所謂偉人

丘浅次郎







 われらには一つみょうくせが有つて、何事でも見たり聞いたりすると、かならずそれをもととして何事なにごとをか考へ、さらに先から先へと考へを進めてついにははじめの出発点とは遠くへだたつた所までたつすることが屡々しばしばある。かつて「題字、序文じょぶん校閲こうえつ」と題する一文をおおやけにしたことがあるが、これの日の朝、新聞に出てる書物の広告こうこくを見て考へたことをそのまゝ書きつづつたものであつた。今此所ここべることは先日、神田の火事あとを通つたさいに思ひいたことであるゆえ、前のれいまねへば「神田の火事」とでもだいすべきはずであるが、それではあま内容ないようはなれ、かつあまこのむ様に見えるゆえあらためて「所謂ゆわいる偉人いじん」とふ見出しをもちひることにした。
 神田の火事は近年にまれな大火であつたが、原因げんいん放火ほうかであると聞いた。われらは火事あと板囲いたがこひの間を通りながら先づ考へたのは、放火ほうか犯人はんにん能力のうりょく放火ほうか結果けっかとの関係かんけいついいてであつた。すなわち、大火事を起した放火ほうか犯人はんにんは、ボヤだけよりおこなかつた放火ほうか犯人はんにんくらべて放火ほうか能力のうりょくまさつてるか。たとへば親方が火をけたら千げんけるはずの所を、新米しんまい弟子でしけたために、十軒じゅっけんよりけなかつたとごときことが有るであらうか。へれば、けた家数によつて、放火ほうか犯人はんにん腕前うでまえ等級とうきゅうけてよいものであらうか。たとへば三千げん放火ほうか者は、一二軒いちにけんよりなかつた放火ほうか者とは、全くだんちがふた非凡ひぼん傑物けつぶつ見做みなしてしかるべきか。此等これらの問題に答へるには、先づ大火事の生じべき条件じょうけんを考へ、実際じっさい如何いかなる場合におお火事があつたかを調べて見なければならぬが、火事が大きくなるには何時いつかならず次のごときことが必要ひつようである。第一には建築けんちく物が可燃性かねんせい材料ざいりょうつくられてなければならぬ。石造いしづくり煉瓦れんが家屋かおくばかりの所では、到底とうてい大火事は生じない。木でつくり紙をつたマッチ箱の様な家ばかりが列んでゆえ何所どこまでもつづくことが出来たのである。第二にははげしい風がいてなければならぬ。無風むふうの時には火の手が弱いゆえ消防夫しょうぼうふはたらきで容易よういに消されてしまふ。大火事になるのは何時いつ烈風れっぷうのときで此方こなたふせいでる間に彼方かなたび火し、其所そこを消してると此所ここえ上がるとふ様に到底とうてい消防しょうぼうの手の行きとどねる場合にかぎる。第三には、水の供給きょうきゅう不自由ふじゆうでなければならぬ。水が充分じゅうぶんれば大概たいがいの風にも火事は消せるが、水が欠乏けつぼうしては、蒸気じょうきポンプが何台けても、むなしく手をたばねて見てるよりほかいたし方はない。斯様かよう次第しだいで、火事の大きくるからぬかは、全く、建築けんちく材料ざいりょう如何いかんや、風の強弱、水の有無うむなどによつてさだまることであるが、此等これらいずれも、放火ほうか犯人はんにん放火ほうか能力のうりょくとは没交渉ぼつこうしょう(注:交渉がなく関係かんけいたれていること)である。烈風れっぷういてる時に、水の足らぬ所で、木造もくぞう市街しがいに火をければ、だれけてもかならず大火事にる。これに反して、石造いしづくり煉瓦れんがづくりの家ばかりでは、はじめから火がかず、かりに火がいたとしても無風むふうで、水が充分じゅうぶんにあれば即座そくざに消される。されば大火事にるからぬかは其時そのとき事情じじょう次第しだいであつて、決して放火ほうか犯人はんにん腕前えでまえ如何いかんによるわけではない。しも、けた家数が多かつたからとふ理由で、放火ほうか犯人はんにんしゅうすぐれた能力のうりょくを持つた者と見做みなす人があるならば、それは、おおいなる間違まちがひとはねばならぬが、さて世の中にはこれるいする間違まちがひが他には決していであらうか。


 斯様かように考へて見て、先づ第一にむねうかぶのは、宗教しゅうきょう開祖かいそはれる人々である。今日もっと信者しんじゃの多い宗教しゅうきょうへば、仏教ぶっきょう、キリスト教、マホメット教などで信者しんじゃの数はいずれも何千万か何億なんおくか有らう。さらこれ浄土じょうどとか法華ほっけとかプロテスタントとかカトリックとかに分けても、各派かくは信者しんじゃはなほ非常ひじょうに多数である。くのごとく多数の人間の心を長い間、支配しはいして教祖きょうそは、実に偉大いだいな人間であつたにちがひないとは、屡々しばしば聞く議論ぎろんであるが、われらは前にべた放火ほうか犯人はんにんのことに思ひくらべて、論法ろんぽうあやまつてると考へざるをない。われらは、釈迦しゃかも、キリストも、乃至ないし親鸞しんらん日蓮にちれん如何いかなる人物であつたやら全く知らぬゆえ偉人いじんでなかつたなどと断言だんげんするわけでは決してないが、たん信者しんじゃが多くあるとふだけの理由りゆうで、宗派しゅうは開祖かいそを空前絶後ぜつごの大偉人いじんであつたと断定だんていする論法ろんぽうには、われらは如何いかにしても点頭うなずくことは出来できぬ。信者しんじゃの多いとふことは開祖かいそく所を聞いて、徹頭てっとう徹尾てつび感服かんぷくしてしまふ程度ていど脳髄のうずいの持主が多いとふ事実をしめすだけで、あたかも、けた家数の多いのは木造もくぞう家屋かおくが多かつたためであるのと何のかわりもない。しも世間がヘッケル(注:エルンスト。ドイツの生物学者)やハックスレー(注:トマス。イギリスの生物学者)のごとき人間のみであつたならば、如何いか熱心ねっしんなカトリックの宣教師せんきょうしおしえひろめやうとつとめても、あたか石造いしづくり煉瓦れんがつくりのならんでる町に火をはなたうとするのと同様で、全く無効むこうに終るであらう。これに反して、天理教でも大本教おもときょう(注:明治めいじ時代に立教りっきょうした教派神道きょうはしんとう系の教団)でも、それを聞いてただちに引きまれるやうな人間の多い世の中では、たちまち多数の信者しんじゃ出来できる。されば信者しんじゃの多い宗派しゅうは開祖かいそただそれだけでもすで偉人いじんであると考へるのがあやまりなるのみならず、愚昧ぐまいな人間ばかりの世の中に多数の信者しんじゃを有する様な宗教しゅうきょうならば、開祖かいそもやはり愚昧ぐまい者の一人であつたと見做みなすのが当然とうぜんであらう。何故なぜふに、愚昧ぐまいならざる者のく所は愚昧ぐまい者に取つては全くねこ小判こばん、馬に念仏ねんぶつ到底とうてい耳に入らぬからである。
 信者しんじゃ多寡たかなどを念頭ねんとうかず、たんの当人の力量りきりょう経歴けいれきを調べて真に偉人いじんしょうして差支さしつかへないとみとめたならば、これは偉人いじんと名づけてよろしからうが此所ここに注意すべきは、宗教しゅうきょう開祖かいそなどとふ者は、年をるにしたがうて段々だんだんえらることである。キリストがはりつけになつた十字架じゅうじか破片はへんとして大切に保存ほぞんせられて木片もくへんを、世界中から集めると大きな帆船はんせん何艘なんそう出来るとか、釈迦しゃか舎利しゃりほねしょうする物をみなせると、四斗よんと(注:72リットル)たる何杯なんばいあるとかふ話を聞いたが、べて斯様かような具合に後の世になつて次第しだいえて行くゆえ伝記でんきごときも、何所どこまでが真実で、何所どこからが法螺ほらであるか容易ようい見別みわけられぬ。信者しんじゃをして開祖かいそ崇拝すうはいせしめることは、宗派しゅうは僧侶そうりょに取つてはきわめて利益りえきであるゆえ、後の世の僧侶そうりょ信者しんじゃをして益々ますます開祖かいそ崇拝すうはいせしめる様にとえず努力どりょくしたが、益々ますます崇拝すうはいせしめるには、開祖かいそ益々ますます高くかつぎ上げるの外はない。おおよそ他人を崇拝すうはいする場合には、の人と自分とのいちじるしいことを必要ひつようとする。自分とあまへだたらぬ人間を崇拝すうはいする心はだれにも到底とうてい起りない。中学校の上級生が、受持ちの教師きょうし心服しんぷくせず、そのため種々しゅしゅ騒動そうどうを起すのも、併合へいごうせられた民族みんぞく主権しゅけん国に反抗はんこうして容易よういおさまらぬのも、原因げんいんは両者の間の充分じゅうぶんに大きくないゆえである。しかして普通ふつうの人間と教祖きょうそとのを大きくするには、教祖きょうそ非常ひじょうえらい者とするのほかはないゆえ、その宗派しゅうはを商売とする僧侶そうりょ無論むろん教祖きょうそ段々だんだんえらい者に仕上げ、ひでりに雨をらせたとか、疫病神やくびょうがみ退治たいじしたとか、一斤いっきんのパンで千人前の弁当べんとうつくつたとか、くびを切らうとした刀がたちまれたとか種々しゅしゅ様々の話をこしらへて順々じゅんじゅんくわへた。る時、入間川いるまがわ(注:埼玉県さいたまけんを流れる荒川あらかわ水系すいけい河川かせん附近ふきん田舎いなか道を散歩さんぽしてさいに、四五人の女の子がまりをつきながら「アンマリだますなくそ坊主ぼうずづ先づ一貫いっかん(注:昔の硬貨こうかを数える単位)御貸おかし申した」と歌うてるのを聞いたが、開祖かいそ伝記でんきなるものを読んで見ると、全くまり歌のごとくに感ずる所が沢山たくさんにある。されば斯様かような後世の坊主ぼうずくわへた法螺ほら話を全部引き去つたならば、大概たいがい開祖かいその当時の人間とあま大差たいさのない者となるかも知れぬ。今日、われは予言者なり、われはメシヤ(注:理想てき統治とうちをする為政者いせいしゃ)なりとうて青黒い顔に山羊やぎひげを生やし、さらし木綿もめん勲章くんしょうたすきごとくにけて歩いて人等ひとらも、し、多数の信者しんじゃたならば、百年千年の後には、おそらく釈迦しゃかやキリストと同様な大偉人いじん見做みなされることであらう。


 他の方面においても、世間から偉人いじん見做みなされてる人々が、普通ふつうの人間にしてどのくらいすぐれてたかは、大に研究をようする。これも前に大火事は如何いかなる条件じょうけんもとに起るかと考へたごとくに、英雄えいゆう豪傑ごうけつが出来上がるには如何いかなる条件じょうけん必要ひつようであるかを先づしつしてからねばならぬ。われらはとくの事についいてろんじた文をいまだ一つも読んだことがゆえ、他の人等が如何いかに考へてるかは全く知らぬが、われ一己いっこの意見をべれば、英雄えいゆう豪傑ごうけつなるものをつくつたのは、主として、世間せけん一般いっぱんみなぎつて絶対ぜったい服従ふくじゅう奴隷どれい根性こんじょうであつて、の当人自身は、平均へいきんの人間にくらべて、まではなれてすぐれてはない。もとより人間には、生まれながらに、賢愚けんぐ強弱きょうじゃくべつがあるゆえだれでもが英雄えいゆう豪傑ごうけつれるとわけでは決していが、奴隷どれい根性こんじょうあふれてる社会に有つては、少しく平均へいきん以上いじょう力量りきりょうそなへた者ならば、うん次第しだい頓々とんとん拍子びょうしたちま英雄えいゆう豪傑ごうけつれたであらうと思ふ。奴隷どれい根性こんじょうとは、社会を幾段いくだんかの階級に分け、一つでも上の階級の者に対しては絶対ぜったい服従ふくじゅうし、一つでも下の階級の者には無限むげん権威けんいふるふ階級てき精神せいしんのことであるが、昔は根性こんじょうさかんであつて、世の中はそれでよくおさまつてた。今は一部分の者には、根性こんじょうが少しく退化たいかし始めて来たが、だい多数の者は、なほ多量たりょうこれそなへてる。奴隷どれい根性こんじょうを持つた者の特徴とくちょうは、主人を持つことをはじとせぬのみならず、ほかすぐれた主人をいただくことを何よりのほこりとして威張いばることである。晏子あんし(注:中国の春秋時代に斉国せいこくに仕えた晏嬰あんえいの物語)の御者ぎょしゃ適例てきれいであるが、政党せいとう首領しゅりょう車夫しゃふが、陣笠じんがさ(注:足軽・雑兵ぞうひょう)の車夫しゃふを目下に見るのも、伊勢屋いせやと書いた袢天はんてんを着るよりも、三菱みつびしいた袢天はんてんを着た方がはばくと思ふ職人しょくにんの心持も、これと少しもちがはぬ。官立かんりつ(注:国立)小学校の児童じどうに自分の学校の校長は正何位せいなんい勲何等くんなんとうぼうであるとうて公立小学校の児童じどうに対して威張いばる者があるならば、これまた奴隷どれい根性こんじょう一例いちれいである。斯様かよう根性こんじょう充満じゅうまんせる世の中に有つては、各人かくじんは自分の主人をえらくすることがすなわち自分をえらくすることに当ると心得こころえて、つねに上の階級の者をえらくしやうとつとめるであらうから、一定の階段かいだん以上いじょうに頭をた者は、の後はえず下からし上げられて、自然しぜん英雄えいゆう豪傑ごうけつつてしまふ。国を取り政権せいけんにぎるにいたるまでには無論むろん権謀術数けんぼうじゅっすう(注:人をあざむくためのはかりごと)も入用であり、命懸いのちがけの仕事も幾度いくどなさねばならぬであらうから、英雄えいゆう豪傑ごうけつ仲間なかまに入るのは容易よういでない様にも思はれるが、これは少数の物品を多数の人間があらそうてうばひ合ふ時には何時いつくべからざることで、へて英雄えいゆう豪傑ごうけつかぎつたことではない。犬でも数疋すうひきる所へほねを一つ投げてやれば、たちま命懸いのちがけの大喧嘩けんかを始める。外国の読本に出てるアレキサンダーと盗賊とうぞくとの話でも知れる通り、世間ではたたかいに勝つたものだけを英雄えいゆう豪傑ごうけつと名づけるが、勝つた英雄えいゆう豪傑ごうけつと負けた英雄えいゆう豪傑ごうけつとの間のは、喧嘩けんかに勝つた犬と負けた犬とのぎず、実物同志どうしくらべて見たらおそらくあい似寄によつたものであらう。
 かりに世の中が主人を持つことをいさぎよしとせぬやうな不覊ふき独立どくりつ(注:何ものにもしばられず制約せいやくを受けず、また援助えんじょや助けも受けずに独力どくりょくで道を切り開いて行こうとすること)の人間ばかりであつたと想像そうぞうして、それでも英雄えいゆう豪傑ごうけつなる者があらはれるであらうかと考へて見ると、これすこぶるむづかしい。如何いかに一人であせつても、手下てしたることをがえんずる(注:承諾しょうだくする)者がければ、何の目覚めざましいはたらきも出来ず、またかりに何がしかの仕事をたとしても、横から公平に見てる人等は、決して手下の面々がめ立てる様にはめ立てぬゆえ到底とうてい非凡ひぼんな人間と見做みなされるまでには立ちいたらぬ。されば、英雄えいゆう豪傑ごうけつなるものは畢竟ひっきょう人類じんるい奴隷どれい根性こんじょうつくり上げた産物さんぶつであつて、実質じしつ調査ちょうさしたならば、おそらく普通ふつうの人間の平均へいきんして、少しくまさつてるとくらいの所ではなからうか。人間の身体の大きさは大概たいがい定まつたもので、大男とうても、小男とうても、平均へいきんの高さから二割にわりとは遠ざかつてごとくに、英雄えいゆう豪傑ごうけつでも無名むめい泥棒どろぼうでも人間の平均へいきんから、それほどはなはだしくははなれてらぬやうに思はれる。し火星から地球へ動物採集さいしゅう探険家たんけんかが来たならば、ナポレオンでも豊臣とよよみ秀吉ひでよしでも雑兵ぞうひょうと同様にあみすくはれ、同じ標本ひょうほんびんに投げ入れられるであらう。


 次に学術がくじゅつ方面の偉人いじんついいても同様の感じがある。非常ひじょうに有名になつた学者はいずれも、他人に先立つて大発見か大発明をしたとか、他人のいまだ思ひおよばぬ新しい思想を考へ出したとかであるが、これにも種々しゅしゅ条件じょうけんたされてければならぬ。先づ如何いかなる大発明でも何も土台のかつた所に突然とつぜん出来できるものではない。かならず、の発明に到着とうちゃくすべき準備じゅんびすでととのひ、だれかがの発明をすべき気運が向つて来たときにはじめて出来るのである。当人は自身一人の力で発明したつもりでるかも知れず、世間せけんも、其人そのひと一人の力で発明が出来たごとくに思うてるかも知れぬが、学問発達はったつ歴史れきし見渡みわたすと、発明は何時いつの時までに、他人がきづき上げていてれた土台の上に出来たものなることが明に知られる。たとへてへば、発明は七分通りか八分通りまでみ上げてあつた煉瓦れんがへいのこりだけをして全部に仕上げた様な場合が多い。くして一の発明が出来れば、それを土台として、次の発明が出来、またそれを基礎きそとしてさらに新らしい発明が出来る。発明、発見を時のじゅんに列べて見ると、後のものほど進歩してるのはためである。
 る雨のる日に宿屋にとまつて、のき(注:屋根のはしかべなどからり出した部分)から雨垂あまだれの落ちるのを見ながら考へたことであるが、雨垂あまだれの一滴いってきの中で最下さいかくらいする水の分子ぶんしは、地に落ちる時に先頭に立つとふ理由だけで、残余ざんよの水の分子よりははるかとうとむべきものと見做みなさねばならぬか。のき雨垂あまだれの出来る所をながめると、はじめ小さな半球形の乳房にゅうぼうごとき形のものが出来、それが次第しだいのびび、最早もはや自分の重量じゅうりょうたもぬ様になると、のきらしてる全体の水からはなれて、球形のしずくとして落ちるのであるが、さいしずくの下面にくらいする水の分子は、たゞ何等なんらかの都合で其所そこに来合せたとふだけで、べつ残余ざんよの水の分子にしてことなつた所はい。汽車が進行する時には、先に立つ機関車きかんしゃが力を出して貨車かしゃや客車をき、後からつづいて行く貨車かしゃや客車は機関車きかんしゃかれて進むのであるゆえ、先頭に立つものと随従ずいじゅうして行くものとでは大に能力のうりょくちがふが、水のしずくの中では先に進む水の分子が、のこりの水の分子をいて行くわけでもなく、後部にくらいする水の分子も決して前面に居合いあわせた水の分子にかれて行くわけでもない。たゞしずくが落ちねばならぬ時期が到来とうらいしたので落ちるとふにぎぬ。其所ここで発明や発見をした人は汽車の機関車きかんしゃ比較ひかくすべきものか、あるいはまた雨垂あまだれのしずくの下面にくらいする水の分子に比較ひかくすべきものかとふに、われらの考へによれば、むしろろ後者にるいする点が多い様に思はれる。しもニユートンが引力のことわりを発見しなかつたならば、今日まで、引力の理はだれにも発見せられずに終つたであらうか(注:ヨハネス・ケプラーが発見した惑星の運動に関する法則が基に在る。ロバート・フックも同時代に気づいていた)。しもワットが蒸気じょうき機関きかんを発明しなかつたならば、今日までだれ蒸気じょうき機関きかんを発明せずにんだであらうか(注:ドニ・パパンやトマス・セイヴァリ、トマス・ニューコメンなどの先駆者せんくしゃの考えを改良しして、ワットは特許とっきょを取得した)。何億なんおくと数へる多数の人間の中には頭の相応そうおうによい者が何時いつの世にもいく千人か、いく万人かはかならるであらうから、しもヒンツが発見しなかつたならば、おそらくクンツが発見し、マイエルが発明しなければ、ミュレルが発明して、時機じき到着とうちゃくした以上いじょうは、だれかが発明せずにはかぬであらう。しかも同一物の発見はただ一回にかぎられてあるゆえ、一人が発見してしまへば、のこりの者は発見者たるの機会きかい永久えいきゅううしなふこと、あたかもたゞ一本の当りくじを他人に取られたのと同じである。されば発明、発見をた人と、なかつた人とのは、たんくじに当つた人とくじはずれた人とのぎぬごとき場合もつねに有ることと思はれるゆえ、発明、発見をた人々だけを他の者より遠くはなし、はるかすぐれる者として特別とくべつ尊敬そんけいすることは少しく理窟りくつに合はぬやうである。
 以上いじょうは真に価値かちある発見または発明をして有名になつた人々についいてべたのであるが、有名な学者はかならずしも正しい発見や発明をした者ばかりとはかぎらぬ。一般いっぱんの人々は専門せんもん学術がくじゅつじょうくわしいことは分らぬゆえ、学者等の力量りきりょうを自身で判断はんだんすることが出来ず、たゞ世間の評判ひょうばんを聞いての通りに思うてる。しかして世間の評判ひょうばんなるものは決して、真の学力を見た結果けっかではなく、多くは学位がくいを有するとか、大学教授きょうじゅであるとか、学士院がくしいん(注:研究者に対する顕彰けんしょう等の事業を通じ、日本の学術の発展を図る目的で設置された)の会員であるとか、何々しょう(注:たとえば文化勲章くんしょうやノーベルしょう)をもらうたとかごと人為じんいてき差別さべつもとづいてゆえもっとすぐれた人が何時いつかならもっと評判ひょうばんが高いとわけではない。またその反対に新聞紙上にかくれたるとく学者(注:熱心ねっしんに学問にはげむ人)とか、無名むめいの大学者とか、大々的だいだいてき広告こうこくせられる人物が実は法螺ほらきの名人にぎぬことも屡々しばしばある。後から見れば全くあやまりである様なせつとなへても、の当時非凡ひぼんな大偉人いじんであるごとくに思はれた人もあれば、存命ぞんめい中は世間から少しもかえりみられなかつた人が、死んでから大学者と見做みなされるにいたつたれい相応そうおうに多い。しも適当てきとう位地ちいかれたならば一廉ひとかどの発明、発見をべき頭脳ずのうの持主でも、一生不遇ふぐうのために、本来の能力のうりょく発揮はっきする機会きかいうしなふこともあらう。他人よりは少しく早く専門せんもん学をおさめたとふだけの理由で、凡庸ぼんようの者がの道の大家とますこともあらう。されば学術がくじゅつ界において、偉人いじんと名づけられる人々の中には、随分ずいぶん種々しゅしゅの人物がふくまれてゆえ、よくよく吟味ぎんみしてからでないと、大に買ひかぶおそれがある。


 毛虫の中に行列毛虫と名づける一種いっしゅがある。たまごから同時に孵化ふかした何千疋なんぜんびきもの毛虫が、偶然ぐうぜん先に立つた一疋いっぴきを先頭として、長い行列をつくつてうて行く習慣しゅうかんが有るので、斯様かような名がけられた。だれが先頭に立つかは全く偶然ぐうぜんであつて、先頭に立つ一疋いっぴきを後の方にへれば、あらたに先頭となつた一疋いっぴきが先に立つて進み、前に先頭であつた一疋いっぴき残余ざんよのものとともにたゞ後からしたがうて行くだけである。すなわの毛虫には同僚どうりょうと行列して進むと本能ほんのう先天的せんてんてきそなはり、各自かくじは行先を知らず、たゞ多数の者の行く通りに進み行く一種いっしゅ自働じどう器械きかいつてる。昆虫こんちゅう学者がためしの毛虫の行列をみちびいて、丸い植木鉢うえきばちふちうつらせた所が、円周えんしゅうには始めも終りもゆえ、同じ所を何時いつまでもくるくるとつて、数日の後にはつい疲労ひろうしてみなたおれた。先年日光の有名なねむねこを、案内人あんないにんれられた多数の見物人が立ち止まつて、感服かんぷくしてながめてるのを見て、われらはの行列毛虫のことを思ひ出さずにはられなかつた。
 世間の人々がねむねこ感服かんぷくするのは何故なぜであるかとふに、決して自分の鑑定かんてい力によつて、これ非凡ひぼんな作品であると判断はんだんした結果けっかではない。自分には何だか少しも分らぬが、他人がみなこれはひだり甚五郎じんごろうえら彫刻師ちょうこくしつくつた天下一品の宝物たからものであるとゆえ、それに盲従もうじゅうしてしきりに感服かんぷくしてるだけである。しもこれが名もない古道具屋の店先に出してあつたならば、これ見附みつけて感服かんぷくする人はきわめてまれであらう。べて斯様かよう次第しだいで、世人が芸術げいじゅつ上の作品に対する態度たいどは、あたかも行列毛虫の心理のごとく、全然ぜんぜん雷同らいどう(注:自分自身の考えをもたず、むやみに他人のせつや行動に同調どうちょうすること)ばかりで、独立どくりつ自尊じそん精神せいしんが少しもゆえ、この方面の偉人いじんはれる人々の真の力量りきりょう評価ひょうかするには、世間の評判ひょうばんを一時度外視どがいしして、根本から調べ直して見なければならぬ。
 芸術げいじゅつ作品の売買値段ねだんは時によつて非常ひじょうちがふもので、はやらぬ時はただの様なものが、一朝いっちょうはやり出すと、何百円にも何千円にもなる。これ其物そのもの自身に定まつたあたいがなく、相場は全く買手次第しだいであることをしめしてる。しかして、流行りゅうこうするかせぬかは、中に立つ商売人のあやつり様によつて如何いかようにもなる。二百円とふだけた丸帯まるおび店曝たなざらしにつてたのを二千円とあたいへたら即日そくじつ売れたとふ様な世間を相手にしては、如何いか劣等れっとう品が如何いか高価こうかに売れるやら分らぬゆえ、作品の売れた値段ねだんによつて、作者の腕前えでまえ評価ひょうかするとんだあやまりおちいるかも知れぬ。また高く売れる品にはかならず多くの贋物にせものが出来て、大概たいがいの人は贋物にせものつかまされて知らずにるが、斯様かよう贋物にせものが出来るとふことは、すなわち、本物が他人にも真似まねが出来ると範囲はんいを出ぬからである。鑑定かんてい者に見せれば真偽しんぎは一目瞭然りょぜんのことも有らうが、大多数の普通ふつうの人間が見て相違そういが分らぬくらいならば、両者のきわめてであると見做みなすのが公平であらう。ミケランジェロとかラファエルとか古来有名な人々が、芸術げいじゅつすぐれてたことは、もとよりうたがふべからざることであるが、べての画家、彫刻ちょうこく家をことごとく集めて、腕前えでまえ優劣ゆうれつ順序じゅんじょならび立たせたならば、次にくらいする人々との間のへだたりはおそらくきわめて僅少きんしょうではなからうか。
 以上いじょうごとくに考へて見ると、芸術げいじゅつ方面においても、他の方面においけると同様に、偉人いじんつくり上げたのはやはり、人間の奴隷どれい根性こんじょうであるごとくに思はれる。奴隷どれい根性こんじょうとはすなわ独立どくりつ自尊じそん精神せいしん欠乏けつぼうであるが、独立どくりつ自尊じそん精神せいしんければ、万事ばんじ他人の指図さしず盲従もうじゅうするの外はなく、他人が感服かんぷくせよと命ずる物は直に感服かんぷくし、他人があがまつれと命ずる物はただちあがまつる。しかして多数の人々が打ちそろうてあがまつれば、其人そのひと無論むろんたちま偉人いじんつてしまふ。しも今日名人として名をつたへられてる人々の中から、くのごとくにしてつくり上げられた名人をことごとく引き去つたならば、のこりは幾何いくばくいのではなからうか。


 右につづいてむねうかぶのは、所謂ゆわいる名勝めいしょう旧跡きゅうせきのことである。大概たいがいの名所とか旧跡きゅうせきとかふ所は、みな世人せじんあがつて英雄えいゆう豪傑ごうけつ名僧めいそう名人などと関係かんけいしたもので、たとへば秀吉ひでよしこしけた石とか、家康いえやすが茶を飲んだ寺とか、何大師たいしが足をあらうた池とか、何上人しょうにん袈裟けさけたまつとかるいが多い。此等これらいずれも斯様かような人々を崇拝すうはいする心をもつて見るゆえ其所ここ興味きょうみおぼえるのであるが、かる話を少しも聞かず、たんに通りかつただけでは別段べつだん他にして、とくまさつた点が有るとはおぼえぬ。英雄えいゆうでも、豪傑ごうけつでも、の時の人間の奴隷どれい根性こんじょうつくり上げた産物さんぶつで、実質じしついたつては、人間の平均へいきんを去ること決してあまり遠くはなかつたらうなどと考へる者から見れば、彼等かれらが何をなしあとであらうとも、とくにそれを有難ありがたがつて大切に取りあつかふべき理由はない。馬琴ばきん(注:曲亭きょくてい)が小説しょうせつを書くときに用ひたすずりの水をくんだんだ井戸いど立札たてふだを、何所どこかで見たことがあるが、斯様かようなものまでを古跡こせきとしたら、実に際限さいげんい。京都でおのぼりさんが拝観料はいかんりょうはらうて見物して歩く名勝めいしょう旧跡きゅうせきごときも、英雄えいゆう名僧めいそうとの因縁いんねんつたならば、態々そもそも見るだけの値打ねうちいものがすこぶる多数をめるであらう。
 風景ふうけいで名高い所にも同様なことがある。有名になるくらいの所ならば、無論むろん景色けしきの悪からうはずいが、其所ここよりもすぐつた風景ふうけいの所が余所よそにはいかと考へて見ると決して左様ではない。左ほど名高なだかくない所にも随分ずいぶん景色けしきのよい所がある。しかるに日本の三景さんけいとか近江おうみ八景はっけいとか、だれかがひ出すと、多数の人々はこれ雷同らいどうし、くて世間からの相場そうばが定まると、見ない中からこれまさ風景ふうけいの所は他にないいとしんじてしまひ、斯様かような頭を持て見物に出掛けるゆえ、実物を見ればたちませられて極度きょくど感服かんぷくする。くして有名な所は益益ますます有名となり、他所の景色けしきとは、全くはなれた絶景ぜっけいごとくに評判ひょうばんせられる様になるが、実の所はそれほどのものではなく、たゞ、比較ひかくてきによいとくらいぎぬ。
「名物にうまいものし」とことわざがあるが、これは前とは反対に世人の雷同らいどう心をあざけつた痛快つうかいな言葉である。元来がんらい名物なるものは、うまいと評判ひょうばんのために名物とつたのであつて、はじめから不味まずいことを看板かんばんげた名物が有るべきわけはない。しかるに名物にうまいものしとふのは何故なぜかとふに、これは実地経験けいけん結果けっか、世間の評判ひょうばんなるものの少しも当てにならぬことを発見し、今までだまされて意趣返いしゅかえし(注:仕返しをしてうらみをらすこと)に、名物全体に対してののしりのさけび声を上げたのである。名物にうまいものが全くわけではなく、時には実際じっさいうまいものも有るであらうから、名物にうまいものなしと、総括そうかつてきはれては、随分ずいぶん迷惑めいわくを感ずる名物が有るかも知れぬが、多数の物がうまくなければ、はれてもいたし方はない。しかして、世間の評判ひょうばんなるものが当てにならぬのは何故なぜかとへば、人間に独立どくりつ自尊じそん精神せいしんく、何事でも聞いたまゝを直にしんじて、事実に合はぬ評判ひょうばんつくり上げたからである。されば、評判ひょうばんだまされぬためには、一時評判ひょうばんに耳をす事を止めて、直接ちょくせつに実物を調べてかるの外はないが、くしたならば、所謂ゆわいる偉人いじんなる者の、実は左まで偉人いじんでもないことを発見し、今までだまされて鬱憤うっぷんらすために「英雄えいゆうえらい者なし」とか「聖人せいじんきよい者なし」とか「学者に智慧ちえのある者なし」とか「名人に上手じょうずな者なし」とかふにいたるやも知れぬ。


 以上いじょうべたごとくに考へて見ると、偉人いじんなるものは、人間の奴隷どれい根性こんじょうつてたかつてきづき上げたもので、其者このもの自身には別段べつだん、他の人間から遠くへだたるほどの不思議ふしぎな力が有つたわけではない。されば、人間に奴隷どれい根性こんじょうのある間は偉人いじんは引きつづき生ずるであらうが、根性こんじょう次第しだい減少げんしょうすれば、偉人いじんは明け方の幽霊ゆうれいと同じく段々だんだんと出にくゝるのではあるまいか。らば今日は如何いかふに、現代げんだいは少しづつ奴隷どれい根性こんじょう退化たいかし始めたとはへ、前世紀せいきよりの遺物いぶつなる階級てき精神せいしんが、なほきわめて多量たりょうに心の中にのこつてゆえ偉人いじん崇拝すうはい容易よういにはおとろへぬ。奴隷どれい根性こんじょうが今日なほすこぶさかんであることは、いずれの方面を見てもあきらであるが、こころみに二三のれいげれば次のごときものがある。
 毎日の新聞記事を見るに下級の者がなしたならば、一二行にも書かれぬはず事件じけんでも、知名の人の家庭に起ると一週間も十日も絵入りでさかんに書き立てる。たとへば、わかつまが他人と情死じょうし仕損しそんじて怪我けがをしたとか、自由結婚けっこんをしたむすめどくを飲んで死んだとかごときことは広い世間にはいくらも有り勝ちの事件じけんで、無名むめいの者がしたのではろくに新聞にも出してくれぬ。しかるに事件じけんは全く同一であつても親が何爵なにしゃくであるとか、何十万円の財産ざいさんがあるとかふと、これを重大事件じけんででも有るかのごとくに紙面の大部分をいてくわしく掲載けいさいする。新聞紙はもとより売り物であるゆえ、売るためには客のこのみにしたがはねばならぬが、くのごとくに、同一性質せいしつ事件じけんたんに社会上の地位ちいちがふとふ理由だけで取扱とりあつかひをことにするのは、全く奴隷どれい根性こんじょうを有して、上級の者の事ならば、何によらず重大視じゅうだいしする読者の要求ようきゅうおうじてるのである。奴隷どれい根性こんじょう消滅しょうめつした者から見れば、同一性質せいしつ事件じけんならば無論むろん同一価値かちのもので、伯爵はくしゃくであらうが、平民へいみんであらうが何十万円であらうが、無一物むいちもんであらうが、それによつて区別くべつすべきはずはない。また知名の人には諸方しょほうから書画しょが筆蹟ひっせきたもみに来る者がえぬが、これまた世間に奴隷どれい根性こんじょう充満じゅうまんして証拠しょうこである。上手なかきの書いた絵をほしがるならば、絵その物を見て楽しまうとするのであるゆえ奴隷どれい根性こんじょうとはへぬが、何がし大臣だいじんの書いた拙劣せつれつな絵を所望しょもうするのは、の絵を通して筆者を崇拝すうはいするためであるゆえ無論むろん奴隷どれい根性こんじょうの明かな曝露ばくろである。ただただちに他の奴隷どれい根性こんじょうの所有者に売りばしてもうけるつもりならば問題はべつである。の他銅像どうぞうを立てるとか、遺跡いせき保存ほぞんするとかごときことも、多くは奴隷どれい根性こんじょうから出てる。今日の世の中には奴隷どれい根性こんじょうすなわち階級てき精神せいしん実例じつれい数限かずかぎりなくあるが、他のれいげることは一切りゃくする。一言でへば現今げんこんの社会は、なほ、火をければ直にえる木造もくぞう家屋かおくごとき人間や、何所どこへ行くか知らずに、たゞ他人の後にいて行く行列毛虫のやうな人間、または学位がくいの有る人はい人よりも智慧ちえがあり、学位がくいを二つ持つた学者は、一つより持たぬ学者にくらべて、学力が二倍あると思ふごとき、人為じんい区別くべつに重きをく人間や、高位こうい高官こうかんの主人をいただくことを何よりの名誉めいよと考へる、晏子あんし御者ぎょしゃごとき人間でちてゆえ偉人いじん続々ぞくぞくと出るべき条件じょうけん充分じゅうぶんそなはつてる。しかし、奴隷どれい根性こんじょうの消えかつた人間も少しづつは生じて来たゆえ、他の人々の崇拝すうはいする偉人いじんに対して敬意けいいを表せぬ者が、時々あらはれることは何としてもけることは出来できぬ。


 しからば今後は如何いかり行くべきかとふに、われらの考へによれば、階級てき精神せいしんなるものは、階級かいきゅうてき団体だんたい生活に必要ひつようなものゆえ団体だんたい間の生存せいぞん競争きょうそうさかんに行はれてる間は益益ますます完全かんぜんになつて行くが、今日の人間は団体だんたいあまり大きくぎて、団体だんたい間の勝敗しょうはい緩漫かんまんになつたために、階級てき精神せいしん最早もはや次第しだい退歩たいほするのほかくなつた。しかして階級てき精神せいしん退歩たいほすれば、人為じんいてきの階級べつみとめぬ様になり、それだけ自主自由の心が進んで来るゆえ、他人が何んとうても自分で考へて、るほど、もっともであると合点の行く事でなければ決してしんじなくなる。世の中が斯様かような人間ばかりとれば、同時代に生活する目前の人間を偉人いじんとして崇拝すうはいすることはもとより出来できぬにちがひない。何故なぜふに、何人なんびといえどども実際じっさいを調べて見たら、少くとも一人前の欠点けってんや弱点はかならずあるゆえ到底とうてい一段いちだん上のべつ階級の者とは考へられぬからである。また従来じゅうらい偉人いじんとして世間からあがめられた者も、奴隷どれい根性こんじょううしなうた人間から公平に観察かんさつせられたならば、たちまはく(注:人が重んじるように外面的に付加されたもの)がげて、偉人いじんでも何でもくなるやも知れぬ。
 下等動物から人間までに進化し来つたいく千万年間の歴史れきし背景はいけいとしてながめれば、普通ふつうの人間と、所謂ゆわいる偉人いじんとの間のごときは、実に僅少きんしょうなものである。それを非常ひじょうに大なる相違そういであるごとくに思うてたのは、奴隷どれい根性こんじょうもつこれのぞんだゆえであつた。人間なるものは無論むろんことごとく平等ではない。生れながらの賢愚けんぐ強弱きょうじゃく差別さべつもあれば、生まれた後の境遇きょうぐうもとづく差別さべつもある。今後とても、一人一人の実質じしつ優劣ゆうれつのあるべきはふまでもないが、奴隷どれい根性こんじょうから解放かいほうせられた者から見ればたゞ有りのまゝの優劣ゆうれつが知れるだけで、決して従来じゅうらいごとくに、平均へいきんより少しくまさつた者、または平均へいきんより少しく幸運であつた者を、あたか普通ふつう人とは全くべつの世界にぞくする優秀ゆうしゅう人種じんしゅとして、の足の下に平伏へいふくするごときことはいであらう。所謂ゆわいる偉人いじんかんするわれらの考へは、先づ以上いじょうべた通りである。
(大正十年六月)





底本:「近代日本思想大系 9 丘浅次郎集」筑摩書房
   1974(昭和49)年9月20日 初版第1刷発行
入力:矢野重藤
初出:1921(大正10)年6月 『所謂偉人』
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