進化論講話

丘浅次郎




第一章 緒論しょろん


 進化論しんかろんといふ文字は近頃ちかごろでは書物や雑誌ざっしでもしばしば読み、また談話でもしばしば聞く所であるが、さて進化論しんかろんとは何のことであるかとたずねると、これく人々によつて往々考もちがふ様で、同じく進化論を主張しゅちょうする人でありながら、る点にいてはたがい議論ぎろんにすることもあり、また多数の人々の中には自分でこれ進化論しんかろんであると思ふものを勝手かってに定めてしきりこれ主張しゅちょうしたりあるいこれ攻撃こうげきしたりしてる者もある様に見える。それゆえ、進化論の大意をべるに当つては、先づ是非ぜひとも進化論とは如何いかがなるものであるか、如何いかがなる点までは進化論者のせつことごと一致いっちしてるか、また如何いかがなる点にいて進化論者は今日なお議論ぎろんたたかはしてるかを最初さいしょたしかめて、進化論の意義いぎあきらかにしてくことが必要ひつようである。

一 進化論とは何か


 世間せけんには進化論しんかろんを聞きかぢり、普通ふつうさる進歩しんぽして人間になつたといふ説であると早呑込はやのみこみをして、喋々ちょうちょうあやまりにしてしんずるに足らぬことをべんずる人も沢山たくさんあるが、進化論は決して左様さようなことを主張しゅちょうするものではない。また先達せんだっる新聞の漫録まんろくきく培養ばいようしたがつていくらでも変形へんけいが出来るが、いくら変形してもきく矢張やはきくであつて、けっして牡丹ぼたんにも瞿麦なでしこにもならぬ。して見ると進化論しんかろんとやらいふやかましい議論ぎろん一向いっこう当てにはならぬと書いてあつたが、これも前のと全く同様な間違まちがひで、きくへんじて牡丹ぼたん瞿麦なでしこにならぬというても、決してこれが進化論の反対の証拠しょうことなるものではない。
 しからば進化論とは如何いかがなるものであるかといふに、一言でいへば、進化論しんかろんとは、動物・植物ともに何の種類しゅるいでも長い年月の間には次第しだい変化へんかするものである。しこうして如何いかがなる点が如何いかがなる方向に向つて変化するかは、其時々そのときどき事情じじょうで定まることで、最初さいしょより確定かくていしてはないから、たとひ同一の先祖せんぞからしょうじた子孫しそんでも長い間相異あいことなつた方面に向つて変化へんかすれば、次第々々しだいしだい相遠あいとおざかり、ついには全く相異あいことなつた数種すうしゅに分れて仕舞しまふものであるといふせつぎぬ。これだけは生物界に実際じっさいあられてる事実であるから、およそ生物学をおさめた人ならば、ただみな真実とみとめざるをぬことで、これいて反対の考を持つてる生物学者は最早もはや一人もない。今日学者等のしきり議論ぎろんたたかはしてる所は、べてこれよりなお数歩も進んだ先の仮説上かせつじょうまた理論上りろんじょうのことばかりにいてである。
 しかし、進化論しんかろんは事実としてべる所は右だけであるが、生物学上の一個々々いっこいっこの事実を多く集め、これより帰納きのうして上述じょうじゅつごとき生物界全部に通ずる広き事実にたっするだけでは、いまだ十分に満足まんぞくは出来ない。かならこの事実の起る原因げんいん法則ほうそくを考へ出して、これ説明せつめいすることをこころみねばならぬ。西洋にも「物の原因げんいんを知りる人はさいわいなり」といふことわざが昔からあるが、我々われわれ人間には物の原因が知りたいといふよくが、生れながらそなはつてあるから、ただる事実の存在そんざい証明しょうめいしただけでは此慾このよく承知しょうちしない。かなら何故なぜその事実が起るかといふ原因げんいんを研究せずにはられぬ。今日世人せじんがダーウィンといへば進化論しんかろんのことを思ひ、進化論といへばダーウィンのせつであると考へるにいたつたのは、全くダーウィンが生物進化の事実を証明しょうめいして進化論のもとを定めると同時に、その事実に対する適当てきとう説明せつめいあたへ、の起る原因げんいんしめして、大に此慾このよく満足まんぞくせしめたからである。

二 進化の事実とその説明との区別


 されば生物の進化を論ずるに当つては、進化の事実とその原因げんいん・理由等を説明せつめいする理論りろんとを十分に区別くべつしてかねばならぬ。進化の事実といふのは前にもべた通り、生物の各種類かくしゅるいは長い年月の間には次第しだい変化へんかすること、およはじ一種いっしゅの生物より起つた子孫しそんも長い年月の間には次第に数種すうしゅに分れることであるが、此等これらいずれも生物界にあらわれた実際じっさいの事実から帰納きのうしてろんじたことであるから、ただ広く通ずる事実とでもいふべきものであつて、決して人間が勝手に思ひいた理論りろんではない。それゆえ此等これらの事実は多少生物界の事実を知つてる人はただうたがふことの出来ぬ性質のもので、これうたがまたこれいと思ふ人のあるのは、全く生物界の事実が広く世間に知られてらぬからである。し生物界の現象げんしょうかんする知識ちしき世間せけん一般いっぱん普及ふきゅうしたならば、生物進化の事実をうたがふ人は無論むろん一人もくなつて仕舞しまふ。これに反して進化の事実を説明せつめいする理論りろんの方はもとより人間がわずかに一部を研究した結果けっか、考へ出したことであるから、いま不十分ふじゅうぶんの点はいくらもあり、なお研究の進むにしたがひ、増補ぞうほせられ改正かいせいせられることもしばしばあるべきはずのもので、決してすで完結かんけつしたものでもなければまた全部動かすべからざるほど確定かくていしたものでもない。むしいまわずか基礎きそかれただけのものといつてよろしからう。しかるに世間では進化の事実も、これを説明する理論りろんも、一所にじて仕舞しまうて、進化の事実までも一派いっぱの人々の思ひいた空論くうろんであるかのごとくに考へてる人も少くない様であるが、これ勿論むろん大きな間違まちがひといはねばならぬ。畢竟ひっきょう我国わがくにでは昔から自然界しぜんかいの実物を観察かんさつし研究することがあまり行はれず、研究といへばただ書物を読み、文字をかいすることにとどまり、ろんとかせつとかいへば、みなつくえに向うてあんじ出した空論くうろんばかりであつたから、世人せじん習慣しゅうかん上、ろんとかせつとかいへば、べて斯様かようなものであると考へるにいたつたので、我国わがくに従来じゅうらいの学問の仕方から考へて見ると、進化論しんかろんといふ表題を見て、矢張やは孟子もうし性善説せいぜんせつとか仏教ぶっきょう原人論げんにんろんとかいふものと同じ様な、たんる人の考へ出したものかと世人せじんの思ふのも決して無理むりではないが、本書において今よりかうとする進化論のごときは、決して斯様かようなものではなく、その大部分はただ実際じっさいの事実をそのまゝに記述きじゅつするにぎぬ。此事このこととくはじめより読者にことわつてかねばならぬことである。

三 事実のうたがふべからざること


 およそ事実と名づくるものは二種にしゅべつがある。一は直接ちょくせつに目で見え、とく証明しょうめいするにもおよばぬもので、他の一は直接ちょぅせつには見えぬが、目前の事実を集め、これよりことわりして考へると是非ぜひとも斯様かようでなければならぬと思はれるもの、すなわ間接かんせつに知りべきものである。一例いちれいげて見るにゴムたままるいことはだれ直接ちょくせつに目で見える事実であるが、これに反して地球ちきゅうの円いといふことは目前にあらわれた種々しゅしゅの事実を考へた後に間接かんせつに知りべき事実である。我々われわれは地球の表面をはなれることが出来ず、したがつてゴム球を見るごとくに地球の円いことを一目ひとめに見ることは出来ぬが、地球の円いといふことは、今日の開化かいかした人間から見れば最早もはや少しもうたがふべからざる事実であつて、これうたがふのはただ知識ちしきの足らぬ未開みかいの人間ばかりである。未開の人間は地球にかんする知識ちしき範囲はんいきわめてせまく、わずかに自分の住所の近辺きんぺんだけより知らぬゆえ大抵たいてい世界は何処どこまで行つても際限さいげんのない平坦へいたんなものと思ひ、中々なかなか球形きゅうけいなることなどには考へおよばない。しかるに人智じんちが進んでりくには鉄道をき、海には汽船をかよはせる様になると、ただ地球の円いことをたしかに知るのみならず、地球をあまり大きく感ぜぬ様になる。生物学においても全くこれ同然どうで、る事実は直接ちょくせつに見えるが、またる事実は目前の事実よりし考へて、始めて間接かんせつに知ることが出来る。直接ちょくせつに目をもって見ることの出来るのはただ短い時間にせまい場所の中で起る現象げんしょうだけであるが、到底とうてい一目に見渡みわたし切れぬほどの広さにいたる事実また到底とうてい一生涯いっしょうがいの間に経験けいけんし切れぬほどの長時間に起る現象げんしょう等といえども、知識ちしきの進むにしたがひ、ほとんどど直接に見ると同様にたしかこれを知ることが出来る。進化論でべる所の生物進化の事実のごときはほぼ此類このるいぞくするもので、生物界にかんする知識ちしきの足らぬ間はもとよりこれに気もかず、また了解りょうかいも出来ぬが、今日生物学上の現象げんしょうを一通り知つてる人から見れば、地球のまるいいといふことと同じく、最早もはや少しもうたがふことの出来ぬ性質せいしつのものである。斯様かように学問上確定かくていしたことでありながら、今日にいたつてもなおこの事実が世に十分にみとめられるにいたらぬのはただ生物にかんする普通ふつう知識ちしき世上せじょうに広まつて居ないのにもとづくことゆえ、本書には主として生物進化の証拠しょうこともいふべき事実を、生物学のかく方面からいくつづつかえらみ出して順次じゅんじこれ記載きさいするつもりである。
 しかしながら、こゝにすで確定かくていした事実と言つたのは、ただ生物は次第々々しだいしだいに進化して今日の姿すがたたっしたものであるといふきわめて大体だいたいのことだけであつて、その詳細しょうさいいたつてはいまだ中々十分にはわからぬ。たとへば一個いっこの生物を取つて、その生物は如何いかに進化して今日の有様にたっしたものであるかとたずねると、たしかに答へられる場合ははなはだ少い。現今げんこんなお生物学者がたがいせつことにしてるのは、かる詳細しょうさいの点にいてである。前にれいに引いた地球のことにくらべて言つて見れば、地球の円いといふことは最早もはやうたがふべからざる事実であるが、実際じっさい地球の表面には山もあり海もあつて、決して、幾何学きかがくでいふ様な真の球形ではない。いまだ高さの十分に測定そくていしてない山や、深さの精密せいみつに知れて居ない海はいたところ沢山たくさんある。生物学の方も全くこれと同様で、生物の進化し来つた事実は最早もはやうたがふことは出来ぬが、のみ如何いかがなる先祖せんぞから如何いかに進化して出来たものであるか、如何いかがなる先祖せんぞから如何いかに進化して出来るものであるかとくわしくたずねると、いまわからぬことがすこぶる多い。しかし山や海の測量そくりょうことごとく出来上らなくとも地球の円いことが明瞭めいりょうに知られるごとく、のみの進化の経路けいろが細かくわからなくても生物がべて進化し来つたものであることは、今日すで断言だんげんすることが出来る。
 今日、進化論者がなおたがい相争あいあらそうてる所は、べて斯様かようやや詳細しょうさいなことばかりで、いずれに決着けっちゃくしても決して生物進化の大事実を左右する様な影響えいきょうおよぼすものではない。しかるに世の中には進化論者しんかろんしゃが今日なおる点にいて議論ぎろんたたかはして居るのを見て、進化論しんかろんの根本たる生物進化の事実までがいま疑問ぎもん中のものであるかのごとくに考へて居る人もあるが、これは全く誤解ごかいもとづくこととはなければならぬ。

四 説明せつめいいま不十分ふじゅうぶんなこと


 前にべた通り、生物進化の事実は多少生物学をおさめた者より見れば最早もはや決してうたがふべからざるものであるが、生物進化のおこるは如何いかがなる理由によるかとその原因げんいんたずねると、これに対する説明せつめいいまだ決して十分なものとは言はれぬ。生物進化の理由を説明しやうとこころみた人はダーウィン以前にも多少いこともなく、ダーウィン以後には随分ずいぶん多数にあつたが、く所はいずれもる一部の事実にはてきするが到底とうてい生物進化の全部を説明せつめいするには足らない。それゆえ、今日といえども、多数の学者は此不足このふそくおぎなはんがため、おのおの仮説かせつを考へ出して、進化の理由を説明せんとこころみて居るが、一方の事実がく説明が出来るかと思へば、他の方で差支さしつかへが出来たりして、中々満足まんぞくに行かず、こう論者ろんしゃ仮説かせつ提出ていしゅつすれば、おつの論者は其説そのせつ不都合ふつごうなる点をげて、相弁あいべんじ、相駁あいばくして、何時いつ形付かたづくやらわからぬ有様である。今日進化論者の相争あいあらそうてる問題は一部はごとき理論的のものであるが、これ如何いかにに決着したとて一向生物進化の事実を左右する様な結果けっかを生ずることはない。あたか何故なぜ地球が円いかといふ問題に対して学者間に如何いかあらそいがあらうとも、地球の円いといふ事実には少しも影響えいきょうおよぼさぬと同じことで、ただ適当てきとうな説の出るまでは生物進化の理由が十分にわからぬと言ふまでである。
 くのごとく生物進化の理由を説明するために、今まで人の考へ出した仮説かせつ種々しゅしゅあるが、今日の所、もっと簡単かんたんで、最も多数の事実を明瞭めいりょう説明せつめいし、かつ差支さしつかへの生ずる場合の最も少いのは、言ふまでもなく矢張やはりダーウィンの自然淘汰とうたの説であるから、本書においては理論りろんの部は一切ダーウィンの考につてべるつもりである。もっと此説このせつばかりで生物進化のべての事実を説明することが出来るかいなかは当時学者の議論ぎろんして居る問題で、著者ちょしゃなども自然しぜん淘汰とうたもって生物進化のただ一の原因げんいんとは決してみとめぬが、本書においてはむしろ進化の事実の方を主とするつもゆえかる理論上のことはたん巻末かんまつ略述りゃくじゅつするに止める。とくにダーウィン以後いご進化論しんかろんみなダーウィンの説の増補修正ぞうほしゅせいとでもいふべきくらいのものばかりで、全く独立どくりつ論拠ろんきょを有するものはあまゆえ、ダーウィンのせつさへ十分に解れば、他の人の説も左まで困難こんなんなしに了解りょうかいすることが出来やうと思ふ。
 また最初さいしょに生物進化の証拠しょうことなるべき事実をべて、生物進化の真なることを明にし、次にこれ解釈かいしゃくするための理論りろんを説くのが順序じゅんじょであるかも知れぬが、くすると理論を説明せつめいするためにふたたび前の事実をげる必要ひつようが生じ、実際じっさいおいて記事が重複じゅふくするうれいがあるから、本書においては便宜上べんぎじょう此順序このじゅんじょさかさにし、先づ生物進化の原因げんいんに対するダーウィンの説を略述りゃくじゅつし、次に進化論の根本たる生物進化の事実を証明しょうめいする積りである。

第二章 進化論の歴史れきし


 進化論しんかろんの大意を話すには、先づ生物進化の考の起つて来た歴史れきしを一通りべていた方が、これ了解りょうかいする上に都合つごうよろしいように思はれるから、ダーウィンがの有名なる「種の起源しゅのきげん」といふ書物をおおやけにするに至つたまでの進化論の歴史れきしを、きわめて簡単かんたんべて見やう。もっとも進化論の歴史といへばほとんど動物学の歴史れきしといつてもよろしい様なもので、其最そのもっとも古い所は紀元前きげんぜん三百何十年かのアリストテレス時代からき起さなければならぬが、こゝではただ生物の進化にかんする考が如何いかに時ととも変遷へんせんし来つたかをあきらかにするのが主であるから、歴史上の詳細しょうさい事蹟じせき一切省いっさいはぶいて言はず、人名のごときもただ其時々そのときどきの思想の代表者とも見るべき人の名をわずかに三つ四つげるだけに止める。
 およそ動物でも植物でも親・子・まごといふ様な近い一代づつの間には、少しもいちじるしい変化へんかを見ることなく、代々だいだい子は全く親のごとく、親は全く祖父母そふぼごとくである様に思はれるから、我々われわれ通常つうじょう生物は何代てもその形状けいじょう性質せいしつともに少しも変化へんかの起らぬ様な心持ちがして、生物の種類しゅるいは長い年月の間には進化するものであるやいなやといふ疑問ぎもんむねうかぶことさへほとんど決してない。それゆえ、昔からだれも馬の先祖せんぞ何処どこまでも今のと同じ様な馬、犬の先祖は何処どこまでも今のと全く同じ様な犬であると思つてて、なお其先そのさき先祖せんぞはとたずねたら、天よりやくだりけん、地よりやきけんとでも言つて、これを知らぬことを白状はくじょうするか、また耶蘇やそ教の人ならば天地開闢てんちかいびゃくの時に神様が斯様かよう御造おつくりなされたものぢやと答へるより外には仕方がかつた。我国わがくになどでは今日といえどなお斯様かような考を持つてる人がはなはだ多い様であるが、これは決して素人しろうとばかりが左様であつたわけではなく、動植物を専門せんもんに研究して居た西洋の学者等も昔は矢張やはみな此通このとおりで、近代の分類的ぶんるいてき博物学はくぶつがく元祖がんそといはれるスヴュリゲ(注:スウェーデン)国のリンネーといふ大家でさへ斯様かような考を持つてて、其著書そのちょしょの中に「およそ地球上にある生物の種類しゅるいの数は天地開闢てんちかいびゃくの時に天帝てんていつくつただけ有る」とあきらかに書いていた。

一 リンネー(生物種属不変の説)


 このリンネーといふ人は今より百九十六年前すなわ西暦せいれき千七百七年に生れ、中学校であま成績せいせきよろしくなかつたため、父親がくつ屋へ奉公ほうこうらうとした所をる医者に助けられて、医科大学に入学したが、生来せいらい博物学的はくぶつげくてきの天才があつたものと見え、たちまその方面に発達はったつして、後にはウプサラ大学の博物学教授きょうじゅとなつた人で、我国わがくにでいへば、小野蘭山おのらんざんとか飯沼慾斎いいぬまよくさいとかいふ様な多識家たしきかであつた。ようやく二十八さいばかりの時に「システマ・ナツレー」すなわち「博物綱目はくぶつこうもく」とでもやくすべき表題の書物をちょしたが、此書このしょによつて博物学はくぶつがくに一大改革かいかくが行はれた。それは何かといふに、其頃そのころまでは各国かっこくともに動植物の名称めいしょうにはみな自国の俗語ぞくごを用ゐ、同じ犬のことでも国々くにぐににより「ドッグ」とか「シャン」とか「フンド」とかまたは「カネ」とか「ペルロ」とか「サバカ」とか名づけ、其上そのうえ、山の犬とか、野の犬とか、耳の長い犬とか、の短い犬とかいふ様に、随意ずいい形容詞けいようしなどをけて用ゐてたから、動植物各種かくしゅ名称めいしょうが実に種々雑多しゅしゅざったで少しも一定せず、したがつて一疋いっぴきの虫・一本の草をつて来ても、これが何といふ虫か、何といふ草か、さがし出すことがほとんど出来なかつた所へ、リンネーは其頃そのころ世の中に知られてただけの動植物の種類しゅるいことごとこの一冊の書物の中にまとめてげ、動物界・植物界ともに先づこれ若干じゃっかんこう大別たいべつし、さらこうを分ちて若干じゃっかんづゝのもくとし、かく目中に若干のぞくき、べての種類しゅるい分類ぶんるいして、此中このなか何処どこかに編入へんにゅうし属・しゅともにみなラテン語の名称めいしょうけ、各種かくしゅにはこれ識別しきべつするに必要ひつような点だけを短く書きへて検索けんさく便べんにし、また学術がくじゅつ上に用ゐる動植物の名称めいしょうあたかも人間にせいは何、名はぼうと二つ名前があるごとくにかなら属名ぞくみょう種名しゅめいとをならべて書くことに定めて、所謂いわゆる学名の形を一定したが、ういふ調法ちょうほうな書物が出来たから、だれでも自分で動物・植物の名称めいしょうさがし出すことがきわめて容易よういになり、「システマ・ナツレー」一冊いっさつさへ持つて居れば、山へ行つても野へ行つても、禽獣草木きんじゅうそうもくの名が直にわかる様になつた。植物学で便利上べんりじょう今日でもなお用ゐてる林氏綱目こうもくといふのはすなわ此書このしょである。また其頃そのころ此書このしょさがして見ても到底とうてい知れぬほどのものならば、これ無論むろん未だ世に知られて居ない新種しんしゅであるから、あらたに名をけ、これにリンネー流のかたしたがつて簡単かんたん特徴とくちょうを書きへておおやけにすれば、世人せじんみなこれ承認しょうにんした。それゆえに新種発見をもって何よりの名誉めいよ心得こころえる人等はだれかれみな採集さいしゅこころみ、一つでも余計よけいに新種を発見して新しい名をけ様とたがい競争きょうそうしたので、此書このしょ出版しゅっぱんになつた後は博物学はくぶつがくといへば全く分類ぶんるい記載きさいだけの学問のごとき有様となり、此書このしょつね訂正ていせい増補ぞうほせられて終に第十二版まで出来、其著者そのちょしょなるリンネーは実に斯学しがく泰斗たいとあおがれ、非常ひじょうな大学者として世に尊敬そんけいせられるにいたつた。くのごといちじるしい勢力せいりょくの有つたリンネーの著書ちょしょの中に動植物の種類は最初さいしょ神がつくつたそのまゝのものでえもせずりもせず、少しも変化へんかしたことのないものであるとあきらかに書いてあつたから、其頃そのころ博物学をおさめる人々は、これ金科玉条きんかぎょくじょう心得こころえて、偶々たまたま生物の種類は長い年月の間には多少変化へんかするものであらうといふ様な考を出す人があつても、だれこれを相手にしないほどであつた。しかし十八世紀せいきの終より十九世紀の始にいたころには、実際じっさい生物進化の事実に気がき、かつ相当の理論りろんを考へてこれを説明しやうとこころみた学者が全くいことはなかつた。

二 ラマルク(動物哲学てつがく


 ダーウィン以前に動物進化のことわりいた人々の中でもっとも有名なのはフランス国のラマルクである。此人このひとは今より百五十九年前、すなわち千七百四十四年に生れ、パリーの「植物園」といふ動物園で動物学の教授きょうじゅつとめ、一生涯いっしょうがい比較的ひかくてき低い位置いちで終つたが、実は余程よほどの学者で、とくに下等動物の比較ひかく解剖かいぼう貝類かいるいの化石などを深く研究して、これいて中中大部の著述ちょじゅつをした人であるが、自身の研究の結果けっか其頃そのころ世に行はれてた生物種属不変しゅぞくふへんの説は全くあやまりであることに心附こころづき、その反対の事実を証拠しょうこ立て、かつその理由を説明せつめいしやうとしきり工夫くふうらしたすえついに千八百九年すなわち当人六十五さいの時に「動物哲学てつがく」と題する一書をちょして、おのれのせつを世におおやけにした。この書物は今日我々われわれが読んで見ると、全く当今の進化論しんかろんと同じ様な所もあつて、すこぶる面白く思はれ、其頃そのころにしてはまことめずらしい本であるが、斯様かようその時世よりははるかに進みすぎぎてたので、世人せじんこれかいすることが出来なかつたため、しばらく其当時そのとうじ此人このひとよりも高い位置いちにあり、したがつて世間に対して勢力せいりょくなお強かつた人等がみな旧式きゅうしきの生物種属しゅぞく不変の説を持つてたため、折角せっかく苦心して書いた此書このしょ出版しゅっぱん後五十年ばかりの間は全く世にかえりみらるゝにいたらなかつた。ラマルクが此書このしょろんじたことの大要たいようほぼ次のごとくである。
「現在、世の中に生きてる動物は、いずれの種類しゅるいを取つて見てもその生活の有様にてきした身体を持つてないものはない。たとへば蝙蝠こうもりつばさのあるのは飛翔ひしょうてきし、'モグラ'むぐらてのひらの平たくてすきごときは地をるにてきし、蟷螂かまきりの前足のかまに似たのは虫をとらへるに都合よく、バッタの後足の太いのはねるのに必要である。語をへて言へば、かく動物ともに日々用ゐる部分はみな善く発達して十分その働きをなすにてきして居るが、く身体の外形はみなその動物の生活の模様もように応じて居るにかかわらず、これ解剖かいぼうして其構造そのこうぞうを調べて見ると、蝙蝠こうもりと'モグラ'、また蟷螂かまきりとバッタとは実にきわめてたがいて居て、あたかも同一の鋳型いがたに入れて造つたものをたんに少しづゝあるいばしたり、あるいちじめたりしてつくつたかと思はれるほどである。蝙蝠こうもりつばさを見るに、指が五本そなはつてある具合は丸で我々われわれ人間の手の通りであるが、ただ其指そのゆび非常ひじょうに長くびて、其間そのあいだうすい皮がつて居る。また'モグラ'のてのひらを見るに、これも指が五本そなはつてある具合は我々われわれ人間の手に少しもちがはぬが、ただ指のふしみな短くて其代そのかわりにつめが大に発達して居る。し、こゝに一人のあめ屋があつて、すであめもって人間の手の形を造つたと仮定かていしたらば、これを直して蝙蝠こうもりつばさにするには単に指を引きばして其間そのあいだうすい皮を張ればよろしい。またこれを直して'モグラ'のてのひらにするには単に指をちじめてつめを太くすればよろしい。べて動物の身体は斯様かよう流儀りゅうぎに出来て居て、数種の動物がみな同一の模型を基とし、各種かくしゅともつねに用ゐるところだけが特別に発達して、そのため種々の相違そういが起つたごとくに見える場合がすこぶる多いが、これは若し天地開闢てんちかいびゃくさいに神が各種の動物を別々べつべつに造つたものとしたらば、ほとんわけわからぬことで、これには何か他に理由がありさうなものである。し真に神が初めから別々に造つたものならば、蝙蝠こうもりつばさただ飛ぶといふ目的にかなふ様に、また'モグラ'のてのひらただ地をるといふ目的もくてきふ様に、各根本からべつの仕組を立てて造りさうなものであるのに、飛ぶためのつばさるためのてのひらも、同一の模型もけいを多少ばしたり、ちじめたりしたかと思はれる様な形に出来て居るのは、まこと不思議ふしぎと言はざるを得ない。所で、人間などを見ると常に用ゐる部分が特別に発達する様で、鍛冶屋かじやは常にうでを余計に働かすから、うで筋肉きんにく骨骼こっかくともに非常に発達し、車夫は絶えずあしを用ゐるからあしの筋肉・骨骼こっかくともにいちじるしく大きくなるが、他の動物とても理窟りくつこれと同様で、矢張やはつねに用ゐる器官きかん益々ますます発達はったつして大きくなるにちがひない。また人間の方では車夫しゃふ子孫しそんかならみな車夫しゃふになるにかぎらず、鍛冶屋かじや子孫しそんかならみな鍛冶屋かじやになるといふわけでもないから、みなその当人一代の間に用ゐる器官きかんが少し大きくなるだけであるが、動物の方では親・子・まご代々だいだいほぼ同じ様な生活をなし、蝙蝠こうもり先祖せんぞ代々空をび、'モグラ'は先祖せんぞ代々だいだい地をり、急に習性しゅうせいへんずることはきわめてまれであつて、代々だいだい同一の器官きかんばかりを特別とくべつはたらかせるから、其結果そのけっかとして其器官そのきかんは代を重ねるにしたが益々ますます発達して大きくなるであらう。若し左様であるとしたらば、蝙蝠こうもりの指の長いのは代々空を飛ぶために指をばした結果、'モグラ'のつめの太いのは代々地をるためにつめを用ゐた結果ではあるまいか。また蟷螂かまきりの前足の太いのは鍛冶屋かじやうでの太いのと同じくバッタの後足の太いのは車夫のあしの太いのと同じで、常にこれを働かすから益々ますます発達し、代を重ねるにしたがいよいよいちじるしくなつて、終に今日見るがごとき形に成つたのではあるまいか。
これに反して少しも用ゐぬ器官きかんは次第々々におとろへるもので、怪我けがなどをして久しくふせて居ると、身体には他に何の異状がなくても、あしは次第に細くなつて、終には全く起きて立つことも出来なくなるが、駝鳥だちょうつばさが極めて短くて到底とうてい飛ぶ役に立たず、'モグラ'の眼がはなはだ小くて到底とうてい見る役に立たぬ等は、全くこれと同様な理窟りくつで、久しく少しも用ゐぬから、次第々々に退化してくのごとくになつたのでは無からうか。常にくびを延ばして水底のえさを探るつるくびが非常に長くて鼻ははなはだ短いが、鼻で自由自在に物を拾ふ象は鼻がすこぶる長くてくびは最も短い。善く飛ぶ鳥は足が弱く、善く走る鳥はつばさが小い。総べて此等これらの現象はみな常に用ゐる器官きかんが発達し、常に用ゐぬ器官きかんおとろへた結果とよりほかに思はれぬ。
くのごとく動物の身体は丁寧ていねいに調べて見ると、みな常に用ゐる器官きかん益々ますます発達し、常に用ゐぬ器官きかん漸々だんだんおとろへて、ついに今日の姿になつたごとくに見えるが、果して其通そのとおりならば、蝙蝠こうもりの先祖は決して今日の蝙蝠こうもりごとき発達したつばさを持つて居なかつたに相違そういなく、また'モグラ'の先祖は決して今日の'モグラ'のごとき発達したつめを持つて居なかつたに相違そういない。その先祖は如何いかがなる形のものであつたかは十分に解らぬが、動物は各種類ともに決して今日我々われわれの見る通りの形で、世界開闢かいびゃくの際に突然とつぜん神によつて造られたものではなく、長い年月の間に少しづゝ変化して今日のごときものとなつたといふことだけは、断言が出来る。すなわち動物の各種類は決して一時の創造によつて急に現れ出たものでなく、一歩々々の進化によつて長い年月の間に漸々だんだん出来上つたものである。」
 ラマルクの考の大体は以上述べたごとく、その要点は、第一には動物の各種類は長い年月の間に形状が次第に変化して今日の有様ありさまになつたといふこと、第二には動物の形状の漸々だんだん変化するは主として各器官きかんの用・不用に基づくとのことであるが、此考このかんがえもって種々の動物の形状を観察すると、一応もっともに思はれる点が随分ずいぶん多くあり、今日より見ればはなはだ不完全な説明には相違そういないが、その時代の考としては中々面白いものであつた。しか其頃そのころフランスにはキュヴィエーといふ博物学の大家があつて、此人このひとが全くリンネー流の生物種属不変の説を主張したので、ラマルクの説はついに行はれなかつた。

三 キュヴィエー(天変地異てんぺんちいの説)


 このキュヴィエーといふ人はラマルクよりは二十五年も後に生れた人であるが、非常な勉強家で、馬車で路を往来する時にも常に手帳と鉛筆えんぴつとを持つて何か書いて居たといふ位であるから、著書もすこぶる多く、動物に関する一個々々の事実を知つて居たことは実におどろくべき程であつた。其外そのほかなお世事にも長じた人と見えて終には我国でいへば文部省の局長といふ位な役をつとめ、男爵だんしゃくさずけられ、華族かぞくに列したが、此人このひとの学術上の功績の多くある中で、特にぐべきものは、動物比較ひかく解剖かいぼうの研究と化石の調査とである。
 リンネーの分類法は単に動植物の名称めいしょうさぐり出すに便利な様に造つただけのものゆえ其分そのわかち方はすこぶる人工的で、あたか支那しなや日本で昔から用ゐて居るきんじゅうちゅうぎょといふ位なものに過ぎず、例へばはまぐりでも蚯蚓みみずでも、章魚たこでも、海鼠なまこでも、はなはだしきは盲鰻めくらうなぎといふ魚までも、みな虫類といふ中に混じて入れてあつたが、キュヴィエーは比較ひかく解剖かいぼうの結果に基づき、全動物界を大別して四門となし、すなわけもの類・鳥類・魚類を始め、へびかえる蜥蜴とかげ'イモリ'いもりに至るまでおよそ身体の中軸ちゅうじく脊骨せぼねのある動物を総括そうかつして脊椎せきつい動物と名づけ、ちょうはち蜘蛛くも蜈蚣むかでえびかにの類より蚯蚓みみず・ゴカイに至るまで、およそ身体に関節のある動物を総括そうかつして関節動物と名づけ、章魚たこ烏賊いかを始め、栄螺さざえ田螺たにしはまぐり・アサリ等のごとき身体のやわらかな貝類はみなこれ総括そうかつして軟体なんたい動物と名づけ、また、ウニ・ヒトデ・クラゲ等のごとき動物は身体に頭としりとの区別もなくべての器官きかんみな放散状ほうさんじょうに並んであるため、丸でたらいかさと同じ様にただ表と裏との差別があるばかりで、前後左右は少しもちがはず、何方を前へ向けても少しも差支へのない形のものゆえこれ総括そうかつして放散動物と名づけた。もっとも動物を脊椎せきつい動物と無脊椎せきつい動物とに区別することだけは、すでにラマルクの行つて居たことであるが、斯様かように全動物界を四つに大別してこれに門といふ名称めいしょうけたのは、全くキュヴィエーが始めてで、これが今日行はれて居る動物自然分類法の土台である。またキュヴィエーは高等動物の化石を丁寧ていねいに調べてその性質をあきらかにし、「化石の骨」と題する大部の書物を著して、ついに今日の所謂いわゆる古生物学を起した。

「第一図 放散動物」のキャプション付きの図
第一図 放散動物ほうさんどうぶつ

 そもそも化石とは、言ふまでもなく、古代に生活して居た生物の遺体であるが、斯様かように気のいたのは比較ひかく的近世のことで、耶蘇やそ紀元より数百年も前に当るギリシヤ時代の哲学てつがく者にはかえつて化石の真性を知つて居た人もあつた様に見えるが、其後そのごには種々の牽強附会けんきょうふかいな説が行はれ、くだつて千七百年代に至つても世人せじんは化石に対しては実に笑ふべき考をいて居た。例へばる人々は化石をもって単に造化のたわむれであるなどと言つて済ませ、またる人々は天地の間には精気せいきとでもいふべきものがあつて、此物このものが動物の体内に入れば子となり、誤つて岩石中に入れば石のにし、石のはまぐりなどに成ると論じ、はなはだしきに至つては神は天地開闢てんちかいびゃくの際に諸種しょしゅの動物を造るに当り、真の動物を造る前に先づどろもっ試験的しけんてき其形そのかたちを造つて見て、気に入らぬものはこれを山中へ投げ捨てたのが、今日化石となつて残つて居るのであるとろんじた人々さへあつた。今から考へて見ると余り馬鹿ばかげて居て、ほとんど信ぜられぬ程であるが、其頃そのころ耶蘇やそ教の勢力が非常にさかんであつたために科学が全くおとろへて、はなはだしき迷信が世に行はれ、耶蘇やそ教の坊主ぼうずの中には粘土ねんどでヘブライ文字を造り、かわらに焼いてこれを山中にめて置き、数年の後にこれを自分でり出して神様の御直筆ごじきひつであると言うて一儲ひともうけしやうと計画した山師やましなどがあつた位の世の中であるから、実際斯様かような考が行はれて居たのも不思議はない。しかし、其後そのご化石に関する知識が追々おいおい進歩し、ラマルクが貝類の化石を調べ、キュヴィエーがけもの類、魚類等の化石を調べるにおよんで、化石はいよいよ古代の動物の遺体いたいであるといふことが確になり、最早これいて疑をはさむ人は一人も無くなつた。
 前にも述べた通り、キュヴィエーは全く動物種属不変の説を主張した人であるが、自分の研究の結果、化石の性質があきらかになつたにしたがひ、かってリンネーの書いて置いたごとくに、生物の種類の数は最初神が造つただけより無いといふ説をそのまゝに保つことが出来なくなつた。それはこの以前から化石は古代の動物の遺体であると考へた人はいくらもあつたが、観察かんさつきわめて粗漏そろうで、骨骼こっかくの形状の区別なども丁寧ていねいに調べず、象の骨をり出してこれを人間の骨であると思ひあやまり、昔は何物もみな大きくて、人間なども此骨このほねから考へて見るとすくなくとも我々われわれよりは三層倍も大きかつたにちがひないなどと言つて居た位で、その一例にはスウィス国のぼうと云ふ医者は、一種の大形の山椒魚さんしょううおの化石を発見したが、これを人間のほねと思ひちがへ、化石となつて出る位であるから、これは全くノアの大洪水だいこうずいの時に溺死できしした人間の骨であらう。天地開闢てんちかいびゃくの時、神様が御造おつくりなされたアダム、エバ両人の子孫が盛に繁殖はんしょくし、追々悪事を働く様になつたので、神様大に御怒おいかり遊ばし、数百日の間続けて雨をらして善人ぜんにんノアの一族を除くの外、罪人どもをことごとく退治して御仕舞おしまひになつたが、此骨このほね其節そのせつの罪人の一人に相違そういなからうと言つて、「洪水こうずい出遇であうた人間」といふ意味の学名をけ、「後の世の罪人どもよ、此骨このほねを見てなんじ等の罪をい改めよ」といふ様な優しい歌まで書きへて、この発見を同国の学術雑誌上がくじゅつざっしじょうに報告したことがある。人間の骨骼こっかくは素より十分に知つて居て、他の動物の骨との相違そういは直に解るべきはずの医者でさへ斯様かような具合ゆえ、たとひ化石は古代の動物の遺体であると気がいても、中々それが何様どのような動物であつたやら種属の識別などは無論出来ず、大概たいがい今日の動物と同じ様な種類であらうと推察してだれも済まして居つた。しかるにキュヴィエーの精密な調査にると、化石となつて出て来る動物は、現今生きて居る動物とは確に全く種属が異なつて居て、同じく化石といふ中でもの出る地層々々にしたがつてみな種属がたがい相違そういして居ることが解つた。そこでこの化石となつてり出される動物は何時いつ造られ、何時いつ死に絶えたもので、また現今の動物とは如何いかがなる関係を有して居るものであるかといふ疑問は是非ぜひとも起らざるを得なかつたが、キュヴィエーは自分の説も打ち消さずまた化石の因縁いんねん明瞭めいりょうに説明するには如何いかがしたらばよろしからうとしきりに苦しんだ後、ついに一の新説を案じ出した、其説そのせつ大略たいりゃくおよそ次のごとくである。
「現在生きて居る動物の種属はみな開闢かいびゃくのとき神が造つただけのものであるが、この開闢かいびゃくといふことは動植物にいては決してただ一回に限られた訳ではなく、実は幾度いくどもあつた。しこうして毎回開闢かいびゃくの前には山が海になり、海が山になつて、天地もくつがえるかと思はれる程の大変動によつて、其時そのときまで住んで居た動植物は一時にことごとく死に絶えて仕舞しまひ、其跡そのあとさらに新しい一揃ひとそろひの動植物が造られたのである。ゆえに現今の動物と化石となつてり出される動物とは、両方とも神に造られたには相違そういないが、の造られた時が全くちがひ、古い方がことごとく死に絶えて仕舞しまつた後に、新しい方が別に造られたものであるから、其間そのかんには何の関係もない。今日高い山の頂上から魚類の化石や貝類の化石が出て来るのは、其処そこが以前に海であつた証拠しょうこで、その化石の形が如何いかにも苦みにへずまわつたごとき有様であるのは、海が山になるときの変化が極めて急劇であつたしるしである。最初の世界開闢かいびゃく以来今日に至るまでには、少くとも十四五回は地球の表面にかる大変動があつて、其度毎そのたびごと其時そのとき住んで居た動物はみな死に絶え、わずかに化石となつて今日まで残つて居るのである」と、斯様かように論じてキュヴィエーは自分の主張して居た動物種属不変の説を立て通さうと尽力じんりょくした。此説このせつは地球の表面には幾度いくども非常に急劇な大変動があつたものと仮定するのであるから、先づ天変地異てんぺんちいの説とでも名づけて置いたらよろしからう。
 今日から思ふと、キュヴィエーの天変地異の説は素より確乎かっこたる証拠しょうこもなく、随分ずいぶん牽強附会けんきょうふかい極る説の様に思はれるが、其頃そのころ学者間にけるキュヴィエーの勢力は実に大したものであつたから、この不思議な仮想説も暫時ざんじ世人せじん信仰しんこうする所となつた。もっともラマルク以後にも動物進化の説をとなへて居た人は多少あつて、其中そのなかでもフランス国のジョッフロアィ・サンチレールといふ学者などは、動物の形状性質は外界の状態に応じて変化して行くものであると論じて、大にキュヴィエーの説に反対し、幾度いくどもパリー府学士会院の講堂で公開の討論を行つた。しかし、何をいふにも、キュヴィエーの方は一個々々の事実を知つて居ることは非常なものであつたのと、また一方ではサンチレールの動物進化の説ははなはだ不完全であつたのとで、千八百三十年七月三十日の討論の席で、終に表面上全くキュヴィエーの勝利に定まつた。
 斯様かようなことがあつたので、益々ますますキュヴィエーの勢が好くなり、キュヴィエーのとなへる議論ならば一も二もなく人がこれを信ずる有様となつて、の天変地異の説もしばらくは全盛の姿であつた。

四 ライエル(地質学ちしつがくの原理)


 しかるに同じ千八百三十年にイギリス国の地質学大家サー・チャールス・ライエルといふ人の著した「地質学ちしつがくの原理」と題する有名な書物の第一版が出版になつたが、この書物のひろまるにしたがひ、キュヴィエーの天変地異の説は全くその根柢こんていを失ふに至つた。ライエルが「地質学の原理」の中に説いたことの大要をんで言つて見ると、
およこの地球の表面には開闢かいびゃく以来随分ずいぶん大きな変動があつて、山が海になり、海が山になつた処もある。高い山の頂上になみあとが有つたり、また山の中腹からはまぐりや魚類の化石が出たりするのは、疑もなく、昔、其処そこが海岸あるいは海底であつた証拠しょうこであるが、斯様かように変つたのは、決して一時に急に起つたことではなく、絶えず少しつつ次第々々に変つて、長い年月をついいちじるしい度に達したのであらう。元来カント、ラプラス等のとなへ始めた霞雲うんか説にしたがへば、我地球の属する太陽系統は最初は極めて熱度の高い瓦斯ガスの大きなかたまりであつたのが、次第にかたまつて、中心は太陽となり、周辺には大小無数の遊星ゆうせいが出来た。この地球も素よりの一部分であるから、初は矢張り熱度の極高い瓦斯ガスかたまり、次には岩石をかした様な極めて熱い液体のかたまりとなり、次にそのかたまりの表面が少し凝固ぎょうこして固形体のうす地殻ちかくが出来たのである。斯様かようなことは素より、実際、わきで見て居たものがある訳ではないから、此説このせつは無論仮想の説には相違そういないが、余程多くの地質学上の事実は此説このせつによつて容易に説明することが出来るゆえ、他になお一層いっそう適当てきとうな説がない以上は、先づ此説このせつを真と見做みなして置くより外には仕方がない。現今でも処々に火をけむりを出す山があること、処々に温泉のき出ること、およ何処どこでも地面を深くればるほど底が益々ますます温くなつて、平均十六間(注:29m)位をごと摂氏せっしの一度づゝの割合で温度がのぼることなどから考へて見ると、地球の内部はいまでもなお火のかたまりであるらしく、また表面にある固形の地殻ちかくこの火のかたまり漸々だんだん冷却れいきゃくした結果として生じたものと思はれるが、総べて何物でも冷えると容積が減ずるものであるから、この地球も追々冷えて行く中に少しづゝ容積が減じて収縮し、収縮すれば表面の地殻ちかくには是非ぜひともしわが出来る。その有様は全く林檎りんごの実を長く捨て置くと、水分が蒸発して全体が縮小し、そのため表面にしわが生ずるのと同じ理窟りくつである。我々われわれから見れば、山はすこぶる高く、海はおどろくべく深いが、およそ一間(注:1.8m)位の直径を有する地球の雛形ひながたを造つて、その表面に陸と海とを正しい割合に造れば、数千ひろ(注:数Km。1尋=1.818m)の深海も数万尺(注:数Km。1尺=30cm)の高山もわずかに一分(注:3mm)に足らぬ凸凹でこぼこに過ぎぬ。それゆえ、地球の表面にある海陸かいりく凸凹でこぼこの割合は到底とうてい蜜柑みかんの皮の表面にある凸凹でこぼこほどにいちじるしいものではない。此様このよう瑣細ささい凸凹でこぼこは地球が少し冷えれば直に出来るべきはずで、少しもおどろくには当らぬ。
「総べて地殻ちかくの変化は上述のごとく、地球の冷えて行くにしたがひ、何万億年かの間に表面にしわが生じて、漸々だんだん山と海との区別が出来、その区別が追々いちじるしくなることの外には、ただ風雨の働き、河海かかいの働き等のごと我々われわれが日夜目の前に見て居る様な尋常じんじょう一様の自然現象の結果として起つたものである。風がき雨がごとに、山の表面にある岩石は少しづゝくだけて泥沙でいしゃとなつて谷へ落ち、河の水に流されて海へ出で、河の出口の処に沈澱ちんでんして年々新しい層を造ることは、我々われわれの、現在、処々で見る所である。我国で何々新田といふ様な名のいてある処は、多くはくして出来た地所である。斯様かよう泥沙でいしゃ沈澱ちんでんによつて生じた層は、最初は無論水平に出来るが、地球が少しづゝ冷却れいきゃくして地殻ちかくしわえるに伴なひ、後にはひだをなして種種の方向に傾斜けいしゃし、一部は山のいただきとなつて現れ、他の部は後の層にめられて深く地面の下にかくれる様になる。の高い山の頂上ちょうじょうから魚類や貝類の化石の出るのは全く右のごとき変動によるので、決して一時に急劇きゅうげき天変地異てんぺんちいが有つた結果ではない。もっとも、昨年の西印度にしインド噴火ふんかまた鳥島とりしま破裂はれつの様なこともあるが、これは地球全面から見れば実に極めて小部分で、大体を論ずる場合にはほとん勘定かんじょうに入れるにおよばぬ程である。
「地球の表面に山が海になつたところ、海が山になつた処があるのは、決して変動へんどう劇烈げきれつであつた結果ではない。ただ変動の時がきわめて長く続いたからである。現今げんこんいえども、毎日風雨水流等の働きにより、地球の表面に変動へんどうむ時は無いが、その変動が急劇きゅうげきで無いから、余り人の目に立たぬ。しかし、実際じっさいえず行はれてあることゆえ幾万いくまん年も幾億いくおく年も引き続く間にはの「ちりつもれば山」といふことわざごとく、その結果は実におどろくべき程になることはうたがいない。地球の表面が今日の有様になつたのは、全く毎日起る所の普通ふつうの変動がつもり積つた結果と考へなければならぬ。」
 ライエルが種々の実例じつれいげて右のごとくに論じたので、キュヴィエーの天変地異てんぺんちいの説は全く打ちられて仕舞しまつたが、地球上にある動植物をことごとく殺しつくして仕舞しまふ様な天変地異てんぺんちいが一度も無かつたとすると、化石の動植物と現今げんこん生きてる動植物とは其間そのかん如何いかがなる関係を持つて居るものであるか。古代の動植物と現今げんこんの動植物との相異あいことなる所を見ると、あるいは生物の種属は時とともに多少変化するものでは無からうか、との疑問はさらあらためて研究を要することになつた。

五 ダーウィン(種の起源しゅのきげん


 千八百五十九年の十一月廿四日にじゅうよっかすなわち今よりおよそ四十四年前にダーウィンが其著書そのちょしょ種の起源しゅのきげん」の第一版だいいっぱんおおやけにした時までの生物進化論しんかろん大要たいようは、ほぼ右にべた通りである。世間では進化論といへば一口にダーウィンのせつである様に考へる人もあるが、以上述べた所にてわかる通り、生物進化の説はダーウィンより余程よほど以前にフランス国のラマルク、サンチレールなどがすでとなへてつたものである。しかし、進化の事実は如何いかにして起つたものであるかといふ説明は両人ともはなはだ不十分で、ラマルクはただ器官きかんの用、不用にもとづくものなりと説き、サンチレールは外界の状態じょうたい変化へんかが起ればこれが直に動物の形状、性質せいしつに変化を起すものであるとろんじたのみであつた。しかるにダーウィンはただ進化の事実を丁寧ていねいに集めてこれ確実かくじつ証拠しょうこ立てたのみならず、これ説明せつめいするために自然淘汰とうたせつといふものを考へ出したが、この自然淘汰とうたせつは生物進化の事実の説明にてきすること前の二説とは雲泥うんでい相違そういで、生物学上其時そのときまで説明の出来なかつた余程よほど多くの事実もこれがために容易よういその理由を知ることが出来たゆえたちまち学者間に非常ひじょう信用しんようを得て、此説このせつにより説明の出来ぬ現象げんしょうは生物界に一つもないと言うてよろこんだ人も沢山たくさんに出来た。
 ダーウィンの人物経歴けいれきおよ其著書そのちょしょ種の起源しゅのきげん」をおおやけにするにいたつた顛末てんまつ等の中には、大に我等われら後進者の心得こころえとなる点がある様に思はれるから、ダーウィンのとなへ始めた説を紹介しょうかいする前に、少し其事そのことべて置きたい。ダーウィンの生れたのは今より九十四年前すなわち千八百九年の二月十二日であるが、其年そのとし不思議ふしぎにも始めて動物の進化をいた書物「動物哲学てつがく」が出版しゅっぱんになつた年である。生長して後、エヂンバラ、ケンブリッヂなどの大学で修業しゅうぎょうし、二十二さいの時「ビーグル」といふ世界探検船たんけんせんに乗り組んでほとんど六年間地球上の各地を探検して帰つたが、其頃そのころから健康けんこうあますぐれなくなつたので、三十三さいの時ロンドンから汽車で行けば一時間もかゝらぬ程のところにあるダウンといふ村に家を買つて其処そこ引籠ひきこもり、市中の雑沓ざっとうけ、一生涯いっしょうがい静に学問の研究ばかりに力をつくして、ついに去る明治めいじ十五年すなわち千八百八十二年の四月十九日に世を去つた。ダーウィンは「ビーグル」号航海こうかいせつ、世界の各地において、動物・植物・地質ちしつ等を実見する間に生物種属しゅぞく起源きげんいて種々しゅしゅうたがいが起つたから、これを十分に研究して見やうと決心して、イギリスに帰つてからも、しきり此事このことを考へた結果、三十四五さいころすでに自然淘汰とうたの理に気がき、一通りこれを書きつづつて人に見せたこともあつたが、しか斯様かよう新説しんせつは軽々しく世に出すべきものでないと思ひ、其後そのご益々ますます生物学上の事実を集め、此説このせつ適否てきひためし、十五六年も研究をんだ後、千八百五十九年すなわち自身の五十さいの時にいたようやこれおおやけにした。これ近頃ちかごろの学者がようやく昨日思ひいたことを今日ただちに出版するのにくらべると、実に雲泥うんでい相違そういである。また千八百五十九年にこれおおやけにしたのも全く偶然ぐうぜんの出来事が起つたからであつて、其事そのことが無かつたならば、「種の起源しゅのきげん」の出版も、あるいなお数年間おくれたかも知れぬ。
 こゝに偶然ぐうぜんの出来事といふのは、千八百五十八年にいたりダーウィンの外になお一人自然淘汰とうたことわりを発見した人が出て来たことである。此人このひとはウォレースといふ大探検家で、南アメリカに四年、東印度諸島ひがしインドしょとうに八年もとどまつて、博物はくぶつの研究に従事じゅうじしたが、其中そのなか、動物の生態せいたいおよ分布ぶんぷの有様などから考へて、ほとんどダーウィンの説と全く同様な説を思ひつき、これ一筋ひとすじ論文ろんぶんに書きつづつてダーウィンの手許てもとまで送りとどけ、これ学術雑誌上がくじゅつざっしじょうおおやけにする様に依頼いらいして来た。ダーウィンはこれを受取つて読んで見ると、中に書いてあることは自分が、十四五年も前から考へて居たこととほとん寸分すんぶんちがはぬから、大におどろいて、これをフッカー、ライエルなどいふ大家に見せ、如何いかがしたらよろしからうと相談した。所が、これらの人々は、かねてダーウィンがこの問題にいて研究してたことを知つて居るから、ダーウィンにすすめて自然淘汰とうたことわりを短く書かせ、これのウォレースから送つて来た論文と同一号の林那リンダ学士会雑誌ざっしならべて掲載けいさいし、同時に世におおやけにせしめた。しかし生物進化の事実の証明、自然淘汰とうた理窟りくつなどはいずれも中々の大論であつて、到底とうてい右の雑誌ざっし上にげた論文位ろんぶんぐらいつくすことの出来るものでないから、さらにダーウィンは急いで従来じゅうらい研究の結果の大要を書きつづり、一冊いっさつの書として翌年の十一月に出版したが、これが、すなわち有名な「種の起源しゅのきげん」である。
 くのごとく実際自然淘汰とうたの説をとなへ出したのはダーウィンとウォレース二人同時であつたが、ダーウィンの方はすでに十四五年も前から考へて居たことでもあり、また翌年よくねんに至り立派りっぱな一冊の書物を出したりして、ウォレースに比べると、考がはるか周到しゅうとうであつたゆえ、ウォレースはこころよく自然淘汰とうた発見のこうを全くダーウィン一人にゆずつて少しもあらそいらしいことをせぬのみならず、後に自分のちょした進化論の書物の表題まで「ダーウィニズム」とけたのは、実にはかひろい君子の心掛こころがけで、わずかこうを相争ひ、たがい罵詈ばり誹謗ひぼうする人々の根性こんじょうとは到底とうてい日を同じうしてろんずることは出来ぬ。
 それからまたこの種の起源しゅのきげん」といふ書物が実に感服にへぬ本である。四百何十ページ位の中本ではあるが、著者ちょしゃ序文じょぶんにも書いて置いた通り、これは真の摘要てきようであつて、十倍も大部な書物が書ける程に十分な材料ざいりょうが集まつて居る中から、最も必要な部分だけをえらみ出して、短く書いたものである。しこうして其中そのなかの議論の仕様がまた非常に鄭重ていちょうで、余程よほどひかへ目にしてある具合は、わずかの事実を基として空論くうろんの上に空論を積み上げる流儀りゅうぎとは全く正反対で、実に後世生物学をおさめる者等の好き模範もはんと言つてよろしい。ただ多くの事実を余り短くめて書いたから、全編ぜんぺん余り実質じっしつがあり過ぎて、常に軽い書物を読みれて居る人々には、これ咀嚼そしゃくし消化するのに多少骨が折れるのはよんどころないことである。
 以上、略述りゃくじゅつした通り、今日我々われわれの有する生物進化の考は決して突然とつぜん生じたものでなく、十八世紀の末頃すえごろより漸々だんだん発達して来たものであるが、其中そのなか生物進化の事実に関することは、最初は単に仮説に過ぎなかつたのが、ダーウィンの研究によつてほぼたしかとなり、ダーウィン以後の多数の学者の研究によつていよいよ確乎かっことして動かぬものとなつたのであるから、これはダーウィンがあずかつて大に力あるには相違そういないが、結局けっきょく生物学全体がいちじるしく進歩した結果とはねばならぬ。それゆえ、生物進化論をもってダーウィン説と見做みなすことは決して穏当おんとうではないが、これに反して生物進化の理由を説明するための自然淘汰とうたの説は全くダーウィンが初めて考へ出したものであるゆえこれは真のダーウィン説と名づくべきものであるが、我々われわれこのの説によつて初めて何故なぜ生物は進化し来つたかといふ原因げんいんの一部をさっすることが出来る。くのごとく生物進化の事実と、これを説明するための自然淘汰とうた説とは全く別物べつもので、決して混同こんどうすべきものではない。自然淘汰とうた説は今後の研究によつて如何いかあらためられるか知らぬが、たとひ此説このせつが全く誤謬ごびゅうとして打破うちやぶられたと仮定しても、生物進化の事実は依然いぜんとしてそんし、少しもこれによつて動かされることはない。


第三章 人の飼養しようする動植物の変化


 動植物は代を重ねる間には少しづゝ形状けいじょう・性質等が変化するものであるか如何いかにといふ問題を調べるには、是非ぜひとも親・子・孫と系図けいずあきらかに知れて居る個体をいく代も比較ひかくして見るのが必要ひつようであるが、野生の動植物では此事このこと到底とうてい出来難できがたい。何故なぜといふに野生の動物はただ鉄砲てっぽうつたりあみけたりして、其場そのば居合いあわせたものを捕獲ほかくするだけであるから、その動物の親はだれであるか、其又そのまた親はだれであるか全く解らず、またこれを長くやしなつて子孫しそんの生れるのを待ち、これを親と比較ひかくすることも決して容易よういでない。植物とてもそれと同じく、どの木の実が何処どこに落ちるか、どの草の種が何処どこえるか一向わからぬから、目前に何百本同種の草木があつても、何れが親か、れが子か中々知れぬ。これに反して我等われら飼養しようして居る動植物は、多くは其系図そのけいずあきらかに知れて居て、牧畜ぼくちく発達はったつした国々には、有名な牛や馬の系図が立派りっぱな本に出来て居る位であるから、数代前の先祖せんぞと数代後の子孫とを比較ひかくすることも随分ずいぶん出来る。それゆえ、今こゝにげたごとき問題を実物によつて調査しやうとするには、先づ人の飼養しようする動植物にいて調べるのが一番手近である。
 我々われわれ飼養しようする動植物を見るに、およ一種いっしゅとして各個体かくこたいことごとく同じ形状をそなへて居るものはない。たとへば馬でも牛でも犬でも'鶏'にわとりでも、各一種の動物でありながら、其中そのなか一疋いっぴきづゝを取つてくらべて見ると随分ずいぶんいちじるしい相違そういがある。日本馬とアラビヤ馬とを比較ひかくし、百姓ひゃくしょうの使ふ牛と乳牛にゅうぎゅうとを比較ひかくし、またはムク犬と洋犬を比較ひかくし、チャボとブラマとを比較ひかくして見れば、何でも其間そのかん相違そういはなはだしいことをみとめざるをぬが、この相違そういただその動物一代だけにかぎることでなく、其儘そのまま子孫に伝はるもので、アラビヤ馬の生んだ子は矢張やはりアラビヤ馬、日本馬の生んだ子は矢張り日本馬である。斯様かように同一種の動物でありながら種々ちがつた形状を有し、かつその形状を子孫に伝へるものを、生物学では各一変種と名づけるが、此語このごつかつていへば、およ我等われら飼養しようする動植物には、一種として多くの変種を有せざるものは無いのである。我国の'鶏'にわとりなどは従来多少の変種のあつた所へ近来沢山たくさん舶来はくらい変種が輸入ゆにゅうせられたので、現今げんこんでは単に'鶏'にわとりといつたばかりでは、如何いかがな形状・性質のものを指すのであるかわからぬゆえ、一々特別とくべつに名をけて区別くべつせなければならぬ様になつて来た。すなわ'鶏'にわとりにはクキンのごとき大きなものもあり、またチャボのごとたけの低いものもあり、羽色も種々雑多ざったで、雪のごと純白じゅんぱくなもの、炭のごとく真黒なもの、まだらのもの茶色のものなどがあり、性質せいしつごときもみなそれぞれちがつて、年中ほとんど絶え間なくたまごむことは産むが、産んだ後は少しも世話せぬものがあるかと思へば、また一方にはいくつでも他の産んだ卵を引き受けて温めてばかり居るものもある。こゝに図をかかげたのはわずかその二三にぎぬが、コチン(ロ)、レグホーン(ホ)、チャボ(ニ)、ポーリッシュ(ハ)などをたがいに比べて見ると、其間そのあいだに著しい相違そういがあり、またこれ現今げんこんなおマレイ地方にさんする野生の'鶏'にわとり(イ)に比べるとさらに大きな相違そういがあることがあきらかわかる。しかし、く多くの変種を有するといふ点でもっといちじるしいのは、おそらくヨーロッパで人の飼養しようして居る犬とはととの類であらう。

「第二図 '鶏'の変種」のキャプション付きの図
第二図 '鶏'の変種


一 犬の変種


 我国わがくにでは昔は犬といへばただムク犬の様なものが一種あつただけで、毛色に赤とか白とか黒とかぶちとかの相違そういはあるが、大きさも形状も性質もほとんど同一で、どの犬を見ても一向ちがひが無い様であつたが、近来、大分、西洋種の犬が入つて来たので、多少種類がえ、現今げんこんでは往来おうらいを通つて見ても、種々形状のことなつた犬を見ることが出来る。しか到底とうてい西洋諸国にある様ないちじるしい相違そういのある種々雑多の犬は見られぬ。今その二三の例をげれば、マスチッフは大きさ小牛のごとくで、力くまで強く、悠然ゆうぜんひかへて容易にえず、ラップドッグは大きさほとん小猫こねこ位にぎず、無邪気むじゃきたわむれてまわりて婦人等にあいせられ、トーイテリヤーなどは全く玩弄がんろう物で、これをマスチッフのわきへ持ち行けば、あたかぞうとなりに人が立つて居る位の割合である。また大きな方にはなおアルプス山上の雪深きあたりに道にまようた旅人をすくふため、くびにブランデーと気附きつけ薬とを下げて歩くセント=ベルナード犬、たくみに水中をおよぎてあやうおぼれんとする小児しょうにを助けるニウ=ファウンドランド犬等はいずれも外国の読本に出て居て、だれも知らぬものはなからうが、其他そのほかグレーハウンド(ハ)は全身極めて細く、鼻はせまとがり、四足ともに細長くて走ることがすこぶはやい。独逸ドイツでは此種このしゅの犬を風犬と名づける。ヂヤハウンドもほぼこれと同形である。ブルドッグ(イ)は全身太く短く、四足も太く短く、下顎したあごも短いが、上顎うわあごの方がさらはるかに短いゆえ、鼻は上を向き、きばは常に現れて容貌ようぼう如何いかにも猛悪もうあくに見える。キングチャールス=スパニエル(ニ)は耳が長くれ、全身の毛は長くちじれて、あたか我国わがくにちんごとき美しい犬である。またダックス(ロ)はどうが長く、たけが低く、足がいちじるしく曲り、モップスは身体小なれど、肥満ひまんして容貌ようぼうの何となく滑稽こっけいなるなど、到底とうてい枚挙まいきょするにいとまはない。また猟犬りょうけんの各種類には各特殊とくしゅの性質が備はつて、よくく追ふもの、善く見付けるもの、善くみ付くもの等があつて、セッター、ポインター等の名はみな其種そのしゅ狩猟しゅりょう上の特性から起つたものであることは、世人せじんすでに知れる所なるが、これよりさら不思議ふしぎな性質を有して居るのは、西洋の羊飼ひつじかいれて歩く犬である。此犬このいぬは身体も余り大きからず、耳は短く立ちて、姿すがたは決して立派りっぱでは無いが、たくみに数百頭の羊を警護けいごし、常に羊のむれの周囲を走りまわつて、一疋いっぴきでも群をはなれる羊があつたならば直に其足そのあしんでこれ退しりぞけ、決して散乱さんらんせしめる様なことはない。それゆえ此犬このいぬいて居る羊の群は何時いつ一団いちだんに集まりて進行する。くのごとく形状からいつても、性質からろんじても、西洋で人の飼つて居る犬の各種類の間の相違そういは実にはなはだしいものである。

「第三図 犬の変種」のキャプション付きの図
第三図 犬の変種


二 はとの変種


 はと従来じゅうらい我国でつて居たのはわずかに一種類だけで、いくつ見てもただ羽毛の色が白いとか、黒いとか、小豆色あずきいろまだらがあるとか、碁石ごいしの様な模様もようがあるとかいふくらい相違そういがあるだけで、身体の形状・諸部しょぶ割合わりあいなどは全く同じであるが、イギリス辺で人のつて居るものを見ると、実に千態万状せんたいばんじょうで、其間そのかん相違そういはなはだしいことは実物を見ぬ人には到底とうてい想像そうぞうも出来ぬ程である。
 例へばパウター(ハ)といふ種類では身体もつばさも足も比較ひかく的に長く、体を常にやや直立の位置に置いて、餌嚢えぶくろに空気をみ、むねを球のごとくにふくらせる性質を持つて居る。一体はと普通ふつうのものでも鳩胸はとむねというて胸のところき出して居るものであるが、この種類では其上そのうえ餌嚢えぶくろが非常に大きく発達はったつして居る上へ、空気を吸ひんであたか小児しょうに玩具がんぐの風船球のごとくに円くするから、くちばしほとんど見えぬ位である。またファンテイル(ヘ)といふ種類は、の羽毛を立て、おうぎごとくにこれひろげて歩く。通常日本の飼鳩かいばとなどでは、の羽毛の数はようやく十二本位であるが、この種類ではの羽毛が三十五六本から四十本位もある。これ孔雀くじゃくの様に立てて開き、くびを後へ引込ひっこめて歩くから、頭の後部がの羽毛にれて居るのが常である。べて斯様かような種類はただ人がなぐさみだけにふもので、その特徴とくちょうとする点が発達はったつして居る程、人に珍重ちんちょうせられ、前のパウターならば胸が大きくふくれて居るほど上等で、ファンテイルはが大きく拡がつて居る程、あたいが高い。それゆえはと共進会きょうしんかいで一等賞でも取る様なものは、我々われわれから見るとほとん畸形きけいかと思はれる様な形状をていして居る。またキャリヤー(ホ)といふ種類はくちばしが長くて周囲しゅういには羽毛なく、皮膚ひふへびの目形に裸出らしゅつしてあたかも大きな眼鏡めがねけて居る様に見え、タンブラー(ニ)といふ種類では、頭は円く、くちばしは短くてほとんすずめくちばしごとくである。其他そのほか、図中(ロ)に示したラント種のごときは、体は短くは直立して、はとらしい処はほとんど少しも無い。以上ははとの形の種々ある中で最も異なつた例を五つだけげたのに過ぎぬが、はとには形状ばかりでなく、習性しゅうせいにもいちじるしく相違そういしたものがある。伝書鳩でんしょばとといふ種類は如何いかがなる遠方の土地にれて行つても、これを空中に放せばたちまち一直線に出発地に帰る性質を持つて居る。それゆえ此鳩このはとは諸国の陸軍りくぐんで、戦争せんそうの際、籠城ろうじょうでもした時、通信つうしんの道具として用ゐるために常からこれを飼ひらして居るが、かる性質のはとがあると思ふとまた一方にはかごからび出せば必ずただち角兵衛獅子かくべいじしの様にの方へ廻転かいてんする性質を有するものがある。これは前に名を挙げたタンブラーすなわやくすれば「転倒者てんとうしゃ」といふ種類で、飛び出せば是非ぜひとも廻転かいてんせずには居られぬ具合は、あたかも我国のコマねずみと同様で、一はたて廻転かいてんし一は水平に廻転かいてんするのちがひはあるが、両方ともほとん病的びょうてきといつてよろしいほどである。この種類のはと飛翔ひしょう中に廻転かいてんする度数の多い程、上等としてあるから、人にほめめられる様なはとは飛び出すや否や、ただちにくる/\まわつて、前へ進んで行くことは出来ない。廻転かいてんの度数の多いものでは一分間に四十回も四十五回もまわるさうである。また鳴声もはとの種類によつて大に相異あいことなり、中にも喇叭ラツパはとわらはとなどといふ名前のいて居る種類は、実際その名前の通り、ひとつあたか喇叭ラッパごとき声、ひとつは丸で人の笑ひ声のごとき鳴声を発する。なおこゝに述べた外に、はとの変種はきわめて沢山たくさんあつて、到底とうてい枚挙まいきょつくすことは出来ぬ。ダーウィンは自身も二三の養鳩ようきゅう協会に加入かにゅうして、実際はと飼養しようし、飼鳩かいばとの形状のことなつたものを出来るだけみな集めてこれを調査し、百五十余通りもあることを発見し、これを大別して十一組に分類したが、これを見てもヨーロッパの飼鳩かいばとの変種の極めて多いことがわかる。

「第四図 鳩の変種」のキャプション付きの図
第四図 はとの変種


三 他の動物の変種


 なお其他そのほか、どの家畜かちくを見ても全く変種のないものはほとんど一つも無い。馬なども西洋では種々の形のものがあり、競馬けいば用のものは、たけ高く足細くして、如何いかにも身軽に見え、荷車をかせる馬は身体極めて大にして、足も非常ひじょうに太く、そのひづめける鉄靴てつぐつは我国普通ふつうの馬の二倍以上もある。始めてヨーロッパに行つた人は、先づ市中を通行する荷馬の大なるを見て一驚いっきょうする位である。馬車をかせるための馬、人の乗るための馬なども各々おのおのその用ゐみちおうじて形がちがふが、中にも、シエットランド=ポニーといつて、富家ふうか子供こどもなどの乗る小馬は高さわずかに三尺(注:90cm)に足らず、ほとんど犬より少し大きなだけである。
 飼牛かいうしにも今では中々種類が沢山たくさんあり、角の長いもの、角の短いもの、角のほとんど無いもの、または乳の沢山たくさん出るもの、肉の余計に有るもの、あるいは極めて速く生長するものなどがあり、其用途そのようとも各多少ちがふゆゑ、ゼルシーとか、ショートホーンとか、ホルスタインとか、一種ごと特別とくべつな名をけてこれを区別する。ぶたにも耳の短いもの、耳の長いもの、肉の多いもの、あぶらの多いもの、其他そのほか種々の点で相異なつた種類がいくつもあり、羊のごときは肉のきもの、毛の多きもの、同じく毛の多きものの中にも毛の細きもの、毛のあらきもの、ちじれたもの、びて長きものなど実におびただしい種類の数がある。の有名なエスパニヤさんのメリノ羊などはただ其中そのなかの一種に過ぎぬ。
 我国で従来じゅうらい飼養しようする金魚も中々変種の多い動物で、和金わきんといふ類はどうが長くて割合わりあいに短く、琉金りゅうきんといふ類はどう比較ひかく的に短くてすこぶる長く、はなはだ見事なものである。また東京辺で丸子といふ類は腹が無暗むやみに円く、頭が短くてほとん畸形きけいごとくに見え、先年支那しなから輸入せられて来た眼鏡めがね金魚といふ類はいちじるしく眼球がんきゅう突出つきだして居る。またひれの形にも種々あつて、るものは鮒尾ふなおしょうしてひれたんふなこい等のごとく縦に扁平へんぺいな一枚の板に過ぎぬが、普通ふつうの金魚では尾鰭おひれは二枚にけて左右に拡がつて居る。特にる種類では尾鰭おひれのみならず、臀鰭しりびれといつて腹の後部の下面にあるひれまでが、左右二枚に分れて居て、すこぶにぎやかに見える。
 以上げた所の数例では、変種が何時頃いつごろから生じたかその起源きげんが判然分らぬが、現今げんこん我々われわれ飼養しようして居る動物の中には、比較ひかく的短い時の間に種々の変種を生じたものがいくらもある。此等これらの動物は変種の少しもなかつたころから今日にいたるまでの変化の歴史が、明瞭めいりょうわかつてるのであるから、動植物は代々だいだい多少変化し得るものであるといふことの最著もっともいちじるしい目前の例とつてよろしい。
 たとへば今日多く人にはれて居るカナリヤ鳥のごときは、人が始めてこれ飼養しようしてから、いまだ三百年にはならぬ位であるが、すで随分ずいぶん多くの変種が出来て、白いのもあればまだらのもあり、くびの長いのもあり、毛の逆立さかだつたのもあつて、非常にいちじるしい相違そういが生じた。此処ここげた図の中で、(イ)は野生のカナリヤ、(ニ)は、我邦わがくになどで普通ふつう飼養しようする純黄色じゅんきいろの変種、(ロ)は頭の上に帽子ぼうしごと毛冠もうかんあるもの、(ハ)は体が細くてくびも長い特別とくべつの変種であるが、此等これら沢山たくさんにある変種の中から少数を選み出したに過ぎぬ。

「第五図 カナリヤの変種」のキャプション付きの図
第五図 カナリヤの変種

 其他そのほか七面鳥・モルモットのごときも比較ひかく的近いころより人の飼ひ始めたものであるが、すでに種々の変種が出来て居る。モルモットは元南アメリカのブラジル国のさんであるが、今日ヨーロッパ・日本などで人の飼養しようして居るものは、最早もはやブラジル産の原種とは余程よほどちがつて、其間そのあいだにはあいの子も出来ぬくらいである。またマデイラ島の東北に当るポルト・サントーといふ島のうさぎは、今より五百年ばかり前に、ヨーロッパから輸入したものであるが、今ではヨーロッパ産のうさぎとは全くちがつて、動物学者によつてはこれ特別とくべつの一種と見做みなす人もある位である。前に例に挙げたタンブラーと名づけるはとの一変種なども、確に一変種と人がみとめるにいたつたのはわずかに今より四百年ばかり前のことである。
 カナリヤの変種でもポルト・サントーのうさぎでも、比較ひかく的短い期限きげん内に変化したのではあるが、一代々々いちだいいちだいの間に目にれぬ程の少しづゝの変化をなし、これが重なりつもつてついあきらかな変種となつたのであるから、何時いつの間に変化したやら解らぬが、斯様かようなものの外、る時、突然とつぜん、親と形状・性質のいちじるしくことなつた子が生まれ、それがもととなつて一変種の出来ることも往々ある。この種類の例で、世に知られて居るものは決して少くないが、最も有名なもの一つ二つだけを挙げて見るに、千七百九十一年に米国のセス・ライトといふ農夫のうふの所有して居た多くの羊の中、一疋いっぴき、形の異なつた子を産んだものがあつた。この子羊はどうが長くて足が短く、一見他の子羊とは大に体形がちがつたが、これから出来た子孫しそんみな此羊このひつじの性質を受けいで、どうが長く、足が短くて、あきらかに他の羊群ようぐんとは異なつた一変種を成した。また南米パラグヮイ国の「角なし牛」といふ牛の一変種は千七百七十年に突然とつぜん生れた角なし牡牛おうしの子孫である。
 くのごと我々われわれ飼養しようする動物には突然とつぜん変種を生じたものもあれば、また知らぬ間に漸々だんだん変種の出来たものもあるが、兎に角とにかくいくらかの変種をふくまぬものは、今日の所、ほとんど一種もない有様で、此後こののちなお何程の変種が出来るかわからぬといふことは、以上げた数個の例だけによつてもあきらかに解る。

四 植物の変種


 次に植物しょくぶつ如何いかがと考へるに、植物の方も全く其通そのとおりで、麦でも、大根でも、うりでも、林檎りんごでも、およ我々われわれ培養ばいようする草木そうもくには一種として多少ちがつた形をふくまぬものはない。まだ農業の進歩しない半開国では、麦でも大根でも各々おのおの一種よりないが、農業のよく開けた文明国では同じ麦、同じ大根といふ中にも種類があること、あたかはと'鶏'にわとりと同様である。今二三の例を挙げて見るに、大根にも細根というて極めて細長いものがあり、宮重みやしげ練馬ねりまなどのごとき太いものがあり、の有名な桜島さくらじまの大根は太く円くて、周囲しゅういが二尺(注:60cm)以上にもなる。く大きなものがあると思ふと、また二十日はつか大根といふ種類には、深紅色しんくいろ金柑きんかん程な奇麗きれいなものがある。通常西洋料理でなまけるのはこれである。西洋にはラヂ=ノワールすなわち黒大根といつて、黒色をびたものまである。人参にんじんでも大阪おおさか辺のは金時人参きんときにんじんといつて、真の紅色くれないいろで先まで太いが、東京辺の人参はほとんど黄色で長い円錐形えんすいけいである。西洋ではうりの種類、林檎りんごの種類、なしの種類、イチゴの種類などは実におどろくべきほど沢山たくさんあるが、我国ではまだその程度まで培養ばいよう法が発達して居ないから、八百屋の店を見ても大抵たいてい林檎りんごも一種、なしも一種より無い。蜜柑みかんなどには雲州うんしゅう(注:島根県東部)・紀州きしゅう(注:和歌山県、三重県南部)など多少いちじるしく相違そういしたものがあるが、しかし最も変化の多い植物といへば、我国わがくにでは先づ植木屋の作る草花の類で、其中そのなかでもとくきくの類、朝顔の類等であらう。園芸の書物を開いて見ると、きくの変種は実におびただしいもので、五厘ごりん銅貨位(注:1.878cm)の小菊こぎくから直径ちょっけい七八寸(注:21cmから24cm)の大輪たいりんまで、色も白・黄・赤の間ならば、ほとんのぞみ通りにあつて、べんの細いもの、広いもの、下へるもの、上へくもの、両面同色のもの、上下色をにするものなど到底とうてい枚挙まいきょすることは出来ぬ程であるが、これに各「竜田川たつたがわ」とか「蜀江しょっこうにしき」とかいふ美しい名がけて区別してある。また朝顔あさがおの方は花の色や形のみならず、葉のれ方、ちじみ具合などまで変化の多いことまことおどろくべき程で、普通ふつうの白・赤・青等の外に小豆色あずきいろもあり、黄色もあり、ふちだけ白いのもあり、五弁に分れたもの、五弁ごべんことごとく細くてほとんど朝顔とは見えぬもの、また一方では八重咲やえざき牡丹ぼたんたものなど、これ到底とうていその種類を数へげることは出来ぬ。

「第六図 朝顔の変種」のキャプション付きの図
第六図 朝顔あさがおの変種

 此等これらの変種の中にはわずかか五十年か百年前位から始めて生じたものも少くない。小豆色あずきいろの朝顔なども昔は決して無かつたさうである。短い時期の間にいちじるしい変種の出来た例は動物よりははるかに植物の方に多くあるが、これは総べて草花や野菜やさいの類は多くは一年生で、家畜かちくなどに比べると代の重なることがすこぶる速いから、一代ごとに少しづゝの変化が起つても、たちまこれつもり重なつて、いちじるしい相違そういを生ずるゆえであらう。されば生物は如何いかに変化し得るものであるかを実物にいて確に経験したいと思ふ人は、二三年朝顔でも造つて見るがよろしい。種子しゅし次第、世話次第で如何いかが様のものでも出来る具合を見て、その変化の著しいのにおどろかざるをぬであらう。実は植物に斯様かような変化の性質があるゆえ、植木屋の商売も出来るのである。

五 何故なぜ変種を合して一種とみとめるか


 以上述べた通り、我々われわれ飼養しようするものは動物でも植物でも一種として変種のないものはない。しこうしてその変種間の相違そういはるかに野生の二種の動物あるいは植物間にけるよりもいちじるしいものがある。前に例に挙げたパウターといふむねふくらすはとと、ファンテイルといふひろげるはととの相違そういあるいは小豆色牡丹咲ぼたんざきの朝顔と黄色の朝顔との相違そういは確にツグミとシロハラとの相違そういあるいは茶と山茶花さざんかとの相違そういよりははなはだしい。此等これらの動物・植物が何処どこかの山中に自生して居たならば、我々われわれは決してこれもって各々同一種中にふくまれる二変種と見做みなすことなく、かならみな別々の種類とみとめるにちがひない。ためしに大根といふものを全く見たことのない人がアフリカの真中で細根と宮重みやしげとを発見したとり定めて見るに、かれは決してねずみごとき細根大根も角力取すもうとりうでの様な宮重大根も同一種に属するものであるとの考を起す気遣きづかひはない。ただちこれもって二種の全く相異あいことなつた種類と見做みなすであらう。しからば我々われわれ何故なぜ今日し野生であつたならば必ず二種とするに相違そういない程にあきらかに形状の異なつたものを常に同一種に属する二変種とみとめて居るのであるか。我々われわれが細根大根も宮重大根も、植物学上、大根と名づける一種の中に入れてただその変種と見做みなすのは、全く昔は細根とか宮重みやしげとかいふ区別はなく、ただ単に大根といふ一種一通りだけより無かつたのが、人が長く培養ばいようして居る中に、細根も出来、宮重も出来たことを我々われわれが知つて居るからである。またパウターもファンテイルも動物学上カワラバトと名づける一種の中に入れて、ただその変種と見做みなすのは全く研究の結果パウターもファンテイルも同一の先祖せんぞすなわち今日野生して居るカワラバトの先祖より生じた子孫で、初めはパウター、ファンテイル等の区別くべつもなかつたのが、長い間人にはれて居る中に漸漸だんだんく形状のことなつたものが出来たのであることを我々われわれが信じて居るからである。これと同様で、朝顔ならば如何いかが様な形状を持つたものでもみな野生の「朝顔」といふ一種の蔓草つるくさから変化して出来たものであり、'鶏'にわとりならば如何いかが様な変種でもみな今日印度インド地方に生存せいぞんする野生の「'鶏'にわとり」といふ一種の鳥から変化して出来たものである。羊でも、ぶたでも、小麦でも、人参にんじんでも、みな昔はただ野生の一種であつたのを人間が長い間飼養しよう培養ばいようしたので今日見るごとき種々の形のものが出来たのである。くのごと我々われわれ飼養しよう動植物の素性すじょうを知り、今こそ種々に形状・性質がちがつては居るが、その先祖は各々一種であつたことをおぼえて居るゆえこれを一種と見做みなし、其中そのなかで形状の異なつたものを区別するために各々に特別とくべつ名称めいしょうけて、これを変種として置くに過ぎぬ。まる所、我我の飼養しよう培養ばいようする動植物は一種ごとに多くの異なつた形状のものをふくむが、此等これらみな同一の先祖よりくだつた子孫しそんで、ただ人にやしなはれたために今日見るごとき種々の形のものが出来たのであるといふことが、動植物学上あきらかわかつて居るゆえこれを集めて一種と見做みなすのである。一代々々の間の変化、すなわち親と子との間、子とまごとの間の相違そういほとんど目に見えぬ程であつても「ちりも積れば山」といふことわざの通り、多くの代を重ねる間には動物・植物ともいちじるしく変化し得るものであることは、此等これら飼養しよう動植物の例を見れば、実に明白な、すこしうたがふことの出来ぬ事実である。 此事このことだけは流石さすがに昔の生物種属不変の説をとなへた人々にも知れて居たから、彼等かれら飼養しよう動植物は神が態々わざわざ人間のために造つたものであるから、これ特別とくべつである。此類このるいだけは人間の自由に変化せしめ得るものであると論じて、これを例外とした。しかこれもとより少しも根拠こんきょの無い説である。何故なぜといふに今日人の飼養しようして居る動植物はいずれも昔は一度野生のものであつて、中には比較的ひかくてき近いころ初めて人に養はれたものも少くない。歴史の出来た以後に人の飼養しようし始めた動植物を数へると、随分ずいぶん沢山たくさんあるが、みな相当に多くの変種がすでに出来て居る。野生動物といひ飼養しよう動物といふも、畢竟ひっきょう人間がこれを飼ひ始めるか飼はずにすてて置くかによつて定まる相違そういで、素より根本からこれは野生動物、これ飼養しよう動物と判然した区別があるわけではない。ししとらの様な猛獣もうじゅうでさへ、養へばれて芸をする位であるから、何様どのような動物でも飼つて飼へぬことはあるまい。して見ると人間の飼ふために神が特別とくべつに造つた動物だけは代々多少変化するが其他そのほかの動物は決して変化しないものであるといふろんは、少しもり所のないものとみとめねばならぬ。植物にいても全くこれと同様である。
 以上のごとき説は今日より見れば実に取るに足らぬ説で、改めて弁駁べんばくするにおよばぬものであるが、生物種属不変の説を主張しゅちょうした人等でさへ人間の飼養しようする動植物だけは例外れいがいとしたのを見ても、如何いか飼養しよう動植物の変化が顕著けんちょであるかが解る。飼養しよう動植物には一種ごと大抵たいてい多くの変種のあることは此章このしょうおいて述べた通りであるが、いずれの場合でも変種といふものは決して初めより変種として存在そんざいしたものではなく、人間が飼養しようし始めてから次第々々に変化して生じたものである。此一事このひとことだけから考へても動植物の形質は決して万世不変のものでないことがたしかである。


第四章 人為じんい淘汰とうた


 さて人間が飼養しようし来つた動植物は如何いかがなる理由により如何いかがなる方法にしたがつて、各種ごとく数多の異なつた変種を生ずるにいたつたかといふに、その理由・原因げんいんは決して一通りにかぎつたわけでなく、種々の事情があずかつて力ある様に思はれる。同一の植物に生じた種子でもこれこうおつへいてい等の相へだたつた国々に持つて行つてけばこれより生ずる植物の間に多少の相違そういの起ることは決してめずらしくない。なお三代・四代と時のるにしたがつてその相違そういいちじるしくなり、全くことなつた植物かと思はれるまでに変化するものも往々ある。此等これらみな地味・土質の相違そうい、風雨・乾湿かんしつの多少、温度の関係等より起る自然の変化で、別に人間の力が加はつて居るわけではない。の秋田の大蕗おおふきの種も、東京へ持つて来て植ゑては到底とうてい葉が斯様かように大きくはならず、桜島の大根の種も京都・大阪おおさかに移しては決して半分の太さにも達せぬは此類このるいであらう。しかし、西洋諸国せいようしょこくで見るごといちじるしい変種は決してたんに風土の異なるにしたがつて出来たものばかりではない。例へばパウター、ファンテイルのごとはと、グレイハウンド、ブルドッグのごとき犬は到底とうてい単に気候や食物の関係から生じた変種とは思へぬ。此等これらは天然自然に起る変化の外に特別とくべつ原因げんいんがあつて終に今日のごとき著しい姿すがたていするに至つたのである。

一 淘汰とうたの方法


 斯様かよういちじるしい変種は如何いかにして生じたかといふに、これは全く人間の世話によつて出来たものであるが、その方法は今日も現在飼養しよう者が常に行つて居る所で、別に不思議な法ではない。ただ多くある個体の中から飼養しよう者の理想に最も近い性質をびたものを選み出し、これ繁殖はんしょくの目的に用ゐ、の生んだ子の中からまた飼養しよう者の理想に最も近い性質を帯びたものを選み出してこれ繁殖はんしょくせしめ、代々だいだい同じことをり返すに過ぎぬ。例へば極めて耳の長いうさぎを造つて一儲ひともうけしやうと思ふ人は、沢山たくさんあるうさぎの中から最も耳の長さうなものを選み出し、物指しをもっ丁寧ていねいに耳の長さを測り、一番耳の長いめすに一番耳の長いおすけて子を生ませ、その生れた子の中からまた一番耳の長いものを選り出してこれに子を生ませる。く代々一番耳の長いものを選み出してこれ繁殖はんしょくの目的に用ゐる様にすると、一代ごとに少しづゝ耳の長い子が出来て、一代毎に少しづゝ飼養しよう者の理想に近づいて来る。今日見るごとき種々の動植物の著しい変種はみな斯様かように代々飼養しよう者が繁殖はんしょくの用に供すべきものを選択せんたくした結果であるが、これは人間の料簡りょうけんで行ふ淘汰とうたであるから人為じんい淘汰とうたと名づける。我々われわれ飼養しようする動植物の次第々々に改良せられて行くのは主として人為じんい淘汰とうたの結果である。
 人為じんい淘汰とうたを行ふに当つて、飼養しよう者がただ一人よりなく、その一人がただ一種だけの理想を標準として淘汰とうたすれば、飼養しようせられる動物あるいは植物はただ一方へ向つて変化するばかりであるが、し初めから数人の飼養しよう者が数種の理想を有し、彼処あそこではこうの標準により、此処ここではおつの標準によつて淘汰とうたするといふ様に、別々に淘汰とうたして行けば、その動植物は各々異なつた方向へ向つて変化し、次第々々に相遠ざかり、初め同一種のものも終には全く相異なつた数多の変種に分れて仕舞しまふ。人の飼養しようする動植物に一種ごとに今日のごとく多くの変種の生じたのは、主として此様このような具合に人為じんい淘汰とうたを行ひ来つた結果である。
 前にはただ人為じんい淘汰とうたの方法を示すために便宜上べんぎじょううさぎを例に取つたが、これは我国でもうさぎの流行する時には実際物指ものさしで耳の長さを測り、先に述べた通りのことを行ふゆえ、単に最も手近な例としてこれを選んだに過ぎぬ。人為じんい淘汰とうたの結果を示すためならば、うさぎは決して適当な例ではない。これにはむしろ西洋諸国にある様ないちじるしい動植物の変種を挙げるが適切である。元来我国のうさぎただ一種の玩弄がんろう物で実際には何の役にも立たず、かつ流行するときは一疋いっぴき五十円も百円もするものが、一旦いったん流行せなくなれば五十銭でも買人がなくなる位で、これを飼ふものも一時の投機事業と心得て、流行する間は極めて厳重げんじゅう淘汰とうたを行ふが、流行が止めば全くててかえりみない。それゆえ、長い間、人に飼はれたにもかかわらず、人為じんい淘汰とうたの結果が目立つ程には積らず、今日の飼兎かいうさぎも百年前の飼兎かいうさぎほぼ少しもちがはぬ。これに反して西洋諸国しょこくの農業の発達したところでは、何に対しても絶えず人為じんい淘汰とうたを十分に行ひ、改良の上にも改良を加へる様に尽力じんりょくしたので、その結果として、前章にげたごとき、ほとんど注文に応じて特別とくべつに造つたかと思はれる様ないちじるしい変種を生ぜしめるに至つた。斯様かような変種を列べてある共進会などに行き、目の前にこれを見ると、実に淘汰とうたの力はくまでに大きなものかとおどろかずには居られぬ。
 くのごとく、人為じんい淘汰とうたによりて動植物を人間の随意ずいいに変化せしめることの出来るのは何故なぜであるかと考へるに、これには三つの条件が備はつてあるからである。三つの条件とは、(第一)、親の性質は子に伝はること、(第二)、同一対の親より生れた子の間にも必ず多少の相違そういあること、(第三)、生れる子の数は比較ひかく的多くして、其中そのなかよりるものを選み出すべき余裕よゆうあることであるが、これだけの条件が残らず備はつてあるゆえ淘汰とうたも出来、淘汰とうたの結果も現れるのである。

二 遺伝性いでんせいのこと


 親の性質が子に遺伝いでんすることは我々われわれの日々見聞けんぶんする所で、改めて証明するにおよばぬ事実である。人間の子はただ人間であるといふのみならず、必ず其親そのおやなる特別とくべつの個人にごとく、他の動物でもみな其通そのとおりで、うさぎの子はうさぎ全体に通ずる性質を帯びて居る外、その親兎おやうさぎ特殊とくしゅな性質をも持つて生れる。動植物ともにこの遺伝といふ性質があるゆえ人為じんい淘汰とうたによつてこれを種々に変化せしめることが出来るので、し遺伝といふ現象が無く、親の特殊とくしゅの性質は子に伝はらぬと定つて居たならば、人為じんい淘汰とうた無論むろん何の役にも立たぬ。うさぎを飼ふ人がほねつて耳の最も長いうさぎを選み出してこれ繁殖はんしょく用に使ふのは、ただ耳の長い親兎おやうさぎからは矢張やはり耳の長い子兎こうさぎが生れることを、経験けいけん上、信じて居るからである。
 く親の性質が子に遺伝いでんすることは当然のこととして、常にはだれほとんこれ念頭ねんとうに置かぬほどであるが、親に何か特別とくべつな変つた点のあるときには遺伝いでんの現象がいちじるしく人の目にれる。其中そのなかで最もあきらかなのは手足に指が六本あるごと畸形きけいの場合であらう。一二の例を挙げて見るに、今より百六十年程前にエスパニヤのる処に突然とつぜん左右の手足ともに六本づゝ指のある男の子が生れ、此男このおとこが始まりとなつて、それより三代の間に一家一門の中にほとんど四十人ばかりも六本指の人が出来たことがある。し六本指の男が必ず六本指の女と結婚けっこんして代々続けば、あるいは六本指の性質が固定して六本指の人種が出来るかも知れぬが、男でも女でもみな五本の指を持つて居る普通ふつうの男女と結婚けっこんするゆえ、一代ごとこの性質はいちじるしくうすくなり、三四代の後には全く消えて仕舞しまふ。またイタリヤのる町で、同じく六本指の男が普通ふつうの女と結婚けっこんし、其間そのあいだに出来た数人の子どもがみな六本指でただ最後の一人だけ五本指であつたので、父なる男は此子このこを自分の子と承認しょうにんするをほっせなかつたといふ話もある。其他そのほか病気の遺伝することも人の常にみとめる所で、特に精神病などになると、医者が極めて厳重げんじゅう其系図そのけいず穿鑿せんさくする。
 しかし、親の性質が残らず子に遺伝するものでないことも、我々われわれく知つて居る事実である。人間の例を取つても、鼻の高い人に鼻の低い子の出来ることもあり、えた人にせた子の出来ることもある。けれども鼻は親にないが眼付きが親の通りであるとか、親よりはせて居るが歩き具合が其儘そのままであるとか、必ず何か親の性質の伝はらぬことはない。また生れた子の性質の中で、ある点は父より伝はり、る点は母より伝はるが、何の性質は必ず父より伝はるとか、また必ず母より伝はるとかいふ定まりは少しも無い様で、例へば眼付きは父に似、口元は母に似た子もあれば、これと正反対で母の眼付と父の口元とを備へた子もある。くのごと遺伝いでんといふ現象のあることは、目前の事実で、だれうたがふことは出来ぬが、さて親の性質の中で、如何いかがなる点だけが子に遺伝し、如何いかがなる点は遺伝せぬか、また如何いかがなる性質は父から伝はり、如何いかがなる性質は母から伝はるかといふ様に、その詳細しょうさいなる法則を考へると、これに関する我々われわれの現在の知識は実に皆無かいむといつてもよろしい。
 其他そのほかる性質は親から男の子ばかりに伝はつて、女の子には丸で伝はらぬことがある。またその反対の場合もある。千七百十七年に英国ロンドンに生れたランベルドといふ男は奇態きたい皮膚ひふ病で、身体の全面から短いとげが生えて居たので、「山荒やまあらし男」といふ綽号あだなけられて、有名なものであつたが、この性質は男の子や、男のまごには伝はつたが、むすめ孫娘まごむすめには全く現れなかつた。また親の性質が子の代には現れずに、孫の代に至つて現れる場合もいくらもある。牡牛おうし無論むろん乳を生ぜぬものであるが、ちちの善く出る牛の生んだ牡牛おうしから出来た牝牛めうし祖母そぼに似て沢山たくさんに乳を出すことは、牧畜ぼくちく家の常に知る通りであるが、それと同様に牝羊めひつじには素より角の生えることはないが、特別とくべつの形した角を持つた牡羊おひつじから出来た牝羊めひつじの生んだ牡羊おひつじ祖父そふの通りの角が生えた例もある。斯様かような場合に乳を多く出す性質あるい特別とくべつの形した角を生ずる性質は、如何いかにして牡牛おうしあるい牝羊めひつじの身体の内に一生涯いっしょうがいかくれてそんし、その子の代にいたつて初めて現れるかといふ様に、広く遺伝いでんに関する事実を集め、その理由・法則等を考へて見ると、ほとんわからぬことばかりである。我々われわれの今日の知識の程度ていどでは、遺伝の現象は到底とうてい明瞭めいりょう理解りかいすることは出来ぬ。
 この困難こんなん遺伝いでんの現象を説明せんがために、ダーウィン以後に多数の学者が種々の仮説を考へ出した。そのおもなものだけでも七つ八つもあるが、いずれも十分な土台の無い架空かくうろんで、到底とうてい一般いっぱんの学者を満足せしめ得るほどのものではない。それゆえ此等これらの説は一括いっかつして遺伝説と名づけ、当分の内は真の進化論とは区別して置くがよろしい。元来遺伝の現象は生物進化の一元素であるから、無論これ密接みっせつな関係があるに相違そういないが、ダーウィンの自然淘汰とうたの説では、ただ遺伝の事実なることをみとめさへすれば、生物進化の大体は説明が出来て、あえへて遺伝の原因・法則等がくわしく解るまで待つにおよばぬから、本書においては近来の遺伝説を一々丁寧ていねいに述べる必要は少しも無い。

三 変化性のこと


 こゝに変化といふのは、一疋いっぴきの動物、一本の植物の一生涯いっしょうがいの間に起る変化を指すのではない。一代と次の代との間に生ずる変化、同一の親より生れた子同士の間に現れる相違そういをいふのである。此事このことを短く言ひ現すに、適当な語が無いから、よんどころなく仮に変化と名づけて置くが、これ人為じんい淘汰とうたの出来る第二の条件である。
 生物一般いっぱんに変化といふ現象のあることも、我々われわれの日々実際に見聞することで、また改めて証明するにおよばぬ事実である。人間を例に取つても同一対の父母から生れた兄弟姉妹でも、二人としてべての点において全く相同じきものは決してない。何処どこかに必ずいくらかの相違そういがあるが、この多少相異なつた兄弟等から生れた従兄弟いとこみな多少たがい相違そういし、その子孫は尚更なおさらことごとく多少相違そういして居て、我国四千余万の人間の中で並べて置いたらだれ間違まちがへる程に相似たものは滅多めったに無い。他の動物でも全くこれと同様で、犬でもねこでも同一の親から生れた子がみなたがいに多少づゝはちがつて、決して二疋にひき全く同一なものはない。しかし、我々われわれは犬やねこに対しては人間同士ほどに関係が深くないから、十分注意して一疋いっぴきづゝを見分ける必要もなく、したがつて一疋いっぴき毎の特徴とくちょうに気がかぬから、往々どの犬を見ても、どのねこを見ても、全く同じ様に見えることがある。これあたかも西洋人を初めて見るときは、どの人も同じ様な顔に見えて、一向に区別が付かぬのと同様であらう。れさへすれば、一人々々の相違そういあきらかになり、親密しんみつ交際こうさいする様になれば、いくて居る人でも決して間違まちがへる気遣きづかひはない。
 '鶏'にわとりでも、はとでも、馬でも、牛でも、丁寧ていねいに調べて見さへすれば、一対の親から生まれた子の中にも必ず変化のあることはただちに解るが、さて動植物は如何いかがなる理由により、如何いかがなる法則にしたがつて変化するものかと細かく考へると、これは前の遺伝と同様、はなは困難こんなんで、現時の我々われわれの知識では中中了解りょうかいの出来ぬことが多い。通常は親の性質を中心とし、あるいこれより過ぎたり、あるいこれおよばなかつたりして、多少の変化を生ずるに過ぎぬが、時とすると、突然とつぜん親には似ずして、かえつて数代前の先祖にた子の生れることもあれば、また時としては親にも先祖にも似ない全く新しい性質を持つた子が不意に生れることもあつて、如何いかがなる変化が起るかは中々前から正しく予知することは出来ぬ。しかし、平均して言へば、親にない子の生れるのはまれな例外で、百中九十九までは親の性質を全く受けぎながら、ただ範囲はんい内で多少変化するだけである。前のうさぎの例を取つて言へば、仮に親兎おやうさぎの耳の長さが四寸よんすん(注:12cm)であつたとすれば、子兎こうさぎの生長した後の耳の長さはあるいは全く親と同じく四寸(注:12cm)のものもあり、あるいは親よりは少し短くてわずか三寸九分さんずんきゅぶ(注:11.7cm)位のものもあり、あるいは親よりは少し長くて四寸一分よんすんいちぶ(注:12.3cm)位のものもある。其中そのなかから耳の長さの四寸一分あるものを選み出し、これに子を生ませれば、其子そのこの中には親と同じく耳の長さが四寸一分のものもあり、また親より短くて四寸か三寸九分位のものもあり、また親よりすぐれて四寸二分(注:12.6cm)位のものも出来る。植物でも理窟りくつこれと同じである。総べて動植物の子が大体においては親にながら、矢張やはり多少親とちがふ有様は、これを外の物にたとへて言へば、あたかも矢でまとるのと同様である。的をねらつて沢山たくさんの矢をはなつても其中そのなかで的の真中に当るものは滅多めったに無く、大概たいがいは的の真中よりは少し上とか、少し下とか、または少し左とか少し右とかへつて、的を外れる、しかもとより的をねらつて射るのであるから、所謂いわゆるあたらずといえども遠からずで、無暗むやみに遠方へ外づれることは無く、いずれも的の近辺へ集まるものである。動植物の生む子もこれと同じく、みな必ずる度までは親に似て居るが、親と寸分すんぶんちがはぬといふものはきわめてまれであつて、多くは親ともたがいとも少しづゝ相異あいことなつて居る。これだけは、我々われわれの日々見聞する事実から帰納きのうして確に断言だんげんの出来ることである。
 以上は普通ふつうの場合であるが、前章で例に挙げたセス・ライトの足の短い羊や、前節で述べた六本指の人間などの様に突然とつぜん親とも兄弟とも全くちがつた性質を帯びた子の生れることが往々あるが、此等これら如何いかがなる具合で生ずるものやら全く理窟りくつわからず、また何時いつ生ずるものやらすこしも予知することも出来ぬ。前の的をたとえに比べると、あたかむれはなれて遠く外れた矢のごときものであるが、かる突飛とっぴな変化は普通ふつうの変化とは根本的に性質のちがふものかまたは単に程度の相違そういだけであるかといふ問題に対しては、当時の学者の考も様々さまざまで、中には斯様かよう突然とつぜんな変化だけが生物種属の進化の原因げんいんとなるものであるとろんじてる人もある。まる所、生物が変化するといふ事実はだれみとめざるを得ぬが、その理由・法則にいたつては未だ中々わからぬ有様である。
 しかし、解らぬ事ほど何とか我流がりゅうに説明して見たいのが人情にんじょうで、今日までに変化の現象を説明しやうとこころみた仮説はいくつとなく考へ出された。実にダーウィン以後の進化論は理論的の方面はほとん遺伝いでんと変化とに関する仮説ばかりとつてよろしいほどである。けれども此章このしょうろんずる人為じんい淘汰とうたも後の章に述べる自然淘汰しぜんとうたただ生物に変化といふせいがありさへすれば必ず出来ることで、その原因や法則が十分に解らなくても説明上はなはだしく差支さしつかへぬから、変化の現象にいての種々の仮説を一々こゝに紹介しょうかいするにはおよばぬ。今日沢山たくさんにある仮説の中でだれのが正しくてもだれのがあやまりでも進化論しんかろん骨髄こつずいたる生物進化の事実には少しも関係をおよぼすことはない。

四 選択せんたくのこと


 およそ物を選択せんたくするといふ以上は、多数の相異なつたものの中からるものを選択せんたくするにきわまつて居る。何故なぜといふに、全く同じものばかりならば、数はいくら多く有つてもあれこれとの間に少しも相違そういがないから、いずれをえらむといふことも出来ず、また数が少くて五個あるものの中から四個を選み出し、十個の中から九個を選むといふ様では、いきおひ不合格のものまで採用せざるを得ぬから、十分の選択せんたくは出来ない。
 我々われわれ飼養しようする動植物にいて考へて見るに、一対の動物が一生涯いっしょうがいわずか二疋にひきだけより子を生まぬものも決して無く、一本の植物で一生涯いっしょうがいただ一個より種子を生ぜぬものも決して無い。みな必ず親のあとぐに足るだけの数よりは数倍・数十倍あるいは数百倍・数千倍も多くの子を生ずる。例へば一粒ひとつぶいた麦の種子しゅしから数百つぶの種子が出来、一対の蚕のから数百つぶの卵が生まれる。牛馬のごとき大きなけもの類は繁殖はんしょくの最もおそいものであるが、これでも一対の牝牡ひんぼからは一生涯いっしょうがいの間には十疋じゅっぴき以上の子が生まれる。しこうしてく多数に生まれる子が変化性によつてみな多少相異あいことなつて居るゆえ飼養しよう者は此中このなかより自分の理想にもっとも近い性質を帯びたものを十分に選み出すことが出来るのである。
 うさぎの例は前に挙げたが、くのごとる一定の標準に従つて一代ごとに最もすぐれたものを丁寧ていねい選択せんたくし、他のものはべて繁殖はんしょくせしめず、ただ当選したものだけに子を生ませて、益々ますまする一定の性質の発達をはかることは素よりうさぎかぎることでなく、今日農業の開けた国では何処どこでもさかんおこなつて居ることで、此法このほう厳重げんじゅうに行ふ処ほど比較的ひかくてき短い時期の間に立派りっぱな変種が出来る。馬・牛・羊などは何処どこでも特に選択せんたく厳重げんじゅうにするものであるが、各々おのおのその目的にしたがひ標準を立て、競馬けいば用の馬ならば、足の最もすみやかなものをえらみ、荷馬ならば最も力の強いものを選み、肉を食ふための牛ならば最も肉の多くて生長の速なものを選み、また乳牛にゅうぎゅうならば最も多量にちちの出る牝牛めうしあるいその牝牛めうしを生んだ親の牡牛おうしあるいその牝牛めうしから生まれた子の牡牛おうしを選んで、繁殖はんしょくの用にきょうする。羊にも毛を取るためのもの、肉を食ふためのもの、両用のものなどあるが、毛を取るための羊では選択せんたくが極めて厳重げんじゅうで、先づ多くある羊の中から最も毛のかりさうなものを沢山たくさんに選み出し、其中そのなかから二疋にひきだけを引き出して、選択せんたく用として特別とくべつもうけた台の上にならび立たせ、丁寧ていねいに毛を比較ひかくし調べて見て、毛のすぐれる方を台の上へ残し、毛のおとれる方を台より下して、其代そのかわりに次の一疋いっぴきせて、再び調べ、優れる方を残し、おとれる方を退けて順々に有りだけの羊をみな比較ひかくし、べての中で真に第一等の毛を有するものを選み出して、これに子を生ませる。羊の毛の最も上等なものを二つ並べて其間そのかんわずか優劣ゆうれつり別けるのは中々の熟練じゅくれんの入ることで、普通ふつうの人には到底とうてい出来ぬが、そのため牧羊ぼくようの盛な土地には羊毛の鑑定かんてい職業しょくぎょうとし、種羊たねひつじ選択せんたくさいに相当な報酬ほうしゅうを取つて方々へやとはれて行く人々がある。今日世界に有名なメリノ羊などは全くかる厳重な淘汰とうたを長い間励行れいこうした結果である。
 我々われわれは前にもべたごと遺伝いでんの理由・法則は一向くわしく知らぬが、親の性質が余程まで子に伝はることは毎日実際に見る所で、少しも疑ふべからざる事実である。また我々われわれは変化の理由・法則は一向くわしく知らぬが、同一の親より生まれた子がみな多少たがい相異そういなることは毎日実際に見る所で、これまた少しもうたがふことの出来ぬ事実である。この二通りの事実があつて、其上そのうえ、子の生まれる数は親の数に比してすこぶる多いことも事実であるから、ただ一代ごとこれ淘汰とうたする人さへあれば、その結果として必ず動植物ともに漸々だんだん形状・性質が変化し、かつ種々の変種が生ずべきはずである。単に理論りろんから言つてもくの通りであるが、現に今日西洋諸国せいようしょこくで見るごと飼養しよう動植物のいちじるしい変種は実際みな此方法このほうほうによつて出来たものである。
 人為じんい淘汰とうたの働き方をなお一層明瞭めいりょうに理解するためには、前にげた矢で的をたとえに比べて考へて見るがよろしい。的をねらつて矢をはなつことは生物の方で言へば、あたかも遺伝性の働きにすべきもので、その放つた矢がほとんことごとく的の中心よりは何方かへ外づれることは、あたかも変化性の働きに匹敵ひってきする。また一回に放つ矢の数は一対の親から生まれる子の数と見てよろしからう。そこで、先づところに的をけ、これねらつて二十本なり三十本なり矢を放ち、次に矢の当つたあなの中で最も右へつたものの処に的をけ直し、さらこれねらつて二十本なり三十本なりの矢を放ち、また其矢そのやの当つたあなの中で最も右へ寄つたものの処にまとを移し、数回あるいは数十回も同様なことをり返すと仮定したらば、その結果は如何いかに、的は必ず毎回多少右の方へ移り、ついには最初在つた処とは余程よほど右の方へ遠ざかつた処に来るにちがひない。人為じんい淘汰とうたによつて動植物の変化する有様は簡単に言へば、ほぼごとき具合である。
 しかし、一代ごとに動植物を規則正しく淘汰とうたして最も優等ゆうとうなものだけを繁殖はんしょく用とすることは、飼養しよう者の貧富ひんぷ等の事情によつて出来る場合もあり、また出来ぬ場合もある。英国のごとく大地主が数百乃至ないし数千の家畜かちくを養つて居る処では代々十分の淘汰とうたも出来て、比較ひかく的短い時の間に随分ずいぶん立派りっぱな種類も生ずるが、貧乏びんぼう人が一軒いっけんごと一二疋いちにひきづゝを飼つて居る処では、到底とうてい其様そのよう真似まねは出来ず、したがつて何年過ぎても余り進歩する見込みこみはない。現に驢馬ろばごときは西洋諸国で昔から人のつて居るけものであるが、多くは貧乏びんぼう百姓ひゃくしょうなどの飼ふものゆえ、今日といえどいまだ一向に立派りっぱな変種も出来ない。また馬でも牛でも立派な変種のあるのはみな政府あるいは個人で広い場所に多数を飼養しようし、学理にしたがつて常に丁寧ていねい淘汰とうたを行ふ国だけである。我国などに昔から馬も牛も犬もはとみなただ一種類だけより無かつたのは今まで余り人為じんい淘汰とうたの行はれなかつた結果であらう。我国では今日といえども総べての家畜かちく類にはなはだしい変種がないゆえ人為じんい淘汰とうたのこともただ話に聞くだけで余り深くは感じないが、西洋では何の類にもいちじるしい変種が多いから、人為じんい淘汰とうたの効力を特に深く感ずる。しこうして此点このてんで最も進歩した国は英国であることを考へると、英国えいこく人なるダーウィンが人為じんい淘汰とうたのことから野生動植物のことに考へおよぼし、自然淘汰とうたことわりに考へ当つたのは、決して偶然ぐうぜんとは言はれぬ。

五 その結果


 人為じんい淘汰とうたを行ふに当り、飼養しよう者は何を標準とし、何を目的とするかといふに、大抵たいていあたいの高いものを造つて金をもうけやうとかまた珍奇ちんきなものを造つて他人にほこらうとかいふ二通りより外には無い。しこうして実用を主とする動物では如何いかがなるものが最も多く世にもとめられるかといへば、これ勿論むろんその動物の実用にてきする点の最も発達したもので、乳牛にゅうぎゅうならば乳の最も多く出るもの、毛羊ならば毛の最もいものである。また玩弄がんろう的動物ならば普通ふつうのものとはちがつた奇態きたいな方面に変化したものが多く人にめずらしがられ、あたいも自然高い。の無暗に胸をふくらせるはとの種類やおうぎ子のごとくに拡げるはとの種類などは此例このれいである。代々斯様かような点を淘汰とうたの標準とし、斯様かような点の最も発達したものをえらみ出し、これに子を生ませて飼養しようし来つたから、今日ヨーロッパで価の高い上等の家畜かちくいずれも此等これらの点が非常に発達して、あたかも注文に応じて特別とくべつ製造せいぞうしたごとき形状・性質を備へて居る。例へば肉を食ふためのぶたは腹が地面にれぬばかりに身体が肥満ひまんし、四足も短く、鼻も短く、丸で大きな腸詰肉ちょうづめにくが歩き出したごとくである。また毛を取るための綿羊めんようやわらかい毛が非常に沢山たくさんに生じて、あたかも綿のかたまりに四足をけたごとくに見える。また乳をしぼるための牝牛めうし乳房ちぶさだけが無暗に大きく発達し、一度に二升にしょう(注:3.6リットル)以上も乳を出して、ほとん乳汁ちちじる製造器械と名づけてもよい様な構造こうぞうを持つて居る。

「第七図 羊と豚と」のキャプション付きの図
第七図 羊とぶた

 こゝに一つ注意すべきは、以上のごとき性質はみな人間が自分の需要じゅように応じてる年月の間に造り上げたものゆえ、人間に取つてはいずれも極めて便利・有益なものであるが、その動物自身に取つては何の役にも立たず、むし邪魔じゃまになることである。ぶたえることはこれを食ふ人間に取つてはまことに結構であるが、ぶた自身に取つてはただ歩行が困難になるだけで何の利益もない。羊の毛の多いことはこれつて毛布をる人間に取つては誠に調法ちょうほうであるが、羊自身から見ればあたか夜具やぐかぶせて歩かされた様なもので、迷惑めいわく至極しごくな話である。また牝牛めうしの乳の非常に多く出るのは、これしぼつてむ人間にはまことに結構であるが、自分の生んだ子が到底とうてい飲みつくせぬ程に沢山たくさんの乳が出ることは親牛に取つてはただうるさいばかりで何にもならぬ。其他そのほか金魚のの長いのは、これを見る人間には奇麗きれいよろしいが、金魚自身はそのためはやおよぐことが出来ぬ。また八重咲やえざきの花や、種子たね無しの蜜柑みかんこれながめたり食うたりする人間にはよろばれるが、その植物自身はそのため肝心かんじん生殖せいしょく作用が出来ぬ。

第五章 野生の動植物の変化


 前章においべた通り、人間の飼養しようする動植物には遺伝のせいと変化の性とが備はつてある所へ、人間が干渉かんしょうして一種の淘汰とうたを行つた結果、ついに今日見るごといちじるしい変種を生ずるにいたつたことはうたがふべからざる事実であるが、さて野生の動植物は如何いかにと考へると、これにも矢張やはり同様な事情じじょうがある。
 先づ遺伝いでん性と変化性とにいて考へて見るに、野生の動植物では前にも言つた通り、親子兄弟の関係かんけい明瞭めいりょうわからぬから、一個づつを取つてれだけの性質が遺伝により親から伝はつたか、また何れだけの点は変化によつて親兄弟とちがふか、直接ちょくせつに調べることは出来ぬが、長い間えず採集さいしゅまたは同時に多数を採集して比較ひかくすれば、こゝにも遺伝および変化の性質が備はつてあることをあきらか証明しょうめいすることが出来る。其中そのなか、遺伝の方は昔から人の少しもうたがいはなかつた所で、従来じゅうらい人の信じ来つた生物種属不変しゅぞくふへんの説も、畢竟ひっきょう今年採集さいしゅした標本も昨年採集した標本も、五年前のも十年前のも、同一種に属するものはみな形状がほとんど同一である所から、親の性質はことごとく遺伝によつて子に伝はり、子の性質はことごとく遺伝によつて孫に伝はり、何代経ても形状・性質に少しの変化もおこらぬものと考へ、これよりして天地開闢てんちかいびゃくより今日まで生物の各種類は一定不変のものであると論結ろんけつした次第ゆえ、野生の動植物に遺伝の性の備はつてあることは他人の証明しょうめいを待つまでもなく、だれも初めよりしんじて居る。へて言へば、進化論以前の博物はくぶつ家は子は寸分すんぶんも親に相違そういせぬもの、孫は子に寸分も相違そういせぬものと初めより思ひんで居たので、生物の変化性に気がかず偶々たまたま少し変つた標本をても、ただ偶然ぐうぜんに出来たものと軽く考へ、変化性の重大なる意味に思ひおよばなかつたのである。
 元来野生の動植物の変化性をみとめることは自然淘汰とうた説の一要件で、若し生物に変化性がないものとしたらば、無論むろん如何いかがなる淘汰とうたも行はれやうはずがない。く生物学上、肝要かんような問題なるにもかかわらず野生の動植物の変化性に注意し、広く事実を集めて確実にこれを研究しやうと試みたのはほとんどダーウィンが初めてであるゆえのダーウィンのちょした「種の起源しゅのきげん」といふ書物の中には此点このてんに関する事項じこう割合わりあいに少い。しかし、其後そのごにはこの問題は追々おいおい丁寧ていねいに研究せられ、研究の積むにしたがひて生物の変化性のいちじるしいことが明瞭めいりょうになり、今日の所では大勢おおぜいの学者が力をつくしてこれを研究して居たので、変化性を調べる学科は生物測定学そくていがくといふ名がいて生物学中の独立どくりつなる一分科のごとき有様となり、此学このがくのみに関した専門の雑誌ざっしまで発行せられて居る。生物の変化性に関する知識ちしきはダーウィン時代と今日とではほとん雲泥うんでい相違そういがあると言つてよろしい。
種の起源しゅのきげん」の発行後、なおしばらくの間は有名な動植物学者の中にも自然淘汰とうたの説に反対した人が沢山たくさんあつたが、その理由はいずれも生物の変化性に関する知識がすこぶとぼしく、野生の動植物が如何程いかがほどまで変化するものであるかを知らなかつたゆえである。今日のごとくに変化性の研究の進んだ以上は最早いやしくも生物学をおさめた者には生物進化の事実をみとめぬことは到底とうてい出来ぬ。斯様かように大切な事項じこうゆえ、本書においても野生の動植物の変化の有様ありさまるべく十分に述べたいが、一々実例を挙げて具体的に説明しやうとすると、いきおひ無味乾燥かんそうな数字ばかりの表や、弧線こせんなどを沢山たくさんげなければならぬから、こゝにはただ若干じゃっかんの例を引いて、大体のことをべるだけに止める。

一 昆虫こんちゅう類の変化


 およ如何いかがなる動植物の種類でも、標本ひょうほんを数多く集めてこれ比較ひかくして見ると、一として総べての点で全く相同あいおなじきもののないことは、今日の研究で十分にわかつて居るが、そのたがい相異あいことなる点の性質によつては、特別とくべつ器械きかいもっ精密せいみつに測らなければわからぬ様なこともある。身長の差違さい、体重の差違さい等でも、天秤てんびん物指ものさしを用ゐなければ、あきらかには知れぬが、して体面の屈曲くっきょくの度とか凸凹でこぼこ深浅しんせん割合わりあいとかの相違そういを調べるには、特にそのために造られた複雑ふくざつな器械を用ゐなければならぬ。ただ彩色さいしょく模様もよう等の相違そういは眼で見ただけでも一通りはわかるから、野生動植物の変化性のことを述べるに当つては先づ模様の変化のいちじるしい例を第一に挙げてみやう。それには我国何処どこにも普通ふつうさんする小形の黄蝶きちょうなどが最も適切である。
 此処ここげたのは黄蝶きちょうの図であるが、はねは一面に美しい黄色で、ただ前翅ぜんし尖端せんたんところだけが黒色である。幼虫ようちゅう荳科まめかの雑草の葉を食ふものゆえ此蝶このちょういたる処に沢山たくさん居るが、春から夏へけて多数を採集し、これを並べて見ると、はねの黒い処の多い少いにいちじるしい変化があり、る標本では(ニ)のごと前翅ぜんしはしが大部分黒く、後翅こうしふちも黒いほどであるが、また他の標本では(イ)のごとはねは前後ともに全く黄色ばかりで、黒い処がほとんどない。それゆえ、初めは此蝶このちょうにはいく種もあると思ひ、実際黒色の部の多少によつてこれを数種に区別し、各種に一々学名をけたりしてあつたが、岐阜ぎふ名和なわ氏、横浜よこはまに居たフライヤー氏などの飼養しよう実験によつて、ことごとく一種内の変化に過ぎぬことが判然はんぜんし、今ではこれに「種々の変化を現す黄蝶きちょう」といふ意味の学名がけてある。

「第八図 黄蝶の変化」のキャプション付きの図
第八図 黄蝶きちょうの変化

 黄蝶きちょうのみに限らず、ちょう類は一体にはなはだ変化の多い動物で、日本に普通ふつうなベニシヾミといふ奇麗きれい小蝶こちょうも、採集の時と場所とにしたがつて、紅色べにいろいちじるしいものもあり、また黒色のまさつたものもある。また揚羽蝶あげはちょうの中には産地によつて後翅こうしから後へ出て居るの様なものが有つたり無かつたりする種類もある。他の昆虫こんちゅう類とても随分ずいぶん変化が著しい。甲虫こうちゅう類でははねが有つたり無かつたりする程のはなはだしい変化を一種内に見ることがある。また昆虫こんちゅう類の変化は成虫にかぎわけではなく、随分ずいぶん幼虫やさなぎなどにもさかんな変化があり、る学者の調しらべによると、一種のの幼虫に十六通りも変化があつた場合がある。今日昆虫こんちゅう学者としょうして昆虫こんちゅうを採集する人は世界中に何万人あるか知らぬが、多くはただ新種らしきものを発見し記載きさいすることばかりに力をつくし、この面白い変化性の現象を学術的に研究する人は、西洋でも比較的ひかくてきはなはだ少い。

二 鳥類の変化


 鳥類ちょうるいは研究者の数も随分ずいぶん多く、体の大さも通常寸法すんぽうを測るのに丁度ちょうど手頃てごろであり、かつ従来鳥類を調べる人は標本をごとに身長、つばさの長さ、くちばしの長さ、足の長さなど一疋いっぴきづゝくわしく測ることが、必要上習慣しゅうかんとなつて居たので、変化に関する事実も、自然他の動物に比すると余程よほど多く知れてある。
 すずめでもからすでもただ遠くから見て居ると、どのすずめも、どのからすも全く同じ様で、たがいの間に少しも相違そういがない様に思はれるが、したしくこれを手に取つて比較ひかくして見ると、一疋いっぴきとして全く相同じきものが無いのみならず、其間そのあいだ相違そうい随分ずいぶんいちじるしいもので、身長・翼長よくちょう等に一割半から二割あるいは二割半位までの差異さいのあることはほとんど常である。二割の相違そういといへば五尺(注:150cm)と六尺(注:180cm)との相違そういで、これが人間であつたならば、一は雲突くもをつく様な大男といはれ、一は徴兵ちょうへいにも取られぬ脊低せびくといはれる。人間ならばく著しく人の目にほどの割合に相違そういして居ても、すずめからすであると、一向人が知らずに居るのは全くだれこれに注意せぬからである。無論此処このところに述べたのは生長の終つたものばかりで、日々生長する幼鳥ようちょうのぞいての話しである。鳥類の寿命じゅみょう比較的ひかくてきはなはだ長いが、人間と同じ様に一旦いったん生長の終つた後は何年ても身体にいちじるしい増減ぞうげんはないから、以上述べた相違そういは一時的でなく、一生涯いっしょうがい中の相違そういである。
 我国には未だ十分な取調とりしらべがないから、鳥類の変化の有様をくわしく示すには、外国産のものを例に取らねばならぬが、次にげた表はアメリカ産のすずめに似た鳥の変化をあらわしたものである。先づ此表このひょうの造り方から述べて見るに、初め中央へ一本の縦線たてせんを引き、これ平均へいきんの長さを示す目標もくひょうとし次に一疋いっぴきづゝ鳥の身長を測り、数十疋すうじゅっぴきある標本を残らず測り終つた後、その平均の長さを計算し置き、さらに再び一疋いっぴきづゝを取つてその実際の長さと、先に計算によつて得た平均の長さとの差を測り、例へば三分だけ(注:9mm)平均より短かければ縦線たてせんの左へ三分(注:9mm)へだたつた処に一つ黒点をけ、五分(注:15mm)だけ平均より長ければ、縦線の右へ五分(注:15mm)へだたつた処に一つ黒点をけるといふ様にし、くして身長の調がめば、次には同様の方法で翼長よくちょうを調べ、また次に尾長おながを調べて造つたものである。それゆえ各段かくだんおいて黒点の数は鳥の頭数を示し、各黒点の位置は平均との差異の多少を現す。此表このひょう一つだけを見ても如何いかに野生の鳥類に、おびただしい変化があるか、あきらか推察すいさつが出来るであらう。

「第九図 鳥類変化の表(1)」のキャプション付きの図
第九図 鳥類変化の表(1)

 なお一つ此処ここげたのはアメリカ産のからすに似た鳥の変化の表である。前のと全く同じ方法で造つたものゆえ、別に説明にもおよばぬが、これにはくちばしの長さの変化が示してある。其他そのほか今日特別とくべつに鳥類の変化を調べて造つた表には、指の長さ、あしの長さ、眼の大きさ、羽毛の長短の順序などを丁寧ていねいに示したものが沢山たくさんにあるが、わずらわしいゆえ此処ここには総べてりゃくする。

「第十図 鳥類変化の表(2)」のキャプション付きの図
第十図 鳥類変化の表(2)


三 他の動物の変化


 下等動物には変化のはなはだしいものがすこぶる多い。中にも海綿かいめんの類などはあまり変化がはげしいので、種属を分類することがほとんど出来ぬ程のものもある。現に海綿のる部類は種属識別しきべつの標準の立て方次第しだいで、一属三種とも十一属百三十五種とも見ることが出来るといふが、此等これらの動物ではただ変化があるばかりで、種属の区別は無いといつてよろしい。其他そのほか蝸牛かたつむりなどがまた変化の盛な動物で、何処どこの国に行つても、多くの変種のないことはない。フランスのる学者の調しらべによると、「森蝸牛もりかたつむり」といふ一種には、百九十八の変種があり、「園蝸牛そのかたつむり」といふ一種には九十の変種がある。我国わがくになどでも、蝸牛かたつむりの標本を数多く集めて見ると、一種ごとに中々変化が多くて往々おうおう自分の手に持つて居る標本が、いずれの種に属するか、判断にこまることがある。
 はまぐり、アサリ等の貝殻かいがら斑紋はんもんにも、随分ずいぶん変化が多い。あるいは全部白色のものもあり、あるいは全部色のいものもあり、または波形の模様もようあるものまたのこの歯のごとまだらあるものなど、一つわんの中にあるだけでも全く同一のものは決して無い。これは単に貝殻かいがらの外面の模様に過ぎぬから、ほとんど何の意味もないことと思ふ人もあるかも知れぬが、斯様かように色のちがふのは、矢張やはこれを生ずる肉の方に多少の相違そういがあるにもとづくことであらう。
 以上げたのは、最も手近な例を二三選み出したに過ぎぬが、今日の生物測定学の結果を見ると、如何いかがなる生物でも変化をあらわさぬものは一種もない。しかいずれも随分ずいぶんいちじるしい変化を示して居る。

四 内臓ないぞうの変化


 動物各種の変化は身長・斑紋はんもん等のごとき単に外部にあらわれた点においてのみではない。内部の細かい構造にも中々いちじるしい変化がある。しかし動物を一疋いっぴきごと解剖かいぼうすることは、ただ身長を測つたりするのとはちがひ、大に手数のかゝるものゆえ、多数の標本を解剖かいぼうして比較ひかくした例ははなはだ少い。ただ解剖かいぼう学者が解剖かいぼうする際に、偶然ぐうぜん発見した変化を記録して置いたものだけであるが、それだけでも変化のはなはだしい例がすで沢山たくさんにある。
 脊骨せぼねの数、肋骨ろっこつの数なども往々一種の動物内で変化があり、一二本多過ぎたり、足らなかつたりすることは、決してめずらしくはない。通常、解剖かいぼうの書物にははんけるために、何事もただ模範もはん的のものだけがげてあるから、初学の者はべてごときものばかりであると思ひみ、実際解剖かいぼうして見て書物とちがふので大におどろくことがあり、また気の早い者は一廉ひとかどの新事実を発見したつもりで、非常にさわぐこともある。何の器官きかんにも多少の変化はあるが、血管・神経しんけいの配布などには特に変化がはなはだしい。
 次の表は独逸ドイツ国の水産局の係の人が、一つ処で取れたにしんを三百ひきばかり解剖かいぼうして調べた脊骨せぼねの数の変化を現すものである。縦の線は脊骨せぼねの数を示し、横の線は百分比例で疋数ひきすうの割合を示す様に出来て居るが、総数のほとん四割よんわり五分は五十五個の脊骨せぼねを有し、ほぼ四割は五十六個の脊骨せぼねを有するに反し、五十七個の脊骨せぼねを有するはわずかに一割、五十四個を有するはわずかに五分に過ぎず、五十八個あるいは五十三個を有するものは総体の中にわずかに五六ひきより無い。斯様かよう疋数ひきすうの多少にはいちじるしい相違そういはあるが、にしん脊骨せぼねの数は少きは五十三個、多きは五十八個で、都合六個の変化がある。

「第十一図 鯡の脊椎の数の変化」のキャプション付きの図
第十一図 にしん脊椎せきついの数の変化

 なお一つげたのは、かれい臀鰭しりびれの骨の数の変化を示す表であるが、かれいは人の知る通り海底かいてい横臥おうがして居る魚で、左右両側は全く色がちがうてあたかも他の魚類のはらとのごとくに見え、真の背と腹とはかえって左右両側のごとくに見える。しこうしてく背と腹との同じく見えるのは、普通ふつうの魚類では腹の後部にあるべき臀鰭しりびれといふひれが、非常に大きくてほとん背鰭せびれと同じ位になつて居る結果であるが、この臀鰭しりびれの骨の数をかぞへると、種々の変化を発見する。此処ここに出した表はイギリス国のプリマスで取れた一種のかれいいてその変化を表したものであるが、最多数は四十二本・四十三本で、まれには三十八本に過ぎぬのもあれば、また四十八本もあるのも何疋なんびきかある。しこうして面白いことには同一種のかれいでも、産地によつて此数このかずちがひ、ドイツ国北海岸の西部では、四十一本・四十二本のものが最多数で、東部へ行くと三十九本のものが最も多い。これを表に造れば産地が東へ寄る程、曲線の山の頂上ちょうじょうに当る所が表の左方へ進んで行く訳である。

「第十二図 鰈の臀鰭の線の数の変化を示す」のキャプション付きの図
第十二図 かれい臀鰭しりびれの線の数の変化を示す

 ごと縦横たてよこに線を引き、これによつて生物の変化の有様を現すことは、今日生物測定学で最も普通ふつうに用ゐる方法であるゆえ、特に其例そのれいを示したのであるが、此法このほうによれば生物の変化は何時いつも一つの弧線こせんによつて現され、その弧線こせんの形状により変化の多少はもとより、一種ごとの変化の為様しよう特異とくいの点までを、一見してただちに知ることが出来る。

五 習性の変化


 外部の形状・内部の構造の変化は数字をもって表に示せるが、動物の習性しゅうせいの変化のごときは、其様そのよう精密せいみつには現せぬ。しかし習性にも中々変化の多いものであることは、次の二三の例でも解るであらう。そもそも動物の習性に変化があるか無いかといふことは、生物進化の径路けいろを考へる上に、大関係のある問題で、し動物の習性に決して変化はないものとしたならば、動物の進化も容易よういには出来ぬ理窟りくつである。それゆえ近頃ちかごろ動物を研究する人は特に此点このてんに注意して居るが、丁寧ていねい観察かんさつして見ると、どの動物も習性の変化が随分ずいぶん多くある。先年来アメリカの鳥類だけを専門せんもんに調べたぼう氏などは、その報告書の中に、鳥類の習性は決して従来じゅうらい人の思つて居たごとくに、一定不変のものではなく、一種中にも一疋いっぴきごとに多少の相違そういがあり、産地が異なればさらはなはだしい相違そういがあると特書とくしょした。
 ニウ=ジーランドの中央の島の山地にむネストルといふ奇妙きみょう鸚鵡おうむがあるが、此鳥このとりは他の鸚鵡おうむごとく、従来じゅうらい、花のみつひ、果実を食つて生きて居たものであるが、西洋人が移住いじゅうし来つてから、その習性に思ひけぬ変化が起つた。る時羊の生皮なまかわが日にしてあるところに来て、これついばんだのが始まりで、急に肉食を好む様になり、千八百六十八年すなわわが明治元年ごろから牧場ぼくじょうに居る生きた羊のついばみ、肉に食ひ入り、特に好んで腎臓じんぞうを食ふ様になつた。羊は無論むろんそのために死んで仕舞しまふ。突然とつぜん大害を生ずる様になつたので、牧羊者はて置く訳に行かず、力をつくしてその撲滅ぼくめつ従事じゅうじしたから、この面白おもしろ鸚鵡おうむの種類も今ではきわめてまれになつた。いずれ遠からぬ中には全く種がつくきて仕舞しまふであらう。元来鸚鵡おうむの種類はして肉食せぬものゆえつめ丈夫じょうぶなのも、くちばしの太く曲つて居るのも、みなただ樹木じゅもくはんぢ、えだの上をたくみに運動するためであるが、一旦いったん習性が変ると、形の相似たのをさいわいに、ただちこれわしたか同様に、肉をき食ふために利用する具合は中々みょうである。 またヨーロッパからニウ=ジーランドに輸入してはなしたすずめ類の小鳥なども、その習性が大に変じて、ヨーロッパにけるとは根本的に形のちがを造る様になつた。一体、習性しゅうせいといふものは、余程よほどまでは真似まねに基づくもので、通常は余り変化せぬものの様に見えるが、一疋いっぴき何か変つたことをするものが現れると、ただちに他のものがこれに習つて、こゝに新しい習性が出来る。それゆえ異なつた場所に移すと、動物の習性に変化を生ずることが比較ひかく的に多いのであらう。
 以上は動物の習性の変化の最も有名な例である。いちじるしい例は余り多くはないが、前にも述べた通り多少の変化はきわめて普通ふつうであるから、親子の間といえども、習性が全く同一とはかぎらぬ。また同じ子孫しそんの中でも、るものはきゅう習性を守り、るものは新習性を取ることもあり、其間そのあいだに自然に相違そういが現れるのはもとよりである。

六 植物の変化


 植物の変化は余程いちじるしい例が多い。従来じゅうらい植物学者といへば少数の植物生理学などをのぞけば、其他そのほかみな植物の分類すなわち種属識別ばかりに尽力じんりょくしたものゆえ、変化性を調べるための材料はすでに十分にある。スウィス国の有名な植物学者ドカンドルは世界中のかしの種類を残らず集めて研究したが、初め標本の数の少い間は、各種属を判然はんぜん区別することが出来たが、追々おいおい標本の集まるにしたがひ、曖昧あいまいなものが出て来て、前に判然区別のある二種と思つたものも、其間そのあいださかいわからなくつて、大に困難こんなんを感ずるにいたつた。例へば一本のえだだけを取つても、詳細しょうさいに調べて見ると、葉柄ようへいの長さには三と一と位の相違そういがあり、葉の形状にも楕円だえん形とさかさ卵形たまごがたとがあり、葉の周辺しゅうへんが完全なものもあり、鋸歯のこは状のものもあり、また羽状に分れたものもあり、葉の尖端せんたんするどいものもあり、円いものもあり、葉の基部きぶの細いもの、円いもの、あるい心臓しんぞう形に逼出ひっしゅつしたものもあり、葉の表面に細毛の生じたものもあり、平滑へいかつで全く毛の無いものもあり、雄蕊おしべの数にも種々の変化があり、果実かじつの長さにも一と三と位の相違そういがあり、果実の成熟せいじゅくする時期にも種々の変化があるといふ様な場合があるので、中々、若干じゃっかんの標準にしたがつて種属を確定することは容易でない。ドカンドルはこの有様を見て、各種属の間に判然した境界きょうかいがあると思ふのは標本ひょうほんを多く見ない中の謬見びゅうけんである、標本を多く見れば見るほど各種属の特徴とくちょうが定めがたくなると論じた。
 以上はただ一例に過ぎないが、其他そのほかほとんどどの植物を取つてもこれに似たことがある。何処どこの国でも有名な学者のちょしたその国産の植物誌しょくぶつしを二三冊も集めて比較ひかくして見ると、必ず一方の学者が五種と見做みなすものを他の学者は十種と見做みなすといふ様な識別しきべつあい矛盾むじゅんする例が沢山たくさんにある。英国の書物から一例をげて見るに、英国産の犬薔薇いぬバラといふ一種には二十八通りもあきらかな変種があり、其間そのかんには順々の移り行きがあつて、さかい判然はんぜんせぬが、標本を一つづゝ別に見ると、かく別種のごとくに見えるので、これまで誰彼だれかれの植物家がこれに七十何種も名をけたことが出て居る。しかし、遠い英国の例を引くまでもなく、日本でも植物家の著述ちょじゅつ彼此あれこれ比較ひかくすると、こうが独立の一種と見做みなすものをおつは単にる種類中の変種とみとめて、たがいに説の合はぬ所がはなはだ多い。シーボルドの植物誌と近頃ちかごろの植物学雑誌ざっしとでも比較ひかくして見たら、斯様かような例はほとんいくらでも見附みつけることが出来る。

七 生物測定学


 此章このしょうに述べた通り、少し丁寧ていねいに調べて見ると、生物に変化性のあることは極めて明瞭めいりょうであるが、今日の生物学者はただ生物に変化性があるといふ事実を知るだけでは満足まんぞくせず、さらに進んで変化の法則を探求たんきゅうしやうとこころみ、そのため生物測定学といふ一分科を立てるにいたつた。世間にはいまだ生物に変化性の有ることをも知らぬ人が多いが、専門せんもん学者の方では斯様かよう議論ぎろんなどは最早もはや昔の話で今はすでに変化性の理法を調査するだんに進んで居るのである。
 もっと此学このがく近来きんらい始まつたばかりのものゆえ、熱心な研究者がいく人もあるにかかわらず、未だその結果に確定したとみとむべきものは余り多くない。かつ材料とする所は一個々々の標本の寸法すんぽう・重量などであるが、これを研究する方法は中々面倒めんどうで、ギリシヤ文字の符号ふごう等を使ひ、複雑な方程式ほうていしきを用ゐるゆえ突然とつぜんこれを述べることは困難こんなんであり、また十分にこれ理解りかいするには微分びぶん解析幾何かいせききかごとき高等数学の素養そようが必要であるから、本書においては全くこれ省略しょうりゃくする。しかし、その大体は所謂いわゆる予期の勘定かんじょうといふ計算法で、簡単かんたんたとえでいへば、次の通りである。一銭いっせん(注:昔の通貨・百円のようなもの)の銅貨どうかをやたらに投げても二回の中、一回は表が上に出ることを予期よきすべき理窟りくつであるが、二個の銅貨を同時に投げる場合には二個ともに表が上に出ることは四回の中わずかに一回より予期することが出来ず、三個を投げて三個ともに表が出ることは八回中わずかに一回より予期することが出来ぬ。骰子さいを一個投げて一の出ることは六回中に一回予期すべきであるが、二個投げて両方ともに一の出ることは三十六回中に一回より予期することは出来ぬ。銅貨十個を投げてみな表が出ることは二の十乗じゅうじょう(注:2を十回かけること。2×2×2×2×2×2×2×2×2×2の意味)すなわち千二十四回中に一回より予期せられぬ勘定かんじょうとなる。この理窟りくつから割り出して精細せいさい勘定かんじょうすると、二十歳はたちの人はなお何年生きることが出来さうであるか、二十五歳にじゅうごさいまで生きて来た人はなお何年生きることを予期すべきかといふことも計算が出来るが、これが生命保険ほけんもとである。ただ月々の掛金かけきんだけを取る多数の会社では如何いかがでもよろしいが、真の生命保険会社では、全くこの計算法を土台として、掛金かけきん率を定めなければならぬ。これと同様に一種の生物の標本を多く集め、これを測定してこの計算法で勘定かんじょうすれば、其種そのしゅの生物の変化性の度を数字で現すことも出来、また淘汰とうたが加はつたならば、其種そのしゅの生物は一代ごと如何いかがほど進化すべきものかといふ進化の係数をも算へ出せるといふ様な訳である。


第六章 動植物の増加


 野生の動植物にも遺伝性いでんせい変化性へんかせいとのあることは前章に述べた通りであるから、一種の淘汰とうたこれに加はりさへすれば、あたか飼養しよう動植物が人為じんい淘汰とうたによつて種々のいちじるしい変種を生じたのと同様に、代々必ず少しづゝ変化し、ついにはつもつて先祖とははなはだしくことなつたものとなるはずであるが、実際は如何いかにと考へて見るに、野生の動植物間にはたしか人為じんい淘汰とうたよりもきびしい一種の淘汰とうたが日夜絶えず自然に行はれて居る。その有様を簡単に述べれば次の通りである。
 先づ動植物の繁殖はんしょく割合わりあいは何種を取つても中々さかんであるが、地球上に動植物の生存せいぞんし得る数には、食物その他の関係から一定の際限さいげんがあつて、到底とうてい生まれた子がことごとく生長し終るまで生存することは出来ず、一小部分だけは親のあといで行くが、其他そのほかは総べて途中とちゅう死絶しにたえて、全く子孫を残さぬ。すなわち生存の競争に打勝うちかつたものは後へ子孫をのこすがけたものはみな死に失せる。しこうして如何いかがなるものが生存競争に打勝つかといへば、無論、生活にてきしたものが生存するに定まつて居るから、代々多数のものの中から、最も生活にてきしたもののみが生存して繁殖はんしょくする訳になるが、これがダーウィンが初めて心附こころづき、生物進化の主なる原因げんいんとして世におおやけにした自然淘汰とうたである。

一 増加の割合


 自然淘汰しぜんとうたの働きをあきらかに理解するためには、先づ動植物は如何いかがなる割合に繁殖はんしょくするもので、し生まれる子がことごとく生長するものとしたならば、如何いかがなる速力そくりょく増加ぞうかするものであるかを知ることが必要である。
 かってリンネーは植物の増加力のさかんなことを示すために、次のごとき場合を仮想かそうした。此処ここに一本の草があり、二個の種子を生じて一年のすえれて仕舞しまふ。翌年よくねんにはその二個の種子から二本の草が出来、各二個づゝの種子を生じて、其年そのとしの末にれて仕舞しまふ。く代々一本の草が各二個づゝの種子を生じて進んで行つたならば、如何いかに増加すべきかといふに、十年の後には千本以上いじょうとなり、二十年の後には百万本以上となり、三十年の後には十億本以上となる。これは東京辺でよく人のいふ、愛宕山あたごやまの九十六段ある石段いしだんの一番下の段に一粒ひとつぶ、次の段に二粒ふたつぶまた次の段に四粒よつぶといふ様に、倍増ばいましに米粒こめつぶを置いて行くときは、一番上の段まで置くには、幾粒いくつぶを要するかといふ問と同じ理窟りくつで、一段ごとの増加はただ一と二との割合であるが所謂いわゆる幾何きか級数すなわ鼠算ねずみざんえて行くゆえたちまおどろく様に増加し、十回ごとにアラビヤ数字の位取くらいどりが三段づゝも進む勘定かんじょうとなるから、百回目には数字を三十以上も並べて書かなければならぬ程の、到底とうてい我々われわれの考へられぬ様な大数となる。ぞうべての動物中で最も繁殖はんしょくおそいものであるが、およ三十さい位で生長を終へ、九十さいになるまでの間に平均六ひきの子を生み百さいまで生きるものと見積みつもつて勘定かんじょうしても、若し生まれた子がことごとく成長するものとしたならば、七百四五十年の間には一対の象の子孫が千九百万ひき程になる。
 以上は両方ともに繁殖はんしょく力の最も少い場合を想像したものであるが、動物中に象ほど少く子を生むものは外に例が少い。また毎年わずかに二個の種子より生ぜぬ様な植物は実際決して一種類もない。どの動植物でもこれよりははるかに多数の子を生ずるものであるが、動物の中で最も多くの子を生むもので、人のよく知つて居る例は、魚類・昆虫こんちゅう類等である。新年の祝儀しゅうぎに使ふ数の子かずのこにしんの子であるが、卵粒たまごつぶすこぶる多い所から子孫の多く生まれる様に、一家の益々ますます繁昌はんじょうする様にとの意をぐうして一般いっぱんに用ゐるのであらう。一体、魚類は卵を生むことの多いものであるが、たらなどは一度にほとんど千万に近い程の卵を生む。我国わがくにの人口の四分の一に匹敵ひってきする程の卵を一度に生むとは実におどろくべきである。またかいこの種紙には一面に細い卵粒たまごつぶいて居るが、これわずか雌蛾めすがの生み付けたものである。多くの昆虫こんちゅうほぼこれと同様に多くの卵を生む。斯様かような例を一々挙げたらば到底とうていかぎりはない。次に植物は如何いかにと見るに、これなお一層いっそう明で、一年生の小い草でも一粒ひとつぶの種子から出来た草に何百つぶかの種子が生ずる。大きな樹木じゅもくになれば、毎年何個づゝの種子を生ずるか中々数へつくせぬ。さらきん類などを調べると、その種子の数は実際無限といふべき程で、一個々々の種子は、五六百倍の顕微鏡けんびきょうで見なければわからぬ位な、きわめて微細びさいなものであるが、其数そのかず到底とうてい我等われらは想像も出来ぬ。かさの開いたなま松蕈まつたけ黒塗くろぬりぼんの上にせて置くと、しばらくの間にかさの下だけが一面いちめんに白くくもるが、これは全く無数の目に見えぬほど種子しゅしが落ちてつもつたためである。
 くのごとく動植物の一代の間に生む子の数には種々の相違そういがあり、象のごとわずか六疋ろっぴき位より生まぬもの、きんごとく無限の種子を生ずるものなどがあつて、子の多い少いにははなはだしい不同があるが、若し生まれた子がことごとく生長し繁殖はんしょくしたならば、必ず幾何きか級数の割合に増加すべきことは理窟りくつ上明白なことゆえいずれの場合においても、代々生まれた子がことごとく生存することは決して望むべからざることである。非常に多数の子を生ずる動植物が代々生まれただけことごとく生長したならば、たちまち地球の表面に一杯になるであらうとは、だれただちに考へるであらうが、少数の子を生む動植物とても幾何きか級数で進む以上は、理窟りくつは全く同様で、前に挙げた愛宕山あたごやまの石段に米粒こめつぶを置くたとえごとく、たちまちにして地球の表面にはせ切れぬ程になつて仕舞しまふ。ただこの有様に達するのが、多くの子を生む動植物に比べると、いく年か後れるといふだけに過ぎぬ。
 動植物は単に理窟りくつ上こゝに述べたごとく速に増加すべき力を有するといふのみならず、実際においほとんかる割合に繁殖はんしょくした例がいくらもある。動植物の増加力の非常にさかんなことは自然淘汰とうたろんずるに当つて一刻いっこくも忘るべからざる肝要かんようの点であるゆえ、二三のいちじるしい実例を次に挙げて見やう。

二 アメリカの牛馬


 牛馬などのごとき大形のけもの類は一体繁殖はんしょくおそいものであるが、此等これらでさへ、外界の都合がよろしかつたためたちまおびただしく増加した例がある。コロンブスが第二回の航海の節、サン=ドミンゴー島に牛を二三びきはなしたが、たちまえて、二十六七年の後には四千ひき乃至ないし八千ひきの牛群がいくらもある様になつた。後にいたつてこれをメキシコ其他そのほかの地方へ移したのがもとになり、いたところに非常に繁殖はんしょくし、千五百八九十年ころにはイスパニヤ人がメキシコよりは六万五千以上、サン=ドミンゴーよりは六万五千以上、合せて十万以上の牛の皮を一年に輸出ゆしゅつした。これもとより其頃そのころ生きて居た牛の一小部分をとらへて殺したのに過ぎぬから、全体でははるかこれよりは多数に居たのである。また千七百年代の末にはブユノス=アイレスの野原だけに牛が千二百万ひきも居たといふから、アメリカ全体ではどの位居たかわからぬ。これみな初めコロンブスの放した二三ひきの牛の子孫である。
 馬も昔はアメリカに居なかつたもので、アメリカ発見時代の人が船から上り馬に乗つて来るのを見て、旧土人等は上半分は人間のごとく下半分は野牛の様な怪物かいぶつが来たと言うておどろいたといふ話がある位であるが、その時代に偶然ぐうぜん放した馬が種となつて、短い間に非常に繁殖はんしょくし、特に広い野原のあるところではおびただしい数となり、千七百年代の末にはブエノス=アイレスの野原だけにも、すでに三百万ひき以上の野馬が居る様になつた。南アメリカの広原では、毎年かる野馬を何万ひきとなくとらへるが、全体では何程なにほど居るやらほとん想像そうぞうも出来ぬ。これみな最初数ひきに過ぎなかつたものから、わずかか三四百年の間に生じた子孫しそんである。
 驢馬ろばもアメリカに輸入ゆにゅうせられてから、五十年程の後に偶然ぐうぜんげ出したものが野生やせいとなり、エクワドールの都キートー辺では、非常に繁殖はんしょくして邪魔じゃまになる程となつた。旅行者の紀行きこうによると、此等これら驢馬ろばは大群をなして原野に住し、馬がみちを失つてまぎんだりすると、たちまち集まり来つて、これみ殺すか殺すかせずばまぬさうである。
 ぶたも千四百九十三年にコロンブスがサン=ドミンゴー島にはなしたものがわずかに五十年ばかりの間に非常に増加し、南北アメリカの大部に行きわたり、北緯ほくい二十五度から南緯なんい四十度位までの間には何処どこでも多数にこれを見るに至つた。

三 オーストラリヤのうさぎ


 ヨーロッパからオーストラリヤに輸入ゆにゅうしたうさぎしばらくの間に非常にえて、今では始末しまつに困る様になつたことは、ほとんど知らぬもののない位に有名な話である。何時いつころ移殖いしょくしたかくわしいことはわからぬが、ヨーロッパ人がオーストラリヤに移住したのが、今よりわずかに二百十五年前、タスマニヤには二百年前、ニウ=ジーランドには百六十五年前のことであるから、うさぎの輸入せられたのは、無論これより余程後のことにちがひない。しかるに今日のうさぎおびただしいことは実に非常なもので、汽車のまどから見ても、彼処あそこにも此処ここにも野兎のうさぎんで居るのが見えるほどである。元来オーストラリヤといふ処は獣類けものるいといへばみなカンガルーのごとはらふくろを有する類ばかりで、普通ふつう我々われわれの見る様なものは一疋いっぴきも産せず、またニウ=ジーランドのごときは一種の蝙蝠こうもりのぞく外は、獣類けものるいといふものは全く居なかつた。かる所へ何疋なんびきかのうさぎが入り来つたことゆえ、食物は素より沢山たくさんにあり、敵は皆無かいむといふ有様で、うさぎ繁殖はんしょくふせげるものが何もなかつたので、たちまちに増加してついに今日の姿すがたになつたのである。
 一寸ちょっと考へると斯様かよううさぎが多く居れば、これとらへて其肉そのにくを食ひ、其毛そのけつたならば、最も利益がありさうであるが、実際は大反対で、政府せいふうさぎ退治たいじのためについやした金だけでも中々莫大ばくだいなものである。全体オーストラリヤは世界の牧羊場ともいふべき処で、さかんに羊を飼つて居るが、うさぎえさとするものはすなわち羊の食物なる牧草ぼくそうゆえうさぎと羊とは到底とうてい両立することが出来ず、うさぎえて牧草を食へば、羊をふことが困難こんなんになり、牧場の地価ちかも百円したものが五十円に下るとか、ところによつては全く牧羊の見込みこみがなくなり、したがつて地所じしょ無代価むだいかになつた場合がある。また野菜やさいうさぎが好んで食ふゆえ、畑を造ることも出来ぬ。それゆえ、オーストラリヤではむつかしい法律ほうりつを設けてうさぎ撲滅ぼくめつはかり、時々聯合そうごう兎狩うさぎがりもよおしたり、また年に幾度いくどか日を定めてどくねりり交ぜた団子だんごを地面にくことを励行れいこうしたりして、あたかもペスト流行りゅうこうの際の鼠狩ねずみがりと同様なそうをして居る。くすれば、うさぎは何万とも数へられぬ程に取れるが、余り多過おおすぎるので如何いかんともしがたく、ただ山に積んでくさらすばかりであつた。今ではこれ冷蔵れいぞうして輸出ゆしゅつし、毎年数百万ひきもヨーロッパへ送るが、此位このくらいなことではうさぎの数はいまだ中々らぬ様である。
 ニウ=ジーランドでは、近来ぶたも非常にえて、農業にいちじるしいがいおよばす程になつた。ネルソンといふ一県だけでも二十ヶ月間に二万五千ひき野豚のぶたり取つたとのことである。

四 植物の急に増加せる例


 外国より輸入した植物が急に繁殖はんしょく増加した例は、動物よりはいちじるしいものが多い。我国わがくにで最も目立つのはオランダ=ゲンゲといふ白い花の蓮花草れんげそうの様な草である。これは多分外国から送つて来た荷物などにまぎんで、偶然ぐうぜん輸入ゆにゅうせられたもので、明治めいじの初年ころにはいま何処どこにも無かつたのが、わずかか十年か二十年の間に非常に繁殖はんしょくし、明治二十年ころにはすで帝国ていこく大学の構内こうないなどに一面に生えて居た。今ではほとんこれを見ないところはない位で、高等師範しはん学校の敷地しきち内にも外の草なしに此草このくさばかりの生じて居る処が、随分ずいぶん広くある程になつた。此草このくさは我国ばかりで斯様かように増加したわけでなく、温帯地方には、南北両半球ともに何処どこにも非常に蔓延はびこり、ニウ=ジーランドなどでは、此草このくさえたために、従来じゅうらい有つた土着どちゃくの草が幾種いくしゅえ失せた位である。西洋料理で用ゐるクレソンといふ草も、今では大分我国に野生となつてえたさうで、静岡しずおかしろほりなどには一面にあるといふ話を聞いたが、これは実際を見ぬから確には言はれぬ。
 外国の例を引けば、沢山たくさんにある。今日南アメリカのラプラタ地方には、元ヨーロッパ産のあざみが二三種ばかり一杯いっぱいに生えて、ほとんど他の草を交へぬ様な野原が何百方里(注:何百平方キロメートル)もある。またアメリカ産のパンヤといふ綿を生ずる草も、今では熱帯地方には雑草として生えて居る。ニウ=ジーランドでは輸入植物の繁殖はんしょくを特に調べた学者があるが、いく種かの植物は増加がきわめて迅速じんそくで、たちまち全島に繁茂はんもした。中にもミヅ=タガラシなどは何処どこの河にも一杯いっぱいに生えて、船の通行に邪魔じゃまな程となり、クライスト=チャーチ府の処で、アヴォン河に生えるミヅ=タガラシを常にり取るだけの経費ひようが年に三千円もつたといふ。其他そのほか、黄色の花のく一種の菊科きくか植物は偶然ぐうぜん此島このしままぎみ、急に増加し、上等の牧場もわずか三年の間にこの雑草のために全く役に立たぬ様になつた処もある。
 ランタナといふ馬鞭草ばべんそう科の植物が、西印度にしインドからセイロン島に輸入せられたのは、今よりわずかに五十年前のことであるが、気候にてきしたものと見えて、たちま繁殖はんしょくし、今ではセイロン全島に蔓延はびこり、平地は素より三千尺(注:900m)位の高い処まで、この植物のためにほとんど景色も変る程のいきおいである。

五 自然界の平均


 動植物ともにし生まれた子がことごと生存せいぞんし、繁殖はんしょくしたならば、たちまおどろくべく増加すべきこと、および実際におどろくべく増加した例のすくなからざることは以上べた通りであるが、べての動植物がく増加しつゝあるかといふに、これ無論むろん出来ないことで、大体においては昨年も今年も来年も同一処どういつところける動植物の数にははなはだしい相違そういはない。すずめは年々十疋じゅっぴきづゝ子を生んでも格別にえる様子もなく、夏、肉類にはえは一度に二百万もたまごを生み、卵はただち孵化ふかしてわずかに十四五日で生長し終るから、二週間ごとに百万倍に増加すべきはずであるが、少しも目立つほどにはえぬ。しからば如何いかがなる動植物が実際おどろくべき増加をしたかといふに、前に挙げた例はみな偶然ぐうぜんあるい故意こいに人間が移殖いしょくしたものばかりで、何十万種もある動植物の中から見れば、実にきわめて僅少きんしょうな例外の場合に過ぎぬ。かつそれも何時いつまでも限りなく同じ割合わりあい繁殖はんしょくするわけではない。る度に達すれば必ず自然に増加も止んで仕舞しまふもので、評判ひょうばんの高いオーストラリヤのうさぎでさへ、今はる地方では最早増加のきわみに達した模様もようがあり、初めはただでももらひ人の無かつたうさぎの冷蔵して輸出する様になつてからはこれ取扱とりあつかふ商人もえ、たがいに競争するので、原料も追々高くなり、今では昔の様にもうからぬといふが、これうさぎ最早もはや盛に増加せぬ証拠しょうこである。南アメリカの牛馬もほぼこれと同様な有様に達して居る。
 斯様かよう繁殖はんしょくきわみに達して仕舞しまふと、最早増加の余地が無いのであるから、一対の動物からは平均二疋にひきだけの子が生存せいぞんし、一本の木からは平均一粒ひとつぶだけの種が生存して、ただ親のあとぐだけとなるより外に仕方はないが、し同一地方に産する動植物がことごとこの有様となつたならば、その地方は年々歳々さいさい動植物の数に少しの変化も起らず、からすの減ることもなく、すずめえることもなく、去年百疋ひゃっぴき居たものは今年も矢張り百疋ひゃっぴき居る割合で、何年過ぎても自然界の有様が依然いぜんとして変ぜぬ理窟りくつである。実際此通このとおりの有様は世界中何処どこへ行つても無いが、動植物相互そうごの関係を考へて見ると、複雑ふくざつ極まるもので、到底とうてい他の種類と全く無関係にる一種だけが独立に増加することは出来ぬ。例へば此処ここに一種の草を食ふ昆虫こんちゅうがあると想像し、此虫このむしさかん繁殖はんしょく増加すると仮り定めたならば、その結果は如何いかにたちまち今まであつたる草を食ひつくして、自分も食物の無くなつたために共にたおれなければならぬ様になる。また一方には今まで此虫このむしを食物として居たる鳥はえさの急に増したのに力を得てたちま繁殖はんしょくし、ついには此虫このむしを食ひつくすまでにえるであらうが、虫を食ひつくして仕舞しまへば、此鳥このとりまた餓死がしせざるを得ぬ。此時このときの草の種が幾粒いくつぶか残つて居て、生え出したとしたらば、これを食ふ虫がぬことゆえたちまち増加して其辺そのへん一杯いっぱい蔓延はびこる。また若し此時このときの虫の卵がいくつか残つて居て孵化ふかしたとしたらば食物はいくらでもあり、敵は全く居ぬから、たちま繁殖はんしょくしてさかんの草を食ふ様になる。此等これらの関係にいてはさらに後の章でくわしく述べるが、兎に角とにかく、生物相互そうごの間には非常に複雑な関係のあるもので、る一種が増加しやうとすれば、これを食ふものもえてこれおさへ、中々勘定かんじょう通りにすみやか繁殖はんしょくすることは出来ぬ。あたかも少しでも高く売らうとする売人と、少しでも安く買はうとする買人との間に、いくらならば売らう買はうといふ物の相場そうばが定まるのと同じ様に、長く一ヶ所に住する動植物の間には、食はれる動物何疋なんびきに対し、これを食ふ動物が何疋なんびき割合わりあいならば一方で食はれてるだけを、他方で繁殖はんしょくしておぎなうて行けるといふ様な具合に、動植物各種の数の割合の相場が自然に定まるものであるが、この相場通りに行つて居れば、動植物各種の数は年々同じことで、自然界に急劇きゅうげき変動へんどうは決して起らぬ。この有様を自然界の平均と名づける。もっとも物の相場に日々多少の変動へんどうのあるごとく、自然界の平均を保つべき動植物の数の割合わりあい寒暖かんだん相違そうい風雨ふううの多少などのごとき、其時々そのときどき事情じじょうで常に多少の変動へんどうをなすことは無論むろんである。
 此章このしょうに挙げた動植物のはげしく増加したれいは、いずれも自然界の平均を人工的にやぶつた場合である。人間が牛馬を輸入ゆにゅうせぬ前にはアメリカではアメリカ産の動植物だけで自然界の平均がたもたれ、年々いちじるしい変動へんどうも無かつた。そこへ、突然とつぜん牛馬が入つて来たが、その増加を制限せいげんすべきてき動物が無かつたと見えて、たちまくのごと繁殖はんしょくしたのである。オーストラリヤのうさぎなどもこれと同様で、元来オーストラリヤ産の動植物だけで、自然の平均を保つて居た所へ、突然とつぜんうさぎを輸入したゆえ、前述のごとき結果に達したのである。水面の高さのことなつた二個の池も、其間そのかん連絡れんらくのない間は両方ともに水も動かず、水量に増減ぞうげんもないが、ほりを造つて二個の池をつづけるとたちまち一方から水が流れみ、一方の水が増す。しか何時いつまでも増すのではなく、両方の池の水面が平均すれば流れはんで、水は再び静になる。自然界の平均をやぶつたときも、あたかこれと同様で、えるべきものはすみやかえ減るべきものは速に減じ、何年か何十年かをて再び自然界の平均へいきんが取れる様になれば、すてて置いても自然に止むものである。アメリカの牛馬、オーストラリヤのうさぎも今日はすでほとんこの境遇きょうぐうに達して居る。自然界の平均といふことは、動植物の生存せいぞん上自然の結果として生ずるものゆえこの平均をやぶる場合でなければ動植物のる種類が突然とつぜん急に増加する様なことは決して無い。たとひ一時急に増加したごとくに見えるものがあつても、たちまち平均までに減じて仕舞しまふ。
 我々われわれの常に目の前に見る自然界は、ほぼ平均を保つた有様で、年々歳々さいさい動植物各種の数にいちじるしい変化がない。我々われわれは常にこの有様を見慣みなれて居るゆえに、動植物の増加力のはげしいことには平生へいせい少しも気がかず、計算して見て初めておどろく位である。しか此章このしょうに挙げた例でもわかる通り、動植物の増加力の実際極めて劇しいことはたしかで、すこしうたがふべきものでない。これから考へて見ると、自然界の平均といふものは、一種毎いっしゅごとに無限に増加しやうとする動植物が、数百種も数千種も相接あいせっして生活し、増加力をもったがい相圧あいおし合ひ、その圧し合ふ力の平均によつて、暫時ざんじ急劇きゅうげき変動へんどうあらわさぬ状態をいふものである。その有様は全く世界中にある国々がみな戦争せんそう準備じゅんび莫大ばくだい入費にゅうひけ、軍艦ぐんかんを造り、砲台ほうだいきづくので、わずか暫時ざんじ世の中が平和をたもつのとことならぬ。此事このことは生物界の現象をろんずるに当つては重大な事項じこうで、しかも常に人がわすやすい点であるゆえ、特にこゝにべたのである。


第七章 生存競争


 自然界は常にほぼ平均の有様を保つて、る一種の動植物だけがさかんに増加することは中々出来ぬ様になつて居るが、動植物各種の実際じっさいに子を生む数ははなはだ多いのが普通ふつうである。しこうして、自然界の平均が保たれて居るのは、全く一対の動物からは、平均二疋にひきの子、一本の草からは、平均わずか一粒ひとつぶだけの種が生存せいぞんして、ただ親が自然界に占領せんりょうして居た位置を受けいで守るの結果であるから、残余のものは無論毎回実際に死に絶えて居るので、我々われわれこれ心附こころづかぬはたんに注意の行届いきとどかぬためである。
 仮にすずめが十年間毎年十個づゝのたまごを生むと考へても、一生涯いっしょうがいには百疋ひゃっぴきの子を生ずるが、年々歳々さいさいすずめの数にいちじるしい変化のないのを見れば、其中そのなか平均九十八ひきづゝは何かの理由によつて死んで仕舞しまふに相違そういない。他の動植物とてもこれと同じ理窟りくつで、一生涯いっしょうがいに数百万もたまごを生む魚類なども、先づ其中そのなかから平均二疋にひきだけが生き残つて、他はことごとく死んで仕舞しまふが、この多数のものが如何いかにして死ぬかと考へるに、これには種々の原因げんいんがある。例へば寒暑・風雨のごと気候きこう上の関係から死ぬものも沢山たくさんある。水におぼれて死ぬものもあれば、なみまれ、岩にくだけて死ぬものもある。また他の動植物のために直接ちょくせつに命をうばはれるものも沢山たくさんにあり、食物がらぬために死ぬものも無数にある。

一 競争のくべからざること


 地球上には動植物各種をして自由に増加せしむべき余地よちは少しもない。其所そのところへ動植物の各種が遠慮えんりょなしに多数の子を生むのであるから、たがいの間にはげしい競争の起るは見易みやすい道理ではあるが、その有様をくわしく論ずるには、先づしょ生物の生活する有様から考へてかゝらなければならぬ。
 動物の中には獅子ししとらきつねたぬきの様に肉を食ふものもあれば、牛・馬・羊・鹿しかごとくに草を食ふものもあるが、獅子ししとらなどえさとなるものは矢張やはり草を食ふ動物ゆえ、動物の食物は直接にか間接にか必ず植物より取るの外はない。また海産かいさんの動物を取つて見るに、三尺(注:90cm)の魚は一尺(注:30cm)の魚を食ひ、一尺の魚は三寸(注:9cm)の魚を食ひ、三寸の魚は一寸(注:3cm)の虫を食ひ、一寸の虫は三分(注:9mm)の虫を食ふといふ様な具合で、どれもこれもみな肉食動物ばかりの様であるが、最も小さな虫類は大洋の表面全体にいて生活する無限の微細藻類びさいもるいえさとするから、この場合にも動物の食物の根元は矢張り植物界にある。然らば植物は何を食ふかといふに、陸上りくじょうの植物ならば空中より炭酸瓦斯たんさんガスを取り、地中より水と塩分えんぶんとを取り、水中の植物ならば水中より総べての養分よいぶんを取り、いずれも日光の力をりてこれを自分の体質に造りへ、生長し繁殖はんしょくするのである。それゆえ緑色みどりいろていする植物は全世界の生物総体に対し、食物供給きょうきゅうの役をつとめるものといつてよろしい。
 くのごとき有様ゆえ、植物なしには草食動物は生きて居られず、草食動物なしには肉食動物は生きて居られぬ。草を食はなければ生命がたもてぬのが草食動物の天性てんせいであるから、草食動物をふ人は初めより毎日若干じゃっかんの草を犠牲ぎせいきょうするつもりでなければならず、また他の動物を食はなければ生命が保てぬのが肉食動物の天性であるから、肉食動物を飼ふ人は初より日々若干じゃっかんの動物をころ覚悟かくごでなければならぬ。草と草食動物と肉食動物とが相並あいならんでたがいおかさず、共に生存して行くといふことは到底とうてい出来ぬことである。
 昔、印度インド釈迦しゃかが山中で難行苦行なんぎょうくぎょうをしてられるところへ、悪魔あくまためしに来た話がある。先づはとに化けて飛んで来て、「お釈迦様しゃかさま、今たかが私をつて食はうと追ひけて来ます。何卒なにとぞあわれと思うて御助おたすけ下さい」といつたので、釈迦しゃかただちはとふところに入れてかくしてやつた。所へ、また悪魔あくまただちたかに化けて飛んで来て、「お釈迦様しゃかさま、私はひさしく物を食はず、非常にはらつて居ります。今追ひけて来たはとを食はなければ必ずただち餓死がしします。何卒あわれと思うて今のはとを出して下さい」といつたゆえ釈迦しゃか如何いかがしたらよろしからうと思案しあんした後、自分のももの肉を少しぎ取つてこれたかあたへ、ついはとをもたかをも助けられたといふことである。もとよりこれいやしく慈悲じひ忍辱にんにくむねとするものはこの心掛こころがけでなければならぬといふたとえで、教訓きょうくんとしてはもっとみょうであるが、実際この方法ではとたかも助けられるかといふに中々左様さようには行かぬ。し世の中にはと一疋いっぴきたか一疋いっぴきより無く、これわずかに一日だけ助けるのならば、この方法で差支さしつかへないが、べてのはとと総べてのたかとを両方ともに何時いつまでも助けることは決して出来ぬ。さいわ悪魔あくまが一回だけよりはとたかとに化けて来なかつたからよろしい様なものの、し根気よく此試このためしを何回もり返し、またはとに化けて来てかくしてもらひ、またたかに化けて来てももの肉をいでもらつたらば、一度に半斤はんきん(注:300g)づゝとしても、十回には五斤ごきん(注:3Kg)となつて、此度こんど釈迦しゃかが死んで仕舞しまふ。
 また長閑のどかな春の日に野外に散歩さんぽして見ると、草木の青々としげり、花の美しくいて居る処に、ちょう面白おもしろさうに飛びまわり、小鳥が楽しさうに歌うて居る。詩人しじんこれうたに作り、画家がかこれを絵にえがいて、共に此世このよの楽しさをほめたたへるが、これきわめて皮相ひそうな感じで、少し丁寧ていねいに考へて見たらば、世の中はけっしてく無事平穏へいおんなものではない。鳥がく歌うてられるのは今日までに数千万の虫を食ひ殺した結果で、歌ひながらもなお虫の命を取らうとさがして居る。またちょううて居られるのも幼虫ようちゅうころ沢山たくさん菜類なるいを食ひらした結果である。しこうして彼処あそこえだにはちょうとらへて殺し食はうと蜘蛛くもたくみあみつて待つている此処ここの樹の頂上ちょうじょうには小鳥をとらへて殺し食はうとたかするどい目を張つてねらつて居るから、ちょうの命も、小鳥の命も、ほとん風前ふうぜんともしびごとく、一つ油断ゆだんすればたちまち食ひ殺されて仕舞しまゆえ、中々気楽きらくあそんでばかりは居られぬ。動植物は総べてくのごと相殺あいころ相食あいくつて、自然界の平均を保つて居るのである。
 かる所へ、年々歳々さいさい動植物の各種がおびただしく子をむのであるから、その多数は無論他の動物のためにえさとして食ひ殺され、生き残るものも、えさるためにはなはだしく相争はなければならぬ。動植物の増加力は前にも述べた通り、実際無限であるが、それは代々生まれる子がことごとく生存し繁殖はんしょくするものと仮定かていした上のことで、現在のごとく毎回生まれるそばから他の動物にその大部分を食はれて仕舞しまふ場合にはもとよりいちじるしい増加の出来るはずがない。なお其上そのうえに一地方にける各種の動物の食物の総量そうりょうには常に制限せいげんがあつて、生き残つたものをみなやしなふことは到底とうてい出来ぬが、かりうさぎ一疋いっぴき居るのを犬が二疋にひきで見付けたとしたならば、先にうさぎとらへた犬は飽食ほうしょくし、後れた方は餓死がしせねばならぬわけゆえ如何いかがなる動物も食ふための競争はまぬがれぬ。またうさぎ二疋にひき居る所へ犬が一疋いっぴき来れば、はやげたうさぎは生き残り、おそい方は食はれて仕舞しまふ訳ゆえ大抵たいていの動物は食はれぬための競争もけることは出来ぬ。動植物ともに各自みな食ふ様に、食はれぬ様に、殺す様に、殺されぬ様にと競争して居るのが実際の状態である。
 英国のマルサスといふ経済けいざい学者は「人口論」といふ書物をちょしたので有名な人であるが、此書このしょ要旨ようしほぼ下のごとく、「およそ国の人口は幾何きか級数の割合で増加するが、これに対する食物其他そのほか需要じゅよう品は多く見積みつもつても算術さんじゅつ級数の割合わりあいよりかはえぬ。それゆえかならず近い内に食物の不足する時が来る。其時そのときには営養えいよう不良のために身体は弱くなり、したがつて病気びょうきえ、生活の困難こんなんなるために強盗ごうとう窃盗せっとう詐欺さぎ其他そのほか総べての罪悪ざいあくはげしく蔓延はびこつて、如何いかんとも出来ぬ世の中となる。これふせぐには今より結婚けっこんを制限し、独身どくしん生活を奨励しょうれいし、子の生まれる数を減ずる工夫くふうをするより外にはいたし方がない」といふのである。ダーウィンも此書このしょを読んで、動植物は如何いかがであるかと考へ、自然淘汰とうたことわりに気がいたといつて居るが、自然淘汰とうた説はまりマルサスの「人口論」を広く動植物界に当てめた様なものである。もっと此書このしょの始めて出版になつたのは今より百何年も前のことで、其中そのなかには根拠こんきょのないことや、実際とちがつたことがいくらもある。しかし、人口の増加の急劇きゅうげきなるべきこと、したがつて生存せいぞんのために競争が起らざるを得ぬといふだけは、だれも真理とみとめねばならぬ。動植物は前にも述べたごとく現在すでこの有様に達して居るのであるから、如何いかがなる種類といえども、いやしく生存せいぞんして居る間は決して競争以外に立つことは出来ぬ。

二 無意識の競争


 動植物の生存せいぞん競争を論ずるに当つては、先づ競争といふ字の意味を広くして用ゐなければならぬ。我々われわれ普通ふつう人間社会に行はれるたがい敵意てきいはさんだ故意こいの競争ばかりを見慣みなれて居るゆえ、競争といへばただち斯様かようなものと思ふが、生物界では偶然ぐうぜんの競争でも無意識の競争でも、故意こいの競争と同じ結果を生ずるものは、みな同じく競争と看做みなして論ずる。たとへば植物でも一本以上生ずることの出来ぬ区域くいきに、二個の種子が落ちれば、この二個はたがいに競争の位置にあるもので、結局けっきょく其中そのなかいずれか一個だけより生存することは出来ぬ。前のせつには主として動物を例に挙げて競争のくべからざることを説いたが、競争といふ字をこの意味に取れば植物とても競争のはげしいことは決して動物におとるものではない。
 されば生存競争には意識的のものと無意識的のものとがあり、また競争にあずかる生物の種類からいへば異種属いしゅぞく間の競争、同一種属内の競争の別がある。其中そのなかには個体間の競争もあれば団体間の競争もある。意識的の競争はただ若干じゃっかんの動物間に行はれるだけで、下等動物の大半と植物全体とには何時いつただ無意識的むいしきてきの競争のみが行はれて居る。かつ高等動物の間にも無意識的の競争の行はれることは決してまれでないから、大体だいたいより論ずれば、生物の競争は九分通りまで無意識的であるといつてよろしい。
 こゝに無意識的むいしきてきの競争の例を二つ三つげて見るが、だれも知つて居る通り、花園の手入れをおこたつてて置くと、たちまち雑草が蔓延はびこつて、終には折角せっかく植ゑて置いた花はれて無くなり、全く雑草ばかりになつて仕舞しまふ。これ何故なぜかといふに、およそ植物は生きて居る間は自然界の中に一定の場所を占領せんりょうしてこれたもつて居なければならぬが、各種ともにみな無数の種子を生じ、を出して増加しやうとつとめるから、是非ぜひとも場所占領せんりょうの競争が起り、場所をたものはさかん繁茂はんもし、場所を失つたものはたちま萎縮いしゅくしてせなければならぬからである。花園は常に人が干渉かんしょうして雑草の蔓延はびこらぬ様にするから、花は安んじてそれ/″\一定の場所をめ、いて居られるが、人間の干渉かんしょうが止めばただちに雑草に場所をうばはれ、生活が出来なくなる。雑草が直接に花を食ふわけでは無いが、花のようするものを雑草も要し、れがきればわれは死ぬといふ間柄あいだがらゆえ、たとひ雑草はただ蔓延はびこらうとつとめるばかりで、別に敵に勝ちたいといふ料簡りょうけんがなくとも、その結果は実に劇烈げきれつな戦争と少しもことなる所はない。
 オランダ=ゲンゲが今日処々ところどころ蔓延はびこつて居るのも同様の例である。今日此草このくさの生えて居る処は其前そのまえ何も生えて居ぬ裸地らちではなく、従来じゅうらい日本産の草が一面に生えて居た。其処そこ此草このくさの種子がまぎみ、繁殖はんしょくするにしたがつて、前から其処そこにあつた草を次第しだいに追ひ退け、其跡そのあと占領せんりょうしたのであるゆえ、決して広い空家に引移つて来て、平和に繁殖はんしょくした訳ではない。無意識ながらはげしい競争に打勝つて、今日の有様に達したのである。
 またせまい処に沢山たくさんの種子をけば、決してみなが芽を出すことは出来ず、芽を出したものの中でも、ごく少数のものの外は生長し続けることは出来ぬ。もみ一粒毎ひとつぶごとに一本のいねを生ずべきもので、試に一粒ひとつぶづゝ間をへだてて広い処にけば、必ず其通そのとおりになるが、苗代なわしろにはいく沢山たくさんもみいても、その苗代なわしろ一杯いっぱいになるだけより以上のいねは出ぬ。またこの若いは各生長してを生ずるはずのもので、実際これを広い田にうつし、間を少しづゝへだてて植ゑると、たちまち生長して多量の米を生ずるが、其儘そのまますてて置いたらば、ほとんど千本の中に一本も真に生長してを生ずるものは出来ぬ。べて植物が生長するには、各一定の面積を有する土地と、一定量の水・空気・日光等を要するものゆえせまい場所に多数が生長しやうとする時には、たがい此等これら需要じゅよう品をうばひ合はざるを得ぬ。もっとも、供給きょうきゅうがく需要じゅようの額をえるときは、競争も起らぬはずであるが、日光のごときものですらも、例へば一本が生長すれば、其蔭そのかげに当るものは十分に其恩そのおんよくすることが出来ぬから、植物は日光のためにも競争をせざる訳には行かぬ。兄弟かきせめぐことは無数の種子を生ずる植物においては、到底とうていまぬがるゝをぬ所である。
 くのごとく無意識的の競争は自然界いたる処に行はれて居るが、意識的と無意識的とを論ぜず、たがいに競争するのは如何いかがなる動植物かと見れば、何時いつも必ず同処に住し、同一の需要じゅよう品を有するものばかりで、其中そのなかでもれの需要じゅよう品とれの需要じゅよう品とが相重り合ふことの多いものほど、其間そのかんの競争が劇烈げきれつである。しこうして如何いかがなる動植物が共同の需要じゅよう品を有すること最も多きかとたずねると、無論同一種類にぞくするもので、此等これらは形状構造が同一なるのみならず、食物が全く同一であり、其他そのほか一般いっぱんの習性が同一であつて、自然界の中に同一なる位置をめるべき資格しかくのものゆえ、素より総べての点においたがいに競争せねばならぬが、動植物の種類は何十万もあることゆえ其中そのなかにはぞくことにし、しゅを異にしても、余程までは同一の需用じゅよう品を要するものが沢山たくさんにある。此等これらみな人間社会にたとえへて言へば、所謂いわゆる商売がたきで、相接近して生活する以上いじょうは同じく競争をまぬがれぬ。れのもうけた一銭いっせん(注:百円ぐらい)は、かりせば我がふところに入つたはずの一銭である。ゆえれが一銭をもうけたのはあたかも我がにぎつた手から一銭を'手宛'ぎ取つたと同じであると感じて、人間社会では意識的に競争するが、これよりもなお一層劇烈げきれつな無意識的の競争が自然界のいたる処に春夏秋冬の別なく、日夜えず行はれて居る。しかし無言無声のうちに行はれて居るゆえただ物の表面のみを見る人等は通常かることを知らずにすごして居るのである。

三 異種間の競争


 先づ異種いしゅ間競争のいちじるしい例を四つ五つげて見るに、ヨーロッパには、昔はねずみと言へば、ただ黒鼠くろねずみが一種あつたばかりである所、千七百年代の初めに、ロシヤのヴォルガ河口辺にアジヤ産の鳶色鼠とびいろねずみが現れ、それより盛に蔓延まんえんして、いたところ従来の黒鼠くろねずみを追ひ退しりぞけ、今ではヨーロッパの大抵たいていの処では昔の黒鼠くろねずみは全く無いか、または有つても極めてまれになつて仕舞しまつた。この二種のねずみは形状、習性しゅうせいともに大同小異だいどうしょういで、生活に要する需用じゅよう品もほぼ全く同一であるゆえ其間そのかんに劇しい競争が行はれ、鳶色鼠とびいろねずみの方が何かわずかの点で勝つて居たので、かる結果に立ちいたつたものと見える。両種ともに我国わがくににも産するが、我国でも矢張り鳶色とびいろねずみの方がはるかに多い。
 この鳶色鼠とびいろねずみは船などにまぎんで、今日交通のさかんな土地へは何処どこへでもひろがつて居るが、ニウ=ジーランドにも入つて、たちまち盛に繁殖はんしょくした。此島このしまには元来旧土人が南洋のる島から持つて来たといふ一種のねずみが住んで居たが、鳶色鼠とびいろねずみ段々だんだん位地をうばはれて、今では全く絶えて仕舞しまつた。また此島このしまではヨーロッパ産のはえが来てから、従来土着のはえ追々おいおい亡び失せる有様である。
 ロシヤには台所に住む一種の大きなアブラムシがあつたが、アジヤ産のやや小なるアブラムシが入りんでから、前の種はたちまちの間に全くかげも止めず、消えて仕舞しまつた。
 オーストラリヤに蜜蜂みつばちを輸入してからは、土着どちゃくの一種の蜜蜂みつばちは年々減じて行く様である。
 植物の方にも例がいくらでもある。デンマルク国の森林には昔はほとんかばばかりであつたが、今ではブナが追々繁殖はんしょくして、かばは年々敗けて行く有様である。せた砂地すなじには今日でもかばばかりの林があるが、土地の少しでもえた処では、かばとブナとがまじつて生えて居て、ブナの方が何時いつも勢がよろしい。一体、かば日蔭ひかげには育たぬ木であるが、ブナの方は少々の日蔭ひかげには一向平気で、かつ自身は枝葉えだはしげらして一面にかげを造るゆえ、両方混じて生えて居ると、かばは日光を得るためにブナより上へ出んとしてただたけばかり高くなり、長い間には追々弱つてれて仕舞しまふ。人間でもたけばかり高い人のことをぞく日蔭ひかげももの木といふが、日光は植物には是非ぜひ必要のものゆえ日蔭ひかげに生えた植物は如何いかにしてでも日光にせっしやうと、上へ上へとびるもので、森の中央にある木がみなたけの高いのはこの競争より起ることである。かばはブナのかげには生活が出来ず、ブナはかばかげにても少しも弱らず、ブナの種子しゅしが落ちて生えたは、みな勢がいが、かばたねから生えた芽は一向に育たぬから、かばこの競争にはいを取るのであらうと植物学者は論じて居る。
 ニウ=ジーランドの河に、ミヅ=タガラシが繁茂はんもして、これり取るばかりにも年々莫大ばくだい入費にゅうひつたことはすでに前にも述べたが、此草このくさ蔓延はびこつて居るかわの岸にやなぎゑると、やなぎが河底の方へ一面に根を拡げて、滋養分じようぶんふから、ミヅ=タガラシは生活が出来なくなるといふことがわかつたので、諸処しょしょ河岸かわぎし沢山たくさんやなぎを植ゑた結果、今では此草このくさが余程減じて昔の様に此草このくさのために水流がつかへ、雨のごとに水があふれるごときことは全く無くなつた。やなぎとミヅ=タガラシとは植物分類ぶんるい上からいへば、随分ずいぶんはなれたものであるが、両方とも水辺みずべに生じ、水底みずぞこ泥土でいどから滋養分じようぶんを取るといふ点で一致いっちして居るから、一方が蔓延はびこるには是非ぜひとも他のものを追ひ退けねばならず、したがつてこの二者の間には劇烈げきれつな競争が起らざるを得ない。
 以上述べた通り、種属の相異あいことなる動植物の間には、ねこねずみ、イナゴといねといふ様なたがいに相食ひ、食はれるものの外、同一の需要じゅよう品を要するためにはげしい競争が絶えず行はれて居るものであるが、この競争の結果は如何いかにと考へるに、これは言ふまでもなく、各種属の栄枯盛衰えいこせいすいである。勝つたものが栄え、敗けたものがおとろへるはことわりの当然であるが、地球の表面を見ると、山もあれば河もあり、森もあれば野もあり、日向もあれば日蔭ひかげもあり、せた地もあればえた地もあり、なお其上そのうえに熱帯もあれば寒帯もあつて、全く相同じ処はほとんど無い。それゆえ、一種の生物があまね何処どこでもかちを制するといふ訳には行かず、山では勝つても河辺では敗けるとか、砂地では勝つても粘土ねんどの処では負けるとか、また日向ひなたでは勝つが日蔭ひかげでは負けるとかいふ具合に、その場所々々で競争の勝負もちがふものゆえ、各種の生物は競争上自分の勝つ場所、もしくは負けざる場所に住居を定め、たがい領分りょうぶんを守る様になる。これすなわち動植物分布ぶんぷの定まる原因である。とくに植物は地に生えて動かぬものゆえ、分布の区域くいき明瞭めいりょうであるが、植物の分布が定まればこれえさとする動物の分布も共に定まる。其中そのなかにも昆虫こんちゅうなどの分布はほとんど一種ごとる植物の分布と一致いっちする。岐阜蝶ぎふちょうといふ奇麗きれいちょうは、ウスバサイシンといふ草の葉ばかりを食ふゆえ此蝶このちょうの居る処はただ此草このくさの生える処に限られてある。しこうして昆虫こんちゅう分布ぶんぷが定まれば、これを食する鳥類の分布も定まるといふ様な訳で、みなたがいに相関係しながら、各々競争の結果として自然にその分布の区域が定まる。
 また同じ需要じゅよう品を要するゆえ、競争がおこるのであるから、習性がやや異なり、したがつて生活上多少ちがつた需要じゅよう品を要する生物は相接して住んでもたがいに相犯すことが少いゆえ一箇所いっかしょに共に長く生活することが出来る。全く同一の需要じゅよう品を要する生物は自然界の中に同一の位地いちめやうとするものゆえたがいに競争するが、たがい需要じゅよう品を異にする生物であると、一種類が自然界の中に占める位置の間の空隙くうげきを他の種類がめることになるから、ただに相競争せぬのみならず、ことなつた生物を混じて置けば、一定の区域内に成るべく多くの生物の量を収容しゅうようすることが出来る。あたか一升いっしょう(注:1.8リットル)ますにジャガいも一杯いっぱいに入れれば、ジャガいも最早もはや其上そのうえには一つも入らぬが、いもの間には空隙くうげきがあるゆえ蚕豆そらまめならばなお余程入れることが出来る。蚕豆を一杯いっぱいに入れれば、蚕豆そらまめ最早もはや入らぬが、あわなればなお相応に入れることが出来るのと同じである。かる有様ゆえ、一種ごとに無限の増加力を有する動植物各種は決して自然界に空隙くうげきを残さぬ様に各自己じこてきする位置を占領せんりょうし、同区域内にいく十種も数百種も混じて生活する。またたがいに競争して居るものでも、ほぼ互角ごかくの勢をなすものは勝負に長時間を要するゆえ、余り著しい変化も見えず、同じく相混じて生活する。それゆえ、地球の表面の各部にはみな其部そのぶおいて生存競争に負けぬ生物だけが相混あいまじてむれをなし、山には山の動植物ぐん、谷には谷の動植物群、砂地には砂地の動植物群、日蔭ひかげには日蔭ひかげの動植物群といふものが自然に定まり、古井戸ふるいどのぞけば其内そのうちには古井戸ふるいど内にてきする動植物ぐんが出来て居る。地球表面の各部の景色の異なるは、余程までは其処そこの動植物群の相異なるにるものである。く一種々々の動植物がる区域内に各一定の位置を占領せんりょうし、増加力をもったがいに相圧し合ひながら、日々余りいちじるしい変動へんどうを示さぬ有様が、すなわち前章のおわりに述べた自然界の平均である。
 しかし、自然界の平均といふものは、決して永久えいきゅう的一定不変のものではない。桑田そうでん変じて海となる様な地殻ちかく変動へんどうがあれば、それにしたがつて各処の動植物群に変動へんどうが起り、動植物各種に盛衰せいすいの生ずるは無論であるが、たとひかる変動へんどうがなくとも、動物は食物を求めて遠い処に移住いじゅうを試みるものがあり、また植物の種子は風にかれ、鳥に運ばれて随分ずいぶんへだたつた処までも達するゆえほぼ自然界の平均の保たれてある区域に、突然とつぜん新規の動植物がまぎむことは常にいくらもあり、新規のものが入つて来れば、一時自然界の平均が破れる。しかし、増すだけのものが増し、減るべきものが減つて仕舞しまへば、其処そこの自然界はさらに新しい平均の有様に落ち着く。また新規の動植物が他処よそからまぎめば、自然界の平均は再びやぶれ、しばらくすればさらに新しい平均の有様にしずまる。くして自然界の平均はえずやぶられ、絶えず改まり行くから、今日蔓延はびこつて居る種類も永久蔓延はびこつて居られるとは限らず、今日勢力のない種類も永久勢力がないものとは言はれぬ。また互角ごかくの勢のものも永久互角ごかくの勢を保つことはほとんど出来ぬことで、長い間にはいずれかに勝敗しょうはいが決するゆえこれによつても素より動植物各種の盛衰せいすいが定まる。栄枯盛衰えいこせいすいは人の身の上ばかりではなく、動植物の各種も、異種いしゅ間の競争のはげしい結果、盛衰せいすいの運命は到底とうていまぬがれず、敗けたものはおとろへ、おとろへのきわみに達すれば終にほろび失せて、あとをもとめぬ様になつて仕舞しまふ。昔あつて今なき動植物の種類は総べてかる運命におちいつたものである。
 異種間の競争の有様をくわしく調べれば、動植物各種の栄枯盛衰えいこせいすいことわりさっすることは出来るが、元来異種間の競争といふものは、すでに動植物各種がならそんして後のことゆえ如何いかこれを研究しても動植物各種は如何いかにして生じたものであるかといふ所謂いわゆる種の起源しゅのきげんいての問題を解釈かいしゃくすることは出来ぬ。これかいするには必ず同種内の競争を十分に調査せなければならぬ。異種間の競争は此節このせつに述べた通り、生物各種盛衰せいすい原因げんいんであるが、同種内の競争は其種そのしゅの進化の原因である。それゆえ、同種内の競争の有様を研究し、その結果を調べることは、ダーウィンの自然淘汰とうた説の主眼とする所である。

四 同種内の競争


 動植物各種の生む子の数の非常に多いことは、すでに前章にべた通りであるが、自然界には隅々すみずみまで各種の動植物がし合ふ様に位置を占領せんりょうして居るから、到底とうてい新に多くの生物を収容しゅうようすべき余地はない。それゆえ代々生まれる子の中から平均親と同数だけより生長し終へることは出来ず、其他そのほかことごとく何かの理由によつて、途中とちゅうに死んで仕舞しまはなければならぬ。若し生まれる子がみなたがいに寸分もちがはぬものであつたならば、此際このさいいずれが生き残るかいずれが死ぬるかは全く偶然ぐうぜんに定まる理窟りくつであるが、すでに第五章で述べた通り、生物測定学の調査によると、野生動植物にもいちじるしい変化性があつて、一対の親より生まれた子にも形状・性質ともに、中中たがい相違そういするものがあり、全く相同じきものは決してないから、少数のものだけより生き残ることが出来ぬといふ場合には、生き残るべきものと死すべきものとの運命が自然に定まつて居る。すなわち一個々々の間に多少の相違そういがある以上は、敵に食はれぬ様に身をまもるに当つても、異種属の生物と競争するに当つても、また食物を得るために同胞どうほうと相争ふに当つても、各々おのおの多少の優劣ゆうれつあるはまぬがれぬ所であるから、まさつたものは生き残つて生長し繁殖はんしょくし、おとつたものは死に絶えて仕舞しまふことになる。
 例へばイナゴは常に鳥類に食はれるものであるが、多数に生まれた子の中には生まれながら後足の発達の度に幾分いくぶんかの相違そういがあり、したがつてねることのいくらか速いものといくらかおそいものとがある、これは人間にも同じ兄弟の中に足の達者なものと弱いものとがあるのと同様である。これみな鳥類に追はれとらへられやうとする場合には、如何いかがなるものがもっと其難そのなんのがれる見込みこみを有するかといへば、無論最も後足の発達した最もねることのたくみなものである。もっとも、人間の競走にも常に一番になる名人が偶然ぐうぜんすべつて転んだために負けることがある様に、後足の最も発達したものが鳥に食はれることもあるには相違そういないが、大体から言へば、先づ此通このとおりであらう。そこで代々多数に生まれる子の中から最も後足の発達したもの若干じゃっかんだけが生き残つて繁殖はんしょくし、他のものはみな鳥に食はれて仕舞しまふとすれば、この性質は遺伝によつて常に一代より次の代に伝はり、代々少しづゝ進んで、終には後足のすこぶる発達したイナゴが出来なければならぬ。
 また'モグラ'むぐらは常に蚯蚓みみずを食つて生きて居るものであるが、蚯蚓みみずを食ふ動物は外にも随分ずいぶん沢山たくさんにあるから、多数に生まれる'モグラ'の子は蚯蚓みみずを余程たくみに取らぬと餓死がしせなければならぬ。しかるに同じく生まれた子の中にも、前足のつめの発達に多少の相違そういがあり、つめいくらか大きくてするどいものもあれば、いくらか小くてにぶいものもある。これみな同様に蚯蚓みみずを追うて歩く場合には如何いかがなるものが最も速く蚯蚓みみずとらへて飽食ほうしょくする見込みこみを有するかといへば、勿論むろんつめの最も大きくするどいものである。そこで代々多数に生まれる子の中から最もつめの発達したもの若干だけが生き残り、他のものは残らず餓死がしして仕舞しまふとすれば、この性質は遺伝いでんによつて常に一代より次の代に伝はり、代々少しづゝ進んで、終にはつめすこぶる発達した'モグラ'が出来るはずである。
 以上げた例は両方とも単に理窟りくつだけを示すために、事柄ことがらを非常に簡単かんたんにして論じたが、実際においては素より決して簡単かんたんな訳のものではない。例へばイナゴが鳥に追はれるときにも、ただ後足さへ発達して居れば必ず競争に勝つとはかぎらぬ。同じく緑色のイナゴでも、緑葉にとまれば鳥の目にがたいが、白壁しらかべの上にとまれば著しく目に立つゆえ、先づ鳥の攻撃こうげきを受ける。それゆえ何処どこにも構はずにとまる足の速いイナゴよりは、足は弱くても自身と同色の処のみを選んでとまるイナゴの方が助かりやすい。また同じく緑葉にとまるイナゴの中では、たとひねることは少々おそくても、体色が最も葉の色に近いものが最後まで鳥の攻撃こうげきのがれる訳である。また後足が発達すればよろしいといつても決して無限に何処どこまでも大きく成れるものではない。およそ生物の体といふものは頭・どう・手・足などが集まつて、初めて完全な一個が出来て居るのであるから、一個体をなせる各器官きかんの間には極めて親密しんみつな関係があり、決してる一種の器官きかんが他の器官きかんかまはずに大きくはなれぬ。後足ばかりが無暗むやみに大きくなつては、従来じゅうらいの小な口で咀嚼そしゃくし、従来の短いちょうで消化し吸収きゅうしゅうするだけの滋養分じようぶんではこれを養ひ切れぬゆえ、先づ此等これらからあらたまらなければ出来ぬことである。今こゝにはわずか二三ヶ条にさんかじょうげたに過ぎぬが、生存競争の際に勝負に影響えいきょうおよぼす事項じこうほとんど無数にあるゆえ、一々の場合に如何いかがなるものが勝つかは、その生物の構造・生理・習性・外界の事情等がことごとく解つた上でなければたしかに予言することも出来ぬ。かる次第で実際においては決して例に述べたごとき簡単なものではないが、敵に食はれぬための競争においても、えさを食ふための競争においても、代々多数に生まれる子の中で如何いかがなるものが勝ち、如何いかがなるものが負けるかは決して偶然ぐうぜんに定まるわけではなく、常に一定の標準によつて定まるといふことだけは、だれも争ふことの出来ぬ事実である。
 代々一定の標準にしたがつて淘汰とうたして行けば、その生物に一代ごとわずかづゝ変化し、代を重ねるにしたがつて、この変化も積つていちじるしく現れ、終には先祖せんぞに比べるとほとんど別種かと思はれる程になることは、人間の飼養しようする動植物の方にはいくらも例があるが、野生の動植物にも同種内の競争の結果として、矢張やはり、一種の淘汰とうたが常に行はれて居る。しかこれは人間の干渉かんしょうを受けず、自然に行はれるものゆえ、自然淘汰とうたと名づける。人為じんい淘汰とうたおいては飼養しよう者が淘汰とうたすることゆえその生物は代々飼養しよう者の理想とする所に向つて、少しづゝ進んで行くが、自然淘汰とうたおいては生存競争の結果として自然に淘汰とうたが行はれることゆえその生物は代々生存競争の際にある点が少しづゝ発達はったつして行く。あたかはとの中からむねの最もふくれたものを代々選んだので、今日のパウターが出来、またの最もひろがるものを代々選んだので、今日のファンテイルが出来たごとく、イナゴの先祖から代々後足の最も発達したものだけが生き残つたので現在のごときイナゴが出来、また'モグラ'の先祖から代々前足のつめの最も大きくするどいものだけが生き残つたので現在のごとき'モグラ'が出来たといふ様な訳である。
 こゝにけて言ふべきは、同種内の生存せいぞん競争は必ずしも個体間ばかりに行はれるとは限らぬことである。動物には単独たんどくの生活をなすものと、団体だんたいを造つて生活するものとあるが、団体をなして生活するものでは、常に団体と団体との間にはげしい競争が行はれ、生存競争に利益ある性質を帯びた団体は勝つて長く存立そんりつし、不利益な性質をびた団体はたちまち敗れてほろび失せる。それゆえかる種類の動物においては生存競争の単位は団体であるが、如何いかがなる団体が最も勝つ見込みこみを有するかと考へると、言ふまでもなく、其内そのうちの個体の数が相当に多くて、これみな協力一致いっちし、なお進んでは共同の事業を分担ぶんたんして各自もっぱその担当たんとうきょくに当る様な団体が最も強い。如何いかに多数の個体より成る団体でも、其中そのなかの各個体のなすことがたがい矛盾むじゅんする様では労力ろうりょくの総量は如何いかに多くても、その大部分は団体内でたがいに打ち消し合ひ、到底とうてい団体として敵と対立して競争することは出来ぬ。しかるに団体競争の結果として、競争に利益りえきある性質をびた団体のみが常に生き残つて子を残すゆえ、こゝに述べたごとき性質は一代ごとに自然淘汰とうたによりて進歩し、団体内には一定の秩序ちつじょが生じ、分業ぶんぎょうが行はれ、各個体は幾分いくぶんその独立を失ひ、全団体はあたか一段等いちだんとうの高き個体のごときものとなるにいたる。社会と名づけるものはすなわかる団体である。

五 生物相互そうごの複雑な関係


 此章このしょうおいて種々の生存競争の有様を論ずるに当つて、何時いつも成るべく理窟りくつだけを明瞭めいりょうしめすために、出来るだけ簡単かんたんに考へたが、自然界は中々斯様かよう単純たんじゅんなものでなく、生物相互そうごの間だけにもきわめて複雑な関係があるものゆえ、次の章で自然淘汰とうたのことをなおくわしく説く前に、少し此事このことを述べて置かねばならぬ。
 英国スタッフォードシャヤーにあるダーウィンの親戚しんせきもち地面の中にいまだ一度も耕作こうさくをせぬ広い野原のはらがあつたが、る時、かきを造つて其中そのなか一部をかこみ、中にもみの樹を植ゑた所、其後そのご二十五年ばかりをぎて調べて見たのに、元々全く同様であつた処でも、今はかきの内と外とは植物動物ともに非常な相違そういで、かきの外には生えぬ植物がいちじるしいものだけでも十二種ばかりかきの内に繁茂はんもし、したがつて昆虫こんちゅう類も大に相異なり、これを食ひに来る鳥類もちがつて、かきの中には六種類ばかりも来るが、かきの外には全く別の種類が二三種来るばかりであつた。
 またサレーのる村にも広い野原があるが、近傍きんぼうおかの上に二三本もみの大木があるだけで、樹木じゅもくといつては他に一本も生えて居なかつた。しかるに、る時、単にかきを造つてその一部を囲んだのに、それより十年も過ぎぬ中に、かきの内には一面にもみの木が生えて圧し合ふばかりに生長した。此樅このもみの木はいたのでも植ゑたのでもないゆえ、全く近辺きんぺんの大木からつて落ちた種子より生じたにちがひないが、若し左様としたらば、かきの外にも落ちて生えぬはずはないと思つて、ダーウィンがく調べて見た所が、実際野原のはら一面にえて居て、ただ常に牛に食はれるために生長が出来ぬだけであつた。大木の一本からおよそ一町(注:109m)ばかりはなれたところで三尺(注:90cm)四方だけ地面を丁寧ていねいに検査したのに、其中そのなかに三十二本ももみ芽生めばえがあつて、試にその一本を取つて見ると、みきの切口に年輪ねんりんが二十六もあることを発見した。すなわもみ種子しゅしが飛んで来て落ちることはかきの内も外も相違そういはないが、かきの外ではえず牛が来てわかい芽をたずね求めて食ふゆえ、生長が出来ぬので、此木このきなどは毎年芽を出し毎年牛に食ひ取られて二十六年もたのである。して見れば、かきの内にさかんもみえたのも決して不思議なことではない。
 くのごと樹木じゅもくの出来るか出来ぬかは牛馬の有無うむによつて定まることもあるが、牛馬の有無はまた昆虫こんちゅうの有無によつて定まる様な場合がある。南アメリカのパラグワイ地方では、かって牛馬などが野生になつたことがない。一体、南アメリカでは何処どこでも野生の牛馬が非常に蔓延はびこつて居るのに、此処このところばかりに居ないのは、奇態きたいな様であるが、る学者等の調によると、此地このちには牛馬の幼児ようじへそたまごを生みけて、これほろぼす一種のはえが居るによるといふことである。しか此蠅このはえにはまた何かこれを害する敵があるにちがひない。例へばこれに寄生する昆虫こんちゅうがあつて、常にいくらづゝかこれを殺して居る位のことは必ずある。それゆえしパラグワイで食虫しょくちゅう鳥類が減じたらば、この寄生きせい昆虫こんちゅうが盛にえ、寄生昆虫こんちゅうえたらば此蠅このはえいちじるしく減じ、はえが減じたらば牛馬は其害そのがいまぬがれて野生となり、繁殖はんしょくすることも出来るであらう。しこうして牛馬がえれば先づ植物に影響えいきょうおよぼし、したがつて昆虫こんちゅう類・鳥類にも変化の起ることは前の例で述べた通りであるから、またさらに牛馬の盛衰せいすいに関係を生じて来る。
 以上はいずれもダーウィンの著書ちょしょに出て居る例であるが、なお一つ方々ほうぼうへ引合ひに出される有名な例がある。だれも知る通り、植物に種子の生ずるのは花のいて居る間に雄蕊おしべから出た花粉かふんが風あるいは虫の媒介ばいかいにより雌蕊めしべ柱頭ちゅうとうに達するにもとづくことであるが、ダーウィンの実験によると、オランダ=ゲンゲの種子の生ずるのは全く地蜂じばちが来て媒介ばいかいするによることで、はちの来ぬ様にあみでもかぶせて置けばいくら花がいても種子は一粒つひとぶも出来ぬ。しかるに地蜂じばち習性しゅうせいを特に調べた学者の説によると、此蜂このはちは大部分野鼠のねずみに食はれるさうである。しこうしてねずみは素よりねこえさであるゆえ、若し一地方にねこが減じたらば、ねずみねずみえたならば地蜂じばちが減じ、したがつてオランダ=ゲンゲの種子の産額さんがくも減ずる訳になる。ねことオランダ=ゲンゲのごとき草とは、一寸ちょっと考へると全く無関係で、一方に如何いかがなる盛衰せいすいがあつても他の方へは少しも影響えいきょうおよぼすことは無い様であるが、く順を追うて見ると、其間そのあいだには間接ながら大関係があると言はねばならぬ。自然界にける生物相互そうごの関係は実に如何いかがなる辺にそんするか、到底とうてい予想することは出来ぬ。
 こゝに一つ特に注意して置くべきは、以上の例はみな生物相互そうごの間には意外の所に関係のあるを示すだけのもので、決して自然界は簡単かんたんなものではないといふことである。此等これらの例は多少生物間の複雑な関係を示す積りでげたのではあるが、自然界の複雑な有様はもとより我々われわれが万分の一も写すことの出来ぬくらいであるゆえ此等これらの例をもって自然の現象を幾分いくぶんか完全にえがいたものと看做みなしては大間違まちがひである。兎角とかく我々われわれは物の原因げんいん結果の理窟りくつを考へる時に、自然界の複雑なことをわすれ、一の原因からは唯一ただひと通りの結果を生じ、一の結果の生ずるには唯一ただひと通りの原因よりない様に思ひあやまやすいもので、る現象の一の原因に考へあたればただちにそれをもっただ一の原因のごとくに思ひ、またる現象より生ずる一の結果をし考へればただちにそれをもっ唯一ゆいつの結果のごとくに思ふかたむきがある。然るに実際の自然界においては、同時に無数の事件が並び進行し、多数の原因が複雑ふくざつに相関係しながら、同じく複雑な種々の結果を生じて居るから、中々一度には明瞭めいりょうに考へられぬ。我々われわれが通常物の原因結果を考へる具合は、あたかも一本のくさり一節ひとふしづゝ先へ先へとさぐごとくに、ただ一筋の線をたよつて進むが、自然界の実際にける原因結果の複雑な有様は、ひて物にたとえへれば、鏈帷子くさりかたびら幾重いくえも重ねてぢ合せた様なものゆえ其積そのつもりで考へぬと非常なあやまりおちいるやも知れぬ。最後に挙げた例のごときも理窟りくつからいへば、無論くなければならぬが、これは複雑な自然界から他のものをことごとのぞき去つて、ただねこねずみはちとオランダ=ゲンゲとだけを残し置いたごとくに想像して、其間そのかんの関係をろんじたまでのことゆえ、実際は決して単純たんじゅんに行くものではない。此例このれいげたのは、ただ世人せじんは通常生物相互そうごの間に複雑な間接の関係のあることに気がかずに居るが、此種このしゅの関係は何処どこにもそんするといふことを示すために過ぎぬ。


第八章 自然淘汰とうた


 さて前章に述べたごとく、生物界には常に異種いしゅ間にも同種内にも劇烈げきれつ競争きょうそう日夜にちやえず行はれて居るが、異種間の競争によつて各種の盛衰せいすい存亡そんぼうが定まり、同種内の競争によつて其種そのしゅが進化する。しこうして競争の際には如何いかがなる標準によつて勝敗しょうはいが決するかといふに、自然界は前にも述べたごとく極めて複雑なものゆえ我々われわれが容易にあらかじめ知ることは出来ぬが、その場合々々の生存にてきする性質をびたものが勝つことだけは確である。しかるに自然界は常にるべく平均の有様を保ちて、変化ははなは徐々じょじょであるから、生存にてきする性質といふものも、一種類ごといては千代も万代もほぼ変らぬことが多いゆえ、各種の生物は余程よほど長い間代々ほぼ同一な標準にしたがつて淘汰とうたせられることになり、淘汰とうたの結果次第次第しだいしだいに形状・構造などに変化が生ずべきはずである。
 くのごと生存競争せいぞんきょうそうの結果は自然淘汰とうたであるが、自然淘汰とうたによつて生物各種に如何いかがなる変化が生ずるかは、一種ごといて別に考へねばならぬ。しかし、これは無論一朝一夕いっちょういっせきに出来るものではない。特に生物の身体を成せる各器官かくきかんの間には生長の聯関そうかんなどといふ事があつて、一種の器官きかんだけが身体の他の部分と全く関係なしに独立どくりつに変化することは出来ず、一器官いちきかんに変化が起れば、これよりいてほとんど全身に影響えいきょうおよぼすこともあるものゆえ、今日の不完全な我々われわれの知識をもっては、到底とうてい十分には論ぜられぬ。この生長の聯関そうかんといふこともただ経験上若干じゃっかんの事実が知れて居るだけで、例へば四肢ししが長くびれば、これと同時に頭も長くなるとか、足に羽毛の生えたはとには外側のあしの間にまくがあるとか、くちばしの短いはとは足が小く、くちばしの長いはとは足が大きいとかいふ様な、一個一個のはなれた事実は、飼養しよう者のつねに知る所であるが、く一種の器官きかんに起る変化が必ずる他の器官きかんの変化にともなはれるのは何故なぜであるか、如何いかがなる規則にしたがうてかる現象が起るかといふことは、いまだ極めて不明瞭ふめいりょうである。これに限らずべて他の方面においても、我々われわれの知識は未だはなはだ不完全なものゆえ、今日の所ではただ大体を論じて満足するより外にいたし方は無い。

一 優勝劣敗ゆうしょうれっぱい


 まさつた者が勝ち、おとつた者が敗れるのは解り切つたことで、別に説明にもおよばぬ様であるが、生存競争といふ字も自然界の現象を論ずるに当つては、普通ふつうに用ゐるよりは大に意義いぎを広めて無意識的競争までもふくませなければならぬ様に、優勝劣敗ゆうしょうれっぱいというても、我々われわれ優者ゆうしゃ見做みなす者が何時いつも必ず勝ち、劣者れつしゃ見做みなすものが何時いつかならず敗れるとは限らぬ。ただその場合におい生存せいぞんてきするものが生存するといふ広い意味であるから、我々われわれが常に劣者れっしゃ見做みなして居るものがかえつて生き残る様な場合があつても、これは決して優勝劣敗ゆうしょうれっぱい以外の現象ではない。かっ磐梯山ばんだいさん破裂はれつしたとき、達者たっしゃな者はおどろいて一番に家から飛び出して負傷ふしょうしたり死んだりしたが、こしの立たぬ人等はげ出すことの出来なかつたためにかえつて助かつた。これを見てる人は劣勝優敗れっしょうゆうはいだなどと論じたこともあるが、かる際にはこしの立たぬ方が適者てきしゃで、達者な方が不適者である。斯様かようなことが自然界には往々あるゆえ優勝劣敗ゆうしょうれっぱいといふよりはむしろスペンサーの用ゐ始めた適者生存てきしゃせいぞんといふ文字を取つた方が誤解ごかいせられるおそれがなくて穏当おんとうであるかも知れぬ。生物界におい優勝劣敗ゆうしょうれっぱいといふのは何時いつでもただ適者が生存するといふ意味であるが、この意味に取れば何時いつ何処どこで用ゐても決して例外のあるべき理窟りくつはない。
 くのごとく適者も不適者も初めから定まつたものでなく、場合次第しだいちがふことがあり、したがつて生物個体の存亡の標準はその時々の事情に応じて異なるものであるが、この事情といふものの中には年々歳々さいさい絶えず変らぬものもあれば、また一回限いっかいかぎりで前にも後にも無いものもある。磐梯山ばんだいさん破裂はれつごときはただ一回限りで再びあるかないか知れぬことであるが、敵に食はれぬための競争、食餌しょくじを食ふための競争のごときは年々引続いて決して絶えることは無い。く二種類ある中でいずれが自然淘汰とうたに必要であるかといふに、およそ動物でも植物でも淘汰とうたの結果のあらわれるのは、代々同一の標準によつて長い間絶えず淘汰とうたの行はれることが必要であるゆえ、単に一回限りより無い事件は、生物の進化に向うてはほとんど何の影響えいきょうおよぼさぬ。これに反して如何いかがなる事情でもただ長い間絶えず引き続きさへすれば生物個体の存亡そんぼうの標準の一部分は常にこれによつて定まるから、生物進化の一原因いちげんいんとなることが出来る。敵よりのがれるための競争、えさを取るための競争などその最もいちじるしいものであるが、一地方におい偶然ぐうぜんまれに起る事件も、他の地方では規則正しく常に起る様なこともあるゆえこうの地方で生物進化の原因げんいんとしてはたらかぬ事件じけんが、おつの地方ではあきらかく働く場合が無いとも限らぬ。例へば昆虫こんちゅうごときはありのぞけば、其他そのほかは通常、ちょうでも、はちでも、'蝉'せみでも、はえでも、みなはねもって飛ぶものばかりで、はねの発達して居ることが生存の一条件となつて居る程であるが、大洋の真中にある小島の常に風のはげしい処にははねの無い飛ばぬ昆虫こんちゅうはなはだ多い。マデイラ島には甲虫こうちゅうの種類が五百ばかりもあるが、其中そのなか半分は飛ぶ力の無い種類である。また印度洋インドようの南方にあるケルグレン島に産する昆虫こんちゅうことごとく飛ばぬ種類ばかりである。これあるいは代々はねの発達した善く飛ぶものは風にき飛ばされて海中に落ちて死んで仕舞しまひ、余り飛ばぬものが生き残つたために自然淘汰とうたくのごとくになつたのかも知れぬ。し左様としたなれば、この場合では前の磐梯山ばんだいさんの例のごとく、はねの弱いものが適者ではねの発達したものの方が不適者である。くのごと如何いかがなる性質を帯びたものが適者で、如何いかがなるものが不適者であるかは前から予め知ることの出来ぬもので、ただ競争の結果より見て生存した者を其時そのときの適者とみとめるより外はないが、生活の有様のほぼ解つて居る場合には如何いかがなる個体が競争に勝つべきであるかを前以まえもって推し考へることが出来る。
 まる所、実際生き残つた個体は無論生き残るべき理由があつて生き残つたのであるゆえその理由を有したものを優者ゆうしゃと名づけるに過ぎぬ。此点このてん誤解ごかいすると、前のごとき例を引き出して生物界に優勝劣敗ゆうしょうれっぱいの反対の場合があるなどといふ議論も起るが、こゝにべた意味に取れば素より反対の場合のあらうはずはない。しこうして外界がいかいの事情にいちじるしい変化が無ければ生存競争にける個体の存亡の標準にも余り変化が起らぬゆえ、代々同一の標準にしたがうて自然淘汰とうたが行はれ、ついに生物種属に著しい進化をき起すにいたるのである。

二 簡単より複雑に進むこと


 生存競争にける勝敗の標準は、其時々そのときどきの事情でちがゆえ、総べての動植物を通じて自然淘汰とうたの結果を論ずることは出来ぬが、現在の動植物をことごとく集めて彼此あれこれ比較ひかくして見ると、その大部分にいてはやや一定の方向に進むごといきおいが見える。一定の方向とはすなわち体の構造が簡単かんたんより複雑に向ふことである。
 人間社会の有様を見るに、野蛮やばん国では各個人がみな自分の生活に必要な衣・食・住の用品を造り、一人にて家もてれば衣服をも造り、りょうもして、少しも他人の手をかりらぬから、一村落いちそんらく内の人間がことごとひとりづゝにはなれても生活には不自由を感ぜぬ。しかるにやや開けた国へ行けば、生活に必要な仕事を個人の間に分配し、各個人はただその担当たんとう業務ぎょうむのみに力をつくし、家を建てる者は常に家ばかりを建て、他人の分までも建てるかわりに衣服いふく・食料は他より得て生活し、また衣服を造る者は常に衣服ばかりを造り、他人の分までも造る代りに住家すみかと食料は他人よりあおいで暮して居る。く事業を分担ぶんたんすれば、同一の個人は長く同一のなりわい従事じゅうじし、したがつて其業そのわざ熟達じゅくたつするゆえ、一人にて何でもする野蛮やばん人に比べれば、家でも衣服でも無論はるかに立派に出来る。さらに最も開けた文明国では分業が最も進んで蝙蝠傘こうもりかさの骨ばかりを造る工場もあれば、饅頭まんじゅうに入れるあんばかりを造る会社などもあつて、各個人かくこじんのなす仕事ははなはせまくなり、其代そのかわりにその仕事は極めて精巧せいこういきに達する。されば今日一国の文明野蛮やばんはかるには分業ぶんぎょうの行はれることの多少をもって標準とするより外はないが、さて文明国と野蛮やばん国とが戦争をすればいずれが勝つかといへば、これもとより論にもおよばぬことで同じく武器と名はいても、野猪やちょ鹿しかりょうする片手間に燧石ひうちいしいて造つた石鏃いしやじりと、螺旋らせんを造る職工しょっこう螺旋らせんのみを造り、つつみがく職工はつつばかりをみがいて居る兵器工場の製作品とは到底とうてい相対すべきものではない。それゆえ、実際野蛮やばん国は漸々だんだん文明国にめ取られ、野蛮やばん人は追々文明人に敗けて、断絶だんぜつせんとする有様である。これ極端きょくたん極端きょくたんとの比較ひかくであるが、懸隔けんかくはなはだしくない場合でも、理窟りくつは全く同様で、分業が少しでも進んだ方が、必ず仕事が幾分いくぶんか優る訳ゆえ、他の事情が総べて同一である場合には、分業の進んだものの方が勝つと見てよろしからう。
 動植物の生存競争せいぞんきょうそうに当つても同様なことがある。およそ動物が生活して行くには酸素さんそひ入れることも必要であり、食物を取つて消化し吸収きゅうしゅうすることも必要であり、滋養分じようぶんを全身に循環じゅんかんせしめることも必要であり、炭酸瓦斯たんさんガス其他そのほか排泄物はいせつぶつを体外へ出すことも必要である。また運動も感覚することも必要であるが、今こゝに多数の動物個体があつて、たがいに相競争すると仮定するに、身体各部の間に分業の行はれることの多いものは、人間社会の有様ありさま比較ひかくしても解る通り、此等これら各種の仕事がみなく行はれるゆえ、分業の行はれることの少いものに対して勝つ見込みこみがある。これが代々幾分いくぶんづゝか勝敗の標準となれば、身体各部の間に分業の行はれぬ動物の子孫も、長い間には自然淘汰とうたの結果少しづゝ分業の行はれた動物に進化するわけであるが、同一の組織そしきで種々の仕事をひとしく完全に行ふことは出来ず、運動するには運動にてきする組織そしき感覚かんかくするには感覚にてきする組織が必要であるゆえ、分業の行はれると同時に身体各部の間に組織構造の相違そういが生じなければならぬ。すなわち運動を担当たんとうする部は筋肉きんにく組織となり、感覚をつかさどる部は神経しんけい・組織・感覚器等となり、消化の働きをなす処はちょうとなり、呼吸をつとめる処ははいあるいえらとなり、分業の進む程、身体の構造もこれに伴うて益益複雑に成るものである。
 分業の結果として生じた各組織は、あたかも文明国の個人のごとく、生活に必要な事業の中、ただ一種だけを担当し、他の事業じぎょうは一切これを他にゆだねてその結果を収めるのみである。例へば運動の組織なる筋肉はただ運動のみをつとめ、感覚の組織なる神経しんけいただ感覚ばかりをつかさどり、他の組織のひ入れた酸素、他の組織の消化した滋養分じようぶんの分配を受けて生きて居る。それゆえ若し運動の組織だけ、あるいは感覚の組織だけを取りはなしたならば到底とうてい独立に生存することは出来ぬ。分業の進んだ運動の個体は一種ごとことなつた働きをなす組織が多数に集まつて出来て居るゆえ、全部完全かんぜんして居なければ生活が出来ず、一部分づゝにはなしてはたちまち死んで仕舞しまふが、くのごとく身体の諸部分しょぶぶんの間の関係が親密しんみつで、全部完全して居なければ生存が出来ぬゆえ生存競争せいぞんきょうそうおいはるかに分業の進まぬ生物に比して不利益な場合も無いとは限らぬ。その有様はなお次の節に述べる所によつてあきらかに成るであらうが、競争者が雙方そうほうともに分業の進んで居るときには、確に一歩でも分業の先へ進んだものの方が勝利を得る見込みこみを有する訳であり、かつ生存競争の最もはげしいのはたがいに最も相似た種類の間であるゆえ、代々この標準にしたがつて淘汰とうたが行はれて、初め簡単かんたんなものより次第に複雑な構造を有するものに進化し来つたと考へなければならぬ。実際じっさい動植物を多く集めて比較ひかくして見ると分業の行はれぬ簡単なものから、分業の進んだ複雑なものまで漸々だんだん進歩する有様をあきらかに順を追うて行くことが出来る。

三 高等動物と下等動物と


 動物には構造の複雑な分業ぶんぎょうの進んだものもあれば、構造の簡単かんたんな分業の進まぬものもあるが、各生活に必要ひつような作用を行ふといふだけは同一である。えさを食ひ、子を生むといふ点にいたつては、複雑ふくざつな動物も簡単かんたんな動物も決して甲乙こうおつはない。しかし同じ生活作用をいとなみ、呼吸こきゅうし、消化し、吸収きゅうしゅうし、排泄はいせつするといつても、分業の行はれた動物と分業の行はれぬ動物とでは其働そのはたらきの精粗せいそ遅速ちそくに大なる相違そういあるをまぬがれぬ。例へば犬とかえる蝸牛かたつむり蚯蚓みみずとを取つて比較ひかくして見るに光を感ずるために犬・かえる蝸牛かたつむりには特別とくべつしょうする器官きかんがあるが、蚯蚓みみずには無い。しかし夜は穴から出て、日中は地面の下にかくれて居るのを見れば、蚯蚓みみずいえども決して全く光を感ぜぬ訳ではない。ただそのための特別とくべつ器官きかんがないばかりである。また運動するためには犬・かえるには特別とくべつな足がそなはつてあるが、蝸牛かたつむり蚯蚓みみずには足がなく、ただ全身をもって運動する。また呼吸するに当つては、犬ははいばかりをもちゐるが、かえる蝸牛かたつむりは肺よりはむし皮膚ひふの方を多く用ゐ、蚯蚓みみずは肺がないからただ皮膚ひふばかりで呼吸する。くのごと蚯蚓みみずは身体のかべもって光をも感じ、運動もなし、また呼吸もいとなむが、これを犬のごとく光を感ずるためにはを有し、運動するためには足を有し、呼吸するためには肺を有する動物の働き方にくらべると無論はるかおそく、かつ粗末そまつである。
 動物界においても人間社会にけると同じく、分業の行はれる度をもっ高等こうとう下等かとうとの区別の標準とすることが出来る。身体各部の間に分業が行はれ、組織そしき間に相違そういが生じてそのため構造の複雑になつた動物を高等動物と名づけ、分業が行はれぬため構造のいまだ簡単な動物を下等動物と名づける。前の例に挙げた四種の動物をこの標準に照らして見れば、さい高等は犬で、次はかえる、次は蝸牛かたつむりさい下等が蚯蚓みみずと言はねばならぬ。しかし、動物には身体構造の仕組が根本からちがふ類が沢山たくさんあるゆえ、世界中の動物を高等から下等へと一列にならべて仕舞しまふことは出来ぬ。何故なぜといふに全く構造の仕組の異なつた動物を比較ひかくするのは、あたか時計とけい望遠鏡ぼうえんきょうとを比べる様なもので、到底とうてい優劣ゆうれつを定めることの出来ぬ場合もはなはだ多いからである。
 優勝劣敗ゆうしょうれっぱいと定まつたならば、下等動物はみなほろび失せて高等動物ばかりの世となりさうなものである。分業の進んだものが勝ち、分業の進まぬものがけると定まつたならば、終には最も分業の進み、最も構造の複雑な動物が一種だけに成つて仕舞しまひさうなものであるとろんずる人があるかも知れぬが、これは世の中を余りせまかつ簡単に見たあやまりで、実際は決して左様さようなものではない。前にもべた通り、地球の表面はその処々により、各有様がちがつて、山もあり、野もあり、全く同じところほとんど決して無い位であるが、その処々においての生存競争に勝つたものが生活するゆえ、一種で何処どこにも同じくてきすることは到底とうてい出来ず、山にてきするものは野にてきせず、また山に適するといつても山の全部に適するものではなく、山のる部にてきするだけゆえその残つた位置は他の動物がめ、多数の動物が相混じて生活し、自然界に空隙くうげきあまさず其平均そのへいきんを保つことになる。それゆえ、他の事情じじょうが全く同一な場合には、分業の少しでも進んだ方が勝つ道理ではあるが、如何いかに分業が進み、構造の複雑な動物が発達はったつしても、所謂いわゆる下等動物の生存すべき余地よち其間そのかんに十分にそんして決して無くなることはない。あたか風月堂ふうげつどうとなりりに駄菓子屋だがしやの店があつても、相手がちがゆえ、両方とも相応そうおうに売れて相さまたげぬ様なものである。されば自然淘汰とうたの結果、一方においては絶えず分業の方向に進むものがあると同時にまた他方には分業の行はれぬ簡単な動物は、それ相当な位置をめて繁殖はんしょくして行くことが出来る。
 また物毎ものごと一利いちりあれば一害いちがいあるはまぬがれぬ所で、分業が行はれれば仕事がたくみにはなるが、分業の結果自全じぜんふことも進むから、部分が別々にはなつては生存せいぞんが出来ぬといふ不利益がある。蚯蚓みみずの身体には前後各部の間にいちじるしい分業がなく、いずれの部を取るも其部そのぶだけで生活に必要な作用をほぼ一通りは行ふことが出来るゆえ、半分に切られても各片が生きて居るが、犬のごときものにはこの真似まねは出来ぬ。それゆえ同じく負傷ふしょうした場合には、平均下等動物の方が助かる見込みこみが多い。人間などはのうを打たれても、心臓しんぞうを打たれても、鉄砲てっぽうの丸一個で死んで仕舞しまふが、海月くらげごときものになると、全身ふるいごとくに打ちかれても平気である。また大きな宮殿きゅうでんを造るには小屋を一つてるに比べるとはるかに多くの日数がかると同じ理窟りくつで、構造の複雑ふくざつな動物は簡単な動物よりは生長に非常の手間がかりしたがつて増加力も多少おそい。生物中で最も増加ぞうかすみやかなものは最も簡単な構造を有するもので、黴菌類ばいきんるいごときにいたるとわずかに半日か一日の間に初め一個あつたものから数億兆すうおくちょうになることもある。それゆえ増加力の競争では高等動物は平均、下等動物にははるかおよばぬ。
 くのごとき次第ゆえ、自然界においては高等動物と下等動物と相並あいならんで生活しても必ず高等動物が下等動物を打ちほろぼすとは限らず、処によつては下等動物でなければ生存の出来ぬことも随分ずいぶん多いから下等動物は何時いつまでも適当な位置を保つて生存し、両方ともに自然淘汰とうたによつて進化し行くことが出来る。高等動物といひ、下等動物といふのは単に構造上から見たことで、各現在生活する境遇きょうぐうてきするといふことには、決してこうおつはない。この意味に取れば、高等動物と下等動物との間に優劣ゆうれつを区別することは決して出来ぬわけである。

四 所謂いわゆる退化


 我々われわれ通常つうじょう構造の複雑な動物を高等と見做みなし、簡単かんたんな動物を下等と見做みなゆえ、複雑な動物が再び簡単な形にもどり、前に持つて居た特別とくべつ器官きかんを失ふ様な場合にはこれ退化たいかと名づける。しかし、前に述べた通り複雑な動物が必ず簡単な動物よりも一層生存にてきするとかぎつた訳でもなく、地球の表面の中には簡単な動物でなければ生存せいぞんの出来ぬ様な処がいくらもあるゆえ、複雑な動物の子孫しそんいえども、外界の事情が簡単な動物の方が生存の見込みこみの多い様な有様ありさまとなるか、あるい其様そのような有様の処に移住いじゅうするかしたならば、代々少しづゝ簡単な動物が生き残り、自然淘汰とうたの結果次第々々に簡易かんいなものに変ずるはずである。進化と退化とは字で見ると相対立して反対の意味を有するもののごとくに思はれるが、所謂いわゆる退化といふも矢張やはり適者が生存して生じたものゆえ、決して進化以外いがいのものではなく、単に進化の特別とくべつの場合に過ぎぬ。てきするものが適せざるものになればこれは真の退化たいかであるが、斯様かようなものは生存が出来ぬから、たちまち死に絶えて仕舞しまふ。 海岸かいがんへ行つて岩石、棒杭ぼうくい等の表面を見るとフヂツボといふ貝のごときものが一面に附着ふちゃくして居るが、この動物は解剖かいぼう上、発生上から調べて見ると、確にえびかにと同じく、甲殻こうかく類といふ類に属するが、えびかにみな活溌かっぱつに運動してえさを探しまわる中にまじつて、このものだけは岩などに固着こちゃくし、一生涯いっしょうがい動くこともなく、えさを探すこともない。運動するための足も筋肉きんにくもなければ、えささがすための眼もない。外から見れば一枚の貝殻かいがらかぶつたごとくであるから、昔はこれはまぐり・アサリの様な貝の類かと人が思つて居た。くのごときものゆええびかにごとく足があり眼があつてたくみに運動するものに比較ひかくして、通例フヂツボを退化したものと見做みなすが、その境遇きょうぐうける生存にてきするといふ点では、決してえびかにおとるものではない。海岸の岩石の表面に何万とも何億なんおくとも数へられぬ程にさかんに生活して居るのは、すなわ其処そこの生活にてきして居る証拠しょうこである。仮に岩石の表面からフヂツボをことごとく取りはらひ、其代そのかわりにこれと同じ位の大きさのえびかにを同じ数だけ置いたと想像するに、えびかにでは到底とうていく盛に生活することは出来ぬ。今ためしにフヂツボの生活する有様を見るに、丈夫じょうぶ固着こちゃくして居るゆえなみはげしく岩に打当つてもはなれるおそれがなく、したがつて岩に打付けられてくだかれる様なこともない。運動するための足もなく、これを動かす筋肉きんにくもなく常にしたままゆえゑることもはなはだ少く、少量の食物で事が足るが、食物が少くてゆえ、固着して居てもなみに打寄せられて来る微細びさい藻類もるいなどを取るだけで十分に生活して行ける。別にえささがすにおよばぬから、も入らぬ。いずれの点を取つても、フヂツボの身体はなみの打当る岩石の表面に生活するにはきわめててきして居るから、えびかに如何いかに運動感覚の器官きかんが発達して居てもこの場所ではこれと競争は出来ぬ。

「第十三図 フヂツボ」のキャプション付きの図
第十三図 フヂツボ

 元来動物の身体内にある器官きかん如何いかがなるものといえども、費用のらぬものは無い。一の器官きかんそなへ置くには、滋養分じようぶんの一部をりて常にこれやしなはねばならぬ。運動器官うんどうきかんの発達した動物は運動器官きかんのために滋養分じようぶんの大部をついやさなければならぬから、ゑることもはなはすみやかである。それゆえ多量の食物をもとめねばならぬが、して多量の食物はられぬから、盛に動きまわつて食物をさがさねばならず、しこうして運動すれば、またゑる。これを外の物にたとえへれば運動する動物は収入しゅうにゅう支出ししゅつともに多い会社で、運動せぬ動物は収入・支出ともに少い会社の様なものである。土地の状況じょうきょう次第で前者のてきする処もあれば、後者のてきする処もあつて、いずれが繁昌はんじょうし、いずれが失敗するかは、単に出入額の多少ばかりでは定まらぬのと同じで、勝敗しょうはいは決して運動力の有無によつて定まるものではない。
 以上はただ一つの例に過ぎぬが、退化たいかといふことは生物界に決してまれな現象ではない。闇黒あんこく洞穴ほらあなの中では魚でもえびでも眼が発達せぬ。また他の生物に寄生きせいする類には一般いっぱんに運動・感覚かんかく器官きかんはなはだしく少い。前にげたことのある風のあらい大洋の中の小島に住む昆虫こんちゅうに飛ぶ力のないことなども此類このるいに属するが、此等これらの場合とても理窟りくつは全く同様である。通常我々われわれが身体各部の間に分業の行はれた、構造の複雑な動物を高等動物と名づけ、構造の簡単かんたんな動物を下等動物と名づけるのも、複雑な動物がやや簡単な形に変ずるのを退化と名づけるのも、みな高いととおといとをむすび合せ、低いといやしいとを結び合せる人間の心の働きで、天然てんねんから見ればただ適者が生存するといふことがあるばかり、決して高等動物がまさるとか、下等動物がおとるとかに定まつたことはない。それゆえ所謂いわゆる退化といふものも決して生存上優つたものがおとつた有様にうつるといふ意味に取ることは出来ぬ。

五 生物の系統


 野生の動植物の各種が生む子の数は非常に多くて、到底とうてい其中そのなかの小部分より生存することは出来ぬが、同一の親から生まれた子でも変化性によつておのおの少しづゝちがつて居るゆえ其間そのあいだに自然淘汰とうたが行はれ、毎回最も其時そのとき其処そこの生存に適したものが生き残つて子を生み、遺伝いでん性によりその性質を子に伝へるゆえ、生存に適する性質は代々少しづゝ進んで各生物は漸々だんだん形状・構造・習性等に変化を生ずべきことは、すでに前章までにき来つた所であるが、さらその変化の模様もようを考へると本章にべた通り、分業の結果けっかとして簡単より複雑に進むべきは無論であるが、生物界の全部が一様に複雑に進む訳ではなく、外界の情況じょうきょうに応じ、複雑な生物にじて簡単な生物も生存し行くもので、特別とくべつの場合には一旦いったん複雑になつた生物が再び簡単かんたんな有様にもどることも往々あるはずである。今日生存する動植物はいずれもかる径路けいろて進化し来つたものであると論じなければならぬ。
 右の理窟りくつを現在の動植物に当てめ、さかのぼつて其祖先そのそせん如何いかがであつたかを推察すいさつすれば、およそ次のごとくである。飼養しよう動植物においても淘汰とうたの標準がちがへば初め一種のものより後には数種の形が生じ、一種の野生はとから、パウターも、ファンテイルもキャリヤーもタンブラーも出来るごとく、天然においても、同一の先祖せんぞからくだつた子孫でも住処じゅうしょが異なれば生存競争せいぞんきょうそうける勝敗の標準がちがゆえ、自然淘汰とうたの結果として、是非ぜひとも形状・構造等がおのおのたがいに相異なる様になり、山にとまつたものと野につたものとでは、たとひ先祖は同一でも、ついには二種の全く異なつたものとなるべきはずである。くのごとく常に一種から進化して数種に分かれるものとすれば、今日我々われわれの見る動植物の中で、たがいに最も相似たものはみな同一の先祖からくだつたものと見做みなさねばならぬ。すなわ北海道ほっかいどう赤熊あかくま内地ないち黒熊くろくまも共同のくまの先祖より起り、嘴太烏くちばしふとからす嘴細烏くちばしほそからす肥前烏ひぜんからすみな共同のからすの先祖より進化して生じたものと見做みなすよりほかにはいたし方がない。
 なお此考このかんがえ一層いっそう先へし進めると、次のごとくになる。およそ人間でも、がいして言へば、親類のえんいものほど相似ることも最も多い通り、生物種属においても共同の先祖よりたがいに相分かれたことの最もおそいもの程相似あいにることがいちじるしいと考へても大きな間違まちがひでは無からう。例へば五百代前に共同の先祖から相分かれた二種の生物は、千代前に分かれたものに比すれば、たがいに相似ることが多いと見做みなしてもよろしからう。しかるに何十万もある動植物の種類を集めて見ると、其中そのなかにはたがいきわめて相似たものもあれば、またはなはだしくちがふものもあつて、相似る度にはおびただしい懸隔けんかくがある。同じ獣類けものるいといふ中にも、きつねたぬきとのごとたものもあれば、くじら蝙蝠こうもりとのごと相離あいはなれたものもあり、同じ魚類といふ中にも、こいふなとのごとく善く似たものもあれば、うなぎとアカエヒとのごと相異あいことなつたものもある。しかし、くじら蝙蝠こうもりとが如何いかに相異なつても、其間そのかんの構造上の相違そういけものと鳥との相違そういくらぶればはるかに少く、うなぎとアカエヒとは如何いかに相異なつても其間そのあいだ相違そうい到底とうてい魚とかめとの相違そういにはおよばぬ。斯様かように最も似たものから最も異なつたものまで、種々の階段かいだんのある中から最も相似たものをもって共同の先祖より起つたものと見做みなせば、其次そのつぎ位に相似たものは矢張やはなお一層古き時代に共同の先祖より起つたものと見做みなさねばならず、赤熊あかくま黒熊くろくまとを共同の先祖よりくだつたものと見做みなしたと同一の論法によれば、くまたぬきとも矢張り共同の先祖よりくだつたもので、ただ相分かれた時代が赤熊あかくま黒熊くろくまとの相分かれた時代よりいくらか前であつたと言はなければならぬ。ろんずるときは、獣類けものるいは、さるでも、うさぎでも、牛でも、馬でも、総べてごく古い時代までさかのぼると、先祖はただ一種であり、鳥類はすずめでも、はとでも、たかでも、つるでも、はるか昔の時代までさかのぼると、先祖はただ一種であつたのが、種々に分かれくだり、漸々だんだん進化して今日のごときものになつたと考へねばならず、なおさかのぼれば、動物は総べて動物共同の先祖から、植物は総べて植物共同の先祖からくだつたのみならず、およそ生物たるものは総べて生物共同の一種の先祖から起つたものであるといふ考に達する。
 以上述べた所は、無論推察論すいさつろんで極めて漠然ばくぜんたるものである。地球の歴史は、何億年なんおくねんやら何兆年なんちょうねんやら我々われわれから見ればほとん無限むげんともいふべき長いもので、生物の進化し来つたのは其間そのあいだであるから、我々われわれの今日の知識をもっこれ明瞭めいりょうに調べ上げることは素より出来ぬ。我々われわれ人類の経験の範囲はんいは実に比較ひかくにもならぬ程にせまゆえその経験で知り得たことを基として限りなき昔のことをし考へやうとするは、あたかたたみの目一つだけ位の知識ちしきを基とし、これし進めて一里先のことまでもきわめやうとする様なもので、はなは覚束おぼつかないことである。こゝにべたことの中でも、きつねたぬきとが共同の先祖より分かれくだつたといふ位な近いことは大概たいがい明瞭めいりょうに想像も出来るが、動物の総先祖はただ一種であつたか如何いかがかといふ様なことになると、最早実際らしい有様を心中に画いて見ることも困難こんなんである。ただ我々われわれの今日知り得たことを、今日の脳力のうりょくにて何処どこまでもすと、かる考に達するといふまでである。
 一々くわしきことは解らぬが、生物の各種が絶えず少しづつ進化し、かつ初め一種のものも後には数種に分かれるといふ以上は、生物の系図けいずが大体におい樹枝状じゅしじょうていすることは確である。根元ねもとが一本の枝も何回となく分岐ぶんきしての数が益々ますます増し、其末梢そのまっしょうを数へると、非常に多くあるごとく、生物の系統けいとうも、初め一種のものも常に枝分かれして、種類の数が追々増加し、今日見るごとき多数の種属が生じたのであらうが、今日我々われわれの目の前にあるのはすなわ末梢端まっしょうたんに相当する部だけで、みきや太い枝に当るところすでに死んで仕舞しまつた後ゆえ、見えぬから、我々われわれは木の枝を見るごとくに生物の系統を一目瞭然いちもくりょうぜんと見ることは出来ぬ。大木が土にもれてこずえが現れて居るのならば、ただ土をりさへすればただちに枝の形を見ることが出来るが、生物の方では先祖は総べて遠き昔に死んで無くなり、古代の生物が化石となつて今日まで残つて居るのは極めて小部分に過ぎぬから、大抵たいていの場合には直接の方法で生物各種の系図けいずあきらかにすることは出来ず、よんどころなく解剖かいぼう上・発生上の事実を基として推察すいさつするばかりである。
 しかし、推察とはいつても、総べての生物の総べての解剖かいぼう上・発生上の点が十分に解つた後には、随分ずいぶんあやまらぬ様に生物の系図の大部分を考へ出すことが出来るはずである。数十万の生物種類を解剖かいぼう上・発生上の類似るいじの度によつて分類し、最も相似たものを集めておのおの一群とし、最も相似たむれを集めてさらに一段大きな群とし、次第に大きな組に造り、常に似たものは集め、異なつたものははなすといふ主義しゅぎしたがつて、全生物界を一大系統に編成へんせいしたと仮定かていすれば、これすなわち生物各種の系図を示す訳で、先祖が如何いかがなるものであつたかは直接ちょくせつに解らぬが、生物各種の間の親類縁しんるいえんうすいは、これによつてあきらかに知ることが出来る。昔の博物はくぶつ学者は動植物を分類するに当つてただ容易よういに各種をさがし出せる様にとつとめたから、そのために都合のい点を一つ二つだけ標準としたゆえその分類表は極めて人為的じんいてきのもので、単に索引さくいんきの目録に過ぎなかつた。林氏綱目こうもくごときは単に雄蕊おしべ雌蕊めしべとの数で総べての植物を分類してあるゆえ桜草さくらそう躑躅つつじ煙草たばこも朝顔も五本の雄蕊おしべと一本の雌蕊めしべとを有するといふ所から、みな同一のもくの中へ編入してある。しかるに此処ここに述べた様な方法により、解剖かいぼう上・発生上の点をことごとく考へ、各種間の親類縁しんるいえんの遠い近いを確めて分類すれば、その結果は単に生物の名称めいしょうを並べるがごときものではなく、ただちに生物の自然の系統を現すことに当るから、前の人為じんい分類に対して、これを自然分類と名づける。今日動物・植物の分類にこころざす人等の理想目的とする所はこれである。
 古今ここんの生物の解剖かいぼう上・発生上の点がことごとく解つて仕舞しまへば、これを基としてただ一通りの自然分類だけより出来ぬはずで、この分類がただちに生物の系統を現すべき訳であるが、生物の解剖かいぼう・発生等は現今げんこん我々われわれが研究最中さいちゅうで、今日までに発見し来つたことをかえりれば、随分ずいぶん沢山たくさんにあつて、ただ学術進歩の速なのをおどろくばかりであるが、なお解らぬこと、今より研究すべき事項じこうなどを考へると、ほとんどまだ山の登り口に居るごとき心地がして、人間の知識の進歩はくまでおそいものかと歎息たんそくせざるをくらいゆえ、今日ただちに自然分類を完成かんせいすることは素より出来ぬ。それゆえ、今日の所謂いわゆる自然分類といふものはみな不完全なもので、余程までは分類者一人の想像に基づくが、人々により各の知る所の部分が異なり、見る所の点が異なるゆえほとんど一人々々にその自然分類としょうするものがちがひ、動物学の書物でも、植物学の書物でも、二冊取つて比べると、分類法の全く同じものはほとんど無い。一種々々の生物の系統に関しては、尚更なおさら議論が多い。しかし、これ我々われわれの知識の不足に基づくことゆえ、残念ながら今日の所如何いかんともいたし方がないが、生物の系統を図に画けば、必ず樹枝状じゅしじょうていするといふ大体のことにいたつては、生物学者中最早もはや一人も異存いぞんとなへるものはない。
 生物各種は絶えず少しづゝ進化し、かつ初め一種のものも後には数種に分かれるゆえ、生物の系統は樹枝状じゅしじょうていするといふことは、決して単に生存競争せいぞんきょうそう・自然淘汰とうた等から理窟りくつした結論けつろんに止まるわけではない。実際生物がかる有様に進化し来つたことの証拠しょうこは生物学のかく方面にほとんいくらでもある。次の章以下数章で述べるのは、みな生物進化の証拠しょうこといふべき事実である。元来がんらい、事実があつてしかる後にその説明を要するのが順序であるゆえ、生物進化が事実であることを証拠しょうこ立ててから、如何いかにしてかる進化が起つたかといふ説明におよぶべきであるが、かわ探険たんけんするには多くは河口よりさかのぼつて進むが、人に教へるときには水源すいげんから河口の方へくだつた方が解り易い様な事情もあるゆえ、本書においては先づ原因げんいんの方から先に説いて、結果の証明しょうめいは後へまわすこととした。第三章より本章までに説いたことはダーウィンの自然淘汰とうた説の大要たいようで、生物の進化は如何いかにして起つたかといふ説明であるが、次の章より述べることは、生物学の各方面から選み出した事実で、いずれも生物の進化を証明するものである。自然淘汰とうた説の方は一々の場合に当てめると、まだ不十分な点もあり、自然淘汰とうたばかりでは説明の出来ぬ現象げんしょうもあつて、追々改められることがあるかも知れぬが、次の章より述べることは、いずれも有りのままの事実であるゆえだれ非認ひにんすることの出来ぬ性質のもので、此等これらの事実が証明する所の大事実、すなわち生物はあたかの枝のごとくに分岐ぶんきして進化し来つたといふ事実も、まただれみとめなければならぬものである。今日生物学者にこれうたがふものが一人もないのは、決して単に自然淘汰とうた説から理論的に考へたのではない。むしろ生物学の各方面には生物の進化を証明する事実が無数にあるゆえである。

六 雌雄しゆう淘汰とうた


 ダーウィンは「種の起源しゅのきげん」をしょしてから十二年を過ぎて、「人類の祖先」と題する書をおおやけにしたが、其中そのなか雌雄しゆう淘汰とうたといふことをくわしく論じた。動物は大抵たいてい雌雄しゆうが相合して子を生むものであるが、其際そのさい配偶者はいぐうしゃるための競争がおこらざるをない。しこうして雌雄しゆうの中、おすの方は進んで求める性質せいしつめすの方はまつて応ずる性質のものゆえ、相争ふのは通常おすで、めすただ最もまさつたおすしたがふだけである。めすが単に戦に勝つた最も強いおすしたがふものならば、淘汰とうたの結果ただおすだけが代々強くなるかあるいその性質がめすにも伝はつて両方ともに強くなるに過ぎぬが、実際動物の習性しゅうせいを調べて見ると中々く定まつたものではない。特に鳥類・昆虫こんちゅう類などを調べて見ると、種類によつてはめすは最も美麗びれいおすに従ふものもあり、最も声の好い、歌のたくみおすに従ふものもあり、また其上そのうえに最もたくみおどおすに従ふものもある。何故なぜ斯様かような性質が生じたかは不明瞭ふめいりょうであるが、事実は此通このとおりで、腕力わんりょくの競争よりもむし容貌ようぼう遊芸ゆうげいの競争に勝つたおすが最も子孫をのこ見込みこみのあることが多い。此等これらいては従来じゅうらい博物学者が丁寧ていねいに観察し記述きじゅつして置いたものが沢山たくさんにあるが、読んで見るとすこぶる不思議な面白おもしろいことばかりである。特に鳥類にいては此種このしゅの記録が多いが、る鳥は産卵期さんらんきに近づくと、おすつばさひろげたり、を立てたりして羽毛の美なることを成るべくいちじるしく見せてめすの愛を求めやうとする。孔雀くじゃくを開くのも此類このるいである。またる鳥は産卵期さんらんきに近づくと、おす終日しゅうじつ鳴き歌つて、めすの愛を求める。時鳥ほととぎすの鳴くのも此類このるいである。またる鳥の種類ではめすの集まつて見物して居る前で、おすは確に舞踊ぶとうと名づくべき運動をするが、総べて此等これらの場合にはめす選択せんたく者であり、おすただめすに選ばれやうとて争ふわけゆえ、代々多数のおすの中から最もめすの意につたものが、生殖せいしょく見込みこみを有し、その性質を子に伝へ、長い間には以上の点が漸々だんだん発達する理窟りくつである。今日鳥類のおすに非常な美麗びれいなもの、非常に声のきものなどのあるのは、く進化し来つた結果であらう。

「第十四図 アルグス雉子の雄」のキャプション付きの図
第十四図 アルグス雉子きぎすおす

 めすうばひ合ふために、おす腕力わんりょく的の競争をなすことは、無論つねにあることで、鳥でも、けものでも、虫でも、魚でも、其頃そのころになると大概たいがい劇烈げきれつな戦争が始まる。しこうして代々この戦争に勝つたものが子をのこゆえ、長い間にはこの戦争にてきした性質が漸々だんだん進歩するはずである。雄'鶏'おんどりけづめも、その勇気もあるいくして発達したものかも知れぬ。まためすとらへた後でも、これげ去られては生殖せいしょくの目的を達することが出来ぬゆえ、代代めすはなさぬ様な仕掛しかけの最も発達したものが子をのこすので、長い間にはかる仕掛しかけが次第に完備かんびする様な場合もある。水中に住むゲンゴラウといふ甲虫こうちゅうおすの前足が吸盤きゅうばんごとくになつて居るのはおそらくく進化し来つた結果であらう。総べてくのごとく生物個体間にはただ敵よりのがれるため、えさを取つて食ふための競争の外に、雌雄しゆう生殖せいしょくの目的のためにも常に競争をまぬがれぬものであるが、この競争に負けたものはただちには死なぬが、後に子をのこさぬゆえただ勝つたものの性質のみが積み重なつて、生物各種はその方面にも進化するわけになる。敵よりのがれ、えさを取つて食ふことに、直接に関係のない性質は多くはこの方法で進化し来つたものであらう。自然界におい我々われわれが美しいと感ずる事項じこう大抵たいてい此部このぶに属するものである。
 自然界の美を賞讃しょうさんする人は、先づ第一に花と鳥とを指すが、其賞そのしょうする点は何時いつその生物が敵をのがれ、えさを食ふために必要な部分ではない。草の根、鳥のちょうなどは一日も無くては生きて居られぬ部であるが、これめた人は昔から決して一人もない。また生殖せいしょく器官きかんは動物・植物に取つては最も重要なものであるが、これも美しいとて賞められたことはない。花は植物の生殖せいしょく器官きかんしょうするが、其中そのなかで美しいのは周囲の花弁かべんばかりで、肝心かんじん雄蕊おしべ雌蕊めしべは余り目立たぬ。然らば人の常に賞する所は何かといふに、ただ花の色とか鳥の声とかで、いずれも生殖せいしょくの目的のために他をさそふものに過ぎぬ。美しい色の花はみな所謂いわゆる虫媒植物ちゅうばいしょくぶつで、雄蕊おしべの中に生じた花粉を虫が媒介ばいかいして他の花の雌蕊めしべまで運ぶものばかりであるが、此虫このむしと花との関係ははなはだ複雑なもので、こればかりのために大部の書物が出来て居る。沢山たくさんな花に対して沢山たくさんな虫があることゆえ、自然其間そのかんに多少専門が定まつて、の花には何様どのような虫が来るかほぼ定まつて居るが、相手とする其虫そのむしが来てくれなければ、花はいくいても生殖せいしょくの目的をげずに、其儘そのまましおれて仕舞しまはなければならぬ。アイスクリームや西洋菓子せいようがしに入れるヴァニラといふかおりいものは南アメリカに産する蘭科らんか植物の果実であるが、オランダ人がこれをジャヴァに移し植ゑた所、媒介ばいかいをする昆虫こんちゅうが居ないので、少しも果実かじつが生ぜず、よんどころなく黒奴こくどやとひ、ふでもっ花粉かふんを花から花へ移させたら、初めて沢山たくさんに果実が出来たといふ奇談きだんもあるが、虫は通常色の美しい、かおりい花を選んで飛び来るものであるから、代々かる花が種子をのこして、ついに今日見るごとき美しい花が出来たのであらう。し左様としたならば、うめかおりも、さくらの色も、ただ生殖せいしょくの目的のために虫を呼び寄せる道具として発達し来つたものである。
 鳥の声も其通そのとおりで、前に述べた通りおすめすやうと競争する結果、く発達したものと見える。まれにはめすの方がおすとらへるために競争する動物もあるが、其様そのような類ではめすの方に特別とくべつな性質が発達して居る。しかし、これは例外で、一般いっぱんからいへば相争あいあらそふのはおすばかりであるから、鳥にかぎらず、かえるでも、虫でも、く歌ふのはみなおすの方である。かえるの鳴くはおすばかりで、しかも産卵さんらんの時期に限つて特にさかんに鳴き、夏さわしく鳴く'蝉'せみも鳴くのはおすばかりで、めすは全く無言である。此事このこと極昔ごくむかしから人の知つて居たことで、古いギリシヤのにも「鳴呼ああ'蝉'せみは仕合せ者である、其妻そのつまは声を出さぬ」といつてあるが、おす'蝉'せみの鳴いて居る処を暫時ざんじながめて居ると、何時いつの間にかめすが飛んで来てそのわきにとまり、なお少時の後には交尾こうびする。斯様かよう丁寧ていねいに注意して見ると、花に鳴くうぐいすでも水にかえるでも、生きとし生けるものはいずれもめすぶためにさけんで居ることがわかる。其他そのほかかおりのことを考へても、婦人ふじんの最も珍重ちんちょうする麝香じゃこう印度インド辺に産する麝香鹿じゃこうしかといふ小な鹿しかおす交接器こうせつき末端まったんに当る処の毛皮の中にたまつたあぶらで、その天然の用は交尾こうびの時期にめすを呼び寄せ、其情そのじょうを起させるためである。それゆえその時期以外にははなはだしくふ程には生ぜぬ。
 およそ生物にはくじらごとく何百年も生きるものもあれば、また蜉蝣かげろうごとく、朝に生まれて夕に死ぬるものもあつて、命の長い短いには各々相違そういがあるが、寿命じゅみょうに限りあることはいずれも同然であるゆえ、生物各種が代々生存するには生殖せいしょく作用が是非ぜひ必要である。えさを食つて消化する営養えいようの働きによつて個体が維持いじせられる通り、この作用によつて種属が維持いじせられるものであるから、種属生存しゅぞくせいぞんの上から見れば生殖せいしょくは個体の死をつぐなふ働きといつてよろしい。あたかも営養の作用が出来なければ其日そのひ限りに死に絶えるごとくに、生殖せいしょくの作用が出来なければ、其代そのだい限りに死に絶えるから、ただ死にえるのに多少の遅速ちそくがあるだけで、種属生存の上から言へば、いずれを重い、いずれを軽いと区別することは出来ぬ。それゆえ、現在の生物のなすことを見ると、その目的とする所は、食ふためと生殖せいしょくするためとの外は無い。有名なシルレルの詩にも「哲学者てつがくしゃが何と言はうとも、当分の間はうえこいとの力で浮世うきよ狂言きょうげんおこなはれて行く」とあるのは、この有様をしたのであらう。くのごとく営養と生殖せいしょくとは生存上共に必要である以上は、えさを取るための生存競争の外に、子を遺すための生殖せいしょく競争も是非ぜひ起るわけで、代々だいだい一定の標準で勝敗が定まれば、これまた一種の淘汰とうたであるから、生物進化の方向を定める一原因となるにちがひない。しこうしてこれも自然に起ることゆえ、自然淘汰とうたの一部であるが、ダーウィンの雌雄しゆう淘汰とうたと名づけたものは、また其中そのなかの一部で、雌雄しゆう両性に分かれた動物の生殖せいしょく競争から起る淘汰とうただけを指したものである。
 花の色、動物の彩色さいしょく等の起源きげん発達にいては、当時なお種種の議論のあることで、他の作用とも密接な関係のあることゆえ、単に雌雄淘汰しゆうとうただけで説明の出来るものではないが、生物間に常に生殖せいしょく競争がある以上は、生物進化の上に影響えいきょうおよぼすべきは当然のことで、色やかおりごとき日々の生存競争に直接の関係なき点が如何いかにして発達進化したかといふ疑問の一部分は、これによつて多少了解りょうかいが出来る。しかし、此等これらいてはなお研究を要する点がはなはだ多い様であるから、本書においては単に以上だけをこゝに附記ふきするに止める。


第九章 解剖かいぼう学上の事実


 一個々々いっこいっこの動物を解剖かいぼうして見ても、また多数の動物を比較ひかく解剖かいぼうして見ても、動物はみな共同の先祖から進化し来つたとすれば解釈かいしゃくが出来るが、天地開闢てんちかいびゃくの時から別々に出来た万世ばんせい不変のものとすれば、ただ不思議といふだけで、到底とうてい理窟りくつわからぬ様な事項じこう沢山たくさんに発見する。此等これらは生物進化の直接の証拠しょうことはいへぬかも知れぬが、生物の進化をみとめなければ、如何いかにしても説明の出来ぬものゆえ所謂いわゆる事情の上の証拠しょうこである。事情の証拠しょうこは一つや二つではあるいあやまらぬともかぎらぬが、沢山たくさんにある以上は全く直接の証拠しょうこ同然どうぜんに確なものと見做みなさなければならぬ。

一 不用の器官きかん


 動物の身体はことごとく生活上に必要な器官きかんばかりで成り立つて居るとは限らぬ。特に高等の動物をけんすると、体の表面に現れたところにもまた内部にかくれた構造の方にも、生活上何の役にも立たぬ不用の器官きかんいくらもある。我々われわれ自身の身体を見てもまゆなどはり落しても少しも差支さしつかへがないゆえ、全く不用のもので、頭の毛も実は無くても余り不自由を感ぜぬ。また男のちちなどもわずかに形があるばかりで、一生涯いっしょうがい用ゐることは無い。身体の内部を解剖かいぼうして見ると、斯様かような不用な器官きかんなお沢山たくさんに有る。かっ解剖かいぼう学者は人間の胎児たいじが初めて出来るときから成人と成り終るまでの間に生ずる不用の器官きかんを数へ上げて見たが、其数そのかずほとんど百近くもあつた。
 耳殻じかくを動かし得る人は極めてまれであるが、耳殻じかくを動かすべき筋肉きんにくだれにもある。頭部とうぶの側面のかわぎ取つて其中そのなかを見ると、耳殻じかくを前へ引く筋肉(ロ)が一つ、耳殻じかくを後へ引く筋肉(ハ)が二つ、また耳殻じかくを上へ引き上げるための比較ひかく的大きな筋肉(イ)が一つある。また耳殻じかく自身の皮をいで見ると、表には大耳殻筋だいじかくきん(ホ)小耳殻筋しょうじかくきん(ニ)耳珠筋じじゅきん(ヘ)対耳珠筋ついじじゅきん(ト)などいふ筋肉が四つあり、うらにもなお二つばかりも筋肉がある。一体、筋肉といふものは、収縮しゅうしゅくによつて運動を起すのが役目で、如何いかがなる運動といえども筋肉の収縮しゅうしゅくによらぬものはない。例へば上膊じょうはくの前面の筋肉が収縮すればひじの関節が曲り、ももの前面の筋肉が収縮すればひざの関節がびるが、此等これらの働きによつて、我々われわれふねいだり、たまたりすることが出来る。然るに、耳殻じかくの周囲ならびに表面にある筋肉はただ存在するといふばかりで働くといふことは決して無い。それゆえ我々われわれ耳殻じかくを動かすべき筋肉は持ちながら、実際耳殻じかくを動かし得る人は千人に一人もない。天地開闢てんちかいびゃくの際に神が現今げんこんの通りの人間を造つたものとしたならば、如何いかがなる料簡りょうけん斯様かような無益の筋肉を造つたか、ただ不可解ふかかいといふより外はない。所が他の動物は如何いかにと調べて見ると、けもの類にはみな此等これら筋肉きんにくが発達し、また実際に働いて用をなして居る。牛・馬や犬・ねこなどが耳殻じかくを動かすことはだれも常に見て知つて居ることであるが、猿類えんるいでも普通ふつうさる狒々ひひなどは多少耳殻じかくを動かすことが出来る。ただ猩々しょうじょう(注:オランウータン)の類になると、人間と同様で筋肉はありながら、耳殻じかくを動かす力は無い。元来、耳殻じかくは外より来る音響おんきょうを集めて鼓膜こまくたっせしむるものゆえ微細びさいな音を聞くには有功なもので、我々われわれでもわずかひびきを聞くには手をへてこれおぎなひ助けるが、またこれを動かせばひびきの来る方角ほうがくをも知ることが出来て、敵のめて来るのを予知よちする等にははなは調法ちょうほうなものである。然るにる動物には発達し、る動物には形があるだけで何の役にも立たぬのは何故なぜであるか。若し人間もさるも犬もねこも総べて同一の先祖から起つたもので、その共同の先祖には耳殻じかくの筋肉が実際働いて居たものとしたならば、遺伝いでんによつてこれが総べての子孫に伝はり、自然淘汰とうたの結果、耳殻じかくを動かす必要のある様な生活をいとなむ方の子孫には益々ますます発達し、その必要のない方の子孫しそんには漸々だんだんおとろへて、終に今日見るごとき形あつて働きなきものが出来たと考へて、一通りの理窟りくつわかる。生物進化の事実をみとめなければ決して説明は出来ぬ。

「第十五図 耳殻の筋」のキャプション付きの図
第十五図 耳殻じかくの筋

 人間にがあるといつたら信ぜぬ人が多いかも知れぬが、皮をぎ、肉をのぞいて、骨骼こっかくだけにして見ると、しりの処に小な骨が四つばかり、珠数じゅずごとくに連なつて実際を成して居る。解剖かいぼう学上尾胝骨びていこつと名づけるのはこれであるが、肉にもれて居るから素より外からはわからぬ。しかし、これを犬・ねこごとき他のけもの類のの骨と比較ひかくして見ると、ただ長い短いの相違そういがあるばかりで、余り短いゆえ、外に現れぬといふにぎぬ。が無くてほねだけがあるのも訳の解らぬことであるが、さらなことには、人体を多数に解剖かいぼうすると、この尾胝骨びていこつを動かすべき筋肉を発見する。の骨は身体の内部にあり、かつはなはだ短くて何方へも動かし様もないから、この屈尾筋くつびきんといふ筋肉は矢張やは耳殻じかくの筋肉と同じく形あつて働きのないものである。人体だけのことを考へると、斯様かような筋肉のあることはただ不思議ふしぎといふばかりであるが、他のけもの類にはみなこの筋肉が発達して実際にを動かして居るから、此等これら比較ひかくして考へて見ると、前と同様の結論に達せざるを得ぬ。すなわち若し人間も犬・ねこも同一の先祖から起つたもので、その共同の先祖にはがあり、これを動かすべき筋肉も発達して居たとしたならば、遺伝いでん其形そのかたちだけが人間にも残つて居ると考へることが出来るが、人間を全く別のものとしては如何いかんとも解釈かいしゃくを下すことが出来ぬ。

「第十六図 屈尾筋」のキャプション付きの図
第十六図 屈尾筋くつびきん

 馬の脊中せなかはえなどが来てとまると、馬は其部そのぶ皮膚ひふふるひ動かして、これを追ひはらふことは我我の常に見る所であるが、此働このはたらきは皮膚ひふの直下に一面にうすひろがれる一種の筋肉の収縮によることである。この筋肉はけもの類には一般いっぱんに存在するもので、現にさるなどでもこれを働かせて皮膚ひふを動かすが、人間の身体を解剖かいぼうして見ると、頭全体からくびかたの方へけて矢張りこの筋肉がある。しか我々われわれの動かし得るのは、わずかに額の辺位で、其他そのほかは頭の頂上ちょうじょうでも、後部でも、くびかた等は尚更なおさらのこと、少しも動かすことは出来ぬ。ひたいしわを寄せるだけはこの筋肉の働きであるが、他の部分においてはこの筋肉はただ存在するといふばかりで、少しも働きの無い全然不用のものである。
 内臓ないぞうの中にも不用の器官きかんいくつもある。人間およ猩々しょうじょうの類には小腸しょうちょう大腸だいちょうとのさかいに当る、所謂いわゆる盲腸もうちょうといふ部に虫様垂ちゅうようすいと名づけるおよそ蚯蚓みみず程の大きさの管がいて居るが、盲腸炎もうちょうえん療治りょうじするのに腹のかべを切り開いて此部このぶのぞき去つても、容易に平癒へいゆして少しも不都合が生ぜぬ所から見ると、この器官きかんは確に無くてもむ無用のものであるが、ただ実際何の役にも立たぬのみならず、かき蜜柑みかんの種子でも其中そのなかまぎむと'火欣'衝きんしょうを起して、そのため盲腸炎もうちょうえんなどになつて死ぬる人が毎年いく人かある位ゆえ、無い方がはるかに好いのである。くのごとく人間に取つてはむし邪魔じゃまなものであるが、他のけもの類を解剖かいぼうして見ると、果実やの葉を食ふ類では、此部このぶいちじるしく発達して、実際に消化の働きを務めて居る。うさぎなどのはらを切り開くと、先づ第一に目立つのは此部このぶで、小腸よりも大腸よりもさらに大きく、其中そのなかには半分消化した食物が一杯いっぱいに満ちて居るが、此部このぶの長さが身長よりも余程長い種類もある位ゆえ此様このような動物では無論此器官このきかんは消化器械の主要な部である。他の動物にく必要な器官きかんが、その必要のない人間や猩々しょうじょうの腹の中に何の働きもせず、ただ形だけを小く存して居るのは、如何いかがなることを意味するものであらうか。

「第十七図 虫様垂」のキャプション付きの図
第十七図 虫様垂ちゅうようすい

 以上述べた所はみなけもの類に関することであるが、他の動物にも斯様かような例は非常に沢山たくさんにある。例へば鳥のつばさは空中を飛ぶための器官きかんであるが、鳥類の中にはつばさはあつても飛ぶ力のないものがいくらもある。アフリカ産の駝鳥だちょうなどもつばさはあるが、身体の大きさに比較ひかくすればはなはだ小いゆえ、少しも飛ぶ役には立たず、ただ走るときに我々われわれうでごとくに動かすだけである。南洋諸島しょとう火食鳥ひくいどりではつばさきわめて小く、外からは身体の両側に一二本づゝ箸位はしくらいの羽毛のじくが見えるばかりである。しかし、く調べて見れば、ほねも筋肉もつばさだけのものはそなわつて居るが、その大きさはほとん'鶏'にわとりつばさ程もない。これが身長四尺(注:120cm)以上もある大鳥にいて居るのであるから、ほとんつばさといふ名をけられぬ。此点このてんさらはなはだしいのはニウ=ジーランド島に産する鴫駝鳥しぎだちょうといふ'鶏'にわとり位の大きさのくちばしの長い鳥である。此鳥このとりは羽毛はねずみ色で、昼間はあなの内にかくれ、夜になると出て来て、太い足で地面をり、虫を食うて生活して居るが、其翼そのつばさは外からは全く見えず、でて見てわずかに手にれる位である。しかし小いながら、つばさの形だけは有して居る。総べて此等これらの鳥は、一生涯いっしょうがい飛ぶことの無いものゆえつばさはあつても全く不用なもので、し初めからくのごとき形に造られたものとしたならば、ただ不思議といふより外は無い。これはんしていずれもつばさの発達して飛ぶ力を持つて居た先祖からくだつたもので、生活上に必要がない所からつばさだけが漸々だんだん退化したものと考へたならば、斯様かよう痕跡こんせきばかりが今日までそんして居ることも、一通り理会りかいすることが出来る。特にその住処の模様もようを見るにニウ=ジーランド島のごときは昔からきつねたぬきはいふにおよばず、総べてけもの類といふものが居なかつたところゆえ、夜出て歩く鳥などには実に安全な処で、つばさを用ゐて敵からげる必要は無かつた。其所そのところへ西洋人が移住してから犬なども多く入つて来たので、飛ぶ力の無い此鳥このとりたちまとらへ殺され、今では非常にまれになつて、近い中には全く種がきさうな様子であるが、此等これらの事情から考へても、つばさの発達した先祖からくだつたといふ方が余程真実らしい。

「第十八図 鴫駝鳥」のキャプション付きの図
第十八図 鴫駝鳥しぎだちょう

 へびには足のないのが当り前で、足が無くてもへびは運動にすこしも差支へぬから、何でも余計なことをけ加へるのを「へび足をへる」といふが、印度インド、南アメリカ等の熱帯地方に産する大蛇だいじゃには実際足の痕跡こんせきがある。外からは、ただ肛門こうもんの辺の左右両側にうろこの間に長さ一寸(注:3cm)ばかりのつめが一つづつ見えるだけであるが、解剖かいぼうして見ると体の内にはこしほねももの骨などまでが細いながらあきらかそんして居る。へび蜥蜴とかげわになどと同じく爬虫はちゅう類にぞくするもので、解剖かいぼう上・発生上とも此等これらの動物とは極めて相類似あいるいじしてるが、他の類がみな四足を持つて居るのに、へび類だけに足が無い。しかへび類が総べて全く足を有せぬ訳ではなく、数種の大蛇だいじゃには後足の痕跡こんせきが存してある。此等これらの点はいずれもへびは四足を有した先祖から進化しくだつたものとすれば、一応理窟りくつも解るが、他の動物とは全く関係かんけいなしにへびは初めからへびとして特別とくべつに造られたものとすると、少しも説明の出来ぬことである。

「第十九図 大蛇の後足」のキャプション付きの図
第十九図 大蛇だいじゃの後足

 ヨーロッパ、北アメリカなどの闇黒あんこく洞穴ほらあなの水中から、これまで種々の魚類・えび類等が発見せられたが、いずれも普通ふつうのものとはちがつて、盲目もうもくのものばかりである。しかも全く目が無い訳ではなく、魚類などでは、眼球が不完全ながら形がそなわつてあるが、皮膚ひふおおはれて居るので物を見ることは出来ぬ。また最も面白おもしろいのは盲蝦めくらえびの目で、一体、かにえびの目にはいてあつて、根基ねもとが動く様になつて居るが、アメリカの洞穴ほらあなかられた盲蝦めくらえびでは目のばかりが有つて、肝心かんじんの物を見る部分が無い。此様このような例を目の前に見ては如何いかに動物の形状けいじょうは一定不変のものであるといふ考にれた人でも、最早もはや其説そのせつ主張しゅちょうし続けることは出来ぬであらう。
 斯様かように、初め役に立つた器官きかんが、必要が無くなつた後までその痕跡こんせきとどめる例は、動物界には沢山たくさんあるが、我々われわれ人間社会を見ると、これと同様なことがいくらもある。一つ二つ偶然ぐうぜん思ひ出したものをげて見るが、金米糖こんぺいとうを入れるきりの箱には昔は一方に大きく開く所がある外に、かならその反対の側のすみところに小な口がなお一つ造つてあつて、これを開くと金米糖こんぺいとう一粒ひとつぶづゝ出る様になつて居た。昔の人は用も少く、気も長かつたゆえ此口このくちから一粒ひとつぶづゝ出して楽んで居たが、今日では大抵たいてい一掴ひとつかみづゝ口へ入れるから、小なあながあつてもだれこれを用ゐるものは無い。然るに近頃ちかごろに至るまで金米糖こんぺいとうの箱には矢張やはり小な口の形だけが造つてあるものが多い。しかも真に開く口ではなく、ただ形ばかりで、つめける処などが一寸ちょっと造つてあるのみに過ぎぬ。また人に物をおくるときにへる熨斗のしは、元熨斗鮑のしあわび一片いっぺんを紙で包んだものであるが、今では紙包の方が主となつて、熨斗鮑のしあわびの方は往々ただ黄色に印刷したませてある。此等これらいずれも鴫駝鳥しぎだちょうつばさ痕跡こんせきが残り、大蛇だいじゃこしに後足の痕跡こんせきが残つてあるのと同様である。なお其他そのほか洋服の上衣じょういそでの外側にボタンのあるのは昔シャツのごとくに実際用ゐたからであるが、今は単にかざりだけとなつて、何の役にも立たぬ。それゆえ、今日ではこれけぬ人も多い。帽子ぼうし鉢巻はちまきむすび目も、元は実際に結んだから出来たものであるが、今日では全体が造りゆえただいささかか形ばかりを存して居る。また別の方面かられいを取れば、英語えいごなどの文字のつづり方を見ると、実際に発音せぬ字が沢山たくさんにある。仏語ふつご(注:フランス語)では特に多いが、これも前と同様の理窟りくつで、今日の生活上実際に用ゐる方から考へると、発音せぬ無用な字をつづりに交ぜて書くのは全く無駄むだなことゆえ、イギリス、フランス、アメリカなどでは読まぬ字はりゃくして書かうといふ改良論かいりょうろんが盛に行はれ、実際にも追々行はれる様であるが、かる字も決して初めから読まなかつた訳ではない。初めはみな発音したのが長い間に人が漸々だんだんりゃくして読まなくなつたのである。それゆえ言語学げんごがく上、文字の起源きげんなどを調べ、国語の変遷へんせんを研究するに当つては、最も必要なものであるが、動物の身体に見る所の不用器官きかんあたかこれと同じく、その動物自身の生活上には何の役にも立たぬが、我々われわれかる動物の進化の筋道すじみちを調べ、如何いかがなる先祖からくだつたものであるかをし考へやうとするに当つては、最も有力な手掛てがかりとなるものである。

二 哺乳ほにゅう類の前肢まえあし


 けもの類の中には犬・ねこごとく単に地上を走るものもあれば、'モグラ'のごとく地中をつて進むものもあり、蝙蝠こうもりごと空中くうちゅうを飛ぶものもあれば、くじらごとくに海中かいちゅうを泳ぐものもある。それゆえその運動の器官きかん各々おのおの形状がちがひ、犬・ねこでは四足ともにただぼうごとき形であるが、'モグラ'では前足は地をるにてきする様に短く幅広はばひろくて、あたかすきごとくであり、蝙蝠こうもりの前足は飛ぶためにつばさごとき形をなし、くじらの前足は泳ぐためにひれとなつて居るが、く外形は働きのことなるにしたがつて種々に相違そういして居るにかかわらず、皮をき、肉をのぞいて、ほねのみとして比べて見ると、実にその構造の根本的仕組の一致いっちせるにおどろかざるをぬ。

「第二十図 哺乳類の前肢」のキャプション付きの図
第二十図 哺乳ほにゅう類の前肢まえあし

 先づ比較ひかくもととして人間の上肢じょうし(イ)を検するに、かたひじとの間には、上膊骨じょうはくこつといふほねが一本あり、ひじと手首との間には前膊ぜんはくの骨が二本並んであり、手首の処には腕骨わんこつといつて豆の様な骨が八つばかりもあり、手のこうの中には掌骨しょうこつが五本並び、其先そのさき各々おのおの指の骨がいて居る。我々われわれは手をもって物をにぎることが出来るのは親指おやゆびと他の四本の指とがややはなれて相対して動くゆえである。さるも同じく物をにぎり得るものゆえ、骨の形状・配置はいちは人間とほとん寸分すんぶんちがはぬ。犬(ロ)になると、ただ歩くばかりゆえ、指も五本ともに全く並列へいれつし、かつ親指だけは特に短く、足の先端せんたんまで並んで居るのは、他の四本だけである。犬・ねこなどは歩行ほこうするときに常に前足は地にれて居るが、其際そのさい地面にれるのはただ指ばかりで、あたか我々われわれが足の指先で爪立つまだつときのごとくである。しこうして我々われわれてのひらに相当する処は骨が五本ともみな長く合して一束となつて、あたかうでの続きのごとくに見える。次に'モグラ'の前足(ホ)の骨を調べて見ると、此処ここにも骨の数のそろつてあることは、犬や人間と少しも異ならず、またその配置の順序も全く同様であるが、一つの骨の長さ・太さの割合には大きな差がある。先づ我々われわれ上膊じょうはく骨に当る骨も、前膊ぜんはくに位する骨もみなはなはだ短く、ほとんかたの中にもれてあるゆえ、'モグラ'の前足はあたかも手首から先だけをただちかたの処にけた様に見える。く根元の部分のみじかきに反し、掌骨しょうこつ指骨しこつは共に十分に発達し、その末端まったんには太いつめが生えて居るから、土をるには極めて適当である。
 蝙蝠こうもりの前足(ニ)はつばさの形をなして居るが、其骨そのほねの数や列び方は人間・犬・'モグラ'などと少しもちがはず、ただ各片かくへんともにいちじるしく細長くびたばかりである。上膊じょうはく骨・前膊ぜんはく骨ともに非常に長いが、其中そのなか前膊ぜんはくの方は二本ある骨の中一本だけが発達し、他はあたかかみごとくに細くなつて、ただ痕跡こんせきめるに過ぎぬ。指の骨は実に比較ひかくにならぬ程にびて、細い竹竿たけざおごとくになり、其間そのかんうすまくつて居るから、全く蝙蝠傘こうもりかさ其儘そのままで、非常に広い面積を有し、空中を飛ぶのに最も有功である。蝙蝠こうもりつばさと'モグラ'の前足とでは、外形は非常にちがふが、比較ひかくして見ると、蝙蝠こうもり此骨このほねは'モグラ'の彼骨かのほねに相当するといふ様に、一々いちいち比べることが出来て、何方どちらにも決して余る骨も足らぬ骨もない。
 くじらひれ(ハ)は外形だけを見ると、少しも人間・さる上肢じょうしにも、犬・ねこ・'モグラ'の前足にも、また蝙蝠こうもりつばさにもた処はない。けもの類の足には何本かの指が必ずあり、其先そのさきつめが生えて居るのが定まりであるが、くじらひれには少しも指のさかいもなければつめもなく、単に魚類のひれの通りに見える。然るにその骨骼こっかくを検すると、かたの次には矢張り上膊じょうはく骨に相当する一本の骨があり、次には前膊ぜんはくに相当する二本の骨があり、それより先には腕骨わんこつ掌骨しょうこつ指骨しこつなどに相当する多数の骨が五列をなして並んで居るから、我々われわれの手と一向ちがはぬ。ただ種種の骨がみな太く短く、いずれも同様の形をして、其間そのかん相違そういはなはだ少く、かつ我々われわれひじ・手首に相当する関節かんせつも、指の節々ふしぶしの間の関節もほとん屈伸くっしんせず、ただひれ全体が弾力性だんりょくせいもって多少屈曲くっきょくすることが出来るばかりである。
 海豹あざらし膃肭臍おつとせいの類も同じく海の中に住んで居るが、此等これらは時々陸上にも出るものゆえ、身体の外形も、手足の構造もなお余程よほど陸獣りくじゅうらしい処があつて、くじらほどには魚にない。例へば前足は短く扁平へんぺいで、大体においてはひれの形をなして居るが、五本の指が判然はんぜんと解り、役に立たぬながらもみなつめ立派りっぱにある。くじらひれと人間の手とでは余り相違そういはなはだしいゆえあるい比較ひかく困難こんなんを感ずる人があるかも知れぬが、其間そのかん膃肭臍おつとせいの前足をはさんで、順を追うて比較ひかくして見ると、此処ここに述べた比較ひかくあやまりでないことは、だれにもあきらかわかるであらう。
 さてくのごとく飛ぶための蝙蝠こうもりつばさも、泳ぐためのくじらひれも、外形こそはいちじるしくちがふが、内部の骨骼こっかくが同一の仕組になつて居るのは、何故なぜであらうかと考へて見るに、蝙蝠こうもりは初めより飛ぶものとして、くじらは初めより泳ぐものとして、天地開闢てんちかいびゃくの時から各別々おのおのべつべつに出来たとしたならば、少しも意味のわからぬことで、ただ奇妙きみょうといふのほかはない。飛ぶためにはつばさが必要であるが、其骨そのほねが人間の手の骨と同一の仕組でなければならぬといふ理窟りくつは少しもない。また泳ぐためにひれが必要であるが、其骨そのほねが犬の前足の骨と数も並び方もそろはねばならぬといふ理窟りくつは少しもない。若し器械師きかいしに飛ぶ器械を造れ、泳ぐ器械を造れとただ命じたならば、器械師は単におのおのその目的にふ様に造るから、目的の全くちがつた器械は出来上つた後に少しもたがいに相似た処はないはずである。然るに実際蝙蝠こうもりつばさくじらひれを見ると、あたかも人の手や犬の前足を器械師にわたして、これを引き延ばしたり、ちじめたり、けづつたり、打ちひろげたりして飛ぶ器械と泳ぐ器械とに造り直せと命じたかと思はれる程で、外形だけは各々おのおのその目的にふ様にたがいに著しく相異なつて居るが、根本の仕組には少しも相違そういがない。これ如何いかにしても、此等これらの動物がみな共同の先祖よりくだり、各相異なつた方向に進化し来つたので、くのごとく形状が相違そういするにいたつたものであると考へなければ、その理由を解することが出来ぬ。

「第二十一図 海豹の骨骼」のキャプション付きの図
第二十一図 海豹あざらし骨骼こっかく

 此等これらの動物が総べて共同の先祖より進化しくだつたものと見做みなさば、以上のごとき事実はただ説明が出来るといふばかりでなく、是非ぜひくならなければならぬといふことも解る。先づ如何いかがなる先祖からくだつたものであるかと考へて見るに、自然淘汰とうたの説にしたがへば、共通の点は共同の先祖から代々遺伝で伝はつたので、たがいに相異なる点はちがつた外界の有様に適する様に変化し来つた結果と見て大抵たいてい差支へがないゆえ、'モグラ'のかたの中、くじらひれの中までに、上膊じょうはく骨・前膊ぜんはく骨の存在して居る所からせば、共同の先祖には此等これらの骨がみな備はつて、かたの関節、ひじの関節なども完全に働き、指は五本あつて、節々ふしぶしが相応に動いたものにちがひないが、けもの類共通の性質を備へた上にひじの関節が動き指が五本あつたとすれば、陸上のけもの類と見なければならぬ。何故なぜといふに、魚のひれひじの節がないのを見ても知れる通り、水中の游泳ゆうえいにはひれ途中とちゅうに関節のある必要がない。ただしなへさへすればよろしいからである。ひれの中程に関節があつては、あたかこしれた団扇うちわごとくで、かえつて働きをなす上にさまたげとなるであらう。
 犬・ねこ・'モグラ'・蝙蝠こうもり膃肭臍おつとせいくじら等の共同の先祖が実際如何いかがなる形のものであつたかは素より確には解らぬが、兎に角とにかく五本の指を備へた陸上のけものであつたと仮定すれば、それより後のことはほぼ推察することが出来る。すなわその子孫の中、一部分は食物を海に求め、代々最も游泳ゆうえいてきした構造を備へたもののみが生き残り、また他の一部分は地中にえさを求めて代々だいだい最も地をるに適した構造を有するものだけが生き残るといふ様な具合に、子孫が幾組いくくみにも分かれ、自然淘汰とうたの結果、各々その生活の状態に適したものが出来たと考へられる。素よりこれ推察すいさつに過ぎぬことゆえ詳細しょうさいの点はあきらかには解らぬが、斯様かように考へれば、初め不思議ふしぎに思つた事柄ことがらも大体においては満足の出来るだけにその理由を解することが出来る。此考このかんがえを除いては到底とうてい何とも説明の仕様しようはない。
 また以上説いたごとくに、実際進化し来つたものとすれば、あたかも共同の先祖といふ一種のすでに存在して居た動物を取つて、これを自然淘汰とうたといふ器械師にわたし、これを基としてぶもの、泳ぐものなどを造れと命じたと同様であるから、外形は各々その働きに適する様に相異なつたものが出来るが、根本の仕組は相同じからざるをない。く考へれば、実際蝙蝠こうもりつばさくじらひれなどおいて見る構造は、単に説明が出来るといふのみならず、此外このほかには出来ぬものであるといふ考に達する。実際と理論りろん予期よきする所とが一致いっちする以上は、先づその理論を正当なものと見做みなし置かねばならぬ。
 南アメリカの南部の海岸には「鱗羽潜うろこはもぐり」と名づける大きな海鳥うみどりが居るが、其翼そのつばさは他の鳥に見るごと羽毛はねげが全く無くして、うろこごときものでおおはれて居る。それゆえ、外見もほとんど鳥のつばさとは見えず、むし海亀うみがめの前足のごとくに見えるが、しかし、鳥類の胸の両側に生じてあるものゆえつばさなることはだれにも明瞭めいりょうである。さて此翼このつばさは鳥の体の大きさに比べるとはなはだ小く、かつ羽毛が無いゆえ、全く飛ぶ役には立たぬが、水中にもぐればこれを用ゐてすみやか游泳ゆうえいし、魚類を追ひまわす有様は、あたかも飛ぶがごとくである。元来、鳥類の飛翔ひしょう器官きかんであるべきつばさは、此鳥このとりではその作用が一転して游泳ゆうえい器官きかんとなつたが、つばさの表面をおおへるうろこごときものを詳細しょうさいに調べて見ると、各々矢張り羽毛はねげには相違そういなく、ただ其軸そのじくの根元だけが残つたごとき有様である。これ尋常じんじょうつばさそなへて飛ぶ力を有した先祖からくだつたものと見做みなさなければ説明の仕様がない。

「第二十二図 鱗羽潜り」のキャプション付きの図
第二十二図 鱗羽潜うろこはもぐ

 一体に海鳥には飛ぶよりもむしろ泳ぐ方が主である所から、つばさの短く小くなつた種類が沢山たくさんにあつて、我国の海岸にも海雀うみすずめ海烏うみからすなどといふつばさはなはだ短い鳥がいくらも居るが、此等これらの鳥は単に波の表面に身体を引きりながら飛ぶだけで、ほとん立派りっぱに飛ぶとはいへぬ程である。からすはとごとき好く飛ぶ鳥の発達したつばさもって、ただちに水中をおよぐ道具に用ゐることは出来ぬが、短く小くなつたつばさは、水の中で動かせば游泳ゆうえいの助けにならぬこともない。しこうして一旦いったん游泳ゆうえい器官きかんとして役に立つ様になつた上は、自然淘汰とうたの結果、益々ますます游泳ゆうえいてきする形状に進むわけである。同一の器官きかんでも初めは飛ぶため、後にはおよぐためといふごとくに、途中とちゅうで作用が変ずると、其時そのときから淘汰とうたの標準が変ずるゆえ、形状も前とは全く別の方向へ向つて変ずることになる。くじらの前足がひれの形となつたのも、蝙蝠こうもりの前足がつばさの形となつたのも、みな此通このとおりの径路けいろんで進化し来つたものであらう。

三 けもの類の頸骨けいこつ


 だれも知つて居る通り、けもの類の中には駱駝らくだごとくびの長いものもあれば、いにのしごとくびの短いものもある。なおはなはだしい例を引けば、アフリカに産する麒麟きりんは全身のたけが三間(注:5.4m)もあるが、くびだけでも六尺(注:1.8m)は十分にある。またくじら海豚いるかの類になると全く魚のごとくで、頭とどうとの間に別にくびと名づけて区別すべき部分はない。然るに奇妙きみょうなことには、此等これらの動物を解剖かいぼうして見ると、くびの長い短いにかかわらず、くびほねは必ず七個ある。人間でも、さるでも、牛・馬でも、犬・ねこでも、くびの骨の数はみな七個と定まつて居る。けもの類では他の脊椎せきつい動物と同じく、頭の後からの先まで、数多の脊椎せきつい骨としょうする短い骨があたか珠数じゅじゅごとくに連なつて、身体の中軸ちゅうじくを造つて居るが、むねの辺ではこの脊椎せきついの両側にみな肋骨ろっこついてある。その第一番の肋骨ろっこつ附着ふちゃくして居る脊椎せきついより前に位する脊椎せきついすなわくびの骨であるが、くびの長短に構はず七個あるゆえ、一個づゝの頸骨けいこつの形は種類によつて大にちがひ、麒麟きりんごとくびの長いけものでは各長さが一尺(注:30cm)程もあつて火吹竹ひふきたけごとく、くじらなどの様なくびの無い動物では短い間に七個し合つて入つて居るから、おのおのうすく、扁平へんぺいで、あたか煎餅せんべいの通りである。

「第二十三図 麒麟の頸骨を示す」のキャプション付きの図
第二十三図 麒麟きりん頸骨けいこつを示す

 けもの類のくびの骨は必ず七個に限ることは、生活上何か必要があるかと考へるに、少しも左様なことは無い。現にくじらの中でもる種類では七枚ななまいくびの骨は癒着ゆちゃくして一塊ひとかたまりとなり、わずかに境界の線が見えるだけで、働きの上からいへば、全く一個の骨となつて居る。他の動物でも七個では困るといふ理由もない代りに、また七個でなければくびが十分に働らけぬといふ訳もなく、六個でも八個でも乃至ないし十個でも生活の上には少しも差支へは無い様である。然るに実際においては、くのごとくびの長短にかかわらず、くびの骨が必ず七個あることは、若し動物各種が全く別々に造られ、其儘そのまま少しも変化せずに今日まで生存せいぞんし来つたものとしたならば、ただ奇妙きみょうといふだけで、すこしその理由を了解りょうかいすることが出来ぬ。

「第二十四図 鯨の頸骨を示す」のキャプション付きの図
第二十四図 くじら頸骨けいこつを示す

 これに反して此等これらの動物はみな同一の先祖より進化しくだつたもので、その共同の先祖が七個のくび骨を有して居たと仮定したならば、頸骨けいこつの七つあるといふ性質は、遺伝いでんによつて総べての子孫に伝はり、生活法の異なるにしたがつて自然淘汰とうたの結果おのおの適宜てきぎに長くも短くもなつたものと考へて、一通り理窟りくつが解る。若し左様としたならば、かる点はあたかも家のもんごときもので、現在の職業しょくぎょうたがい如何いかことなつても、一家一門の中はみなもんだけは同じである通り、現今げんこん地上を走るものも、海中をおよぐものも、共にその先祖の同じであるといふ符号ふごうを身体構造の中に存して居る次第しだいであるから、昔にさかのぼつて系図けいずを取調べるといふ様な場合には、最も重要な参考さんこう資料しりょうとなるものである。
 以上のごときことは他の動物の他の体部たいぶいてもいくらもあることで、例へば我国わがくにの海岸の浅い処には、えびかにの類に属する寄居蟹やどかりといふものが沢山たくさんに居るが、その身体の全体はややえびに似て、前半は頭胸とうきょう、後半は腹である。いた介殻かいがらさがし求めて、常に体の後半を其中そのなかに入れ、介殻かいがら引摺ひきずりながら、水の底をひ歩き、敵にへばたちまち全身をからの中に引込ひっこみ、大きなはさみもっからの口をぢるが、ためし一疋いっぴきとらへ、無理にからより引き出して検すれば、体の後半、すなわ腹部ふくぶは常に介殻かいがらの中に保護ほごせられて居るところゆえ皮膚ひふはなはやわらかくて、かにえびかたこうとは全くちがひ、かつ介殻かいがらの中に都合つごうよくまる様に螺旋状らせんじょうに巻いて居る。さてかにえび寄居蟹やどかりとを比べて見るに、一はたくみに走り、一はすみやかおよぎ、一は介殻かいがら引摺ひきずつてひ歩き、運動法の異なるにしたがひ、体格にもいちじるしい相違そういがあるが、此等これらの動物を並べて置いて其体そのからだの後部すなわち腹と名づける処を比較ひかくして見ると、外形がちがひ、働きが異なるにかかわらず、いずれもみな根本の構造に一致いっちした処があり、あたかも同一の模型もけいに従うて造つたものをさら各々おのおの生活の有様に応じて造り直したごとくに見える。先づえびの腹を検するに、六個のふしより成り、その先端せんたんいてあるが、毎節まいふしともにかたこうおおはれ、その裏面うらめんには左右両側に一個づゝの橈足かいあしが生じてある。かにでは如何いかにと見るに、頭胸部とうきょうぶが非常に大きく発達し、腹部は其下そのしたへ曲りんでかくれて居るから上からは見えぬ。ぞくかにふんどしとなへるのがすなわかにの腹である。えびでははらとが主なる運動の器官きかんで、急に敵にめられた時などはを前へ強くねて、自身はすみやかに後へ飛び退くが、と腹の内にある筋肉とは、其時そのときに働くものゆえ、両方ともに十分に発達して居る。これに反してかにでは主なる運動の器官きかんは全く胸から生じた足ばかりゆえも腹の筋肉きんにくも退化して無くなつて居る。そのため腹はうすく小くなつて、ただ体の裏面に曲つて附着ふちゃくして居るに過ぎぬが、其節そのふしの数をかぞへて見ると、矢張りえびと同じく六つある。もっとおすでは節が往々癒着ゆちゃくして数が減じて居るが、其様そのような場合でも癒着ゆちゃくした処にはわずかな横線が見えて、元来がんらい節が六つあつたことをあきらかに示して居る。また寄居蟹やどかりの腹部は前に述べた通り常に介殻かいがら保護ほごせられて居るゆえ皮膚ひふが極めてやわらかいが、其背面そのはいめんには上の図に示したごとくにやや皮膚ひふかたい処が六箇所ろっかしょだけたてに並んである。これは確にえびの腹部の背面のこうに相当するもので、はなはやわらかいながらも、なお元来六つの節から成り立つことのあきらか証拠しょうこを現して居る。くのごと此等これらの動物は腹部の形状が実際種々に異なつてあるにもかかわらず、いずれも六つの節から成るといふ点で一致いっちして居るが、これは前のけもの類のくびの骨と同様で、みな同一の先祖からくだつた子孫であると見做みなせば、先づ理窟りくつは解るが、し初めから全く無関係の別物としたならば、かにふんどしにも寄居蟹やどかりやわらかい腹にも生活上何の必要も無いのに、矢張りえびと同様に六つの節のあることは、ただ不思議といふばかりで少しも訳が解らぬ。

「第二十五図 寄居蟹」のキャプション付きの図
第二十五図 寄居蟹やどかり

 なお面白いことには、琉球りゅうきゅう八重山やえやま島を始め、南洋の諸島しょとうにはマックヮンというて陸上に住み、椰子やしの実を食ふ大きなかにがあるが、其形そのかたちすこぶ寄居蟹やどかりに似て、ほとん寸分すんぶんちがはぬ程である。しかし、寄居蟹やどかりちがうていた介殻かいがらの中に腹部をまず、裸出らしゅつしたまゝで落葉おちばの間をひ歩いて居るゆえ、腹部も背面だけにはかたこうがあるが、其数そのかずは矢張り六枚である。しこうして腹部の裏を見ると、此処ここにはえびの腹部にあるごとき足の変形したものが生じて居るが、ただ片側にあるだけで左右対をなしては居ない。かにえびでは身体は真に左右同形で、若し中央線に沿うて身体をたてに二つに切つたならば、左右両半は全く同じ形となる様な構造を有して居るが、寄居蟹やどかりいた介殻かいがらの中に入るものゆえ腹部ふくぶだけは左右いちじるしく不同形で、特に尾端びたんには介殻かいがら中軸ちゅうじくはさむための器官きかんを備へて居る。しかるにマックヮンは介殻かいがらの中へ腹部をし入れぬにかかわらず、腹部の構造は全く寄居蟹やどかりの通りで、ただわずかその背面がかたくなつて居るだけに過ぎぬのは、何故なぜであらうか。これ如何いかに考へても、マックヮンは昔海岸に住んで、腹部を介殻かいがらし入れて居た寄居蟹やどかりが次第に陸上に上り、陸上の生活にてきした有様ありさまに変化し、腹部を介殻かいがらの中に入れぬ様になつたものと思ふより仕方はない。若しマックヮンは初めからマックヮンとして他の動物と関係なく、全く別に出来たものとしたならば、腹部の裸出らしゅつして居るにかかわらず、何故なぜ寄居蟹やどかりと同様に左右不同形の構造を有するか、少しも理由を見出すことが出来ぬ。

四 血管並に心臓しんぞう比較ひかく


 以上はわずかに二三の例を挙げたに過ぎぬが、比較ひかく解剖かいぼう学上の事実はほとんど一として生物進化の証拠しょうことならぬものは無く、比較ひかく解剖かいぼう学の書物を開いて見ると、ほとん毎頁まいページ斯様かような事実がせてある。しかし、其中そのなか、内部諸臓腑ぞうふに関することはすこぶる複雑で、突然とつぜん説いても解りかたいことが多いゆえ、総べてりゃくして、こゝにはただ一つ脊椎せきつい動物の血管けっかん系統のことだけを述べることとする。

「第二十六図 人類の心臓及び動脈基部」のキャプション付きの図
第二十六図 人類の心臓しんぞうおよ動脈どうみゃく基部

 人間を始として、総べて哺乳ほにゅう類の心臓は左右の心耳しんじ、左右の心室しんしつより成り、左心室からは一本の大動脈が出て、頭・うで等へ血を送るべきえだを出しながら、左へ後へ向つて曲り、脊骨せぼねの前を沿うて下へ進み、内臓ないぞうあし等へ血液を送り、また右心耳からは一本のはい動脈が出て、ただちに左右の二枝に分れて左右のはいに達する。全身をめぐつた血は右心耳へ帰り、肺で清潔せいけつになつた血は左心耳へ帰り、くして体内の血液循環じゅんかんが行はれる。これだけは、どの様な生理書せいりしょにも必ず書いてあることゆえだれも知つて居るが、次に魚類では、血液循環じゅんかん模様もよう如何いかにと見るに、これは人間等のとは全くちがつて、心耳も心室も各々おのおの一個づゝより無く、心室から前へ向つて出た一本の大動脈はただちに左右各四五本づゝの枝に分かれて、ことごとえらの中に入つて仕舞しまひ、えらの中で非常に細い管に分かれ、再び集まつて各一本となるが、血液がこゝを通過つうかするときに呼吸の働きが行はれるのである。しこうして各一本づゝとなつてえらを出た血管は、みな集まつて一本となり、脊骨せぼねの下に沿うて後へ進む。途中とちゅうから種々の枝は出すが、動脈の幹部だけは先づ此通このとおりである。くのごとけもの類の血管系けっかんけいと魚類の血管系とは一寸ちょっと見ると全く相異なり、少しもた点が無い様である。然るにかめの血管、へびの血管、かえるの血管、'イモリ'いもりの血管、また外国には'イモリ'に似て生涯しょうがいえらもっ呼吸こきゅうする類があるが、斯様かような動物の血管等を調べ、順を追うて比較ひかくすると、人間の血管の何の部は魚の血管の何の部に相当するといふことが判然と知れ、両方とも元同一の模型もけいによつて造られてあることが明瞭めいりょうわかる。
 もっと此等これらのことは以上諸動物の比較ひかく発生を調べれば、なお一層確に解るが、これは次の章にゆずり、こゝにはただ解剖かいぼう上の事実だけを述べて見るが、魚類では呼吸の器械は全くえらばかりで、心室しんしつから出た大動脈はことごとえらを通過するから、其先そのさきは総べて呼吸の済んだ血ばかりが身体を循環じゅんかんし、総べてが静脈血じょうみゃくけつとなつて心耳しんじに帰つて来る。それゆえ、魚類では心臓を通るのは静脈血ばかりである。所が、魚類の中にははい魚類というて熱帯地方の大河たいがに住む奇妙きみょうな類がある。此類このるいすでに名で解る通り、えらの有るほかに肺を有し、呼吸の器官きかんが水にてきするものと空気に適するものと二通りになつて居るが、一体熱帯地方では我々われわれの温帯地方とちがひ、一年が春・夏・秋・冬の四季に分かれず、半年は雨降あめふりが続き、半年は旱魃かんばつが続いて、一年がほとん乾湿かんしつの二期に分かれてあるゆえ斯様かような処に住するには最も調法な仕掛しかけである。すなわち水の多い時には普通ふつうの魚と同じく水中を泳いで水を呼吸こきゅうし、次に旱魃かんばつが続いて水が無くなればどろの中へもぐみ、わずかに空気を呼吸して命をつなまた雨のる時の来るのを待つことが出来る。しこうして其肺そのはい如何いかがなるものかと調べると、別に此類このるいだけにある特殊とくしゅの器械ではなく、こいふななどごと普通ふつうの魚類にも常に見る所のうきぶくろである。通常の魚類ではうきぶくろは何の役に立つかといふに、中に弾力性だんりょくせいに富んだ瓦斯ガスふくんで居ることゆえ、周囲の筋肉が収縮しゅうしゅくすれば、うきぶくろは小くなり、体の重量じゅうりょうげんぜずに容積ようせきの方だけが減じて体の比重が増すから、魚の体は自然に深い方へしずむ。また筋肉がゆるめば瓦斯ガス弾力性だんりょくせいによりうきぶくろは旧の大きさにふくし、体の比重が減ずるゆえ、魚の体は再び表面の方へうかび上る。金魚などをつて置いて見て居ると、ひれも少しも動かさずにただ、静にいたりしずんだりすることがあるが、これは全くうきぶくろばかりの働きである。かる魚は死んで仕舞しまへば総べて筋肉がゆるむから、うきぶくろは中にある瓦斯ガスの自然の弾力だんりょくふくれ体の比重が減ずるゆえあたかも木の片のごとくに水面に横にうかぶ。くのごとく、うきぶくろ普通ふつうの魚では水中浮沈ふちん器官きかんであるが、肺魚類はいぎょるいでは此器官このきかんが不完全ながら、肺の働きをつとめる。そのためには管によつて食道と連絡れんらくして居る。こいふな等でも全くこの連絡れんらくが無いのではない。矢張りうきぶくろと食道とはあきらかに細い管で続いて居るが、いくうきぶくろを圧しても食道の方へ瓦斯ガスれぬ所から考へると、単にくだがあるといふだけで、実際瓦斯ガス通行つうこうすることは無いらしい。すなわこいふな等においては此管このくだは一種の不用器官ふようきかんに過ぎぬ。然るに肺魚類では此管このくだが実際に役に立ち、空気は口より食道に入り、此管を過ぎてうきぶくろの中へ流通するから、うきぶくろは肺として働くことが出来る。普通ふつうかえる蝌蚪おたまじやくしならびにヨーロッパ、アメリカなどに産する、一生涯いっしょうがい水中に住んでえらもって水を呼吸する'イモリ'の類の呼吸の有様はほぼこれと同様である。

「第二十七図 肺魚類の心臓及び動脈基部」のキャプション付きの図
第二十七図 肺魚類の心臓しんぞうおよび動脈基部

 普通ふつうの魚類のうきぶくろは素より一種の臓腑ぞうふとして血液によつてやしなはるべきものゆええらを通過する動脈の中の一本から枝が分かれて此処ここに来る様になつて居るが、来るのは無論動脈血で、帰るのは静脈血である。然るにうきぶくろが呼吸の器官きかんとして働く種類では、血管の配置の模様もようは少しも相違そういはないが、うきぶくろに来た血はさらに清潔となつて心耳しんじに帰るゆえ、心耳の中には一方からは全身をめぐつて来た静脈血が入り来り、一方からはうきぶくろすなわち肺から帰つた純粋じゅんすいの動脈血が入つて、二種の血が一所ひとところ出遇であふことになる。る種類ではすでに心耳が多少左右の両半に分かれ、右の方へは全身をめぐつた血、左の方へは肺から帰つた血が入る様になりつて居る。
 しかし、水の中に居るときはえらだけが働き、陸上へ出れば肺だけが働き、一方の働く間は他の方は必ず休んで居て、決して両方同時に働くことは出来ず、まりいずれも半分より働けぬゆえ一疋いっぴきえらと肺とをそなへて居ることは便利な様でありながら、実は左様でない。ことわざにも「二兎にとを追ふものは一兎いっとず」といふ通り、二種の働きをねるものは到底とうてい一種だけを専門せんもんとするもののごとくには発達せず、所謂いわゆるあぶも取らず、はちも取らず」といふ有様で、水中の呼吸においてはただえらばかりを有する魚類におよばず、空気を呼吸するに当つてはまた肺だけを有するかえるにもおよばず、いずれの方面でも他に優ることが出来ず、わずか特別とくべつこれてきした事情のある場所だけに生存することが出来る。えらと肺とをね備へた動物が現在はなはだ少数で、其住処そのじゅうしょせまく限られてあり、また蝌蚪おたまじやくしかえるに変ずる際にも、水から出ればえらただちおとろへ、肺が急に発達して二者の両立して働く時間のはなはだ短いのもこのことわりによることであらう。さて、一旦いったん陸上に出て、空気ばかりを呼吸する様になれば、血管系に大きな変化が起るが、かえる血管系けっかんけいは実際斯様かような変化の結果として生じたものである。
 かえる蝌蚪おたまじやくしの時代には、心臓・血管系ともに魚類の通りで、とく其中そのなかなる肺魚類はいぎょるいとは少しもちがはぬ位であるが、生長が進んで陸上に出る様になると、えらは働くことが出来ぬからたちましおれて無くなり、これと同時に今までは形がありながら実際呼吸の役には立たなかつた肺が急にいそがしくなつて発達する。その有様はあたかも線路がこわれて汽車きしゃが不通になれば、それまで余り人の乗らなかつた人力車じんりきしゃが急にいそがしく盛になるのと同じである。肺が発達すれば肺に血が沢山たくさん来るゆえその通路なる血管も太くなるが、元来肺の方へは、大動脈から分かれてえらを通り、脊中せなかの方へ進む数対すうついの動脈の中の最後のものから細いえだが来て、血を送つて居た所、此枝このえだが太くなつて、かえつて心臓しんぞうから直接に肺に行く幹のごとくになる。これすなわち肺動脈である。これに反してえらより脊中せなかの動脈に達する間の部は、もとみきであつたのがかえつて細い枝のごとくになるが、此枝このえだは後益々ますます細くなり、終には単にさくとなり、なお後には全く消えて仕舞しまふが、その結果として肺動脈は全く独立し、他の動脈との連絡れんらくが絶える。
 またえらは元来動脈の途中とちゅうはさまれたもので、心臓しんぞうからえらへ来るまでの管も、えらから先へ血の進み行くくだも、中を通る血液にこそ動脈血・静脈血の差別はあるが、いずれも心臓から全身へ血の行く径路けいろの中の一部分ゆえ解剖かいぼう上は動脈どうみゃくであるから、えらが無くなれば、ただ前に毛細管もうさいかんに分かれた処が、分かれなくなるだけで、元えらを通過した血管は各々おのおの簡単な一本の弓形の動脈となり、心臓から前へ出た大動脈は左右数対に分かれると其儘そのままみな体の側面に沿うての方へ進み、終に合してただ一本の下行かこう大動脈となつて仕舞しまふ。此等これらの変化は文句で長く述べるよりも、図でしめした方が早くかつ明瞭めいりょうに解る。

「第二十八図 'イモリ'の心臓及び動脈基部」のキャプション付きの図
第二十八図 'イモリ'の心臓及び動脈基部

 くしてかえるの心臓から出た大動脈は一対の肺動脈と三四対の動脈弓どうみゃくきゅうとに分かれる様になるが、動脈弓といふものは何本あつても各側ともにたちまち一本に合して後へ向ふものゆえ其中そのなか一対が少し太くなつたならば、他は無くてもむ訳で、実際かえるなどではただ一対だけより残らず、他は漸々だんだん細くなつたすえ終にことごとく消えて仕舞しまふ。残つた一対がすなわち生長し終つたかえるに見る所の動脈弓である。また肺動脈と大動脈弓とは初めは根元ねもとが共同であるが、追々おいおい共同部の内面に隔壁かくへきが出来て、血の通路つうろが二つに分かれ、終には心室しんしつを出る処から全く別の二本の血管となつて仕舞しまふ。

「第二十九図 蛙の心臓|及び動脈基部」のキャプション付きの図
第二十九図 かえるの心臓および動脈基部[#「第二十九図 蛙の心臓|及び動脈基部」はキャプション]

 動脈幹部の変化は以上述べた通りであるが、次に心臓しんぞうを検すると、此処ここにもいちじるしい変化が起る。先づはいが盛になれば肺より帰つて来る清潔せいけつな血も多くなつて、全身を循環じゅんかんして帰る不潔ふけつな血とほとんど対等な分量となり、両方から心耳しんじに集まるが、く肺の発達する間に心耳の方には内部にたて隔壁かくへきが生じて、左右の二部に分かれ、心耳の内ではこの二種の血液がざらぬ様になる。それゆえ、生長したかえるの心臓は二心耳にしんじ一心室いっしんしつより成り、一個の心室へ両方の心耳から同時に血が入るゆえ、清潔な血と不潔な血とは心室内で混合し、さらに大動脈と肺動脈とに分かれて流れ出る様になつて居る。
 かめなどの心臓しんぞうおよび動脈幹部はかえるのと大同小異である。へびのもほぼ同様であるが、ただ心室内にも多少縦の隔壁かくへき出来掛できかかって、いくらか左右両半に分かれり、清潔な血と不潔な血とが心室内で混ずることはまぬがれぬが、清潔な血は成るべく多く大動脈の方へ、不潔な血は成るべく肺動脈の方へ行く様な仕組になつて居る。わに類ではなお一歩進んで、左右の心室の間のかべが全くぢ、肺静脈によつて左の心耳へ帰つた血は、左の心室を通つてことごとく大動脈の方へ出て行き、全身から右の心耳に帰つた血は、右の心室を過ぎてことごとく肺動脈の方へ出て行き、心臓しんぞう内でこの二種の血液が混合することの決して無い様になつて居る。次に鳥類の心臓・血管を調べると、大体においてはこれと同様で、心臓は二心耳・二心室より成るが、左の大動脈弓が無くなつて、右一本だけより無い。またけもの類・人間等ではこれと反対で、右の方が無くなり、左の方ばかりが残つて居るのである。
 魚と人間とだけより知らぬときは、其心臓そのしんぞう・血管ともに全く別の仕組に出来て居ると思はれるが、くのごとその中間に立つ動物を沢山たくさん解剖かいぼうして、順を追うて比較ひかくして行くと、魚類のごとき有様から一歩づゝ進化して終に人間で見るごときものまでに変じ来る順序があきらかに解り、人間の肺動脈は魚類の数対ある動脈弓の中の最後のものに相当し、また人間の大動脈は魚の動脈弓の中のる一対の左半分だけに相当して、人間ではただこれだけが残り、魚類の他の動脈弓に相当そうとうする部は消え去つたことも確に知れる。それから心臓しんぞうの方も初め一心耳・一心室のものが、肺の発達にしたがひ、先づ心耳しんじの中に隔壁かくへきが出来て左右に分かれ、次に心室しんしつの方も次第に左右の二つに分かれて、ついに人間にけるごとき二心耳・二心室の複雑なものまでになる具合があきらかさっせられるが、此考このかんがえは決して空想くうそうではない。現に人間の子供が母の胎内たいないで発生する際には、心臓しんぞう・血管ともに全くこゝに述べたと同様の径路をぎて出来る。此事このこといてはなお次の章において説くつもりであるが、心耳などには左右の間の隔壁かくへきの最後に閉ぢた部分は、一生涯いっしょうがい他の部よりややうすく、両面へこんであきらか識別しきべつすることが出来る。
 心臓が二心耳、二心室より成るとか、左心室からは大動脈が出て右心室からは肺動脈が出るとかいふ様なことは生理書でだれも学ぶが、これを学ぶものはただくのごときものであると覚えむばかりで、何故なぜかる複雑な仕掛しかけが出来たかとの疑問ぎもんが胸にうかぶこともまれな様である。しかし、理窟りくつを考へて見ると、一個の器官きかんでありながら、心耳・心室ともに左右両半がたがいに全く連絡れんらくなく、切りはなしてもはたらきの上には差支へのない様になつて居るのも不思議ふしぎで、また血液が身体を循環じゅんかんするに当つて一度ははいだけに行き、一旦いったん心臓に帰つて再び出直し、全身をめぐつてまた心臓に帰り、一回完全に循環じゅんかんするには二度も心臓を通過する様になつて居るのも不思議である。若し人間の身体の構造は永久不変のもので、何処どこまでむかしさかのぼつても今日と同じであつたものとしたならば、この不思議は何時いつまでも解けぬが、こゝに述べたごとく、元来水中に生活し、水を呼吸するにてきする様に出来て居た血管系けっかんけいもととし、これを空気呼吸に適する様に順を追うて造り直し、一歩づゝ進んで出来上つたものとしたならば、是非ぜひ今日の有様の通りにならざるをぬことがあきらかになる。

五 くじらの身体構造


 以上の数例はいずれも身体構造中の一部だけを数種の動物にいて比較ひかくしたが、一種の動物の身体全部を丁寧ていねいに検査すれば、今とは形の異なつた先祖せんぞから進化して現在の有様ありさまに達したといふ形迹けいせきの見えることがはなはだ多い。特にくじらなどの類は其最そのもっともいちじるしいもので、身体いずれの部分を見てもる陸上の四足類より進化し来つたことが確に見える。
 先づ身体のじくとなる骨骼こっかくから述べて見るに、全身の外形は魚の通りであるが、其内そのうち骨骼こっかくは犬・ねこ等のごとけもの類の骨骼こっかくを基とし、一々いちいちの骨片を延ばしたり縮めたりして、魚の形にてきする様に造り直したもののごとくに見える。くびの骨のことはすでに前に述べたが、煎餅せんべいごとうすい骨が七枚も重なり合つて、頭とどうとの中間にはさまつてある具合は、如何いかに見ても元来初めからくのごとくに出来たものとは考へられぬ。またひれの骨が犬・ねこの前足、人間・さるの手などと少しもちがはぬことも前に述べたが、上膊じょうはく前膊ぜんはく等の骨がきわめて短くなりながら、なお其形そのかたちを存し、位置を変ぜぬ所は、如何いかに考へても陸上けもの類の前足が縮まつて出来たものとよりは思はれぬ。仮にあめで犬の骨骼こっかくの模型を造り、み出る処を圧し縮めて、無理にこれを魚の形の中にんだとしたならば、くびの骨も前足の骨もくじら類の実際の有様と少しもちがはぬ様なものが出来る。

「第三十図 鯨の骨骼」のキャプション付きの図
第三十図 くじら骨骼こっかく

 また頭骨ずこついて考へても、昔し風来山人ふうらいさんじん(注:平賀源内ひらがげんない)が天狗てんぐ髑髏どくろにして置いた骨は、くじら類の一種なる海豚いるかの頭骨であるが、門人等もんじんらこれを見てあるい蛮夷ばんいの大鳥ホーゴルストロイスであらうとかあるいは大魚の頭骨ずこつであらうとか言うた位で、くちばしが長くとがつて、一見した所では決してけもの類の頭骨とは見えぬ。しかし、丁寧ていねいこれを調べて見ると、犬・ねこ・人間等の頭骨と全く同一の骨片こっぺんが同じ数だけ同じ順序に集まつて出来たもので、決して足らぬほねもなければ、余る骨もない。ただ一々の骨片の大小長短の相違そういで、く全形がちがふばかりである。それゆえ、仮にあめで犬の頭骨の模型もけいを造り、上下のあご骨を前へ長く引き延ばし、鼻骨びこつを頭の頂上ちょうじょうまでし上げなどすれば、その結果は全く海豚いるかと同じものが出来る。同じく海中に住む魚類の頭骨などは総べて仕組がちがふ。またくじらには胸にひれが一対あるだけで、他のけもの類の後足に相当するものが全く見えぬ。しかし、解剖かいぼうして内部を調べると、こしの辺に肉にもれて、後足の基部きぶの骨だけが存してあるが、生活上には何の役にも立たぬ。全く不用の器官きかんである。これ大蛇だいじゃの後足の痕跡こんせきと同じく、後足を完全に備へた先祖から遺伝いでんによつて伝はり来つたものと考へなければ、外には全く説明の仕様がない。
 くじら類は総べて温血おんけつ胎生たいせいで、生まれた子には乳を飲ませてこれを養ふが、此等これらみな陸上に住むけもの類の特徴とくちょうである。さら内臓ないぞうくわしく検すれば、消化器・循環じゅんかん器・呼吸器・排泄はいせつ器など、いずれも大体は牛・馬・犬・ねこのと大差なしと言つてよろしいが、其中そのなか特に考ふべきは呼吸の器官きかんである。海中で生まれ、海中で死んで、決して一度も陸上に上ることの無いこの動物が肺をもって空気を呼吸こきゅうすることは、若しくじらが初めからくじらとして造られたものとしたならば、実に解すべからざることと言はねばならぬ。くじらが肺をもって空気を呼吸することは、決してくじらの生活上に最もてきしたことではない。えらで水を呼吸することが出来たならば、水中に住むくじらに取つては其方そのほうはるか都合つごうが好い。くじらは空気を呼吸せなければならぬゆえ、一度水中にしずんでも幾分いくぶんかの後には必ず水面にうかび出るが、此時このときを待つてくじら漁師りょうしめるゆえ、大きなくじら比較的ひかくてき容易たやすれる。若し大きなくじら位のものがしずんだままで水面にうかんで来なかつたらば、中々人間の手では捕獲ほかくすることは困難こんなんである。此等これらの点から見ても、くじらの先祖は陸上に住んで居たけもの類であると考へなければ、総べて不思議なことばかりで、到底とうてい理会りかいすることが出来ぬ。
 なお其他そのほかくわしくくじらの種々の器官きかんを一々調べると、進化の証拠しょうことも見做みなすべき点が沢山たくさんにあるが、こゝにはただ一つ耳の構造に関することを書きへるだけに止める。哺乳ほにゅう類の耳の構造は人間の耳とほぼ同様で、人間の耳の構造は生理書せいりしょには必ず書いてあるゆえ、改めてくわしく説くにはおよばぬが、その大体をいへば先づ内耳ないじ中耳ちゅうじ外耳がいじの三部より成り、中耳と外耳との間に鼓膜こまくがある。耳殻じかくおよび耳のあなから鼓膜こまくに達するまでが外耳で、鼓膜こまくの内側にあつて空気をふく鼓室こしつが中耳、またそれより内にあつて液体えきたいたされ、真にちょう神経の末端まったんの分布して居る処が内耳である。外耳のつとめは外界から来た空気の振動しんどう鼓膜こまくに達せしめるだけで、鼓膜こまくこれに感じてふるへば、その振動しんどうは中耳内の小骨こぼね媒介ばいかいによつて内耳に伝はり、其処そこで初めて神経の末端まったん刺戟しげきしてひびきの感覚を引き起すことになるゆえ、外耳・中耳は共に空気の振動しんどうを内耳に感ぜしめるための伝達の道具に過ぎぬ。それゆえ、水中にもぐつて居る間は外耳と中耳とは何の働きも出来ぬ。水中ではひびき皮膚ひふ・骨等に伝はつてただちに内耳に達するから、魚類などを解剖かいぼうして見ると、耳はただ内耳だけで、中耳も外耳もない、ふなでもこいでも耳はあるが、体外に開くあながないゆえ、外からは見えぬのである。さてくじらでは如何いかがであるかといふに、くじらは魚のごとくに常に水中に住みながら、耳の構造は全く陸上のけもの類と同様で、中耳もあれば鼓膜こまくもある。しかし、その形状を調べて見ると、何処どこも多少退化して、外耳道のごときもはなはだ細いゆえ、水中においては無論のこと、何分毎なんぷんごとにか一回づゝしばらく水面へ頭を出すときにも、空気の振動しんどうを内耳へ伝へる働きは到底とうてい出来さうにない。くじらの中耳・外耳は先づ不用の器官きかんつてよろしい。く常に水中に住んで中耳・外耳が役に立たぬにかかわらず、矢張り陸上の牛・馬・犬・ねこ等と同様な構造の耳を有することも確にくじらが陸上の四足けものから進化して出来たものであるといふ証拠しょうこの一と見做みなすべきものであらう。


第十章 発生学上の事実


 動物を解剖かいぼうして見ると、種々の器官きかんの構造においその動物が漸々だんだん進化し来つたといふ形迹けいせきを見出すことが多いが、動物の発生はっせいの有様を調べかつこれを種々比較ひかくして見ると、さら一層いっそう著しくかる形迹けいせきが見える。前章においては単に解剖かいぼう学上の事実にいて述べたが、解剖かいぼう学上のことでも、これ了解りょうかいするには相当の素養そようを要するゆえやや詳細しょうさいなことは突然とつぜん述べることが出来ぬ。然るに、発生学上の事実は単に一時の定まつた有様を論ずるのではなく、時々刻々じじこくこく変化して行く具合を説かねばならぬから、さら数倍すうばい困難で、ただ解剖かいぼうでさへ相応にみ入つてある所へ、「時」といふ元素が新に加はり、解剖かいぼうを平面にたとえへれば、発生はそれに「時」といふ厚さがいて、立体となる訳ゆえ、簡単に十分に説くことは到底とうてい出来ぬ。動物の発生の途中とちゅうには生物進化の証拠しょうこともいふべき事実がほとんど無数にあるが、此等これらを解る様に述べるには、先づ発生学研究の方法から説き始め、かたわら実物の標本を顕微鏡けんびきょうで見せたりせねばならぬ。これは無論本書において出来ることでないゆえ此章このしょうにはただ最も解り易い点を若干だけ選んでげる。
 一々の事実を述べる前に、先づ言つて置かねばならぬのは、動物は如何いかがなるものでも総べてたまごから発生はっせいするといふことである。'鶏'にわとりの卵乃至ないし魚の卵、かいこの卵は、だれも知つて居るが、其他そのほかになると、卵を人が知らぬものが多い。しかし、実際を調べて見ると犬・ねこでも牛・馬でも、我々われわれ人間でもその出来始めはみな一粒ひとつぶの卵である。卵には'鶏'にわとり卵のごとくに大きなものもあるが、大抵たいていはるかに小く、人間の卵などは直径はわずかに一分の十五分の一(注:0.2mm)にぎぬ。一粒ひとつぶの卵から複雑きわまる構造こうぞうを有した人間が出来るのであるから、其間そのかんの変化は実におどろくべきもので、くわしく研究して見ると、面白いことがすこぶる多い。我々われわれの食用にする'鶏'卵けいらんただ生んだままゆえ、単に蛋白たんぱく卵黄らんおうとがあるだけであるが、これ雌'鶏'めんどりに温めさせるとわずかに二十一日ばかりの間に、中に立派りっぱひなが出来る。くのごとく、'鶏'にわとりでは親の体外でひなが発生するゆえ此間このかんの変化を調べるには沢山たくさんの卵をあたためさせて置き、其中そのなかから毎日朝・昼・ばんに一個づゝを取り出し、からつて見ればよろしい。細かいことは特別とくべつの方法を用ゐて研究せねば解らぬが、大体だけは斯様かようにすれば知れる。その変化の有様は極めて複雑ゆえ、こゝで述べることは出来ぬが、我々われわれが母の胎内たいない九箇月きゅかげつ居る間には、ほぼ'鶏'にわとりひなが二十一日の間に卵から出来るのと全く同様の順序を経過し、初め一粒ひとつぶの小な卵から終に手足の完備した幼児ようじとなつて生まれ出るのである。一は親の体外で発生し、一は親の体内で発生するだけの相違そういで、初め一粒ひとつぶの卵から起るといふには少しもちがひはない。

「第三十一図 人類の卵」のキャプション付きの図
第三十一図 人類の卵

 たまごから生長し終つて子を生むにいたるまでの経過を調べるのが発生学はっせいがくであるゆえ、中々その研究は容易なことでなく、一種の動物の発生を十分に調べ上げるには、材料も余程十分になければならず、また時日も余程長くかゝる。それゆえ、今日の所、十分に発生の調べの行き届いた動物はまだ少数で、他はわずかに大体の模様もようが解つた位に過ぎぬ。また全く発生の調べてない動物も沢山たくさんにある。しかし、発生学は今日最もさかんに研究せられて居る学科で、毎年毎月何か新しい事実が発見になる有様ありさまゆえ、今日より後にはなお余程面白いことが沢山たくさん見出されるに相違そういない。次に述べる事実のごときは単にごく少数を選み出したに過ぎぬ。

一 発生中にのみ現れる器官きかん


 生長の終つた動物の体内にしばしば不用の器官きかんの存することは、すでに前章に述べたが、動物の発生の途中とちゅうには生長の後になれば不用に属する器官きかんが一度出来て、のち再び消え失せることが往々ある。其中そのなかには発生の途中とちゅう、実際用をなすものあれば、また発生の途中とちゅうにも少しも役に立たぬ様なものもある。
 牛・羊・鹿しかなどの類には、下顎したあごには前歯があるが、上顎うわあごには全く前歯が無い。此類このるいが草の葉などを食ふ所を見ると、下顎したあごの前歯を上顎うわあごはぐきし当て、あたか下顎したあごの前歯を庖刀ほうちょうごとく、上顎うわあごはぐきまないたごとくに用ゐてみ切るが、そのため上顎うわあごの前部のはぐき我々われわれの足の裏のごとくにかたくなつて居る。くのごとく生まれてから死ぬまで上顎うわあごには前歯はないが、此類このるいの発生を調べて見ると、不思議なことには生まれるより少し前に、一度あきらか上顎うわあごに前歯が出来る。もっとはぐきの内に出来るだけで、表面に現れ出るには至らぬが、切り開いて見さへすれば、確に歯の列んで居るのが見える。然も、此歯このは一旦いったんは出来るが、しばらくすると周囲の組織に吸収きゅうしゅうせられて、再び消えて無くなつて仕舞しまふ。少しもはぐきの外に現れず、特に母の胎内たいないに居ることゆえ、全く何の役にも立たぬ歯が、一度形だけ出来てただちまた消え失せるといふ様な無駄むだなことは、し生物各種が初めから各今日の通りに造られたものとしたならば、全く意味の解らぬことであるが、これに反して、若し牛・羊の類は漸々だんだん進化して今日の姿に達したものとしたならば、その先祖には上顎うわあごにも前歯があつて、その性質が遺伝いでんによつて発生はっせい途中とちゅうに現れ、現在の生活上に不必要であるゆえ、再び消え失せるのであらうと考へて、幾分いくぶんその理由を察することが出来る。
 くじら類の中には海豚いるかごとく歯を有するものもあるが、大形のくじらは多くは口の中にひげを有するばかりで、歯は一本も無い。此等これらくじらは極めて小なえさを一度に無数に取つて、其儘そのままんで仕舞しまふものゆえ、歯があつても全く無用である。然るにその発生を調べると、前の牛・羊の前歯と同様で、生まれるより少し前に上下両あごともに海豚いるかごとき細かい歯が一度沢山たくさんに出来て、またしばらくすると消えて無くなる。こゝにげたのは、長さ四尺(注:1.2m)ばかりのくじら胎児たいじの頭の処だけをおよそ三分の一にちじめた写生図しゃせいであるが、生長すれば十間(注:18m)以上にもなる大きな種類で、生まれるころには最早歯は一本も無い。しかし、こゝに示した位の時には、立派りっぱに列んで生えて居る。ただし、これはぐきの皮をいて態々わざわざ歯を示す様にせいした標本を写したものゆえ、実際天然には図のごとくに現れて居る訳ではない。兎に角とにかく、一度も用をなさぬ歯がくのごとく生じてまた消えるといふことは、矢張りくじら漸々だんだん進化して今日のごとき形状のものになつたと考へなければ、少しも説明の出来ぬことである。

「第三十二図 鯨の胎児の頭部並に歯」のキャプション付きの図
第三十二図 くじら胎児たいじの頭部並に歯

 人間を始め、他のけもの類でも、鳥類でも、その発生の途中とちゅうにはみな一度くびの両側に鰓孔えらあなが出来て後に再びぢて消える。魚類は人の知る通り、総べてえらもって水を呼吸するが、えらのある処は頭とどうとの境の左右両側である。口から吸ひんだ水がえらの前後を通過する際に、えらの内の毛細管を通る血液けつえきえらの外を流れる水とが相れて、其間そのかん瓦斯ガス交換こうかんが行はれ、血液は水より酸素さんそを得、水はまた血液から炭酸瓦斯たんさんガスを受けて流れ去るが、く呼吸のために用ゐられた水はえらの間を通つてから何処どこへ出て行くかといふに、くびの両側にある裂目さけめを通つてただちに体外に出て仕舞しまふ。人間の呼吸するときは空気は鼻口びこうから入つて再び鼻口から出て行くが、魚類の呼吸するときには、水は口から入つて、くびの両側から出て行くのである。此水このみずの出口がすなわ鰓孔えらあなで、さめ・アカエヒの類では、左右に各五つづゝも開いてあるが、こいふなたいかつおとうごと普通ふつうの魚類では、えらを保護するために鰓蓋えらぶたといふ特別とくべつの骨があつて、鰓孔えらあなの上にかぶさつて居るから、実際外からはただ一つの大きなたて裂目さけめが見えるだけである。肴屋さかなやが料理するときには、通常此処ここから指をんでえらを引き出して掃除そうじする。くのごとく水を呼吸する魚類に取つては鰓孔えらあなは実に無くてならぬ必要のものであるが、陸上にあつて空気ばかりを呼吸こきゅうする鳥獣ちょうじゅうにはもとより何の役にも立たぬ。然るに一二箇月いちにかげつの人間の胎児たいじ、二三日温めた'鶏'卵けいらん内のひなの出来かゝりなどを見ると、食道からただちに体外に開くあなあきらかくびの両側に五つづゝも開いて居ること、あたかさめの通りである。これは位置から考へても他の器官きかんとの関係から論じても、確に鰓孔えらあな相違そういない。仮にこの時代の胎児たいじが水中へ出て、水を口から吸ひんだと想へば、其水そのみず此等これらあなを通つてくびの両側からただちに体外へ出ることが出来る。斯様かよう鰓孔えらあなが人間を始め、鳥獣ちょうじゅうの発生の途中とちゅうに一度出来て、また消えるといふことは、生物種属不変の説をとなへる人は何と説明するか、若し此等これらの動物が初めから今日の通りに出来たものとしたならば、ただ奇妙きみょう不可思議ふかしぎというて置くより外にはいたし方がない。

「第三十三図 人類胎児の鰓孔」のキャプション付きの図
第三十三図 人類胎児じんるいたいじ鰓孔えらあな


「第三十四図 魚類の鰓」のキャプション付きの図
第三十四図 魚類のえら

 鰓孔えらあなえらが無ければ不用なもので、えらまた其内そのうちを血液が通過しなければ呼吸の働が出来ぬにきわまつて居る。鰓孔えらあなのことは前に述べた通りであるが、えらへ行く血管の方は如何いかにと検するに、人間・鳥・けもの等の発生の途中とちゅうには、これ矢張やはり魚と同様なものが一度出来て、それから種々に変じてついに生長し終つたときに見るごと血管系けっかんけいが出来上るのである。丁度ちょうど鰓孔えらあなの開いて居るころ胎児たいじの血管系を調べて見ると、上の図に示したごとくで、心臓しんぞうの構造も動脈幹部の有様も、全く魚類の通りで、ただ細く毛細管もうさいかんに分かれる処がりゃくせられてあるに過ぎぬ。この時代の心臓しんぞう・血管等をくわしく述べるのは、ほとんど魚類の心臓血管にいて前にいうたことを再びり返す様なものであるが、その大体をいへば、心臓は未だ一心耳・一心室より無く、心室から出て行く大動脈はただちに左右若干対じゃっかんついの動脈弓に分かれ、おのおの鰓孔えらあなの間を通過して脊中せなかの方へまわり、再び合して下行大動脈かこうだいどうみゃくとなつて居る。前章においては脊椎せきつい動物中からいくつかの例を挙げて、比較ひかく解剖かいぼう学上から血管系の進化し来つたと思はれる径路にいて述べたが、人間・鳥・けもの等のこれから先の発生を調べると、実際各個体が発生の中にほとんど前章に述べた通りの径路を通過して進むのを見ることが出来る。すなわち人間でも始め血管系は前の図に示したごとき全く魚類と同様なものが出来るが、鰓孔えらあなの閉ぢて消えるころから、血管の方にもこれともなうたいちじるしい変化が起り、肺の方へ枝を出して居た最後の動脈弓は終には独立して肺動脈となり、其前そのまえの動脈弓の左の分だけが益益ますます太くなつて、大動脈となり、余の部分は漸々だんだん細くなり、多くは消え失せて愈々いよいよ成人で見るごとき血管系が出来上がる。けもの類では総べて此通このとおりで、鳥類ではただ最後から二番目の動脈弓の右の分が大動脈となるだけがちがふ。

「第三十五図 人類|胎児の心臓|及び動脈基部」のキャプション付きの図
第三十五図 人類胎児たいじの心臓および動脈基部[#「第三十五図 人類|胎児の心臓|及び動脈基部」はキャプション]

 人間は生まれるときははだかであるが、胎内たいない六箇月ろっかげつころには身体の全面に残らずきぬの様な細い長い毛が生えて居て、全くさるの通りである。しかし、此毛このけは後に再びけ落ちて、ただわずか産毛うぶげばかりとなつて仕舞しまふ。また人間の胎児たいじのあることは前の図を見ても解るが、なお早いころにはさらに一層が長い。此等これらみな発生中のみに現れる器官きかんである。
 以上はみな高等の脊椎せきつい動物の中から選んだ例ばかりであるが、他の動物にも斯様かような例は極めて多い。その一つを挙げて見れば、ちょうでも、はちでも、はえでも、'蝉'せみでも、およそ昆虫こんちゅうの類は総べて足は六本あるに定まつて居るが、その発生を調べるとなお多数の足が出来かゝつて消えて仕舞しまふ。昆虫こんちゅうの体は頭・むねはらの三部より成り、六本の足はみな胸のうらから生じてはらには一本も足が無いが、卵の内で発生する模様を見ると、一度は腹にも身体の一節ごとに一対づゝ極めて短い足の痕跡こんせきだけが現れ、しばらくしてまた消えて仕舞しまふ。昆虫こんちゅうの中でも枯木かれきの皮の下などに住むめずらしい種類には、生長し終つてもなお腹部の裏に幾対いくついか足の痕跡こんせきを有するものがある。いずれにしても、実際に役に立つことは無い。然るに発生の途中とちゅうにはかる無用な足の痕跡こんせきが何の昆虫こんちゅうにも一度必ず生じてまた消えることは、前に述べた牛・羊の上顎うわあごの前歯などと同様で、生物各種属を永久不変のものとしたならば、ただ不思議といふだけで、少しも理窟りくつの解らぬことである。
 動物が卵から発生する有様はみなくのごとくで、決して出来上つたときの形を目的として初めから一直線に其方そのほうへ進むものではない。途中とちゅうに必ず種々の無駄むだなものが出来たり、また消えたりすることがあるもので、生長し終つた後にも斯様かような不用の器官きかんいくらも残つてあることは、すでに前章で述べた通りである。人形師が人形を造るときには初めからる形をなした人形を造らうと思うて着手するから、途中とちゅうに決して無駄むだなことをせぬが、自然が動物を造るのは大いにこれちがひ、初め全くことなつた形のものを造り、これより漸々だんだん造り改め、折角せっかく一度造つた歯をみ消したり、また初め歩行にてきする形に造つたものを游泳ゆうえいてきする形に直したりなどして、はなはだしいまわり道を通過し、無駄むだな手間をけて、やつと、造り上げるのがほとんど常である。我々われわれ人間の身体も其通そのとおりで、決して初めから成人の形が小く出来るのでもなく、また一端いったんから順を追うて出来上つて行くのでもない。先づくびの両側には鰓孔えらあないくつも開き、血管は魚類の通りで体の後部には長いのあるものが出来、それから漸々だんだんに変化して人の形となるのであるが、此等これらの現象は総べて如何いかがなることを示すものであらうか。
 生物種属不変の説にしたがへば、此等これらは総べて無意味のことである。いな無意味といふよりはむし奇怪千万きかいせんばんなことである。天地開闢てんちかいびゃくの時から今日にいたるまで、何万年とも何億年とも知れぬ長い間、代々牛・羊の上顎うわあごに、生えぬ歯がかくれながら出来ては消え、人間の頸筋くびすじに無用の鰓孔えらあなが開いては閉ぢるといふ様なことは、如何いかに考へても理窟りくつの解らぬことである。これに反して、し生物各種は漸々だんだん進化してその結果今日のごときものになつたと見做みなせば、先祖の性質が遺伝いでんによつてなお発生中に現れるものとして、此等これらの現象はみな一通りその理由を考へることが出来る。知らぬうち兎も角ともかく斯様かような事実を目の前に見ながら、なお生物種属不変の説を主張しゅちょうすることは、思考力しこうりょくのある人間には到底とうてい出来ぬことであらう。
 動物発生の途中とちゅうには、確に無駄むだなものが出来るといふ例をなお一つ挙げて見るに、日本の'イモリ'いもりは水中に住み、水中に卵を生むが、ヨーロッパの山中には地上に住んで胎生たいせいする'イモリ'の種類がある。此類このるいでは子は母の胎内たいないで形が全く出来上り、生まれるとただちに親と同様に生活して、一度も水に入ることは無いが、その発生の中には立派りっぱえらが出来る。他の'イモリ'の幼児ようじみなえらもって水を呼吸こきゅうするが、この種類の胎児たいじに生ずる不用のえらほとんど他の種類の幼児において実際の役に立つえらと同じ位に完全に出来るゆえる人が試に親のはらを切り開き、胎児たいじを取り出して水の中に入れた所、活溌かっぱつに泳ぎまわり、水底で水を呼吸して長く達者に生活した。くのごとし水中に入れゝば十分呼吸の働きが出来るだけに完備したえらが、親の胎内たいないに居る間に出来て、生まれる時までにはまたしなびて無くなることはだれが考へても確に無駄むだなことにちがひない。この'イモリ'の先祖は他の'イモリ'と同様に水中に住み、その幼児ようじは総べて水を呼吸したものと仮定し、この種類は比較ひかく的近いころに初めて地上に移り、生活法の改まると共に形状・性質も漸々だんだん変じて終に一種を成すに至つたものと考へれば、遺伝によつてかることも生ずべきはずと思はれるが、若しこの種類は初めから別にこの種類としてそんしたものとしたならば、無用のえらくまで完全に発達することは、実に不思議中の不思議とはねばならぬ。

二 退化たいかせる動物の発生


 所謂いわゆる退化たいかの現象にいてはすでに第八章に述べたが、かる退化した動物の発生を研究して見ると、また極めて面白いことがある。先づ前に例に挙げたフヂツボにいてその発生の有様を見るに、たまごから出たばかりの子は、次の図に示すごと三対さんついの足を備へて活溌かっぱつに海水中を泳ぎ過つて、いささか其親そのおやに似たところはない。フヂツボは前にもいうた通り、えびかに等と同じく甲殻こうかく類といふ部類に属するが、此類このるいのものは総べて発生の初期にはかる形を有し、他の動物の幼虫ようちゅうとはただちに識別することが出来る。えびかに等の中でもこの時代を卵殻らんかくの内で経過し孵化ふかしたときにはすでなお一歩進んだ形態になつて居るものもあるが、大体この幼虫から如何いかに変化してえびかに等の生長した姿すがたが出来るかといふに、この幼虫は生長の進むにしたがひ、体の大きくなると同時に、初め三対あつた足のうしろに、新しい足が何対も出来て、最初水中を泳ぐ役を務めた足は、漸次ぜんじ働きが変じ、第一対は二岐ふたまたに分かれた短い方のひげとなり、第二対は枝分かれせぬ長い方のひげとなり、第三対は物をむためのあごとなつて仕舞しまひ、新に生じた方の足の中で幾対いくついかが真に後まで歩行する足となる。フヂツボの発生も最初は此通このとおりで、三対ある足の後に続々新しい足が生じ、しばらくの間は海水の中を泳いでまわるが、やがて岩の表面・棒杭等ぼうくいなどに頭の方で附着ふちゃくし、周囲には石灰質せっかいしつ介殻かいがら分泌ぶんぴつして、終に生長したフヂツボの形となつて仕舞しまふ。しこうして数対あつた足はいずれも役目が変り、ただ海水を口の方へね送り、其中そのなかうかべる微細びさい藻類もるい等を口に達せしめる働きをつとめる様になるが、働きが変れば形もこれに応ずる様に変ぜざるを得ぬわけゆえ此類このるいの足はかにえびの歩くための足とちがひ、あたかもゼンマイか葡萄ぶどうつるごとくに見える。フヂツボの生きて居るのを海水の中に飼うて、見て居ると、介殻かいがらの口のごとき処から絶えず、此足このあし沢山たくさんに出したり入れたりし、続けて休むことは無い。の動く具合から考へると、多分呼吸器の役をもね務めるらしく思はれる。

「第三十六図 フヂツボ」のキャプション付きの図
第三十六図 フヂツボ

 くのごとく出来上つて仕舞しまへば、フヂツボはほとん牡蠣かき蛇貝へびかいごとき固着した介殻かいがらまぎらはしい位なものになるが、その発生の初めには足もあり目もあつて、えさを追ひ、敵をけて活溌かっぱつに運動する有様は、到底とうてい親のおよぶ所ではない。所謂いわゆる退化した動物は総べて此通このとおりで、発生の初めあるい途中とちゅうの方が生長したときより、はるかに高等の体制を示すものである。退化したと言はれる動物は、大抵たいてい固着の生活を営むものあるいは他の動物に寄生するもの等であるゆえ斯様かような動物の発生を調べると、いくつでもこゝに述べたごとき事実を見出すことが出来るが、其中そのなかでも最もはなはだしいのは、甲殻こうかく類の中で寄生生活をなす類である。

「第三十七図 甲殻類の幼虫」のキャプション付きの図
第三十七図 甲殻こうかく類の幼虫

 そもそ甲殻こうかく類の身体は前後に列んだ多数の節より成り、これより生ぜる数多の足にはまたいくつもの関節があり、一対の眼と二対のひげとを備へ、運動は活溌かっぱつで、感覚も鋭敏えいびんな方ゆえ無脊椎むせきつい動物の中では余程高等なものである。然るに此類このるいの中でも他の動物に寄生する種類になると、実に非常な退化の仕様しようで、眼は勿論むろん足も全く無くなり、体の節の境まで消えて一寸ちょっと見ては甲殻こうかく類かいなか解らぬのみならず、一疋いっぴきの動物であるか否か知れぬ位になつて仕舞しまふ。こゝに図をげたのはの二三の例であるが、第三十八図はこちかれい等の眼にしばしば附着ふちゃくして居るもので、其形そのかたちあたかも小い豌豆えんどうまめに二本の撚糸ねんしけたごとくに見える。第三十九図のも、同じく他の大形の魚類の皮膚ひふ附着ふちゃくして居るものであるが、これまた鳥の羽毛一本とほとんど同じ様な形をていして居る。いずれも甲殻こうかく類に属するものであるが、く生長し終つたときには、甲殻こうかく類の特徴とくちょうとする点は一つも見えぬ。また次なる第四十図に示したのは、かに類のむねはらとの境のところに時々附着ふちゃくして居る寄生物であるが、単に団子のごときもので、眼・鼻は勿論むろん足もなければもなく、はらとの区別もなく、何方どちらが前やら何方が後やらも解らぬ。ただ一箇所いっかしょかにの体に附着ふちゃくして居るが、此処ここからかにの体内へさぐつて行くと、この動物の身体の続きはあたかも植物の根のごとくにしばしば分岐ぶんきし、各々細く長くびて、かにの全身に行きわたり、足のつめからはさみの先までに達し、いたる処でかにの血液から滋養分じようぶんひ取つて生活して居る。此等これらいたつてはだれに見せても、これ甲殻こうかく類であらうといふ判断は出来ぬ。然るに此等これらの動物の発生を調べると、いずれも卵から出たばかりには数対の足を有し、頭の前端ぜんたんには目を備へ、自由自在に水中を游泳ゆうえいして、其時そのときの有様はフヂツボ・えびかに等の幼虫ようちゅうほとんど同様である。ただ生長がやや進んで他の動物の身体に寄生し始めると、たちまち形状が変化し、今まであつた運動・感覚の器官きかん追追おいおい無くなり、寄生生活に必要な部分のみが発達して終にかくごときものになつて仕舞しまふのである。今日、分類上此等これらの動物を甲殻こうかく類の中に編入してあるのも、畢竟ひっきょう斯様かような発生を調べた結果で、未だ発生の模様もようの解らぬころにはみなあやまつて他の部類に入れてあつたのを、一旦いったん発生を研究して見ると、その独立生活をなし居る幼虫時代には如何いかにしてもえびかに類の幼虫と分離ぶんりすることが出来ぬゆえく改めたのである。

「第三十八図 魚に寄生する甲殻類(一)」のキャプション付きの図
第三十八図 魚に寄生する甲殻こうかく類(一)

「第三十九図 魚に寄生する甲殻類(二)」のキャプション付きの図
第三十九図 魚に寄生する甲殻こうかく類(二)

「第四十図 蟹に寄生する甲殻類」のキャプション付きの図
第四十図 かにに寄生する甲殻こうかく

 以上二三の例によつても解る通り、固着生活・寄生生活等を営む所謂いわゆる退化せる動物の発生を見ると、みな初めは独立の生活をなし運動・感覚の器官きかんをも備へて居て、しか其頃そのころの形状は他の終生運動して独立の生活を営む動物の幼時ようじほとん寸分すんぶんちがはぬ程に似て居ることがはなはだ多いが、この現象は生物種属不変の説から見れば真にわけの解らぬことである。芝蝦しばえびもフヂツボもかにはら附着ふちゃくして居る団子も卵から出たときには、みなそろうて三対の足を有し、額の中央に眼を備へて、水中を泳ぎまわることは、此等これらの動物がたがいに初めからえんの無いものとしたならば、単に不思議といふに止まるが、共同の先祖より進化しくだつたものと見做みなせば、く発生の途中とちゅうに同一の性質の現れるのも無理でないと思はれ、漠然ばくぜんながらその理由を察することが出来る。

三 発生の初期に動物の相似ること


 およそ甲殻こうかく類は、えびかにごと生涯しょうがい活溌かっぱつに運動する類でも、フヂツボのごとく岩石の表面に固着こちゃくして生活する類でも、また他の動物に寄生して何か解らぬ様な形に退化したものでも、その発生の初期にはいずれも三対の足を有し、形状の極めて相似た時代のあることは前に述べたが、これ甲殻こうかく類に限ることではない。総べて他の動物の部類でも全くこれと同様である。
 当今の動物分類法では、先づ動物総体を大別して若干じゃっかんの門とし、各門をさらこうもくに分つが、同門・同綱どうこうに属する動物は、みなその発生の初期には形状がすこぶる相似て、容易に識別の出来ぬ位なものである。門の数は分類者の意見によつて多少ちがふが、通常八つか九つと見做みなして置いて差支へはない。其中そのなかには形が小くて見えぬために、普通ふつう人の知らぬものもあれば、また人間の生活に直接の利害の関係の少いために、人の注意せぬものもあるが、其主そのおもなるものを挙げれば、第一には人間を始め鳥・けものへびかえる・魚類等のごとく身体の中軸ちゅうじく脊骨せぼねを有する動物を総括そうかつする脊椎せきつい動物門、第二にはえびかに類・昆虫こんちゅう類・蜘蛛くも百足むかで等のごとき身体の表面がかたくて沢山たくさんの節があり、足にも各若干の関節を備へた動物を総括そうかつする節足せっそく動物門、第三にはしじみはまぐり栄螺さざえ田螺たにしまた章魚たこ烏賊いかごとく、身体はやわらかくして全く骨骼こっかくなく、単に表面に介殻かいがらかぶるだけの動物を総括そうかつする軟体なんたい動物門、第四には、ウニ・ヒトデ・ナマコ等のごと皮膚ひふの中に夥多かた石灰質せっかいしつ骨片こっぺんそなふる動物をふく棘皮きょくひ動物門、第五には蚯蚓みみず・ゴカイ等のごとき、骨なくしてただ身体に節ある動物等をふくめる蠕形ぜんけい動物門などである。此等これらの中から同門・同綱どうこうに属する動物をいくつか取出して、その発生を調べて見ると、多少の例外は無いこともないが、大部分は全く前にべた通りで、その初期に当つては極めて相類似して居る。
 人間の一二箇月いちにかげつ胎児たいじ'鶏'卵けいらんを二三日温めたころひなの出来かゝりとがたがいに相似て居ることは、すでに前に言うたが、人間と'鶏'にわとりとだけに限らず、他の鳥類・けもの類は素より、へびでも、かめでも、魚類でも、およそ脊椎せきつい動物なればその発生の初期には大体においみな相似たものである。こゝにげた八つの図は脊椎せきつい動物の中から八つのちがつた種類を選み出して、その発生中、人間の一箇月いっかげつ位の胎児たいじに相当するころの形状を列べ写したものであるが、上のだんの左のはしにあるのが魚、次が'イモリ'、次がかめ、右のはし'鶏'にわとりで、下の段では左のはしぶた、次が牛、次がうさぎ、終りが人間の胎児たいじである。いずれも実物から写生したものゆえ略図りゃくずではあるが決して間違まちがひはない。此通このとおり万物のれい自称じしょうする我々われわれ人間も我々の常に打ち殺して食ふ牛・ぶた・鳥・魚もこの時代にあつては、ほとんど区別はかぬ位で、あれこれとを取りへて置いても容易には解らぬ位に好く似て居る。

「第四十一図 胎児比較」のキャプション付きの図
第四十一図 胎児たいじ比較ひかく

 節足せっそく動物中の甲殻こうかく類のことは前に例に挙げたが、次なる軟体なんたい動物は如何いかにと見るに、これも同様で、はまぐりでも、牡蠣かきでも、栄螺さざえでも、あわびでも、発生の初期にはみな極めて小い幼虫ようちゅうで、体の前端ぜんたんにある繊毛せんもうの輪をり動かして海面を泳いで居るが、其状そのじょういずれも同じ様で、中々識別は出来ぬ。寒冷紗かんれいしゃふくろを造つて海の表面を引いて歩くと、目に見えぬ程の小いものが沢山たくさんに入るが、これ顕微鏡けんびきょうで調べると、斯様かような幼虫がいくらでも見える。其中そのなかにははまぐりになるべきものも、牡蠣かきになるべきものも、栄螺さざえになるべきものも、あわびになるべきものもあらうが、形が似て居るから実際生長させて見なければ何になるか前からは解らぬ。特にしじみはまぐりごと二枚にまい介殻かいがらを有する類と栄螺さざえあわびごとただ一個のいた介殻かいがらを有する類とに別けてろんずるときは、斯様かように相似た時期がさらに長くて、いよいよ二枚貝の幼虫とか巻貝まきがいの幼虫とかいふことが解るだけに生長してからも、なお余程の間は二枚貝の中の何といふ種類の子であるか、巻貝の中の何といふ種類の子であるか解らぬ。海岸に打ち上げられて居る介殻かいがらだけを見ても、貝類には形状のことなつたもののはなはだ多いことがただちに解るが、その発生の初め幼虫ようちゅうとして海面を泳ぐ時代にたがいく似て居る具合は、人間・牛・ぶたなどが胎内たいない発生の初めに暫時ざんじ同じ形をていするのとすこしちがはぬ。
 棘皮きょくひ動物の中にふくまれるウニ・ヒトデ・ナマコは生長の終つたものをたがいに比べると、随分ずいぶんはなはだしくちがつたものである。ウニ(ロ)はやや扁平へんぺいな球形をなし、表面全体にとげが生えてあたか刺栗いらくりごとく、ヒトデ(イ)は五本のうでを有し、画に書いた星の通りであるゆえ西洋諸国せいようしょこくではこれを海の星と名づける。またナマコ(ハ)は細長い円筒形えんとうけいで、沢山たくさんの細かい突起とっきたてに五本の線をなして列んで居るゆえすこぶ胡瓜きゅうりに似て居る。たがいちがふものであるが、その発生を調べると、初めの間は実にはなはだしく相似たもので、いずれも親とは全く形状がちがひ、繊毛せんもうの列をり動かして、海の表面にいて居る。貝類の幼虫ようちゅうでも、此類このるいの幼虫でも、極めて小い透明とうめいなものゆえ、実際生きたものを顕微鏡けんびきょうで見なければ、中々想像することもむづかしい。

「第四十二図 棘皮動物」のキャプション付きの図
第四十二図 棘皮きょくひ動物

 以上は極めて簡単かんたんに、動物は発生の初めに当つてたがいいちじるしく相似るものであることを説いたに過ぎぬ。詳細しょうさいなことにいたつては素より自身で実物を研究しなければ到底とうていあきらかに知ることは出来ぬが、大体は先づここに述べた通りに考へてあやまりはない。そこでくのごとく、生長して仕舞しまへば全くことなる動物が、発生の初めだけそろつて相似るといふことは決して偶然ぐうぜんなこととは思はれぬ。一つか二つより例の無いことならばあるいは何か偶然ぐうぜん原因げんいんで生じたかとも思はれるが、いずれの門、いずれのこうの動物を取つても、その大部分が、斯様かような性質を示すのを見れば、これには何か全部に通じた一大原因が無ければならぬ。し同門・同綱どうこうに属する動物はみな共同の先祖よりくだつたものとしたならば、この原因はただちに解るが、生物各種を万世不変のものと見做みなすときは、かる現象の起る理由は到底とうてい何時いつまでも解らぬであらう。

四 発生の進むにしたが樹枝状じゅしじょうに相分れること


 同じ部類に属する動物は如何いかに形のことなつたものでも、その発生の初期には極めて相似た形状を有することは前に述べた通りであるが、この相似た形を有する時代から漸々だんだん発生して種々の異なつた動物の出来上るには、如何いかがなる順序に変化して進むものであるか。例へば第四十一図に示したごとく、初め人間も、うさぎも、牛も、ぶたも、'鶏'にわとりも、かめも、'イモリ'も、魚もみなほとんど同一の形をして居るが、何時頃いつごろから相分れて人間は人間、牛は牛と区別の出来る様になるものであるかといふに、多少の例外と見えるものはあるが、先づ相異なつたもの程、早く其間そのかん相違そういが現れ、相似たもの程同一の形状を保つ時代が長く続くのが、一般いっぱんの規則の様である。
 次にげた第四十三図、第四十四図は以上八種の脊椎せきつい動物の発生の中からほぼ相当した時代を三つづゝ選んで、列べて画いたものであるが、上のだんすでに前に一度げたものと同じで、人間でいへば先づ一箇月いっかげつの末位の所で、中の段は一箇月いっかげつ半、下の段は三箇月さんかげつ位の所に相当する。上の段ではみな総べて相似て居るが、中の段では魚と'イモリ'とだけはすでに識別が出来る。しかし、かめ以上のものはまだほぼみな同様である。然るに下の段になると、魚と'イモリ'とは素より、かめ'鶏'にわとりあきらかに区別が出来、哺乳ほにゅう類はなおはなはだ相似ては居るが、すでに各種の特徴とくちょうが現れて居る。これわずかに三段だけの比較ひかくであるが、なお詳細しょうさい此等これらの動物の発生を比べて見ると、ほぼ次のごとくである。

「第四十三図 哺乳類の発生比較」のキャプション付きの図
第四十三図 哺乳ほにゅう類の発生比較はっせいひかく

「第四十四図 他の脊椎動物の発生比較」のキャプション付きの図
第四十四図 他の脊椎せきつい動物の発生比較はっせいひかく

 先づ最初しばらくの間は此等これら八種の動物はほとんど識別も出来ぬ位に相似て居るが、少し発生が進むと魚と'イモリ'とは一方へ、あまりの六種は他の方へ向うて進むので、二組に分かれる。一方の幼児ようじは魚か'イモリ'かになるといふことだけは解るが、其中そのなかいずれになるかはまだ解らず、他の方の組は魚または'イモリ'にはならぬといふことだけは解るが、他の六種の中の何になるかはまだ全く解らぬ。なお少し発生が進むと、魚と'イモリ'との区別が出来て、図の中段ちゅうだんごとき有様となる。また少し先へ進むと、他の六種の中、かめ'鶏'にわとりとは一方へ、あまりの四種は他の方へ進んで二組に分かれるが、其頃そのころには一方はかめ'鶏'にわとりかになるといふことだけは解るが、いずれがかめになるかいずれが'鶏'にわとりになるか、まだ解らず、また他の方は哺乳ほにゅう類になるといふことだけは解るが、其中そのなかの何になるかはまだ少しも知れぬ。さらに発生が進めばかめには固有のこうが現れ、'鶏'にわとりの前足はつばさの形となつて、二者の間にあきらかな区別が生じ、また哺乳ほにゅう類の方にも一種ごと特徴とくちょうが見える様になつて、終には前の図の下段げだんに示したごとくに、牛・ぶたうさぎ・人間と識別の出来る様な姿すがたになるのである。
 右の有様を表に書いて示すと、ほぼ上の図のごとくである。此表このひょうでは下端かたんを古とし、上端じょうたんを新とし、時は下より上へ向うて進み行くと仮定し、形の似たものは相近づけ、形のことなるにしたがうてこれを相遠ざけ、各種の発生の径路を線で現してあるが、此等これらの種類は発生の進むにしたがひ、順を追うてたがいに相分かれるゆえこの方法によつて表を作れば、勢ひくのごと樹枝状じゅしじょうのものが出来る。また表中に書き加へた三本の横線は前の第四十三・四十四図に示した位の発生の時代を現す積りのもので、最下の横線は前の図の上段、中の横線は前の図の中段、上の横線は前の図の下段に示した位の発生の時期に相当する積りゆえ、前の図と照し合せて見たならば、なお此表このひょうの意味があきらかに解るであらう。

「第四十五図 発生比較の表」のキャプション付きの図
第四十五図 発生比較の表

 くのごとく発生の有様を比較ひかくして表に作れば、樹枝状のものが出来ることは、無論むろん以上の動物に限るわけではなく、何門・何綱なにこうの動物を取つてもみな此通このとおりである。また如何いかがなる動物といえども、その発生の最初はみな一粒ひとつぶたまごであるから、こゝまでさかのぼつて比較ひかくすれば、総べての動物はみな同一の形を有すると言はねばならぬ。たまごには'鶏'にわとりの卵のごとく大きなものも、人間や、犬・ねこの卵のごとく小いものもあるが、そもそ'鶏'卵けいらんの中で真に卵といふべきは何部であるかといふに、牝'鶏'ひんけい(注:めんどり)の卵巣らんそうの内で出来るのは、ただ蛋黄たんこうばかりで、これ輸卵管ゆらんかんを通過して、出て来る間に、その周囲に蛋白がけ加はり、生まれる前に少時輸卵管の末端まったんに留まる間に、その外面へ卵殻らんかくが出来るのであるから、'鶏'卵けいらんの中で真にたまごと名づけて他の動物の卵と比較ひかくすべきものは、ただ蛋黄たんこうばかりである。その蛋黄たんこう'鶏'にわとりでは直径七八分(注:約2.4cm)もあり、人間・犬・ねこの卵はわずかに一分の十五分の一(注:2mm)にも足らぬが、これ何故なぜかとたずねるに、全く滋養分じようぶんを多くふくむとふくまぬとによることで、またその理由をさぐると、各発生の場所および発生の状況じょうきょうちがふのに基づくことである。人間の子は母の胎内たいないで、母の血液にやしなはれながら発生することゆえ、午前に母の食うた滋養物じようぶつは午後はすでに子のやしなひとなるといふ具合に、絶えず母から滋養分じようぶんまわつて来るから最初からたまごの中に沢山たくさん滋養分じようぶんを備へて置く必要はないが、'鶏'にわとりの方はこれと反対で、まだ少しも発生の始まらぬ卵が早くも母の体からはなれて生み出され、其後そのごは全く卵の中にある滋養分じようぶんばかりにたよつて発生し、酸素だけは空中から取るが、其他そのほかには何も外界から取らずにひなまでに生長するのであるから、最初から余程十分に滋養分じようぶんたくわへられてなければならぬ。人間は極めて小い卵から発生しながら、生まれる時はすで六百何十匁ろっぴゃくなんじゅうもんめ(注:およそ2.5Kg)もある相当に大きな幼児ようじとなるが、'鶏'にわとりの方は初め卵の大きなにかかわらず、ひな以上の大きさになれぬのは、全くこの理窟りくつに原因することである。まる所、たまごの大小の相違そういは、其中そのなかふく滋養分じようぶんの多少に基づくだけのことゆえ、大きな卵と小な卵とはあたかあんの多い饅頭まんじゅうあんの少い饅頭まんじゅうとの相違そういだけで、かる副弐的ふくじてきの性質をはぶき、真に卵たる点だけを比べて見ると、何動物の卵もほとんど全く同一で、区別は出来ぬ。それゆえし動物の発生をごく最初までさかのぼつて比較ひかくしたならば、その出発点においては如何いかがなる動物もみな同様な形状を有するものと考へなければならぬ。
 同門・同綱どうこうに属する動物の発生を比較ひかくして表に示せば、樹枝状じゅしじょう分岐ぶんきした図が出来ることは、前に述べたが、なおさかのぼつて発生の極最初すなわち卵の時代までを比較ひかくすると、総べての動物がみなほぼ一様の形状をていし、発生の根本はただ一の形に帰するゆえ、若し仮に現今げんこん地球上に住する動物各種の発生がことごとく完全に調べられたと考へて、その発生の径路けいろを前に述べた方法によつて図に作つたと想像したならば、その結果は一大樹木いちだいじゅもくの形となり、根本は発生の初期なる卵時代を現し、太い枝は各門・こう等の基部を示し、末梢端まっしょうたんは各一種の生長した動物種属を代表するものが出来るはずである。今日ただちかる図をあやまらぬ様に作ることは勿論むろん出来ぬが、研究が十分とどいた後には斯様かようなものが出来るといふことだけはうたがいがない。
 動物発生の研究は前にも述べたごとく、中々容易なことではなく、材料も十分になければならず、時間も余程けねば出来ず、またこれ従事じゅうじして居る学者は決して少いとはいへぬが、動物の種類は何十万もあることゆえ、今日ほぼ完全に発生の知れてあるものは、まだはなはだ小部分だけに過ぎぬ。しかし、犬の発生が解れば、きつねたぬきの発生はこれよりしてほぼ想像することが出来、'鶏'にわとりの発生が解れば、きじ孔雀くじゃくの発生もこれより推して察することが出来るゆえ、動物各種の発生がことごとく調べ上げられるまで待たなくても、各綱目こうもくから若干じゃっかんづゝの代表者の発生が解りさへすれば、こゝに述べた動物発生の大樹木だいじゅもく枝振えだぶりの大体は知れるはずで、すでに今日までに学者の研究した種類だけからろんじても、大体の形だけは確めることが出来る。今日発生学者の間に議論ぎろん一致いっちせぬ点は、ただ何の枝の分かれるところが上であるか下であるかとか、あるいは、の小枝はこうの枝から分かれたものか、おつの枝から分かれたものかといふ様なことばかりで、全体が樹枝状をていするといふ点に至つては、うたがいいだく人は一人もない。
 前にはただ脊椎せきつい動物中から八種を選んで例に挙げただけで、はんけるために、他の例は全く省いたが、いずれの門・こうを見てもほぼ同様なことを発見する。前にげた甲殻こうかく類の発生でも、二枚貝にまいがい巻貝まきがい類の発生でも、またヒトデ・ウニ・ナマコ類の発生でもこれを表に現せば、みな基は一本で、先が分かれた樹木の形となる。特に種類の数をなお少し増して、甲殻こうかく類の例にカメノテ・寄居蟹やどかり・シヤコ・船虫のごときものをへなどすれば、其中そのなかにはあるいは早く相分かれるものあるいおそくまで相ともなうて進むものなどがあつて、全く脊椎せきつい動物の例で見たと同様な図が出来る。しかし、多数の動物の中には例外と思はれるものが無いでもない。例外の例を一つ挙げれば、前にも述べた通り、軟体なんたい動物は総べて発生の初期においては幼虫ようちゅう繊毛せんもうを動かして水面を泳ぐものであるが、章魚たこ烏賊いかの類は発生の初から、他の動物とちがひ、斯様かような時代を経過せずに、ただち章魚たこ烏賊いかの形に発生する。また田螺たにし斯様かような時代を親のから内で経過し、田螺たにしの形に出来上つたころに始めて生まれ出る。されど斯様かような例外ははなはだ少数でかつ多くは例外となつた特殊とくしゅの理由を多少さっすることの出来るものゆえ此等これら論拠ろんきょとして全体の形勢を否定ひていすることは勿論むろん出来ぬ。
 さてくのごとく動物各種は発生の初めにはみな相似て、発生の進むにしたがひ、樹枝状じゅしじょうに追々相分かれることは、如何いかがなる意味を有するものかと考へるに、若し動物各種が最初より全くたがいに関係なく、別々に出来たものとしたならば、少しも解らぬことで、前にげた数多の事実と同様に何時いつまで過ぎても理窟りくつの知れる見込みこみもない。天地開闢てんちかいびゃくの際から、人間は人間として、牛は牛として、'鶏'にわとり'鶏'にわとりとして、魚は魚として出来たものならば、此等これら四種の動物が発生の初においほとんど同様な形状をていし、人間も、牛も、'鶏'にわとりも、魚同様に数対の鰓孔えらあなを有し、少し進むと魚だけは区別がくが、他はなお同様で、みな左右の動脈弓を備へ、さらに進めば'鶏'にわとりには右の大動脈だけ、人間・牛には左の大動脈だけとなつて区別が生じ、なお余程後になつて牛は五本の指の中で中指と薬指とのみが特別とくべつに発達してほとんど二本指となり、人間は五本の指が其儘そのままに発達して、いずれが牛、いずれが人間と識別が出来る様になることは、実に不可思議極まることである。これに反して、若し動物はみな共同の先祖より進化しくだつたものと見做みなさば、発生中に現れる性質は、みな先祖の性質が遺伝いでんによつて伝はつたものとして、この現象も一通りは理窟りくつが解る。すなわち先祖といふ中には千代せんだい前の先祖も五千代ごせんだい前・一万代いちまんだいまた一億代いちおくだい前の先祖もあるが、古い先祖の有して居た性質は発生中の早い時代に現れ、後の先祖の性質は発生中ややおそく現れ、先祖代々の性質が順を追うて子孫の発生中に現れるものとすれば、同じ子孫の中でも古く相分かれて今はすでいちじるしく相異あいことなるものは、その発生においても早く相分あいわかかれ、比較的ひかくてき近頃ちかごろになつて相分かれて今なお余程相似たものはその発生においてもおそくまで相伴あいともなはずゆえ、発生比較ひかくの表が樹枝状じゅしじょうとなるのは当然のことである。実に発生学上の事実は生物の進化をみとめなければ理窟りくつの解らぬことばかりであるゆえ、今日の発生学上の知識を少しでも有するものは、到底とうてい生物不変の説を信ずることは出来ぬ。

五 生物発生の原則


 動物各種の発生中に現れる性質を丁寧ていねいに調べて、彼此あれこれ相比べて見ると、前節に説いたごとく、先祖代々の性質が子孫の発生の中に順を追うて現れると考へるより、外にいたし方がないが、動物学者は多数の動物の発生を研究した結果、これより帰納きのうして一の原則を造つた。この原則は生物発生の原則と名づけるもので、短くいへば、個体の発生はその種属の進化の径路をり返すといふのであつて、なおくわしく言へば、およそ生物はみな共同の先祖から漸々だんだん進化して分かれくだり、終に今日の姿すがたに達したものであるが、今日の一粒ひとつぶたまごから動物の一個体が出来るときには、何億年か何兆年かの間にその動物の種属が経過し来つた通りの変化を、極めて短く略してり返すもので、例へばくじらが今日の姿までに進化し来る途中とちゅうに一度歯のある時代があつたとすれば、くじらの卵からくじらの児が発生する途中とちゅうにも一度歯の現れる時期があり、人間が今日の姿までに進化し来る途中とちゅうに一度の鰓孔えらあなのある時代があつたとすれば、人間の卵から人間の児が発生する途中とちゅうにも一度鰓孔えらあなの生ずる時期があるといふのである。この原則は今日でも種々の学科に応用せられ、心理学・社会学・児童研究などでも、常にこれとなへる様になつたが、元は動物学者が動物の発生を調べて言ひ出したものである。
 この原則を文字通りに解釈かいしゃくして間違まちがひのないものならば、一種の動物の発生を十分に調べさへすれば、その動物の進化し来つた径路が明細に解るはずであるが、天然は中々左様な簡単かんたんなものではない。実際においてはただ各種の動物の進化歴史中の若干じゃっかんいちじるしい性質が飛び々々にその発生の中に現れるだけで、決して発生中の各の時期が進化歴史中の各時代を寸分すんぶんちがへず其儘そのままに写し出して居るとは思はれぬ。これは素よりもあるべきことで、生物が何億年・何兆年の間に漸々だんだん進化し来るときには、其間そのかんの各個体はえさを求め、敵からのがれ、かつ生殖せいしょくの作用をもなしながら代々極めて少しつつ変化し来たものであるに反し、数日間あるいは数週間といふ極めて短い時の間に卵から一個体の生ずるときには、敵からげることも無く、滋養分じようぶんは他から供給きょうきゅうを受け、生殖せいしょく作用は全く知らずにただ迅速じんそくに形が変化して出来ることゆえ其間そのかんの事情や境遇きょうぐうが全くちがひ、境遇きょうぐう・事情がちがへば勢ひ変化の模様もようにもいちじるしい相違そういのあるのは先づ当然と考へなければならぬ。されば詳細しょうさいの点までこの原則に照してろんじやうとするのは無理であるが、この原則をみとめなければ説明の出来ぬことがはなはだ多くあり、またこの原則をみとめさへすれば、初め不思議に思はれたことも多くは容易に理窟りくつが解る所から考へれば、大体においてはこの原則は正確なものと見做みなさなければならぬ。然るにこの原則は生物進化の事実をみとめた後に初めて意味を有するものゆえこの原則を正確なりといふのはすなわち生物の進化は無論むろんのこととして、なおその一つ先の点を論じて居るわけに当る。生物種属不変の説とこの原則との両立せぬことは、素より言ふまでもないことである。
 本章に述べた事実は、この原則によれば総べて一応理窟りくつが解るものばかりである。発生の途中とちゅうに一度る性質が現れて後に再び消えることも、退化した動物が発生の途中とちゅうかえつて高等の体制を有することも、同門・同綱どうこうに属する動物は生長後如何いかに形状のことなるものでも、発生の初めにはいちじるしく相似ることも、また発生の進むにしたがうて動物の形状が漸漸だんだん樹枝状じゅしじょうに順を追うて相分かれることも、みなこの原則の中にふくまれたことで、総べてこれによつて説明が出来る。なおこの原則はただ卵殻内らんかくないまたは親の胎内たいないける間の発生にてきするのみならず、生まれて後の変化もこれによつて支配せられるもので、南アメリカの「鱗羽潜うろこはもぐり」が生長し終れば、ただ泳ぐばかりで、飛ぶ力は無いが、ひなころにはく飛ぶこと、また人間の幼児ようじ猿類えんるいごとくに足のうらたがいに内側へ向け合せて居ることなども、この原則にしたがうた事実であらう。なお一層いっそう推しひろげると、児童の心理、社会の発達等もこれによつて幾分いくぶんその理を察することが出来る。実に原則の名にそむかぬ生物学上最も重大な一法則といはねばならぬ。


第十一章 分類学上の事実


 動植物の中には、ほとんど区別の出来ぬ程に相似あいにたものもあれば、また少しも類似るいじの点を見出すことの出来ぬ程に全く相異あいことなつたものもあつて、其間そのかんには相類似する程度ていどに無数の階級がある。かれい比目魚ひらめとは随分ずいぶん間違まちがへる人があり、ならかしとの区別の出来ぬ人も沢山たくさんあるが、また一方でだいだい昆布こんぶとを比べ、人間としらみとをくらべなどして見ると、ほとんど共通の点を見出すことが出来ぬ程にちがふ。所で、何十万もある動植物の種類を一々識別しきべつすることは出来もせず、また生活上必要ひつようもないが、動植物は日夜我々われわれの目にれるもので、食物も衣服もことごとこれから取ることゆえ普通ふつうのものだけは是非ぜひ区別して名をけて置かねばならぬ。犬・ねこ・牛・馬・からすすずめ等のごとき、一種ごとに全く別の名のいてあるのはかる類であるが、此様このようなもののみでも相応に数が多いゆえなお其中そのなかでも相似あいにたものを合せて総括そうかつした名を造つて置かぬと極めて不便が多い。従来じゅうらい毛をもっおおはれ、四足を用ゐて陸上を走るものをけものと名づけ、羽毛をもっおおはれ、つばさを用ゐて空中を飛ぶものを鳥と名づけ、うろこもっおおはれ、ひれを用ゐて水中を泳ぐものを魚と名づけたのも、かる必要ひつように応じてなした分類ぶんるい初歩しょほである。
 動植物学においても、初めはこれと同じ位な分類法ぶんるいほうを用ゐ、植物を分ちて喬木きょうぼく潅木かんぼく・草の三部とし、動物を分ちて、水中に住むもの・地上に住むもの・空中をぶものとわずかに三部にした位に過ぎなかつたが、漸々だんだん知識ちしきの進むのにしたがうて、分類の標準ひょうじゅんも追々に改まり、単に外部の形状のみによらず、内部の構造こうぞうをも斟酌しんしゃくする様になつて、今日においては比較ひかく解剖かいぼう学上・比較発生ひかくはっせい学上の事実を標準として分類の大体を定めるに至つた。此間このかん分類方法ぶんるいほうほう変遷へんせんを調べて見ると、知らずらず一歩づゝ生物進化論に近づいて来た形迹けいせき歴然れきぜんあられて、すこぶる興味のあることであるが、これくわしくべるには高等から下等まで動物・植物の主なる部類ぶるいを残らず記載きさいせなければならず、到底とうてい本章の範囲はんい内においては出来ぬゆえ省略しょうりゃくするが、初め魚類の中に編入へんにゅうしてあつたくじらを後には哺乳ほにゅう類に移し、初め貝類の中に混じてあつたフヂツボを後には甲殻こうかく類に組み入れたこと、初め人間だけを別物べつものとしてあつたのを後には哺乳ほにゅう類中の特別とくべつ一目いちもく見做みなし、さらくだつては猿類えんるいと合して同一目いちもくの中に入れる様になつたことなどは、ただ其中そのなか一斑いっぱんに過ぎぬ。
 今日我々われわれが動植物を分類するには、先づ全部を若干じゃっかんの門に大別し、さらに各門を若干のこうに分つことは、すでに一度述べたが、なおそれ以下の分類をいへば、各綱かくこうさらに若干のもくに分ち、目をに分ち、科中に若干のぞくを置き、属の中にしゅを収め、くして、世界中にある総べての動植物の種類を一大分類系統の中にことごとく編入して仕舞しまふ。しこうしてく分類するに当つては、何を標準とするかといふに、解剖かいぼう上・発生上の事項じこう比較ひかくして、異同の多少を鑑定かんていし、異なるものはこれはなし遠ざけ、似たものはこれを近づけ合せるものである。例へば犬ときつねとは無論二種であるが、すこぶる相似たものゆえこれを犬属といふ中に一所に入れ、ねことらとは素より種はちがふが、はなはだ相似た点が多いゆえこれねこ属といふ中に一所に入れる。世界中をさがすと、犬属ともちがふが他の動物属によりもはるかに犬属の方に近いといふ様な動物がいくらもあるが、此等これらと犬属とを合せてさらに犬科とし、ねこ属の外にもねこに相似た類が種々あるが、此等これらねこ属とを合せてさらねこ科とする。犬科の動物とねこ科の動物とは素よりいちじるしく相異なる点はあるが、これを牛・馬等に比べて見ると、はるかに相似たものゆえ、犬科・ねこ科等を合せて食肉類と名づけ、これ哺乳ほにゅう類といふこうの中の一目とする。されば分類の単位とする所のものは犬・ねことらきつねといふ様な種であつて、それ以上の属・科・目・こうごときものは、ただ若干の種をあわしょうする名目のみである。

一 種の境の判然せぬこと


 以上述べただけから見ると、動植物を分類するのは何でもないことで、だれにでもただちに出来さうであるが、実際沢山たくさんに標本を集めてして見ると、非常に困難こんなんで、決して満足に出来るものではない。種類を知ることの少い間、標本の多く集まらぬ内は、ひづめの一つあるものは馬である、角に枝のあるものは鹿しかであると、簡単にいうて居られるが、今日のごとくに種類の多く知られて居る時代に、十分に標本を集めて調べ始めると、分類の単位とする種の境を定めることが、すでに中々容易でない。
 すでに第五章でも説いたごとく、動植物には変化性と名づける性質があつて、温帯のものを熱帯に移したり、海浜かいひんのものを山奥やまおくに持つて行つたりすると、いちじるしく変化するもので、風土が異なれば、仮令たとい同種のものでも多少相異なるをまぬがれぬ。青森の林檎りんごを紀州に移し、紀州の蜜柑みかんを青森にへれば、種は一つでも全く異なつたものとなつて仕舞しまふ。土地ごとに名物とする固有の天然物のあるのは、まり他に移しては其処そこの通りに出来ぬからである。さればひろく標本を集めると、一種の中でも種々形状の異なつたものがあり、往往別種かと思はれる程にちがつたものもあるが、かる場合には分類上これ如何いか取扱とりあつかふかといふに、中間に立つて相つなぎ合せるものが存する限りは、両端りょうたんにあるものが如何いかに相異なつても其間そのかんに判然と境がけられぬから、総べてを合せて一種となし、形状の相違そういするものを各々其中そのなかの変種と見做みなすのが、ほとんど学者間の規約になつて居る。それゆえ今日二種と思うて居るものも、その中間に立つものが発見せられたために、明日は一種中の二変種と見做みなされるに至ることもはなはしばしばで、其例そのれいは分類学の雑誌ざっしを見れば、毎号くほどある。また実際中間に立つものが無く、境が判然解つて居ても、其間そのかん相違そういが他の種類の変種の相違そうい位に過ぎぬときは、これを一種中に収めて単に二変種と見做みなすことも常であるが、この場合には二種と見做みなすか一種中の二変種と見做みなすかは、分類する人の鑑定かんてい次第で、いずれともなるものゆえ、人がちがへば説もちがつて、争ひの絶えることがない。
 くのごとき有様ゆえ、種とは決して一般いっぱんに世間の人の考へるごとき境の判然と解つたものではない。此事このことは諸国の動物志・植物志などを開いて見さへすれば、ただちに気のくことで、同一の実物を研究しながら、こうの学者はこれを十種に分け、おつこれを二十種に分け、へいこれを五十種に分けるとか、またていこれを総べて合して一種と見做みなすとかいふことはいくらもある。ヨーロッパで医用にきょうするひるごときも、当時は先づ一種二変種位に分ける人が多いが、一時はこれを六十七種にも分けた学者がある。かし類の例、海綿類の例は前にも挙げたが、特に海綿の類などは、種の範囲はんいを定めることが非常にむづかしく、これを研究した学者の中には、海綿にはただ形状の変化があるだけで、種の境は無いと断言した人もある位で、現に相州そうしゅう(注:相模さがみ国)三崎みさき辺には、ぞくにグミおよびタウナスと呼ぶ二種類の海綿があつて、一は小い卵形たまごがたで、あたかもグミの果実のごとく、他は球を扁平へんぺいにした形で、全くタウナスの名にそむかぬが、一年余もこの研究ばかりに従事した人の話によると、如何いかに調べても区別がかぬとの事である。種とは何ぞやといふ問題は、昔から幾度いくどとなくり返して議論せられたが、こゝに述べたごとき次第ゆえ、何度論じても決着するにいたらず、今日といえども例外をゆるさぬ様な種の定義を下すことは到底とうてい出来ぬ。
 さてくのごとく分類の単位なる種の範囲はんい・境界が判然せぬ場合の多くあるのは何故なぜであるかと考へるに、動植物各種が初めから別々に出来たものとすれば、少しも訳の解らぬことである。元来博物学者が種の境の判然せぬことを論じ始めたのは、割合わりあいに近いころで、ほとんどダーウィンが自然淘汰とうたの説を確めるために野生動植物の変化性を研究したのが発端ほったんである。その以前の博物家は動植物各種の模範もはん的の形状を脳中にえがき定め、採集に出掛でかけても、これ丁度ちょうど当てまる様な標本のみをさがし求め、これと少しでも異なつたものは出来損じの不具者として捨ててかえりみぬといふ有様であつたゆえ、目の前にいくら変化性の証拠しょうこがあつても、これに注意せず、したがつて種の範囲はんいの判然せぬことにも気がかなかつた。生物種属の不変であるといふ考は地球が動かぬといふ考と同じく、知識のせまい間はだれまぬがれぬことで、何時いつ始まつたといふ起源きげんもなく、だれが主張し始めたといふ元祖もなく、みなただ当然の事と信じてませて居たものゆえ、無論種の境の判然せぬことに気のかぬ前からのものであるが、今日から見ると極めて不都合で、最早到底とうてい維持いじすることは出来ぬ。天地開闢てんちかいびゃくの時にさかいの判然せぬ種類が沢山たくさん造られ、其儘そのままくだつて今日にいたつてもなお境の判然せぬ種類があるといへば、それまでであるが、初めの考は素より左様では無く、ただ若干のあきらかに区別の出来る種類が造られて、其儘そのまま今日までそんして居るといふ簡単な考であつたので、実際種のさかいの解らぬものが沢山たくさんに見出された以上は、決して其儘そのまま主張しゅちょうし続けられるものではない。これに反して生物各種は共同の先祖から進化し来つたものとすれば、今よりまさに二三種に分かれやうとする動植物は、あたかの枝のまたの処に当るものゆえ、総体を一種と見れば其中そのなか相違そういはなはだし過ぎるから、若干の変種をみとめなければならず、また形の異なつたものを各独立の一種と見做みなせば、其間そのかんに中間の形質のものが存在して、判然と境を定めることが出来ぬといふ有様になるのは、当然のことである。此考このかんがえもって見れば、所謂いわゆる変種といふものは、みな種の出来かゝりで、現在の変種は未来は各独立の一種となるべきものである。樹の枝のまたところは一本から二本または三本に分かれかゝる処で、一本とも二本あるいは三本ともあきらかには数へられぬごとく、二三のいちじるしい変種をふくめる動植物の種は一種から二三種に分かれかゝりの途中とちゅうゆえ、一種とも二種あるいは三種ともいへず、其間そのかん曖昧あいまいな時代である。それゆえかるものまでもめて種の定義を下さうとするのは、到底とうてい無理なことで、今日まで議論の一定せぬのも素より当然のこととはねばならぬ。

二 数段すうだんに分類せざるべからざること


 分類の単位なる種の定義を、確に定めることは中々容易でなく、場合によつては到底とうてい出来ぬこともあるが、実際分類するに当つては、兎に角とにかくしゅといふものを定めて、これを出発点とし、さらぞくに組み、に合せて、系統に造つて居る。しこうしてその系統といふものを見れば、いずれも大群の内に小群を設け、小群をさらに小な群に分ち、毎段くのごとくにして数段の階級を造り、最下級の群の中に各種類を編入してあるが、追々研究が進み、分類が細になつた結果、門・こう・目・科・属・種等の階級だけでは到底とうてい間に合はなくなり、今日の所では門の次に亜門あもんを設け、こうの次に亜綱あこうを置き、亜目あもく亜科あか亜属あぞく亜種あしゅ等の階段までも用ゐ、なお足らぬゆえさらとか、とか、くみとか、たいとか名づける新しい階段までを造つて、十数段にも分類してある。たものは相近づけ、異なつたものは相遠あいとおざけるといふ主義に従うて沢山たくさんの種類を分類すれば、その結果として組の中にまた組を設け、終にく多数の階段を造らなければならぬに至ることは、そもそ如何いかがなる理由によるものかと考へて見るに、これは生物種属不変の説とあえへて両立の出来ぬといふ訳ではないが、生物各種を初めから全くたがいに無関係のものとすれば、ただ何の意味も無いことになる。然るに、生物各種はみな共同の先祖から樹枝状じゅしじょうに分かれて進化しくだつたものと見做みなせば、分類の結果のくなるのは必然のことで、理窟りくつから考へた結論けつろんと、実物を調査した結果とが全然一致いっちしたことに当るゆえ理窟りくつの正しい証拠しょうこともなり、またこれによつて分類といふことになお一層深い意味のあることがわかる。
 元来天然に実際存在じつぞんしてあるものは、生物の各個体ばかりで、種とか属とかいふものは素より天然には無い。個体の存在して居ることは争はれぬ事実であるが、種とか属とかいふのはただ我々われわれが若干の相似た個体を集め、その共通の特徴とくちょう抽象ちゅうしょうして脳髄のうずいの内に造つた観念に過ぎぬ。属・種以上の階段かいだんも無論同様である。しこうして我々われわれが初めて造る観念は、分類の階段中いずれの段かと考へるに、最上でもなく、最下でもなく、中段の処で、それより知識の進むにしたがひ、上の段も下の段も追々おいおい造る様になつた。あたかも望遠鏡が良くなるにしたがひ、益々ますます大きな事も知れ、顕微鏡けんびきょうの改良が出来るにしたがうて、益々ますます小い事も知れるに至るのと同様で、何事も先づ最初は手頃てごろな辺から始まるものである。日本のくまは黒いが、北海道のくまは赤いなどといふときのくまといふ考は決して今日の所謂いわゆる種ではなく、むしろ属か科位な所であるが、初めはみな此位このくらいな考で、多数の動植物を知つてもただこれきんじゅう・虫・魚位に区別し、一列に並べて置くに過ぎなかつた。然るに研究が進むにしたがうて、一方にはなおこれを細に分つて、属・種・変種等に区別し、一方にはこれを合してもくこう等に組立て、組の中にまた組を設ける必要が生じて、リンネーの「博物綱目はくぶつこうもく」にはこう・目・属・種の四段分類を用ゐてあるが、なお其後そのごに門を設け、科を置きなどしてついに今日のごとき極めて複雑な分類法が出来るにいたつたのである。分類はくのごとく全く人間のなすごうで、四段に分けやうとも十六段に分けやうとも天然には素より何の変りなく、学者の議論が如何いかに定まらうとも、やなぎは緑、花はくれないであることは元のままゆえ、一々の分類上の細かい説をあえへて取るにおよばぬが、解剖かいぼう学上・発生学上の事実を基として似たものを相近づけ、異なつたものを相遠ざけるといふ主義で行ふ今日の分類法において、幾段いくだんにも組の中にまた組を造らねばならぬことは、すなわち生物各個体の間の類似の度がかる有様であることを示すものゆえこれは生物種属の起源きげんたずねるに当つては、特に注意して考ふべき点である。
 生物は総べて共同の先祖より漸々だんだん進化して分かれくだつたものとすれば、其系図そのけいずは一大樹木の形をなすべきことは、すで度々たびたび言つた通りであるが、仮に一本の大木を取つて、その無数にある末梢まっしょうを各起源きげんさかのぼつて分類し、同じ処から分かれたものを各々一組に合せ、同じ枝から生じたものを各各一団として全体を分類しつくしたと想像したならば、如何いかがなる有様の分類が出来るかと考へるに、幹が分かれて太い枝となる処もあり、細い枝が分かれてこずえとなる処もあり、またに分かれる処は幹の基からこずえの末に至るまでの間にほとん何処どこにもあるゆえ、最もすえまたで分かれたものを束ねて各々小い一組とすれば、次のまたで分かれたものはさらに合せてやや大きな組とせなければならず、全体を分類し終るまでには、実に多数の階段が出来るに相違そういない。これと同様の理窟りくつで、生物各種がみな進化によつて生じたものとすれば、分類するに当つて夥多かたの階段の出来るのは必然のことである。今日実際の分類法において門・亜門あもんこう亜綱あこう等の多数の階段を用ゐ、常に組の中にまた組を設けて居るのは、進化論の予期する所と全然一致いっちしたこととはなければならぬ。
 また知識の進むにしたがうて、分類に用ゐる階段の追々増加することも進化論の予期する所である。前の樹木の枝を分類するたとえによるに、昨晩うす暗い時に分類して置いたものを今朝明るい処で見れば、あるい一旦いったん二本に分かれ、さらに各々二本に分かれてる枝を、同時に四本に分かれたものと見誤り、単に一束ひとたばとして、階段を一つ飛ばしてあつたことを発見することもあれば、あるいは細い枝が一本横へ出て居るのに気附きづかずして、そのため階段を一つかしたことを見出すこともあつて、細かく調べる程、階段の数は増すばかりであるが、実際の分類法が次第に変遷へんせんして複雑になり来つた模様は全くこれと同様である。一二の例を挙げれば、従来脊椎せきつい動物門を分つて哺乳ほにゅう類・鳥類・爬虫はちゅう類・両棲類りょうせい・魚類と平等に五こうにしてあつたが、発生を調べて見ると、かえる・'イモリ'等をふく両棲類りょうせいるいはなはだ魚類に似て、蜥蜴とかげへびかめの類をふく爬虫はちゅう類ははなはだ鳥類に似て居ることが解つたので、脊椎せきつい動物をただちに以上の五こうに分けるのは穏当おんとうでないとの考から、今日では先づこれを魚形類・蜥蜴とかげ形類・哺乳ほにゅう類の三つに分け、魚形類をさらに魚類と両棲類りょうせいるいとに分ち、蜥蜴とかげ形類をさら爬虫はちゅう類と鳥類とに分つことになつて、分類の階段が一つ増した。また哺乳ほにゅう類も従来は単に猿類えんるい・食肉類云々といふ十二三のもくに分けて、いずれもことごと胎生たいせいのものとしてあつたが、今より二十年ばかり前に其中そのなかる種類は卵を産むといふことが確に発見せられた。卵を産むけものといふのはオーストラリヤのタスマニヤ辺に産する「かもはし」(一三九ページ第五十一図、ニ)といふねこ位の動物で、水辺に巣を造り、あたか河獺かわうそごとき生活を営んで居るが、'鶏'卵けいらんよりもやや小な卵を産む。また同じく胎生たいせいするものの中でも、詳細しょうさいに調べて見ると、発育の模様に大きな差があり、人間の胎児たいじ九箇月きゅうかげつ間も母の胎内たいないに留まつて発生するが、ほとんど人間と同じ大きさ位のカンガルーの胎児たいじわず一箇月いっかげつにもならぬ時に生み出され、残りの八箇月はちかげつ分は母の腹の前面にある特別とくべつふくろの内で発育する。此獣このけものの生まれたばかりの幼児ようじは実に小なもので、我々われわれの親指の一節程よりない。これふくろの中で、乳首に吸ひ着き、親の乳房と子の口とが癒着ゆちゃくして一寸引いてもはなれぬ様になるゆえ、初めてこれを発見した人は、誤つて此獣このけもの芽生めばえすると言ひ出した。此等これらけもの類はただ子の生み方ばかりでなく、他の点においてもいちじるしく異なつた処が多いゆえかるものをみな平等に一列にならべて分類するのは、理にそむいたことであるといふ考から、今日では哺乳ほにゅう類を別つて原獣げんじゅう類・後獣こうじゅう類・真獣しんじゅう類の三部とし、第一部には「かもはし」を入れ、第二部にはカンガルーの類を入れ、第三部には総べて他の類を入れてさらこれ従来じゅうらいごとく十何目かに分ける様になつたので、こゝにも一段分類の階段が増した。斯様かような例は各門・各こうの中にいくらでもあるが、分類の階段の増して行く有様はみな此通このとおりで、先に樹木の枝にたとえへたことと理窟りくつは少しもちがはぬ。
 くのごとく、種の境の判然せぬものが沢山たくさんにあることも、分類するには数多の階段を設けて組の中にまた組を造らねばならぬことも、また研究の進むにしたがうて分類の階段の増すことも、総べて進化論から見れば必然のことであるが、実際においても現に其通そのとおりになつて居る所から考へると、我々われわれ是非ぜひとも生物進化の論を正しいとみとめ、此等これらの分類上の事実を生物進化の証拠しょうこの一と見做みなすより外はいたし方がない。自分で何かる一目・一科の標本を集め、実物にいて解剖かいぼう・発生等を調べ、これを基としてその分類を試みれば、だれも生物進化の形迹けいせきみとめざるを得ぬもので、今日かる研究に従事した人の報告を読んで見ると、必ず、解剖かいぼう上・発生上の事実から推しての進化し来つた系図を論じてある。まり、生物種属の不変であるといふ考は何事も細かく研究せぬ間は不都合も感ぜぬが、いささかでも詳細しょうさいな事実を知るに至れば、到底とうていこれを改めざるを得ぬものである。

三 所属不明の動植物


 現今げんこん生存して居る動植物の種類は実に何十万といふ程であるが、此中このなかから最も相似たものを集めて、各一属に組み合せ、属を集めて科を造り、科を集めて目を造らうと試みると、実際いずれの方へ編入してよろしいやら判断の出来ぬ様な属・科・目等がいくらもあることを発見する。それゆえ、全動植物を一大分類系統の中に奇麗きれいに組みんで仕舞しまはうとすれば、その際所属の解らぬ属・科等がいくつかあまつて大いに困ることがしばしばある。斯様かようなものはよんどころなくいずれかのこうもく附属ふぞくとしてへて置く位よりいたし方もないゆえ、今日の動物学書・植物学書を開いて見ると、その分類の部には必ず若干の所属不明の動植物の例が挙げてあるが、その各々を何類の附属ふぞくとして取扱とりあつかふかは全く其著者そのちょしゃ鑑定かんていのみによることで、その見る所が各々おのおのちがふ結果、同一の動植物がこうの書物とおつの書物とでは分類上随分ずいぶんへだたつた処に編入してあることが往々ある。現今の多数の動植物学者の著書を比べて見るに、分類の大体はすでほぼ一定した有様で、脊椎せきつい動物・節足せっそく動物・軟体なんたい動物といふ様なあきらかな門あるい其中そのなかあきらかな各こう等にいては最早何の議論も無い様であるが、こゝに述べたごときものになると、その分類上の位置に関する学者の考が未だ種々様々で、少しも確なことは知れぬ。
 斯様かような動植物の例は今日相当に多く知れてあるが、その大部分は人間の日常の生活には何の関係もない類ゆえ普通ふつうの人は気がかぬ。一二の例を挙げて見るに、我国の海岸のどろの中などに沢山たくさんに産する「イムシ」としょうするものなども矢張やはこの仲間で、何の類に入れてよろしいか善くは解らぬ。此虫このむしは、たいるためのえさとして漁夫りょふの常に用ゐるものであるが、あたか甘藷かんしょごとき形で、表面にも内部にも少しも節はないから、通常、蚯蚓みみず・ゴカイなどの類に附属ふぞくさせてはあるが、此類このるい特徴とくちょうともいふべき点は全く欠けて居る。また西印度にしインド・アフリカ・ニウ=ジーランド等に産する釣虫つりむしといふものは、あたか蜈蚣ムカデとゴカイとの間のごとき虫で、一対の触角しょっかくを有し、陸上に住して空気を呼吸する点は蜈蚣ムカデと少しもちがはぬが、足に節のないこと、其他そのほか内部の構造などを考へると、むしろゴカイの方に近いかと思はれる位で、いずれに組み入れてよろしいか全く曖昧あいまいである。またここに図をげた海鞘ほやごときも、単に発生の途中とちゅうに一度脊椎せきつい動物らしい形態を備へた時期があるといふだけで、その生長し終つた後の姿すがたは少しも脊椎せきつい動物に似た処はない。それゆえその分類上の位置にいては種々の議論があつて、中々確定したものと見做みなす訳には行かぬ。

「第四十六図 イムシ」のキャプション付きの図
第四十六図 イムシ

「第四十七図 海鞘」のキャプション付きの図
第四十七図 海鞘ホヤ

「第四十八図 ギボシ」のキャプション付きの図
第四十八図 ギボシ

 その他海岸の砂の中に住むギボシ虫といふものがあるが、此虫このむしあたかひもごとき形で長さが一尺(注:30cm)から三尺(注:90cm)位までもあり、極めてやわらかで切れ易く、ほとんど完全にはれぬ程で、外形からいへば、少しも脊椎せきつい動物と似た点は無いが、これ解剖かいぼうしてその食道・呼吸器等の構造を調べて見ると、多少魚類などに固有こゆうな点を見出すことが出来る。食道から体外へ鰓孔えらあなが、開いて、こゝで呼吸の作用を営む動物は、魚類の外には皆無かいむといふべき有様であるが、このギボシ虫は食道が多数の鰓孔えらあなただちに体外に開いて居る外に、くわしく比較ひかく解剖かいぼうして見ると、なお脊椎せきつい動物に似た一二の性質があるゆえ、現今ではこれをも脊椎せきつい動物に近いものと見做みなす人がはなはだ多い。しかし、この動物と普通ふつう脊椎せきつい動物との間の相違そうい如何いかにもはなはだしいから、これもっ脊椎せきつい動物に最も近いと見做みなす考が正しいかいなかは、まだ容易に判断することは出来ぬ。
 海鞘ホヤ・ギボシ虫などには実際少しも脊椎せきついといふものが無いから、此等これらまでを脊椎せきつい動物に合して、これ総括そうかつした門を置くとすれば、これ脊椎せきつい動物と名づける訳には行かぬ、それゆえ別に脊索せきさく動物門といふ名称めいしょうを造り、脊索せきさく動物門を分ちていくつかの亜門あもんとし、第一の亜門あもんには海鞘ホヤ類、第二亜門あもんにはギボシ虫を当てめ、第三の亜門あもん脊椎せきつい動物と名づけてさらこれ哺乳ほにゅう類・鳥類云々と分ける様にして居る人が今日では中々多いが、くすれば分類の階段がこゝにも一つ増す。前の節にも述べた通り、研究の進むにしたがひ分類の階段を漸々だんだん増さざるを得ぬに至る理由は多くは此通このとおりで、所属のあきらかでない動物の解剖かいぼう・発生等を取調べた結果、従来じゅうらい確定して居るる動物の部類に多少似た点が発見になると、これをもその部類にへるが適当であるとの考が起るが、さてこれを加へむと、その部類の範囲はんいが広くなるゆえ、先づこれを大別してかゝらなければならず、終に新な階段を設ける必要が生ずるのである。
 分類といふことは、元来人間が勝手に行ふことであるから、個体を集めてこれを種に分つとき、種を集めてこれを属に分つとき、属を集めてこれを科に分つときなどに、若干じゃっかん曖昧あいまいなものが後にあまつたからというて、これもっただちに生物進化の証拠しょうこ見做みなすべからざるは勿論むろんであるが、かる所属不明の動植物がみな他の大きな綱目こうもく等の特徴とくちょうを一部分だけ具へ、中には二個以上の大きな綱目こうもく特徴とくちょうを一部分づゝね備へて、あたかも二個以上の綱目こうもくつなぎ合せるごとき性質を帯びて居るものがあるのは、如何いかがなることを意味するものであらうか。例へば動物を脊椎せきつい動物と無脊椎せきつい動物とに分けやうとすれば、海鞘ホヤ・ギボシ虫のごと脊椎せきつい動物の特徴とくちょうの一小部分だけを具へたものが其間そのかんにあつて、いずれにもあきらかには属せず、分類の標準の定め様次第にてあるい脊椎せきつい動物の方へもあるいは無脊椎せきつい動物の方へも入れられるといふことは、何を意味するものであらうかと考へるに、生物各種を全くたがいに関係のないものとすれば素より何の意味もないが、生物は総べて同一の先祖から分かれくだつたとすれば、かる曖昧あいまいな種類は二個以上の綱目こうもくの共同の先祖の有して居た性質を其儘そのままに承けいでくだつた子孫あるいは一こう・一もくの進化の初期の性質を其儘そのままに承けぎ来つたものと見做みなして、の存在する理由を多少理会することが出来る。一々いちいち例を挙げて説明すれば、こゝに述べたことをなおあきらかに示すことは出来るが、所属しょぞく不明の動物の最も面白い例は多くは海産・淡水たんすい産等の下等動物で、顕微鏡けんびきょうで見なければ解らぬ様な類もあり、普通ふつうに人の見慣みなれた動物とは余程ちがふものが多いゆえ、こゝにはりゃくして置く。

四 所謂いわゆる自然分類


 動植物の種属を分類するには、如何いかがなる標準によつても出来ることで、あたかも書物を分類するに、出版しゅっぱんの年月によつても、版の大きさによつても、国語分けにも著者ちょしゃ姓名せいめいのイロハ分けにも出来るごとく、雄蕊おしべの数・雌蕊めしべの数・葉の形または外形・住所・運動法等のいずれを取つても出来ぬことはないが、くして造つた分類表は、所謂いわゆる人為じんい分類で、検索けんさくに多少の便があるだけで、単に目録としての外には何の意味も無い。これに反して、当今、分類学を研究する人の理想とする所は、所謂いわゆる自然分類で、完成したあかつきには各種属の系図けいずを一目瞭然りょうぜんたらしめる積りの分類法である。今日の所では生物学者であつて生物進化の事実をみとめぬ人は一人も無いゆえ、分類に従事じゅうじする人も単に種類の数を多く列挙するばかりでは満足せず、の進化し来つた路筋にいて自分の推察すいさつする所を述べ、これによつて種属を組に分ち、同じ枝より起つたものは同じ組に入れ、別の枝より生じたものは別の組にはなして、あたかの枝を起源きげんによつて分類するのと同様な心持ちで分類して居るが、これすなわ所謂いわゆる自然分類である。素よりいずれの方面でも未だ研究の最中ゆえ詳細しょうさいの処まで少しも動かぬ様な自然分類は到底とうてい出来ぬが、大体の形だけはほぼ定まつたものと見てよろしい。当今の動物学書・植物学書の中に用ゐてある分類は、各々其著者そのちょしゃの想像した自然分類で、彼此あれこれ相比べて見るとなお随分ずいぶん著しく相違そういした処もあるが、生物全体を一大樹木の形に見做みなして分類してあることは、みな一様である。これだけは最早動かぬ所であらう。また脊椎せきつい動物・節足動物・軟体なんたい動物等を各々太い枝と見做みなすこともみな一致いっちして居るが、これも先づ動くことはない。今より後の研究によつて確定すべきは、これより以下の点のみである。
 この自然分類といふものは生物進化の事実をみとめて後に、初めて意味を有するものゆえこれもっただちに生物進化の証拠しょうことすることは出来ぬが、今日までの分類法の進歩を調べると、進化論しんかろんみとめると認めないとにかかわらず、一歩づゝ理想的自然分類に近づき来つたことがあきらかである。初めは単に外形によつて分類して居たが、解剖かいぼう学上の知識が進んで来ると、内部の構造を度外視どがいしするのは無理であるといふ考が起り、これに基づいて分類法を改め、次に発生学上の知識が進めば、また発生学上の事実を無視した分類は真の分類でないといふ考が生じ、さらこれしたがうて分類法を改め、漸々だんだん進んで何時いつとなく今日の自然分類になつたので、生物進化論が出てから、急に分類法を一変して組み改めた訳ではない。今日では分類を試みるに当つて初めから進化の考を持つてかゝるが、所謂いわゆる自然分類の大体は進化論の出る前からすでに出来て居て、単に最も適当な分類法として用ゐられて居た、その所へ進化論が出て、それに深遠な意味のあることが初めて解つたといふだけである。
 自然分類其物そのものだけでは、生物進化の証拠しょうこといへぬかも知れぬが、進化論に関係なくただ一般いっぱんの生物学知識の進歩の結果として出来た分類が、進化論を基礎きそとした理想上の分類と丁度ちょうど一致いっちしたことは、矢張り進化論の正しい証拠しょうこ見做みなさなければならぬ。


第十二章 分布学上の事実


 動植物各種の地理的分布を調べて見ると、生物進化の証拠しょうこといふべき事実を発見することがすこぶる多い。先づ動植物の移動する方法を考へるに、これには自ら進んで移るのと、他物のために移されるのとの二通りがある。植物は通常固着して動かぬものゆえその移動は総べて他物によるが、種子などは種々の方法によつて随分ずいぶん遠方までも達することが出来る。タンポポの種子の風に飛ばされることは人の知る通りであるが、種子には斯様かような毛が生じたり、翅状はねじょう附属物ふぞくぶついてあつたりして、特に風にき散らされるに都合の好い仕掛しかけの出来たものが多い。またる種類では果実の色が美しく、味が甘いので鳥がこれを食ひ、種子だけが諸方しょほうる様になつてる。其他そのほか椰子やしの果実などは海に落ちたものが潮流にしたがうて非常に遠い島まで流れて行くこともある。種子の時代には活動もせぬ代りに何年も何十年も死にもせず全くなみや風次第で何処どこへでも生きながら移されるゆえ、植物は自身に運動の力が無くても伝播でんぱんすることはかえつて動物よりは容易で、迅速じんそくである。動物の方には通常斯様かような時代が無いゆえ、運動の力はあつても種々の事情じじょうで制限せられ、何処どこまでも行くことの出来ぬものが多い。小い虫類は随分ずいぶん遠方までも風にかれるもので、陸地りくちから何百里もへだてた大洋の中央にある汽船にちょう沢山たくさんに飛びんだこともあるが、やや大きな動物になると、風にき飛ばされて遠方へ行くのぞみのあるのは、鳥と蝙蝠こうもりだけに過ぎぬ。また常に陸上に生活する動物は長く水中に居れば溺死できしまぬがれぬゆえ到底とうてい潮流にしたがうて遠方まで流されて行くことも出来ぬ。それゆえ、植物の伝播でんぱんに最も有力な風と潮流とはやや大きな動物に対しては全く無功むこうである。しかし、これただ一般いっぱんから論じただけのことで、なお詳細しょうさいに調べて見ると、随分ずいぶん思ひけぬ様な方法により、動物が一地方から他の地方に移ることがある。陸上のけもの類が広い海をえてとなりの島に移ることは先づ出来ぬことであるが、絶対に無いとは断言が出来ぬ。熱帯地方ねったいちほうの大河では、洪水こうずいの際に上流の岸がこわれ、其処そこに生えて居た樹木じゅもくいかだごとくになつて流れ下ることが常にあるが、る時、南アメリカのモンテヴィデオ市の真中に斯様かよういかだに乗つて黒虎くろとらが四ひき漂着ひょうちゃくし、市中大騒おおさわぎをしたこともあるから、けもの類がこれに乗つたままで海へ流れ出し、となりの島にちゃくしたとすれば、随分ずいぶん移住の出来ぬこととも限らぬ。また木片が海岸に流れ着くことはつねのことで、千島辺ではこれを拾ひ集めて一年中のまきとし、なお余る位であるが、若しかる木片に昆虫こんちゅうたもごなどがいて居て万に一もなお生活力を保つて居たならば、これも打ち上げられた処で繁殖はんしょくせぬとも限らぬ。また今日では人間の交通が盛になり、荷物の運輸がおびただしいから、これまぎんで知らぬ間にる地方に入りんだ動植物もすで沢山たくさんにある。
 特に意外の伝播でんぱん法の備はつたものは、淡水たんすい産の動物で、微細びさいな下等動物のことはりゃくし、やや大きなものだけにいて言つても、其例そのれい随分ずいぶん多い。貝類の子は何にでも介殻かいがらもっはさみ着くくせのあるもので、水鳥の足・羽毛等に附着ふちゃくして、中々なかなか遠方まで行くことが常であるが、かっしぎの足に大きな烏貝からすがいはさみ着いて居るのが、りょうで取れたこともあるから、生長し終つたものでも往々この方法で移転するものと見える。また魚類の卵も同じくかもがんの足にどろと共に附着ふちゃくして遠方へ行くもので、此等これらの水鳥の足を水であらひ、其水そのみずうつわに入れて置くと、実に種々の動物が其中そのなかで生ずるが、これいずれも卵・幼虫ようちゅう等の形でどろの中に混じてあつたものである。また颶風つむじかぜの際に貝や魚が水と共にき上げられ、他の場所にくだつて落ちることがある。著者の友人は現にくしてつた泥鰌どじょうを拾ひ取つた。くのごとく種々の伝播でんぱん法があつて、常に諸地方のものが相交るゆえ淡水たんすい産の動物は何国のも大同小異だいどうしょういで、同一の種類がヨーロッパにも日本にも居ることが決してめずらしくない。こいふななどは其例そのれいである。ダーウィンも世界週航の際、南アメリカで淡水たんすい産の微細びさいな動物を採集して、のイギリス産のものに余りく似て居るのにおどろいたと言うて居るが、斯様かよう微細びさいな種類になると、あたかも植物の種子に相当するごときものが生じ、此物このものが風にかれて何処どこへでも達するゆえ、世界中いたる処に同種同属のものが産する。
 くのごとく、動物の伝播でんぱんのためには種々の手段があるが、淡水たんすい産の動物を除き、陸上の鳥類・けもの類だけにいて考へて見るに、けもの類がせま海峡かいきょうおよいでわたることは往々あるが、広い海をえて先の島まで行くことは偶然ぐうぜんの好機会が無ければ出来ぬことゆえ、実際においては先づ無いというてよろしい。また鳥の方はけもの類に比べると移転ははるかに容易であるが、同じ鳥類の中にも飛ぶ力の強いものもあり弱いものもあり、つばさの力には各種にそれ/″\制限があるゆえ、遠くへだたつた処に移るには、風の力によらなければ、到底とうてい出来ぬものが多い。斯様かよう鳥獣ちょうじゅうの類では、海をえて移ることは余程よほど困難こんなんで一地方の産と他の地方の産とが混じ合ふこともしたがつてはなはだ少い訳ゆえ、動物分布の有様を調べるに当つては、先づ此等これらの動物から始めるのが便利である。次に述べる所も、主として鳥類・けもの類の分布に関することである。
 動物の分布を論ずるに当つて予め言うて置くべきは、土地の昇降しょうこう、海陸形状の変遷へんせんのことである。今日陸である処は決して昔から始終陸であつたとは限らず、また今日海である処も決して昔から始終海であつたとは限らぬ。桑田くわたの変じて海となることは古人もすでに注意した所で、我国でも東海岸の方には年々新しい田地が出来るが、西海岸の方は少しづゝくだつて海となり、有名な安宅の関あたかのせきも今では海から遠いおきの中程になつて仕舞しまうた。それゆえ、今日は相はなれて居るが、昔陸続きであつたところもあれば、もと相はなれて居た処が後に連絡れんらくする処もある。今日の地質学者一般いっぱんの説によれば、地殻ちかく昇降しょうこうおそいながらかって絶えぬが、大洋の底が現れて大陸となつたり、大陸が其儘そのまま急にくだつて大洋の底となる程の大変化は無かつたらしい。すなわち今日の大陸の大体の形だけはすでに余程古いころから定まつて、其後そのごただ地殻ちかく昇降しょうこうにより海岸線の模様もようが常に変化し来つただけの様に思はれる。これによつて考へて見ると、大陸と島との間、または島と島との間の海の深さを測つて見て、余り深くない処は元は地続きであつたものと見做みなして差支へなく、また、間の海が非常に深ければこれは元来全くはなれて居て一度もたがい連絡れんらくしなかつたものと見做みなすのが至当しとうである。ただ表面から見ると、何処どこの海も単に深いと思はれるだけであるが、その深さを数字で言ひ表せば、処により実に非常な相違そういで、日本と朝鮮ちょうせん支那しななどの間は何処どこでも大抵たいてい百尋ひゃくひろ(注:181.8m)位に過ぎぬが、奥州おうしゅう(注:陸奥国。東北太平洋側)の海岸を少し東へへだたつた処では、海の表面から底までの距離きょりが二里(注:7.8Km)以上もある。もっとも、二里以上といふ深さの処は余り多くは無いが、およそ大洋と名のく処ならば大概たいがい一里(注:3.9Km)以上の深さは確にある。二里と百尋ひゃくひろとでは其間そのかんの割合は五十倍以上に当るから、ほとんど一間(注:180cm)と一寸(注:3cm)程の相違そういであるが、大洋に比べると大陸沿岸の海の深さは実にくのごとくで、ほとん比較ひかくにもならぬ。それゆえ、仮に海水が二百ひろも低く下つたと想像すると、樺太からふと・日本・台湾たいわん勿論むろんジャヴァ・スマトラ・ボルネオ等の東印度ひがしインド諸島はみなアジヤと陸続きになつて仕舞しまひ、島として残るのは遠く陸地をはなれた、ガム・サイパン・マーシャル群島のごと所謂いわゆる南洋の孤島ばかりである。大陸の岸に沿うた島は斯様かように考へて見ると、大陸とすこぶる関係の密なもので、実際種々の点から見ても、もと大陸の一部であつたものが後にはなれたといふのが確な様である。
 以上は其道そのみち専門せんもん学者の研究した結論けつろんで、今日みな人の信ずる所であるが、現在の動物分布ぶんぷの有様を調べ、それを此考このかんがえに照し合せて見ると、生物進化の証拠しょうこといふべき事実を、いたる処に発見することが出来る。例へば生物各種はみな共同の先祖より樹枝状じゅしじょうに進化して分かれくだつたものとすれば、けもの類もかえる類も各その一枝をなすことゆえ、世界中のけもの類・かえる類は各その共同の先祖からくだつたものでなければならず、しこうしてその子孫たるものは生活の出来るところならば何処どこまでも移り広がるべきであるが、両方とも飛ぶことも、長く泳ぐことも出来ぬものゆえ海浜かいひんに達すれば、そこで移住力が止まり、最早進むことは出来ぬ。それゆえ大洋の真中にあるごとき、初めから大陸と全くはなれて居た孤島には到底とうてい移ることが出来ぬ理窟りくつである。所で、実際分布の有様は如何いかがと調べて見ると、全く其通そのとおりで、大洋中のはなれ島には、発見の当時、けもの類・かえる類の居た例がない。海鳥は随分ずいぶん多く居るが、其他そのほかは風で飛んで来る昆虫こんちゅうの類か、しからざればかに寄居蟹やどかりごとき海から陸上に移つたものばかりである。これは決してかる島はけもの類・かえる類の生活にてきせぬからといふ訳ではない。後に牛・山羊やぎ等を輸入した処ではいずれも盛に繁殖はんしょくした所を見ると、むしけもの類の生活には最も適当な場所といはねばならぬ。く適当であるにかかわらず、実際全くけもの類を産せぬといふことは、進化論しんかろんから見れば必然のことであるが、天地開闢てんちかいびゃくの際に適当の場所に各々適当の動物が造られたといふ説とは全然矛盾むじゅんする事実である。

一 南アメリカとアフリカとオーストラリヤ


 南アメリカは大部分熱帯ねったいにあるが、南の方は温帯で最も南のはしほとんど北にけるカムチャツカと同じ緯度いどまで達して居るから、其間そのかんには気候の随分ずいぶんちがつた処があり、樹木が繁茂はんもして人の入れぬ様な森林もあれば、まきにする木が無いからよんどころなく馬糞ばふんもやす程の広い平原もあつて、土地の模様もようは実に種々であるが、此地このちに産する動物界を見ると、全部に通じて一種固有の特色がある。そのいちじるしいものを挙げて見れば、森林の中には、ナマケモノ(第四十九図、ハ)というて、さるごとき形を有し、四足のつめを樹の皮にけ、背を下に向けて歩き、木葉を食する類があり、平地にはヨロヒダヌキ(同図、ニ)というて、たぬき位の大きさで、全身に堅牢けんろうこうかぶり、土をつて虫を食ふ類があり、山の方にはリヤマ(同図、イ)アルパカなどといふ駱駝らくだと羊との間のごとけもの類が居る。また大蟻おおあり食ひ(同図、ロ)というて長いしたを以てありのみをめて食うて居る相応な大獣だいじゅうが居る。其他そのほか猿類えんるいも居るが、東半球のさるとは全くちがうて、別の亜目あもくに属する。鳥類にはアメリカ駝鳥だちょうなどが最も有名である。総べて此等これらの類には多くの種類があつて、各適宜てきぎな処に住んで居て、その地方ではみな普通ふつうなものである。

「第四十九図 南アメリカに固有な動物」のキャプション付きの図
第四十九図 南アメリカに固有な動物

 大西洋を東へわたつて、アフリカに行つて見ると、動物界が全くちがふ。アフリカも大部分は熱帯であるが、南の方は温帯で、日本などと気候は余りちがはぬ。アフリカといへばただち沙漠さばく聯想そうぞうするが、実際は深い森もあり、広い野原もあり、単に地形からいへば、南アメリカと大同小異だいどうしょういであるにかかわらず、其処そこに産する動物には一種として南アメリカと共通なものはない。アフリカ産のいちじるしい動物は獅子しし・象・河馬かば(第五十図、ニ)麒麟きりん(同図、イ)駱駝らくだ大猩々おおしょうじょう狒々ひひ羚羊レイヨウ(同図、ロ)穿山甲センザンコウ駝鳥だちょう(同図、ハ)の類で、特に羚羊レイヨウごときは何百種もあるが、此等これらの動物は必ずしも南アメリカに移しては生活が出来ぬといふ様なものではない。生活の有様を比較ひかくして見ると、アメリカ駝鳥だちょうと真の駝鳥だちょうとはく似たもので、その住処を取りへても、差支へは余り無からうかと思はれ、ヨロヒダヌキも穿山甲センザンコウつめが発達して地をえささがすものゆえほぼ同様な処に生活が出来さうである。其他そのほか羚羊レイヨウをラプラタの平原に移し、ブラジルのさるを西アフリカの森に移しても、気候や食物の上には不都合も無い訳であるが、実際においては、太洋一つをへだてれば、同様の地勢の処に同様の生活を営んで居る動物が、みな別の目、別の科に属するものである。

「第五十図 アフリカに固有な動物」のキャプション付きの図
第五十図 アフリカに固有な動物

 さら印度洋インドようえてオーストラリヤに行つて、その動物界を見ると、此度こんどまた実におどろくべき相違そういを発見する。オーストラリヤ大陸は南半球の熱帯から温帯にまたがり、北端ほくたんの木曜島辺は真の熱帯であるが、南部のシドニイ・メルボルン等の大都会のある処は極めて気候の好い処であるから、気候の点からいへば、アメリカ・アフリカと著しい相違そういはない。しかるに此地このちに産するけもの類はいずれを見ても総べてカンガルーと同様に子をはらふくろに入れて育てる類ばかりで、他の地方では決して見ることの出来ぬものである。此類このるいは通常合して一目いちもくとしてあるが、其中そのなかの種類を調べると、実に種種雑多の形をしたものがあつて、ほとんど他の大陸のけもの類の各種を代表して居るごとくで、栗鼠りすごとくにたくみに木に登つて果実を食ふものもあり、ねずみごとくに種子をかじるものもあり、ムサヽビのごとくに前足と後足との間に皮膚ひふまくがあつて、空中を飛んで行くものもあり、さるごとくに四足をもって枝をにぎるものもあり、狼のごとき歯を有する猛獣もうじゅうもあり、河獺かわうそごとみずかきそなへて水中を泳ぐものもあつて、その種類は到底とうてい枚挙まいきょすることは出来ぬ。普通ふつうの大カンガルー(第五十一図、イ)は広い野原に住んで草などを食ふものゆえ、習性からいへば、先づ牛・羊などに似たもので、小形のカンガルーはほぼうさぎの代りともいふべきものである。其他そのほかけもの類でありながら、卵を生むので、非常に有名な「かもはし」(同図、ニ)もただこの地方のみに産する。また鳥類もエミウ(同図、ハ)リラ鳥、「塚造つかつくり」等を始として、ほとんど他国には類の無いものばかりで、河には角歯魚といふ一種奇妙きみょうな肺を有する魚が居る。

「第五十一図 オーストラリヤ地方に固有なる動物」のキャプション付きの図
第五十一図 オーストラリヤ地方に固有なる動物

 単にけもの類だけにいて論じても、オーストラリヤ大陸では、前に述べた通り、山を見ても、野を見ても、森にも、河にも、目にれるものは、みな腹にふくろを有する類ばかりで、他のもくに属するけもの類は一種も無いが、全体この大陸は他のけもの類の生活に適せぬかとたずねると、決して左様ではない。羊を飼へば非常によく出来て、今では世界の主なる牧羊地となつて居る。またうさぎを輸入すればたちま一杯いっぱい繁殖はんしょくして持て余す程になつた。ねずみも増加し、これに伴うてねこも増加し、うさぎを退治するために外国から持て来て放したいたちも非常にえて、うさぎ以外の鳥獣ちょうじゅうに大害を加へるにいたつた所などから見ると、此地このちは実に如何いかがなるけもの類の生活にも最もてきした処といはねばならぬ。然るに実際においては、西洋人が移住するまでは、ただカンガルーの一族が蔓延はびこつて居るのみで、世間普通ふつうけもの類は一種も無かつた。ただ野犬が一種あつたが、これは確に他からまぎんだもので、本来此地このちに産したものではない。
 動物には各々おのおの固有な性質のあるもので、寒国かんこくだけにてきしたものもあれば、熱帯でなければ生活の出来ぬものもあり、森の中だけにむものもあれば、野原だけに居るものもある。それゆえ寒国と熱帯とで動物のちがふのは少しも不思議ではない。また森の中と野原とで動物のちがふのも全く当然である。しかし、同じ気候で、同じく生活に適した処でありながら、大洋を一つへだたるごとに、くのごとく鳥類・けもの類が全くちがうて、一種として同一のものが居ないといふのは、如何いかがなる訳であるか。これには何か特別とくべつの理由が無ければならぬことである。
 動物は総べて共同の先祖から進化し、樹枝状じゅしじょうに分かれくだつて、今日見るごとき多数の種属が出来たもので、の進化し居る間に、土地の昇降しょうこうがあつて、初め陸続きの処も後には切れてはなれ、初め半島であつた処も後には島となつて、其間そのかんに広い海峡かいきょうが出来たりしたと見做みなせば、その結果は如何いかにといふに、けもの類や陸上鳥類のごときは、陸地の連絡れんらくの無い処には移住する力のないものゆえ、今まで広く分布して居たものも、途中とちゅうに陸地の連絡れんらくが絶えれば、其時そのときから交通が全く絶え、海の彼方かなた此方こちらとでは全く無関係に別々に進化を続けることになる。くなれば雙方そうほうとも各々その地の状況じょうきょうしたがひ、てきするものが生存し、適せぬものが死に失せて、同種内の個体の競争によつて、種属が進化し、異種間いしゅかんの競争によつて、各種の運命が定まり、敗けてほろびるものもあれば、勝つて栄えるものもあつて、長い年月を歴た後には、彼方かなたの動物界と此方このほうの動物界とを比較ひかくして見ると、いずれも最も適したものが生存したにはちがひないが、その種類は全く相違そういするに至るべき訳である。此考このかんがえもってアメリカ・アフリカ・オーストラリヤ等の動物を比較ひかくして見ると、ほぼ明瞭めいりょうに理解することが出来る。
 ヨーロッパ・アジヤ等において、今までり出された化石を調べて見ると、最も古いものは、みなカンガルーの族ばかりで、其頃そのころには他のけもの類はまだ全く無かつたらしい。もっとも象程の大きさのものもあり、犬位のものもあつて、種類の数は沢山たくさんに知られてあるが、みな今日のカンガルー類に固有な特徴とくちょうが備はつて居る。それゆえ其頃そのころにはけもの類といへば、ただ此類このるいばかりであつたものと見做みなすより外はないが、仮にこの時代までオーストラリヤはアジヤ大陸と地続じつづきであつたのが、此頃このころに至り土地のくだること、なみが土地を洗ひ取ること等によつて、その連絡れんらくが切れたと想像するに、これより後は両方において全く別に進化することになるが、自然淘汰とうたに材料を供給する動物の変化性といふものは、如何いかがなる規則によるものか、まだはなはだ不明瞭めいりょうで、突然とつぜんどうの長い羊が出来たり、角の無い牛が生まれたりする所を見ると、何様どのようなものが何時いつ生まれるか解らず、変化の模様もようは全く予想することが出来ぬゆえ、たとひ同一種の動物でも二箇所にかしょおいて全く同一の変化を現すことは、実際においては先づ無いと思はなければならず、したがつて仮に両方とも同一の標準によつて淘汰とうたせられ、最もてきしたものばかりが生存せいぞんするとしても、選択せんたくの材料がすでに同じくないから、生存するものもちがふ訳になるが、相へだたつた両方の土地で、自然淘汰とうたの標準が全く同一であるとは到底とうてい思はれぬから、尚更なおさらのこと、長い年月の間には全く別種のものとなつて仕舞しまはざるを得ない。それゆえ、アジヤでは其頃そのころのカンガルー族の子孫の一部が進化して今日の普通ふつうけもの類となり、カンガルーの特徴とくちょうを備へた子孫は競争に敗けて死に絶え、ただ化石として残り、またオーストラリヤにおいてはこれに反して其頃そのころのカンガルー族の子孫が総べてカンガルー族の特徴とくちょうを具へたままで、今日まで進み来つたといふ想像も出来ぬことでもない。しこうしてく想像すれば、今日実際の分布の理由をほぼ了解りょうかいすることが出来る。
 以上は素より想像に過ぎぬが、総べて有り得べきことのみを組み立てた想像で、決して事実を曲げたり、実際に反したことを仮想したりしては無い。それゆえ、現在の有様がこれで説明せられる以上は、先づ此説このせつを取るよりいたし方がないが、土地の昇降しょうこうは目前の事実であるゆえ、残る所はただ生物の進化ばかりで、これさへみとめれば、く不思議に思はれる分布上の現象も、一通りは理窟りくつを解することが出来る。若しこれに反して、生物種属不変の説にしたがうたならば、オーストラリヤとアジヤ大陸とが何時いつころはなれたにもせよ、両方に同種類の動物が居なければならず、いずれの方面を見ても、ただ反対の事実を見出すばかりで、到底とうてい説明をあたへることは出来ぬ。

二 マダガスカルとニウ=ジーランド島


 地図を開いて見るに、深い海によつて大陸からへだてられた大きな島はただ二つよりない。一はすなわちアフリカの東に当るマダガスカルで、他はすなわち太平洋の南部にあるニウ=ジーランドであるが、此島このしまの動物を調べて見ると、いずれも他に類の無いめずららしいものばかりである。先づマダガスカルの方にいていへば、の島から一番近い大陸は無論むろんアフリカであるが、アフリカ産の鳥獣ちょうじゅうで、処にも居るものはほとんど一種もない。如何いかがなるけものが住んで居るかと見れば、総べて擬猴ぎこう類といふ目に属するもので、その著しい例を挙げれば狐猿きつねざるというてきつねねこの皮をかぶせ、これさるの手足をけた様なけもの指猿ゆびさるというて手足の指の細長い、目の大きな大鼠おおねずみごとけものなどであるが、此目このもくに属するけもの類は他には何処どこに産するかといふに、対岸のアフリカでは無く、かえつてはるかか遠くへだたつた東印度ひがしインドの諸島である。もっとも東印度の方では他のけもの類が沢山たくさんに居るゆえ此島このしまけるごとくに盛に蔓延はびこつては居ない。元来この擬猴ぎこう類としょうする目は余り種類が多くない上に、その分布の区域もマダガスカルと東印度ひがしインドとに限られ、其中そのなかでも東印度の方には余り沢山たくさんにない位ゆえ、今日この奇態きたいけもの類の全盛ぜんせいを極めて居る処は全く此島このしまばかりである。
 なお其他そのほか此島このしまには近いころまで非常な大鳥が生活して居つた。千六百年代に西洋人が貿易のために此島このしまに来たころに、土人が時々周囲が三尺(注:90cm)もあつて、中に六升ろくしょう(注:10.8リッター)も入る位な、大きな卵のからを持つて酒を買ひに来るので、おどろいて帰国の後話したが、だれも信ずるものが無かつた所、今より五十年程前に完全な卵のからを一つヨーロッパに持つて帰つた人があつたので、いよいよ確となり、骨骼こっかくの方は十分完全な標本は無いが、卵の方は其後そのごいくつも採れてパリーの博物館だけにも五つ陳列ちんれつしてある。
 ニウ=ジーランド島の方は大陸からへだたることがさらに遠いが、此処ここにはけもの類は一種も産せず、鳥類・蜥蜴とかげ類も余程奇態きたいなものばかりで、いずれも他国のものとは全くちがふ。
鴫駝鳥しぎだちょう」(第五十一図、ロ)のことは前にも述べたが、'鶏'にわとり位の鳥でつばさほとんど全く無く、羽毛も普通ふつうの鳥の毛よりもむしねずみなどの毛に似て居る。この外に今は絶えて仕舞しまうたが、近いころまで、なおいく種かつばさの無い大きな鳥が居たが、の立つて居るときの高さが二間(注:3.6m)以上もある。初めてその骨を発見したのは六七十年前であるが、其後そのご完全な骨骼こっかくいくつもり出され、今では二三の博物館に陳列ちんれつしてある。土人間には先祖がこの大鳥と苦戦をした口碑こうひが残つて居るが、ほね卵殻たまごからの具合から見ると、極めて近いころまで生存して居たものらしい。また蜥蜴とかげの類には「昔蜥蜴むかしとかげ」と名づけるものがあるが、長さは二尺(注:60cm)以上もあり、形は蜥蜴とかげの通りであるが、解剖かいぼうして見ると、わにに似た処も、へびに似た処も、またかめに似た処もあり、実に此等これら四種の動物の性質をね備へたごとくに見える。なお奇妙きみょうな点は左右両眼の外に頭の頂上ちょうじょうの中央に一つ眼がある。もっとこれは小いものゆえ、実際の役には立たぬ様であるが、構造からいへば、確に目にちがひない。ニウ=ジーランド産のものは、みな斯様かよう奇態きたいなものばかりで、他の国々に居る様な類は、一種も見出すことが出来ぬ。
 くのごとく世界中で最も奇妙きみょうな、他と変つた動物を産する処は何処どこかといへば、無論マダガスカルとニウ=ジーランドとであるが、中にもニウ=ジーランドの方にはけもの類が一種も居ないといふのは、さら奇妙きみょうである。然もけもの類が住めぬ訳では無く、今ではぶたも、羊も、犬も、ねこも、沢山たくさんにあり、ぶたごときは野生で無暗に繁殖はんしょくし、農業の邪魔じゃまとなる程になつた。所で、地図によると、この二つの島は地理上にも他に類のない位置をめて居る。世界中でやや大きな島といへば、ことごとく大陸と接近したものばかりで、大陸との間の海も浅いものであるが、この二島だけは大陸との間の海がはなはだ深くて、たとひ、海水が千ひろ減じても、大陸と連絡れんらくすることはない。しかし地質学上およ其他そのほかの点から考へると、一度は大陸と続いて居たものらしい形迹けいせきがあるが、間の海がく深いのから推せば、の続いて居たのは余程古いことで、日本がアジヤからはなれて島となつた時代などに比べれば、何百倍も昔でなければならぬ。若し実際斯様かようであつたものと仮定したならば、この二島に産する動物の奇妙きみょうなことは、生物進化の理によつて、ほぼ了解りょうかいすることが出来る。
 動物の種属が総べて共同の先祖からくだつたものとすれば、獣類けものるいでも鳥類でも何時いつの中にか漸々だんだん出来た訳ゆえその以前にはまだ世に無かつたにちがひないが、けもの類のまだ出来なかつたころまたけもの類が其処そこまで移つて来ない前に、島が大陸からはなれたならば、後に大陸の方でけもの類が追々出来ても、その島には移ることが出来ず、つい其儘そのままけもの類なしに済むはずである。ニウ=ジーランドのごときはおそらくかる歴史を経て来たのであらう。また擬猴ぎこう類としょうする目は、けもの類の中でもカンガルー族の次に最も古い類で、化石を調べてもカンガルー族に次いで出て来るが、世界上にまだ他の高等なけもの類が出来ず、わずか狐猿きつねざるの族が蔓延はびこつて居たころに、島が大陸からはなれたとすれば、其島そのしまには、後に至つても他のけもの類が入り来ることなく、初め其島そのしまに居たものの子孫だけで、独立に進化して行くはずである。マダガスカルはおそらく斯様かようにして出来たものであらう。其頃そのころアフリカの方に続いて居たか、印度インドの方に続いて居たかといふ様なつまびらかなことは素より解らず、今後地質調査や海底測量が進んでもただ多少推察の手掛てがかりを得るに過ぎぬであらうが、いずれにしても不思議ならざる天然の方法によつて、今日の有様に達したものと考へることが出来る。
 以上は無論むろん単に想像で、到底とうてい直接に証拠しょうこ立て得べき性質のことではないが、地殻ちかく変動へんどうと生物の進化とをみとめさへすれば、現今げんこん見る所の不思議ふしぎな動物の分布も、自然の経過によつて出来得るものといふだけが解り、詳細しょうさいの点は知れぬながらも、大体の理窟りくつ幾分いくぶんか察することが出来る。これに反して生物は万世不変のものとしたならば、こゝに述べたごと奇妙きみょうな分布の有様は、何時いつまで過ぎてもただ不思議といふだけで、少しも訳の解るべき望もない。

三 ガラパゴス島とアゾレス島と


 大陸から全くはなれて遠く大洋の中央にある島にいて、その動物を調べて見ると、また生物進化の証拠しょうこ沢山たくさんに見出すことが出来る。その一例としてガラパゴス島とアゾレス島とに産する動物の比較ひかくを述べて見るに、アゾレスといふ群島はポルトガルから西へ四百里(注:1560Km)ばかりもへだたつた所の大西洋の真中にあるが、此処ここにはへび蜥蜴とかげかえるの類は一種もなく、けもの類もうさぎねずみ等のごとき人間の輸入したものの外には、ただ蝙蝠こうもりがあるだけで、主として産するものは、先づ鳥類と昆虫こんちゅうとである。鳥類は総計五十種以上もあるが其中そのなか三十種ばかりは海鳥ゆえ何処どこへも飛んで行く類で、此島このしまばかりに住居を定めて居るものでは無い。残る二十種ばかりが常に此島このしまに留まつて居る鳥である。所がこれを調べて見ると、総べて対岸のヨーロッパ・北アフリカ等にも産するものばかりで、此島このしま以外には産せぬといふ固有の鳥はわずかに一種より無い。しこうしてこれただ種がちがふといふだけで、同属の鳥は大陸の方にいくらも居る。元来此島このしまみな火山島ばかりで、何時いつか遠い昔に噴出ふんしゅつして出来たものにちがひないゆえその初めには動物は全く居なかつたと見做みなさなければならぬが、くのごとく鳥類は総べて、南ヨーロッパ・北アフリカ辺と同様なものであり、其他そのほかの動物もことごとく風によつてき送られたかあるいなみによつて打ち寄せられたかと思はれる種類のみである所からせば、今日此島このしまに産する動物はみな実際くして対岸の陸地から移り来つたものと考へなければならぬ。
 ガラパゴス島は南アメリカのエクヮドール国の海岸から西へおよそ三百里(注:1170Km)もはなれて、赤道直下の太平洋の真中にある群島ぐんとうで、単に地図の上から見ると、ガラパゴスの南アメリカに対する関係かんけいは、全くアゾレスのヨーロッパ・アフリカに対する関係と同じ様であるゆえ此島このしまの動物は定めて南アメリカ産と同種なものが多いであらうとだれ推察すいさつするが、実際を調べて見ると、大体は矢張やはり南アメリカ産の動物に似て居るには相違そういないが、此島このしまばかりに居て決して他国では見ることの出来ぬ固有の種類がはなはだ多い。先づ鳥類にいて言ふに、鳥類は此島このしまにはほとんど六十種ばかりも産するが、其中そのなか四十種程は全く此処ここに固有なものである。海鳥を除いて勘定かんじょうすると、ほとんことごとく固有なものばかりで、此島このしまに産する陸鳥で、他にも産するものはわずかに一種より無い。これをアゾレスに固有な陸鳥が一種より無いのに比べると、実に雲泥うんでい相違そういといはねばならぬが、さら詳細しょうさいに調べて見ると、斯様かよう相違そういの起るべき原因を容易よういに発見することが出来る。
 アゾレス島のある辺は常から余り海のおだやかな処ではないが、毎年春と秋とには極まつて何度も大暴風がく。その方角は東からであるゆえ丁度ちょうどヨーロッパ大陸で住処をへるために大群をなして飛ぶ陸鳥が、非常に沢山たくさん大西洋の方へき飛ばされ、途中とちゅうで落ちて死ぬるものが勿論むろん大部分であるが、なお若干は此島このしままで達する。其頃そのころ此島このしまと大陸との間を航海した船長の日記の中に、つかれた陸鳥が無数に飛ばされて来て、船の中へも落ちた。その種類は何々である。六十ひきばかりかごへ入れて置いたが、えさあたへても半分は死んで仕舞しまうたなどと書いてあるのがいく通りもある。また此島このしまの住民にたずねても、毎年暴風の後には、必ず見慣みなれぬ鳥を何種も見出すというて居るから、年々確に大陸の方からいくらかの鳥が飛ばされて来るものと見える。それゆえ此鳥このとりは大陸から四五百里(注:1755Km)をはなれて居るにかかわらず、大陸からの交通が絶えぬゆえ何時いつまでたつても種類は大陸のと同様で相違そういが起らぬのであらう。しこうしてただ一種だけは如何いかがなる理由によるかは知れぬが、最早長い間一度も大陸の方から来ぬゆえ此島このしまに居たものだけで独立に進化して、終に此島このしま固有の種となつたのであらう。
 ガラパゴス島の方は如何いかにと見るに、此処ここは赤道直下の有名な無風の処で、海の表面は常に鏡のごとくで、わずかさざなみもない。風のくことははなはまれで、暴風というては何百年か何千年に一度より無い様である。此島このしまもアゾレス同様に火山質のものゆえ何時いつか遠い昔に噴出ふんしゅつして出来たものには相違そういなく、今日産する動物は総べて他から移つて来たものと見做みなさなければならぬが、くのごとく静なところゆえ、大陸から鳥の飛ばされて来る様なことはきわめてまれで、一度此島このしまに移つた鳥は、大陸の種類とは全く交通遮断しゃだんの有様となり、他には関係なく、此島このしまのものだけで独立に進化するゆえ、長い年月の後には全く種類のことなつたものになつて仕舞しまふのであらう。特に面白いことはこの群島は大小合せて二十ばかりの島から成り立つて居るが、その陸鳥を調べて見ると、全体はほぼ相似ながら、島々によりみないくらづつかちがつて居る。これも動物は漸々だんだん進化して形状が変化するものとすれば、容易に理解することが出来るが、し生物が万世不変のものとしたならば、アゾレス群島の方ではの島にも全く同種が産し、此処ここでは島ごとに少しづゝ種属がちがふといふ様なことは如何いかがなる理窟りくつによるものか、全く解することが出来ぬ。ダーウィンはビーグル号世界一週の際にこの群島にも立ち寄り、この奇態きたいな現象を見て、生物は是非ぜひとも進化するものにちがひないといふ考がむねうかんだというて居るが、これもあるべきはずである。
 なお此外このほかに大西洋のセントヘレナ、太平洋のハワイ群島などの産物を調査して見れば、何処どこでも生物の進化をみとめなければ到底とうてい説明の出来ぬ事実を沢山たくさんに発見する。此等これらりゃくするが、単にこゝに述べた二群島の鳥類だけにいて考へても、生物の種属は漸々だんだん進化するものとすれば、総べての現象げんしょう天然普通てんねんふつうの手段によつて生じた有様を推察すいさつし理解することが出来るが、進化論をみとめなければ、ことごとく不思議といふだけで少しも理窟りくつは解らぬ。かつ実際に調査した結果は何時いつも進化論を基として推察し、予期した所と全く符合ふごうすることなどを見れば、如何いかにしても此論このろんを正確なものとみとめざるを得ない。

四 洞穴どうけつ内の動物


 ヨーロッパ・北アメリカなどには、処々ところどころに天然の大きな洞穴ほらあなが発見せられてあるが、其中そのなかの最も有名なのがケンタッキー州のマンモスどうで、おくまでは何里なんりあるやら解らず、中には広い河があつて、魚・えびなどが住んで居る。またオーストリヤ領のクライン地方の山には大きなどうがあつて、其中そのなかに住する一種の'イモリ'は血球けっきゅうが非常に大きく、虫眼鏡むしめがねでも見える程ゆえ、動物中でも有名なものである。其外そのほかにもやや小い洞穴ほらあないくつもあるが、斯様かような処は無論全く闇黒あんこくであるゆえ、常に其中そのなかばかりに住んで居る動物は普通ふつうの明るい処に住するものとはちがつて、総べて盲目もうもくで、目は形だけがあつても、全く役に立たぬ様に退化して居る。世界の方々から此様このよう洞穴ほらあなの中に産する動物を集めて調べると、眼の退化する具合に注意しても面白いことを見出すが、その分布を考へても、進化論によらなければ説明の出来ぬ様な面白い現象を発見する。元来此種このしゅ洞穴ほらあなはアメリカのもヨーロッパのも、石灰岩の中に出来たもので、其中そのなかの温度・気候等は全く同一で、およそ此位このくらいたがいに相似た場所は他にはまれであると思はれる程であるが、実際其中そのなかに産する動物を検すると、相離あいはなれた処の洞穴ほらあなには、一種として同じ種類は無い。すなわちアメリカの洞穴ほらあなにもヨーロッパの洞穴ほらあなにも産するといふ様な種類は一つも無く、アメリカの洞穴ほらあなに居る盲目もうもく動物は何に最も似て居るかと調べると、かえつて其地そのち普通ふつう動物中のるものに似て居る。これは進化論を基として考へれば、素よりくなければならぬことで、各地の洞穴ほらあなの間には直接の連絡れんらくは少しもなく、また其中そのなかに住む動物が自分で明るい処に出ることは決して無いゆえ、各洞穴ほらあなに産する盲目もうもくの動物はみな別々にその洞穴ほらあなのある地方の普通ふつうの動物から進化して出来たものと見做みなせば一通りは理窟りくつわかるが、此等これらの動物は各々最初から今日居る通りの暗い処に出来て、其儘そのまま少しも変化せずに現今まで代々だいだい生存して居るものと考へたならば、此位このくらい、訳の解らぬことはない。始終闇黒あんこくな処に住んで居るにかかわらず、みな目を有して居て、然も其目そのめの構造を調べて見ると、肝心かんじんな部分がなくて、単に形を具へて居るといふに過ぎず、其上そのうえ全く同様な状態の洞穴ほらあなの中に彼地かのち此地このちとでは全く相異なつた種類が住んで居て、然もその種類は相互そうごに似るよりはむしろ各其地そのち普通ふつうの目の明いた動物の方に近いといふに至つては、だれが考へても不思議といはざるを得ぬであらう。
 生物学者の中で、生物種属不変の説を守つた最後の人はアメリカのルイ=アガシーといふ人であるが、他の学者がみな進化論の正しいことをみとめたころに、なお独り動物各種は神が別々にその産地に適当な数に造つたものであると主張して居た。マンモスどうから盲目もうもくの魚が発見になつたのは、丁度ちょうど其頃そのころであつたゆえ、アメリカの学術雑誌がくじゅつざっし記者がアガシーに向ひ、此魚このさかなかる姿に神によつて造られたものであるか、決して元来目の見える魚が闇黒あんこく洞穴ほらあなに入つて、盲目もうもくになつたものとは考へぬかとたずねた所、アガシーはこれに対して、矢張り此魚このさかなは今日の通りの姿に、今日居る場所に今日居る位の数に神が造つたものであると答へた。もっとこのアガシーも死ぬる時分にはついに進化論の正しいことを承認しょうにんしたとのうわさであるが、此人このひと以後には生物学者で生物の進化を否定ひていした人は一人もない。かる問答が雑誌ざっしに出たゆえ洞穴ほらあなの動物をなお一層注意して調べる様になり、その結果、こゝに述べた様なことが解つて来たのである。今日知れてあるだけの事実から論ずれば、到底とうてい以上のごとき考の起らぬことはいふにおよばぬであらう。

五 飛ばぬ鳥類の分布


 現今げんこん生存して居る飛ばぬ鳥はアフリカの駝鳥だちょう、南アメリカのアメリカ駝鳥だちょう印度インド諸島の火食鳥ひくいどり、オーストラリヤのエミウ、ニウ=ジーランドの鴫駝鳥しぎだちょう(第五十一図、ロ)などであるが、従来は単にいずれも飛ばぬといふだけの理由で、此等これらを合して走禽そうきん類といふ一目いちもくとしてあつた。しかし、善く考へて見ると、このただ運動法のみによつた分類で、あたかくじらを魚類にかぞへ、蝙蝠こうもりを鳥類に入れるのと同様な不都合なことゆえ、近来は比較ひかく解剖かいぼうの結果、構造の異同を標準として正当な自然分類に改めたが、これによると、産地のことなるものは構造もいちじるしくちがひ、各独立の一目を成すべきもので、特に鴫駝鳥しぎだちょうごときは全く他の類とちがひ、むしろ鴫などの方に近い位である。く飛ばぬ鳥類は世界の諸地方しょちほう散在さんざいし、何処どこでもほぼ同様な生活を営んで居るにもかかわらず、産地がちがへば構造がいちじるしくちがふのは何故なぜであるかと考へるに、これも生物の進化をみとめれば容易に了解りょうかいすることが出来るが、生物種属を不変のものと見做みなせば少しも理窟りくつが解らぬ。特に唯一ゆいつの神が総べての動物を各別々に造つたなどと思うてかゝれば、同様の生活を営んで居る鳥が、外形はたがいく似ながら彼処あちら此処こことでは全く別の目に属すべき程に内部の構造のちがうて居ることは、ますます訳が解らぬ。
 動物は総べて自然淘汰とうたによつて絶えず少しづゝ進化し、形状も変じて行くものとすれば、鳥が飛ばずに生活の出来る処では、つばさの発達の度は生存競争の際に勝敗の標準とはならず、かえつて他の体部の発育したものが勝を制する訳ゆえ、代々その方面に進んでつばさの方は漸々だんだん退化し、短く小くなつて仕舞しまはずである。それゆえ何処どこでも若し鳥が飛ばずに無事に生活の出来る事情が生じたと仮定したならば、其処そこに居た鳥の子孫が次第に飛ぶ力を失ひ、つばさが小くなつて、つい駝鳥だちょうごとき形になる訳で、決して総べての飛ばぬ鳥が共同の飛ばぬ先祖からくだつたのではない。また飛ばぬ鳥は飛ばずに無難に生活の出来る区域くいきより以外には容易に出られぬに極まつたものゆえ一旦いったんつばさを失うた鳥が遠くはなれた処に移り行くことは、到底とうてい出来ぬ。それゆえ、今日諸方に散在さんざいして居る飛ばぬ鳥はあたかも各地の洞穴どうけつ内の動物と同様で、各々その先祖を異にするものと見做みなさねばならぬ。鳥類諸属の進化の系図けいずを樹の枝にたとえへて見れば、飛ばぬ鳥はの枝の先に一属、の枝のはしに一属といふ具合に相はなれてあつて、決して一本の枝からみな出たものではない。もっとも、追ひまわす敵のある処で飛ばぬ生活を営むには、初めから足が相応に達者でなければならぬゆえつばさすでに発達した・足の弱い鳥が、この方面へ向うて進化することはないであらうが、斯様かような敵の無い処では、随分ずいぶんはとごとき種類でさへ飛ばぬ様になる。マダガスカルの東にあるモーリシアス島には二百年ばかり前まで、愚鳩ぐきょうというて七面鳥よりやや大きなすこぶえた鳥が住んで居たが、つばさはなはだ小く、飛ぶ力が全く無く、運動が至つて緩慢かんまんであつたゆえ其頃そのころ此島このしまに立ち寄つた水夫等すいふらが面白半分に無暗に打ち殺したので、たちまちの中に種属が断絶して仕舞しまうた。骨骼こっかくも写生図もあるが、しいことには全身の剥製はくせい標本が何処どこにもない。此鳥このとりなどは、実に如何いかがなる鳥でも飛ぶ必要が無くなれば、漸々だんだん飛ばぬ鳥になるといふことの好い例である。ニウ=ジーランドの鴫駝鳥しぎだちょう幾分いくぶんこれに似た例で、鳥類の大敵であるけもの類の居ない処ゆえ、夜間、虫などをさがし歩いても、きつねいたち出遇であおそれもなく、無難に生活して居たが、西洋人が入りんでから、猟犬りょうけんなども沢山たくさんえたゆえ此鳥このとりの運命は余程危くなり、年々著しく減少するから、遠からぬ内にはいずれ種がつくきるであらう。此等これらの事情から考へて見ると、先祖は如何いかがなる形の鳥であつたか解らぬが、兎に角とにかく、全く敵が無くて飛ぶ必要が無かつたために、今日のごときものになつたと見做みなさねばならぬ。まる所、動物種属は絶えず漸々だんだん進化するもので、其主そのおもなる原因は自然淘汰とうたにあるとすれば、飛ぶ必要の無い処には何処どこでも飛ばぬ鳥が生じ得る訳であり、かつ飛ばぬ鳥ははなれた国々に移住することの出来ぬものゆえ、世界各地に産する飛ばぬ鳥は各祖先を異にするものと見做みなさなければならぬが、実際を調べた結果は、全くこの予想と一致いっちしたのである。これも確に進化論の正しい証拠しょうこといつてよろしからう。特に前に述べた高さが二間(注:3.6m)以上もある大鳥は、ただけもの類の全く居ないニウ=ジーランドと擬猴ぎこう類ばかりでけものらしいけものの居ないマダガスカルとに限つて生存して居たことを考へると、益々ますます生物の進化の真なることを感ぜざるを得ない。

六 ウォレース線


 アジヤとオーストラリヤとの間には、大小種々の島があたかも飛石のごとくに列んであるが、其中そのなかジャヴァの東に当つてバリ・ロンボクといふ二つの小い島がある。此島このしまの間の距離きょりは十里(注:39Km)にも足らず、ほとんど両方から見える位であるが、その産物を調べると大にちがひ、バリの方に産する動物は、総べてアジヤ産のものに類似るいじし、ロンボクの方に産するものは、これと全く異なりて、あきらかにオーストラリヤ産のものに似て居る。この二島を中心として、その両側にある島々の動物を比べて見ると、バリより西北に当るボルネオ・ジャヴァ・スマトラ等には、ぞうさいの類を始めとして、総べてアジヤに固有なけもの類・鳥類ばかりがさんし、ロンボクより東にある島々にはオーストラリヤ大陸と同様で、普通ふつうけもの類は一種もなく、ただカンガルーの族ばかりが生活し、鳥類も全くオーストラリヤ産に似たもののみである。もっともセレベス島のごときは、いずれの組に属するか、判然せぬ点もあるが、先づ大体からいへば、バリとロンボクとの間に線を引けば、其線そのせんによつて此辺このへんにある沢山たくさんの島をアジヤに属する組とオーストラリヤに属する組とに分けることが出来る。此事このことは数年間この地方に留まつて、動物分布の有様を調べたウォレースの発見に係るゆえ、通常これをウォレース線と名づけて、動物分布区域くいき境界線きょうかいせんの中、最も有名なものとなつて居る。此辺このへんの諸島はいずれも気候・風土は善く相似たもので、どの島の動物を、どの島に移しても差支へなく生活の出来る様な処であるのにかかわらず、くのごとくウォレース線によつてあきらかに二組に分かれ、各産物を異にするのは如何いかがなる理によるかと考へるに、生物種属をもって全く不変のものと見做みなさば、少しも理窟りくつが解らぬが、生物種属は漸々だんだん進化するものとすれば、次のごとくに想像して容易にこれを説明することが出来る。すなわち最初アジヤとオーストラリヤとは全く陸続きであつたのが、る時先づバリとロンボクとの間にて切れはなれ、それよりはるかに後になつて、他の島々がみなはなれたものと仮定したならば動物分布の有様は、丁度ちょうど今日の実際の通りになるべき訳である。しこうしてためし此辺このへんの海図を開いて見ると、アジヤ組の島々とアジヤ大陸との間の海ははなはだ浅くて百尋ひゃくひろ(注:180m)にも足らずまたオーストラリヤ組の方でも大きな島と陸地との間は同じく海が浅くて百尋ひゃくひろにも足らず、しこうしてこの二組の間は中々深く、千尋せんひろ(注:1.8Km)・二千尋にせんひろ(注:3.6Km)以上に達する所もあるから、この想像は単に空想ではない。地質学上からせば最も実際にあつたらしいことであるが、若し其通そのとおりであつたとしたならば、世界中に未だカンガルーのごとき類ばかりで他にけもの類の無かつたころに、此線このせんの処でオーストラリヤがアジヤから切れはなれ、オーストラリヤの方ではカンガルーの類が独立に進化し、諸方しょほうの島々の辺に分布して居たころおよんで、此等これらの島々が本大陸から切れはなれ、またアジヤの方では、他のけもの類が出来て、象やさいなどが今のボルネオ、ジャヴァ等のある辺まで広まつた後に、此等これらの島が大陸からはなれて、その結果今日のごとき分布の有様を生ずるに至つたものと考へることが出来る。くのごとく、生物の進化をみとめさへすれば、此辺このへん奇態きたいな動物分布の有様を最も自然にかつ最も明瞭めいりょうに説明することが出来るのである。これ進化論しんかろんの有力な証拠しょうこの一といふべきものであらう。

七 津軽海峡つがるかいきょう


 終りに我国わがくにの動物分布の有様は如何いかにと見るに、全体からいへば、無論むろんアジヤ産のものに似たものばかりであるが、本州・四国・九州産の動物には日本固有のものがすこぶる多い。たぬきくまなどは支那しな・チベットの方に産するものと極めて似て居て、これを同種と見做みなす人もある位であるが、日本のさるいのしし羚羊レイヨウ鹿しかきつねいたち穴熊あなくま等のごときは、日本以外には何処どこにも産せぬ。然るに津軽海峡つがるかいきょうえて北海道にわたると、鳥類・けもの類ともに大に異なり、日本に固有なものはほとんど一種も産せず、此処ここに居るものはみなシベリヤ地方に産するものと同種である。くまも日本国有の月輪熊つきのわぐまでなくて、北方に普通ふつうひぐまであり、鹿しかも内地の奇麗きれい鹿しかとは別種で、いたち蝦夷鼬えぞいたちといふ冬は白くなる種類であるが、これはシベリヤからヨーロッパまでも普通ふつうなものである。鳥類にいて言へば、雉子きぎす・ヤマドリなどは日本固有の鳥であるが、北海道には産せず、北海道に産する鳥類はみなシベリヤ地方と共通なものばかりで、その多数は内地にも居るが、津軽海峡つがるかいきょう以南には全く産せぬ種類も七種ばかりある。くのごとく本州・四国・九州産の動物には日本固有のものがすこぶる多いが、北海道に固有な動物というては一種もない。また日本固有のものは何処どこの産に最も似て居るかとたずねると、北海道産のものに似るよりははるか朝鮮ちょうせん支那しな産の方に善く似て居る。此等これらのことも動物各種がみなその場所に別々に造られ、少しも変化せずに今日まで続いたものとしたならば、ただ何の意味もないことであるが、進化論から見れば、すこぶ興味きょうみのあることで、かつ明瞭めいりょうその意味が解る。日本がごく昔にアジヤ大陸の一部であつたことはうたがいもないが、先づ本州・四国・九州だけが大陸からはなれ、其後そのご余程長い年月を経て、比較ひかく的近いころになつて北海道が大陸からはなれたと仮定すれば、動物分布の模様もよう是非ぜひとも今日の通りにならざるを得ぬ次第で、本州・四国・九州は大陸と連絡れんらくしてあつた間は、大陸と全く同種の動物が居たが、はなれてから後は此方このほうだけで独立に進化したため、多くの固有の種類が出来たのであり、また北海道は余程近いころまで北アジヤと陸続きであつて、はなれてからはまだ間も無いゆえ、種類が異なるまでに至らぬのであらう。北海道の鳥獣ちょうじゅうと内地の鳥獣ちょうじゅうとが此様このようちがふことは、前年函館はこだてに住んで居たブレキストンといふ英国人が初めて調べたゆえ津軽海峡つがるかいきょうける動物分布の境界線きょうかいせんを往々ブレキストン線と名づけるが、同じ一列をなせる日本群島が動物分布学上、此線このせんによつて判然はんぜんと南北二組に分かれるといふ事実は進化論によれば、以上のごとくに想像して、一通りその理を解することが出来る。当今の所では此外このほかには説明の仕様もない様であるから、先づこれを取るの外はなからう。日本にかぎらず、何処どこの国でもつまびらかに調べさへすれば、此類このるいの事実はいくらもあるが、進化説によれば、これが総べて説明が出来るに反し、進化説をみとめなければ、これみな偶然ぐうぜんのこととして少しも理窟りくつが解らぬ。


第十三章 古生物学上の事実


 以上第九章より第十二章までに述べたごとく、解剖かいぼう学上・発生学上・分類学上・分布学上の事実を調べて見ると、生物種属の進化し来つたことは疑ふべからざることであるが、以上の事実はただ進化論をみとめなければ如何いかにしても説明することが出来ぬといふ性質のもので、所謂いわゆる事情の上の証拠しょうこである。それゆえ此等これらの事実ばかりをもって生物の進化を論ずるのは、すなわち現在の有様を基として、過去の変遷へんせん推察すいさつするといふに止まるが、本章に説く所は大いにこれちがひ、古代に生存して居た動物の遺体いたいいて生物進化の事蹟じせきを述べるのであるから、議論でなくて単に記載きさいである。今までに略述りゃくじゅつしただけでも進化の証拠しょうこは十分であるが、今から説くことは進化の事実その物で、例にげる標本は、みな、アメリカ・ヨーロッパ諸国しょこくの博物館に陳列ちんれつして、だれにも見せて居るのであるから、如何いかにしてもうたがふことの出来ぬ性質のものである。
 古生物学上の事実を述べるに当つて、特に初めから注意して置かなければならぬのは、時の長さに関して正確な観念かんねんを持つことである。この観念が間違まちがうて居ては、生物進化の事蹟じせきを正当に理解することは出来ぬ。古生物学で研究するものは所謂いわゆる化石であつて、化石は言ふまでもなく、古代に生活して居た動植物の遺体いたいであるが、この化石といふものは一体何時いつころ如何いかがなる事情の下に出来たかとくわしく論ずるには、先づ一通り地殻ちかく変遷へんせんのことから考へてかからねばならぬ。
 今日地球の表面を見るに、山が海になり、海が山に変ずる様な劇烈げきれつな大変化は極めてまれで、それも極めてせま区域くいきに限られてあるゆえ、全体から論ずれば、急劇きゅうげきな変化は先づ無いといはねばならぬが、細かに注意すれば、徐々じょじょの変化は日夜絶えず行はれて居ることが解る。例へば雨がればただちに河の水がにごるが、水のにごるのは何処どこかの山や野から泥砂でいしゃ沢山たくさんに流れんだ結果で、水の流れて居る間はうかんで居るが、海へ出れば重いものはべてしずんで仕舞しまゆえ、大きな河の出口には、斯様かよう泥砂でいしゃ漸々だんだん堆積たいせきして三角形のが出来る。支那しなの黄河や揚子江ようすこうが絶えずにごつて居るのもみな斯様かようどろのためであるから、年々、此等これらの河が陸から海へ持ち出す土の分量は随分ずいぶんおびただしいことであらう。世界中何処どこへ行つても理窟りくつ此通このとおりで、大きな河でも、小な河でも、絶えずりくからいくらかの土を海へ流し出すが、其中そのなかあら砂粒すなつぶは河口に近い処でしずみ、細かいどろは遠いおきまで漂うて行き、終には矢張やはしずゆえ、海の底には絶えず、どろが積つて、新しいそうが出来る。かる層は最初は無論やわらかいが、厚く積れば下の方の部分は上からの圧力によつて段々だんだん固まり、終には堅牢けんろうな岩石となつて仕舞しまふ。また斯様かような層は初め水平に出来るが、地殻ちかく昇降しょうこうにより、一方が上り、一方が下つてななめかたむき、一部分は海面より現れて陸となり、他の部分は其儘そのまま海の底にかくれたままで留まる。水上に現れた処はまた漸々だんだん雨風にこわされ、泥砂でいしゃとなつて、海へ出て、さらしずんで海底に新しい層を造り、絶えずこの順序によつて地殻ちかくに変化が起るが、かる泥砂でいしゃかたまつて出来た岩は、水の底に出来た岩ゆえこれを水成岩と名づける。水成岩すいせいがんみな層をなして居るは、勿論むろんであるが、生物の死体が化石となつて保存せられたのは、総べて水の底にどろまるとき其中そのなかへ落ちてもれたものばかりに限るゆえ、化石をふくんで居るのは水成岩のみである。
 水成岩は斯様かよう漸々だんだん出来たものゆえ、一層ごとその出来た時がちがひ、下にかれて居る方は古く出来た層で、上に重なつて居る方は新しく出来た層である。またいずれの層にも多少の化石がふくまれてあるが、毎層ふくむ所の化石がちがひ、ほとんど一層ごとに固有の化石の種類が一つや二つは必ずあるゆえはなれた処にある水成岩でも、同じ化石をふくむものは同じ時代に出来たものと見做みなし、これを標準として他の層の新古の順序を定めることが出来る。この方法により、今日知れてあるだけの水成岩を研究し、その全体の厚さを測つて見ると、日本の里程りていに計算して十里(注:39Km)以上になるが、海の底に泥砂でいしゃ漸漸だんだんに積り、それがかたまつて厚さ十里以上の堅牢けんろうな岩石が出来るには、およそ如何いかが程の時を要するであらうか、百年を一世紀と名づけて時の最も長い単位として用ゐて居る我々われわれでは、到底とうてい想像して見ることも出来ぬ。
 右は単に陸地から海に泥砂でいしゃが流れ入るだけで、水成岩が出来るごとくに書いたが、実際は斯様かようなものが流れまずとも海の底に新な層の積り生ずる原因は他にも種々ある。例へば海の表面・水中ともに微細びさいな虫類・藻類もるいなどが幾億いくおくとも数へられぬ程にいて居て、常に水中より石灰・珪酸けいさん等を吸ひ取つてからを造り、死んで仕舞しまへばからだけが底にしずゆえ、深い海の底では常に上からかる虫やからが雨のごとくにつて、こればかりでも中々大きな地層が出来る。大西洋の中央には余程広い間、全く斯様かようからばかりで底の出来て居る処があるが、後にはこれかたまつて、固い岩石となる。美濃国みののくに赤坂から出る有名な鮫石さめいしなどは斯様かようにして生じた岩石の一例であるが、エジプトのピラミッドはほとん此類このるいの岩石ばかりを用ゐて造つてある。
 以上述べた所は、今日地質学ちしつがくおいて確に解つてあることの中から、一部だけをきわめて簡単かんたんに説いたに過ぎぬが、此等これらのことを詳細しょうさいに論ずるのは、地質学の範囲はんい内で、こゝに述べたごときことは如何いかがなる地質学書にもなお明細に記載きさいしてあるゆえ、本書にはりゃくする。こゝではただ化石をふくむ水成岩が出来たのは我々われわれの考へられぬ程の昔からであることが解りさへすれば、それでよろしい。地球が出来てから今年で何年になるとか、人類が初めて現れてから何年になるとか、いふことが、往々雑誌ざっしなどに出て居るが、総べて全く架空かくうの考ばかりで、一として信ずべきものはない。今日我々われわれの断言の出来ることはただ地球の歴史は非常に長いといふことだけで、数字をもっその長さをしめすことなどは到底とうてい出来ぬ。しかし、長い短いといふのは比較ひかく的の言葉で、ただ長いというたばかりでは、の位長いのか解らぬゆえこれを人間の歴史に比べて見るに、エジプトのピラミッドなどは六千年以上の昔に造つたもので、先づ最も古い人間の遺物いぶつであるといふが、地球の歴史から見れば、六千年位の短い年月は到底とうてい勘定かんじょうにも入らぬ程である。総べて大きな物を測るには大きな単位を用ゐなければならぬもので、書物やつくえ寸法すんぽうは尺(注:30cm)と寸(注:3cm)とで言ひ表せるが、国と国との距離きょりは里(注:3.927Km)を単位に取らなければならず、また星と星との距離きょりはかるには里では到底とうてい間に合はぬゆえ、三千七百万里(注:14,530Km)もある地球と太陽との間の距離きょりを単位として言ひ表し、なお遠い星の距離きょりを測るにはさらに地球太陽間の距離きょりの百六万九千倍もあるシリウス星までの距離きょりを取つて単位とせなければならぬのと同じ理窟りくつで、時の長さを測るに当つても、所謂いわゆる万国史くらいには年を単位に取るのが相応そうおうであるが、真に地球の歴史れきしを論ずるに当つては、到底とうてい、年を単位にする様なことでは間に合はぬ。地質学ちしつがく地殻ちかく変遷へんせんの歴史をべるには、これ若干じゃっかんの代に分ち、各代をさら数多あまたの紀に分つて論ずるが、此紀このきと名づけるものは、決してみな同一の長さのものではなく、一と百、または一と千位の割合わりあいに長さのちがふものがあるかも知れぬ。しかし、いずれにしても一万年や十万年位の短いもので無かつたことは確である。西洋のこよみにはなお往々天地開闢てんちかいびゃく紀元六千何百何十年などと書き入れたものがあるが、今日の地質学上の知識ちしきもって見れば、実に滑稽こっけいきわみといはねばならぬ。地球の歴史は斯様かように長く、したがつて生物の歴史も同じく長い時を経て来たものであるが、生物種属の起源きげんなどを論ずるに当つては、此事このことは少時もわするべからざることである。

一 古生物学の不完全なこと


 化石は古代の生物の遺体いたいで、各地層かくちそうの出来るころに生活して居たものの化石が、其層そのそうの中にふくまれてある訳ゆえし昔住んでた動植物が総べて化石となつて、其儘そのまま完全に今日まで残つて居たと想像すれば、生物進化の径路けいろこれによつてあきらかに知れるはずであるが、実際じっさいには化石といふものは人の知るごとめずらしいもので、一つ発見してもただちこれ博物館はくぶつかん陳列ちんれつする位ゆえこれを今日まで長い間に地球上に生活して居た生物個体の数に比べれば、実に九牛の一毛きゅうぎゅうのいちもうにもおよばぬ程である。それゆえ、化石によつて生物進化の系図けいずを完全に知ることは素より望まれぬことである。
 先づ如何いかがなる動物が如何いかがなる場合に化石になつて後世まで残り得るかとたずぬるに、介殻かいがらとか骨骼こっかくとかのごとかたい部分のある動物でなければ化石となることはむづかしい。もっと海月くらげ完全かんぜんな化石が一つ発見になつたことはあるが、これは極めてまれなことゆえ、例外とせねばならぬ。また善く保存ほぞんせられるときには、微細びさいな点まで残るもので、魚類の化石の筋肉きんにくの処を少しき取り、これ砥石といしこすつて極薄ごくうすくし、顕微鏡けんびきょうで見ると、生の魚の筋肉にける通りに判然はんぜんと筋肉繊維せんい横紋おうもんまでが見えた例もあるが、通常は腐敗ふはいし易い体部は残らぬもので、貝類・海胆うに類ならば介殻かいがらばかり、えびかにの類ならばこうばかり、魚類・鳥類・獣類けものるい等ならばただ骨骼こっかくばかりが化石となつて残るものである。何処どこの博物館に行つて見ても、化石といへばみな斯様かような物だけにぎぬ。
 また如何いかかたい部分のある動物でも、死んでから風雨にさらされてはべてくだけて仕舞しまうて化石とはならぬ。介殻かいがらでも、骨骼こっかくでも、およそ動物身体の中で堅牢けんろうな部分は、大抵たいてい石灰質せっかいしつのもので、風雨にへば漸々だんだん白堊はくあごとくにもろくなるゆえ、細かいどろの中にもれでもせなければ、形をくずさずに化石になることは出来ぬ。しこうして細かいどろもれることは水の底に落ちなければほとんど無いことであるから、大体からいへば、動物は水中にしずんだものでなければ化石とはならぬ。所が、動物の生活の有様から考へて見ると、死体が水の底にしずんで、どろによつて全くめられるといふ機会きかいは決して沢山たくさんは無い。特に陸上りくじょうに住む鳥類などにいて論ずれば、いて死んでも、弱つて死んでも、およそ静な天然てんねんの死に様をしたものは、水の底に落つることが中々無いゆえみなくだけて仕舞しまうて化石とはならぬ。もっとも火山の灰にもれたり、沙漠さばく塵埃じんあいおおはれたりして、化石となつたものが無いではないが、これは極めてまれな場合ゆえ、陸上の動物は洪水こうずいでもあつて溺死できしした処へ、すみやかどろかぶさる様なことでもなければ、先づ化石となつて後世まで残る機会は無いというてよろしからう。それゆえ、実際生存して居た動物個体の何万分の一か何億分なんおくぶんの一かだけより化石とはならぬはずであるが、その化石を我々われわれが見出す機会がまたはなはまれである。
 近頃ちかごろ西洋諸国せいようしょこくもとより日本までに、政府せいふで立てた地質調査所ちしつちょうさしょなどがあり、化石の採集さいしゅ尽力じんりょくする人も中々多くなつて、古生物学はいちじるしく進歩したが、地球の表面全体に比べていへば、今までに化石をり出したところは、実に僅少きんしょうで、ただヨーロッパに若干じゃっかんとアメリカ・アジヤに数箇所すうかしょとあるだけで、一般いっぱんにはまだ全く手が着けてない。ほとんど広い座敷ざしき二三箇所にさんかしょはりの先でいた位により当らぬ。其上そのうえ、化石はみな不透明ふとうめいな岩石の中にかくれて居るゆえあみ鉄砲てっぽうを持つて昆虫こんちゅう・鳥類などを追ひまわすのとはちがひ、ねらふ目的が無いから、偶然ぐうぜんに発見するのを楽みに、ただ無暗に岩をつて見るより外に仕方が無い、仮令たとい表面からわずかに一(注:3mm)だけ内にかくれて居ても、外から少しも解らぬゆえ、容易に発見は出来ぬ。化石となつて残るものがすでに少い上に、これを調べた場所がまだきわめて少く、しかも発見するのは総べて偶然ぐうぜんであるから、今日知れてあるだけの化石の種類は実際過去に生存して居た生物の種類の数とはほとん比較ひかくにもならぬ程少いのは無論むろんのことである。もっとも今日西洋の博物館で化石の多く保存ほぞんしてある処に行つて見ると、その種類の多いのは実におどろくべき程で、みな集めて調べると、けもの類などは化石として知れて居る種類の数は、ほとんど現在生きて居る種類と同じ程もあり、貝類のごときは化石の種類の方がはるかに多いゆえこの有様を見ると過去の動物は最早十分に知れつくしてあるかのごとくに感ずるが、過去の時の長さを考へ、各時代にみな動物の種類の異なることを思ひ、かつ以上述べたごとき事情を考に入れると、此等これらは真に過去の動物界の極めて僅少きんしょうな一部分に過ぎぬことが解る。我国などでも、東京や横須賀よこすか辺から大きな象のほねり出されたり、美濃みのの国からは何とも知れぬ奇態きたいけもの頭骨ずこつが発見せられたことなどもあるから、過去かこには種々様々の動物がんで居たにちがひない。然るにけもの類の化石のり出されたことは極めてまれで、然もみな破片はへんばかりに過ぎず、鳥類にいたつてはまだ一つも化石の発見せられたことを聞かぬ。此等これらからしても、古生物学の材料の不完全なのを察することが出来る。

二 地層毎ちそうごとに化石の種類の異なること


 化石は生物の歴史の天然の記録ともいふべきものであるが、くのごとく極めて不完全な記録であるから、到底とうていこれつて生物の系統けいとうの全部を細かい点までのこらず知ることは出来ぬ。化石として出て来ぬ動物は、実際世の中に居なかつたかのごとくに考へ、今日知れて居る化石の種類だけを組み上げて動物の系図けいずを造らうとするのは素より大間違おおまちがひであるが、最も古い地層ちそうから最も新しい地層までの間の化石を時の順序じゅんじょに列べて比較ひかくして見ると、生物の進化し来つた大体の有様だけはほぼ察することが出来る。また近頃ちかごろは研究の方法が丁寧ていねいになり、同一の場所を十分精密せいみつに調べる様になつたゆえ、古い層から新しい層までの化石が余程よほど完全にそろうたものも出来て、今日では最早もはや若干の動物種属にいては先祖から子孫しそんまでの化石を列べて、その進化の径路を目前に示すことが出来る様になつた。もっとかる動物は現今げんこんの所ではまだはなはだ少数であるが、極めて不完全なるべき古生物学の材料ざいりょうの中に、仮令たとい少数なりとも斯様かようれいのあることは、生物進化の動かすべからざる証拠しょうこといはねばならぬ。
 先づ化石全体にいて論ずるに、化石をふくむ水成岩の起源きげんすでに前にも略述りゃくじゅつした通り、水の底に沈澱ちんでんして出来たものゆえ、必ず層をなして居て、毎層その出来た時がちがふものであるが、其中そのなかなる化石を調べると、一層毎いっそうごとに多少の相違そういがあつて、全く同じものは一つもない。それゆえ、地質学者は一層毎にある固有の化石を手掛てがかりとし、今日知れてある総べての水成岩すいせいがんその出来た時の順序にしたがうて重ね、水成岩の出来始めから今日にいたるまでの間を各層に相当する時代に分けて論ずるが、先づ全体を大別たいべつして始原代しげんだい太古代たいこだい中古代ちゅうこだい近古代きんこだいの四とし、さらに各代を若干のに分ける。此等これらの各時代に如何いかがなる動植物が生存して居たかをくわしく調べるのは、所謂いわゆる歴史的地質学の範囲はんい内で、これだけでも立派りっぱな一科であるから、こゝには素より一々述べることは出来ぬが、その大体をいへば始原代の層からは化石の出ることが極めて少い。太古代からは主として魚の化石が出る。もっとも、魚というても今日の魚とは全くちがふ。また植物では主として羊歯シダの類が出る。中古代からは主としてかえる蜥蜴とかげの類の化石が出るが、これも今日のものとは非常な相違そういである。しこうして植物は全く松柏しょうはくごと裸子類らしるいばかりである。近古代に至つて初めて鳥獣ちょうじゅう被子ひし植物の化石が沢山たくさんに出るが、これも大部分は今日のものとは全く別種べっしゅである。また斯様かように四代に分けるが、その長さは決して相均しいといふわけではない。仮に水成岩の各層の厚さは其層そのそうの出来た時の長さに比例するものと見做みなして計算しても、始原代はほとんど全体の六割程ろくわりほどめるに反し、太古代は三割弱、中古代は一割強、近古代はわずかに四十分の一に過ぎぬ。しこうして石器せっき砕片さいへんなどがあつて、人間の居たといふ証拠しょうこの確にあるのは、近古代の中でも最近さいきんの極めてうすい層だけである。
 さて以上の各地層から出た化石を見るに、現今のものと同種類の動物はわずかに近古代にいくらかあるだけで、中古以前いぜんにはほとんど一種もない。し生物種属が万世不変のものとしたならば太古代からも現今と同種類なものがいくつか発見せられさうなものであるが、実際一つも無いのは何故なぜであらうか。始原代からは一体に化石が余り出ないのであるから、今と同じ種類の動物の化石が出ないからというても別に不審ふしんはないが、次の太古代からは魚類の化石だけでも随分ずいぶん沢山たくさんに出で、すでに何百種も知れて居るにかかわらず、一として今日の種類は無い。今日生きて居る魚類は一万種以上もあるがこれみな天地開闢てんちかいびゃくの初めから別々に造られたものとしたならば、太古代から何百種も出た魚の化石の中に少しもじて出ぬといふことは、何とも解すべからざることである。魚類に限らず、総べて他の動物も此通このとおりであるが、現今の動物の中で、骨骼こっかく介殻かいがらを備へて最も化石になりやすさうなものだけを数へても、確に五万以上はあるにかかわらず現今の動物と同種の化石が出て来るのはわずかに水成岩全体のあつさの四十分の一に相当する近古代だけで、太古代からも中古代からも全く一種も出ぬことは、実に不思議といはねばならぬ。
 現今げんこん生きて居る動物と化石とをくらべると、右の通りであるが、各地層から出る化石をたがい比較ひかくしても、矢張やはり同様で、近古代から出る化石は中古代からも太古代からも出ず、また中古代から出る化石は太古代からは出ぬ。なお太古・中古・近古の各代を若干のに小分して見ても、二紀にいたつて同種の化石の出ることははなはだ少い。数紀に通じて同種の化石の出ることはほとん皆無かいむである。もっとも同属・同科に属する生物の化石は数紀あるいは数代から続いて居ることもあるが、種は総べて異なつて居る。
 また動物種属の断絶することを考へて見るに、近古代から化石となつて出て来る種類には、現今げんこんなお生存して居るものがいくらかあるが、その大部分はすでに死に絶えて仕舞しまうて、今日は無くなつた。中古・太古の動物にいたつては、一種として今日まで残つて生存せいぞんして居るものは無い。前にも述べた通り、我々われわれの目にれる化石は実際に過去に生存して居た種類総体に比べたならば、比較ひかくにもならぬ程少いものであるが、此等これらを想像して加へて見ると、一度世の中に生存して、後に死に絶えて無くなつた動物の種類の数は何百万あるか解らぬ。若し天地開闢てんちかいびゃくの時に若干の動物が造られ、其儘そのまま変化せずに代々くだつたものとすれば、斯様かような動物も今日なお生きて居る動物と共に其時そのとき造られたと考へねばならず、其後そのご一種が断絶するごとに世界の動物が一種づゝ減じて、終に今日の有様になつたわけに当るが、後の地層から出る種類の化石が決してそれより前の地層ちそうから出ぬといふ事実は、全くこの想像と衝突しょうとつする。
 かくごとく化石の種類は地層ごとに異なり、各々る時代の地層に限られて前にも後にも無いから、時の順序にしたがうて太古代の下の層から近古代の上の層までを表に造り、其中そのなかに化石の種類を各其時代そのじだいの処に書きんで、然る後にこれ通覧つうらんすると、あたかこうの種類の消えるころにはおつの種類が現れ、へいおとろへればていさかえるといふ様に、常に新陳代謝しんちんたいしゃして今日にいたつたごとくに感ずる。なおこれを属・科・もくこう等に分類して、似たものをつなぎ合せると、各こう・各目等にも盛衰せいすいのあつたことがあきらかに解る。例へば太古代の地層からは種々の化石が出るが、其中そのなか最も高等なものは魚類で、種類も極めて多くあつたらしい。魚類以上の身体を有する動物の化石が一つも出ぬ所から推察すいさつすると、其頃そのころ魚類の敵となるべきものはほとんど無い位で、魚類全盛の世であつたと思はれる。魚類はなお今日も沢山たくさんに生活して居ることゆえ、魚類といふこうは太古代から今日まで続いて居るが、さらこれを小分して、如何いかがなるもくの魚類が居たかと調べると、太古の魚類と今日の魚類とでは実に大きな相違そういがあり、太古の魚に似たものは今ではわずかに石狩川に産する蝶鮫ちょうざめ位で、今日さかん棲息せいそくするこいふなたいかつお等のごとき種類は太古には全く無かつた。また中古代の地層から出た化石でいちじるしいものは、両棲類りょうせいるい爬虫はちゅう類であるが、これも今日のかえる蜥蜴とかげとは種属が全くちがひ、いずれも大きなもので、くじらごとくに海中を泳ぐ類もあれば、鳥のごとくに空中を飛ぶものもあり、四足で陸上を歩くものもあれば、袋鼠ふくろねずみごとくに後足だけで立つものもあり、まだ鳥類・けもの類ともに出て来ぬ時ゆえ、陸でも、海でも、森でも、野でも、向ふ所敵なしといふ有様で、その盛であつたことは真に予想外である。分類上は単に爬虫はちゅう類・両棲類りょうせいるいといふが、く種類の多かつたことゆえ、一々調べて見ると、種々に性質の異なつたものがあり、海中を泳ぐ類では身体の形もほとんど魚類のごとく、四足ともにひれの形をなし、骨骼こっかくにも幾分いくぶんか魚に近い性質が現れて居るが、後足ばかりで立つ種類はみなくびが長く、くちばしやや突出つきだし、こしほねも余程鳥類に似た形状をていして、全体がすこぶる鳥らしくあるなど、今日のものに比べると、形状・構造ともにはるかに変化が多かつた。今日でも蜥蜴とかげかめかえるの類は相応に居るゆえ両棲類りょうせいるい爬虫はちゅう類の二綱にこうは共に中古代から引続いて居るにはちがひないが、その盛な時代は中古代と共に過ぎ去つて、今日では到底とうていその当時の面影おもかげは無い。次に近古代の化石は如何いかにと見るに、この時代から出る化石は主として鳥類・けもの類で、中にもけもの類の方は種類もはなはだ多く、非常に大きな形のものなどが居て、すこぶる盛であつたらしい。今日とちがひ、まだ人間の居ないころゆえ、陸上ではけもの類に敵するものは無く、空中では鳥類に敵するものはないから、両方とも十分に発達して、頭数も余程多く、何処どこにも沢山たくさんに居たものと見え、せまい処から随分ずいぶんおびただしく化石がり出された例がめずらしくない。る人がギリシヤ国のピケルミといふところで、はば六十歩、長さ三百歩に足らぬ処から、古代のぞうの類を二種、さいの類を二種、非常に大きないのししの類を一種、今のよりはさらに大きな駱駝らくだを一種、麒麟きりんを一種、さるを数種、獅子ししの類、いたちの類、羚羊レイヨウの類などを二十種ばかりと、他に名のけられぬ古代の怪獣かいじゅう沢山たくさん採集さいしゅしたことがあるが、これだけのけもの類が一箇所いっかしょに集まつて居る様なことは、今日は決して無い。其頃そのころ猛獣もうじゅうには短刀程のきばを持つたとらの類を始め、実におそろしいものが多数にあつた。また今日ではぞうが陸上動物の中の最大なものであるが、西洋の博物館に列べてある化石のけもの類には象より大きなものがいくらもある。前にも述べた通り、けもの類にめられぬ処では、近代まで非常に大きな鳥が住んで居た。此等これらから考へると、先づ鳥類・けもの類の全盛時代は人間の出来るまでの近古代であつたと見做みなさねばならぬ。くのごとく毎時代に盛な動物の種類がちがひ、あたか我国わがくにの歴史中に平家へいけ源氏げんじ北条ほうじょう足利あしかがなどが起つてはたおれたごとくに、動物界においても新しい類が出来れば、古い方がおとろへ、常に変遷へんせんして止む時は無いが、生物が進化するものならば、もとよりくあるべきはずである。これに反して生物を万世不変のものと見做みなすときは、こゝに述べたごとき事実は、少しも了解りょうかいすることが出来ぬ。

「第五十二図 中古代の海産蜥蜴」のキャプション付きの図
第五十二図 中古代の海産かいさん蜥蜴とかげ


三 鳥類の先祖


 現今の動物中で、分類上最も区域くいき判然はんぜんした部類ぶるいは何であるかといへば、おそらく鳥類であらう。身体の表面に羽毛をかぶり、前肢まえあしつばさの形をなしてるものは、鳥の外には無いから、る動物をとらへてこれは鳥であらうか、または鳥以外の動物であらうかといふうたがいの起ることはえて無い。しかし、これは現在の動物だけにいていうたことで、古い地層ちそうから出て来る化石までを勘定かんじょうに入れると、決してくのごとくは言はれぬ。中古代はわに蜥蜴とかげの類の最も盛な時代であつたことは、前にべたが、其頃そのころ蜥蜴とかげ類の中には上の図にげたごとくに、後足だけで立ち、こしほねなども余程よほど鳥類に近い類が沢山たくさんにあつて、これを列べて見ると、あたか蜥蜴とかげから漸々だんだん鳥類に変じ行く順路のごとくに思はれる。く進んでる処に達すれば、分類上、最早、蜥蜴とかげの類に入れることも出来ず、またあきらかに鳥類の方に編入へんにゅうすることも出来ぬ様なものになるはずであるが、こゝに図にげたのは、実際かる有様の動物で、丁度ちょうど蜥蜴とかげ類と鳥類との性質を半分づゝ備へて居る。この化石を研究した学者の中、る人はこれを鳥類に入れ、る人はこれ蜥蜴とかげ類に入れて議論も随分ずいぶんあつたが、議論ぎろんの一定せぬのは、まりこの動物が鳥と蜥蜴とかげとの中間に立つからであるゆえ、今日の所では、これを鳥類の出来始めと見做みなしてある。

「第五十三図 古代の蜥蜴類」のキャプション付きの図
第五十三図 古代の蜥蜴とかげ

 この化石のほぼ完全なものは現今げんこん二つより無い。羽毛一枚位は他の博物館で見たこともあるが、全形の解るものはロンドンとベルリンとの博物館に各一個づゝあるだけで、いずれも鄭重ていちょうに保存してある。両方ともに発見せられた処は、ドイツ聯邦れんぽうの一なるバイエルン国のソルンホーフェンというて、有名な石版石せきばんいしの出る村であるが、ここは奇態きたいに完全な化石の出るところで、海月くらげの化石などといふ実にめずらしい品もここから発見になつた。丁度ちょうどこゝにヘーベルラインといふ化石の好きな医者が住んで居て、常に面白い化石をり出すことを楽みにして居たが、こゝにべた化石の一を千八百六十一年に発見し、其後そのご十六年をぎて明治めいじ十年に至り、また他の一を発見した。ロンドンにあるは、その古い方で、頭の処が欠けて居るが、ベルリンにある新しい方は、ほとんど完備して、全部明瞭めいりょうに解る。この動物の形状けいじょうをいうて見れば、前の図に示した通りで、上下のあごは鳥のくちばしとは全くちがうて、細かい歯が列んで生え、前足からは立派りっぱな羽毛が生えて居るから、つばさと名づけて差支へはないが、指が三本もあつて各末端まったんつめを備へて居る。特に現今げんこんの鳥といちじるしくちがふ所はほねである。現今げんこんの鳥にも孔雀くじゃく・ヤマドリ等のごとの長いものはいくらもあるが、これみなの羽毛が長いばかりで、骨骼こっかくにして見れば、いずれもは極めて短い。然るにこの動物ではの骨が蜥蜴とかげねずみごとくに長く、脊椎せきついが二十個以上も連なつて中軸ちゅうじくをなし、その両側から羽毛が列んで生えて居る。一言でいへば、この動物は骨骼こっかくからいへば、其頃そのころ蜥蜴とかげ類のる種属とはなはだ似たもので、羽毛をかぶり・つばさを有するといふ点では確に鳥類の特徴とくちょうを具へたものである。

「第五十四図 最古の鳥」のキャプション付きの図
第五十四図 最古さいこの鳥

 この化石の出たのは中古代の半過ぎ頃なかばすぎころ地層ちそうからであるが、其後そのごの層からはいくらも古代の鳥の化石が発見になつた。順を正して此等これらの化石を列べて見ると、こゝにげたごとき鳥の出来始まりから、終に現今の鳥類になるまでの道筋みちすじが実にあきらかに解る。例へば古い層から出る鳥には、みな歯があつたもので、今日のごとくちばしを有するに至つたのは、比較的ひかくてき近いころからであるが、其他そのほか、構造上、鳥類に固有な点を調べて見ると、いずれもみな漸々だんだんに出来たもので、その始めにさかのぼると、次第々々に蜥蜴とかげ類において見るごとき形に帰する。解剖かいぼう上のくわしい比較ひかくりゃくするが、総べての点において進化の形迹けいせき歴然れきぜんと現れて居るから、此等これらの化石を列べて見て、なお生物の進化をみとめぬことは決して出来ぬことである。

「第五十五図 古代の鳥」のキャプション付きの図
第五十五図 古代の鳥

 くのごとく、此等これらの化石は生物進化の直接の証拠しょうこであるが、前に述べた化石の中の一個が発見せられたのはダーウィンの「種の起源しゅのきげん」の出版になつた翌々年よくよくねんであるゆえ、進化論の評判の高くなるやいなや、斯様かような直接の証拠しょうこの現れることはすこぶ不審いぶかしい、おそらくこれ偽物にせものであらうというて、信じない人もあつた。しかし、もとより正真の化石ゆえ、今は大切にして保存ほぞんしてあるが、これいて考ふべきことは、天然には分類の境界が無いといふことである。現今げんこん生存する動物だけの中にもはいで空気を呼吸こきゅうする魚類もあり、たまごを生む哺乳ほにゅう類もありなどして、各部類の特徴とくちょうを定め、其境界そのきょうかいを確めることは、決して容易でないが、化石を加へてろんずれば、分類上、判然して境界を定めることは決して出来ぬ。こゝに述べた一例だけにいて考へても、中古代から今日までの蜥蜴とかげの類と鳥類とを集めて見れば、其中そのなかには鳥類の性質を三分と蜥蜴とかげ類の性質を七分と備へたものもあれば、蜥蜴とかげ二分に鳥八分のものもあり、あるいは前にげたごとき鳥と蜥蜴とかげとの性質を五分づゝ合せたごときものもあるから、似たものを合せ、異なつたものをはなさうとすれば、何処どこさかいと定めてよろしいか解らず、ただ便宜上べんぎじょう勝手な処に定めるより外には仕方がない。その有様はあたかも山と山との境を定めるに当り、頂上ちょうじょうはなれてあきらかに二つあるが、裾野すそのたがいに連続して何処どこにも境が無いゆえよんどころなく便宜上べんぎじょうる処に定めるのと少しもちがはぬ。し土地がくだつて裾野すそのが海になつて仕舞しまうたならば、初め二つの山であつたところは二つの島となり、其境そのさかいは極めて判然はんぜんと見える様になるが、鳥類と蜥蜴とかげの類とが、今日判然と相はなれて居るのは、全くこれと同様で、中間に立つべき種類がみな死にえて仕舞しまうたのによることである。「天然は一足飛いっそくとびをなさず」といふ古いことわざがある通り、丁寧ていねいに調べて見ると、動物の分類には何処どこにも一足飛びにはなれたところは無い様で、以上と同じ例は他にも沢山たくさんあるが、く化石までを合せると、分類には何処どこにも判然した境がなく、自然しぜんに一の部類から他の部類へ移り行くもので、其間そのかんの一々の種属は各此かくこの地球の長い歴史の中のる一個の時代のみに限つて生存せいぞんして居たといふことは、生物は総べて共同の先祖から進化して樹枝状じゅしじょうに分かれくだつたものとすれば、素よりくあるべきであるが、生物種属がみな万世不変のものであると仮定かていすれば、決して有るべきはずのことでない。

四 馬の系図けいず


 馬の類は哺乳ほにゅう類中の最もまぎらはしくないもので、四足ともに大きなひづめを一つより持つて居ない類は決して外に無いゆえる動物にいてそれが馬であるやいなやといふ問題の起つたことは、これまでかってない。現今はく境界の判然と解つた類であるが、化石の方を調べて見ると、中々左様なものでなく、種々の形状けいじょうを有した馬があつて、中には他のけもの類と区別くべつの判然せぬ様な種属もある。べてけもの類の化石の出るのは、主として近古代からであるが、もっとも古いものはすでに中古代の前半から出て居る。もっと其頃そのころからの化石はただ歯だけが知れてあるくらいで、実際何様どのような形のものであつたか解らぬが、兎に角とにかくけものと名づくべきものが、其頃そのころすでに居たことはたしかである。これよりくだつて近古代となると、最早その初めから種々のけもの類の化石が出るが、其後そのご今日にいたるまでの化石を列べると、何種のけもの漸々だんだん進化し来つた形迹けいせきあきらかに見える。其中そのなかでも馬の類に至つては、その径路が完全に発見せられた。奇態きたいなことには、く馬類の進化の路筋みちすじ明瞭めいりょうに解る様に化石が完全にそろうて出たのは、アメリカである。アメリカには人の知るごとく、コロンブスがこれを発見したころには、馬は全くさんせず、今日無数に住んで居る馬は、みな新しくヨーロッパから輸入した馬の子孫である。しかるに近古代の終りに近いころまでは、余程よほど多く居たものと見えて、北アメリカからも南アメリカからも、数百の馬の化石がり出されたが、此等これらの化石を調べて見ると、実に明瞭めいりょうに馬の系図けいずが解る。
 近古代きんこだいは、通常、その最近の部だけを除き、残りを、上・中・下の三段に分ち、さらこれを細別するが、此等これらの各地層から出る馬の化石を比較ひかくして見るに、一層ごとに少しづゝ相違そういし、層が重なるに従ひ、相違そういも積り重なつて、終にはいちじるしく形状の異なつたものになつて仕舞しまふ。時の順序に従ひ、先づ最も古い下の層の化石から述べると、アメリカの近古代の下段からは、小犬位の大きさで、前足には指が四本(第五十六図、イ)、後足には指が三本より無いけものが出る。これだれが見てもほとんど馬とは見えぬが、実際は現今の馬の先祖で、これより各層を伝うてその子孫をさぐつて行くと、終に今日の馬までに達する。其途中そのとちゅうの数段を挙げて見れば、近古代の中段の下層に来ると、形はやや大きくなり、前足の指も三本となり、第四本目の指はわずか痕跡こんせきを留めるだけとなる(ロ)。他のけもの類と比較ひかくして見ると、此時このときにある三本の指はすなわち中指を中心として、人さし指と薬指とに相当するもので、前足で痕跡こんせきばかりとなつたのは小指である。中段の中頃なかごろまで来ると、体はさらに大きくなり、前足・後足ともに指は矢張り三本ではあるが前足の小指の痕跡こんせきほとんど無くなり、前後ともに中指のみが大きくなつて、他の二本はいちじるしく小くなる(ハ)。しかし、なお三本の指ともに地面にれたらしい。次に上段の下層まで進むと体は益々ますます大きく、ほとん驢馬ろばほどになり、形も余程馬らしくなる。足には前後ともに中指ばかりが発達し、その内外に位する二本の指は共に小くなつて、最早歩行のさいに地にれぬ様になる(ニ)。此頃このころの化石はヨーロッパからも出て居るが、最早だれが見ても確に馬の一種と思はれる。なお進んで上段の中程まで来れば、ほとんど今の馬の通りになつて、四足ともに中指一本となり大きなひづめただ一つだけより無くなるが、他の二本の指の痕跡こんせきは、現今の馬に比べると、なお数倍もいちじるしい(ホ)。現今の馬では此等これらの指の痕跡こんせきは極めて細く、短いものとなつて、ほとんど有るか無いか解らぬ程である(ヘ)。以上は単に身体の大きさと指の数だけにいていうたが、其他そのほか、頭骨、うでほねあしの骨などを見ても、これと同様な進化の有様があきらかに見える。特に歯を比較ひかくすると、人間のごと普通ふつうの歯から、今日の馬に見るごと特別とくべつに発達した歯に至る変化の順序が解つて、はなはだ面白いが、こゝにはりゃくする。斯様かような変化の順序は言語でいふよりも図で示した方が解り易いゆえさらに前足の指だけを示した簡単な図をげて置く。馬類の特徴とくちょうは、第一に四足の指の数であるが、時の進むにしたがひ、如何いかに指の数が漸々だんだん減じて今日の有様に達したかは、此図このずによつてあきらかに解るであらう。

「第五十六図 馬の前足の進化を示す」のキャプション付きの図
第五十六図 馬の前足の進化を示す


五 他の動物進化の実例


 高等の動物ではく完全に進化の径路の知れて居るのは、今の所でほとんど馬ばかりであるが、やや下等な動物には、進化の有様が望めるだけ完全に解つた例がいくつかある。特に淡水たんすいの池に住む貝類などは、代々の介殻かいがらが同じ池の底にどろと共にたまるから、底の土を上からつて行きさへすれば、今生きて居る子孫しそんから順を追うてその初めの先祖までの遺体いたいことごとく採集して調査ちょうさすることが出来る理窟りくつゆえ、生物進化の実際を見るには、最も都合のよろしい種類である。しこうして今日生物進化の事蹟じせきの最も完全に知れて居る例といふのは、多くは矢張やは此類このるいに属する。

「第五十七図 平巻貝の進化の例」のキャプション付きの図
第五十七図 平巻貝ひらまきがいの進化の例

 ドイツ国ヴィルテンベルヒのスタインハイムといふ村になり大きな湖水のあとがある。水は余程前にれて、今ではただの畑になつて居るが、其処そこの土中には、種々の介殻かいがら沢山たくさんにあり、特に平巻貝というて、日本でも、天水桶てんすいおけみぞなどの中に居る平らにいた黒い小い貝と同属の貝がおびただしくある。此処ここから出る貝類ばかりを特に調べた学者が二三人もあるが、深くるにしたがうて、貝の形が漸々だんだんに変じて行き、終には全く種のことなつたものかと思ふ程にはなはだしくちがふ様になる有様は、此人等このひとらの研究によつて明瞭めいりょうとなつた。此処ここげたのはく順を追うて変化して行く中から、若干じゃっかんだんを選んで取り出した標本の写生図であるが、これを見れば、文句もんくで長い記述きじゅつむよりも、はるか明瞭めいりょうわかるであらう。初めあたかも日本産のごと扁平へんぺいな形から、漸々だんだん巻き方が平でなくなつて、終にはほとん田螺たにしごとき形となり、さらなおするどとがつた介殻かいがらを有するに至つたのであるが、これは単に進化の中心系統けいとうの一部分だけで、なお此外このほかには多少途中とちゅうより横へ分かれて進化した側系そっけいともいふべきものがあるから、異なつたと思はれる形状を総べて勘定かんじょうして見ると、実におびただしい。それゆえこれ丁寧ていねいに調べず、ただ飛び/\に若干の介殻かいがらだけを拾うて見ると、余程沢山たくさんな種類があるごとくに感ずる。実際く完全に研究せられる前には、これを十四種にも区別してあつたが、真に無理もないことである。今ではこれを改め、総体そうたいを合して一種と見做みなし、「多くの形を有する平巻貝」といふ意味の学名がけてある。

「第五十八図 田螺の進化の例」のキャプション付きの図
第五十八図 田螺たにしの進化の例

 以上と全く同様な例はオーストリヤ領スラヴォニヤの近古代の湖水あとから出た田螺たにし介殻かいがらである。これも図をげればほとんど説明にもおよばぬ位であるが、初め介殻かいがらの円い日本産の円田螺たにしく似た形から、漸々だんだん変化して、螺旋状らせんじょう隆起りゅうきが出来、終には栄螺さざえごと突起とっきが生ずるまでの順序が明瞭めいりょうに解る。これも研究の行きとどかぬ前には、六種乃至ないし八種に分類してあつたが、今では総べてこれを合して、一種と見做みなすことに改めた。

「第五十九図 袖貝の進化の例」のキャプション付きの図
第五十九図 袖貝そでがいの進化の例

 北アメリカのフロリダに産する一種の袖貝そでがいいても、先年其系図そのけいずあきらかになつた。図にげたごとく、現今げんこん生存して居るものは介殻かいがらいた尖端せんたんところが短く、からの開く口のふちが余程開いて、幅広はばひろくなつてあるが、近古代の上段からは介殻かいがらはるかに細長く、口もさまでに広くない種類が出る。いちじるしく形がちがゆえ、前はこれを二種としてあつたが、化石を多く集めて丁寧ていねいに調べて見ると、後者はあきらかに前者の先祖で、其間そのかんには何処どこにも判然したさかいはなく、ただ時と共に漸々だんだん形状が変化して来ただけである。
 以上げた例は、いずれも各動物の進化の有様を明瞭めいりょうに示すもので、地層上から漸々だんだんつて行くにしたがひ、何時いつとなしに形状が変化して行く具合のあきらかに解る化石の標本が今では数箇所すうかしょ博物館はくぶつかん随分ずいぶん沢山たくさん陳列ちんれつしてあるが、これは動物が進化し来つたといふ事実其物そのものであるゆえこれいて議論ぎろんのあるべきはずはない。今日なお生物種属は総べて万世不変ばんせいふへんであると考へる人のあるのは、全くかる事実のあることを知らぬのに原因げんいんすることゆえこれに生物の進化することをみとめさせるには、ただ此処ここに挙げたごとき例を告げ知らせれば、それで十分なわけで、決して議論によつて、説の当否とうひを決するなどといふべき場合ではないのである。もっと斯様かように完全な例は、今日の所、まだ沢山たくさんには知られてないが、一方には少いながらもく完全に動物進化の直接ちょくせつの事実が知れてあり、また他の方には生物が進化し来つたものと見做みなさねば到底とうてい説明の出来ぬ様な事実すなわち生物進化の間接の証拠しょうこともいふべき事実が無数にある所を見れば、最早もはや生物種属せいぶつしゅぞくは総べて漸々だんだん進化するものであると断言だんげんする外には仕方が無い様である。

六 貝塚かいずかの貝


 我国には処々ところどころ貝塚かいずかというて、古代の人間が食用にした貝のから一箇所いっかしょおびただしくうずたかくなつて居る処がある。初めて発見になつたのは、東京と横浜よこはまとの間の大森で、鉄道に沿うた処であるが、其後そのご処々方々で、沢山たくさんに見出され、今では東京に近い処だけでも、何十箇所かしょと数へるに至つた。これを造つたのは、我々われわれ日本人種以前に此島このしまに住んで居た人間で、何時頃いつごろこれを造つたかは確には解らぬが、この人間と我々われわれの先祖である其頃そのころの日本人種とが物品を交易したらしい形迹けいせきもあるから、先づ二千年位も前のものと見て置けばよろしからう。さて此貝塚このかいずかには如何いかがなる貝があるかといへば、今日其辺そのへんの海岸に居るのと全く同種な貝類ばかりであるが、貝塚かいずかの貝と現今げんこんの貝とを比べて見ると、其間そのかんに多少の相違そういを発見する。貝塚かいずかから発見せられた貝の種類は何十種もあるが、其中そのなかから最も普通ふつうにある類を三四種だけ選んで比較ひかくして見るに、アカガヒに似てはるかに小く・からの表面のみぞの数のいちじるしく少いシヽガヒといふ貝があるが、今日海岸で採集さいしゅした標本ひょうほん貝塚かいずかからり出したものとを比べて見ると、からの表面にあるみぞの数が大分ちがひ、今日のものは、みぞが二十三か二十四位もあるが、貝塚かいずかのものには平均十八位よりない。またイセシロガヒというてはまぐりを円くした様な貝があるが、左右の介殻かいがらはばと長さとの割合わりあいはかつて表に造つて見ると、今日の方が貝塚かいずかころよりはいちじるしく長めになつて居る。また今日のバイと貝塚かいずかのバイとを列べて、両方の介殻かいがらいた尖端せんたんの角度を測つて見ると、今日の方がはるかするどくなつて居る。其他そのほかの貝類にもこれと同様な変化へんかを見るが、一々これを挙げることはりゃくする。
 くのごとわずかに二千年前に住んで居た貝類のからと今日のものと比較ひかくして見ても、すで其間そのかんに多少の相違そういみとめる。単に其相違そのそういばかりを見れば、素より些細ささい相違そういにはちがひないが、時の短さに比較ひかくして考へて見れば、随分ずいぶんいちじるしい変化というてもよろしからう。前にも述べた通り、地球の歴史に比べると、二千年位はほとん勘定かんじょうにも入らぬ程で、水成岩すいせいがんの出来始めから計算しても、今日までの時の長さは二千年の何万倍も何億倍なんおくばいもあつたらしいゆえ、若しわずかに二千年の間にすで尺度しゃくどもっ容易よういに測れる程の変化が起るものならば、全体においては如何いかがなる変化でも決して出来ぬことは無い。近来は此種このしゅの測定が精密せいみつになり、多数の材料にいて研究した結果、今日ではわずかに十年間に起つた変化までを数字で現すことが出来る例もある。イギリスのる処で築港ちっこうをした結果、其処そこに住むかにこうから生えた刺毛しもうの数がわずか二年ばかりの間に平均へいきんが減じたことなども測定と統計とうけいとによつて明瞭めいりょうとなつた。斯様かよう丁寧ていねいに測つて見ると、生物種属の形状が漸々だんだん変ずることは目前の事実で、ただ変化がおそいために特別とくべつに精密な方法によつて測定し、その結果を統計して見るだけのろうを取らねば、これを知ることが、むづかしいといふにぎぬ。
 本章にげたのは、みなる動物が同一の場所において、漸漸だんだん変化した例であるが、此外このほかに一地方から他の地方に移したために動物の漸々だんだん変化した例はすこぶる多い。ヨーロッパからボルト・サントーの島に移したうさぎが、すでに別種と見做みなすべき程に変化したこと、ブラジルからヨーロッパに移したモルモットは今はたがい交尾こうびせぬまでに相違そういするにいたつたことなどは、すでに前に述べたが、此等これら無論むろん動物の変化した実際の例としてぐべきものである。先年、浜螺はまにしといふ一種の貝をヨーロッパから北アメリカに移殖いしょくしたことがあるが、今日ヨーロッパ産のものとアメリカ産のものとを比較ひかくして見ると、其貝そのかいはばと長さとの割合がいちじるしく相違そういするに至つた。これも同様の例に属する。また人間の飼養しようする動物が、今日までにいちじるしく変化し来つたことも、素より生物進化の実際の例であるが、此等これらすでに述べたことであるゆえ、再び説くにはおよばぬ。くのごとく生物の形状が実際に変化し来つたことの、確に解つてある場合は、地質ちしつ学上の時代においてもまた歴史以後においても数多の例のあることゆえ、今日においては生物種属はべて万世不変のものであるといふ様な説は、最早ほとんど真面目になつてばくする程の価値かちも無いものである。


第十四章 生態学上の事実


 第九章より前章に至るまでの間に述べたことは、生物進化の証拠しょうこともいふべき事実並じじつならびに生物進化の実際の事蹟じせきとであるが、いずれも生物種属は永久えいきゅう不変のものではなく、漸々だんだん進化し来つたものであることを明瞭めいりょうにするだけで、生物の進化は何によつて起つたかといふ問題に関しては、以上の事実だけではまだ何等なんら手掛てがかりを得ることも出来ぬ。ダーウィンの自然淘汰とうた説によれば、生存競争の結果、代々少数の適者のみが生存せいぞんして、子を残すゆえこの自然の淘汰とうたによつて生物種属は漸々だんだん進化して行くといふのであるが、これは単に理窟りくつだけを考へても左様ありさうな上に、動物の生活状態を調べると、其証拠そのしょうこともいふべき事実がほとんど無限にある。これ逐一ちくいち述べると、そればかりでも一冊の大きな生態学せいたいがく書となる程ゆえ、こゝには単に其中そのなかから最もいちじるしいものを若干だけ選んで説明するに止めるが、此等これらを見れば、生物進化の原因は生存競争であることがあきらかに解る。もっとこれ以外に、生物進化の原動力は無いといふ証拠しょうこにはならぬが、兎に角とにかく、自然淘汰とうたが進化の主なる原因であつたことは十分に推察すいさつすることが出来る。それゆえ、本章において述べる所は、先づ自然淘汰とうた説の論拠ろんきょとも名づくべきものである。

一 野生動植物の通性


 野生動植物といへば、範囲はんいきわめて広いから、其中そのなかには如何いかがなる形状を有するものも、如何いかがなる生活をいとなむものもあるが、此等これら総べてに通じて見出すことの出来る点はただ一つある。それはすなわち各種属におい発達はったつせる構造・性質はことごとその持主である動植物に有用なものばかりで、一として他の動植物に都合よきために態々わざわざ存するものが無いといふことである。人間が長い間飼養しようした動植物では、各々人間に都合の好い性質が発達し、乳牛にゅうぎゅうは自分に不必要な多量の乳汁ちちじるを人間のために分泌ぶんぴつし、綿羊めんようは自分に不必要な多量の毛を人間のために生じ、八重桜やえざくら生殖せいしょくの役に立たぬ美麗びれいな花を人間のためにかせ、雲州蜜柑うんしゅうみかんは種子の無い果実を人間のためにじゅくさせるなど、一として人間のためならざるはない。これ人為じんい淘汰とうたにより代々人間に利益りえきある点を標準として選択せんたくした結果ゆえくあるべきが至当しとうであるが、さて野生の動植物は如何いかにと見るに、此方このほうではただ自然の淘汰とうたによつて進化するばかりゆえ、各種属のひいでた点は、ただ生存競争上その持主自身に取つて都合の好いもののみで、こうの動物のみに利益ある性質がおつの動物にそなはつてあるといふ様な場合は決してない。し一つでも確に斯様かような例があつたならば、自然淘汰とうたの説は全く取消さねばならぬ理窟りくつであるが、実際今日までかる例が一つとして発見せられぬ所を見れば、これだけでも、自然淘汰とうたの説は余程真らしく思はれる。
 生物の増加する割合わりあいを計算して見れば、実にさかんなもので、若し生まれた子が総べて生長し・生殖せいしょくしたならば、たちまち地球上には乗り切らぬ程になるわけであるが、食物其他そのほか需要じゅよう品には各々制限があるゆえ、同種内にも異種間いしゅかんにも常に劇烈げきれつな競争の絶えることはない。その次第はすでに第七章において述べたが、く競争が行はれて居る以上は、一の動物に有益な構造・性質は、これと利害の相反するてきに取つてはすこぶる不利であるは無論むろんのことで、例へばつるくちばしくびの長いのはつる自身が水中からえさを拾ふに当つては至極しごく便利であるが、食はれる泥鰌どじょうの方からいへば、これほど不利益なことはない。またこうとびの眼のするどいことは其鳶そのとび自身に取つては極めて有益であるが、同一の食物をさがしてこれと競争の位置に立つおつへい等のとびに取つては、決して有難ありがたくないことである。総べてこのごと理窟りくつで、生物の各種属・各個体にはみな自分だけの利益になり・多数の他の生物種属および個体の迷惑めいわくになる様な点が特に発達して居るが、生物はみな生存競争の結果、自然淘汰とうたによつて進化し来つたものとすれば、これは素より当然のことである。若しこれに反して、西洋諸国せいようしょこく従来じゅうらい言ひ伝へたごとくに天地創造てんちそうぞうの際に全智全能ぜんちぜんのうの神が動植物の各種を一々別に造つたものとしたならば、同一の手になつた製造品せいぞうひん各々おのおの相互そうご迷惑めいわくになる様な性質を備へて居ることは、何ともその意を解することが出来ぬ。実際じっさい生物界の有様を見るに、ねこの方にねずみとらへて食ふためのするどつめとがつた歯、さとい鼻などが、十分にそなはつてあれば、ねずみの方にはまたねことらへられぬために活溌かっぱつな足・するどい耳などが発達はったつしてあるゆえ如何いかねこでもなまけて居てはねずみ飽食ほうしょくすることは出来ぬ。また大に労力を費しても、ねずみが小いあなに入つて仕舞しまへば、これとらへることが出来ず、折角の骨折ほねおりも全く無益むえきに終ることもしばしばあるゆえねずみの運動・感覚かんかくの発達はねこに取つては此上このうえもない不利益である。これは最も卑近ひきんな例に過ぎぬが、およそ地球上にある生物の生活の有様は、総べてくの通りで、如何いかがなる種類を取つて見ても、みな他を殺すため、他に殺されぬため、他を食ふため、他に食はれぬための性質が発達し、其競争そのきょうそうによつて自然界の平均が暫時ざんじ保たれて居るのである。若しこれが同一の神の手によつて造られたものとしたならば、その神の所行しわざあたかも一方の動物にほこを授け・一方の動物にたてを授けて、これもったがいはげしく相戦へと命じたと同様な訳に当り、従来じゅうらい詩人などのしばしば歌うた自然の調和といふものは、ほこするどさとたてかたさとが相匹敵あいひってきしたために、暫時ざんじ勝負のかぬ其間そのかんにらみ合ひの有様を指すことになる。著者ちょしゃが、る時、東京の基督キリスト教会の説教せっきょうを聞きに行つたときに、「エホバの智慧ちえ」とかいふ題で、牧師ぼくしが種々の動物のことにいて述べた中に、「ねこひげは左右合はせると丁度ちょうど身体のはばだけあるゆえねずみを追うてせまい処にむとき、これによつて自分の身体が其処そこに入るかいなかをただちに知ることが出来る。これねこに取つてはきわめて便利なことで、若しこれが無かつたならばせまい処に知らずに飛びんではさまつて仕舞しまはずであるが、ひげがあるゆえ其様そのような心配もなくねずみとらへることが出来る」とか、「さめの口は頭の尖端せんたんにはなく、頭の腹面はらめんにあるゆえ、人の泳いで居るのを食ふには、先づ腹を上へ向けるために体を転じなければならぬが、其隙そのすきに人間がげることが出来る」とかいうて、これもととして、神はごと智慧ちえ慈悲じひとにんであらせられるとの結論におよんだが、事実の真偽はさておき、し神がねこに都合よき性質をあたへたとしたならば、ねずみに取つてはこれほど迷惑めいわくなことは無い。またさめの方も其通そのとおりで、えさを食ふに当り、一々体を転じなければならず、其間そのかんえさげて仕舞しまふ様な仕掛しかけに造られては、さめは、そのため往々餓死がしすることなどもあつて、定めて神をうらんで居るであらう。此等これらは素より強ひてばくすべき程のことでもないが、これは少数の事実を取つてその半面だけを見ると、あるいかる考が起らぬとも限らぬゆえ、例に挙げたに過ぎぬ。
 前にも述べた通り、野生の動植物は如何いかがなる種類を取つて見ても、生存競争の際に、その持主に都合の好い構造・性質が発達して居るものであるが、その有様は本章においこれより説くごとく、実に人工の到底とうていおよばぬ程の巧妙こうみょうなものが沢山たくさんにあり、また全く意表に出た面白い仕組のものも種々ある。それゆえただこれだけを見ると、全智全能ぜんちぜんのうの神でも造つたのであらうといふ考が起るかも知れぬが、その動物と利害の相反する敵である動物の側から見ると、かる構造・性質が巧妙こうみょうに出来て居るだけ益々ますます不利益なものゆえあれこれとを合はせ考へれば、同一の意志にしたがひ、同一の手によつて両方が造られたとは如何いかにしても信ぜられぬ。また他の動植物の利益りえきになるばかりで、その持主には何の役にも立たぬ様な構造・性質は今日まで一も例が無いというたが、一種いっしゅの動植物の有する性質を他の種類が利用することはもとより有るべきことで、例へば海岸に沢山たくさん住んで居る寄居蟹やどかりは巻貝類のいたからを拾ひ、これもって体の後部を保護して居る。しか介殻かいがらは貝類の生活上最も必要なもので、ただその不用にしててられたものを寄居蟹やどかりが拾うて利用するに過ぎぬから、ごとき例は自然淘汰とうたの反対の証拠しょうことはならぬ。若し介殻かいがらこれを生ずる貝類には何の役にも立たず、ただ後に寄居蟹やどかりに便利をあたへることを目的として出来たものならば、これは自然淘汰とうた説の予期する所と正反対な事実であるゆえ仮令たとい、一つでも斯様かような例が発見せられたならば、自然淘汰とうた説は全く其根柢そのこんていうしなうたと論じてよろしい。
 また生存競争といふことがある以上は、生物各種属がみな自己じこの生存のためにつとめて居る働きが、偶然ぐうぜん他の種属に利益をあたへることは無論あるべきはずである。何故なぜといふに一種の動物があれば必ず其敵そのてきがあり、敵である動物にもまた其敵そのてきがあつて、順次其先そのさきの相手があるゆえ、一種の動物をめることは、すなわその動物と利害の相反あいはんする敵を助けることに当り、一種の動物を助けることは、すなわ其敵そのてきである動物をめることに当るから、若し今こうなる動物が、生存せいぞんの必要上常におつなる動物をさがして食ふ場合には、おつの敵である動物、おつの敵の敵の敵である動物は、自然にこうのために利益を得ることになる。一例いちれいげていへば、えんの下のごとき雨のらぬかわいた地面には、摺鉢形すりばちがたの小なあないくつもあるが、其底そのそこる虫の幼虫ようちゅうかくれて居て、ありが来ると、とらへて食はうと待ちかまへて居る。穴が摺鉢形すりばちがたゆえ此処ここに来たありみな底へ落ちてたちまち食はれるにまつて居るから、ぞくこれを「蟻地獄ありじごく」と名づけるが、'鶏'にわとりは地面の虫をさがして歩くものゆえ蟻地獄ありじごくの虫を見付みつければ容赦ようしゃなくこれつついて食うて仕舞しまふ。'鶏'にわとりには素よりありを助ける心は無いが、ただえさとする虫が丁度ちょうどありの敵に当るゆえ、結果からいへばありに大きな利益をあたへることになる。通常我々われわれ益鳥えきちょうとか益虫とか名づけるものは、みなこの理で我々われわれ偶然ぐうぜん利益をおよぼすものである。
 自然界において、一種の動物が他の種属に利益をあたへる場合は、総べてくのごとき次第で、他に利益をあたへることは、何時いつ偶然ぐうぜんの結果に過ぎぬ。益鳥と名づけ、益虫と名づけるのも、単に我々われわれに対する利害を標準として、結果から打算ださんしたものゆえし標準とする所が変ずれば、今日の益虫も明日は害虫と名づけられるに至るかも知れぬ。芋虫いもむし・毛虫の類は我々われわれ培養ばいようする野菜に大害をおよぼすゆえ、今日は害虫と名づけられ、これたまごなどを産みけて殺す寄生はち類は益虫としょうせられて居るが、万一、芋虫いもむし・毛虫等の利用の道が開け、野菜やさいよりも芋虫いもむしの方が価がたかくなる様なことでもあらば、今日の害虫はたちまち明日の益虫と変じ、今日益虫とばれる寄生はち類はたちまち害虫の部に編入へんにゅうせられて仕舞しまふ。現にかいこごときはくわに取つては此上このうえもない大害虫であるが、人間から見れば、その産物である絹糸きぬいとくわよりも数十倍も価がたかゆえ、一種の芋虫いもむしでありながら、日本第一の益虫としょうせられて居る。まる所、益鳥も益虫も其時々そのときどきの標準により、其時々そのときどきの結果からける名で、決して最初から、如何いかがなる事情の下においても必ず人間に利益をあたへるといふ様な性質を備へて居る次第しだいではない。それゆえ態々わざわざ人間のためにつくられたものであるといふ様な説は到底とうてい信ぜられぬ。益鳥・益虫にかぎらず、し地球上に他の種属に利益をあたへるためにのみ生存して居る野生動物が、仮令たとい一種でもあつたならば、自然淘汰とうたの説は全くつぶれる道理であるが、斯様かような例は今日まで一も発見になつたこともなく、なお此後このあと発見せらるべき望もない。

二 攻撃こうげき器官きかん


 くのごとく、地球上に生存せいぞんする動物は、各々自分だけの利益を計つて、常に相互そうごはげしく競争をなし居るものゆえこの生存競争場裡じょうりに立つて、敵にもころされず、同僚どうりょうにも負けぬだけの構造こうぞう性質せいしつの備はつたものでなければ、此世このよの中には生活は出来ぬ。この構造・性質にいささかでも不足した処があれば、たちまち敵に殺され、同僚どうりょうに負かされるから、素より、生活の出来る理窟りくつが無い。それゆえ如何いかがなる動物を取つても、敵を防禦ぼうぎょし・えさ攻撃こうげきする仕掛しかけは十分に発達して居るが、動物各種の生活の状態じょうたいの異なるにしたがひ、防禦ぼうぎょ攻撃こうげき装置そうちいちじるしく相違そういして、実に千態万状せんたいばんじょうといふべき有様である。
 へび類は自身の直径ちょっけいの数倍もある大きなえさめて、これ丸呑まるのみにするものであるが、其口そのくちの構造を調べて見ると、全くこの攻撃こうげき法にてきして、各部の巧妙こうみょうに出来て居る具合は、実に感服せざるをぬ。先づ他の動物の口と比較ひかくしてべて見るに、我々われわれの口では上顎うわあごは左右二つのほねからり立つて居るが、其間そのかん縫合ほうごうによつて結び付いて居るゆえ、運動するに当つては、一個の骨も同様である。また下顎したあごの骨は元来ただ一個より無い。この上下の顎骨あごほねが耳のあなの前の処でたがいに関節して居るだけゆえ我々われわれ如何いかに大きく口を開いても、一定のせま制限せいげんえることは出来ぬ。しかるにへびの方では、大いにこれちがひ、上顎うわあごも少しづゝ左右へ動くが、下顎したあごの方は左右両半が全く相はなれ、其間そのかんただゴムのごと弾力性だんりょくせいを有する靭帯じんたいつながれて居るゆえ随分ずいぶん広く左右へ開くことが出来る。また上顎うわあご下顎したあごとは直接に関節せず、其間そのかんには左右ともに一本づゝの棒のごとき骨があり、其骨そのほね後端こうたん下顎骨したあごほね後端こうたんとが関節して、何の骨もみなたがいに極めてゆるく結び付いて居るゆえへびの口はほとんいくらでも広く開くことが出来る。我我は口の大きさに応じて食物を切つて食ふが、へびは食物の大きさに応じて口を開くというてもよろしい。また大きなものを食ふには、単に口が大きく開くだけでは十分でない。糸で大きなもち天井てんじょうからつるして、手なしにこれを食はうとすると、口ですだけ餅がげるゆえ中々なかなか容易には食へぬ。また池のこいかめあたへても、此方こちらすだけは先へ流れて行くゆえつい石垣いしかきのある処までして行き、其処そこで初めてこれを食ふことが出来るが、此等これらを見ても解る通り、手なしに大きなものを食ふことは、困難こんなんなものである。所が、へびは手のないにかかわらず、自身の直径の数倍もあるものを食ふのであるから、普通ふつうの食ひ様では到底とうてい出来ぬ。そのためには必ず特別とくべつ装置そうちが無ければならぬ。すなわへびの口には上顎うわあごにも下顎したあごにも尖端せんたんの後へ向いた・細かい歯が沢山たくさんに生えてあつて、あごの間にはさまれたものは口のおくへ向うてはかつに進めるが、その反対の方向に口の外へ出やうとすれば、歯に止められて動くことが出来ぬ。其上そのうえ下顎したあごの左右両半はかわる交る前後に動き、前へ出るときは食物の表面をただかつに進むが、後へ退しりぞくときは細い歯が食物に引つゆえ、食物を口のおくへ引きむ様になる。我々われわれの歯は咀嚼そしゃく器官きかんであるが、へびの歯は全くただ食物を引つけて引き入れるための器官きかんぎぬ。それゆえ、左の下顎したあごで先づ食物を一分引き入れ、次に右の下顎したあごまた一分引き入れるといふ様な具合にして、如何いかに大きな食物でも漸々だんだんんで仕舞しまふが、その有様はあたか我々われわれが左右の両手を用ゐて、つななどを手繰たぐるのと同様である。斯様かよう装置そうちは、動物界に他に類を見ぬ位の特殊とくしゅのものであるが、この装置のあるために、へびは何でも容易にむことが出来る。へびに取つては極めて都合つごうよろしいものであるが、へびえさとなる蛙等かえるなどから考へれば、実に何とも言はれぬ程、不仕合ふしあわせな次第である。
 青大将あおだいしょう・山カヾシなどのごと普通ふつうへびでは、右に述べただけであるが、まむし・ハブ等のごと毒蛇どくじゃには、なお其上そのうえに頭の両側に毒液どくえき分泌ぶんぴつするせんがあり、上顎うわあご前端ぜんたんには一対のきばがあつて、えさとする動物を見つけると、先づ口を開き、きばを立て、これもっえさを打つて殺し、しかる後にこれんで仕舞しまふ。へびの毒は極めて劇烈げきれつなもので、ねずみ位の小いけものであると、一回打たれると、ただちに体の一部が麻痺まひし、続いて全身が動かなくなる。きば管状かんじょうをなし、尖端せんたんに細いあながあつて、打つと同時に傷口きずぐちに毒液を注ぎ入れるのであるから、医者の用ゐる皮下注射ひかちゅうしゃの器械と理窟りくつは少しもちがはぬが、きばを差しんで、毒液どくえきを注射し、きばくまでの働きが極めてすみやかで、手をつだけ程の時もらぬ位である。此位このくらい完備かんびした攻撃こうげきの器械は、他に類が無いというてよろしからうが、決してこれは必要以上に精巧せいこうなといふわけではない。毒蛇どくじゃこれだけの装置が備はつてあるので、わずかに種属を維持いじして行くことが出来るのである。
 へび類は極めて大きな動物を一個づゝ丸呑まるのみにするが、くじらごときはこれに反し、極めて小なえさを同時に無数むすう丸呑まるのみにする。それゆえ、口の構造もへび類とは正反対で、単に大きなふるいあるい味噌漉みそこしのごと仕掛しかけを有し、えさを海水にじたままで、多量に口に入れ、水は外へこぼし、えさだけを咽喉いんこうの方へむが、これには素より適当てきとうな装置を要する。総べてくじら類は頭の大きなもので、種類によつては頭が全身の三分の一以上もあるが、く頭の大きいのは、全く口が大きいからである。先年東京でくじらせ物の有つたとき、其口そのくちを開いて中に一般いっぱん小舟こぶねが入れてあつたが、これによつても口の大きさが想像そうぞう出来る。この大きな口に海水とえさと混じたものを入れるのであるが、くじらえさとなる動物は、わずかに長さが一寸(注:3cm)か二寸(注:6cm)に過ぎぬ位のもので、その居る処には、常に無数に群をなして生活するものゆえ其処そこへ行つてくじらが口を開けば、一回ごとに何万入るか、何十万入るか解らぬ。さてくじらの口の構造こうぞうを調べて見るに、上下ともにあごには歯は無いが、上顎うわあごの左右両側りょうがわには数百枚すうひゃくまいづゝも所謂いわゆるくじらひげがある。ひげは長い三角形で、尖端せんたんを下にし、前後に相重なつて、あたかくしの歯のごとくに列んで居るゆえくじらが口を開いて、えさと海水とを其中そのなかに入れ、次に口をぢて、舌を上へせば、海水はひげの間をれて口の外へ流れ出し、固形体であるえさばかりが口の中にのこつて、みな一度に丸呑まるのみにせられて仕舞しまふ。くじら現今げんこん生活する動物中のもっとも大きなもので、その最も大きな種類は身体の長さが十五間(注:27m)以上もある。九州辺で毎年取れるものは余り大きな種類ではないが、それでも平均一疋いっぴきに付き肉が四万斤よんまんきん(注:24トン)位はある。四万斤の肉は若し一日に一斤(注:600g)づゝ食ふとすれば、百二三十年もかゝらねば食ひつくせぬ勘定かんじょうであるが、くじらく身体の大きなものゆえしたがつて多量の食物を食はなければ生きては居られぬ。所が、くじらえさとなる動物は、わずかに一寸(注:3cm)か二寸(注:6cm)に足らぬ位な小なものゆえこれ一疋いっぴきづつとらへて食ふ様なことでは、到底とうてい間に合はぬ。普通ふつうの動物のえさの食ひ方は、これを商売にたとえへると、あたかも小売のごときものであるが、くじらのは全く卸売おろしうりに比すべき食ひ方である。くじら此様このような食ひ方をなすべき特別とくべつ装置そうちが備はつてあるゆえ、生活が出来るので、くじらに取つてはこの装置は一日も欠くべからざるものであるが、そのためくじらはらほうむられて日々命を落す動物の数は何万あるか、何億なんおくあるか解らぬ。
 以上は動物のえさを食ひ・敵を攻撃こうげきする器官きかん千態万状せんたいばんじょうである中から、最も相異なつた例を選み出しただけであるが、其他そのほか如何いかがなる動物を調べても、此種このしゅの装置の備はつてないものは無い。他の例をなお一二挙げて見るに、啄木鳥きつつき樹木じゅもくみきの中にかくれて居る虫類を食物とするが、その身体をけんすると、頭からはしまで、かる虫をとらへるために最も都合の構造こうぞうが備はつてある。先づくちばしきりごと真直まっすぐで、はなはするどいから、の幹にあな穿うがつには最も適して居る。したは非常に長く、先端せんたんとがり、ぎゃくに向いた小なかぎいくつもいてあるから、これあなおくに居る虫をして、舌を引きませば、虫は必ず口の中に入る様になつて居る。べて鳥類の舌には舌骨ぜっこつじくをなして居るが、啄木鳥きつつきでは舌を遠くまで出し得るために、舌骨もはなはだ長い。それゆえ、舌を引きめて居るときには、舌骨の後端こうたんは頭の後から上へ曲つて、頭の上面をぎ、鼻のへんまで達して、あたかも車井戸いど釣瓶繩つるべなわが車をめぐごとくに頭の周囲を一周いっしゅうして居る。る種類ではこれでもなお足らぬため、舌骨ぜっこつ後端こうたんは前を向いて、上嘴うわくちばしの中までも入るが、斯様かような性質は決して他鳥では見ることは出来ぬ。また足のあしは四本ある中、二本は前を向き、二本は後を向いて居るゆえの皮の凸凹でこぼこつめけて身を支へるに都合が好い。しかし、他の鳥と著しく異なつて見える処はである。鳥類のの羽毛は通常はなはやわらかいものであるが、啄木鳥きつつきではすこぶかたくて、かつ先端せんたんはりごとくにとがつて居る。此鳥このとりが虫をとらへるために樹にあな穿うがつには、直立した樹のみきつめばかりでつかいて、長い間はたらかねばならぬが、其際そのさいを幹に当て、これもって身体の重さを支へれば、大に筋肉きんにく疲労ひろうを省くことが出来る。実際啄木鳥きつつきこの目的に用ゐ、あたか椅子いすこしけたごと姿勢しせいを取つて、あな穿うがつて居るが、そのためにはの羽毛のかたくてはしとがつて居るのは、此上このうえない適当な装置である。くのごと此鳥このとりの身体は頭からまで、総べて其習性そのしゅうせいに適した構造を備へて居るが、これ此鳥このとりに取つては無論極めて都合が好い。しかし、あな穿うがたれる樹木じゅもく其中そのなかに住んで居る虫の方から考へれば、迷惑めいわく至極しごくな次第である。また夜鷹よたかといふ鳥は夜飛びまわつてを食うて生きて居るが、其嘴そのくちばしはなはだ小いゆえ、口をぢて居る所を見ると、口が余程小ささうに思はれる。所が、口を開けばその大きなこと実におどろくべき程で、ほとんど頭部全体が口となつて仕舞しまふ。此鳥このとりとらへるときの様子を見るに、口を開いたままで、沢山たくさん群がり集まつて居る中を飛んで通りけ、あたかあみで魚をすくごとくにすくうて食ふのであるが、かる方法でえさを集めるには、無論むろん口の大きい程、功能が多い。しこうしてえさ一疋いっぴきづゝついばむ訳でないから、くちばしほとんど有つても無くても同じ位である。斯様かよう此鳥このとりの身体も真に其習性そのしゅうせいに応じた構造を備へて居るが、そのため一方では此鳥このとり生存せいぞんすることが出来ると同時に、他の方では無数のが絶えず命を落して居る。此鳥このとりには蚊母鳥ぶんぼちょうといふ漢名がいて居るが、一声鳴くごと千疋せんびきづゝくとの言ひ伝へのあるのは、おそらく大きな口を開いて、の群をつらぬき飛ぶ所を見て考へあやまつたのであらう。
 くのごとく、如何いかがなる動物にも攻撃こうげきの装置は備はつて居るが、えさの種類のことなるにしたがひ、いちじるしく目立つものと、目立たぬものとが素よりある。比較的ひかくてき大形の物をとらへて食ふ種類では、えさとなるものの抵抗ていこうに打ち勝つべき道具が入用ゆえつめきば等のごとき、一見してあきらか攻撃こうげき器官きかんと思はれるものが大に発達して居るが、げもせず・抵抗ていこうもせぬ植物を食ふ種類では、斯様かような武器は全く発達せぬ。それゆえ此等これらきわめて平和的の動物のごとくに見えるが、牛馬の前歯・奥歯おくばでも、蝸牛かたつむりの舌でも、いなごあごでも、浮塵子うんかくちさきでも植物を攻撃こうげきするに当つてはいずれもすこぶる有力な武器である。また蜘蛛くもあみごときは敵をほろぼす装置そうちちがひないが、進んでめるのでなく、留まつて待つ方ゆえ我々われわれは余り攻撃こうげきの武器らしく感ぜぬ。しかし、いずれにしても、此等これらの装置は、これを有する動物の生活上最も必要なもので、相互そうごに競争する場合には、先づこの器官きかんの完備したものが勝をめ易い訳ゆえおよそる動物が今日生存して居る以上は、えさめてこれを食ふだけの装置がこれに備はつてあることは当然であるが、えさとなる動植物あるいは競争の相手となる動物の側から見れば、この装置の発達ほど迷惑めいわくなことは他に無い。く自身の生存上にのみ有益で、他の多数の生物に迷惑めいわく器官きかんいずれの動物にも発達して居ることは、生物各種は生存競争の結果、自然の淘汰とうたを経て漸々だんだん進化し来つたとすれば、必然の現象と思はれるが、自然淘汰とうた度外視どがいししてはほとんこれを説明することが出来ぬ。

三 防禦ぼうぎょ器官きかん


 める方の動物に攻撃こうげき器官きかんが発達して、められる方の動物に防禦ぼうぎょの装置が無かつたならば、められる動物はたちまほろぼされて、種属が断絶だんぜつして仕舞しまはずである。今日双方そうほうともに相対して生存して居るのは、全く一方に防禦ぼうぎょ仕掛しかけが発達して、容易にはつくされぬからであるが、動物界を見渡みわたすと其手段そのしゅだんの種々様々なことは、到底とうてい枚挙まいきょすることは出来ぬ。
 総べて攻撃こうげきの器械はまた防禦ぼうぎょのためにも用ゐられるもので、同じけん・同じじゅうもっ攻撃こうげきも出来、防禦ぼうぎょも出来るごとく、きばつめいずれの役にも立つ。・鼻・耳のごと感覚器官かんかくきかんも、足・つばさひれごと運動器官うんどうきかんも、全く其通そのとおりで、臨機応変りんきおうへんに両様に用ゐられるが、人間日々の行為こういから考へて見ると、人間の智力ちりょくごときも、ただ敵をめ、おのれをまもるための道具に過ぎぬ。
 鹿しかうさぎ等のごと草食獣そうしょくじゅうの足の速いのは、全く防禦ぼうぎょのためばかりである。山にりょうに行つても、海にりょうに行つても、一旦いったん見付けた動物が我々われわれの手に入らぬのは、何時いつでも必ずげられるからである所を見れば、敵にまさつた速力を有することは、防禦ぼうぎょ手段しゅだん中実に第一等に位し、三十六計これごとくものは到底とうてい無い。しこうしてすみやかに運動するには、が余程発達せなければならず、敵の近づくのを未然みぜんに知るには、鼻も耳もするどくなければならぬ。盲人もうじん如何いかに足が達者たっしゃでも、目明きのごとく走ることが出来ぬ通り、いくら運動の器官きかんばかりが完全に出来ても、感覚かんかく器官きかんこれともなうて発達せなければ、速な運動は出来るものでない。動物中で最も運動の速な鳥類は、また眼のするどいことにおいても一番であるのは、其証拠そのしょうこである。されば、鹿しかうさぎ等の感覚器官きかん逃走とうそうに必要なものゆえ矢張やは防禦ぼうぎょ器官きかん見做みなさねばならぬが、すこぶる発達して容易に敵を近くへ寄せけぬことは、銃猟者じゅうりょうしゃの常に熟知じゅくちする所である。此等これらの動物をとらへて食ふ動物は、なお迅速じんそくな運動の力を有し、なお一層いっそう鋭敏えいびんな感覚器官を備へなければ、容易にこれることは出来ぬ。
 かくれるのも敵の攻撃こうげき範囲外はんいがいに出ることゆえ逃走とうそうの一種と見做みなしてもよろしい。烏賊いかの類は、敵の攻撃こうげきへば、先づ墨汁ぼくじゅういて、海水の中に黒雲をつくり、自分の身体が敵に見えぬおりを利用して、遠く意外の方向へげて仕舞しまふが、これなどは、隠遁法いんとんほうの最も人に知られた例である。
 逃亡とうぼうによらず、敵の攻撃こうげきに対して身を護る手段しゅだんの中で、最も普通ふつうなのは、堅牢けんろう甲冑かっちゅうむることである。えびかにこうかめこうなども此例このれいであるが、最も堅固けんごなのはおそらく貝類のからであらう。はまぐり・アサリ等でも、からが相応にあついが、熱帯地方ねったいちほうの海に産するシャコといふ大貝のごときは、からだけの重さが四五十貫目かんめ(注:150Kgから188Kg)もある。斯様かようからを有する動物は危険きけんおそれの有るときは、単にからぢさへすれば、最早少しも心配は無い。はまぐり位でもからを閉ぢて居れば、これ攻撃こうげきし得る動物は比較ひかく的に少い。しかし、重い甲冑かっちゅうと速い運動とは到底とうてい両立せぬ性質のものゆえ堅固けんごに身をよそうた動物は、運動の方はいきおはなはおそからざるを得ぬ。かめ何時いつも運動のおそい例に引き出されるが、貝類にいたつては、そのおそいことかめの数倍で、中には牡蠣かきごとく全く移動の力の無い種類もある。それゆえからを破る装置そうちを備へて貝類を専門せんもん攻撃こうげきする動物にうては、到底とうていかなはぬ。例へば猫鮫ねこさめの類は、うすごとき歯が丈夫じょうぶに発達して、如何いかがなる貝でも、からままくだいて食うて仕舞しまふ。一名これを「栄螺割さざえわり」と名づけるのはかる性質より起つたことであらう。またツメタ貝は口の直後に、他の介殻かいがら石灰質せっかいしつかしてあな穿うがつための特別とくべつ器官きかんがあり、これを用ゐてたくみはまぐりからなどにあなをあけ、中の肉を食ふ。海岸に落ちて居る介殻かいがらを拾うて見ると、とがつたところに近く小な円いあなのあるのを、沢山たくさんに見出すが、これはツメタ貝の造つたあなである。一方の動物に如何いか防禦ぼうぎょ装置そうちが発達しても、またこれを破るべき器官きかんが他の動物の身体にそんする具合は、あたか錠前じょうまえ如何いか改良かいりょうせられ・進歩しても、これと同時に、盗賊とうぞくの方では、またこれを開くべき合ひかぎ工夫くふうして造るのと同様である。
 はりねずみ豪猪やまあらし海胆うに等には全身の表面からとげが生えてあるが、これも有力な防禦ぼうぎょ器官きかんである。此等これらの動物がとげを立てればほとん何処どこからもれることが出来ぬゆえこれおかす敵は容易に無い。またいたちごときは危険きけんへば極めてしき臭気しゅうきを発して敵を避易へきえきせしむるが、此類このるいで最もはげしいのは北アメリカ産のスカンクといふけものである。矢張りいたちの一種であるが、この動物の発した臭気しゅうきれると、犬などはほとん気絶きぜつして仕舞しまふ。其他そのほかる類の昆虫こんちゅうは味のはなはだ悪いために如何いかがなる鳥類もこれけて食はぬ。また蟇蛙ひきがえるは運動のおそい代りに、皮膚ひふ毒液どくえき分泌ぶんぴつするせんがあるゆえ、犬もこれに食ひ付くことが出来ぬ。また其卵そのたまごは多量の粘液ねんえきごときものにつつまれて居るゆえ、鳥もこれついばむことが出来ぬ。がまの皮をぎ取つて、肉だけをあたへれば、犬はよろんで食ふ。また粘液ねんえきのぞいて卵粒たまごつぶだけをあたへれば、にわとりただちこれを食うて仕舞しまふ所などを見れば、両方ともに防禦ぼうぎょ器官きかんとして有功なことは少しもうたがいが無い。また海綿かいめんごときものにいたつては、角質かくしつまた珪質けいしつ骨片こっぺんが全身に充満じゅうまんして居るゆえ、海岸いたる処に無数に生活して居るが、これ攻撃こうげきする動物はほとんど一種も無い。
 くのごとく動物は種々の方法によつて身をまもる様に出来て居るが、なおる動物には危険きけんうた時は、身体の一部をててげる力が発達してある。例へば蜥蜴とかげおさへれば、蜥蜴とかげだけを捨ててげる。またかにの足を一本とらへれば、かに其足そのあしだけを捨ててげて行くが、かる動物には敵に最も多くとらへられさうな体部を随意ずいい截断さいだんし得るだけの構造が出来て居て、敵がこれを強く引かずとも、動物自身でこれを内部から切つて捨てる。其代そのかわりにまた容易にこれを再び生ずる力が備はつて、たちまち旧の姿すがたふくする。かにを多くとらへると、一本あるいは二本の足だけがいちじるしく小いものをいくつも見出すが、これみなくして生じたものである。かにはさみの一方だけがはなはだ小いのも、蜥蜴とかげに往々あきらかふしの見えるのも、これと同様である。特に海産動物の中では斯様かような性質を備へたものがあえへてめずらしくは無いが、此性質このせいしつを有する動物からいへば、一小部分をてて全身をすくふことゆえ、最も有益にちがひない。しかし、これとらへる動物のがわから見れば、そのため常にえさげられて仕舞しまふから、極めて不利益なものである。
 多くの動物の中には全く防禦ぼうぎょ器官きかんが無いごとくに思はれるものもある。しかし、左様な場合には特別とくべつ防禦ぼうぎょ装置そうちが無くても、種属の維持いじ差支さしつかへが無いだけの事情が、必ず他にそんするもので、例へば人間のはらの内に住む寄生虫のごときは、これ攻撃こうげきする敵が無いから、防禦ぼうぎょ器官きかんも全く不用である。また蚯蚓みみずごときもつねに地中に住んで居るゆえこれ攻撃こうげきするものはただ'モグラ'むぐらの類だけで、其他そのほかこれがいするものは余り無い。地面の上に如何いかがなる猛獣もうじゅう猛禽もうきんが居ても、蚯蚓みみずは少しも心配するにおよばぬ。それゆえ此等これらに対して身を護る装置を備へて置く必要は全く無い。ただし'モグラ'にうては、たちまち食はれるが、'モグラ'に食はれる数よりも生まれる子の数の方が多くありさへすれば、種属の維持いじには一向差支へは無いゆえ、種属全体からいへば防禦ぼうぎょ器官きかんが無くてもむ訳である。またきく薔薇バラなどの若芽わかめ'油'虫あぶらむしの類は、全く防禦ぼうぎょ器官きかんが無い様であるが、繁殖はんしょく力が極めてはげしいから、いくてきに食はれてもこれおぎなうてなお其上そのうえに増加することが出来る。普通ふつう昆虫こんちゅう類はみなたまごを生み、その卵から幼虫ようちゅう孵化ふかして出るまでには多少の時日がかるものであるが、'油'虫あぶらむしは春から夏をて秋のしばらすずしくなるころまで、植物の勢の好い間はえず胎生たいせいして、日々沢山たくさん'油'虫あぶらむしを生じ、幾何きか級数の割合わりあいで増加するから、その繁殖はんしょくの速なこと到底とうてい他に其比そのひを見ぬ程である。またえさ沢山たくさんえれば、これを食ふ動物もたちまち増加して、これを食ひつくしさうなものであるが、普通ふつうの動物は生殖せいしょくの時期にもほぼ制限があり、また生殖せいしょくするにはいくらかの時を要するゆえ'油'虫あぶらむしが今日急に増加しても、これを食ふ小鳥が明日其割合そのわりあいに増加するといふ訳には行かぬ。それゆえ、別に防禦ぼうぎょ器官きかんが無くても、種属の維持いじには少しも差支へは無い。
 以上述べたごとく、防禦ぼうぎょ装置そうちの無い動物は、実際此装置このそうち無くとも種属の断絶するうれいの無い類ばかりで、其他そのほかに至つては防禦ぼうぎょ器官きかん攻撃こうげき器官きかんともに各々一定の度まで発達して居なければ、競争場裡じょうりに立つて生存して行くことは出来ぬが、元来、動物の身体を成せる各器官きかんは一として滋養分じようぶんを要せぬものは無いゆえ、一の器官きかんが発達すれば、それだけ、その所有主である動物の負担ふたんが重くなり、勢ひ他の器官きかんの方を節減せざるを得ぬ。其有様そのありさまは共通の資本しほんを数多の方面に流用して居るのと、全く同じであるから、如何いかがなる動物にめられても、これふせげるだけの完全な防禦ぼうぎょの装置と、如何いかがなる動物をめても必ずこれめ落すだけの完全な攻撃こうげき器官きかんとを一疋いっぴきの動物がね備へることなどは、到底とうてい出来ぬ。特に攻撃こうげき器官きかんは相手のことなるにしたがひ、各々ちがうたものを用ゐねばこうが無い。とら如何いかに強くても蚯蚓みみずを取ること'モグラ'におよばず、を取ること夜鷹よたかおよばぬのを見ても、またシラスでもいわしでもまぐろでも一緒いっしょに取る様なあみの無いのを見ても解る通り、到底とうてい同一の器官きかんで、如何いかがなるものでも攻撃こうげきすることは出来ぬが、総べての種類の攻撃こうげき器官きかんみな一身に備へることは素より望まれぬ所である。それゆえ如何いかがなる動物でもみな其生存上そのせいぞんじょうとらへて食はなければならぬ相手あいてに対する攻撃こうげき器官きかんだけが発達し、其他そのほかのものをめるための器官きかんを有せぬのが常である。自然淘汰とうたの説から見れば是非ぜひともくなければならぬ理窟りくつで、実際くあるのは全く此説このせつの正しい証拠しょうこ見做みなしてよろしからう。
 またこゝに述べた防禦ぼうぎょ器官きかんごときも、如何いかがなる動物にめられても安全であるといふ様な絶対ぜったい完全かんぜんなものは一つも無い。例へばはまぐりからは厚くて大抵たいていの動物の攻撃こうげきまぬがれるが、ツメタ貝にあな穿うがたれてはかなはぬ。また栄螺さざえからかたく、其中そのなかの動物は極めて安全のごとくに見えるが、「栄螺割さざえわり」にうては身をまもることは出来ぬ。くのごとく、如何いか防禦ぼうぎょ器官きかんが発達しても、なおこれやぶる敵があることはまぬがれぬが、およそ防禦ぼうぎょの装置は絶対に完全でなくとも、十中八九までをふせぎ得れば、其功そのこうは十分である。はまぐりからがあつても、ツメタ貝の攻撃こうげきまぬがれぬが、からが無かつたならば何程の敵にめられるか解らぬ。所がからがあるゆえその大部分のものを容易よういに防ぎげて居る。仮令たとい、一方に多少の損失そんしつがあつても、生殖せいしょく力でこれおぎなふことが出来れば、種属維持いじ見込みこみは確にくから、種属全体から見れば少数の損害をも防ぐために、各個体がみな多くの滋養分じようぶんを費して、各々完全な防禦ぼうぎょ器官きかんを造るよりは、少数の被害者ひがいしゃ犠牲ぎせいきょうして、残りの個体がその滋養分じようぶんを他の方面に応用おうようする方が、はるか利益りえきが多い。これに似たことは人間の社会にも常にあるゆえくわしく説明するにもおよばぬが、此考このかんがえを持つて動物界を通覧つうらんすると、いずれの動物でも、防禦ぼうぎょ器官きかんその種属の維持いじ繁栄はんえいに最も徳用とくような度までに発達し、其以上それいじょうには進んで居ないことがあきらかに解る。しこうしてこの事実は自然淘汰とうた説の予期する所と全く一致いっちしたものである。
 以上述べた通り、動物には各々その所有者にのみ有益ゆうえきで、敵である動物に取つてははなは迷惑めいわく攻撃こうげき防禦ぼうぎょ器官きかんが備はつてあり、然もその器官きかんは決して完全無欠かんぜんむけつなものではなく、ただ其種属そのしゅぞく維持いじに必要な度までに発達して居るだけであるが、これそもそ如何いかにして生じた現象げんしょうであるかと考へるに、若し生物種属は漸々だんだん進化し来つたもので、其原因そのげんいんは主として自然淘汰とうたにあるとしたならば、是非ぜひともくならざるべからざる理窟りくつであるが、これに反して自然淘汰とうた無視むしすれば、到底とうてい其説明そのせつめいの仕様はない。西洋で昔から言ひ伝へたごとくに、動物はみな神が造つたものであるなどと考へたならば、神ははまぐりには身を護るためにからあたへて置きながら、ツメタ貝には特にこれを破るべき器官きかんを授けた訳に当り、「神は愛なり」とまでに讃美さんびせられるその神の所行しょぎょうとしては、実にけしからぬ次第で、何とも其意そのいを知ることが出来ぬ。

四 保護色


 動物にはその住する場処ばしょと同じ色を有するものがすこぶる多い。緑色の若芽わかめ'油'虫あぶらむしかならず緑色で、黒いえだくものは黒く、かえでの赤いくものは紅色くれないいろである。たんに色ばかりでなく、木のみきにとまるの類には、斑紋はんもんまで木の皮と全く同様で、近づいて見ても、容易よういに見分けられぬほどのものがいくらもある。種々の動物にいて広く調べて見ると、此様このようなことは極めて普通ふつうであるゆえ、動物が其住所そのじゅうしょの色にることは、ほとんど規則であつて、似ないものは例外かと思はれる位であるが、其例そのれいを少し挙げて見れば、緑葉の上にとまる動物は、雨蛙あまがえるでも、芋虫いもむしでも、いなごでも、蜘蛛くもでもみな緑色で、枯草かれくさの中に居るいなごなどは枯草かれくさ色である。沙漠さばく地方に住する動物は、獅子しし駱駝らくだ羚羊レイヨウの類を始めとして、けものでも、鳥でも、虫類でも一様の黄砂色こうさいろを有するものがはなはだ多い。それゆえ樹木じゅもく・岩石等のごとかくれ場所が無いにかかわらず、此等これら鳥獣ちょうじゅうを見分けることが中々困難こんなんであると、旅行者が往々紀行きこう中に書いて居る。また北極ほっきょく地方へ行くと、がいして白色の動物が多く、始終雪のえぬ辺には常に白色をていする白熊しろくま白梟しろふくろう等の類が住み、夏になれば雪が消える位の処には、冬の間だけ白色に変ずる雷鳥らいちょう白狐びゃっこ白鼬しろいたちの類が居るが、雪の中に白色の動物が居ては、容易に見分けられぬのは、無論むろんのことである。またかれい比目魚ひらめこち・ガザミなどは、浅い海底のすなに半分もれて居るが、背面はいめんの色も模様もようも全く砂の通りであるから、足もとに居ても少しも解らぬ。水族館などに飼うてあるのでも、えさあたへると泳ぎ出すので、其処そこに居たのがわずかに知れる位である。また海面には、透明とうめいであるために容易に目にれぬ動物がすこぶる多い。風の無いしずかな日に、小舟こぶねに乗つておきへ出て見ると、海の表面には海月くらげの類、えびの類などで全く透明とうめいなものが無数に居て、一二寸(注:3cm、6cm)位から大きなものは一尺(注:30cm)以上のものまでもあるが、余り透明とうめいであるゆえ、初めて採集さいしゅに行く者は、これが目の前にあつても、中々気がかぬ。採集者が態々わざわざさがしに行つてさへ、往往見落す程であるから、普通ふつうの人等がこれを知らぬのも無理むりではない。
 くのごとく、多くの動物は各々其住そのすむ処に応じた色を有し、そのため中々これを見出すことが困難こんなんであるが、此事このことめるにも、められるにも、その動物自身から見れば、極めて利益の多いことで、敵である動物から見ればはなは迷惑めいわくなことである。める上からいへば、えさとなるべき動物が知らずして近づいて来るゆえ、容易にこれとらへることが出来る。またせめられる上からいへばおのれが其処そこに居ても、敵が知らずして通りぎるから、その攻撃こうげきまぬがれて身を全うすることが出来るが、両方ともに敵となる側から考へれば、これと利害が全く相反するのであるゆえ、極めて不利益なことに相違そういない。されば動物の色が其住処そのじゅうしょの色と同じであることは、攻撃こうげき方便ほうべんとしてもまた防禦ぼうぎょの方便としても、その動物自身だけはすこぶる利益のある性質といはねばならぬが、る動物になると、ただ色や模様もようが似るのみならず、身体の全形までが、る物にて、到底とうてい識別が出来ぬ程である。その最も有名な例は琉球りゅうきゅう辺に産する木葉蝶このはちよう、内地いたる処に産するくわ枝尺蠖えだしやくとり南洋諸島なんようしょとうに産する木葉虫このはむしなどであるが、くわしく調べれば、内地にもなお其他そのほかに種々の例がある。こゝに図をげたのは、木葉蝶このはちょうであるが、此蝶このちょうはねの表面は美麗びれいな色を有するにかかわらず、裏面うらめんは全く枯葉かれはの通りの色で、はねの全形も木の葉と少しもちがはず、葉脈はみゃくの通りの模様もようまで備はつてあるゆえはねぢて、木の枝にとまると、中々見出せるものでは無い。此蝶このちょうの産する地方を旅行した博物学者の紀行きこうには此蝶このちょうの飛んで居るのを見付け、えだにとまつたまでは確に見届みとどけたが、其処そこさがしても容易に解らず、一時間余いちじかんあまりかつてさがし出したのに、全く自分の目の前に居たなどといふことがしばしばせてある。先年る人が此蝶このちょうはねを閉ぢたままの標本を林檎りんご枯葉かれはいた枝にへて、硝子箱がらすばこに入れて、大勢の人に見せた所が、だれこれに気がかず、余程過ぎてからわずかに一人がちょうの頭と触角しょっかくとを見附みつけて、此枯葉このかれはの下にちょうかくれて居るとさけんだ。しかし、其枯葉そのかれはと思うたものがちょう自身のはねであることには、なお考へおよばなかつた位であるから、広い処で此蝶このちょうのとまつて居るのを見附みつけるのは、余程困難こんなんちがひない。

「第六十図 木葉蝶」のキャプション付きの図
第六十図 木葉蝶このはちょう

なお一つへたのは、東印度ひがしインドアッサム地方産のの図であるが、これ矢張やはつばさに木葉の模様もようがあるゆえ、とまつて居るときには、中々容易には見附みつからぬ。とくに面白いことは木にとまるときに、つばさたてたたちょう類では、つばさ裏面うらめんが木葉の通りであるに反し、つばさを水平にたたの方では此通このとおりにつばさの表面に木葉の模様がある。

「第六十一図 木の葉に似た蛾」のキャプション付きの図
第六十一図 木の葉に似た

また次に図をげたのは、くわの害虫である尺蠖しゃくとりであるが、此虫このむしは色も形も真にくわ小枝こえだの通りで、人間も常にこれにはだまされる。総べて斯様かような虫類には自分の身体の色と形とが他物にて居ることを、十分に利用する本能ほんのうが備はつて居るもので、此虫このむしなども、体の後端こうたんにある二対の足でくわの枝に着し、身体を一直線にばし、あたかも小枝と同じ位な角度をなして立つて居て、容易に動かぬ。なお口からは細い糸をき、これもって頭と枝との間をつなぎ、成るべく疲労ひろうせぬ様な仕掛しかけにするゆえ、長い間少しも動かずに居ることが出来る。それゆえ、農夫なども往々これを真の小枝とあやまり、持つて来た土瓶どびんなどをこれけて、やぶることがあるといふが、此位このくらいに小枝に似て居るゆえ、鳥類がこれ見附みつけて食ふことは中々容易でない。夜になつて、鳥類がみな巣に帰つて仕舞しまふと、此虫このむし徐々じょじょひ出してくわの葉をさかんに食ふ。実にくわに取つては余程の害虫である。また南洋諸島なんようしょとうに産する木葉虫は、全身緑色で木葉の通りの形状をていし、葉脈はみゃくに相当する線まで総べて其儘そのままであるが、これも木にとまつて居るときは、近辺きんぺんにある無数の真の木葉との識別が中々出来ぬから、仮令たとい目の前に居るとも容易には見附みつけられぬ。

「第六十二図 桑の尺蠖」のキャプション付きの図
第六十二図 くわ尺蠖しゃくとり

 以上は、いずれも身を護るために他物に似て居る例であるが、容易にえさとらへ得るために、他物に似て居る動物もある。例へば蜘蛛くもの類には鳥のふんと全く同様な彩色さいしょく・形状のものがあり、木葉の表面に静止せいしして、ちょうなどの来るのを待つて居る。ちょうの類には好んで鳥糞とりのふんの処へ飛び来る種類があるゆえ蜘蛛くもただ待つてさへ居れば、相応そうおうえさとらへることが出来る。また蜘蛛くもの中には、あり寸分すんぶんちがはぬ形のものがある。ありには足が六本と触角しょっかくが二本とあるが、蜘蛛くもには触角しょっかくが無くて足が八本あるゆえ普通ふつうにはあり蜘蛛くもとは大に形状がちがふが、この蜘蛛くもは前の二本の足をあり触角しょっかくごとくに動かし、残りの六本の足で走るから、いよいよありの通りに見える。常に木葉の上に居て、ありとらへて食ふが、あり蜘蛛くもと知らずに近くまでつて来るゆえこれとらへることははなはだ易い。アフリカの沙漠さばくで、駝鳥だちょうを取るときに、土人が駝鳥だちょうの皮をかぶつて、これに近づくのと理窟りくつは少しもちがはぬ。
 動物が攻撃こうげきあるい防禦ぼうぎょのために、その住する処と同一な色を有することを保護色ほごしょくと名づけるが、すでに前にも述べたごとく、此事このことは、攻撃こうげきにも、防禦ぼうぎょにも、その動物自身に取つてはすこぶる都合の好いもので、特に形状けいじょうまで他物に似て居る場合には、なお一層有功である。さて保護色といふものは如何いかにして出来たものかと考へるに、天地開闢てんちかいびゃくの時に神が斯様かように造つたのであるというて仕舞しまへば、それまでであるが、これには証拠しょうこもなければ、また理窟りくつも少しも解らぬゆえ、我我は満足は出来ぬ。これに反して生物各種はみな進化によつて漸々だんだん今日の有様に達したもので、進化の原因は主として自然淘汰とうたであると考へれば、保護色は必然の結果とみとめなければならぬ。こころみその大体を述べて見れば、例へば昆虫こんちゅう類は常に鳥類にめられるものゆえ、代々鳥類に見逃みのがされたもののみが生存して、後へ子孫をのこす訳となる。しこうして如何いかがなるものが最も鳥類に見逃みのがされるのぞみを有するかといへば、無論其住処そのじゅうしょの色に成るべく似た色を有するものであるゆえ、代代かる個体のみが生存し、生殖せいしょくし、其性質そのせいしつ遺伝いでんによつて子孫に伝はり、代の重なるにしたがその性質も積つて、漸々だんだん進歩し、終にはほとんど見分けがかぬ位までに其住処そのじゅうしょに似る様になるはずである。くのごとく今日実際の有様は総べて自然淘汰とうたの予期する所と全く一致いっちして居るが、これは確に此説このせつの正しい証拠しょうこ見做みなさねばならぬ。

五 警戒けいかい色と擬態ぎたい


 多くの動物は其住処そのじゅうしょと同じ色を有するものであるが、る種類の動物は全くこれと反対で、その住処と色とがはなはだしくことなり、そのためいちじるしく目に立つて遠方よりもあきらかに識別が出来る。はちごときは其一例そのいちれいであるが、斯様かような動物を集めて見ると、いずれも小形のもので、とげを有するか、毒液どくえき分泌ぶんぴつするか、悪臭あくしゅうはなつか、あるいは非常に味の悪いものであるか、何か必ずこれ攻撃こうげきした敵は一度ではなはだしくりる様な性質の備はつて居る類ばかりである。これは保護色に比べると、はるかに少数で、そのあきらかに知れてある例は、多くは昆虫こんちゅう類であるが、はちごととげを有するものの外に、ちょうの中には味の極めて悪いものがあり、臭亀虫くさがめむしの中にははげしい臭気しゅうきを放つものがあり、甲虫こうちゅうの中には関節の間から毒液を分泌ぶんぴつするものなどがあつて、いずれもいちじるしい彩色さいしょくていし、一見してこれを識別することが出来る。此等これら昆虫こんちゅう類をとらへてこころみに鳥類にあたへて実験して見るに、る鳥は初から全くこれかえりみず、またる鳥は一度これを口に入れ、たちまき出して、後にくちばしを方々へけたりして、不快ふかいの感じを消さうと種々に尽力じんりょくするが、此事このことから考へて見ると以上のごとき動物が特に識別しやすいちじるしい彩色さいしょくを備へて居るのは、敵である鳥類等の記憶きおく力にうったへ、初め若干じゃっかんの個体を犠牲ぎせいに供して、其食そのくふべからざることを鳥類に覚えしめ、然る後に残余ざんよのものが、白昼安全に横行し得るがための方便ほうべん見做みなすより外に仕方がない。
 小形の動物が大形のてきに対する場合には、自身に如何いかに敵をらしめるだけの仕掛しかけがあつても、これを表に現す看板かんばんが無ければ何の役にも立たぬ。例へば昆虫こんちゅうが一度鳥につつかれて仕舞しまへば、其後そのご敵である鳥が毒液・悪臭あくしゅう等のために如何いかに苦んでも、殺された方の虫は、最早活き返る気遣きづかひなく、結局防禦ぼうぎょ装置そうちも何のこうも無いことになるゆえ、最初から敵が自分をててかえりみぬ様にさせる趣向しゅこう肝心かんじんである。こゝに述べたごとき動物の著しい色は、すなわこの意味のものであるが、敵を警戒けいかいするためのものゆえこれ警戒色けいかいしょくと名づける。
 こゝになお一つなことは、昆虫こんちゅう類の中にはとげをも有せず、毒をも分泌ぶんぴつせず、全く防禦ぼうぎょ器官きかんを備へぬもので、往々警戒けいかい色をていするものがある。もっとも、其数そのかずは真の警戒けいかい色を有する類に比べるとはるかに少数で、かつ各々必ずる有力な防禦ぼうぎょの武器を備へた昆虫こんちゅうに極めて類似るいじして居る。例へば、はちとげを有するゆえこれ攻撃こうげきする動物は比較ひかく的に少いが、の類に属するスカシバちょう甲虫こうちゅうの中なるとらカミキリのごときは、分類上の位置の全くことなるにかかわらず、形状けいじょう彩色さいしょくともにすこぶはちに似て居るので、飛んで居る所を見ると、往々はちとは区別がかぬ、これは全く多くの鳥がはちの形と色とを記憶きおくし、はちけて攻撃こうげきせぬことを利用し、自分も鳥類にはち見誤みあやまられて身を全うするための手段しゅだんと思はれるが、かる性質が如何いかにして生じたかと考へるに、生物がみな自然淘汰とうたにより漸々だんだん進化して今日の姿すがたになつたものとすれば、その生じた原因なども一通りは推察すいさつすることが出来る。これに反して生物種属せいぶつしゅぞくを万世不変のものと見做みなさば、かる事実は単に不思議ふしぎといふだけで、到底とうてい少しも其意味そのいみを知ることは出来ぬ。特にスカシバちょうごときは、さなぎより出た際には、はねは全面に粉状こなじょう鱗片りんぺんかぶり、不透明ふとうめいなこと少しも他のちょう類に異ならぬが、出るやいなや、粉は落ち去りて、そのためにはねはちはねごと透明とうめいなものとなる。

「第六十三図 (甲)蜂の一種 (乙)蜂に似た甲虫」のキャプション付きの図
第六十三図 (こうはちの一種 (おつはちに似た甲虫こうちゅう

此事このことなどはスカシバちょうを、終生しゅうせいはね一面に粉のいて居たちょう類から進化しくだつたものと見做みなさなければ、全く理窟りくつの解らぬ現象げんしょうである。かりにこゝに一種の昆虫こんちゅうがあると想像し、その若干の個体が鳥類にはち見誤みあやまられて安全に生存し、生殖せいしょくしたとすれば、その鳥類をしてはちと見誤らしめた性質は遺伝いでんによつて子に伝はり、次の代にはまた多数の子の中で、最もこの性質の発達したものが、最も多く鳥によつてはちと見誤られさうなわけであるゆえ此等これらだけが生存して子をのこし、代々知らず識らず鳥によつて淘汰とうたせられ、其結果そのけっか終に今日見るごときものまでに進化するはずである。くのごとく生物の進化するのは、主として自然淘汰とうたによるものとすれば、スカシバちょうごとき、とらカミキリのごとき、あるい此処ここに図をげたちょう甲虫こうちゅうごと防禦ぼうぎょの武器なくしてただ警戒けいかい色のみを有する昆虫こんちゅうの生ずることも、最も有り得べきことと考へられるが、若し自然淘汰とうたといふことを全く度外視どがいししたならば、この所謂いわゆる擬態ぎたいといふ現象は、如何いかにして生じたものか、到底とうてい其理由そのりゆうさっすることは出来ぬ。

「第六十四図 (甲)ヘリコニヂー科の蝶 (乙)ヒエリヂー科の蝶」のキャプション付きの図
第六十四図 (こう)ヘリコニヂー科のちょう (おつ)ヒエリヂー科のちょう

 ろんじ来れば、あるいは読者の心中に次のごとうたがいが起るかも知れぬ。すなわ生存競争せいぞんきょうそうおいて、適者てきしゃの勝つことは素より当然であるが、保護色ほごしょく警戒色けいかいしょく擬態ぎたいごときはる程度まで発達した上でなければ、全く功の無いものである。例へばはちあやまられて鳥の攻撃こうげきまぬがれるには、すでに余程はちに似て居なければならず、木葉にまぎれて鳥の目をしのぶには、すでに余程木葉に似たものでなければならぬが、さて此程度このていどまでは如何いかにして進んで来るか、この程度にたっする前はいずれの個体も同様に鳥類にめられるゆえ此方向このほうこうへ向うては、何の淘汰とうたも無い理窟りくつであるとの考はだれむねにもうかばざるを得ぬ。これは実際、自然淘汰とうたの現状を胸中きょうちゅうに画くに当つて最も困難こんなんを感ずる点で、今日生物進化論せいぶつしんかろんに対して異議いぎとなへる生物学者は最早一人も無いにかかわらず、自然淘汰とうた説にいてはなお種々の議論の絶えぬのは、一は此点このてんもとづくことである。しかしながら、く考へて見るに、此点このてんは決して自然淘汰とうたの説に反対する程のものではない。何故なぜといふに、める方の鳥も決して初めから今の通り目のするどいものではなく、漸漸だんだんの進化によつて今日の有様までに発達して来たものゆえ其昔そのむかしさかのぼれば、はちと他の昆虫こんちゅうとを識別しきべつし、えだにとまつて居るちょうと木葉とを識別する力も随分ずいぶん不完全で、余程ちがうたものでなければ判然はんぜん区別の出来ぬ時代もあつたに相違そういない。また生存競争に如何いかがなるものが勝つかと考へて見るに、各個体がみな勝たなければ其種属そのしゅぞくは勝たぬといふ理窟りくつはない。例へばこうおつの二団体が競争するに当つても、個体間の勝敗しょうはい区々まちまちであるため、いずれが勝つか、いずれが負けるか、解らぬ様な場合にも、若し全体の統計とうけいを取つて見て、こうの方がわずかながらもつねに多く勝つて居る形迹けいせきがあつたならば、長い間には終にこうが勝をめるに定まつて居る。人間社会の競争においても理窟りくつは全く此通このとおりであるゆえおよそ時の大勢に通ずるには、先づ統計によらなければならぬ。かる次第ゆえ、鳥類のも今日程に発達せぬころに一種のちょうがあつたと仮定し、其蝶そのちょうの個体総数をいささかでも木葉に多く似た方と、少し似た方との二組に分ち、同一時間内に各組の鳥にめられる数を統計に取つて見て、いささかでも似たものの方が鳥にめられることが少かつたならば、これすでに一種の淘汰とうたである。しこうして如何いかに不完全な淘汰とうたでも、代々同一の方向へ進めば、その結果は漸々だんだん積り重なつて、終にはいちじるしいものになるべきはずであるゆえこの方法によつて木葉に似たちょうが出来るのも、素より有り得べきことと言はなければならぬ。斯様かように論じて見れば、保護色ほごしょくの始めでも、警戒色けいかいしょくの始めでも、自然淘汰とうた説によつては到底とうてい説明が出来ぬといふ性質のものでは決して無い。今日生物学を修めながら、なお自然淘汰とうたの働きにいてうたがいはさむ人等は、あたかも戦争を見に行つて一人々々ひとりひとり兵卒へいそつの勝敗のみに注意し、両軍りょうぐんの全部の形勢けいせいさっせぬのと同様なあやまりおちいつて居るのである。

六 気候の変化に対する準備


 以上述べた所の攻撃こうげき器官きかん防禦ぼうぎょ装置そうち、保護色、警戒色けいかいしょく等のごときは、いずれもみな生きた敵に対して有功なものであるが、動物にはなお其外そのほかに寒暑・乾湿かんしつ等のごとき気候上の変化と戦うてこれへるだけの性質が備はつてある。しこうして如何いかがなる動物に如何いかがなる性質が備はつてあるかとくわしく調べて見ると、いずれも其住処そのじゅうしょ・習性に応じて、種属の維持いじに必要な性質のみが発達はったつして居る。例へば水の決してれることの無い河や池に住む魚類には、水がれても死なぬといふ性質は備はつてないが、何時いつ、水が無くなるか解らぬ様な小な水溜みずたまりの中に住んで居る水虫の類には、身体が全く乾燥かんそうして仕舞しまうてもなお死なぬものが沢山たくさんにある。こゝに図をげたのは、熊虫くまむししょうして、常に水溜みずたまりの中に住み、八本の短い足をもっ水藻みなもの間をうて居る顕微鏡けんびきょう的の小虫であるが、かわかせば縮小しゅくしょうして、(ロ)のごとくになり、動物であるか紙屑かみくずであるか解らぬ様なものとなる。これ此儘このまますてて置けば何時いつまでも全く此通このとおりで、少しも生活の徴候ちょうこうを現さぬが、しかし水でらせば、何時いつでも旧の姿すがたかえつて、ただちに平気でひ始める。此他このほかにも車虫というてこれと同様な性質せいしつを有する小虫の類が数百種もある。また斯様かよう水溜みずたまりには水のれるときには乾燥かんそうへるたまごだけを残して、自身は死んで仕舞しまふ虫類がはなはだ多い。此等これらみな種属維持いじの上に最も必要な性質で、これが無ければ、その種属はたちまち断絶すべきものであるが、かる性質は、常にこれを利用する機会を持たぬ動物には、決して発達して居ない。

「第六十五図 熊虫 (イ)生きたもの (ロ)乾燥したもの」のキャプション付きの図
第六十五図 熊虫くまむし (イ)生きたもの (ロ)乾燥かんそうしたもの

沙漠さばくに住む駱駝らくだが胃の外面に水をたくわへるための小嚢しょうのうを数多持つて居るのも、此類このるいの一例で、水に不自由をせぬ場所に住んで居るけもの類には斯様かよう装置そうちの備はつてあるものは一種も無い。まる所、其処そこに生存し続けられるだけの性質の備はつた動物でなければ、今日まで生存して居るわけは無いゆえ、今日生きて居る動物を取つて検すれば、いずれも実に感服すべき程にその住処の有様にてきした構造・性質等を有して居る。ただこれだけを見ると、如何いかにも全智ぜんち全能ぜんのうの神とでもいふものがあつて、態々わざわざ其処そこに適する様に造つたかとの考が起りやすいが、斯様かような自然以外のことを仮想かそうせずとも、自然淘汰とうたといふことをみとめさへすれば、総べて此等これらの事実の起源きげんあきらか理解りかいすることが出来る。
 本章に述べたことを約言やくげんすれば、ほぼ次のごとくである。およそ動物の構造・習性・彩色さいしょく等はいずれもみな生存競争せいぞんきょうそうに当つてその動物自身の利益となる様な方向だけに発達し、その動物の種属維持いじに必要な度までに進んで居て、其他そのほかには何の目的も無いらしい。生存上必要のない所には、攻撃こうげき防禦ぼうぎょ器官きかんは決して無い。また必要のある場合でも、種属維持いじの上に必要な程度までより決して発達して居ないが、此等これらの現象は全く自然淘汰とうた説の予期する所と一致いっちするもので、自然淘汰とうたによらなければ、到底とうてい説明は出来ぬ。一動物の有する攻撃こうげき防禦ぼうぎょ器官きかんは、其敵そのてきである動物より見れば、はなは迷惑めいわくなものであるが、他に対して如何いかに不利益なるかは少しも頓着とんちゃくなく、ただ生存競争上、各々自己じこの利益になる様な点のみが発達し、各動物の攻撃こうげき防禦ぼうぎょの装置の相匹敵あいひってきすることにより、自然界の平均が暫時ざんじ保たれてある有様は、自然淘汰とうたの説から見れば素より必然ひつぜんのことであるが、自然の淘汰とうたを無いものと考へては、如何いかにしても説明せつめいの仕様はない。
 なおへて言うて置くべきことは、我々われわれ生態学上せいたいがくじょう知識ちしきのまだはなはだ不完全なことである。動物の生態を十分に調べるには、その動物の天然てんねん住処じゅうしょおいて絶えずその動物のすことを観察せねばならぬが、これは中々容易でないゆえ、動物の生態にいてはなお解らぬことが大部分である。動物をとらへて飼うて置いても、其習性そのしゅうせいの一部を観察することは出来るが、やや高等な動物になると、到底とうていこの方法では十分でない。して死んだ標本を基として、其生態そのせいたいを論ずることはすこぶる危険である。奇麗きれいな緑色に緋色ひいろまだらのある鸚哥いんこ、黄色に黒線のあるとらなどは博物館に陳列ちんれつしてある所だけを見ると、これほど目に立つ動物は他にあるまいと思はれるが、旅行者の報告によると南アメリカ熱帯の緑葉のしげつた間に、あかい花のいて居る森の中では鸚哥いんこは中々容易に見分けられぬ。またたけの高い黄色の枯草かれくさに日光の直射ちょくしゃして居る処では、とらの黒線が草のかげごとくに見えて近処きんじょに居ても余程見出しがたいさうであるから、動物の彩色さいしょくその生活上に如何いかがなる役に立つかを論ずるには、実地に其住処そのじゅうしょに行つて見なければならぬ。生物学者と名づけられる人の中にも、随分ずいぶん一二個の標本からただち其生態そのせいたいを早合点する人があり、日本産ナメクジの酒精漬標本しゅせいづけひょうほん(注:アルコールづけ標本)を見て、これへび擬態ぎたいをなして居るととなへた人などもあるゆえ、今までに警戒色けいかいしょく擬態ぎたいの例として沢山たくさんに報告せられた動物の中には、しんか解らぬのがいくらもある。生態学は生物学中で素人しろうとに向うては最も興味きょうみの多い分科であるが、事実を十分に観察かんさつした上でなければ、何事も確には論ぜられぬ。不完全な知識を基としてみだりに想像をたくましうすると、必ず牽強附会けんきょうふかいおちいるをまぬがれず、生物学全体の信用を落すにいたることもあるから、余程ひかへ目に考へねばならぬ。しかし、前に述べたごとき、今日最早うたがふべからざるだけに確に知れて居る例のみにいて言うても、生態学上の事実は、総べて自然淘汰とうた説の証拠しょうこ見做みなすべきものばかりである。


第十五章 外界より動植物におよぼす直接の影響えいきょう


 生態学上せいたいがくじょうの事実から考へると、生物進化の原因げんいんは主として自然淘汰とうたにあることは、たしかであるが、それ以外に生物進化の原因は全く無いかと考へるに、決して無いとの断言だんげんは中中出来ぬ。此点このてんは今日なお議論のある所ゆえ、こゝにくわしいことまで述べるわけには行かぬが、著者ちょしゃの考によれば、世の中から自然淘汰とうたといふものを全くのぞき去つても、なお生物に多少の変化を起す原因は存在そんざいしてある。本章において述べるごとき、外界から生物におよぼす直接の影響えいきょうごときは、すなわちそれである。
 およそ生物は生まれてより死ぬるまで、常に外界にかこまれ、外物に接して居ることゆえこれより直接ちょくせつ影響えいきょうを受けて、各個体の形状に一定の変化を生ずることは、きわめて普通ふつうな現象である。例へば同一の木より生じた種でも、一つをえた地にき、一つをせ地にけば、生長してからの形ははなはだしくちがふ。また地面に植ゑれば、十間(注:18m)以上にもなるべき大木の苗でも、これを小な植木鉢うえきばちに植ゑて置けば、何年過ぎても、わずかに一尺(注:30cm)位によりびぬ。種子は同じでも、の接する外界の有様にしたがうて、生長後の形状にいちじるしい相違そういの生ずることは、此等これらを見てもただちに解るが、くわしく調べて見れば、いずれの動物でも、植物でも、実際みな此通このとおりで、外界の有様がちがひ、生活の境遇きょうぐうことなれば、其中そのなかで出来上つた動植物の形状にも、これおうじただけの相違そういが必ず現れるものである。それゆえる原因から外界の有様に変化が生じたならば、其処そこに住する動植物は、直接に其影響そのえいきょうこうむつて、たとひ、自然淘汰とうたが全く無くとも、先祖とは多少形状の異なつたものとならざるを得ぬ。
 また外界の有様に変化が起らなくとも、動物自身の習性しゅうせいが変れば、ほぼこれと同様な結果に達する。ニウ=ジーランド島に産するネストルといふ鸚鵡おうむが、突然とつぜん肉食を始めたことは、すでに述べたが、動物の習性は往々くのごと急劇きゅうげきな変化を現すことがある。かる場合には従来じゅうらい用ゐ来つた器官きかんは急に不用となり、他の器官きかんにわか重任じゅうにんびてはたらかねばならぬが、およそいずれの器官きかんでも、用ゐれば、益々ますます発達し、用ゐなければ、益々ますますおとろへるもので、常にうでを動かせばうで筋肉きんにくが発達し、あしを動かせば、あしの筋肉が発達し、適宜てきぎに消化させれば胃が発達し、適宜てきぎに考へさせればのうが発達する。それゆえ、習性が変り、器官きかんの用不用に変化が起れば新に用ゐられる器官きかんは大に発達し、止められた器官きかん退化たいかして、全身の構造が多少先祖せんぞことなつて来る。はとは常にかたい種子を食ふものゆえこれこすくだくために、胃のかべの筋肉が大に発達して居るが、る人が数年の間やわらかいものばかりではとを養うた後に解剖かいぼうして見ると、胃の筋肉がいちじるしく退化して、かべはなはうすくなつて居た。また其反対そのはんたい'鴎'かもめの類は常にやわらかい魚肉を食うて居るが、る人がこれ穀物こくもつを食はせて数年間うて置いたれば、かべが厚くなつた。先日到着とうちゃくしたるドイツの学術雑誌がくじゅつざっしに、植物性と動物性との食物で、かえる蝌蚪おたまじやくしを養うた試験しけんの結果がげてあつたが、植物性のものばかりを食はせて置くと、動物性のものをあたへたのに比べると、ほとんど二倍位もちょうが長くなる。ただかえるになつて仕舞しまうてからは、何を食はせても斯様かよういちじるしい相違そういは起らぬとのことである。此外このほかにも、なお多数の例があるが、くのごとく習性に応じて構造にも変化の起るものゆえ、自然淘汰とうたといふことが全く無くとも、若し動物の習性が変じたならば、その結果として先祖とは幾分いくぶんか異なつた子孫しそんが出来る訳である。
 しかし、くのごとき変化は生まれてから後に起るものゆえ、若しこの変化が少しも子に遺伝いでんせぬものならば、次の代にはまた先代と全く同様な種子から出来始まり、外界から同様の影響えいきょうを受けて、終に親と同様な形までに生長するだけで、其変化そのへんかした性質が代々積つて進歩するといふことは決して無い。すなわち外界から生物におよぼす影響えいきょうは、ただ其時そのときに直接に当つた一代だけに限られて、子孫には少しも関係が無い理窟りくつである。これに反して幾分いくぶんかなりともかる変化が子に伝はるものならば、次の代にはすでに種子に多少その性質が備はつてあることゆえこれより生ずる個体に対して外界から先代と同じだけの直接の影響えいきょうけ加はつて来れば、其結果そのけっかなお一層変化の進んだものが出来て、代々少しづゝ一定の方向へ進化する理窟りくつになる。実際いずれであるかは近いころまでなお疑問の有様であつたが、今日までに知られた事実から推すと、かる変化の中で、る種類だけは幾分いくぶんか確に遺伝いでんする様である。

一 食物の影響えいきょう


 およそ動植物の身体組織を成せる成分は常に新陳代謝しんちんたいしゃして暫時ざんじも止むことなく、昨日食うた滋養分じようぶんは今日はすで筋肉きんにく神経しんけい等の一部となり、今日筋肉・神経等をなせるものの一部は、明日は最早もはや分解ぶんかいして老廃物ろうはいぶつとなり、体外に排泄はいせつせられて仕舞しまふ。我々われわれ人間も其通そのとおりで生まれたときにわずか六百匁ろっぴゃっきん(注:2250g)に足らぬものが二十貫目にじゅかんめ(注:75Kg)もある大きな人間になるのは、全く新陳代謝しんちんたいしゃける物質出納すいとうの不平均から起る結果で、其根元そのねもとたずねれば、ただ食物中の滋養分じようぶんから出来るものである。されば生物が暫時ざんじ同一の形状をたもつて居る所を見るとあたかも岩石・鉱物こうぶつ等のごとき無生物が、常に同一の形状を保つのと同じ様に思はれるが、其存在そのそんざいする有様を調べると、全くちがふ。岩石・鉱物等が、昨年も今年も全く同一な形状を保つて居るのは、これせる分子が其儘そのままに止まつて動かず、外から入つて来る分子も無く、外へ出て行く分子も無く、昨年在つたままの分子が今年もなお其処そこに止まつて居るからであるが、動植物が昨日見ても今日見ても同じ形を保つて居るのは、全くこれとは別で、外界からはえず新規しんき物質ぶしつが入り来り、体内よりは絶えず物質が出で去つて、ただ物質の出入のがくほぼ相均あいひとしいゆえ、形状が変じないだけである。其有様そのありさまあたかかわの形は昨日も今日も同じでも、流れる水が暫時ざんじも止まらぬのと少しもちがはぬ。しこうして生物の体内に入り来り、暫時ざんじ生物の身体を造る物質は何かといへば、すなわち食物であるから、食物の異同いどうが生物体に直接にいちじるしい影響えいきょうおよぼすことはすこしあやしむべきことではない。
 同一の親から生まれ、初めは全一の性質を備へて居た二疋にひきの動物でも、一疋いっぴきには滋養分じようぶん沢山たくさんあたへ、一疋いっぴきには粗末そまつえさを食はせて養うて置けば、ついには其間そのかんいちじるしい相違そういが生じ、体格の強弱・大小、毛の色艶いろつや等まで相異なつたものとなることは、常に我々われわれの経験する所で、富豪ふごうの飼犬と飼主の無い野犬とはだれが見てもただちに解り、貴族きぞく飼馬かいうま百姓馬ひゃくしょうばとも一見してあきらかちがうて居るが、る動物は食物次第で毛の色の全く変ずるものがある。例へばウォレースの報告ほうこくによれば、ブラジルに産する一種の鸚哥いんこなまずあぶらを食はせると、緑色の羽毛が赤色または黄色に変ずるが、土人は此事このことを知つて居るゆえ随意ずいいに羽色のちがつた鳥を造る。また印度インドには非常に羽毛の美しい一種の鸚鵡おうむがあるが、此鳥このとりの羽色を常に美しからしめるには一定の特殊とくしゅの食物をあたへて置かねばならぬ。其他そのほかひわの類にあさの種子を食はせれば羽毛が漸漸だんだん黒くなり、カナリヤに胡椒こしょうの実をあたへれば黄色が益々ますますくなることは、すでに人の知る所である。此等これらただ従来じゅうらい経験けいけんから言ひつたへたことであるが、先年ザウエルマンといふ人が態々わざわざ実験して見た結果によると、実際全く此通このとおりで、胡椒こしょうの実を食はせれば、ひわ・カナリヤに限らず、'鶏'にわとりはとごときものでも、矢張やはいちじるしく羽色に変化を生ずるとのことである。ただし生長し終つた鳥にあたへたのでは格別に効能は無い。未だ一度も羽毛のけ変らぬ前のひなに食はせると、以上のごとき結果が必ず生ずる。またリスリンやアニリン染料せんりょうなどをえさに混じて食はせて見たれば、各々何時いつも羽毛の色に多少の影響えいきょうおよぼしたといふことである。此等これらから考へて見ると、天然に鳥のえさとなる物の中にも、鳥類の羽毛の色に変化を起すべき性質を備へた成分が往々ふくまれてあるかも知れぬゆえ、同一種の鳥でも、其産地そのさんちが異なれば其食物そのしょくもつちがふので、羽毛の色にも自然に相違そういを生ずる様な場合も随分ずいぶん有り得べきことであるが、くのごときことが実際にあれば、これは自然淘汰とうた以外に生物に進化を起す原因の一と見做みなさねばならぬ。
 昆虫こんちゅう類に関しては以上と同じ様な実験が種々ある。今よりおよそ三十年程前に、アメリカのテキサス州から山繭蝶やままゆちょうの一種のさなぎをスウィス国に持つて来た所が、翌年よくねんそれから生じた幼虫ようちゅうに本国にけると少し異なつたの葉をえさあたへたので、形状も色も大にちがつたちょうこれから出来た。素性を知らぬ昆虫こんちゅう学者は、これもって全く別種に属するものと見做みなした位であるが、其幼虫そのようちゅう時代の食物は何かといへば、本国においては胡桃くるみの一種で、スウィス国に持つて来てからも、矢張やは胡桃くるみの少し異なつた一種を食はせたばかりで、食物の相違そういは実に僅少きんしょうであつた。幼虫時代の食物の相違そういによつて同一種のちょうでも色彩しきさい斑紋はんもん等にいちじるしい相違そういの起る例はなお此外このほかにも沢山たくさんに知られてある。ヨーロッパに産する一種の尺蠖しゃくとりは種々のきく科植物にいて其葉そのはを食ふが、幼虫の色はく植物の種類にしたがうて異なり、白い花のきくけば白色、赤い色のきくけば赤色となる。また毛虫の一種にはのとまつて居る枝の色と同一な色になるものがある。此等これらいずれも、食物が動物の身体に直接の影響えいきょうおよぼすものゆえ仮令たとい自然淘汰とうたといふことが全く無いと見做みなしても、此等これらの動物は食物さへ変れば、先祖とは幾分いくぶんちがつた子孫が出来て種属は多少変化することになる。
 食物の異同が動物の身体に対して直接に如何いかがなる影響えいきょうおよぼすかは、今日までに実験によつて知られてあることが、まだ比較ひかく的に少いゆえ、十分断言することは出来ぬが、今日までに知られて居ることから考へて見るに、食物次第でる性質の変化するといふことは、動物界に余程広く通じてあるものと思はれる。前に述べた鳥類・昆虫こんちゅう類の外に、なお此点このてんあきらかに知れてある例を一二挙げれば、貝類でもイギリス産の牡蠣かき地中海ちちゅうかい産の牡蠣かきとは、る学者はこれを別種と見做みなす程に形状などもちがつてあるが、イギリス産の牡蠣かきでもこれを地中海に移せば、少時の後には、全く地中海固有こゆう牡蠣かきの通りになつて、少しも相違そういが無くなつて仕舞しまふ。また今よりおよそ十年程前にヨーロッパからアメリカのヴァージニヤに輸入ゆにゅうせられた一種の蝸牛かたつむりは、二三年の間に急に変種へんしゅ沢山たくさんに出来て、百二十五もあきらかな変種を識別することが出来る様になつたが、其中そのなかの半以上は本国であるヨーロッパでは見ない所のものであつた。此等これらみな気候との関係もあることではあるが、主として食物の相違そういから起つた変化である。
 植物界においては滋養分じようぶん相違そういが、個体の形状・性質に直接の影響えいきょうおよぼすことは、さら一層いっそう明瞭めいりょうで、其例そのれいは実に数へつくされぬ程ある。ダーウィンもアメリカの玉蜀黍とうもろこしをヨーロッパに移せば、初め高さ二間(注:3.6m)もあるものが、翌年には一間半(注:2.7m)位となり、其翌年そのよくねんにはさらに低くなり、果実の方もいちじるしく変化して、三年目にはアメリカ産のものとは全く異なつたものになつて仕舞しまふことを、其著書そのちょしょ中にげたが、其後そのごクノープといふ人は、滋養分じようぶんを種々に調合し、これを用ゐて玉蜀黍とうもろこし培養ばいようして、実に沢山たくさんな変種を造り出した。其中そのなかにはだれに見せても確に別種かと思ふ様なものが、いくつも出来た。此他このほか、園芸家や植木屋にいて其経験そのけいけん談をけば、培養ばいよう法によつて植物にはなはだしい相違そういの生ずる例はいくらでも知ることが出来やう。天然界においては、植木屋が態々わざわざ行ふ様な著しい生活状態の変化の起ることはまれであるが、場所がことなれば地味もちがふのは、普通ふつうのことゆえ、同一の植物の種子でも、風にかれてこうおつ二箇所にかしょにひろがれば、生長した後には、必ず其間そのかんに多少の相違そういが現れるべきはずである。それゆえ、自然淘汰とうたといふものが全く無いと仮定しても、地味の異なつたところに種子が飛んで行つて生ずれば、先祖とはいくらかちがつた子孫が出来て、種属が変化することになる。今日植物界に多く見る所の地方的変種の中には、くして生じたものも決して少くは無からうと思はれる。

二 塩分の影響えいきょう


 風土・気候等の異同によつて植物にはなはだしい変化が起るのと同様に、海産の動物は水中の塩分の多少によつて随分ずいぶんいちじるしい変化が起る様である。此点このてんに関する研究はまだ一向行届いてないが、今日までに知られて居る例の中で最も著明ちょめいなのは、シュマンケウィッチといふロシヤ人の実験に係る豊年魚ほうねんぎょの変化である。そもそも豊年魚といふのは、夏日水溜みずたまりなどに生じ、はらを上に向けて水の表面に沢山たくさんに泳ぎまわる小なえびに似た下等の甲殻こうかく類であるが、豊年魚といふ名前はる時これを東京で売り歩いた金魚屋等が勝手にけたもので、実は決して魚類ではない。日本にはこれを産する処が方方にある。さてロシヤには海の一部が海からはなれ、陸に囲まれて湖水こすいごとくになつた処がいくらもあるが、流れむ水また蒸発じょうはつする水等の割合わりあいによつて、塩分の度は各相異なり、塩のはなはい湖もあればまた塩の極めてあわい湖もある。豊年魚は元来淡水たんすいの中ばかりに産する動物であるが、斯様かような湖の中をさがすと、豊年魚に似ながらやや異なつた種類が住んで居る。動物学者はこれ普通ふつうの豊年魚とは別属のものとし、其中そのなかまた数種に分けるが、塩分の度のちがふ湖に産するものは、形状も必ず多少異なつて居る。そこでシュマンケウィッチはく塩度の異なる処に必ずちがつた種類の産するのは、あるいしおの多少が直接にその身体に影響えいきょうおよぼした結果では無からうかとのうたがいを起し、実験によつてこれを調べて見た。其方法そのほうほうは先づ塩分えんぶんい水の中に住む種類を養ひ、飼養しよう器の中に一滴いってきづゝ淡水たんすいを加へ、極めて徐々じょじょと塩分をうすめたのであるが、塩分がうすくなるにしたがひ、身体の形状が変じ、特に尾端びたんの形が全く変つて、終には常にあわ鹹水かんすいの中に住んで居る所のものと同一な形状をていするにいたつた。しこうしてこの形状をていするものは、従来じゅうらい学者が全く別種と見做みなして居たものである。それよりなお淡水たんすいを増し、塩分を減じて、真に純粋じゅんすい淡水たんすいにして仕舞しまうたれば、其中そのなかに居た動物は淡水たんすい中に産する普通ふつうの豊年魚と全く同一なものに変じた。かる面白い結果を得たので、さら此試験このじっけんぎゃくの順序に試み、豊年魚の飼うてある水の中に塩水を一滴いってきづゝ加へて徐々じょじょと塩分を増して見た所が、前の実験と丁度ちょうど反対に漸々だんだん鹹水かんすい産の種類を随意ずいいに造ることが出来た。もっとも、これは同一の個体がく変化したわけではない。形状が斯様かよういちじるしく変化するには数代を要するが、わずか三代や四代の間に斯のごとき変化の起るのは決して淘汰とうたとは思はれぬ。これは必ず外界から直接に動物の身体に影響えいきょうおよぼしたものと考へねばならぬ。

「第六十六図 豊年魚(左)淡水産(右)鹹水産」のキャプション付きの図
第六十六図 豊年魚(左)淡水たんすい産(右)鹹水かんすい

「第六十七図 豊年魚の尾端の変化」のキャプション付きの図
第六十七図 豊年魚の尾端びたんの変化

 総べて動物は身体の生長し終つた後には、性質がすでに固定して、仮令たとい、外界に著しい変化が起るとも、これに応じて身体の形状・構造を変じて行く力が比較ひかく的発達して居ない様であるが、生長の途中とちゅうにあるものは、外界の変化に応じ、親とは余程よほど異なつた具合に発育する性質が備はつてある。前に例に挙げた蝌蚪おたまじやくしごときも其例そのれいで、この時期においては食物次等でちょうの長さの非常に異なつたものが出来るが、生長の終つたかえるいて試験しては、斯様かよういちじるしい結果を得ることは出来ぬ。豊年魚ほうねんぎょなどもすでに生長し終つたものを淡水たんすいから鹹水かんすいに移しては、かる変化は見られぬが、其子そのこの代になると親とは異なつた外界の有様にれ、その影響えいきょうこうむり、親とは余程異なつた形に生長し、一代ごとに進んでたちまち属も種もちがふ程のものになつて仕舞しまふのである。また以上のごとき確な試験は無いが、イガヒ・鳥貝のごとき海産貝類は、塩分のうすい処に産するもの程、体が小いのも全く外界からの直接の影響えいきょうに基づくものらしい。なお魚類にもこれと同様な例がある。同一の種類でありながら、塩分のい処で育てれば、三寸(注:9cm)・四寸(注:12cm)にもなる貝が、淡水たんすいの混じた処ではわずかに一寸(注:3cm)にもならぬといふ様なことは、素より自然淘汰とうたの結果と見做みなす訳には行かぬ。
 くのごとく水中の塩分の多少は直接に動物の身体の発達に影響えいきょうおよぼすもので、塩分の度が変ずれば其中そのなかで生まれた子は親とはことなつた形状に発育する。実験によつて確に知れてある例は、今日の所なお数多くは無いが、それからして考へると、この性質は動物界に広く通じてあるもののごとくに思はれる。若し実際左様であるとしたならば、る原因によつて水中の塩分の度に変化が起れば、其処そこに住んで居る動物は直接に其影響そのえいきょうこうむつて、形状・性質等に変化を生じ、仮令たとい、自然淘汰とうたといふことが全く無いと想像するとも、先祖と子孫との間にはいちじるしい相違そういが起らざるを得ぬ。例へばこゝに海岸に近い処に一個の淡水たんすいの池があつて、其中そのなかに豊年魚が住んで居たと仮定するに、若し地震じしんによつて此池このいけと海との境が切れ、鹹水かんすいが池の方に混じ入つたならば、其中そのなかに住んで居た豊年魚は三四代の後には動物学者が別属・別種と見做みなす程に先祖とはちがつたものに変じて仕舞しまふ。此場合このばあいには生まれた子孫がことごとみな生存して其間そのかんに少しも淘汰とうたが行はれなくとも、総べて同様に一定の方向へ、向うて変ずる訳であるゆえこれは自然淘汰とうたに基づかざる一種の変化である。しこうしてかる地殻ちかく変動へんどうは、常に起ることで、決してめずらしくないから、実際じっさい動物が右のごとき変化を経た場合は、随分ずいぶん沢山たくさんにあつたであらう。また仮令たとい斯様かよう地震じしんなどが無くとも、動物自身の方で、塩度えんどの異なつた処に移住すれば、これと全く同様な結果が生ずるは勿論むろんのことであるから、最初同一の先祖から起つた子孫でも、一部は塩のい処に移り、一部は塩のあわい処に移れば、たちま其間そのかん相違そういが生じて、終にはあきらかに二様の変種となつて仕舞しまふにちがひない。

三 温度の影響えいきょう


 温度が動植物の発育に直接の影響えいきょうおよぼすことは、最もあきらかなことで、同一の植物でもあたたかい処と寒い処とでは葉の大きさ・厚さなどに著しい相違そういがある。動物の方で特に面白いのは、温度と彩色さいしょくとの関係で、ちょう類のごときは、寒暖かんだんの度にしたがひ、種々の異なつた色をていする種類がはなはだ多い。我国に普通ふつうに産するアゲハちょうの類も、春出るものと、夏出るものとでは、色も大きさも余程ちがふ。ヒヲドシちょうの類も温度次第で種々の斑紋はんもん彩色さいしょくを現し、従来二種あるいは三種と見做みなされてあつたものが、飼養しよう実験の結果、同種に属することの確に解つた例がいくらもある。前に第五章にげた黄蝶きちょうごときもこれと同様な例で、実験によつて初めてことごとく一種であることがあきらかに知れた。
 くのごとく、ちょう類の色や模様もようは温度次第で種々に異なるものゆえ、人工的に温度を加減して、飼養しようすれば、夏出るべき形のものを冬造ることも決して困難こんなんではない。なお此方法このほうほうによつて、実際自然には生存して居ない様な変つたちょうを造ることも出来る。此事このことは生物の進化を説明するに当つて興味きょうみある問題ゆえすでに種々の実験を行うた人があるが、温度の高低によつて、何時いつも必ず一定の変化が生じ、決してあやまることは無い。これより考へて見るに、若しる原因により一地方の温度に変化が起つたならば、其処そこに住む総べてのちょうことごとく直接に同一の影響えいきょうを受け、同一種類に属する個体こたいみな打ちそろうて一定の方向に向ひ、変化するはずであるが、これも自然淘汰とうたに基づかぬ変化の一である。実際においては素より自然淘汰とうたが働いてるものは生存し、るものは死に絶えるに相違そういないが、温度の影響えいきょうは敵も味方も同様に受けねばならぬゆえ、自然淘汰とうたの結果と相並あいならんで、その結果も現れざるを得ぬ。
 なお其外そのほか温度の変化にしたがひ、いちじるしく変化するものは、鳥獣ちょうじゅうの毛の色である。る人が寒帯地方において冬に白色に変ずべきけものを温室の中でやしなうて置いたに、何時いつまでも白色にならなかつたが、外へ出して寒気にれしめたれば、一週間の間に全く白色に変じて仕舞しまうた。鳥獣ちょうじゅうごとき高等の動物にいて、温度が如何いかに身体の発育上に影響えいきょうおよぼすかをたしかめた試験はまだ余り多く聞かぬが、温度に変化が起れば、動物の身体発生の上に何か影響えいきょうおよぼすものであるといふことだけはうたがはれぬ。微細びさいな下等動物の中には、温めれば女の子ばかりを生み、冷やせば男の子ばかりを生む類があるが、此等これらを見ても、温度と動物の生活現象との間の関係が如何いか親密しんみつであるかを察することが出来る。く考へると、実際今日までに地球の表面において、動物が直接ちょくせつに温度の影響えいきょうを受けて、形状・体質等に変化を生じた場合も、決して少くは無かつたらうと思はれる。

四 其結果そのけっかの遺伝すること


 以上は、いずれも外界に起つた変化が動物の身体におよぼす直接の影響えいきょうであるが、若し斯様かよう影響えいきょう其動物そのどうぶつ一代だけにかぎられて、決して次の代まではおよばぬものならば、如何いかに外界に変化が起つたとて、動物は代々先祖と同一な性質を持つたたまごから発生を始めることになるゆえ、外界から受ける影響えいきょうの結果が積み重なつていちじるしくなる望は無い。親である動物が、一生涯いっしょうがいの間に如何いかに変じても、其子そのこは再び親の発生の出発点と同じ処から発生を始める訳ゆえ、外界から受ける変化は、何代過ぎても一定の制限をえることは出来ぬ理窟りくつになる。しかし、若し斯様かよう影響えいきょう其時そのときに当つた動物自身のみならず、その子孫までにおよぶものならば、次の代にはすでに発生の出発点が親のにして少し進んで居るゆえこれ其一代そのいちだいの間に受けるだけの影響えいきょうけ加はれば、生長の終りには其親そのおやの達した点よりは尚一層なおいっそう先の処まで進むことが出来て、代々同じことをり返す間には、外界から受ける影響えいきょうの結果が漸々だんだん積つて、終には余程著しくなるはずである。実際いずれであるかは、先年まで議論の絶えぬ問題であつたが、今日の所では、最早後段のごとくに決して仕舞しまうた。そのくわしいことは次の章で述べるゆえ、こゝにはりゃくするが、初めかる変化は一切遺伝いでんせぬと論じた学者も、後には多少遺伝するといふ考に変じたゆえ、先づ斯様かように言ひつても差支さしつかへは無からう。
 素より動物が一生涯いっしょうがいの間に外界から受けた影響えいきょうの結果が、何でもことごとく子に遺伝いでんすると思ふ人はだれも無い。昔は親羊が前足にきずをしたれば、の生んだ子羊の前足に親の傷と同じ場所だけ毛の色がちがうて居たとか、親犬の耳を切りのぞいたれば、耳の短い子が生まれたとかいふ様なことをとなへた人もあつたが、此等これらは無論取るに足らぬ俗説ぞくせつで、今日まで斯様かよう怪我けがが子に遺伝する例の確なものは一つもない。親が負傷ふしょうすることは実際いくらでもあるが、の生んだ子に親の傷に相当する畸形きけいは決して出来ぬ。しかし、動物の一生涯いっしょうがいの間に外界からこうむる影響えいきょうには、種々の性質のものがあり、身体の一部だけに限られたものもあれば、全身に通ずるものもある。本章において述べたごとき食物・気候等の影響えいきょうは全身がことごとこれを受け、如何いかがなる部分といえどこれまぬがれるところは無い。子孫までも影響えいきょうおよぼすのは斯様かような場合に限ることであらう。
 地味・風土・気候等の影響えいきょうが、直接これれた動植物の一代のみに止まらず、その子孫までもおよぶことは、実際の例からもあきらかであるが、理窟りくつを考へても、もっとくありさうなことである。温度を変ずれば、これに応じてちょう彩色さいしょく斑紋はんもんに変化の生ずることは、すでに述べたが、もっぱ斯様かような実験に従事じゅうじして居た学者の近頃ちかごろの報告によるに、ちょうを高い温度で飼育し、色を変ぜしめて、次に其蝶そのちょうの生んだたまご普通ふつうの温度で飼うて見たれば、熱によりて生じた色の変化が、子の代になつてもなお余程現れたといふが、これは外界から動物の身体におよぼす影響えいきょうが、遺伝によつて子孫に伝はるといふ事実上の確な証拠しょうこである。其他そのほかアメリカの玉蜀黍とうもろこしをドイツ国に移せば、一代ごといちじるしく変じて、三代目に至れば、全く祖先と異なつたものになつて仕舞しまふのもこれと同様な訳で、若し一代の間に、外界から受けた影響えいきょうは種子には感ぜず、したがつて子に伝はらぬものならば、代々純粋じゅんすいのアメリカ種から培養ばいようするのと同じく、決して一代ごとに変化の度の進む理由は無い。またこれと少し種類のちがふ例は、アブリン、リチンなどいふはげしい毒薬どくやく普通ふつうねずみに食はせれば、ただちに死んで仕舞しまふが、エーリッヒといふ医学者の実験によれば、始め極少量ごくしょうりょうあたへて、漸々だんだん其量そのりょうを増して行くと、終には此毒このどくに感ぜぬ性質が生じ、その所謂いわゆる免疫性めんえきせいが子に伝はるとのことである。
 以上は事実だけであるが、さら理窟りくつの方から考へて見るに、およそ動物でも、生殖せいしょくによつて新しい一個体の出来るのは、決して生殖せいしょくの際に前に無かつたものが突然とつぜん生ずるのではない。子となるべき部分は、生殖せいしょく以前から親の体内に備はつてある。例へば我々われわれ人間でも、生まれたばかりの幼児ようじの体内にすで其幼児そのようじが生長して後に生むべき子の種が存在そんざいしてあることは、解剖かいぼうして見れば、ただちに解る。斯様かように後に子となつて生まれ出づべき部分は、生殖せいしょく作用の行はれぬ前から身体の内にあつて、肺臓はいぞう心臓しんぞう肝臓かんぞう腎臓じんぞうなどと同様に、生きた身体の一部をなし、同一の血液けつえきに養はれ、同一の滋養分じようぶん摂取せっしゅし、同一の淋巴リンパうるはされ、同一の神経しんけい支配しはいせられて居ることゆえ、全身が外界から影響えいきょうこうむるときには、後に子となるべき部分だけが、これまぬがれるといふことはすこぶる有り得難えがたいことと思はざるを得ぬ。しかし、此事このこと近頃ちかごろまで激しい議論のあつた問題で、堂々どうどうたる大家がこれに反対して居た位ゆえ、素より臆測おくそくもって軽々しく判断すべきものではないが、今日ではすでに実験によつて証明せられたのであるから、最早これうたがふべき余地は無い。 さて外界から動植物の身体におよぼす影響えいきょうは、其一代そのいちだいのみならず、子孫までも伝はるとすれば、外界の変化にともなふ動植物の変化も代を重ねるにしたがひ、漸々だんだん積つていちじるしくなる訳で、動植物が新しい土地につて来た場合にもこれと同じく、る一定の度までは代々変化の度も進むに相違そういない。今日地方的変種と名づけるものの中には、かる方法によつて生じたものが沢山たくさんにあるかも知れぬ。本章に述べたごとき自然淘汰とうた以外の原因げんいんによつて生じた変化も、代々積み重なれば、終にはれのみのために、先祖とはいちじるしくちがうた子孫しそんが出来ることも、随分ずいぶんあり得べきことであらう。
 くのごとく、動植物の生活上の現象を詳細しょうさいに調べて見ると、自然淘汰とうた以外にもなお動植物の種属に変化を起すべき原因は種々あつて、自然淘汰とうたと同時にはたらいて居るが、此等これらいては、我々われわれただ若干の事実を知るだけで、その理由・法則に至つては、未だ一向に解つては居らぬ。例へばベニシジミちょうは温度を高くして飼へば何故なぜはねの黒いものが出来るか。カナリヤに胡椒こしょうあたへれば、何故なぜ羽毛の黄色がくなるか、豊年魚は塩分の増加にしたがひ、何故なぜ形状に一定の変化が起るかといふ様な問に対しては、ただ生理上くなるべき理由がそんするのであらうと推察すいさつするばかりで、何ともあきらかに答へることは出来ぬ。それゆえ、今日の所では、一個々々の動植物にいていずれの点がかる原因から生じたものであるかを明言し得る場合は、きわめて少い。ただ全体にいて自然淘汰とうた以外にも、なお動植物種属の漸々だんだん変化すべき原因があるといふ断言が出来るのみである。
 自然淘汰とうたいてはすでに前にも述べた通りで、動植物の子を生む数の非常ひじょうに多いこと、したがつて生存競争せいぞんきょうそうくべからざること、野生動植物にも変化性が備はつてあり、同一の親から生まれた子の間にも常に多少の相違そういの点のあることなどから考へれば、自然淘汰とうたの絶えず働いて居ることは、理窟りくつ上、うたがふべからざるのみならず、実際動植物の生活状態を観察かんさつすれば、攻撃こうげき防禦ぼうぎょ器官きかんの発達せること、種属維持いじに必要な本能ほんのうの備はれることなど、自然淘汰とうたによつて各種属の進化し来つた証拠しょうこほとんど無数にあるが、此方こちらが余り著しいゆえ、他の原因から起つた変化へんかは、これかくれて、一向に目立たぬ。とくに外界から動植物の身体におよぼす直接の影響えいきょういては、今日なお理由・法則等が解らぬゆえ、結果から原因を推察すいさつするがない。それゆえ仮令たとい、目の前にかる影響えいきょうを受けて変化し来つた動植物を見せられやうとも、これ判断はんだんすることは出来ぬが、本章に述べたごとき実験もあることゆえ、自然淘汰とうた以外には、動植物種属の変化する原因は無いといふ説は事実に相違そういしたものと見做みなさねばならぬ。

五 住所の広さの影響えいきょう


 如何いかがなる理由によるか、少しも解らぬが、多くの動物は実際其身体そのしんたいの大きさが住処じゅうしょの広さに比例ひれいし、同一種の魚でも広いところでは大きく生長し、せまい処では如何いかえさが十分にあつても、一定の大きさまでにより生長せぬ。こゝに図をげたのは、淡水たんすいに産するモノアラヒガヒといふ貝であるが、く大きさのちがふは、同一の親から生まれた卵塊らんかいを四組に別ち、各々おのおの大きさの異なつた器に入れて飼養しようした結果である。えさいずれにも十分にあたへたのであるから、大小の相違そういのあるのは決して滋養分じようぶんの不足などより起つたわけでない。全くただ容器の大きなのにより直接ちょくせつ影響えいきょうを受けた結果と考へねばならぬ。これはセンペルといふ動物学者が態々わざわざ行うた実験であるが、実際ヨーロッパのる小な池では、ますが十分生長せぬから、一定の大きさにたっすると、これを他の大きな湖に移して生長させ、しかる後にこれりょうする処がある。なお少し注意して見ると、く外国の例などを挙げるにおよばず、何処どこにも多少これに類する現象げんしょうを発見することが出来る。

「第六十八図 モノアラヒ貝」のキャプション付きの図
第六十八図 モノアラヒ貝

 斯様かようなことがあるゆえしこゝに一つの広い湖があり、地殻ちかくの変動により漸々だんだんいくつもの小な池に分かれたと仮想かそうしたならば、其中そのなかに住する魚類・貝類などは、一代ごとに親よりはやや小く生長し、終には先祖に比してはるかに小なものとなつて仕舞しまふに相違そういない。もっとかるものを別種べっしゅ見做みなすことは出来ぬかも知らぬが、兎に角とにかく、先祖と子孫との間には、形にいちじるしい相違そういの生ずることだけは確である。人間などでも、たけの高い人と低い人とを比べると単に身長に差がある外に、体の諸部しょぶの間の割合わりあいにも著しい相違そういがあるから、魚類や貝類でも、大小のちがふものはおそらく頭・はら等の割合も異なるであらうが、当時魚類のみを専門せんもんに調べる分類家の中には、コンパスと物指しとをて、魚の身体をはかただちに種属を区別する人などもあるから、以上のごとくにして、出来た子孫も先祖とは全く別種のものとして、新しい学名をけられるかも知れぬ。しこうしてかる変化は一代の間にすで明瞭めいりょうに現れるものゆえ、無論自然淘汰とうたとは関係のない変化である。
 以上のごとき事実を態々わざわざこゝにげたのは、動植物と外界との間には、密接みっせつな関係があるが、これに関する我々われわれ知識ちしき現今げんこんなお極めて不十分なことを示すためである。えさを十分にあたへて、他に何も生長をふせげるものの無い様に、十分に注意して養うても、小なうつわに入れてあるモノアラヒガヒは大きな器で飼うたものに比べると、十分の一にも足らぬ大きさまでより生長せぬのを見てもさっせられる通り、外界からは我々われわれの思ひおよばぬ様な方面において、動植物の身体に直接の影響えいきょうを加へることのあるもので、すでにダーウィンも注意したごとく、ししとらの類は動物園にはれて居ながら、さかん繁殖はんしょくするが、くまの類は如何いか滋養分じようぶんを十分にあたへても、決して子を生まぬ。またわしたかの類は人に飼はれて随分ずいぶん達者に長生ながいきをするが、雌雄しゆうそろうて居ても決してたまごを産んだ例が無いといふことなども、今日の所、一向其理由そのりゆうの解らぬ事実である。くのごとく、いまだ解らぬことばかりで満たされてある時代には、仮令たといる現象が未だ実験によつて証明せられぬからというても、決してこれを実際に無いものと断定だんていすることは出来ぬ。本章に述べたごとく、外界から動植物の身体におよぼした影響えいきょうが子につたはることの確な証拠しょうこなおはなはだ少いが、其他そのほかの場合といえども決して子に伝はらぬものとは無論言はれぬ。されば此点このてんいては、今日最も必要ひつようなことは、先づ実験観察によつて確な事実を多く集め、これを研究して其理由そのりゆうさぐることである。単に自分の思ひついた理論りろんを基として全部に通ずる一定の仮説を考へ出すことは、研究の鋒先ほさきを有望な方面に向けしめるだけの利益はあるかも知れぬが、ただちこれを取つて事実の説明に用ゐることは出来ぬ。


第十六章 ダーウィン以後の進化論


 以上第三章より第十五章までにおいて、生物進化の事実およこれを説明する自然淘汰とうたせつくに当り、事実にかんする例は、現今げんこん知れて居るものの中から、著者ちょしゃ随意ずいいに選び出したのであるが、理窟りくつの方は全てダーウィン自身の考を述べたつもりである。ダーウィン以後に生物進化のなお一層たくみな説明を案出しやうとほねを折つた学者は、いく人あるか知れぬ程で、其人そのひと等の発表した仮説も随分ずいぶん種類が沢山たくさんにあり、たがいに相駁撃ばくげきして何時いつてるか分からぬ様であるが、著者の見る所によれば、今日においても最も確実なのは、矢張やはりダーウィン自身の説いた通りのことだけで、ダーウィン以後に出た種々の説は、いずれもこれに比べると事実上の論拠ろんきょはるかに弱い様に思はれる。しこうして本書においては、著者の最も確であるとしんずる所にしたがうて記述したゆえ、自然全くダーウィンのろんじた通りを紹介しょうかいすることになつたのであるが、ダーウィンが「種の起源しゅのきげん」をおおやけにしてから、今年は最早四十五年目であつて、其間そのかんける生物学の進歩は実におどろくべき程であるゆえ、本章にはダーウィン以後の進化論の有様を極めて簡単かんたんに述べて、此論このろんの現在の状況じょうきょうあきらかにしやうと思ふ。
 生物進化の事実とこれを説明するための理論りろんとは、全く別に分けて論ぜねばならぬことは、前にも述べたが、本章にも素より此区別このくべつが必要で、事実の方面と理論の方面とでは大に模様もようちがふ。一言でダーウィン以後の進化論しんかろんの歴史を言へば、生物進化の事実は年々多数の新規しんき証拠しょうこが発見せられ、益々ますます確乎かっことなつて、今日の所では最早動かすべからざるものとなつたが、これに対する理論の方は比較的ひかくてき進歩がおそく、沢山たくさんに考へ出された仮説かせつは、いずれも不十分な事実上の知識ちしきを基として、其上そのうえに大きな想像そうぞうを積み重ねたもので、はなは論拠ろんきょの弱いものゆえ其中そのなかから真に確乎かっこたる部分をり出せば、矢張りかってダーウィンが「種の起源しゅのきげん」の中に説いて置いたことだけになつて仕舞しまふといふことが出来る。ダーウィンは、生物の進化は主として自然淘汰とうたの結果であるが、なお外界から直接の影響えいきょうこうむることももとより種属の変化にあずかつて力あるものであると説いたが、其後そのご論者ろんじゃの中には、不思議にも両極端りょうきょくたんに走つた二組が出来て、ウォレース、ヴァイズマン等は生物の進化は自然淘汰とうたのみによることで、自然淘汰とうた以外には生物進化の原因げんいんは無いと論じ、アメリカの化石学者コープ、オスボーン等は、昔ラマルクの言うた通り、生物の進化は主として器官きかんの用不用に基づくことで、自然淘汰とうたこれに対しては余りいちじるしい結果を起さぬと論じて居る。しか著者ちょしゃの考によれば、これいずれも一方にへんした説で、矢張りダーウィンの論じた通りが最も正当である。また実際今日動物学者の多数は此説このせつを取つて居る様である。

一 事実の益々ますます確となつたこと


種の起源しゅのきげん出版しゅっぱん以後にける生物学の進歩は、実に非常なもので、解剖かいぼう学・発生学・古生物学・生態学せいたいがく等の各方面において、新に発見になつた事実はすこぶおびただしい。本書に例として挙げたものの中にも、ダーウィン以後の発見に係るものが過半をめて居る。特に発生学・生態学・下等の海産動物の研究のごときは、ほとん進化論しんかろんによつて新しく始まつた学科というてもよろしい位であるが、その研究によつて発見になつた事実は、如何いかがなるものかといへば、大部分はみな進化論の証拠しょうことも見做みなすべきものばかりである。また古生物学のごときも、以前よりあつたにはちがひないが、四五十年以来の進歩は特にいちじるしいもので、本書にげた古生物学上の例のごときは、ほとんことごとく近来の発見に係るものである。ダーウィンが「種の起源しゅのきげん」をちょしたころには、生物進化の証拠しょうことなるべき事実がなお比較ひかく的少数であつたゆえ、生物学者中にもこれうたがふ人が随分ずいぶんあつて、中には進化論は夢のごとき空想であるとあざけつた人まであつたが、其後そのご年々新しい事実の発見になるごとに、進化論の証拠しょうこが増して行くので、たちまだれの真なることを信ぜざるを得ぬ様になり、現今げんこんでは生物学をおさめながら、なお進化論をうたがふ人は一人もい有様となつた。されば今日のごとく生物進化の事実がたしかになつたのは、全く十九世紀の後半において、生物学上の知識ちしきいちじるしく進歩した結果に外ならぬが、く生物学の研究がさかんになつて、比較ひかく的短い年月の間におびただしい事実を発見するに至つたのも、「種の起源しゅのきげん」の出版が大にあずかつて力あることゆえ、生物学の発達に対するダーウィンの功績こうせきは実に空前のものといはねばならぬ。
 くのごとくダーウィン以後の生物学研究の結果によつて、生物進化の事実は益々ますます確となり、ついに最早少しもうたがふべからざる程度までに達したが、これただ生物の各種属は漸々だんだん進化して今日の姿すがたになつたものであるといふ大体のことだけで、一種ごとの生物にいて、如何いかがなる先祖から如何いかがなる進化の径路けいろて、今日の有様にたっしたものであるかとくわしくたずねると、今日といえどあきらかに答へられる場合はほとんど一つも無い。しかし、牛や羊の胎児たいじ上顎うわあごに一度前歯が生じて後に消えせるのを見ては、牛・羊の先祖にはかる歯が発達してたものと信ぜざるを得ぬごとく、また大蛇だいじゃに足の痕跡こんせきそんするのを見ては、へび類も足を有する先祖からくだつたものと思はざるを得ぬごとく、一動物の解剖かいぼうおよび発生があきらかに解つて来れば、其中そのなかから確にその先祖の有した若干じゃっかんの性質を発見することが出来るゆえこれ根拠こんきょとして其動物そのどうぶつ経過けいかし来つた路筋みちすじ幾分いくぶんかを推察すいさつすることが出来る。の「個体の発生は種属の進化の順序をり返す」といふ生物発生の原則は、すなわ此方法このほうほうによつて推察すいさつした結果を綜合そうごうしたものであるが、ダーウィン以後今日までに発見になつた発生学上の事実を此原則このげんそくてらして考へて見ると、動物の各種属が共同の先祖から樹枝状じゅしじょうに分かれくだつたことは、十分確な様に思はれる。これは素より推察には相違そういないが、余程よほど確な根拠こんきょのある推察であるから、先づこれを真とみとめて置くよりいたし方はない。これより尚一層なおいっそう真らしい推察は、今日の所、決して出来ぬのである。最近さいきん四十年ばかりの間に、多くの動物学者が解剖かいぼう学・発生学等の研究に尽力じんりょくしたのも、一はこの進化のえだぶりをあきらかにし、動物各種属の系図けいず上の関係を一目瞭然いちもくりょうぜんたらしめたいとの考から起つたことで、実際この目的のために有益ゆうえきな事実の発見せられたのもすこぶる多く、これを手がかりとして、進化の径路けいろの大体がほぼ確に推察せられるまでに至つた部類ぶるいも、すでに多少は出来た。
 なおこゝに言うて置くべきことは、動物各種属の進化の路筋に関する沢山たくさん想像説そうぞうせついてである。そもそも生物発生の原則げんそくといふものは発生学上の事実を集め、これより綜合そうごうして論じたものゆえ、原則其物そのもの勿論むろんうたがふべからざるものであるが、何万億年なんまんおくねんの間に種属が漸々だんだん進化するのと、僅々きんきん数週か数月の間に、母胎ぼたいまた卵殻たまごからの内で個体の発生するのとは、の接する外界の事情じじょうが全くちがゆえ、個体の発生は種属の進化の順序をり返すというても、此二者このにしゃが細かい点までことごとく相一致いっちして居るといふわけでは無論むろんない。其間そのかんにはむしろ非常な相違そういがあつて、先祖の姿すがたが少しも変らず、其儘そのままに子孫の個体発生の途中とちゅうに現れるといふごときことは決して無い。ただ歴代の先祖の有した若干じゃっかんの性質が、順を追うて子孫の個体発生の中に現れるといふに過ぎぬのである。それゆえ此原則このげんそくぎゃく応用おうようして、一動物の個体発生の有様から其種属そのしゅぞくの進化し来つた路筋みちすじを考へ出さうとする場合には、余程ひかへ目にして十分注意せぬと、んでもないあやまつた結論けつろんに達するおそれがある。例へば、一種の動物を取り、其発生そのはっせいを十分に調べ上げた所で、若し発生中の各期に現れる性質せいしつことごとその種属の進化の径路けいろおいこれに相当する時代の先祖が有した性質であると考へたならば、これは大きな間違まちがひである。すでに第十章においても述べたごとく、個体発生の際には、遺伝いでんによつて先祖の性質がり返して現れると同時に、現在発生するに都合よき様にいちじるしく変化した点も素より多いから、かる際には、いずれの点は先祖からの遺物いぶついずれの点は後世新にたものであるかを十分鑑定かんていして、然る後にその動物種属の進化の路筋みちずじ推察すいさつする様にせねばならぬ。しこうしてこれ鑑定かんていすることは、広く動物総体の発生・解剖かいぼう等の事実を知つて居なければ出来ぬことである。単に一部類のみに通ずる者は、各性質の発生学上の価値かちを適当に判断することが困難で、したがつて誤つた結論におちいり易い。然るにいずれの国でも、何時いつの世でも、新に道を開いて進む人はきわめて少く、他人の後にいて行く連中は無数にそんするのはまぬがれぬ所で、生物発生の原則のごときも種々雑多に相異あいことなつた発生学上の事実のまつて居る中から、全体に通ずる理法を見つけ出し、これを一の原則げんそくとして言ひ表すことは、ヘッケルのごとき大家を待つて初めて出来ることであるが、一旦いったん此原則このげんそくが知れてから後に、これを逆に当てめて、種属の進化に関する臆説おくせつを造ることは、だれでも出来ることゆえる動物の発生を調べた者は、わずかに発見し得た所の事実を基とし、ただちこれよりその動物の進化し来つた径路にいての推察説すいさつせつおおやけにすることが、一時は大いに流行して、大学の卒業論文などにも何かの動物の進化の想像的そうぞうてき系図けいずいて居ぬのはほとんど無い様な有様であつた。特に脊椎せきつい動物は我々われわれ人間をもふくむ門であるゆえこれいては斯様かような想像的系図がいく通り発表せられたか知れぬ。る人は脊椎せきつい動物の先祖は海底かいていに産する海鞘ほやといふ動物であるといひ、る人は兜蟹かぶとがにであるといひ、る人は蚯蚓みみず・ゴカイの類であるといひ、またる人は海底のどろの中に居る紐虫ひもむしといふ長い虫の類であるなどというて、其他そのほか、例を挙げると、ほとんど際限も無い。しこうしていずれも確乎かっこたる証拠しょうこのあるわけではなく、ただ脊椎せきつい動物の発生の途中とちゅうに多少斯様かような動物に似た点が見えるといふにぎぬ。かる有様だけを動物学者以外の人に聞かせたならば、動物学とは左様な空論くうろんばかりをたたかはせる学科であるかとおどろくに相違そういないが、実は動物学者の中でも心ある者はこれ苦々にがにがしく思ふほどであつた。もっとかる想像説をおおやけにした人の中には、随分ずいぶん有名な学者もあるが、これは素より単に仮説として発表したまでのことで、論者ろんしゃ自身も無論これを確定したものとは考へては居らぬ。それゆえ此等これらごとき動物種属の進化の系図けいずに関する想像説の中で、いずれが正しからうとも、いずれがあやまりであらうとも、また総べてが間違まちがうて居らうとも、生物進化論せいぶつしんかろんに対しては何の影響えいきょうおよぼす訳はない。然るに、世間では往々かる想像説の衝突しょうとつから起る学者間の議論を聞き伝へて、生物進化論が当時なお疑問中のものであるかのごとくに考へる人もあるが、生物学上の無数の事実から帰納きのうして知り得た生物進化の事実と、斯様かよう論拠ろんきょの弱い想像説とは、素より別物であつて、後者が如何いかに決しやうとも、前者は確乎かっことして動くことは無い。

二 理論の比較ひかく的に進まぬこと


 生物進化の事実はダーウィン以後の研究によつて益々ますます確となり、最早うたがふべからざるものとなつたが、生物は如何いかがなる原因により如何いかがなる法則に従つて、進化し来つたものであるかとの問に対する説明理論の方は、今日といえどもダーウィンの時に比べて、余りいちじるしい進歩は無い様である。前に述べた通り、ダーウィンは生物に変化性へんかせいのあること、および生まれる子の数の非常に多いことを事実とみとめ、これを基として、生物種属せいぶつしゅぞくの進化は主として自然淘汰とうたによるとろんじただけで、兄弟間の変化は何故なぜに生ずるか、遺伝いでん如何いかがなる仕掛しかけにより行はれるかといふ様に、遺伝性および変化性の原因・法則までは論じおよばなかつた。もっとも遺伝にいては「飼養しよう動植物の変化」と題する著書ちょしょの終りに一の仮説をげてはあるが、これは全く一時の仮説かせつで真に間に合せのものであると、著者もあきらかことわつて居るから、余り重きを置くべき性質のものではなく、これ如何いか間違まちがつて居ても、ダーウィンの考の本体には何の影響えいきょうおよぼす訳はない。またダーウィンは自然淘汰とうたもって生物進化の主なる一原因いちげんいんみとめるだけで、なお其他そのほかにも生物種属に変化をおよぼすべき原因があると信じて居た。此事このことは「種の起源しゅのきげん」の緒言しょげんの終りにあきらかに書いてあるが、ダーウィン説に反対する人の中には、ダーウィンは生物進化の原因は自然淘汰とうた以外には無いと論ずる様に誤解ごかいし、往々る事実をとらへ来つて、これは自然淘汰とうたでは説明が出来ぬではないかといふ駁撃ばくげきの材料としたものも多勢おおぜいあつたので、後のはんにはさらに第十五章結論の中に斯様かように誤解せられては実に迷惑めいわくであるとの文言を新にけ加へた位で、ダーウィンが自然淘汰とうた以外にもなお生物進化の原因があると考へて居たことはきわめて確である。しかるに今日ダーウィン派と自称じしょうする人々の中には、自分の説にダーウィンの名をかぶせて、あたかもダーウィン自身がく説いたごと吹聴ふうちょうするものもある様に思はれるから、特に此事このこと附言ふげんして置くのである。
 ダーウィンの自然淘汰とうた説は、生物に遺伝性と変化性との備はつて居ることをみとめさへすればよろしいので、変化および遺伝の原因・法則が解らなければ説が成り立たぬといふ様なものではない。しこうして生物に遺伝性と変化性との備はつてあることは、我々われわれの日夜目の前に見ることで、だれうたがふことの出来ぬ事実である。今日やかましい議論ぎろんのあるのは、多くは尚一層なおいっそう先の遺伝説で、これは日々我々われわれの見る遺伝および変化の事実は、如何いかがなる原因から起るかといふ問題をかうと勉めるものゆえ、自然淘汰とうたの説と関係があるには相違そういないが、これは別にはなして論ずる方が至当である。
 今日生物学の全体を修めた者で、生物の進化し来つたことをうたがふ人は、最早もはや一人もないが、生物は如何いかにして進化し来つたかとの問に答へやうとする理論りろんの方は、いまだ決して一定しては居らぬ。ダーウィン以後に出た種々の説を集めて見ると、たがいに相反対したものが多数にあるが、これを大別すれば、先づ次の三組に分けることが出来る様に思ふ。すなわち第一には生物進化の原因げんいんは主として自然淘汰とうた以外にあるといふ説。第二には生物進化の原因は主として自然淘汰とうたであるが、なお其他そのほかにも生物の進化すべき原因があるといふ説。第三には生物の進化はただ自然淘汰とうたのみによることで、自然淘汰とうた以外には生物進化の原因はないといふ説である。右の中、ダーウィン自身の説はすなわち第二の組に属するが、本書の著者ちょしゃの考へる所によれば、今日といえども最も真に近いのは矢張やは此説このせつである。
 第一の組に属する説の中から、最も顕著けんちょなものを選り出すと、二つある。一は「新ラマルク説」と名づけるもので、生物進化の原因は主として器官きかんの用不用に基づくとの説であるが、これはダーウィンの所謂いわゆる自然淘汰とうた以外の生物進化の原因の方をすこぶる重く見た考である。アメリカの化石学者等の主としてとなへ出した所で、コープ、オスボーン等が此側このがわに立つ最も有名な論者ろんしゃである。他の一は「突然とつぜん変化説」とでも名づくべきもので、近年オランダの植物学者ド=フリースの主唱しゅしょうに係る説であるが、此人このひとそのために大部な書物をちょし、わかい時から今日まで数十年間の経験に基づき、実に莫大ばくだいな材料を列挙して、論じて居るが、其説そのせつの大要は、「およそ生物の変化には二種の別がある。一は親子・兄弟の間に常に現れるごとき些細な変化で、これは遺伝によつて子孫には伝はらぬ。他の一種は時々突然とつぜんに現れる著しい変化で、これ遺伝いでんによつて子孫に伝はる。生物の新種の出来るのは、何時いつも後者のみに基づくものである」といふ説で、かっ哲学てつがく者ハルトマンの論じた所とすこぶ相似あいにた考である。両方ともに若干じゃっかんの事実だけにいて見ると、一応もっとに思はれるが、動植物の身体に存する無数の生存競争せいぞんきょうそう上必要な構造・性質は如何いかにして生じたものであるかを説明することは、到底とうてい出来ぬゆえこれもって自然淘汰とうた説の代りとする訳には行かぬ。此等これらの説に関して多数の学者のちょした論文ろんぶんを一々検査し始めたならば、中々なかなか容易なことではなく、非常に長くもなることゆえ、本書においては全くりゃくするが、大意だけは先づくのごとくである。今日の所、ダーウィンの自然淘汰とうた説のいきおいが多少下火になり来つた事はあきらかであるが、これは一時無暗むやみ此説このせつを有難がり過ぎた反動とも見るべき現象で、自然淘汰とうた説の真の価値かちは、当今といえどしずかに考へる多数の学者の十分みとめて居る所である。むしろ種々の反対説が出たので、自然淘汰とうた説の真価が現れたごとかたむきが見える。
 第二の説を取る学者の数はすこぶる多い。ハックスレー、ヘッケルのごとき有名な進化論しんかろん者を始め「綜合そうごう哲学てつがく」の著者スペンサー、「ダーウィンおよびダーウィン以後」の著者ローマネスなども此説このせつで、総べてダーウィンと同じく、自然淘汰とうた以外にもなお生物進化の原因のそんすることをみとめて居る。近年におよんで、此説このせつ比較ひかく的に声の高くないのは、ただダーウィンのすでに説いた所ゆえ、改めてやかましく人がさけばぬからであらう。しかし、此説このせつは第一説と第三説との中間に位するもので、先づ最も穏当おんとうな考と思はれるが、なお其理由そのりゆうは追つて述べる積りである。
 第三の説はヴァイズマンのとなへる所であるが、これは自分が考へ出した一種の遺伝説いでんせつに基づくものゆえ此遺伝説このいでんせつの方が確でないとしたならば、此説このせつただちたおれて仕舞しまふべきはずのものである。しこうしてヴァイズマンの遺伝説は今日実際如何いかがなる有様にあるかといふに、実におどろくべき程にたくみに造り上げたものではあるが、中々まだ一般いっぱんの学者が承認しょうにんするに至らぬのみか、これを信ずる人はむしはなはだ少数な様に見受ける。くのごとき次第ゆえ、ダーウィン以後の進化論しんかろんは理論の方の進歩ははなはわずかで、今日までにける真の進歩といふべきは、一時極端きょくたんまで自然淘汰とうた説をとおとび過ぎた誤を漸々だんだんさとるに至つたこと位であらう。ダーウィン自身も初めて自然淘汰とうたに気のいたときは、少しこれに重きを置き過ぎて、ほとんど何事もこれによつて解釈かいしゃくが出来る様に思うたが、其後そのご研究を積むにしたがひ、生物の進化には自然淘汰とうた以外の原因も中中あずかつたといふことを信ずる様になり、晩年ばんねんに至つては益益此考このかんがえかたむいたが、ダーウィン以後の進化論者の説を時の順にならべて、同時代のものを平均して比較ひかくして見ると、略略ほぼこれと同様な変化が見える。すなわち初めのうちは、生物界に現れる事物は一としてこれで説明のかぬものは無いかのごとくに説き立てたが、追々自然淘汰とうた以外にも生物進化の原因が存することに心づき、今日では自然淘汰とうたの働きの範囲はんい、自然淘汰とうたに必要な条件等を静に考へて、其真正そのしんせい価値かちひょうするまでにたっした様である。

三 ハックスレーとヘッケルと


種の起源しゅのきげん」が出版しゅっぱんになるやいなや、ただちこれに賛成し、広く此考このかんがえ普及ふきゅうせしめやうと尽力じんりょくしたのはイギリス国ではハックスレー、ドイツ国ではヘッケルである。此二人このふたりいずれも有名な動物学者であるが、あるいは演説により、あるい雑誌ざっし上の論説ろんせつにより、幾度いくどとなく通俗的つうぞくてき進化論しんかろん敷衍ふえんして述べたので、比較的ひかくてき短い間に、一般いっぱんの人民の間にも進化論の大要が広く知れわたるに至つた。進化論の普及ふきゅう上には最も功績のいちじるしい人等である。なお両人ともに宗教しゅうきょう上の迷信めいしん遠慮えんりょなく攻撃こうげきし、其上そのうえ僧侶そうりょ堕落だらくはげしくののしつたゆえ、宗教界からは悪魔あくまごとくに言はれて居る。
 ダーウィンは「種の起源しゅのきげん」の中には、ただ動植物ともに、たがいに相似た種属は共同の先祖から進化して分かれくだつたといふ一般いっぱんに通ずる論をべただけで、人間は如何いかがなる先祖から進化し来つたものであるかといふ特別とくべつの論は全く省いて、げなかつた。これ其時そのときの世の有様を考へて、人間の先祖のことを第一版にただちに書いては、そのため世人せじんの反対を受け、肝心かんじんの生物進化論や自然淘汰とうたの説までが世に広まらぬおそれがある所から、ダーウィンが態々わざわざりゃくして置いたのである。しかし、文句にこそ書いては無いが、此書このしょの中に書いてある一般いっぱんの論を、人間といふ特別とくべつの場合に当てて考へれば、是非ぜひとも人間と他のけもの類とは共同の先祖より分かれくだつたとの結論けつろんに達せざるを得ぬことは、だれにもあきらかに知れる。しかるにハックスレーは早くも其翌年そのよくねんに、処々で人間とさるとは同一の先祖よりくだつたものである。人間の先祖はけもの類であるとあきらかに断言して演説し、なお後に此等これらを集め、書き直して、「自然に置ける人類の位置」と題する書をちょした。これ従来じゅうらい人間は神が態々わざわざ自分の形にせて造つた一種特別とくべつのもので、天地万物はみな人間に役に立つために存在そんざいするなどと説きんで居た耶蘇やそ教に対しては、非常に大きな打撃だげきであつたゆえ宗教家しゅうきょうかからは無暗むやみきらはれ、彼等かれら攻撃こうげきの的はほとんどハックスレー一人のごとき有様となつた。余程前のことであるが、耶蘇やそ教の雑誌ざっしを開いて見たのに、其中そのなかに「進化論の本家であるダーウィンは神を尊敬そんけいする人である。ただ其取次そのとりつぎをするハックスレーといふ男が無神論むしんろんを主張して、世に害毒がいどくを流すのである。けしからぬは実に此男このおとこである」といふ様なことが書いてあつた。しかし、実際ハックスレーの述べたことはダーウィンの説と少しもちがうた所はない。ただダーウィンが生物全体にいて論じた所を、人間といふ特殊とくしゅの場合に当てめただけで、の主張する点は全く同一であつた。ダーウィンも其後そのご「人の先祖」と題する書をちょして、進化論を特に人間に応用し、人間も他のけもの類と先祖を共にするもので、さるの類から分かれくだつたものに相違そういないとの説をあきらかに述べた。此書このしょは今より三十三年前の出版ゆえ其後そのごに発見になつた沢山たくさんの面白い事実はせてないが、其頃そのころまでに知れて居た材料だけは、十分に集め、かつ議論も余程鄭重ていちょうにしてあるから、の「種の起源しゅのきげん」と共に進化論しんかろんを研究しやうとする人の、一度は必ず読まねばならぬ本である。ハックスレーが其著書そのちょしょの中に述べた最もいちじるしいことは、人間と猿類えんるいとの比較ひかく解剖かいぼうによれば、人間と高等の猿類えんるいとの相似る度は、高等の猿類えんるいと下等の猿類えんるいとの相似る度よりはるかまさつて居るとの論である。同じく猿類えんるいといふ中には、猩々しょうじょうもあれば狒々ひひもあり、南アメリカには長いの枝にけて身を支へる類があり、また鼠猿ねずみさるというてほとんねずみの様な類もある。此等これらみな四肢ししともに物をにぎることが出来るゆえ従来じゅうらいは総べて合はせて四手類と名づけて居た。また人間が哺乳ほにゅう類に属することは如何いかがなる動物学者もうたがふことが出来ぬが、さるちがうて手が二つより無いといふ所から、別に二手類といふ目をもうけて、猿類えんるいとははなしてあつた。しかるに、ハックスレーの研究によると、此区別このくべつ解剖かいぼう上少しも根拠こんきょの無いことで、さるの後足と人間の足とは骨骼こっかく筋肉きんにくともに全く一致いっちして居るゆえ、決して一を手と名づけ一を足と名づくべきものでない。猿類えんるいが前後両肢りょうあしともに人間の手と同じ構造を有するならば、真に四手類の名にそむかぬが、実は後足の方は人間の足と解剖かいぼう上同一の構造を有するもので、単にこれもって物をにぎるだけであるから、此点このてんもっさると人間とを別の目に分つのは無理である。とく猿類えんるいの中でも、猩々しょうじょうごときものと南アメリカのを巻くさるなどとをくらべて見ると、其間そのかん相違そういは人間と猩々しょうじょうとの間の相違そういよりははるかいちじるしいから、若し斯様かようなものを同じ目の中に編入へんにゅうして置くならば、無論むろん人類も其中そのなかに入れなければならぬ。現今げんこんの動物学書を開いて見れば、いずれも此考このかんがえを取り、人類と猿類えんるいとを合して霊長類れいちょうるいしょうする一目として、哺乳ほにゅう類中に置いてあるが、これ比較ひかく解剖かいぼう上のあきらかな事実に基づくことゆえ、動物学上ではだれ異議いぎの出し様が無いからである。
 ハックスレーの専門せんもん学上の功績は中々おびただしいもので、其中そのなかに進化論の材料となるものも決して少くはないが、此人このひと其外そのほかに理学の教育、進化論の普及ふきゅう尽力じんりょくして、沢山たくさん論文ろんぶんおおやけにした。しこうしてその文句は総べて極めて平易で、学者の通弊つうへいともいふべきむづかしい字を、わざとならべた様な形迹けいせきは少しもないから、だれ明瞭めいりょう著者ちょしゃの意をかいすることが出来る。それゆえ、特に生物学にこころざす人でなくても、一般いっぱんの教育ある人は、だれが読んでも利益があるが、英語を学ぶ人などにはまた最もい手本として見るべき価値かちがあらう。
 ドイツ国でさかん進化論しんかろん主張しゅちょうし、通俗つうぞく的にこれ普及ふきゅうせしめたのは、有名なヘッケルである。此人このひとは現にエナ大学の動物学教授きょうじゅつとめて居るが、動物学者けん哲学てつがく者ともいふべき人で、生物学上確に知れて居る事実を基とし、これに自分の理論上の考を加へて、一種の完結した宇宙観うちゅうかんを造り、進化論を説くに当つても常に自説をけ加へて吹聴ふうちょうした。それゆえ、ヘッケルの著書ちょしょを読んで見ると、何処どこまでが学問上確に知れて居ることで、何処どこからが想像であるか、其境そのさかい判然はんぜんせぬ様な感じが起るが、くては一般いっぱんの読者をあやまらしめるおそれがあるというて、動物学者の中にもこれに不賛成を表する人が沢山たくさんにある。しかし、兎も角ともかくも事実の間を想像でつないで、始めから終までまとまつた考がつらぬいて居るから、読んで解り易いことは此上このうえはない。此人このひと著書ちょしょ専門せんもんの動物学の方にも非常に多くあるが、通俗的つうぞくてきの方で最も有名なものは「自然創造史しぜんそうぞうし」と「人類進化論じんるいしんかろん」との二冊で、両方とも大抵たいていの国語には翻訳ほんやくせられてある。また近頃ちかごろ「世界のなぞ」と題する面白い書をちょしたが、これも一時大評判だいひょうばんとなり、たちまちイギリス語・フランス語等にやくせられた。
「自然創造史」といふのは、すで其名前そのなまえで知れる通り、今日我々われわれの見る天地間の万物が、神といふ様な自然以外の者の力をかりらず、ただ自然の力によつて漸々だんだん出来上つた有様を書いたものである。その大部分はもとより想像そうぞうに過ぎぬが、今日知れてあるだけの科学上の知識ちしき基礎きそとしたものゆえ、全く空に考へ出した想像とはちがうて、多少真に近いものと見做みなさねばならぬ。しかし、事実上の知識の足らぬ所を、あま奇麗きれい推論すいろんおぎなうてあるため、此書このしょを読むと、あたかも今日すでに天地間の事物がことごと解釈かいしゃくせられつくしたかのごとくに思はれ、の「講釈師こうしゃくし見て来た様な虚言うそをつき」といふ川柳せんりゅうなどを思ひ出して、かえつて全体をうたがふにいたやすい。ヘッケルも素より此書このしょの中に書いてあることをことごと確乎かっこたる事実と見做みなしては居ないが、進化論を通俗つうぞく的に述べて、一般いっぱんの人民間に普及ふきゅうせしめるには、科学上確乎かっこたる事実だけをげ、他に如何いかに真らしいことがあつても、事実上の証拠しょうこの出るまではなおうたがいを存して置くといふ様な慎重しんちょうり方では、中々間に合はぬ。それよりはむしろ多少の想像を加へて、生物進化の有様を具体的に造り上げて、所謂いわゆるあたらずといえども遠からず」といふ位の所を示した方が、効力こうりょくが多いとの考から、おそらく斯様かように書いたのであらう。「人類進化論」もこれと同様で、人類の進化し来つた径路けいろ其出発点そのしゅっぱつてんから説き起し、始め何の構造もない簡単かんたんな生物から漸々だんだん進化して、終に今日の複雑な人間になるまでの歴史をくわに書いてあるが、これも無論大部分は想像で、其中そのなかには随分ずいぶん真らしからぬ点も少くない。一言で評すれば、余り明瞭めいりょう過ぎるのである。今日我々われわれの不完全な知識をもって、すでに人間の進化の径路を、始めから終りまで到底とうていあきらかけるわけのものではないが、此事このことはヘッケル自身も承知しょうちで、ただ当時知れて居た人間の発生学上の事実を基としてし考へた想像を、具体的に書きつづつて、矢張やはり「中らずといえども遠からず」と思うた所をおおやけにしたに過ぎぬ。以上二冊ともに解り易く書いた本であるゆえ、進化論を研究したい人は一度は読んで見るがよろしい。こゝに述べたことを心得こころえて読みさへすれば、別に誤解ごかいする様なうれいは無からう。
 ついでにいうて置くことはヘッケルの著書ちょしょにはドイツ国の詩人ゲーテを非常に尊重そんちょうし、あたかもゲーテをもって生物進化論の首唱者しゅしょうしゃごとくに説いてある。ゲーテの大詩人であつたこと、およ其生物学そのせいぶつがくに非常な興味きょうみを持つて居たことは、だれうたがふものはないが、かれもって進化論の首唱者と見做みなすのは、ほとんどヘッケル一人だけで、他の生物学者はこれに同意を表するものは無い様である。またヘッケルは機会きかいさへあれば、口を極めて耶蘇やそ旧教をののしり、其僧侶そのそうりょの不品行を攻撃こうげきして、往々必要のない所にこれを引き合ひに出すこともあるが、此等これらは単にくせとでも見て置くがよろしからう。
 兎に角とにかく、イギリスではハックスレー、ドイツではヘッケルといふ様な人等が「種の起源しゅのきげん」の出版しゅっぱん後、ただちに進化論を普及ふきゅうせしめやうと大いに尽力じんりょくしたゆえ此二国このにこくではたちま下層かそうの人民までも進化論といふ題位は知る様になつたが、そのため反対論もまた盛に起り、一時は何雑誌なにざっしを見ても、進化論に関する記事が必ずげてある様な有様であつた。フランス其他そのほかの国々では、ハックスレー、ヘッケルにすべき人が無かつたゆえただ其著書そのちょしょ翻訳ほんやくしただけで、したがつて進化論の普及ふきゅうすることも幾分いくぶんおそかつた様である。

四 ウォレースとヴァイズマンと


 ウォレースはダーウィンと同時に自然淘汰とうた説を発表した人で、後にいたつてまた「ダーウィン説」と題する書をちょして、生物の進化を論じたゆえ、進化論の歴史においては最も有名な一人であるが、其説そのとく所はダーウィンに比べると、はなはだしくちがつた点がいくつもある。其主そのおもなるものを挙げれば、ダーウィンは自然淘汰とうた以外にもなお生物進化の原因があると明言して居るが、ウォレースは自然淘汰とうた以外には生物進化の原因は無いごとくに説いて居る。またダーウィンは人間も他のけもの類と同じ先祖から起り、同じ理法にしたがつて進化し来つたものであるとろんじたが、ウォレースは進化論は他の生物には一般いっぱんてきするが、人間には当てまらぬ。人間だけは一種特別とくべつのものであると説いて居る。其他そのほか、動物の彩色さいしょく起源きげん雌雄しゆう淘汰とうたの説等にいても、種々意見のちがふ所があるが、こゝにはただ自然淘汰とうたに関することだけをべて見るに、ウォレースの考では、生物の進化し来つたのは全く自然淘汰とうたのみの働きによる。それゆえ、動植物の有する性質は、如何いか些細ささいな点でも必ず今日生存上せいぞんじょうに必要であるかあるいは昔一度必要であつたもので、一として生存競争上に無意味なものはない。たとひ一個の斑点はんてん一本のひげいえども、自然淘汰とうたの結果として今日そんするのであるから、必ず競争上有功ゆうこうであつたものにちがひない。かつ外界から動植物におよぼす直接の影響えいきょうなどは決して子に遺伝いでんするものでないとのことである。
 ウォレースのちょした「ダーウィン説」といふ書は、野生動物の変化性のこと、動物の彩色さいしょくのことなどに関しても、種々面白い事項じこうせてあつて、確に研究者の一読を価する書ではあるが、以上げた二点にいては其議論そのぎろんが少し穏当おんとうでない様に思ふ。我々われわれは今日の不十分な生態学上の知識をもって、動植物のる性質をとらへて、これは生存競争上無益なものであるとの断言は勿論むろん出来ぬが、如何いか些細ささいな点でも、必ず生活上有益なものであると言ひ断ることもまた決して出来ぬ。昔、何の役に立つか解らなかつた構造・彩色さいしょく等も、生態学上の研究が進むにしたがつて、其功用そのこうようが知れた例は沢山たくさんにあるが、さりとて、此等これらよりして総べての構造・彩色さいしょくことごとく生存競争上に一定の意味を有するものであるとろんずるわけには行かぬ。また外界から動植物におよぼす影響えいきょうは、子孫に遺伝せぬといふのも、ただ今日までに、その確な証拠しょうこがないといふだけの論で、決してこれあきらかに断言の出来るだけの基礎きそはない。特に前章に述べた塩分の多少により豊年魚の形状の漸々だんだん変ずる例を論じて、これは塩分が身体の内部までもみ、後に子となつて生まれ出づべき物質にまで変化をおよぼすことゆえ、全く例外の場合であるといふたごときは極めてその当を得ぬことである。何故なぜといふに、身体の内部までも影響えいきょうの達するのは、ただ塩分に限つた訳はない。食物も消化せられゝば血液に混じて身体の全部をめぐる。温度も身体の内部まで達する。其他そのほか、風土・気候と総称そうしょうする所のものは、多少全身に影響えいきょうおよぼさぬものはない。されば、豊年魚ほうねんぎょの場合に外界からこうむつた影響えいきょうが子孫に伝はることもみとめれば、他にもこれと同様な場合は常にいくらもあるものと考へねばならぬ。
 なおウォレースの説にいて不思議に感ずるのは、其結論そのけつろんである。「ダーウィン説」の最後の章を読んで見ると、「生物の進化し来る間に自然淘汰とうたで説明の出来ぬことが三つある。すなわち第一には無機物むきぶつから生物の生じたこと、第二には生物中に自己じこ存在そんざいを知るものの生じたこと、第三には人類に他の動物と全く異なつた高尚こうしょう道徳心どうとくしんの生じたことであるが、此等これら如何いかに考へても自然の方法で発達たっせいしたものとは思へぬ。必ず物質ぶしつの世界の外に霊魂れいこんの世界があつて、其処そこから生じたものにちがひない」と書いてあるが、斯様かような論法は事物を理解しやうと勉める科学の区域くいきだっして、最早もはや宗教的信仰しゅうきょうてきしんこう範囲はんいんだものと見做みなさねばならぬ。されば此書このしょは表題には「ダーウィン説」とあるが、其内容そのないようはダーウィンの説とは大に異なり、人類の進化に関することは、全くダーウィンとは反対の説がせてあるゆえ此書このしょを先に読む人は、彼此あれこれ相混あいまぜぬ様に注意せねばならぬ。
 ウォレースはまた昨年るイギリスの雑誌ざっしに投書して、奇怪きかいな説をおおやけにした。その大要を言へば、我太陽系たいようけい宇宙うちゅうの中心に位する。地球は宇宙の中心の特別とくべつの位置にあるゆえ、他の星とはちがひ、霊魂れいこんを有する人類じんるいの発生すべき特殊とくしゅ条件じょうけんを備へて居たのであらうといふ様な意味であるが、太陽系をもって宇宙の中心にあるものとは、何をもとにして考へたか、現今げんこん天文学で知れて居る星の在る所だけをもって、宇宙と見做みなせば、太陽系が其中そのなか央に位するは無論むろんであるが、これは五里(注:19.6Km)までより見えぬ望遠鏡ぼうえんきょうを用ゐて四方を見れば、自身は直径ちょっけい十里(注:39.3Km)ある円形の宇宙の中央にくらいする様な心持ちがするのと少しもちがはず、実は少しも意味のないことである。往年南アメリカやインド諸島しょとう探険かんけんし、「島の生活」、「動物の地理的分布」などをちょした人が、老後かる論文をおおやけにする様になつたのは、実にしむべきことである。宗教家しゅうきょうかはウォレースが霊魂れいこんくのを見て大によろび、進化論の泰斗たいと、自然淘汰とうたの発見者でさへ霊魂れいこん存在そんざいとなへるから、これは確であるなどと言うた人もあるが、晩年のウォレースは余程よほど不思議な方面へかたむいたゆえ、ダーウィンとならべて論ずることは到底とうてい出来ぬ。
 ウォレースのごとく自然淘汰とうたもって生物進化のただ一の原因と見做みなす人々のことを、今は新ダーウィン派と名づけて居るが、其最そのもっとも有名な代表者はドイツ国フライブルグ大学の動物学教授ヴァイズマンである。此人このひとわかい時から進化論に心を注ぎ、先に「進化論の研究」と題する有益な書物をちょし、昨年また「進化論講義」といふ一部二冊の立派な本を書いて、大に進化論を鼓吹こすいしたが、かって、「自然淘汰とうた全能論」といふ小冊をおおやけにしたこともある位で、自然淘汰とうた以外には生物進化の原因は決して無いとの極端きょくたんな説を取つて居る。しこうして斯様かような説を取る論拠ろんきょは何であるかとたずねれば、全く自分の考へ出した一種の遺伝説いでんせつで、其大要そのたいようほぼ次のごとくである。
 ヴァイズマンが始めて遺伝に関する考をおおやけにしたのは、今より二十年余も前のことであるが、其後そのごしばしば説を改めたゆえ、前のと後のとを比べると、余程ちがうた所がある。細胞さいぼう学上の細い研究に関する学説はしばらく省いて、その全部をんで述べて見るに、ヴァイズマンは生物の身体をなせる物質を生殖物質せいしょくぶっしつ身体物質しんたいぶっしつとの二種に分ち、後に子孫となつて生まれ出づべき物質を生殖せいしょく物質と名づけ、其他そのほか身体の全部をなせる物質を身体物質と名づけて、此二者このにしゃを区別した。しこうして生殖せいしょく物質といふものは、一個体の生涯しょうがいの中に新に出来るものではなく、生まれるときにすでに親からいで来て、子が孫を生むときにはまた其儘そのままに孫に伝はつて行く。すなわち親が子を生むときには親の身体の内に在つた生殖せいしょく物質が親からはなれて独立の個体となるのであるが、其際そのさい、親の生殖せいしょく物質の一部は変じて子の身体となり、一部は変ぜずして其儘そのまま子の生殖せいしょく物質となる。それゆえ、今日生物の有する生殖せいしょく物質といふものは、みな各々其先祖そのせんぞの有して居た生殖せいしょく物質から其儘そのまま引きいで来たものである。生殖せいしょく物質は生物の始めから連綿れんめんとしてそんするもので、代々生まれたり死んだりするのは、ただ身体物質の方だけであるとの説ゆえこれを「生殖物質継続説せいしょくぶっしつけいぞくせつ」と名づけた。此考このかんがえによると、生物の身体はあたかも前の代から引きいだ生殖せいしょく物質を後の代にゆずわたすために、暫時ざんじこれ保護ほごする容器ようきごときものゆえ一生涯いっしょうがいの間に如何いかに身体が外界から直接の影響えいきょうこうむつても、其子そのこは先祖代々の生殖せいしょく物質から出来るのであるから、これには少しも変化を起さぬ。あたかも重箱にきずいても、其中そのなか牡丹餅ぼたもちに変化が起らぬごとくに、身体物質に起る変化は生殖せいしょく物質に対して何の影響えいきょうおよぼさぬから、親が一生涯いっしょうがいの間に得た身体上の変化は、決して子には伝はらぬとの理窟りくつになるが、これすなわちヴァイズマン説の徽章はたじるしとも見るべき「親の得た性質は子に遺伝せぬ」といふ考の根拠こんきょである。
 生殖せいしょく物質といふものが生物の始めから今日まで直接ちょくせつに引き続いて居て、代々の個体が其生涯そのしょうがいの中に得た新しい性質は少しも生殖せいしょく物質の方に変化を起さぬとすれば、生物は如何いかにして今日の有様までに進化し来つたか、生物には変化性といふものがあるゆえ、自然淘汰とうたも行はれ得るのであるが、此変化性このへんかせい如何いかにして生じたかとの問が、是非ぜひとも起らざるをぬが、これに対するヴァイズマンの答はすなわ雌雄生殖しゆうせいしょく説である。ヴァイズマンの考によれば、雌雄生殖しゆうせいしょくの目的は、甲乙こうおつ二個体の生殖せいしょく物質を種々に合せて無限の変化を起し、もって自然淘汰とうたに材料を供給きょうきゅうすることであるが、其論拠そのろんきょとする所は近年急に発達した細胞さいぼう学的研究とく生殖せいしょく作用に関する顕微鏡けんびきょう的研究の結果で、中々複雑な議論ぎろんである。先づヴァイズマンの説をんでいへば、「生物の進化し来つた原因げんいんは、全く自然淘汰とうたばかりで、淘汰とうたが行はれるためには生存競争せいぞんきょうそうをなす多数の個体の間に多少の相違そういが無ければならぬが、此相違このそうい雌雄生殖しゆうせいしょくにより、異なつた個体の生殖せいしょく物質が種々の割合わりあいに混ずるによつて生じたものである。生殖せいしょく物質と身体物質とは、常に分かれて居るゆえ、身体物質に生じた変化は生殖せいしょく物質には関係せず、したがつて子孫に伝はらぬから、生物進化の原因とはならぬ」とのことである。
 右の説を実際じっさいてらして見ると、中々これによつて説明の出来ぬ場合しくはこれと反対する場合などが沢山たくさんにあるが、ヴァイズマンは自分の説を維持いじかつ此等これらの場合をも解釈かいしゃくするために、さらに種々の仮想説を考へ出しては追加した。それゆえこれまで人の考へた生物学上の学説の中で、およそヴァイズマンの説ほど仮説の上に仮説を積み上げた複雑なものは無い。本書においては到底とうてい其詳細そのしょうさいな点までを述べる訳には行かぬが、以上げた大体のことだけにいて考へて見るに、第一身体物質と生殖せいしょく物質とを判然はんぜんと区別するのがすでに仮説で、生長した生物の体内には特に生殖せいしょくのみに働く物質のあることは事実であるが、此物質このぶしつが先祖から子孫まで直接に引き続くとのことは、実物で証明することも出来ねば、また否定ひていすることも出来ぬ全くの想像である。素より学術上には仮説といふものははなはだ必要で、る現象の起る原因のまだ十分に解らぬときに当り、先づ仮説によつてこれを説明することは其方面そのほうめんの研究をうながし、したがつて真の原因を見出すいとぐちともなるものゆえ学術がくじゅつの進歩に対して、大に有功な場合もあるが、仮説は何処どこまでも仮説として取扱とりあつかはねばならぬ。しこうして仮説の真らしさの度は、これもって説明しえるべき事項じこうの多少に比例するものゆえし一の仮説をもってそれに関する総べての事項じこうを説明することが出来る場合には、差当りこれを真と見做みなして置くが至当しとうであるが、それをもって説明の出来ぬ事項じこうが過半もあるときには、これ見做みなしててるの外はない。ヴァイズマンの説のごときは事実と衝突しょうとつする点も少からぬ様で、今日の所尚ところなお多数の論者ろんしゃこれに反対を表して居ることゆえただちこれを取つて推論すいろん根拠こんきょとするわけには行かぬ。かえる'鶏'にわとりの発生を調べて見るに、最初の間は生殖せいしょく器官きかんもなければ他の器官きかんも無く、全く何の区別もないが、発生の進むにしたがひ、身体の各部が漸々だんだん分化し、のうも出来れば、はいも出来、心臓しんぞう追々おいおい現れ、それと同時に生殖せいしょく器官きかんも生ずる。これだけは眼であきらかに見えることゆえ、確な事実であるが、斯様かように分化せぬ前にも生殖せいしょく物質と身体物質とは全く分かれて居て、後に生殖せいしょく器官きかんとなるべき部には始めから特別とくべつ生殖せいしょく物質が存して居るといふのは単に想像に過ぎぬ。ヴァイズマンは自分の説を確めるために、代々ねずみを切つて飼うて置いたが、すでに余程の年月をるが、其間そのかんに一回もの短いねずみの子が生まれたことは無かつた。しかし、親ねずみを切つても其子そのこに変化が起らぬからというて、ただちに身体物質に起つた変化は生殖せいしょく物質に少しも影響えいきょうおよぼさぬと結論けつろんすることは素より出来ぬ。ただる種類のきずが子に遺伝いでんせぬとの例になるばかりである。
 著者ちょしゃの考へる所によれば、ヴァイズマンの遺伝説いでんせつあまり人工的で、事実上の根拠こんきょはなは薄弱はくじゃくな様である。生活物質が先祖から子孫まで引き続いて決して断絶だんぜつせぬことは、今日発生学上少しもうたがふべからざる事実であるが、これ生殖せいしょく物質と身体物質とに判然はんぜんと分つてろんずることは如何いかがであらうか。むしろ実際発生中にあきらかに見える通り、此二者このにしゃもって分化の結果と見做みなし、生活物質の一部がとなり、一部がはいとなると同様に、る一部が生殖せいしょく器官きかんとなり、元来他の体部をなせる生活物質と同一な性質を有して居たものが、此場所このばしょおいては特に生殖せいしょく作用に必要な性質を帯びるにいたつたものと考へる方が自然であらう。また分化が進んで、は胃、はいは肺、生殖器官せいしょくきかん生殖器官せいしょくきかんと出来上つて仕舞しまうても、みな同じ一個体を形成する器官きかんであるから、其間そのかんには親密しんみつな関係があつて、決して重箱と牡丹餅ぼたもちとのごと簡単かんたんな位置の関係のみでは無い。それゆえ、外界から全身に対して影響えいきょうおよぼす場合に、生殖器官せいしょくきかんばかりがこれまぬがれるといふことは、到底とうてい有り得べからざることで、現に前章にげたごとき例が、いくつもある。ヴァイズマンも此点このてんだけはみとめざるを得ぬにいたつたゆえ、千八百九十二年にちょした「生殖せいしょく物質説」といふ書物においては、かる場合には生殖せいしょく物質にも変化が生じ、したがつて子孫までその影響えいきょうが伝はると書いてある。
 また雌雄生殖しゆうせいしょくもって無限の変化を生ずるための手段しゅだん見做みなすこともすこぶる受取りがたい説である。ヴァイズマンは、「雌雄生殖しゆうせいしょくによれば、二個の異なつた個体の生殖せいしょく物質が組み合うて、子の生殖せいしょく物質が出来るゆえくして生じた子が、自分と同様な相手をもとめてまごを生めば、孫の代には父方の祖父母と母方の祖父母と都合四個の個体の生殖せいしょく物質が組合ひ、三代目には八個の個体の生殖せいしょく物質が組合ひ、代々益々ますます多数な個体の生殖せいしょく物質が組合うて、其結果そのけっか生殖せいしょく物質の種類が無限に出来るが、子孫の身体は総べて其親そのおやの体内にあつた生殖せいしょく物質から生ずるものゆえ生殖せいしょく物質にく無限の種類があれば、生まれる子孫にも無限の変化が現れる。しこうして此等これらのものが生存競争せいぞんきょうそうをして、其中そのなか最も適するものだけが生き残るから、其生物そのせいぶつの種属は漸々だんだん進化する」と論ずるが、し個体間の変化が単に斯様かようにしてのみ生ずるものならば、その変化は如何いかに多くても一定の範囲はんいえることは出来ぬ。先祖の性質を種々に組合せれば、いくらでも変化を造ることは出来るが、先祖の性質以外のものが新に生ずることが無いゆえ此中このなかから代々何れが選ばれやうとも、先祖に見ぬ様な全く別な性質が発達する望は無い様である。これいては、いづれヴァイズマンにも相当の議論があるであらうが、こゝには深く論ずることはりゃくする。兎に角とにかく、今日の所、生物の変化性のごときは未だ中々解らぬ問題で、常に僅少きんしょう相違そういが個体間に現れる外に、突然とつぜん親にも兄弟にも少しも似ぬ様な急劇きゅうげきの変化が往々起ることなどを考へて見ると、これは余程複雑なものにちがひない。雌雄しゆう生殖せいしょく意義いぎいても、今までには種々の仮説を出した人があるが、変化性へんかせいの原因と共に、なお天然の秘密ひみつに属する。此等これら将来しょうらいの研究によつて追々解る様になるであらうが、今日すでこれいて一定の断言だんげんをなすことは到底とうてい出来ぬ。
 ヴァイズマンにいてなお言ふべきことは、器官きかんの用不用の結果に関するの説である。前にも述べた通り、現今げんこんは新ラマルク派と名づける論者があつて、一生涯いっしょうがいの間に生じた器官きかんの用不用の結果は多少子に遺伝いでんするもので、これつもれば生物種属の進化の原因となると説いて居るが、ヴァイズマンはこれとは正反対で、一生涯いっしょうがいの中に如何いか器官きかんを用ゐて、これが大いに発達しやうとも、決して其性質そのせいしつは子に遺伝いでんするものではないと断言して居る。しこうしてその論拠ろんきょとする所は、実際かる性質の遺伝した確な例がまだ知られぬといふ事実と、自分の生殖せいしょく物質継続けいぞ説とであるが、これまたなお少しひかへ目に論じて置いた方が穏当おんとうではないかと思はれる。新ラマルク派の代表者はコープ、オスボーン等であるが、スペンサーのごときも、多少此説このせつを取り、そのため先年ヴァイズマンとの間に数回面白い議論を戦はしたことがある。此等これらの人々のろんじた所も、多くは想像説に過ぎぬから、みな真であるとは素より言はれぬが、ヴァイズマンの説の方を考へて見るに、およそ生物の身体は鉱物などとはちがひ、常に変動へんどうのあるものゆえ、中々これ精密せいみつに測ることは出来ぬ。生まれてから始終生長し、春夏秋冬によつても変化が起り、一日の中にも多少の変動はまぬがれぬ程ゆえ、親と子とを精密に測つて比較ひかくして見ることは、極めてむづかしい。それゆえ、仮にる動物が一生涯いっしょうがい前足をさかんに用ゐた結果、前足の筋肉きんにくが非常に発達して、其性質そのせいしつが百分の一だけ子に遺伝したと想像しても、我々われわれは容易にこれを発見することは出来ぬ。ヴァイズマンは斯様かような性質が子に遺伝した例が無いといふが、これただ目立つ程にいちじるしく遺伝した例が無いといふことで、実際わずかづゝ遺伝いでんして居る場合が沢山たくさんにあるかも計られぬ。まる所、ヴァイズマンの言ふ所はただ自己じこの考へ出した仮説を基としたものに過ぎぬゆえこれを事実としてあきらかに断言するだけの証拠しょうこは十分に無い様である。

五 ローマネスとヘルトヴィッヒと


 所謂いわゆる新ダーウィン派の説に反対する学者ははなはだ多くあり、専門せんもん学術雑誌がくじゅつざっし上でこれ攻撃こうげきした人も余程沢山たくさんにあるが、まとまつた書物を書いて、其中そのなかでウォレース、ヴァイズマン等の説をばくしたのはイギリスのローマネス、ドイツのヘルトヴィッヒなどである。
 ローマネスは十年程前に「ダーウィンおよびダーウィン以後」と題する三冊さんさつ続きの書物を書いたが、其第一冊そのだいいっさつにはダーウィンの説いた通りを紹介しょうかいし、先づ生物進化の証拠しょうこを列べ、終りに自然淘汰とうたの大要を述べてある。図画なども沢山たくさんし入れ、最も新しい材料を選んで用ゐ、文句も極めて平易に書いてあるゆえ、進化論の一斑いっぱんを知りたい人が始めて読むには最も適当な書物であらう。実はダーウィン自身の書いた「種の起源しゅのきげん」を読むよりは先づ此書このしょを読んだ方がダーウィンの説が明瞭めいりょうに解る位である。第二冊だいにさつ目はダーウィン以後の進化論が述べてあるが、其大部分そのだいぶぶんはウォレースとヴァイズマンとの説の批評ひひょうで、所謂いわゆる新ダーウィン派の議論の穏当おんとうでない所を指摘してきして、あやまれる点をあきらかに示して居る。第三冊だいさんさつ目はただる仮説を述べてあるだけで、余り重要な部分ではない。
 ローマネスが此書このしょの中に書いたことは、ただダーウィン以後に出た進化に関する学説を批評ひひょうしただけで、別に新しい説を発表したのではないゆえ、こゝには改めて述べる程のこともないが、生物各種の特徴とくちょうの中には、生存競争せいぞんきょうそう上、何の意味もないらしいものがいくらもあるゆえしたがつて自然淘汰とうたばかりでは、此等これらは説明が出来ぬとのこと、一生涯いっしょうがいの間に外界から直接に受けた身体上の変化は、子孫に遺伝いでんすることが有るとのこと、などを例を挙げてややくわしくろんじて居る。ヴァイズマン説にいてはすでに前節で多少の批評ひひょうを加へて置いたゆえ、ローマネスのこれに対する説はりゃくする。
 ドイツにはヘルトヴィッヒといふ有名な生物学者が兄弟二人あつて、兄はベルリン大学、弟はミュンヘン大学の教授きょうじゅつとめて居るが、の中、兄の方は先年「細胞さいぼうと組織」と題するきわめて興味ある書物をちょし、其中そのなかに「生物発生説」といふ仮説をげた。此仮説このかせつは実験上確に知れたことだけを基として、余りはなはだしく想像を加へてないゆえ、ヴァイズマン説のごとく完結したものでもなければ、またごとく著しい特徴とくちょうもないが、あるいはそれだけ真に近いものかも知れぬ。全体、此書このしょすこぶる面白く出来て居るが、全く専門的せんもんてきの本ゆえ、一通り組織学・発生学等を修めたものでなければ、中々わかりにくい。其中そのなかの「生物発生説」も同様で、その大部分は全く細胞さいぼう・組織等に関することであるが、遺伝にいての説はヴァイズマンとは正反対で、矢張やはりヘッケル、スペンサー、ローマネス等と同じく、外界からこうむつた身体上の影響えいきょうは確に子孫にも伝はると論じて居る。実の所、外界から動植物の身体におよぼす直接の影響えいきょうが子孫に伝はる例はすでいくつも知れてあつて、ヴァイズマンも今日ではこれみとめるに至つたゆえの説は多少此等これらの説の方へ動いて来たのである。
 また新ダーウィン派と反対な極端きょくたん論には、コープの「適者の起源きげん」と題する書がある。これ所謂いわゆる新ラマルク派の議論ぎろんで、自然淘汰とうたよりも他の原因の方が、生物進化にあずかつて力があつたとの説を述べて居る。またこれと全く種類はちがふが、ド=フリースの近頃ちかごろ著した「突然とつぜん変化説」にも、生物の新種の出来るのは植木屋うえきやで変り物が出来るのと同じであつて、決して淘汰とうたによつて漸々だんだん進化するのでなく、全く突然とつぜんに生ずるものであると論じて、自然淘汰とうたの効力を否認ひにんしてある。いずれも其中そのなかげてある事実は参考さんこうになるべきものであるが、斯様かよう理論りろん上の争ひはほとんど際限のないことで、今日の我々われわれの知識をもっては、断然正しいともあやまつて居るとも明言の出来ぬ場合が最も多いゆえ、本書においては以上述べただけに止める。
 ダーウィン以後の進化論しんかろんは理論の方面はくのごとき有様で、一言でいへば、全く仮説と仮説との争論ばかりである。しかし生物進化の事実は年々益々ますます確乎かっことなつたゆえこれに関しては争ひは少しもない。如何いかがなる仮説を出す人も、生物進化の事実は十分にみとめて居るが、ただこれを説明するための理論りろんいて、たがいに議論を戦はしたのである。ヴァイズマンなどはダーウィン以後に進化論的の仮説を最も多く戦はした一人であるが、る論文の中に「生物の進化は学問上すでに事実として見るべきもので、これいてはだれも異存はない。我々われわれく相争ふのはただ生物の進化は如何いかがなる自然の原因によつて生じたかといふ点にいてである」と書いて居る。またハックスレーもその著書の中に「たとひ後世に至つてダーウィン説が全く誤謬ごびゅうとして捨てられやうとも、生物進化の事実は依然いぜんとして動かぬ」と明言した。されば今日なお進化論者のたがいに相争ふ点は、総べて仮説の相違そういに基づくことで、これ如何いかに決したとて、進化の事実の方へは少しも差響さひびききはない。元来、人間には物の原因を知りたいといふ慾があるゆえ、研究の十分に行届いきとどかぬ前から、すでに仮説をもっる事実を説明しやうと勉めるが、斯様かような仮説が実際真に当つて居るかいなかは、将来しょうらいの研究の結果で初めて解ることゆえあたかも投機事業のごとき性質のもので、多数の人が各各自分の研究に基づき、自分の最も真実に近いと思ふ所を発表しても、其中そのなかで実際に当るものは、わずかより無い理窟りくつである。それも完全に当る望ははなはだ少く、大抵たいていは真理の一小部分をわずかさぐり当てた位に止まるゆえ、今日多数の生物学者が生物進化の原因・法則等に関して沢山たくさんの仮説を出して、相争うて居る有様は、盲人もうじんが集つてぞうひょうするのと少しもちがはず、各説ともに多少の真理はふくんで居るが、いずれも決して完全なものとは受合はれぬ。仮説といふものが学問の進歩の上に必要なことは、素よりであるが、仮説は何処どこまでも仮説で、単に学問の進歩をうながすための道具に過ぎぬゆえこれと学問上確に知れてある事実とを混同こんどうしてはならぬ。

六 遺伝に関する学説


 例へば遺伝いでんに関する学説のごときは、総べて斯様かような仮説で、従来じゅうらい学者の考へ出しただけでも中々数多くあるが、一として根拠こんきょの確な動かせぬほどのものはない。其有名そのゆうめいなものをげれば、ダーウィンのパンゲネ説、ヘッケルのペリゲネ説、ネゲリのイヂオプラズマ説、ヴァイズマンの生殖せいしょく物質説、ド=フリースの細胞さいぼう内パンゲネ説などで、なお其他そのほかにも多少此等これらと異なつた説が種々あるが、同一の現象に対して、沢山たくさんの仮説が提出せられてあることゆえその各々の真らしさの度は、はなは僅少きんしょうならざるを得ない。もっとも、単にくじく様なわけではなく、各多少の事実を基としてはあるが、いずれも比較的ひかくてき少い事実を根拠こんきょとして、其上そのうえに多量の臆測おくそくを加へて造り上げたものゆえ、今日の所、やや確であると思はれるものは一つもない。右の中ヴァイズマンの生殖せいしょく物質説のごときは、ダーウィン以後に急にさかんになつた細胞さいぼう学研究の結果を取り、これに結び合せて造つてあるので、一時大いに人の注意を引いたが、これとても全く臆測おくそく基礎きそとしてあることゆえ、素より信を置くには足らぬ。しか遺伝説いでんせつとしては当時おそらく最も有名なものゆえ、先づこれを取つて、現今げんこんの遺伝説の一例と見做みなし、其大要そのたいようを述べて見やう。人間でも、犬・ねこでも、初めは母の体内にそんする微細びさいたまごから出来ることは前にも述べたが、ヴァイズマンの説によると、
「生長した動物の有する総べての身体上の性質を、一個づゝ代表する分子のごときものが、卵の内に最初から存在そんざいして居て、胎児たいじの発生が始まると同時に、此物このものが相分かれて、頭となるべきものは頭となり、足となるべきものは足となり、発生の進むにしたが益々ますます細かに相分かれて、終には頭の毛となるべきものは頭の毛となり、足のつめとなるべきものは足のつめとなり、くして胎児たいじの身体の形状が全く出来上がるのである。此分子このぶんしごときものは、一個が一性質を代表することゆえ其数そのかずは何万も何億なんおくもあるわけで、また其大そのおおきさは顕微鏡けんびきょうなどでは到底とうてい見えぬほどきわめて微細びさいなものであるが、此物このものは各分裂ぶんれつによつて増加ぞうかするせいそなへて居るから、代々一部分が身体となつても、残りはそのまゝ子孫に伝はつて、絶えることはない。
「一言でいへば、開けば成人の総べての性質を表すべきものが、ちじかたまつて微細びさいたまごの内にひそんで居るのである。もっとも、人間の形が顕微鏡的けんびきょうてきの大きさで卵の内に入つて居るといふ訳ではない。ただ成人の身体の各部を、代表する分子のごときものが、一定の規則にしたがつて其内そのうちに並んで居るだけである。すなわち卵の内には頸筋くびすじ黒子ほくろの色を代表する分子や、かかとの皮のかたさを代表する分子までが、行儀ぎょうぎよく並列へいれつして居る訳で、一旦いったん胎児たいじの発生が始まると、かる一組の分子が各二個づゝに分かれ、其結果そのけっかとして全く同様な二つの組が出来、其中そのなかの一組は其儘そのまま胎児たいじ生殖せいしょく器官きかんの中に入つて仕舞しまひ、他の一組は前に述べたごとくに、漸々だんだん相分かれて、胎児たいじの全身の形を造るのである。されば、子の身体の形状は生まれぬ前からすでに卵の内で確定してあることゆえ、親の身体に如何いかが様な変化が起らうとも、子の方には少しも遺伝いでんする訳はない。
「以上は唯卵ただたまごのみにいて考へたが、父の体内には卵に相当すべき極めて微細びさい精虫せいちゅうと名づけるものがあつて、これも卵と同様に、成人の身体の性質をことごとく代表した分子をふくんで居るが、生殖せいしょく作用の際に卵と相合して、この分子をる割合に混ずるゆえ、生まれる子は父と母との中間の性質をび、る点は父にまたる点は母に似るのである。また父にも母にも似ぬ様な性質が現れることのあるのは、其時そのときまでひそんで居た先祖の性質を代表する分子が、る原因によつてにわかに現れ出したのである。まる所、子の身体に現れる性質は総べて父母の身体内にある卵と精虫との内に代表者が初めからそんして居て、これ如何いかがなる割合に結びくかは生殖せいしょく作用の際に定まる訳ゆえ、生物の変化性の原因は全く生殖せいしょく作用にあつて、子が如何いかがなる形に出来るべきかは、生殖せいしょく作用の行はれるときにすでに定まつて仕舞しまふ。それから後は、ただ各性質・各器官きかんを代表する分子が相分かれて、頭は頭、足は足となりさへすれば、子の形は出来るのである。」
 以上は素よりヴァイズマンの遺伝説を残らず述べた訳ではない。生殖せいしょく物質説といふ書物一冊いっさつだけでも六百何十ページもある大きなものゆえ、中々くわしくこゝに紹介しょうかいすることは出来ず、また細胞さいぼう学的・発生学的の素養そようがなければ解らぬ様なことは一切いっさいはぶいたゆえそのためにも余程りゃくした点がある。しかし、眼目がんもくとする所を通俗つうぞく的に述べればほぼ以上のごときものであるが、此考このかんがえを生物学上の実際の現象に当てめて見ると、困難こんなんな場合がいくらも生ずる。例へば'イモリ'のごときは、足を切り取りてもただちまた新しい足が其跡そのあとに生えるが、以上述べたごとくに各器官きかんの各部分を代表する分子が卵の中に初めから存して、発生の際にはただこれが相分かれて足となるべきものが足となるとすれば、一旦いったん出来た足を切り取つた後には、如何いかにして、再び足が生ずるかとの問が起る。ヴァイズマンはこれに答へるために、かる場合には足の部分・性質等を代表する分子のかたまりは正副二つあつて、正の方はそれ/″\に分かれてあし'足付'あしのこうあしうら・大趾(注:おやゆび)・小趾(注:こゆび)などとなつて仕舞しまふが、副の方は其儘そのままあしの根元の処に留まつて足が切られたときにこれを再び造るために待つて居るとの想像説を追加した。スパランザニといふイタリヤ人の実験などによると、'イモリ'の足は新しく生じたものをまた切れば、また生えて、六度まで切つたのに、六度ともさらに出来たが、ヴァイズマンの説にしたがへば、足の根元のところには足を造るべき分子のかたまりひそんで居て、これ分裂ぶんれつして同様のものがいく組も出来、一度足を切られる度に一組づゝ出て行つて、新しい足を造るのであらう。なお指だけを切れば、指だけが再び生じ、うでの処で切れば、うでから先が再び生ずる所を見れば、指の根元には指だけを造るべき分子の副の組がひそんで居、ひじの処にはひじより先だけを造るべき分子の副の組がひそんで居ると論じなければならぬ。ここには斯様かようのことをくわしく論ずる必要も無いゆえりゃくするが、ヴァイズマンの説はくのごとく事実と衝突しょうとつする場合には、さらに追加の仮説を設けて、其困難そのこんなんを切りけやうと勉めたゆえ、仮説の上に仮説がけ加はつて、実におどろくべき複雑なものとなつて居る。ヴァイズマンの学術上の功は素よりすべからざるもので、特に進化の事実および自然淘汰とうた説に関する研究のごときは、大いに後進者の参考となることは無論であるが、其遺伝そのいでんに関する学説だけは如何いかにも余り造り過ぎてある様に感ぜざるを得ぬ。
 他の遺伝説を紹介しょうかいすることは、総べてりゃくするが、現今げんこんの遺伝説といふものは、みな一割にも足らぬ事実に、九割以上の臆測おくそくを加へたものゆえ、まだ決して確乎かっこたるものとは見做みなされぬ。ダーウィン以後の進化論に関する議論の一部は、斯様かような遺伝説の争ひで、論判ろんぱんきびしかつた割合には、事実上の知識は進んでは居ない。それゆえ、進化論の何たるを知らうとよくする人は、先づ斯様かような仮説の争ひなどには頓着とんちゃくせず、生物進化の事実の方を注意して研究するがよろしい。此方こちらが十分に解つた後に、種々の仮説を批評的ひひょうてきに読んで見るのは面白いが、初めから斯様かような仮説を聞き知ることは、ただ混雑こんざつを起すだけで、害はあるとも決して益は無い様である。

七 反対説の略評


 ダーウィンが「種の起源しゅのきげん」をおおやけにしてから、今日までに、生物進化論および自然淘汰とうた説に反対した議論が、新聞・雑誌ざっし上にげられたことは、実に数限りもない程であるが、学問上真面目まじめ弁駁べんばくすべき価値かちのない様な議論がその大多数をめて居る。ハックスレーは此等これらを評して、紙代・印刷代を考へると実に勿体もったいないというたが、元来生物進化論は生物学上の論であるゆえ、生物学上の知識の無い人はこれを十分に理解することも困難こんなんで、これ批評ひひょうする資格は素より無い。比較ひかく解剖かいぼう学・比較ひかく発生学・生物分布せいぶつぶんぷ学・古生物学等の大体を心得こころえて居る人から見れば、生物進化の事実は地球の円いといふ事実と同様に、今日少しもうたがふことの出来ぬものであるが、此等これらの学問の素養そようのない人は、進化論の根拠こんきょとなる事実を理解することが出来ず、ただ其結論そのけつろんだけを聞いて勝手な批評ひひょうを下すのであるから、其批評そのひひょうは、生物学者の側から見れば、ほとんど何の価値もない。
種の起源しゅのきげん」の出版後、生物進化論に対して、早々やかましく反対論はんたいろんを持ち出したのは、主として宗教家しゅうきょうか哲学てつがく者等で、生物学的素養の足らぬ人が多かつたゆえの説く所も、今日から見れば取るに足らぬものばかりで、こゝに紹介しょうかいする必要はない。もっとも、其頃そのころには、生物学者の中にも反対が無いことは無かつたが、年々発見せられる新事実が、べて生物進化の証拠しょうことなるべきものばかりであつたゆえたちまだれも進化論の真であることをみとめずにはられぬ様になつて、今より丁度ちょうど三十年前にアメリカでルイ=アガシーが死んだ後には、生物学者で生物進化の事実を否定ひていする者は終に一人も無い。これを見ても生物の進化は、生物学を修めた者であればだれみとめざるを得ぬ実事で、これうたがうたり、または無いと思うたりするのは、全く生物学上の知識ちしきの不足に基づくといふことが解る。
 くのごとく生物進化論の方は最初はげしく反対説が出たが、後には漸々だんだん減じて、今日ではほとんど全く無くなつた。しかも反対者の多数は門外漢であつたゆえ学問上有力な反対説は終に一度も無かつた様な有様で、現今げんこんではヨーロッパ諸国しょこく普通ふつうの学識のある人はみなこれみとめるにいたつたが、ダーウィンのとなへ出した自然淘汰とうたの説はこれとは大におもむきちがひ、最初は生物学者の仲間なかまはなはだしくこれ尊重そんちょうする人が多かつたが、漸々だんだん其効力そのこうりょくうたがふ人などが出来、近来におよんでかえつて反対者の数が増した様なかたむがある。しかも反対者はことごとく生物学者であるゆえ、一応もっとに聞える様な議論も決して少くない。素より其中そのなかには単に誤解ごかいに基づくもの、あるいは文字の解釈かいしゃく相違そういによるものなどもあるが、此等これらのぞいてもなお沢山たくさんの議論がある。こゝにそれを一々げて評する訳には行かぬが、総括そうかつして其主要そのしゅような点を言へば、およそ次の三つ位につづめることが出来やう。
 先づ第一には如何いかがなる器官きかんの形状・構造でも、極めて僅少きんしょう相違そうい位では、生存競争上せいぞんきょうそうじょう勝敗の定まる標準とはならぬ。それゆえ自然淘汰とうたの結果として、る点のわずかに勝つたものが生き残り、わずかおとつたものが死にえるとは信ぜられぬ。例へば此処ここ二疋にひき蝙蝠こうもりがあると想像して見るに、つばさの長さに一分(注:3mm)位の長短の相違そういがあつた所が、つばさの長い方が必ず適者で、短い方が必ず不適者であるとは日々の経験上けいけんじょう信ずることは出来ぬ。されば自然淘汰とうたによつて生物の種属が漸漸だんだん進化するといふ説は、実際にはてきせぬ場合がはなはだ多いとのろんである。これはミヴァート、ネゲリ、スペンサーなどの論じた所で、一応正当な議論であるが、これに対する著者ちょしゃの考はすでに第十四章に述べて置いた通りで、一疋いっぴき一疋いっぴきとをとらへて比較ひかくすれば、如何いかにも此説このせつごとつばさの長い蝙蝠こうもりが敗けて、つばさの短い方が勝つことも往々あるが、蝙蝠こうもりつばさが今日程に発達してなかつた時代の有様を想像して見るに、つばさわずかでも長くて・飛翔ひしょうわずかでも速なものが、つばさやや短い・飛翔ひしょうの力のやや弱いものに比較ひかくして、統計上とうけいじょういささかでも勝つ機会きかいが多くある様ならば、長い間には漸々だんだんつばさの長いもののみが生存せいぞんすることになり、其結果そのけっかとして種属が進化して行くべきはずである。斯様かようなことは一個々々の場合にいて観察することは出来ぬが、全体を見れば決してうたがへぬ事実で、人間社会を見てもこれと同様な現象げんしょういくらもある。およそ統計上の規則といふものは、ただ全体を通ずれば正しいが、一個一個の場合には当ることもあれば当らぬこともあつて、一部分だけを見たのでは、到底とうてい全体にかんする大きな規則きそくは発見することは出来ぬ。生存競争せいぞんきょうそうの結果、適者だけが生きのこり、代々自然の淘汰とうたが行はれるゆえ、生物種属は漸々だんだん進化するはずであるといふダーウィンの説は、ほぼかる統計上とうけいじょうの規則とも見做みなすべきもので、一種属の生物個体の間に現れる多くの変化の中から、生存競争上いささかでも都合のよい変化へんかが統計上勝をめるといふ大勢たいせいだけを言ひ表したものに過ぎぬ。それゆえ此点このてんは実際観察した事実を基としたものでは無く、単に理窟りくつ上からし考へた論であるが、ただ考へて見ても最も真らしいのみならず、く仮定すれば生態学の範囲はんい内にある無数の事実を容易に説明することが出来る所からせば、先づこれを正当な断定と見做みなしてくより外はない。特に今日自然淘汰とうた説に反対する人はいくらもあるが、生物各種に固有な攻撃こうげき防禦ぼうぎょ器官きかん、外界の変動へんどうに応ずべき性質などは如何いかにして生じたものであるかといふ問題に対し、自然淘汰とうた説に代つて説明をあたふべき適当てきとうな仮説を考へ出した人は一人もない有様ゆえ、たとひ多少の不明の点があつたとするとも、今日すでこれを全然打棄うちすてて仕舞しまふのは、兎に角とにかくなおはなはだ早まり過ぎたことといはねばならぬ。
 次にまたいずれの器官きかんでも、一定の度までに発達し、一定の大きさ・形状けいじょうを備へるにいたらなければ、其器官そのきかん固有の作用をいとなむことが出来ず、したがつて生存競争上、何の役にも立たぬ。例へば前の蝙蝠こうもりの例にいていうても、つばさといふものは空中に身体をささへるに足るだけの大きさに発達はったつするまでは、飛翔ひしょう器官きかんとしては全く役に立たぬ。他の器官きかんとてもみなくのごとくで、一定の度まで発達した後でなければ用をなさぬが、何の役をもつとめぬ器官きかんが少し位大きくても小くても、生存競争せいぞんきょうそうける勝敗がそれによつて定まる訳でないから、自然淘汰とうたによつて其器官そのきかんが発達し、大きくなる見込みこみは無い理窟りくつであるとの反対説がある。これも一応もっとに聞える議論ぎろんであるが、生物界には作用の転換てんかんといふことがあり、また生長の聯関そうかんなどといふこともあるから、此等これらの働きによつても随分ずいぶんかることが出来ぬともかぎらぬ。
 作用の転換てんかんといふのは生物の習性しゅうせいの変化した結果、今までる役を務めて居た器官きかん漸々だんだん他の役を務める様に移りかわることであるが、およそ如何いかがなる器官きかんでも一定の役目を務めるにはそれを務めるに足るだけの構造こうぞうを備へなければならぬことは無論のことで、たとへば手が手として働くには、必ずそのために一定の形状・構造を備へて居なければならぬ。外の物にいて言うても其通そのとおりで、団扇うちわは風を生ずるためには扁平へんぺいでなければならず、擂粉木すりこぎ味噌みそるには棒状ぼうじょうでなければならぬ。しかるに一定の形状・構造を備へて居る以上は、此等これらの物を其元来そのがんらいの目的以外に用ゐることも出来る。すなわ擂粉木すりこぎを単に一種のぼうとして、味噌みそるより外の目的に用ゐることも出来れば、人間の手を単に一定の形状を有するあしとして水中游泳ゆうえいの道具に用ゐることも出来るごとく、およそ如何いかがなる器官きかんも、その固有の作用の外に、その形状・構造等に基づく所の副弐的ふくじてきの作用を務めることも出来るものゆえ、生物の習性が変ずる場合には、器官きかんは今まで務めて居た固有こゆうの作用をやめて、今までは副弐的ふくじてきであつた方の作用を、今から後は主として務める様になる。例へば陸上を走るけもの類の子孫でも水辺に出て魚をとらへて食ふ様になれば、生存競争上、たくみおよぎ得るものが勝を占める訳ゆえ、代々此標準このひょうじゅんによつて淘汰とうたが行はれ、初め走るのに適して居た足も、途中とちゅうから役目が変じ、漸々だんだん水中游泳ゆうえいに適する形状・構造を備へる様になつて仕舞しまふ。河獺かわうそ臘虎らつこ膃肭臍おつとせい海豹あざらしくじら等を順にならべて置いて、其足そのあし比較ひかくして見れば、実際各此通このとおりの径路を歴て変化し来つたものとしんぜざるをぬが、くのごとき作用の転換てんかんしばしばあれば、自然淘汰とうたによつてすでる方面に一定の度まで発達した器官きかん其儘そのまま取つて材料とし、さらに自然淘汰とうたによつてこれを他の方面へ向うて発達せしめ、其形状そのけいじょう・構造等を造り改めることも出来る訳ゆえ、こゝにげた反対説の効力は余程まで消えて仕舞しまふ。蝙蝠こうもりつばさごときも、空中を自由に飛翔ひしょうするためには、一定の度までに発達した後でなければ用をなさぬが、ただえだから枝へび移るといふだけには、つばさの形が十分備はらずとも、相応の役に立つ。また樹の枝にのぼるだけならば、少しもまくの必要はない。それゆえ、初め単にの枝に登つただけの動物も、し後にいたつて枝から枝へ飛びうつ習慣しゅうかんが生じたならば、少しでも表面の広い四肢ししそなへたものが勝をめ、自然淘汰とうたの結果、指の間のまく漸々だんだん発達し、まくの発達が一定の度まで進めば空中を多少飛ぶことも出来る様になり、飛ぶことが出来る様になれば、其中そのなかで最もたくみに飛ぶものが生存競争に勝をめる様になるから、また自然淘汰とうたの結果、益々ますます飛翔ひしょうてきする構造を備へたものが出来て、初め簡単かんたんな前足も終には全くつばさの形をていするに至るべきはずで、説明上特別とくべつ困難こんなんを感ずる点は少しも無い様である。
 生長の聯関そうかんといふのは、前にも一度述べた通り、一の器官きかんが一定の方向に発達すれば、る他の器官きかんこれ聯関そうかんしてる他の方向へ発達することで、何故なぜ斯様かような現象が起るかは、今日の所、一々十分にはわからぬが、若干じゃっかんの事実は経験上確に知れて居る。元来生物の体は若干の器官きかんに分けてろんずることは出来るが、べてが集まつて働くので、初めて生活し得る次第ゆえ、各個の器官きかんが他に無関係に独立に変化することの出来ぬは、無論のことである。それゆえし一の器官きかんが自然淘汰とうたによつて発達したならば、これ聯関そうかんして生存競争せいぞんきょうそう上に余り必要のない器官きかんが発達し、終には生存競争上、一定の価値かちを有し得る度までに生長することも最も有り得べきことと思はれる。しこうして、一旦いったん生存競争上にる役に立つ様になつた以上は、其器官そのきかん優劣ゆうれつは最早勝敗の定まる一標準となるゆえ、自然淘汰とうたによつて益々ますます進歩することは素よりうたがいがない。
 なお次のごとき反対説もある。「自然淘汰とうた説では生存競争の結果、常に適者が生き残るといふが、此適者このてきしゃといふものは如何いかにして出来るか。生物に変化性のあることはだれみとめるが、偶然ぐうぜんに生ずる変化の中に、何時いつも外界に丁度ちょうど適する様な変化があるといふことははなはだ受取りがたいことである。丁度ちょうど必要なおり丁度ちょうど都合のよい変化が何時いつも現れるといふことは、ただ偶然ぐうぜん起る変化ばかりでは到底とうてい出来ることでない。これには何か其外そのほかに原因が無ければならぬ」との論であるが、る人はこれは生物自身が生まれながら持つて居る所の「益益完全のいきに進む」といふ性質に基づくことであらうなどととなへた。此流儀このりゅうぎの考は、ダーウィン以後に幾度いくどり返して種々の学者によつて発表せられたが、これただ事実を言ひ表すだけで、少しも説明にはならぬ。生物は総べて進化するものであるが、その原因は生物に固有こゆうな進化性にそんするのであるというた所で、其進化性そのしんかせいといふものが如何いかがなるものか解らぬ以上は、説明としては何の役にも立たぬ。其上そのうえ地質時代の時の長さを考へて見れば、生物の一代ごとに現れる変化が、如何いかに少くとも、終には積つていちじるしい変化を起すべき訳ゆえ、ダーウィンの自然淘汰とうたの説だけで説明には十分であつて、他に斯様かような仮説を設ける必要は少しもない。此等これらの点にいて議論を始めると、如何いかが様にでも議論は出来て、中々容易に際限のくものでないゆえ、こゝにはりゃくする。
 ダーウィン以後の諸説しょせつ総括そうかつして言へば、生物進化の事実に対しては、最早反対の考を有する生物学者は一人もないに反し、ダーウィンの自然淘汰とうた説にいてはなお種々の反対論が出て居る。しかしながら、自然淘汰とうたは生物進化の原因としては全く無功むこうであると断言だんげんの出来る程の確な論はまだ一つもない。また自然淘汰とうた説に代つて、生物進化の原因を説明するに足るべき仮説もまだ一つもない。それゆえ、今日の所では、ウォレース、ヴァイズマン等のごとく、如何いかがなる些細ささいな点でもことごとく自然淘汰とうたの結果であるとろんずるのは素より穏当おんとうでないが、また自然淘汰とうた説を全くてるといふのはさらはなはだ理由の無いことである。近来随分ずいぶん極端きょくたんな説をく学者もあるが、の説く所を聞けば、多くは生物界にける現象の中から、単に一部だけを見て、それが自然淘汰とうた説では説明が出来ぬからというて、自然淘汰とうたは全然何の役にも立たぬとろんじて居るに過ぎぬ。しかし生物界を広く見渡みわたせば、自然淘汰とうたの力の著しいことは、決してうたがふべからざることであるゆえ仮令たとい一個々々の場合に、自然淘汰とうた説で説明の出来ぬ様なことがあつても、そのため全部を取棄とりすてるのは勿論むろんあやまつたことと言はねばならぬ。


第十七章 今日の所、すでに確である点


 前章でべた通り、ダーウィン以後には、随分ずいぶん種々の議論が出たが、生物学上の知識ちしきは、其間そのかん常に速に進歩して、初め曖昧あいまいであつた事項じこうも、後には確乎かっことしてうたがふべからざる様になつたものが少くない。自然淘汰とうた説の方は其後そのごただ一個一個の場合に当てめて、事実にいてその効力の範囲はんい厳重げんじゅうに調査せられただけ位で、一向著しく増補ぞうほせられた点もなく、また此説このせつ以上の適当な仮説が考へ出されたことも無いゆえ我々われわれが生物進化の原因を説明し得る力は、今日といえども、ダーウィン時代に比してはなはだしく進んだとはいへぬが、生物進化論の方はダーウィン以後年々確になるばかりで、今日の所では単に説とか論とか名づくべきものではなく、学問上最早確定した事実として取扱とりあつかはねばならぬ様になつた。
 もっとも、今日多数にある進化論しんかろん者のいふことが、ことごとく学問上事実と見做みなすべき価値かちがあるといふわけではない。其中そのなかには確に事実と見做みなすべきものもあれば、余程よほど事実らしいが、まだ証拠しょうこが十分でないといふものもあり、またわずかな事実をとらへて考へ出した仮説もある。それゆえ、本章においては第三章から前章までに述べた所をさらまとめて、今日世に知られて居る進化論の中で、いずれの部だけが最早確乎かっことして動かすべからざるもので、いずれの部は単に仮説に過ぎぬかをあきらかにして置きたい。
 それにいて、先づ言うて置くべきことは、確といふ字の意味である。元来生物進化論とは、生物各種属は如何いかがなる径路けいろを過ぎて、今日の有様に達したかを論ずるものゆえ、素より一種の歴史であるから、の説く所の事項じこうが確であるかいなかは、全く歴史上の事項じこうの真否を判断するのと同一な標準にしたがうて判断せなければならぬ。普通ふつうの歴史が人文開化の変遷へんせんを論ずるごとく、また歴史的地質学が地殻ちかく変遷へんせんを論ずるごとく、生物進化論は十分発達したあかつきには、生物各種の変遷へんせんの有様をあきらかにすべきはずのものゆえその研究の方法のごときも、前二学と全く同様で、第一には古代の遺物いぶつを研究して、其時代そのじだいの有様をさぐり、次には現今げんこんの事情を調査し、これを基として古のことを察するのである。古物・古蹟こせき・古文書が人間の歴史の材料となるごとくに、地層ちそうの中に保存ほぞんせられて今日まで残つた古生物の化石は、進化論の最も重要な材料となる。また現今の口碑こうひ儀式ぎしき等が歴史れきし研究の参考さんこうとなるごとくに、現今の生物の身体内にある各器官きかんの構造・発生等は大いに進化論の参考となるものである。ただ普通ふつうの歴史が僅々きんきん二三千年間の事蹟じせきを論ずるのとちがうて進化論の方は何万年とも何億年とも解らぬはるか昔のことを調べるのであるから、材料の不十分なのは無論のこと、必要な証拠しょうこも大部分は湮滅いんめつした有様ゆえ到底とうてい詳細しょうさいな点までをあきらかに調べ上げることは出来ぬが、の説く所の事項じこうが確であるかいなかを判断するには、歴史上の事項じこう比較ひかくして考へて見るのが最も当然である。しこうして、此考このかんがえもって言ふときは、進化論の述べることの中には、今日すでに確な事実と見做みなすべきものが、決して少くはない。
 およそ、物はうたがひ始めると限りのないことで、考へ様によつては随分ずいぶん自分の目の前にあり、自分の手でれることの出来るつくえや書物などが真に存在そんざいして居るかいなかをもうたがはねばならず、終にはデカルトのごとく「われは考へる、それゆえに我は存在そんざいする」といふより外には、何も断言だんげんが出来ぬ境涯きょうがいに達し、それ以上のことは総べて先づその存在から証拠しょうこ立ててかからねばならぬ。斯様かように物を疑うてかゝれば、楠正成くすのきまさしげ湊川みなとがわで自殺したことも、光秀みつひで信長のぶながしいしたことも、徳川家康とくがわいえやす関原の戦せきがはらのたたかいで勝つたことも、総べて事実として其儘そのまま受取ることは出来ぬが、進化論の説く所もこれと同様で、何処どこまでもうたがうてかゝれば、素より疑はれぬこともないが、普通ふつうに発達した脳髄のうずいを持つて居て、以上のごとき歴史上の事実を真なりとみとめる人であれば、全く同一の理由により、進化論しんかろんの大部をも事実とみとめなければならぬはずである。あれこれも証明の方法は全く同一な性質のものゆえ、一はこれを信じ、一はこれを信ぜぬといふ理窟りくつは決して無い。

一 生物種属の漸々だんだん変化すること


 人間の飼養しようする動植物が漸々だんだん変化して行くことは、目前の事実で、だれうたがふことは出来ぬが、野生の動植物とても矢張やはこれと同じく、ドイツ国のスタインハイムから出た平巻貝ひらまきがいを始め、其他そのほか数箇所すうかしょからり出された貝類の化石の標本などを見れば、漸々だんだん変化し来つたことは実に明瞭めいりょうなことで、如何いかに考へても少しもうたがふべき点はない。斯様かように、完全に先祖せんぞから子孫しそんまでの化石が同じ場所にそろつて発見せられたれいは、今日の所ではまだ沢山たくさんはないが、かる場合には必ず先祖から子孫へ漸々だんだん変化して居るのを考へると、他の動物とても、みな同様な有様に漸々だんだん変化する性質を備へて居るものと見做みなしても、決してはなはだしいあやまりではなからう。各種の動植物にいて、如何いかがなる方向に変化するものであるかを論ずることは、今日まだ到底とうてい出来ぬが、兎に角とにかく、動植物の各種属は決して古人の考へて居たごとき万世不変のものではなく、長い年月の間には漸々だんだん変化し得るものであるといふだけは、最早もはや動かすべからざる事実として、断言しても差支さしつかへはなからう。
 しかし、く生物各種が漸々だんだん変化するのは何故なぜであるかとの問に対しては、十分な答はまだ出来ぬ。生まれる子は、遺伝いでんによつて親の性質を受けぎながら、親とは必ず多少ことなつて居ることは我々われわれの日々見る事実であるが、子に遺伝する性質にはただ親が先祖代々から受けいで来たものもあれば、親が其一代そのいちだいの間に新に得たものもある。また親にも先祖にも無い思ひがけぬ性質せいしつが、突然とつぜん子に現れることもある。こゝまでは我々われわれの経験の範囲はんい内にある事実ゆえ、確であると断言が出来るが、そもそ此等これらの事実は何故なぜに起るかとたずねると、最早其説明そのせつめいはなはだ不十分である。ヴァイズマンなどに言はせると、親が一生涯いっしょうがいの間に新に得た性質は決して子に伝はらぬものの様であるが、斯様かような性質が幾分いくぶんか子に伝はつた確な例がいくつもあるゆえ、最早の説はたおれたものと見做みなさねばならぬ。ヴァイズマン自身も最後の著書ちょしょには、此事このことみとめて、外界から生物の身体におよぼす直接の影響えいきょうの中でも、生殖せいしょく物質までに達するものは子孫に伝はり得るとあきらかに書いて居る。もっとも、ヴァイズマンは「生殖せいしょく物質といふものは単に生まれる前の子孫の身体であるゆえ、外界から直接に生殖せいしょく物質に影響えいきょうおよぼす場合には、これは直接に子孫の身体に影響えいきょうおよぼした訳である。親が一旦いったん外界から受けた影響えいきょうさらに子につたへたのではなく、子自身が外界からただち影響えいきょうこうむるのであるゆえこれは遺伝とは名づけられぬ」と言うて居る様であるが、斯様かような論は単に言葉の上の議論に過ぎぬ。事実においては、すでに外界に起る変化は其時そのときに当つた一代の生物のみならず、其子孫そのしそんまでにも変化をおよぼすことをみとめたのであるから、従来かれの主張し来つた「一生の間に得た性質は子に伝はらぬ」といふ説はかれ自身で引つめざるを得ぬに至つたというてよろしい。
 議論は兎に角とにかく、生物各種が漸々だんだん変化するものであることは、今日の所、最早決してうたがふことは出来ぬ。何故なぜといふに、其直接そのちょくせつ証拠しょうこは目前にいくらでもあるからである。

二 一種より数種に分かれること


 これも目前に、沢山たくさん、例のあることゆえ、少しもうたがふことは出来ぬ。パウターもファンテイルも同じく一種の土鳩どばとから変じて生じ、チャボもコチンも同じく一種の野生の'鶏'にわとりから出来たことは前にべたが、ポルト・サントーのうさぎごときも、本国のものとは大いに変じて別の種となり、初め一種のうさぎが今では本国の種とポルト・サントーの種と二つに分かれて仕舞しまうた。其他そのほか、草花の類などを例に挙げると、斯様かような例はほとんど無数にある。
 化石の方で完全にこれを証明するに足る例はまだはなはだ少いが、スタインハイムの平巻貝ひらまきがいなどで見ると、一種の先祖から漸々だんだん樹枝状じゅしじょうに分かれくだつて数種になつた具合が、最も明瞭めいりょうに解つて居る。他にもこれに似た場合がいくらもあるが、大抵たいていは化石の標本が十分にそろつてないゆえく確に断言は出来難できがたい。しかし古い書物を虫が食うたために、其中そのなかの文字が所々無くなつて居ても、少し考へれば前後の続きから其文字そのもじ推察すいさつし、全体の文句もんくを読みかいすることが出来る通り、化石の方でも、少し位不足した所があつても、他のものからして全体の変遷へんせんの模様を知ることが出来るが、くして見れば、一種から数種に分かれた有様のほとんど確に解る例は沢山たくさんにある。前にも述べた通り、化石といふものは生物変化の歴史を調べるに当つては、あたかも古文書と同じ様な参考の役に立つものであるが、きわめて不完全に保存せられ、其中そのなかまた極めて少数だけが知られて居るに過ぎぬゆえあたかも虫に食はれて切れ/″\になり、散乱さんらんして大部分は無くなつて仕舞しまうた残りの古文書に比較ひかくすべきものである。それゆえし一種から分かれくだつて数種になつた有様が、ほとんど完全に解る様な例がいくらかあれば、最早此事このことは化石学上証明せられた事実と見做みなすの外はない。其上そのうえ極めて確に此事このことの断言の出来る様な例が二つ三つあるのであるから、なおこれうたがふべき理由は無い。これをもうたがふ位ならば、普通ふつうの歴史上の事実はことごとく疑うてかゝらねばならぬ。

三 生物各種の間に血縁けつえんあること


 生物種属の漸々だんだん変化することおよび一種よりくだつて数種の出来ることは、両方とも目前に確な例がいくつもあることゆえほとんど事実其物そのものを述べたに過ぎぬが、此二個このにこの事実をみとめた以上は、これ論拠ろんきょとしてなお其先そのさきのことを多少知ることが出来る。今日知られてある生物種属の数は、何十万もあるが、これ如何いかにして生じたかといふ問に対し、以上の二事実を当てて考へて見るに、生物各種がみな長い年月の間には漸々だんだん変化するものとすれば、今日存在そんざいする生物は、決して最初から今日の通りの姿すがたで存在して居た訳では無い。その先祖たるものは必ず今日生存する子孫に比して異なつて居たと考へなければならぬ。また初め一種の先祖から起つた子孫も、漸々だんだん分かれて数種となるものとすれば、今日存在して居る生物の中、るものとるものとは共同の先祖を有すると思はなければならぬ。
 以上は単に前の二事実からし考へた結論けつろんであるが、生物各種を研究して見ると、実際此通このとおりであつたにちがひないと思はれる証拠しょうこが無数にある。第九章から第十三章までに述べたことは、総べてこの種類の事実で、生物各種は漸々だんだん進化して今日の有様に達したもの、相似あいにた動物はみな共同の先祖からくだつたものといふことをみとめなければ、到底とうてい説明の出来ぬものであるが、斯様かよう証拠しょうこほとんど無数に存する以上は、此事このことも最早確な事実と見做みなすの外はない。進化論の証拠しょうことして本書にげたのはわずか若干じゃっかんの例を選み出したに過ぎぬが、比較ひかく解剖かいぼう学・比較ひかく発生学・古生物学等の書物を開けば、ほとん毎頁まいページに生物の進化をみとめなくては全く了解りょうかいすることの出来ぬ事実が出て居る。それゆえいやしくくも生物学を修めた者から見れば、生物各種は漸々だんだんの進化によつて生じたものであるといふことは、如何いかうたがはうと思うても疑ふことの出来ぬもので、今日生物学者に生物の進化をみとめぬ人の一人もないのは全くこのためである。
 相似た動物は共同の先祖から分かれくだつたものであるとすれば、其間そのかんには真の血縁けつえんが存する訳で、みなたがいに実際の親類である。人間でも平均血縁けつえんの近いもの程、容貌ようぼう・顔色等が余計に相似て、血縁けつえんの遠いもの程相似ることの少いのからして考へれば、生物界においても、相分かれることのおそかつた種類ほどたがいに構造が類似し、相分かれることの早かつた種類ほどたがいに構造が相遠ざかると見做みなすのは決して無理なことでないが、比較ひかく解剖かいぼう学上・比較ひかく発生学上の研究によれば、生物種属の数多い中には、たがいに極めて相似たものからほとんど少しも相似ぬものまで、相違そういの度に無数の階段かいだんがあるから、以上の考を実際に当てめれば、現在知れてある総べての生物種属を構造・発生の異同いどうしたがうて一大系統いちだいけいとう編制へんせいして、其血縁そのけつえん深浅しんせんを示すことが出来るべきはずである。もっとも前にも述べた通り、我々われわれの現今の比較ひかく解剖かいぼう学上・比較ひかく発生学上の知識はなおはなはだ不完全なものゆえ、今日すでに生物各種のたがいの関係を正しく示すべき精密せいみつ系図けいずを造り上げることは出来ぬが、生物各種の間にはことごと血縁けつえんの存するものであるといふことだけはうたがひはない。今日生物学者が完成しやうと尽力じんりょくして居る所の自然分類といふものは、此理想このりそうを目的とするもので、解剖かいぼう学・発生学・古生物学等の研究の結果を基礎きそとしては居るが、今日用ゐられて居るものは素より総べて仮定に過ぎぬ。しか所謂いわゆるあたらずといえども遠からず」で、十分に調べが行届いきとどいたと想像しても、その結果は余りいちじるしくちがうたものにはなりさうもない。矢張り樹枝状じゅしじょうをなした系図をもって表すの外はない様である。しこうしてその樹枝状じゅしじょうも極めてあらところだけは今日すでほぼ確に知れて居るゆえ此上このうえただやや詳細しょうさいいたる点を確めさへすればよろしいのである。
 されば犬とねことは同一の先祖から起つたもの、馬と牛とも同一の先祖から起つたもの、しこうしてなお其昔そのむかしさかのぼれば犬・ねこ・牛・馬ともにみな同一の先祖から起つたといふ様なことだけは、今日最早確定した事実として断言しても差支へはなからう。無論これだれも見て居たことではないから、直接の証拠しょうこを挙げることは出来ぬが、犬・ねこ・馬・牛の解剖かいぼう・発生から論ずれば、是非ぜひとも斯様かように考へなければならぬ。特に古生物学上からいうても此事このことは決して無理ではない。何故なぜといふに古い地層ちそうからは犬・ねこの類とも見えずまた牛・馬とも見えず、丁度ちょうど其等それらの中間の性質を備へたけもの類の骨骼こっかくが、化石となつていくつも出て居る。犬・ねこ・馬・牛ともに同一の先祖から分かれくだつたものであるといふことは、解剖かいぼう学上・発生学上の証拠しょうこ沢山たくさんにあるのみならず、これを古生物学の方から見ても、今日までに知れて居る事実と衝突しょうとつする点は少しもない。斯様かように有力な論拠ろんきょのあることでも、ただ自分の目でこれを見ぬからというて信ぜぬ人ならば、普通ふつうの歴史上の事実は総べて信ずることは出来ぬはずである。
 以上のごとくに考へれば、牛・馬・犬・ねこかぎらず、総べて生物といふものは何種・何属にかかわらず、其間そのかんには必ず多少の血縁けつえんが存する訳で、ただ種属にしたがうて血縁けつえんの度に深浅しんせん相違そういがあるだけである。しこうして血縁けつえんの深浅は何によつて知ることが出来るかといへば、これ解剖かいぼう・発生等を調べて、その相違そういの度によつて判断するのが素より正当であらう。

四 生物の起源きげんは一であること


 生物の種属は一種より分かれて数種となるもので、今日数種の生物も、その先祖は一種であるとすれば、生物種属の数は昔にさかのぼるほど減じなければならぬはずである。もっとも、一度盛に繁栄はんえいして後に死に絶えた種属も決して少くはないが、たとひ如何いかに多くの種属が途中とちゅう断絶だんぜつしたとはいへ、なお其先そのさきさかのぼつて考へれば、種属の数は漸々だんだん少くなる理窟りくつで、其極そのきわみに達すれば、終に一種より無い時代が有つたものと結論けつろんせなければならぬ。
 また生物が漸々だんだん変化する際には、如何いかがなる方向へ向うて進むかといふに、これは人間社会の有様を考へても解るごとく、分業によつて益々ますます複雑になるものと思はれる。分業の利益あることは今更いまさら説くにおよばぬが、他の事情が全く同一であるときには、一歩でも分業の余計に進んだものの方が勝をむべき理窟りくつゆえ、生物界においても身体の各部の間に益々ますます分業が進み、その結果として、初め簡単かんたんな構造を有したものも、後には次第に複雑にならなければならぬ。ただし習性が変ずれば、不用となつた器官きかんたちまち退化することは、我々われわれの日日見る所で、寄生きせい生活をなす動植物では、消化の器官きかんが退化して終には条虫じょうちゅうけるごとくに、全く無くなり、固着こちゃくの生活をなす動物では、運動と感覚との器官きかんが退化してフヂツボにけるごとほとんど消えて仕舞しまふ。また暗中に住する動物では漸々だんだん退化して、終には形を存するばかりで少しも働きをなさぬものになる。'モグラ'のごときはその最も普通ふつうな例である。くのごとく固着生活・寄生生活を営む動物では、一度複雑な構造を持つて居たものが、再びやや簡単な構造を有するに至ることがあるが、生物界全体から見れば、これは極めて小部分で、全く例外とも見るべきものである。其他そのほかは総べて簡単かんたんから複雑に進むのが規則であつて、理窟りくつ上から言うても、また実際を調べて見ても、これには間違まちがひはない様である。して見れば、子孫しそんよりは先祖の方がいくらか簡単であるのが常であると見做みなさねばならぬが、これ何処どこまでもして論ずれば、生物といふものは昔へさかのぼるほど簡単な構造を有するものが住んで居たはずゆえし生物の始めはただ一種であつたとしたならば、其物そのものは出来るだけ簡単なものでなければならぬ。
 以上述べたことをさかさにして言へば、地球の表面の上には最初極めて簡単な生物が一種だけ存在して、それから子孫が漸々だんだん分かれくだつていく種にもなり、時の過ぎるにしたがひ、種属の数が益々ますます増加し、同時に身体の構造の益々ますます複雑なものが出来て、何万代か何億代かを歴て、終に今日見るごとき多数の動植物種属が生じたのである。現今げんこん知れてある生物学上の事実を基とし、それよりして考へると、く論ずるより外に道はない。さりながら、極めて遠い昔のことゆえ、初め一種だけより無かつた生物は如何いかがなる性質のもので、これまた如何いかにして出来たかといふ様なことは、到底とうてい判然と想像することも出来ぬ。ただ我々われわれの現今の知力の範囲はんい内では、最早これよりなお一層真らしい推察すいさつをすることは出来ぬから、判然と想像することは出来ぬながらも、先づ斯様かように考へて置くより仕方がないのである。
 生物の進化が、若し実際くのごとく初め一種のものから樹枝状じゅしじょうに分かれくだつて、終に今日の動植物各種が出来たものとしたならば、世界の処々からり出される化石は、現在の動植物と相違そういするのみならず、地層々々によつてたがいとも異なるべき訳で、其上そのうえ、系図の枝のまたの処に相当する種類の化石は、其枝そのえだが分かれて各々発達して生じた今日の二部類の中間に立つ様な性質を帯びて居なければならぬ。所が、実際を調べて見るとほぼ其通そのとおりで、前に「古生物学上の事実」と題して述べたごとく、古い地層から出た化石の中には、丁度ちょうど鳥と蜥蜴とかげとの中間に位する様な動物もあれば、歯を有する鳥類もあり、また後足だけで直立する蜥蜴とかげの類もある。馬のごときも、現今では範囲はんいの極めて判然した動物であるが、その先祖には指が五本あつて、ほとんど総べてのけもの類に共通な性質を備へて居た。古生物学上の事実ははなはだ不完全ならざるを得ぬものであるにかかわらず、今日すで若干じゃっかんの動物の系図を示すに足るだけのことが確に見出され、その標本も処処ところどころの博物館にそろへて陳列ちんれつせられてあるのを思へば、生物進化の直接の証拠しょうこも先づ十分に存するといはねばならぬ。また其他そのほかのものといえども、古生物学上の事実で生物進化論と矛盾むじゅんするものは一つもないゆえ、今日の所ではこの方面から論じても、生物の進化をみとめるの外はないが、生物進化を出来るだけ先まで推して考へると、是非ぜひともこゝに言うた通りに、生物の起源きげんただ一種であつたらうとの説に達する。それゆえなお一層真らしい説が出るまでは、当分此説このせつを真実と見做みなして置くのが適当であらう。

五 進化は競争に基づくこと


 以上述べたことは、いずれも生物進化論が事実として論ずる所で、其中そのなかには目前に確な証拠しょうこがあつて、うたがはうと思うても疑ふことの出来ぬ性質のものもあり、また斯様かような事実を基として推し考へた結論もあつたが、みな単に生物はく進化し来つたものであらうといふ筋路みちすじを説くだけで、何故なぜ生物は進化し来つたかと其原因そのげんいんを説明する方ではなかつた。さて、此方面このほうめんには今日すでに確であると断言の出来る点では如何いかがなるものがあるかと考へると、極めて少い。著者ちょしゃの考によれば、ダーウィンのとなへた通りの自然淘汰とうた説であれば最も差支へなく生物の進化を説明することが出来て、事実と矛盾むじゅんすることも決して無い様であるから、これだけはすでに確なものと見做みなしてよろしい。ダーウィン以後の新派しんぱの人々はあるいは一方の極端きょくたんへんして自然淘汰とうた万能説を主張したり、あるい其反対そのはんたい極端きょくたんに走つて自然淘汰とうた無能説を主張したりして、ただ事実に遠い仮説と仮説とを戦はせ、今日でも、なお議論が絶えぬ有様であるゆえいずれも確なこととしてげることは出来ぬ。もっともダーウィン以後の生物学の進歩は実にさかんなものであるゆえ、ダーウィンの説いたことの中には事実のあやまりを正さなければならぬ所はいくらも出来た。しかし、其骨髄そのこつずいとする所は今日といえども確なもので、これに考へおよんだダーウィンの功績は生物学の歴史中到底とうていこれに近づくものもない。ダーウィン以後の進化論は争ひの声ばかりはやかましいが、の論ずる所を聞けば、随分ずいぶん架空かくうな想像説もあり、また一本一本の木に注意して全体の森に気がかぬといふ様な誤もありなどして、真に根拠こんきょのある考を選り出せば、ほとんかってダーウィンが言うて置いたことだけ位になつて仕舞しまふ。
 自然淘汰とうたの効力にいては、生物学者の中になおこれうたがふ人があるが、生存競争の絶えず行はれて居ることにいてはだれも疑ふものはない。そもそも動植物の増加力の盛なことは、すでに第六章に述べた通りで、如何いかがなる種類でも、各々自然界の一部を占領せんりょうし、増加力でたがいし合つて、容易に進みも退きもせぬので、暫時ざんじ自然界の平均が保たれ、世はあたか平穏へいおん無事であるごとき外観をていする次第ゆえおよそ生きて居る以上は決して競争以外にえ出ることは出来ぬ。しこうしてこの競争に当つて、勝つて生存するものと敗けて死に失せるものとの数の割合わりあいは、如何いかがと考へるに、生長し終つて生殖せいしょくするまで生存せいぞんする見込みこみのあるは、平均ほぼ親と同数だけの子に過ぎぬから、雌雄しゆうの別のある動物ならば、一代ごと二疋にひきだけ、また其別そのべつのない植物ならば、一代毎に一本だけが生存して、残余ざんよことごとく何かの原因によつて死んで仕舞しまふ。わずか一本だけまた二疋にひきだけの子孫をのこしさへすれば、親のあとがれる訳であるのに、数万の種子を生じ・数十万のたまごを産むものが多いのは、一寸ちょっと考へると、全く無益の様であるが、実は沢山たくさんに子を生まなければ、一本あるい二疋にひきが確に生存するといふ保証が出来ぬ。動植物が多数の卵を産み・種子を生ずるのは、あたか散弾さんだんで小鳥をつのと同様で、其中そのなか極めて少数が生き残りさへすれば、生殖せいしょくの目的は達したことに当る。散弾さんだんで小鳥をてば真に中るのはわずか一粒ひとつぶ二粒ふたつぶで、他はみな無益にてた様であるが、し初めから一粒ひとつぶ二粒ふたつぶよりめて置かなかつたならば、容易に鳥はられぬのを見てもわかる通り、動植物がただ少数の子だけを生んだのでは、到底とうてい種属を維持いじして行くことは出来ぬ。されば子が非常に多く生まれることは無益に似て、実は決して無益でない。其大多数そのだいたすうが身を犠牲ぎせいきょうしてくれるゆえ、少数のものが生長し終り得る機会きかいるのである。イギリスの有名な詩人テニソンが「自然は種属をきわめて大切にしながら、個体こたいはなは粗末そまつにする」と書いたのも、おそらく此辺このへんの有様を言ひ表したものであらう。
 多数に生まれた子の中から、常に極めて少数だけが生き残り得るのであるから、競争きょうそうは素よりまぬがれぬが、其際そのさい如何いかがなるものが勝をめるかといふに、決して偶然ぐうぜんに定まるとは思はれぬ。同じ親から生まれた子にも形状・性質等に必ず多少の相違そういがあることを思へば、其中そのなかから最もてきした者が生き残るといふのは、決して無理な考ではない。されば生物界には絶えず自然淘汰とうたが行はれて居るといふことも、最早争はれぬ事実と見做みなしてよろしからう。しこうして自然淘汰とうたの必然の結果は生物の進化であるゆえこれよりさかさに論ずれば、生物の進化は総べて競争に基づくといふことが出来る。外界に変化が起れば、生物の体にも直接の影響えいきょうおよぼすもので、そのため生物が漸々だんだん変化することは確であるが、食ふため・食はれぬため・殺すため・殺されぬために必要な構造・習性のごときは、決して単に斯様かような原因から生ずべきものでない。の生じた理由を説明し得るのは現今げんこんの所、ただ自然淘汰とうた説があるのみである。
 本章に述べたことをさら総括そうかつしていへば、すなわち次のごとくである。およそ生物種属が漸々だんだん変化することは、目前に証拠しょうこのある事実で、一種の生物から数種に分かれくだることも、また争はれぬことゆえ現今げんこん相似て居る種属はみな共同の先祖からくだつたもので、相似る度のはなはだしいもの程、共同の先祖から相分かれることの晩かつたもの、すなわち親類のたがいいものと見做みなさねばならず、さら此考このかんがえを推し進めれば、生物の起源きげんただ一種であつて、今日見る所の数十万の動植物の種属はことごとこれより樹枝状じゅしじょうに分かれくだつた子孫であると論ぜざるを得ぬことになる。しこうしてく生物が進化し来つた主なる原因は、すなわ生存競争せいぞんきょうそうの結果として起る自然淘汰とうたであるが、他の事情が全く相同じであるときには、部分の間に分業の進んだものの方が分業の進まぬのに比して競争に勝つ見込みこみが多いゆえ、生物は常にこの方向に進化し、初め極めて簡単かんたんなものも漸々だんだん複雑な構造を有するものとなり、つい現今げんこんごとき生物界が出来上つたのである。これだけはダーウィンがすでに言うたことで、今日といえども生物進化論中真に確であるのはほぼ此位このくらいであるが、本書の第九章から第十四章までにげた事実は、総べてその証拠しょうことなるものばかりである。


第十八章 自然にける人類の位置


 相似た生物種属はみな共同の先祖から分かれくだつたものであると説けば、それで自然にける人類の位置もすでに言ひつくした訳であるが、進化論しんかろん世人せじんに注意せられるのも、また進化論が社会に益するのも、主として此点このてんにあることゆえさらつまびらかこれを論ずるの必要がある。
 そもそも人間とは何であるかの問題は、極めて古い問題で、いやしくも多少哲学てつがく的に物を考へる度までに進んだところならば、此問題このもんだいの出ぬことはない。しかしながらこれを研究して解釈かいしゃくあたへやうとする方法は種々様々しゅしゅさまざまで、したがつて此問このといに対する答も古来決して一様ではなかつた。人間は如何いかがなるものであるかといふことを知るのは、人間に取つては最も肝要かんようなことで、此考このかんがえの定め様次第で、総べての思想が変つて来る。世の中には人とは何物かといふ様な問題の存することをも知らずにくらして居る人間が多数をめて居るが、およそ人間のすこと、考へることの中に、人といふ観念の入らぬものはない位ゆえ、若し此考このかんがえあやまつて居たならば、すことは総べて誤つたこととならざるを得ぬ。く重大な問題ゆえ、昔から人を論じた書物は非常に沢山たくさんあつて、今日になつても続々出版せられて居るが、これを大別すれば、二種類に分けることが出来る。一は独断的のもの、一は批評的ひはんてきすなわち科学的のものである。
 従来じゅうらいの書物はいずれも独断的のものばかりで、其中そのなかに書いてあることは、あるいは人は万物のれいであるとかあるいは人は神が自分の形に似せて造つたものであるとかいふ様な類に過ぎぬ。此様このようなことのせてある書物の数は随分ずいぶん多いが、みな単に断定するか、あるいこれ標註ひょうちゅうを加へただけのものゆえ、証明の仕様もなければまた否定ひていの仕様もない。気に入つた人はこれを信ずるが、きらひな人はこれてて置く。まり理窟りくつで論ずることの出来ぬ信仰しんこう範囲はんい趣味しゅみ範囲はんいに属するものゆえ、科学の側からはほとん批評ひひょうすべき限りでないが、ただの説く所が科学的研究の結果と相反する場合には、無論むろん誤としてこれを正さなければならぬ。
 科学的の研究法は全くこれとはちがひ、孔子こうしが何と言はうが、耶蘇やそが何と言はうが、左様なことには頓着とんちゃくせず、ただ出来るだけ広く事実を集め、これを基として論ずるのである。それゆえ此方法このほうほうによつて得た結論けつろんは単に事実を言ひ表したもので、決してきであるからしんずるとか、きらひであるから信ぜぬとかいふべき性質のものではない。およそ真理を求める人でかつこれ了解りょうかいするだけの知識のある人であれば、必ずこれみとめなければならぬ。総べて科学の目的は真理をさがもとめ、人間のためにこれを応用することであるが、真理しんりさぐる場合には、全く虚心きょしん平気でなければ、大にあやまおそれがある。それゆえ、人とは何物であるかといふ問題を研究するには、自身が人であることは、一切忘いっさいわすれて、あたかも他の世界から此地球このちきゅう探険たんけん旅行に来たごとき心持ちになり、他の動物と同様に人間の習性を観察し、他の動物と同様に人間の標本を採集さいしゅして帰つたつもりで研究せねばならぬ。研究の結果、発見した真理を応用して、人間社会にえきしやうとするだんになれば、無論むろん人間の利益のみを常に眼中に置かなければならぬが、初め研究するに当つては、決して人間だけを贔負ひいきしてかゝつてはならぬ。少しでも不公平な心があつては真理は到底とうてい見出せるものではない。
 生物界の事実を広く集め、生物界の現象を深く観察かんさつし、これを基として科学的に研究した結果は、すなわち進化論であるが、前章に述べた通り、相似た動物種属は共同の先祖から分かれくだつたといふことは、今日の所、最早確定した事実と見做みなさねばならぬ。人間だけを例外として取扱とりあつかふべき特別とくべつの理由も無いゆえ此通則このつうそくてらして論ずれば、人は総べての動物の中で牛・馬・犬・ねこ等のごとけもの類に最もく似て居るゆえ此等これらと共同な先祖から生じた一種のけもの類である。しこうしての中でも猿類えんるいとは特にいちじるしく似て居る点が多いゆえ比較的ひかくてき近いころ猿類えんるいの先祖から分かれくだつたものである。此事このことは単に進化論中の特殊とくしゅの場合に過ぎぬから、進化論が真である以上は、此事このことも真でなければならぬ。進化論は生物界全体に通ずる帰納的きのうてき結論であるが、人間が猿類えんるいから分かれくだつたといふことは、ただその結論を特殊とくしゅの例に演繹的えんえきてきに当てめただけに過ぎぬ。

一 人体の構造および発生


 人間の身体が犬・ねこ等の身体に極めて似て居るのは実にあきらかなことで、ほとんど説明にもおよばぬほどである。先づ外部からじゅんを追うて検するに、体の全面は皮膚ひふおおはれてあるが、その構造は犬・ねこなどとほとん相違そういはない。人間の皮もなめせば中々丈夫じょうぶなもので、犬・ねこの皮と同様に種々の役に立てることが出来る。人間のかわで造つた書物の表紙、椅子いす蒲団ふとんなどを見たことがあるが、他のけもの類の革と少しも区別くべつは出来ぬ。表面に生ずる毛髪もうはつの多少には相違そういがあるが、これは単に発達の度の相違そういに過ぎぬから、極めて些細ささいなことである。とくに人間の中にも毛の多い種類と毛の少い種類とがあつて、北海道のアイヌ人のごときにいたつては、毛がすこぶる多くて、けもの類中の水牛やぞうなどの到底とうていおよぶ所でない。次に皮をぎ去れば、其下そのしたには筋肉きんにくがあるが、これも総べて犬・ねこ等の筋肉と一々比較ひかくして見ることが出来る。一個一個の筋肉片きんにくへんあれこれと比べて見るに、犬で太い筋肉が人間では細かつたり、ねこで細い筋肉が人間で太かつたりする位のことはあるが、同一の筋肉が必ず同一の場所に存して、大体からいへば、数・配列の順序ともにほとんいちじるしい相違そういはない。其味そのあじごときも全く他の野獣やじゅうごとくで、知らずに食へば少しも気がかぬ。「一片を大きな葉につつんで、火の中に入れ、暫時ざんじの後に取り出して食へば、全く他の獣肉じゅうにくのロースのごとくで、後で人間の肉だと聞いたときは、嘔吐おうともよおしたが、知らずに食うて居る間は、中々旨なかなかうまかつた」とは、南洋の野蛮やばん島に数年間伝道して居た宣教師せんきょうしから著者ちょしゃの聞いた直話である。また骨骼こっかく其通そのとおりで、頭骨ずこつ脊骨せぼね肋骨ろっこつ等を初め、四肢ししの足に至るまで、全く同一の型にしたがうて出来て居て、単に少しづつ長短・大小の相違そういがあるだけに過ぎぬ。最も形状が相異あいことなる様に思はれる頭骨でさへ、つまびらかこれけんして見れば、単に各骨片かくこっぺんの発達の度に相違そういがあるだけで、其数そのかずも列び方も全く同様である。昔、何とかして人間と他のけもの類との間に身体上の確な相違そういの点を発見したいと学者がほねを折つたころに、人間の上顎うわあごの骨は左右たゞ二個で成り立つて居るが、けもの類では左右の上顎骨じょうがくこつの間になお二個の骨が存する。これすなわち人間がけもの類と異なる所以ゆえんであるなどと論じた人もあつたが、此二個このにこ間顎骨かんがっこつと名づける骨は、人間にも無いことはない。ただ生長するにしたがうて、左の間顎骨かんがっこつは左の上顎骨じょうがくこつに、右の間顎骨かんがっこつは右の上顎骨じょうがくこつ癒着ゆちゃくして、其間そのかんの境が消えて仕舞しまふだけである。発生の途中とちゅうを調べさへすれば、人間の上顎うわあごにも犬・ねこと同様に二個の間顎骨かんがっこつあきらかに区別することが出来るが、初めて此事このことに注意したのはドイツの詩人ゲーテであつた。
 総べて頭骨ずこつといふものは、脳髄のうずいを保護する頭蓋ずがい部と咀嚼そしゃくつかさどる顔面部とから成り立つて居るが、此両部このりょうぶの発達の割合わりあいしたがうて、おおい面相めんそう容貌ようぼうちがふ。普通ふつうけもの類では、咀嚼そしゃく部が発達し、頭蓋ずがい部の方が小いから、くちさき突出つくだして居るが、人間では脳髄のうずいはなはだ大きいから、ひたいが出て、あごの方は余り突出つきだせぬ。あごが発達して居ると容貌ようぼう如何いかにもけものらしく、頭蓋ずがいが発達してあごが小い程、容貌ようぼうが人間らしいが、此比例このひれいけもの類の種属によつて、各々おのおの相異なり、同じ人間の中でも人種により、あるいは一人ごとにも随分ずいぶんちがふから、単に程度の問題で、決して根本的の相違そういとは言はれぬ。此相違このそういを数字で言ひ表すために、解剖かいぼう学者は顔面角の度を用ゐるが、顔面角とは通常鼻の下の一点と耳のあなとをつらぬく直線と、鼻の下の一点からひたいの前面へ引いた直線との相交叉こうさする角をいふので、ヨーロッパ人ではほぼ八十度、黒奴こくどでは七十度、猩々しょうじょう子供こどもでは六十度弱、普通ふつうさるでは四十五度位、犬・ねこなどになるとさらに一層この角度がするどい。しか斯様かように種々の相違そういはあつても、一方から他の方へ階段的かいだんてき漸々だんだん移り行くものゆえ、特に人間だけを此列このれつよりはなして全く別なものと見做みなすべき理由は、少しもない。
 次に・鼻・耳のごと感覚かんかく器官きかんを調べて見るに、眼・耳の構造は人間も犬・ねこほとん相違そういはない。鼻にいたつては犬・ねこの方がはるかに人間よりは上等で、かおりを感ずる粘膜ねんまくの面積は、人に比すれば何十倍も広い。また神経系統しんけいけいとう中枢ちゅうすうなる脳髄のうずい比較ひかくして見るに、これも大同小異で、ただ部分の発達の割合に相違そういがあるだけで、根本的の区別を見出すことは出来ぬ。脳髄のうずい大脳だいのう小脳しょうのう延髄えんずい等から成り立つて居るが、犬・ねこと人間との脳髄のうずい相違そういは主として大脳の発達の度にある。大脳の発達して居ることは、けもの類中で人間が確に一番で、これに近づくものは他に一種もない。此点このてんだけでは人間は実に生物界中第一等に位するものである。しかしながら此場合このばあいおいても他のけもの類との相違そういは矢張り程度の問題で、他のけもの類と同一な仕組に出来て居る大脳が、ただ一層善いっそうよく発達して居るといふに過ぎぬ。
 消化・呼吸こきゅう排泄はいせつ等のごとき営養の器官きかん如何いかがと見るに、これまた犬・ねこなどとほとんど同様で、大体においては全く何の相違そういもないというてよろしい。歯で咀嚼そしゃくせられ、唾液だえきじた食物が、食道を通つてに達し、胃とちょうとで消化せられ、滋養分じようぶん吸収きゅうしゅうせられること、肋間筋ろっかんきん横隔膜おうかくまく等の働きで肺の中へ空気を呼吸し、酸素をひ取り、炭酸瓦斯たんさんガスき出すこと、腎臓じんぞうの中を血液けつえき通過つうかする間に、血液中の老廃物ろうはいぶつし取られ、小便しょうべんとして体外に排出はいしゅつせられることは、人間でも、ねこでも、犬でも少しもちがひはない。
 生殖せいしょく器官きかん其通そのとおりで、体内にかくれて居る部分は素より、体の外面に現れて居る交接こうせつ器官きかんまで、大体においては全く同一の構造を有し、形状もはなはだしくちがはぬゆえ、相当の大きさのけものとならば、実際交接が出来ぬこともない。医学書を開いて見ると、人間の男が犬・ぶた・牛・馬等のめす交接こうせつすることは決してめずらしいことでは無いと書いてある。またる時パリーで若干じゃっかんの入場料を取つて人間の女が犬のおすと交接して見せる秘密ひみつの見世物があつたことなどもげてある。此等これらは人間の最も闇黒あんこく側面そくめんで、書く者も不快ふゆかいを感じ、読む人も嫌悪けんおじょうを起さざるを得ぬが、およそ真理をもとめるに当つては、くさい物にふたをしてくといふことは、きわめて不得策ふとくさくである。くさい物はくさいものとしてこれを研究し、何故なぜくさいかを調べて其臭そのくさい原因をさぐり、なお進んでこれ処置しょちする適当てきとうの方法を考へる様にせねばならぬ。くさい物にふたをして置いては、表面だけは如何いかにも立派りっぱであるが、内部にはくさい物が益々ますます蔓延まんえんして、結局けっきょく全体の損失そんしつに終らざるを得ぬ。こゝにげたことなども、通常人の口にするをはばかることであるが、人体の構造・作用ともにけもの類とほとんちがはぬことをあきらかに示すには、これほど適当な例はないゆえよんどころなくべたのである。此等これらのことを考へながら、西洋の教育学書の第一ページに、「人間は神が自分と同じ姿すがたに造つたもので、これを十分に発展はってんせしめるのが、教育である」などと書いてあるのを見ると、実に其白々そのしらじらしさにおどろかざるを得ない。
 人体の解剖かいぼう的構造は以上述べた通りであるが、さら微細びさいな組織的構造を調べると、犬・ねことの相違そういは全く無いといふべき程で、犬・ねこほね薄片はくへんと人間の骨の薄片はくへんとを顕微鏡けんびきょうの下で取換とりかへて置いても、見る人は少しも気がかぬ。其他そのほか筋肉きんにく・神経等の繊維せんいでも、あるいたまごでも、精虫せいちゅうでも、みな全く同じ様で、到底とうてい区別は出来ぬ。極めて丁寧ていねい比較ひかくして見れば、少々の相違そういを発見することは出来るが、其相違そのそういあたかも、犬とねずみと、ねこうさぎと等の間の組織上の相違そうい位で、決して人間だけが他のけもの類から遠くはなれた特別とくべつのものであるといふべき程のものではない。現今げんこん解剖かいぼう学者・組織学者が人体の構造を研究するに当つても、また医科大学などで医学生に人体の組織を教へるに当つても、人体の代りに往々犬・ねこ等を用ゐるは、全く組織学上、人間と犬・ねことの間には、ほとんど何の相違そういも見出されぬゆえである。
 以上は単に生長した人体にいて論じたのであるが、たまごから漸々だんだん発生する順序を調べると、またすこぶる他のけもの類と一致いっちしたことが多い。牛・ぶたうさぎと人間との胎児たいじ発生の模様もようは、すでに第十章に略述りゃくじゅつした通りで、其初期そのしょきに当つてはみな全く同様で、ほとんど区別も出来ず、わずかに生長の終りに近づくころになつて、たがいの間の相違そういが現れ、牛は牛、ぶたぶた、人間は人間と解る様になる。しこうして其発生そのはっせい途中とちゅうの形状を検するに、成人には無い種々の器官きかんが、一度出来て後に再び消えて仕舞しまふ。くびの両側に鰓孔えらあないくつも出来たり、えらへ行くべき数対の血管けっかんが出来たりすることは、前にも述べたが、此等これらの点においては、犬・ねこ胎児たいじと少しもちがはぬ。また生長し終つてからも、身体の各部に不用の器官きかんがあるが、これは多くは、犬・ねこで実際役に立つて居るもので、人間の異なる所はただ此等これら器官きかんを用ゐる必要がなく、したがつてこれを用ゐる力もないといふにぎぬ。解剖かいぼうを調べても、発生を調べても、人間と犬・ねことの間の相違そういは犬・ねこ'鶏'にわとりなどとの相違そうい比較ひかくしてははるかに少いものゆえ、身体の構造上からいへば、人間だけを他のきんじゅう・虫・魚からはなして、其以外それいがい特殊とくしゅのものと見做みなすべき理由は決してない。

二 人体の生活現象


 生まれるから死ぬるまでの生活現象せいかつげんしょうを見ても、人間と犬・ねことの間には、根本的にちがつた点は一つもない。生まれるとただちに母のちちを飲んで生長し、日々空気を呼吸こきゅうし、食物を食うて生活すること、老年になれば弱つて死んで仕舞しまふことなどは、人間でも犬・ねこでも、全く同じである。なおつまびらかに調べて呼吸の作用・消化しょうかの作用等を比較ひかくして見れば、益々ますます相似る度がいちじるしくなる。同一の構造こうぞうを有する器官きかんもって、同一の作用を行うて居るのであるから、外界に対する関係は人間も犬・ねこほぼ同様で、空気が稀薄きはくになれば、人も犬・ねこも共に窒息ちっそくし、水中に落ちれば、人も犬・ねこも一所におぼれて仕舞しまふ。其他そのほか、身体に水分が不足すればかわきを覚え、滋養分じようぶんが不足すればうえを感じて、水と食物とを得なければ辛抱しんぼうの出来ぬこと、一定の時期に達すれば、情欲じょうよくが起つて、ても起きてもわすれられぬことなども、人と犬・ねことの間に少しも相違そういはない。
 生理学は通常つうじょう医学の予備よび学科としてあるゆえ、生理学の目的は、主として人間の生活現象をつまびらかにすることであるが、今日生理学者の研究の材料ざいりょうには、人間よりはねこうさぎ等のごとけもの類の方がはるかに多く用ゐられて居る。特に筋肉きんにく神経しんけい等の研究には、かえるを用ゐるのが常である。かえる大脳だいのうで試験したこと、はと小脳しょうのうで研究したことなどを、其儘そのまま人間に応用おうようして差支さしつかへのない所を見れば人間も、此等これらの動物も、生活作用の大体においては全く相等しいものと見做みなさねばならぬ。ためしに人体生理学と題する書物を開いて見るに、其中そのなかに直接に人体にいて行うた研究のげてあることは、はなはだ少く、みゃくち様とか小便しょうべん分析ぶんせきとか、また皮膚ひふの感覚とかいふ位な、身体にきずけずに出来る事項じこうばかりで、其他そのほかは総べて犬・ねこうさぎ・モルモットなどにいて行うた実験に基づくことであるが、斯様かような生理学書がつねに医学校で用ゐられ、十分に役に立つて居ることは、人間と犬・ねこ等との間に、生活現象上、何の相違そういの点もない確な証拠しょうこである。
 また病理学・黴菌ばいきん学・薬物やくぶつ学等でも、常に犬・ねこごとけもの類を用ゐて研究して居るが、その目的とする所は、素より薬物・黴菌ばいきん等の人間に対する効力こうりょくを確めるにあるゆえし人間と犬・ねことの体質に根本的の相違そういがあるものならば、総べて無益なはずである。然るに実際においては斯様かようけもの類にいて行うた研究の結果けっかを人間に応用すれば、みな立派にこうそうして、近来はそのため種々の病気を予防的よぼうてき治療ちりょうすることが出来る様になつたことなどは、確に人間と犬・ねことは体質においても決していちじるしい相違そういがないといふ証拠しょうこである。ねずみり薬をあやまつて飲んだために人が死んだこと、人を殺すためにつた毒薬どくやくを犬に食はせたれば、犬がただちに死んだといふことなどは、だれしばしば聞くことであるが、特に可笑おかしいのはけもの類に対する酒精しゅせい(注:アルコール)の働きである。る人がさるさけを飲ませた所が、よいまわるにしたがうて陽気にかれ出した具合から、歩行ほこうが不確になつて、左右へよろつき、終にたおれて仕舞しまうて、翌日よくじつは両手で頭をおさへて頭痛ずつうへて居る所まで、少しも人間とちがふことはなかつた。ただちがふのは此猿このさる其後そのご如何いかにしても決して酒をまなかつたといふことである。

三 精神および言語


 人間の身体が、犬・ねこごとけものの身体とはなはだ似て居ることは、だれの目にもあきらかなことゆえ、昔から人間と他のけもの類とのことなる点を言ひ表さうと勉めた学者等は、みなよんどころなく精神的せいしんてきの方面にこれを求めた。デカルトなども人間には精神といふものがあるが、他の動物はみな精神のない自働器械じどうきかいに過ぎぬというて居る。またカントのごときも、著書ちょしょの中に、精神を有するのは人間ばかりであると説いた。其後そのごの教育学の書物には「精神といふものは人間に固有なものである。それゆえ、教育の出来るのも人間ばかりに限る」といふ様なことがしばしば書いてあるが、これは今日の生物学上の知識ちしきもって見れば、確に大間違おおまちがひである。身体にむすび付いた精神的作用はだれも常に見て知つて居るが、身体をはなれて別に精神といふものが存在そんざいするかいなかは、我々われわれの経験し得る事実からはいずれとも断言だんげんの出来ぬことで、有るといふ証拠しょうこもないが、また無いといふ証拠しょうこも科学的にはげられぬ。しかし、けもの類の動作をつまびらかに研究して、これを人間の動作と比較ひかくして見ると、いずれの点をとらへても、ただ程度の相違そういがあるだけで、かれに有つてこれに無いといふ様な根本的の差を見出すことは決して出来ぬゆえし人間に精神があるならば、他のけもの類にも無ければならず、若し他のけもの類に精神が無いならば特に人間のみに其存在そのそんざいみとめるといふ訳はない。此等これらの問題にいては、昔から何千冊なんぜんさつ書物が出来たか知れぬ位で、今日といえども、なおさかんに議論のあることゆえ、こゝに十分に述べることは、素より出来ず、また動物の精神的動作もくわしく書けばきわめて面白いことがおびただしくあるが、そればかりでも、非常に大きな書物になる位ゆえ、次にはただ人間の精神的動作のいずれの部を取つても、かならず動物界にそれと同様なことがあるを示すために、若干じゃっかんの例を選んでげるだけに止める。
 精神的作用といへば主としてじょうであるが、先づ情の方面から検するに、およそ愛情の中で夫婦ふうふ・親子の間ほど切なものはない。動物の中には犬・ねこ等のごとく少しも夫婦の定まりがなく、したがうて雌雄しゆうの間のじょうが常には極めて冷淡れいたんなものもあるが、また一方には生涯しょうがい夫婦同棲どうせいして其間そのかん愛情あいじょうはなはこまやかなものがある。カナリヤ・文鳥ぶんちょうの様な小鳥でも、めすたまごを温めて居る間は、おすえさを運んでつて、実になかのよいものであるが、鴛鴦おしどりごときは此点このてんで有名なもので、其他そのほか動物園にうてある鳥類のおすが死んだ後に、めすが悲みにへず、終に死んで仕舞しまうた例も沢山たくさんにある。南洋に産する恋愛鳥れんあいちょうと名づける鸚哥いんこの一種のごときは、雌雄しゆう常にし合ふ程に密接みっせつして、一刻いっこくはなれることはない。けもの類はがいして暫時ざんじ一夫一婦いっぷいっぷのもの、または常に一夫多妻いっぷたさいのものであるが、一夫一婦の場合には子をやしなふ世話はめすのみが引き受け、一夫多妻の場合にはおすは常にめす保護ほごし、他のおすが近づく様なことでもあれば、はげしくたたかうてこれひ退ける。其代そのかわめすが他のおすを近づけたりすれば、決して承知しょうちせず、きびしくこればつする。さるごときは、すなわ此類このるいである。くのごとく、動物の中には雌雄しゆうの関係も様々さまざまで、其間そのかんの愛情にも種々の階級があるが、さて人間の方は如何いかがと見るに、矢張やは其通そのとおりで、鴛鴦おしどりおとらぬ程の夫婦もまれにはある代りに、また犬・ねこ同様に少しも夫婦の定めのない社会もある。文明国で売淫婦ばいいんふ沢山たくさんに居らぬところ何処どこにもないが、彼等かれらと客との関係は犬・ねこの場合とことなつた点はない。また一夫一婦は人倫じんりんもとというては居るが、現に一夫多妻のおおやけに行はれて居る所が多く、耶蘇やそ教国の西洋でも、生涯しょうがい真に一夫一婦でくらす男ははなはだ少数な様である。されば雌雄しゆうの関係は人間も他のけもの類も少しも相違そういはないのみならず、其愛情そのあいじょういたつても人間を第一等と見做みなすことは出来ぬ。
 親が子を愛するじょう其通そのとおりで、昔から「焼野やけの雉子きぎす、夜のつる」とことわざにもいふごとく、はなはだしく子を愛する動物は沢山たくさんにある。其中そのなかでもけもの類のごときは特別とくべつで、子をたれた親猿おやざるの悲みを見かねて、最早一生涯いっしょうがいさるつまいと決心した猟師りょうしもあるが、くじらの様な大きなけものでも、捕鯨ほげい家の話によれば、子さへ先に殺せば、母親は容易よういとらへることが出来るといふ。なお其外そのほかに例を挙げると限りはない。もっとも、虫類や魚類にはたまごを生むだけで、後は少しも構はぬものも多いが、一方には子のためには自分の命もまぬ程のものもあつて、其間そのかんに無数の階級があるから、動物全体を総括そうかつしてはいずれともいふことは出来ぬ。人間が子を愛する真情しんじょうは素より極めて深いものにはちがひないが、以上のごとき例が沢山たくさんにある以上は、人間だけが特にすぐれて子を愛すると断言する訳には行かぬ。わずか二三円の金で子供こども支那人しなじんに売つた者が多勢あることや、むすめ娼妓しょうぎに売らうとしても承諾しょうだくせぬゆえこれを打つたとて警察けいさつに引かれた父親のことなどが、絶えず新聞に出るのを見ると、人間の中にもけもの類の平均ほどには子の愛情あいじょうのないものがあるゆえ此点このてんいて人間と他のけものとを特に区別すべき理由はない。
 愛情にともなふものは嫉妬しっとであるが、これも、けもの類などにはいちじるしい。犬をやしなうた人はだれも知ることであるが、主人が一疋いっぴきだけを特に愛すると、他の犬が嫉妬しっとを起すことは常である。特に猿類えんるいでは此念このねんはなはだしく、る船中で一疋いっぴき小猿こさる衆人しゅうじんに愛せられるのを見て、やや大きなさるの方が嫉妬しっとを起し、小猿こさるを海に投げんだ話もある。また復讎ふくしゅうねんさかんで、る時インドの動物園に一疋いっぴき狒々ひひが飼うてあつたのを、一人の士官しかんが常に苦しめたが、る日、向ふからその士官の来るのを見て、狒々ひひは急に地面に小便しょうべんをし、どろをこねて待ちかまへ、丁度ちょうど前に来たときに打つ付けて、其立派そのりっぱ軍服ぐんぷくどろだらけにした話もある。斯様かような例は沢山たくさんにあるが、そのすことから考へて見ると、人間と同じ根性こんじょうを持つて居ることはあきらかである。
 なお其他そのほかあいらくの情、死をおそれる情のごときも、人間と他のけもの類との間に少しも相違そういはない。犬・ねこよろび・おこること、また如何いかがなるときに喜ぶかおこるかといふこともだれも知つて居るゆえ、こゝにはりゃくするが、動物園に飼うてある様な種々しゅしゅけもの類でも、此等これらの点はあきらか其通そのとおりで、世話人が深切にすれば喜び、苦しめればおこる。さるが仲間の死体の周囲しゅういに集まつて悲む情でも、犬・ねこたわむれ楽む具合なども、人間に見る所とちがはぬ。ありの習性をくわしく調べた人の書いたものに、ありも時々たがいまわし合うたりして、あたかも人間の子供こどもや犬の児のごとくにたわむれることがせてあるが、丁寧ていねいに観察すれば、やや高等な動物には総べて人間と同様な情が備はつて居る。
 動物にこころはたらきのあることもあきらかで、犬・ねこなどにも、一旦いったんさうと思うたことは、如何いかがなる障礙しょうげがあつても、これついげねば承知しょうちせぬ様な性質が見える。往来で如何いかに馬方がむちで打つても、少しも動かずに、馬が立ち止まつて居るのを見掛みかけることがしばしばあるが、これ其一例そのいちれいである。しこうして其強情そのごうじょうの度が大抵たいていの人間より上に位するものも少くはない。
 好奇心こうきしんも動物にはある。ダーウィンはる時ロンドンの動物園に行つて、小なへび一疋いっぴき紙袋かみぶくろの中に入れてさるかごすみんで見た所が、たちま其中そのなか一疋いっぴきさるが来て、ふくろの口を開いて中をのぞき、急にさけんでげ去つた。さるは生来極めてへびおそれるもので、玩弄がんろう物(注:オモチャ)のへびを見せても大騒おおさわぎをする位であるのにかかわらず、所謂いわゆるおそろしいもの見たさ」の情にへ切れず、しばらくすると再び来てふくろの口をのぞいたが、此度こんどは同じかごの中の他のさる等もみな集まつて来て、おそる/\熱心にふくろの口をのぞかうとした。巡査じゅんさ交番所で車夫しゃふしかられて居る周囲に、何の関係もない人等が黒山のごとくに集まつて見て居るのも、さるへびふくろの周囲に集まつたのも、好奇心こうきしんの度にいたつては、あえへて甲乙こうおつは無い様である。
 記憶きおく力の存することも、また一旦いったんわすれたことを思ひ出す順序なども、鳥獣ちょうじゅうと人間とでは全く同一である。犬・ねこ・牛・馬に記憶きおく力のあることは言ふまでもないが、一旦いったん忘れたことでも、思想の聯合そうごうにより其緒そのいとぐちとらへればたちまち全体を思ひ出す具合は、実験じっけんによつてあきらかに証することが出来る。鸚鵡おうむなどに歌を教へてあつた場合に、第二句以下を忘れると、鸚鵡おうむは第一句の次に種々の句をつなこころみながら、何回もり返し、適当な句を思ひ出せば、其先そのさきは自然に出る。また鸚鵡おうむが第一句のみをり返して第二句を思ひ出さうと考へて居る所へ、そばから第二句の最初の一音だけを知らせてれば、たちまち全部を思ひ出して、得意になつてこれを歌ふ。此等これらも人間が物を思ひ出す有様と少しもちがはぬ。
 推理すいりの力に至つては、人間と他のけもの類との間にはなはだしい相違そういがある。しかしながら、これも単に程度の問題で、けもの類にも多少の推理力のあることは、たしかであるから、人間はただその同じ力が非常に進んで居るといふに過ぎぬ。る時ロンドンの動物園に飼うてあつた一疋いっぴきさるは、ねこの子をしきりに愛して、常に側に置いて居たが、一度はげしく引つかれた後は、ねこの足の先を検査し、歯でつめみ取つて、相変らずいて居た。此類このるいの例は他にもなお沢山たくさんにあるが、けもの類の中にも、犬・象・さるなどのごとくに此力このちからの多少進んだものもあれば、また極めて痴鈍ちどんなものもあるごとく、人間の方でも、推理すいりの力の発達の度は実にはなはだしい相違そういがあつて、最下等の野蛮やばん人とチンダル、スペンサーの様な学者とをくらべると、其間そのかんの差は、野蛮やばん人と猩々しょうじょうとの相違そういよりははなはだしいかも知れぬ。数を算へることは、総べての精確な知識の根拠こんきょとなるものであるが、る動物園に数年飼うてあつた黒猩々くろしょうじょうめすほとんど十位までの数を覚えて、区別する様になつた。これに反してオーストラリヤ辺の野蛮やばん人には三あるいは四までより知らず、それ以上はただ沢山たくさんといふだけで、少しも勘定かんじょうする力のない部落もある。此等これらを比べると、中々人間は知力においはるかけもの類以上であるとばかりは言はれぬ。
 要するに知・情・意等の精神的作用は、人間以外のけもの類にも確に存するもので、人間と他のけもの類との相違そういは単に程度の問題に過ぎぬ。しかも情・意の方面においては、決して人間をもって第一等と見做みなすことの出来ぬ場合が多い。ただ知力では人間は他けもの類よりいちじるしくすぐれて居る。されば身体の構造では大脳だいのうすこぶ発達はったつしてあること、精神的せいしんてき作用では知力ちりょく非常ひじょうに進んであることだけが、人間と他のけもの類との相違そういする点で、文明人と野蛮やばん人との相異なるのもただ此点このてんぎぬ。今日人間が他のけもの類に打ち勝つて天下を占領せんりょうして居るのも、文明人が野蛮やばん人をほろぼして四方へ蔓延はびこるのも、みな知力ばかりによることである。
「道理をわきまえへて居るのは、人間ばかりである。他のけもの類には道理をわきまえへて居るものは一種もない。これが人間と他のけもの類とのことなる点である」などと書いた書物も沢山たくさんにあるが、これも極めて漠然ばくぜんたる説で、し道理といふ字をいやしい・広い意味に取つて、多少ことわりすことの出来る力と解釈かいしゃくすれば、人間以外にもこれを有するものはいくらもある。また高尚こうしょうせまい意味に取ると、人間の中にもこれを持たぬものが多数をめて居るから、これもって人間と他のけもの類との区別の標準と見做みなすことは出来ぬ。また「人間ばかりは自己じこ存在そんざいを承知して居るが、他のけもの類には此事このことがない」と書いてある書物もあるが、此事このことも確に証明しょうめいの出来ぬことで、自分は過去は何処どこから来て、未来みらい何処どこへ行くものであらうかなどと考へることは、他のけもの類にはないかも知れぬが、犬や象のごと智慧ちえのあるけものが、年寄つてから自分のわかい時に経験けいけんしたことを思ひ出すことがないとは中々断言だんげんは出来ぬ。動物園のおりの内で、猩々しょうじょう厭世的えんせいてきの顔をして静坐せいざして居るのを見ると、故郷こきょうのことでも考へて居るのではないかと思はざるを得ぬ。これに反して最下等の野蛮やばん人などになると、自己の存在の理由等を考へるものはない。されば自己の存在を知ることの有無をもって、人間と他のけもの類との区別の点とすることは出来ぬ。
 道徳心にいても其通そのとおりで、犬が主人のために命をてて忠義をつくした話などはいくらもあるが、およそ団体をなして生活する動物であれば、友の難儀なんぎすくひ、友と楽みを分つといふ様な習性の多少そなはつて居ないものはない。犬が生理学上の実験じっけんのために生きたままで体を切り開かれながら、なお解剖刀かいぼうとうを持つて居る主人の手をめたこと、あるいは犬が主人に財嚢ざいのうる木の下へわすれて来たことを知らせるために、なお平気で先へ進まうとする主人の馬の足にいたので、主人は犬が発狂はっきょうしたことと思ひ、鉄砲てっぽうつたのに、犬はよんどころなくいたみをへて、前に主人の休んだ木蔭こかげの所まで行き、瀕死ひんしの有様ながら、なおそこにある財嚢ざいのうまもつて居て、主人がこれに気がき帰つて来たのを見て、一声鳴いて瞑目めいもくしたことなどの記事を読めば、如何いかがなる人でもなみだを流さずには居られぬ。人間にはもとより道徳どうとくの高いものもあるが、また主人の財産を横領おうりょうしやうと計画する連中れんちゅうも決して少くない。とくに文明人が野蛮人やばんじんに対する所置しょちを見ると、ほとんど道徳の痕跡こんせきも見えぬ様なことがある。奴隷採集どれいさいしゅに南洋に行つた汽船の記事などを見ると、わけの解らぬ黒奴こくどだまして船にせ、腕力わんりょくこれとりこにして船底の物置ももおきめ、少しでもさわげば鉄砲てっぽうち殺し、少し重いきずを負うて最早売れるのぞみのないものは、生きながら海中に投げてたことなどが書いてある。また戦争の時にげ後れた婦人ふじん如何いかがなる目にふかは文明開化にほこる十九世紀の末年に起つた出来事を見てもあきらかなことで、其残酷そのざんこく所行しょぎょうほとんど述べることも出来ぬ。彼処あそこでは黒奴こくどが極めて残忍ざんにんな方法で私刑しけいしょせられたとか、此処ここではユダヤ人が何百人虐殺ぎゃくさつせられたとかいふことが、新聞に絶えぬのを見れば、道徳心どうとくしんの有無をもって人間と他のけもの類とを区別することの出来ぬは実に明瞭めいりょうであらう。
 くのごとく精神的動作の種々の方面を検するに、いずれの点においても人間と他のけもの類との間に根本的の相違そういはないが、これから考へれば、人間には精神せいしんがあるが、他のけもの類には精神がないといふごとき説は、全く根の無いことで、これもととしてろんじた結論は総べてはなはだしいあやまりでなければならぬ。し人間に特別とくべつな精神があるものとしたならば、犬・ねこにもあるはずで、若し犬・ねこに精神がないものとしたならば、人間だけに其存在そのそんざいみとめなければならぬといふ特別とくべつの理由はすこしもない。日々人間のす所を見たり、新聞に出て来る記事を読みなどすれば、人間の行為こういも他のけもの類の行為こういも、その原動力は大同小異で、その大部分は食欲しょくよく色欲いろよくとに基づくことがあきらかであるが、ただ知力発達の度にいちじるしい差があるゆえ、欲を満足せしめるための手段しゅだんと方法とは、他のけもの類に比すれば無論はなはだしく複雑である。
 言語を有するのは人間ばかりである。人間の外には言語を有するけものはないとの説もあるが、これまた程度の問題である。人間のごとくに発達した言語を有するものが、他に無いことはあきらかであるが、言語の初歩だけを備へた動物は決して無いとは言はれぬ。ねこや犬でも、喜ぶとき、おこるとき、えさを求めるとき、罪をびるときなどの鳴声が一々違いちいちちがふことはだれも気のくことであるが、野生のけもの類には随分ずいぶん複雑な鳴声を有して、自分の感情あるいは外界の出来事を同僚どうりょうに伝へるものが沢山たくさんにある。さるの言語を取調べるために、数年アフリカの森中にとどまつた人の報告などを見ると、さるにも一種の言語があつて、人間の言語とは素より比較ひかくにならぬが、感情かんじょうを伝へるさけび声の外に普通ふつう需要じゅよう物品を言ひ表す単語なども相応にあるゆえ、度においては非常な相違そういはあるが、性質は人間の言語とことなつた所はない様である。ロシヤ語ではドイツ人のことをニェメツといふが、ニェメツとはおしといふ意味の文字である。これおそらくロシヤ人が国境こっきょうえてドイツ国に行くと、いくらロシヤ語で話しかけても先方へは通ぜず、また先方のいふことは、此方こちらへは少しもわからぬから、斯様かように名づけたのであらうが、今日我々われわれが他の動物には言語がないというて居るのは、ほとん此様このような有様で、ただ先方のいふことが此方こちらに通じないといふに過ぎぬ。
 知力の進歩と言語の進化とが相伴あいともなふべきことはあきらかであるが、此二者このにしゃ相伴あいともなうていちじるしく発達して居ることが、ほとんど人間と他のけもの類との異なるただ一の点で、其他そのほかに至つては決して人間のみに特有なものを見出すことは出来ぬ。しこうして知力・言語においても、人間と他のけもの類との間の相違そういは単に程度の問題で、決して根本的性質の相違そういではない。素より同じく人間といふ中には、最上等から最下等まで無数の階級があるゆえ、上等の人間を取つて論ずれば、一般いっぱんけもの類とは総べての点ではなはだしくちがふのは言ふまでもないが、下等の人間にいて調べると、知力と言語とをのぞけば、其他そのほかの点においてはほとんけもの類と甲乙こうおつはない。先年る処に飼うてある狒々ひひの所行が風俗ふうぞく壊乱かいらんするおそれがあるというて、警察署けいさつしょからこれ板囲いたがこいをする様に飼主かいぬしに命じたことがあるが、狒々ひひといふけものる所行をすると人間の風俗ふうぞくがそのためみだれるといふことは知力・言語以外におい如何いかに人間と他のけもの類とが相近いものであるかをあきらかかに示して居る。

四 人はけもの類の一種であること


 前の節に述べた通り、人間といふものは、身体の構造・発生等を調べても、精神的動作せいしんてきどうさの方面から論じても、犬・ねこごと普通ふつうけもの類と比較ひかくして根本的の相違そういは少しもない。知力・言語だけはいちじるしく進んで居るが、これも単に程度ていど相違そういに過ぎぬ。されば犬・ねこ等を動物界に編入へんにゅうして置く以上は、人間だけを動物界以外にはなす理由は少しもない。此事このことあらためて言ふまでもないことで、動物学の書物を開いて見れば、かならず人間も動物の一種と見做みなして、其中そのなかげてあるが、世間には未だ人間だけを動物界以外の特別とくべつのもののごとくに考へて居る人もはなはだ多い様であるから、動物界の中で人間は如何いかがなる部にぞくするかを、少し詳細しょうさいに述べて置く必要がある。
 動物界を大別して、先づ若干じゃっかんの門に分つことは前にもいうたが、其中そのなか脊椎せきつい動物門といふのは、身体の中軸ちゅうじく脊椎せきついを備へた動物を総べてふくむもので、けもの類・鳥類・へびかえるから、魚類一切までみなこれに属する。人間も解剖かいぼうして見れば、犬・ねことも大同小異だいどうしょういで、猿類えんるいとは極めてく似て居るものゆえ無論むろん此門このもんの中に編入せなければならぬ。動物界には人間の属する脊椎せきつい動物門の外に、なお七個あるいは八個の門があるが、此等これらの門に属する動物は、人間とは身体の構造がいちじるしくちがうて、部分の比較ひかくをすることも出来ぬ。昔は動物学者の中にも人間は最も完全な動物である。他の動物は総べて人間の性質せいしつただ不完全に備へて居るなどととなへた人もあつたが、これは素よりあやまりで、生物進化の樹枝状じゅしじょうをなした系図けいずてらせば、動物の各門はみな幹の根基こんきに近い処から分かれた大枝おおえだに当るものゆえ、門が異なれば進化の方向が全くちがうて、決して優劣ゆうれつ比較ひかくの出来るものでない。脊椎せきつい動物である人間と軟体なんたい動物である章魚たことを比較ひかくするのは、あたかゆみの名人と油画あぶらがの名人との優劣ゆうれつを論ずる様なもので、雙方そうほう全く別な方面に発達して居るのであるから、甲乙こうおつの定め様がない。動物界で人間と多少比較ひかくの出来るのは脊椎せきつい動物だけで、其他そのほかは極めてえんの遠いものばかりであるが、何十万種もある動物の中で、脊椎せきつい動物はわずかに三万にも足らぬ位であるから、種類の数から言へばはなはだ少数である。しかし、大形の動物はがいして此中このなかにあるゆえ、通常人の知つて居るのは、多くは脊椎せきつい動物で、きんじゅう・虫・魚といふ中のきんじゅう・魚の全部と虫の一部とは総べて此門このもんに属する。されば今日動物学上、知れてある何十万種の中、大部分は人間とは関係のうすいもので、ただ脊椎せきついを有する動物だけが、人間と同一な大枝からくだり、なお其中そのなかる種類は特に人間と密接みっせつした位置をめて居るわけである。
 脊椎せきつい動物を、哺乳ほにゅう類・鳥類・爬虫はちゅう類・両棲類りょうせいるい・魚類の五綱ごこうに別けるが、人間は温血おんけつ胎生たいせいで、皮膚ひふに毛が生じてあるから、あきらか其中そのなか哺乳類ほにゅうるいに属する。また哺乳ほにゅう類を分けて胎盤たいばんの出来る高等の類と胎盤たいばんの出来ない下等の類とにするが、人間は其中そのなかの有胎盤たいばん類に属する。胎盤たいばんといふのは胎児たいじを包むまくと母の子宮しきゅうかべとが合して出来たもので、母の血液けつえきから胎児たいじの方へ酸素さんそ滋養分じようぶんとを送る道具であるが、人間の子が産まれた後に、へその先にいて出て来るはすの葉のごとき形のものが、すなわこれである。人間と犬・ねことの身体構造上、きわめて相似て居る点は前に述べたが、動物学上、哺乳ほにゅう類の特徴とくちょう見做みなす点で人間にけて居るものは一つもない。それゆえ、人間の哺乳ほにゅう類であることは、確であつて、哺乳ほにゅう類である以上は、犬・ねこ等のごとけもの類と共同な先祖から分かれくだつたといふこともまた疑ふことは出来ぬ。
 生物学の進んだ結果として、人間がけもの類の一種であることをあきらかに知るに至つた有様は、天文学の進んだ結果として、地球が太陽系統たいようけいとうに属する一の惑星わくせいであることを知るに至つたのと極めてく似て居る。天文学の進まぬ間は、わずかに十万里(注:390Km)とへだたらぬ月も、三千七百万里(注:14、430Km)の距離きょりにある太陽も、また太陽に比して何千万倍もの距離きょりにある星でも、総べて一所に合せて、そのる処を天と名づけ、これを地と対立せしめ、わがが住む地球の動くことは知らずに、日・月・星辰せいしん廻転かいてんするものと心得て居たが、段々だんだん天文学が開けて来るにしたがひ、月は地球の周囲をまわり、地球はまた他の惑星わくせいと共に太陽の周囲をまわつて居るもので、天に見える無数の星は、ほとんみな太陽と同じ様な性質のものであることが解り、宇宙うちゅうける地球の位置が多少あきらかに知れるに至つた。地動説が初めて出たころには、耶蘇やそ教徒のさわぎは大変なことで、何とかして斯様かよう異端いたんの説のひろまらぬ様にと出来るだけの手段しゅだんつくして、そのため人を殺したことも何人かかぞへられぬ。しかし真理を永久圧伏えいきゅうあっぷくすることは到底とうてい出来ず、今日では小学校に通ふ子供でも、地球が太陽の周囲しゅういまわることを知る様になつた。
 自然界にける人間の位置に関しても、丁度ちょうど其通そのとおりで、初めは人間をもっ一種霊妙いっしゅれいみょう特別とくべつのものと考へ、天と地と人とを対等のごとくに心得て、これを三才と名づけ、ほとんど何の構造もない下等の生物も、人間同様の構造を備へたさる猩猩しょうじょうも総べて一括いっかつしてこれを地に属せしめた有様は、光線が地球まで達するのに一秒半もかゝらぬ月も、八分余はちぶあまりとどく太陽でも、または何年も何十年もかゝる程の距離きょりにある星も、同等に思うたのと少しもちがはぬ。しこうして生物学の進むにしたがうて、先づ人間を動物界に入れて、けもの類中の特別とくべつな一目と見做みなし、次には猿類えんるいと同目に編入へんにゅうし、さらに進んで人間と東半球の猿類えんるいとのみをもっ猿類えんるいの中に狭鼻きょうび類と名づける一亜目あもくを設け、人間は比較的ひかくてき近いころ猿類えんるいの先祖から分かれくだつたものであることを知るに至つて、初めて、自然にける人類の位置があきらかに解つた具合は、また地動説によつて地球の位置があきらかになつたのと少しもちがはぬ。
 およそ一個の新しい真理が発見せられるごとに、そのため不利益をこうむむる位置にある人々が、極力反対するのは当然であるが、たとひの心が無くとも、ふるい思想にれた人は、惰性だせいの結果でこれに反対することも多い。ダーウィンが「種の起源しゅのきげん」をおおやけにしたころには、宗教家は素より、生物学者の一部からもはげしい攻撃こうげきを受けたが、人もさるも、犬・ねこも共同の先祖からくだつたといふ考は、地球の動く・動かぬの議論とちがひ、人間に取つて直接ちょくせつの関係のあることで、人類に関する旧思想きゅうしそうを基とした学問は、過半かはんそのため根柢こんていから改めざるを得ぬことになるゆえ攻撃こうげき者の数はすこぶる多かつた。かつ進化論は純粋じゅんすいな生物学上の問題で、根拠こんきょとする事実はべて生物学上のものゆえ此学このがく素養そようのない人には、到底とうてい十分に理会も出来ぬため、生物学者間には学問上最早確定かくていした事実と見做みなされて居る今日においても、進化論しんかろんはまだ広く一般いっぱんに知られるまでには至らぬが、の真理であることは、地動説ちどうせつと少しもちがはぬゆえ人智じんちの進むにしたがひ、漸々だんだんだれこれみとめるに至るべきことは、今から予言して置いても間違まちがひはない。ガリレイがローマ法王の法廷ほうていび出され、地動説を取り消しながら、低声で「それでも動く」というたのが、コペルニクスが天体の運動にいての論文ろんぶんおおやけにしてから九十年目であることを思へば、今日すでに進化論が学者間だけにでもみとめられるに至つたのは、はなはだ進歩が早かつたと言ふべきであらう。

五 人は猿類えんるいに属すること


 人間はけもの類中の有胎盤ゆうたいばん類に属することは前にも述べたが、胎盤たいばんの形にも種々あつて、人間・猿類えんるいなどのははすの葉のごと円盤状えんばんじょうであるが、犬・ねこでは胎盤たいばん帯状おびじょうをなして胎児たいじを取りいて居る。また牛・馬の類では胎児たいじを包むまくと母の子宮のかべとのむすび付き具合が簡単かんたんであるゆえ子宮しきゅうの内面の一部が胎盤たいばんの方へ着いて、一緒いっしょに出て来ることはない。さて人間は有胎盤ゆうたいばん類の中で、何の部に属するかといふに、無論猿類えんるいである。猿類えんるい特徴とくちょうは、歯は門歯もんし犬歯けんし臼歯きゅうしともにそなはつてあること、四肢ししともに五本の指を有して、ゆび先端せんたんには扁平へんぺいつめのあること、眼球がんきゅうのある処と顳'需頁'こめかみ筋のある処との間には、完全な骨のかべがあつて、少しも連絡れんらくなきこと、眼は前面へ向ふこと、乳房ちぶさむねに一対よりないこと、胎盤たいばん円盤状えんばんじょうであることなどであるが、此中このなかで、人間にてきせぬものは一も無い。次に人間は猿類えんるい中の如何いかがなる組に属するかといふに、猿類えんるいには三つの亜目あもくがあつて、第一は左右の鼻のあなの間の距離きょりが少く、上下両顎じょうげりょうあごともに門歯が四本、犬歯が二本、臼歯きゅうしが十本ある狭鼻きょうび類、第二は左右の鼻のあなが遠く相隔あいへだたつて各側面へ向いて居て、上下両あごともに門歯四本、犬歯二本と臼歯きゅうし十二本とを有する扁鼻へんび類、第三は四肢ししともにねこごとき曲つたつめを備へた熊猿くまさる類であるが、人間はあきらかに第一の狭鼻きょうび類に属する。狭鼻きょうび類は猩々しょうじょう日本猿にほんざるを始め、総べて東半球に産する猿類えんるいふくむもので、扁鼻へんび類と熊猿くまさる類とは全く南アメリカの産ばかりであるが、其間そのかんには著しい相違そういがある。歯の形・数・列び方などは、けもの類を分類する場合には最も大切なものであるが、人間は此点このてんおい猩々しょうじょう日本猿にほんざるなどと一致いっちし、扁鼻へんび類・熊猿くまさる類とはあきらかことなつて居るから、人間と猿類えんるいとを合せて置いて、これを分類するには、先づ猩々しょうじょう日本猿にほんざる・人間などを一組として一亜目あもくとし、他の亜目あもくと区別せなければならぬ。また此狭鼻このきょうび類に属する猿類えんるいと人間とだけをならべて置いて、さらこれを分類すれば、もなく、'夾頁'ほほふくろもなく、尻胝しりだこもない人猿類じんるいえんと、此等これらを有する尾長猿おながざる類との二部になるが、日本猿にほんざる尾長猿おながざる狒々ひひごときは後者に属し、猩々しょうじょう黒猩々くろしょうじょう・人間などだけが前者の中にふくまれることになる。されば生物学上からろんずれば、猩々しょうじょうと人間との間の相違そういは、猩々しょうじょう日本猿にほんざるまた狒々ひひとの間の相違そういに比すればはるかに少く、日本猿にほんざると人間との間の相違そうい日本猿にほんざるとアメリカさるとの間の相違そういに比すれば、なおいちじるしく少い。文明国の高等な人間と猩々しょうじょうさるとをならべて見ると、こゝに述べたことは真でない様な感じも起るが、身体の構造から言へば、全く此通このとおりで、し最下等の野蛮人やばんじんを人間の模範もはんに取つたならば、此事このことは初めからうたがいも起らぬ。南洋の野蛮やばん国に伝道に行つた宣教師せんきょうしの書いたものにも、文明人と其処そこの土人とさるとを並べて分類する場合には、土人とさるとを一組とし、文明人を別にはなさざるを得ぬなどとせてあるが、斯様かよう野蛮やばん人から最高さいこうの文明人までの間には、無数の階段かいだんがあつて、何処どこにも判然はんぜんたるさかいはないゆえ、人間全体にいて述べるときには、文明人のみを例に取ることは出来ぬ。
 生物界現象の一大帰納的いちだいきのうてき結論である進化論を、人間に当てめて、演繹的えんえきてきに論ずれば、人間と猩々しょうじょうとが共同の先祖から二つに分かれたのは、人猿類じんえんるい尾長猿おながざる類から分離ぶんりしたときよりははるかに後のことで、人猿類じんえんるい尾長猿おながざる類とが分かれたのは、狭鼻きょうび類が扁鼻へんび類と相分かれたときよりはまた余程後のことであると考へねばならぬ。この進化の径路を時の順序にしたがうて言ひへれば、昔けもの類の総先祖が陸上に蔓延はびこり、この子孫が漸々だんだんいく組にも分かれ、其中そのなかの一組は四肢ししともに物をにぎせいを得て森林等の中に住み、果実・小鳥などを食うて生活し、其子孫そのしそん益々ますます繁殖はんしょくして各地にひろがり、後交通の路が絶えたためにアメリカに住するものは扁鼻へんび類・熊猿くまさる類、東半球に住するものは狭鼻きょうび類となつて、三亜目さんあもくに分かれ、東半球に住するものはまた住所・習性しゅうせい等の相違そういによつて、漸漸だんだん人猿類じんえんるい尾長猿おながざる類とに分かれ、人猿類じんえんるいの先祖からくだつた子孫の中、一部は森林の中に住し、前後のもって枝をにぎりて運動し、終に猩々しょうじょう黒猩々くろしょうじょうの類として今日まで生存せいぞんし、他の一部は平原の方へ出で、後足だけで直立して走りまわり、前足は運動には用ゐず、他の働きに用ゐ、前後の足の間に分業が行はれた結果、後足は益々ますます走行に適する様になり、前足は益々ますます他のやや精密せいみつな仕事に適する様になり、そのため経験も増し、かつ前から多少あつた言語の基がさかんに発達して、真の言語となり、終に人間となつて、今日地球上いたる処に棲息せいそくして居るのであらう。
 されば、現今げんこん生きて居る一種のさるが進化して人間になつたのでは無論むろんないが、人間とさるとが共同の先祖から分かれくだつたといふことは、最早今日は学問上すでに確定した事実と見做みなしてよろしい。しこうして猿類えんるいの中でも猩々しょうじょう黒猩々くろしょうじょうなどとは比較的ひかくてき近いころになつてようやく分かれたことも確である。此等これらの事にいては、解剖かいぼう学・発生学・生理学上の証拠しょうこの外に、なお後に述べる様な争はれぬ証拠しょうこもあつて、如何いかうたがはうと思うても、理窟りくつ上からは到底とうてい疑ふことは出来ぬ。
 人間は猿類えんるいの一種であつて、他のさる等と共同な先祖からくだつたといふ考が初めて発表せられたときには、世間の人人から非常ひじょう攻撃こうげきこうむつた。今日では此事このことは最早確定した事実であるが、なおこれうたがうて攻撃こうげきする人々が決して少くない。しかし、斯様かよう攻撃こうげきはげしい理由をさぐると、決して理会力りかいりょくから起るのではなく、みな感情に基づく様である。けもの類は自分とはなはだ似たものであるにかかわらず、特に畜生ちくしょうと名づけて常にこれいやしみ、他人に向うて、けものとか犬・ねことか畜生ちくしょうとかいふのは非常な悪口であると心得て居る所へ、人間は猿類えんるいと共同な先祖からくだつたといひ聞かされたのであるから、自分の価値かちはなはだしく下げられたごとくに感じ、折角せっかく、今まで万物のれいであつたのを、急に畜生と同等なだんまで引き落さうとは実にけしからぬ説であるとの情が基礎きそとなつて、種々の方面から攻撃こうげきが起つたのに過ぎぬ。わが先祖は藤原ふじわら朝臣あそんぼうであるとか、我兄の妻は従何位侯爵じゅうなんいこうしゃくぼう落胤らくいんであるとかいうて、自慢じまんしたいのが普通ふつうの人情であることを思へば、先祖はけもの類で、親類はさるであると聞いて、喜ばぬのも無理ではないが、く考へて見るに、下等のけもの類から起りながら、今日の文明開化の度までに進んだと思へば、なお此後このあと益々ますます進歩すべきのぞみがあるゆえ、極めてうれしく感ずべきはずである。若しこれに反して完全無欠かんぜんむけつの神とでもいふべきものからくだつた人間が、新聞紙の三面記事に毎日無限の材料を供給きょうきゅうする様になつたと考へたならば、此先このさき何処どこまで堕落だらくするかわからぬとの感じが起つて、はなはだ心細くなる訳である。それゆえいささかでも理窟りくつを考へる人であれば、感情の点から言うても進化論をきらふべき理由は少しもない。

六 血清試験上の証拠しょうこ


 血液けつえき無色透明むしょくとうめい血漿けっしょうと、其中そのなかうかべる無数の血球けっきゅうとから成り立つたものであるが、人間あるい其他そのほかけもの類から新鮮しんせんな血液を取つて、コップにでも入れて、暫時ざんじゑて置くと、ただちにかわごとくに凝固ぎょうこする。なおて置くと其表面そのひょうめんに少し黄色をびた透明とうめいな水のごときものがみ出るが、これすなわ血清けっせいである。初めの赤いかたまり漸々だんだん収縮しゅうしゅくし、血清は漸々だんだん増して、終には血清が赤塊せっかいを全くひたす様になつて仕舞しまふ。
 さて人間の血液けつえきから取つた血清けっせいを、うさぎなどに注射ちゅうしゃするに、少量なればうさぎこれへる。二三日後に再び注射を行ひ、また二三日を経て注射を行ひ、六回乃至ないし十回位もく注射をした後に、其兎そのうさぎを殺して其新鮮そのしんせんな血液から血清を取ると、此血清このけっせい普通ふつううさぎの血から取つた血清とは大いに性質がちがふ。こゝに述べたごとくに特別とくべつに造つた血清を、便利のため人兎じんと血清と名づけるが、これを人間の血から取つた血清の溶液ようえきずると、たちまはげしい沈澱ちんでんが出来てにごる。普通ふつううさぎの血清では、此様このようなことは決してない。
 馬の血清を数回注射したうさぎの血から、馬兎ばと血清を取り、牛の血清を数回注射したうさぎから、牛兎ぎゅうと血清を造るといふ様にして、種々の動物の血清をせいし、また種々の動物の血液からたん其血清そのけっせいを製し、此等これらの血清を種々に相混じて、試験して見ると、馬兎ばと血清は馬の血清とでなければ沈澱ちんでんを生ぜず、牛兎ぎゅうと血清は牛の血清とでなければ沈澱ちんでんしょうぜぬこと、全く人兎じんと血清は人の血清と混じなければ沈澱ちんでんを生ぜぬのと同様である。すなわこうの動物の血清をおつの動物に数回注射ちゅうしゃした後に、おつの動物から取つた血清は、ただこうの動物種類の血清と相合しなければ沈澱ちんでんを生ぜぬといふ性質を有するのである。
 馬兎ばと血清は馬以外の動物の血清と合しては、少しも沈澱ちんでんが出来ぬが、これにはいくらかの例外れいがいがある。たとへば驢馬ろばの血清と混ずれば、たちま沈澱ちんでんが出来る。驢馬兎ろばと血清を馬の血清と混じても同様である。ただ馬兎ばと血清と馬の血清とを混じ、驢馬兎ろばと血清と驢馬ろばの血清とを混じたときに比すれば、いささか沈澱ちんでんの量が少い。豚兎ぶたと血清を野猪やちょの血清に混じても同じく沈澱ちんでんが出来る。犬兎いぬと血清をおおかみの血清に混じても其通そのとおりである。斯様かようたがいに混じていちじるしい沈澱ちんでんの出来る動物は、如何いかがなるものかと見ると、いずれもきわめてたがいに相類似し、其間そのかんにはあいの子の出来る位のものばかりで、少しでもえんの遠い動物になると、少しも斯様かようなことはない。
 以上ははなはだ面白い現象ゆえ、特にこれを研究した学者はすでいく人もあるが、其中そのなかの一人は動物の血清を五百種も造り、猿類えんるいの血清だけでもほとんど五十種ばかりも用意して、人兎じんと血清と混ぜた結果を調べたが、猿類えんるい以外の動物と混じては、少しも沈澱ちんでんは出来ず、また猿類えんるいの中でも普通ふつう猿類えんるいではあるいは単に極めて少量の沈澱ちんでんが生ずるか、あるいは全く沈澱ちんでんを生ぜぬが、人猿類じんえんるい猩々しょうじょうなどの血清に混ずると、たちまいちじるしい沈澱ちんでんが出来る。此反応このはんのうから考へて見ると、人間と猩々しょうじょうとの類似るいじの度はあたかも馬と驢馬ろばと、ぶた野猪やちょと、犬と狼と等が相類似する度と同じで、まだ実験はないが、其間そのかんには確に間の子が出来得る位に相近いものである。語をへれば、人間と猩々しょうじょうとが共同の先祖から相分かれたのは比較的ひかくてき余程近いころで、両方の体質の間に未だいちじるしい相違そういが起るまでに至らぬのである。
 昨年のドイツ国出版の人種学雑誌ざっしに、ストラオホといふ人の猩々兎しょうじょうと血清に関する研究の結果がせてあつたが、矢張やはり前と同様である。る動物園にうてあつためす猩々しょうじょうが病死したので、ただち其血液そのけつえきを取つて血清を製し、これを数回うさぎに注射して、後にそのうさぎの血液から、猩々兎しょうじょうと血清を取り、種々の動物の血清に混じて試験して見た所が、其結果そのけっか人兎じんと血清とほとんど同様で、人間の血清に混ずるとたちまち著しい沈澱ちんでんが出来た。ただ人兎じんと血清とちがうたのは、他の猿類えんるいの血清に混じても、相応に沈澱ちんでんが出来たとのことである。他の動物の血清試験の結果に照らせば、此事このことは人と猩々しょうじょうとの極めて相近いものであることの証拠しょうこで、人兎じんと血清を猩々しょうじょうの血清に混じても、猩々兎しょうじょうと血清を人間の血清に混ぜても、必ず沈澱ちんでんが生じ、他の動物の血清と混じては沈澱ちんでんが出来ぬのは、すなわち全動物界中に猩々しょうじょうほど人にえんの近いものはなく、また人ほど猩々しょうじょうえんの近いものはないゆえである。今日の血清試験に関する知識ちしきもっては、ほとん試験管しけんかん内の反応によつて動物種属の親類縁しんせきえん濃淡のうたんを目前に示すことが出来るというてよろしい。

七 猿人えんじんの化石


 くのごとく、人間の猿類えんるいに属することは、解剖かいぼう学上および発生学上に明であるのみならず、血清試験によつて明にしょうすることも出来るが、他の猿類えんるいと共に猿類えんるい共同の先祖から漸々だんだん分岐ぶんきして生じたものとすれば、その先祖から今日の人間に至るまでの途中とちゅうのものの化石が、地層ちそうの中に少しは残つて居さうなものである。さて実際じっさい左様なものが発見せられたことがあるかいなかとたずねるに、沢山たくさんにはないが、すでに種種の階段かいだんに属する化石が見出され、現に処々ところどころの博物館に鄭重ていちょう保存ほぞんせられてある。素より此種このしゅの化石が十分にそろうて人間と猿類えんるいとの共同の先祖から今日の人間にいたるまでの進化の順序を遺憾いかんなく完全に示すといふわけではないが、発見せられた化石はみな人間と猿類えんるいの先祖との中間に立つべき性質を備へたものばかりゆえ、全く進化論しんかろんの予期する所と一致いっちして居るのである。
 全体動物の死体が化石となつて後世まで残るのは、余程都合のい場合に限ることで、先づ水の底に落ち、細かいどろにでももれなければ、ほとんど化石となる機会きかいはない様である。犬・ねこなどは昔から何疋なんびきんで居て、毎年何疋なんびきづゝ死んだか解らぬが、其化石そのかせきを見出すことは決してない。人間も其通そのとおりで、石器を用ゐて居た時代にも人間は相応に多数に生存せいぞんして居たであらうが、石斧いしおの石鏃いしやじり沢山たくさんに出ながら、それを造つた人間のほねの発見せられることは極めてまれである。それゆえ、今日知られて居る人間の化石は、世界中のものをことごとく集めても、其数そのかずは決して多くはない。
 今よりほとんど五十年ばかり前に、ドイツ国ヂュッセルドルフ市の近辺のネアンデルタールといふ処の地層から、一個の人間の頭骨ずこつが発見になつたが、其頭骨そのずこつは余程今日の人間とはちがうて、頭蓋ずがい部が小く、まゆところいちじるしく突出つきだして居て、全体が大いにさるの頭骨に似て居た。其頃そのころこれいては種々の議論があつて、る人はこれを人間中のさるに近いものと見做みなし、る人はこれを人間とさるとの間の子であらうなどと論じたりしたが、有名な病理学者ウィルヒョウがこれ畸形きけい者の頭骨であると断言したので、一時はだれ其説そのせつに服し、この貴重な化石も暫時ざんじは学問上大なる価値かちのないものとしてて置かれた。
 然るに其後そのごまたベルギー国のスパイといふ処から前のとほぼ同様な頭骨がり出され、なお後に至つてクロアチヤ州からこれに似た頭骨が八個発見せられ、なお其他そのほかにも処々ところどころから一つ二つづゝ同様な古代の人間の骨骼こっかくり出された。此等これら比較ひかくして調べて見ると、些細ささいな点ではみなちがうて居るが、肝要かんような処はネアンデルタールの頭骨と余程似たもので、いずれも今日の人間の頭骨とはちがひ、さるの頭にた点がいちじるしく目に立つた。斯様かように遠く相離あいはなれた国々からいくつも出て来る所から考へると、決して畸形きけい者の頭骨ずこつであるとは思はれぬ。かつ其時代そのじだい地層ちそうから発見せられた人間の頭骨がみな斯様かようなものであるのを見れば、これは確に其頃そのころ生活して居た人間の普通ふつうの性質を示して居るものと見做みなさねばならぬが、かる頭骨を備へて居つた以上は、其頃そのころの人間は今日の人間とは余程ちがうたもので、頭が小く、まゆ突出つきだし、あごも大に発達して、全体の容貌ようぼうすこぶさるに類して居たにちがひない。生活の有様が如何いかがであつたかは素より今日からは確に論ぜられぬが、これも今日の人間とはいちじるしくちがつて居たらうといふだけは察することが出来る。
 近来最も評判の高い化石は、丁度ちょうど十年前にオランダのヂュボアといふ博物学者がジャヴァのトリニルでり出したものである。其処そこの第三紀の地層ちそうを研究して居る中に、一個の頭骨とあしの骨とを発見したが、其形状そのけいじょうを調べて見ると、丁度ちょうど人間とさるとの中間に位するもので、人間ともいへず、さるともいへぬゆえよんどころなく「猿人えんじん」といふ意味の新しい属名を造り、あしの骨から考へると確に直立ちょくりつして歩行したらしいからとて、「直立する」といふ種名をけ、此化石このかせきに「直立した猿人えんじん」といふ学名をあたへた。斯様かような性質を備へた化石であるから、たちまち学者間に非常な評判となり、其後そのごの万国動物学会にヂュボアが実物を持ち出して、大勢の批評ひはんを求めた所が、これを最も人間に似たさるであらうというた人が二三人、最もさるに似た人間であらうというた人が二三人あつた外、其他そのほかの人はみなこれを人間と猿類えんるいとの中間に位する種属の化石であるとみとめた。くのごとの言うたことには多少の相違そういはあつたが、畢竟ひっきょうただ、他の猿類えんるいと人間との境界を便宜上べんぎじょう何処どこに定めやうかといふ点にいて、人々の考がちがうただけで、この化石が今日の人間と今日の猿類えんるいとの中間に位するといふことにいては、だれ異存いぞんはなかつたのである。もっとこの化石をただちに人間と猩々しょうじょうとの共同の先祖の化石と見做みなすことは出来ぬが、に角、共同の先祖に最も近いものであることだけは、少しもうたがいがない。
 また猿類えんるいの化石は如何いかがといふに、全体猿類えんるいの化石といふものは、人間の化石と同じく、余り多くは発見せられてないが、其中そのなかるものは確に今日の普通ふつうさるよりは、尚一層なおいっそう人間に似て居る処がある。これは人間と猿類えんるいとの共同の先祖から遠ざかることがまだわずかであるゆえ、共同の先祖になおはなはだ似て居るので、く人間に似たごとくに見えるのであらう。
 くのごとく人間が猿類えんるいと共同な先祖から起つたといふことは、決して単に推理上すいりじょうの結論のみではない。地層ちそうの中から出た化石を調べても、確に其証拠そのしょうこのあることで、今日では最早疑ふことの出来ぬ事実である。陸上動物の化石のはなはだ少いこと、特に人間・猿類えんるいの化石の極めてまれであることを考へれば、人間の進化の径路けいろを示すべき化石の完全にそろうて居ぬことは当然とうぜんのことで、今まで発見になつた化石が一も進化論の予期する所と矛盾むじゅんせぬことだけでも、すで此論このろんの正しいといふ最も有力な証拠しょうこ見做みなさねばならぬ。


第十九章 他の学科との関係


 前章までに説いた所で、進化論しんかろんの大意だけは、先づ述べ終つたが、進化論をみとめると同時に、全く一変せざるを得ぬのは、自然にける人類の位置に関する考である。人間はけもの類の一種で、さると共同な先祖からくだつたといふことは、単に進化論中の特殊とくしゅの一例に過ぎぬから、進化論をみとめながらこのことだけをみとめぬといふ理由は決してない。このことをみとめぬならば、進化論全体をもみとめることは出来ず、したがつて生物学上の無数の事実と衝突しょうとつすることになる。しこうして一旦いったん此事このことみとめて自然にける人類の位置に関する考を一変すれば、従来じゅうらいの考は無論てなければならず、かつ旧思想の上にてられた学説がくせつは、ことごと根柢こんていから造り改めなければならぬことも無論である。
 今日学問の種類は非常に沢山たくさんあるが、其中そのなかには人間は如何いかがなるものかといふ考に関係のないものもあれば、またほとん此考このかんがえ基礎きそとしたものもある。物理学・化学・数学・星学・地質学等のごと純正じゅんせい理学を始めとし、これを応用した工学・農学などでも、人間といふ観念が如何いかに変つても直接には何の影響えいきょうこうむむることもないが、哲学てつがくとか、倫理りんり学とか、教育学とかいふ様な種類の学科は、人間といふ考次第で、全く根本からあらためなければならぬかも知れぬ。何故なぜといふに、此等これらの学科は進化論のあらわれぬ前から引続ひきつづき来つたもので、進化論以前の旧思想にしたがうて人間といふものの定義ていぎを定め、これによつて説を立てて居るのであるゆえ一朝いっちょう此定義このていぎが改まる場合には、其上そのうえに築き上げた議論ぎろんことごとくずれて仕舞しまふからである。
 かってアメリカの雑誌ざっしで、十九世紀中に出版になつた書物の中で、人間の思想上に最も著しい影響えいきょうおよぼしたのは何であるかといふ問題を出して、世界中の有名な学者から答を求めたことがあつたが、何百通も集まつた答の中に、ダーウィンの「種の起源しゅのきげん」を挙げぬものは一もなかつた。また先年丸善書店まるぜんしょてんで十九世紀中の大著述だいちょじゅつは何々であるかといふ問題で、我国わがくにの学者から答を求めたことがあつたが、其答そのこたえの中、矢張やはり「種の起源しゅのきげん」が最多数を占めた。くのごとく、内外共に此書このしょ尊重そんちょうせられるのは何故なぜといふに、無論人間といふ考が此書このしょによつて全く一変いっぺんし、其結果そのけっかとしてほとんど総べての学科にいちじるしい影響えいきょうおよぼしたからである。近来出版になつた社会学・倫理りんり学・心理学・哲学てつがく等の書物の中には、進化論の影響えいきょうにより大いに改革かいかくを試みた形迹けいせきの見えるものも、すでいくつかある所からせば、なおますます変化して行くであらうが、何処どこでも此等これらの学科を専門せんもんに修めた人々には、兎角とかく、生物学の素養の極めて不十分な人が多く、そのため進化論が今日すでに学問上確定した事実であるにかかわらず、これ了解りょうかいすることが出来ず、依然いぜんとして旧思想を守り、生物学から見ればほとんど前世紀に属すると思はれる程の誤謬ごびゅうおちいりながら、少しもさとらず、したがつてこれを改めもせぬ有様である。
 進化論しんかろん斯様かような学科との関係は中々重大なことで、本書の中にこれ丁寧ていねいに論ずることは出来ぬが、全くこれりゃくして置くこともはなはだ不本意であるゆえただ一つ二つ思ひうかんだことだけを、此章このしょうに述べる。進化論の方が十分に解りさへすれば、こゝに書くことのごときは、必然の結論として生ずべきもので、だれ心中しんちゅうにも自然にうかはずのことかも知れぬが、およそ進化論によつて従来じゅうらい諸学科しょがっか如何いかに根本的に改良せられなければならぬかといふことは、そのため多少あきらかに知れるであらう。

一 進化論と哲学てつがく


 哲学てつがくといふ学問は、其歴史そのれきしを調べて見ると、ごく古代に当つては、多少実験を基としたこともあつた様であるが、近来では全く実験とはなれて、単に自己の思考力のみに依頼いらいして、一切の疑問ぎもんかうと勉める。達磨だるまが九年間かべに向うて考へて居たごとく、今日の所謂いわゆる哲学てつがく者は、ただ書物を読むことと、考へることとによつて真理を発見し得るもののごとくに思うて居るが、これには大きな誤謬ごびゅうもととなつて居る。此事このことは当人も少しも気がかぬかも知らぬが、全く人類に関する旧思想に基づくことで、先づこれから改めてかゝらなければ、到底とうてい益々ますます誤謬ごびゅうおちいることをまぬがれぬ。
 その誤謬ごびゅうとは人間の思考力を絶対ぜったいに完全なもののごとくに見做みなして居ることである。進化論の起らぬ前は、無論このことにいてはうたがいの起り様もない訳で、人間は一定不変のものと思うて居る間は、其思考力そのしこうりょくの進化などに考へおよいとぐちもないゆえただ考さへすれば如何いかがなる真理でも観破かんぱすることが出来る様に思うたのも無理はないが、今日生物学上、人間が下等のけもの類から漸々だんだん進化し来つたことがあきらかになつた以上は、先づ此誤謬このごびゅうから正してかゝらねばならぬ。人間は猿類えんるいなどと共同な先祖から起つたものゆえ其頃そのころまでさかのぼれば今とは大いにちがうて脳髄のうずいも小く、思考力もはなはだ弱かつたにちがひない。それより漸々だんだん進歩して、今日の姿すがたまでに達したのである。これから先は如何いかに成り行くか未来のことゆえもとよりわからぬが、過去の経歴けいれきからして考へると、なお此後このあと脳髄のうずい益々ますます発達して思考力も益々ますます進化することは、ほとんうたがいなからう。し今後なお進歩するものとしたならば、今日の思考力はあたかも進歩の中段にあるものゆえ、決して絶対に完全なものとは言はれぬ。されば今日如何いか脳漿のうしょうしぼり、思考力をかたまらして考へたことも、尚一層なおいっそう脳髄のうずいが発達し、思考力の進歩した未来の時世からかえりみたとすると、全くあやまつて居るかも知れず、其時そのときに考へたことはまた尚一層なおいっそう後の世から見ると、あやまりであるかも知れぬが、斯様かように考へると、今日の脳髄のうずいもって自分の単に考へ出したことをもって、万世不変ばんせいふへんの真理であると世に披露ひろうする様な大胆だいたんなことは到底とうてい出来ず、また他人の考へ出したことを万世不変の真理であると信ずることも出来ず、総べて何事をも極めてひかへ目に信ずる様になり、其結果そのけっかはなはだしい誤謬ごびゅうおちいることもすくなくなるであらう。
 脳髄のうずい漸々だんだん発達して今日の有様になつたことは、化石学上にも事実の証拠しょうこがあるが、一個人の発生を調べると、全く同様なことを発見する。最初脳髄のうずいの極めて簡単なころりゃくして、其次そのつぎの時代からいへば、先づ胎内たいない四箇月よんかげつ位の時には、大脳だいのうの両半球ともに表面が平滑へいかつで一向みぞごときものもなく、ほとんうさぎ脳髄のうずいごとくであるが、漸々だんだん発達して複雑になり、大脳だいのうの表面に種々の裂溝れっこう廻転かいてん等があらわれ、八箇月はちかげつころには全く猩々しょうじょうと同じ位な度に達する。なおそれより少しづゝ発達して、終に生まれ出るが、生まれてから後に思考力の漸々だんだん進歩する具合は、だれ幼児ようじいて経験して知つて居ることであらう。発生学の所で述べて置いた生物発生の原則といふことは、人間の脳髄のうずいの発育、思考力の進歩等にも実にてきする様に思はれるが、これによつて人間の実際進化し来つた径路を、余程までは推察すいさつすることが出来る。
 眼・耳・鼻等のごとき感覚器も無論むろん絶対ぜったいに完全なものではないが、脳髄のうずいで考へた理論が、・耳等で感ずることと矛盾むじゅんする場合に、理論の方だけを取つて、感覚の方をかえりみぬといふことは穏当おんとうでない。今日の人間の生活の有様を見るに、主として知力の競争で、眼・耳・鼻等の優劣ゆうれつほとん勝敗しょうはいの標準とはならぬゆえ一人々々ひとりひとり相違そういは素よりあるが、全体からいへば、知力は益々ますます進むばかりで、感覚器の発達は少しもこれともなはぬ。しかしながら、知力は如何いかがなる度まで進んで居るかと考へるに、生物の進化は主として自然淘汰とうたに基づくものゆえただ競争場裡じょうりに立つことが出来るといふ程度までに進んで居るだけで、決してはるかそれ以上に出て居る訳はない。されば今日我々われわれの有して居る思考力は、同僚どうりょうと競争してはなはだしく敗れることが無いといふ度までに発達して居るだけゆえ、日常の生活にはわずかに間に合うて行くが、宇宙うちゅう哲理てつり観破かんぱする道具としては、随分ずいぶん覚束おぼつかない様に思はれる。
 哲学てつがくといふ字の定義ていぎ幾通いくとおりあるか知らぬが、簡単かんたんにいへば、物を見て考へることであらう。からすを見て単に黒いというてますのは、普通ふつうの見方で、何故なぜ黒いかと考へるのは哲学的てつがくてきの見方である。まる所、物の原因にいてうたがいくのが総べての哲学てつがくの起りであらうが、此疑このうたがいを解かうと勉めるに当つて、取る方法に二通りの別がある。一は出来るだけ多く実験じっけん観察かんさつし、出来るだけ多くの正確せいかくな事実を集め、これもととして考へる方で、今日純正理学じゅんせいりがくと名づけるものはみな此方法このほうほうしたがうて研究すべきはずである。他の一はこれに反して、眼・耳・鼻・舌等のごとき感覚器には全く信用を置かず、ただ思考力のみにたよつてうたがいの根元までも解きつくさうとこころみるが、従来じゅうらい所謂いわゆる哲学てつがくといふものは総べて此方法このほうほうによつて研究せられて居る。さて人間はなお進化の中段ちゅうだんにあるものとすれば、眼・耳・鼻・舌の感覚力も脳髄のうずいの思考力も共に絶対に完全なものでないことは勿論むろんであるが、いずれの方に誤謬ごびゅうおちいあなが多いかと考へて見るに、眼・耳をもって見聞すること、物指し・天秤てんびん等をもっはかることなどは、十人で行うても、百人で行うても、其結果そのけっか略一致ほぼいっちして争ひの起ることは少いが、日常生活以外の方面に用ゐる思考力の結果は、一人々々で大いに異なり五人集まれば五通りの宇宙観うちゅうかんが出来、十人寄れば十通りの人生観が出来る。また自分で独立の説を工夫することの出来ぬ人等は、他人の考へたことにすがくの外はないゆえ、こゝに沢山たくさんの派が生ずる。若し真理が幾通いくとおりもないものとしたならば、昔から多数に存する哲学派てつがくはの中で完全に真理を説いたものは、最も多く見積つてもただ一つだけよりない訳で、実際は、おそらくことごと誤謬ごびゅうであると考へざるを得ない。思考力のみに依頼いらいすると、推理すいりすじ辿めぐり様次第で、種々の異なつた結論けつろんに達し、随分ずいぶん正反対の結果を得ることもあるゆえ、真理を求めるためにる学派に帰依きえし、あるいは自身で一派を工夫する人は、あたかも当りの少いくじを引くのと同様で、真理に的中する望は極めてわずかである。
 これ比較ひかくすれば、感覚力の方がなお余程確らしい。十人でも百人でも、ほぼ同一な結果を得るのであるから、今日の人間の知力の範囲はんい内では、先づ此以上これいじょうに確なことを知ることは出来ぬ。人類共通の誤謬ごびゅうがあるかも知れぬが、これは何とも論ずべき限でない。されば物の原因をさぐるに当つても、先づ観察と実験とによつて事実を集め、これを基として思考力によつて其間そのかんの関係を考へ、一定の結論を得たれば、さらに実験・観察によつて其結論そのけつろんが実際の事実と矛盾むじゅんせぬかいなかを確め、確であれば、さらこれを基として、其先そのさきを考へるといふ様に、常に思考力と感覚力とをあわせ働かせて進むのが、今日の人間のなし得る最も確な方法であらう。もっとも、この方法は一段毎いちだんごとに実験・観察等のごとき大きな労力を要することゆえ、単に手をたばねて考へるのとちがうて、其進歩そのしんぽは素より多少おそからざるを得ぬ。理科の進歩は常に此方法このほうほうによるゆえすみやかではないが、すこぶる確である。理科においても、事実の十分に集まらぬ中に、仮想説を考へ出して、る現象の理由を説明しやうと勉めて、そのためはげしい議論の起ることも常にあるが、研究の結果、事実が漸々だんだん解つて来れば、必ずいずれにか決して仕舞しまゆえ何時いつまでも数多の学派がくはが対立してそんするといふ様なことはない。
 此方法このほうほうは実験・観察によつて先づ事実をさがし、これを基として思考するのであるから、従来じゅうらいの単に思考力のみにより、空論くうろんを戦はして居た紙上哲学しじょうてつがくに対し、此方法このほうほうで研究する学科を実験哲学じっけんてつがくと名づけるが適当であるが、進化論により人間の位置があきらかになつた以上は、哲学てつがくといふものは此方面このほうめんの学科と一致いっちする様に改めなければならぬ。思考力のみを唯一ゆいつの武器として、ふせながら宇宙うちゅうの真理を発見しやうといふ考は、進化論の教へる所と全く矛盾むじゅんすることである。
 科学に満足まんぞくが出来ぬから、哲学てつがくに移るといふ人もあるが、物にたとえへて見れば、実験・観察と思考力とをあわせ用ゐて研究することは、あたかあしを動かして歩行する様なもので、進歩は速くはないが、実際じっさい身体がそこまで進んで行く。これに反して思考力のみによつて考へることは、あたかゆめに千里を走る様なもので、進歩は至極しごく速いごとくに感ずるが、実際身体は少しも動かず、めて見れば、身体は依然いぜんとしてきゅうところに止まつて居る。今日の開化の度まで、人間の進み来つたのは、全く実験・観察と思考力とをあわせて用ゐる方法で事物を研究した結果けっかである。思考力のみを用ゐる研究法の結果は、二千年前も今日も余りいちじるしくはちがはぬ。物の理由をさぐもとめるに当り、実験・観察かんさつと思考力とをあわせ用ゐることは、大に忍耐にんたいと労力とを要する仕事で、したがうて時も長くかゝるが、其結果そのけっかは真であるゆえこれを応用してあやまることはない。まり、それだけ人間の随意ずいいにする領分りょうぶんえた様なもので、生存競争せいぞんきょうそうの武器がそれだけ増したことに当る。知識の光をもって照せば、何事でもわからぬものはないなどと、大声に演説えんぜつすれば、其時そのときだけは説く者も何となく愉快ゆかいな感じが起つて、意気が大にあがるが、実際をかえりみると、我々われわれの知識は中々左様なものではなく、わずか闇夜やみよに持つて歩く提灯ちょうちん位なもので、ただ大怪我おおけがなしに前へ進み得られるだけに、足元をてらすに過ぎない。実験・観察と思考力とを合せ用ゐるのは、此提灯このちょうちんの光力を漸々だんだん増加せしめる方法である。今日我々われわれし得る範囲はんい内では、此以上これいじょうのことは出来ぬのであるから、不十分な点をしのんで、科学に満足するより外にいたし方はない。これに満足せずして、旧哲学きゅうてつがくに移るのは、あたか提灯ちょうちんの火が小いからというて、目をぢる様なものであらう。

二 進化論と倫理りんり


 倫理りんり学も従来じゅうらいは人間を一定不変のものと見做みなし、かつ宇宙間うちゅうかんに他に類のない一種霊妙いっしゅれいみょうなものとして人間のことばかりをろんじ来つたが、進化論しんかろんによつて自然にける人類の位置があきらかになつた以上は、根本から其仕組そのしくみを改めてらねばならぬ。人間がけもの類の一種であつて、さると共同な先祖からくだつたものとすれば、ぜんとか悪とかいふ考も決して最初からそんしたわけではなく、他の思想と同様に漸々だんだんの進化によつて生じたものと見做みなさねばならぬが、此等これらの点を詳細しょうさいに研究するには、先づ世界各処かくしょの半開人や野蛮人やばんじんが、如何いかがなることをぜんと名づけ、如何いかがなることをあくと名づけて居るか、また実際如何いかがなることをして居るかを取調べ、なお人間以外の団体生活をするけもの類・鳥類が平生し居ることをも調査し、これを基としてろんずることが必要である。人間の身体ばかりを解剖かいぼうして居ては、如何いか丁寧ていねいに調べても、人間の身体各部の意味が解らず、他の動物と比較ひかくして見て、初めて其意味そのいみが解るごとくに、人間の行為こういこればかりを調べたのでは、何時いつまで過ぎても容易に意味の解るものではない。他の団体生活をする動物の行為こういに比べて見て、初めて其意味そのいみあきらかに解るものも沢山たくさんにあるべきはずである。
 例へば、動物界には人間の外に団体生活を営むものは沢山たくさんにあつて、これを並べて見ると、単独たんどくの生活をなすものから、一時的団体だんたいを造るもの、少数の個体が常に集まり生活するものなど、種々の階級を経て、多数の個体が永久の団体を組んで生活するに至るまでの進化の順序を知ることが出来るが、此等これらの動物の行為こういを調べると、善悪ぜんあくの分かれる具合も、多少あきらかに解る様である。先づ単独の生活を営む動物の行為こういは、善悪をもって評すべき限りではないが、団体を組んで生活する様になれば、生存競争せいぞんきょうそうの単位は団体であるゆえ其中そのなかの各個体の行為こういは全団体に影響えいきょうおよぼし、一個体が団体に利益ある所行しょぎょうをなせば、団体内の他の個体は残らず其恩沢そのおんたくこうむり、一個体が団体に不利益な所行をなせば、団体内の他の個体はことごとく損害を受ける。仮に身をかかる団体内に置いたと想像して見れば、前者の行為こういぜんしょうし、後者の行為こういあくと名づけるよりいたし方はない。されば団体生活を営む動物では、一個体の行為こういが全団体の滅亡めつぼうを起す場合が最高度の悪で、一身を犠牲ぎせいきょうして全団体の危難きなんすくふことはぜんの理想的模範もはんである。 また数個の団体が対立してたがいに競争する場合には、如何いかがなる性質を備へた団体が最も多く勝つ見込みこみを有するかと考へるに、それは無論各個体が全団体のために力をつくし、自己じこ一身の利害を第二段だいにだんに置く様な団体である。上下交々こもごも利をめ(注:孟子のことば)ては到底とうてい敵である団体と相対して存立そんりつすることは出来ぬゆえ、団体間の生存競争においても、矢張やはり自然淘汰とうたが行はれ、団体生活に最もてきする性質を備へたもののみが長く生存し、各個体には自己じこの属する団体のためにまことつくすといふ性質が、益々ますます発達する訳になる。あり蜜蜂みつばち等のごとき社会的昆虫こんちゅうの動作を見れば此事このことは最も明白であるが、人間の道徳心どうとくしんごときもあるいくのごとくにして生じ来つたものではなからうか。若し左様としたならば、善悪ぜんあくといふ考も団体生活と共に起つたもので、世の中から団体生活をする動物を取り去つたならば、ただ火がえ、水が流れるといふ様なぜんでもあくでもないことばかりとなつて、善悪といふ文字の用ゐ処も無くなつて仕舞しまふ。
 なお人間には生まれながら良心りょうしんといふものが備はつて悪事をなした後には心中大いに安んずることが出来ぬものであるが、此良心このりょうしんといふものも、矢張り団体生活と共に起つたものではなからうか。団体生活を営む動物では、一個体の行為こういが全団体の不利益を生じた場合には、他の個体が集まつてこればつすることが常であるが、ばつせられることを予めおそれる心持ちは所謂いわゆる良心といふものと全く同じ性質のごとくに思はれる。
 人間の道徳心の起源きげんごときは、大問題であつて、素より一朝一夕いっちょういっせきに論じつくせる訳のものではないが、人間がけもの類の一種である以上は、これを研究する方法も矢張り比較ひかく解剖かいぼう学・比較ひかく発生学等と同様に、先づ事実を集め、次にこれに通ずる規則をさぐり出し、其規則そのきそくに従うて原因を調べるといふ順序でなければならぬ。此順序このじゅんじょによりさへすれば、あたか比較ひかく解剖かいぼう学・比較ひかく発生学等によつて人間の身体の進化し来つた径路けいろが多少あきらかになつたごとくに、人間の道徳どうとく心の発生の径路が、幾分いくぶんか解る様になるであらう。野蛮やばん人の行為こういしょ動物の習性を調べることは素より容易ではないが、今より後は此方法このほうほうにより実験的に研究して行く外に適当な法はない様である。
 従来じゅうらい倫理りんり学は規範きはん学科などとしょうして、単に思考力のみに依頼いらいし、高尚こうしょうな議論ばかりをして居たゆえ人世じんせいと最も直接な関係を有すべき学科でありながら、実際においては最も人世とえんの遠い有様であつたが、規範きはん学科であれば尚更なおさらのこと、先づ人間といふものは実際如何いかがなることをして居るか、また其行為そのこういの原因は何であるかをくわしく調べ、これを基として議論を立つべきはずである。されば倫理りんり学は全く其研究そのけんきゅうの方法を改め、純正じゅんせい学科としては単に実験・観察によつて人類の行為こういを研究し、これを支配する理法をさぐり求めることだけを目的とし、さらに応用学科として、人間の行為こういくあるが最もよろしいといふ規範きはんを種々の場合に当てめて定めることを勉めたればよろしからう。人間がなお進化の中途ちゅうとにあるものとすれば、万世不易ばんせいふえき善悪ぜんあくの標準といふ様なものは、到底とうてい定められぬかも知れず、単に思考力によつてこれを求めやうとすれば、益々ますます空論くうろん範囲はんいに深入りして現実の世界から遠ざかるばかりである。特に人間には団体に種々の階級があつて、小団体が集まつて大団体をなして居るゆえ其中そのなかの各個人には小団体の一員としての資格しかくと大団体の一員としての資格とがあり、時と場合とにしたがあるいこうの資格を取り、あるいおつの資格を取ることが必要ひつようであるから、同一種類の行為こういでもあるいぜんとなりあるいあくとなることもある。例へば病原黴菌ばいきんといふ人類共同の敵に対する場合には、各個人は人類といふ大団体の一員たる資格であるゆえ黴菌ばいきん撲滅ぼくめつ上、肝要かんような一大発見をした学者がただちこれを他国の学者に通知することは、全団体の利益となる所行しょぎょうゆえ、先づ善事と見做みなさねばならぬが、国と国とが戦争せんそうをする場合には、各個人は国といふ小団体の一員たる資格であるゆえ、兵器改良上肝要かんような一大発見をした学者がこれ敵国てきこくの学者に通知することは、敵の戦闘せんとう力をさしめる所行しょぎょうゆえ、確に悪事と見做みなさねばならぬ。斯様かような例を考へれば、いくらでもあるが、此等これらを見ても、善悪の標準ひょうじゅんは時と場合とにしたがうて改めなければならぬことは、あきらかであるから、倫理りんり学は応用学科として常にかる点を研究すべきものであらう。

三 進化論と教育と


 教育書を開いて見ると、精神は人間ばかりにそんするものゆえ、教育の出来るのも人間ばかりにかぎるなどと書いてあるが、これは確に間違まちがひで、他の動物の中にも、子を教育する類はいくらもある。しこうして如何いかがなる動物が子を教育するかと調べると、みな脳髄のうずいやや発達した高等動物で、比較的ひかくてき子を生む数の少い種類に限る様である。
 動物は何のために子を教育するかといふに、およそ動物には命の長いものもあれば、短いものもあるが、如何いかがなる種類でも、寿命じゅみょうには必ず一定の制限せいげんがあるゆえ、種属の断絶だんぜつせぬためには、常に生殖せいしょくして死亡しぼうの損失をおぎなはなければならぬ。しこうしてし生まれた子がみな必ず生存するものと定まつて居たならば、一対の親から一生涯いっしょうがいの間にわずか二疋にひきの子が生まれただけでも、親のあといで行くことは出来るはずであるが、生存競争の劇烈げきれつな現在の世の中では、生まれた子が残らず生長するといふ望は到底とうていない。魚類・昆虫こんちゅう類を始め多くの下等動物では、初めから無数のたまごを生むゆえ其儘そのまま打捨うちすてて置いても其中そのなか二疋にひき三疋さんびきは生長し終るまで生存する機会があるが、やや少数な子を生む動物では、単に生んだだけでは、未だ種属維持いじ見込みこみいたとはいへぬ。必ずこれを教育して、競争場裡きょうそうじょうりに出しても容易にけるうれいはないといふまでに仕上げなければならぬ。されば教育といふことは生殖せいしょく作用の追加ついかとも見るべきもので、其目的そのもくてき生殖せいしょく作用と同じく、種属の維持いじ繁栄はんえいにあることは、少しもうたがいを容れぬ。
 以上述べたことは、生物学上あきらかな事実であるが、これを人間の場合に当てめて見ても其通そのとおりで、教育書には、教育の目的は完全なる人を造るにあるとか、何とか、種々高尚こうしょうな議論がげてあるにかかわらず、実際においては総べて種属の維持いじ繁栄はんえいを目的として居る。もっともこゝに種属といふのは動物学上の種属ではない、人間の造つて居る種々の団体のことで、此団体このだんたいいくつもの階段かいだんがあるから、教育の目的もこれを行ふ団体次第で多少ことならざるを得ない。例へば一家で其子弟そのしていを教育するのは現在の一家の主なる人々が死んでも、後に一家を継続けいぞくするものを残すためで、一藩いっぱん其子弟そのしていを教育するのは現在の藩士はんしが死んでも、後にこれ継続けいぞくするための立派りっぱなものを残すためである。また一国が其子弟そのしていを教育するのは、現在の国民が死んでも、其後そのごに世界列国の競争場裡じょうりに立ち、立派に一国を維持いじかつさかえて行くだけのものを残すためである。完全な人をつくるとか人間本来の能力のうりょく発展はってんせしめるとか、いふ文句は如何いかにも立派に聞えるが、実は極めて漠然ばくぜんな言ひ方で、完全な人とは如何いかがなるものか、人間本来の能力のうりょくとは何かとして問へば、其答そのこたえは決して一様でなく、其定義そのていぎを定めるためにまた種々の議論が出て、益益実際から遠ざかる様になる。然るに実際においては議論の如何いかかかわらず、知らず識らず、生物学上の規則にしたがひ、ここに述べたごとくに、みな種属の維持いじ繁栄はんえいを目的として居るのである。
 従来じゅうらい所謂いわゆる教育学といふものは、哲学てつがくなどと同様に、ただ思考力ばかりに依頼いらいして考へ出したものゆえあたか哲学てつがくと同じく、十人寄れば十種の学説が出来、相似た説を持つたものは集まつて学派がくはを造り、たがいに争うていずれが正しいか、分からぬ様であるが、学派がいくつもあつて相争うて居る様では、いずれを取るにしてもただちこれを応用するのははなはだ不安心なことである。一時はヘルバルトでなければならぬ様にいうたかと思ふと、其次そのつぎにはまた全くこれてて他の新説を取るといふ様な、世の有様を見ると、所謂いわゆる教育学説といふものを学ぶのは、全く無益な骨折ほねおりで、これ基礎きそとして、其上そのうえに論を立てるのは大きなる誤謬ごびゅうの原因であると思はざるをぬ。生物進化論が確定して、人間の位置のあきらかになつた今日では、単に思考力のみに依頼いらいして考へ出した説は、先づ根拠こんきょのない空論くうろん見做みなすの外はないゆえ、教育学も今後は旧式哲学てつがく形而上けいじじょう学などとは全くえんを断ち、生物学・社会学等の基礎きその上に、実験的研究法によつて造り改めなければ、到底とうてい長く時世にともなうて進歩して行くことは出来ぬであらう。
 教育は種属維持いじのために必要であるが、人間は種々の団体を造つて生活するものゆえ、実際教育するに当つては、如何いかがなる団体の維持いじ繁栄はんえいを目的とすべきかを明瞭めいりょうに定めて置かねば功が無い。漠然ばくぜんたる文句で教育の目的を言ひ表して置くことは、単に理論りろんの場合には差支へがないかも知れぬが、教育は一日も休むことの出来ぬ実際の事業ゆえ、単に一通りにより意味の取れぬ極めて判然たる目的を常に目の前に定めて置くことが必要である。さて人間の生存競争せいぞんきょうそうの有様を見るに、団体には大小種々の階級があるが、競争にける最高級の単位は人種といふ団体で、人種じんしゅと人種との間にはただ強いものが勝ち、弱いものがけるといふ外には何の規則もないから自分の属する人種が弱くなつては、他に如何いかすぐれた点があつても種属維持いじ見込みこみはない。それゆえ、実際教育するに当つては人種といふ観念を基として、人種の維持いじ繁栄はんえいを目的とせねばならぬ。生物界では分布の広い生物種属は必ず若干の変種を生ずるもので、変種は尚一層なおいっそう進めば独立の種となるものゆえかる種属は初め一種でも後には必ず数種に分かれ、たがいはげしく競争して其中そのなかの少数だけが、後世まで子孫をのこすことになるが、人間のごときは最も分布の広い種属で、すでに多数の人種に分かれて居ることゆえ、今後は益々ますます人種間の競争が劇しくなり、てきするものは生存し、適せぬものはほろび失せて、終には僅少きんしょうの人種のみが生き残つて地球を占領せんりょうするにちがひない。此競争このきょうそうは今から始まる訳ではなく、すで従前じゅうぜんから行はれて居たことで、歴史以後に全く死に絶えた人種もいくらもあり、まさに死にえんとする人種も沢山たくさんにある。今日の所で、後世まで子孫をのこ見込みこみのあるものはヨーロッパを根拠こんきょ地とする若干の人種とアジヤの東部に住んで居る若干の人種とわずかに二組に過ぎぬ。されば如何いかがなる種類の教育でも、常に此等これらの事実をわすれず、他の生物の存亡そんぼうの有様にかんがみ、進化論の説く所に従うて、もっぱ自己じこの属する人種の維持いじ繁栄はんえいを計らねばならぬ。

四 進化論と社会と


 現今の社会の制度が完全無欠でないことはだれみとめなければならぬが、さてこれ如何いかに改良すべきかといふ問題を議するに当つては、常に進化論を基として、実着じっちゃくに考へねば何の益もない。社会改良策かいりょうさく幾通いくとおり出ても、ことごと痴人ちじん夢を説くがごとくであるのは、何故なぜかといへば、一は人間とは如何いかがなるものかを十分に考へず、みだり高尚こうしょうなものと思ひあやまつて居ること、一は競争は進歩の唯一ゆいつの原因で、いやしくくも生存して居る間は競争のくべからざることに、心附こころづかぬことに基づく様である。
 異種属間いしゅぞくかんの競争の結果は各種属の栄枯盛衰えいこせいすいであつて、同種属内の競争の結果はその種属の進歩・改良であることは、前にも説いたが、これを人間に当てめても全く其通そのとおりで、異人種間の競争は各人種の盛衰存亡せいすいそんぼうの原因となり、同人種内の競争は其人種そのじんしゅの進歩・改良の原因となる。それゆえ、数多の人種が相対して生存せいぞんして居る上は、異人種との競争がけられぬのみならず、同人種内の個人間の競争もはいすることは出来ぬ。分布ぶんぷ区域くいきが広く、個体の数の多い生物種属は必ず若干じゃっかんの変種に分かれ、後にはたがいに相戦ふものであるが、人間は今日丁度ちょうど其有様そのありさまにあるゆえ、異人種がる方法によつて相戦ふことは止むを得ない。しこうして人種間の競争においては、進歩のおそい人種は到底とうてい勝つ見込みこみはないゆえいずれの人種ももっぱら自己の進歩改良を図らなければならぬが、そのためには其人種そのじんしゅ内の個人間競争が必要である。
 社会の有様に満足せず、大革命だいかくめいを起した例は、歴史にいくらもあるが、何時いつも罪を社会の制度せいどのみに帰し、人間とは如何いかがなるものかといふことをわすれて、ただ制度さへ改めれば、黄金世界になるもののごとくに考へてかゝるゆえ、革命のんだ後は、ただ従来じゅうらい権威けんいふるうて居た人等の落ちぶれたのを見て、暫時ざんじわずか愉快ゆかいを感ずるの外には何の面白いこともなく、世は相変らず澆季ぎょうきで、競争のはげしいことは矢張やはり昔の通りである。今日社会主義しゃかいしゅぎとなへる人々の中には往々突飛とっぴ改革論かいかくろんを説く者もあるが、若し其通そのとおりに改めて見たならば、矢張やはり以上のごとき結果を生ずるにちがひない。人間は生きて繁殖はんしょくして行く間は競争はまぬがれず、競争があれば生活の苦しさは何時いつも同じである。
 教育の目的は、自己じこの属する人種の維持いじ繁栄はんえいであることは、すでに説いた通りであるが、進化論しんかろんから見れば社会改良も矢張り自己じこの属する人種の維持いじ繁栄はんえいを目的とすべきものである。世の中には戦争せんそうといふものを全廃ぜんぱいしたいとか、文明が進めば世界中が一国になつて仕舞しまふとかいふ様な考を持つて居る人もあるが、此等これらは生物学上到底とうてい出来ぬことで、利害の相反する団体がならそんして居る以上は其間そのかんる種類の戦争が起るのは決してけることは出来ぬ。しこうして世界中の人間がことごとく利害の相反せぬ位置に立つことの出来ぬは素より明瞭めいりょうである。敵国・外患がいかんがなければ国はたちまほろびるといふ言葉の通り、敵国・外患がいかんがあるので国といふ団体はしばらまとまつて居る訳ゆえ、若し仮に一人種が総べて他の人種に打勝つて全世界を占領せんりょうしたとするとも、場所々々ばしょばしょによつて利害の関係がちがへばたちまあらそいが起つて、数箇国すうかこくに分かれて仕舞しまふ。わずかに一県内の各地から選ばれた議員等が集まつてさへ、地方的利害の衝突しょうとつのためにはげしい争が起るのを見れば、全世界が一団となつて戦争がえるといふ様なことの望むべからざるは、無論である。
 若干じゃっかんの人種が相対して生存する上は、各人種は勉めて自己じこ維持いじ繁栄はんえいを図らねばならぬが、他の人種に敗けぬだけの速力で、進歩せなければ、自己じこ維持いじ繁栄はんえいは望むことは出来ず、速に進歩するには個人間の競争によるの外に道はない。されば現今げんこん生存する人間は、敵である人種にほろぼされぬためには、味方同志みかたどうしの競争によつて常に進歩する覚悟かくごが必要で、味方同志の競争をきらふ様なことでは、人種全体の進歩がはかどらぬために、敵である人種にけて仕舞しまふ。今日の社会の制度には改良を要する点は沢山たくさんにあるが、いずれに改めても競争といふことは到底とうていけることは出来ぬ。他の人種と交通のないところこもつて、一人種だけで生存して居る場合には、はげしい競争にもおよばぬが、其代そのかわり進歩がはなはおそゆえ、後に至つて他人種じんしゅに接する場合には、あたかもニウ=ジーランドの鴫駝鳥しぎだちょうごとたちまほろぼされて仕舞しまふ。世間には、生活の苦みは競争が劇しいのに基づくことで、競争のはげしいのは、人口の増加が原因である。それゆえ、子を生む数を制限することが、社会改良上第一に必要であるといふ様な考を持つて居る人もあるが、前に述べた所によるとこれは決して得策とくさくとは言はれぬ。今日の所で必要なことは、競争を止めることではなく、むしろ自然淘汰とうた妨害ぼうがいとなる様な制度を改めることであらう。人種生存じんしゅせいぞんの点からいへば、脳力のうりょく健康けんこうともに劣等れっとうなものを人為じんい的に生存せしめて、人種全体の負担ふたんを重くする様な仕組を成るべく減じ、脳力・健康ともに優等ゆうとうなものが、いずれの方面にも主としてはたらける様な制度を成るべく完全にして、個人間の競争の結果、人種全体が速に進歩する方法を取ることが最も必要である。斯様かような世の中に生まれて来た人間は、ただ生存即競争せいぞんすなわちきょうそうと心得て、力のあらん限り競争に勝つことを心がけるより外にはいたし方はない。
 なお人道をとなへたり、人権じんけんを重んずるとか、人格じんかくとおとぶとかいうて、紙上の空論くうろんを基としたあやまつた説の出ることがしばしばある。例へば死刑しけい全廃ぜんぱいすべしといふごときはすなわ其類そのるいで、人種維持いじの点から見ればすこし根拠こんきょのない論であるのみならず、あきらかに有害なものである。雑草ざっそうり取らねば庭園の花がれて仕舞しまふ通り、有害な分子をのぞくことは人種の進歩改良にも最も必要なことで、これはいしては到底とうてい改良の実は挙げられぬ。単に人種維持いじの上からいへば、尚一層なおいっそう死刑しけいさかんにして、再三刑罰けいばつを加へても、改心せぬ様な悪人は容赦ようしゃなくのぞいて仕舞しまうた方がはるかに利益である。

五 進化論と宗教と


 進化論は生物界の一大事実を説くものゆえ、他の理学上の説と同じく確な証拠しょうこを挙げてただ人間の理解力にうったへるが、宗教しゅうきょうの方は単に信仰しんこうに基づくものであるゆえ此二者このにしゃ範囲はんいは全く相はなれて居て、共通の点は少しもない。もっとも、宗教においても、信仰しんこうに達するまでの道筋みちすじには多少学問らしい部分のはさまつて居ることはあるが、其終局そのしゅうきょく所謂いわゆる信仰しんこうであつて信仰しんこうは理解力の外に立つものであるから、宗教しゅうきょうを一種の学問と見做みなして取扱とりあつかふことはもとより出来ぬ。されば進化論から宗教を論ずる場合には、ただ研究あるいは応用の目的物として批評ひひょうするばかりである。
 人間はけもの類の一種で、さるごときものから漸々だんだん進化して出来たものゆえ、人間の信ずる宗教も、一定の発達歴史を有するは勿論むろんのことであるが、これを研究するには、他の学科と同様に、先づ出来るだけ材料を集めこれ比較ひかくして調べなければならぬ。現今げんこん行はれて居る宗教しゅうきょう信仰しんこう箇条かじょうことごとく集めて比べて見ると、極めて簡単かんたんなものから随分ずいぶん複雑なものまで、多くの階級があつて、各人種の知力発達の程度に応じて総べて相異あいことなつて居る。「人間には必ず宗教がなければならぬ、其証拠そのしょうこには世界中何処どこに行つても、宗教を持たぬ人種は決してない」などと論じた人もあつたが、これは研究の行き届かなかつたあやまりで、現にセイロン島の一部に生活するヴェッダ人種のごときは、これ特別とくべつに調査した学者の報告によると、宗教といふ考の痕跡こんせきもないとのことである。此等これら現今げんこん棲息せいそくする人種中の最下等なものであるが、それよりやや進んだ野蛮人やばんじんになると、霊魂れいこんとか神とかいふ種類の観念の始まりが現れる。自分の力では到底とうていたおすことの出来ぬ様な大木があらしたおれるのを見れば、世の中には目に見えぬ力の強いる者が居るとの考を起すことは、知力の幼稚ようちな時代には自然のことで、自分よりはるかに力の強いる者が居ると信じた以上は、洪水こうずいで小屋が流れても、岩が落ちて家がこわれても、みなこのる者がする所行しょぎょうであらうと思うて、これおそれ、自分の感情かんじょうに比べてあるい其者そのもの機嫌きげんを取るために面白いおどりをして見せたり、あるい願事ねがいごとかなへてもらふために賄賂わいろとしてうまい食物や美しい女をささげたりする様になるが、神とか悪魔あくまとかいふ考はおそらくくのごとくにして生じたものであらう。また一方には、昨日まで生きて敵とたたき合うて居た父が今日は死んで動かなくなつたのを見て、其変化そのへんか急劇きゅうげきなのにおどろいて居る時に、父の夢でも見れば、肉体だけは死んでもたましいだけはなお存在そんざいして、目には見えぬが、確にわがが近くに居るのであらうと考へるのも無理でないゆえ、肉体をはなれた霊魂れいこんといふ観念も起り、父の霊魂れいこんが残つて居ると信ずる以上は、我身わがみの状態に比べて食事の時には食物をそなへ、敵に勝つた時にはこれを告げ知らせるといふ様な儀式ぎしきも自然に生ずるであらう。霊魂れいこんといふものが実際有るか無いかはいずれとも確な証拠しょうこのないことゆえ我々われわれ現今の知力をもっては有るとも断言の出来ぬ通り、無いといふ断言も出来ぬが、霊魂れいこんといふ考はおそらくくのごとくにして生じ、其後そのご漸々だんだん進化して今日文明国で考へる様な程度までに達したものであらう。
 以上述べた所は、ただ宗教の始まりだけであるが、現今の野蛮やばん人の中には全く此通このとおりの有様のものもある。それより漸々だんだん人間の知力が進んで来ると、宗教もこれともなうて、段々複雑になりまた高尚こうしょうになり、特別とくべつに宗教のみを職業しょくぎょうとする僧侶そうりょといふ様なものも出来るが、他の人々が世事せじに追はれて居る間に、僧侶そうりょは知力の方を練るゆえ、知力においてはぞく人にまさることになり、終に宗教は有力な一大勢力となつたのであらう。比較ひかく解剖かいぼう学・比較ひかく発生学によつて生物進化の有様が解るごとく、また比較ひかく言語学によつて言語の進化の模様が解るごとくに、比較ひかく宗教学によつて宗教の進化し来つた径路が多少あきらかに知れるが、宗教進化の大体を知つて、後に現今の各宗教を研究すれば初めて其真そのしん価値かち了解りょうかいすることが出来る。
 なお宗教しゅうきょうといふものは現在行はれて居るもので多数の人間はこれによつて支配せられて居る有様ゆえ、人種の維持いじ繁栄はんえいを計る点からいうても、決して等閑とうかんにすべきものではない。単に理解力の標準から見れば、現在の宗教は総べて迷信めいしんであるが、迷信ははなはだ有力なものゆえ自己じこの属する人種の益益栄える様にするには、此方針このほうしん矛盾むじゅんする迷信をのぞいて、此方針このほうしん一致いっちする迷信を保護することが必要である。人間には筋肉きんにくの発達に種々の相違そういがある通りに、知力の発達にも数等の階段かいだんがあつて、万人決して一様でない。角力取りが軽さうに差し上げる石を、我々われわれが容易に持ち得ぬごとく、また我々われわれの用ゐる鉄唖鈴てつアレイ幼児ようじが中々動かし得ぬごとく、物の理窟りくつを解する力も其通そのとおりで、各人みなの有する知力相応な事柄ことがらでなければ了解りょうかいすることは出来ぬ。それゆえ、理学上の学説のごときは如何いかに真理であつても中以下の知力を備へた人間には到底とうてい力に適せぬゆえ、説いても無益である。ドイツの詩人ゲーテが「学問芸術をおさめたものはすで宗教しゅうきょうを持つてる。学問芸術を修めぬ者は別に宗教を持つがい」というた通り、学問を修めた者には、特に宗教の必要はないが、学問などを修めぬ多数の人間には安心立命のために何か一つの宗教が入用であらう。然るに宗教には、種々性質の異なつたものがあつて、其中そのなかには自己じこの属する人種の維持いじ繁栄はんえいに適するものと適せぬものとがあるゆえ、宗教の選み方を誤ると、終には人種の滅亡めつぼうを起すかも知れぬ。人種の維持いじに必要なことは競争・進歩であるゆえ生存競争せいぞんきょうそうきらふ様な宗教は極めて不適当で、実際左様な宗教の行はれる人種は日々衰頽すいたいおもむかざるを得ない。諸行しょぎょうの無常なのは明白であるが、無常を感じて世をてるといふのは大きな間違まちがひであらう。樹木じゅもくを見てもまされやうとするえだは、先づしおれる通り、無常を感じて競争以外にのがれやうとするのは、其人種そのじんしゅまさ滅亡めつぼうに近づかうとする徴候ちょうこうであるから、人種的自殺を望まぬ以上は、かるかたむのある宗教は、つとめめて駆除くじょせねばならぬ。生物は総べて樹枝状じゅしじょうをなして進化して行くもので、自己じこの属する人種は生物進化の大樹木の一枝であることがあきらかな上は、生存即競争せいぞんすなわちきょうそうあきらめていさましくたたかふ様にはげますといふ性質の宗教が最も必要であらう。はなはだしい迷信ほど信者の数が多く、今も昔も売卜者ばいぼくしゃの数にいちじるしい増減ぞうげんのない所を見れば、世の中から迷信をのぞくことの出来ぬはあきらかであるが、迷信がけられぬ以上は、人種維持いじの目的にてきする迷信を保護ほごするの外には道はない。浮世うきよは夢であるなどと説かずに、むしろアメリカの詩人ロングフェローが「命の歌」に書いたごとき健全な考を世にひろめることが、今日の所最も大切である。
 従来じゅうらい西洋諸国せいようしょこくでは耶蘇やそ教が行はれ、此世界このせいかいは神が六日の間に造つたものであるとか、人間は神が自分の姿すがたをモデルにしてどろで造り、出来上つた後に鼻のあなから命をんだとか、アダムの肋骨ろっこつを一本き取つてエバを造つたとか、いふ様なことを代々信じて、人間だけを一種霊妙れいみょうなものと思うて居た所へ、生物進化論が出て、人間はけもの類の一種で、さると共同な先祖からくだつたものであると説いたのであるから、其騒そのさわぎは一通りではなかつた。初めの間は力をつくして進化論を打ちこわさうとかつたが、進化論には事実上に確な証拠しょうこのあることゆえ、素よりこれに敵することが出来ず、次には宗教と理学との調和などととなへて、聖書せいしょに書いてあることを曲げて進化論の説く所に合はせやうと勉めたが、これまた無理なことゆえ到底とうてい満足には出来ず、今日では最早如何いかがとも仕様のない様になつた。今後は段々だんだん教育も進み、学問が普及ふきゅうするにしたがうて、進化論の解る人も追々えるにちがひないゆえ、宗教の方も進化論と矛盾むじゅんせぬものでなければ、教育ある人々からは信ぜられなくなつて仕舞しまふ。理学上の確な学説と矛盾むじゅんする様なことを説かず、厭世えんせい主義におちいらず、智者ちえしゃ智者ちえしゃだけに、愚者ぐしゃ愚者ぐしゃだけに、これ了解りょうかいして安心立命を得るといふことは、今後の宗教に必要な資格であらう。


第二十章 結論


 前章に述べたことは単に断片だんぺんを並べたに過ぎぬが、進化論しんかろん影響えいきょうする所の極めて広いこと、人間といふ考に基づいた学科は、ことごとそのために研究法を改めなければならぬことなどは、以上の例だけによつてもほぼあきらかに解るであらう。しこうして進化論の事実であることは、学問上すでに、確定してうたがふことの出来ぬもので、今日まだ世間一般いっぱん普及ふきゅうするにいたらぬのは、ただこれを十分に了解りょうかいするだけの生物学知識が世に行きわたらぬにることゆえ、教育の進むにしたがひ、進化論のひろまるは無論である。されば、各方面の学科が進化論によつて大に改まるのも、決して遠い未来のことではない。現に今日でも、すでに進化論にしたがうて改革かいかくこころみた書物が、哲学てつがく・心理学・倫理りんり学・教育学等の方面にも何冊なんさつづゝか出版せられてある、もっとも、今日までにちょされたものが、ことごとく完全であるとはいはれぬが、いずれも今より漸々だんだん起るべき大変革の端緒たんしょ見做みなすべきものばかりである。
 今日までに学問上発見せられたことは、大小合はせて数へればほとんど無数にあるが、其中そのなか思想上にいちじるしい影響えいきょうおよぼした大原理といへば、先づラヴォアジエーのとなへ出した物質不滅ぶしつふめつの説、マイエル、ヘルムホルツ等の発見に係る勢力不滅せいりょくふめつの説およびダーウィンのたしかめた生物進化せいぶつしんかの説であらう。この三つの原理は、今日の所決してうたがふべからざるもので、この三つに矛盾むじゅんする考はことごとく誤と見做みなさなければならぬ。我我われわれの経験には時間にも空間にも感覚力にも一定の際限さいげんがあつて、其以外それいがいのことは全く知る手掛てがかりがないゆえ、以上の三大原理もあるい未来永劫みらいえいごうの真理とはいへぬかも知れぬが、今日の経験範囲はんい以内だけでは、確に真理とみとめざるを得ぬゆえ我々われわれ人間はこれもって実際真理と見做みなすよりいたし方はない。しこうして此等これらを真理とみとめた以上は、これ矛盾むじゅんする旧思想はあやまりとして正さなければならぬが、其中そのなかでも、特に生物進化の論は人間といふ考に直接の関係があつて、総べての方面に大影響だいえいきょうおよぼすものゆえ、速にこれ普及ふきゅうせしめて、従来じゅうらい誤謬ごびゅうあらめることが必要である。

一 思想変遷へんせんの一紀元


 従来じゅうらい人間は一定不変のもので、宇宙うちゅう間に他に類のない一種霊妙いっしゅれいみょうなものであると考へ、総べての事を此考このかんがえの上にゑて居た所へ、生物学の進歩の結果、生物といふものはことごとく共同の先祖から樹枝状じゅしじょうをなして分かれくだり、人間も生物の一種で、此大樹木このだいじゅもく一枝ひとえだに過ぎず、他の生物と同一な規則にしたがうて進化し来つたものであることが解るにいたつたのであるが、この発見は実に人間の思想変遷へんせんの歴史中の一新紀元を開くものといはねばならぬ。
 人間が一定不変のものであるといふ考は、地面が平で動かぬといふ考と同じく、未開の時代から引き続いて来たもので、だれとなへ始めたといふこともなく、みな当然のこととしてうたがはずに過ごして居たのである。然るに知力の進むにしたがひ、実験・観察も精密せいみつになり、従来の考と実際の事実との間に相矛盾あいむじゅんする点のあることに心附こころづき、こゝに初めてうたがいが起つて、なお研究の結果、終に旧思想のあやまりであることを発見するにいたつたのであるが、此径路このけいろの順序は地動説ちどうせつも進化論も全く同一である。
 初め地面はどこまでも平であると思うて居たころは素より、地球の球形であることに気のいた後も、なお地球をもっ宇宙うちゅうの中心と考へ、無数にある星の中で地球だけは一種特別いっしゅとくべつのものであるごとくに思うて居たが、天文学の進歩にしたがうて、地球は単に太陽系統けいとうに属する一の遊星に過ぎぬことが解り、地球を中心とする誤謬ごびゅうは改められて、地球といふ観念が大に公平になつた。それと同様に従来じゅうらいは人間をもっ一種特別いっしゅとくべつのものと考へ、天地万物は人間のために存在そんざいして居るもののごとくに思うて居たが、生物学の進歩にしたがうて、人間は単に獣類けものるい系統けいとうに属する一の脊椎せきつい動物に過ぎぬことが解り、人間を中心とする誤謬ごびゅうあらためられて、人間といふ観念かんねんは大いに公平となつたのである。地球が動くか動かぬかといふことは、学問上からは無論むろん大きな問題であるが、人間日々の生活には余り直接の関係はない。もっとも人間を一種霊妙れいみょうなものとする考から見れば、人間の住所である地球を、他の遊星と同等なものと見做みなすことは、いささか人間の霊妙れいみょうな所を減ずるごとき感が起つたであらう。初めて地動説をとなへた人々が耶蘇やそ教などからおおいきらはれたのも、全くこの感情が基となつた様である。然るに人間がけもの類の一種であるといふ考は、人間自身に直接に関係することで、旧思想を基とした学説は総べてこのために大改革を要することになるゆえ、人間の思想変遷へんせんの上からいへば、地動説に比べてはるかいちじるしい革命かくめいである。今日はまだ此革命このかくめいの初期に過ぎぬが、生物進化論はすでに学術上の事実であるゆえ早晩そうばん地動説と同じく世間一般いっぱんこれみとめるに至るべきは疑ないことで、其時そのときいたれば、旧思想に基づいた学説の大革命は素よりけることは出来ぬ。此革命このかくめいの終つた後から、今日なお行はれて居る旧思想をかえりみたならば、今日から昔行はれた天動説をかえりみるごとくに、何故なぜ斯様かよう明瞭めいりょうなことに気がかなかつたか、何故なぜ斯様かよう間違まちがひながら、平気で居たかと不思議に思ふ位であらう。素より実際においては、今日といえども人間とは如何いかがなるものかといふ様な問題を考へて居る余裕よゆうのない人が大多数をめて居るゆえ、天然にける人間の位置があきらかに解つた所で日々の渡世とせには何の関係もない様にも見えるが、思想界にいていへば、此位このくらいいちじるしい改革かいかくは他に余り類のないことゆえ、進化論の普及ふきゅうは実に人間の思想変遷へんせんの歴史中の一新紀元といふべきものであらう。しこうして人間に関する学問上の説は素より、社会の制度のごとき実際的のものも、の基づく所は其時そのときの思想であるゆえ、人間全体の実際生活の上にも、矢張り影響えいきょうおよぼし来るはあきらかなことである。

二 進化論の利益


 西洋で進化論しんかろん批評ひひょうした人の中には、進化論は学問上の真理であらうが、これが世間一般いっぱん普及ふきゅうした日には、従来じゅうらい礼儀れいぎ道徳どうとくなどが根柢こんていから破壊はかいせられて、人間の安寧あんねい・幸福が全く害せられる様なことはなからうか、今日の結構な礼儀れいぎ・道徳はことごとく旧思想に基づいて居るものゆえ、旧思想と衝突しょうとつする様な論は、たとひ真理であつても、成るべくして置いた方が社会のために利益ではあるまいかといふ様な説をいた人もあるがこれは全く無用な心配でもあり、かつ到底とうてい行ふことの出来ぬ説である。先づ真理である以上は、これ人為じんい的に圧伏あっぷくすることは到底とうてい出来ぬ。地動説をおさけるために、耶蘇やそ教が幾人いくにんの人を殺したか知れぬが、終に何の効もなく、今日では尋常小学じんじょうしょうがっこう子供こどもまでが解らぬながら地球の動くことを知つて居る。されば、たとひ仮に今日の社会に有害であるとしても、真理に抵抗ていこうするのは無益であるが、進化論のごときは決して害なきのみならず社会進歩の上にはなはだ有益なものである。
 学問上一の真理の発見せられる度毎たびごとに、それに反する旧思想がやぶられ、其上そのうえに建てた制度が改められることは、当然であるが、そのために社会の安寧あんねいがいせられるといふ様なことは決してない。学問上新しい真理の発見せられるのは、偶然ぐうぜんなことではなく、発見せらるべき時機じきに達したゆえに発見せられるのであるから、全く知力進歩の必然の結果であるが、新しい真理を見出すまでに知力の進んで来た人間の社会を前代からの遺物いぶつとも見做みなすべき旧制度でまとめて行くことは、はなはだ無理である。それゆえ、新しい真理が発見になつた場合には、むしろ速に其真理そのしんりしたがうて改めて行く方がはるかに利益が多い。ウォレースが其著書そのちょしょの中に「今日の理学上の進歩およ其応用そのおうようの発達に比較ひかくし見ると、政治の仕組、行政、法律ほうりつ、国家教育を始め総べての社会上・道徳上の制度はなお実に野蛮やばんな状態に留まつて居る」と書いた通り、今日の開化はただ表面が開化らしく見えるばかりで、其内部そのないぶうかがへば、少しも野蛮やばん時代と異なつた所はない。汽車が通じ、電話がりなどして、表面は如何いかにも立派りっぱであるが、これを何のために用ゐるかと問へば、其目的そのもくてき野蛮やばん時代にけると同一である。これは少しでも注意して社会を観察する人はみな知つて居ることゆえ、改めて説くにもおよばぬが、現今の社会では、知力は時世相当に進歩して居るにかかわらず、制度の方は時世よりはるかおくれて居るゆえ、人間のすことはみないつわりとならざるを得ない。一例を挙げて見るに、友人の葬式そうしきに会した人々は、僧侶そうりょ奇妙きみょうな衣服を着し、奇妙きみょうな声を張り上げて一種の歌のごときものを歌うて居る間、真面目な顔をしてつつしんでいては居るが、これを真に有難ありがたく思うて居るものは、極めて少い。葬式そうしきごときはいずれにしてもよろしいが総べての仕組がほとんみな此通このとおりで、進んだ知力を持つた人間が、時世おくれの制度にしたがうて居ることゆえ人為じんい的に表面だけを整へることは出来るが、実際の効力ははなはだ覚束ない。人を教訓するための制度は実際人を教訓する効力を有せず、悪人を懲罰ちょうばつするための制度は実際悪人を懲罰ちょうばつする効力こうりょくを有せず、儀式ぎしきに列するものはほとん狂言きょうげんえんずる心持ちで居るのが、今日文明国の常態のごとくに見えるのは何に基づくかといへば、総べて知力と制度との不釣合ふつりあいから起ることである。
 以上のごとき表面だけ開けて実際は野蛮やばんである有様を改めて、真の開化に進めることは、従来の旧思想に基づいた人造的の仕組では到底とうてい出来ぬ。これには先づ自然にける人間の位置を考へ、人間とは如何いかがなるものであるかを実験的方法によつて公平に研究し、其結果そのけっかに従うて制度を改良するの外はない。およそ人種の進歩は、あたかも汽車の進行のごときもので全部ことごとく前へ向うて進んで居るにはちがひないが、機関車きかんしゃと最後の客車との間は随分ずいぶん相隔あいへだたり、機関車が隧道ずいどうを出てから余程過よほどすぎた後でなければ、最後の客車が隧道ずいどうから出て来ぬ通り、一人種の中でも知力の進んだ人等が初めて真理の光をみとめるころには、大多数の者はなお迷信のやみの中にさ迷うて居る。されば人種全体の知力の平均することは、素より望めぬことで、その多数は常に時世より幾分いくぶんおそれて居るものゆえ従来じゅうらい儀式ぎしきの中でも人種の維持いじ繁栄はんえい手段しゅだんとして残して置くべきものも種々あらうが、知力の程度と余りはなはだしく懸隔けんかくするものは、ただ滑稽こっけいに終るばかりで、何のこうもない。また社会の制度のごときも、人種の維持いじ繁栄はんえいに有功な所行をなしたものは何処どこまでも尊重そんちょうし、これに有害な所行をなしたものは出来るだけきびしい制裁せいさいを加へ、従来じゅうらい人為的じんいてきに自然淘汰とうたの働きを止めて居たごとき制度は全くはいして、知力・健康ともにすぐれたものは必ず勝ち、おとつたものは必ず負ける様な仕組に改めなければならぬ。くすれば自己じこの属する人種の進歩改良は自然に行はれ、他人種との競争に当つて勝つべき見込みこみ益々ますます多くなる。されば、進化論が世間一般いっぱんみとめられるにいたれば、多少の改革かいかくまぬがれぬかも知れぬが、其結果そのけっかは決して社会の安寧あんねい秩序ちつじょみだすといふ様な有害ゆうがいなものではなく、自己じこぞくする人種が益々ますます進歩し、各自ぎょうはげんで競争に勝ちさへすれば、其子孫そのしそんさらに有力な人種として益々ますますさかえるべき機会を得る訳ゆえ、競争をきらはぬだけの勇気ゆうきを有する者から見れば、実に有望ゆうぼうなものである。ノルダウのちょした「文明世界に行はれる便宜上べんぎじょう虚偽きょい」と題する書物には幾分いくぶんか今日の社会の真相を画いてあるが、若し今日のままの制度でゑ置いたならば、罪悪ざいあく未然みぜんふせぐべき道徳どうとくは単に形式に止まり罪悪を已然みぜんに制すべき法律ほうりつ其網そのあみの目をもぐるだけの智慧ちえのある者には力がおよばず、またこれれた場合にも往々刑罰けいばつが軽過ぎて、少しも懲戒ちょうかいこうがないゆえ如何いかに人種維持いじの上に不利益な所行をする悪人でも、智慧ちえさへあらば勝つて栄え、これかがみとして成効せいこうを急ぐ若者わかものことごと其所行そのしょぎょうを学ぶから、知力の進むにしたがうて益々ますます人種内の罪悪ざいあくえ、罪悪がえれば人種としての勢力せいりょく退歩たいほして、異人種間の生存競争に勝つ見込みこみが減ずる。もっとも今日ではいずれの人種もくのごとき有様であるゆえる人種だけが特にこれうれふる必要はない様にも見えるが、数多の異人種いじんしゅが相対立して生存競争せいぞんきょうそうをして居る場合には、一刻いっこくでも速く此境遇このきょうぐうだっしたものが勝を制するはずゆえ、自分の属する人種内の社会制度の改良を図ることは、今日最も急務きゅうむで、実際有効な改良策かいりょうさくを考へ出すためには、先づ進化論しんかろんによつて自然にける人類の位置をあきらかにし、人間とは如何いかがなるものかを知ることが必要である。く考へて見ると、進化論はただに人間の社会に対して無害であるのみならず、人種の維持いじ発達のためには極めて有益なものといはねばならぬ。

三 基本学科としての生物学


 進化論しんかろんが人間の思想全体にいちじるしい影響えいきょうおよぼすものであることは、以上述べた通りであるが、進化論といふものは、元来生物学上の一大事実を記述したものゆえこれを十分に了解りょうかいするには予め生物学の大意を知らねばならぬ。また生物学には進化論の外にも人間の思想に種々の影響えいきょうおよぼすべき事実はなお沢山たくさんにある。例へば生命とは何か、死とは何かといふ問題、生殖せいしょくの現象、物質新陳代謝しんちんたいしゃのことなどに関する事実のごときは、これを知ると知らぬとでは、一般いっぱんの考にいちじるしい相違そういがあるが、事実を知つた後の考が正しくて、知らぬ前の考が間違まちがひであることは言ふまでもないことである。人間が一種の生物である以上は、人間に関して正しい観念を得るためには生物学によらなければならぬが、人間といふ考はほとんど何学にも入用なことで、ほとんど総べての思想の根柢こんていともいふべきものゆえ如何いかがなる学問をおさめるにも、如何いかがなる業に従事じゅうじするにも、其素養そのそようとして生物学を一通り心得こころえて置くことは極めて有益ゆうえきなことである。昔の時代に動物や植物を調べた人は、所謂いわゆる博物学者はくぶつがくしゃで、ただめずらしい植物を集めてよろこんだり、不思議ふしぎな動物をさがし出し・他人にほこつたりして居たゆえ、世の中からはほとん奇人きじんごとくに思はれて、一般いっぱんの思想界には何の関係もなかつた。特に日本・支那しなでは本草家ほんそうかと名づけてあたかも医者の下職人したしょくにんとして、薬物の真偽しんぎを調べる役のごとくに見做みなされ、自分も其積そのつもりで山へ植物をりに行くことを採薬さいやくなどととなへて居た様な始末しまつゆえ、素より学問と名づける程の価もなかつた。今日でも、博物学者としょうする人々の中には、単に種類の識別しきべつのみにかたまつたり、めずららしい種類を集めて新しい学名をけることばかりにほねつたりして居る人も、随分ずいぶんあるゆえ世人せじんは博物学といへば矢張やは斯様かようなものかと思うて居る様であるが、今日の生物学といふものはこれとは全くちがふ。其研究そのけんきゅうする目的物は、同じく動植物であるが、構造・作用・生活の状態、発生の順序などから、其進化そのしんか径路けいろまでを実験と観察かんさつとによつて研究し、生物界に現れる現象の原因をさぐり求めるものゆえ、生物に関する実験哲学じっけんてつがくとも名づくべきもので、決して在来の博物学と混同こんどうすべきものではない。今日動植物を研究する人人を大別たいべつすれば三組ある。第一はただ真理を見出すためにこれを研究するもの、第二は応用の目的をもっこれを研究するもの、第三は娯楽ごらくのために研究するものであるが、近世の生物学と名づけるものは、其中そのなかの第一にぞくする人々の研究で、今日までに発見になつた事実は、一般いっぱんの思想に対してすこぶる重大な影響えいきょうおよぼすべきものが多い。特に人類に関する事実はだれにも興味きょうみの深いもので、我々われわれ人間が各々おのおの父の精虫せいちゅうと母の卵細胞らんさいぼうとが合してから後、如何いかおどろくべき変化を歴て、終に幼児ようじの形をなすにいたるものかといふことなどをくわしくけば、だれの心にもながく印象が残つて、其後そのごの思想の全般ぜんぱん影響えいきょうおよぼすにちがひない。また此等これらの事を一通り知つて、進化論しんかろんを聞けば、明瞭めいりょうこれを理解することが出来る。進化論が人間の思想に偉大いだい影響えいきょうおよぼすものであることは、前に述べた通りであるが、生物学にはなお其他そのほかにも思想上に利益りえきあたふべき点が少くないゆえ文学をおさめる者も法学を修める者もまた其他そのほかの学科にこころざす者も、其専門そのせんもんとする学を修める前に、一通り生物学の大要だけを学んでくことは、社会の進歩上きわめて有益なことである。法学ほうがくを修めるものは初めから法学ばかりを修め、文学を修めるものは初めから文学ばかりを修めるといふ様なり方は、一個人としては進歩が早いかも知れぬが、他の学科の素養そようが全くないため、学問上如何いかがなる真理が発見せられても、これ了解りょうかいすることが出来ず、依然いぜんとしてあやまつたままに留るゆえその学科自身の進歩は容易よういのぞむことは出来ぬ。今日は学問が漸々だんだん細かく分かれて、学問の種類の数が非常に多くなつて居るゆえ、何をも一通り学ぶといふことは素より出来ぬが、生物学のごと一般いっぱんの思想にいちじるしい影響えいきょうおよぼす基本学科を修めぬといふは、極めて不得策であらう。一寸ちょっと考へると、これを学ぶことは時間のかゝることで、今日のごといそがしい世の中では損得つぐなはぬ様に思はれるが、これによつて得た新思想は、専門せんもんの学科を改良し、進歩せしめるに当つて、大いに有力なとなるものゆえ、初めついやした時間をつぐなうてなお余りあることは、確である。著者ちょしゃは生物進化論が学問上の事実であることを知り、進化論の普及ふきゅうは社会のために極めて有益であることを信じ、進化論しんかろんを十分に理解するには先づ生物学の大体を知ることが必要であると考へるゆえに、何学を修める人に向うても、先づ生物学の一般いっぱんを学ぶことを切に希望する。くして進化論が漸々だんだん普及ふきゅうしたならば、今日地球が太陽の周囲を廻転かいてんすることが小学読本に出て居るごとくに、「人はけもの類の一種にして、さると共同なる先祖よりくだりたるものなり」といふ文句もんくが小学読本のページに現れる日の来るのも決してはなはだしく遠い未来みらいには属せぬであらう。


略字置換---->>>
'鶏'=※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)
'モグラ'=※(「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84)
'イモリ'=蠑※(「虫+原」、第3水準1-91-60)
'蝉'=※(「虫+單」、第3水準1-91-66)
'油'=※(「虫+冴のつくり」、第4水準2-87-34)
'鴎'=※(「區+鳥」、第3水準1-94-69)
'足付'=※(「足へん+付」、第3水準1-92-35)
'需頁'=※(「需+頁」、第3水準1-94-6)
'夾頁'=※(「夾+頁」、第3水準1-93-90)
'手宛'=※(「てへん+宛」、第3水準1-84-80)
'火欣'=※(「火+欣」、第3水準1-87-48)
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底本:「近代日本思想大系 9 丘浅次郎集」筑摩書房
   1974(昭和49)年9月20日 初版第1刷発行
入力:矢野重藤
初出:進化論講話
   1905(明治37)年「東京開成館」
校正:
YYYY年MM月DD日作成
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