斯の
交換が行はれ、血液は水より
酸素を得、水は
又血液から
炭酸瓦斯を受けて流れ去るが、
斯く呼吸のために用ゐられた水は
鰓の間を通つてから
何処へ出て行くかといふに、
頸の両側にある
裂目を通つて
直に体外に出て
仕舞ふ。人間の呼吸するときは空気は
鼻口から入つて再び鼻口から出て行くが、魚類の呼吸するときには、水は口から入つて、
頸の両側から出て行くのである。
此水の出口が
即ち
鰓孔で、
鮫・アカエヒの類では、左右に各五つづゝも開いてあるが、
鯉・
鮒・
鯛・
鰹等の
如き
普通の魚類では、
鰓を保護するために
鰓蓋といふ
特別の骨があつて、
鰓孔の上に
被さつて居るから、実際外からは
唯一つの大きな
縦の
裂目が見えるだけである。
肴屋が料理するときには、通常
此処から指を
突き
込んで
鰓を引き出して
掃除する。
斯くの
如く水を呼吸する魚類に取つては
鰓孔は実に無くてならぬ必要のものであるが、陸上にあつて空気ばかりを
呼吸する
鳥獣には
素より何の役にも立たぬ。然るに
一二箇月の人間の
胎児、二三日温めた
'鶏'卵内の
雛の出来かゝりなどを見ると、食道から
直に体外に開く
孔が
明に
頸の両側に五つづゝも開いて居ること、
恰も
鮫の通りである。
是は位置から考へても他の
器官との関係から論じても、確に
鰓孔に
相違ない。仮に
此時代の
胎児が水中へ出て、水を口から吸ひ
込んだと想へば、
其水は
此等の
孔を通つて
頸の両側から
直に体外へ出ることが出来る。
斯様な
鰓孔が人間を始め、
鳥獣の発生の
途中に一度出来て、
又消えるといふことは、生物種属不変の説を
唱へる人は何と説明するか、若し
此等の動物が初めから今日の通りに出来たものとしたならば、
唯奇妙不可思議というて置くより外には
致し方がない。
第三十三図 人類胎児の鰓孔第三十四図 魚類の鰓
鰓孔は
鰓が無ければ不用なもので、
鰓は
又其内を血液が通過しなければ呼吸の働が出来ぬに
極つて居る。
鰓孔のことは前に述べた通りであるが、
鰓へ行く血管の方は
如何と検するに、人間・鳥・
獣等の発生の
途中には、
是も
矢張り魚と同様なものが一度出来て、それから種々に変じて
遂に生長し終つたときに見る
如き
血管系が出来上るのである。
丁度鰓孔の開いて居る
頃の
胎児の血管系を調べて見ると、上の図に示した
如くで、
心臓の構造も動脈幹部の有様も、全く魚類の通りで、
唯細く
毛細管に分かれる処が
略せられてあるに過ぎぬ。
此時代の
心臓・血管等を
詳しく述べるのは、
殆ど魚類の心臓血管に
就いて前にいうたことを再び
繰り返す様なものであるが、
其大体をいへば、心臓は未だ一心耳・一心室より無く、心室から出て行く大動脈は
直に左右
若干対の動脈弓に分かれ、
各鰓孔の間を通過して
脊中の方へ
廻り、再び合して
下行大動脈となつて居る。前章に
於ては
脊椎動物中から
幾つかの例を挙げて、
比較解剖学上から血管系の進化し来つたと思はれる径路に
就いて述べたが、人間・鳥・
獣等の
是から先の発生を調べると、実際各個体が発生の中に
殆ど前章に述べた通りの径路を通過して進むのを見ることが出来る。
即ち人間でも始め血管系は前の図に示した
如き全く魚類と同様なものが出来るが、
鰓孔の閉ぢて消える
頃から、血管の方にも
之に
伴うた
著しい変化が起り、肺の方へ枝を出して居た最後の動脈弓は終には独立して肺動脈となり、
其前の動脈弓の左の分だけが
益益太くなつて、大動脈となり、余の部分は
漸々細くなり、多くは消え失せて
愈々成人で見る
如き血管系が出来上がる。
獣類では総べて
此通りで、鳥類では
唯最後から二番目の動脈弓の右の分が大動脈となるだけが
違ふ。
第三十五図 人類
胎児の心臓
及び動脈基部
[#「第三十五図 人類|胎児の心臓|及び動脈基部」はキャプション]
人間は生まれるときは
裸であるが、
胎内六箇月頃には身体の全面に残らず
絹の様な細い長い毛が生えて居て、全く
猿の通りである。
併し、
此毛は後に再び
脱け落ちて、
唯微な
産毛ばかりとなつて
仕舞ふ。
又人間の
胎児に
尾のあることは前の図を見ても解るが、
尚早い
頃には
更に一層
尾が長い。
此等も
皆発生中のみに現れる
器官である。
以上は
皆高等の
脊椎動物の中から選んだ例ばかりであるが、他の動物にも
斯様な例は極めて多い。
其一つを挙げて見れば、
蝶でも、
蜂でも、
蠅でも、
'蝉'でも、
凡昆虫の類は総べて足は六本あるに定まつて居るが、
其発生を調べると
尚多数の足が出来かゝつて消えて
仕舞ふ。
昆虫の体は頭・
胸・
腹の三部より成り、六本の足は
皆胸の
裏から生じて
腹には一本も足が無いが、卵の内で発生する模様を見ると、一度は腹にも身体の一節
毎に一対づゝ極めて短い足の
痕跡だけが現れ、
暫くして
又消えて
仕舞ふ。
昆虫の中でも
枯木の皮の下などに住む
珍しい種類には、生長し終つても
尚腹部の裏に
幾対か足の
痕跡を有するものがある。
孰れにしても、実際に役に立つことは無い。然るに発生の
途中には
斯かる無用な足の
痕跡が何の
昆虫にも一度必ず生じて
又消えることは、前に述べた牛・羊の
上顎の前歯などと同様で、生物各種属を永久不変のものとしたならば、
唯不思議といふだけで、少しも
理窟の解らぬことである。
動物が卵から発生する有様は
皆斯くの
如くで、決して出来上つたときの形を目的として初めから一直線に
其方へ進むものではない。
途中に必ず種々の
無駄なものが出来たり、
又消えたりすることがあるもので、生長し終つた後にも
斯様な不用の
器官が
幾らも残つてあることは、
既に前章で述べた通りである。人形師が人形を造るときには初めから
或る形をなした人形を造らうと思うて着手するから、
途中に決して
無駄なことをせぬが、自然が動物を造るのは大いに
之と
違ひ、初め全く
異なつた形のものを造り、
之より
漸々造り改め、
折角一度造つた歯を
揉み消したり、
又初め歩行に
適する形に造つたものを
游泳に
適する形に直したりなどして、
甚だしい
廻り道を通過し、
無駄な手間を
掛けて、やつと、造り上げるのが
殆ど常である。
我々人間の身体も
其通りで、決して初めから成人の形が小く出来るのでもなく、
又一端から順を追うて出来上つて行くのでもない。先づ
頸の両側には
鰓孔が
幾つも開き、血管は魚類の通りで体の後部には長い
尾のあるものが出来、それから
漸々に変化して人の形となるのであるが、
此等の現象は総べて
如何なることを示すものであらうか。
生物種属不変の説に
従へば、
此等は総べて無意味のことである。
否無意味といふよりは
寧ろ
奇怪千万なことである。
天地開闢の時から今日に
至るまで、何万年とも何億年とも知れぬ長い間、代々牛・羊の
上顎に、生えぬ歯が
隠れながら出来ては消え、人間の
頸筋に無用の
鰓孔が開いては閉ぢるといふ様なことは、
如何に考へても
理窟の解らぬことである。
之に反して、
若し生物各種は
漸々進化して
其結果今日の
如きものになつたと
見做せば、先祖の性質が
遺伝によつて
尚発生中に現れるものとして、
此等の現象は
皆一通り
其理由を考へることが出来る。知らぬ
中は
兎も角、
斯様な事実を目の前に見ながら、
尚生物種属不変の説を
主張することは、
思考力のある人間には
到底出来ぬことであらう。
動物発生の
途中には、確に
無駄なものが出来るといふ例を
尚一つ挙げて見るに、日本の
'イモリ'は水中に住み、水中に卵を生むが、ヨーロッパの山中には地上に住んで
胎生する'イモリ'の種類がある。
此類では子は母の
胎内で形が全く出来上り、生まれると
直に親と同様に生活して、一度も水に入ることは無いが、
其発生の中には
立派な
鰓が出来る。他の'イモリ'の
幼児は
皆鰓を
以て水を
呼吸するが、
此種類の
胎児に生ずる不用の
鰓は
殆ど他の種類の幼児に
於て実際の役に立つ
鰓と同じ位に完全に出来る
故、
或る人が試に親の
腹を切り開き、
胎児を取り出して水の中に入れた所、
活溌に泳ぎ
廻り、水底で水を呼吸して長く達者に生活した。
斯くの
如く
若し水中に入れゝば十分呼吸の働きが出来るだけに完備した
鰓が、親の
胎内に居る間に出来て、生まれる時までには
又萎びて無くなることは
誰が考へても確に
無駄なことに
違ひない。
此'イモリ'の先祖は他の'イモリ'と同様に水中に住み、
其幼児は総べて水を呼吸したものと仮定し、
此種類は
比較的近い
頃に初めて地上に移り、生活法の改まると共に形状・性質も
漸々変じて終に一種を成すに至つたものと考へれば、遺伝によつて
斯かることも生ずべき
筈と思はれるが、若し
此種類は初めから別に
此種類として
存したものとしたならば、無用の
鰓が
斯くまで完全に発達することは、実に不思議中の不思議と
謂はねばならぬ。
所謂退化の現象に
就いては
既に第八章に述べたが、
斯かる退化した動物の発生を研究して見ると、
又極めて面白いことがある。先づ前に例に挙げたフヂツボに
就いて
其発生の有様を見るに、
卵から出たばかりの子は、次の図に示す
如く
三対の足を備へて
活溌に海水中を泳ぎ過つて、
聊も
其親に似た
処はない。フヂツボは前にもいうた通り、
蝦・
蟹等と同じく
甲殻類といふ部類に属するが、
此類のものは総べて発生の初期には
斯かる形を有し、他の動物の
幼虫とは
直に識別することが出来る。
蝦・
蟹等の中でも
此時代を
卵殻の内で経過し
孵化したときには
既に
尚一歩進んだ形態になつて居るものもあるが、大体
此幼虫から
如何に変化して
蝦・
蟹等の生長した
姿が出来るかといふに、
此幼虫は生長の進むに
随ひ、体の大きくなると同時に、初め三対あつた足の
後に、新しい足が何対も出来て、最初水中を泳ぐ役を務めた足は、
漸次働きが変じ、第一対は
二岐に分かれた短い方の
鬚となり、第二対は枝分かれせぬ長い方の
鬚となり、第三対は物を
噛むための
顎となつて
仕舞ひ、新に生じた方の足の中で
幾対かが真に後まで歩行する足となる。フヂツボの発生も最初は
此通りで、三対ある足の後に続々新しい足が生じ、
暫くの間は海水の中を泳いで
廻るが、やがて岩の表面・
棒杭等に頭の方で
附着し、周囲には
石灰質の
介殻を
分泌して、終に生長したフヂツボの形となつて
仕舞ふ。
而して数対あつた足は
孰れも役目が変り、
唯海水を口の方へ
跳ね送り、
其中に
浮べる
微細の
藻類等を口に達せしめる働きを
務める様になるが、働きが変れば形も
之に応ずる様に変ぜざるを得ぬ
訳故、
此類の足は
蟹や
蝦の歩くための足と
違ひ、
恰もゼンマイか
葡萄の
蔓の
如くに見える。フヂツボの生きて居るのを海水の中に飼うて、見て居ると、
介殻の口の
如き処から絶えず、
此足を
沢山に出したり入れたりし、続けて休むことは無い。
其の動く具合から考へると、多分呼吸器の役をも
兼ね務めるらしく思はれる。
第三十六図 フヂツボ 斯くの
如く出来上つて
仕舞へば、フヂツボは
殆ど
牡蠣や
蛇貝の
如き固着した
介殻と
紛らはしい位なものになるが、
其発生の初めには足もあり目もあつて、
餌を追ひ、敵を
避けて
活溌に運動する有様は、
到底親の
及ぶ所ではない。
所謂退化した動物は総べて
此通りで、発生の初め
或は
途中の方が生長したときより、
遙に高等の体制を示すものである。退化したと言はれる動物は、
大抵固着の生活を営むもの
或は他の動物に寄生するもの等である
故、
斯様な動物の発生を調べると、
幾つでもこゝに述べた
如き事実を見出すことが出来るが、
其中でも最も
甚だしいのは、
甲殻類の中で寄生生活をなす類である。
第三十七図 甲殻類の幼虫
抑も
甲殻類の身体は前後に列んだ多数の節より成り、
之より生ぜる数多の足には
又幾つもの関節があり、一対の眼と二対の
鬚とを備へ、運動は
活溌で、感覚も
鋭敏な方
故、
無脊椎動物の中では余程高等なものである。然るに
此類の中でも他の動物に寄生する種類になると、実に非常な退化の
仕様で、眼は
勿論足も全く無くなり、体の節の境まで消えて
一寸見ては
甲殻類か
否か解らぬのみならず、
一疋の動物であるか否か知れぬ位になつて
仕舞ふ。こゝに図を
掲げたのは
其の二三の例であるが、第三十八図は
鯒・
鰈等の眼に
屡附着して居るもので、
其形は
恰も小い
豌豆に二本の
撚糸を
附けた
如くに見える。第三十九図のも、同じく他の大形の魚類の
皮膚に
附着して居るものであるが、
是は
又鳥の羽毛一本と
殆ど同じ様な形を
呈して居る。
孰れも
甲殻類に属するものであるが、
斯く生長し終つたときには、
甲殻類の
特徴とする点は一つも見えぬ。
又次なる第四十図に示したのは、
蟹類の
胸と
腹との境の
処に時々
附着して居る寄生物であるが、単に団子の
如きもので、眼・鼻は
勿論足もなければ
尾もなく、
背と
腹との区別もなく、
何方が前やら何方が後やらも解らぬ。
唯一箇所で
蟹の体に
附着して居るが、
此処から
蟹の体内へ
探つて行くと、
此動物の身体の続きは
恰も植物の根の
如くに
屡分岐し、各々細く長く
延びて、
蟹の全身に行き
渡り、足の
爪から
鋏の先までに達し、
到る処で
蟹の血液から
滋養分を
吸ひ取つて生活して居る。
此等に
至つては
誰に見せても、
是が
甲殻類であらうといふ判断は出来ぬ。然るに
此等の動物の発生を調べると、
孰れも卵から出たばかりには数対の足を有し、頭の
前端には目を備へ、自由自在に水中を
游泳して、
其時の有様はフヂツボ・
蝦・
蟹等の
幼虫と
殆ど同様である。
唯生長が
稍進んで他の動物の身体に寄生し始めると、
忽ち形状が変化し、今まであつた運動・感覚の
器官は
追追無くなり、寄生生活に必要な部分のみが発達して終に
斯の
如きものになつて
仕舞ふのである。今日、分類上
此等の動物を
甲殻類の中に編入してあるのも、
畢竟斯様な発生を調べた結果で、未だ発生の
模様の解らぬ
頃には
皆誤つて他の部類に入れてあつたのを、
一旦発生を研究して見ると、
其独立生活をなし居る幼虫時代には
如何しても
蝦・
蟹類の幼虫と
分離することが出来ぬ
故、
斯く改めたのである。
第三十八図 魚に寄生する甲殻類(一)第三十九図 魚に寄生する甲殻類(二)第四十図 蟹に寄生する甲殻類
以上二三の例によつても解る通り、固着生活・寄生生活等を営む
所謂退化せる動物の発生を見ると、
皆初めは独立の生活をなし運動・感覚の
器官をも備へて居て、
然も
其頃の形状は他の終生運動して独立の生活を営む動物の
幼時と
殆ど
寸分も
違はぬ程に似て居ることが
甚だ多いが、
此現象は生物種属不変の説から見れば真に
訳の解らぬことである。
芝蝦もフヂツボも
蟹の
腹に
附着して居る団子も卵から出たときには、
皆揃うて三対の足を有し、額の中央に眼を備へて、水中を泳ぎ
廻ることは、
若し
此等の動物が
互に初めから
縁の無いものとしたならば、単に不思議といふに止まるが、共同の先祖より進化し
降つたものと
見做せば、
斯く発生の
途中に同一の性質の現れるのも無理でないと思はれ、
漠然ながら
其理由を察することが出来る。
凡甲殻類は、
蝦・
蟹の
如く
生涯活溌に運動する類でも、フヂツボの
如く岩石の表面に
固着して生活する類でも、
又他の動物に寄生して何か解らぬ様な形に退化したものでも、
其発生の初期には
孰れも三対の足を有し、形状の極めて相似た時代のあることは前に述べたが、
是は
甲殻類に限ることではない。総べて他の動物の部類でも全く
之と同様である。
当今の動物分類法では、先づ動物総体を大別して
若干の門とし、各門を
更に
綱・
目に分つが、同門・
同綱に属する動物は、
皆其発生の初期には形状が
頗る相似て、容易に識別の出来ぬ位なものである。門の数は分類者の意見によつて多少
違ふが、通常八つか九つと
見做して置いて差支へはない。
其中には形が小くて見えぬために、
普通人の知らぬものもあれば、
又人間の生活に直接の利害の関係の少いために、人の注意せぬものもあるが、
其主なるものを挙げれば、第一には人間を始め鳥・
獣・
蛇・
蛙・魚類等の
如く身体の
中軸に
脊骨を有する動物を
総括する
脊椎動物門、第二には
蝦蟹類・
昆虫類・
蜘蛛・
百足等の
如き身体の表面が
堅くて
沢山の節があり、足にも各若干の関節を備へた動物を
総括する
節足動物門、第三には
蜆・
蛤・
栄螺・
田螺又は
章魚・
烏賊の
如く、身体は
柔くして全く
骨骼なく、単に表面に
介殻を
被るだけの動物を
総括する
軟体動物門、第四には、ウニ・ヒトデ・ナマコ等の
如く
皮膚の中に
夥多の
石灰質の
骨片を
備ふる動物を
含む
棘皮動物門、第五には
蚯蚓・ゴカイ等の
如き、骨なくして
唯身体に節ある動物等を
含める
蠕形動物門などである。
此等の中から同門・
同綱に属する動物を
幾つか取出して、
其発生を調べて見ると、多少の例外は無いこともないが、大部分は全く前に
述べた通りで、
其初期に当つては極めて相類似して居る。
人間の
一二箇月の
胎児と
'鶏'卵を二三日温めた
頃の
雛の出来かゝりとが
互に相似て居ることは、
既に前に言うたが、人間と
'鶏'とだけに限らず、他の鳥類・
獣類は素より、
蛇でも、
亀でも、魚類でも、
凡脊椎動物なれば
其発生の初期には大体に
於て
皆相似たものである。こゝに
掲げた八つの図は
脊椎動物の中から八つの
違つた種類を選み出して、
其発生中、人間の
一箇月位の
胎児に相当する
頃の形状を列べ写したものであるが、上の
段の左の
端にあるのが魚、次が'イモリ'、次が
亀、右の
端が
'鶏'で、下の段では左の
端が
豚、次が牛、次が
兎、終りが人間の
胎児である。
孰れも実物から写生したもの
故、
略図ではあるが決して
間違ひはない。
此通り万物の
霊と
自称する
我々人間も我々の常に打ち殺して食ふ牛・
豚・鳥・魚も
此時代にあつては、
殆ど区別は
附かぬ位で、
彼と
此とを取り
換へて置いても容易には解らぬ位に好く似て居る。
第四十一図 胎児比較
節足動物中の
甲殻類のことは前に例に挙げたが、次なる
軟体動物は
如何と見るに、
之も同様で、
蛤でも、
牡蠣でも、
栄螺でも、
鮑でも、発生の初期には
皆極めて小い
幼虫で、体の
前端にある
繊毛の輪を
振り動かして海面を泳いで居るが、
其状は
孰れも同じ様で、中々識別は出来ぬ。
寒冷紗で
嚢を造つて海の表面を引いて歩くと、目に見えぬ程の小いものが
沢山に入るが、
之を
顕微鏡で調べると、
斯様な幼虫が
幾らでも見える。
其中には
蛤になるべきものも、
牡蠣になるべきものも、
栄螺になるべきものも、
鮑になるべきものもあらうが、形が似て居るから実際生長させて見なければ何になるか前からは解らぬ。特に
蜆・
蛤の
如き
二枚の
介殻を有する類と
栄螺・
鮑の
如き
唯一個の
巻いた
介殻を有する類とに別けて
論ずるときは、
斯様に相似た時期が
更に長くて、
愈二枚貝の幼虫とか
巻貝の幼虫とかいふことが解るだけに生長してからも、
尚余程の間は二枚貝の中の何といふ種類の子であるか、巻貝の中の何といふ種類の子であるか解らぬ。海岸に打ち上げられて居る
介殻だけを見ても、貝類には形状の
異なつたものの
甚だ多いことが
直に解るが、
其発生の初め
幼虫として海面を泳ぐ時代に
互に
善く似て居る具合は、人間・牛・
豚などが
胎内発生の初めに
暫時同じ形を
呈するのと
毫も
違はぬ。
棘皮動物の中に
含まれるウニ・ヒトデ・ナマコは生長の終つたものを
互に比べると、
随分甚だしく
違つたものである。ウニ(ロ)は
稍扁平な球形をなし、表面全体に
棘が生えて
恰も
刺栗の
如く、ヒトデ(イ)は五本の
腕を有し、画に書いた星の通りである
故、
西洋諸国では
之を海の星と名づける。
又ナマコ(ハ)は細長い
円筒形で、
沢山の細かい
突起が
縦に五本の線をなして列んで居る
故、
頗る
胡瓜に似て居る。
斯く
互に
違ふものであるが、
其発生を調べると、初めの間は実に
甚だしく相似たもので、
孰れも親とは全く形状が
違ひ、
繊毛の列を
振り動かして、海の表面に
浮いて居る。貝類の
幼虫でも、
此類の幼虫でも、極めて小い
透明なもの
故、実際生きたものを
顕微鏡で見なければ、中々想像することもむづかしい。
第四十二図 棘皮動物
以上は極めて
簡単に、動物は発生の初めに当つて
互に
著しく相似るものであることを説いたに過ぎぬ。
詳細なことに
至つては素より自身で実物を研究しなければ
到底明に知ることは出来ぬが、大体は先づここに述べた通りに考へて
誤はない。そこで
斯くの
如く、生長して
仕舞へば全く
異なる動物が、発生の初めだけ
揃つて相似るといふことは決して
偶然なこととは思はれぬ。一つか二つより例の無いことならば
或は何か
偶然の
原因で生じたかとも思はれるが、
孰れの門、
孰れの
綱の動物を取つても、
其大部分が、
斯様な性質を示すのを見れば、
之には何か全部に通じた一大原因が無ければならぬ。
若し同門・
同綱に属する動物は
皆共同の先祖より
降つたものとしたならば、
此原因は
直に解るが、生物各種を万世不変のものと
見做すときは、
斯かる現象の起る理由は
到底何時までも解らぬであらう。
同じ部類に属する動物は
如何に形の
異なつたものでも、
其発生の初期には極めて相似た形状を有することは前に述べた通りであるが、
此相似た形を有する時代から
漸々発生して種々の異なつた動物の出来上るには、
如何なる順序に変化して進むものであるか。例へば第四十一図に示した
如く、初め人間も、
兎も、牛も、
豚も、
'鶏'も、
亀も、'イモリ'も、魚も
皆殆ど同一の形をして居るが、
何時頃から相分れて人間は人間、牛は牛と区別の出来る様になるものであるかといふに、多少の例外と見えるものはあるが、先づ相異なつたもの程、早く
其間に
相違が現れ、相似たもの程同一の形状を保つ時代が長く続くのが、
一般の規則の様である。
次に
掲げた第四十三図、第四十四図は以上八種の
脊椎動物の発生の中から
略相当した時代を三つづゝ選んで、列べて画いたものであるが、上の
段は
既に前に一度
掲げたものと同じで、人間でいへば先づ
一箇月の末位の所で、中の段は
一箇月半、下の段は
三箇月位の所に相当する。上の段では
皆総べて相似て居るが、中の段では魚と'イモリ'とだけは
既に識別が出来る。
併し、
亀以上のものはまだ
略皆同様である。然るに下の段になると、魚と'イモリ'とは素より、
亀も
'鶏'も
明に区別が出来、
哺乳類は
尚甚だ相似ては居るが、
既に各種の
特徴が現れて居る。
是は
僅に三段だけの
比較であるが、
尚詳細に
此等の動物の発生を比べて見ると、
略次の
如くである。
第四十三図 哺乳類の発生比較第四十四図 他の脊椎動物の発生比較
先づ最初
暫くの間は
此等八種の動物は
殆ど識別も出来ぬ位に相似て居るが、少し発生が進むと魚と'イモリ'とは一方へ、
余の六種は他の方へ向うて進むので、二組に分かれる。一方の
幼児は魚か'イモリ'かになるといふことだけは解るが、
其中、
孰れになるかはまだ解らず、他の方の組は魚
又は'イモリ'にはならぬといふことだけは解るが、他の六種の中の何になるかはまだ全く解らぬ。
尚少し発生が進むと、魚と'イモリ'との区別が出来て、図の
中段の
如き有様となる。
又少し先へ進むと、他の六種の中、
亀と
'鶏'とは一方へ、
余の四種は他の方へ進んで二組に分かれるが、
其頃には一方は
亀か
'鶏'かになるといふことだけは解るが、
孰れが
亀になるか
孰れが
'鶏'になるか、まだ解らず、
又他の方は
哺乳類になるといふことだけは解るが、
其中の何になるかはまだ少しも知れぬ。
更に発生が進めば
亀には固有の
甲が現れ、
'鶏'の前足は
翼の形となつて、二者の間に
明な区別が生じ、
又哺乳類の方にも一種
毎に
特徴が見える様になつて、終には前の図の
下段に示した
如くに、牛・
豚・
兎・人間と識別の出来る様な
姿になるのである。
右の有様を表に書いて示すと、
略上の図の
如くである。
此表では
下端を古とし、
上端を新とし、時は下より上へ向うて進み行くと仮定し、形の似たものは相近づけ、形の
異なるに
随うて
之を相遠ざけ、各種の発生の径路を線で現してあるが、
此等の種類は発生の進むに
随ひ、順を追うて
互に相分かれる
故、
此方法によつて表を作れば、勢ひ
斯くの
如き
樹枝状のものが出来る。
又表中に書き加へた三本の横線は前の第四十三・四十四図に示した位の発生の時代を現す積りのもので、最下の横線は前の図の上段、中の横線は前の図の中段、上の横線は前の図の下段に示した位の発生の時期に相当する積り
故、前の図と照し合せて見たならば、
尚此表の意味が
明に解るであらう。
第四十五図 発生比較の表
斯くの
如く発生の有様を
比較して表に作れば、樹枝状のものが出来ることは、
無論以上の動物に限る
訳ではなく、何門・
何綱の動物を取つても
皆此通りである。
又如何なる動物と
雖も、
其発生の最初は
皆一粒の
卵であるから、こゝまで
溯つて
比較すれば、総べての動物は
皆同一の形を有すると言はねばならぬ。
卵には
'鶏'の卵の
如く大きなものも、人間や、犬・
猫の卵の
如く小いものもあるが、
抑も
'鶏'卵の中で真に卵といふべきは何部であるかといふに、
牝'鶏'(注:めんどり)の
卵巣の内で出来るのは、
唯蛋黄ばかりで、
是が
輸卵管を通過して、出て来る間に、
其周囲に蛋白が
附け加はり、生まれる前に少時輸卵管の
末端に留まる間に、
其外面へ
卵殻が出来るのであるから、
'鶏'卵の中で真に
卵と名づけて他の動物の卵と
比較すべきものは、
唯蛋黄ばかりである。
其蛋黄が
'鶏'では直径七八分(注:約2.4cm)もあり、人間・犬・
猫の卵は
僅に一分の十五分の一(注:2mm)にも足らぬが、
是は
何故かと
尋ねるに、全く
滋養分を多く
含むと
含まぬとによることで、
又其理由を
探ると、各発生の場所
及び発生の
状況が
違ふのに基づくことである。人間の子は母の
胎内で、母の血液に
養はれながら発生すること
故、午前に母の食うた
滋養物は午後は
既に子の
養ひとなるといふ具合に、絶えず母から
滋養分が
廻つて来るから最初から
卵の中に
沢山の
滋養分を備へて置く必要はないが、
'鶏'の方は
之と反対で、まだ少しも発生の始まらぬ卵が早くも母の体から
離れて生み出され、
其後は全く卵の中にある
滋養分ばかりに
頼つて発生し、酸素だけは空中から取るが、
其他には何も外界から取らずに
雛までに生長するのであるから、最初から余程十分に
滋養分が
貯へられてなければならぬ。人間は極めて小い卵から発生しながら、生まれる時は
既に
六百何十匁(注:およそ2.5Kg)もある相当に大きな
幼児となるが、
'鶏'の方は初め卵の大きなに
拘らず、
雛以上の大きさになれぬのは、全く
此理窟に原因することである。
詰まる所、
卵の大小の
相違は、
其中に
含む
滋養分の多少に基づくだけのこと
故、大きな卵と小な卵とは
恰も
餡の多い
饅頭と
餡の少い
饅頭との
相違だけで、
斯かる
副弐的の性質を
省き、真に卵たる点だけを比べて見ると、何動物の卵も
殆ど全く同一で、区別は出来ぬ。それ
故、
若し動物の発生を
極最初まで
溯つて
比較したならば、
其出発点に
於ては
如何なる動物も
皆同様な形状を有するものと考へなければならぬ。
同門・
同綱に属する動物の発生を
比較して表に示せば、
樹枝状に
分岐した図が出来ることは、前に述べたが、
尚溯つて発生の極最初
即ち卵の時代までを
比較すると、総べての動物が
皆略一様の形状を
呈し、発生の根本は
唯一の形に帰する
故、若し仮に
現今地球上に住する動物各種の発生が
悉く完全に調べられたと考へて、
其発生の
径路を前に述べた方法によつて図に作つたと想像したならば、
其結果は
一大樹木の形となり、根本は発生の初期なる卵時代を現し、太い枝は各門・
綱等の基部を示し、
末梢端は各一種の生長した動物種属を代表するものが出来る
筈である。今日
直に
斯かる図を
誤らぬ様に作ることは
勿論出来ぬが、研究が十分
届いた後には
斯様なものが出来るといふことだけは
疑がない。
動物発生の研究は前にも述べた
如く、中々容易なことではなく、材料も十分になければならず、時間も余程
掛けねば出来ず、
又之に
従事して居る学者は決して少いとはいへぬが、動物の種類は何十万もあること
故、今日
略完全に発生の知れてあるものは、まだ
甚だ小部分だけに過ぎぬ。
併し、犬の発生が解れば、
狐・
狸の発生は
之より
推して
略想像することが出来、
'鶏'の発生が解れば、
雉・
孔雀の発生も
之より推して察することが出来る
故、動物各種の発生が
悉く調べ上げられるまで待たなくても、各
綱目から
若干づゝの代表者の発生が解りさへすれば、こゝに述べた動物発生の
大樹木の
枝振りの大体は知れる
筈で、
既に今日までに学者の研究した種類だけから
論じても、大体の形だけは確めることが出来る。今日発生学者の間に
議論の
一致せぬ点は、
唯何の枝の分かれる
処が上であるか下であるかとか、
或は、
其の小枝は
甲の枝から分かれたものか、
乙の枝から分かれたものかといふ様なことばかりで、全体が樹枝状を
呈するといふ点に至つては、
疑を
懐く人は一人もない。
前には
唯脊椎動物中から八種を選んで例に挙げただけで、
煩を
避けるために、他の例は全く省いたが、
孰れの門・
綱を見ても
略同様なことを発見する。前に
掲げた
甲殻類の発生でも、
二枚貝・
巻貝類の発生でも、
又ヒトデ・ウニ・ナマコ類の発生でも
之を表に現せば、
皆基は一本で、先が分かれた樹木の形となる。特に種類の数を
尚少し増して、
甲殻類の例にカメノテ・
寄居蟹・シヤコ・船虫の
如きものを
添へなどすれば、
其中には
或は早く相分かれるもの
或は
晩くまで相
伴うて進むもの
等があつて、全く
脊椎動物の例で見たと同様な図が出来る。
併し、多数の動物の中には例外と思はれるものが無いでもない。例外の例を一つ挙げれば、前にも述べた通り、
軟体動物は総べて発生の初期に
於ては
幼虫が
繊毛を動かして水面を泳ぐものであるが、
章魚・
烏賊の類は発生の初から、他の動物と
違ひ、
斯様な時代を経過せずに、
直に
章魚・
烏賊の形に発生する。
又田螺は
斯様な時代を親の
殻内で経過し、
田螺の形に出来上つた
頃に始めて生まれ出る。されど
斯様な例外は
甚だ少数で
且多くは例外となつた
特殊の理由を多少
察することの出来るもの
故、
此等を
論拠として全体の形勢を
否定することは
勿論出来ぬ。
さて
斯くの
如く動物各種は発生の初めには
皆相似て、発生の進むに
随ひ、
樹枝状に追々相分かれることは、
如何なる意味を有するものかと考へるに、若し動物各種が最初より全く
互に関係なく、別々に出来たものとしたならば、少しも解らぬことで、前に
掲げた数多の事実と同様に
何時まで過ぎても
理窟の知れる
見込もない。
若し
天地開闢の際から、人間は人間として、牛は牛として、
'鶏'は
'鶏'として、魚は魚として出来たものならば、
此等四種の動物が発生の初に
於て
殆ど同様な形状を
呈し、人間も、牛も、
'鶏'も、魚同様に数対の
鰓孔を有し、少し進むと魚だけは区別が
附くが、他は
尚同様で、
皆左右の動脈弓を備へ、
更に進めば
'鶏'には右の大動脈だけ、人間・牛には左の大動脈だけとなつて区別が生じ、
尚余程後になつて牛は五本の指の中で中指と薬指とのみが
特別に発達して
殆ど二本指となり、人間は五本の指が
其儘に発達して、
孰れが牛、
孰れが人間と識別が出来る様になることは、実に不可思議極まることである。
之に反して、若し動物は
皆共同の先祖より進化し
降つたものと
見做さば、発生中に現れる性質は、
皆先祖の性質が
遺伝によつて伝はつたものとして、
此現象も一通りは
理窟が解る。
即ち先祖といふ中には
千代前の先祖も
五千代前・
一万代前
又は
一億代前の先祖もあるが、古い先祖の有して居た性質は発生中の早い時代に現れ、後の先祖の性質は発生中
稍遅く現れ、先祖代々の性質が順を追うて子孫の発生中に現れるものとすれば、同じ子孫の中でも古く相分かれて今は
既に
著しく
相異なるものは、
其発生に
於ても早く
相分かれ、
比較的近頃になつて相分かれて今
尚余程相似たものは
其発生に
於ても
晩くまで
相伴ふ
筈故、発生
比較の表が
斯く
樹枝状となるのは当然のことである。実に発生学上の事実は生物の進化を
認めなければ
理窟の解らぬことばかりである
故、今日の発生学上の知識を少しでも有するものは、
到底生物不変の説を信ずることは出来ぬ。
動物各種の発生中に現れる性質を
丁寧に調べて、
彼此相比べて見ると、前節に説いた
如く、先祖代々の性質が子孫の発生の中に順を追うて現れると考へるより、外に
致し方がないが、動物学者は多数の動物の発生を研究した結果、
之より
帰納して一の原則を造つた。
此原則は生物発生の原則と名づけるもので、短くいへば、個体の発生は
其種属の進化の径路を
繰り返すといふのであつて、
尚詳しく言へば、
凡生物は
皆共同の先祖から
漸々進化して分かれ
降り、終に今日の
姿に達したものであるが、今日の
一粒の
卵から動物の一個体が出来るときには、何億年か何兆年かの間に
其動物の種属が経過し来つた通りの変化を、極めて短く略して
繰り返すもので、例へば
鯨が今日の姿までに進化し来る
途中に一度歯のある時代があつたとすれば、
鯨の卵から
鯨の児が発生する
途中にも一度歯の現れる時期があり、人間が今日の姿までに進化し来る
途中に一度の
鰓孔のある時代があつたとすれば、人間の卵から人間の児が発生する
途中にも一度
鰓孔の生ずる時期があるといふのである。
此原則は今日でも種々の学科に応用せられ、心理学・社会学・児童研究などでも、常に
之を
唱へる様になつたが、元は動物学者が動物の発生を調べて言ひ出したものである。
若し
此原則を文字通りに
解釈して
間違ひのないものならば、一種の動物の発生を十分に調べさへすれば、
其動物の進化し来つた径路が明細に解る
筈であるが、天然は中々左様な
簡単なものではない。実際に
於ては
唯各種の動物の進化歴史中の
若干の
著しい性質が飛び々々に
其発生の中に現れるだけで、決して発生中の各の時期が進化歴史中の各時代を
寸分も
違へず
其儘に写し出して居るとは思はれぬ。
是は素より
然もあるべきことで、生物が何億年・何兆年の間に
漸々進化し来るときには、
其間の各個体は
餌を求め、敵から
逃れ、
且生殖の作用をもなしながら代々極めて少しつつ変化し来たものであるに反し、数日間
或は数週間といふ極めて短い時の間に卵から一個体の生ずるときには、敵から
逃げることも無く、
滋養分は他から
供給を受け、
生殖作用は全く知らずに
唯迅速に形が変化して出来ること
故、
其間の事情や
境遇が全く
違ひ、
境遇・事情が
違へば勢ひ変化の
模様にも
著しい
相違のあるのは先づ当然と考へなければならぬ。されば
詳細の点まで
此原則に照して
論じやうとするのは無理であるが、
此原則を
認めなければ説明の出来ぬことが
甚だ多くあり、
又此原則を
認めさへすれば、初め不思議に思はれたことも多くは容易に
理窟が解る所から考へれば、大体に
於ては
此原則は正確なものと
見做さなければならぬ。然るに
此原則は生物進化の事実を
認めた後に初めて意味を有するもの
故、
此原則を正確なりといふのは
即ち生物の進化は
無論のこととして、
尚其一つ先の点を論じて居る
訳に当る。生物種属不変の説と
此原則との両立せぬことは、素より言ふまでもないことである。
本章に述べた事実は、
此原則によれば総べて一応
理窟が解るものばかりである。発生の
途中に一度
或る性質が現れて後に再び消えることも、退化した動物が発生の
途中に
却つて高等の体制を有することも、同門・
同綱に属する動物は生長後
如何に形状の
異なるものでも、発生の初めには
著しく相似ることも、
又発生の進むに
随うて動物の形状が
漸漸樹枝状に順を追うて相分かれることも、
皆此原則の中に
含まれたことで、総べて
之によつて説明が出来る。
尚此原則は
唯卵殻内又は親の
胎内に
於ける間の発生に
適するのみならず、生まれて後の変化も
之によつて支配せられるもので、南アメリカの「
鱗羽潜り」が生長し終れば、
唯泳ぐばかりで、飛ぶ力は無いが、
雛の
頃には
能く飛ぶこと、
又人間の
幼児が
猿類の
如くに足の
裏を
互に内側へ向け合せて居ることなども、
此原則に
随うた事実であらう。
尚一層推し
拡げると、児童の心理、社会の発達等も
之によつて
幾分か
其理を察することが出来る。実に原則の名に
背かぬ生物学上最も重大な一法則といはねばならぬ。
動植物の中には、
殆ど区別の出来ぬ程に
相似たものもあれば、
又少しも
類似の点を見出すことの出来ぬ程に全く
相異なつたものもあつて、
其間には相類似する
程度に無数の階級がある。
鰈と
比目魚とは
随分間違へる人があり、
楢と
樫との区別の出来ぬ人も
沢山あるが、
又一方で
橙と
昆布とを比べ、人間と
虱とを
比べなどして見ると、
殆ど共通の点を見出すことが出来ぬ程に
違ふ。所で、何十万もある動植物の種類を一々
識別することは出来もせず、
又生活上
必要もないが、動植物は日夜
我々の目に
触れるもので、食物も衣服も
悉く
之から取ること
故、
普通のものだけは
是非区別して名を
附けて置かねばならぬ。犬・
猫・牛・馬・
烏・
雀等の
如き、一種
毎に全く別の名の
附いてあるのは
斯かる類であるが、
此様なもののみでも相応に数が多い
故、
尚其中でも
相似たものを合せて
総括した名を造つて置かぬと極めて不便が多い。
従来毛を
以て
被はれ、四足を用ゐて陸上を走るものを
獣と名づけ、羽毛を
以て
被はれ、
翼を用ゐて空中を飛ぶものを鳥と名づけ、
鱗を
以て
被はれ、
鰭を用ゐて水中を泳ぐものを魚と名づけたのも、
斯かる
必要に応じてなした
分類の
初歩である。
動植物学に
於ても、初めは
之と同じ位な
分類法を用ゐ、植物を分ちて
喬木・
潅木・草の三部とし、動物を分ちて、水中に住むもの・地上に住むもの・空中を
飛ぶものと
僅に三部にした位に過ぎなかつたが、
漸々知識の進むのに
随うて、分類の
標準も追々に改まり、単に外部の形状のみによらず、内部の
構造をも
斟酌する様になつて、今日に
於ては
比較解剖学上・
比較発生学上の事実を標準として分類の大体を定めるに至つた。
此間の
分類方法の
変遷を調べて見ると、知らず
識らず一歩づゝ生物進化論に近づいて来た
形迹が
歴然と
現れて、
頗る興味のあることであるが、
之を
詳しく
述べるには高等から下等まで動物・植物の主なる
部類を残らず
記載せなければならず、
到底本章の
範囲内に
於ては出来ぬ
故、
省略するが、初め魚類の中に
編入してあつた
鯨を後には
哺乳類に移し、初め貝類の中に混じてあつたフヂツボを後には
甲殻類に組み入れたこと、初め人間だけを
別物としてあつたのを後には
哺乳類中の
特別な
一目と
見做し、
更に
降つては
猿類と合して同
一目の中に入れる様になつたことなどは、
唯其中の
一斑に過ぎぬ。
今日
我々が動植物を分類するには、先づ全部を
若干の門に大別し、
更に各門を若干の
綱に分つことは、
既に一度述べたが、
尚其以下の分類をいへば、
各綱を
更に若干の
目に分ち、目を
科に分ち、科中に若干の
属を置き、属の中に
種を収め、
斯くして、世界中にある総べての動植物の種類を一大分類系統の中に
悉く編入して
仕舞ふ。
而して
斯く分類するに当つては、何を標準とするかといふに、
解剖上・発生上の
事項を
比較して、異同の多少を
鑑定し、異なるものは
之を
離し遠ざけ、似たものは
之を近づけ合せるものである。例へば犬と
狐とは無論二種であるが、
頗る相似たもの
故、
之を犬属といふ中に一所に入れ、
猫と
虎とは素より種は
違ふが、
甚だ相似た点が多い
故、
之を
猫属といふ中に一所に入れる。世界中を
捜すと、犬属とも
違ふが他の動物属によりも
遙に犬属の方に近いといふ様な動物が
幾らもあるが、
此等と犬属とを合せて
更に犬科とし、
猫属の外にも
猫に相似た類が種々あるが、
此等と
猫属とを合せて
更に
猫科とする。犬科の動物と
猫科の動物とは素より
著しく相異なる点はあるが、
之を牛・馬等に比べて見ると、
遙に相似たもの
故、犬科・
猫科等を合せて食肉類と名づけ、
之を
哺乳類といふ
綱の中の一目とする。されば分類の単位とする所のものは犬・
猫・
虎・
狐といふ様な種であつて、
其以上の属・科・目・
綱の
如きものは、
唯若干の種を
併せ
称する名目のみである。
以上述べただけから見ると、動植物を分類するのは何でもないことで、
誰にでも
直に出来さうであるが、実際
沢山に標本を集めてして見ると、非常に
困難で、決して満足に出来るものではない。種類を知ることの少い間、標本の多く集まらぬ内は、
蹄の一つあるものは馬である、角に枝のあるものは
鹿であると、簡単にいうて居られるが、今日の
如くに種類の多く知られて居る時代に、十分に標本を集めて調べ始めると、分類の単位とする種の境を定めることが、
既に中々容易でない。
既に第五章でも説いた
如く、動植物には変化性と名づける性質があつて、温帯のものを熱帯に移したり、
海浜のものを
山奥に持つて行つたりすると、
著しく変化するもので、風土が異なれば、
仮令同種のものでも多少相異なるを
免れぬ。青森の
林檎を紀州に移し、紀州の
蜜柑を青森に
植ゑ
換へれば、種は一つでも全く異なつたものとなつて
仕舞ふ。土地
毎に名物とする固有の天然物のあるのは、
詰まり他に移しては
其処の通りに出来ぬからである。されば
博く標本を集めると、一種の中でも種々形状の異なつたものがあり、往往別種かと思はれる程に
違つたものもあるが、
斯かる場合には分類上
之を
如何に
取扱ふかといふに、中間に立つて相
繋ぎ合せるものが存する限りは、
両端にあるものが
如何に相異なつても
其間に判然と境が
附けられぬから、総べてを合せて一種となし、形状の
相違するものを各々
其中の変種と
見做すのが、
殆ど学者間の規約になつて居る。それ
故今日二種と思うて居るものも、
其中間に立つものが発見せられたために、明日は一種中の二変種と
見做されるに至ることも
甚だ
屡で、
其例は分類学の
雑誌を見れば、毎号
飽くほどある。
又実際中間に立つものが無く、境が判然解つて居ても、
其間の
相違が他の種類の変種の
相違位に過ぎぬときは、
之を一種中に収めて単に二変種と
見做すことも常であるが、
此場合には二種と
見做すか一種中の二変種と
見做すかは、分類する人の
鑑定次第で、
孰れともなるもの
故、人が
違へば説も
違つて、争ひの絶えることがない。
斯くの
如き有様
故、種とは決して
一般に世間の人の考へる
如き境の判然と解つたものではない。
此事は諸国の動物志・植物志などを開いて見さへすれば、
直に気の
附くことで、同一の実物を研究しながら、
甲の学者は
之を十種に分け、
乙は
之を二十種に分け、
丙は
之を五十種に分けるとか、
又丁は
之を総べて合して一種と
見做すとかいふことは
幾らもある。ヨーロッパで医用に
供する
蛭の
如きも、当時は先づ一種二変種位に分ける人が多いが、一時は
之を六十七種にも分けた学者がある。
樫類の例、海綿類の例は前にも挙げたが、特に海綿の類などは、種の
範囲を定めることが非常にむづかしく、
之を研究した学者の中には、海綿には
唯形状の変化があるだけで、種の境は無いと断言した人もある位で、現に
相州(注:
相模国)
三崎辺には、
俗にグミ
及びタウナスと呼ぶ二種類の海綿があつて、一は小い
卵形で、
恰もグミの果実の
如く、他は球を
扁平にした形で、全くタウナスの名に
背かぬが、一年余も
此研究ばかりに従事した人の話によると、
如何に調べても区別が
附かぬとの事である。種とは何ぞやといふ問題は、昔から
幾度となく
繰り返して議論せられたが、こゝに述べた
如き次第
故、何度論じても決着するに
至らず、今日と
雖も例外を
許さぬ様な種の定義を下すことは
到底出来ぬ。
さて
斯くの
如く分類の単位なる種の
範囲・境界が判然せぬ場合の多くあるのは
何故であるかと考へるに、動植物各種が初めから別々に出来たものとすれば、少しも訳の解らぬことである。元来博物学者が種の境の判然せぬことを論じ始めたのは、
割合に近い
頃で、
殆どダーウィンが自然
淘汰の説を確めるために野生動植物の変化性を研究したのが
発端である。
其以前の博物家は動植物各種の
模範的の形状を脳中に
画き定め、採集に
出掛けても、
之に
丁度当て
嵌まる様な標本のみを
捜し求め、
之と少しでも異なつたものは出来損じの不具者として捨てて
顧みぬといふ有様であつた
故、目の前に
幾ら変化性の
証拠があつても、
之に注意せず、
随つて種の
範囲の判然せぬことにも気が
附かなかつた。生物種属の不変であるといふ考は地球が動かぬといふ考と同じく、知識の
狭い間は
誰も
免れぬことで、
何時始まつたといふ
起源もなく、
誰が主張し始めたといふ元祖もなく、
皆唯当然の事と信じて
済ませて居たもの
故、無論種の境の判然せぬことに気の
附かぬ前からのものであるが、今日から見ると極めて不都合で、最早
到底維持することは出来ぬ。
天地開闢の時に
境の判然せぬ種類が
沢山造られ、
其儘降つて今日に
至つても
尚境の判然せぬ種類があるといへば、それまでであるが、初めの考は素より左様では無く、
唯若干の
明に区別の出来る種類が造られて、
其儘今日まで
存して居るといふ簡単な考であつたので、実際種の
境の解らぬものが
沢山に見出された以上は、決して
其儘に
主張し続けられるものではない。
之に反して生物各種は共同の先祖から進化し来つたものとすれば、今より
将に二三種に分かれやうとする動植物は、
恰も
樹の枝の
股の処に当るもの
故、総体を一種と見れば
其中の
相違が
甚だし過ぎるから、若干の変種を
認めなければならず、
又形の異なつたものを各独立の一種と
見做せば、
其間に中間の形質のものが存在して、判然と境を定めることが出来ぬといふ有様になるのは、当然のことである。
此考を
以て見れば、
所謂変種といふものは、
皆種の出来かゝりで、現在の変種は未来は各独立の一種となるべきものである。樹の枝の
股の
処は一本から二本
又は三本に分かれかゝる処で、一本とも二本
或は三本とも
明には数へられぬ
如く、二三の
著しい変種を
含める動植物の種は一種から二三種に分かれかゝりの
途中故、一種とも二種
或は三種ともいへず、
其間の
曖昧な時代である。それ
故斯かるものまでも
込めて種の定義を下さうとするのは、
到底無理なことで、今日まで議論の一定せぬのも素より当然のことと
謂はねばならぬ。
分類の単位なる種の定義を、確に定めることは中々容易でなく、場合によつては
到底出来ぬこともあるが、実際分類するに当つては、
兎に角、
種といふものを定めて、
之を出発点とし、
更に
属に組み、
科に合せて、系統に造つて居る。
而して
其系統といふものを見れば、
孰れも大群の内に小群を設け、小群を
更に小な群に分ち、毎段
斯くの
如くにして数段の階級を造り、最下級の群の中に各種類を編入してあるが、追々研究が進み、分類が細になつた結果、門・
綱・目・科・属・種等の階級だけでは
到底間に合はなくなり、今日の所では門の次に
亜門を設け、
綱の次に
亜綱を置き、
亜目・
亜科・
亜属・
亜種等の階段までも用ゐ、
尚足らぬ
故更に
区とか、
部とか、
組とか、
隊とか名づける新しい階段までを造つて、十数段にも分類してある。
似たものは相近づけ、異なつたものは
相遠ざけるといふ主義に従うて
沢山の種類を分類すれば、
其結果として組の中に
又組を設け、終に
斯く多数の階段を造らなければならぬに至ることは、
抑も
如何なる理由によるものかと考へて見るに、
是は生物種属不変の説と
敢へて両立の出来ぬといふ訳ではないが、生物各種を初めから全く
互に無関係のものとすれば、
唯何の意味も無いことになる。然るに、生物各種は
皆共同の先祖から
樹枝状に分かれて進化し
降つたものと
見做せば、分類の結果の
斯くなるのは必然のことで、
理窟から考へた
結論と、実物を調査した結果とが全然
一致したことに当る
故、
理窟の正しい
証拠ともなり、
又之によつて分類といふことに
尚一層深い意味のあることが
解る。
元来天然に実際
存在してあるものは、生物の各個体ばかりで、種とか属とかいふものは素より天然には無い。個体の存在して居ることは争はれぬ事実であるが、種とか属とかいふのは
唯我々が若干の相似た個体を集め、
其共通の
特徴を
抽象して
脳髄の内に造つた観念に過ぎぬ。属・種以上の
階段も無論同様である。
而して
我々が初めて造る観念は、分類の階段中
孰れの段かと考へるに、最上でもなく、最下でもなく、中段の処で、それより知識の進むに
随ひ、上の段も下の段も
追々造る様になつた。
恰も望遠鏡が良くなるに
随ひ、
益々大きな事も知れ、
顕微鏡の改良が出来るに
随うて、
益々小い事も知れるに至るのと同様で、何事も先づ最初は
手頃な辺から始まるものである。日本の
熊は黒いが、北海道の
熊は赤いなどといふときの
熊といふ考は決して今日の
所謂種ではなく、
寧ろ属か科位な所であるが、初めは
皆此位な考で、多数の動植物を知つても
唯之を
禽・
獣・虫・魚位に区別し、一列に並べて置くに過ぎなかつた。然るに研究が進むに
随うて、一方には
尚之を細に分つて、属・種・変種等に区別し、一方には
之を合して
目・
綱等に組立て、組の中に
又組を設ける必要が生じて、リンネーの「
博物綱目」には
綱・目・属・種の四段分類を用ゐてあるが、
尚其後に門を設け、科を置きなどして
遂に今日の
如き極めて複雑な分類法が出来るに
至つたのである。分類は
斯くの
如く全く人間のなす
業で、四段に分けやうとも十六段に分けやうとも天然には素より何の変りなく、学者の議論が
如何に定まらうとも、
柳は緑、花は
紅であることは元の
儘故、一々の分類上の細かい説を
敢へて取るに
及ばぬが、
解剖学上・発生学上の事実を基として似たものを相近づけ、異なつたものを相遠ざけるといふ主義で行ふ今日の分類法に
於て、
斯く
幾段にも組の中に
又組を造らねばならぬことは、
即ち生物各個体の間の類似の度が
斯かる有様であることを示すもの
故、
是は生物種属の
起源を
尋ねるに当つては、特に注意して考ふべき点である。
生物は総べて共同の先祖より
漸々進化して分かれ
降つたものとすれば、
其系図は一大樹木の形をなすべきことは、
既に
度々言つた通りであるが、仮に一本の大木を取つて、
其無数にある
末梢を各
起源に
溯つて分類し、同じ処から分かれたものを各々一組に合せ、同じ枝から生じたものを各各一団として全体を分類し
尽したと想像したならば、
如何なる有様の分類が出来るかと考へるに、幹が分かれて太い枝となる処もあり、細い枝が分かれて
梢となる処もあり、
股に分かれる処は幹の基から
梢の末に至るまでの間に
殆ど
何処にもある
故、最も
末な
股で分かれたものを束ねて各々小い一組とすれば、次の
股で分かれたものは
更に合せて
稍大きな組とせなければならず、全体を分類し終るまでには、実に多数の階段が出来るに
相違ない。
之と同様の
理窟で、生物各種が
皆進化によつて生じたものとすれば、分類するに当つて
夥多の階段の出来るのは必然のことである。今日実際の分類法に
於て門・
亜門・
綱・
亜綱等の多数の階段を用ゐ、常に組の中に
又組を設けて居るのは、進化論の予期する所と全然
一致したことと
謂はなければならぬ。
又知識の進むに
随うて、分類に用ゐる階段の追々増加することも進化論の予期する所である。前の樹木の枝を分類する
譬によるに、昨晩
薄暗い時に分類して置いたものを今朝明るい処で見れば、
或は
一旦二本に分かれ、
更に各々二本に分かれて
居る枝を、同時に四本に分かれたものと見誤り、単に
一束として、階段を一つ飛ばしてあつたことを発見することもあれば、
或は細い枝が一本横へ出て居るのに
気附かずして、
其ため階段を一つ
脱かしたことを見出すこともあつて、細かく調べる程、階段の数は増すばかりであるが、実際の分類法が次第に
変遷して複雑になり来つた模様は全く
之と同様である。一二の例を挙げれば、従来
脊椎動物門を分つて
哺乳類・鳥類・
爬虫類・
両棲類・魚類と平等に五
綱にしてあつたが、発生を調べて見ると、
蛙・'イモリ'等を
含む
両棲類は
甚だ魚類に似て、
蜥蜴・
蛇・
亀の類を
含む
爬虫類は
甚だ鳥類に似て居ることが解つたので、
脊椎動物を
直に以上の五
綱に分けるのは
穏当でないとの考から、今日では先づ
之を魚形類・
蜥蜴形類・
哺乳類の三つに分け、魚形類を
更に魚類と
両棲類とに分ち、
蜥蜴形類を
更に
爬虫類と鳥類とに分つことになつて、分類の階段が一つ増した。
又哺乳類も従来は単に
猿類・食肉類云々といふ十二三の
目に分けて、
孰れも
悉く
胎生のものとしてあつたが、今より二十年
許り前に
其中の
或る種類は卵を産むといふことが確に発見せられた。卵を産む
獣といふのはオーストラリヤのタスマニヤ辺に産する「
鴨の
嘴」(一三九
頁第五十一図、ニ)といふ
猫位の動物で、水辺に巣を造り、
恰も
河獺の
如き生活を営んで居るが、
'鶏'卵よりも
稍小な卵を産む。また同じく
胎生するものの中でも、
詳細に調べて見ると、発育の模様に大きな差があり、人間の
胎児は
九箇月間も母の
胎内に留まつて発生するが、
殆ど人間と同じ大きさ位のカンガルーの
胎児は
僅か
一箇月にもならぬ時に生み出され、残りの
八箇月分は母の腹の前面にある
特別の
袋の内で発育する。
此獣の生まれたばかりの
幼児は実に小なもので、
我々の親指の一節程よりない。
是が
袋の中で、乳首に吸ひ着き、親の乳房と子の口とが
癒着して一寸引いても
離れぬ様になる
故、初めて
之を発見した人は、誤つて
此獣は
芽生すると言ひ出した。
此等の
獣類は
唯子の生み方ばかりでなく、他の点に
於ても
著しく異なつた処が多い
故、
斯かるものを
皆平等に一列に
並べて分類するのは、理に
背いたことであるといふ考から、今日では
哺乳類を別つて
原獣類・
後獣類・
真獣類の三部とし、第一部には「
鴨の
嘴」を入れ、第二部にはカンガルーの類を入れ、第三部には総べて他の類を入れて
更に
之を
従来の
如く十何目かに分ける様になつたので、こゝにも一段分類の階段が増した。
斯様な例は各門・各
綱の中に
幾らでもあるが、分類の階段の増して行く有様は
皆此通りで、先に樹木の枝に
譬へたことと
理窟は少しも
違はぬ。
斯くの
如く、種の境の判然せぬものが
沢山にあることも、分類するには数多の階段を設けて組の中に
又組を造らねばならぬことも、
又研究の進むに
随うて分類の階段の増すことも、総べて進化論から見れば必然のことであるが、実際に
於ても現に
其通りになつて居る所から考へると、
我々は
是非とも生物進化の論を正しいと
認め、
此等の分類上の事実を生物進化の
証拠の一と
見做すより外は
致し方がない。自分で何か
或る一目・一科の標本を集め、実物に
就いて
解剖・発生等を調べ、
之を基として
其分類を試みれば、
誰も生物進化の
形迹を
認めざるを得ぬもので、今日
斯かる研究に従事した人の報告を読んで見ると、必ず、
解剖上・発生上の事実から推して
其の進化し来つた系図を論じてある。
詰まり、生物種属の不変であるといふ考は何事も細かく研究せぬ間は不都合も感ぜぬが、
聊でも
詳細な事実を知るに至れば、
到底之を改めざるを得ぬものである。
現今生存して居る動植物の種類は実に何十万といふ程であるが、
此中から最も相似たものを集めて、各一属に組み合せ、属を集めて科を造り、科を集めて目を造らうと試みると、実際
孰れの方へ編入して
宜しいやら判断の出来ぬ様な属・科・目等が
幾らもあることを発見する。それ
故、全動植物を一大分類系統の中に
奇麗に組み
込んで
仕舞はうとすれば、
其際所属の解らぬ属・科等が
幾つか
剰つて大いに困ることが
屡ある。
斯様なものは
拠なく
孰れかの
綱・
目に
附属として
添へて置く位より
致し方もない
故、今日の動物学書・植物学書を開いて見ると、
其分類の部には必ず若干の所属不明の動植物の例が挙げてあるが、
其各々を何類の
附属として
取扱ふかは全く
其著者の
鑑定のみによることで、
其見る所が
各々違ふ結果、同一の動植物が
甲の書物と
乙の書物とでは分類上
随分相
隔たつた処に編入してあることが往々ある。現今の多数の動植物学者の著書を比べて見るに、分類の大体は
既に
略一定した有様で、
脊椎動物・
節足動物・
軟体動物といふ様な
明な門
或は
其中の
明な各
綱等に
就いては最早何の議論も無い様であるが、こゝに述べた
如きものになると、
其分類上の位置に関する学者の考が未だ種々様々で、少しも確なことは知れぬ。
斯様な動植物の例は今日相当に多く知れてあるが、
其大部分は人間の日常の生活には何の関係もない類
故、
普通の人は気が
附かぬ。一二の例を挙げて見るに、我国の海岸の
泥の中などに
沢山に産する「イムシ」と
称するものなども
矢張り
此仲間で、何の類に入れて
宜しいか善くは解らぬ。
此虫は、
鯛を
釣るための
餌として
漁夫の常に用ゐるものであるが、
恰も
甘藷の
如き形で、表面にも内部にも少しも節はないから、通常、
蚯蚓・ゴカイなどの類に
附属させてはあるが、
此類の
特徴ともいふべき点は全く欠けて居る。
又西印度・アフリカ・ニウ=ジーランド等に産する
釣虫といふものは、
恰も
蜈蚣とゴカイとの間の
如き虫で、一対の
触角を有し、陸上に住して空気を呼吸する点は
蜈蚣と少しも
違はぬが、足に節のないこと、
其他内部の構造などを考へると、
寧ろゴカイの方に近いかと思はれる位で、
孰れに組み入れて
宜しいか全く
曖昧である。
又ここに図を
掲げた
海鞘の
如きも、単に発生の
途中に一度
脊椎動物らしい形態を備へた時期があるといふだけで、
其生長し終つた後の
姿は少しも
脊椎動物に似た処はない。それ
故、
其分類上の位置に
就いては種々の議論があつて、中々確定したものと
見做す訳には行かぬ。
第四十六図 イムシ第四十七図 海鞘第四十八図 ギボシ 其他海岸の砂の中に住むギボシ虫といふものがあるが、
此虫は
恰も
紐の
如き形で長さが一尺(注:30cm)から三尺(注:90cm)位までもあり、極めて
柔で切れ易く、
殆ど完全には
捕れぬ程で、外形からいへば、少しも
脊椎動物と似た点は無いが、
之を
解剖して
其食道・呼吸器等の構造を調べて見ると、多少魚類などに
固有な点を見出すことが出来る。食道から体外へ
鰓孔が、開いて、こゝで呼吸の作用を営む動物は、魚類の外には
先づ
皆無といふべき有様であるが、
此ギボシ虫は食道が多数の
鰓孔で
直に体外に開いて居る外に、
詳しく
比較解剖して見ると、
尚脊椎動物に似た一二の性質がある
故、現今では
之をも
脊椎動物に近いものと
見做す人が
甚だ多い。
併し、
此動物と
普通の
脊椎動物との間の
相違は
如何にも
甚だしいから、
之を
以て
脊椎動物に最も近いと
見做す考が正しいか
否かは、まだ容易に判断することは出来ぬ。
海鞘・ギボシ虫などには実際少しも
脊椎といふものが無いから、
此等までを
脊椎動物に合して、
之を
総括した門を置くとすれば、
之を
脊椎動物と名づける訳には行かぬ、それ
故別に
脊索動物門といふ
名称を造り、
脊索動物門を分ちて
幾つかの
亜門とし、第一の
亜門には
海鞘類、第二
亜門にはギボシ虫を当て
嵌め、第三の
亜門を
脊椎動物と名づけて
更に
之を
哺乳類・鳥類云々と分ける様にして居る人が今日では中々多いが、
斯くすれば分類の階段がこゝにも一つ増す。前の節にも述べた通り、研究の進むに
随ひ分類の階段を
漸々増さざるを得ぬに至る理由は多くは
此通りで、所属の
明でない動物の
解剖・発生等を取調べた結果、
従来確定して居る
或る動物の部類に多少似た点が発見になると、
之をも
其部類に
附け
添へるが適当であるとの考が起るが、さて
之を加へ
込むと、
其部類の
範囲が広くなる
故、先づ
之を大別してかゝらなければならず、終に新な階段を設ける必要が生ずるのである。
分類といふことは、元来人間が勝手に行ふことであるから、個体を集めて
之を種に分つとき、種を集めて
之を属に分つとき、属を集めて
之を科に分つときなどに、
若干の
曖昧なものが後に
剰つたからというて、
之を
以て
直に生物進化の
証拠と
見做すべからざるは
勿論であるが、
斯かる所属不明の動植物が
皆他の大きな
綱目等の
特徴を一部分だけ具へ、中には二個以上の大きな
綱目の
特徴を一部分づゝ
兼ね備へて、
恰も二個以上の
綱目を
繋ぎ合せる
如き性質を帯びて居るものがあるのは、
如何なることを意味するものであらうか。例へば動物を
脊椎動物と無
脊椎動物とに分けやうとすれば、
海鞘・ギボシ虫の
如き
脊椎動物の
特徴の一小部分だけを具へたものが
其間にあつて、
孰れにも
明には属せず、分類の標準の定め様次第にて
或は
脊椎動物の方へも
或は無
脊椎動物の方へも入れられるといふことは、何を意味するものであらうかと考へるに、生物各種を全く
互に関係のないものとすれば素より何の意味もないが、生物は総べて同一の先祖から分かれ
降つたとすれば、
斯かる
曖昧な種類は二個以上の
綱目の共同の先祖の有して居た性質を
其儘に承け
継いで
降つた子孫
或は一
綱・一
目の進化の初期の性質を
其儘に承け
継ぎ来つたものと
見做して、
其の存在する理由を多少理会することが出来る。
一々例を挙げて説明すれば、こゝに述べたことを
尚明に示すことは出来るが、
所属不明の動物の最も面白い例は多くは海産・
淡水産等の下等動物で、
顕微鏡で見なければ解らぬ様な類もあり、
普通に人の
見慣れた動物とは余程
違ふものが多い
故、こゝには
略して置く。
動植物の種属を分類するには、
如何なる標準によつても出来ることで、
恰も書物を分類するに、
出版の年月によつても、版の大きさによつても、国語分けにも
著者の
姓名のイロハ分けにも出来る
如く、
雄蕊の数・
雌蕊の数・葉の形
又は外形・住所・運動法等の
孰れを取つても出来ぬことはないが、
斯くして造つた分類表は、
所謂人為分類で、
検索に多少の便があるだけで、単に目録としての外には何の意味も無い。
之に反して、当今、分類学を研究する人の理想とする所は、
所謂自然分類で、完成した
暁には各種属の
系図を一目
瞭然たらしめる積りの分類法である。今日の所では生物学者であつて生物進化の事実を
認めぬ人は一人も無い
故、分類に
従事する人も単に種類の数を多く列挙するばかりでは満足せず、
其の進化し来つた路筋に
就いて自分の
推察する所を述べ、
之によつて種属を組に分ち、同じ枝より起つたものは同じ組に入れ、別の枝より生じたものは別の組に
離して、
恰も
樹の枝を
起源によつて分類するのと同様な心持ちで分類して居るが、
是が
即ち
所謂自然分類である。素より
孰れの方面でも未だ研究の最中
故、
詳細の処まで少しも動かぬ様な自然分類は
到底出来ぬが、大体の形だけは
略定まつたものと見て
宜しい。当今の動物学書・植物学書の中に用ゐてある分類は、各々
其著者の想像した自然分類で、
彼此相比べて見ると
尚随分著しく
相違した処もあるが、生物全体を一大樹木の形に
見做して分類してあることは、
皆一様である。
是だけは最早動かぬ所であらう。
又脊椎動物・節足動物・
軟体動物等を各々太い枝と
見做すことも
皆一致して居るが、
是も先づ動くことはない。今より後の研究によつて確定すべきは、
是より以下の点のみである。
此自然分類といふものは生物進化の事実を
認めて後に、初めて意味を有するもの
故、
之を
以て
直に生物進化の
証拠とすることは出来ぬが、今日までの分類法の進歩を調べると、
進化論を
認めると認めないとに
拘らず、一歩づゝ理想的自然分類に近づき来つたことが
明である。初めは単に外形によつて分類して居たが、
解剖学上の知識が進んで来ると、内部の構造を
度外視するのは無理であるといふ考が起り、
之に基づいて分類法を改め、次に発生学上の知識が進めば、
又発生学上の事実を無視した分類は真の分類でないといふ考が生じ、
更に
之に
随うて分類法を改め、
漸々進んで
何時となく今日の自然分類になつたので、生物進化論が出てから、急に分類法を一変して組み改めた訳ではない。今日では分類を試みるに当つて初めから進化の考を持つてかゝるが、
所謂自然分類の大体は進化論の出る前から
既に出来て居て、単に最も適当な分類法として用ゐられて居た、
其所へ進化論が出て、それに深遠な意味のあることが初めて解つたといふだけである。
自然分類
其物だけでは、生物進化の
証拠といへぬかも知れぬが、進化論に関係なく
唯一般の生物学知識の進歩の結果として出来た分類が、進化論を
基礎とした理想上の分類と
丁度一致したことは、矢張り進化論の正しい
証拠と
見做さなければならぬ。
動植物各種の地理的分布を調べて見ると、生物進化の
証拠といふべき事実を発見することが
頗る多い。先づ動植物の移動する方法を考へるに、
是には自ら進んで移るのと、他物のために移されるのとの二通りがある。植物は通常固着して動かぬもの
故、
其移動は総べて他物によるが、種子などは種々の方法によつて
随分遠方までも達することが出来る。タンポポの種子の風に飛ばされることは人の知る通りであるが、種子には
斯様な毛が生じたり、
翅状の
附属物が
附いてあつたりして、特に風に
吹き散らされるに都合の好い
仕掛けの出来たものが多い。
又或る種類では果実の色が美しく、味が甘いので鳥が
之を食ひ、種子だけが
諸方へ
散る様になつて
居る。
其他椰子の果実などは海に落ちたものが潮流に
随うて非常に遠い島まで流れて行くこともある。種子の時代には活動もせぬ代りに何年も何十年も死にもせず全く
浪や風次第で
何処へでも生きながら移される
故、植物は自身に運動の力が無くても
其の
伝播することは
却つて動物よりは容易で、
迅速である。動物の方には通常
斯様な時代が無い
故、運動の力はあつても種々の
事情で制限せられ、
何処までも行くことの出来ぬものが多い。小い虫類は
随分遠方までも風に
吹かれるもので、
陸地から何百里も
隔てた大洋の中央にある汽船に
蝶が
沢山に飛び
込んだこともあるが、
稍大きな動物になると、風に
吹き飛ばされて遠方へ行く
望のあるのは、鳥と
蝙蝠だけに過ぎぬ。
又常に陸上に生活する動物は長く水中に居れば
溺死を
免れぬ
故、
到底潮流に
随うて遠方まで流されて行くことも出来ぬ。それ
故、植物の
伝播に最も有力な風と潮流とは
稍大きな動物に対しては全く
無功である。
併し、
是は
唯一般から論じただけのことで、
尚詳細に調べて見ると、
随分思ひ
掛けぬ様な方法により、動物が一地方から他の地方に移ることがある。陸上の
獣類が広い海を
越えて
隣の島に移ることは先づ出来ぬことであるが、絶対に無いとは断言が出来ぬ。
熱帯地方の大河では、
洪水の際に上流の岸が
壊れ、
其処に生えて居た
樹木が
筏の
如くになつて流れ下ることが常にあるが、
或る時、南アメリカのモンテヴィデオ市の真中に
斯様な
筏に乗つて
黒虎が四
疋も
漂着し、市中
大騒ぎをしたこともあるから、
獣類が
之に乗つた
儘で海へ流れ出し、
隣の島に
着したとすれば、
随分移住の出来ぬこととも限らぬ。
又木片が海岸に流れ着くことは
常のことで、千島辺では
之を拾ひ集めて一年中の
薪とし、
尚余る位であるが、若し
斯かる木片に
昆虫の
卵などが
附いて居て万に一も
尚生活力を保つて居たならば、
是も打ち上げられた処で
繁殖せぬとも限らぬ。
又今日では人間の交通が盛になり、荷物の運輸が
夥しいから、
之に
紛れ
込んで知らぬ間に
或る地方に入り
込んだ動植物も
既に
沢山にある。
特に意外の
伝播法の備はつたものは、
淡水産の動物で、
微細な下等動物のことは
略し、
稍大きなものだけに
就いて言つても、
其例は
随分多い。貝類の子は何にでも
介殻を
以て
挾み着く
癖のあるもので、水鳥の足・羽毛等に
附着して、
中々遠方まで行くことが常であるが、
嘗て
鴫の足に大きな
烏貝の
挾み着いて居るのが、
猟で取れたこともあるから、生長し終つたものでも往々
此方法で移転するものと見える。
又魚類の卵も同じく
鴨や
雁の足に
泥と共に
附着して遠方へ行くもので、
此等の水鳥の足を水で
洗ひ、
其水を
器に入れて置くと、実に種々の動物が
其中で生ずるが、
是は
孰れも卵・
幼虫等の形で
泥の中に混じてあつたものである。
又颶風の際に貝や魚が水と共に
巻き上げられ、他の場所に
降つて落ちることがある。著者の友人は現に
斯くして
降つた
泥鰌を拾ひ取つた。
斯くの
如く種々の
伝播法があつて、常に諸地方のものが相交る
故、
淡水産の動物は何国のも
大同小異で、同一の種類がヨーロッパにも日本にも居ることが決して
珍しくない。
鯉・
鮒などは
其例である。ダーウィンも世界週航の際、南アメリカで
淡水産の
微細な動物を採集して、
其のイギリス産のものに余り
善く似て居るのに
驚いたと言うて居るが、
斯様な
微細な種類になると、
恰も植物の種子に相当する
如きものが生じ、
此物が風に
吹かれて
何処へでも達する
故、世界中
到る処に同種同属のものが産する。
斯くの
如く、動物の
伝播のためには種々の手段があるが、
淡水産の動物を除き、陸上の鳥類・
獣類だけに
就いて考へて見るに、
獣類が
狭い
海峡を
游いで
渡ることは往々あるが、広い海を
越えて先の島まで行くことは
偶然の好機会が無ければ出来ぬこと
故、実際に
於ては先づ無いというて
宜しい。
又鳥の方は
獣類に比べると移転は
遙に容易であるが、同じ鳥類の中にも飛ぶ力の強いものもあり弱いものもあり、
翼の力には各種にそれ/″\制限がある
故、遠く
隔たつた処に移るには、風の力によらなければ、
到底出来ぬものが多い。
斯様に
鳥獣の類では、海を
越えて移ることは
余程困難で一地方の産と他の地方の産とが混じ合ふことも
随つて
甚だ少い訳
故、動物分布の有様を調べるに当つては、先づ
此等の動物から始めるのが便利である。次に述べる所も、主として鳥類・
獣類の分布に関することである。
動物の分布を論ずるに当つて予め言うて置くべきは、土地の
昇降、海陸形状の
変遷のことである。今日陸である処は決して昔から始終陸であつたとは限らず、
又今日海である処も決して昔から始終海であつたとは限らぬ。
桑田の変じて海となることは古人も
既に注意した所で、我国でも東海岸の方には年々新しい田地が出来るが、西海岸の方は少しづゝ
降つて海となり、有名な
安宅の関も今では海から遠い
沖の中程になつて
仕舞うた。それ
故、今日は相
離れて居るが、昔陸続きであつた
処もあれば、もと相
離れて居た処が後に
連絡する処もある。今日の地質学者
一般の説によれば、
地殻の
昇降は
遅いながら
嘗て絶えぬが、大洋の底が現れて大陸となつたり、大陸が
其儘急に
降つて大洋の底となる程の大変化は無かつたらしい。
即ち今日の大陸の大体の形だけは
既に余程古い
頃から定まつて、
其後は
唯地殻の
昇降により海岸線の
模様が常に変化し来つただけの様に思はれる。
之によつて考へて見ると、大陸と島との間、
又は島と島との間の海の深さを測つて見て、余り深くない処は元は地続きであつたものと
見做して差支へなく、
又、間の海が非常に深ければ
是は元来全く
離れて居て一度も
互に
連絡しなかつたものと
見做すのが
至当である。
唯表面から見ると、
何処の海も単に深いと思はれるだけであるが、
其深さを数字で言ひ表せば、処により実に非常な
相違で、日本と
朝鮮・
支那などの間は
何処でも
大抵百尋(注:181.8m)位に過ぎぬが、
奥州(注:陸奥国。東北太平洋側)の海岸を少し東へ
距つた処では、海の表面から底までの
距離が二里(注:7.8Km)以上もある。
尤も、二里以上といふ深さの処は余り多くは無いが、
凡大洋と名の
附く処ならば
大概一里(注:3.9Km)以上の深さは確にある。二里と
百尋とでは
其間の割合は五十倍以上に当るから、
殆ど一間(注:180cm)と一寸(注:3cm)程の
相違であるが、大洋に比べると大陸沿岸の海の深さは実に
斯くの
如くで、
殆ど
比較にもならぬ。それ
故、仮に海水が二百
尋も低く下つたと想像すると、
樺太・日本・
台湾は
勿論ジャヴァ・スマトラ・ボルネオ等の
東印度諸島は
皆アジヤと陸続きになつて
仕舞ひ、島として残るのは遠く陸地を
離れた、ガム・サイパン・マーシャル群島の
如き
所謂南洋の孤島ばかりである。大陸の岸に
沿うた島は
斯様に考へて見ると、大陸と
頗る関係の密なもので、実際種々の点から見ても、もと大陸の一部であつたものが後に
離れたといふのが確な様である。
以上は
其道の
専門学者の研究した
結論で、今日
皆人の信ずる所であるが、現在の動物
分布の有様を調べ、それを
此考に照し合せて見ると、生物進化の
証拠といふべき事実を、
到る処に発見することが出来る。例へば生物各種は
皆共同の先祖より
樹枝状に進化して分かれ
降つたものとすれば、
獣類も
蛙類も各
其一枝をなすこと
故、世界中の
獣類・
蛙類は各
其共同の先祖から
降つたものでなければならず、
而して
其子孫たるものは生活の出来る
処ならば
何処までも移り広がるべきであるが、両方とも飛ぶことも、長く泳ぐことも出来ぬもの
故、
海浜に達すれば、そこで移住力が止まり、最早進むことは出来ぬ。それ
故大洋の真中にある
如き、初めから大陸と全く
離れて居た孤島には
到底移ることが出来ぬ
理窟である。所で、実際分布の有様は
如何と調べて見ると、全く
其通りで、大洋中の
離れ島には、発見の当時、
獣類・
蛙類の居た例がない。海鳥は
随分多く居るが、
其他は風で飛んで来る
昆虫の類か、
然らざれば
蟹・
寄居蟹の
如き海から陸上に移つたものばかりである。
是は決して
斯かる島は
獣類・
蛙類の生活に
適せぬからといふ訳ではない。後に牛・
山羊等を輸入した処では
孰れも盛に
繁殖した所を見ると、
寧ろ
或る
獣類の生活には最も適当な場所といはねばならぬ。
斯く適当であるに
拘らず、実際全く
獣類を産せぬといふことは、
進化論から見れば必然のことであるが、
天地開闢の際に適当の場所に各々適当の動物が造られたといふ説とは全然
矛盾する事実である。
南アメリカは大部分
熱帯にあるが、南の方は温帯で最も南の
端は
殆ど北に
於けるカムチャツカと同じ
緯度まで達して居るから、
其間には気候の
随分違つた処があり、樹木が
繁茂して人の入れぬ様な森林もあれば、
薪にする木が無いから
拠なく
馬糞を
燃す程の広い平原もあつて、土地の
模様は実に種々であるが、
此地に産する動物界を見ると、全部に通じて一種固有の特色がある。
其著しいものを挙げて見れば、森林の中には、ナマケモノ(第四十九図、ハ)というて、
猿の
如き形を有し、四足の
爪を樹の皮に
懸け、背を下に向けて歩き、木葉を食する類があり、平地にはヨロヒダヌキ(同図、ニ)というて、
狸位の大きさで、全身に
堅牢な
甲を
被り、土を
掘つて虫を食ふ類があり、山の方にはリヤマ(同図、イ)アルパカなどといふ
駱駝と羊との間の
如き
獣類が居る。
又大蟻食ひ(同図、ロ)というて長い
舌を以て
蟻のみを
舐めて食うて居る相応な
大獣が居る。
其他猿類も居るが、東半球の
猿とは全く
違うて、別の
亜目に属する。鳥類にはアメリカ
駝鳥などが最も有名である。総べて
此等の類には多くの種類があつて、各
適宜な処に住んで居て、
其地方では
皆普通なものである。
第四十九図 南アメリカに固有な動物
大西洋を東へ
渡つて、アフリカに行つて見ると、動物界が全く
違ふ。アフリカも大部分は熱帯であるが、南の方は温帯で、日本などと気候は余り
違はぬ。アフリカといへば
直に
沙漠を
聯想するが、実際は深い森もあり、広い野原もあり、単に地形からいへば、南アメリカと
大同小異であるに
拘らず、
其処に産する動物には一種として南アメリカと共通なものはない。アフリカ産の
著しい動物は
獅子・象・
河馬(第五十図、ニ)
麒麟(同図、イ)
駱駝・
大猩々・
狒々・
羚羊(同図、ロ)
穿山甲、
駝鳥(同図、ハ)の類で、特に
羚羊の
如きは何百種もあるが、
此等の動物は必ずしも南アメリカに移しては生活が出来ぬといふ様なものではない。生活の有様を
比較して見ると、アメリカ
駝鳥と真の
駝鳥とは
善く似たもので、
其住処を取り
換へても、差支へは余り無からうかと思はれ、ヨロヒダヌキも
穿山甲も
爪が発達して地を
掘り
餌を
捜すもの
故、
略同様な処に生活が出来さうである。
其他羚羊をラプラタの平原に移し、ブラジルの
猿を西アフリカの森に移しても、気候や食物の上には不都合も無い訳であるが、実際に
於ては、太洋一つを
隔てれば、同様の地勢の処に同様の生活を営んで居る動物が、
皆別の目、別の科に属するものである。
第五十図 アフリカに固有な動物
更に
印度洋を
越えてオーストラリヤに行つて、
其動物界を見ると、
此度は
又実に
驚くべき
相違を発見する。オーストラリヤ大陸は南半球の熱帯から温帯に
跨がり、
北端の木曜島辺は真の熱帯であるが、南部のシドニイ・メルボルン等の大都会のある処は極めて気候の好い処であるから、気候の点からいへば、アメリカ・アフリカと著しい
相違はない。
然るに
此地に産する
獣類は
孰れを見ても総べてカンガルーと同様に子を
腹の
袋に入れて育てる類ばかりで、他の地方では決して見ることの出来ぬものである。
此類は通常合して
一目としてあるが、
其中の種類を調べると、実に種種雑多の形をしたものがあつて、
殆ど他の大陸の
獣類の各種を代表して居る
如くで、
栗鼠の
如くに
巧に木に登つて果実を食ふものもあり、
鼠の
如くに種子を
齧るものもあり、ムサヽビの
如くに前足と後足との間に
皮膚の
膜があつて、空中を飛んで行くものもあり、
猿の
如くに四足を
以て枝を
握るものもあり、狼の
如き歯を有する
猛獣もあり、
河獺の
如き
蹼を
具へて水中を泳ぐものもあつて、
其種類は
到底枚挙することは出来ぬ。
普通の大カンガルー(第五十一図、イ)は広い野原に住んで草などを食ふもの
故、習性からいへば、先づ牛・羊などに似たもので、小形のカンガルーは
略兎の代りともいふべきものである。
其他、
獣類でありながら、卵を生むので、非常に有名な「
鴨の
嘴」(同図、ニ)も
唯此地方のみに産する。
又鳥類もエミウ(同図、ハ)リラ鳥、「
塚造り」等を始として、
殆ど他国には類の無いものばかりで、河には角歯魚といふ一種
奇妙な肺を有する魚が居る。
第五十一図 オーストラリヤ地方に固有なる動物
単に
獣類だけに
就いて論じても、オーストラリヤ大陸では、前に述べた通り、山を見ても、野を見ても、森にも、河にも、目に
触れるものは、
皆腹に
袋を有する類ばかりで、他の
目に属する
獣類は一種も無いが、全体
此大陸は他の
獣類の生活に適せぬかと
尋ねると、決して左様ではない。羊を飼へば非常によく出来て、今では世界の主なる牧羊地となつて居る。
又兎を輸入すれば
忽ち
一杯に
繁殖して持て余す程になつた。
鼠も増加し、
之に伴うて
猫も増加し、
兎を退治するために外国から持て来て放した
鼬も非常に
殖えて、
兎以外の
鳥獣に大害を加へるに
至つた所などから見ると、
此地は実に
如何なる
獣類の生活にも最も
適した処といはねばならぬ。然るに実際に
於ては、西洋人が移住するまでは、
唯カンガルーの一族が
蔓延つて居るのみで、世間
普通の
獣類は一種も無かつた。
唯野犬が一種あつたが、
是は確に他から
紛れ
込んだもので、本来
此地に産したものではない。
動物には
各々固有な性質のあるもので、
寒国だけに
適したものもあれば、熱帯でなければ生活の出来ぬものもあり、森の中だけに
棲むものもあれば、野原だけに居るものもある。それ
故寒国と熱帯とで動物の
違ふのは少しも不思議ではない。
又森の中と野原とで動物の
違ふのも全く当然である。
併し、同じ気候で、同じく生活に適した処でありながら、大洋を一つ
隔たる
毎に、
斯くの
如く鳥類・
獣類が全く
違うて、一種として同一のものが居ないといふのは、
如何なる訳であるか。
是には何か
特別の理由が無ければならぬことである。
動物は総べて共同の先祖から進化し、
樹枝状に分かれ
降つて、今日見る
如き多数の種属が出来たもので、
其の進化し居る間に、土地の
昇降があつて、初め陸続きの処も後には切れて
離れ、初め半島であつた処も後には島となつて、
其間に広い
海峡が出来たりしたと
見做せば、
其結果は
如何といふに、
獣類や陸上鳥類の
如きは、陸地の
連絡の無い処には移住する力のないもの
故、今まで広く分布して居たものも、
途中に陸地の
連絡が絶えれば、
其時から交通が全く絶え、海の
彼方と
此方とでは全く無関係に別々に進化を続けることになる。
斯くなれば
雙方とも各々
其地の
状況に
随ひ、
適するものが生存し、適せぬものが死に失せて、同種内の個体の競争によつて、種属が進化し、
異種間の競争によつて、各種の運命が定まり、敗けて
亡びるものもあれば、勝つて栄えるものもあつて、長い年月を歴た後には、
彼方の動物界と
此方の動物界とを
比較して見ると、
孰れも最も適したものが生存したには
違ひないが、
其種類は全く
相違するに至るべき訳である。
此考を
以てアメリカ・アフリカ・オーストラリヤ等の動物を
比較して見ると、
略明瞭に理解することが出来る。
ヨーロッパ・アジヤ等に
於て、今まで
掘り出された化石を調べて見ると、最も古いものは、
皆カンガルーの族ばかりで、
其頃には他の
獣類はまだ全く無かつたらしい。
尤も象程の大きさのものもあり、犬位のものもあつて、種類の数は
沢山に知られてあるが、
皆今日のカンガルー類に固有な
特徴が備はつて居る。それ
故、
其頃には
獣類といへば、
唯此類ばかりであつたものと
見做すより外はないが、仮に
此時代までオーストラリヤはアジヤ大陸と
地続きであつたのが、
此頃に至り土地の
降ること、
浪が土地を洗ひ取ること等によつて、
其連絡が切れたと想像するに、
之より後は両方に
於て全く別に進化することになるが、自然
淘汰に材料を供給する動物の変化性といふものは、
如何なる規則によるものか、まだ
甚だ不
明瞭で、
突然胴の長い羊が出来たり、角の無い牛が生まれたりする所を見ると、
何様なものが
何時生まれるか解らず、変化の
模様は全く予想することが出来ぬ
故、たとひ同一種の動物でも
二箇所に
於て全く同一の変化を現すことは、実際に
於ては先づ無いと思はなければならず、
随つて仮に両方とも同一の標準によつて
淘汰せられ、最も
適したものばかりが
生存するとしても、
選択の材料が
既に同じくないから、生存するものも
違ふ訳になるが、相
隔たつた両方の土地で、自然
淘汰の標準が全く同一であるとは
到底思はれぬから、
尚更のこと、長い年月の間には全く別種のものとなつて
仕舞はざるを得ない。それ
故、アジヤでは
其頃のカンガルー族の子孫の一部が進化して今日の
普通の
獣類となり、カンガルーの
特徴を備へた子孫は競争に敗けて死に絶え、
唯化石として残り、
又オーストラリヤに
於ては
之に反して
其頃のカンガルー族の子孫が総べてカンガルー族の
特徴を具へた
儘で、今日まで進み来つたといふ想像も出来ぬことでもない。
而して
斯く想像すれば、今日実際の分布の理由を
略了解することが出来る。
以上は素より想像に過ぎぬが、総べて有り得べきことのみを組み立てた想像で、決して事実を曲げたり、実際に反したことを仮想したりしては無い。それ
故、現在の有様が
是で説明せられる以上は、先づ
此説を取るより
致し方がないが、土地の
昇降は目前の事実である
故、残る所は
唯生物の進化ばかりで、
是さへ
認めれば、
斯く不思議に思はれる分布上の現象も、一通りは
理窟を解することが出来る。若し
之に反して、生物種属不変の説に
随うたならば、オーストラリヤとアジヤ大陸とが
何時の
頃離れたにもせよ、両方に同種類の動物が居なければならず、
孰れの方面を見ても、
唯反対の事実を見出すばかりで、
到底説明を
与へることは出来ぬ。
地図を開いて見るに、深い海によつて大陸から
隔てられた大きな島は
唯二つよりない。一は
即ちアフリカの東に当るマダガスカルで、他は
即ち太平洋の南部にあるニウ=ジーランドであるが、
此島の動物を調べて見ると、
孰れも他に類の無い
珍らしいものばかりである。先づマダガスカルの方に
就いていへば、
此の島から一番近い大陸は
無論アフリカであるが、アフリカ産の
鳥獣で、
此処にも居るものは
殆ど一種もない。
如何なる
獣が住んで居るかと見れば、総べて
擬猴類といふ目に属するもので、
其著しい例を挙げれば
狐猿というて
狐に
猫の皮を
被せ、
之に
猿の手足を
附けた様な
獣、
指猿というて手足の指の細長い、目の大きな
大鼠の
如き
獣などであるが、
此目に属する
獣類は他には
何処に産するかといふに、対岸のアフリカでは無く、
却つて
遙か遠く
隔たつた
東印度の諸島である。
尤も東印度の方では他の
獣類が
沢山に居る
故、
此島に
於ける
如くに盛に
蔓延つては居ない。元来
此擬猴類と
称する目は余り種類が多くない上に、
其分布の区域もマダガスカルと
東印度とに限られ、
其中でも東印度の方には余り
沢山にない位
故、今日
此奇態な
獣類の
全盛を極めて居る処は全く
此島ばかりである。
尚其他此島には近い
頃まで非常な大鳥が生活して居つた。千六百年代に西洋人が貿易のために
此島に来た
頃に、土人が時々周囲が三尺(注:90cm)もあつて、中に
六升(注:10.8リッター)も入る位な、大きな卵の
殻を持つて酒を買ひに来るので、
驚いて帰国の後話したが、
誰も信ずるものが無かつた所、今より五十年程前に完全な卵の
殻を一つヨーロッパに持つて帰つた人があつたので、
愈確となり、
骨骼の方は十分完全な標本は無いが、卵の方は
其後幾つも採れてパリーの博物館だけにも五つ
陳列してある。
ニウ=ジーランド島の方は大陸から
隔たることが
更に遠いが、
此処には
獣類は一種も産せず、鳥類・
蜥蜴類も余程
奇態なものばかりで、
孰れも他国のものとは全く
違ふ。
「
鴫駝鳥」(第五十一図、ロ)のことは前にも述べたが、
'鶏'位の鳥で
翼は
殆ど全く無く、羽毛も
普通の鳥の毛よりも
寧ろ
鼠などの毛に似て居る。
此外に今は絶えて
仕舞うたが、近い
頃まで、
尚幾種か
翼の無い大きな鳥が居たが、
其の立つて居るときの高さが二間(注:3.6m)以上もある。初めて
其骨を発見したのは六七十年前であるが、
其後完全な
骨骼が
幾つも
掘り出され、今では二三の博物館に
陳列してある。土人間には先祖が
此大鳥と苦戦をした
口碑が残つて居るが、
骨や
卵殻の具合から見ると、極めて近い
頃まで生存して居たものらしい。
又蜥蜴の類には「
昔蜥蜴」と名づけるものがあるが、長さは二尺(注:60cm)以上もあり、形は
蜥蜴の通りであるが、
解剖して見ると、
鰐に似た処も、
蛇に似た処も、
又亀に似た処もあり、実に
此等四種の動物の性質を
兼ね備へた
如くに見える。
尚奇妙な点は左右両眼の外に頭の
頂上の中央に一つ眼がある。
尤も
是は小いもの
故、実際の役には立たぬ様であるが、構造からいへば、確に目に
違ひない。ニウ=ジーランド産のものは、
皆斯様な
奇態なものばかりで、他の国々に居る様な類は、一種も見出すことが出来ぬ。
斯くの
如く世界中で最も
奇妙な、他と変つた動物を産する処は
何処かといへば、無論マダガスカルとニウ=ジーランドとであるが、中にもニウ=ジーランドの方には
獣類が一種も居ないといふのは、
更に
奇妙である。然も
獣類が住めぬ訳では無く、今では
豚も、羊も、犬も、
猫も、
沢山にあり、
豚の
如きは野生で無暗に
繁殖し、農業の
邪魔となる程になつた。所で、地図によると、
此二つの島は地理上にも他に類のない位置を
占めて居る。世界中で
稍大きな島といへば、
悉く大陸と接近したものばかりで、大陸との間の海も浅いものであるが、
此二島だけは大陸との間の海が
甚だ深くて、たとひ、海水が千
尋減じても、大陸と
連絡することはない。
併し地質学上
及び
其他の点から考へると、一度は大陸と続いて居たものらしい
形迹があるが、間の海が
斯く深いのから推せば、
其の続いて居たのは余程古いことで、日本がアジヤから
離れて島となつた時代などに比べれば、何百倍も昔でなければならぬ。若し実際
斯様であつたものと仮定したならば、
此二島に産する動物の
奇妙なことは、生物進化の理によつて、
略了解することが出来る。
動物の種属が総べて共同の先祖から
降つたものとすれば、
獣類でも鳥類でも
何時の中にか
漸々出来た訳
故、
其以前にはまだ世に無かつたに
違ひないが、
獣類のまだ出来なかつた
頃か
又は
獣類が
其処まで移つて来ない前に、島が大陸から
離れたならば、後に大陸の方で
獣類が追々出来ても、
其島には移ることが出来ず、
遂に
其儘獣類なしに済む
筈である。ニウ=ジーランドの
如きは
恐らく
斯かる歴史を経て来たのであらう。
又擬猴類と
称する目は、
獣類の中でもカンガルー族の次に最も古い類で、化石を調べてもカンガルー族に次いで出て来るが、世界上にまだ他の高等な
獣類が出来ず、
僅に
狐猿の族が
蔓延つて居た
頃に、島が大陸から
離れたとすれば、
其島には、後に至つても他の
獣類が入り来ることなく、初め
其島に居たものの子孫だけで、独立に進化して行く
筈である。マダガスカルは
恐らく
斯様にして出来たものであらう。
其頃アフリカの方に続いて居たか、
印度の方に続いて居たかといふ様な
詳なことは素より解らず、今後地質調査や海底測量が進んでも
唯多少推察の
手掛りを得るに過ぎぬであらうが、
孰れにしても不思議ならざる天然の方法によつて、今日の有様に達したものと考へることが出来る。
以上は
無論単に想像で、
到底直接に
証拠立て得べき性質のことではないが、
地殻の
変動と生物の進化とを
認めさへすれば、
現今見る所の
不思議な動物の分布も、自然の経過によつて出来得るものといふだけが解り、
詳細の点は知れぬながらも、大体の
理窟は
幾分か察することが出来る。
若し
之に反して生物は万世不変のものとしたならば、こゝに述べた
如き
奇妙な分布の有様は、
何時まで過ぎても
唯不思議といふだけで、少しも訳の解るべき望もない。
大陸から全く
離れて遠く大洋の中央にある島に
就いて、
其動物を調べて見ると、
又生物進化の
証拠を
沢山に見出すことが出来る。
其一例としてガラパゴス島とアゾレス島とに産する動物の
比較を述べて見るに、アゾレスといふ群島はポルトガルから西へ四百里(注:1560Km)
許りも
隔たつた所の大西洋の真中にあるが、
此処には
蛇・
蜥蜴・
蛙の類は一種もなく、
獣類も
兎・
鼠等の
如き人間の輸入したものの外には、
唯蝙蝠があるだけで、主として産するものは、先づ鳥類と
昆虫とである。鳥類は総計五十種以上もあるが
其中三十種
許りは海鳥
故、
何処へも飛んで行く類で、
此島ばかりに住居を定めて居るものでは無い。残る二十種ばかりが常に
此島に留まつて居る鳥である。所が
之を調べて見ると、総べて対岸のヨーロッパ・北アフリカ等にも産するものばかりで、
此島以外には産せぬといふ固有の鳥は
僅に一種より無い。
而して
是も
唯種が
違ふといふだけで、同属の鳥は大陸の方に
幾らも居る。元来
此島は
皆火山島ばかりで、
何時か遠い昔に
噴出して出来たものに
違ひない
故、
其初めには動物は全く居なかつたと
見做さなければならぬが、
斯くの
如く鳥類は総べて、南ヨーロッパ・北アフリカ辺と同様なものであり、
其他の動物も
悉く風によつて
吹き送られたか
或は
浪によつて打ち寄せられたかと思はれる種類のみである所から
推せば、今日
此島に産する動物は
皆実際
斯くして対岸の陸地から移り来つたものと考へなければならぬ。
ガラパゴス島は南アメリカのエクヮドール国の海岸から西へ
凡三百里(注:1170Km)も
離れて、赤道直下の太平洋の真中にある
群島で、単に地図の上から見ると、ガラパゴスの南アメリカに対する
関係は、全くアゾレスのヨーロッパ・アフリカに対する関係と同じ様である
故、
此島の動物は定めて南アメリカ産と同種なものが多いであらうと
誰も
推察するが、実際を調べて見ると、大体は
矢張り南アメリカ産の動物に似て居るには
相違ないが、
此島ばかりに居て決して他国では見ることの出来ぬ固有の種類が
甚だ多い。先づ鳥類に
就いて言ふに、鳥類は
此島には
殆ど六十種ばかりも産するが、
其中四十種程は全く
此処に固有なものである。海鳥を除いて
勘定すると、
殆ど
悉く固有なものばかりで、
此島に産する陸鳥で、他にも産するものは
僅に一種より無い。
之をアゾレスに固有な陸鳥が一種より無いのに比べると、実に
雲泥の
相違といはねばならぬが、
更に
詳細に調べて見ると、
斯様な
相違の起るべき原因を
容易に発見することが出来る。
アゾレス島のある辺は常から余り海の
穏な処ではないが、毎年春と秋とには極まつて何度も大暴風が
吹く。
其方角は東からである
故、
丁度ヨーロッパ大陸で住処を
換へるために大群をなして飛ぶ陸鳥が、非常に
沢山大西洋の方へ
吹き飛ばされ、
途中で落ちて死ぬるものが
勿論大部分であるが、
尚若干は
此島まで達する。
其頃此島と大陸との間を航海した船長の日記の中に、
疲れた陸鳥が無数に飛ばされて来て、船の中へも落ちた。
其種類は何々である。六十
疋ばかり
籠へ入れて置いたが、
餌を
与へても半分は死んで
仕舞うたなどと書いてあるのが
幾通りもある。
又此島の住民に
尋ねても、毎年暴風の後には、必ず
見慣れぬ鳥を何種も見出すというて居るから、年々確に大陸の方から
幾らかの鳥が飛ばされて来るものと見える。それ
故、
此鳥は大陸から四五百里(注:1755Km)を
離れて居るに
拘らず、大陸からの交通が絶えぬ
故、
何時までたつても種類は大陸のと同様で
相違が起らぬのであらう。
而して
唯一種だけは
如何なる理由によるかは知れぬが、最早長い間一度も大陸の方から来ぬ
故、
此島に居たものだけで独立に進化して、終に
此島固有の種となつたのであらう。
ガラパゴス島の方は
如何と見るに、
此処は赤道直下の有名な無風の処で、海の表面は常に鏡の
如くで、
微な
漣もない。風の
吹くことは
甚だ
稀で、暴風というては何百年か何千年に一度より無い様である。
此島もアゾレス同様に火山質のもの
故、
何時か遠い昔に
噴出して出来たものには
相違なく、今日産する動物は総べて他から移つて来たものと
見做さなければならぬが、
斯くの
如く静な
処故、大陸から鳥の飛ばされて来る様なことは
極めて
稀で、一度
此島に移つた鳥は、大陸の種類とは全く交通
遮断の有様となり、他には関係なく、
此島のものだけで独立に進化する
故、長い年月の後には全く種類の
異なつたものになつて
仕舞ふのであらう。特に面白いことは
此群島は大小合せて二十
許りの島から成り立つて居るが、
其陸鳥を調べて見ると、全体は
略相似ながら、島々により
皆幾らづつか
違つて居る。
是も動物は
漸々進化して形状が変化するものとすれば、容易に理解することが出来るが、
若し生物が万世不変のものとしたならば、アゾレス群島の方では
何の島にも全く同種が産し、
此処では島
毎に少しづゝ種属が
違ふといふ様なことは
如何なる
理窟によるものか、全く解することが出来ぬ。ダーウィンはビーグル号世界一週の際に
此群島にも立ち寄り、
此奇態な現象を見て、生物は
是非とも進化するものに
違ひないといふ考が
胸に
浮んだというて居るが、
是は
然もあるべき
筈である。
尚此外に大西洋のセントヘレナ、太平洋のハワイ群島などの産物を調査して見れば、
何処でも生物の進化を
認めなければ
到底説明の出来ぬ事実を
沢山に発見する。
此等は
略するが、単にこゝに述べた二群島の鳥類だけに
就いて考へても、生物の種属は
漸々進化するものとすれば、総べての
現象が
天然普通の手段によつて生じた有様を
推察し理解することが出来るが、進化論を
認めなければ、
悉く不思議といふだけで少しも
理窟は解らぬ。
且実際に調査した結果は
何時も進化論を基として推察し、予期した所と全く
符合することなどを見れば、
如何しても
此論を正確なものと
認めざるを得ない。
ヨーロッパ・北アメリカなどには、
処々に天然の大きな
洞穴が発見せられてあるが、
其中の最も有名なのがケンタッキー州のマンモス
洞で、
奥までは
何里あるやら解らず、中には広い河があつて、魚・
蝦などが住んで居る。
又オーストリヤ領のクライン地方の山には大きな
洞があつて、
其中に住する一種の'イモリ'は
血球が非常に大きく、
虫眼鏡でも見える程
故、動物中でも有名なものである。
其外にも
稍小い
洞穴は
幾つもあるが、
斯様な処は無論全く
闇黒である
故、常に
其中ばかりに住んで居る動物は
普通の明るい処に住するものとは
違つて、総べて
盲目で、目は形だけがあつても、全く役に立たぬ様に退化して居る。世界の方々から
此様な
洞穴の中に産する動物を集めて調べると、眼の退化する具合に注意しても面白いことを見出すが、
其分布を考へても、進化論によらなければ説明の出来ぬ様な面白い現象を発見する。元来
此種の
洞穴はアメリカのもヨーロッパのも、石灰岩の中に出来たもので、
其中の温度・気候等は全く同一で、
凡此位に
互に相似た場所は他には
稀であると思はれる程であるが、実際
其中に産する動物を検すると、
相離れた処の
洞穴には、一種として同じ種類は無い。
即ちアメリカの
洞穴にもヨーロッパの
洞穴にも産するといふ様な種類は一つも無く、アメリカの
洞穴に居る
盲目動物は何に最も似て居るかと調べると、
却つて
其地の
普通動物中の
或るものに似て居る。
是は進化論を基として考へれば、素より
斯くなければならぬことで、各地の
洞穴の間には直接の
連絡は少しもなく、
又其中に住む動物が自分で明るい処に出ることは決して無い
故、各
洞穴に産する
盲目の動物は
皆別々に
其洞穴のある地方の
普通の動物から進化して出来たものと
見做せば一通りは
理窟も
解るが、
若し
此等の動物は各々最初から今日居る通りの暗い処に出来て、
其儘少しも変化せずに現今まで
代々生存して居るものと考へたならば、
此位、訳の解らぬことはない。始終
闇黒な処に住んで居るに
拘らず、
皆目を有して居て、然も
其目の構造を調べて見ると、
肝心な部分がなくて、単に形を具へて居るといふに過ぎず、
其上全く同様な状態の
洞穴の中に
彼地と
此地とでは全く相異なつた種類が住んで居て、然も
其種類は
相互に似るよりは
寧ろ各
其地の
普通の目の明いた動物の方に近いといふに至つては、
誰が考へても不思議といはざるを得ぬであらう。
生物学者の中で、生物種属不変の説を守つた最後の人はアメリカのルイ=アガシーといふ人であるが、他の学者が
皆進化論の正しいことを
認めた
頃に、
尚独り動物各種は神が別々に
其産地に適当な数に造つたものであると主張して居た。マンモス
洞から
盲目の魚が発見になつたのは、
丁度其頃であつた
故、アメリカの
学術雑誌記者がアガシーに向ひ、
此魚も
斯かる姿に神によつて造られたものであるか、決して元来目の見える魚が
闇黒な
洞穴に入つて、
盲目になつたものとは考へぬかと
尋ねた所、アガシーは
之に対して、矢張り
此魚は今日の通りの姿に、今日居る場所に今日居る位の数に神が造つたものであると答へた。
尤も
此アガシーも死ぬる時分には
遂に進化論の正しいことを
承認したとの
噂であるが、
此人以後には生物学者で生物の進化を
否定した人は一人もない。
斯かる問答が
雑誌に出た
故、
洞穴の動物を
尚一層注意して調べる様になり、
其結果、こゝに述べた様なことが解つて来たのである。今日知れてあるだけの事実から論ずれば、
到底以上の
如き考の起らぬことはいふに
及ばぬであらう。
現今生存して居る飛ばぬ鳥はアフリカの
駝鳥、南アメリカのアメリカ
駝鳥、
印度諸島の
火食鳥、オーストラリヤのエミウ、ニウ=ジーランドの
鴫駝鳥(第五十一図、ロ)などであるが、従来は単に
孰れも飛ばぬといふだけの理由で、
此等を合して
走禽類といふ
一目としてあつた。
併し、善く考へて見ると、
此は
唯運動法のみによつた分類で、
恰も
鯨を魚類に
数へ、
蝙蝠を鳥類に入れるのと同様な不都合なこと
故、近来は
比較解剖の結果、構造の異同を標準として正当な自然分類に改めたが、
之によると、産地の
異なるものは構造も
著しく
違ひ、各独立の一目を成すべきもので、特に
鴫駝鳥の
如きは全く他の類と
違ひ、
寧ろ鴫などの方に近い位である。
斯く飛ばぬ鳥類は世界の
諸地方に
散在し、
何処でも
略同様な生活を営んで居るにも
拘らず、産地が
違へば構造が
著しく
違ふのは
何故であるかと考へるに、
是も生物の進化を
認めれば容易に
了解することが出来るが、生物種属を不変のものと
見做せば少しも
理窟が解らぬ。特に
唯一の神が総べての動物を各別々に造つたなどと思うてかゝれば、同様の生活を営んで居る鳥が、外形は
互に
善く似ながら
彼処と
此処とでは全く別の目に属すべき程に内部の構造の
違うて居ることは、
愈訳が解らぬ。
動物は総べて自然
淘汰によつて絶えず少しづゝ進化し、形状も変じて行くものとすれば、鳥が飛ばずに生活の出来る処では、
翼の発達の度は生存競争の際に勝敗の標準とはならず、
却つて他の体部の発育したものが勝を制する訳
故、代々
其方面に進んで
翼の方は
漸々退化し、短く小くなつて
仕舞ふ
筈である。それ
故、
何処でも若し鳥が飛ばずに無事に生活の出来る事情が生じたと仮定したならば、
其処に居た鳥の子孫が次第に飛ぶ力を失ひ、
翼が小くなつて、
遂に
駝鳥の
如き形になる訳で、決して総べての飛ばぬ鳥が共同の飛ばぬ先祖から
降つたのではない。
又飛ばぬ鳥は飛ばずに無難に生活の出来る
区域より以外には容易に出られぬに極まつたもの
故、
一旦、
翼を失うた鳥が遠く
離れた処に移り行くことは、
到底出来ぬ。それ
故、今日諸方に
散在して居る飛ばぬ鳥は
恰も各地の
洞穴内の動物と同様で、各々
其先祖を異にするものと
見做さねばならぬ。鳥類諸属の進化の
系図を樹の枝に
譬へて見れば、飛ばぬ鳥は
彼の枝の先に一属、
此の枝の
端に一属といふ具合に相
離れてあつて、決して一本の枝から
皆出たものではない。
尤も、追ひ
廻す敵のある処で飛ばぬ生活を営むには、初めから足が相応に達者でなければならぬ
故、
翼の
既に発達した・足の弱い鳥が、
此方面へ向うて進化することはないであらうが、
斯様な敵の無い処では、
随分、
鳩の
如き種類でさへ飛ばぬ様になる。マダガスカルの東にあるモーリシアス島には二百年
許り前まで、
愚鳩というて七面鳥より
稍大きな
頗る
肥えた鳥が住んで居たが、
翼が
甚だ小く、飛ぶ力が全く無く、運動が至つて
緩慢であつた
故、
其頃此島に立ち寄つた
水夫等が面白半分に無暗に打ち殺したので、
忽ちの中に種属が断絶して
仕舞うた。
骨骼も写生図もあるが、
惜しいことには全身の
剥製標本が
何処にもない。
此鳥などは、実に
如何なる鳥でも飛ぶ必要が無くなれば、
漸々飛ばぬ鳥になるといふことの好い例である。ニウ=ジーランドの
鴫駝鳥も
幾分か
之に似た例で、鳥類の大敵である
獣類の居ない処
故、夜間、虫などを
捜し歩いても、
狐や
鼬に
出遇ふ
恐もなく、無難に生活して居たが、西洋人が入り
込んでから、
猟犬なども
沢山に
殖えた
故、
此鳥の運命は余程危くなり、年々著しく減少するから、遠からぬ内には
孰れ種が
尽きるであらう。
此等の事情から考へて見ると、先祖は
如何なる形の鳥であつたか解らぬが、
兎に角、全く敵が無くて飛ぶ必要が無かつたために、今日の
如きものになつたと
見做さねばならぬ。
詰まる所、動物種属は絶えず
漸々進化するもので、
其主なる原因は自然
淘汰にあるとすれば、飛ぶ必要の無い処には
何処でも飛ばぬ鳥が生じ得る訳であり、
且飛ばぬ鳥は
離れた国々に移住することの出来ぬもの
故、世界各地に産する飛ばぬ鳥は各祖先を異にするものと
見做さなければならぬが、実際を調べた結果は、全く
此予想と
一致したのである。
是も確に進化論の正しい
証拠といつて
宜しからう。特に前に述べた高さが二間(注:3.6m)以上もある大鳥は、
唯獣類の全く居ないニウ=ジーランドと
擬猴類ばかりで
獣らしい
獣の居ないマダガスカルとに限つて生存して居たことを考へると、
益々生物の進化の真なることを感ぜざるを得ない。
アジヤとオーストラリヤとの間には、大小種々の島が
恰も飛石の
如くに列んであるが、
其中ジャヴァの東に当つてバリ・ロンボクといふ二つの小い島がある。
此島の間の
距離は十里(注:39Km)にも足らず、
殆ど両方から見える位であるが、
其産物を調べると大に
違ひ、バリの方に産する動物は、総べてアジヤ産のものに
類似し、ロンボクの方に産するものは、
之と全く異なりて、
明にオーストラリヤ産のものに似て居る。
此二島を中心として、
其両側にある島々の動物を比べて見ると、バリより西北に当るボルネオ・ジャヴァ・スマトラ等には、
象・
犀の類を始めとして、総べてアジヤに固有な
獣類・鳥類ばかりが
産し、ロンボクより東にある島々にはオーストラリヤ大陸と同様で、
普通の
獣類は一種もなく、
唯カンガルーの族ばかりが生活し、鳥類も全くオーストラリヤ産に似たもののみである。
尤もセレベス島の
如きは、
孰れの組に属するか、判然せぬ点もあるが、先づ大体からいへば、バリとロンボクとの間に線を引けば、
其線によつて
此辺にある
沢山の島をアジヤに属する組とオーストラリヤに属する組とに分けることが出来る。
此事は数年間
此地方に留まつて、動物分布の有様を調べたウォレースの発見に係る
故、通常
之をウォレース線と名づけて、動物分布
区域の
境界線の中、最も有名なものとなつて居る。
此辺の諸島は
孰れも気候・風土は善く相似たもので、どの島の動物を、どの島に移しても差支へなく生活の出来る様な処であるのに
拘らず、
斯くの
如くウォレース線によつて
明に二組に分かれ、各産物を異にするのは
如何なる理によるかと考へるに、生物種属を
以て全く不変のものと
見做さば、少しも
理窟が解らぬが、生物種属は
漸々進化するものとすれば、次の
如くに想像して容易に
之を説明することが出来る。
即ち最初アジヤとオーストラリヤとは全く陸続きであつたのが、
或る時先づバリとロンボクとの間にて切れ
離れ、それより
遙に後になつて、他の島々が
皆離れたものと仮定したならば動物分布の有様は、
丁度今日の実際の通りになるべき訳である。
而して
試に
此辺の海図を開いて見ると、アジヤ組の島々とアジヤ大陸との間の海は
甚だ浅くて
百尋(注:180m)にも足らず
又オーストラリヤ組の方でも大きな島と陸地との間は同じく海が浅くて
百尋にも足らず、
而して
此二組の間は中々深く、
千尋(注:1.8Km)・
二千尋(注:3.6Km)以上に達する所もあるから、
此想像は単に空想ではない。地質学上から
推せば最も実際にあつたらしいことであるが、若し
其通りであつたとしたならば、世界中に未だカンガルーの
如き類ばかりで他に
獣類の無かつた
頃に、
此線の処でオーストラリヤがアジヤから切れ
離れ、オーストラリヤの方ではカンガルーの類が独立に進化し、
諸方の島々の辺に分布して居た
頃に
及んで、
此等の島々が本大陸から切れ
離れ、
又アジヤの方では、他の
獣類が出来て、象や
犀などが今のボルネオ、ジャヴァ等のある辺まで広まつた後に、
此等の島が大陸から
離れて、
其結果今日の
如き分布の有様を生ずるに至つたものと考へることが出来る。
斯くの
如く、生物の進化を
認めさへすれば、
此辺の
奇態な動物分布の有様を最も自然に
且最も
明瞭に説明することが出来るのである。
是も
進化論の有力な
証拠の一といふべきものであらう。
終りに
我国の動物分布の有様は
如何と見るに、全体からいへば、
無論アジヤ産のものに似たものばかりであるが、本州・四国・九州産の動物には日本固有のものが
頗る多い。
狸・
熊などは
支那・チベットの方に産するものと極めて似て居て、
之を同種と
見做す人もある位であるが、日本の
猿・
猪・
羚羊・
鹿・
狐・
鼬・
穴熊等の
如きは、日本以外には
何処にも産せぬ。然るに
津軽海峡を
越えて北海道に
渡ると、鳥類・
獣類ともに大に異なり、日本に固有なものは
殆ど一種も産せず、
此処に居るものは
皆シベリヤ地方に産するものと同種である。
熊も日本国有の
月輪熊でなくて、北方に
普通な
羆であり、
鹿も内地の
奇麗な
鹿とは別種で、
鼬も
蝦夷鼬といふ冬は白くなる種類であるが、
是はシベリヤからヨーロッパまでも
普通なものである。鳥類に
就いて言へば、
雉子・ヤマドリなどは日本固有の鳥であるが、北海道には産せず、北海道に産する鳥類は
皆シベリヤ地方と共通なものばかりで、
其多数は内地にも居るが、
津軽海峡以南には全く産せぬ種類も七種ばかりある。
斯くの
如く本州・四国・九州産の動物には日本固有のものが
頗る多いが、北海道に固有な動物というては一種もない。
又日本固有のものは
何処の産に最も似て居るかと
尋ねると、北海道産のものに似るよりは
遙に
朝鮮・
支那産の方に善く似て居る。
此等のことも動物各種が
皆其場所に別々に造られ、少しも変化せずに今日まで続いたものとしたならば、
唯何の意味もないことであるが、進化論から見れば、
頗る
興味のあることで、
且明瞭に
其意味が解る。日本が
極昔にアジヤ大陸の一部であつたことは
疑もないが、先づ本州・四国・九州だけが大陸から
離れ、
其後余程長い年月を経て、
比較的近い
頃になつて北海道が大陸から
離れたと仮定すれば、動物分布の
模様は
是非とも今日の通りにならざるを得ぬ次第で、本州・四国・九州は大陸と
連絡してあつた間は、大陸と全く同種の動物が居たが、
離れてから後は
此方だけで独立に進化したため、多くの固有の種類が出来たのであり、
又北海道は余程近い
頃まで北アジヤと陸続きであつて、
離れてからはまだ間も無い
故、種類が異なるまでに至らぬのであらう。北海道の
鳥獣と内地の
鳥獣とが
此様に
違ふことは、前年
函館に住んで居たブレキストンといふ英国人が初めて調べた
故、
津軽海峡に
於ける動物分布の
境界線を往々ブレキストン線と名づけるが、同じ一列をなせる日本群島が動物分布学上、
此線によつて
判然と南北二組に分かれるといふ事実は進化論によれば、以上の
如くに想像して、一通り
其理を解することが出来る。当今の所では
此外には説明の仕様もない様であるから、先づ
之を取るの外はなからう。日本に
限らず、
何処の国でも
詳に調べさへすれば、
此類の事実は
幾らもあるが、進化説によれば、
是が総べて説明が出来るに反し、進化説を
認めなければ、
是が
皆偶然のこととして少しも
理窟が解らぬ。
以上第九章より第十二章までに述べた
如く、
解剖学上・発生学上・分類学上・分布学上の事実を調べて見ると、生物種属の進化し来つたことは疑ふべからざることであるが、以上の事実は
唯進化論を
認めなければ
如何しても説明することが出来ぬといふ性質のもので、
所謂事情の上の
証拠である。それ
故、
此等の事実ばかりを
以て生物の進化を論ずるのは、
即ち現在の有様を基として、過去の
変遷を
推察するといふに止まるが、本章に説く所は大いに
之と
違ひ、古代に生存して居た動物の
遺体に
就いて生物進化の
事蹟を述べるのであるから、議論でなくて単に
記載である。今までに
略述しただけでも進化の
証拠は十分であるが、今から説くことは進化の事実
其物で、例に
掲げる標本は、
皆、アメリカ・ヨーロッパ
諸国の博物館に
陳列して、
誰にも見せて居るのであるから、
如何しても
疑ふことの出来ぬ性質のものである。
古生物学上の事実を述べるに当つて、特に初めから注意して置かなければならぬのは、時の長さに関して正確な
観念を持つことである。
此観念が
間違うて居ては、生物進化の
事蹟を正当に理解することは出来ぬ。古生物学で研究するものは
所謂化石であつて、化石は言ふまでもなく、古代に生活して居た動植物の
遺体であるが、
此化石といふものは一体
何時頃如何なる事情の下に出来たかと
詳しく論ずるには、先づ一通り
地殻の
変遷のことから考へてかからねばならぬ。
今日地球の表面を見るに、山が海になり、海が山に変ずる様な
劇烈な大変化は極めて
稀で、それも極めて
狭い
区域に限られてある
故、全体から論ずれば、
急劇な変化は先づ無いといはねばならぬが、細かに注意すれば、
徐々の変化は日夜絶えず行はれて居ることが解る。例へば雨が
降れば
直に河の水が
濁るが、水の
濁るのは
何処かの山や野から
泥砂が
沢山に流れ
込んだ結果で、水の流れて居る間は
浮んで居るが、海へ出れば重いものは
総べて
沈んで
仕舞ふ
故、大きな河の出口には、
斯様な
泥砂が
漸々堆積して三角形の
洲が出来る。
支那の黄河や
揚子江が絶えず
濁つて居るのも
皆斯様な
泥のためであるから、年々、
此等の河が陸から海へ持ち出す土の分量は
随分夥しいことであらう。世界中
何処へ行つても
理窟は
此通りで、大きな河でも、小な河でも、絶えず
陸から
幾らかの土を海へ流し出すが、
其中、
粗い
砂粒は河口に近い処で
沈み、細かい
泥は遠い
沖まで漂うて行き、終には
矢張り
沈む
故、海の底には絶えず、
泥が積つて、新しい
層が出来る。
斯かる層は最初は無論
柔いが、厚く積れば下の方の部分は上からの圧力によつて
段々固まり、終には
堅牢な岩石となつて
仕舞ふ。
又斯様な層は初め水平に出来るが、
地殻の
昇降により、一方が上り、一方が下つて
斜に
傾き、一部分は海面より現れて陸となり、他の部分は
其儘海の底に
隠れた
儘で留まる。水上に現れた処は
又漸々雨風に
壊され、
泥砂となつて、海へ出て、
更に
沈んで海底に新しい層を造り、絶えず
此順序によつて
地殻に変化が起るが、
斯かる
泥砂の
凝まつて出来た岩は、水の底に出来た岩
故、
之を水成岩と名づける。
水成岩は
皆層をなして居るは、
勿論であるが、生物の死体が化石となつて保存せられたのは、総べて水の底に
泥の
溜まるとき
其中へ落ちて
埋もれたものばかりに限る
故、化石を
含んで居るのは水成岩のみである。
水成岩は
斯様に
漸々出来たもの
故、一層
毎に
其出来た時が
違ひ、下に
敷かれて居る方は古く出来た層で、上に重なつて居る方は新しく出来た層である。
又孰れの層にも多少の化石が
含まれてあるが、毎層
含む所の化石が
違ひ、
殆ど一層
毎に固有の化石の種類が一つや二つは必ずある
故、
離れた処にある水成岩でも、同じ化石を
含むものは同じ時代に出来たものと
見做し、
之を標準として他の層の新古の順序を定めることが出来る。
此方法により、今日知れてあるだけの水成岩を研究し、
其全体の厚さを測つて見ると、日本の
里程に計算して十里(注:39Km)以上になるが、海の底に
泥砂が
漸漸に積り、それが
凝まつて厚さ十里以上の
堅牢な岩石が出来るには、
凡如何程の時を要するであらうか、百年を一世紀と名づけて時の最も長い単位として用ゐて居る
我々では、
到底想像して見ることも出来ぬ。
右は単に陸地から海に
泥砂が流れ入るだけで、水成岩が出来る
如くに書いたが、実際は
斯様なものが流れ
込まずとも海の底に新な層の積り生ずる原因は他にも種々ある。例へば海の表面・水中ともに
微細な虫類・
藻類などが
幾億とも数へられぬ程に
浮いて居て、常に水中より石灰・
珪酸等を吸ひ取つて
殻を造り、死んで
仕舞へば
殻だけが底に
沈む
故、深い海の底では常に上から
斯かる虫や
藻の
殻が雨の
如くに
降つて、
是ばかりでも中々大きな地層が出来る。大西洋の中央には余程広い間、全く
斯様な
殻ばかりで底の出来て居る処があるが、後には
是が
凝まつて、固い岩石となる。
美濃国赤坂から出る有名な
鮫石などは
斯様にして生じた岩石の一例であるが、エジプトのピラミッドは
殆ど
此類の岩石ばかりを用ゐて造つてある。
以上述べた所は、今日
地質学に
於て確に解つてあることの中から、一部だけを
極めて
簡単に説いたに過ぎぬが、
此等のことを
詳細に論ずるのは、地質学の
範囲内で、こゝに述べた
如きことは
如何なる地質学書にも
尚明細に
記載してある
故、本書には
略する。こゝでは
唯化石を
含む水成岩が出来たのは
我々の考へられぬ程の昔からであることが解りさへすれば、それで
宜しい。地球が出来てから今年で何年になるとか、人類が初めて現れてから何年になるとか、いふことが、往々
雑誌などに出て居るが、総べて全く
架空の考ばかりで、一として信ずべきものはない。今日
我々の断言の出来ることは
唯地球の歴史は非常に長いといふことだけで、数字を
以て
其長さを
示すことなどは
到底出来ぬ。
併し、長い短いといふのは
比較的の言葉で、
唯長いというたばかりでは、
何の位長いのか解らぬ
故、
之を人間の歴史に比べて見るに、エジプトのピラミッドなどは六千年以上の昔に造つたもので、先づ最も古い人間の
遺物であるといふが、地球の歴史から見れば、六千年位の短い年月は
到底勘定にも入らぬ程である。総べて大きな物を測るには大きな単位を用ゐなければならぬもので、書物や
机の
寸法は尺(注:30cm)と寸(注:3cm)とで言ひ表せるが、国と国との
距離は里(注:3.927Km)を単位に取らなければならず、
又星と星との
距離を
測るには里では
到底間に合はぬ
故、三千七百万里(注:14,530Km)もある地球と太陽との間の
距離を単位として言ひ表し、
尚遠い星の
距離を測るには
更に地球太陽間の
距離の百六万九千倍もあるシリウス星までの
距離を取つて単位とせなければならぬのと同じ
理窟で、時の長さを測るに当つても、
所謂万国史
位には年を単位に取るのが
相応であるが、真に地球の
歴史を論ずるに当つては、
到底、年を単位にする様なことでは間に合はぬ。
地質学で
地殻変遷の歴史を
述べるには、
之を
若干の代に分ち、各代を
更に
数多の紀に分つて論ずるが、
此紀と名づけるものは、決して
皆同一の長さのものではなく、一と百、
又は一と千位の
割合に長さの
違ふものがあるかも知れぬ。
併し、
孰れにしても一万年や十万年位の短いもので無かつたことは確である。西洋の
暦には
尚往々
天地開闢紀元六千何百何十年などと書き入れたものがあるが、今日の地質学上の
知識を
以て見れば、実に
滑稽の
極といはねばならぬ。地球の歴史は
斯様に長く、
随つて生物の歴史も同じく長い時を経て来たものであるが、生物種属の
起源などを論ずるに当つては、
此事は少時も
忘るべからざることである。
化石は古代の生物の
遺体で、
各地層の出来る
頃に生活して居たものの化石が、
其層の中に
含まれてある訳
故、
若し昔住んで
居た動植物が総べて化石となつて、
其儘完全に今日まで残つて居たと想像すれば、生物進化の
径路は
之によつて
明に知れる
筈であるが、
実際には化石といふものは人の知る
如く
珍しいもので、一つ発見しても
直に
之を
博物館に
陳列する位
故、
之を今日まで長い間に地球上に生活して居た生物個体の数に比べれば、実に
九牛の一毛にも
及ばぬ程である。それ
故、化石によつて生物進化の
系図を完全に知ることは素より望まれぬことである。
先づ
如何なる動物が
如何なる場合に化石になつて後世まで残り得るかと
尋ぬるに、
介殻とか
骨骼とかの
如き
堅い部分のある動物でなければ化石となることはむづかしい。
尤も
海月の
完全な化石が一つ発見になつたことはあるが、
是は極めて
稀なこと
故、例外とせねばならぬ。
又善く
保存せられるときには、
微細な点まで残るもので、魚類の化石の
筋肉の処を少し
欠き取り、
之を
砥石で
磨つて
極薄くし、
顕微鏡で見ると、生の魚の筋肉に
於ける通りに
判然と筋肉
繊維の
横紋までが見えた例もあるが、通常は
腐敗し易い体部は残らぬもので、貝類・
海胆類ならば
介殻ばかり、
蝦・
蟹の類ならば
甲ばかり、魚類・鳥類・
獣類等ならば
唯骨骼ばかりが化石となつて残るものである。
何処の博物館に行つて見ても、化石といへば
皆斯様な物だけに
過ぎぬ。
又如何に
堅い部分のある動物でも、死んでから風雨に
暴されては
総べて
砕けて
仕舞うて化石とはならぬ。
介殻でも、
骨骼でも、
凡動物身体の中で
堅牢な部分は、
大抵石灰質のもので、風雨に
遇へば
漸々白堊の
如くに
脆くなる
故、細かい
泥の中に
埋もれでもせなければ、形を
崩さずに化石になることは出来ぬ。
而して細かい
泥に
埋もれることは水の底に落ちなければ
殆ど無いことであるから、大体からいへば、動物は水中に
沈んだものでなければ化石とはならぬ。所が、動物の生活の有様から考へて見ると、死体が水の底に
沈んで、
泥によつて全く
埋められるといふ
機会は決して
沢山は無い。特に
陸上に住む鳥類などに
就いて論ずれば、
老いて死んでも、弱つて死んでも、
凡静な
天然の死に様をしたものは、水の底に落つることが中々無い
故、
皆砕けて
仕舞うて化石とはならぬ。
尤も火山の灰に
埋もれたり、
沙漠の
塵埃に
被はれたりして、化石となつたものが無いではないが、
是は極めて
稀な場合
故、陸上の動物は
洪水でもあつて
溺死した処へ、
速に
泥が
被さる様なことでもなければ、先づ化石となつて後世まで残る機会は無いというて
宜しからう。それ
故、実際生存して居た動物個体の何万分の一か
何億分の一かだけより化石とはならぬ
筈であるが、
其化石を
我々が見出す機会が
又甚だ
稀である。
近頃は
西洋諸国は
素より日本までに、
政府で立てた
地質調査所などがあり、化石の
採集に
尽力する人も中々多くなつて、古生物学は
著しく進歩したが、地球の表面全体に比べていへば、今までに化石を
掘り出した
処は、実に
僅少で、
唯ヨーロッパに
若干とアメリカ・アジヤに
数箇所とあるだけで、
一般にはまだ全く手が着けてない。
殆ど広い
座敷を
二三箇所、
針の先で
突いた位により当らぬ。
其上、化石は
皆不透明な岩石の中に
隠れて居る
故、
網や
鉄砲を持つて
昆虫・鳥類などを追ひ
廻すのとは
違ひ、
狙ふ目的が無いから、
偶然に発見するのを楽みに、
唯無暗に岩を
割つて見るより外に仕方が無い、
仮令表面から
僅に一
分(注:3mm)だけ内に
隠れて居ても、外から少しも解らぬ
故、容易に発見は出来ぬ。化石となつて残るものが
既に少い上に、
之を調べた場所がまだ
極めて少く、
然も発見するのは総べて
偶然であるから、今日知れてあるだけの化石の種類は実際過去に生存して居た生物の種類の数とは
殆ど
比較にもならぬ程少いのは
無論のことである。
尤も今日西洋の博物館で化石の多く
保存してある処に行つて見ると、
其種類の多いのは実に
驚くべき程で、
皆集めて調べると、
獣類などは化石として知れて居る種類の数は、
殆ど現在生きて居る種類と同じ程もあり、貝類の
如きは化石の種類の方が
遙に多い
故、
此有様を見ると過去の動物は最早十分に知れ
尽してあるかの
如くに感ずるが、過去の時の長さを考へ、各時代に
皆動物の種類の異なることを思ひ、
且以上述べた
如き事情を考に入れると、
此等は真に過去の動物界の極めて
僅少な一部分に過ぎぬことが解る。我国などでも、東京や
横須賀辺から大きな象の
骨が
掘り出されたり、
美濃の国からは何とも知れぬ
奇態な
獣の
頭骨が発見せられたことなどもあるから、
過去には種々様々の動物が
棲んで居たに
違ひない。然るに
獣類の化石の
掘り出されたことは極めて
稀で、然も
皆破片ばかりに過ぎず、鳥類に
至つてはまだ一つも化石の発見せられたことを聞かぬ。
此等から
推しても、古生物学の材料の不完全なのを察することが出来る。
化石は生物の歴史の天然の記録ともいふべきものであるが、
斯くの
如く極めて不完全な記録であるから、
到底之に
拠つて生物の
系統の全部を細かい点まで
残らず知ることは出来ぬ。化石として出て来ぬ動物は、実際世の中に居なかつたかの
如くに考へ、今日知れて居る化石の種類だけを組み上げて動物の
系図を造らうとするのは素より
大間違ひであるが、最も古い
地層から最も新しい地層までの間の化石を時の
順序に列べて
比較して見ると、生物の進化し来つた大体の有様だけは
略察することが出来る。
又近頃は研究の方法が
丁寧になり、同一の場所を十分
精密に調べる様になつた
故、古い層から新しい層までの化石が
余程完全に
揃うたものも出来て、今日では
最早若干の動物種属に
就いては先祖から
子孫までの化石を列べて、
其進化の径路を目前に示すことが出来る様になつた。
尤も
斯かる動物は
現今の所ではまだ
甚だ少数であるが、極めて不完全なるべき古生物学の
材料の中に、
仮令少数なりとも
斯様な
例のあることは、生物進化の動かすべからざる
証拠といはねばならぬ。
先づ化石全体に
就いて論ずるに、化石を
含む水成岩の
起源は
既に前にも
略述した通り、水の底に
沈澱して出来たもの
故、必ず層をなして居て、毎層
其出来た時が
違ふものであるが、
其中なる化石を調べると、
一層毎に多少の
相違があつて、全く同じものは一つもない。それ
故、地質学者は一層毎にある固有の化石を
手掛りとし、今日知れてある総べての
水成岩を
其出来た時の順序に
従うて重ね、水成岩の出来始めから今日に
到るまでの間を各層に相当する時代に分けて論ずるが、先づ全体を
大別して
始原代・
太古代・
中古代・
近古代の四とし、
更に各代を若干の
紀に分ける。
此等の各時代に
如何なる動植物が生存して居たかを
詳しく調べるのは、
所謂歴史的地質学の
範囲内で、
是だけでも
立派な一科であるから、こゝには素より一々述べることは出来ぬが、
其大体をいへば始原代の層からは化石の出ることが極めて少い。太古代からは主として魚の化石が出る。
尤も、魚というても今日の魚とは全く
違ふ。
又植物では主として
羊歯の類が出る。中古代からは主として
蛙・
蜥蜴の類の化石が出るが、
是も今日のものとは非常な
相違である。
而して植物は全く
松柏の
如き
裸子類ばかりである。近古代に至つて初めて
鳥獣や
被子植物の化石が
沢山に出るが、
是も大部分は今日のものとは全く
別種である。
又斯様に四代に分けるが、
其長さは決して相均しいといふ
訳ではない。仮に水成岩の各層の厚さは
其層の出来た時の長さに比例するものと
見做して計算しても、始原代は
殆ど全体の
六割程を
占めるに反し、太古代は三割弱、中古代は一割強、近古代は
僅に四十分の一に過ぎぬ。
而して
石器の
砕片などがあつて、人間の居たといふ
証拠の確にあるのは、近古代の中でも
最近の極めて
薄い層だけである。
さて以上の各地層から出た化石を見るに、現今のものと同種類の動物は
僅に近古代に
幾らかあるだけで、中古
以前には
殆ど一種もない。
若し生物種属が万世不変のものとしたならば太古代からも現今と同種類なものが
幾つか発見せられさうなものであるが、実際一つも無いのは
何故であらうか。始原代からは一体に化石が余り出ないのであるから、今と同じ種類の動物の化石が出ないからというても別に
不審はないが、次の太古代からは魚類の化石だけでも
随分沢山に出で、
既に何百種も知れて居るに
拘らず、一として今日の種類は無い。今日生きて居る魚類は一万種以上もあるが
是が
皆天地開闢の初めから別々に造られたものとしたならば、太古代から何百種も出た魚の化石の中に少しも
混じて出ぬといふことは、何とも解すべからざることである。魚類に限らず、総べて他の動物も
此通りであるが、現今の動物の中で、
骨骼や
介殻を備へて最も化石になり
易さうなものだけを数へても、確に五万以上はあるに
拘らず現今の動物と同種の化石が出て来るのは
僅に水成岩全体の
厚さの四十分の一に相当する近古代だけで、太古代からも中古代からも全く一種も出ぬことは、実に不思議といはねばならぬ。
現今生きて居る動物と化石とを
比べると、右の通りであるが、各地層から出る化石を
互に
比較しても、
矢張り同様で、近古代から出る化石は中古代からも太古代からも出ず、
又中古代から出る化石は太古代からは出ぬ。
尚太古・中古・近古の各代を若干の
紀に小分して見ても、二紀に
亘つて同種の化石の出ることは
甚だ少い。数紀に通じて同種の化石の出ることは
殆ど
皆無である。
尤も同属・同科に属する生物の化石は数紀
或は数代から続いて居ることもあるが、種は総べて異なつて居る。
又動物種属の断絶することを考へて見るに、近古代から化石となつて出て来る種類には、
現今尚生存して居るものが
幾らかあるが、
其大部分は
既に死に絶えて
仕舞うて、今日は無くなつた。中古・太古の動物に
至つては、一種として今日まで残つて
生存して居るものは無い。前にも述べた通り、
我々の目に
触れる化石は実際に過去に生存して居た種類総体に比べたならば、
比較にもならぬ程少いものであるが、
此等を想像して加へて見ると、一度世の中に生存して、後に死に絶えて無くなつた動物の種類の数は何百万あるか解らぬ。若し
天地開闢の時に若干の動物が造られ、
其儘変化せずに代々
降つたものとすれば、
斯様な動物も今日
尚生きて居る動物と共に
其時造られたと考へねばならず、
其後一種が断絶する
毎に世界の動物が一種づゝ減じて、終に今日の有様になつた
訳に当るが、後の地層から出る種類の化石が決してそれより前の
地層から出ぬといふ事実は、全く
此想像と
衝突する。
斯の
如く化石の種類は地層
毎に異なり、各々
或る時代の地層に限られて前にも後にも無いから、時の順序に
随うて太古代の下の層から近古代の上の層までを表に造り、
其中に化石の種類を各
其時代の処に書き
込んで、然る後に
之を
通覧すると、
恰も
甲の種類の消える
頃には
乙の種類が現れ、
丙が
衰へれば
丁が
栄えるといふ様に、常に
新陳代謝して今日に
至つた
如くに感ずる。
尚之を属・科・
目・
綱等に分類して、似たものを
繋ぎ合せると、各
綱・各目等にも
盛衰のあつたことが
明に解る。例へば太古代の地層からは種々の化石が出るが、
其中最も高等なものは魚類で、種類も極めて多くあつたらしい。魚類以上の身体を有する動物の化石が一つも出ぬ所から
推察すると、
其頃魚類の敵となるべきものは
殆ど無い位で、魚類全盛の世であつたと思はれる。魚類は
尚今日も
沢山に生活して居ること
故、魚類といふ
綱は太古代から今日まで続いて居るが、
更に
之を小分して、
如何なる
目の魚類が居たかと調べると、太古の魚類と今日の魚類とでは実に大きな
相違があり、太古の魚に似たものは今では
僅に石狩川に産する
蝶鮫位で、今日
盛に
棲息する
鯉・
鮒・
鯛・
鰹等の
如き種類は太古には全く無かつた。
又中古代の地層から出た化石で
著しいものは、
両棲類・
爬虫類であるが、
是も今日の
蛙・
蜥蜴とは種属が全く
違ひ、
孰れも大きなもので、
鯨の
如くに海中を泳ぐ類もあれば、鳥の
如くに空中を飛ぶものもあり、四足で陸上を歩くものもあれば、
袋鼠の
如くに後足だけで立つものもあり、まだ鳥類・
獣類ともに出て来ぬ時
故、陸でも、海でも、森でも、野でも、向ふ所敵なしといふ有様で、
其盛であつたことは真に予想外である。分類上は単に
爬虫類・
両棲類といふが、
斯く種類の多かつたこと
故、一々調べて見ると、種々に性質の異なつたものがあり、海中を泳ぐ類では身体の形も
殆ど魚類の
如く、四足ともに
鰭の形をなし、
骨骼にも
幾分か魚に近い性質が現れて居るが、後足ばかりで立つ種類は
皆頸が長く、
嘴も
稍突出し、
腰の
骨も余程鳥類に似た形状を
呈して、全体が
頗る鳥らしくあるなど、今日のものに比べると、形状・構造ともに
遙に変化が多かつた。今日でも
蜥蜴・
亀・
蛙の類は相応に居る
故、
両棲類・
爬虫類の
二綱は共に中古代から引続いて居るには
違ひないが、
其盛な時代は中古代と共に過ぎ去つて、今日では
到底其当時の
面影は無い。次に近古代の化石は
如何と見るに、
此時代から出る化石は主として鳥類・
獣類で、中にも
獣類の方は種類も
甚だ多く、非常に大きな形のものなどが居て、
頗る盛であつたらしい。今日と
違ひ、まだ人間の居ない
頃故、陸上では
獣類に敵するものは無く、空中では鳥類に敵するものはないから、両方とも十分に発達して、頭数も余程多く、
何処にも
沢山に居たものと見え、
狭い処から
随分夥しく化石が
掘り出された例が
珍しくない。
或る人がギリシヤ国のピケルミといふ
処で、
幅六十歩、長さ三百歩に足らぬ処から、古代の
象の類を二種、
犀の類を二種、非常に大きな
猪の類を一種、今のよりは
更に大きな
駱駝を一種、
麒麟を一種、
猿を数種、
獅子の類、
鼬の類、
羚羊の類などを二十種
許りと、他に名の
附けられぬ古代の
怪獣を
沢山に
採集したことがあるが、
是だけの
獣類が
一箇所に集まつて居る様なことは、今日は決して無い。
其頃の
猛獣には短刀程の
牙を持つた
虎の類を始め、実に
恐しいものが多数にあつた。
又今日では
象が陸上動物の中の最大なものであるが、西洋の博物館に列べてある化石の
獣類には象より大きなものが
幾らもある。前にも述べた通り、
獣類に
攻められぬ処では、近代まで非常に大きな鳥が住んで居た。
此等から考へると、先づ鳥類・
獣類の全盛時代は人間の出来るまでの近古代であつたと
見做さねばならぬ。
斯くの
如く毎時代に盛な動物の種類が
違ひ、
恰も
我国の歴史中に
平家・
源氏・
北条・
足利などが起つては
倒れた
如くに、動物界に
於ても新しい類が出来れば、古い方が
衰へ、常に
変遷して止む時は無いが、生物が進化するものならば、
素より
斯くあるべき
筈である。
之に反して生物を万世不変のものと
見做すときは、こゝに述べた
如き事実は、少しも
了解することが出来ぬ。
第五十二図 中古代の海産蜥蜴
現今の動物中で、分類上最も
区域の
判然した
部類は何であるかといへば、
恐らく鳥類であらう。身体の表面に羽毛を
被り、
前肢が
翼の形をなして
居るものは、鳥の外には無いから、
或る動物を
捕へて
是は鳥であらうか、
又は鳥以外の動物であらうかといふ
疑の起ることは
絶えて無い。
併し、
是は現在の動物だけに
就いていうたことで、古い
地層から出て来る化石までを
勘定に入れると、決して
斯くの
如くは言はれぬ。中古代は
鰐・
蜥蜴の類の最も盛な時代であつたことは、前に
述べたが、
其頃の
蜥蜴類の中には上の図に
掲げた
如くに、後足だけで立ち、
腰の
骨なども
余程鳥類に近い類が
沢山にあつて、
之を列べて見ると、
恰も
蜥蜴から
漸々鳥類に変じ行く順路の
如くに思はれる。
斯く進んで
或る処に達すれば、分類上、最早、
蜥蜴の類に入れることも出来ず、
又明に鳥類の方に
編入することも出来ぬ様なものになる
筈であるが、こゝに図に
掲げたのは、実際
斯かる有様の動物で、
丁度蜥蜴類と鳥類との性質を半分づゝ備へて居る。
此化石を研究した学者の中、
或る人は
之を鳥類に入れ、
或る人は
之を
蜥蜴類に入れて議論も
随分あつたが、
斯く
議論の一定せぬのは、
詰まり
此動物が鳥と
蜥蜴との中間に立つからである
故、今日の所では、
之を鳥類の出来始めと
見做してある。
第五十三図 古代の蜥蜴類
此化石の
略完全なものは
現今二つより無い。羽毛一枚位は他の博物館で見たこともあるが、全形の解るものはロンドンとベルリンとの博物館に各一個づゝあるだけで、
孰れも
鄭重に保存してある。両方ともに発見せられた処は、ドイツ
聯邦の一なるバイエルン国のソルンホーフェンというて、有名な
石版石の出る村であるが、ここは
奇態に完全な化石の出る
処で、
海月の化石などといふ実に
珍しい品もここから発見になつた。
丁度こゝにヘーベルラインといふ化石の好きな医者が住んで居て、常に面白い化石を
掘り出すことを楽みにして居たが、こゝに
述べた化石の一を千八百六十一年に発見し、
其後十六年を
過ぎて
明治十年に至り、
又他の一を発見した。ロンドンにあるは、
其古い方で、頭の処が欠けて居るが、ベルリンにある新しい方は、
殆ど完備して、全部
明瞭に解る。
此動物の
形状をいうて見れば、前の図に示した通りで、上下の
顎は鳥の
嘴とは全く
違うて、細かい歯が列んで生え、前足からは
立派な羽毛が生えて居るから、
翼と名づけて差支へはないが、指が三本もあつて各
末端に
爪を備へて居る。特に
現今の鳥と
著しく
違ふ所は
尾の
骨である。
現今の鳥にも
孔雀・ヤマドリ等の
如く
尾の長いものは
幾らもあるが、
是は
皆尾の羽毛が長いばかりで、
骨骼にして見れば、
孰れも
尾は極めて短い。然るに
此動物では
尾の骨が
蜥蜴か
鼠の
尾の
如くに長く、
脊椎が二十個以上も連なつて
尾の
中軸をなし、
其両側から羽毛が列んで生えて居る。一言でいへば、
此動物は
骨骼からいへば、
其頃の
蜥蜴類の
或る種属と
甚だ似たもので、羽毛を
被り・
翼を有するといふ点では確に鳥類の
特徴を具へたものである。
第五十四図 最古の鳥
此化石の出たのは中古代の
半過ぎ頃の
地層からであるが、
其後の層からは
幾らも古代の鳥の化石が発見になつた。順を正して
此等の化石を列べて見ると、こゝに
掲げた
如き鳥の出来始まりから、終に現今の鳥類になるまでの
道筋が実に
明に解る。例へば古い層から出る鳥には、
皆歯があつたもので、今日の
如き
嘴を有するに至つたのは、
比較的近い
頃からであるが、
其他、構造上、鳥類に固有な点を調べて見ると、
孰れも
皆漸々に出来たもので、
其始めに
溯ると、次第々々に
蜥蜴類に
於て見る
如き形に帰する。
解剖上の
詳しい
比較は
略するが、総べての点に
於て進化の
形迹が
歴然と現れて居るから、
此等の化石を列べて見て、
尚生物の進化を
認めぬことは決して出来ぬことである。
第五十五図 古代の鳥
斯くの
如く、
此等の化石は生物進化の直接の
証拠であるが、前に述べた化石の中の一個が発見せられたのはダーウィンの「
種の起源」の出版になつた
翌々年である
故、進化論の評判の高くなるや
否や、
斯様な直接の
証拠の現れることは
頗る
不審しい、
恐らく
是は
偽物であらうというて、信じない人もあつた。
併し、
素より正真の化石
故、今は大切にして
保存してあるが、
之に
就いて考ふべきことは、天然には分類の境界が無いといふことである。
現今生存する動物だけの中にも
肺で空気を
呼吸する魚類もあり、
卵を生む
哺乳類もありなどして、各部類の
特徴を定め、
其境界を確めることは、決して容易でないが、化石を加へて
論ずれば、分類上、判然して境界を定めることは決して出来ぬ。こゝに述べた一例だけに
就いて考へても、中古代から今日までの
蜥蜴の類と鳥類とを集めて見れば、
其中には鳥類の性質を三分と
蜥蜴類の性質を七分と備へたものもあれば、
蜥蜴二分に鳥八分のものもあり、
或は前に
掲げた
如き鳥と
蜥蜴との性質を五分づゝ合せた
如きものもあるから、似たものを合せ、異なつたものを
離さうとすれば、
何処を
境と定めて
宜しいか解らず、
唯便宜上勝手な処に定めるより外には仕方がない。
其有様は
恰も山と山との境を定めるに当り、
頂上は
離れて
明に二つあるが、
裾野が
互に連続して
何処にも境が無い
故、
拠なく
便宜上或る処に定めるのと少しも
違はぬ。
若し土地が
降つて
裾野が海になつて
仕舞うたならば、初め二つの山であつた
処は二つの島となり、
其境は極めて
判然と見える様になるが、鳥類と
蜥蜴の類とが、今日判然と相
離れて居るのは、全く
之と同様で、中間に立つべき種類が
皆死に
絶えて
仕舞うたのによることである。「天然は
一足飛をなさず」といふ古い
諺がある通り、
丁寧に調べて見ると、動物の分類には
何処にも一足飛びに
離れた
処は無い様で、以上と同じ例は他にも
沢山あるが、
斯く化石までを合せると、分類には
何処にも判然した境がなく、
自然に一の部類から他の部類へ移り行くもので、
其間の一々の種属は
各此地球の長い歴史の中の
或る一個の時代のみに限つて
生存して居たといふことは、生物は総べて共同の先祖から進化して
樹枝状に分かれ
降つたものとすれば、素より
斯くあるべきであるが、生物種属が
皆万世不変のものであると
仮定すれば、決して有るべき
筈のことでない。
馬の類は
哺乳類中の最も
紛らはしくないもので、四足ともに大きな
蹄を一つより持つて居ない類は決して外に無い
故、
或る動物に
就いてそれが馬であるや
否やといふ問題の起つたことは、
是まで
嘗てない。現今は
斯く境界の判然と解つた類であるが、化石の方を調べて見ると、中々左様なものでなく、種々の
形状を有した馬があつて、中には他の
獣類と
区別の判然せぬ様な種属もある。
総べて
獣類の化石の出るのは、主として近古代からであるが、
最も古いものは
既に中古代の前半から出て居る。
尤も
其頃からの化石は
唯歯だけが知れてある
位で、実際
何様な形のものであつたか解らぬが、
兎に角、
獣と名づくべきものが、
其頃既に居たことは
確である。
是より
降つて近古代となると、最早
其初めから種々の
獣類の化石が出るが、
其後今日に
至るまでの化石を列べると、何種の
獣も
漸々進化し来つた
形迹が
明に見える。
其中でも馬の類に至つては、
其径路が完全に発見せられた。
奇態なことには、
斯く馬類の進化の
路筋が
明瞭に解る様に化石が完全に
揃うて出たのは、アメリカである。アメリカには人の知る
如く、コロンブスが
之を発見した
頃には、馬は全く
産せず、今日無数に住んで居る馬は、
皆新しくヨーロッパから輸入した馬の子孫である。
然るに近古代の終りに近い
頃までは、
余程多く居たものと見えて、北アメリカからも南アメリカからも、数百の馬の化石が
掘り出されたが、
此等の化石を調べて見ると、実に
明瞭に馬の
系図が解る。
近古代は、通常、
其最近の部だけを除き、残りを、上・中・下の三段に分ち、
更に
之を細別するが、
此等の各地層から出る馬の化石を
比較して見るに、一層
毎に少しづゝ
相違し、層が重なるに従ひ、
相違も積り重なつて、終には
著しく形状の異なつたものになつて
仕舞ふ。時の順序に従ひ、先づ最も古い下の層の化石から述べると、アメリカの近古代の下段からは、小犬位の大きさで、前足には指が四本(第五十六図、イ)、後足には指が三本より無い
獣が出る。
是は
誰が見ても
殆ど馬とは見えぬが、実際は現今の馬の先祖で、
是より各層を伝うて
其子孫を
探つて行くと、終に今日の馬までに達する。
其途中の数段を挙げて見れば、近古代の中段の下層に来ると、形は
稍大きくなり、前足の指も三本となり、第四本目の指は
僅に
痕跡を留めるだけとなる(ロ)。他の
獣類と
比較して見ると、
此時にある三本の指は
即ち中指を中心として、人さし指と薬指とに相当するもので、前足で
痕跡ばかりとなつたのは小指である。中段の
中頃まで来ると、体は
更に大きくなり、前足・後足ともに指は矢張り三本ではあるが前足の小指の
痕跡は
殆ど無くなり、前後ともに中指のみが大きくなつて、他の二本は
著しく小くなる(ハ)。
併し、
尚三本の指ともに地面に
触れたらしい。次に上段の下層まで進むと体は
益々大きく、
殆ど
驢馬ほどになり、形も余程馬らしくなる。足には前後ともに中指ばかりが発達し、
其内外に位する二本の指は共に小くなつて、最早歩行の
際に地に
触れぬ様になる(ニ)。
此頃の化石はヨーロッパからも出て居るが、最早
誰が見ても確に馬の一種と思はれる。
尚進んで上段の中程まで来れば、
殆ど今の馬の通りになつて、四足ともに中指一本となり大きな
蹄が
唯一つだけより無くなるが、他の二本の指の
痕跡は、現今の馬に比べると、
尚数倍も
著しい(ホ)。現今の馬では
此等の指の
痕跡は極めて細く、短いものとなつて、
殆ど有るか無いか解らぬ程である(ヘ)。以上は単に身体の大きさと指の数だけに
就いていうたが、
其他、頭骨、
腕の
骨、
脚の骨などを見ても、
之と同様な進化の有様が
明に見える。特に歯を
比較すると、人間の
如き
普通の歯から、今日の馬に見る
如き
特別に発達した歯に至る変化の順序が解つて、
甚だ面白いが、こゝには
略する。
斯様な変化の順序は言語でいふよりも図で示した方が解り易い
故、
更に前足の指だけを示した簡単な図を
掲げて置く。馬類の
特徴は、第一に四足の指の数であるが、時の進むに
随ひ、
如何に指の数が
漸々減じて今日の有様に達したかは、
此図によつて
明に解るであらう。
第五十六図 馬の前足の進化を示す
高等の動物では
斯く完全に進化の径路の知れて居るのは、今の所で
殆ど馬ばかりであるが、
稍下等な動物には、進化の有様が望めるだけ完全に解つた例が
幾つかある。特に
淡水の池に住む貝類などは、代々の
介殻が同じ池の底に
泥と共に
溜るから、底の土を上から
掘つて行きさへすれば、今生きて居る
子孫から順を追うて
其初めの先祖までの
遺体を
悉く採集して
調査することが出来る
理窟故、生物進化の実際を見るには、最も都合の
宜しい種類である。
而して今日生物進化の
事蹟の最も完全に知れて居る例といふのは、多くは
矢張り
此類に属する。
第五十七図 平巻貝の進化の例
ドイツ国ヴィルテンベルヒのスタインハイムといふ村に
可なり大きな湖水の
跡がある。水は余程前に
涸れて、今では
唯の畑になつて居るが、
其処の土中には、種々の
介殻が
沢山にあり、特に平巻貝というて、日本でも、
天水桶や
溝などの中に居る平らに
巻いた黒い小い貝と同属の貝が
夥しくある。
此処から出る貝類ばかりを特に調べた学者が二三人もあるが、深く
掘るに
随うて、貝の形が
漸々に変じて行き、終には全く種の
異なつたものかと思ふ程に
甚だしく
違ふ様になる有様は、
此人等の研究によつて
明瞭となつた。
此処に
掲げたのは
斯く順を追うて変化して行く中から、
若干の
段を選んで取り出した標本の写生図であるが、
之を見れば、
文句で長い
記述を
読むよりも、
遙に
明瞭に
解るであらう。初め
恰も日本産の
如き
扁平な形から、
漸々巻き方が平でなくなつて、終には
殆ど
田螺の
如き形となり、
更に
尚鋭く
尖つた
介殻を有するに至つたのであるが、
是は単に進化の中心
系統の一部分だけで、
尚此外には多少
途中より横へ分かれて進化した
側系ともいふべきものがあるから、異なつたと思はれる形状を総べて
勘定して見ると、実に
夥しい。それ
故、
之を
丁寧に調べず、
唯飛び/\に若干の
介殻だけを拾うて見ると、余程
沢山な種類がある
如くに感ずる。実際
斯く完全に研究せられる前には、
之を十四種にも区別してあつたが、真に無理もないことである。今では
之を改め、
総体を合して一種と
見做し、「多くの形を有する平巻貝」といふ意味の学名が
附けてある。
第五十八図 田螺の進化の例
以上と全く同様な例はオーストリヤ領スラヴォニヤの近古代の湖水
跡から出た
田螺の
介殻である。
是も図を
掲げれば
殆ど説明にも
及ばぬ位であるが、初め
介殻の円い日本産の円
田螺に
善く似た形から、
漸々変化して、
螺旋状の
隆起が出来、終には
栄螺の
如き
突起が生ずるまでの順序が
明瞭に解る。
是も研究の行き
届かぬ前には、六種
乃至八種に分類してあつたが、今では総べて
之を合して、一種と
見做すことに改めた。
第五十九図 袖貝の進化の例
北アメリカのフロリダに産する一種の
袖貝に
就いても、先年
其系図が
明になつた。図に
掲げた
如く、
現今生存して居るものは
介殻の
巻いた
尖端の
処が短く、
殻の開く口の
縁が余程開いて、
幅広くなつてあるが、近古代の上段からは
介殻が
遙に細長く、口もさまでに広くない種類が出る。
著しく形が
違ふ
故、前は
之を二種としてあつたが、化石を多く集めて
丁寧に調べて見ると、後者は
明に前者の先祖で、
其間には
何処にも判然した
境はなく、
唯時と共に
漸々形状が変化して来ただけである。
以上
掲げた例は、
孰れも各動物の進化の有様を
明瞭に示すもので、地層上から
漸々掘つて行くに
随ひ、
何時となしに形状が変化して行く具合の
明に解る化石の標本が今では
数箇所の
博物館に
随分沢山に
陳列してあるが、
是は動物が進化し来つたといふ事実
其物である
故、
之に
就いて
議論のあるべき
筈はない。今日
尚生物種属は総べて
万世不変であると考へる人のあるのは、全く
斯かる事実のあることを知らぬのに
原因すること
故、
之に生物の進化することを
認めさせるには、
唯此処に挙げた
如き例を告げ知らせれば、それで十分な
訳で、決して議論によつて、説の
当否を決するなどといふべき場合ではないのである。
尤も
斯様に完全な例は、今日の所、まだ
沢山には知られてないが、一方には少いながらも
斯く完全に動物進化の
直接の事実が知れてあり、
又他の方には生物が進化し来つたものと
見做さねば
到底説明の出来ぬ様な事実
即ち生物進化の間接の
証拠ともいふべき事実が無数にある所を見れば、
最早生物種属は総べて
漸々進化するものであると
断言する外には仕方が無い様である。
我国には
処々に
貝塚というて、古代の人間が食用にした貝の
殻が
一箇所に
夥しく
堆くなつて居る処がある。初めて発見になつたのは、東京と
横浜との間の大森で、鉄道に
沿うた処であるが、
其後処々方々で、
沢山に見出され、今では東京に近い処だけでも、何十
箇所と数へるに至つた。
之を造つたのは、
我々日本人種以前に
此島に住んで居た人間で、
何時頃之を造つたかは確には解らぬが、
此人間と
我々の先祖である
其頃の日本人種とが物品を交易したらしい
形迹もあるから、先づ二千年位も前のものと見て置けば
宜しからう。さて
此貝塚には
如何なる貝があるかといへば、今日
其辺の海岸に居るのと全く同種な貝類ばかりであるが、
貝塚の貝と
現今の貝とを比べて見ると、
其間に多少の
相違を発見する。
貝塚から発見せられた貝の種類は何十種もあるが、
其中から最も
普通にある類を三四種だけ選んで
比較して見るに、アカガヒに似て
遙に小く・
殻の表面の
溝の数の
著しく少いシヽガヒといふ貝があるが、今日海岸で
採集した
標本と
貝塚から
掘り出したものとを比べて見ると、
殻の表面にある
溝の数が大分
違ひ、今日のものは、
溝が二十三か二十四位もあるが、
貝塚のものには平均十八位よりない。
又イセシロガヒというて
蛤を円くした様な貝があるが、左右の
介殻の
幅と長さとの
割合を
測つて表に造つて見ると、今日の方が
貝塚の
頃よりは
著しく長めになつて居る。
又今日のバイと
貝塚のバイとを列べて、両方の
介殻の
巻いた
尖端の角度を測つて見ると、今日の方が
遙に
鋭くなつて居る。
其他の貝類にも
之と同様な
変化を見るが、一々
之を挙げることは
略する。
斯くの
如く
僅に二千年前に住んで居た貝類の
殻と今日のものと
比較して見ても、
既に
其間に多少の
相違を
認める。単に
其相違ばかりを見れば、素より
些細な
相違には
違ひないが、時の短さに
比較して考へて見れば、
随分著しい変化というても
宜しからう。前にも述べた通り、地球の歴史に比べると、二千年位は
殆ど
勘定にも入らぬ程で、
水成岩の出来始めから計算しても、今日までの時の長さは二千年の何万倍も
何億倍もあつたらしい
故、若し
僅に二千年の間に
既に
尺度を
以て
容易に測れる程の変化が起るものならば、全体に
於ては
如何なる変化でも決して出来ぬことは無い。近来は
此種の測定が
精密になり、多数の材料に
就いて研究した結果、今日では
僅に十年間に起つた変化までを数字で現すことが出来る例もある。イギリスの
或る処で
築港をした結果、
其処に住む
蟹の
甲から生えた
刺毛の数が
僅二年
許りの間に
平均が減じたことなども測定と
統計とによつて
明瞭となつた。
斯様に
丁寧に測つて見ると、生物種属の形状が
漸々変ずることは目前の事実で、
唯変化が
遅いために
特別に精密な方法によつて測定し、
其結果を統計して見るだけの
労を取らねば、
之を知ることが、むづかしいといふに
過ぎぬ。
本章に
掲げたのは、
皆或る動物が同一の場所に
於て、
漸漸変化した例であるが、
此外に一地方から他の地方に移したために動物の
漸々変化した例は
頗る多い。ヨーロッパからボルト・サントーの島に移した
兎が、
既に別種と
見做すべき程に変化したこと、ブラジルからヨーロッパに移したモルモットは今は
互に
交尾せぬまでに
相違するに
至つたことなどは、
既に前に述べたが、
此等も
無論動物の変化した実際の例として
挙ぐべきものである。先年、
浜螺といふ一種の貝をヨーロッパから北アメリカに
移殖したことがあるが、今日ヨーロッパ産のものとアメリカ産のものとを
比較して見ると、
其貝の
幅と長さとの割合が
著しく
相違するに至つた。
是も同様の例に属する。
又人間の
飼養する動物が、今日までに
著しく変化し来つたことも、素より生物進化の実際の例であるが、
此等は
既に述べたことである
故、再び説くには
及ばぬ。
斯くの
如く生物の形状が実際に変化し来つたことの、確に解つてある場合は、
地質学上の時代に
於ても
又歴史以後に
於ても数多の例のあること
故、今日に
於ては生物種属は
総べて万世不変のものであるといふ様な説は、最早
殆ど真面目になつて
駁する程の
価値も無いものである。
第九章より前章に至るまでの間に述べたことは、生物進化の
証拠ともいふべき
事実並に生物進化の実際の
事蹟とであるが、
孰れも生物種属は
永久不変のものではなく、
漸々進化し来つたものであることを
明瞭にするだけで、生物の進化は何によつて起つたかといふ問題に関しては、以上の事実だけではまだ
何等の
手掛りを得ることも出来ぬ。ダーウィンの自然
淘汰説によれば、生存競争の結果、代々少数の適者のみが
生存して、子を残す
故、
此自然の
淘汰によつて生物種属は
漸々進化して行くといふのであるが、
是は単に
理窟だけを考へても左様ありさうな上に、動物の生活状態を調べると、
其証拠ともいふべき事実が
殆ど無限にある。
之を
逐一述べると、そればかりでも一冊の大きな
生態学書となる程
故、こゝには単に
其中から最も
著しいものを若干だけ選んで説明するに止めるが、
此等を見れば、生物進化の原因は生存競争であることが
明に解る。
尤も
此以外に、生物進化の原動力は無いといふ
証拠にはならぬが、
兎に角、自然
淘汰が進化の主なる原因であつたことは十分に
推察することが出来る。それ
故、本章に
於て述べる所は、先づ自然
淘汰説の
論拠とも名づくべきものである。
野生動植物といへば、
範囲が
極めて広いから、
其中には
如何なる形状を有するものも、
如何なる生活を
営むものもあるが、
此等総べてに通じて見出すことの出来る点は
唯一つある。それは
即ち各種属に
於て
発達せる構造・性質は
悉く
其持主である動植物に有用なものばかりで、一として他の動植物に都合よきために
態々存するものが無いといふことである。人間が長い間
飼養した動植物では、各々人間に都合の好い性質が発達し、
乳牛は自分に不必要な多量の
乳汁を人間のために
分泌し、
綿羊は自分に不必要な多量の毛を人間のために生じ、
八重桜は
生殖の役に立たぬ
美麗な花を人間のために
咲かせ、
雲州蜜柑は種子の無い果実を人間のために
熟させるなど、一として人間のためならざるはない。
是は
人為の
淘汰により代々人間に
利益ある点を標準として
選択した結果
故、
斯くあるべきが
至当であるが、さて野生の動植物は
如何と見るに、
此方では
唯自然の
淘汰によつて進化するばかり
故、各種属の
秀でた点は、
唯生存競争上
其持主自身に取つて都合の好いもののみで、
甲の動物のみに利益ある性質が
乙の動物に
備はつてあるといふ様な場合は決してない。
若し一つでも確に
斯様な例があつたならば、自然
淘汰の説は全く取消さねばならぬ
理窟であるが、実際今日まで
斯かる例が一つとして発見せられぬ所を見れば、これだけでも、自然
淘汰の説は余程真らしく思はれる。
生物の増加する
割合を計算して見れば、実に
盛なもので、若し生まれた子が総べて生長し・
生殖したならば、
忽ち地球上には乗り切らぬ程になる
訳であるが、食物
其他の
需要品には各々制限がある
故、同種内にも
異種間にも常に
劇烈な競争の絶えることはない。
其次第は
既に第七章に
於て述べたが、
斯く競争が行はれて居る以上は、一の動物に有益な構造・性質は、
之と利害の相反する
敵に取つては
頗る不利であるは
無論のことで、例へば
鶴の
嘴や
頸の長いのは
鶴自身が水中から
餌を拾ふに当つては
至極便利であるが、食はれる
泥鰌の方からいへば、
是ほど不利益なことはない。
又甲の
鳶の眼の
鋭いことは
其鳶自身に取つては極めて有益であるが、同一の食物を
捜して
之と競争の位置に立つ
乙・
丙等の
鳶に取つては、決して
有難くないことである。総べて
此の
如き
理窟で、生物の各種属・各個体には
皆自分だけの利益になり・多数の他の生物種属
及び個体の
迷惑になる様な点が特に発達して居るが、生物は
皆生存競争の結果、自然
淘汰によつて進化し来つたものとすれば、
是は素より当然のことである。若し
之に反して、
西洋諸国で
従来言ひ伝へた
如くに
天地創造の際に
全智全能の神が動植物の各種を一々別に造つたものとしたならば、同一の手になつた
製造品が
各々斯く
相互に
迷惑になる様な性質を備へて居ることは、何とも
其意を解することが出来ぬ。
実際生物界の有様を見るに、
猫の方に
鼠を
捕へて食ふための
鋭い
爪、
尖つた歯、
敏い鼻などが、十分に
備はつてあれば、
鼠の方には
又猫に
捕へられぬために
活溌な足・
鋭い耳などが
発達してある
故、
如何に
猫でも
怠けて居ては
鼠を
飽食することは出来ぬ。
又大に労力を費しても、
鼠が小い
穴に入つて
仕舞へば、
之を
捕へることが出来ず、折角の
骨折も全く
無益に終ることも
屡ある
故、
鼠の運動・
感覚の発達は
猫に取つては
此上もない不利益である。
是は最も
卑近な例に過ぎぬが、
凡地球上にある生物の生活の有様は、総べて
斯くの通りで、
如何なる種類を取つて見ても、
皆他を殺すため、他に殺されぬため、他を食ふため、他に食はれぬための性質が発達し、
其競争によつて自然界の平均が
暫時保たれて居るのである。若し
是が同一の神の手によつて造られたものとしたならば、
其神の
所行は
恰も一方の動物に
矛を授け・一方の動物に
楯を授けて、
之を
以て
互に
烈しく相戦へと命じたと同様な訳に当り、
従来詩人などの
屡歌うた自然の調和といふものは、
矛の
鋭さと
楯の
堅さとが
相匹敵したために、
暫時勝負の
附かぬ
其間の
睨み合ひの有様を指すことになる。
著者が、
或る時、東京の
或る
基督教会の
説教を聞きに行つたときに、「エホバの
智慧」とかいふ題で、
牧師が種々の動物のことに
就いて述べた中に、「
猫の
鬚は左右合はせると
丁度身体の
幅だけある
故、
鼠を追うて
狭い処に
飛び
込むとき、
之によつて自分の身体が
其処に入るか
否かを
直に知ることが出来る。
是は
猫に取つては
極めて便利なことで、若し
是が無かつたならば
狭い処に知らずに飛び
込んで
挾まつて
仕舞ふ
筈であるが、
鬚がある
故、
其様な心配もなく
鼠を
捕へることが出来る」とか、「
鮫の口は頭の
尖端にはなく、頭の
腹面にある
故、人の泳いで居るのを食ふには、先づ腹を上へ向けるために体を転じなければならぬが、
其隙に人間が
逃げることが出来る」とかいうて、
之を
基として、神は
此の
如く
智慧と
慈悲とに
富んであらせられるとの結論に
及んだが、事実の真偽はさておき、
若し神が
猫に都合よき性質を
与へたとしたならば、
鼠に取つては
是ほど
迷惑なことは無い。
又鮫の方も
其通りで、
餌を食ふに当り、一々体を転じなければならず、
其間に
餌が
逃げて
仕舞ふ様な
仕掛けに造られては、
鮫は、
其ため往々
餓死することなどもあつて、定めて神を
恨んで居るであらう。
此等は素より強ひて
駁すべき程のことでもないが、
是は少数の事実を取つて
其半面だけを見ると、
或は
斯かる考が起らぬとも限らぬ
故、例に挙げたに過ぎぬ。
前にも述べた通り、野生の動植物は
如何なる種類を取つて見ても、生存競争の際に、
其持主に都合の好い構造・性質が発達して居るものであるが、
其有様は本章に
於て
之より説く
如く、実に人工の
到底及ばぬ程の
巧妙なものが
沢山にあり、
又全く意表に出た面白い仕組のものも種々ある。それ
故、
唯之だけを見ると、
全智全能の神でも造つたのであらうといふ考が起るかも知れぬが、
其動物と利害の相反する敵である動物の側から見ると、
斯かる構造・性質が
巧妙に出来て居るだけ
益々不利益なもの
故、
彼と
此とを合はせ考へれば、同一の意志に
随ひ、同一の手によつて両方が造られたとは
如何しても信ぜられぬ。
又他の動植物の
利益になるばかりで、
其持主には何の役にも立たぬ様な構造・性質は今日まで一も例が無いというたが、
一種の動植物の有する性質を他の種類が利用することは
素より有るべきことで、例へば海岸に
沢山住んで居る
寄居蟹は巻貝類の
空いた
殻を拾ひ、
之を
以て体の後部を保護して居る。
併し
介殻は貝類の生活上最も必要なもので、
唯其不用に
帰して
捨てられたものを
寄居蟹が拾うて利用するに過ぎぬから、
此の
如き例は自然
淘汰の反対の
証拠とはならぬ。若し
介殻が
之を生ずる貝類には何の役にも立たず、
唯後に
寄居蟹に便利を
与へることを目的として出来たものならば、
是は自然
淘汰説の予期する所と正反対な事実である
故、
仮令、一つでも
斯様な例が発見せられたならば、自然
淘汰説は全く
其根柢を
失うたと論じて
宜しい。
又生存競争といふことがある以上は、生物各種属が
皆自己の生存のために
勉めて居る働きが、
偶然他の種属に利益を
与へることは無論あるべき
筈である。
何故といふに一種の動物があれば必ず
其敵があり、敵である動物にも
亦其敵があつて、順次
其先の相手がある
故、一種の動物を
攻めることは、
即ち
其動物と利害の
相反する敵を助けることに当り、一種の動物を助けることは、
即ち
其敵である動物を
攻めることに当るから、若し今
甲なる動物が、
生存の必要上常に
乙なる動物を
捜して食ふ場合には、
乙の敵である動物、
乙の敵の敵の敵である動物は、自然に
甲のために利益を得ることになる。
一例を
挙げていへば、
縁の下の
如き雨の
降り
掛らぬ
乾いた地面には、
摺鉢形の小な
穴が
幾つもあるが、
其底に
或る虫の
幼虫が
隠れて居て、
蟻が来ると、
捕へて食はうと待ち
構へて居る。穴が
摺鉢形故、
此処に来た
蟻は
皆底へ落ちて
忽ち食はれるに
極まつて居るから、
俗に
之を「
蟻地獄」と名づけるが、
'鶏'は地面の虫を
捜して歩くもの
故、
蟻地獄の虫を
見付ければ
容赦なく
之を
啄いて食うて
仕舞ふ。
'鶏'には素より
蟻を助ける心は無いが、
唯其の
餌とする虫が
丁度蟻の敵に当る
故、結果からいへば
蟻に大きな利益を
与へることになる。通常
我々が
益鳥とか益虫とか名づけるものは、
皆此理で
我々に
偶然利益を
及ぼすものである。
自然界に
於て、一種の動物が他の種属に利益を
与へる場合は、総べて
斯くの
如き次第で、他に利益を
与へることは、
何時も
偶然の結果に過ぎぬ。益鳥と名づけ、益虫と名づけるのも、単に
我々に対する利害を標準として、結果から
打算したもの
故、
若し標準とする所が変ずれば、今日の益虫も明日は害虫と名づけられるに至るかも知れぬ。
芋虫・毛虫の類は
我々の
培養する野菜に大害を
及ぼす
故、今日は害虫と名づけられ、
之に
卵などを産み
附けて殺す寄生
蜂類は益虫と
称せられて居るが、万一、
芋虫・毛虫等の利用の道が開け、
野菜よりも
芋虫の方が価が
貴くなる様なことでもあらば、今日の害虫は
忽ち明日の益虫と変じ、今日益虫と
呼ばれる寄生
蜂類は
忽ち害虫の部に
編入せられて
仕舞ふ。現に
蚕の
如きは
桑に取つては
此上もない大害虫であるが、人間から見れば、
其産物である
絹糸が
桑よりも数十倍も価が
貴い
故、一種の
芋虫でありながら、日本第一の益虫と
称せられて居る。
詰まる所、益鳥も益虫も
其時々の標準により、
其時々の結果から
附ける名で、決して最初から、
如何なる事情の下に
於ても必ず人間に利益を
与へるといふ様な性質を備へて居る
次第ではない。それ
故、
態々人間のために
造られたものであるといふ様な説は
到底信ぜられぬ。益鳥・益虫に
限らず、
若し地球上に他の種属に利益を
与へるためにのみ生存して居る野生動物が、
仮令一種でもあつたならば、自然
淘汰の説は全く
潰れる道理であるが、
斯様な例は今日まで一も発見になつたこともなく、
尚此後発見せらるべき望もない。
斯くの
如く、地球上に
生存する動物は、各々自分だけの利益を計つて、常に
相互に
劇しく競争をなし居るもの
故、
此生存競争
場裡に立つて、敵にも
殺されず、
同僚にも負けぬだけの
構造・
性質の備はつたものでなければ、
此世の中には生活は出来ぬ。
此構造・性質に
聊でも不足した処があれば、
忽ち敵に殺され、
同僚に負かされるから、素より、生活の出来る
理窟が無い。それ
故、
如何なる動物を取つても、敵を
防禦し・
餌を
攻撃する
仕掛けは十分に発達して居るが、動物各種の生活の
状態の異なるに
随ひ、
防禦・
攻撃の
装置も
著しく
相違して、実に
千態万状といふべき有様である。
蛇類は自身の
直径の数倍もある大きな
餌を
攻めて、
之を
丸呑みにするものであるが、
其口の構造を調べて見ると、全く
此攻撃法に
適して、各部の
巧妙に出来て居る具合は、実に感服せざるを
得ぬ。先づ他の動物の口と
比較して
述べて見るに、
我々の口では
上顎は左右二つの
骨から
成り立つて居るが、
其間は
縫合によつて結び付いて居る
故、運動するに当つては、一個の骨も同様である。
又下顎の骨は元来
唯一個より無い。
此上下の
顎骨が耳の
孔の前の処で
互に関節して居るだけ
故、
我々は
如何に大きく口を開いても、一定の
狭い
制限を
超えることは出来ぬ。
然るに
蛇の方では、大いに
之と
違ひ、
上顎も少しづゝ左右へ動くが、
下顎の方は左右両半が全く相
離れ、
其間は
唯ゴムの
如き
弾力性を有する
靭帯で
繋がれて居る
故、
随分広く左右へ開くことが出来る。
又上顎と
下顎とは直接に関節せず、
其間には左右ともに一本づゝの棒の
如き骨があり、
其骨の
後端と
下顎骨の
後端とが関節して、何の骨も
皆互に極めて
寛く結び付いて居る
故、
蛇の口は
殆ど
幾らでも広く開くことが出来る。我我は口の大きさに応じて食物を切つて食ふが、
蛇は食物の大きさに応じて口を開くというても
宜しい。
又大きなものを食ふには、単に口が大きく開くだけでは十分でない。糸で大きな
餅を
天井から
吊して、手なしに
之を食はうとすると、口で
押すだけ餅が
逃げる
故、
中々容易には食へぬ。
又池の
鯉や
亀に
麩を
与へても、
此方で
押すだけ
麩は先へ流れて行く
故、
終に
石垣のある処まで
押して行き、
其処で初めて
之を食ふことが出来るが、
此等を見ても解る通り、手なしに大きなものを食ふことは、
困難なものである。所が、
蛇は手のないに
拘らず、自身の直径の数倍もあるものを食ふのであるから、
普通の食ひ様では
到底出来ぬ。
其ためには必ず
特別の
装置が無ければならぬ。
即ち
蛇の口には
上顎にも
下顎にも
尖端の後へ向いた・細かい歯が
沢山に生えてあつて、
顎の間に
挾まれたものは口の
奥へ向うては
滑に進めるが、
其反対の方向に口の外へ出やうとすれば、歯に止められて動くことが出来ぬ。
其上に
下顎の左右両半は
交る交る前後に動き、前へ出るときは食物の表面を
唯滑に進むが、後へ
退くときは細い歯が食物に引つ
掛る
故、食物を口の
奥へ引き
込む様になる。
我々の歯は
咀嚼の
器官であるが、
蛇の歯は全く
唯食物を引つ
掛けて引き入れるための
器官に
過ぎぬ。それ
故、左の
下顎で先づ食物を一分引き入れ、次に右の
下顎で
又一分引き入れるといふ様な具合にして、
如何に大きな食物でも
漸々嚥み
込んで
仕舞ふが、
其有様は
恰も
我々が左右の両手を用ゐて、
綱などを
手繰るのと同様である。
斯様な
装置は、動物界に他に類を見ぬ位の
特殊のものであるが、
此装置のあるために、
蛇は何でも容易に
嚥むことが出来る。
蛇に取つては極めて
都合の
宜しいものであるが、
蛇の
餌となる
蛙等から考へれば、実に何とも言はれぬ程、
不仕合せな次第である。
青大将・山カヾシなどの
如き
普通の
蛇では、右に述べただけであるが、
蝮・ハブ等の
如き
毒蛇には、
尚其上に頭の両側に
毒液を
分泌する
腺があり、
上顎の
前端には一対の
牙があつて、
餌とする動物を見つけると、先づ口を開き、
牙を立て、
之を
以て
餌を打つて殺し、
然る後に
之を
嚥み
込んで
仕舞ふ。
蛇の毒は極めて
劇烈なもので、
鼠位の小い
獣であると、一回打たれると、
直に体の一部が
麻痺し、続いて全身が動かなくなる。
牙は
管状をなし、
尖端に細い
孔があつて、打つと同時に
傷口に毒液を注ぎ入れるのであるから、医者の用ゐる
皮下注射の器械と
理窟は少しも
違はぬが、
牙を差し
込んで、
毒液を注射し、
牙を
抜くまでの働きが極めて
速で、手を
拍つだけ程の時も
掛らぬ位である。
此位に
完備した
攻撃の器械は、他に類が無いというて
宜しからうが、決して
是は必要以上に
精巧なといふ
訳ではない。
毒蛇は
是だけの装置が備はつてあるので、
僅に種属を
維持して行くことが出来るのである。
蛇類は極めて大きな動物を一個づゝ
丸呑みにするが、
鯨の
如きは
之に反し、極めて小な
餌を同時に
無数に
丸呑みにする。それ
故、口の構造も
蛇類とは正反対で、単に大きな
篩或は
味噌漉しの
如き
仕掛けを有し、
餌を海水に
混じた
儘で、多量に口に入れ、水は外へ
溢し、
餌だけを
咽喉の方へ
呑み
込むが、
是には素より
適当な装置を要する。総べて
鯨類は頭の大きなもので、種類によつては頭が全身の三分の一以上もあるが、
斯く頭の大きいのは、全く口が大きいからである。先年東京で
鯨の
観せ物の有つたとき、
其口を開いて中に
一般の
小舟が入れてあつたが、
之によつても口の大きさが
想像出来る。
此大きな口に海水と
餌と混じたものを入れるのであるが、
鯨の
餌となる動物は、
僅に長さが一寸(注:3cm)か二寸(注:6cm)に過ぎぬ位のもので、
其居る処には、常に無数に群をなして生活するもの
故、
其処へ行つて
鯨が口を開けば、一回
毎に何万入るか、何十万入るか解らぬ。さて
鯨の口の
構造を調べて見るに、上下ともに
顎には歯は無いが、
上顎の左右
両側には
数百枚づゝも
所謂鯨の
鬚がある。
鬚は長い三角形で、
尖端を下にし、前後に相重なつて、
恰も
櫛の歯の
如くに列んで居る
故、
鯨が口を開いて、
餌と海水とを
其中に入れ、次に口を
閉ぢて、舌を上へ
押せば、海水は
鬚の間を
洩れて口の外へ流れ出し、固形体である
餌ばかりが口の中に
残つて、
皆一度に
丸呑みにせられて
仕舞ふ。
鯨は
現今生活する動物中の
最も大きなもので、
其最も大きな種類は身体の長さが十五間(注:27m)以上もある。九州辺で毎年取れるものは余り大きな種類ではないが、それでも平均
一疋に付き肉が
四万斤(注:24トン)位はある。四万斤の肉は若し一日に一斤(注:600g)づゝ食ふとすれば、百二三十年もかゝらねば食ひ
尽せぬ
勘定であるが、
鯨は
斯く身体の大きなもの
故、
随つて多量の食物を食はなければ生きては居られぬ。所が、
鯨の
餌となる動物は、
僅に一寸(注:3cm)か二寸(注:6cm)に足らぬ位な小なもの
故、
之を
一疋づつ
捕へて食ふ様なことでは、
到底間に合はぬ。
普通の動物の
餌の食ひ方は、
之を商売に
譬へると、
恰も小売の
如きものであるが、
鯨のは全く
卸売に比すべき食ひ方である。
鯨は
此様な食ひ方をなすべき
特別の
装置が備はつてある
故、生活が出来るので、
鯨に取つては
此装置は一日も欠くべからざるものであるが、
其ため
鯨の
腹に
葬られて日々命を落す動物の数は何万あるか、
何億あるか解らぬ。
以上は動物の
餌を食ひ・敵を
攻撃する
器官の
千態万状である中から、最も相異なつた例を選み出しただけであるが、
其他、
如何なる動物を調べても、
此種の装置の備はつてないものは無い。他の例を
尚一二挙げて見るに、
啄木鳥は
樹木の
幹の中に
隠れて居る虫類を食物とするが、
其身体を
検すると、頭から
尾の
端まで、
斯かる虫を
捕へるために最も都合の
好い
構造が備はつてある。先づ
嘴は
錐の
如く
真直で、
甚だ
鋭いから、
樹の幹に
孔を
穿つには最も適して居る。
舌は非常に長く、
先端が
尖り、
逆に向いた小な
鉤が
幾つも
附いてあるから、
是で
孔の
奥に居る虫を
刺して、舌を引き
込ませば、虫は必ず口の中に入る様になつて居る。
総べて鳥類の舌には
舌骨が
軸をなして居るが、
啄木鳥では舌を遠くまで出し得るために、舌骨も
甚だ長い。それ
故、舌を引き
込めて居るときには、舌骨の
後端は頭の後から上へ曲つて、頭の上面を
過ぎ、鼻の
辺まで達して、
恰も車
井戸の
釣瓶繩が車を
巡る
如くに頭の周囲を
一周して居る。
或る種類では
是でも
尚足らぬため、
舌骨の
後端は前を向いて、
上嘴の中までも入るが、
斯様な性質は決して他鳥では見ることは出来ぬ。
又足の
趾は四本ある中、二本は前を向き、二本は後を向いて居る
故、
樹の皮の
凸凹に
爪を
掛けて身を支へるに都合が好い。
併し、他の鳥と著しく異なつて見える処は
尾である。鳥類の
尾の羽毛は通常
甚だ
柔いものであるが、
啄木鳥では
頗る
硬くて、
且先端が
針の
如くに
尖つて居る。
此鳥が虫を
捕へるために樹に
孔を
穿つには、直立した樹の
幹に
爪ばかりで
掴み
附いて、長い間
働かねばならぬが、
其際、
尾を幹に当て、
之を
以て身体の重さを支へれば、大に
筋肉の
疲労を省くことが出来る。実際
啄木鳥は
尾を
此目的に用ゐ、
恰も
椅子に
腰を
掛けた
如き
姿勢を取つて、
孔を
穿つて居るが、
其ためには
尾の羽毛の
硬くて
端の
尖つて居るのは、
此上ない適当な装置である。
斯くの
如く
此鳥の身体は頭から
尾まで、総べて
其習性に適した構造を備へて居るが、
是は
此鳥に取つては無論極めて都合が好い。
併し、
孔を
穿たれる
樹木や
其中に住んで居る虫の方から考へれば、
迷惑至極な次第である。
又夜鷹といふ鳥は夜飛び
廻つて
蚊を食うて生きて居るが、
其嘴は
甚だ小い
故、口を
閉ぢて居る所を見ると、口が余程小ささうに思はれる。所が、口を開けば
其大きなこと実に
驚くべき程で、
殆ど頭部全体が口となつて
仕舞ふ。
此鳥の
蚊を
捕へるときの様子を見るに、口を開いた
儘で、
蚊の
沢山群がり集まつて居る中を飛んで通り
抜け、
恰も
網で魚を
掬ふ
如くに
蚊を
掬うて食ふのであるが、
斯かる方法で
餌を集めるには、
無論口の大きい程、功能が多い。
而して
餌を
一疋づゝ
啄む訳でないから、
嘴は
殆ど有つても無くても同じ位である。
斯様に
此鳥の身体も真に
其習性に応じた構造を備へて居るが、
其ため一方では
此鳥が
生存することが出来ると同時に、他の方では無数の
蚊が絶えず命を落して居る。
此鳥には
蚊母鳥といふ漢名が
附いて居るが、一声鳴く
毎に
蚊を
千疋づゝ
吐くとの言ひ伝へのあるのは、
恐らく大きな口を開いて、
蚊の群を
貫き飛ぶ所を見て考へ
誤つたのであらう。
斯くの
如く、
如何なる動物にも
攻撃の装置は備はつて居るが、
餌の種類の
異なるに
随ひ、
著しく目立つものと、目立たぬものとが素よりある。
比較的大形の物を
捕へて食ふ種類では、
餌となるものの
抵抗に打ち勝つべき道具が入用
故、
爪牙等の
如き、一見して
明に
攻撃の
器官と思はれるものが大に発達して居るが、
逃げもせず・
抵抗もせぬ植物を食ふ種類では、
斯様な武器は全く発達せぬ。それ
故、
此等は
極めて平和的の動物の
如くに見えるが、牛馬の前歯・
奥歯でも、
蝸牛の舌でも、
蝗の
顎でも、
浮塵子の
吻でも植物を
攻撃するに当つては
孰れも
頗る有力な武器である。
又蜘蛛の
網の
如きは敵を
亡ぼす
装置に
違ひないが、進んで
攻めるのでなく、留まつて待つ方
故、
我々は余り
攻撃の武器らしく感ぜぬ。
併し、
孰れにしても、
此等の装置は、
之を有する動物の生活上最も必要なもので、
相互に競争する場合には、先づ
此器官の完備したものが勝を
占め易い訳
故、
凡或る動物が今日生存して居る以上は、
餌を
攻めて
之を食ふだけの装置が
是に備はつてあることは当然であるが、
餌となる動植物
或は競争の相手となる動物の側から見れば、
此装置の発達ほど
迷惑なことは他に無い。
斯く自身の生存上にのみ有益で、他の多数の生物に
迷惑な
器官が
孰れの動物にも発達して居ることは、生物各種は生存競争の結果、自然の
淘汰を経て
漸々進化し来つたとすれば、必然の現象と思はれるが、自然
淘汰を
度外視しては
殆ど
之を説明することが出来ぬ。
若し
攻める方の動物に
攻撃の
器官が発達して、
攻められる方の動物に
防禦の装置が無かつたならば、
攻められる動物は
忽ち
攻め
亡ぼされて、種属が
断絶して
仕舞ふ
筈である。今日
双方ともに相対して生存して居るのは、全く一方に
防禦の
仕掛けが発達して、容易には
攻め
尽されぬからであるが、動物界を
見渡すと
其手段の種々様々なことは、
到底枚挙することは出来ぬ。
総べて
攻撃の器械は
又防禦のためにも用ゐ
得られるもので、同じ
剣・同じ
銃を
以て
攻撃も出来、
防禦も出来る
如く、
牙や
爪は
孰れの役にも立つ。
眼・鼻・耳の
如き
感覚器官も、足・
翼・
鰭の
如き
運動器官も、全く
其通りで、
臨機応変に両様に用ゐられるが、人間日々の
行為から考へて見ると、人間の
智力の
如きも、
唯敵を
攻め、
己れを
護るための道具に過ぎぬ。
鹿・
兎等の
如き
草食獣の足の速いのは、全く
防禦のためばかりである。山に
猟に行つても、海に
漁に行つても、
一旦見付けた動物が
我々の手に入らぬのは、
何時でも必ず
逃げられるからである所を見れば、敵に
優つた速力を有することは、
防禦の
手段中実に第一等に位し、三十六計
之に
如くものは
到底無い。
而して
速に運動するには、
眼が余程発達せなければならず、敵の近づくのを
未然に知るには、鼻も耳も
鋭くなければならぬ。
盲人は
如何に足が
達者でも、目明きの
如く走ることが出来ぬ通り、
幾ら運動の
器官ばかりが完全に出来ても、
感覚の
器官が
之に
伴うて発達せなければ、速な運動は出来るものでない。動物中で最も運動の速な鳥類は、
又眼の
鋭いことに
於ても一番であるのは、
其証拠である。されば、
鹿・
兎等の感覚
器官は
逃走に必要なもの
故、
矢張り
防禦の
器官と
見做さねばならぬが、
其の
頗る発達して容易に敵を近くへ寄せ
附けぬことは、
銃猟者の常に
熟知する所である。
此等の動物を
捕へて食ふ動物は、
尚迅速な運動の力を有し、
尚一層鋭敏な感覚器官を備へなければ、容易に
之を
獲ることは出来ぬ。
隠れるのも敵の
攻撃の
範囲外に出ること
故、
逃走の一種と
見做しても
宜しい。
烏賊の類は、敵の
攻撃に
遇へば、先づ
墨汁を
吐いて、海水の中に黒雲を
造り、自分の身体が敵に見えぬ
折を利用して、遠く意外の方向へ
逃げて
仕舞ふが、
是などは、
隠遁法の最も人に知られた例である。
逃亡によらず、敵の
攻撃に対して身を護る
手段の中で、最も
普通なのは、
堅牢な
甲冑を
被むることである。
蝦・
蟹の
甲、
亀の
甲なども
此例であるが、最も
堅固なのは
恐らく貝類の
殻であらう。
蛤・アサリ等でも、
殻が相応に
厚いが、
熱帯地方の海に産するシャコといふ大貝の
如きは、
殻だけの重さが四五十
貫目(注:150Kgから188Kg)もある。
斯様な
殻を有する動物は
危険の
恐れの有るときは、単に
殻を
閉ぢさへすれば、最早少しも心配は無い。
蛤位でも
殻を閉ぢて居れば、
之を
攻撃し得る動物は
比較的に少い。
併し、重い
甲冑と速い運動とは
到底両立せぬ性質のもの
故、
堅固に身を
装うた動物は、運動の方は
勢ひ
甚だ
遅からざるを得ぬ。
亀は
何時も運動の
遅い例に引き出されるが、貝類に
至つては、
其遅いこと
亀の数倍で、中には
牡蠣の
如く全く移動の力の無い種類もある。それ
故、
殻を破る
装置を備へて貝類を
専門に
攻撃する動物に
遇うては、
到底叶はぬ。例へば
猫鮫の類は、
臼の
如き歯が
丈夫に発達して、
如何なる貝でも、
殻の
儘噛み
砕いて食うて
仕舞ふ。一名
之を「
栄螺割り」と名づけるのは
斯かる性質より起つたことであらう。
又ツメタ貝は口の直後に、他の
介殻の
石灰質を
溶かして
孔を
穿つための
特別の
器官があり、
之を用ゐて
巧に
蛤の
殻などに
孔をあけ、中の肉を食ふ。海岸に落ちて居る
介殻を拾うて見ると、
尖つた
処に近く小な円い
孔のあるのを、
沢山に見出すが、
是はツメタ貝の造つた
孔である。一方の動物に
如何に
防禦の
装置が発達しても、
又之を破るべき
器官が他の動物の身体に
存する具合は、
恰も
錠前が
如何に
改良せられ・進歩しても、
之と同時に、
盗賊の方では、
又之を開くべき合ひ
鍵を
工夫して造るのと同様である。
蝟・
豪猪・
海胆等には全身の表面から
棘が生えてあるが、
是も有力な
防禦の
器官である。
此等の動物が
棘を立てれば
殆ど
何処からも
触れることが出来ぬ
故、
之を
犯す敵は容易に無い。
又鼬の
如きは
危険に
遇へば極めて
悪しき
臭気を発して敵を
避易せしむるが、
此類で最も
劇しいのは北アメリカ産のスカンクといふ
獣である。矢張り
鼬の一種であるが、
此動物の発した
臭気に
触れると、犬などは
殆ど
気絶して
仕舞ふ。
其他或る類の
昆虫は味の
甚だ悪いために
如何なる鳥類も
之を
避けて食はぬ。
又蟇蛙は運動の
遅い代りに、
皮膚に
毒液を
分泌する
腺がある
故、犬も
之に食ひ付くことが出来ぬ。
又其卵は多量の
粘液の
如きものに
包まれて居る
故、鳥も
之を
啄むことが出来ぬ。
蟇の皮を
剥ぎ取つて、肉だけを
与へれば、犬は
悦んで食ふ。
又粘液を
除いて
卵粒だけを
与へれば、
鶏は
直に
之を食うて
仕舞ふ所などを見れば、両方ともに
防禦の
器官として有功なことは少しも
疑が無い。
又海綿の
如きものに
至つては、
角質又は
珪質の
骨片が全身に
充満して居る
故、海岸
到る処に無数に生活して居るが、
之を
攻撃する動物は
殆ど一種も無い。
斯くの
如く動物は種々の方法によつて身を
護る様に出来て居るが、
尚或る動物には
危険に
遇うた時は、身体の一部を
捨てて
逃げる力が発達してある。例へば
蜥蜴の
尾を
抑へれば、
蜥蜴は
尾だけを捨てて
逃げる。
又蟹の足を一本
捕へれば、
蟹は
其足だけを捨てて
逃げて行くが、
斯かる動物には敵に最も多く
捕へられさうな体部を
随意に
截断し得るだけの構造が出来て居て、敵が
之を強く引かずとも、動物自身で
之を内部から切つて捨てる。
其代りに
又容易に
之を再び生ずる力が備はつて、
忽ち旧の
姿に
復する。
蟹を多く
捕へると、一本
或は二本の足だけが
著しく小いものを
幾つも見出すが、
是は
皆斯くして生じたものである。
蟹の
鋏の一方だけが
甚だ小いのも、
蜥蜴の
尾に往々
明に
節の見えるのも、
之と同様である。特に海産動物の中では
斯様な性質を備へたものが
敢へて
珍しくは無いが、
此性質を有する動物からいへば、一小部分を
捨てて全身を
救ふこと
故、最も有益に
違ひない。
併し、
之を
捕へる動物の
側から見れば、
其ため常に
餌に
逃げられて
仕舞ふから、極めて不利益なものである。
多くの動物の中には全く
防禦の
器官が無い
如くに思はれるものもある。
併し、左様な場合には
特別の
防禦の
装置が無くても、種属の
維持に
差支へが無いだけの事情が、必ず他に
存するもので、例へば人間の
腹の内に住む寄生虫の
如きは、
之を
攻撃する敵が無いから、
防禦の
器官も全く不用である。
又蚯蚓の
如きも
常に地中に住んで居る
故、
之を
攻撃するものは
唯'モグラ'の類だけで、
其他に
之を
害するものは余り無い。地面の上に
如何なる
猛獣・
猛禽が居ても、
蚯蚓は少しも心配するに
及ばぬ。それ
故、
此等に対して身を護る装置を備へて置く必要は全く無い。
但'モグラ'に
遇うては、
忽ち食はれるが、'モグラ'に食はれる数よりも生まれる子の数の方が多くありさへすれば、種属の
維持には一向差支へは無い
故、種属全体からいへば
防禦の
器官が無くても
済む訳である。
又菊・
薔薇などの
若芽に
附く
'油'虫の類は、全く
防禦の
器官が無い様であるが、
繁殖力が極めて
烈しいから、
幾ら
敵に食はれても
之を
補うて
尚其上に増加することが出来る。
普通の
昆虫類は
皆卵を生み、
其卵から
幼虫が
孵化して出るまでには多少の時日が
掛かるものであるが、
'油'虫は春から夏を
経て秋の
漸く
涼しくなる
頃まで、植物の勢の好い間は
絶えず
胎生して、日々
沢山の
'油'虫を生じ、
幾何級数の
割合で増加するから、
其繁殖の速なこと
到底他に
其比を見ぬ程である。
又餌が
沢山に
殖えれば、
之を食ふ動物も
忽ち増加して、
之を食ひ
尽しさうなものであるが、
普通の動物は
生殖の時期にも
略制限があり、
又生殖するには
幾らかの時を要する
故、
'油'虫が今日急に増加しても、
之を食ふ小鳥が明日
其割合に増加するといふ訳には行かぬ。それ
故、別に
防禦の
器官が無くても、種属の
維持には少しも差支へは無い。
以上述べた
如く、
防禦の
装置の無い動物は、実際
此装置無くとも種属の断絶する
患の無い類ばかりで、
其他に至つては
防禦の
器官・
攻撃の
器官ともに各々一定の度まで発達して居なければ、競争
場裡に立つて生存して行くことは出来ぬが、元来、動物の身体を成せる各
器官は一として
滋養分を要せぬものは無い
故、一の
器官が発達すれば、それだけ、
其所有主である動物の
負担が重くなり、勢ひ他の
器官の方を節減せざるを得ぬ。
其有様は共通の
資本を数多の方面に流用して居るのと、全く同じであるから、
如何なる動物に
攻められても、
之を
防ぎ
遂げるだけの完全な
防禦の装置と、
如何なる動物を
攻めても必ず
之を
攻め落すだけの完全な
攻撃の
器官とを
一疋の動物が
兼ね備へることなどは、
到底出来ぬ。特に
攻撃の
器官は相手の
異なるに
随ひ、各々
違うたものを用ゐねば
功が無い。
虎は
如何に強くても
蚯蚓を取ること'モグラ'に
及ばず、
蚊を取ること
夜鷹に
及ばぬのを見ても、
又シラスでも
鰯でも
鮪でも
一緒に取る様な
網の無いのを見ても解る通り、
到底同一の
器官で、
如何なるものでも
攻撃することは出来ぬが、総べての種類の
攻撃の
器官を
皆一身に備へることは素より望まれぬ所である。それ
故如何なる動物でも
皆其生存上捕へて食はなければならぬ
相手に対する
攻撃器官だけが発達し、
其他のものを
攻めるための
器官を有せぬのが常である。自然
淘汰の説から見れば
是非とも
斯くなければならぬ
理窟で、実際
斯くあるのは全く
此説の正しい
証拠と
見做して
宜しからう。
又こゝに述べた
防禦の
器官の
如きも、
如何なる動物に
攻められても安全であるといふ様な
絶対に
完全なものは一つも無い。例へば
蛤の
殻は厚くて
大抵の動物の
攻撃は
免れるが、ツメタ貝に
孔を
穿たれては
叶はぬ。
又栄螺の
殻は
堅く、
其中の動物は極めて安全の
如くに見えるが、「
栄螺割り」に
遇うては身を
護ることは出来ぬ。
斯くの
如く、
如何に
防禦の
器官が発達しても、
尚之を
破る敵があることは
免れぬが、
凡防禦の装置は絶対に完全でなくとも、十中八九までを
防ぎ得れば、
其功は十分である。
蛤は
殻があつても、ツメタ貝の
攻撃を
免れぬが、
若し
殻が無かつたならば何程の敵に
攻められるか解らぬ。所が
殻がある
故、
其大部分のものを
容易に防ぎ
遂げて居る。
仮令、一方に多少の
損失があつても、
生殖力で
之を
補ふことが出来れば、種属
維持の
見込は確に
附くから、種属全体から見れば少数の損害をも防ぐために、各個体が
皆多くの
滋養分を費して、各々完全な
防禦の
器官を造るよりは、少数の
被害者を
犠牲に
供して、残りの個体が
其滋養分を他の方面に
応用する方が、
遙に
利益が多い。
之に似たことは人間の社会にも常にある
故、
詳しく説明するにも
及ばぬが、
此考を持つて動物界を
通覧すると、
孰れの動物でも、
防禦の
器官は
其種属の
維持・
繁栄に最も
徳用な度までに発達し、
其以上には進んで居ないことが
明に解る。
而して
此事実は自然
淘汰説の予期する所と全く
一致したものである。
以上述べた通り、動物には各々
其所有者にのみ
有益で、敵である動物に取つては
甚だ
迷惑な
攻撃・
防禦の
器官が備はつてあり、然も
其器官は決して
完全無欠なものではなく、
唯其種属の
維持に必要な度までに発達して居るだけであるが、
是は
抑も
如何にして生じた
現象であるかと考へるに、若し生物種属は
漸々進化し来つたもので、
其原因は主として自然
淘汰にあるとしたならば、
是非とも
斯くならざるべからざる
理窟であるが、
之に反して自然
淘汰を
無視すれば、
到底其説明の仕様はない。西洋で昔から言ひ伝へた
如くに、動物は
皆神が造つたものであるなどと考へたならば、神は
蛤には身を護るために
殻を
与へて置きながら、ツメタ貝には特に
之を破るべき
器官を授けた訳に当り、「神は愛なり」とまでに
讃美せられる
其神の
所行としては、実にけしからぬ次第で、何とも
其意を知ることが出来ぬ。
動物には
其住する
場処と同じ色を有するものが
頗る多い。緑色の
若芽に
附く
'油'虫は
必ず緑色で、黒い
枝に
附くものは黒く、
楓の赤い
芽に
附くものは
紅色である。
単に色ばかりでなく、木の
幹にとまる
蛾の類には、
斑紋まで木の皮と全く同様で、近づいて見ても、
容易に見分けられぬ
程のものが
幾らもある。種々の動物に
就いて広く調べて見ると、
此様なことは極めて
普通である
故、動物が
其住所の色に
似ることは、
殆ど規則であつて、似ないものは例外かと思はれる位であるが、
其例を少し挙げて見れば、緑葉の上にとまる動物は、
雨蛙でも、
芋虫でも、
蝗でも、
蜘蛛でも
皆緑色で、
枯草の中に居る
蝗などは
枯草色である。
沙漠地方に住する動物は、
獅子・
駱駝・
羚羊の類を始めとして、
獣でも、鳥でも、虫類でも一様の
黄砂色を有するものが
甚だ多い。それ
故、
樹木・岩石等の
如き
隠れ場所が無いに
拘らず、
此等の
鳥獣を見分けることが中々
困難であると、旅行者が往々
紀行中に書いて居る。
又北極地方へ行くと、
概して白色の動物が多く、始終雪の
絶えぬ辺には常に白色を
呈する
白熊・
白梟等の類が住み、夏になれば雪が消える位の処には、冬の間だけ白色に変ずる
雷鳥・
白狐・
白鼬の類が居るが、雪の中に白色の動物が居ては、容易に見分けられぬのは、
無論のことである。
又鰈・
比目魚・
鯒・ガザミなどは、浅い海底の
砂に半分
埋もれて居るが、
背面の色も
模様も全く砂の通りであるから、足もとに居ても少しも解らぬ。水族館などに飼うてあるのでも、
餌を
与へると泳ぎ出すので、
其処に居たのが
僅に知れる位である。
又海面には、
透明であるために容易に目に
触れぬ動物が
頗る多い。風の無い
静な日に、
小舟に乗つて
沖へ出て見ると、海の表面には
海月の類、
蝦の類などで全く
透明なものが無数に居て、一二寸(注:3cm、6cm)位から大きなものは一尺(注:30cm)以上のものまでもあるが、余り
透明である
故、初めて
採集に行く者は、
是が目の前にあつても、中々気が
附かぬ。採集者が
態々捜しに行つてさへ、往往見落す程であるから、
普通の人等が
之を知らぬのも
無理ではない。
斯くの
如く、多くの動物は各々
其住む処に応じた色を有し、
其ため中々
之を見出すことが
困難であるが、
此事は
攻めるにも、
攻められるにも、
其動物自身から見れば、極めて利益の多いことで、敵である動物から見れば
甚だ
迷惑なことである。
攻める上からいへば、
餌となるべき動物が知らずして近づいて来る
故、容易に
之を
捕へることが出来る。
又攻られる上からいへば
己れが
其処に居ても、敵が知らずして通り
過ぎるから、
其攻撃を
免れて身を全うすることが出来るが、両方ともに敵となる側から考へれば、
之と利害が全く相反するのである
故、極めて不利益なことに
相違ない。されば動物の色が
其住処の色と同じであることは、
攻撃の
方便としても
又防禦の方便としても、
其動物自身だけは
頗る利益のある性質といはねばならぬが、
或る動物になると、
唯色や
模様が似るのみならず、身体の全形までが、
或る物に
似て、
到底識別が出来ぬ程である。
其最も有名な例は
琉球辺に産する
木葉蝶、内地
到る処に産する
桑の
枝尺蠖、
南洋諸島に産する
木葉虫などであるが、
詳しく調べれば、内地にも
尚其他に種々の例がある。こゝに図を
掲げたのは、
木葉蝶であるが、
此蝶は
翅の表面は
美麗な色を有するに
拘らず、
裏面は全く
枯葉の通りの色で、
翅の全形も木の葉と少しも
違はず、
葉脈の通りの
模様まで備はつてある
故、
翅を
閉ぢて、木の枝にとまると、中々見出せるものでは無い。
此蝶の産する地方を旅行した博物学者の
紀行には
此蝶の飛んで居るのを見付け、
或る
枝にとまつたまでは確に
見届けたが、
其処を
捜しても容易に解らず、
一時間余も
掛かつて
捜し出したのに、全く自分の目の前に居たなどといふことが
屡載せてある。先年
或る人が
此蝶の
翅を閉ぢた
儘の標本を
林檎の
枯葉の
附いた枝に
添へて、
硝子箱に入れて、大勢の人に見せた所が、
誰も
之に気が
附かず、余程過ぎてから
僅に一人が
蝶の頭と
触角とを
見附けて、
此枯葉の下に
蝶が
隠れて居ると
叫んだ。
併し、
其枯葉と思うたものが
蝶自身の
翅であることには、
尚考へ
及ばなかつた位であるから、広い処で
此蝶のとまつて居るのを
見附けるのは、余程
困難に
違ひない。
第六十図 木葉蝶尚一つ
添へたのは、
東印度アッサム地方産の
蛾の図であるが、
是も
矢張り
翼に木葉の
模様がある
故、とまつて居るときには、中々容易には
見附からぬ。
特に面白いことは木にとまるときに、
翼を
縦に
畳む
蝶類では、
翼の
裏面が木葉の通りであるに反し、
翼を水平に
畳む
蛾の方では
此通りに
翼の表面に木葉の模様がある。
第六十一図 木の葉に似た蛾又次に図を
掲げたのは、
桑の害虫である
尺蠖であるが、
此虫は色も形も真に
桑の
小枝の通りで、人間も常に
是には
瞞される。総べて
斯様な虫類には自分の身体の色と形とが他物に
似て居ることを、十分に利用する
本能が備はつて居るもので、
此虫なども、体の
後端にある二対の足で
桑の枝に
附着し、身体を一直線に
延ばし、
恰も小枝と同じ位な角度をなして立つて居て、容易に動かぬ。
尚口からは細い糸を
吐き、
之を
以て頭と枝との間を
繋ぎ、成るべく
疲労せぬ様な
仕掛けにする
故、長い間少しも動かずに居ることが出来る。それ
故、農夫なども往々
之を真の小枝と
誤り、持つて来た
土瓶などを
之に
掛けて、
破ることがあるといふが、
此位に小枝に似て居る
故、鳥類が
之を
見附けて食ふことは中々容易でない。夜になつて、鳥類が
皆巣に帰つて
仕舞ふと、
此虫は
徐々這ひ出して
桑の葉を
盛に食ふ。実に
桑に取つては余程の害虫である。
又南洋諸島に産する木葉虫は、全身緑色で木葉の通りの形状を
呈し、
葉脈に相当する線まで総べて
其儘であるが、
是も木にとまつて居るときは、
近辺にある無数の真の木葉との識別が中々出来ぬから、
仮令目の前に居るとも容易には
見附けられぬ。
第六十二図 桑の尺蠖
以上は、
孰れも身を護るために他物に似て居る例であるが、容易に
餌を
捕へ得るために、他物に似て居る動物もある。例へば
蜘蛛の類には鳥の
糞と全く同様な
彩色・形状のものがあり、木葉の表面に
静止して、
蝶などの来るのを待つて居る。
蝶の類には好んで
鳥糞の処へ飛び来る種類がある
故、
蜘蛛は
唯待つてさへ居れば、
相応に
餌を
捕へることが出来る。
又蜘蛛の中には、
蟻と
寸分も
違はぬ形のものがある。
蟻には足が六本と
触角が二本とあるが、
蜘蛛には
触角が無くて足が八本ある
故、
普通には
蟻と
蜘蛛とは大に形状が
違ふが、
此蜘蛛は前の二本の足を
蟻の
触角の
如くに動かし、残りの六本の足で走るから、
愈蟻の通りに見える。常に木葉の上に居て、
蟻を
捕へて食ふが、
蟻は
蜘蛛と知らずに近くまで
寄つて来る
故、
之を
捕へることは
甚だ易い。アフリカの
沙漠で、
駝鳥を取るときに、土人が
駝鳥の皮を
被つて、
之に近づくのと
理窟は少しも
違はぬ。
動物が
攻撃或は
防禦のために、
其住する処と同一な色を有することを
保護色と名づけるが、
既に前にも述べた
如く、
此事は、
攻撃にも、
防禦にも、
其動物自身に取つては
頗る都合の好いもので、特に
形状まで他物に似て居る場合には、
尚一層有功である。さて保護色といふものは
如何にして出来たものかと考へるに、
天地開闢の時に神が
斯様に造つたのであるというて
仕舞へば、それまでであるが、
是には
証拠もなければ、
又理窟も少しも解らぬ
故、我我は満足は出来ぬ。
之に反して生物各種は
皆進化によつて
漸々今日の有様に達したもので、進化の原因は主として自然
淘汰であると考へれば、保護色は必然の結果と
認めなければならぬ。
試に
其大体を述べて見れば、例へば
昆虫類は常に鳥類に
攻められるもの
故、代々鳥類に
見逃されたもののみが生存して、後へ子孫を
遺す訳となる。
而して
如何なるものが最も鳥類に
見逃される
望を有するかといへば、無論
其住処の色に成るべく似た色を有するものである
故、代代
斯かる個体のみが生存し、
生殖し、
其性質が
遺伝によつて子孫に伝はり、代の重なるに
随ひ
其性質も積つて、
漸々進歩し、終には
殆ど見分けが
附かぬ位までに
其住処に似る様になる
筈である。
斯くの
如く今日実際の有様は総べて自然
淘汰の予期する所と全く
一致して居るが、
是は確に
此説の正しい
証拠と
見做さねばならぬ。
多くの動物は
其住処と同じ色を有するものであるが、
或る種類の動物は全く
之と反対で、
其住処と色とが
甚だしく
異なり、
其ため
著しく目に立つて遠方よりも
明に識別が出来る。
蜂の
如きは
其一例であるが、
斯様な動物を集めて見ると、
孰れも小形のもので、
刺を有するか、
毒液を
分泌するか、
悪臭を
放つか、
或は非常に味の悪いものであるか、何か必ず
之を
攻撃した敵は一度で
甚だしく
懲りる様な性質の備はつて居る類ばかりである。
是は保護色に比べると、
遙に少数で、
其明に知れてある例は、多くは
昆虫類であるが、
蜂の
如く
刺を有するものの外に、
蝶の中には味の極めて悪いものがあり、
臭亀虫の中には
烈しい
臭気を放つものがあり、
甲虫の中には関節の間から毒液を
分泌するものなどがあつて、
孰れも
著しい
彩色を
呈し、一見して
之を識別することが出来る。
此等の
昆虫類を
捕へて
試に鳥類に
与へて実験して見るに、
或る鳥は初から全く
之を
顧みず、
又或る鳥は一度
之を口に入れ、
忽ち
吐き出して、後に
嘴を方々へ
摩り
附けたりして、
不快の感じを消さうと種々に
尽力するが、
此事から考へて見ると以上の
如き動物が特に識別し
易い
著しい
彩色を備へて居るのは、敵である鳥類等の
記憶力に
訴へ、初め
若干の個体を
犠牲に供して、
其食ふべからざることを鳥類に覚えしめ、然る後に
残余のものが、白昼安全に横行し得るがための
方便と
見做すより外に仕方がない。
小形の動物が大形の
敵に対する場合には、自身に
如何に敵を
懲らしめるだけの
仕掛があつても、
之を表に現す
看板が無ければ何の役にも立たぬ。例へば
昆虫が一度鳥に
啄かれて
仕舞へば、
其後敵である鳥が毒液・
悪臭等のために
如何に苦んでも、殺された方の虫は、最早活き返る
気遣ひなく、結局
防禦の
装置も何の
功も無いことになる
故、最初から敵が自分を
捨てて
顧みぬ様にさせる
趣向が
肝心である。こゝに述べた
如き動物の著しい色は、
即ち
此意味のものであるが、敵を
警戒するためのもの
故、
之を
警戒色と名づける。
こゝに
尚一つ
奇なことは、
昆虫類の中には
刺をも有せず、毒をも
分泌せず、全く
防禦の
器官を備へぬもので、往々
警戒色を
呈するものがある。
尤も、
其数は真の
警戒色を有する類に比べると
遙に少数で、
且各々必ず
或る有力な
防禦の武器を備へた
昆虫に極めて
類似して居る。例へば、
蜂は
刺を有する
故、
之を
攻撃する動物は
比較的に少いが、
蛾の類に属するスカシバ
蝶、
甲虫の中なる
虎カミキリの
如きは、分類上の位置の全く
異なるに
拘らず、
形状・
彩色ともに
頗る
蜂に似て居るので、飛んで居る所を見ると、往々
蜂とは区別が
附かぬ、
是は全く多くの鳥が
蜂の形と色とを
記憶し、
蜂を
避けて
攻撃せぬことを利用し、自分も鳥類に
蜂と
見誤られて身を全うするための
手段と思はれるが、
斯かる性質が
如何にして生じたかと考へるに、生物が
皆自然
淘汰により
漸々進化して今日の
姿になつたものとすれば、
其生じた原因なども一通りは
推察することが出来る。
若し
之に反して
生物種属を万世不変のものと
見做さば、
斯かる事実は単に
不思議といふだけで、
到底少しも
其意味を知ることは出来ぬ。特にスカシバ
蝶の
如きは、
蛹より出た際には、
翅は全面に
粉状の
鱗片を
被り、
不透明なこと少しも他の
蝶類に異ならぬが、出るや
否や、粉は落ち去りて、
其ために
翅は
蜂の
翅の
如き
透明なものとなる。
第六十三図 (甲)蜂の一種 (乙)蜂に似た甲虫此事などはスカシバ
蝶を、
終生、
翅一面に粉の
附いて居た
蝶類から進化し
降つたものと
見做さなければ、全く
理窟の解らぬ
現象である。
仮にこゝに一種の
昆虫があると想像し、
其若干の個体が鳥類に
蜂と
見誤られて安全に生存し、
生殖したとすれば、
其鳥類をして
蜂と見誤らしめた性質は
遺伝によつて子に伝はり、次の代には
又多数の子の中で、最も
此性質の発達したものが、最も多く鳥によつて
蜂と見誤られさうな
訳である
故、
此等だけが生存して子を
遺し、代々知らず識らず鳥によつて
淘汰せられ、
其結果終に今日見る
如きものまでに進化する
筈である。
斯くの
如く生物の進化するのは、主として自然
淘汰によるものとすれば、スカシバ
蝶の
如き、
虎カミキリの
如き、
或は
此処に図を
掲げた
蝶・
甲虫の
如き
防禦の武器なくして
唯警戒色のみを有する
昆虫の生ずることも、最も有り得べきことと考へられるが、若し自然
淘汰といふことを全く
度外視したならば、
此所謂擬態といふ現象は、
如何にして生じたものか、
到底其理由を
察することは出来ぬ。
第六十四図 (甲)ヘリコニヂー科の蝶 (乙)ヒエリヂー科の蝶
斯く
論じ来れば、
或は読者の心中に次の
如き
疑が起るかも知れぬ。
即ち
生存競争に
於て、
適者の勝つことは素より当然であるが、
保護色・
警戒色・
擬態の
如きは
或る程度まで発達した上でなければ、全く功の無いものである。例へば
蜂と
誤られて鳥の
攻撃を
免れるには、
既に余程
蜂に似て居なければならず、木葉に
紛れて鳥の目を
忍ぶには、
既に余程木葉に似たものでなければならぬが、さて
此程度までは
如何にして進んで来るか、
此程度に
達する前は
孰れの個体も同様に鳥類に
攻められる
故、
此方向へ向うては、何の
淘汰も無い
理窟であるとの考は
誰の
胸にも
浮ばざるを得ぬ。
是は実際、自然
淘汰の現状を
胸中に画くに当つて最も
困難を感ずる点で、今日
生物進化論に対して
異議を
唱へる生物学者は最早一人も無いに
拘らず、自然
淘汰説に
就いては
尚種々の議論の絶えぬのは、一は
此点に
基づくことである。
併しながら、
善く考へて見るに、
此点は決して自然
淘汰の説に反対する程のものではない。
何故といふに、
攻める方の鳥も決して初めから今の通り目の
鋭いものではなく、
漸漸の進化によつて今日の有様までに発達して来たもの
故、
其昔に
溯れば、
蜂と他の
昆虫とを
識別し、
枝にとまつて居る
蝶と木葉とを識別する力も
随分不完全で、余程
違うたものでなければ
判然区別の出来ぬ時代もあつたに
相違ない。
又生存競争に
如何なるものが勝つかと考へて見るに、各個体が
皆勝たなければ
其種属は勝たぬといふ
理窟はない。例へば
甲乙の二団体が競争するに当つても、個体間の
勝敗が
区々であるため、
孰れが勝つか、
孰れが負けるか、解らぬ様な場合にも、若し全体の
統計を取つて見て、
甲の方が
僅ながらも
常に多く勝つて居る
形迹があつたならば、長い間には終に
甲が勝を
占めるに定まつて居る。人間社会の競争に
於ても
理窟は全く
此通りである
故、
凡時の大勢に通ずるには、先づ統計によらなければならぬ。
斯かる次第
故、鳥類の
目も今日程に発達せぬ
頃に一種の
蝶があつたと仮定し、
其蝶の個体総数を
聊でも木葉に多く似た方と、少し似た方との二組に分ち、同一時間内に各組の鳥に
攻められる数を統計に取つて見て、
聊でも似たものの方が鳥に
攻められることが少かつたならば、
是が
既に一種の
淘汰である。
而して
如何に不完全な
淘汰でも、代々同一の方向へ進めば、
其結果は
漸々積り重なつて、終には
著しいものになるべき
筈である
故、
此方法によつて木葉に似た
蝶が出来るのも、素より有り得べきことと言はなければならぬ。
斯様に論じて見れば、
保護色の始めでも、
警戒色の始めでも、自然
淘汰説によつては
到底説明が出来ぬといふ性質のものでは決して無い。今日生物学を修めながら、
尚自然
淘汰の働きに
就いて
疑を
挾む人等は、
恰も戦争を見に行つて
一人々々の
兵卒の勝敗のみに注意し、
両軍の全部の
形勢を
察せぬのと同様な
誤に
陥つて居るのである。
以上述べた所の
攻撃の
器官、
防禦の
装置、保護色、
警戒色等の
如きは、
孰れも
皆生きた敵に対して有功なものであるが、動物には
尚其外に寒暑・
乾湿等の
如き気候上の変化と戦うて
之に
堪へるだけの性質が備はつてある。
而して
如何なる動物に
如何なる性質が備はつてあるかと
詳しく調べて見ると、
孰れも
其住処・習性に応じて、種属の
維持に必要な性質のみが
発達して居る。例へば水の決して
涸れることの無い河や池に住む魚類には、水が
涸れても死なぬといふ性質は備はつてないが、
何時、水が無くなるか解らぬ様な小な
水溜りの中に住んで居る水虫の類には、身体が全く
乾燥して
仕舞うても
尚死なぬものが
沢山にある。こゝに図を
掲げたのは、
熊虫と
称して、常に
水溜りの中に住み、八本の短い足を
以て
水藻の間を
這うて居る
顕微鏡的の小虫であるが、
乾かせば
縮小して、(ロ)の
如くになり、動物であるか
紙屑であるか解らぬ様なものとなる。
之を
此儘に
捨て置けば
何時までも全く
此通りで、少しも生活の
徴候を現さぬが、
併し水で
濡らせば、
何時でも旧の
姿に
復つて、
直に平気で
這ひ始める。
此他にも車虫というて
之と同様な
性質を有する小虫の類が数百種もある。
又斯様な
水溜りには水の
涸れるときには
乾燥に
堪へる
卵だけを残して、自身は死んで
仕舞ふ虫類が
甚だ多い。
此等は
皆種属
維持の上に最も必要な性質で、
是が無ければ、
其種属は
忽ち断絶すべきものであるが、
斯かる性質は、常に
是を利用する機会を持たぬ動物には、決して発達して居ない。
第六十五図 熊虫 (イ)生きたもの (ロ)乾燥したもの沙漠に住む
駱駝が胃の外面に水を
貯へるための
小嚢を数多持つて居るのも、
此類の一例で、水に不自由をせぬ場所に住んで居る
獣類には
斯様な
装置の備はつてあるものは一種も無い。
詰まる所、
其処に生存し続けられるだけの性質の備はつた動物でなければ、今日まで生存して居る
訳は無い
故、今日生きて居る動物を取つて検すれば、
孰れも実に感服すべき程に
其住処の有様に
適した構造・性質等を有して居る。
唯是だけを見ると、
如何にも
全智・
全能の神とでもいふものがあつて、
態々其処に適する様に造つたかとの考が起り
易いが、
斯様な自然以外のことを
仮想せずとも、自然
淘汰といふことを
認めさへすれば、総べて
此等の事実の
起源を
明に
理解することが出来る。
本章に述べたことを
約言すれば、
略次の
如くである。
凡動物の構造・習性・
彩色等は
孰れも
皆生存競争に当つて
其動物自身の利益となる様な方向だけに発達し、
其動物の種属
維持に必要な度までに進んで居て、
其他には何の目的も無いらしい。生存上必要のない所には、
攻撃・
防禦の
器官は決して無い。
又必要のある場合でも、種属
維持の上に必要な程度までより決して発達して居ないが、
此等の現象は全く自然
淘汰説の予期する所と
一致するもので、自然
淘汰によらなければ、
到底説明は出来ぬ。一動物の有する
攻撃・
防禦の
器官は、
其敵である動物より見れば、
甚だ
迷惑なものであるが、他に対して
如何に不利益なるかは少しも
頓着なく、
唯生存競争上、各々
自己の利益になる様な点のみが発達し、各動物の
攻撃・
防禦の装置の
相匹敵することにより、自然界の平均が
暫時保たれてある有様は、自然
淘汰の説から見れば素より
必然のことであるが、自然の
淘汰を無いものと考へては、
如何にしても
説明の仕様はない。
尚添へて言うて置くべきことは、
我々の
生態学上の
知識のまだ
甚だ不完全なことである。動物の生態を十分に調べるには、
其動物の
天然の
住処に
於て絶えず
其動物の
為すことを観察せねばならぬが、
是は中々容易でない
故、動物の生態に
就いては
尚解らぬことが大部分である。動物を
捕へて飼うて置いても、
其習性の一部を観察することは出来るが、
稍高等な動物になると、
到底此方法では十分でない。
況して死んだ標本を基として、
其生態を論ずることは
頗る危険である。
奇麗な緑色に
緋色の
斑のある
鸚哥、黄色に黒線のある
虎などは博物館に
陳列してある所だけを見ると、
是ほど目に立つ動物は他にあるまいと思はれるが、旅行者の報告によると南アメリカ熱帯の緑葉の
繁つた間に、
紅い花の
咲いて居る森の中では
鸚哥は中々容易に見分けられぬ。
又丈の高い黄色の
枯草に日光の
直射して居る処では、
虎の黒線が草の
影の
如くに見えて
近処に居ても余程見出し
難いさうであるから、動物の
彩色が
其生活上に
如何なる役に立つかを論ずるには、実地に
其住処に行つて見なければならぬ。生物学者と名づけられる人の中にも、
随分一二個の標本から
直に
其生態を早合点する人があり、日本産ナメクジの
酒精漬標本(注:アルコールづけ標本)を見て、
是は
蛇の
擬態をなして居ると
唱へた人などもある
故、今までに
警戒色や
擬態の例として
沢山に報告せられた動物の中には、
信か
誤か解らぬのが
幾らもある。生態学は生物学中で
素人に向うては最も
興味の多い分科であるが、事実を十分に
観察した上でなければ、何事も確には論ぜられぬ。不完全な知識を基として
妄に想像を
逞しうすると、必ず
牽強附会に
陥るを
免れず、生物学全体の信用を落すに
至ることもあるから、余程
控へ目に考へねばならぬ。
併し、前に述べた
如き、今日最早
疑ふべからざるだけに確に知れて居る例のみに
就いて言うても、生態学上の事実は、総べて自然
淘汰説の
証拠と
見做すべきものばかりである。
生態学上の事実から考へると、生物進化の
原因は主として自然
淘汰にあることは、
確であるが、
其以外に生物進化の原因は全く無いかと考へるに、決して無いとの
断言は中中出来ぬ。
此点は今日
尚議論のある所
故、こゝに
詳しいことまで述べる
訳には行かぬが、
著者の考によれば、世の中から自然
淘汰といふものを全く
除き去つても、
尚生物に多少の変化を起す原因は
存在してある。本章に
於て述べる
如き、外界から生物に
及ぼす直接の
影響の
如きは、
即ちそれである。
凡生物は生まれてより死ぬるまで、常に外界に
囲まれ、外物に接して居ること
故、
之より
直接の
影響を受けて、各個体の形状に一定の変化を生ずることは、
極めて
普通な現象である。例へば同一の木より生じた種でも、一つを
肥えた地に
蒔き、一つを
痩せ地に
蒔けば、生長してからの形は
甚だしく
違ふ。
又地面に植ゑれば、十間(注:18m)以上にもなるべき大木の苗でも、
之を小な
植木鉢に植ゑて置けば、何年過ぎても、
僅に一尺(注:30cm)位により
延びぬ。種子は同じでも、
其の接する外界の有様に
随うて、生長後の形状に
著しい
相違の生ずることは、
此等を見ても
直に解るが、
詳しく調べて見れば、
孰れの動物でも、植物でも、実際
皆此通りで、外界の有様が
違ひ、生活の
境遇が
異なれば、
其中で出来上つた動植物の形状にも、
之に
応じただけの
相違が必ず現れるものである。それ
故、
若し
或る原因から外界の有様に変化が生じたならば、
其処に住する動植物は、直接に
其影響を
蒙つて、たとひ、自然
淘汰が全く無くとも、先祖とは多少形状の異なつたものとならざるを得ぬ。
又外界の有様に変化が起らなくとも、動物自身の
習性が変れば、
略之と同様な結果に達する。ニウ=ジーランド島に産するネストルといふ
鸚鵡が、
突然肉食を始めたことは、
既に述べたが、動物の習性は往々
斯くの
如き
急劇な変化を現すことがある。
斯かる場合には
従来用ゐ来つた
或る
器官は急に不用となり、他の
器官が
俄に
重任を
帯びて
働かねばならぬが、
凡孰れの
器官でも、用ゐれば、
益々発達し、用ゐなければ、
益々衰へるもので、常に
腕を動かせば
腕の
筋肉が発達し、
脚を動かせば、
脚の筋肉が発達し、
適宜に消化させれば胃が発達し、
適宜に考へさせれば
脳が発達する。それ
故、習性が変り、
器官の用不用に変化が起れば新に用ゐられる
器官は大に発達し、止められた
器官は
退化して、全身の構造が多少
先祖と
異なつて来る。
鳩は常に
堅い種子を食ふもの
故、
之を
磨り
砕くために、胃の
壁の筋肉が大に発達して居るが、
或る人が数年の間
柔いものばかりで
鳩を養うた後に
解剖して見ると、胃の筋肉が
著しく退化して、
壁は
甚だ
薄くなつて居た。
又其反対に
'鴎'の類は常に
柔い魚肉を食うて居るが、
或る人が
之に
穀物を食はせて数年間
飼うて置いたれば、
胃の
壁が厚くなつた。先日
到着した
或るドイツの
学術雑誌に、植物性と動物性との食物で、
蛙の
蝌蚪を養うた
試験の結果が
掲げてあつたが、植物性のものばかりを食はせて置くと、動物性のものを
与へたのに比べると、
殆ど二倍位も
腸が長くなる。
但し
蛙になつて
仕舞うてからは、何を食はせても
斯様な
著しい
相違は起らぬとのことである。
此外にも、
尚多数の例があるが、
斯くの
如く習性に応じて構造にも変化の起るもの
故、自然
淘汰といふことが全く無くとも、若し動物の習性が変じたならば、
其結果として先祖とは
幾分か異なつた
子孫が出来る訳である。
併し、
斯くの
如き変化は生まれてから後に起るもの
故、若し
此変化が少しも子に
遺伝せぬものならば、次の代には
又先代と全く同様な種子から出来始まり、外界から同様の
影響を受けて、終に親と同様な形までに生長するだけで、
其変化した性質が代々積つて進歩するといふことは決して無い。
即ち外界から生物に
及ぼす
影響は、
唯其時に直接に当つた一代だけに限られて、子孫には少しも関係が無い
理窟である。
之に反して
若し
幾分かなりとも
斯かる変化が子に伝はるものならば、次の代には
既に種子に多少
其性質が備はつてあること
故、
之より生ずる個体に対して外界から先代と同じだけの直接の
影響が
附け加はつて来れば、
其結果は
尚一層変化の進んだものが出来て、代々少しづゝ一定の方向へ進化する
理窟になる。実際
孰れであるかは近い
頃まで
尚疑問の有様であつたが、今日までに知られた事実から推すと、
斯かる変化の中で、
或る種類だけは
幾分か確に
遺伝する様である。
凡動植物の身体組織を成せる成分は常に
新陳代謝して
暫時も止むことなく、昨日食うた
滋養分は今日は
既に
筋肉・
神経等の一部となり、今日筋肉・神経等をなせるものの一部は、明日は
最早分解して
老廃物となり、体外に
排泄せられて
仕舞ふ。
我々人間も
其通りで生まれたときに
僅に
六百匁(注:2250g)に足らぬものが
二十貫目(注:75Kg)もある大きな人間になるのは、全く
新陳代謝に
於ける物質
出納の不平均から起る結果で、
其根元を
尋ねれば、
唯食物中の
滋養分から出来るものである。されば生物が
暫時同一の形状を
保つて居る所を見ると
恰も岩石・
鉱物等の
如き無生物が、常に同一の形状を保つのと同じ様に思はれるが、
其存在する有様を調べると、全く
違ふ。岩石・鉱物等が、昨年も今年も全く同一な形状を保つて居るのは、
之を
成せる分子が
其儘に止まつて動かず、外から入つて来る分子も無く、外へ出て行く分子も無く、昨年在つた
儘の分子が今年も
尚其処に止まつて居るからであるが、動植物が昨日見ても今日見ても同じ形を保つて居るのは、全く
之とは別で、外界からは
絶えず
新規に
物質が入り来り、体内よりは絶えず物質が出で去つて、
唯物質の出入の
額が
略相均しい
故、形状が変じないだけである。
其有様は
恰も
河の形は昨日も今日も同じでも、流れる水が
暫時も止まらぬのと少しも
違はぬ。
而して生物の体内に入り来り、
暫時生物の身体を造る物質は何かといへば、
即ち食物であるから、食物の
異同が生物体に直接に
著しい
影響を
及ぼすことは
毫も
怪しむべきことではない。
同一の親から生まれ、初めは全一の性質を備へて居た
二疋の動物でも、
一疋には
滋養分を
沢山に
与へ、
一疋には
粗末な
餌を食はせて養うて置けば、
終には
其間に
著しい
相違が生じ、体格の強弱・大小、毛の
色艶等まで相異なつたものとなることは、常に
我々の経験する所で、
富豪の飼犬と飼主の無い野犬とは
誰が見ても
直に解り、
貴族の
飼馬と
百姓馬とも一見して
明に
違うて居るが、
或る動物は食物次第で毛の色の全く変ずるものがある。例へばウォレースの
報告によれば、ブラジルに産する一種の
鸚哥に
鯰の
脂を食はせると、緑色の羽毛が赤色
又は黄色に変ずるが、土人は
此事を知つて居る
故、
随意に羽色の
違つた鳥を造る。
又印度には非常に羽毛の美しい一種の
鸚鵡があるが、
此鳥の羽色を常に美しからしめるには一定の
特殊の食物を
与へて置かねばならぬ。
其他鶸の類に
麻の種子を食はせれば羽毛が
漸漸黒くなり、カナリヤに
胡椒の実を
与へれば黄色が
益々濃くなることは、
既に人の知る所である。
此等は
唯従来の
経験から言ひ
伝へたことであるが、先年ザウエルマンといふ人が
態々実験して見た結果によると、実際全く
此通りで、
胡椒の実を食はせれば、
鶸・カナリヤに限らず、
'鶏'・
鳩の
如きものでも、
矢張り
著しく羽色に変化を生ずるとのことである。
但し生長し終つた鳥に
与へたのでは格別に効能は無い。未だ一度も羽毛の
抜け変らぬ前の
雛に食はせると、以上の
如き結果が必ず生ずる。
又リスリンやアニリン
染料などを
餌に混じて食はせて見たれば、各々
何時も羽毛の色に多少の
影響を
及ぼしたといふことである。
此等から考へて見ると、天然に鳥の
餌となる物の中にも、鳥類の羽毛の色に変化を起すべき性質を備へた成分が往々
含まれてあるかも知れぬ
故、同一種の鳥でも、
其産地が異なれば
其食物も
違ふので、羽毛の色にも自然に
相違を生ずる様な場合も
随分有り得べきことであるが、
若し
斯くの
如きことが実際にあれば、
是は自然
淘汰以外に生物に進化を起す原因の一と
見做さねばならぬ。
昆虫類に関しては以上と同じ様な実験が種々ある。今より
凡三十年程前に、アメリカのテキサス州から
山繭蝶の一種の
蛹をスウィス国に持つて来た所が、
翌年それから生じた
幼虫に本国に
於けると少し異なつた
樹の葉を
餌に
与へたので、形状も色も大に
違つた
蝶が
之から出来た。素性を知らぬ
昆虫学者は、
之を
以て全く別種に属するものと
見做した位であるが、
其幼虫時代の食物は何かといへば、本国に
於ては
胡桃の一種で、スウィス国に持つて来てからも、
矢張り
胡桃の少し異なつた一種を食はせたばかりで、食物の
相違は実に
僅少であつた。幼虫時代の食物の
相違によつて同一種の
蝶でも
色彩・
斑紋等に
著しい
相違の起る例は
尚此外にも
沢山に知られてある。ヨーロッパに産する一種の
尺蠖は種々の
菊科植物に
附いて
其葉を食ふが、幼虫の色は
其の
附く植物の種類に
随うて異なり、白い花の
咲く
菊に
附けば白色、赤い色の
咲く
菊に
附けば赤色となる。
又毛虫の一種には
其のとまつて居る枝の色と同一な色になるものがある。
此等は
孰れも、食物が動物の身体に直接の
影響を
及ぼすもの
故、
仮令自然
淘汰といふことが全く無いと
見做しても、
此等の動物は食物さへ変れば、先祖とは
幾分か
違つた子孫が出来て種属は多少変化することになる。
食物の異同が動物の身体に対して直接に
如何なる
影響を
及ぼすかは、今日までに実験によつて知られてあることが、まだ
比較的に少い
故、十分断言することは出来ぬが、今日までに知られて居ることから考へて見るに、食物次第で
或る性質の変化するといふことは、動物界に余程広く通じてあるものと思はれる。前に述べた鳥類・
昆虫類の外に、
尚此点の
明に知れてある例を一二挙げれば、貝類でもイギリス産の
牡蠣と
地中海産の
牡蠣とは、
或る学者は
之を別種と
見做す程に形状なども
違つてあるが、イギリス産の
牡蠣でも
之を地中海に移せば、少時の後には、全く地中海
固有の
牡蠣の通りになつて、少しも
相違が無くなつて
仕舞ふ。
又今より
凡十年程前にヨーロッパからアメリカのヴァージニヤに
輸入せられた一種の
蝸牛は、二三年の間に急に
変種が
沢山に出来て、百二十五も
明な変種を識別することが出来る様になつたが、
其中の半以上は本国であるヨーロッパでは見ない所のものであつた。
此等は
皆気候との関係もあることではあるが、主として食物の
相違から起つた変化である。
植物界に
於ては
滋養分の
相違が、個体の形状・性質に直接の
影響を
及ぼすことは、
更に
一層明瞭で、
其例は実に数へ
尽されぬ程ある。ダーウィンもアメリカの
玉蜀黍をヨーロッパに移せば、初め高さ二間(注:3.6m)もあるものが、翌年には一間半(注:2.7m)位となり、
其翌年には
更に低くなり、果実の方も
著しく変化して、三年目にはアメリカ産のものとは全く異なつたものになつて
仕舞ふことを、
其著書中に
掲げたが、
其後クノープといふ人は、
滋養分を種々に調合し、
之を用ゐて
玉蜀黍を
培養して、実に
沢山な変種を造り出した。
其中には
誰に見せても確に別種かと思ふ様なものが、
幾つも出来た。
此他、園芸家や植木屋に
就いて
其経験談を
聴けば、
培養法によつて植物に
甚だしい
相違の生ずる例は
幾らでも知ることが出来やう。天然界に
於ては、植木屋が
態々行ふ様な著しい生活状態の変化の起ることは
稀であるが、場所が
異なれば地味も
違ふのは、
普通のこと
故、同一の植物の種子でも、風に
吹かれて
甲乙の
二箇所にひろがれば、生長した後には、必ず
其間に多少の
相違が現れるべき
筈である。それ
故、自然
淘汰といふものが全く無いと仮定しても、地味の異なつた
処に種子が飛んで行つて生ずれば、先祖とは
幾らか
違つた子孫が出来て、種属が変化することになる。今日植物界に多く見る所の地方的変種の中には、
斯くして生じたものも決して少くは無からうと思はれる。
風土・気候等の異同によつて植物に
甚だしい変化が起るのと同様に、海産の動物は水中の塩分の多少によつて
随分著しい変化が起る様である。
此点に関する研究はまだ一向行届いてないが、今日までに知られて居る例の中で最も
著明なのは、シュマンケウィッチといふロシヤ人の実験に係る
豊年魚の変化である。
抑も豊年魚といふのは、夏日
水溜りなどに生じ、
腹を上に向けて水の表面に
沢山に泳ぎ
廻る小な
蝦に似た下等の
甲殻類であるが、豊年魚といふ名前は
或る時
之を東京で売り歩いた金魚屋等が勝手に
附けたもので、実は決して魚類ではない。日本には
之を産する処が方方にある。さてロシヤには海の一部が海から
離れ、陸に囲まれて
湖水の
如くになつた処が
幾らもあるが、流れ
込む水
又は
蒸発する水等の
割合によつて、塩分の度は各相異なり、塩の
甚だ
濃い湖もあれば
又塩の極めて
淡い湖もある。豊年魚は元来
淡水の中ばかりに産する動物であるが、
斯様な湖の中を
捜すと、豊年魚に似ながら
稍異なつた種類が住んで居る。動物学者は
之を
普通の豊年魚とは別属のものとし、
其中を
又数種に分けるが、塩分の度の
違ふ湖に産するものは、形状も必ず多少異なつて居る。そこでシュマンケウィッチは
斯く塩度の異なる処に必ず
違つた種類の産するのは、
或は
塩の多少が直接に
其身体に
影響を
及ぼした結果では無からうかとの
疑を起し、実験によつて
之を調べて見た。
其方法は先づ
塩分の
濃い水の中に住む種類を養ひ、
飼養器の中に
一滴づゝ
淡水を加へ、極めて
徐々と塩分を
薄めたのであるが、塩分が
薄くなるに
随ひ、身体の形状が変じ、特に
尾端の形が全く変つて、終には常に
淡い
鹹水の中に住んで居る所のものと同一な形状を
呈するに
至つた。
而して
此形状を
呈するものは、
従来学者が全く別種と
見做して居たものである。それより
尚淡水を増し、塩分を減じて、真に
純粋な
淡水にして
仕舞うたれば、
其中に居た動物は
淡水中に産する
普通の豊年魚と全く同一なものに変じた。
斯かる面白い結果を得たので、
更に
此試験を
逆の順序に試み、豊年魚の飼うてある水の中に塩水を
一滴づゝ加へて
徐々と塩分を増して見た所が、前の実験と
丁度反対に
漸々鹹水産の種類を
随意に造ることが出来た。
尤も、
是は同一の個体が
斯く変化した
訳ではない。形状が
斯様に
著しく変化するには数代を要するが、
僅三代や四代の間に斯の
如き変化の起るのは決して
淘汰とは思はれぬ。
是は必ず外界から直接に動物の身体に
影響を
及ぼしたものと考へねばならぬ。
第六十六図 豊年魚(左)淡水産(右)鹹水産第六十七図 豊年魚の尾端の変化
総べて動物は身体の生長し終つた後には、性質が
既に固定して、
仮令、外界に著しい変化が起るとも、
之に応じて身体の形状・構造を変じて行く力が
比較的発達して居ない様であるが、生長の
途中にあるものは、外界の変化に応じ、親とは
余程異なつた具合に発育する性質が備はつてある。前に例に挙げた
蝌蚪の
如きも
其例で、
此時期に
於ては食物次等で
腸の長さの非常に異なつたものが出来るが、生長の終つた
蛙に
就いて試験しては、
斯様な
著しい結果を得ることは出来ぬ。
豊年魚なども
既に生長し終つたものを
淡水から
鹹水に移しては、
斯かる変化は見られぬが、
其子の代になると親とは異なつた外界の有様に
触れ、
其影響を
蒙り、親とは余程異なつた形に生長し、一代
毎に進んで
忽ち属も種も
違ふ程のものになつて
仕舞ふのである。
又以上の
如き確な試験は無いが、イガヒ・鳥貝の
如き海産貝類は、塩分の
薄い処に産するもの程、体が小いのも全く外界からの直接の
影響に基づくものらしい。
尚魚類にも
之と同様な例がある。同一の種類でありながら、塩分の
濃い処で育てれば、三寸(注:9cm)・四寸(注:12cm)にもなる貝が、
淡水の混じた処では
僅に一寸(注:3cm)にもならぬといふ様なことは、素より自然
淘汰の結果と
見做す訳には行かぬ。
斯くの
如く水中の塩分の多少は直接に動物の身体の発達に
影響を
及ぼすもので、塩分の度が変ずれば
其中で生まれた子は親とは
異なつた形状に発育する。実験によつて確に知れてある例は、今日の所
尚数多くは無いが、それから
推して考へると、
此性質は動物界に広く通じてあるものの
如くに思はれる。若し実際左様であるとしたならば、
或る原因によつて水中の塩分の度に変化が起れば、
其処に住んで居る動物は直接に
其影響を
被つて、形状・性質等に変化を生じ、
仮令、自然
淘汰といふことが全く無いと想像するとも、先祖と子孫との間には
著しい
相違が起らざるを得ぬ。例へばこゝに海岸に近い処に一個の
淡水の池があつて、
其中に豊年魚が住んで居たと仮定するに、若し
地震によつて
此池と海との境が切れ、
鹹水が池の方に混じ入つたならば、
其中に住んで居た豊年魚は三四代の後には動物学者が別属・別種と
見做す程に先祖とは
違つたものに変じて
仕舞ふ。
此場合には生まれた子孫が
悉皆生存して
其間に少しも
淘汰が行はれなくとも、総べて同様に一定の方向へ、向うて変ずる訳である
故、
是は自然
淘汰に基づかざる一種の変化である。
而して
斯かる
地殻の
変動は、常に起ることで、決して
珍しくないから、
実際動物が右の
如き変化を経た場合は、
随分沢山にあつたであらう。
又仮令斯様な
地震などが無くとも、動物自身の方で、
塩度の異なつた処に移住すれば、
之と全く同様な結果が生ずるは
勿論のことであるから、最初同一の先祖から起つた子孫でも、一部は塩の
濃い処に移り、一部は塩の
淡い処に移れば、
忽ち
其間に
相違が生じて、終には
明に二様の変種となつて
仕舞ふに
違ひない。
温度が動植物の発育に直接の
影響を
及ぼすことは、最も
明なことで、同一の植物でも
暖い処と寒い処とでは葉の大きさ・厚さなどに著しい
相違がある。動物の方で特に面白いのは、温度と
彩色との関係で、
蝶類の
如きは、
寒暖の度に
随ひ、種々の異なつた色を
呈する種類が
甚だ多い。我国に
普通に産するアゲハ
蝶の類も、春出るものと、夏出るものとでは、色も大きさも余程
違ふ。ヒヲドシ
蝶の類も温度次第で種々の
斑紋・
彩色を現し、従来二種
或は三種と
見做されてあつたものが、
飼養実験の結果、同種に属することの確に解つた例が
幾らもある。前に第五章に
掲げた
黄蝶の
如きも
之と同様な例で、実験によつて初めて
其の
悉く一種であることが
明に知れた。
斯くの
如く、
蝶類の色や
模様は温度次第で種々に異なるもの
故、人工的に温度を加減して、
飼養すれば、夏出るべき形のものを冬造ることも決して
困難ではない。
尚此方法によつて、実際自然には生存して居ない様な変つた
蝶を造ることも出来る。
此事は生物の進化を説明するに当つて
興味ある問題
故、
既に種々の実験を行うた人があるが、温度の高低によつて、
何時も必ず一定の変化が生じ、決して
誤ることは無い。
之より考へて見るに、若し
或る原因により一地方の温度に変化が起つたならば、
其処に住む総べての
蝶は
悉く直接に同一の
影響を受け、同一種類に属する
個体は
皆打ち
揃うて一定の方向に向ひ、変化する
筈であるが、
是も自然
淘汰に基づかぬ変化の一である。実際に
於ては素より自然
淘汰が働いて
或るものは生存し、
或るものは死に絶えるに
相違ないが、温度の
影響は敵も味方も同様に受けねばならぬ
故、自然
淘汰の結果と
相並んで、
其結果も現れざるを得ぬ。
尚其外温度の変化に
随ひ、
著しく変化するものは、
鳥獣の毛の色である。
或る人が寒帯地方に
於て冬に白色に変ずべき
獣を温室の中で
養うて置いたに、
何時までも白色にならなかつたが、外へ出して寒気に
触れしめたれば、一週間の間に全く白色に変じて
仕舞うた。
鳥獣の
如き高等の動物に
就いて、温度が
如何に身体の発育上に
影響を
及ぼすかを
確めた試験はまだ余り多く聞かぬが、温度に変化が起れば、動物の身体発生の上に何か
或る
影響を
及ぼすものであるといふことだけは
疑はれぬ。
微細な下等動物の中には、温めれば女の子ばかりを生み、冷やせば男の子ばかりを生む類があるが、
此等を見ても、温度と動物の生活現象との間の関係が
如何に
親密であるかを察することが出来る。
斯く考へると、実際今日までに地球の表面に
於て、動物が
直接に温度の
影響を受けて、形状・体質等に変化を生じた場合も、決して少くは無かつたらうと思はれる。
以上は、
孰れも外界に起つた変化が動物の身体に
及ぼす直接の
影響であるが、若し
斯様な
影響が
其動物一代だけに
限られて、決して次の代までは
及ばぬものならば、
如何に外界に変化が起つたとて、動物は代々先祖と同一な性質を持つた
卵から発生を始めることになる
故、外界から受ける
影響の結果が積み重なつて
著しくなる望は無い。親である動物が、
一生涯の間に
如何に変じても、
其子は再び親の発生の出発点と同じ処から発生を始める訳
故、外界から受ける変化は、何代過ぎても一定の制限を
超えることは出来ぬ
理窟になる。
併し、若し
斯様な
影響が
其時に当つた動物自身のみならず、
其子孫までに
及ぶものならば、次の代には
既に発生の出発点が親のに
比して少し進んで居る
故、
之に
其一代の間に受けるだけの
影響が
附け加はれば、生長の終りには
其親の達した点よりは
尚一層先の処まで進むことが出来て、代々同じことを
繰り返す間には、外界から受ける
影響の結果が
漸々積つて、終には余程著しくなる
筈である。実際
孰れであるかは、先年まで議論の絶えぬ問題であつたが、今日の所では、最早後段の
如くに決して
仕舞うた。
其詳しいことは次の章で述べる
故、こゝには
略するが、初め
斯かる変化は一切
遺伝せぬと論じた学者も、後には多少遺伝するといふ考に変じた
故、先づ
斯様に言ひ
断つても
差支へは無からう。
素より動物が
一生涯の間に外界から受けた
影響の結果が、何でも
悉く子に
遺伝すると思ふ人は
誰も無い。昔は親羊が前足に
傷をしたれば、
其の生んだ子羊の前足に親の傷と同じ場所だけ毛の色が
違うて居たとか、親犬の耳を切り
除いたれば、耳の短い子が生まれたとかいふ様なことを
唱へた人もあつたが、
此等は無論取るに足らぬ
俗説で、今日まで
斯様な
怪我が子に遺伝する例の確なものは一つもない。親が
負傷することは実際
幾らでもあるが、
其の生んだ子に親の傷に相当する
畸形は決して出来ぬ。
併し、動物の
一生涯の間に外界から
被むる
影響には、種々の性質のものがあり、身体の一部だけに限られたものもあれば、全身に通ずるものもある。本章に
於て述べた
如き食物・気候等の
影響は全身が
悉く
之を受け、
如何なる部分と
雖も
之を
免れる
処は無い。子孫までも
影響を
及ぼすのは
斯様な場合に限ることであらう。
地味・風土・気候等の
影響が、直接
之に
触れた動植物の一代のみに止まらず、
其子孫までも
及ぶことは、実際の例からも
明であるが、
理窟を考へても、
尤も
斯くありさうなことである。温度を変ずれば、
之に応じて
蝶の
彩色・
斑紋に変化の生ずることは、
既に述べたが、
専ら
斯様な実験に
従事して居た学者の
近頃の報告によるに、
或る
蝶を高い温度で飼育し、色を変ぜしめて、次に
其蝶の生んだ
卵を
普通の温度で飼うて見たれば、熱によりて生じた色の変化が、子の代になつても
尚余程現れたといふが、
是は外界から動物の身体に
及ぼす
影響が、遺伝によつて子孫に伝はるといふ事実上の確な
証拠である。
其他アメリカの
玉蜀黍をドイツ国に移せば、一代
毎に
著しく変じて、三代目に至れば、全く祖先と異なつたものになつて
仕舞ふのも
之と同様な訳で、若し一代の間に、外界から受けた
影響は種子には感ぜず、
随つて子に伝はらぬものならば、代々
純粋のアメリカ種から
培養するのと同じく、決して一代
毎に変化の度の進む理由は無い。
又之と少し種類の
違ふ例は、アブリン、リチンなどいふ
劇しい
毒薬を
普通の
鼠に食はせれば、
直に死んで
仕舞ふが、エーリッヒといふ医学者の実験によれば、始め
極少量を
与へて、
漸々其量を増して行くと、終には
此毒に感ぜぬ性質が生じ、
其所謂免疫性が子に伝はるとのことである。
以上は事実だけであるが、
更に
理窟の方から考へて見るに、
凡動物でも、
生殖によつて新しい一個体の出来るのは、決して
生殖の際に前に無かつたものが
突然生ずるのではない。子となるべき部分は、
生殖以前から親の体内に備はつてある。例へば
我々人間でも、生まれたばかりの
幼児の体内に
既に
其幼児が生長して後に生むべき子の種が
存在してあることは、
解剖して見れば、
直に解る。
斯様に後に子となつて生まれ出づべき部分は、
生殖作用の行はれぬ前から身体の内にあつて、
肺臓・
心臓・
肝臓・
腎臓などと同様に、生きた身体の一部をなし、同一の
血液に養はれ、同一の
滋養分を
摂取し、同一の
淋巴に
潤はされ、同一の
神経に
支配せられて居ること
故、全身が外界から
或る
影響を
被るときには、後に子となるべき部分だけが、
之を
免れるといふことは
頗る有り
得難いことと思はざるを得ぬ。
併し、
此事は
近頃まで激しい議論のあつた問題で、
堂々たる大家が
之に反対して居た位
故、素より
臆測を
以て軽々しく判断すべきものではないが、今日では
既に実験によつて証明せられたのであるから、最早
之を
疑ふべき余地は無い。 さて外界から動植物の身体に
及ぼす
影響は、
其一代のみならず、子孫までも伝はるとすれば、外界の変化に
伴ふ動植物の変化も代を重ねるに
随ひ、
漸々積つて
著しくなる訳で、動植物が新しい土地に
移つて来た場合にも
之と同じく、
或る一定の度までは代々変化の度も進むに
相違ない。今日地方的変種と名づけるものの中には、
斯かる方法によつて生じたものが
沢山にあるかも知れぬ。本章に述べた
如き自然
淘汰以外の
原因によつて生じた変化も、代々積み重なれば、終には
其れのみのために、先祖とは
著しく
違うた
子孫が出来ることも、
随分あり得べきことであらう。
斯くの
如く、動植物の生活上の現象を
詳細に調べて見ると、自然
淘汰以外にも
尚動植物の種属に変化を起すべき原因は種々あつて、自然
淘汰と同時に
働いて居るが、
此等に
就いては、
我々は
唯若干の事実を知るだけで、
其理由・法則に至つては、未だ一向に解つては居らぬ。例へばベニシジミ
蝶は温度を高くして飼へば
何故翅の黒いものが出来るか。カナリヤに
胡椒を
与へれば、
何故羽毛の黄色が
濃くなるか、豊年魚は塩分の増加に
随ひ、
何故形状に一定の変化が起るかといふ様な問に対しては、
唯生理上
斯くなるべき理由が
存するのであらうと
推察するばかりで、何とも
明に答へることは出来ぬ。それ
故、今日の所では、一個々々の動植物に
就いて
孰れの点が
斯かる原因から生じたものであるかを明言し得る場合は、
極めて少い。
唯全体に
就いて自然
淘汰以外にも、
尚動植物種属の
漸々変化すべき原因があるといふ断言が出来るのみである。
自然
淘汰に
就いては
既に前にも述べた通りで、動植物の子を生む数の
非常に多いこと、
随つて
生存競争の
避くべからざること、野生動植物にも変化性が備はつてあり、同一の親から生まれた子の間にも常に多少の
相違の点のあることなどから考へれば、自然
淘汰の絶えず働いて居ることは、
理窟上、
疑ふべからざるのみならず、実際動植物の生活状態を
観察すれば、
攻撃・
防禦の
器官の発達せること、種属
維持に必要な
本能の備はれることなど、自然
淘汰によつて各種属の進化し来つた
証拠は
殆ど無数にあるが、
此方が余り著しい
故、他の原因から起つた
変化は、
之に
隠れて、一向に目立たぬ。
特に外界から動植物の身体に
及ぼす直接の
影響に
就いては、今日
尚理由・法則等が解らぬ
故、結果から原因を
推察する
途がない。それ
故、
仮令、目の前に
斯かる
影響を受けて変化し来つた動植物を見せられやうとも、
之を
判断することは出来ぬが、本章に述べた
如き実験もあること
故、自然
淘汰以外には、動植物種属の変化する原因は無いといふ説は事実に
相違したものと
見做さねばならぬ。
如何なる理由によるか、少しも解らぬが、多くの動物は実際
其身体の大きさが
住処の広さに
比例し、同一種の魚でも広い
処では大きく生長し、
狭い処では
如何に
餌が十分にあつても、一定の大きさまでにより生長せぬ。こゝに図を
掲げたのは、
淡水に産するモノアラヒガヒといふ貝であるが、
斯く大きさの
違ふは、同一の親から生まれた
卵塊を四組に別ち、
各々大きさの異なつた器に入れて
飼養した結果である。
餌は
孰れにも十分に
与へたのであるから、大小の
相違のあるのは決して
滋養分の不足などより起つた
訳でない。全く
唯容器の大きなのにより
直接に
影響を受けた結果と考へねばならぬ。
是はセンペルといふ動物学者が
態々行うた実験であるが、実際ヨーロッパの
或る小な池では、
鱒が十分生長せぬから、一定の大きさに
達すると、
之を他の大きな湖に移して生長させ、
然る後に
之を
漁する処がある。
尚少し注意して見ると、
斯く外国の例などを挙げるに
及ばず、
何処にも多少
之に類する
現象を発見することが出来る。
第六十八図 モノアラヒ貝
斯様なことがある
故、
若しこゝに一つの広い湖があり、
地殻の変動により
漸々幾つもの小な池に分かれたと
仮想したならば、
其中に住する魚類・貝類などは、一代
毎に親よりは
稍小く生長し、終には先祖に比して
遙に小なものとなつて
仕舞ふに
相違ない。
尤も
斯かるものを
別種と
見做すことは出来ぬかも知らぬが、
兎に角、先祖と子孫との間には、形に
著しい
相違の生ずることだけは確である。人間などでも、
丈の高い人と低い人とを比べると単に身長に差がある外に、体の
諸部の間の
割合にも著しい
相違があるから、魚類や貝類でも、大小の
違ふものは
恐らく頭・
腹・
尾等の割合も異なるであらうが、当時魚類のみを
専門に調べる分類家の中には、コンパスと物指しとを
以て、魚の身体を
測り
直に種属を区別する人などもあるから、以上の
如くにして、出来た子孫も先祖とは全く別種のものとして、新しい学名を
附けられるかも知れぬ。
而して
斯かる変化は一代の間に
既に
明瞭に現れるもの
故、無論自然
淘汰とは関係のない変化である。
以上の
如き事実を
態々こゝに
掲げたのは、動植物と外界との間には、
密接な関係があるが、
之に関する
我々の
知識は
現今尚極めて不十分なことを示すためである。
餌を十分に
与へて、他に何も生長を
妨げるものの無い様に、十分に注意して養うても、小な
器に入れてあるモノアラヒガヒは大きな器で飼うたものに比べると、十分の一にも足らぬ大きさまでより生長せぬのを見ても
察せられる通り、外界からは
我々の思ひ
及ばぬ様な方面に
於て、動植物の身体に直接の
影響を加へることのあるもので、
既にダーウィンも注意した
如く、
獅・
虎の類は動物園に
飼はれて居ながら、
盛に
繁殖するが、
熊の類は
如何に
滋養分を十分に
与へても、決して子を生まぬ。
又鷲・
鷹の類は人に飼はれて
随分達者に
長生をするが、
雌雄揃うて居ても決して
卵を産んだ例が無いといふことなども、今日の所、一向
其理由の解らぬ事実である。
斯くの
如く、
未だ解らぬことばかりで満たされてある時代には、
仮令或る現象が未だ実験によつて証明せられぬからというても、決して
之を実際に無いものと
断定することは出来ぬ。本章に述べた
如く、外界から動植物の身体に
及ぼした
影響が子に
伝はることの確な
証拠は
尚甚だ少いが、
其他の場合と
雖も決して子に伝はらぬものとは無論言はれぬ。されば
此点に
就いては、今日最も
必要なことは、先づ実験観察によつて確な事実を多く集め、
之を研究して
其理由を
探ることである。単に自分の思ひついた
理論を基として全部に通ずる一定の仮説を考へ出すことは、研究の
鋒先を有望な方面に向けしめるだけの利益はあるかも知れぬが、
直に
之を取つて事実の説明に用ゐることは出来ぬ。
以上第三章より第十五章までに
於て、生物進化の事実
及び
之を説明する自然
淘汰の
説を
説くに当り、事実に
関する例は、
現今知れて居るものの中から、
著者が
随意に選び出したのであるが、
理窟の方は全てダーウィン自身の考を述べた
積りである。ダーウィン以後に生物進化の
尚一層
巧な説明を案出しやうと
骨を折つた学者は、
幾人あるか知れぬ程で、
其人等の発表した仮説も
随分種類が
沢山にあり、
互に相
駁撃して
何時果てるか分からぬ様であるが、著者の見る所によれば、今日に
於ても最も確実なのは、
矢張りダーウィン自身の説いた通りのことだけで、ダーウィン以後に出た種々の説は、
孰れも
之に比べると事実上の
論拠が
遙に弱い様に思はれる。
而して本書に
於ては、著者の最も確であると
信ずる所に
従うて記述した
故、自然全くダーウィンの
論じた通りを
紹介することになつたのであるが、ダーウィンが「
種の起源」を
公にしてから、今年は最早四十五年目であつて、
其間に
於ける生物学の進歩は実に
驚くべき程である
故、本章にはダーウィン以後の進化論の有様を極めて
簡単に述べて、
此論の現在の
状況を
明にしやうと思ふ。
生物進化の事実と
之を説明するための
理論とは、全く別に分けて論ぜねばならぬことは、前にも述べたが、本章にも素より
此区別が必要で、事実の方面と理論の方面とでは大に
模様が
違ふ。一言でダーウィン以後の
進化論の歴史を言へば、生物進化の事実は年々多数の
新規な
証拠が発見せられ、
益々確乎となつて、今日の所では最早動かすべからざるものとなつたが、
之に対する理論の方は
比較的進歩が
遅く、
沢山に考へ出された
仮説は、
孰れも不十分な事実上の
知識を基として、
其上に大きな
想像を積み重ねたもので、
甚だ
論拠の弱いもの
故、
其中から真に
確乎たる部分を
選り出せば、矢張り
嘗てダーウィンが「
種の起源」の中に説いて置いたことだけになつて
仕舞ふといふことが出来る。ダーウィンは、生物の進化は主として自然
淘汰の結果であるが、
尚外界から直接の
影響を
被ることも
素より種属の変化に
与かつて力あるものであると説いたが、
其後の
論者の中には、不思議にも
両極端に走つた二組が出来て、ウォレース、ヴァイズマン等は生物の進化は自然
淘汰のみによることで、自然
淘汰以外には生物進化の
原因は無いと論じ、アメリカの化石学者コープ、オスボーン等は、昔ラマルクの言うた通り、生物の進化は主として
器官の用不用に基づくことで、自然
淘汰は
之に対しては余り
著しい結果を起さぬと論じて居る。
併し
著者の考によれば、
是は
孰れも一方に
偏した説で、矢張りダーウィンの論じた通りが最も正当である。
又実際今日動物学者の多数は
此説を取つて居る様である。
「
種の起源」
出版以後に
於ける生物学の進歩は、実に非常なもので、
解剖学・発生学・古生物学・
生態学等の各方面に
於て、新に発見になつた事実は
頗る
夥しい。本書に例として挙げたものの中にも、ダーウィン以後の発見に係るものが過半を
占めて居る。特に発生学・生態学・下等の海産動物の研究の
如きは、
殆ど
進化論によつて新しく始まつた学科というても
宜しい位であるが、
其研究によつて発見になつた事実は、
如何なるものかといへば、大部分は
皆進化論の
証拠とも
見做すべきものばかりである。
又古生物学の
如きも、以前よりあつたには
違ひないが、四五十年以来の進歩は特に
著しいもので、本書に
掲げた古生物学上の例の
如きは、
殆ど
悉く近来の発見に係るものである。ダーウィンが「
種の起源」を
著した
頃には、生物進化の
証拠となるべき事実が
尚比較的少数であつた
故、生物学者中にも
之を
疑ふ人が
随分あつて、中には進化論は夢の
如き空想であると
嘲つた人まであつたが、
其後年々新しい事実の発見になる
毎に、進化論の
証拠が増して行くので、
忽ち
誰も
其の真なることを信ぜざるを得ぬ様になり、
現今では生物学を
修めながら、
尚進化論を
疑ふ人は一人も
無い有様となつた。されば今日の
如く生物進化の事実が
確になつたのは、全く十九世紀の後半に
於て、生物学上の
知識が
著しく進歩した結果に外ならぬが、
斯く生物学の研究が
盛になつて、
比較的短い年月の間に
夥しい事実を発見するに至つたのも、「
種の起源」の出版が大に
与かつて力あること
故、生物学の発達に対するダーウィンの
功績は実に空前のものといはねばならぬ。
斯くの
如くダーウィン以後の生物学研究の結果によつて、生物進化の事実は
益々確となり、
遂に最早少しも
疑ふべからざる程度までに達したが、
是は
唯生物の各種属は
漸々進化して今日の
姿になつたものであるといふ大体のことだけで、一種
毎の生物に
就いて、
如何なる先祖から
如何なる進化の
径路を
歴て、今日の有様に
達したものであるかと
詳しく
尋ねると、今日と
雖も
明に答へられる場合は
殆ど一つも無い。
併し、牛や羊の
胎児の
上顎に一度前歯が生じて後に消え
失せるのを見ては、牛・羊の先祖には
斯かる歯が発達して
居たものと信ぜざるを得ぬ
如く、
又大蛇に足の
痕跡の
存するのを見ては、
蛇類も足を有する先祖から
降つたものと思はざるを得ぬ
如く、一動物の
解剖及び発生が
明に解つて来れば、
其中から確に
其先祖の有した
若干の性質を発見することが出来る
故、
之を
根拠として
其動物の
経過し来つた
路筋の
幾分かを
推察することが出来る。
彼の「個体の発生は種属の進化の順序を
繰り返す」といふ生物発生の原則は、
即ち
此方法によつて
推察した結果を
綜合したものであるが、ダーウィン以後今日までに発見になつた発生学上の事実を
此原則に
照して考へて見ると、動物の各種属が共同の先祖から
樹枝状に分かれ
降つたことは、十分確な様に思はれる。
是は素より推察には
相違ないが、
余程確な
根拠のある推察であるから、先づ
之を真と
認めて置くより
致し方はない。
之より
尚一層真らしい推察は、今日の所、決して出来ぬのである。
最近四十年
許りの間に、多くの動物学者が
解剖学・発生学等の研究に
尽力したのも、一は
此進化の
樹の
枝ぶりを
明にし、動物各種属の
系図上の関係を
一目瞭然たらしめたいとの考から起つたことで、実際
此目的のために
有益な事実の発見せられたのも
頗る多く、
之を手がかりとして、進化の
径路の大体が
略確に推察せられるまでに至つた
部類も、
既に多少は出来た。
尚こゝに言うて置くべきことは、動物各種属の進化の路筋に関する
沢山の
想像説に
就いてである。
抑も生物発生の
原則といふものは発生学上の事実を集め、
之より
綜合して論じたもの
故、原則
其物は
勿論疑ふべからざるものであるが、
何万億年の間に種属が
漸々進化するのと、
僅々数週か数月の間に、
母胎又は
卵殻の内で個体の発生するのとは、
其の接する外界の
事情が全く
違ふ
故、個体の発生は種属の進化の順序を
繰り返すというても、
此二者が細かい点まで
悉く相
一致して居るといふ
訳では
無論ない。
其間には
寧ろ非常な
相違があつて、先祖の
姿が少しも変らず、
其儘に子孫の個体発生の
途中に現れるといふ
如きことは決して無い。
唯歴代の先祖の有した
若干の性質が、順を追うて子孫の個体発生の中に現れるといふに過ぎぬのである。それ
故、
此原則を
逆に
応用して、一動物の個体発生の有様から
其種属の進化し来つた
路筋を考へ出さうとする場合には、余程
控へ目にして十分注意せぬと、
飛んでもない
誤つた
結論に達する
恐がある。例へば、一種の動物を取り、
其発生を十分に調べ上げた所で、若し発生中の各期に現れる
性質は
悉く
其種属の進化の
径路に
於て
之に相当する時代の先祖が有した性質であると考へたならば、
是は大きな
間違ひである。
既に第十章に
於ても述べた
如く、個体発生の際には、
遺伝によつて先祖の性質が
繰り返して現れると同時に、現在発生するに都合よき様に
著しく変化した点も素より多いから、
斯かる際には、
孰れの点は先祖からの
遺物で
孰れの点は後世新に
獲たものであるかを十分
鑑定して、然る後に
其動物種属の進化の
路筋を
推察する様にせねばならぬ。
而して
之を
鑑定することは、広く動物総体の発生・
解剖等の事実を知つて居なければ出来ぬことである。単に一部類のみに通ずる者は、各性質の発生学上の
価値を適当に判断することが困難で、
随つて誤つた結論に
陥り易い。然るに
孰れの国でも、
何時の世でも、新に道を開いて進む人は
極めて少く、他人の後に
附いて行く連中は無数に
存するのは
免れぬ所で、生物発生の原則の
如きも種々雑多に
相異なつた発生学上の事実の
溜まつて居る中から、全体に通ずる理法を見つけ出し、
之を一の
原則として言ひ表すことは、ヘッケルの
如き大家を待つて初めて出来ることであるが、
一旦此原則が知れてから後に、
之を逆に当て
嵌めて、種属の進化に関する
臆説を造ることは、
誰でも出来ること
故、
或る動物の発生を調べた者は、
僅に発見し得た所の事実を基とし、
直に
之より
其動物の進化し来つた径路に
就いての
推察説を
公にすることが、一時は大いに流行して、大学の卒業論文などにも何かの動物の進化の
想像的系図が
附いて居ぬのは
殆ど無い様な有様であつた。特に
脊椎動物は
我々人間をも
含む門である
故、
之に
就いては
斯様な想像的系図が
幾通り発表せられたか知れぬ。
或る人は
脊椎動物の先祖は
海底に産する
海鞘といふ動物であるといひ、
或る人は
兜蟹であるといひ、
或る人は
蚯蚓・ゴカイの類であるといひ、
又或る人は海底の
泥の中に居る
紐虫といふ長い虫の類であるなどというて、
其他、例を挙げると、
殆ど際限も無い。
而して
孰れも
確乎たる
証拠のある
訳ではなく、
唯脊椎動物の発生の
途中に多少
斯様な動物に似た点が見えるといふに
過ぎぬ。
斯かる有様だけを動物学者以外の人に聞かせたならば、動物学とは左様な
空論ばかりを
戦はせる学科であるかと
驚くに
相違ないが、実は動物学者の中でも心ある者は
之を
苦々しく思ふ
程であつた。
尤も
斯かる想像説を
公にした人の中には、
随分有名な学者もあるが、
是は素より単に仮説として発表したまでのことで、
論者自身も無論
之を確定したものとは考へては居らぬ。それ
故、
此等の
如き動物種属の進化の
系図に関する想像説の中で、
孰れが正しからうとも、
孰れが
誤であらうとも、
又総べてが
間違うて居らうとも、
生物進化論に対しては何の
影響も
及ぼす訳はない。然るに、世間では往々
斯かる想像説の
衝突から起る学者間の議論を聞き伝へて、生物進化論が当時
尚疑問中のものであるかの
如くに考へる人もあるが、生物学上の無数の事実から
帰納して知り得た生物進化の事実と、
斯様な
論拠の弱い想像説とは、素より別物であつて、後者が
如何に決しやうとも、前者は
確乎として動くことは無い。
生物進化の事実はダーウィン以後の研究によつて
益々確となり、最早
疑ふべからざるものとなつたが、生物は
如何なる原因により
如何なる法則に従つて、進化し来つたものであるかとの問に対する説明理論の方は、今日と
雖もダーウィンの時に比べて、余り
著しい進歩は無い様である。前に述べた通り、ダーウィンは生物に
変化性のあること、
及び生まれる子の数の非常に多いことを事実と
認め、
之を基として、
生物種属の進化は主として自然
淘汰によると
論じただけで、兄弟間の変化は
何故に生ずるか、
遺伝は
如何なる
仕掛けにより行はれるかといふ様に、遺伝性
及び変化性の原因・法則までは論じ
及ばなかつた。
尤も遺伝に
就いては「
飼養動植物の変化」と題する
著書の終りに一の仮説を
掲げてはあるが、
是は全く一時の
仮説で真に間に合せのものであると、著者も
明に
断つて居るから、余り重きを置くべき性質のものではなく、
是が
如何に
間違つて居ても、ダーウィンの考の本体には何の
影響も
及ぼす訳はない。
又ダーウィンは自然
淘汰を
以て生物進化の主なる
一原因と
認めるだけで、
尚其他にも生物種属に変化を
及ぼすべき原因があると信じて居た。
此事は「
種の起源」の
緒言の終りに
明に書いてあるが、ダーウィン説に反対する人の中には、ダーウィンは生物進化の原因は自然
淘汰以外には無いと論ずる様に
誤解し、往々
或る事実を
捕へ来つて、
是は自然
淘汰では説明が出来ぬではないかといふ
駁撃の材料としたものも
多勢あつたので、後の
版には
更に第十五章結論の中に
斯様に誤解せられては実に
迷惑であるとの文言を新に
附け加へた位で、ダーウィンが自然
淘汰以外にも
尚生物進化の原因があると考へて居たことは
極めて確である。
然るに今日ダーウィン派と
自称する人々の中には、自分の説にダーウィンの名を
被せて、
恰もダーウィン自身が
斯く説いた
如く
吹聴するものもある様に思はれるから、特に
此事を
附言して置くのである。
ダーウィンの自然
淘汰説は、生物に遺伝性と変化性との備はつて居ることを
認めさへすれば
宜しいので、変化
及び遺伝の原因・法則が解らなければ説が成り立たぬといふ様なものではない。
而して生物に遺伝性と変化性との備はつてあることは、
我々の日夜目の前に見ることで、
誰も
疑ふことの出来ぬ事実である。今日
喧しい
議論のあるのは、多くは
尚一層先の遺伝説で、
是は日々
我々の見る遺伝
及び変化の事実は、
如何なる原因から起るかといふ問題を
解かうと勉めるもの
故、自然
淘汰の説と関係があるには
相違ないが、
是は別に
離して論ずる方が至当である。
今日生物学の全体を修めた者で、生物の進化し来つたことを
疑ふ人は、
最早一人もないが、生物は
如何にして進化し来つたかとの問に答へやうとする
理論の方は、
未だ決して一定しては居らぬ。ダーウィン以後に出た種々の説を集めて見ると、
互に相反対したものが多数にあるが、
之を大別すれば、先づ次の三組に分けることが出来る様に思ふ。
即ち第一には生物進化の
原因は主として自然
淘汰以外にあるといふ説。第二には生物進化の原因は主として自然
淘汰であるが、
尚其他にも生物の進化すべき原因があるといふ説。第三には生物の進化は
唯自然
淘汰のみによることで、自然
淘汰以外には生物進化の原因はないといふ説である。右の中、ダーウィン自身の説は
即ち第二の組に属するが、本書の
著者の考へる所によれば、今日と
雖も最も真に近いのは
矢張り
此説である。
第一の組に属する説の中から、最も
顕著なものを選り出すと、二つある。一は「新ラマルク説」と名づけるもので、生物進化の原因は主として
器官の用不用に基づくとの説であるが、
是はダーウィンの
所謂自然
淘汰以外の生物進化の原因の方を
頗る重く見た考である。アメリカの化石学者等の主として
唱へ出した所で、コープ、オスボーン等が
此側に立つ最も有名な
論者である。他の一は「
突然変化説」とでも名づくべきもので、近年オランダの植物学者ド=フリースの
主唱に係る説であるが、
此人は
其ために大部な書物を
著し、
若い時から今日まで数十年間の経験に基づき、実に
莫大な材料を列挙して、論じて居るが、
其説の大要は、「
凡生物の変化には二種の別がある。一は親子・兄弟の間に常に現れる
如き些細な変化で、
是は遺伝によつて子孫には伝はらぬ。他の一種は時々
突然に現れる著しい変化で、
是は
遺伝によつて子孫に伝はる。生物の新種の出来るのは、
何時も後者のみに基づくものである」といふ説で、
嘗て
哲学者ハルトマンの論じた所と
頗る
相似た考である。両方ともに
若干の事実だけに
就いて見ると、一応
尤に思はれるが、動植物の身体に存する無数の
生存競争上必要な構造・性質は
如何にして生じたものであるかを説明することは、
到底出来ぬ
故、
之を
以て自然
淘汰説の代りとする訳には行かぬ。
此等の説に関して多数の学者の
著した
論文を一々検査し始めたならば、
中々容易なことではなく、非常に長くもなること
故、本書に
於ては全く
略するが、大意だけは先づ
斯くの
如くである。今日の所、ダーウィンの自然
淘汰説の
勢が多少下火になり来つた事は
明であるが、
是は一時
無暗に
此説を有難がり過ぎた反動とも見るべき現象で、自然
淘汰説の真の
価値は、当今と
雖も
静に考へる多数の学者の十分
認めて居る所である。
寧ろ種々の反対説が出たので、自然
淘汰説の真価が現れた
如き
傾きが見える。
第二の説を取る学者の数は
頗る多い。ハックスレー、ヘッケルの
如き有名な
進化論者を始め「
綜合哲学」の著者スペンサー、「ダーウィン
及びダーウィン以後」の著者ローマネスなども
此説で、総べてダーウィンと同じく、自然
淘汰以外にも
尚生物進化の原因の
存することを
認めて居る。近年に
及んで、
此説の
比較的に声の高くないのは、
唯ダーウィンの
既に説いた所
故、改めて
喧しく人が
叫ばぬからであらう。
併し、
此説は第一説と第三説との中間に位するもので、先づ最も
穏当な考と思はれるが、
尚其理由は追つて述べる積りである。
第三の説はヴァイズマンの
唱へる所であるが、
是は自分が考へ出した一種の
遺伝説に基づくもの
故、
若し
此遺伝説の方が確でないとしたならば、
此説も
直に
倒れて
仕舞ふべき
筈のものである。
而してヴァイズマンの遺伝説は今日実際
如何なる有様にあるかといふに、実に
驚くべき程に
巧に造り上げたものではあるが、中々まだ
一般の学者が
承認するに至らぬのみか、
之を信ずる人は
寧ろ
甚だ少数な様に見受ける。
斯くの
如き次第
故、ダーウィン以後の
進化論は理論の方の進歩は
甚だ
僅で、今日までに
於ける真の進歩といふべきは、一時
極端まで自然
淘汰説を
尊び過ぎた誤を
漸々悟るに至つたこと位であらう。ダーウィン自身も初めて自然
淘汰に気の
附いたときは、少し
之に重きを置き過ぎて、
殆ど何事も
之によつて
解釈が出来る様に思うたが、
其後研究を積むに
随ひ、生物の進化には自然
淘汰以外の原因も中中
与つたといふことを信ずる様になり、
晩年に至つては益益
此考に
傾いたが、ダーウィン以後の進化論者の説を時の順に
並べて、同時代のものを平均して
比較して見ると、
略略之と同様な変化が見える。
即ち初めの
中は、生物界に現れる事物は一として
是で説明の
附かぬものは無いかの
如くに説き立てたが、追々自然
淘汰以外にも生物進化の原因が存することに心づき、今日では自然
淘汰の働きの
範囲、自然
淘汰に必要な条件等を静に考へて、
其真正の
価値を
評するまでに
達した様である。
「
種の起源」が
出版になるや
否や、
直に
之に賛成し、広く
此考を
普及せしめやうと
尽力したのはイギリス国ではハックスレー、ドイツ国ではヘッケルである。
此二人は
孰れも有名な動物学者であるが、
或は演説により、
或は
雑誌上の
論説により、
幾度となく
通俗的に
進化論を
敷衍して述べたので、
比較的短い間に、
一般の人民の間にも進化論の大要が広く知れ
渡るに至つた。進化論の
普及上には最も功績の
著しい人等である。
尚両人ともに
宗教上の
迷信を
遠慮なく
攻撃し、
其上僧侶の
堕落を
激しく
罵つた
故、宗教界からは
悪魔の
如くに言はれて居る。
ダーウィンは「
種の起源」の中には、
唯動植物ともに、
互に相似た種属は共同の先祖から進化して分かれ
降つたといふ
一般に通ずる論を
述べただけで、人間は
如何なる先祖から進化し来つたものであるかといふ
特別の論は全く省いて、
掲げなかつた。
是は
其時の世の有様を考へて、人間の先祖のことを第一版に
直に書いては、
其ため
世人の反対を受け、
肝心の生物進化論や自然
淘汰の説までが世に広まらぬ
恐がある所から、ダーウィンが
態々略して置いたのである。
併し、文句にこそ書いては無いが、
此書の中に書いてある
一般の論を、人間といふ
特別の場合に当てて考へれば、
是非とも人間と他の
獣類とは共同の先祖より分かれ
降つたとの
結論に達せざるを得ぬことは、
誰にも
明に知れる。
然るにハックスレーは早くも
其翌年に、処々で人間と
猿とは同一の先祖より
降つたものである。人間の先祖は
獣類であると
明に断言して演説し、
尚後に
此等を集め、書き直して、「自然に置ける人類の位置」と題する書を
著した。
是は
従来人間は神が
態々自分の形に
似せて造つた一種
特別のもので、天地万物は
皆人間に役に立つために
存在するなどと説き
込んで居た
耶蘇教に対しては、非常に大きな
打撃であつた
故、
宗教家からは
無暗に
嫌はれ、
彼等の
攻撃の的は
殆どハックスレー一人の
如き有様となつた。余程前のことであるが、
或る
耶蘇教の
雑誌を開いて見たのに、
其中に「進化論の本家であるダーウィンは神を
尊敬する人である。
唯其取次をするハックスレーといふ男が
無神論を主張して、世に
害毒を流すのである。けしからぬは実に
此男である」といふ様なことが書いてあつた。
併し、実際ハックスレーの述べたことはダーウィンの説と少しも
違うた所はない。
唯ダーウィンが生物全体に
就いて論じた所を、人間といふ
特殊の場合に当て
嵌めただけで、
其の主張する点は全く同一であつた。ダーウィンも
其後「人の先祖」と題する書を
著して、進化論を特に人間に応用し、人間も他の
獣類と先祖を共にするもので、
猿の類から分かれ
降つたものに
相違ないとの説を
明に述べた。
此書は今より三十三年前の出版
故、
其後に発見になつた
沢山の面白い事実は
載せてないが、
其頃までに知れて居た材料だけは、十分に集め、
且議論も余程
鄭重にしてあるから、
彼の「
種の起源」と共に
進化論を研究しやうとする人の、一度は必ず読まねばならぬ本である。ハックスレーが
其著書の中に述べた最も
著しいことは、人間と
猿類との
比較解剖によれば、人間と高等の
猿類との相似る度は、高等の
猿類と下等の
猿類との相似る度より
遙に
優つて居るとの論である。同じく
猿類といふ中には、
猩々もあれば
狒々もあり、南アメリカには長い
尾を
樹の枝に
巻き
附けて身を支へる類があり、
又鼠猿というて
殆ど
鼠の様な類もある。
此等は
皆四肢ともに物を
握ることが出来る
故、
従来は総べて合はせて四手類と名づけて居た。
又人間が
哺乳類に属することは
如何なる動物学者も
疑ふことが出来ぬが、
猿と
違うて手が二つより無いといふ所から、別に二手類といふ目を
設けて、
猿類とは
離してあつた。
然るに、ハックスレーの研究によると、
此区別は
解剖上少しも
根拠の無いことで、
猿の後足と人間の足とは
骨骼・
筋肉ともに全く
一致して居る
故、決して一を手と名づけ一を足と名づくべきものでない。
若し
猿類が前後
両肢ともに人間の手と同じ構造を有するならば、真に四手類の名に
背かぬが、実は後足の方は人間の足と
解剖上同一の構造を有するもので、単に
之を
以て物を
握るだけであるから、
此点を
以て
猿と人間とを別の目に分つのは無理である。
特に
猿類の中でも、
猩々の
如きものと南アメリカの
尾を巻く
猿などとを
比べて見ると、
其間の
相違は人間と
猩々との間の
相違よりは
遙に
著しいから、若し
斯様なものを同じ目の中に
編入して置くならば、
無論人類も
其中に入れなければならぬ。
現今の動物学書を開いて見れば、
孰れも
此考を取り、人類と
猿類とを合して
霊長類と
称する一目として、
哺乳類中に置いてあるが、
是は
比較解剖上の
明な事実に基づくこと
故、動物学上では
誰も
異議の出し様が無いからである。
ハックスレーの
専門学上の功績は中々
夥しいもので、
其中に進化論の材料となるものも決して少くはないが、
此人は
其外に理学の教育、進化論の
普及に
尽力して、
沢山な
論文を
公にした。
而して
其文句は総べて極めて平易で、学者の
通弊ともいふべきむづかしい字を、わざと
並べた様な
形迹は少しもないから、
誰も
明瞭に
著者の意を
解することが出来る。それ
故、特に生物学に
志す人でなくても、
一般の教育ある人は、
誰が読んでも利益があるが、英語を学ぶ人などには
又最も
善い手本として見るべき
価値があらう。
ドイツ国で
盛に
進化論を
主張し、
通俗的に
之を
普及せしめたのは、有名なヘッケルである。
此人は現にエナ大学の動物学
教授を
務めて居るが、動物学者
兼哲学者ともいふべき人で、生物学上確に知れて居る事実を基とし、
是に自分の理論上の考を加へて、一種の完結した
宇宙観を造り、進化論を説くに当つても常に自説を
附け加へて
吹聴した。それ
故、ヘッケルの
著書を読んで見ると、
何処までが学問上確に知れて居ることで、
何処からが想像であるか、
其境が
判然せぬ様な感じが起るが、
斯くては
一般の読者を
誤らしめる
虞があるというて、動物学者の中にも
之に不賛成を表する人が
沢山にある。
併し、
兎も角も事実の間を想像で
繋いで、始めから終まで
纏まつた考が
貫いて居るから、読んで解り易いことは
此上はない。
此人の
著書は
専門の動物学の方にも非常に多くあるが、
通俗的の方で最も有名なものは「
自然創造史」と「
人類進化論」との二冊で、両方とも
大抵の国語には
翻訳せられてある。
又近頃「世界の
謎」と題する面白い書を
著したが、
是も一時
大評判となり、
忽ちイギリス語・フランス語等に
訳せられた。
「自然創造史」といふのは、
既に
其名前で知れる通り、今日
我々の見る天地間の万物が、神といふ様な自然以外の者の力を
借らず、
唯自然の力によつて
漸々出来上つた有様を書いたものである。
其大部分は
素より
想像に過ぎぬが、今日知れてあるだけの科学上の
知識を
基礎としたもの
故、全く空に考へ出した想像とは
違うて、多少真に近いものと
見做さねばならぬ。
併し、事実上の知識の足らぬ所を、
余り
奇麗に
推論で
補うてあるため、
此書を読むと、
恰も今日
既に天地間の事物が
悉く
解釈せられ
尽したかの
如くに思はれ、
彼の「
講釈師見て来た様な
虚言をつき」といふ
川柳などを思ひ出して、
却つて全体を
疑ふに
至り
易い。ヘッケルも素より
此書の中に書いてあることを
悉く
確乎たる事実と
見做しては居ないが、進化論を
通俗的に述べて、
一般の人民間に
普及せしめるには、科学上
確乎たる事実だけを
掲げ、他に
如何に真らしいことがあつても、事実上の
証拠の出るまでは
尚疑を存して置くといふ様な
慎重な
遣り方では、中々間に合はぬ。それよりは
寧ろ多少の想像を加へて、生物進化の有様を具体的に造り上げて、
所謂「
中らずと
雖も遠からず」といふ位の所を示した方が、
効力が多いとの考から、
恐らく
斯様に書いたのであらう。「人類進化論」も
之と同様で、人類の進化し来つた
径路を
其出発点から説き起し、始め何の構造もない
簡単な生物から
漸々進化して、終に今日の複雑な人間になるまでの歴史を
詳に書いてあるが、
是も無論大部分は想像で、
其中には
随分真らしからぬ点も少くない。一言で評すれば、余り
明瞭過ぎるのである。今日
我々の不完全な知識を
以て、
既に人間の進化の径路を、始めから終りまで
到底斯く
明に
説ける
訳のものではないが、
此事はヘッケル自身も
承知で、
唯当時知れて居た人間の発生学上の事実を基として
推し考へた想像を、具体的に書き
綴つて、
矢張り「中らずと
雖も遠からず」と思うた所を
公にしたに過ぎぬ。以上二冊ともに解り易く書いた本である
故、進化論を研究したい人は一度は読んで見るが
宜しい。こゝに述べたことを
心得て読みさへすれば、別に
誤解する様な
憂は無からう。
序にいうて置くことはヘッケルの
著書にはドイツ国の詩人ゲーテを非常に
尊重し、
恰もゲーテを
以て生物進化論の
首唱者の
如くに説いてある。ゲーテの大詩人であつたこと、
及び
其生物学に非常な
興味を持つて居たことは、
誰も
疑ふものはないが、
彼を
以て進化論の首唱者と
見做すのは、
殆どヘッケル一人だけで、他の生物学者は
之に同意を表するものは無い様である。
又ヘッケルは
機会さへあれば、口を極めて
耶蘇旧教を
罵り、
其僧侶の不品行を
攻撃して、往々必要のない所に
之を引き合ひに出すこともあるが、
此等は単に
癖とでも見て置くが
宜しからう。
兎に角、イギリスではハックスレー、ドイツではヘッケルといふ様な人等が「
種の起源」の
出版後、
直に進化論を
普及せしめやうと大いに
尽力した
故、
此二国では
忽ち
下層の人民までも進化論といふ題位は知る様になつたが、そのため反対論も
亦盛に起り、一時は
何雑誌を見ても、進化論に関する記事が必ず
掲げてある様な有様であつた。フランス
其他の国々では、ハックスレー、ヘッケルに
比すべき人が無かつた
故、
唯其著書を
翻訳しただけで、
随つて進化論の
普及することも
幾分か
遅かつた様である。
ウォレースはダーウィンと同時に自然
淘汰説を発表した人で、後に
至つて
又「ダーウィン説」と題する書を
著して、生物の進化を論じた
故、進化論の歴史に
於ては最も有名な一人であるが、
其説く所はダーウィンに比べると、
甚だしく
違つた点が
幾つもある。
其主なるものを挙げれば、ダーウィンは自然
淘汰以外にも
尚生物進化の原因があると明言して居るが、ウォレースは自然
淘汰以外には生物進化の原因は無い
如くに説いて居る。
又ダーウィンは人間も他の
獣類と同じ先祖から起り、同じ理法に
随つて進化し来つたものであると
論じたが、ウォレースは進化論は他の生物には
一般に
適するが、人間には当て
嵌まらぬ。人間だけは一種
特別のものであると説いて居る。
其他、動物の
彩色の
起源、
雌雄淘汰の説等に
就いても、種々意見の
違ふ所があるが、こゝには
唯自然
淘汰に関することだけを
述べて見るに、ウォレースの考では、生物の進化し来つたのは全く自然
淘汰のみの働きによる。それ
故、動植物の有する性質は、
如何に
些細な点でも必ず今日
生存上に必要であるか
或は昔一度必要であつたもので、一として生存競争上に無意味なものはない。たとひ一個の
斑点一本の
鬚と
雖も、自然
淘汰の結果として今日
存するのであるから、必ず競争上
有功であつたものに
違ひない。
且外界から動植物に
及ぼす直接の
影響などは決して子に
遺伝するものでないとのことである。
ウォレースの
著した「ダーウィン説」といふ書は、野生動物の変化性のこと、動物の
彩色のことなどに関しても、種々面白い
事項が
載せてあつて、確に研究者の一読を価する書ではあるが、以上
掲げた二点に
就いては
其議論が少し
穏当でない様に思ふ。
我々は今日の不十分な生態学上の知識を
以て、動植物の
或る性質を
捕へて、
是は生存競争上無益なものであるとの断言は
勿論出来ぬが、
如何に
些細な点でも、必ず生活上有益なものであると言ひ断ることも
又決して出来ぬ。昔、何の役に立つか解らなかつた構造・
彩色等も、生態学上の研究が進むに
随つて、
其功用が知れた例は
沢山にあるが、さりとて、
此等より
推して総べての構造・
彩色は
悉く生存競争上に一定の意味を有するものであると
論ずる
訳には行かぬ。
又外界から動植物に
及ぼす
影響は、子孫に遺伝せぬといふのも、
唯今日までに、
其確な
証拠がないといふだけの論で、決して
是も
明に断言の出来るだけの
基礎はない。特に前章に述べた塩分の多少により豊年魚の形状の
漸々変ずる例を論じて、
是は塩分が身体の内部までも
滲み
込み、後に子となつて生まれ出づべき物質にまで変化を
及ぼすこと
故、全く例外の場合であるといふた
如きは極めて
其当を得ぬことである。
何故といふに、身体の内部までも
影響の達するのは、
唯塩分に限つた訳はない。食物も消化せられゝば血液に混じて身体の全部を
循る。温度も身体の内部まで達する。
其他、風土・気候と
総称する所のものは、多少全身に
或る
影響を
及ぼさぬものはない。されば、
豊年魚の場合に外界から
被つた
影響が子孫に伝はることも
認めれば、他にも
之と同様な場合は常に
幾らもあるものと考へねばならぬ。
尚ウォレースの説に
就いて不思議に感ずるのは、
其結論である。「ダーウィン説」の最後の章を読んで見ると、「生物の進化し来る間に自然
淘汰で説明の出来ぬことが三つある。
即ち第一には
無機物から生物の生じたこと、第二には生物中に
自己の
存在を知るものの生じたこと、第三には人類に他の動物と全く異なつた
高尚な
道徳心の生じたことであるが、
此等は
如何に考へても自然の方法で
発達したものとは思へぬ。必ず
物質の世界の外に
霊魂の世界があつて、
其処から生じたものに
違ひない」と書いてあるが、
斯様な論法は事物を理解しやうと勉める科学の
区域を
脱して、
最早宗教的信仰の
範囲に
蹈み
込んだものと
見做さねばならぬ。されば
此書は表題には「ダーウィン説」とあるが、
其内容はダーウィンの説とは大に異なり、人類の進化に関することは、全くダーウィンとは反対の説が
載せてある
故、
此書を先に読む人は、
彼此相混ぜぬ様に注意せねばならぬ。
ウォレースは
又昨年
或るイギリスの
雑誌に投書して、
奇怪な説を
公にした。
其大要を言へば、我
太陽系は
宇宙の中心に位する。地球は宇宙の中心の
特別の位置にある
故、他の星とは
違ひ、
霊魂を有する
人類の発生すべき
特殊の
条件を備へて居たのであらうといふ様な意味であるが、太陽系を
以て宇宙の中心にあるものとは、何を
基にして考へたか、
現今天文学で知れて居る星の在る所だけを
以て、宇宙と
見做せば、太陽系が
其中央に位するは
無論であるが、
是は五里(注:19.6Km)までより見えぬ
望遠鏡を用ゐて四方を見れば、自身は
直径十里(注:39.3Km)ある円形の宇宙の中央に
位する様な心持ちがするのと少しも
違はず、実は少しも意味のないことである。往年南アメリカやインド
諸島を
探険し、「島の生活」、「動物の地理的分布」などを
著した人が、老後
斯かる論文を
公にする様になつたのは、実に
惜しむべきことである。
宗教家はウォレースが
霊魂を
説くのを見て大に
悦び、進化論の
泰斗、自然
淘汰の発見者でさへ
霊魂の
存在を
唱へるから、
是は確であるなどと言うた人もあるが、晩年のウォレースは
余程不思議な方面へ
傾いた
故、ダーウィンと
並べて論ずることは
到底出来ぬ。
ウォレースの
如く自然
淘汰を
以て生物進化の
唯一の原因と
見做す人々のことを、今は新ダーウィン派と名づけて居るが、
其最も有名な代表者はドイツ国フライブルグ大学の動物学教授ヴァイズマンである。
此人は
若い時から進化論に心を注ぎ、先に「進化論の研究」と題する有益な書物を
著し、昨年
又「進化論講義」といふ一部二冊の立派な本を書いて、大に進化論を
鼓吹したが、
嘗て、「自然
淘汰全能論」といふ小冊を
公にしたこともある位で、自然
淘汰以外には生物進化の原因は決して無いとの
極端な説を取つて居る。
而して
斯様な説を取る
論拠は何であるかと
尋ねれば、全く自分の考へ出した一種の
遺伝説で、
其大要は
略次の
如くである。
ヴァイズマンが始めて遺伝に関する考を
公にしたのは、今より二十年余も前のことであるが、
其後屡説を改めた
故、前のと後のとを比べると、余程
違うた所がある。
細胞学上の細い研究に関する学説は
暫く省いて、
其全部を
摘んで述べて見るに、ヴァイズマンは生物の身体をなせる物質を
生殖物質と
身体物質との二種に分ち、後に子孫となつて生まれ出づべき物質を
生殖物質と名づけ、
其他身体の全部をなせる物質を身体物質と名づけて、
此二者を区別した。
而して
生殖物質といふものは、一個体の
生涯の中に新に出来るものではなく、生まれるときに
既に親から
承け
継いで来て、子が孫を生むときには
又其儘に孫に伝はつて行く。
即ち親が子を生むときには親の身体の内に在つた
生殖物質が親から
離れて独立の個体となるのであるが、
其際、親の
生殖物質の一部は変じて子の身体となり、一部は変ぜずして
其儘子の
生殖物質となる。それ
故、今日生物の有する
生殖物質といふものは、
皆各々
其先祖の有して居た
生殖物質から
其儘引き
継いで来たものである。
生殖物質は生物の始めから
連綿として
存するもので、代々生まれたり死んだりするのは、
唯身体物質の方だけであるとの説
故、
之を「
生殖物質継続説」と名づけた。
此考によると、生物の身体は
恰も前の代から引き
継いだ
生殖物質を後の代に
譲り
渡すために、
暫時之を
保護する
容器の
如きもの
故、
一生涯の間に
如何に身体が外界から直接の
影響を
被つても、
其子は先祖代々の
生殖物質から出来るのであるから、
之には少しも変化を起さぬ。
恰も重箱に
傷が
附いても、
其中の
牡丹餅に変化が起らぬ
如くに、身体物質に起る変化は
生殖物質に対して何の
影響も
及ぼさぬから、親が
一生涯の間に得た身体上の変化は、決して子には伝はらぬとの
理窟になるが、
是が
即ちヴァイズマン説の
徽章とも見るべき「親の得た性質は子に遺伝せぬ」といふ考の
根拠である。
斯く
生殖物質といふものが生物の始めから今日まで
直接に引き続いて居て、代々の個体が
其生涯の中に得た新しい性質は少しも
生殖物質の方に変化を起さぬとすれば、生物は
如何にして今日の有様までに進化し来つたか、生物には変化性といふものがある
故、自然
淘汰も行はれ得るのであるが、
此変化性は
如何にして生じたかとの問が、
是非とも起らざるを
得ぬが、
之に対するヴァイズマンの答は
即ち
雌雄生殖説である。ヴァイズマンの考によれば、
雌雄生殖の目的は、
甲乙二個体の
生殖物質を種々に合せて無限の変化を起し、
以て自然
淘汰に材料を
供給することであるが、
其論拠とする所は近年急に発達した
細胞学的研究
特に
生殖作用に関する
顕微鏡的研究の結果で、中々複雑な
議論である。先づヴァイズマンの説を
摘んでいへば、「生物の進化し来つた
原因は、全く自然
淘汰ばかりで、
淘汰が行はれるためには
生存競争をなす多数の個体の間に多少の
相違が無ければならぬが、
此相違は
雌雄生殖により、異なつた個体の
生殖物質が種々の
割合に混ずるによつて生じたものである。
生殖物質と身体物質とは、常に分かれて居る
故、身体物質に生じた変化は
生殖物質には関係せず、
随つて子孫に伝はらぬから、生物進化の原因とはならぬ」とのことである。
右の説を
実際に
照して見ると、中々
之によつて説明の出来ぬ場合
若しくは
之と反対する場合などが
沢山にあるが、ヴァイズマンは自分の説を
維持し
且此等の場合をも
解釈するために、
更に種々の仮想説を考へ出しては追加した。それ
故、
是まで人の考へた生物学上の学説の中で、
凡ヴァイズマンの説ほど仮説の上に仮説を積み上げた複雑なものは無い。本書に
於ては
到底其詳細な点までを述べる訳には行かぬが、以上
掲げた大体のことだけに
就いて考へて見るに、第一身体物質と
生殖物質とを
判然と区別するのが
既に仮説で、生長した生物の体内には特に
生殖のみに働く物質のあることは事実であるが、
此物質が先祖から子孫まで直接に引き続くとのことは、実物で証明することも出来ねば、
又否定することも出来ぬ全くの想像である。素より学術上には仮説といふものは
甚だ必要で、
或る現象の起る原因のまだ十分に解らぬときに当り、先づ仮説によつて
之を説明することは
其方面の研究を
促し、
随つて真の原因を見出す
緒ともなるもの
故、
学術の進歩に対して、大に有功な場合もあるが、仮説は
何処までも仮説として
取扱はねばならぬ。
而して仮説の真らしさの度は、
之を
以て説明し
得べき
事項の多少に比例するもの
故、
若し一の仮説を
以てそれに関する総べての
事項を説明することが出来る場合には、差当り
之を真と
見做して置くが
至当であるが、それを
以て説明の出来ぬ
事項が過半もあるときには、
之を
誤と
見做して
棄てるの外はない。ヴァイズマンの説の
如きは事実と
衝突する点も少からぬ様で、今日の
所尚多数の
論者が
之に反対を表して居ること
故、
直に
之を取つて
推論の
根拠とする
訳には行かぬ。
蛙や
'鶏'の発生を調べて見るに、最初の間は
生殖の
器官もなければ他の
器官も無く、全く何の区別もないが、発生の進むに
随ひ、身体の各部が
漸々分化し、
脳も出来れば、
肺も出来、
胃も
心臓も
追々現れ、それと同時に
生殖の
器官も生ずる。
是だけは眼で
明に見えること
故、確な事実であるが、
斯様に分化せぬ前にも
生殖物質と身体物質とは全く分かれて居て、後に
生殖の
器官となるべき部には始めから
特別な
生殖物質が存して居るといふのは単に想像に過ぎぬ。ヴァイズマンは自分の説を確めるために、代々
鼠の
尾を切つて飼うて置いたが、
既に余程の年月を
経るが、
其間に一回も
尾の短い
鼠の子が生まれたことは無かつた。
併し、親
鼠の
尾を切つても
其子の
尾に変化が起らぬからというて、
直に身体物質に起つた変化は
生殖物質に少しも
影響を
及ぼさぬと
結論することは素より出来ぬ。
唯或る種類の
傷が子に
遺伝せぬとの例になるばかりである。
著者の考へる所によれば、ヴァイズマンの
遺伝説は
余り人工的で、事実上の
根拠が
甚だ
薄弱な様である。生活物質が先祖から子孫まで引き続いて決して
断絶せぬことは、今日発生学上少しも
疑ふべからざる事実であるが、
之を
生殖物質と身体物質とに
判然と分つて
論ずることは
如何であらうか。
寧ろ実際発生中に
明に見える通り、
此二者を
以て分化の結果と
見做し、生活物質の一部が
胃となり、一部が
肺となると同様に、
或る一部が
生殖の
器官となり、元来他の体部をなせる生活物質と同一な性質を有して居たものが、
此場所に
於ては特に
生殖作用に必要な性質を帯びるに
至つたものと考へる方が自然であらう。
又分化が進んで、
胃は胃、
肺は肺、
生殖器官は
生殖器官と出来上つて
仕舞うても、
皆同じ一個体を形成する
器官であるから、
其間には
親密な関係があつて、決して重箱と
牡丹餅との
如き
簡単な位置の関係のみでは無い。それ
故、外界から全身に対して
或る
影響を
及ぼす場合に、
生殖器官ばかりが
之を
免れるといふことは、
到底有り得べからざることで、現に前章に
掲げた
如き例が、
幾つもある。ヴァイズマンも
此点だけは
認めざるを得ぬに
至つた
故、千八百九十二年に
著した「
生殖物質説」といふ書物に
於ては、
斯かる場合には
生殖物質にも変化が生じ、
随つて子孫まで
其影響が伝はると書いてある。
又雌雄生殖を
以て無限の変化を生ずるための
手段と
見做すことも
頗る受取り
難い説である。ヴァイズマンは、「
雌雄生殖によれば、二個の異なつた個体の
生殖物質が組み合うて、子の
生殖物質が出来る
故、
斯くして生じた子が、自分と同様な相手を
求めて
孫を生めば、孫の代には父方の祖父母と母方の祖父母と都合四個の個体の
生殖物質が組合ひ、三代目には八個の個体の
生殖物質が組合ひ、代々
益々多数な個体の
生殖物質が組合うて、
其結果生殖物質の種類が無限に出来るが、子孫の身体は総べて
其親の体内にあつた
生殖物質から生ずるもの
故、
生殖物質に
斯く無限の種類があれば、生まれる子孫にも無限の変化が現れる。
而して
此等のものが
生存競争をして、
其中最も適するものだけが生き残るから、
其生物の種属は
漸々進化する」と論ずるが、
若し個体間の変化が単に
斯様にしてのみ生ずるものならば、
其変化は
如何に多くても一定の
範囲を
超えることは出来ぬ。先祖の性質を種々に組合せれば、
幾らでも変化を造ることは出来るが、先祖の性質以外のものが新に生ずることが無い
故、
此中から代々何れが選ばれやうとも、先祖に見ぬ様な全く別な性質が発達する望は無い様である。
之に
就いては、いづれヴァイズマンにも相当の議論があるであらうが、こゝには深く論ずることは
略する。
兎に角、今日の所、生物の変化性の
如きは未だ中々解らぬ問題で、常に
僅少の
相違が個体間に現れる外に、
突然親にも兄弟にも少しも似ぬ様な
急劇の変化が往々起ることなどを考へて見ると、
是は余程複雑なものに
違ひない。
雌雄生殖の
意義に
就いても、今までには種々の仮説を出した人があるが、
変化性の原因と共に、
尚天然の
秘密に属する。
此等は
将来の研究によつて追々解る様になるであらうが、今日
既に
之に
就いて一定の
断言をなすことは
到底出来ぬ。
ヴァイズマンに
就いて
尚言ふべきことは、
器官の用不用の結果に関する
彼の説である。前にも述べた通り、
現今は新ラマルク派と名づける論者があつて、
一生涯の間に生じた
器官の用不用の結果は多少子に
遺伝するもので、
是が
積れば生物種属の進化の原因となると説いて居るが、ヴァイズマンは
之とは正反対で、
一生涯の中に
如何に
或る
器官を用ゐて、
是が大いに発達しやうとも、決して
其性質は子に
遺伝するものではないと断言して居る。
而して
其論拠とする所は、実際
斯かる性質の遺伝した確な例がまだ知られぬといふ事実と、自分の
生殖物質
継続説とであるが、
是も
亦尚少し
控へ目に論じて置いた方が
穏当ではないかと思はれる。新ラマルク派の代表者はコープ、オスボーン等であるが、スペンサーの
如きも、多少
此説を取り、
其ため先年ヴァイズマンとの間に数回面白い議論を戦はしたことがある。
此等の人々の
論じた所も、多くは想像説に過ぎぬから、
皆真であるとは素より言はれぬが、ヴァイズマンの説の方を考へて見るに、
凡生物の身体は鉱物などとは
違ひ、常に
変動のあるもの
故、中々
之を
精密に測ることは出来ぬ。生まれてから始終生長し、春夏秋冬によつても変化が起り、一日の中にも多少の変動は
免れぬ程
故、親と子とを精密に測つて
比較して見ることは、極めてむづかしい。それ
故、仮に
或る動物が
一生涯前足を
盛に用ゐた結果、前足の
筋肉が非常に発達して、
其性質が百分の一だけ子に遺伝したと想像しても、
我々は容易に
之を発見することは出来ぬ。ヴァイズマンは
斯様な性質が子に遺伝した例が無いといふが、
是は
唯目立つ程に
著しく遺伝した例が無いといふことで、実際
僅づゝ
遺伝して居る場合が
沢山にあるかも計られぬ。
詰まる所、ヴァイズマンの言ふ所は
唯自己の考へ出した仮説を基としたものに過ぎぬ
故、
之を事実として
明に断言するだけの
証拠は十分に無い様である。
所謂新ダーウィン派の説に反対する学者は
甚だ多くあり、
専門の
学術雑誌上で
之を
攻撃した人も余程
沢山にあるが、
纏まつた書物を書いて、
其中でウォレース、ヴァイズマン等の説を
駁したのはイギリスのローマネス、ドイツのヘルトヴィッヒなどである。
ローマネスは十年程前に「ダーウィン
及びダーウィン以後」と題する
三冊続きの書物を書いたが、
其第一冊にはダーウィンの説いた通りを
紹介し、先づ生物進化の
証拠を列べ、終りに自然
淘汰の大要を述べてある。図画なども
沢山に
挿し入れ、最も新しい材料を選んで用ゐ、文句も極めて平易に書いてある
故、進化論の
一斑を知りたい人が始めて読むには最も適当な書物であらう。実はダーウィン自身の書いた「
種の起源」を読むよりは先づ
此書を読んだ方がダーウィンの説が
明瞭に解る位である。
第二冊目はダーウィン以後の進化論が述べてあるが、
其大部分はウォレースとヴァイズマンとの説の
批評で、
所謂新ダーウィン派の議論の
穏当でない所を
指摘して、
其の
誤れる点を
明に示して居る。
第三冊目は
唯或る仮説を述べてあるだけで、余り重要な部分ではない。
ローマネスが
此書の中に書いたことは、
唯ダーウィン以後に出た進化に関する学説を
批評しただけで、別に新しい説を発表したのではない
故、こゝには改めて述べる程のこともないが、生物各種の
特徴の中には、
生存競争上、何の意味もないらしいものが
幾らもある
故、
随つて自然
淘汰ばかりでは、
此等は説明が出来ぬとのこと、
一生涯の間に外界から直接に受けた身体上の変化は、子孫に
遺伝することが有るとのこと、などを例を挙げて
稍詳しく
論じて居る。ヴァイズマン説に
就いては
既に前節で多少の
批評を加へて置いた
故、ローマネスの
之に対する説は
略する。
ドイツにはヘルトヴィッヒといふ有名な生物学者が兄弟二人あつて、兄はベルリン大学、弟はミュンヘン大学の
教授を
務めて居るが、
其の中、兄の方は先年「
細胞と組織」と題する
極めて興味ある書物を
著し、
其中に「生物発生説」といふ仮説を
掲げた。
此仮説は実験上確に知れたことだけを基として、余り
甚だしく想像を加へてない
故、ヴァイズマン説の
如く完結したものでもなければ、
又彼の
如く著しい
特徴もないが、
或はそれだけ真に近いものかも知れぬ。全体、
此書は
頗る面白く出来て居るが、全く
専門的の本
故、一通り組織学・発生学等を修めたものでなければ、中々
解りにくい。
其中の「生物発生説」も同様で、
其大部分は全く
細胞・組織等に関することであるが、遺伝に
就いての説はヴァイズマンとは正反対で、
矢張りヘッケル、スペンサー、ローマネス等と同じく、外界から
被つた身体上の
影響は確に子孫にも伝はると論じて居る。実の所、外界から動植物の身体に
及ぼす直接の
影響が子孫に伝はる例は
既に
幾つも知れてあつて、ヴァイズマンも今日では
之を
認めるに至つた
故、
彼の説は多少
此等の説の方へ動いて来たのである。
又新ダーウィン派と反対な
極端論には、コープの「適者の
起源」と題する書がある。
是は
所謂新ラマルク派の
議論で、自然
淘汰よりも他の原因の方が、生物進化に
与かつて力があつたとの説を述べて居る。
又是と全く種類は
違ふが、ド=フリースの
近頃著した「
突然変化説」にも、生物の新種の出来るのは
植木屋で変り物が出来るのと同じであつて、決して
淘汰によつて
漸々進化するのでなく、全く
突然に生ずるものであると論じて、自然
淘汰の効力を
否認してある。
孰れも
其中に
掲げてある事実は
参考になるべきものであるが、
斯様な
理論上の争ひは
殆ど際限のないことで、今日の
我々の知識を
以ては、断然正しいとも
誤つて居るとも明言の出来ぬ場合が最も多い
故、本書に
於ては以上述べただけに止める。
ダーウィン以後の
進化論は理論の方面は
斯くの
如き有様で、一言でいへば、全く仮説と仮説との争論ばかりである。
併し生物進化の事実は年々
益々確乎となつた
故、
之に関しては争ひは少しもない。
如何なる仮説を出す人も、生物進化の事実は十分に
認めて居るが、
唯之を説明するための
理論に
就いて、
互に議論を戦はしたのである。ヴァイズマンなどはダーウィン以後に進化論的の仮説を最も多く戦はした一人であるが、
或る論文の中に「生物の進化は学問上
既に事実として見るべきもので、
之に
就いては
誰も異存はない。
我々が
斯く相争ふのは
唯生物の進化は
如何なる自然の原因によつて生じたかといふ点に
就いてである」と書いて居る。
又ハックスレーも
其著書の中に「たとひ後世に至つてダーウィン説が全く
誤謬として捨てられやうとも、生物進化の事実は
依然として動かぬ」と明言した。されば今日
尚進化論者の
互に相争ふ点は、総べて仮説の
相違に基づくことで、
是は
如何に決したとて、進化の事実の方へは少しも
差響きはない。元来、人間には物の原因を知りたいといふ慾がある
故、研究の十分に
行届かぬ前から、
既に仮説を
以て
或る事実を説明しやうと勉めるが、
斯様な仮説が実際真に当つて居るか
否かは、
将来の研究の結果で初めて解ること
故、
恰も投機事業の
如き性質のもので、多数の人が各各自分の研究に基づき、自分の最も真実に近いと思ふ所を発表しても、
其中で実際に当るものは、
僅より無い
理窟である。それも完全に当る望は
甚だ少く、
大抵は真理の一小部分を
僅に
探り当てた位に止まる
故、今日多数の生物学者が生物進化の原因・法則等に関して
沢山の仮説を出して、相争うて居る有様は、
盲人が集つて
象を
評するのと少しも
違はず、各説ともに多少の真理は
含んで居るが、
孰れも決して完全なものとは受合はれぬ。仮説といふものが学問の進歩の上に必要なことは、素よりであるが、仮説は
何処までも仮説で、単に学問の進歩を
促すための道具に過ぎぬ
故、
是と学問上確に知れてある事実とを
混同してはならぬ。
例へば
遺伝に関する学説の
如きは、総べて
斯様な仮説で、
従来学者の考へ出しただけでも中々数多くあるが、一として
根拠の確な動かせぬ
程のものはない。
其有名なものを
挙げれば、ダーウィンのパンゲネ説、ヘッケルのペリゲネ説、ネゲリのイヂオプラズマ説、ヴァイズマンの
生殖物質説、ド=フリースの
細胞内パンゲネ説などで、
尚其他にも多少
此等と異なつた説が種々あるが、同一の現象に対して、
斯く
沢山の仮説が提出せられてあること
故、
其各々の真らしさの度は、
甚だ
僅少ならざるを得ない。
尤も、単に
籤を
抽く様な
訳ではなく、各多少の事実を基としてはあるが、
孰れも
比較的少い事実を
根拠として、
其上に多量の
臆測を加へて造り上げたもの
故、今日の所、
稍確であると思はれるものは一つもない。右の中ヴァイズマンの
生殖物質説の
如きは、ダーウィン以後に急に
盛になつた
細胞学研究の結果を取り、
之に結び合せて造つてあるので、一時大いに人の注意を引いたが、
是とても全く
臆測を
基礎としてあること
故、素より信を置くには足らぬ。
併し
遺伝説としては当時
恐らく最も有名なもの
故、先づ
之を取つて、
現今の遺伝説の一例と
見做し、
其大要を述べて見やう。人間でも、犬・
猫でも、初めは母の体内に
存する
微細な
卵から出来ることは前にも述べたが、ヴァイズマンの説によると、
「生長した動物の有する総べての身体上の性質を、一個づゝ代表する分子の如きものが、卵の内に最初から存在して居て、胎児の発生が始まると同時に、此物が相分かれて、頭となるべきものは頭となり、足となるべきものは足となり、発生の進むに随ひ益々細かに相分かれて、終には頭の毛となるべきものは頭の毛となり、足の爪となるべきものは足の爪となり、斯くして胎児の身体の形状が全く出来上がるのである。此分子の如きものは、一個が一性質を代表すること故、其数は何万も何億もある訳で、又其大きさは顕微鏡などでは到底見えぬ程の極めて微細なものであるが、此物は各分裂によつて増加する性を備へて居るから、代々一部分が身体となつても、残りは其まゝ子孫に伝はつて、絶えることはない。
「一言でいへば、開けば成人の総べての性質を表すべきものが、縮み凝まつて微細な卵の内に潜んで居るのである。尤も、人間の形が顕微鏡的の大きさで卵の内に入つて居るといふ訳ではない。唯成人の身体の各部を、代表する分子の如きものが、一定の規則に従つて其内に並んで居るだけである。即ち卵の内には頸筋の黒子の色を代表する分子や、踵の皮の堅さを代表する分子までが、行儀よく並列して居る訳で、一旦胎児の発生が始まると、斯かる一組の分子が各二個づゝに分かれ、其結果として全く同様な二つの組が出来、其中の一組は其儘胎児の生殖器官の中に入つて仕舞ひ、他の一組は前に述べた如くに、漸々相分かれて、胎児の全身の形を造るのである。されば、子の身体の形状は生まれぬ前から既に卵の内で確定してあること故、親の身体に如何様な変化が起らうとも、子の方には少しも遺伝する訳はない。
「以上は唯卵のみに就いて考へたが、父の体内には卵に相当すべき極めて微細な精虫と名づけるものがあつて、是も卵と同様に、成人の身体の性質を悉く代表した分子を含んで居るが、生殖作用の際に卵と相合して、此分子を或る割合に混ずる故、生まれる子は父と母との中間の性質を帯び、或る点は父に似、又或る点は母に似るのである。又父にも母にも似ぬ様な性質が現れることのあるのは、其時まで潜んで居た先祖の性質を代表する分子が、或る原因によつて遽に現れ出したのである。詰まる所、子の身体に現れる性質は総べて父母の身体内にある卵と精虫との内に代表者が初めから存して居て、是が如何なる割合に結び附くかは生殖作用の際に定まる訳故、生物の変化性の原因は全く生殖作用にあつて、子が如何なる形に出来るべきかは、生殖作用の行はれるときに既に定まつて仕舞ふ。それから後は、唯各性質・各器官を代表する分子が相分かれて、頭は頭、足は足となりさへすれば、子の形は出来るのである。」
以上は素よりヴァイズマンの遺伝説を残らず述べた訳ではない。
生殖物質説といふ書物
一冊だけでも六百何十
頁もある大きなもの
故、中々
詳しくこゝに
紹介することは出来ず、
又細胞学的・発生学的の
素養がなければ解らぬ様なことは
一切省いた
故、
其ためにも余程
略した点がある。
併し、
眼目とする所を
通俗的に述べれば
略以上の
如きものであるが、
此考を生物学上の実際の現象に当て
嵌めて見ると、
困難な場合が
幾らも生ずる。例へば'イモリ'の
如きは、足を切り取りても
直に
又新しい足が
其跡に生えるが、以上述べた
如くに各
器官の各部分を代表する分子が卵の中に初めから存して、発生の際には
唯是が相分かれて足となるべきものが足となるとすれば、
一旦出来た足を切り取つた後には、
如何して、再び足が生ずるかとの問が起る。ヴァイズマンは
之に答へるために、
斯かる場合には足の部分・性質等を代表する分子の
塊は正副二つあつて、正の方はそれ/″\に分かれて
脚・
'足付'・
蹠・大趾(注:おやゆび)・小趾(注:こゆび)などとなつて
仕舞ふが、副の方は
其儘脚の根元の処に留まつて足が切られたときに
之を再び造るために待つて居るとの想像説を追加した。スパランザニといふイタリヤ人の実験などによると、'イモリ'の足は新しく生じたものを
又切れば、
又生えて、六度まで切つたのに、六度とも
更に出来たが、ヴァイズマンの説に
従へば、足の根元の
処には足を造るべき分子の
塊が
潜んで居て、
是が
分裂して同様のものが
幾組も出来、一度足を切られる度に一組づゝ出て行つて、新しい足を造るのであらう。
尚指だけを切れば、指だけが再び生じ、
腕の処で切れば、
腕から先が再び生ずる所を見れば、指の根元には指だけを造るべき分子の副の組が
潜んで居、
臂の処には
臂より先だけを造るべき分子の副の組が
潜んで居ると論じなければならぬ。ここには
斯様のことを
詳しく論ずる必要も無い
故、
略するが、ヴァイズマンの説は
斯くの
如く事実と
衝突する場合には、
更に追加の仮説を設けて、
其困難を切り
抜けやうと勉めた
故、仮説の上に仮説が
附け加はつて、実に
驚くべき複雑なものとなつて居る。ヴァイズマンの学術上の功は素より
没すべからざるもので、特に進化の事実
及び自然
淘汰説に関する研究の
如きは、大いに後進者の参考となることは無論であるが、
其遺伝に関する学説だけは
如何にも余り造り過ぎてある様に感ぜざるを得ぬ。
他の遺伝説を
紹介することは、総べて
略するが、
現今の遺伝説といふものは、
皆一割にも足らぬ事実に、九割以上の
臆測を加へたもの
故、まだ決して
確乎たるものとは
見做されぬ。ダーウィン以後の進化論に関する議論の一部は、
斯様な遺伝説の争ひで、
論判の
激しかつた割合には、事実上の知識は進んでは居ない。それ
故、進化論の何たるを知らうと
欲する人は、先づ
斯様な仮説の争ひなどには
頓着せず、生物進化の事実の方を注意して研究するが
宜しい。
此方が十分に解つた後に、種々の仮説を
批評的に読んで見るのは面白いが、初めから
斯様な仮説を聞き知ることは、
唯混雑を起すだけで、害はあるとも決して益は無い様である。
ダーウィンが「
種の起源」を
公にしてから、今日までに、生物進化論
及び自然
淘汰説に反対した議論が、新聞・
雑誌上に
掲げられたことは、実に数限りもない程であるが、学問上
真面目に
弁駁すべき
価値のない様な議論が
其大多数を
占めて居る。ハックスレーは
此等を評して、紙代・印刷代を考へると実に
勿体ないというたが、元来生物進化論は生物学上の論である
故、生物学上の知識の無い人は
之を十分に理解することも
困難で、
之を
批評する資格は素より無い。
比較解剖学・
比較発生学・
生物分布学・古生物学等の大体を
心得て居る人から見れば、生物進化の事実は地球の円いといふ事実と同様に、今日少しも
疑ふことの出来ぬものであるが、
此等の学問の
素養のない人は、進化論の
根拠となる事実を理解することが出来ず、
唯其結論だけを聞いて勝手な
批評を下すのであるから、
其批評は、生物学者の側から見れば、
殆ど何の価値もない。
「
種の起源」の出版後、生物進化論に対して、早々
喧しく
反対論を持ち出したのは、主として
宗教家・
哲学者等で、生物学的素養の足らぬ人が多かつた
故、
其の説く所も、今日から見れば取るに足らぬものばかりで、こゝに
紹介する必要はない。
尤も、
其頃には、生物学者の中にも反対が無いことは無かつたが、年々発見せられる新事実が、
総べて生物進化の
証拠となるべきものばかりであつた
故、
忽ち
誰も進化論の真であることを
認めずには
居られぬ様になつて、今より
丁度三十年前にアメリカでルイ=アガシーが死んだ後には、生物学者で生物進化の事実を
否定する者は終に一人も無い。
之を見ても生物の進化は、生物学を修めた者であれば
誰も
認めざるを得ぬ実事で、
之を
疑うたり、
又は無いと思うたりするのは、全く生物学上の
知識の不足に基づくといふことが解る。
斯くの
如く生物進化論の方は最初
激しく反対説が出たが、後には
漸々減じて、今日では
殆ど全く無くなつた。
然も反対者の多数は門外漢であつた
故学問上有力な反対説は終に一度も無かつた様な有様で、
現今ではヨーロッパ
諸国で
普通の学識のある人は
皆之を
認めるに
至つたが、ダーウィンの
唱へ出した自然
淘汰の説は
之とは大に
趣が
違ひ、最初は生物学者の
仲間に
甚だしく
之を
尊重する人が多かつたが、
漸々其効力を
疑ふ人などが出来、近来に
及んで
却つて反対者の数が増した様な
傾がある。
然も反対者は
悉く生物学者である
故、一応
尤に聞える様な議論も決して少くない。素より
其中には単に
誤解に基づくもの、
或は文字の
解釈の
相違によるものなどもあるが、
此等を
除いても
尚沢山の議論がある。こゝにそれを一々
掲げて評する訳には行かぬが、
総括して
其主要な点を言へば、
凡次の三つ位に
約めることが出来やう。
先づ第一には
如何なる
器官の形状・構造でも、極めて
僅少な
相違位では、
生存競争上勝敗の定まる標準とはならぬ。それ
故自然
淘汰の結果として、
或る点の
僅に勝つたものが生き残り、
僅に
劣つたものが死に
絶えるとは信ぜられぬ。例へば
此処に
二疋の
蝙蝠があると想像して見るに、
翼の長さに一分(注:3mm)位の長短の
相違があつた所が、
翼の長い方が必ず適者で、短い方が必ず不適者であるとは日々の
経験上信ずることは出来ぬ。されば自然
淘汰によつて生物の種属が
漸漸進化するといふ説は、実際には
適せぬ場合が
甚だ多いとの
論である。
是はミヴァート、ネゲリ、スペンサーなどの論じた所で、一応正当な議論であるが、
之に対する
著者の考は
既に第十四章に述べて置いた通りで、
一疋と
一疋とを
捕へて
比較すれば、
如何にも
此説の
如く
翼の長い
蝙蝠が敗けて、
翼の短い方が勝つことも往々あるが、
蝙蝠の
翼が今日程に発達してなかつた時代の有様を想像して見るに、
若し
翼が
僅でも長くて・
飛翔が
僅でも速なものが、
翼の
稍短い・
飛翔の力の
稍弱いものに
比較して、
統計上聊でも勝つ
機会が多くある様ならば、長い間には
漸々翼の長いもののみが
生存することになり、
其結果として種属が進化して行くべき
筈である。
斯様なことは一個々々の場合に
就いて観察することは出来ぬが、全体を見れば決して
疑へぬ事実で、人間社会を見ても
之と同様な
現象は
幾らもある。
凡統計上の規則といふものは、
唯全体を通ずれば正しいが、一個一個の場合には当ることもあれば当らぬこともあつて、一部分だけを見たのでは、
到底全体に
関する大きな
規則は発見することは出来ぬ。
生存競争の結果、適者だけが生き
残り、代々自然の
淘汰が行はれる
故、生物種属は
漸々進化する
筈であるといふダーウィンの説は、
略斯かる
統計上の規則とも
見做すべきもので、一種属の生物個体の間に現れる多くの変化の中から、生存競争上
聊でも都合のよい
変化が統計上勝を
占めるといふ
大勢だけを言ひ表したものに過ぎぬ。それ
故、
此点は実際観察した事実を基としたものでは無く、単に
理窟上から
推し考へた論であるが、
唯考へて見ても最も真らしいのみならず、
斯く仮定すれば生態学の
範囲内にある無数の事実を容易に説明することが出来る所から
推せば、先づ
之を正当な断定と
見做して
置くより外はない。特に今日自然
淘汰説に反対する人は
幾らもあるが、生物各種に固有な
攻撃・
防禦の
器官、外界の
変動に応ずべき性質などは
如何にして生じたものであるかといふ問題に対し、自然
淘汰説に代つて説明を
与ふべき
適当な仮説を考へ出した人は一人もない有様
故、たとひ多少の不明の点があつたとするとも、今日
既に
之を全然
打棄てて
仕舞ふのは、
兎に角、
尚甚だ早まり過ぎたことといはねばならぬ。
次に
又孰れの
器官でも、一定の度までに発達し、一定の大きさ・
形状を備へるに
至らなければ、
其器官固有の作用を
営むことが出来ず、
随つて生存競争上、何の役にも立たぬ。例へば前の
蝙蝠の例に
就いていうても、
翼といふものは空中に身体を
支へるに足るだけの大きさに
発達するまでは、
飛翔の
器官としては全く役に立たぬ。他の
器官とても
皆斯くの
如くで、一定の度まで発達した後でなければ用をなさぬが、何の役をも
務めぬ
器官が少し位大きくても小くても、
生存競争に
於ける勝敗がそれによつて定まる訳でないから、自然
淘汰によつて
其器官が発達し、大きくなる
見込は無い
理窟であるとの反対説がある。
是も一応
尤に聞える
議論であるが、生物界には作用の
転換といふことがあり、
又生長の
聯関などといふこともあるから、
此等の働きによつても
随分斯かることが出来ぬとも
限らぬ。
作用の
転換といふのは生物の
習性の変化した結果、今まで
或る役を務めて居た
器官が
漸々他の役を務める様に移り
換ることであるが、
凡如何なる
器官でも一定の役目を務めるにはそれを務めるに足るだけの
構造を備へなければならぬことは無論のことで、
例へば手が手として働くには、必ず
其ために一定の形状・構造を備へて居なければならぬ。外の物に
就いて言うても
其通りで、
団扇は風を生ずるためには
扁平でなければならず、
擂粉木は
味噌を
磨るには
棒状でなければならぬ。
然るに一定の形状・構造を備へて居る以上は、
此等の物を
其元来の目的以外に用ゐることも出来る。
即ち
擂粉木を単に一種の
棒として、
味噌を
磨るより外の目的に用ゐることも出来れば、人間の手を単に一定の形状を有する
肢として水中
游泳の道具に用ゐることも出来る
如く、
凡如何なる
器官も、
其固有の作用の外に、
其形状・構造等に基づく所の
副弐的の作用を務めることも出来るもの
故、生物の習性が変ずる場合には、
或る
器官は今まで務めて居た
固有の作用をやめて、今までは
副弐的であつた方の作用を、今から後は主として務める様になる。例へば陸上を走る
獣類の子孫でも水辺に出て魚を
捕へて食ふ様になれば、生存競争上、
巧に
游ぎ得るものが勝を占める訳
故、代々
此標準によつて
淘汰が行はれ、初め走るのに適して居た足も、
途中から役目が変じ、
漸々水中
游泳に適する形状・構造を備へる様になつて
仕舞ふ。
河獺・
臘虎・
膃肭臍・
海豹・
鯨等を順に
並べて置いて、
其足を
比較して見れば、実際各
此通りの径路を歴て変化し来つたものと
信ぜざるを
得ぬが、
斯くの
如き作用の
転換が
屡あれば、自然
淘汰によつて
既に
或る方面に一定の度まで発達した
器官を
其儘取つて材料とし、
更に自然
淘汰によつて
之を他の方面へ向うて発達せしめ、
其形状・構造等を造り改めることも出来る訳
故、こゝに
掲げた反対説の効力は余程まで消えて
仕舞ふ。
蝙蝠の
翼の
如きも、空中を自由に
飛翔するためには、一定の度までに発達した後でなければ用をなさぬが、
唯樹の
枝から枝へ
飛び移るといふだけには、
翼の形が十分備はらずとも、相応の役に立つ。
又樹の枝に
登るだけならば、少しも
膜の必要はない。それ
故、初め単に
樹の枝に登つただけの動物も、
若し後に
至つて枝から枝へ飛び
移る
習慣が生じたならば、少しでも表面の広い
四肢を
備へたものが勝を
占め、自然
淘汰の結果、指の間の
膜が
漸々発達し、
膜の発達が一定の度まで進めば空中を多少飛ぶことも出来る様になり、飛ぶことが出来る様になれば、
其中で最も
巧に飛ぶものが生存競争に勝を
占める様になるから、
又自然
淘汰の結果、
益々飛翔に
適する構造を備へたものが出来て、初め
簡単な前足も終には全く
翼の形を
呈するに至るべき
筈で、説明上
特別の
困難を感ずる点は少しも無い様である。
生長の
聯関といふのは、前にも一度述べた通り、一の
器官が一定の方向に発達すれば、
或る他の
器官が
之と
聯関して
或る他の方向へ発達することで、
何故斯様な現象が起るかは、今日の所、一々十分には
解らぬが、
若干の事実は経験上確に知れて居る。元来生物の体は若干の
器官に分けて
論ずることは出来るが、
総べてが集まつて働くので、初めて生活し得る次第
故、各個の
器官が他に無関係に独立に変化することの出来ぬは、無論のことである。それ
故、
若し一の
器官が自然
淘汰によつて発達したならば、
之と
聯関して
生存競争上に余り必要のない
或る
器官が発達し、終には生存競争上、一定の
価値を有し得る度までに生長することも最も有り得べきことと思はれる。
而して、
一旦生存競争上に
或る役に立つ様になつた以上は、
其器官の
優劣は最早勝敗の定まる一標準となる
故、自然
淘汰によつて
益々進歩することは素より
疑がない。
尚次の
如き反対説もある。「自然
淘汰説では生存競争の結果、常に適者が生き残るといふが、
此適者といふものは
如何にして出来るか。生物に変化性のあることは
誰も
認めるが、
偶然に生ずる変化の中に、
何時も外界に
丁度適する様な変化があるといふことは
甚だ受取り
難いことである。
丁度必要な
折に
丁度都合のよい変化が
何時も現れるといふことは、
唯偶然起る変化ばかりでは
到底出来ることでない。
是には何か
其外に原因が無ければならぬ」との論であるが、
或る人は
是は生物自身が生まれながら持つて居る所の「益益完全の
域に進む」といふ性質に基づくことであらうなどと
唱へた。
此流儀の考は、ダーウィン以後に
幾度も
繰り返して種々の学者によつて発表せられたが、
是は
唯事実を言ひ表すだけで、少しも説明にはならぬ。生物は総べて進化するものであるが、
其原因は生物に
固有な進化性に
存するのであるというた所で、
其進化性といふものが
如何なるものか解らぬ以上は、説明としては何の役にも立たぬ。
其上地質時代の時の長さを考へて見れば、生物の一代
毎に現れる変化が、
如何に少くとも、終には積つて
著しい変化を起すべき訳
故、ダーウィンの自然
淘汰の説だけで説明には十分であつて、他に
斯様な仮説を設ける必要は少しもない。
此等の点に
就いて議論を始めると、
如何様にでも議論は出来て、中々容易に際限の
附くものでない
故、こゝには
略する。
ダーウィン以後の
諸説を
総括して言へば、生物進化の事実に対しては、最早反対の考を有する生物学者は一人もないに反し、ダーウィンの自然
淘汰説に
就いては
尚種々の反対論が出て居る。
併しながら、自然
淘汰は生物進化の原因としては全く
無功であると
断言の出来る程の確な論はまだ一つもない。
又自然
淘汰説に代つて、生物進化の原因を説明するに足るべき仮説もまだ一つもない。それ
故、今日の所では、ウォレース、ヴァイズマン等の
如く、
如何なる
些細な点でも
悉く自然
淘汰の結果であると
論ずるのは素より
穏当でないが、
又自然
淘汰説を全く
棄てるといふのは
更に
甚だ理由の無いことである。近来
随分極端な説を
吐く学者もあるが、
其の説く所を聞けば、多くは生物界に
於ける現象の中から、単に一部だけを見て、それが自然
淘汰説では説明が出来ぬからというて、自然
淘汰は全然何の役にも立たぬと
論じて居るに過ぎぬ。
併し生物界を広く
見渡せば、自然
淘汰の力の著しいことは、決して
疑ふべからざることである
故、
仮令一個々々の場合に、自然
淘汰説で説明の出来ぬ様なことがあつても、
其ため全部を
取棄てるのは
勿論誤つたことと言はねばならぬ。
前章で
述べた通り、ダーウィン以後には、
随分種々の議論が出たが、生物学上の
知識は、
其間常に速に進歩して、初め
曖昧であつた
事項も、後には
確乎として
疑ふべからざる様になつたものが少くない。自然
淘汰説の方は
其後唯一個一個の場合に当て
嵌めて、事実に
就いて
其効力の
範囲を
厳重に調査せられただけ位で、一向著しく
増補せられた点もなく、
又此説以上の適当な仮説が考へ出されたことも無い
故、
我々が生物進化の原因を説明し得る力は、今日と
雖も、ダーウィン時代に比して
甚だしく進んだとはいへぬが、生物進化論の方はダーウィン以後年々確になるばかりで、今日の所では単に説とか論とか名づくべきものではなく、学問上最早確定した事実として
取扱はねばならぬ様になつた。
尤も、今日多数にある
進化論者のいふことが、
悉く学問上事実と
見做すべき
価値があるといふ
訳ではない。
其中には確に事実と
見做すべきものもあれば、
余程事実らしいが、まだ
証拠が十分でないといふものもあり、
又僅な事実を
捕へて考へ出した仮説もある。それ
故、本章に
於ては第三章から前章までに述べた所を
更に
纏めて、今日世に知られて居る進化論の中で、
孰れの部だけが最早
確乎として動かすべからざるもので、
孰れの部は単に仮説に過ぎぬかを
明にして置きたい。
それに
就いて、先づ言うて置くべきことは、確といふ字の意味である。元来生物進化論とは、生物各種属は
如何なる
径路を過ぎて、今日の有様に達したかを論ずるもの
故、素より一種の歴史であるから、
其の説く所の
事項が確であるか
否かは、全く歴史上の
事項の真否を判断するのと同一な標準に
従うて判断せなければならぬ。
普通の歴史が人文開化の
変遷を論ずる
如く、
又歴史的地質学が
地殻の
変遷を論ずる
如く、生物進化論は十分発達した
暁には、生物各種の
変遷の有様を
明にすべき
筈のもの
故、
其研究の方法の
如きも、前二学と全く同様で、第一には古代の
遺物を研究して、
其時代の有様を
探り、次には
現今の事情を調査し、
之を基として古のことを察するのである。古物・
古蹟・古文書が人間の歴史の材料となる
如くに、
地層の中に
保存せられて今日まで残つた古生物の化石は、進化論の最も重要な材料となる。
又現今の
口碑・
儀式等が
歴史研究の
参考となる
如くに、現今の生物の身体内にある各
器官の構造・発生等は大いに進化論の参考となるものである。
唯普通の歴史が
僅々二三千年間の
事蹟を論ずるのと
違うて進化論の方は何万年とも何億年とも解らぬ
遙昔のことを調べるのであるから、材料の不十分なのは無論のこと、必要な
証拠も大部分は
湮滅した有様
故、
到底詳細な点までを
明に調べ上げることは出来ぬが、
其の説く所の
事項が確であるか
否かを判断するには、歴史上の
事項と
比較して考へて見るのが最も当然である。
而して、
此考を
以て言ふときは、進化論の述べることの中には、今日
既に確な事実と
見做すべきものが、決して少くはない。
凡、物は
疑ひ始めると限りのないことで、考へ様によつては
随分自分の目の前にあり、自分の手で
触れることの出来る
机や書物などが真に
存在して居るか
否かをも
疑はねばならず、終にはデカルトの
如く「
我は考へる、それ
故に我は
存在する」といふより外には、何も
断言が出来ぬ
境涯に達し、
其以上のことは総べて先づ
其存在から
証拠立ててかからねばならぬ。
斯様に物を疑うてかゝれば、
楠正成が
湊川で自殺したことも、
光秀が
信長を
弑したことも、
徳川家康が
関原の戦で勝つたことも、総べて事実として
其儘受取ることは出来ぬが、進化論の説く所も
之と同様で、
何処までも
疑うてかゝれば、素より疑はれぬこともないが、
普通に発達した
脳髄を持つて居て、以上の
如き歴史上の事実を真なりと
認める人であれば、全く同一の理由により、
進化論の大部をも事実と
認めなければならぬ
筈である。
彼も
此も証明の方法は全く同一な性質のもの
故、一は
之を信じ、一は
之を信ぜぬといふ
理窟は決して無い。
人間の
飼養する動植物が
漸々変化して行くことは、目前の事実で、
誰も
疑ふことは出来ぬが、野生の動植物とても
矢張り
之と同じく、ドイツ国のスタインハイムから出た
平巻貝を始め、
其他数箇所から
掘り出された貝類の化石の標本などを見れば、
其の
漸々変化し来つたことは実に
明瞭なことで、
如何に考へても少しも
疑ふべき点はない。
斯様に、完全に
先祖から
子孫までの化石が同じ場所に
揃つて発見せられた
例は、今日の所ではまだ
沢山はないが、
斯かる場合には必ず先祖から子孫へ
漸々変化して居るのを考へると、他の動物とても、
皆同様な有様に
漸々変化する性質を備へて居るものと
見做しても、決して
甚だしい
誤ではなからう。各種の動植物に
就いて、
其の
如何なる方向に変化するものであるかを論ずることは、今日まだ
到底出来ぬが、
兎に角、動植物の各種属は決して古人の考へて居た
如き万世不変のものではなく、長い年月の間には
漸々変化し得るものであるといふだけは、
最早動かすべからざる事実として、断言しても
差支へはなからう。
併し、
斯く生物各種が
漸々変化するのは
何故であるかとの問に対しては、十分な答はまだ出来ぬ。生まれる子は、
遺伝によつて親の性質を受け
継ぎながら、親とは必ず多少
異なつて居ることは
我々の日々見る事実であるが、子に遺伝する性質には
唯親が先祖代々から受け
継いで来たものもあれば、親が
其一代の間に新に得たものもある。
又親にも先祖にも無い思ひがけぬ
性質が、
突然子に現れることもある。こゝまでは
我々の経験の
範囲内にある事実
故、確であると断言が出来るが、
抑も
此等の事実は
何故に起るかと
尋ねると、最早
其説明は
甚だ不十分である。ヴァイズマンなどに言はせると、親が
一生涯の間に新に得た性質は決して子に伝はらぬものの様であるが、
斯様な性質が
幾分か子に伝はつた確な例が
幾つもある
故、最早
彼の説は
倒れたものと
見做さねばならぬ。ヴァイズマン自身も最後の
著書には、
此事を
認めて、外界から生物の身体に
及ぼす直接の
影響の中でも、
生殖物質までに達するものは子孫に伝はり得ると
明に書いて居る。
尤も、ヴァイズマンは「
生殖物質といふものは単に生まれる前の子孫の身体である
故、外界から直接に
生殖物質に
影響を
及ぼす場合には、
是は直接に子孫の身体に
影響を
及ぼした訳である。親が
一旦外界から受けた
影響を
更に子に
伝へたのではなく、子自身が外界から
直に
影響を
被むるのである
故、
是は遺伝とは名づけられぬ」と言うて居る様であるが、
斯様な論は単に言葉の上の議論に過ぎぬ。事実に
於ては、
既に外界に起る変化は
其時に当つた一代の生物のみならず、
其子孫までにも変化を
及ぼすことを
認めたのであるから、従来
彼の主張し来つた「一生の間に得た性質は子に伝はらぬ」といふ説は
彼自身で引つ
込めざるを得ぬに至つたというて
宜しい。
議論は
兎に角、生物各種が
漸々変化するものであることは、今日の所、最早決して
疑ふことは出来ぬ。
何故といふに、
其直接の
証拠は目前に
幾らでもあるからである。
是も目前に、
沢山、例のあること
故、少しも
疑ふことは出来ぬ。パウターもファンテイルも同じく一種の
土鳩から変じて生じ、チャボもコチンも同じく一種の野生の
'鶏'から出来たことは前に
述べたが、ポルト・サントーの
兎の
如きも、本国のものとは大いに変じて別の種となり、初め一種の
兎が今では本国の種とポルト・サントーの種と二つに分かれて
仕舞うた。
其他、草花の類などを例に挙げると、
斯様な例は
殆ど無数にある。
化石の方で完全に
之を証明するに足る例はまだ
甚だ少いが、スタインハイムの
平巻貝などで見ると、一種の先祖から
漸々樹枝状に分かれ
降つて数種になつた具合が、最も
明瞭に解つて居る。他にも
之に似た場合が
幾らもあるが、
大抵は化石の標本が十分に
揃つてない
故、
斯く確に断言は
出来難い。
併し古い書物を虫が食うたために、
其中の文字が所々無くなつて居ても、少し考へれば前後の続きから
其文字を
推察し、全体の
文句を読み
解することが出来る通り、化石の方でも、少し位不足した所があつても、他のものから
推して全体の
変遷の模様を知ることが出来るが、
斯くして見れば、一種から数種に分かれた有様の
殆ど確に解る例は
沢山にある。前にも述べた通り、化石といふものは生物変化の歴史を調べるに当つては、
恰も古文書と同じ様な参考の役に立つものであるが、
極めて不完全に保存せられ、
其中又極めて少数だけが知られて居るに過ぎぬ
故、
恰も虫に食はれて切れ/″\になり、
散乱して大部分は無くなつて
仕舞うた残りの古文書に
比較すべきものである。それ
故、
若し一種から分かれ
降つて数種になつた有様が、
殆ど完全に解る様な例が
幾らかあれば、最早
此事は化石学上証明せられた事実と
見做すの外はない。
其上極めて確に
此事の断言の出来る様な例が二つ三つあるのであるから、
尚之を
疑ふべき理由は無い。
之をも
疑ふ位ならば、
普通の歴史上の事実は
悉く疑うてかゝらねばならぬ。
生物種属の
漸々変化すること
及び一種より
降つて数種の出来ることは、両方とも目前に確な例が
幾つもあること
故、
殆ど事実
其物を述べたに過ぎぬが、
此二個の事実を
認めた以上は、
之を
論拠として
尚其先のことを多少知ることが出来る。今日知られてある生物種属の数は、何十万もあるが、
是は
如何にして生じたかといふ問に対し、以上の二事実を当てて考へて見るに、生物各種が
皆長い年月の間には
漸々変化するものとすれば、今日
存在する生物は、決して最初から今日の通りの
姿で存在して居た訳では無い。
其先祖たるものは必ず今日生存する子孫に比して異なつて居たと考へなければならぬ。
又初め一種の先祖から起つた子孫も、
漸々分かれて数種となるものとすれば、今日存在して居る生物の中、
或るものと
或るものとは共同の先祖を有すると思はなければならぬ。
以上は単に前の二事実から
推し考へた
結論であるが、生物各種を研究して見ると、実際
此通りであつたに
違ひないと思はれる
証拠が無数にある。第九章から第十三章までに述べたことは、総べて
此種類の事実で、生物各種は
漸々進化して今日の有様に達したもの、
相似た動物は
皆共同の先祖から
降つたものといふことを
認めなければ、
到底説明の出来ぬものであるが、
斯様な
証拠が
殆ど無数に存する以上は、
此事も最早確な事実と
見做すの外はない。進化論の
証拠として本書に
掲げたのは
僅に
若干の例を選み出したに過ぎぬが、
比較解剖学・
比較発生学・古生物学等の書物を開けば、
殆ど
毎頁に生物の進化を
認めなくては全く
了解することの出来ぬ事実が出て居る。それ
故、
苟くも生物学を修めた者から見れば、生物各種は
漸々の進化によつて生じたものであるといふことは、
如何に
疑はうと思うても疑ふことの出来ぬもので、今日生物学者に生物の進化を
認めぬ人の一人もないのは全く
此ためである。
相似た動物は共同の先祖から分かれ
降つたものであるとすれば、
其間には真の
血縁が存する訳で、
皆互に実際の親類である。人間でも平均
血縁の近いもの程、
容貌・顔色等が余計に相似て、
血縁の遠いもの程相似ることの少いのから
推して考へれば、生物界に
於ても、相分かれることの
晩かつた種類ほど
互に構造が類似し、相分かれることの早かつた種類ほど
互に構造が相遠ざかると
見做すのは決して無理なことでないが、
比較解剖学上・
比較発生学上の研究によれば、生物種属の数多い中には、
互に極めて相似たものから
殆ど少しも相似ぬものまで、
相違の度に無数の
階段があるから、以上の考を実際に当て
嵌めれば、現在知れてある総べての生物種属を構造・発生の
異同に
従うて
一大系統に
編制して、
其血縁の
深浅を示すことが出来るべき
筈である。
尤も前にも述べた通り、
我々の現今の
比較解剖学上・
比較発生学上の知識は
尚甚だ不完全なもの
故、今日
既に生物各種の
互の関係を正しく示すべき
精密な
系図を造り上げることは出来ぬが、生物各種の間には
悉く
血縁の存するものであるといふことだけは
疑ひはない。今日生物学者が完成しやうと
尽力して居る所の自然分類といふものは、
此理想を目的とするもので、
解剖学・発生学・古生物学等の研究の結果を
基礎としては居るが、今日用ゐられて居るものは素より総べて仮定に過ぎぬ。
併し
所謂「
中らずと
雖も遠からず」で、十分に調べが
行届いたと想像しても、
其結果は余り
著しく
違うたものにはなりさうもない。矢張り
樹枝状をなした系図を
以て表すの外はない様である。
而して
其樹枝状も極めて
粗い
処だけは今日
既に
略確に知れて居る
故、
此上は
唯稍詳細に
亘る点を確めさへすれば
宜しいのである。
されば犬と
猫とは同一の先祖から起つたもの、馬と牛とも同一の先祖から起つたもの、
而して
尚其昔に
溯れば犬・
猫・牛・馬ともに
皆同一の先祖から起つたといふ様なことだけは、今日最早確定した事実として断言しても差支へはなからう。無論
是は
誰も見て居たことではないから、直接の
証拠を挙げることは出来ぬが、犬・
猫・馬・牛の
解剖・発生から論ずれば、
是非とも
斯様に考へなければならぬ。特に古生物学上からいうても
此事は決して無理ではない。
何故といふに古い
地層からは犬・
猫の類とも見えず
又牛・馬とも見えず、
丁度其等の中間の性質を備へた
獣類の
骨骼が、化石となつて
幾つも出て居る。犬・
猫・馬・牛ともに同一の先祖から分かれ
降つたものであるといふことは、
解剖学上・発生学上の
証拠が
沢山にあるのみならず、
之を古生物学の方から見ても、今日までに知れて居る事実と
衝突する点は少しもない。
斯様に有力な
論拠のあることでも、
唯自分の目で
之を見ぬからというて信ぜぬ人ならば、
普通の歴史上の事実は総べて信ずることは出来ぬ
筈である。
以上の
如くに考へれば、牛・馬・犬・
猫に
限らず、総べて生物といふものは何種・何属に
拘らず、
其間には必ず多少の
血縁が存する訳で、
唯種属に
随うて
血縁の度に
深浅の
相違があるだけである。
而して
血縁の深浅は何によつて知ることが出来るかといへば、
是は
解剖・発生等を調べて、
其相違の度によつて判断するのが素より正当であらう。
生物の種属は一種より分かれて数種となるもので、今日数種の生物も、
其先祖は一種であるとすれば、生物種属の数は昔に
溯るほど減じなければならぬ
筈である。
尤も、一度盛に
繁栄して後に死に絶えた種属も決して少くはないが、たとひ
如何に多くの種属が
途中で
断絶したとはいへ、
尚其先へ
溯つて考へれば、種属の数は
漸々少くなる
理窟で、
其極に達すれば、終に一種より無い時代が有つたものと
結論せなければならぬ。
又生物が
漸々変化する際には、
如何なる方向へ向うて進むかといふに、
是は人間社会の有様を考へても解る
如く、分業によつて
益々複雑になるものと思はれる。分業の利益あることは
今更説くに
及ばぬが、他の事情が全く同一であるときには、一歩でも分業の余計に進んだものの方が勝を
占むべき
理窟故、生物界に
於ても身体の各部の間に
益々分業が進み、
其結果として、初め
簡単な構造を有したものも、後には次第に複雑にならなければならぬ。
但し習性が変ずれば、不用となつた
器官は
忽ち退化することは、
我々の日日見る所で、
寄生生活をなす動植物では、消化の
器官が退化して終には
条虫に
於ける
如くに、全く無くなり、
固着の生活をなす動物では、運動と感覚との
器官が退化してフヂツボに
於ける
如く
殆ど消えて
仕舞ふ。
又暗中に住する動物では
眼は
漸々退化して、終には形を存するばかりで少しも働きをなさぬものになる。'モグラ'の
如きは
其最も
普通な例である。
斯くの
如く固着生活・寄生生活を営む動物では、一度複雑な構造を持つて居たものが、再び
稍簡単な構造を有するに至ることがあるが、生物界全体から見れば、
是は極めて小部分で、全く例外とも見るべきものである。
其他は総べて
簡単から複雑に進むのが規則であつて、
理窟上から言うても、
又実際を調べて見ても、
之には
間違ひはない様である。して見れば、
子孫よりは先祖の方が
幾らか簡単であるのが常であると
見做さねばならぬが、
之を
何処までも
推して論ずれば、生物といふものは昔へ
溯るほど簡単な構造を有するものが住んで居た
筈故、
若し生物の始めは
唯一種であつたとしたならば、
其物は出来るだけ簡単なものでなければならぬ。
以上述べたことを
倒にして言へば、地球の表面の上には最初極めて簡単な生物が一種だけ存在して、それから子孫が
漸々分かれ
降つて
幾種にもなり、時の過ぎるに
随ひ、種属の数が
益々増加し、同時に身体の構造の
益々複雑なものが出来て、何万代か何億代かを歴て、終に今日見る
如き多数の動植物種属が生じたのである。
現今知れてある生物学上の事実を基とし、それより
推して考へると、
斯く論ずるより外に道はない。さりながら、極めて遠い昔のこと
故、初め一種だけより無かつた生物は
如何なる性質のもので、
是は
又如何にして出来たかといふ様なことは、
到底判然と想像することも出来ぬ。
唯我々の現今の知力の
範囲内では、最早
之より
尚一層真らしい
推察をすることは出来ぬから、判然と想像することは出来ぬながらも、先づ
斯様に考へて置くより仕方がないのである。
生物の進化が、若し実際
斯くの
如く初め一種のものから
樹枝状に分かれ
降つて、終に今日の動植物各種が出来たものとしたならば、世界の処々から
掘り出される化石は、現在の動植物と
相違するのみならず、地層々々によつて
互とも異なるべき訳で、
其上、系図の枝の
股の処に相当する種類の化石は、
其枝が分かれて各々発達して生じた今日の二部類の中間に立つ様な性質を帯びて居なければならぬ。所が、実際を調べて見ると
略其通りで、前に「古生物学上の事実」と題して述べた
如く、古い地層から出た化石の中には、
丁度鳥と
蜥蜴との中間に位する様な動物もあれば、歯を有する鳥類もあり、
又後足だけで直立する
蜥蜴の類もある。馬の
如きも、現今では
範囲の極めて判然した動物であるが、
其先祖には指が五本あつて、
殆ど総べての
獣類に共通な性質を備へて居た。古生物学上の事実は
甚だ不完全ならざるを得ぬものであるに
拘らず、今日
既に
若干の動物の系図を示すに足るだけのことが確に見出され、
其標本も
処処の博物館に
揃へて
陳列せられてあるのを思へば、生物進化の直接の
証拠も先づ十分に存するといはねばならぬ。
又其他のものと
雖も、古生物学上の事実で生物進化論と
矛盾するものは一つもない
故、今日の所では
此方面から論じても、生物の進化を
認めるの外はないが、生物進化を出来るだけ先まで推して考へると、
是非ともこゝに言うた通りに、生物の
起源は
唯一種であつたらうとの説に達する。それ
故尚一層真らしい説が出るまでは、当分
此説を真実と
見做して置くのが適当であらう。
以上述べたことは、
孰れも生物進化論が事実として論ずる所で、
其中には目前に確な
証拠があつて、
疑はうと思うても疑ふことの出来ぬ性質のものもあり、
又斯様な事実を基として推し考へた結論もあつたが、
皆単に生物は
斯く進化し来つたものであらうといふ
筋路を説くだけで、
何故生物は進化し来つたかと
其原因を説明する方ではなかつた。さて、
此方面には今日
既に確であると断言の出来る点では
如何なるものがあるかと考へると、極めて少い。
著者の考によれば、ダーウィンの
唱へた通りの自然
淘汰説であれば最も差支へなく生物の進化を説明することが出来て、事実と
矛盾することも決して無い様であるから、
是だけは
既に確なものと
見做して
宜しい。ダーウィン以後の
新派の人々は
或は一方の
極端に
偏して自然
淘汰万能説を主張したり、
或は
其反対の
極端に走つて自然
淘汰無能説を主張したりして、
唯事実に遠い仮説と仮説とを戦はせ、今日でも、
尚議論が絶えぬ有様である
故、
孰れも確なこととして
掲げることは出来ぬ。
尤もダーウィン以後の生物学の進歩は実に
盛なものである
故、ダーウィンの説いたことの中には事実の
誤を正さなければならぬ所は
幾らも出来た。
併し、
其骨髄とする所は今日と
雖も確なもので、
之に考へ
及んだダーウィンの功績は生物学の歴史中
到底之に近づくものもない。ダーウィン以後の進化論は争ひの声ばかりは
喧しいが、
其の論ずる所を聞けば、
随分架空な想像説もあり、
又一本一本の木に注意して全体の森に気が
附かぬといふ様な誤もありなどして、真に
根拠のある考を選り出せば、
殆ど
嘗てダーウィンが言うて置いたことだけ位になつて
仕舞ふ。
自然
淘汰の効力に
就いては、生物学者の中に
尚之を
疑ふ人があるが、生存競争の絶えず行はれて居ることに
就いては
誰も疑ふものはない。
抑も動植物の増加力の盛なことは、
既に第六章に述べた通りで、
如何なる種類でも、各々自然界の一部を
占領し、増加力で
互に
圧し合つて、容易に進みも退きもせぬので、
暫時自然界の平均が保たれ、世は
恰も
平穏無事である
如き外観を
呈する次第
故、
凡生きて居る以上は決して競争以外に
超え出ることは出来ぬ。
而して
此競争に当つて、勝つて生存するものと敗けて死に失せるものとの数の
割合は、
如何と考へるに、生長し終つて
生殖するまで
生存する
見込のあるは、平均
略親と同数だけの子に過ぎぬから、
雌雄の別のある動物ならば、一代
毎に
二疋だけ、
又其別のない植物ならば、一代毎に一本だけが生存して、
残余は
悉く何かの原因によつて死んで
仕舞ふ。
僅一本だけ
又は
二疋だけの子孫を
遺しさへすれば、親の
跡は
継がれる訳であるのに、数万の種子を生じ・数十万の
卵を産むものが多いのは、
一寸考へると、全く無益の様であるが、実は
斯く
沢山に子を生まなければ、一本
或は
二疋が確に生存するといふ保証が出来ぬ。動植物が多数の卵を産み・種子を生ずるのは、
恰も
散弾で小鳥を
撃つのと同様で、
其中極めて少数が生き残りさへすれば、
生殖の目的は達したことに当る。
散弾で小鳥を
撃てば真に中るのは
僅に
一粒か
二粒で、他は
皆無益に
棄てた様であるが、
若し初めから
一粒か
二粒より
込めて置かなかつたならば、容易に鳥は
獲られぬのを見ても
解る通り、動植物が
唯少数の子だけを生んだのでは、
到底種属を
維持して行くことは出来ぬ。されば子が非常に多く生まれることは無益に似て、実は決して無益でない。
其大多数が身を
犠牲に
供してくれる
故、少数のものが生長し終り得る
機会を
獲るのである。イギリスの有名な詩人テニソンが「自然は種属を
極めて大切にしながら、
個体を
甚だ
粗末にする」と書いたのも、
恐らく
此辺の有様を言ひ表したものであらう。
多数に生まれた子の中から、常に極めて少数だけが生き残り得るのであるから、
競争は素より
免れぬが、
其際如何なるものが勝を
占めるかといふに、決して
偶然に定まるとは思はれぬ。同じ親から生まれた子にも形状・性質等に必ず多少の
相違があることを思へば、
其中から最も
適した者が生き残るといふのは、決して無理な考ではない。されば生物界には絶えず自然
淘汰が行はれて居るといふことも、最早争はれぬ事実と
見做して
宜しからう。
而して自然
淘汰の必然の結果は生物の進化である
故、
之より
倒に論ずれば、生物の進化は総べて競争に基づくといふことが出来る。外界に変化が起れば、生物の体にも直接の
影響を
及ぼすもので、
其ため生物が
漸々変化することは確であるが、食ふため・食はれぬため・殺すため・殺されぬために必要な構造・習性の
如きは、決して単に
斯様な原因から生ずべきものでない。
其の生じた理由を説明し得るのは
現今の所、
唯自然
淘汰説があるのみである。
本章に述べたことを
更に
総括していへば、
即ち次の
如くである。
凡生物種属が
漸々変化することは、目前に
証拠のある事実で、一種の生物から数種に分かれ
降ることも、
亦争はれぬこと
故、
現今相似て居る種属は
皆共同の先祖から
降つたもので、相似る度の
甚だしいもの程、共同の先祖から相分かれることの晩かつたもの、
即ち親類の
互に
濃いものと
見做さねばならず、
更に
此考を推し進めれば、生物の
起源は
唯一種であつて、今日見る所の数十万の動植物の種属は
悉く
之より
樹枝状に分かれ
降つた子孫であると論ぜざるを得ぬことになる。
而して
斯く生物が進化し来つた主なる原因は、
即ち
生存競争の結果として起る自然
淘汰であるが、他の事情が全く相同じであるときには、部分の間に分業の進んだものの方が分業の進まぬのに比して競争に勝つ
見込が多い
故、生物は常に
此方向に進化し、初め極めて
簡単なものも
漸々複雑な構造を有するものとなり、
終に
現今の
如き生物界が出来上つたのである。
是だけはダーウィンが
既に言うたことで、今日と
雖も生物進化論中真に確であるのは
略此位であるが、本書の第九章から第十四章までに
掲げた事実は、総べて
其証拠となるものばかりである。
相似た生物種属は
皆共同の先祖から分かれ
降つたものであると説けば、それで自然に
於ける人類の位置も
既に言ひ
尽した訳であるが、
進化論が
世人に注意せられるのも、
又進化論が社会に益するのも、主として
此点にあること
故、
更に
詳に
之を論ずるの必要がある。
抑も人間とは何であるかの問題は、極めて古い問題で、
苟も多少
哲学的に物を考へる度までに進んだ
処ならば、
此問題の出ぬことはない。
併しながら
之を研究して
解釈を
与へやうとする方法は
種々様々で、
随つて
此問に対する答も古来決して一様ではなかつた。人間は
如何なるものであるかといふことを知るのは、人間に取つては最も
肝要なことで、
此考の定め様次第で、総べての思想が変つて来る。世の中には人とは何物かといふ様な問題の存することをも知らずに
暮して居る人間が多数を
占めて居るが、
凡人間の
為すこと、考へることの中に、人といふ観念の入らぬものはない位
故、若し
此考が
誤つて居たならば、
其の
為すことは総べて誤つたこととならざるを得ぬ。
斯く重大な問題
故、昔から人を論じた書物は非常に
沢山あつて、今日になつても続々出版せられて居るが、
之を大別すれば、二種類に分けることが出来る。一は独断的のもの、一は
批評的即ち科学的のものである。
従来の書物は
孰れも独断的のものばかりで、
其中に書いてあることは、
或は人は万物の
霊であるとか
或は人は神が自分の形に似せて造つたものであるとかいふ様な類に過ぎぬ。
此様なことの
載せてある書物の数は
随分多いが、
皆単に断定するか、
或は
之に
標註を加へただけのもの
故、証明の仕様もなければ
又否定の仕様もない。気に入つた人は
之を信ずるが、
嫌ひな人は
之を
捨てて置く。
詰まり
理窟で論ずることの出来ぬ
信仰の
範囲、
趣味の
範囲に属するもの
故、科学の側からは
殆ど
批評すべき限りでないが、
唯其の説く所が科学的研究の結果と相反する場合には、
無論誤として
之を正さなければならぬ。
科学的の研究法は全く
之とは
違ひ、
孔子が何と言はうが、
耶蘇が何と言はうが、左様なことには
頓着せず、
唯出来るだけ広く事実を集め、
之を基として論ずるのである。それ
故、
此方法によつて得た
結論は単に事実を言ひ表したもので、決して
好きであるから
信ずるとか、
嫌ひであるから信ぜぬとかいふべき性質のものではない。
凡真理を求める人で
且之を
了解するだけの知識のある人であれば、必ず
之を
認めなければならぬ。総べて科学の目的は真理を
捜し
索め、人間のために
之を応用することであるが、
真理を
探る場合には、全く
虚心平気でなければ、大に
誤る
恐がある。それ
故、人とは何物であるかといふ問題を研究するには、自身が人であることは、
一切忘れて、
恰も他の世界から
此地球に
探険旅行に来た
如き心持ちになり、他の動物と同様に人間の習性を観察し、他の動物と同様に人間の標本を
採集して帰つた
積りで研究せねばならぬ。研究の結果、発見した真理を応用して、人間社会に
益しやうとする
段になれば、
無論人間の利益のみを常に眼中に置かなければならぬが、初め研究するに当つては、決して人間だけを
贔負してかゝつてはならぬ。少しでも不公平な心があつては真理は
到底見出せるものではない。
生物界の事実を広く集め、生物界の現象を深く
観察し、
之を基として科学的に研究した結果は、
即ち進化論であるが、前章に述べた通り、相似た動物種属は共同の先祖から分かれ
降つたといふことは、今日の所、最早確定した事実と
見做さねばならぬ。人間だけを例外として
取扱ふべき
特別の理由も無い
故、
此通則に
照して論ずれば、人は総べての動物の中で牛・馬・犬・
猫等の
如き
獣類に最も
善く似て居る
故、
此等と共同な先祖から生じた一種の
獣類である。
而して
其の中でも
猿類とは特に
著しく似て居る点が多い
故、
比較的近い
頃に
猿類の先祖から分かれ
降つたものである。
此事は単に進化論中の
特殊の場合に過ぎぬから、進化論が真である以上は、
此事も真でなければならぬ。進化論は生物界全体に通ずる
帰納的結論であるが、人間が
猿類から分かれ
降つたといふことは、
唯其結論を
特殊の例に
演繹的に当て
嵌めただけに過ぎぬ。
人間の身体が犬・
猫等の身体に極めて似て居るのは実に
明なことで、
殆ど説明にも
及ばぬ
程である。先づ外部から
順を追うて検するに、体の全面は
皮膚で
被はれてあるが、
其構造は犬・
猫などと
殆ど
相違はない。人間の皮も
鞣せば中々
丈夫なもので、犬・
猫の皮と同様に種々の役に立てることが出来る。人間の
革で造つた書物の表紙、
椅子の
蒲団などを見たことがあるが、他の
獣類の革と少しも
区別は出来ぬ。表面に生ずる
毛髪の多少には
相違があるが、
是は単に発達の度の
相違に過ぎぬから、極めて
些細なことである。
特に人間の中にも毛の多い種類と毛の少い種類とがあつて、北海道のアイヌ人の
如きに
至つては、毛が
頗る多くて、
獣類中の水牛や
象などの
到底及ぶ所でない。次に皮を
剥ぎ去れば、
其下には
筋肉があるが、
是も総べて犬・
猫等の筋肉と一々
比較して見ることが出来る。一個一個の
筋肉片を
彼と
此と比べて見るに、犬で太い筋肉が人間では細かつたり、
猫で細い筋肉が人間で太かつたりする位のことはあるが、同一の筋肉が必ず同一の場所に存して、大体からいへば、数・配列の順序ともに
殆ど
著しい
相違はない。
其味の
如きも全く他の
野獣の
如くで、知らずに食へば少しも気が
附かぬ。「一片を大きな葉に
包んで、火の中に入れ、
暫時の後に取り出して食へば、全く他の
獣肉のロースの
如くで、後で人間の肉だと聞いたときは、
嘔吐を
催したが、知らずに食うて居る間は、
中々旨かつた」とは、南洋の
野蛮島に数年間伝道して居た
宣教師から
著者の聞いた直話である。
又、
骨骼も
其通りで、
頭骨・
脊骨・
肋骨等を初め、
四肢の足に至るまで、全く同一の型に
随うて出来て居て、単に少しづつ長短・大小の
相違があるだけに過ぎぬ。最も形状が
相異なる様に思はれる頭骨でさへ、
詳に
之を
検して見れば、単に
各骨片の発達の度に
相違があるだけで、
其数も列び方も全く同様である。昔、何とかして人間と他の
獣類との間に身体上の確な
相違の点を発見したいと学者が
骨を折つた
頃に、人間の
上顎の骨は左右たゞ二個で成り立つて居るが、
獣類では左右の
上顎骨の間に
尚二個の骨が存する。
是が
即ち人間が
獣類と異なる
所以であるなどと論じた人もあつたが、
此二個の
間顎骨と名づける骨は、人間にも無いことはない。
唯生長するに
随うて、左の
間顎骨は左の
上顎骨に、右の
間顎骨は右の
上顎骨に
癒着して、
其間の境が消えて
仕舞ふだけである。発生の
途中を調べさへすれば、人間の
上顎にも犬・
猫と同様に二個の
間顎骨を
明に区別することが出来るが、初めて
此事に注意したのはドイツの詩人ゲーテであつた。
総べて
頭骨といふものは、
脳髄を保護する
頭蓋部と
咀嚼を
司る顔面部とから成り立つて居るが、
此両部の発達の
割合に
随うて、
大に
面相・
容貌が
違ふ。
普通の
獣類では、
咀嚼部が発達し、
頭蓋部の方が小いから、
吻が
突出して居るが、人間では
脳髄が
甚だ大きいから、
額が出て、
顎の方は余り
突出せぬ。
顎が発達して居ると
容貌が
如何にも
獣らしく、
頭蓋が発達して
顎が小い程、
容貌が人間らしいが、
此比例は
獣類の種属によつて、
各々相異なり、同じ人間の中でも人種により、
或は一人
毎にも
随分違ふから、単に程度の問題で、決して根本的の
相違とは言はれぬ。
此相違を数字で言ひ表すために、
解剖学者は顔面角の度を用ゐるが、顔面角とは通常鼻の下の一点と耳の
孔とを
貫く直線と、鼻の下の一点から
額の前面へ引いた直線との相
交叉する角をいふので、ヨーロッパ人では
略八十度、
黒奴では七十度、
猩々の
子供では六十度弱、
普通の
猿では四十五度位、犬・
猫などになると
更に一層
此角度が
鋭い。
併し
斯様に種々の
相違はあつても、一方から他の方へ
階段的に
漸々移り行くもの
故、特に人間だけを
此列より
離して全く別なものと
見做すべき理由は、少しもない。
次に
眼・鼻・耳の
如き
感覚の
器官を調べて見るに、眼・耳の構造は人間も犬・
猫も
殆ど
相違はない。鼻に
至つては犬・
猫の方が
遙に人間よりは上等で、
香を感ずる
粘膜の面積は、人に比すれば何十倍も広い。
又神経系統の
中枢なる
脳髄を
比較して見るに、
是も大同小異で、
唯部分の発達の割合に
相違があるだけで、根本的の区別を見出すことは出来ぬ。
脳髄は
大脳・
小脳・
延髄等から成り立つて居るが、犬・
猫と人間との
脳髄の
相違は主として大脳の発達の度にある。大脳の発達して居ることは、
獣類中で人間が確に一番で、
之に近づくものは他に一種もない。
此点だけでは人間は実に生物界中第一等に位するものである。
併しながら
此場合に
於ても他の
獣類との
相違は矢張り程度の問題で、他の
獣類と同一な仕組に出来て居る大脳が、
唯一層善く発達して居るといふに過ぎぬ。
消化・
呼吸・
排泄等の
如き営養の
器官は
如何と見るに、
是亦犬・
猫などと
殆ど同様で、大体に
於ては全く何の
相違もないというて
宜しい。歯で
咀嚼せられ、
唾液と
混じた食物が、食道を通つて
胃に達し、胃と
腸とで消化せられ、
滋養分が
吸収せられること、
肋間筋・
横隔膜等の働きで肺の中へ空気を呼吸し、酸素を
吸ひ取り、
炭酸瓦斯を
吐き出すこと、
腎臓の中を
血液が
通過する間に、血液中の
老廃物が
濾し取られ、
小便として体外に
排出せられることは、人間でも、
猫でも、犬でも少しも
違ひはない。
生殖の
器官も
其通りで、体内に
隠れて居る部分は素より、体の外面に現れて居る
交接の
器官まで、大体に
於ては全く同一の構造を有し、形状も
甚だしく
違はぬ
故、相当の大きさの
獣とならば、実際交接が出来ぬこともない。医学書を開いて見ると、人間の男が犬・
豚・牛・馬等の
牝と
交接することは決して
珍しいことでは無いと書いてある。
又或る時パリーで
若干の入場料を取つて人間の女が犬の
牡と交接して見せる
秘密の見世物があつたことなども
掲げてある。
此等は人間の最も
闇黒な
側面で、書く者も
不快を感じ、読む人も
嫌悪の
情を起さざるを得ぬが、
凡真理を
求めるに当つては、
臭い物に
蓋をして
置くといふことは、
極めて
不得策である。
臭い物は
臭いものとして
之を研究し、
何故臭いかを調べて
其臭い原因を
探り、
尚進んで
之を
処置する
適当の方法を考へる様にせねばならぬ。
臭い物に
蓋をして置いては、表面だけは
如何にも
立派であるが、内部には
臭い物が
益々蔓延して、
結局全体の
損失に終らざるを得ぬ。こゝに
掲げたことなども、通常人の口にするを
憚ることであるが、人体の構造・作用ともに
獣類と
殆ど
違はぬことを
明に示すには、
是ほど適当な例はない
故、
拠なく
述べたのである。
此等のことを考へながら、西洋の教育学書の第一
頁に、「人間は神が自分と同じ
姿に造つたもので、
之を十分に
発展せしめるのが、教育である」などと書いてあるのを見ると、実に
其白々しさに
驚かざるを得ない。
人体の
解剖的構造は以上述べた通りであるが、
更に
微細な組織的構造を調べると、犬・
猫との
相違は全く無いといふべき程で、犬・
猫の
骨の
薄片と人間の骨の
薄片とを
顕微鏡の下で
取換へて置いても、見る人は少しも気が
附かぬ。
其他、
筋肉・神経等の
繊維でも、
或は
卵でも、
精虫でも、
皆全く同じ様で、
到底区別は出来ぬ。極めて
丁寧に
比較して見れば、少々の
相違を発見することは出来るが、
其相違は
恰も、犬と
鼠と、
猫と
兎と等の間の組織上の
相違位で、決して人間だけが他の
獣類から遠く
離れた
特別のものであるといふべき程のものではない。
現今解剖学者・組織学者が人体の構造を研究するに当つても、
又医科大学などで医学生に人体の組織を教へるに当つても、人体の代りに往々犬・
猫等を用ゐるは、全く組織学上、人間と犬・
猫との間には、
殆ど何の
相違も見出されぬ
故である。
以上は単に生長した人体に
就いて論じたのであるが、
卵から
漸々発生する順序を調べると、
又頗る他の
獣類と
一致したことが多い。牛・
豚・
兎と人間との
胎児発生の
模様は、
既に第十章に
略述した通りで、
其初期に当つては
皆全く同様で、
殆ど区別も出来ず、
僅に生長の終りに近づく
頃になつて、
互の間の
相違が現れ、牛は牛、
豚は
豚、人間は人間と解る様になる。
而して
其発生の
途中の形状を検するに、成人には無い種々の
器官が、一度出来て後に再び消えて
仕舞ふ。
頸の両側に
鰓孔が
幾つも出来たり、
鰓へ行くべき数対の
血管が出来たりすることは、前にも述べたが、
此等の点に
於ては、犬・
猫の
胎児と少しも
違はぬ。
又生長し終つてからも、身体の各部に不用の
器官があるが、
是は多くは、犬・
猫で実際役に立つて居るもので、人間の異なる所は
唯此等の
器官を用ゐる必要がなく、
随つて
之を用ゐる力もないといふに
過ぎぬ。
解剖を調べても、発生を調べても、人間と犬・
猫との間の
相違は犬・
猫と
'鶏'などとの
相違に
比較しては
遙に少いもの
故、身体の構造上からいへば、人間だけを他の
禽・
獣・虫・魚から
離して、
其以外の
特殊のものと
見做すべき理由は決してない。
生まれるから死ぬるまでの
生活現象を見ても、人間と犬・
猫との間には、根本的に
違つた点は一つもない。生まれると
直に母の
乳を飲んで生長し、日々空気を
呼吸し、食物を食うて生活すること、老年になれば弱つて死んで
仕舞ふことなどは、人間でも犬・
猫でも、全く同じである。
尚詳に調べて呼吸の作用・
消化の作用等を
比較して見れば、
益々相似る度が
著しくなる。同一の
構造を有する
器官を
以て、同一の作用を行うて居るのであるから、外界に対する関係は人間も犬・
猫も
略同様で、空気が
稀薄になれば、人も犬・
猫も共に
窒息し、水中に落ちれば、人も犬・
猫も一所に
溺れて
仕舞ふ。
其他、身体に水分が不足すれば
渇を覚え、
滋養分が不足すれば
饑を感じて、水と食物とを得なければ
辛抱の出来ぬこと、一定の時期に達すれば、
情欲が起つて、
寝ても起きても
忘れられぬことなども、人と犬・
猫との間に少しも
相違はない。
生理学は
通常医学の
予備学科としてある
故、生理学の目的は、主として人間の生活現象を
詳にすることであるが、今日生理学者の研究の
材料には、人間よりは
猫・
兎等の
如き
獣類の方が
遙に多く用ゐられて居る。特に
筋肉・
神経等の研究には、
蛙を用ゐるのが常である。
蛙の
大脳で試験したこと、
鳩の
小脳で研究したことなどを、
其儘人間に
応用して
差支へのない所を見れば人間も、
此等の動物も、生活作用の大体に
於ては全く相等しいものと
見做さねばならぬ。
試に人体生理学と題する書物を開いて見るに、
其中に直接に人体に
就いて行うた研究の
掲げてあることは、
甚だ少く、
脈の
搏ち様とか
小便の
分析とか、
又は
皮膚の感覚とかいふ位な、身体に
傷を
附けずに出来る
事項ばかりで、
其他は総べて犬・
猫・
兎・モルモットなどに
就いて行うた実験に基づくことであるが、
斯様な生理学書が
常に医学校で用ゐられ、十分に役に立つて居ることは、人間と犬・
猫等との間に、生活現象上、何の
相違の点もない確な
証拠である。
又病理学・
黴菌学・
薬物学等でも、常に犬・
猫の
如き
獣類を用ゐて研究して居るが、
其目的とする所は、素より薬物・
黴菌等の人間に対する
効力を確めるにある
故、
若し人間と犬・
猫との体質に根本的の
相違があるものならば、総べて無益な
筈である。然るに実際に
於ては
斯様な
獣類に
就いて行うた研究の
結果を人間に応用すれば、
皆立派に
功を
奏して、近来は
其ため種々の病気を
予防的に
治療することが出来る様になつたことなどは、確に人間と犬・
猫とは体質に
於ても決して
著しい
相違がないといふ
証拠である。
鼠捕り薬を
誤つて飲んだために人が死んだこと、人を殺すために
盛つた
毒薬を犬に食はせたれば、犬が
直に死んだといふことなどは、
誰も
屡聞くことであるが、特に
可笑しいのは
獣類に対する
酒精(注:アルコール)の働きである。
或る人が
猿に
酒を飲ませた所が、
酔の
廻るに
随うて陽気に
浮かれ出した具合から、
歩行が不確になつて、左右へよろつき、終に
倒れて
寝て
仕舞うて、
翌日は両手で頭を
抑へて
頭痛を
堪へて居る所まで、少しも人間と
違ふことはなかつた。
唯違ふのは
此猿は
其後如何にしても決して酒を
飲まなかつたといふことである。
人間の身体が、犬・
猫の
如き
獣の身体と
甚だ似て居ることは、
誰の目にも
明なこと
故、昔から人間と他の
獣類との
異なる点を言ひ表さうと勉めた学者等は、
皆拠なく
精神的の方面に
之を求めた。デカルトなども人間には精神といふものがあるが、他の動物は
皆精神のない
自働器械に過ぎぬというて居る。
又カントの
如きも、
或る
著書の中に、精神を有するのは人間ばかりであると説いた。
其後の教育学の書物には「精神といふものは人間に固有なものである。それ
故、教育の出来るのも人間ばかりに限る」といふ様なことが
屡書いてあるが、
是は今日の生物学上の
知識を
以て見れば、確に
大間違ひである。身体に
結び付いた精神的作用は
誰も常に見て知つて居るが、身体を
離れて別に精神といふものが
存在するか
否かは、
我々の経験し得る事実からは
孰れとも
断言の出来ぬことで、有るといふ
証拠もないが、
又無いといふ
証拠も科学的には
挙げられぬ。
併し、
獣類の動作を
詳に研究して、
之を人間の動作と
比較して見ると、
孰れの点を
捕へても、
唯程度の
相違があるだけで、
彼に有つて
此に無いといふ様な根本的の差を見出すことは決して出来ぬ
故、
若し人間に精神があるならば、他の
獣類にも無ければならず、若し他の
獣類に精神が無いならば特に人間のみに
其存在を
認めるといふ訳はない。
此等の問題に
就いては、昔から
何千冊書物が出来たか知れぬ位で、今日と
雖も、
尚、
盛に議論のあること
故、こゝに十分に述べることは、素より出来ず、
又動物の精神的動作も
詳しく書けば
極めて面白いことが
夥しくあるが、そればかりでも、非常に大きな書物になる位
故、次には
唯人間の精神的動作の
孰れの部を取つても、
必ず動物界にそれと同様なことがあるを示すために、
若干の例を選んで
掲げるだけに止める。
精神的作用といへば主として
知・
情・
意であるが、先づ情の方面から検するに、
凡愛情の中で
夫婦・親子の間ほど切なものはない。動物の中には犬・
猫等の
如く少しも夫婦の定まりがなく、
随うて
雌雄の間の
情が常には極めて
冷淡なものもあるが、
又一方には
生涯夫婦
同棲して
其間の
愛情の
甚だ
濃かなものがある。カナリヤ・
文鳥の様な小鳥でも、
雌が
卵を温めて居る間は、
雄が
餌を運んで
遣つて、実に
仲のよいものであるが、
鴛鴦の
如きは
此点で有名なもので、
其他動物園に
飼うてある鳥類の
雄が死んだ後に、
雌が悲みに
堪へず、終に死んで
仕舞うた例も
沢山にある。南洋に産する
恋愛鳥と名づける
鸚哥の一種の
如きは、
雌雄常に
押し合ふ程に
密接して、
一刻も
離れることはない。
獣類は
概して
暫時一夫一婦のもの、
又は常に
一夫多妻のものであるが、一夫一婦の場合には子を
養ふ世話は
雌のみが引き受け、一夫多妻の場合には
雄は常に
雌を
保護し、他の
雄が近づく様なことでもあれば、
劇しく
闘うて
之を
逐ひ退ける。
其代り
雌が他の
雄を近づけたりすれば、決して
承知せず、
厳しく
之を
罰する。
猿の
如きは、
即ち
此類である。
斯くの
如く、動物の中には
雌雄の関係も
様々で、
其間の愛情にも種々の階級があるが、さて人間の方は
如何と見るに、
矢張り
其通りで、
鴛鴦に
劣らぬ程の夫婦も
稀にはある代りに、
又犬・
猫同様に少しも夫婦の定めのない社会もある。文明国で
売淫婦の
沢山に居らぬ
処は
何処にもないが、
彼等と客との関係は犬・
猫の場合と
異なつた点はない。
又一夫一婦は
人倫の
基というては居るが、現に一夫多妻の
公に行はれて居る所が多く、
耶蘇教国の西洋でも、
生涯真に一夫一婦で
暮す男は
甚だ少数な様である。されば
雌雄の関係は人間も他の
獣類も少しも
相違はないのみならず、
其愛情に
至つても人間を第一等と
見做すことは出来ぬ。
親が子を愛する
情も
其通りで、昔から「
焼野の
雉子、夜の
鶴」と
諺にもいふ
如く、
甚だしく子を愛する動物は
沢山にある。
其中でも
獣類の
如きは
特別で、子を
撃たれた
親猿の悲みを見かねて、最早
一生涯猿は
撃つまいと決心した
猟師もあるが、
鯨の様な大きな
獣でも、
捕鯨家の話によれば、子さへ先に殺せば、母親は
容易に
捕へることが出来るといふ。
尚其外に例を挙げると限りはない。
尤も、虫類や魚類には
卵を生むだけで、後は少しも構はぬものも多いが、一方には子のためには自分の命も
惜まぬ程のものもあつて、
其間に無数の階級があるから、動物全体を
総括しては
孰れともいふことは出来ぬ。人間が子を愛する
真情は素より極めて深いものには
違ひないが、以上の
如き例が
沢山にある以上は、人間だけが特に
優れて子を愛すると断言する訳には行かぬ。
僅二三円の金で
子供を
支那人に売つた者が多勢あることや、
娘を
娼妓に売らうとしても
承諾せぬ
故、
之を打つたとて
警察に引かれた父親のことなどが、絶えず新聞に出るのを見ると、人間の中にも
獣類の平均ほどには子の
愛情のないものがある
故、
此点に
就いて人間と他の
獣とを特に区別すべき理由はない。
愛情に
伴ふものは
嫉妬であるが、
是も、
獣類などには
著しい。犬を
養うた人は
誰も知ることであるが、主人が
一疋だけを特に愛すると、他の犬が
嫉妬を起すことは常である。特に
猿類では
此念が
甚だしく、
或る船中で
一疋の
小猿が
衆人に愛せられるのを見て、
稍大きな
猿の方が
嫉妬を起し、
小猿を海に投げ
込んだ話もある。
又復讎の
念も
盛で、
或る時インドの動物園に
一疋の
狒々が飼うてあつたのを、一人の
士官が常に苦しめたが、
或る日、向ふから
其士官の来るのを見て、
狒々は急に地面に
小便をし、
泥をこねて待ち
構へ、
丁度前に来たときに打つ付けて、
其立派な
軍服を
泥だらけにした話もある。
斯様な例は
沢山にあるが、
其為すことから考へて見ると、人間と同じ
根性を持つて居ることは
明である。
尚、
其他喜・
怒・
哀・
楽の情、死を
恐れる情の
如きも、人間と他の
獣類との間に少しも
相違はない。犬・
猫の
喜び・
怒ること、
又如何なるときに喜ぶか
怒るかといふことも
誰も知つて居る
故、こゝには
略するが、動物園に飼うてある様な
種々の
獣類でも、
此等の点は
明に
其通りで、世話人が深切にすれば喜び、苦しめれば
怒る。
猿が仲間の死体の
周囲に集まつて悲む情でも、犬・
猫の
児が
戯れ楽む具合なども、人間に見る所と
違はぬ。
蟻の習性を
詳しく調べた人の書いたものに、
蟻も時々
互に
逐ひ
廻し合うたりして、
恰も人間の
子供や犬の児の
如くに
戯れることが
載せてあるが、
丁寧に観察すれば、
稍高等な動物には総べて人間と同様な情が備はつて居る。
動物に
意の
働きのあることも
明で、犬・
猫などにも、
一旦為さうと思うたことは、
如何なる
障礙があつても、
之を
為し
遂げねば
承知せぬ様な性質が見える。往来で
如何に馬方が
鞭で打つても、少しも動かずに、馬が立ち止まつて居るのを
見掛けることが
屡あるが、
是も
其一例である。
而して
其強情の度が
大抵の人間より上に位するものも少くはない。
好奇心も動物にはある。ダーウィンは
或る時ロンドンの動物園に行つて、小な
蛇を
一疋紙袋の中に入れて
猿の
籠の
隅に
突き
込んで見た所が、
忽ち
其中の
一疋の
猿が来て、
袋の口を開いて中を
覗き、急に
叫んで
逃げ去つた。
猿は生来極めて
蛇を
恐れるもので、
玩弄物(注:オモチャ)の
蛇を見せても
大騒ぎをする位であるのに
拘らず、
所謂「
恐いもの見たさ」の情に
堪へ切れず、
暫くすると再び来て
袋の口を
覗いたが、
此度は同じ
籠の中の他の
猿等も
皆集まつて来て、
恐る/\熱心に
袋の口を
覗かうとした。
巡査交番所で
車夫の
叱られて居る周囲に、何の関係もない人等が黒山の
如くに集まつて見て居るのも、
猿が
蛇の
袋の周囲に集まつたのも、
好奇心の度に
至つては、
敢へて
甲乙は無い様である。
記憶力の存することも、
又一旦忘れたことを思ひ出す順序なども、
鳥獣と人間とでは全く同一である。犬・
猫・牛・馬に
記憶力のあることは言ふまでもないが、
一旦忘れたことでも、思想の
聯合により
其緒を
捕へれば
忽ち全体を思ひ出す具合は、
実験によつて
明に証することが出来る。
鸚鵡などに歌を教へてあつた場合に、第二句以下を忘れると、
鸚鵡は第一句の次に種々の句を
繋ぎ
試みながら、何回も
繰り返し、適当な句を思ひ出せば、
其先は自然に出る。
又鸚鵡が第一句のみを
繰り返して第二句を思ひ出さうと考へて居る所へ、
側から第二句の最初の一音だけを知らせて
遣れば、
忽ち全部を思ひ出して、得意になつて
之を歌ふ。
此等も人間が物を思ひ出す有様と少しも
違はぬ。
推理の力に至つては、人間と他の
獣類との間に
甚だしい
相違がある。
併しながら、
是も単に程度の問題で、
獣類にも多少の推理力のあることは、
確であるから、人間は
唯其同じ力が非常に進んで居るといふに過ぎぬ。
或る時ロンドンの動物園に飼うてあつた
一疋の
猿は、
猫の子を
頻に愛して、常に側に置いて居たが、一度
劇しく引つ
掻かれた後は、
猫の足の先を検査し、歯で
爪を
噛み取つて、相変らず
抱いて居た。
此類の例は他にも
尚沢山にあるが、
獣類の中にも、犬・象・
猿などの
如くに
此力の多少進んだものもあれば、
又極めて
痴鈍なものもある
如く、人間の方でも、
推理の力の発達の度は実に
甚だしい
相違があつて、最下等の
野蛮人とチンダル、スペンサーの様な学者とを
比べると、
其間の差は、
野蛮人と
猩々との
相違よりは
甚だしいかも知れぬ。数を算へることは、総べての精確な知識の
根拠となるものであるが、
或る動物園に数年飼うてあつた
黒猩々の
牝は
殆ど十位までの数を覚えて、区別する様になつた。
之に反してオーストラリヤ辺の
野蛮人には三
或は四までより知らず、
其以上は
唯沢山といふだけで、少しも
勘定する力のない部落もある。
此等を比べると、中々人間は知力に
於て
遙に
獣類以上であるとばかりは言はれぬ。
要するに知・情・意等の精神的作用は、人間以外の
獣類にも確に存するもので、人間と他の
獣類との
相違は単に程度の問題に過ぎぬ。
然も情・意の方面に
於ては、決して人間を
以て第一等と
見做すことの出来ぬ場合が多い。
唯知力では人間は他
獣類より
著しく
優れて居る。されば身体の構造では
大脳の
頗る
発達してあること、
精神的作用では
知力の
非常に進んであることだけが、人間と他の
獣類との
相違する点で、文明人と
野蛮人との相異なるのも
唯此点に
過ぎぬ。今日人間が他の
獣類に打ち勝つて天下を
占領して居るのも、文明人が
野蛮人を
亡ぼして四方へ
蔓延るのも、
皆知力ばかりによることである。
「道理を
弁へて居るのは、人間ばかりである。他の
獣類には道理を
弁へて居るものは一種もない。
是が人間と他の
獣類との
異なる点である」などと書いた書物も
沢山にあるが、
是も極めて
漠然たる説で、
若し道理といふ字を
卑い・広い意味に取つて、多少
理を
推すことの出来る力と
解釈すれば、人間以外にも
之を有するものは
幾らもある。
又高尚な
狭い意味に取ると、人間の中にも
之を持たぬものが多数を
占めて居るから、
是を
以て人間と他の
獣類との区別の標準と
見做すことは出来ぬ。
又「人間ばかりは
自己の
存在を承知して居るが、他の
獣類には
此事がない」と書いてある書物もあるが、
此事も確に
証明の出来ぬことで、自分は過去は
何処から来て、
未来は
何処へ行くものであらうかなどと考へることは、他の
獣類にはないかも知れぬが、犬や象の
如き
智慧のある
獣が、年寄つてから自分の
若い時に
経験したことを思ひ出すことがないとは中々
断言は出来ぬ。動物園の
檻の内で、
猩々が
厭世的の顔をして
静坐して居るのを見ると、
故郷のことでも考へて居るのではないかと思はざるを得ぬ。
之に反して最下等の
野蛮人などになると、自己の存在の理由等を考へるものはない。されば自己の存在を知ることの有無を
以て、人間と他の
獣類との区別の点とすることは出来ぬ。
道徳心に
就いても
其通りで、犬が主人のために命を
捨てて忠義を
尽した話などは
幾らもあるが、
凡団体をなして生活する動物であれば、友の
難儀を
救ひ、友と楽みを分つといふ様な習性の多少
備はつて居ないものはない。犬が生理学上の
実験のために生きた
儘で体を切り開かれながら、
尚解剖刀を持つて居る主人の手を
嘗めたこと、
或は犬が主人に
財嚢を
或る木の下へ
忘れて来たことを知らせるために、
尚平気で先へ進まうとする主人の馬の足に
噛み
附いたので、主人は犬が
発狂したことと思ひ、
鉄砲で
撃つたのに、犬は
拠なく
痛みを
堪へて、前に主人の休んだ
木蔭の所まで行き、
瀕死の有様ながら、
尚そこにある
財嚢を
護つて居て、主人が
之に気が
附き帰つて来たのを見て、一声鳴いて
瞑目したことなどの記事を読めば、
如何なる人でも
涙を流さずには居られぬ。人間には
素より
道徳の高いものもあるが、
又主人の財産を
横領しやうと計画する
連中も決して少くない。
特に文明人が
野蛮人に対する
所置を見ると、
殆ど道徳の
痕跡も見えぬ様なことがある。
奴隷採集に南洋に行つた汽船の記事などを見ると、
訳の解らぬ
黒奴を
瞞して船に
呼び
寄せ、
腕力で
之を
擒にして船底の
物置に
押し
込め、少しでも
騒げば
鉄砲で
撃ち殺し、少し重い
傷を負うて最早売れる
望のないものは、生きながら海中に投げ
捨てたことなどが書いてある。
又戦争の時に
逃げ後れた
婦人が
如何なる目に
遇ふかは文明開化に
誇る十九世紀の末年に起つた出来事を見ても
明なことで、
其残酷な
所行は
殆ど述べることも出来ぬ。
彼処では
黒奴が極めて
残忍な方法で
私刑に
処せられたとか、
此処ではユダヤ人が何百人
虐殺せられたとかいふことが、新聞に絶えぬのを見れば、
道徳心の有無を
以て人間と他の
獣類とを区別することの出来ぬは実に
明瞭であらう。
斯くの
如く精神的動作の種々の方面を検するに、
孰れの点に
於ても人間と他の
獣類との間に根本的の
相違はないが、
之から考へれば、人間には
精神があるが、他の
獣類には精神がないといふ
如き説は、全く根の無いことで、
之を
基として
論じた結論は総べて
甚だしい
誤でなければならぬ。
若し人間に
特別な精神があるものとしたならば、犬・
猫にもある
筈で、若し犬・
猫に精神がないものとしたならば、人間だけに
其存在を
認めなければならぬといふ
特別の理由は
毫もない。日々人間の
為す所を見たり、新聞に出て来る記事を読みなどすれば、人間の
行為も他の
獣類の
行為も、
其原動力は大同小異で、
其大部分は
食欲と
色欲とに基づくことが
明であるが、
唯知力発達の度に
著しい差がある
故、欲を満足せしめるための
手段と方法とは、他の
獣類に比すれば無論
甚だしく複雑である。
言語を有するのは人間ばかりである。人間の外には言語を有する
獣はないとの説もあるが、
是亦程度の問題である。人間の
如くに発達した言語を有するものが、他に無いことは
明であるが、言語の初歩だけを備へた動物は決して無いとは言はれぬ。
猫や犬でも、喜ぶとき、
怒るとき、
餌を求めるとき、罪を
詫びるときなどの鳴声が
一々違ふことは
誰も気の
附くことであるが、野生の
獣類には
随分複雑な鳴声を有して、自分の感情
或は外界の出来事を
同僚に伝へるものが
沢山にある。
猿の言語を取調べるために、数年アフリカの森中に
留まつた人の報告などを見ると、
猿にも一種の言語があつて、人間の言語とは素より
比較にならぬが、
感情を伝へる
叫び声の外に
普通の
需要物品を言ひ表す単語なども相応にある
故、度に
於ては非常な
相違はあるが、性質は人間の言語と
異なつた所はない様である。ロシヤ語ではドイツ人のことをニェメツといふが、ニェメツとは
唖といふ意味の文字である。
是は
恐らくロシヤ人が
国境を
越えてドイツ国に行くと、
幾らロシヤ語で話しかけても先方へは通ぜず、
又先方のいふことは、
此方へは少しも
解らぬから、
斯様に名づけたのであらうが、今日
我々が他の動物には言語がないというて居るのは、
殆ど
此様な有様で、
唯先方のいふことが
此方に通じないといふに過ぎぬ。
知力の進歩と言語の進化とが
相伴ふべきことは
明であるが、
此二者が
相伴うて
著しく発達して居ることが、
殆ど人間と他の
獣類との異なる
唯一の点で、
其他に至つては決して人間のみに特有なものを見出すことは出来ぬ。
而して知力・言語に
於ても、人間と他の
獣類との間の
相違は単に程度の問題で、決して根本的性質の
相違ではない。素より同じく人間といふ中には、最上等から最下等まで無数の階級がある
故、上等の人間を取つて論ずれば、
一般の
獣類とは総べての点で
甚だしく
違ふのは言ふまでもないが、下等の人間に
就いて調べると、知力と言語とを
除けば、
其他の点に
於ては
殆ど
獣類と
甲乙はない。先年
或る処に飼うてある
狒々の所行が
風俗を
壊乱する
恐があるというて、
警察署から
之に
板囲をする様に
飼主に命じたことがあるが、
狒々といふ
獣が
或る所行をすると人間の
風俗がその
為に
乱れるといふことは知力・言語以外に
於て
如何に人間と他の
獣類とが相近いものであるかを
明かに示して居る。
前の節に述べた通り、人間といふものは、身体の構造・発生等を調べても、
精神的動作の方面から論じても、犬・
猫の
如き
普通の
獣類と
比較して根本的の
相違は少しもない。知力・言語だけは
著しく進んで居るが、
是も単に
程度の
相違に過ぎぬ。されば犬・
猫等を動物界に
編入して置く以上は、人間だけを動物界以外に
離す理由は少しもない。
此事は
改めて言ふまでもないことで、動物学の書物を開いて見れば、
必ず人間も動物の一種と
見做して、
其中に
掲げてあるが、世間には未だ人間だけを動物界以外の
特別のものの
如くに考へて居る人も
甚だ多い様であるから、動物界の中で人間は
如何なる部に
属するかを、少し
詳細に述べて置く必要がある。
動物界を大別して、先づ
若干の門に分つことは前にもいうたが、
其中脊椎動物門といふのは、身体の
中軸に
脊椎を備へた動物を総べて
含むもので、
獣類・鳥類・
蛇・
蛙から、魚類一切まで
皆之に属する。人間も
解剖して見れば、犬・
猫とも
大同小異で、
猿類とは極めて
善く似て居るもの
故、
無論此門の中に編入せなければならぬ。動物界には人間の属する
脊椎動物門の外に、
尚七個
或は八個の門があるが、
此等の門に属する動物は、人間とは身体の構造が
著しく
違うて、部分の
比較をすることも出来ぬ。昔は動物学者の中にも人間は最も完全な動物である。他の動物は総べて人間の
性質を
唯不完全に備へて居るなどと
唱へた人もあつたが、
是は素より
誤で、生物進化の
樹枝状をなした
系図に
照せば、動物の各門は
皆幹の
根基に近い処から分かれた
大枝に当るもの
故、門が異なれば進化の方向が全く
違うて、決して
優劣の
比較の出来るものでない。
脊椎動物である人間と
軟体動物である
章魚とを
比較するのは、
恰も
弓の名人と
油画の名人との
優劣を論ずる様なもので、
雙方全く別な方面に発達して居るのであるから、
甲乙の定め様がない。動物界で人間と多少
比較の出来るのは
脊椎動物だけで、
其他は極めて
縁の遠いものばかりであるが、何十万種もある動物の中で、
脊椎動物は
僅に三万にも足らぬ位であるから、種類の数から言へば
甚だ少数である。
併し、大形の動物は
概して
此中にある
故、通常人の知つて居るのは、多くは
脊椎動物で、
禽・
獣・虫・魚といふ中の
禽・
獣・魚の全部と虫の一部とは総べて
此門に属する。されば今日動物学上、知れてある何十万種の中、大部分は人間とは関係の
薄いもので、
唯脊椎を有する動物だけが、人間と同一な大枝から
降り、
尚其中の
或る種類は特に人間と
密接した位置を
占めて居る
訳である。
脊椎動物を、
哺乳類・鳥類・
爬虫類・
両棲類・魚類の
五綱に別けるが、人間は
温血・
胎生で、
皮膚に毛が生じてあるから、
明に
其中の
哺乳類に属する。
又哺乳類を分けて
胎盤の出来る高等の類と
胎盤の出来ない下等の類とにするが、人間は
其中の有
胎盤類に属する。
胎盤といふのは
胎児を包む
膜と母の
子宮の
壁とが合して出来たもので、母の
血液から
胎児の方へ
酸素と
滋養分とを送る道具であるが、人間の子が産まれた後に、
臍の
緒の先に
附いて出て来る
蓮の葉の
如き形のものが、
即ち
是である。人間と犬・
猫との身体構造上、
極めて相似て居る点は前に述べたが、動物学上、
哺乳類の
特徴と
見做す点で人間に
欠けて居るものは一つもない。それ
故、人間の
哺乳類であることは、確であつて、
哺乳類である以上は、犬・
猫等の
如き
獣類と共同な先祖から分かれ
降つたといふことも
亦疑ふことは出来ぬ。
生物学の進んだ結果として、人間が
獣類の一種であることを
明に知るに至つた有様は、天文学の進んだ結果として、地球が
太陽系統に属する一の
惑星であることを知るに至つたのと極めて
善く似て居る。天文学の進まぬ間は、
僅に十万里(注:390Km)と
隔たらぬ月も、三千七百万里(注:14、430Km)の
距離にある太陽も、
又太陽に比して何千万倍もの
距離にある星でも、総べて一所に合せて、その
在る処を天と名づけ、
之を地と対立せしめ、
我が住む地球の動くことは知らずに、日・月・
星辰が
廻転するものと心得て居たが、
段々天文学が開けて来るに
随ひ、月は地球の周囲を
廻り、地球は
又他の
惑星と共に太陽の周囲を
廻つて居るもので、天に見える無数の星は、
殆ど
皆太陽と同じ様な性質のものであることが解り、
宇宙に
於ける地球の位置が多少
明に知れるに至つた。地動説が初めて出た
頃には、
耶蘇教徒の
騒ぎは大変なことで、何とかして
斯様な
異端の説の
弘まらぬ様にと出来るだけの
手段を
尽して、
其ため人を殺したことも何人か
算へられぬ。
併し真理を
永久圧伏することは
到底出来ず、今日では小学校に通ふ子供でも、地球が太陽の
周囲を
廻ることを知る様になつた。
自然界に
於ける人間の位置に関しても、
丁度其通りで、初めは人間を
以て
一種霊妙な
特別のものと考へ、天と地と人とを対等の
如くに心得て、
之を三才と名づけ、
殆ど何の構造もない下等の生物も、人間同様の構造を備へた
猿や
猩猩も総べて
一括して
之を地に属せしめた有様は、光線が地球まで達するのに一秒半もかゝらぬ月も、
八分余で
届く太陽でも、
又は何年も何十年もかゝる程の
距離にある星も、同等に思うたのと少しも
違はぬ。
而して生物学の進むに
随うて、先づ人間を動物界に入れて、
獣類中の
特別な一目と
見做し、次には
猿類と同目に
編入し、
更に進んで人間と東半球の
猿類とのみを
以て
猿類の中に
狭鼻類と名づける一
亜目を設け、人間は
比較的近い
頃に
猿類の先祖から分かれ
降つたものであることを知るに至つて、初めて、自然に
於ける人類の位置が
明に解つた具合は、
又地動説によつて地球の位置が
明になつたのと少しも
違はぬ。
凡一個の新しい真理が発見せられる
毎に、
其ため不利益を
蒙むる位置にある人々が、極力反対するのは当然であるが、たとひ
私の心が無くとも、
旧い思想に
慣れた人は、
惰性の結果で
之に反対することも多い。ダーウィンが「
種の起源」を
公にした
頃には、宗教家は素より、生物学者の一部からも
劇しい
攻撃を受けたが、人も
猿も、犬・
猫も共同の先祖から
降つたといふ考は、地球の動く・動かぬの議論と
違ひ、人間に取つて
直接の関係のあることで、人類に関する
旧思想を基とした学問は、
過半は
其ため
根柢から改めざるを得ぬことになる
故、
攻撃者の数は
頗る多かつた。
且進化論は
純粋な生物学上の問題で、
其の
根拠とする事実は
総べて生物学上のもの
故、
此学の
素養のない人には、
到底十分に理会も出来ぬため、生物学者間には学問上最早
確定した事実と
見做されて居る今日に
於ても、
進化論はまだ広く
一般に知られるまでには至らぬが、
其の真理であることは、
地動説と少しも
違はぬ
故、
人智の進むに
随ひ、
漸々誰も
之を
認めるに至るべきことは、今から予言して置いても
間違ひはない。ガリレイがローマ法王の
法廷に
呼び出され、地動説を取り消しながら、低声で「それでも動く」というたのが、コペルニクスが天体の運動に
就いての
論文を
公にしてから九十年目であることを思へば、今日
既に進化論が学者間だけにでも
認められるに至つたのは、
甚だ進歩が早かつたと言ふべきであらう。
人間は
獣類中の
有胎盤類に属することは前にも述べたが、
胎盤の形にも種々あつて、人間・
猿類などのは
蓮の葉の
如き
円盤状であるが、犬・
猫では
胎盤は
帯状をなして
胎児を取り
巻いて居る。
又牛・馬の類では
胎児を包む
膜と母の子宮の
壁との
結び付き具合が
簡単である
故、
子宮の内面の一部が
胎盤の方へ着いて、
一緒に出て来ることはない。さて人間は
有胎盤類の中で、何の部に属するかといふに、無論
猿類である。
猿類の
特徴は、歯は
門歯・
犬歯・
臼歯ともに
備はつてあること、
四肢ともに五本の指を有して、
指の
先端には
扁平な
爪のあること、
眼球のある処と
顳'需頁'筋のある処との間には、完全な骨の
壁があつて、少しも
連絡なきこと、眼は前面へ向ふこと、
乳房は
胸に一対よりないこと、
胎盤の
円盤状であることなどであるが、
此中で、人間に
適せぬものは一も無い。次に人間は
猿類中の
如何なる組に属するかといふに、
猿類には三つの
亜目があつて、第一は左右の鼻の
孔の間の
距離が少く、
上下両顎ともに門歯が四本、犬歯が二本、
臼歯が十本ある
狭鼻類、第二は左右の鼻の
孔が遠く
相隔たつて各側面へ向いて居て、上下両
顎ともに門歯四本、犬歯二本と
臼歯十二本とを有する
扁鼻類、第三は
四肢ともに
猫の
如き曲つた
爪を備へた
熊猿類であるが、人間は
明に第一の
狭鼻類に属する。
狭鼻類は
猩々・
日本猿を始め、総べて東半球に産する
猿類を
含むもので、
扁鼻類と
熊猿類とは全く南アメリカの産ばかりであるが、
其間には著しい
相違がある。歯の形・数・列び方などは、
獣類を分類する場合には最も大切なものであるが、人間は
此点に
於て
猩々・
日本猿などと
一致し、
扁鼻類・
熊猿類とは
明に
異なつて居るから、人間と
猿類とを合せて置いて、
之を分類するには、先づ
猩々・
日本猿・人間などを一組として一
亜目とし、他の
亜目と区別せなければならぬ。
又此狭鼻類に属する
猿類と人間とだけを
並べて置いて、
更に
之を分類すれば、
尾もなく、
'夾頁'の
嚢もなく、
尻胝もない
人猿類と、
此等を有する
尾長猿類との二部になるが、
日本猿・
尾長猿・
狒々の
如きは後者に属し、
猩々・
黒猩々・人間などだけが前者の中に
含まれることになる。されば生物学上から
論ずれば、
猩々と人間との間の
相違は、
猩々と
日本猿又は
狒々との間の
相違に比すれば
遙に少く、
日本猿と人間との間の
相違は
日本猿とアメリカ
猿との間の
相違に比すれば、
尚著しく少い。文明国の高等な人間と
猩々と
猿とを
並べて見ると、こゝに述べたことは真でない様な感じも起るが、身体の構造から言へば、全く
此通りで、
若し最下等の
野蛮人を人間の
模範に取つたならば、
此事は初めから
疑も起らぬ。南洋の
野蛮国に伝道に行つた
宣教師の書いたものにも、文明人と
其処の土人と
猿とを並べて分類する場合には、土人と
猿とを一組とし、文明人を別に
離さざるを得ぬなどと
載せてあるが、
斯様な
野蛮人から
最高の文明人までの間には、無数の
階段があつて、
何処にも
判然たる
境はない
故、人間全体に
就いて述べるときには、文明人のみを例に取ることは出来ぬ。
生物界現象の
一大帰納的結論である進化論を、人間に当て
嵌めて、
演繹的に論ずれば、人間と
猩々とが共同の先祖から二つに分かれたのは、
人猿類が
尾長猿類から
分離したときよりは
遙に後のことで、
人猿類と
尾長猿類とが分かれたのは、
狭鼻類が
扁鼻類と相分かれたときよりは
又余程後のことであると考へねばならぬ。
此進化の径路を時の順序に
従うて言ひ
換へれば、昔
獣類の総先祖が陸上に
蔓延り、
此子孫が
漸々幾組にも分かれ、
其中の一組は
四肢ともに物を
握る
性を得て森林等の中に住み、果実・小鳥などを食うて生活し、
其子孫が
益々繁殖して各地に
拡がり、後交通の路が絶えたためにアメリカに住するものは
扁鼻類・
熊猿類、東半球に住するものは
狭鼻類となつて、
三亜目に分かれ、東半球に住するものは
又住所・
習性等の
相違によつて、
漸漸人猿類と
尾長猿類とに分かれ、
人猿類の先祖から
降つた子孫の中、一部は森林の中に住し、前後の
肢を
以て枝を
握りて運動し、終に
猩々・
黒猩々の類として今日まで
生存し、他の一部は平原の方へ出で、後足だけで直立して走り
廻り、前足は運動には用ゐず、他の働きに用ゐ、前後の足の間に分業が行はれた結果、後足は
益々走行に適する様になり、前足は
益々他の
稍精密な仕事に適する様になり、
其ため経験も増し、
且前から多少あつた言語の基が
盛に発達して、真の言語となり、終に人間となつて、今日地球上
到る処に
棲息して居るのであらう。
されば、
現今生きて居る一種の
猿が進化して人間になつたのでは
無論ないが、人間と
猿とが共同の先祖から分かれ
降つたといふことは、最早今日は学問上
既に確定した事実と
見做して
宜しい。
而して
猿類の中でも
猩々・
黒猩々などとは
比較的近い
頃になつて
漸く分かれたことも確である。
此等の事に
就いては、
解剖学・発生学・生理学上の
証拠の外に、
尚後に述べる様な争はれぬ
証拠もあつて、
如何に
疑はうと思うても、
理窟上からは
到底疑ふことは出来ぬ。
人間は
猿類の一種であつて、他の
猿等と共同な先祖から
降つたといふ考が初めて発表せられたときには、世間の人人から
非常な
攻撃を
被つた。今日では
此事は最早確定した事実であるが、
尚之を
疑うて
攻撃する人々が決して少くない。
併し、
斯様に
攻撃の
劇しい理由を
探ると、決して
理会力から起るのではなく、
皆感情に基づく様である。
獣類は自分と
甚だ似たものであるに
拘らず、特に
畜生と名づけて常に
之を
卑み、他人に向うて、
獣とか犬・
猫とか
畜生とかいふのは非常な悪口であると心得て居る所へ、人間は
猿類と共同な先祖から
降つたといひ聞かされたのであるから、自分の
価値を
甚だしく下げられた
如くに感じ、
折角、今まで万物の
霊であつたのを、急に畜生と同等な
段まで引き落さうとは実にけしからぬ説であるとの情が
基礎となつて、種々の方面から
攻撃が起つたのに過ぎぬ。
我先祖は
藤原の
朝臣某であるとか、我兄の妻は
従何位侯爵某の
落胤であるとかいうて、
自慢したいのが
普通の人情であることを思へば、先祖は
獣類で、親類は
猿であると聞いて、喜ばぬのも無理ではないが、
善く考へて見るに、下等の
獣類から起りながら、今日の文明開化の度までに進んだと思へば、
尚此後も
益々進歩すべき
望がある
故、極めて
嬉しく感ずべき
筈である。若し
之に反して
完全無欠の神とでもいふべきものから
降つた人間が、新聞紙の三面記事に毎日無限の材料を
供給する様になつたと考へたならば、
此先何処まで
堕落するか
解らぬとの感じが起つて、
甚だ心細くなる訳である。それ
故、
聊でも
理窟を考へる人であれば、感情の点から言うても進化論を
嫌ふべき理由は少しもない。
血液は
無色透明な
血漿と、
其中に
浮べる無数の
血球とから成り立つたものであるが、人間
或は
其他の
獣類から
新鮮な血液を取つて、コップにでも入れて、
暫時据ゑて置くと、
直に
膠の
如くに
凝固する。
尚捨て置くと
其表面に少し黄色を
帯びた
透明な水の
如きものが
滲み出るが、
是が
即ち
血清である。初めの赤い
塊は
漸々収縮し、血清は
漸々増して、終には血清が
赤塊を全く
浸す様になつて
仕舞ふ。
さて人間の
血液から取つた
血清を、
兎などに
注射するに、少量なれば
兎は
之に
堪へる。二三日後に再び注射を行ひ、
又二三日を経て注射を行ひ、六回
乃至十回位も
斯く注射をした後に、
其兎を殺して
其新鮮な血液から血清を取ると、
此血清は
普通の
兎の血から取つた血清とは大いに性質が
違ふ。こゝに述べた
如くに
特別に造つた血清を、便利のため
人兎血清と名づけるが、
之を人間の血から取つた血清の
溶液に
混ずると、
忽ち
劇しい
沈澱が出来て
濁る。
普通の
兎の血清では、
此様なことは決してない。
馬の血清を数回注射した
兎の血から、
馬兎血清を取り、牛の血清を数回注射した
兎から、
牛兎血清を造るといふ様にして、種々の動物の血清を
製し、
又種々の動物の血液から
単に
其血清を製し、
此等の血清を種々に相混じて、試験して見ると、
馬兎血清は馬の血清とでなければ
沈澱を生ぜず、
牛兎血清は牛の血清とでなければ
沈澱を
生ぜぬこと、全く
人兎血清は人の血清と混じなければ
沈澱を生ぜぬのと同様である。
即ち
甲の動物の血清を
乙の動物に数回
注射した後に、
乙の動物から取つた血清は、
唯甲の動物種類の血清と相合しなければ
沈澱を生ぜぬといふ性質を有するのである。
馬兎血清は馬以外の動物の血清と合しては、少しも
沈澱が出来ぬが、
是には
幾らかの
例外がある。
例へば
驢馬の血清と混ずれば、
忽ち
沈澱が出来る。
驢馬兎血清を馬の血清と混じても同様である。
但し
馬兎血清と馬の血清とを混じ、
驢馬兎血清と
驢馬の血清とを混じたときに比すれば、
聊か
沈澱の量が少い。
豚兎血清を
野猪の血清に混じても同じく
沈澱が出来る。
犬兎血清を
狼の血清に混じても
其通りである。
斯様に
互に混じて
著しい
沈澱の出来る動物は、
如何なるものかと見ると、
孰れも
極めて
互に相類似し、
其間には
間の子の出来る位のものばかりで、少しでも
縁の遠い動物になると、少しも
斯様なことはない。
以上は
甚だ面白い現象
故、特に
之を研究した学者は
既に
幾人もあるが、
其中の一人は動物の血清を五百種も造り、
猿類の血清だけでも
殆ど五十種ばかりも用意して、
人兎血清と混ぜた結果を調べたが、
猿類以外の動物と混じては、少しも
沈澱は出来ず、
又猿類の中でも
普通の
猿類では
或は単に極めて少量の
沈澱が生ずるか、
或は全く
沈澱を生ぜぬが、
人猿類の
猩々などの血清に混ずると、
忽ち
著しい
沈澱が出来る。
此反応から考へて見ると、人間と
猩々との
類似の度は
恰も馬と
驢馬と、
豚と
野猪と、犬と狼と等が相類似する度と同じで、まだ実験はないが、
其間には確に間の子が出来得る位に相近いものである。語を
換へれば、人間と
猩々とが共同の先祖から相分かれたのは
比較的余程近い
頃で、両方の体質の間に未だ
著しい
相違が起るまでに至らぬのである。
昨年のドイツ国出版の人種学
雑誌に、ストラオホといふ人の
猩々兎血清に関する研究の結果が
載せてあつたが、
矢張り前と同様である。
或る動物園に
飼うてあつた
牝の
猩々が病死したので、
直に
其血液を取つて血清を製し、
之を数回
兎に注射して、後に
其兎の血液から、
猩々兎血清を取り、種々の動物の血清に混じて試験して見た所が、
其結果は
人兎血清と
殆ど同様で、人間の血清に混ずると
忽ち著しい
沈澱が出来た。
唯人兎血清と
違うたのは、他の
猿類の血清に混じても、相応に
沈澱が出来たとのことである。他の動物の血清試験の結果に照らせば、
此事は人と
猩々との極めて相近いものであることの
証拠で、
人兎血清を
猩々の血清に混じても、
猩々兎血清を人間の血清に混ぜても、必ず
沈澱が生じ、他の動物の血清と混じては
沈澱が出来ぬのは、
即ち全動物界中に
猩々ほど人に
縁の近いものはなく、
又人ほど
猩々に
縁の近いものはない
故である。今日の血清試験に関する
知識を
以ては、
殆ど
試験管内の反応によつて動物種属の
親類縁の
濃淡を目前に示すことが出来るというて
宜しい。
斯くの
如く、人間の
猿類に属することは、
解剖学上
及び発生学上に明であるのみならず、血清試験によつて明に
証することも出来るが、他の
猿類と共に
猿類共同の先祖から
漸々分岐して生じたものとすれば、
其先祖から今日の人間に至るまでの
途中のものの化石が、
地層の中に少しは残つて居さうなものである。さて
実際左様なものが発見せられたことがあるか
否かと
尋ねるに、
沢山にはないが、
既に種種の
階段に属する化石が見出され、現に
処々の博物館に
鄭重に
保存せられてある。素より
此種の化石が十分に
揃うて人間と
猿類との共同の先祖から今日の人間に
至るまでの進化の順序を
遺憾なく完全に示すといふ
訳ではないが、発見せられた化石は
皆人間と
猿類の先祖との中間に立つべき性質を備へたものばかり
故、全く
進化論の予期する所と
一致して居るのである。
全体動物の死体が化石となつて後世まで残るのは、余程都合の
好い場合に限ることで、先づ水の底に落ち、細かい
泥にでも
埋もれなければ、
殆ど化石となる
機会はない様である。犬・
猫などは昔から
何疋棲んで居て、毎年
何疋づゝ死んだか解らぬが、
其化石を見出すことは決してない。人間も
其通りで、石器を用ゐて居た時代にも人間は相応に多数に
生存して居たであらうが、
石斧や
石鏃は
沢山に出ながら、それを造つた人間の
骨の発見せられることは極めて
稀である。それ
故、今日知られて居る人間の化石は、世界中のものを
悉く集めても、
其数は決して多くはない。
今より
殆ど五十年
許り前に、ドイツ国ヂュッセルドルフ市の近辺のネアンデルタールといふ処の地層から、一個の人間の
頭骨が発見になつたが、
其頭骨は余程今日の人間とは
違うて、
頭蓋部が小く、
眉の
処が
著しく
突出して居て、全体が大いに
猿の頭骨に似て居た。
其頃之に
就いては種々の議論があつて、
或る人は
之を人間中の
猿に近いものと
見做し、
或る人は
之を人間と
猿との間の子であらうなどと論じたりしたが、有名な病理学者ウィルヒョウが
是は
畸形者の頭骨であると断言したので、一時は
誰も
其説に服し、
此貴重な化石も
暫時は学問上大なる
価値のないものとして
捨て置かれた。
然るに
其後又ベルギー国のスパイといふ処から前のと
略同様な頭骨が
掘り出され、
尚後に至つてクロアチヤ州から
之に似た頭骨が八個発見せられ、
尚其他にも
処々から一つ二つづゝ同様な古代の人間の
骨骼が
掘り出された。
此等を
比較して調べて見ると、
些細な点では
皆違うて居るが、
肝要な処はネアンデルタールの頭骨と余程似たもので、
孰れも今日の人間の頭骨とは
違ひ、
猿の頭に
似た点が
著しく目に立つた。
斯様に遠く
相離れた国々から
幾つも出て来る所から考へると、決して
畸形者の
頭骨であるとは思はれぬ。
且其時代の
地層から発見せられた人間の頭骨が
皆斯様なものであるのを見れば、
是は確に
其頃生活して居た人間の
普通の性質を示して居るものと
見做さねばならぬが、
斯かる頭骨を備へて居つた以上は、
其頃の人間は今日の人間とは余程
違うたもので、頭が小く、
眉は
突出し、
顎も大に発達して、全体の
容貌が
頗る
猿に類して居たに
違ひない。生活の有様が
如何であつたかは素より今日からは確に論ぜられぬが、
是も今日の人間とは
著しく
違つて居たらうといふだけは察することが出来る。
近来最も評判の高い化石は、
丁度十年前にオランダのヂュボアといふ博物学者がジャヴァのトリニルで
掘り出したものである。
其処の第三紀の
地層を研究して居る中に、一個の頭骨と
脚の骨とを発見したが、
其形状を調べて見ると、
丁度人間と
猿との中間に位するもので、人間ともいへず、
猿ともいへぬ
故、
拠なく「
猿人」といふ意味の新しい属名を造り、
脚の骨から考へると確に
直立して歩行したらしいからとて、「直立する」といふ種名を
附け、
此化石に「直立した
猿人」といふ学名を
与へた。
斯様な性質を備へた化石であるから、
忽ち学者間に非常な評判となり、
其後の万国動物学会にヂュボアが実物を持ち出して、大勢の
批評を求めた所が、
之を最も人間に似た
猿であらうというた人が二三人、最も
猿に似た人間であらうというた人が二三人あつた外、
其他の人は
皆之を人間と
猿類との中間に位する種属の化石であると
認めた。
斯くの
如く
其の言うたことには多少の
相違はあつたが、
畢竟唯、他の
猿類と人間との境界を
便宜上何処に定めやうかといふ点に
就いて、人々の考が
違うただけで、
此化石が今日の人間と今日の
猿類との中間に位するといふことに
就いては、
誰も
異存はなかつたのである。
尤も
此化石を
直に人間と
猩々との共同の先祖の化石と
見做すことは出来ぬが、
兎に角、共同の先祖に最も近いものであることだけは、少しも
疑がない。
又猿類の化石は
如何といふに、全体
猿類の化石といふものは、人間の化石と同じく、余り多くは発見せられてないが、
其中或るものは確に今日の
普通の
猿よりは、
尚一層人間に似て居る処がある。
是は人間と
猿類との共同の先祖から遠ざかることがまだ
僅である
故、共同の先祖に
尚甚だ似て居るので、
斯く人間に似た
如くに見えるのであらう。
斯くの
如く人間が
猿類と共同な先祖から起つたといふことは、決して単に
推理上の結論のみではない。
地層の中から出た化石を調べても、確に
其証拠のあることで、今日では最早疑ふことの出来ぬ事実である。陸上動物の化石の
甚だ少いこと、特に人間・
猿類の化石の極めて
稀であることを考へれば、人間の進化の
径路を示すべき化石の完全に
揃うて居ぬことは
当然のことで、今まで発見になつた化石が一も進化論の予期する所と
矛盾せぬことだけでも、
既に
此論の正しいといふ最も有力な
証拠と
見做さねばならぬ。
前章までに説いた所で、
進化論の大意だけは、先づ述べ終つたが、進化論を
認めると同時に、全く一変せざるを得ぬのは、自然に
於ける人類の位置に関する考である。人間は
獣類の一種で、
猿と共同な先祖から
降つたといふことは、単に進化論中の
特殊の一例に過ぎぬから、進化論を
認めながら
此ことだけを
認めぬといふ理由は決してない。
若し
此ことを
認めぬならば、進化論全体をも
認めることは出来ず、
随つて生物学上の無数の事実と
衝突することになる。
而して
一旦此事を
認めて自然に
於ける人類の位置に関する考を一変すれば、
従来の考は無論
棄てなければならず、
且旧思想の上に
樹てられた
学説は、
悉く
根柢から造り改めなければならぬことも無論である。
今日学問の種類は非常に
沢山あるが、
其中には人間は
如何なるものかといふ考に関係のないものもあれば、
又殆ど
此考を
基礎としたものもある。物理学・化学・数学・星学・地質学等の
如き
純正理学を始めとし、
之を応用した工学・農学などでも、人間といふ観念が
如何に変つても直接には何の
影響を
蒙むることもないが、
哲学とか、
倫理学とか、教育学とかいふ様な種類の学科は、人間といふ考次第で、全く根本から
改めなければならぬかも知れぬ。
何故といふに、
此等の学科は進化論の
現れぬ前から
引続き来つたもので、進化論以前の旧思想に
従うて人間といふものの
定義を定め、
之によつて説を立てて居るのである
故、
一朝此定義が改まる場合には、
其上に築き上げた
議論は
悉く
崩れて
仕舞ふからである。
嘗てアメリカの
或る
雑誌で、十九世紀中に出版になつた書物の中で、人間の思想上に最も著しい
影響を
及ぼしたのは何であるかといふ問題を出して、世界中の有名な学者から答を求めたことがあつたが、何百通も集まつた答の中に、ダーウィンの「
種の起源」を挙げぬものは一もなかつた。
又先年
丸善書店で十九世紀中の
大著述は何々であるかといふ問題で、
我国の学者から答を求めたことがあつたが、
其答の中、
矢張り「
種の起源」が最多数を占めた。
斯くの
如く、内外共に
此書の
尊重せられるのは
何故といふに、無論人間といふ考が
此書によつて全く
一変し、
其結果として
殆ど総べての学科に
著しい
影響を
及ぼしたからである。近来出版になつた社会学・
倫理学・心理学・
哲学等の書物の中には、進化論の
影響により大いに
改革を試みた
形迹の見えるものも、
既に
幾つかある所から
推せば、
尚益変化して行くであらうが、
何処でも
此等の学科を
専門に修めた人々には、
兎角、生物学の素養の極めて不十分な人が多く、
其ため進化論が今日
既に学問上確定した事実であるに
拘らず、
之を
了解することが出来ず、
依然として旧思想を守り、生物学から見れば
殆ど前世紀に属すると思はれる程の
誤謬に
陥りながら、少しも
悟らず、
随つて
之を改めもせぬ有様である。
進化論と
斯様な学科との関係は中々重大なことで、本書の中に
之を
丁寧に論ずることは出来ぬが、全く
之を
略して置くことも
甚だ不本意である
故、
唯一つ二つ思ひ
浮んだことだけを、
此章に述べる。進化論の方が十分に解りさへすれば、こゝに書くことの
如きは、必然の結論として生ずべきもので、
誰の
心中にも自然に
浮ぶ
筈のことかも知れぬが、
凡進化論によつて
従来の
諸学科が
如何に根本的に改良せられなければならぬかといふことは、
其ため多少
明に知れるであらう。
哲学といふ学問は、
其歴史を調べて見ると、
極古代に当つては、多少実験を基としたこともあつた様であるが、近来では全く実験と
離れて、単に自己の思考力のみに
依頼して、一切の
疑問を
解かうと勉める。
達磨が九年間
壁に向うて考へて居た
如く、今日の
所謂哲学者は、
唯書物を読むことと、考へることとによつて真理を発見し得るものの
如くに思うて居るが、
是には大きな
誤謬が
基となつて居る。
此事は当人も少しも気が
附かぬかも知らぬが、全く人類に関する旧思想に基づくことで、先づ
之から改めてかゝらなければ、
到底益々誤謬に
陥ることを
免れぬ。
其誤謬とは人間の思考力を
絶対に完全なものの
如くに
見做して居ることである。進化論の起らぬ前は、無論
此ことに
就いては
疑の起り様もない訳で、人間は一定不変のものと思うて居る間は、
其思考力の進化などに考へ
及ぶ
緒もない
故、
唯考さへすれば
如何なる真理でも
観破することが出来る様に思うたのも無理はないが、今日生物学上、人間が下等の
獣類から
漸々進化し来つたことが
明になつた以上は、先づ
此誤謬から正してかゝらねばならぬ。人間は
猿類などと共同な先祖から起つたもの
故、
其頃まで
溯れば今とは大いに
違うて
脳髄も小く、思考力も
甚だ弱かつたに
違ひない。それより
漸々進歩して、今日の
姿までに達したのである。
是から先は
如何に成り行くか未来のこと
故、
素より
解らぬが、過去の
経歴から
推して考へると、
尚此後脳髄が
益々発達して思考力も
益々進化することは、
殆ど
疑なからう。
若し今後
尚進歩するものとしたならば、今日の思考力は
恰も進歩の中段にあるもの
故、決して絶対に完全なものとは言はれぬ。されば今日
如何に
脳漿を
搾り、思考力を
凝らして考へたことも、
尚一層脳髄が発達し、思考力の進歩した未来の時世から
顧みたとすると、全く
誤つて居るかも知れず、
其時に考へたことは
又尚一層後の世から見ると、
誤であるかも知れぬが、
斯様に考へると、今日の
脳髄を
以て自分の単に考へ出したことを
以て、
万世不変の真理であると世に
披露する様な
大胆なことは
到底出来ず、
又他人の考へ出したことを万世不変の真理であると信ずることも出来ず、総べて何事をも極めて
控へ目に信ずる様になり、
其結果甚だしい
誤謬に
陥ることも
尠くなるであらう。
脳髄が
漸々発達して今日の有様になつたことは、化石学上にも事実の
証拠があるが、一個人の発生を調べると、全く同様なことを発見する。最初
脳髄の極めて簡単な
頃を
略して、
其次の時代からいへば、先づ
胎内四箇月位の時には、
大脳の両半球ともに表面が
平滑で一向
溝の
如きものもなく、
殆ど
兎の
脳髄の
如くであるが、
漸々発達して複雑になり、
大脳の表面に種々の
裂溝・
廻転等が
現れ、
八箇月頃には全く
猩々と同じ位な度に達する。
尚それより少しづゝ発達して、終に生まれ出るが、生まれてから後に思考力の
漸々進歩する具合は、
誰も
幼児に
就いて経験して知つて居ることであらう。発生学の所で述べて置いた生物発生の原則といふことは、人間の
脳髄の発育、思考力の進歩等にも実に
善く
適する様に思はれるが、
之によつて人間の実際進化し来つた径路を、余程までは
推察することが出来る。
眼・耳・鼻等の
如き感覚器も
無論絶対に完全なものではないが、
脳髄で考へた理論が、
眼・耳等で感ずることと
矛盾する場合に、理論の方だけを取つて、感覚の方を
顧みぬといふことは
穏当でない。今日の人間の生活の有様を見るに、主として知力の競争で、眼・耳・鼻等の
優劣は
殆ど
勝敗の標準とはならぬ
故、
一人々々の
相違は素よりあるが、全体からいへば、知力は
益々進むばかりで、感覚器の発達は少しも
之に
伴はぬ。
併しながら、知力は
如何なる度まで進んで居るかと考へるに、生物の進化は主として自然
淘汰に基づくもの
故、
唯競争
場裡に立つことが出来るといふ程度までに進んで居るだけで、決して
遙に
其以上に出て居る訳はない。されば今日
我々の有して居る思考力は、
同僚と競争して
甚だしく敗れることが無いといふ度までに発達して居るだけ
故、日常の生活には
僅に間に合うて行くが、
宇宙の
哲理を
観破する道具としては、
随分覚束ない様に思はれる。
哲学といふ字の
定義は
幾通りあるか知らぬが、
簡単にいへば、物を見て考へることであらう。
烏を見て単に黒いというて
済ますのは、
普通の見方で、
何故黒いかと考へるのは
哲学的の見方である。
詰まる所、物の原因に
就いて
疑を
抱くのが総べての
哲学の起りであらうが、
此疑を解かうと勉めるに当つて、取る方法に二通りの別がある。一は出来るだけ多く
実験観察し、出来るだけ多くの
正確な事実を集め、
之を
基として考へる方で、今日
純正理学と名づけるものは
皆此方法に
従うて研究すべき
筈である。他の一は
之に反して、眼・耳・鼻・舌等の
如き感覚器には全く信用を置かず、
唯思考力のみに
頼つて
疑の根元までも解き
尽さうと
試みるが、
従来の
所謂哲学といふものは総べて
此方法によつて研究せられて居る。さて人間は
尚進化の
中段にあるものとすれば、眼・耳・鼻・舌の感覚力も
脳髄の思考力も共に絶対に完全なものでないことは
勿論であるが、
孰れの方に
誤謬に
陥る
穴が多いかと考へて見るに、眼・耳を
以て見聞すること、物指し・
天秤等を
以て
測ることなどは、十人で行うても、百人で行うても、
其結果は
略一致して争ひの起ることは少いが、日常生活以外の方面に用ゐる思考力の結果は、一人々々で大いに異なり五人集まれば五通りの
宇宙観が出来、十人寄れば十通りの人生観が出来る。
又自分で独立の説を工夫することの出来ぬ人等は、他人の考へたことに
縋り
附くの外はない
故、こゝに
沢山の派が生ずる。若し真理が
幾通りもないものとしたならば、昔から多数に存する
哲学派の中で完全に真理を説いたものは、最も多く見積つても
唯一つだけよりない訳で、実際は、
恐らく
悉く
誤謬であると考へざるを得ない。思考力のみに
依頼すると、
推理の
筋の
辿り様次第で、種々の異なつた
結論に達し、
随分正反対の結果を得ることもある
故、真理を求めるために
或る学派に
帰依し、
或は自身で一派を工夫する人は、
恰も当りの少い
籤を引くのと同様で、真理に的中する望は極めて
僅である。
之に
比較すれば、感覚力の方が
尚余程確らしい。十人でも百人でも、
略同一な結果を得るのであるから、今日の人間の知力の
範囲内では、先づ
此以上に確なことを知ることは出来ぬ。人類共通の
誤謬があるかも知れぬが、
是は何とも論ずべき限でない。されば物の原因を
探るに当つても、先づ観察と実験とによつて事実を集め、
之を基として思考力によつて
其間の関係を考へ、一定の結論を得たれば、
更に実験・観察によつて
其結論が実際の事実と
矛盾せぬか
否かを確め、確であれば、
更に
之を基として、
其先を考へるといふ様に、常に思考力と感覚力とを
併せ働かせて進むのが、今日の人間のなし得る最も確な方法であらう。
尤も、
此方法は
一段毎に実験・観察等の
如き大きな労力を要すること
故、単に手を
束ねて考へるのと
違うて、
其進歩は素より多少
遅からざるを得ぬ。理科の進歩は常に
此方法による
故、
速ではないが、
頗る確である。理科に
於ても、事実の十分に集まらぬ中に、仮想説を考へ出して、
或る現象の理由を説明しやうと勉めて、
其ため
激しい議論の起ることも常にあるが、研究の結果、事実が
漸々解つて来れば、必ず
孰れにか決して
仕舞ふ
故、
何時までも数多の
学派が対立して
存するといふ様なことはない。
此方法は実験・観察によつて先づ事実を
捜し、
之を基として思考するのであるから、
従来の単に思考力のみにより、
空論を戦はして居た
紙上哲学に対し、
此方法で研究する学科を
実験哲学と名づけるが適当であるが、進化論により人間の位置が
明になつた以上は、
哲学といふものは
此方面の学科と
一致する様に改めなければならぬ。思考力のみを
唯一の武器として、
臥ながら
宇宙の真理を発見しやうといふ考は、進化論の教へる所と全く
矛盾することである。
科学に
満足が出来ぬから、
哲学に移るといふ人もあるが、物に
譬へて見れば、実験・観察と思考力とを
併せ用ゐて研究することは、
恰も
脚を動かして歩行する様なもので、進歩は速くはないが、
実際身体がそこまで進んで行く。
之に反して思考力のみによつて考へることは、
恰も
夢に千里を走る様なもので、進歩は
至極速い
如くに感ずるが、実際身体は少しも動かず、
覚めて見れば、身体は
依然として
旧の
処に止まつて居る。今日の開化の度まで、人間の進み来つたのは、全く実験・観察と思考力とを
併せて用ゐる方法で事物を研究した
結果である。思考力のみを用ゐる研究法の結果は、二千年前も今日も余り
著しくは
違はぬ。物の理由を
探り
求めるに当り、実験・
観察と思考力とを
併せ用ゐることは、大に
忍耐と労力とを要する仕事で、
随うて時も長くかゝるが、
其結果は真である
故、
之を応用して
誤ることはない。
詰まり、それだけ人間の
随意にする
領分が
殖えた様なもので、
生存競争の武器がそれだけ増したことに当る。知識の光を
以て照せば、何事でも
解らぬものはないなどと、大声に
演説すれば、
其時だけは説く者も何となく
愉快な感じが起つて、意気が大に
昂るが、実際を
顧みると、
我々の知識は中々左様なものではなく、
僅に
闇夜に持つて歩く
提灯位なもので、
唯大怪我なしに前へ進み得られるだけに、足元を
照すに過ぎない。実験・観察と思考力とを合せ用ゐるのは、
此提灯の光力を
漸々増加せしめる方法である。今日
我々の
為し得る
範囲内では、
此以上のことは出来ぬのであるから、不十分な点を
忍んで、科学に満足するより外に
致し方はない。
之に満足せずして、
旧哲学に移るのは、
恰も
提灯の火が小いからというて、目を
閉ぢる様なものであらう。
倫理学も
従来は人間を一定不変のものと
見做し、
且宇宙間に他に類のない
一種霊妙なものとして人間のことばかりを
論じ来つたが、
進化論によつて自然に
於ける人類の位置が
明になつた以上は、根本から
其仕組を改めて
掛らねばならぬ。人間が
獣類の一種であつて、
猿と共同な先祖から
降つたものとすれば、
善とか悪とかいふ考も決して最初から
存した
訳ではなく、他の思想と同様に
漸々の進化によつて生じたものと
見做さねばならぬが、
此等の点を
詳細に研究するには、先づ世界
各処の半開人や
野蛮人が、
如何なることを
善と名づけ、
如何なることを
悪と名づけて居るか、
又実際
如何なることを
為して居るかを取調べ、
尚人間以外の団体生活をする
獣類・鳥類が平生
為し居ることをも調査し、
之を基として
論ずることが必要である。人間の身体ばかりを
解剖して居ては、
如何に
丁寧に調べても、人間の身体各部の意味が解らず、他の動物と
比較して見て、初めて
其意味が解る
如くに、人間の
行為も
之ばかりを調べたのでは、
何時まで過ぎても容易に意味の解るものではない。他の団体生活をする動物の
行為に比べて見て、初めて
其意味が
明に解るものも
沢山にあるべき
筈である。
例へば、動物界には人間の外に団体生活を営むものは
沢山にあつて、
之を並べて見ると、
単独の生活をなすものから、一時的
団体を造るもの、少数の個体が常に集まり生活するものなど、種々の階級を経て、多数の個体が永久の団体を組んで生活するに至るまでの進化の順序を知ることが出来るが、
此等の動物の
行為を調べると、
善悪の分かれる具合も、多少
明に解る様である。先づ単独の生活を営む動物の
行為は、善悪を
以て評すべき限りではないが、団体を組んで生活する様になれば、
生存競争の単位は団体である
故、
其中の各個体の
行為は全団体に
影響を
及ぼし、一個体が団体に利益ある
所行をなせば、団体内の他の個体は残らず
其恩沢を
蒙り、一個体が団体に不利益な所行をなせば、団体内の他の個体は
悉く損害を受ける。仮に身を
斯る団体内に置いたと想像して見れば、前者の
行為を
善と
称し、後者の
行為を
悪と名づけるより
致し方はない。されば団体生活を営む動物では、一個体の
行為が全団体の
滅亡を起す場合が最高度の悪で、一身を
犠牲に
供して全団体の
危難を
救ふことは
善の理想的
模範である。
又数個の団体が対立して
互に競争する場合には、
如何なる性質を備へた団体が最も多く勝つ
見込を有するかと考へるに、それは無論各個体が全団体のために力を
尽し、
自己一身の利害を
第二段に置く様な団体である。上下
交々利を
征め(注:孟子のことば)ては
到底敵である団体と相対して
存立することは出来ぬ
故、団体間の生存競争に
於ても、
矢張り自然
淘汰が行はれ、団体生活に最も
適する性質を備へたもののみが長く生存し、各個体には
自己の属する団体のために
誠を
尽すといふ性質が、
益々発達する訳になる。
蟻・
蜜蜂等の
如き社会的
昆虫の動作を見れば
此事は最も明白であるが、人間の
道徳心の
如きも
或は
斯くの
如くにして生じ来つたものではなからうか。若し左様としたならば、
善悪といふ考も団体生活と共に起つたもので、世の中から団体生活をする動物を取り去つたならば、
唯火が
燃え、水が流れるといふ様な
善でも
悪でもないことばかりとなつて、善悪といふ文字の用ゐ処も無くなつて
仕舞ふ。
尚人間には生まれながら
良心といふものが備はつて悪事をなした後には心中大いに安んずることが出来ぬものであるが、
此良心といふものも、矢張り団体生活と共に起つたものではなからうか。団体生活を営む動物では、一個体の
行為が全団体の不利益を生じた場合には、他の個体が集まつて
之を
罰することが常であるが、
罰せられることを予め
恐れる心持ちは
所謂良心といふものと全く同じ性質の
如くに思はれる。
人間の道徳心の
起源の
如きは、大問題であつて、素より
一朝一夕に論じ
尽せる訳のものではないが、人間が
獣類の一種である以上は、
之を研究する方法も矢張り
比較解剖学・
比較発生学等と同様に、先づ事実を集め、次に
之に通ずる規則を
探り出し、
其規則に従うて原因を調べるといふ順序でなければならぬ。
此順序によりさへすれば、
恰も
比較解剖学・
比較発生学等によつて人間の身体の進化し来つた
径路が多少
明になつた
如くに、人間の
道徳心の発生の径路が、
幾分か解る様になるであらう。
野蛮人の
行為や
諸動物の習性を調べることは素より容易ではないが、今より後は
此方法により実験的に研究して行く外に適当な法はない様である。
従来の
倫理学は
規範学科などと
称して、単に思考力のみに
依頼し、
高尚な議論ばかりをして居た
故、
人世と最も直接な関係を有すべき学科でありながら、実際に
於ては最も人世と
縁の遠い有様であつたが、
規範学科であれば
尚更のこと、先づ人間といふものは実際
如何なることをして居るか、
又其行為の原因は何であるかを
詳しく調べ、
之を基として議論を立つべき
筈である。されば
倫理学は全く
其研究の方法を改め、
純正学科としては単に実験・観察によつて人類の
行為を研究し、
之を支配する理法を
探り求めることだけを目的とし、
更に応用学科として、人間の
行為は
斯くあるが最も
宜しいといふ
規範を種々の場合に当て
嵌めて定めることを勉めたれば
宜しからう。人間が
尚進化の
中途にあるものとすれば、
万世不易の
善悪の標準といふ様なものは、
到底定められぬかも知れず、単に思考力によつて
之を求めやうとすれば、
益々空論の
範囲に深入りして現実の世界から遠ざかるばかりである。特に人間には団体に種々の階級があつて、小団体が集まつて大団体をなして居る
故、
其中の各個人には小団体の一員としての
資格と大団体の一員としての資格とがあり、時と場合とに
随ひ
或は
甲の資格を取り、
或は
乙の資格を取ることが
必要であるから、同一種類の
行為でも
或は
善となり
或は
悪となることもある。例へば病原
黴菌といふ人類共同の敵に対する場合には、各個人は人類といふ大団体の一員たる資格である
故、
黴菌撲滅上、
肝要な一大発見をした学者が
直に
之を他国の学者に通知することは、全団体の利益となる
所行故、先づ善事と
見做さねばならぬが、国と国とが
戦争をする場合には、各個人は国といふ小団体の一員たる資格である
故、兵器改良上
肝要な一大発見をした学者が
之を
敵国の学者に通知することは、敵の
戦闘力を
増さしめる
所行故、確に悪事と
見做さねばならぬ。
斯様な例を考へれば、
幾らでもあるが、
此等を見ても、善悪の
標準は時と場合とに
随うて改めなければならぬことは、
明であるから、
倫理学は応用学科として常に
斯かる点を研究すべきものであらう。
教育書を開いて見ると、精神は人間ばかりに
存するもの
故、教育の出来るのも人間ばかりに
限るなどと書いてあるが、
是は確に
間違ひで、他の動物の中にも、子を教育する類は
幾らもある。
而して
如何なる動物が子を教育するかと調べると、
皆脳髄の
稍発達した高等動物で、
比較的子を生む数の少い種類に限る様である。
動物は何のために子を教育するかといふに、
凡動物には命の長いものもあれば、短いものもあるが、
如何なる種類でも、
寿命には必ず一定の
制限がある
故、種属の
断絶せぬためには、常に
生殖して
死亡の損失を
補はなければならぬ。
而して
若し生まれた子が
皆必ず生存するものと定まつて居たならば、一対の親から
一生涯の間に
僅に
二疋の子が生まれただけでも、親の
跡を
継いで行くことは出来る
筈であるが、生存競争の
劇烈な現在の世の中では、生まれた子が残らず生長するといふ望は
到底ない。魚類・
昆虫類を始め多くの下等動物では、初めから無数の
卵を生む
故、
其儘打捨てて置いても
其中二疋や
三疋は生長し終るまで生存する機会があるが、
稍少数な子を生む動物では、単に生んだだけでは、未だ種属
維持の
見込が
附いたとはいへぬ。必ず
之を教育して、
競争場裡に出しても容易に
敗ける
患はないといふまでに仕上げなければならぬ。されば教育といふことは
生殖作用の
追加とも見るべきもので、
其目的は
生殖作用と同じく、種属の
維持繁栄にあることは、少しも
疑を容れぬ。
以上述べたことは、生物学上
明な事実であるが、
之を人間の場合に当て
嵌めて見ても
其通りで、教育書には、教育の目的は完全なる人を造るにあるとか、何とか、種々
高尚な議論が
掲げてあるに
拘らず、実際に
於ては総べて種属の
維持繁栄を目的として居る。
尤もこゝに種属といふのは動物学上の種属ではない、人間の造つて居る種々の団体のことで、
此団体に
幾つもの
階段があるから、教育の目的も
之を行ふ団体次第で多少
異ならざるを得ない。例へば一家で
其子弟を教育するのは現在の一家の主なる人々が死んでも、後に一家を
継続するものを残すためで、
一藩で
其子弟を教育するのは現在の
藩士が死んでも、後に
之を
継続するための
立派なものを残すためである。
又一国が
其子弟を教育するのは、現在の国民が死んでも、
其後に世界列国の競争
場裡に立ち、立派に一国を
維持し
且栄えて行くだけのものを残すためである。完全な人を
造るとか人間本来の
能力を
発展せしめるとか、いふ文句は
如何にも立派に聞えるが、実は極めて
漠然な言ひ方で、完全な人とは
如何なるものか、人間本来の
能力とは何かと
押して問へば、
其答は決して一様でなく、
其定義を定めるために
又種々の議論が出て、益益実際から遠ざかる様になる。然るに実際に
於ては議論の
如何に
拘らず、知らず識らず、生物学上の規則に
従ひ、ここに述べた
如くに、
皆種属の
維持繁栄を目的として居るのである。
従来の
所謂教育学といふものは、
哲学などと同様に、
唯思考力ばかりに
依頼して考へ出したもの
故、
恰も
哲学と同じく、十人寄れば十種の学説が出来、相似た説を持つたものは集まつて
学派を造り、
互に争うて
孰れが正しいか、分からぬ様であるが、学派が
幾つもあつて相争うて居る様では、
孰れを取るにしても
直に
之を応用するのは
甚だ不安心なことである。一時はヘルバルトでなければならぬ様にいうたかと思ふと、
其次には
又全く
之を
捨てて他の新説を取るといふ様な、世の有様を見ると、
所謂教育学説といふものを学ぶのは、全く無益な
骨折りで、
之を
基礎として、
其上に論を立てるのは大きなる
誤謬の原因であると思はざるを
得ぬ。生物進化論が確定して、人間の位置の
明になつた今日では、単に思考力のみに
依頼して考へ出した説は、先づ
根拠のない
空論と
見做すの外はない
故、教育学も今後は旧式
哲学・
形而上学などとは全く
縁を断ち、生物学・社会学等の
基礎の上に、実験的研究法によつて造り改めなければ、
到底長く時世に
伴うて進歩して行くことは出来ぬであらう。
教育は種属
維持のために必要であるが、人間は種々の団体を造つて生活するもの
故、実際教育するに当つては、
如何なる団体の
維持繁栄を目的とすべきかを
明瞭に定めて置かねば功が無い。
漠然たる文句で教育の目的を言ひ表して置くことは、単に
理論の場合には差支へがないかも知れぬが、教育は一日も休むことの出来ぬ実際の事業
故、単に一通りにより意味の取れぬ極めて判然たる目的を常に目の前に定めて置くことが必要である。さて人間の
生存競争の有様を見るに、団体には大小種々の階級があるが、競争に
於ける最高級の単位は人種といふ団体で、
人種と人種との間には
唯強いものが勝ち、弱いものが
敗けるといふ外には何の規則もないから自分の属する人種が弱くなつては、他に
如何に
優れた点があつても種属
維持の
見込はない。それ
故、実際教育するに当つては人種といふ観念を基として、人種の
維持繁栄を目的とせねばならぬ。生物界では分布の広い生物種属は必ず若干の変種を生ずるもので、変種は
尚一層進めば独立の種となるもの
故、
斯かる種属は初め一種でも後には必ず数種に分かれ、
互に
劇しく競争して
其中の少数だけが、後世まで子孫を
遺すことになるが、人間の
如きは最も分布の広い種属で、
既に多数の人種に分かれて居ること
故、今後は
益々人種間の競争が劇しくなり、
適するものは生存し、適せぬものは
亡び失せて、終には
僅少の人種のみが生き残つて地球を
占領するに
違ひない。
此競争は今から始まる訳ではなく、
既に
従前から行はれて居たことで、歴史以後に全く死に絶えた人種も
幾らもあり、
将に死に
絶えんとする人種も
沢山にある。今日の所で、後世まで子孫を
遺す
見込のあるものはヨーロッパを
根拠地とする若干の人種とアジヤの東部に住んで居る若干の人種と
僅に二組に過ぎぬ。されば
如何なる種類の教育でも、常に
此等の事実を
忘れず、他の生物の
存亡の有様に
鑑み、進化論の説く所に従うて、
専ら
自己の属する人種の
維持繁栄を計らねばならぬ。
現今の社会の制度が完全無欠でないことは
誰も
認めなければならぬが、さて
之を
如何に改良すべきかといふ問題を議するに当つては、常に進化論を基として、
実着に考へねば何の益もない。社会
改良策が
幾通り出ても、
悉く
痴人夢を説くが
如くであるのは、
何故かといへば、一は人間とは
如何なるものかを十分に考へず、
猥に
高尚なものと思ひ
誤つて居ること、一は競争は進歩の
唯一の原因で、
苟くも生存して居る間は競争の
避くべからざることに、
心附かぬことに基づく様である。
異種属間の競争の結果は各種属の
栄枯盛衰であつて、同種属内の競争の結果は
其種属の進歩・改良であることは、前にも説いたが、
之を人間に当て
嵌めても全く
其通りで、異人種間の競争は各人種の
盛衰存亡の原因となり、同人種内の競争は
其人種の進歩・改良の原因となる。それ
故、数多の人種が相対して
生存して居る上は、異人種との競争が
避けられぬのみならず、同人種内の個人間の競争も
廃することは出来ぬ。
分布の
区域が広く、個体の数の多い生物種属は必ず
若干の変種に分かれ、後には
互に相戦ふものであるが、人間は今日
丁度其有様にある
故、異人種が
或る方法によつて相戦ふことは止むを得ない。
而して人種間の競争に
於ては、進歩の
遅い人種は
到底勝つ
見込はない
故、
孰れの人種も
専ら自己の進歩改良を図らなければならぬが、
其ためには
其人種内の個人間競争が必要である。
社会の有様に満足せず、
大革命を起した例は、歴史に
幾らもあるが、
何時も罪を社会の
制度のみに帰し、人間とは
如何なるものかといふことを
忘れて、
唯制度さへ改めれば、黄金世界になるものの
如くに考へてかゝる
故、革命の
済んだ後は、
唯従来権威を
振うて居た人等の落ちぶれたのを見て、
暫時僅の
愉快を感ずるの外には何の面白いこともなく、世は相変らず
澆季で、競争の
劇しいことは
矢張り昔の通りである。今日
社会主義を
唱へる人々の中には往々
突飛な
改革論を説く者もあるが、若し
其通りに改めて見たならば、
矢張り以上の
如き結果を生ずるに
違ひない。人間は生きて
繁殖して行く間は競争は
免れず、競争があれば生活の苦しさは
何時も同じである。
教育の目的は、
自己の属する人種の
維持繁栄であることは、
既に説いた通りであるが、
進化論から見れば社会改良も矢張り
自己の属する人種の
維持繁栄を目的とすべきものである。世の中には
戦争といふものを
全廃したいとか、文明が進めば世界中が一国になつて
仕舞ふとかいふ様な考を持つて居る人もあるが、
此等は生物学上
到底出来ぬことで、利害の相反する団体が
並び
存して居る以上は
其間に
或る種類の戦争が起るのは決して
避けることは出来ぬ。
而して世界中の人間が
悉く利害の相反せぬ位置に立つことの出来ぬは素より
明瞭である。敵国・
外患がなければ国は
忽ち
亡びるといふ言葉の通り、敵国・
外患があるので国といふ団体は
漸く
纏まつて居る訳
故、若し仮に一人種が総べて他の人種に打勝つて全世界を
占領したとするとも、
場所々々によつて利害の関係が
違へば
忽ち
争が起つて、
数箇国に分かれて
仕舞ふ。
僅に一県内の各地から選ばれた議員等が集まつてさへ、地方的利害の
衝突のために
劇しい争が起るのを見れば、全世界が一団となつて戦争が
絶えるといふ様なことの望むべからざるは、無論である。
若干の人種が相対して生存する上は、各人種は勉めて
自己の
維持繁栄を図らねばならぬが、他の人種に敗けぬだけの速力で、進歩せなければ、
自己の
維持繁栄は望むことは出来ず、速に進歩するには個人間の競争によるの外に道はない。されば
現今生存する人間は、敵である人種に
亡ぼされぬためには、
味方同志の競争によつて常に進歩する
覚悟が必要で、味方同志の競争を
厭ふ様なことでは、人種全体の進歩が
捗らぬために、敵である人種に
敗けて
仕舞ふ。今日の社会の制度には改良を要する点は
沢山にあるが、
孰れに改めても競争といふことは
到底避けることは出来ぬ。他の人種と交通のない
処に
閉ぢ
籠つて、一人種だけで生存して居る場合には、
劇しい競争にも
及ばぬが、
其代り進歩が
甚だ
遅い
故、後に至つて他
人種に接する場合には、
恰もニウ=ジーランドの
鴫駝鳥の
如く
忽ち
亡ぼされて
仕舞ふ。世間には、生活の苦みは競争が劇しいのに基づくことで、競争の
劇しいのは、人口の増加が原因である。それ
故、子を生む数を制限することが、社会改良上第一に必要であるといふ様な考を持つて居る人もあるが、前に述べた所によると
是は決して
得策とは言はれぬ。今日の所で必要なことは、競争を止めることではなく、
寧ろ自然
淘汰の
妨害となる様な制度を改めることであらう。
人種生存の点からいへば、
脳力・
健康ともに
劣等なものを
人為的に生存せしめて、人種全体の
負担を重くする様な仕組を成るべく減じ、脳力・健康ともに
優等なものが、
孰れの方面にも主として
働ける様な制度を成るべく完全にして、個人間の競争の結果、人種全体が速に進歩する方法を取ることが最も必要である。
斯様な世の中に生まれて来た人間は、
唯生存即競争と心得て、力のあらん限り競争に勝つことを心がけるより外には
致し方はない。
尚人道を
唱へたり、
人権を重んずるとか、
人格を
尊ぶとかいうて、紙上の
空論を基とした
誤つた説の出ることが
屡ある。例へば
死刑を
全廃すべしといふ
如きは
即ち
其類で、人種
維持の点から見れば
毫も
根拠のない論であるのみならず、
明に有害なものである。
雑草を
刈り取らねば庭園の花が
枯れて
仕舞ふ通り、有害な分子を
除くことは人種の進歩改良にも最も必要なことで、
之を
廃しては
到底改良の実は挙げられぬ。単に人種
維持の上からいへば、
尚一層死刑を
盛にして、再三
刑罰を加へても、改心せぬ様な悪人は
容赦なく
除いて
仕舞うた方が
遙に利益である。
進化論は生物界の一大事実を説くもの
故、他の理学上の説と同じく確な
証拠を挙げて
唯人間の理解力に
訴へるが、
宗教の方は単に
信仰に基づくものである
故、
此二者の
範囲は全く相
離れて居て、共通の点は少しもない。
尤も、宗教に
於ても、
信仰に達するまでの
道筋には多少学問らしい部分の
挾まつて居ることはあるが、
其終局は
所謂信仰であつて
信仰は理解力の外に立つものであるから、
宗教を一種の学問と
見做して
取扱ふことは
素より出来ぬ。されば進化論から宗教を論ずる場合には、
唯研究
或は応用の目的物として
批評するばかりである。
人間は
獣類の一種で、
猿の
如きものから
漸々進化して出来たもの
故、人間の信ずる宗教も、一定の発達歴史を有するは
勿論のことであるが、
之を研究するには、他の学科と同様に、先づ出来るだけ材料を集め
之を
比較して調べなければならぬ。
現今行はれて居る
宗教の
信仰箇条を
悉く集めて比べて見ると、極めて
簡単なものから
随分複雑なものまで、多くの階級があつて、各人種の知力発達の程度に応じて総べて
相異なつて居る。「人間には必ず宗教がなければならぬ、
其証拠には世界中
何処に行つても、宗教を持たぬ人種は決してない」などと論じた人もあつたが、
是は研究の行き届かなかつた
誤で、現にセイロン島の一部に生活するヴェッダ人種の
如きは、
之を
特別に調査した学者の報告によると、宗教といふ考の
痕跡もないとのことである。
此等は
現今棲息する人種中の最下等なものであるが、それより
稍進んだ
野蛮人になると、
霊魂とか神とかいふ種類の観念の始まりが現れる。自分の力では
到底倒すことの出来ぬ様な大木が
嵐で
倒れるのを見れば、世の中には目に見えぬ力の強い
或る者が居るとの考を起すことは、知力の
幼稚な時代には自然のことで、自分より
遙に力の強い
或る者が居ると信じた以上は、
洪水で小屋が流れても、岩が落ちて家が
壊れても、
皆此或る者がする
所行であらうと思うて、
之を
恐れ、自分の
感情に比べて
或は
其者の
機嫌を取るために面白い
踊りをして見せたり、
或は
願事を
叶へて
貰ふために
賄賂として
甘い食物や美しい女を
捧げたりする様になるが、神とか
悪魔とかいふ考は
恐らく
斯くの
如くにして生じたものであらう。
又一方には、昨日まで生きて敵と
擲き合うて居た父が今日は死んで動かなくなつたのを見て、
其変化の
急劇なのに
驚いて居る時に、父の夢でも見れば、肉体だけは死んでも
魂だけは
尚存在して、目には見えぬが、確に
我が近くに居るのであらうと考へるのも無理でない
故、肉体を
離れた
霊魂といふ観念も起り、父の
霊魂が残つて居ると信ずる以上は、
我身の状態に比べて食事の時には食物を
供へ、敵に勝つた時には
之を告げ知らせるといふ様な
儀式も自然に生ずるであらう。
霊魂といふものが実際有るか無いかは
孰れとも確な
証拠のないこと
故、
我々現今の知力を
以ては有るとも断言の出来ぬ通り、無いといふ断言も出来ぬが、
霊魂といふ考は
恐らく
斯くの
如くにして生じ、
其後漸々進化して今日文明国で考へる様な程度までに達したものであらう。
以上述べた所は、
唯宗教の始まりだけであるが、現今の
野蛮人の中には全く
此通りの有様のものもある。それより
漸々人間の知力が進んで来ると、宗教も
之に
伴うて、段々複雑になり
又高尚になり、
特別に宗教のみを
職業とする
僧侶といふ様なものも出来るが、他の人々が
世事に追はれて居る間に、
僧侶は知力の方を練る
故、知力に
於ては
俗人に
優ることになり、終に宗教は有力な一大勢力となつたのであらう。
比較解剖学・
比較発生学によつて生物進化の有様が解る
如く、
又比較言語学によつて言語の進化の模様が解る
如くに、
比較宗教学によつて宗教の進化し来つた径路が多少
明に知れるが、宗教進化の大体を知つて、後に現今の各宗教を研究すれば初めて
其真の
価値を
了解することが出来る。
尚宗教といふものは現在行はれて居るもので多数の人間は
之によつて支配せられて居る有様
故、人種の
維持繁栄を計る点からいうても、決して
等閑にすべきものではない。単に理解力の標準から見れば、現在の宗教は総べて
迷信であるが、迷信は
甚だ有力なもの
故、
自己の属する人種の益益栄える様にするには、
此方針に
矛盾する迷信を
除いて、
此方針と
一致する迷信を保護することが必要である。人間には
筋肉の発達に種々の
相違がある通りに、知力の発達にも数等の
階段があつて、万人決して一様でない。角力取りが軽さうに差し上げる石を、
我々が容易に持ち得ぬ
如く、
又我々の用ゐる
鉄唖鈴を
幼児が中々動かし得ぬ
如く、物の
理窟を解する力も
其通りで、各人
皆其の有する知力相応な
事柄でなければ
了解することは出来ぬ。それ
故、理学上の学説の
如きは
如何に真理であつても中以下の知力を備へた人間には
到底力に適せぬ
故、説いても無益である。ドイツの詩人ゲーテが「学問芸術を
修めたものは
既に
宗教を持つて
居る。学問芸術を修めぬ者は別に宗教を持つが
善い」というた通り、学問を修めた者には、特に宗教の必要はないが、学問などを修めぬ多数の人間には安心立命のために何か一つの宗教が入用であらう。然るに宗教には、種々性質の異なつたものがあつて、
其中には
自己の属する人種の
維持繁栄に適するものと適せぬものとがある
故、宗教の選み方を誤ると、終には人種の
滅亡を起すかも知れぬ。人種の
維持に必要なことは競争・進歩である
故、
生存競争を
厭ふ様な宗教は極めて不適当で、実際左様な宗教の行はれる人種は日々
衰頽に
赴かざるを得ない。
諸行の無常なのは明白であるが、無常を感じて世を
捨てるといふのは大きな
間違ひであらう。
樹木を見ても
将に
枯れやうとする
枝は、先づ
萎れる通り、無常を感じて競争以外に
遁れやうとするのは、
其人種が
将に
滅亡に近づかうとする
徴候であるから、人種的自殺を望まぬ以上は、
斯かる
傾のある宗教は、
勉めて
駆除せねばならぬ。生物は総べて
樹枝状をなして進化して行くもので、
自己の属する人種は生物進化の大樹木の一枝であることが
明な上は、
生存即競争と
諦めて
勇しく
戦ふ様に
励ますといふ性質の宗教が最も必要であらう。
甚だしい迷信ほど信者の数が多く、今も昔も
売卜者の数に
著しい
増減のない所を見れば、世の中から迷信を
除くことの出来ぬは
明であるが、迷信が
避けられぬ以上は、人種
維持の目的に
適する迷信を
保護するの外には道はない。
浮世は夢であるなどと説かずに、
寧ろアメリカの詩人ロングフェローが「命の歌」に書いた
如き健全な考を世に
弘めることが、今日の所最も大切である。
従来、
西洋諸国では
耶蘇教が行はれ、
此世界は神が六日の間に造つたものであるとか、人間は神が自分の
姿をモデルにして
泥で造り、出来上つた後に鼻の
孔から命を
吹き
込んだとか、アダムの
肋骨を一本
抜き取つてエバを造つたとか、いふ様なことを代々信じて、人間だけを一種
霊妙なものと思うて居た所へ、生物進化論が出て、人間は
獣類の一種で、
猿と共同な先祖から
降つたものであると説いたのであるから、
其騒ぎは一通りではなかつた。初めの間は力を
尽して進化論を打ち
壊さうと
掛かつたが、進化論には事実上に確な
証拠のあること
故、素より
之に敵することが出来ず、次には宗教と理学との調和などと
唱へて、
聖書に書いてあることを曲げて進化論の説く所に合はせやうと勉めたが、
是も
亦無理なこと
故、
到底満足には出来ず、今日では最早
如何とも仕様のない様になつた。今後は
段々教育も進み、学問が
普及するに
随うて、進化論の解る人も追々
殖えるに
違ひない
故、宗教の方も進化論と
矛盾せぬものでなければ、教育ある人々からは信ぜられなくなつて
仕舞ふ。理学上の確な学説と
矛盾する様なことを説かず、
厭世主義に
陥らず、
智者は
智者だけに、
愚者は
愚者だけに、
之を
了解して安心立命を得るといふことは、今後の宗教に必要な資格であらう。
前章に述べたことは単に
断片を並べたに過ぎぬが、
進化論の
影響する所の極めて広いこと、人間といふ考に基づいた学科は、
悉く
其ために研究法を改めなければならぬことなどは、以上の例だけによつても
略明に解るであらう。
而して進化論の事実であることは、学問上
既に、確定して
疑ふことの出来ぬもので、今日まだ世間
一般に
普及するに
至らぬのは、
唯之を十分に
了解するだけの生物学知識が世に行き
渡らぬに
因ること
故、教育の進むに
随ひ、進化論の
弘まるは無論である。されば、各方面の学科が進化論によつて大に改まるのも、決して遠い未来のことではない。現に今日でも、
既に進化論に
従うて
改革を
試みた書物が、
哲学・心理学・
倫理学・教育学等の方面にも
何冊づゝか出版せられてある、
尤も、今日までに
著されたものが、
悉く完全であるとはいはれぬが、
孰れも今より
漸々起るべき大変革の
端緒と
見做すべきものばかりである。
今日までに学問上発見せられたことは、大小合はせて数へれば
殆ど無数にあるが、
其中思想上に
著しい
影響を
及ぼした大原理といへば、先づラヴォアジエーの
唱へ出した
物質不滅の説、マイエル、ヘルムホルツ等の発見に係る
勢力不滅の説
及びダーウィンの
確めた
生物進化の説であらう。
此三つの原理は、今日の所決して
疑ふべからざるもので、
此三つに
矛盾する考は
悉く誤と
見做さなければならぬ。
我我の経験には時間にも空間にも感覚力にも一定の
際限があつて、
其以外のことは全く知る
手掛りがない
故、以上の三大原理も
或は
未来永劫の真理とはいへぬかも知れぬが、今日の経験
範囲以内だけでは、確に真理と
認めざるを得ぬ
故、
我々人間は
之を
以て実際真理と
見做すより
致し方はない。
而して
此等を真理と
認めた以上は、
之と
矛盾する旧思想は
誤として正さなければならぬが、
其中でも、特に生物進化の論は人間といふ考に直接の関係があつて、総べての方面に
大影響を
及ぼすもの
故、速に
之を
普及せしめて、
従来の
誤謬を
改めることが必要である。
従来人間は一定不変のもので、
宇宙間に他に類のない
一種霊妙なものであると考へ、総べての事を
此考の上に
据ゑて居た所へ、生物学の進歩の結果、生物といふものは
悉く共同の先祖から
樹枝状をなして分かれ
降り、人間も生物の一種で、
此大樹木の
一枝に過ぎず、他の生物と同一な規則に
従うて進化し来つたものであることが解るに
至つたのであるが、
此発見は実に人間の思想
変遷の歴史中の一新紀元を開くものといはねばならぬ。
人間が一定不変のものであるといふ考は、地面が平で動かぬといふ考と同じく、未開の時代から引き続いて来たもので、
誰が
唱へ始めたといふこともなく、
皆当然のこととして
疑はずに過ごして居たのである。然るに知力の進むに
随ひ、実験・観察も
精密になり、従来の考と実際の事実との間に
相矛盾する点のあることに
心附き、こゝに初めて
疑が起つて、
尚研究の結果、終に旧思想の
誤であることを発見するに
至つたのであるが、
此径路の順序は
地動説も進化論も全く同一である。
初め地面はどこまでも平であると思うて居た
頃は素より、地球の球形であることに気の
附いた後も、
尚地球を
以て
宇宙の中心と考へ、無数にある星の中で地球だけは
一種特別のものである
如くに思うて居たが、天文学の進歩に
随うて、地球は単に太陽
系統に属する一の遊星に過ぎぬことが解り、地球を中心とする
誤謬は改められて、地球といふ観念が大に公平になつた。それと同様に
従来は人間を
以て
一種特別のものと考へ、天地万物は人間のために
存在して居るものの
如くに思うて居たが、生物学の進歩に
随うて、人間は単に
獣類系統に属する一の
脊椎動物に過ぎぬことが解り、人間を中心とする
誤謬は
改められて、人間といふ
観念は大いに公平となつたのである。地球が動くか動かぬかといふことは、学問上からは
無論大きな問題であるが、人間日々の生活には余り直接の関係はない。
尤も人間を一種
霊妙なものとする考から見れば、人間の住所である地球を、他の遊星と同等なものと
見做すことは、
聊人間の
霊妙な所を減ずる
如き感が起つたであらう。初めて地動説を
唱へた人々が
耶蘇教などから
大に
嫌はれたのも、全く
此感情が基となつた様である。然るに人間が
獣類の一種であるといふ考は、人間自身に直接に関係することで、旧思想を基とした学説は総べて
此ために大改革を要することになる
故、人間の思想
変遷の上からいへば、地動説に比べて
遙に
著しい
革命である。今日はまだ
此革命の初期に過ぎぬが、生物進化論は
既に学術上の事実である
故、
早晩地動説と同じく世間
一般に
之を
認めるに至るべきは疑ないことで、
其時に
至れば、旧思想に基づいた学説の大革命は素より
避けることは出来ぬ。
此革命の終つた後から、今日
尚行はれて居る旧思想を
顧みたならば、今日から昔行はれた天動説を
顧みる
如くに、
何故斯様な
明瞭なことに気が
附かなかつたか、
何故、
斯様に
間違ひながら、平気で居たかと不思議に思ふ位であらう。素より実際に
於ては、今日と
雖も人間とは
如何なるものかといふ様な問題を考へて居る
余裕のない人が大多数を
占めて居る
故、天然に
於ける人間の位置が
明に解つた所で日々の
渡世には何の関係もない様にも見えるが、思想界に
就いていへば、
此位に
著しい
改革は他に余り類のないこと
故、進化論の
普及は実に人間の思想
変遷の歴史中の一新紀元といふべきものであらう。
而して人間に関する学問上の説は素より、社会の制度の
如き実際的のものも、
其の基づく所は
其時の思想である
故、人間全体の実際生活の上にも、矢張り
影響を
及ぼし来るは
明なことである。
西洋で
進化論を
批評した人の中には、進化論は学問上の真理であらうが、
之が世間
一般に
普及した日には、
従来の
礼儀・
道徳などが
根柢から
破壊せられて、人間の
安寧・幸福が全く害せられる様なことはなからうか、今日の結構な
礼儀・道徳は
悉く旧思想に基づいて居るもの
故、旧思想と
衝突する様な論は、たとひ真理であつても、成るべく
秘して置いた方が社会のために利益ではあるまいかといふ様な説を
吐いた人もあるが
是は全く無用な心配でもあり、
且到底行ふことの出来ぬ説である。先づ真理である以上は、
之を
人為的に
圧伏することは
到底出来ぬ。地動説を
抑へ
附けるために、
耶蘇教が
幾人の人を殺したか知れぬが、終に何の効もなく、今日では
尋常小学の
子供までが解らぬながら地球の動くことを知つて居る。されば、たとひ仮に今日の社会に有害であるとしても、真理に
抵抗するのは無益であるが、進化論の
如きは決して害なきのみならず社会進歩の上に
甚だ有益なものである。
学問上一の真理の発見せられる
度毎に、それに反する旧思想が
敗られ、
其上に建てた制度が改められることは、当然であるが、
其ために社会の
安寧が
害せられるといふ様なことは決してない。学問上新しい真理の発見せられるのは、
偶然なことではなく、発見せらるべき
時機に達した
故に発見せられるのであるから、全く知力進歩の必然の結果であるが、新しい真理を見出すまでに知力の進んで来た人間の社会を前代からの
遺物とも
見做すべき旧制度で
纏めて行くことは、
甚だ無理である。それ
故、新しい真理が発見になつた場合には、
寧ろ速に
其真理に
従うて改めて行く方が
遙に利益が多い。ウォレースが
其著書の中に「今日の理学上の進歩
及び
其応用の発達に
比較し見ると、政治の仕組、行政、
法律、国家教育を始め総べての社会上・道徳上の制度は
尚実に
野蛮な状態に留まつて居る」と書いた通り、今日の開化は
唯表面が開化らしく見えるばかりで、
其内部を
窺へば、少しも
野蛮時代と異なつた所はない。汽車が通じ、電話が
掛りなどして、表面は
如何にも
立派であるが、
之を何のために用ゐるかと問へば、
其目的は
野蛮時代に
於けると同一である。
是は少しでも注意して社会を観察する人は
皆知つて居ること
故、改めて説くにも
及ばぬが、現今の社会では、知力は時世相当に進歩して居るに
拘らず、制度の方は時世より
遙に
遅れて居る
故、人間の
為すことは
皆偽とならざるを得ない。一例を挙げて見るに、友人の
葬式に会した人々は、
僧侶が
奇妙な衣服を着し、
奇妙な声を張り上げて一種の歌の
如きものを歌うて居る間、真面目な顔をして
謹んで
聴いては居るが、
之を真に
有難く思うて居るものは、極めて少い。
葬式の
如きは
孰れにしても
宜しいが総べての仕組が
殆ど
皆此通りで、進んだ知力を持つた人間が、時世
遅れの制度に
随うて居ること
故、
人為的に表面だけを整へることは出来るが、実際の効力は
甚だ覚束ない。人を教訓するための制度は実際人を教訓する効力を有せず、悪人を
懲罰するための制度は実際悪人を
懲罰する
効力を有せず、
儀式に列するものは
殆ど
狂言を
演ずる心持ちで居るのが、今日文明国の常態の
如くに見えるのは何に基づくかといへば、総べて知力と制度との
不釣合から起ることである。
以上の
如き表面だけ開けて実際は
野蛮である有様を改めて、真の開化に進めることは、従来の旧思想に基づいた人造的の仕組では
到底出来ぬ。
之には先づ自然に
於ける人間の位置を考へ、人間とは
如何なるものであるかを実験的方法によつて公平に研究し、
其結果に従うて制度を改良するの外はない。
凡人種の進歩は、
恰も汽車の進行の
如きもので全部
悉く前へ向うて進んで居るには
違ひないが、
機関車と最後の客車との間は
随分相隔たり、機関車が
隧道を出てから
余程過ぎた後でなければ、最後の客車が
隧道から出て来ぬ通り、一人種の中でも知力の進んだ人等が初めて真理の光を
認める
頃には、大多数の者は
尚迷信の
闇の中にさ迷うて居る。されば人種全体の知力の平均することは、素より望めぬことで、
其多数は常に時世より
幾分か
遅れて居るもの
故、
従来の
儀式の中でも人種の
維持繁栄の
手段として残して置くべきものも種々あらうが、知力の程度と余り
甚だしく
懸隔するものは、
唯滑稽に終るばかりで、何の
効もない。
又社会の制度の
如きも、人種の
維持繁栄に有功な所行をなしたものは
何処までも
尊重し、
之に有害な所行をなしたものは出来るだけ
厳しい
制裁を加へ、
従来人為的に自然
淘汰の働きを止めて居た
如き制度は全く
廃して、知力・健康ともに
優れたものは必ず勝ち、
劣つたものは必ず負ける様な仕組に改めなければならぬ。
斯くすれば
自己の属する人種の進歩改良は自然に行はれ、他人種との競争に当つて勝つべき
見込は
益々多くなる。されば、進化論が世間
一般に
認められるに
至れば、多少の
改革は
免れぬかも知れぬが、
其結果は決して社会の
安寧秩序を
乱すといふ様な
有害なものではなく、
自己の
属する人種が
益々進歩し、各自
業を
励んで競争に勝ちさへすれば、
其子孫は
更に有力な人種として
益々栄えるべき機会を得る訳
故、競争を
厭はぬだけの
勇気を有する者から見れば、実に
有望なものである。ノルダウの
著した「文明世界に行はれる
便宜上の
虚偽」と題する書物には
幾分か今日の社会の真相を画いてあるが、若し今日の
儘の制度で
据ゑ置いたならば、
罪悪を
未然に
防ぐべき
道徳は単に形式に止まり罪悪を
已然に制すべき
法律は
其網の目を
潜るだけの
智慧のある者には力が
及ばず、
又之に
触れた場合にも往々
刑罰が軽過ぎて、少しも
懲戒の
効がない
故、
如何に人種
維持の上に不利益な所行をする悪人でも、
智慧さへあらば勝つて栄え、
之を
鑑として
成効を急ぐ
若者は
悉く
其所行を学ぶから、知力の進むに
随うて
益々人種内の
罪悪が
殖え、罪悪が
殖えれば人種としての
勢力が
退歩して、異人種間の生存競争に勝つ
見込が減ずる。
尤も今日では
孰れの人種も
斯くの
如き有様である
故、
或る人種だけが特に
之を
憂ふる必要はない様にも見えるが、数多の
異人種が相対立して
生存競争をして居る場合には、
一刻でも速く
此境遇を
脱したものが勝を制する
筈故、自分の属する人種内の社会制度の改良を図ることは、今日最も
急務で、実際有効な
改良策を考へ出すためには、先づ
進化論によつて自然に
於ける人類の位置を
明にし、人間とは
如何なるものかを知ることが必要である。
斯く考へて見ると、進化論は
唯に人間の社会に対して無害であるのみならず、人種の
維持発達のためには極めて有益なものといはねばならぬ。
進化論が人間の思想全体に
著しい
影響を
及ぼすものであることは、以上述べた通りであるが、進化論といふものは、元来生物学上の一大事実を記述したもの
故、
之を十分に
了解するには予め生物学の大意を知らねばならぬ。
又生物学には進化論の外にも人間の思想に種々の
影響を
及ぼすべき事実は
尚沢山にある。例へば生命とは何か、死とは何かといふ問題、
生殖の現象、物質
新陳代謝のことなどに関する事実の
如きは、
之を知ると知らぬとでは、
一般の考に
著しい
相違があるが、事実を知つた後の考が正しくて、知らぬ前の考が
間違ひであることは言ふまでもないことである。人間が一種の生物である以上は、人間に関して正しい観念を得るためには生物学によらなければならぬが、人間といふ考は
殆ど何学にも入用なことで、
殆ど総べての思想の
根柢ともいふべきもの
故、
如何なる学問を
修めるにも、
如何なる業に
従事するにも、
其素養として生物学を一通り
心得て置くことは極めて
有益なことである。昔の時代に動物や植物を調べた人は、
所謂博物学者で、
唯珍しい植物を集めて
喜んだり、
不思議な動物を
捜し出し・他人に
誇つたりして居た
故、世の中からは
殆ど
奇人の
如くに思はれて、
一般の思想界には何の関係もなかつた。特に日本・
支那では
本草家と名づけて
恰も医者の
下職人として、薬物の
真偽を調べる役の
如くに
見做され、自分も
其積りで山へ植物を
採りに行くことを
採薬などと
称へて居た様な
始末故、素より学問と名づける程の価もなかつた。今日でも、博物学者と
称する人々の中には、単に種類の
識別のみに
凝つたり、
珍らしい種類を集めて新しい学名を
附けることばかりに
骨を
折つたりして居る人も、
随分ある
故、
世人は博物学といへば
矢張り
斯様なものかと思うて居る様であるが、今日の生物学といふものは
是とは全く
違ふ。
其研究する目的物は、同じく動植物であるが、構造・作用・生活の状態、発生の順序などから、
其進化の
径路までを実験と
観察とによつて研究し、生物界に現れる現象の原因を
探り求めるもの
故、生物に関する
実験哲学とも名づくべきもので、決して在来の博物学と
混同すべきものではない。今日動植物を研究する人人を
大別すれば三組ある。第一は
唯真理を見出すために
之を研究するもの、第二は応用の目的を
以て
之を研究するもの、第三は
娯楽のために研究するものであるが、近世の生物学と名づけるものは、
其中の第一に
属する人々の研究で、今日までに発見になつた事実は、
一般の思想に対して
頗る重大な
影響を
及ぼすべきものが多い。特に人類に関する事実は
誰にも
興味の深いもので、
我々人間が
各々父の
精虫と母の
卵細胞とが合してから後、
如何に
驚くべき変化を歴て、終に
幼児の形をなすに
至るものかといふことなどを
詳しく
聴けば、
誰の心にも
永く印象が残つて、
其後の思想の
全般に
影響を
及ぼすに
違ひない。
又此等の事を一通り知つて、
進化論を聞けば、
明瞭に
之を理解することが出来る。進化論が人間の思想に
偉大な
影響を
及ぼすものであることは、前に述べた通りであるが、生物学には
尚其他にも思想上に
利益を
与ふべき点が少くない
故文学を
修める者も法学を修める者も
又其他の学科に
志す者も、
其専門とする学を修める前に、一通り生物学の大要だけを学んで
置くことは、社会の進歩上
極めて有益なことである。
法学を修めるものは初めから法学ばかりを修め、文学を修めるものは初めから文学ばかりを修めるといふ様な
遣り方は、一個人としては進歩が早いかも知れぬが、他の学科の
素養が全くないため、学問上
如何なる真理が発見せられても、
之を
了解することが出来ず、
依然として
誤つた
儘に留る
故、
其学科自身の進歩は
容易に
望むことは出来ぬ。今日は学問が
漸々細かく分かれて、学問の種類の数が非常に多くなつて居る
故、何をも一通り学ぶといふことは素より出来ぬが、生物学の
如き
一般の思想に
著しい
影響を
及ぼす基本学科を修めぬといふは、極めて不得策であらう。
一寸考へると、
之を学ぶことは時間のかゝることで、今日の
如き
忙しい世の中では損得
償はぬ様に思はれるが、
之によつて得た新思想は、
専門の学科を改良し、進歩せしめるに当つて、大いに有力な
資となるもの
故、初め
費した時間を
償うて
尚余りあることは、確である。
著者は生物進化論が学問上の事実であることを知り、進化論の
普及は社会のために極めて有益であることを信じ、
進化論を十分に理解するには先づ生物学の大体を知ることが必要であると考へる
故に、何学を修める人に向うても、先づ生物学の
一般を学ぶことを切に希望する。
斯くして進化論が
漸々普及したならば、今日地球が太陽の周囲を
廻転することが小学読本に出て居る
如くに、「人は
獣類の一種にして、
猿と共同なる先祖より
降りたるものなり」といふ
文句が小学読本の
或る
頁に現れる日の来るのも決して
甚だしく遠い
未来には属せぬであらう。
略字置換---->>>
'鶏'=
'モグラ'=
鼠
'イモリ'=蠑
'蝉'=
'油'=
'鴎'=
'足付'=
'需頁'=
'夾頁'=
'手宛'=
'火欣'=
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