このたび本書の
新版を出すにあたって、
書肆からなるべく多く
追加原稿をそろえてつけるようにとの
要求を受けたが、
前版以後におりおり
雑誌上にかかげた文は
別に「
煩悶と自由」と題して、
最近に
出版したゆえ、本書に
追加すべきものはほとんど一つも
残っていない。ただしせっかく
新版を出すにあたって、全く
旧版のままにしておくことは、なんとなく思想発表の
好機を
逸するような心持ちを
禁じえぬゆえ「
煩悶と自由」の終りに
特に
一篇を書きそえた
例になろうて本書にも新たに一文を書きつづって
巻末に
追加することとした。
ここに「われらの
哲学」という題目を
選んだが、これは決して今日新たに思いついたものではない。実は今より三十六年も前から
夢みていたことで、いつか一度は自身の考えの全部を一つの
哲学系統として整理してみたいとの
希望は、すでにそのころからわれらの
胸中にあった。また、ある時は「
(孤独遺書)
想邪乃話」という表題で、世人が理由をたずねず、ただ言い聞かされるままに
信じている
事柄を、
根柢から
掘り返して
論じてみようかなどと
考察をめぐらしたこともあった。これらはいずれも
若い時の空想に
過ぎず、今日となってはもはやそのようなものができぬは明らかであるが、われらの思想の
基礎観念は今日といえども少しも
変わらず、かつこれまでに読んだ少数の
哲学書には、それと全く同じような考え方はどこにも見当たらなかったゆえ、次にひととおりその
要点だけを
述べ、それを
基礎とした物の見方をいくつか
掲げておこう。
われらは今日までに
何冊かの
哲学書を読んでみた。中にはおもしろいと思うて数回読み返したものもある。しかるに
一冊としてそのまま取って自分の
哲学とすることのできたものはない。これはおそらく読む前から自分自身の
哲学を持っていたからであろう。
徳利でも
空のものには水を注ぎ入れることができるが、水がいっぱいにはいっている
徳利にはもはや水がはいらぬごとく、自身にすでに一人分の
哲学を
貯蔵している者は他人の
哲学を読んでみても、ただ
面白いとかつまらぬとか感ずるだけで、決してそれによって、自分の思想界を
占領せらるるごときことはない。われらの
哲学の
骨子は次の
三節に
述べるとおりであるが、かようなことを考え始めてからのちは、何物を見ても何事を聞いても、いつも
必ずその見地から
判断を下し、今日にいたるまで、物の考え方ははなはだしく
変わらなかった。われらがいかなる書物をも
鵜呑みにすることができず、いかなる学者をも
崇拝するにいたらなかったのは全く自分の
哲学を
尺度として、他人の
説の
寸法を
測ったからである。また
実際に
照らしてみても、われらの
哲学から見て
誤っていると思われる
説は、たとえ一時世間から持てはやされることはあっても、時の
経るにしたがいその
誤りなることが
暴露したものがすこぶる多い。それに反しわれらの
哲学に
基づいて立てた
論は、その当時はげしく
駁撃せられたにかかわらず、後にいたって着々事実によって
証明せられた。さればわれら自身からみれば、われらの
哲学がむろん一番正しいもののように思われるが、さらに
翻って身を第三者の
位地において
側面から
観察すると、自分の
哲学だけが正しくて他の
哲学はことごとく
誤っていると
堅く
信じている人間が何千人も何万人もいる中に、自分もその一人として
加わっているに
過ぎぬゆえ、正しい
籤を引き当てるプロバビリテは実に
薄弱であることを
充分に
承知せざるをえない。
哲学は先から先へと
連続した思想の一
系統であるが、多くの
哲学者はまず
議論の出発点となるべき
基礎を
探り
求め、それを土台としてその上に
理屈を
築き上げようとつとめる。
河に鉄橋をかけるときには、
橋杭をだんだん深くまで打ち
込み、もはや決して下るところのない
堅固な岩に
達すると、それで安心して、
杭の上に
橋桁をおいたり、
欄干をつけたりするが、これはもっとも千万なことで、土台の定まらぬ間は、もちろん重い物をその上に
積むことはできぬ。
砂の上に
楼閣の
築かれぬはだれも知っているとおりである。
哲学者もこれに見習うたものか、まず
押してもたたいても決して
揺らぐことのないようなある物を
求め、これを考えの
基礎に用いようとするが、たいがいの物は
疑えば
疑えるもので、ありと思えばあり、ないと思えばないとも言えるゆえ、決して
疑うことのできぬというような物をしいて
求めると、
結局はデカルトのごとくに「われは考える、ゆえにわれはある」というようなところに
達する。十人十色で物の考え方は一人一人に
違うても、何か動かぬ
基礎の上に考えの一
系統を組み立てようと
欲することはほとんどすべての
哲学者に
共通の心理であるようにみえる。ところがわれらの考えによるとこれが多くの
誤謬の
源である。
物は何でも手近にあるほど
確かに知ることができる。たとえば物の大きさを
測るにしても、
机や本箱ならば
物差しをじかに当てることができるゆえ、その
物差しの
示す
程度においてはすこぶる
正確に
測れる。すなわち
幾人が
測っても、何度
測っても
結果はまず同一であって、同じ
机が二
尺五
寸になったり二
尺六
寸になったりすることは決してない。しかるに道路の長さを
測る場合には、長い
物差しを一度に当てて
測るわけにはゆかぬゆえ、
比較的はなはだ短い
物差しで一小部分ずつを
継ぎ
継ぎに
測り、のちにこれを合計して全部の長さを出さねばならぬが、わずかにこれだけの手数がかかってももはやその
結果はやや
正確でなくなり、二度
測れば二つ、三度
測れば三つの
相異なった長さが出るゆえ、
結局はこれを
平均した長さを
採用しておくよりいたし方はない。
物差しをじかに当てずに他の
方法によって
測量する場合には、手数を重ねることがさらに
余計になるだけ、
正確の
程度がさらに
減ずる。
富士の山の高さが海面上一万何千何
尺と何
寸何分というような計算が出ても、
最後の三
桁か四
桁は実は何の意味もない。ガリバー
探険物語にある学者の国のごとくに仕立て屋が
六分儀や
水準器を持ち出し、角度から
割り出して
仮縫いの
寸法を取るようではいかなる洋服ができ上がるか分からぬ。
小さなほうもこれと同様で、じかに
物差しの当てられぬ場合には
間接の
測定法によらねばならぬが、
方法が
間接であればあるだけ、
結果は
不正確にならざるをえない。
最高度の
顕微鏡でなければ見えぬような
微細なバクテリアの長さが〇・〇〇三五ミリメートルあるとか、
顆粒の
直径が〇・〇〇〇八ミリメートルあるとか書いてあるが、
実際にこれを
測るにあたっては、実物からきた光線も、ミクロメートルからくる光線もいくつものガラスを通って
屈折し、いくつもの
鏡に当たって
反射してくることゆえ、どこに少しの
誤りがあってもじきに
結果が
狂うて、決して
正確なことが知られぬわけである。まして
幾回も数字を
寄せたり、引いたり、
掛けたり、
割ったりして、ようやく出てきた計算の
結果である場合には、その
正確の
程度は大いに
怪しいものと考えねばならぬ。物の目方のごときもそのとおりで、牛肉を一
斤とか、パンを
半斤とかいうときにはまず
誤りはないが、地球の重さが何千何百万トンなどという計算になると
推測や
仮定を
幾段もくぐつてきているゆえ、どのくらいまで
信じてよろしいやらほとんど見当がつかぬ。
その他、空間においても、時間においても、また
原因結果の
連鎖に
関しても、
最も
正確に知ることのできるのはいつも自身に
最も近く、かつ
取扱いに
最も手ごろな部分だけに
限られる。目の前に見えるところにくらべると、
隠れたところはよく分からず、遠くて見えぬところはさらによく分からぬ。町をへだて国をへだてれば、遠ざかるだけ、知りうることが
正確でなくなる。
実際行なわれていることはただひととおりよりないことが明らかであるにかかわらず、その
報道は実に
区々である。
何某が
過激派のために
捕えられたと言うかと思えば、すでに
国境を
越えて
某所にかくれていると
説く者がある。
某所のストライキが
無事に
落着したと
報ずる者があれば、また
一説には、なおますます
盛んで、いつ
治まるか
見込みが立たぬと言うている。同一の人間が同時に二ヵ所にいることはできず、同一のストライキが同時におさまりかつ
盛んになることは
不可能であるゆえ、いずれか一方は
誤りに
違いないが、
距離が遠いとこれを
鑑別すべき道がない。時間についてもこれと同じく、
昨日や今日のことならば
真偽を見分ける
途もあるが、古い昔のことになると、あったことやらなかったことやら
容易に分からぬ。長い間だれもが
確かに生きていたと
信じていた有名な人物が
歴史家の研究の
結果、実はいなかった人であると
抹殺せられることさえしばしばある。
窓の下を
呼んで歩く号外売りの言うことが
区々であるのを聞いて、今日起こった
事件の
報知でさえ、かくさまざまである
以上は、昔の話などはとうてい当てになるものでないと言うて、手に持っていた
歴史の書物を
破り
捨てた人があるというが、
現在からへだたればへだたるほどその時に
関する
知識が
不正確であるはやむをえない。すでにすんだ
過去でさえそのとおりであるから、これからのちの
未来に
関して予想
的知識の
不確実であるべきはもとよりいうにおよばぬ。
かくのごとく人間の有する
知識なるものは、自身に
接近したところがいちばん
確かであって、自身から遠ざかるにしたがいだんだんと
不正確になり、一定の
距離を
超えれば全く
皆無となる。そのありさまはあたかも
暗夜に
提燈を下げて立っているに
異ならぬ。光は発光体から遠ざかるにしたがい、
距離の
自乗に反
比例して力が
減ずるが、
知識の
確実さの
程度もおそらくこれと同じか、あるいはそれよりもなおいっそうはなはだしい
割合で、自身から遠ざかるだけ
減じてゆくごとくに思われる。
特に
原因結果の
鎖を
手繰って、先から先へと考えを進めてゆく場合には、
鎖の
輪から
輪に
移りゆくたびごとに
誤りの
滑り入るべき
隙があるゆえ、いくつかの
輪を
手繰っている間にはずいぶん多くの
誤りが
混ずるを
避けられぬ。
仮に
推理の
一段ごとに一
割の
誤りがはいり
込むと
想像しても、五
段目には
約半分の
誤りを
含むことになるが、たいがいの場合には
誤りの
量はなかなか一
割くらいではすまぬゆえ、二
段三
段と
理を
推していると、当人の知らぬ間にほとんど全部が
誤りとなり終わるおそれがある。さてかように考えながら
従来の
哲学書を読んで見ると、いずれも出発点の
選み方を
誤っているように思われる。
議論の立て方は人びとによってまったく
違うが、いずれの
哲学者も
推理によって先から先へと考え
込み、かくしてようやく
到着しえたところを
基礎として、その上に一組の
議論の
系統を
築き上げようとしている。しかるにわれらのごとく、人間の
知識なるものはあたかも
闇夜の
提燈と同じく、ただ近いところが見えるだけで、遠いところほど光が
怪しくなると考えるものから見ると、これは全く
順序を
転倒したやり方で、一番
不確実なところに土台をおいて、それによって万事を
了解しつくそうと苦心しているのである。しこうしてなぜそのような
愚かなことをなすのかというに、その理由は
確かに
類推の
誤りにあるらしい。すなわち前に
述べた鉄橋、その他の土木
建築では、まず土台を
固めてすべての物をその上に
積み上げるが、人間の
知識もその
流儀でゆかねばならぬと思い
込んだゆえである。われらはかような考え方の
哲学を
総括して
橋杭哲学と名づけるが、
実際の
橋杭のほうは深く打ち
込むほど
堅固になり、ついには土台の岩石に
達するに反し、
哲学の
橋杭は深く打ち
込むほど
確実性が
減じ、ついには雲をつかむごときことになるゆえ、かれとこれとを同様にくらべるのは大きなまちがいである。今後の
哲学は、よろしく出なおしてまず
提燈の光のもっとも明るいところを出発点とし、それより
次第に
半径をのばして
周囲の暗黒界に
知識の
領分をひろげゆくようにとつとめねばならぬ。
しからば光のもっとも明るいところとはどこかというに、われらの考えによれば、これはいまだ
哲学などに
捕えられぬ
子供の心である。
哲学などを考えぬ前の
子供たちがだれもあると
信じていることは、まずあると見なしてかかり、あるともないともまるで問題にしていないことは、まず問題にせずに
捨ておき、かような
状態を出発点として、
次第に
知識を
増補したり、
誤りを正したりしてゆけば、おそらくはなはだしい
誤謬におちいらずに進んでゆくことができよう。
子供らには自分の目の前の見えている人が、はたして真にいるものか、それとも、ただ自分がかく感ずるだけで、
実際にはその人は
存在しておらぬのではなかろうかなどとむだなことに頭を
悩ます者は一人もない。目の前に見える人間はたしかにそこにいると
信じて、これについて
疑うてかかるような
隙人があろうとは
夢にも思わずにいる。青い木でも、赤い花でも、
堅い石でも、
柔かい
豆腐でも、みな、見えたとおりのその物が
確かにそこに
存在していると
固く
信じて少しも
疑わぬ。
提燈の光のもっとも明るいところはすなわちここである。何を
信じ何を
疑うかは人々の勝手であるが、われらから見れば、
子供らのこの
状態のほうが
幾段も
推理を重ねた
哲学者の
結論よりもはるかに
誤りをふくむことが少ないように感ずる。天国に入るには
子供の心に立ち帰らねばならぬとキリストは
説いたが、
哲学にはいるにも、いったんまず
哲学などを考えぬ
子供の心に立ち帰りさらにあらためて出なおす
必要があろう。
八幡の
籔知らずで
路に
迷うて行きづまった場合には後へもどって
別の道を
試みるよりほかにいたし方がないごとく、
哲学者も一度入り口までもどって、
別の出発点から新たに研究を始めるのが
得策ではなかろうか。われらの
哲学は
子供の心を出発点とし、それより上下、左右、前後に考えをひろげてゆくことを
主張するだけで、
別に
確固不抜の
基礎を
求めぬゆえ、土台を持たぬという点からは、あるいは風船
哲学と名づけてもよろしいが、考えて見れば、地球自身も
一種の風船に
過ぎぬから、
従来の
橋杭哲学にくらべても何も
遠慮しておるにおよばぬと思う。
さて、出発点だけはまず
子供の心と定めたが、それより少しずつ
半径をのばしてだんだん
周囲のほうに考えをひろげてゆくには、いかなる
方法によるかというに、われらの考えによると、ここにもっとも注意せねばならぬのは言葉の
羈絆から
脱するということである。今の人間は言葉を用いてでなければ物が考えられぬゆえ、言葉の
羈絆から
脱するというても実は
程度の問題であって、
絶対に
脱することはもとより
望まれぬ。しかしながら
初めからその心持ちで言葉を使用したならば、いくぶんか自由に考えることができよう。前に考えの出発点を
子供の心におくがよろしいと言うたが、それから
徐々と考えを進めてゆくにあたっても、まず一度は
子供の
境遇まで立ちもどり、
子供が言葉を用いると同様の
態度で言葉を用い、その後はただ
必要なだけ新たな言葉を
追加してゆけば、
余計な
誤りを引き入れずにすますことができよう。
欲をいえば言葉などのまだなかった時代まで一度立ちもどって、さらに出なおして全く言葉などの助けを
借りずに考えることができたならば、もっとも
妙であるが、これは少し
無理な注文のようであるから、せめては言葉にとらわれることのいまだ
浅い
子供の言葉の
遣い方をまねて、どこまでも言葉にとらえられぬようにと注意しながら考えを進めてゆかねばならぬ。
言葉にとらえられたために起こるまちがいの第一は、
境界のないところに
境界ありと思い
誤ることである。元来物の名前は他と
区別するためにつけられたものゆえ、
差別に
基づいているはいうまでもない。
互いに
相違のある物を一つ一つに
別の名をつけて
呼ぶことは日々の生活上、
便利でもあり
必要でもある。
子供が言葉を用いるにあたっては、ただ
差別をいい
現わすだけで、
別に
境界があるかないかは考えていない。
腹が
痛むとか、
背がかゆいとか、足をくじいたとか、
膝をすりむいたとかいうて、
不便なく意を通じているだけで、
腹とはどこからどこまでをいうか、
腹と
背との
境はどこにあるか、どこまでが
膝の
領分でどこから先が、足の
範囲かというようなことはまるで考えずにいる。
子供は物の名を
単に他と
区別するための
方便として用いているが、こうしている間ははなはだしい
誤りは生ぜぬ。しかるに人間が
哲学をやり始めると、そのままでは
承知せず、
必ずひとつひとつの言葉に
定義を下さずにはおかぬが、これはよくよく
誤謬の始まりである。なぜというに
定義を
造ることはすなわち
境界のないところに
便宜上
境界を定めることであるが、これを用いつづけている間にはかかる
境界が
初めから
存在していたかのごとくに思い
込みやすい。
解剖学の書物を開いて見ると人体の表面を
若干の
区域に分け、赤い線でいちいち、その
境界を画き、
上腹区、
中腹区、
下腹区、
乳腺区、
胸骨区、
前頸区などと
各区域に
名称がつけてあるが、実物の人体の表面にはむろん何の
境もない。いかにていねいに
探して見ても、
上腹区と
中腹区との間にも
中腹区と
下腹区との間にも、
判然たる
境界線は決して見いだされぬ。そのありさまはいかに地面を
探しても
下谷区と
浅草区との
境界線がなく、いかに
隅田川の
底を調べても日本橋区と
本所区との
境界線が見当たらぬのにひとしい。されば
頸とはどこからどこまでを言うか、
腕とはどこからどこまでを言うかと
尋ねられると、
解剖書の
図版の上では答えられても、実物を
突きつけられてはたちまち
閉口する。かような
次第で、およそ物の名前の
定義は、みな、人間が自身の都合で勝手に
境界を定めたものに
過ぎぬが、実物のある場合には、このことはただちに知れる。これに反して実物について
検査してみる
便宜のない
抽象的の言葉であると、自分で
造った
境界線が真にそこにあるごとくに考えるくせがついて
容易なことではこれが
抜けぬが、これはすでに言葉に
捕えられている
徴候である。自分の地面と
隣の地面との間には明らかな
境界線を定めておかねば気がすまず、わが国と
隣の国との間には
溝を
掘って
境をあきらかにしておかぬと安心ができぬが、この心持ちが、言葉の方面にも
働いて一つ一つの言葉の間に
繩張りをしておかぬと、
観念の整理ができぬごとくに感じ、なにはさておいても言葉の
定義を
造ることに
骨を
折るのであろう。しこうして、いったん、おのおのの言葉の
領分の間に
繩張りをすると、後にはこれに
捕えられて、
繩張りのあるところには
必ずこれに相当する
自然の
境界が
実際にあるものと
信じて
疑わぬにいたる。昔から
哲学者の間に言葉の
繩張りに
関する水かけ
論のすこぶる多かったのは、いずれも言葉に
捕えられていながら、自身にこれに心づかなかったゆえである。
言葉に
捕えられたために生ずるまちがいの第二は事物を
模型化しながらこれに心づかぬことである。
自然物を手に取って調べて見ると一つとして
絶対に
相ひとしい物はないが、それに一つ一つ
別の
名称をつけて
区別することはとうてい
不可能であるゆえ、やむをえずある
程度まで
互いに
相似た物を集めて一組とし、これに対して一つの名をつけた。犬とか
猫とか、
松とか竹とかいうのはかくしてつけた
種類の名であるが、このような
名称を用いつづけていると、ついには同じ名で
呼ばれる物はみな同一であるごとくに思い、その中の一つ一つが、
互いに
相異なるという事実を
忘れやすい。また同じ名で
呼ぶ物の間の
相違を
忘れる
結果として、
別の名で
呼ぶ物と物との間の
相違を
常に一定
量であるごとくにみなすにいたる。たとえば同じく犬というても
一匹一匹にかならず
違うものであるに、犬という言葉をつかっていると、犬をすべて同じ物と見なして、その間の
相違を
無視する
傾きが生じ、
猫という言葉を用いれば、
猫をすべて同じ物と見なしてどの犬とどの
猫とでもその間の
相違の
量はいつも同じであるごとくに感じやすい。これは
実際に
相違のあるところを
相違のない形になおし、
凸凹のあるところを平面に
造り
変えたのであるゆえ、明らかに事実の
模型化である。もっとも同じ名で
呼ぶ物の間の
相違が目立つ場合には、さらにこれを
細別していちいちに
名称をつけるが、かくしても、ただ
階段が一つ下がっただけで取り
扱う心持ちは少しも
変わらぬ。すなわち犬をセッター、ポインター、テリヤー、グレーハウンド等に分けて、これらの
名称を用いればまたセッターをすべて同じ物、ポインターをすべて同じ物と思う
傾きが生ずるゆえ、事実を
模型化するという点は前にひとしい。一方の高い
端から、他方の
低い
端まで
連続している
斜面には、高さの同じ部分は決してないが、すべての部分にことごとく
名称をつけることはできぬゆえ、その中から
最も
特徴のいちじるしい点を
若干だけ
選んでこれに
名称をつけて
満足するのほかはないが、かくしていちいちの
名称の
範囲に
繩張りをし、
繩張り内を水平であるごとくに見なせば、
斜面はそのため
階段の形に
造り
変えられる。
無限に
変化のある物にはそのままでは名がつけられぬゆえ、
便宜上これをいくつかの部分に分かち、それに名をつけておくよりほかにいたし方はないが、これはあたかも
斜面を
階段に
造り
変えたことにあたる。
果物屋の
亭主が
最大から
最小まで
漸々移りゆく数多くの
林檎を自分の
見計らいで、これは
一個六
銭の
部類、これは
一個七
銭の
部類と
便宜幾組かに分けるのも、鉄道の係りが、
初生児から
老年まで
次第に
移りゆく人間の
年齢を、ここまでは
無賃の部、ここまでは
半額の部、ここからが
全額の部と
便宜三組に分けるのも
皆これと同様の
扱いをしているのである。
虹の色を七つに分けるのも、もしも、
各色の
範囲を定めるならば、
境界のないところに
境界を
造って、
一種の
模型に
直したことにあたる。
また物に
名称をつけると、その物を
静止し
固定せしめる
傾きが生ずる。
絶えず動いて
変じゆく物にはそのままでは名がつけられぬゆえ、
随時にある
瞬間をとらえ、これをしばらく
静止するものと
仮定して名をつけるよりほかにいたし方がない。そうしてかく
飛び
飛びにいくつかの
瞬間をとらえてこれに
名称を
付し、
隣接する
名称との間を
繩張りで仕切ると、
繩張り内だけでは動かなかったごとくに感じ、時の流れはあたかも
静止の時期と、一足
飛びの
瞬間とが
互いに
相交代するごとき形に
模型化せられる。
歴史をいくつかの時代に分けて、
各時代に、それぞれ名をつけるとややもすれば、かような感じを起こさしめるおそれがある。天地間にある万物はいずれも
変化せぬものはないが、
名称のほうは
固定しているゆえ、
名称をつけられ、それで
呼ばれると、その物までが
固定せるごとくに見なされるをまぬがれぬ。
常に
変じつつある物を
暫時固定せるごとくに考えきたった
例は、昔からずいぶんたくさんにあるが、これには言葉が大いに
手伝っていたと思われる。
以上述べたとおり、言葉を用いて物を考える場合には、
勢い
境界のないところに
境界を
造ったり、言葉に合わせて事物を
模型化したりすることを
避けられぬが、このことはむろん有形の
物質に
限ったわけではなく、
無形の
抽象的方面にも通じたことである。しこうして有形物のほうでは
実際境界があるかないか、
模型と実物とが
一致するか、せぬかを実物について
直接に
検査して見る
便宜があるから、
誤りを見いだすことが、
比較的に
容易であるが、
無形の事物になると、かような
検査がすこぶる
困難であるために、まるで
誤った
議論でもなかなか
化の皮が
現われず長く生命を
保つことができる。また有形物のほうでは
実際にない物に名をつける
気遣いはないが、
無形の
議論においては、ない物を
想像して、これに名をつけることがしばしばあり、しかも、いったん名がつけられるとその物があるかのごとき心持ちになる。名さえつけてなければ
初めから全く問題にものぼらなかったはずの
想像物が、名があるばかりに、多数の人々にやかましく
論ぜられるのを見ても、いかに今日の学者が言葉の
奴隷となっているかが知られる。されば物の
理屈を考えるにあたっては、できるだけ言葉の
羈絆を
脱し、決して言葉にとらえられて、むだなことに
頭脳をなやまさぬように
充分注意せねばならぬ。
われらの
哲学は
以上述べたとおり、
子供の心を出発点とし、できるだけ言葉に
捕えられぬように注意しながら
論を進めてゆくことを
主張するが、その
際いかなる心持ちで事物を見るべきかというに、これには
子供の心とは正反対の
態度を取ることを
要する。
子供は自分の分からぬと思うことは、何でも親や
付き
添いの人に
尋ねるが、何とでも答えてもらいさえすればそれで
満足する。すなわち聞いたことを何でもそのままに
信ずる
性質を
備えているが、これは
哲学には
絶対に
禁物である。見ずして
信ずる者は
幸なりなどというて、
宗教は
初めから
信ずることを
要求するが、
哲学は何ごとをも
批評し研究するつもりで取りかからねばならぬ。われらの考えによれば、およそ
一派の
哲学を組み立てようとする者には、あたかも五十年の一生を
絶えずだまされ
続け、世の中にはすでに
愛憎をつくしている
老人のごとくに、何ごとをもただでは
信ぜぬという
態度が
必要である。今日までの人間の
知識の
歴史が、
誤っては
改め、
誤っては
改めることの
連続であるのを思えば、何ごとでも軽々しく
確信するのは大いに考えものであるが、
特に先から先へと物の
理屈を考えてゆく
哲学においては、どこに一つのまちがいがはいりこんでも、それから先が全部だめになるところがあるゆえ、
議論の
一段ごとに、
厳重な用心をせねばならぬ。
人のいうたこと、書物に書いてあることをそのままに
信ぜぬのみならず、自分で
直接に見たと思うこと、さわったと思うことでも
一応は
確かめてみる
必要がある。生理学の書物を開いて見れば、
錯覚や
幻覚の
例がいくらも出ているが、
特別の注意を
怠ると、そのためずいぶん
誤ったことをそのまま
信ずるにいたらぬとも
限らぬ。
並行線でもこれに
若干の
斜線を
画き
加えると
不並行線に見え、
一個の
豌豆でもこれを中指を
人差し指の上に
折り重ねてなでると
確かに二つあるごとくに感ずる。ただしこれは
物差しで
測るとか目で見るとか、手の
掌でふれるとかすれば、線の
並行せること、
豌豆の一つよりないことが
容易に知れるゆえ、
錯覚のままに
誤り
信ずるにはいたらぬ。また同じ大きさのゴム球でも、短い
棒の先でなでれば大きく感じ、長い
棒の先でなでれば小さく感ずるが、目を開いて見ればただちにその
誤りを
訂正することができる。人間には
感覚の
器官が
幾種類もあるゆえ、たとえ
一種の
感覚器で
誤り感じても、他の
感覚器で調べてみれば、その
誤りなることに気がついて決してまちがいのままには終わらぬ。ただし注意を
怠ると、
繩が
蛇に見えたり、
薄が
幽霊に見えたりして、これを見た当人は
確かに
蛇や
幽霊を見たと
信じている
例はいくらでもある。
ない物が見えたり、ある物が見えなかったりするのが
幻覚であるが、
熱病などにかかるとこのことは決してまれでない。もしも世間の人間がことごとく同じ
熱病にかかり、同じ
幻覚を持ったならば、これを
訂正する道はないわけであるが
実際にはさような場合は決してあるはずはなく、一人の
熱病人の
周囲には、数十人数百人の
健康な人が
控えているゆえ、これとくらべて、病人の
幻覚の
誤りなることはただちに
確かめられる。ガスをかいだり、薬を飲んだりすれば、
神経系統にある
変化が起こって、
幻覚が生ずることのあるべきはだれにも
理解せられるであろうが、病気や薬によらずともずいぶん
幻覚を生ぜしめうる場合があろう。たとえば
日常普通の生活
状態とは大いに
異なった
境遇に身をおいたり、つねには決してせぬような
変わったことをなし
続けたりすれば、
神経系統の具合が
変わって、そのため他人には見えぬ物が見えたり、他人の感ぜぬことを感じたりするようになることもあろう。このような場合に、その当人は
幻覚を
幻覚と思わず、これを真実と
確信してその上に勝手な人生
観を立てることが多いが、われらから見ればこれは
熱病人の
幻覚と同一に取り
扱うべきものである。インドの
宗教信者の行なうような、
難行苦行をすれば、ずいぶん光明を放った
仏の
姿がありありと目の前に見えることもあろうが、これはその当人
限りに見えるものでだれにもその
存在を
信ぜしめるわけにはゆかぬ。
特殊の一
個人が
特殊の
修行を
積んで、
初めて
達しえた
神経系統の
特殊の
状態は、
普通の
健全な人間と
異なるという点においては、
熱病人と
毫も
異なるところはない。
しからば、われわれは何を
信ずべきかというに、われらの考えによれば、
普通の
健全な人間が、
普通の
境遇にあって、
甲の
感覚器の
誤りを
乙、
丙、
丁の
感覚器によって
検査するというだけの注意を
払うて
見聞したことを
信じておくのがいちばん安全である。
疑い始めれば、
際限がないゆえ、やむをえずどこかでがまんして、
信じておかねばならぬが、前に
述べた病気や薬による
幻覚のことなどを思えば、まず、病気にもかからず、薬の
影響をもこうむっていない
普通の
健康者を
標準として、それらの人間が見たと
信じ、聞いたと
信じていることをともに
信じておくのほかはなかろう。われらの
哲学は
子供の心を出発点とし、言葉の
羈絆から
脱するように
努めながら、一歩一歩
誤りの入りきたらぬように注意して進むつもりであるが、これは
従来の
哲学を全く
眼中におかず、新たな道を進むことにあたる。一面にむずかしい
文句の書いてある黒板を一度きれいに
拭い去って、
新規にこれを
汚そうと
試みるのである。これまで人々の
崇めきたった
偶像をことごとく打ちこわして、できるならば今後は
偶像なしにすましたいのであるが、いかがなものであろうか。とにかく、この
方針によって
一種の
哲学系統を組み立ててみたならば、
従来のとは
違うたものが何かできそうに思われるが、われらにはもはやそのようなことをなすべき時間もなければ
望みもない。それゆえただこの
方針で考えたことを二つ三つだけ書きつづって、次にかかげるにとどめる。
まず人間について
論じてみるに、
子供の心に立ち帰ったとすると、
確かと思われるのは次のごときことである。自分と同じような人間がたくさんにいる。一人一人をくらべてみるとむろん
違うところがあるが、大体においては
似ている。身体の形のみならず日々することも大体は
相同じである。そのような人間が地面の上に
建てた家に住み、毎日食物を食うて生きている。物を食わねば
腹が
減ってたまらぬ。また人間のほかには犬とか
猫とかいうような動物があって、毎日食物を食うている。かれらも食物を食わずには生きておられぬ。このようなことは
子供らが
固く
信じて
疑わぬところであるが、われらの
哲学によればこれは
従来の
哲学が
脳髄を
絞って考えた
結論よりもはるかに
確かなことと思われる。また男女の交わりによって女が
妊娠し子が生まれることは、
子供に知らせぬゆえ
子供は知らずにいるが、もしも大人の有するだけの経験を持たせたならば、
子供は
必ずこれを
信じて
疑わぬであろう。犬や
猫の
生殖についても同様である。その他人間でも犬でも
猫でも、
殺されて死に、病気で死に、年をとって死ぬものなることも
子供が
確かに知っている。なお人間や、
犬猫について
子供が
確かに知っていることはたくさんにあるが、これらの
知識を出発点とし、一歩一歩
実験的に調べてゆくとついに次のごときことを知るにいたる。
人間の
各個体の始まりは男親の
睾丸組織から
離れ出た
精虫の一と、女親の
卵巣組織から
離れ出た
卵細胞の一とが合して生じた
一個の
細胞である。この
細胞が
分裂して多数の
細胞となり、
細胞は
次第に組み合うて
各種の
器官を
造り、ついに小さな人間の形ができる。
子宮の中にとどまり、母体からの
滋養分に
養われ、
最初きわめて小さかった
胎児も
漸々成長し、
月満ちて生まれるころにはすでに
相応な大きさの赤子となる。また生まれた後は、
初めは
乳により、後には食物によって
盛んに大きくなり、
生殖腺が
成熟すれば
自然に男女
相求め、
幾人かの子を生み、
泣いたり
笑うたりしている間にいつか年をとって、くだらぬ病気で死んでしまう。しこうして死んだのちはいかになりゆくかというに、
焼かれて
灰になるか、
埋められて
腐るか、いずれにしてももはや元の人間ではなくなる。人間の
各個体の始めから終わりまでを
簡単に
述べれば右のとおりで、これだけは、まず
確かなことのように思われる。
しからばかような人間の集まりなる
人類はいかにして生じたものかというに、これは昔はさっぱり見当もつかなかったが、生物学の進歩によって今ではある
程度まで
推察することができるようになった。これを
論ずるのは生物進化
論であって、
詳しく
説けば、それだけでも大部の書物になるゆえ、ここにはとうてい
述べるわけにはゆかぬが、その
大要だけをつまんでいえば次のごとくである。すなわち人間も他の動物も元はみな同じ
先祖から起こった。犬でも
猫でも馬でも牛でも、ある時代までさかのぼれば
先祖は同じであるが、同じ一族の人間にも兄弟もあれば、
従兄弟もあり、
従兄弟の子もあれば、
従兄弟の
孫もあるごとくに、動物
各種の間にも
互いに
縁の遠い者もあれば
縁の近い者もある。
縁が近いとは
共同の
先祖から分かれ
降ってからまだあまり間のないものをいい、
縁が遠いとは
共同の
先祖から分かれ
降ってからすでに長い年月を
経たものをいう。
縁の近い者ほど身体の
形状構造が
似ている。
縁の遠い者はこれにくらべると身体
構造の
相違がいちじるしい。ところで人間に
最も
似ているのは
猿であり、
猿の中でもアメリカの
猿よりは東半球の
猿のほうが人間によく
似、その中でも
猩猩やチンパンジーのごとき
大猿がもっともよく
似ている。さればすべての動物の中で人間と
最も
縁の近いものは
猿類で、
特に
猩々などとはきわめて
近親の
間柄である。言いかえれば、
猿と人間とは少しく昔にさかのぼれば一つの
先祖に
合する。すなわち
人類なるものは、数多くある動物の中の
一種で
比較的新しい時代に
猿と
共同の
先祖から分かれ
降り、その後すべて他の動物に打ち勝って、今日のごとき
偉大な
勢力を有するにいたった。これはむろん、
側に見ていた
証人があるわけではないが、かく考えねばならぬ
証拠は生物学の
各方面に
無数にあり、それがみな実物であって、
子供にも
根気よく話したら
確かに
得心のゆくべき
性質のものゆえ、今日のところではまず
誤りを
含むことのもっとも少ないものと
認めねばならぬ。
人間の身体は死んで
腐っても
魂だけは長く後まで
残ると
信じている人がすこぶる多いようであるが、われらから見れば、これは全く言葉にとらえられた
誤りである。生きた人間と死んだ人間とをくらべてみると、生きた人間は身体が温かく、よく運動し、
呼吸もすれば、
脈搏もあり、また事物を
識別する。
死骸のほうはこれに反して、
冷たくて動かず、
呼吸も
脈搏もやみ、
識別の力もないらしい。生きた人には命があるといい、死んだ人は命を
失うたという。生きるとか、死ぬとか、命があるとか、ないとかいう言葉を
単に両者の間の
相違を言い
現わすものとして用いている間は
誤りにおちいらぬが、命という言葉の
定義を
造り、その
範囲を定め、
周囲に
繩を
張って
隣との
境界を明らかにすると、そこにまちがいが始まる。しこうしてこれには
算術が大いに
手伝っている。
自然界には数もなければ、
寄せ算も引き算もない。数を
寄せたり、引いたり
勘定するのは、人間が勝手にすることである。しかるに十から三を引けば七が
残り、七から二を引けば五が
残るというように数を
勘定する
習慣がつくと、何物にもこの
方法をあてはめる
癖が生じ、生きた人間と死んだ人間との間に、
若干の
差があるのを見ると、
直ちに引き算や足し算を始め、生きた人マイナス死んだ人は命、死んだ人プラス命は生きた人というように考え、生きた人が死んだ人になる時には、命だけがどこかへ
逃げていったものとみなす。これは
境界のないところに勝手に
境界を
造り、切り
離すべからざる物をしいて切り
離しているのであるから大きなまちがいである。
覚めた人と、
眠れる人との
差別を言い
現わす言葉とすればまちがいは起こらぬが、引き算式に
覚めた人マイナス
意識は
眠れる人として、
意識だけがあたかも
独立して
存在しうるもののごとくに考えたならば、これまた前のと同じ
誤りにおちいっている。あるとき、何かの書物に、物から色を去れば形が
残り、形を去れば
性が
残ると書いてあるのを見て、このような頭で考えられては、いかなる
名論が出てくるか分からぬと
恐ろしく感じたことがあるが、これなどはプラス、マイナスに
捕われたもっとも
好い
標本である。おそらく
染物屋が白
木綿を
紺で
染めたり、
紺木綿の色を白く
抜いたりするのを見て、このような考えを起こしたのかもしれぬが、形を
抜いて
性だけを
残すことはすこぶる
困難であろう。人間が死ぬと身体から
魂が
抜け出すごとくに考える人らは、つねづね生きた人生をもって、
死骸の
魂染めであるごとくに見なしているわけであるが、その
源は前に
述べたとおり言葉にとらえられて、
境界のないところに
境界を
造り自分の
張った
繩に自分で引っかかって
迷うているにほかならぬ。
かような
下地のあるところへ、
霊魂なるものが、
別に
存するごとくに思わせる
事情がたくさんにあるので、だれもかれもがかく考えるようになった。その
事情とは、人間の
知識では
解釈しかねることが天地間に
無数に
存することである。人間の
素性を考え、
昨日までは
猿のごときものであったことを思えば、人間の
知恵で分からぬことが
無数にあるのはもとより
当然であるが、そこには
心付かず、分からぬことには何とか
理屈をつけて分かったごとき心持ちになりたがるゆえ、いよいよ
霊魂が
必要になってくる。何か
不思議なことが起こった場合に、これを
霊魂の仕業とみなせば、それでひとまずわけが分かったごとき心持ちになることができる。木が
倒れても、家が
焼けても、
子供が
怪我しても、犬が死んでもみな
霊魂がしたことにすれば、とにかく
説明はつく。
特にそれがもしも
亡者が生きていたならば、
必ずかくしたであろうと思われることである場合には、いっそうもっともらしく聞える。たとえば酒飲みの
老爺が死んだ日に、
酒樽の
栓が
自然にはずれて酒があふれ出したとか、意地の悪い
姑が死んで七日目に
棚の
徳利が落ちて
嫁の頭に当たったとかすれば、いかにも
霊魂がいまだ家の中に
留っているごとくに感じ、かようなことがたびかさなれば、
霊魂はいよいよあるものに
違いないと
確信するにいたる。一年じゅう、毎日晴天と
予報しても五
割以上は
適中するというが、
偶然の
適中ということは、もとよりいくらもあるべきはずゆえ、もしもはずれたほうを
度外視し、あたったほうだけを数え上げれば、あたかも
立派な
証拠のごとくに見える。かような
次第で
霊魂なるものが
存在するということはすでに
野蛮時代から
一般に
信ぜられ、人が死んでも
霊魂は
残ると
信ずる
以上は、それに
基づいたいろいろの
儀式や
習慣が生ずる。目にも見えず
呼んでも答えぬところから、
霊魂はよほどの
遠国に住んでいるもので、死ねばそこまでゆかねばならぬと考えるゆえ、死人には旅
装束をさせ、
杖を持たせ、
草鞋をはかせ、
若干の
旅費まで
添えて
出立させる。今ならば、トランクや
帽子箱を
添え、急行
切符や
領事の
裏書きした旅行
券を持たせてやるところである。かく遠方にいると思いながら、また自分の
側にいるごとくにも考えて、毎日食物を
供えたり音楽を聞かせたりして、その間の
矛盾には気にとめずに平気でいる。世の中の文明が進んだというても、
普通の人間の頭はあまり進歩せず、かような
幼稚な考えが、ほとんどそのままに今日まで
伝わって、
種々さまざまの
儀式や
風俗が
依然として
残っているのである。
霊魂があると
信ずる
以上は、死んだ人々と意見の
交換をしたい場合もときどき起こるが、そのときにあたって、
媒介の役をつとめる
特殊の人間がおいおい出てくる。
野蛮国や半開国には
巫子とか
魔術師とかいう者が
必ずあるが、これが
通辯となって、
霊魂のいうことを生きた人間に
翻訳して聞かせる。そのいうことにはむろん当たることもあり、当たらぬこともあるが、五
割当たったことや、三
割当たったことまでも拾い集めてみると、何ごとをもかるがるしく
信ずる頭を持った
未開の人間を
驚かしめるに足りる場合も決してまれではなかろう。
霊魂の
存在はかくしてますます深く
信ぜられるようになった。今日のいわゆる文明国にも
心霊研究と
称して、
霊魂の仕業を研究し、死人と話したとか、
幽霊の写真をとったとかいう
報告を公にする者が
幾人もある。
われらの考えは前にも
述べたとおり、
霊魂ありとの
信仰は、
応用すべからざるところに引き算を
応用した
結果で、その
原因はやはり言葉にとらえられたためである。同じ
論法を用いれば、'
蝋燭については次のごとくに考えねばならぬ。
燃えている'
蝋燭と消えた'
蝋燭とをくらべてみると、
燃えている'
蝋燭には
炎があり光を放つが、消えた'
蝋燭には
炎がなく光を
放たぬ。それゆえ
燃えている'
蝋燭から光を引けば消えた'
蝋燭となり、消えた'
蝋燭に光を足せば
燃えている'
蝋燭となる。また
燃えている'
蝋燭から消えた'
蝋燭を引けば光だけが
残る。それゆえ'
蝋燭とは
離れた光なるものが
存在し、'
蝋燭はなくなっても光だけは
永久に
残る。このように
論ぜねばならぬ
理屈であるに、世人がこれには一向かまわず、'
蝋燭の火を
吹き消しても決して今まで見えていた光が見えぬ光となって、
永久に
存在すると考えぬのはなにゆえかというに、これは自身とあまり
直接の
関係がなく、かつ見えぬ光が
存在すると思わせるような
事情に出あわぬからである。
単に
論法だけをくらべれば、人間が死んでも
霊魂が
残るというのは、'
蝋燭が消えても見えぬ光が
残るというのと少しも
違うたことはない。
燃えている'
蝋燭とか、消えた'
蝋燭とかいうのは、ただ'
蝋燭の
存在状態の
差別をいい
現わすための言葉であるゆえ、
甲から
乙を引けば
差額が出るごとくに
勘定するのがよくよくまちがいである。これと同じく生きた人生とか、死んだ人間とかいうのも、
単に人体の
存在状態の
差別を言い
現わす言葉に
過ぎぬゆえ、どこまでもそのつもりで使用しなければならぬ。一
杯目には人、酒をのみ、二
杯目には酒、酒をのみ、三
杯目には酒、人をのむというが、言葉もそのとおりで、人が
手綱を持って
制御している間はよろしいが、ややもすれば言葉のために引きずられ、ついには全く言葉の
奴隷となって、何ごとも言葉の命ずるままに考え
信ずるにいたりやすい。身体から
離れた
霊魂の
存在を
信ずるのはかかる
成り行きの
結果である。
ある
哲学書に次のようなたとえ話しがあった。フランス語の少しも分からぬ
支那人が二人パリに来て、
芝居を見物した。その中の一人はしきりに
舞台や楽屋の
仕掛けを見て歩き、
幕はいかにして上げるか、光はどこから
照らすか、
浪は何で動かすか、風の音は何で鳴らすかというごときことをつまびらかに知ろうとつとめた。他の一人は
静かに
座席に
腰をかけたままで、
熱心に役者の
所作を見て、
狂言の
筋を
了解しようと
試みた。前者は
自然科学者が
宇宙に向かう
態度であり、後者は
哲学者が
宇宙に向かう
態度である。これはちょっと考えるとすこぶる
巧みなたとえのようであるが、われらから見ると、
類推の
誤りが根本に
潜んでいるゆえ、決して真実を
示しているとは思われぬ。このたとえはまず第一に
宇宙には
芝居の
狂言と同じように一定の
筋が
必ずあるものと見なしてかかっているが、これはそもそもいかがであろうか。何ごとをも用心してまず
疑うてかかる者から見れば、これが第一に
疑問である。またかりに一歩を
譲って、
宇宙の
狂言の
筋があるものとしたところで、それが人間に
了解せられうべき
性質のものか
否かが、大いに
疑わしい。マーテルリンクの
蜜蜂の本を
一冊読んでみても知れるとおり、人間
以外の世界には、われわれの
了解とはまるで
性質の
違うた
了解が
幾通りもあるように思われるが、もしもさようとすれば、
了解を人間の
専売のごとくに考え、わが有する
種類の
了解のほかには
了解はないと
独断するのは少しく早計ではあるまいか。このような
果てしのないことを
論ずるのは全くむだなようにも思われるが、世間には
宇宙には一定の
目的があって、その方向に
狂言が進んでゆくものと
信じている人も多いようであるゆえ、ここにはただ
子供の心を出発点とし、一歩一歩まちがいの入りきたらぬように
充分に注意して、
理屈を考えたのでは、決してそのような
決論には
到着せぬということを
述べるだけにとどめる。
また目に見える
宇宙のほかに、
別になお一つ目に見えぬ
宇宙があると
信じている人がすこぶる多い。「見えぬ
宇宙」という書物をむかし読んだことがあるが、
霊魂があると考える人は、
霊魂の
住宅として、見えぬ
宇宙を
認めるのほかに道はなかろう。形もなく、
物質もなく、見える
宇宙に
例外なく行なわれている、物理学や化学の
法則を
超越したある物が
存すると
信ずる
以上は、見える
宇宙のほかに、それとは
性質を
異にした
別の
宇宙が
存すると考えねば、そのものの入れどころがない。見える
宇宙のほかに見えぬ
宇宙を
想像する人は、頭の中に二階
造りの
宇宙を
画いている。すなわち下の
座敷は見える
宇宙であって、われわれは
現にそこに住んでいる、二階の
座敷はすなわち見えぬ
宇宙であって、そこには
霊魂が
大勢下宿している。人間は死ぬと身体だけは
腐ってなくなるが、
霊魂は早速
梯子を登って二階にゆき、前からそこにいた
連中の
仲間に
加わる。いったん二階に登った
以上はふたたび下へは
降りてこられぬ。それゆえ、二階に登ることを帰らぬ旅に立ったとも言う。昔のエジプト人は、
霊魂はふたたび二階から
降りてくるものと
信じたゆえ、そのさい自分の身体がなくなっては
困るであろうとの心配からきわめて
念入りに
死骸を
保存した。これがすなわち数千年後の今日まで
残っているミイラである。
宴会の帰りに、
外套や
靴が見えなくても大いにまごつくことを思えば、自分の合い
札の身体が見つからぬときの
霊魂の
迷惑はまったく
察せられる。とにかく、身体から
離れた
霊魂なるものがありと
信ずる
以上は、
宇宙を二重に考えることを
避けることはできぬ。
あの世とか、
未来とか、天国とか、
霊の世界とか名はさまざまに
違うても、見えぬ
宇宙は
要するに見える
宇宙の二階である。しこうしておもしろいことには、二階
座敷はいつも下の
座敷によく
似ている。人は
想像によってすでに知っていることをいろいろに組み合わせることはできても、全く
別の物は考え出せぬものとみえて、天国はどこの国でも、
下界にあるだけの物で
造り、ただそれが理想化せられてある。ある
農夫は、もしもオレが王様になったら、
肥桶の
箍を黄金で
造ると言うたそうであるが、天国もそのとおりで、エスキモーの天国には
錦のごときアザラシが泳いでい、インドの天国には
車輪のような
蓮花が
咲いている。アフリカの天国ではおそらくゴリラや
獅子が
温順で、南洋の天国では多分
空いっばいにバナナがぶら下がっていることであろう。すべてかような具合に、
霊の世界の
材料は自分の手近にある見える
宇宙から取ってある。そのありさまは、
低能な作者がいかに
努力しても
低能な
小説より書けぬのに
異ならぬ。されば
虚心平気に、世界
各民族の天国を
比較研究したならば、その
想像物なることは明らかに知れよう。
前にも
述べたとおり、われらの考えによれば、身体から
離れた
霊魂なるものがあると思うのがまちがいである。しこうしてかかる物がありと思わねば、二重の
宇宙を
想像する
必要は全く
消滅する。目に見える物だけをありと
信ずる
子供の心を出発点とし、言葉に
捕えられぬように用心しながら
確かに知り
得たことだけを考えに入れて
論を立てると、見える
宇宙のほかになお一つ
別の
宇宙を
想像せねばならぬ理由は少しも出てこぬ。実をいうと、もしも今までの
伝統的の考え方をことごとく
忘れて、
初めから全く新しく考えなおしてみたならば、
宇宙は一重か二重かというようなことは問題にものぼらぬ。われらがここに
宇宙を二重に考える
必要はないというのは、決して
宇宙は一重か二重かという問題を研究の
価値あるものとしてとり上げ、
充分に研究をとげた
結果、二重と考えるにおよばずとの
結論に
達したわけではない。かかることを
念頭におかぬ
子供の心のそのままの引き
続きとして、
念頭におかずにいるだけである。
神にはいろいろある。石や木を神として
拝むところもあれば、
狐や
狼を神に祭っている国もある。生きた人間を神として
崇める
人種もあれば、死んだ
酋長の
霊魂を神と
仰ぐ
民族もある。ただし今、ここにはかような
野蛮国や半開
人種の神について
論ずることをはぶいて、
単にいわゆる文明国の人々が長い間
信じきたった天地の
造り主なる神だけについて考えてみよう。
朝、目が
覚めたときに
枕元に一つのりんごがあるのを見たなら何と思うか。りんごが
自然にそこに生じたと思うか、それともまた自分が
眠っている間にだれかが持って来てくれたと思うか。よく考えてみよ。りんごがひとりでそこにできるはずはないから、これは
必ず、母か姉かが持ってきたものに
違いなかろう。わずかに
一個のりんごでさえ、だれかが持って来てくれなければそこにあるはずはない。しからばこの世界はいかに。われわれに食物を
与え、われわれに
衣服を
与え、われわれに
住居を
与えるこの世界は決してひとりで生じたものとは思われぬではないか。しこうしてこの広大
無辺な天地を
造った者があるとすれば、それは実に知らざることなく、あたわざることなき神でなければならぬ。
以上はわれらが
子供のとき
熱心なキリスト教
信者から聞かされたところであるが、
造物者ありとの
信仰はおそらくかような
論法からきているのであろう。しかしわれらの考えによれば、これまた前の
支那人の
芝居見物と同じく、全くまちごうた
類推である。
目に見えぬ神があるという
信仰は、むろん目に見えぬ
霊魂があるという
信仰と
密接に
関係している。人が死んでも
霊魂が
残るという
信仰がもしもなかったならば、目に見えぬ神の
存在だけを
信ずることはよほどむずかしい。なぜといえば、ほかにこれと
比較すべきものが見当たらぬからである。これに反して、目に見えぬ
霊魂なるものがあると
信ずる
以上は、目に見えぬ神があると
信ずることには何のめんどうもない。
特に
宇宙を二階
造りにして、
霊魂を二階の
座敷に住まわせてある場合には、目に見えぬ神もそこに
同居させれば、きわめて
好都合である。かような
次第で、神のいるところはいつも
霊魂のいる場所と同じであり、人が死ねば
霊魂だけが神の
側へゆくことになる。
現に西洋の
子供らは親や
教師から教えられて、
実際このとおりに
信じているが、おとなの考えも大多数はあまりこれと
変わらぬ。すなわち神はいつも自分の頭の上に
位する天にいるものと思い、人が死ねば
霊魂は天に
昇るものと定め、神を
呼ぶには、天に
在ますわれらの神と言うて、それからめいめいのいのりをささげる。
ヨーロッパやアメリカでは昔から今日までたれもかような天地の
造り主なる神があるものと
信じ、日々の生活もときどきの
儀式もみなこの
信仰に
基づいて定められた。それゆえ、今日の文明はほとんど神の
信仰とは
離るべからざるほどに
密接な
関係を持っているように見える。何ごとも
原因なしに生ずるわけはないゆえ、神の
信仰がかく広く長く
続いているのは、むろん相当の理由がなければならぬが、われらの考えによれば、これは決して
実際に神があるからというわけではなく、
単に人間の頭が、かかることを
信じ
得るようにできているのと、さらにかかることを
信ぜしめるような
事情があるためである。しかし、いずれにせよ、長い間かく
信じきたったことゆえ、この
信仰はすでに深く人間の心にしみ
込み、いまさら
理屈によって、かく
信ずべき理由はないと思うても、なんとなくその
跡に
空虚が
残るごとくに感じて、
不安の心持ちを
禁じえぬかもしれぬ。これは
一種の
惰性の
結果として
避けがたいことではあるが、
純理によって先から先へと考えてゆく
哲学においては、全く
顧みずにおいてよろしかろう。
以上きわめて
簡単に
霊魂や神に
関するわれらの考えを
述べたが、次に人間の社会について一言するに、これも
従来の考え方をことごとく
捨て去り、何も聞かされなかった昔に帰ったつもりで、根本から新たに考えなおして見ると、
現今多数の人びとの
信じていることとは大分
違うた
結論に
達する。このことについては、すでに一、二回われらの考えを発表したことはあるが、
要点だけをつまんでいうと次のごとくである。
今の世界には人間を相手として対等の
競争をなしうる動物は一
種類もない。かくのごとく人間が
絶対に
優勢な
位地を
占めえたのは何によるかというに、これは
脳の
発達と
団結の力とに
基づくことである。人間と他の動物との身体を
比較して見るに、
爪でも
牙でも
肺でも
胃でも人間よりは数等まさった動物はいくらでもいる。しかし
脳髄にいたっては人間だけが
一段飛び
離れてすぐれていて、これに
接近するほどの者は決してない。かくすぐれた
脳をもって、人間は物を考え、
種々の道具や
器械を
工夫し、
爪や
牙ではとうていかなわぬような
強敵をもたちまち
攻め
滅ぼしえたのである。もちろん、道具や
器械を
造り、
操縦するには、それのできる手が
必要であるが、手だけならば、人間のほかにもこれを有する
獣類は少なくない。すべての
猿類はむろんのこと、
擬猴類でも、
食虫類のあるものや、
有袋類のあるものさえも、人間のとおりの手を持っている。されば人間にもしも手がなかったならば、決して他の動物に打ち勝ちえなかったであろうが、手だけがあっても
肝心の
脳の
働きが
鈍くては、とうてい何ごとをもなしえなかったに
違いない。また
脳がよく
発達し、手が
充分に
働いても、一人一人が
離れて生活していたならば、
強敵に打ち勝つ
望みは決してなかったのであろう。もっとも
発達した今日の人間でも一人ずつに
離せば
存外弱いもので、それが有力に
働きうるのは全く多数の者が力をあわすからである。
要するに
人類がすべて他の動物を
征服して、今日のごとき
全盛時代に
達しえたのは実にすぐれたる
脳と
団結とに
基因することと言わねばならぬ。
しかるに何物でも
立派なものが
突然生ずるということは決してない。かならず
最初いまだ
立派でなかった時代があり、それから一歩ずつ進んでついに
立派なものまでにでき上がるのである。人間の
脳でも
団結性でも、そのとおりであろうが、これを
絶えず進歩せしめたのは何であるかというに、われらの考えによれば、それは主として、
劣った者を
滅ぼし、まさった者のみを生き
残らせる
自然の
淘汰であった。
特に
団結性のほうは
団体と
団体との
競争が長く
続いている間には、そのすぐれた
団体のみが勝って生き
残り、その
劣った
団体はことごとく負けて
滅び
失せるに定まっているゆえ、年月を
歴るとともにただ進歩するのほかはなかったであろう。
現に
団体生活をする動物を調べてみると、いずれも
団結性はますます進むばかりで、
各個体は
完全にその
属する
団体の一分子となり終わらねばやまぬ
状態にある。
かくのごとく
団体動物では
団結性が
絶えず進みゆく中にまじって、ただ一つ
団結性の進歩せぬ
団体動物がある。それは言うまでもなく、人間であるが、人間には
特殊の
事情があるために、この
性質の進歩がとまった。
特殊の
事情とはすなわち、道具や
器械が
発達したために、
各団体が
非常に大きくなり、その
結果として、
団体を
単位とした
自然淘汰が行なわれなくなったことである。
団結性の
程度を
標準として、
人類が今日までに
通過しきたった道を図式に
画けば、あたかもパラボラのごとき形となり、始め急な上り坂からだんだん
傾斜がゆるやかになり、しばらくは
絶頂にあるが、後には少しずつ下り坂に
変じ、しかもその
勾配は進めば進むほど急になるのではないかと思われる。しこうして、人間の
団結性は
最初から
服従の形で
現われ、その形で進みきたったゆえ、
団結性の
弛緩はすなわち
服従性の
退歩として
現われるが、このことは社会の
各方面にきわめて
明瞭に見えている。われらは
一昨年の一月に「自由平等の
由来」および「
煩悶の時代」と題する二文を
公にして
以上のごとき考えを
述べておいたゆえ、ふたたびこれを
繰り返すことは
略するが、われらの見るところによれば、今日の人間社会の真相を
了解するにはここに
説いたごとき事実を
認めることが、何よりもまず
必要である。これを
認めなければ何ごとも分からぬことばかりであり、これを
認めればかれもこれもことごとくかくあるべきはずとうなずかれる。
人類の
歴史に
服従性の
増加しきたった時代と、
服従性の
減少しゆく時代とがあったとすれば、今日の人間社会に
矛盾の多いことは何の
不思議でもない。今日人間のすることの中には
服従性の
盛んであったころからの引き
続きもあれば、
服従性が
減少してから新たに思いついたこともある。前者は
服従性の
減少した新しい人々には
我慢ができず、後者は
服従性になお
富んでいる
旧い人々にはとても気に入らぬ。今日
各方面にやかましい問題は、いずれも
服従性の
盛んであったころに取りきめた
規約に対する、
服従性の
減少した人たちの
反抗に
基づいている。かれも人なりわれも人なりと考えるような世の中になっては、他人の足がわが頭の上にのるような
条約にはとうてい
辛抱はできぬゆえ、その
改正を
迫るのはもとより
当然である。また今までは目上の者の言うことは
絶対に
服従をしいられ、自分の思うことは全く通らず、子は親に、
妻は
夫に、
弟子は
師匠に、
雇人は主人に、
初めから頭は上がらぬものと定められてあったが、これでは人間やら
器械やら分からぬなどと考える者がおいおい出てきて、まず何ごとよりも先に、われわれも人間であることを
認めてもらいたいと
叫ぶようになった。これも考えようによってはむろん
当然のこととして
認めねばならぬが、この申し出を聞き
届ければだれもかれもが平等となるゆえ、大いに
従来の
習慣とは
矛盾したところが生ずる。
実際の問題を
尋ねれば一つ一つに
内容は
違うが、その
因って起こるところを
探って見るとことごとく同一である。
一言でいえば、人間の社会なるものは、昔は
服従性によって、よく
団結していた。しかるに、後にいたって、
各団体が大きくなり、そのため
自然淘汰がやんで
服従性が
退歩し始めた。
服従性が
退歩すれば、物の考え方が
変わってきて、
従来の
制度や
習慣には
満足ができなくなり、やかましくその
改造を
迫るという
階段までに
達したのである。しからば今後はいかになりゆくかというに、
団体を
単位とした
自然淘汰がふたたび起こらぬ
以上は、
服従性はますます
退歩するばかりであろうから、人間の
団結はいっそう
薄弱になるに
違いない。昔の世の中がよく
治まったのは、人間に
服従性が
多量に
存していたからであるゆえ、ふたたび昔のような、よく
治まる世の中にするには、
服従性の
復古を
図るのほかはない。
革命前のロシアのごときは
実際この方面に全力を
注いでいた。もしもこのことが
有効に行なわれがたいとすれば
服従性を打ち
捨て、自由、平等の
関係で
一致団結のできるような
新案を
講究せねばならぬが、そのようなことがうまくできるか
否かは、今までの人間のなしきたったことから
推し
測るとすこぶる
疑問のように思われる。
以上はわれらのつねづね考えたことの中から二、三を
選み出して、きわめて
不完全に
述べただけであるが、この文の
初めにも
断わっておいたとおり、他の人々の考えとは大いに
異なったところがある。
推理の出発点も、考えを進めてゆく
方法も、
従来の人々がいかにしていたかということには
毫も
頓着せず、ただ自分でこれがもっとも
良いと思うところを
採用した。一体
哲学なるものは、すこぶる
個人的のもので、十人
寄れば
十種もできるゆえ、他人の
哲学と
区別するためにはめいめい自分の
哲学には何とか名をつける
必要も生ずる。あたかもビールにキリンとか、エビスとか、アサヒとか、サッポロとかいちいち名がつけてあるごとくに、
哲学にも、エンピリシズムとか、ラシオナリズムとか、プラグマチズムとか、インチュイショニズムとかさまざまな名がつけてあるが、
要するに考え方によって、何とでも考えられるということに
帰着する。われらは
別に自分の考えと他人の考えとを
比較して見る
必要を感ぜぬが、われらのここに
述べたことを読む人があるいはこれをもって、
従来世間に知られていた何々
論とか何々
説とかの中のいずれかに
属すると思うことがあるかもしれぬゆえ、少しばかりその
特徴を明らかにしておく。
われらが神ありと
信ずる
必要がないというと、ある人はこれを
無神論と名づけるかも知れぬ。むろんそれでもいっこう
差支えはない。ただし、われらは神はあるかないかという問題を取り上げて、神ありと
信ずべき
証拠が
充分でないと
判定したわけではない。考えの出発点が
違い、考えを進めてゆく
方法が
違うので、かような問題に出あわずにいるだけである。火事のあるときに
煙を見れば方角だけは知れるが、
距離が分からぬために、新宿の火事を
江戸川辺かと思うたりすることが
往々あるが、世間の人はとかく、自分の考えと
一致せぬ考えを聞くと、ただちにこれを自分の考えと正反対の
極端のところに
位するものと勝手にきめて、そのつもりでしきりに
弁駁することが多い。われらは神ありとか神なしとかいう
議論には
接触せず、ただ
側から
眺めているだけであるが、有神
論者からは
極端な
無神論のごとくにみなされるであろう。
またわれらが
霊魂ありと
信ずるにおよばずというのを聞いて、ある人はこれを
唯物論と名づけるかもしれぬ。これも前と同様で、われらはかく
呼ばれてもいっこうにかまわぬ。ただしこの場合にもわれらは決して
唯心論と
唯物論とをくらべてみて、その中の
唯物論のほうを
採用したというわけではない。考えの出発点が
違い、考えの
方法が
違うために
唯心論か
唯物論かのうち、いずれか一つをとらねばならぬというような
境遇に立ちいたらぬゆえ、そのようなことを知らずにすましているだけである。またわれらが
宇宙は二階
造りとするにおよばずと
説くのを聞いて、ある人はこれを一元
論と名づけるかも知れぬ。もしもかような考え方を一元
論と名づけるならば、われは一元
論者であると言われることを決して
拒絶せぬ。ただしわれらの一元
論は、二元
論を
排斥して立った一元
論ではなく、
子供の心からそのままに
延びてきた一元
論であって、二元
論と対立しているなどとは
毫も思うていない。また一歩一歩
誤りの入りきたることのないようにと十分に注意し、
信ずべき
証拠があると
認めた上でなければ、考えを先へ進めぬという点では、
実証論と見なされてもよろしい。また知り
得ぬことは知らぬとしておく点では、
不知論と名づけられてもよろしい。われらは
哲学の一
系統を
造ったわけではなく、ただかようなところから出発し、かような
方法によって進んだならば、一つ
変わった
哲学ができるであろうという考えを
提出したに
過ぎぬ。きわめて
不充分な
説き方ではあったが、もしもこれが、
宇宙のことを深く考えてみようと
欲する
若い
篤学者のためにいくぶんかの
暗示ともならば、それでこの文を書いた
目的は
充分に
達せられたわけである。
(大正十年四月)
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