他力
教育とはこれまで人の用いぬ
名称であるゆえ、まずその意味を明らかにしておく
必要がある。
我ら(注:わたし)がここに他力教育と
名付けるのは、教える
側の者が、あらかじめ
生徒に
信ぜしむべき
個条(注:ある
事柄をいくつかに分けて
並べて
述べた一つ一つの
条項)を定めておき、いやおうなしにこれを
生徒の頭に
押し
込もうとつとめる
流儀(注:やり方)の教育をいう。すなわち
生徒をして決して自由に考えしめず、すべて
教師が考えさせるとおりに考えるくせをつけて、少しも
疑いを起こすべき
余地を
与えぬようなやり方の教育をかく
名付けたのである。
さてかような教育は
如何なる時、
如何なる時、
如何なるところで行なわれるかというに、これは上に立つ者が
困難なしに
下々を
治めようと
欲する場合に
必ず用いる
常套手段(注:
決まりきったいつものやり方)である。昔の
政治家は「
民は
依らしむべし知らしむべからず」(注:
為政者は人民を
施政に
従わせればよいのであり、その
道理を
人民にわからせる
必要はないということ。
人民が
知ると
面倒だ)と言うたが、これは下を
治めるには
最も
都合のよい
方針で、そのことがよく行なわれている間は、
政治はまことに楽にできる。しかし、全く知らしめぬとういことは、とうていいつまでも
続かぬゆえ、次には、これを「
論ぜしむべからず」と
改めた。
民が自由に
議論をするようでは、
治めるのにはなはだ勝手が悪いからである。しこうして
論ぜしめぬためには、他力教育をほどこすのほかはないゆえ、
専制時代の教育はことごとく他力教育であって、
教師はいつも
治める者の
指図に
従い、その者等に都合のよい考えを
生徒の頭に
詰め
込むことをもっぱらのつとめとした。それゆえ、昔は太平の
続く間は教育はことごとく
御用の
他力教育であって、
異端の教育が
公然と頭を持ち上げるのは、
必ず
治める者の
権力が
薄らいだころに
限り、まさに
革命の起こらんとする
前徴(注:きざし)であった。
元来教育なるものは、手本を
示して
生徒に
真似させるのが本体である。鳥や
獣が子に
飛ぶこと、
餌を取ることなどを教える場合には、
必ず親が自身に手本となって子に
真似をさせる。学ぶと言うのも、習うと言うのも
実際真似することを言うに
過ぎぬ。かように教育は元来が他力
的のものゆえ、
御用の
目的にこれを用いるには
最も
適している。昔は教育が
簡単でほとんど全部が他力教育であったが、今日のごとくに学科
課程がたくさんに分かれては、おのずから、その中に他力教育に用いて都合のよい学科とそのほうにはあまり役に立たぬ学科との
別が生じた。
修身科(注:教育
勅語をよりどころとする
道徳教育)が他力教育の
方便として
最も
重要であるべきは言うにおよばぬが、
歴史や国語も学科の
性質上、そのために大いに
利用ができる。また
唱歌(注:
歌をうたうこと)のごときも、
効果の
如何は
別問題として、その方面に
利用せられる
傾きがある。
自動
主義とは教育者の間には
如何なる意味に
解釈せられているか知らぬが、読んで字のごとしとすれば、
生徒をして
自ら動かしめる
主義である。動かしめるのは、
筋肉ばかりではなく、
脳髄のほうも自ら動かしめるのであろうから、これは
従来の他力
主義とは全く正反対でなければならぬ。昔の教育がほとんど全部他力
主義であったのに、近ごろにいたって、その反対の自動
主義がボツボツ
唱え出されたのは
何故かというに、
我らの考えによれば、これは全く数年前に
比して、自由に考える人間の数が大いに
増したからである。自由に考える人が
増せば、世間
一般の
風潮(注:時代の
推移に
伴って
変わる世の中のありさま)が自動
主義に
傾き、いずれの方面にも、その
傾向を
示した意見が発表せられるであろうから、
如何に世界の
大勢に
遅れ勝ちの教育者界でも、この気運には引きずられぬわけにはゆかず、おくればせながらようやくこのごろにいたって
主張し始めたものと見える。されば自動
主義なるものは、全く時代の
要求によって、
自然に
現われたもので、
誰が
主唱者(注:中心となって
主唱している人)であるとか
発頭人(注:事をくわだて
起こした人)であるとか、
特に一人の名をあげて
論ずべき
性質のものではない。
仮に
甲が
唱え出さなかったとすれば、
必ず
乙が
唱え出したであろう。しこうして、今後はその声が
次第次第に高くなりゆくであろうと思われる。
さて自動
主義の教育が
完全に行なわれたならば、いかなる
結果を生ずるであろうかというに、年のゆかぬ小学校の
生徒はともかくとして、もはや中学校くらいになれば、何ごとでも自身に考えて見てなるほどと
得心のできることでなければ決して
信ぜぬようになる。すなわち
独立自尊の
精神が
充分に
養成せられて、何ごとでも
独力で自由に考え、
誰が何と言うても、本に何と書いてあっても、自分で
信ずべき
価値ありと
認めたことのほかは決して
信ぜぬ。
徹底した自動
主義ならば、これを受けた
生徒は
必ずかような人間になるべきはずであって、もしもかくならなかったならば、これはまだ真の自動
主義の教育とは言われぬわけである。
他力教育は注文どおりに物を
信ずることを
生徒に
要求し、自動
主義の教育は何を
信ずべきかを自身で
判断することを
生徒に
要求する。他力教育が
成功すれば、世はこりかたまりの
信者ばかりとなり、自動
主義の教育が
成功すれば、自由
思想家がぞくぞくと
現われる。かくのごとく他力教育と自動
主義の教育とは
目的とするところが正反対で、一は東に向かい一は西に進むというごときものゆえ、もしも両者を同時に合わせ行なおうと
試みれば、その間に
衝突の起こるをまぬがれず、一方が
効果をあげるだけ他方は進歩を
妨げられざるを
得ない。昔の教育は全部
他力的であったゆえ、教育事業の
範囲内に一の部分と他の部分との間の
衝突がなしにすんだが、その後、教育が
複雑になり、学科の数が多くに分かれ、同じ一人の
生徒の受ける教育の中で、一部分は
絶対に
他力主義により、他の部分はなるべく自動
主義に重きをおくようになれば、
勢い二者の間に
暗闘(注:
表立たない
形で、ひそかに
争うこと)の行なわれるを
避けることはできぬ。
造物主エホバが六日間に天地万物を
造ったとか、
初めアダムを
造り次にアダムの
肋骨一本を
抜き取ってエバを
造ったとかいうごときことを
誰も
真面目に
信じ
得たころには、何の
不思議もなしにそれですんだが、小学校の
課程に理科などを
加えるような時世になっては、とうてい昔のごとくに他力教育が
功をほしいままにすることはできぬ。
仮に国語読本の中に、
文福茶釜は
狸の化けたもので、ときどき頭や
尾を出して
巧みに
綱渡りをしたという
一課(注:ひとつの
授業)があると
想像し、第一
時限にはこれを
授け、次なる第二
時限には「あぶらな」の実物をめいめいの
生徒に持たせ、
独力でこれを
観察せしめると
仮定したならば、
生徒の頭の内では
如何なることが起こるであろうか。めしべが一本あり、おしべが六本あり、その中の四本が長くて二本が短いというごとき
些細なことまでも、一々
実物で調べて見た上でなければ
承知せぬという
気風が「あぶらな」の
授業で
養成せられたならば、
文福茶釜の
奇怪(注:
常識では考えられないほど
怪しく
不思議なこと)なお話は
当然疑いの目をもって見るであろうから、他力によって
強制的にこれを
信ぜしめることはすこぶる
困難となる。かような次第であるゆえ、時世がある
程度まで進んだ後は、教育事業の
範囲内で、他力と自動との間に
勢力争いの
暗闘が生じ、
次第に
争いが
激しくなるのを
避けることができぬ。
以上述べたごとく、
時勢(注:世のなかの
成りゆき)が進んで、自由に考える人が
殖えれば、教育者界にも
自然に自動
主義が
唱えられるようになり、
従来の他力教育との間に
暗闘の生ずるをまぬがれぬが、この
争いは
如何に
結着するであろうかと考えるに、何ごとも自由のほうに
傾くことは
時勢のしからしめる(注:そういう
結果・
状態にさせる)ところであって、とうてい
防ぎ
止めることはできぬであろうから、
独り教育のみが
超然たることはもとより
不可能のことで、
結局は自動
主義のほうが勝ちを
制するであろうと
信ずる。世間
一般に自由に考える人が多くなれば、新聞
雑誌、
小説、
演劇等にも
絶えず自由な考えが
現われるゆえ、自動
主義の教育は
間接の味方を
無数に持つわけになり、その
結果として、自由に考える人の数がさらに
一層多くなる。他力教育の味方は、ただ
治める
側に立つ者と他力教育によって
容易に
化せられるような
劣等な
頭脳の持主だけにとどまるゆえ、とうてい相手と
拮抗(注:力に
優劣がなく
互いに
張り合うこと)して進むことはできぬ。されば、
時勢が
或る
程度まで進めば、
自然に
捨ておいても教育は大部分自動
主義のものとならざるを
得ない。他力教育の
命脈(注:
生命のつながり)はそれまでの間であるが、しかも、それまで
継続せしめるには
特別の
保護を
要する。すなわち
治める
側に立つ者が
剣の力によって
護れば他力教育はその間だけ
存在し
続けることができるが、もとより
無理な細工であるゆえ、
周囲から
種々の
異なった有力な思想が
押し
寄せてくると、すこぶる
危険な
状態におらねばならぬ。自由に考える人が多数になった
暁には、ただサーベル(注:
軍人や
警官が
腰に下げた
西洋風の
細身で
片刃の
刀)をもって
支えるのほかには
途はなかろう。
武装的中立という言葉があるが、時世におくれた他力教育はただ
武装によってのみわずかにその
命脈を
保つことができる。かく
比較して見ると、他力教育なるものは、
治める
側の者が、これを
必要と考え、
権力によってこれを
強制することのできる時代だけに行なわれるべきもので、しかも
実際に
継続するのは
単に外形にとどまり、
内容のほうは、何の
価値もないものとして、
誰も
心中には少しもこれを
尊重せぬ。かつては教育の全部を
占め、その後も引き
続いて
有効であった他力教育も、
時勢が
変化しては
如何ともいたし方なく、もしも
強いて、これを
保存しよう(注:
残そう)とつとめたならば、ついには近ごろの自動車の
泥除けと同じくただぶらさがっているだけで、何の役にも立たぬのみか、かえって
泥をはねて、通行人の反感を
増すようなことになるであろう。
(大正八年十一月)