我らには一つ
妙な
癖が有つて、何事でも見たり聞いたりすると、
必ずそれを
基として
何事をか考へ、
更に先から先へと考へを進めて
終には
初めの出発点とは遠く
距つた所まで
達することが
屡々ある。
嘗て「題字、
序文、
校閲」と題する一文を
公にしたことがあるが、
之は
其の日の朝、新聞に出て
居る書物の
広告を見て考へたことを
其まゝ書き
綴つたものであつた。今
此所に
述べることは先日、神田の火事
跡を通つた
際に思ひ
附いたことである
故、前の
例に
傚へば「神田の火事」とでも
題すべき
筈であるが、それでは
余り
内容と
掛け
離れ、
且余り
奇を
好む様に見える
故、
改めて「
所謂偉人」と
云ふ見出しを
用ひることにした。
神田の火事は近年に
稀な大火であつたが、
其の
原因は
放火であると聞いた。
我らは火事
跡の
板囲ひの間を通りながら先づ考へたのは、
放火犯人の
能力と
放火の
結果との
関係に
就いてであつた。
即ち、大火事を起した
放火犯人は、ボヤだけより
起し
得なかつた
放火犯人に
比べて
放火の
能力が
優つて
居るか。
例へば親方が火を
附けたら千
軒焼ける
筈の所を、
新米の
弟子が
附けたために、
十軒より
焼けなかつたと
云ふ
如きことが有るであらうか。
云ひ
換へれば、
焼けた家数によつて、
放火犯人の
腕前に
等級を
附けてよいものであらうか。
例へば三千
軒を
焼き
得た
放火者は、
一二軒より
焼き
得なかつた
放火者とは、全く
段の
違ふた
非凡な
傑物と
見做して
然るべきか。
此等の問題に答へるには、先づ大火事の生じ
得べき
条件を考へ、
実際如何なる場合に
大火事があつたかを調べて見なければならぬが、火事が大きくなるには
何時も
必ず次の
如きことが
必要である。第一には
建築物が
可燃性の
材料で
造られてなければならぬ。
石造や
煉瓦の
家屋ばかりの所では、
到底大火事は生じ
得ない。木で
造り紙を
張つたマッチ箱の様な家ばかりが列んで
居た
故、
何所までも
焼け
続くことが出来たのである。第二には
烈しい風が
吹いて
居なければならぬ。
無風の時には火の手が弱い
故、
消防夫の
働きで
容易に消されてしまふ。大火事になるのは
何時も
烈風のときで
此方を
防いで
居る間に
彼方に
飛び火し、
其所を消して
居ると
此所が
燃え上がると
云ふ様に
到底消防の手の行き
届き
兼ねる場合に
限る。第三には、水の
供給が
不自由でなければならぬ。水が
充分に
廻れば
大概の風にも火事は消せるが、水が
欠乏しては、
蒸気ポンプが何台
駈け
附けても、
空しく手を
束ねて見て
居るより
外に
致し方はない。
斯様な
次第で、火事の大きく
成るか
成らぬかは、全く、
建築材料の
如何や、風の強弱、水の
有無等によつて
定まることであるが、
此等は
孰れも、
放火犯人の
放火能力とは
没交渉(注:交渉がなく
関係が
断たれていること)である。
烈風の
吹いて
居る時に、水の足らぬ所で、
木造の
市街に火を
附ければ、
誰が
附けても
必ず大火事に
成る。
之に反して、
石造や
煉瓦造りの家ばかりでは、
初めから火が
附かず、
仮に火が
附いたとしても
無風で、水が
充分にあれば
即座に消される。されば大火事に
成るか
成らぬかは
其時の
事情次第であつて、決して
放火犯人の
腕前の
如何による
訳ではない。
若しも、
焼けた家数が多かつたからと
云ふ理由で、
放火犯人を
衆に
優れた
能力を持つた者と
見做す人があるならば、それは、
大なる
間違ひと
云はねばならぬが、さて世の中には
之に
類する
間違ひが他には決して
無いであらうか。
斯様に考へて見て、先づ第一に
胸に
浮ぶのは、
宗教の
開祖と
云はれる人々である。今日
最も
信者の多い
宗教と
云へば、
仏教、キリスト教、マホメット教などで
其の
信者の数は
孰れも何千万か
何億か有らう。
更に
之を
浄土とか
法華とかプロテスタントとかカトリックとかに分けても、
各派の
信者はなほ
非常に多数である。
斯くの
如く多数の人間の心を長い間、
支配して
居る
教祖は、実に
偉大な人間であつたに
違ひないとは、
屡々聞く
議論であるが、
我らは前に
述べた
放火犯人のことに思ひ
比べて、
此の
論法は
誤つて
居ると考へざるを
得ない。
我らは、
釈迦も、キリストも、
乃至は
親鸞も
日蓮も
如何なる人物であつたやら全く知らぬ
故、
偉人でなかつたなどと
断言する
訳では決してないが、
単に
信者が多くあると
云ふだけの
理由で、
其の
宗派の
開祖を空前
絶後の大
偉人であつたと
断定する
論法には、
我らは
如何にしても
点頭くことは
出来ぬ。
信者の多いと
云ふことは
開祖の
説く所を聞いて、
徹頭徹尾感服してしまふ
程度の
脳髄の持主が多いと
云ふ事実を
示すだけで、
恰も、
焼けた家数の多いのは
木造の
家屋が多かつた
為であるのと何の
変りもない。
若しも世間がヘッケル(注:エルンスト。ドイツの生物学者)やハックスレー(注:トマス。イギリスの生物学者)の
如き人間のみであつたならば、
如何に
熱心なカトリックの
宣教師が
教を
弘めやうと
努めても、
恰も
石造や
煉瓦造りの
列んで
居る町に火を
放たうとするのと同様で、全く
無効に終るであらう。これに反して、天理教でも
大本教(注:
明治時代に
立教した
教派神道系の教団)でも、それを聞いて
直に引き
込まれるやうな人間の多い世の中では、
忽ち多数の
信者が
出来る。されば
信者の多い
宗派の
開祖を
唯それだけでも
已に
偉人であると考へるのが
誤なるのみならず、
愚昧な人間ばかりの世の中に多数の
信者を有する様な
宗教ならば、
其の
開祖もやはり
愚昧者の一人であつたと
見做すのが
当然であらう。
何故と
云ふに、
愚昧ならざる者の
説く所は
愚昧者に取つては全く
猫に
小判、馬に
念仏で
到底耳に入らぬからである。
信者の
多寡などを
念頭に
置かず、
単に
其の当人の
力量、
経歴を調べて真に
偉人と
称して
差支へないと
認めたならば、これは
偉人と名づけて
宜しからうが
此所に注意すべきは、
宗教の
開祖などと
云ふ者は、年を
歴るに
随うて
段々と
偉く
成ることである。キリストが
磔になつた
十字架の
破片として大切に
保存せられて
居る
木片を、世界中から集めると大きな
帆船が
何艘出来るとか、
釈迦の
舎利骨と
称する物を
皆寄せると、
四斗(注:72リットル)
樽に
何杯あるとか
云ふ話を聞いたが、
総べて
斯様な具合に後の世になつて
次第に
殖えて行く
故、
伝記の
如きも、
何所までが真実で、
何所からが
法螺であるか
容易に
見別けられぬ。
信者をして
開祖を
崇拝せしめることは、
其の
宗派の
僧侶に取つては
極めて
利益である
故、後の世の
僧侶は
信者をして
益々開祖を
崇拝せしめる様にと
絶えず
努力したが、
益々崇拝せしめるには、
開祖を
益々高く
担ぎ上げるの外はない。
凡そ他人を
崇拝する場合には、
其の人と自分との
差の
著しいことを
必要とする。自分と
余り
距たらぬ人間を
崇拝する心は
誰にも
到底起り
得ない。中学校の上級生が、受持ちの
教師に
心服せず、その
為種々の
騒動を起すのも、
併合せられた
民族が
主権国に
反抗して
容易に
治まらぬのも、
其の
原因は両者の間の
差が
充分に大きくない
故である。
而して
普通の人間と
教祖との
差を大きくするには、
教祖を
非常に
偉い者とするの
外はない
故、その
宗派を商売とする
僧侶等は
無論教祖を
段々と
偉い者に仕上げ、
旱りに雨を
降らせたとか、
疫病神を
退治したとか、
一斤のパンで千人前の
弁当を
造つたとか、
頸を切らうとした刀が
忽ち
折れたとか
種々様々の話を
拵へて
順々に
附け
加へた。
或る時、
入間川(注:
埼玉県を流れる
荒川水系の
河川)
附近の
田舎道を
散歩して
居た
際に、四五人の女の子が
鞠をつきながら「アンマリ
瞞すな
糞坊主先づ先づ
一貫(注:昔の
硬貨を数える単位)
御貸し申した」と歌うて
居るのを聞いたが、
開祖の
伝記なるものを読んで見ると、全く
此の
鞠歌の
如くに感ずる所が
沢山にある。されば
斯様な後世の
坊主が
附け
加へた
法螺話を全部引き去つたならば、
大概の
開祖は
其の当時の人間と
余り
大差のない者となるかも知れぬ。今日、
我は予言者なり、
我はメシヤ(注:理想
的な
統治をする
為政者)なりと
云うて青黒い顔に
山羊髯を生やし、
晒木綿を
勲章の
襷の
如くに
掛けて歩いて
居る
人等も、
若し、多数の
信者を
獲たならば、百年千年の後には、
恐らく
釈迦やキリストと同様な大
偉人と
見做されることであらう。
他の方面に
於ても、世間から
偉人と
見做されて
居る人々が、
普通の人間に
比してどの
位優れて
居たかは、大に研究を
要する。
之も前に大火事は
如何なる
条件の
下に起るかと考へた
如くに、
英雄豪傑が出来上がるには
如何なる
条件が
必要であるかを先づ
質して
掛からねばならぬ。
我らは
特に
此の事に
就いて
論じた文を
未だ一つも読んだことが
無い
故、他の人等が
如何に考へて
居るかは全く知らぬが、
我ら
一己の意見を
述べれば、
英雄豪傑なるものを
造つたのは、主として、
世間一般に
漲つて
居る
絶対服従の
奴隷根性であつて、
其の当人自身は、
平均の人間に
比べて、
左まで
飛び
離れて
優れては
居ない。
素より人間には、生まれながらに、
賢愚強弱の
別がある
故、
誰でもが
英雄豪傑に
成れると
云ふ
訳では決して
無いが、
奴隷根性の
溢れて
居る社会に有つては、少しく
平均以上の
力量を
備へた者ならば、
運次第で
頓々拍子に
忽ち
英雄豪傑に
成れたであらうと思ふ。
奴隷根性とは、社会を
幾段かの階級に分け、一つでも上の階級の者に対しては
絶対に
服従し、一つでも下の階級の者には
無限に
権威を
振ふ階級
的精神のことであるが、昔は
此の
根性が
盛であつて、世の中はそれでよく
治まつて
居た。今は一部分の者には、
此の
根性が少しく
退化し始めて来たが、
大多数の者は、なほ
多量に
之を
備へて
居る。
奴隷根性を持つた者の
特徴は、主人を持つことを
恥とせぬのみならず、
他に
優れた主人を
戴くことを何よりの
誇りとして
威張ることである。
晏子(注:中国の春秋時代に
斉国に仕えた
晏嬰の物語)の
御者は
其の
適例であるが、
政党の
首領を
挽く
車夫が、
陣笠(注:足軽・
雑兵)の
車夫を目下に見るのも、
伊勢屋と書いた
袢天を着るよりも、
三菱の
符の
附いた
袢天を着た方が
幅が
利くと思ふ
職人の心持も、これと少しも
違はぬ。
官立(注:国立)小学校の
児童に自分の学校の校長は
正何位、
勲何等の
某であると
云うて公立小学校の
児童に対して
威張る者があるならば、
之また
奴隷根性の
一例である。
斯様な
根性の
充満せる世の中に有つては、
各人は自分の主人を
偉くすることが
即ち自分を
偉くすることに当ると
心得て、
常に上の階級の者を
偉くしやうと
努めるであらうから、一定の
階段以上に頭を
挙げ
得た者は、
其の後は
絶えず下から
押し上げられて、
自然に
英雄豪傑と
成つてしまふ。国を取り
政権を
握るに
至るまでには
無論権謀術数(注:人を
欺くためのはかりごと)も入用であり、
命懸けの仕事も
幾度か
為ねばならぬであらうから、
英雄豪傑の
仲間に入るのは
容易でない様にも思はれるが、これは少数の物品を多数の人間が
争うて
奪ひ合ふ時には
何時も
避くべからざることで、
敢へて
英雄豪傑に
限つたことではない。犬でも
数疋居る所へ
骨を一つ投げてやれば、
忽ち
命懸けの大
喧嘩を始める。外国の読本に出て
居るアレキサンダーと
盗賊との話でも知れる通り、世間では
戦に勝つたものだけを
英雄豪傑と名づけるが、勝つた
英雄豪傑と負けた
英雄豪傑との間の
差は、
喧嘩に勝つた犬と負けた犬との
差に
過ぎず、実物
同志を
比べて見たら
恐らく
相似寄つたものであらう。
仮に世の中が主人を持つことを
屑しとせぬやうな
不覊独立(注:何ものにも
縛られず
制約を受けず、また
援助や助けも受けずに
独力で道を切り開いて行こうとすること)の人間ばかりであつたと
想像して、それでも
英雄豪傑なる者が
現はれ
得るであらうかと考へて見ると、
之は
頗るむづかしい。
如何に一人であせつても、
手下に
成ることを
肯ずる(注:
承諾する)者が
無ければ、何の
目覚ましい
働きも出来ず、また
仮に何がしかの仕事を
為し
得たとしても、横から公平に見て
居る人等は、決して手下の面々が
誉め立てる様には
誉め立てぬ
故、
到底非凡な人間と
見做されるまでには立ち
至らぬ。されば、
英雄豪傑なるものは
畢竟人類の
奴隷根性が
造り上げた
産物であつて、
其の
実質を
調査したならば、
恐らく
普通の人間の
平均に
比して、少しく
優つて
居ると
云ふ
位の所ではなからうか。人間の身体の大きさは
大概定まつたもので、大男と
云うても、小男と
云うても、
平均の高さから
二割とは遠ざかつて
居ぬ
如くに、
英雄豪傑でも
無名の
泥棒でも人間の
平均から、それほど
甚だしくは
離れて
居らぬやうに思はれる。
若し火星から地球へ動物
採集の
探険家が来たならば、ナポレオンでも
豊臣秀吉でも
雑兵と同様に
網で
掬はれ、同じ
標本瓶に投げ入れられるであらう。
次に
学術方面の
偉人に
就いても同様の感じがある。
非常に有名になつた学者は
孰れも、他人に先立つて大発見か大発明をしたとか、他人の
未だ思ひ
及ばぬ新しい思想を考へ出したとかであるが、
之にも
種々の
条件が
充たされて
無ければならぬ。先づ
如何なる大発明でも何も土台の
無かつた所に
突然出来るものではない。
必ず、
其の発明に
到着すべき
準備が
已に
整ひ、
誰かが
其の発明を
為すべき気運が向つて来たときに
初めて出来るのである。当人は自身一人の力で発明した
積りで
居るかも知れず、
世間も、
其人一人の力で発明が出来た
如くに思うて
居るかも知れぬが、学問
発達の
歴史を
見渡すと、発明は
何時も
其の時までに、他人が
築き上げて
置いて
呉れた土台の上に出来たものなることが明に知られる。
譬へて
云へば、発明は七分通りか八分通りまで
積み上げてあつた
煉瓦の
塀に
残りだけを
積み
足して全部に仕上げた様な場合が多い。
斯くして一の発明が出来れば、それを土台として、次の発明が出来、またそれを
基礎として
更に新らしい発明が出来る。発明、発見を時の
順に列べて見ると、後のものほど進歩して
居るのは
其の
為である。
或る雨の
降る日に宿屋に
泊つて、
軒(注:屋根の
端で
壁などから
張り出した部分)から
雨垂れの落ちるのを見ながら考へたことであるが、
雨垂れの
一滴の中で
最下に
位する水の
分子は、地に落ちる時に先頭に立つと
云ふ理由だけで、
残余の水の分子よりは
遙に
尊むべきものと
見做さねばならぬか。
軒に
雨垂れの出来る所を
眺めると、
初め小さな半球形の
乳房の
如き形のものが出来、それが
次第に
延び、
最早自分の
重量を
保ち
得ぬ様になると、
軒を
濡らして
居る全体の水から
離れて、球形の
滴として落ちるのであるが、
其の
際に
滴の下面に
位する水の分子は、たゞ
何等かの都合で
其所に来合せたと
云ふだけで、
別に
残余の水の分子に
比して
異なつた所は
無い。汽車が進行する時には、先に立つ
機関車が力を出して
貨車や客車を
索き、後から
続いて行く
貨車や客車は
機関車に
索かれて進むのである
故、先頭に立つものと
随従して行くものとでは大に
能力が
違ふが、水の
滴の中では先に進む水の分子が、
残りの水の分子を
索いて行く
訳でもなく、後部に
位する水の分子も決して前面に
居合せた水の分子に
索かれて行く
訳でもない。たゞ
滴が落ちねばならぬ時期が
到来したので落ちると
云ふに
過ぎぬ。
其所で発明や発見をした人は汽車の
機関車に
比較すべきものか、
或はまた
雨垂れの
滴の下面に
位する水の分子に
比較すべきものかと
云ふに、
我らの考へによれば、
寧ろ後者に
類する点が多い様に思はれる。
若しもニユートンが引力の
理を発見しなかつたならば、今日まで、引力の理は
誰にも発見せられずに終つたであらうか(注:ヨハネス・ケプラーが発見した惑星の運動に関する法則が基に在る。ロバート・フックも同時代に気づいていた)。
若しもワットが
蒸気機関を発明しなかつたならば、今日まで
誰も
蒸気機関を発明せずに
済んだであらうか(注:ドニ・パパンやトマス・セイヴァリ、トマス・ニューコメンなどの
先駆者の考えを改良しして、ワットは
特許を取得した)。
何億と数へる多数の人間の中には頭の
相応によい者が
何時の世にも
幾千人か、
幾万人かは
必ず
居るであらうから、
若しもヒンツが発見しなかつたならば、
恐らくクンツが発見し、マイエルが発明しなければ、ミュレルが発明して、
時機が
到着した
以上は、
誰かが発明せずには
置かぬであらう。
而も同一物の発見はただ一回に
限られてある
故、一人が発見してしまへば、
残りの者は発見者たるの
機会を
永久に
失ふこと、
恰かもたゞ一本の当り
籤を他人に取られたのと同じである。されば発明、発見を
為し
得た人と、
為し
得なかつた人との
差は、
単に
籤に当つた人と
籤に
外れた人との
差に
過ぎぬ
如き場合も
常に有ることと思はれる
故、発明、発見を
為し
得た人々だけを他の者より遠く
離し、
遙に
優れる者として
特別に
尊敬することは少しく
理窟に合はぬやうである。
以上は真に
価値ある発見または発明をして有名になつた人々に
就いて
述べたのであるが、有名な学者は
必ずしも正しい発見や発明をした者ばかりとは
限らぬ。
一般の人々は
専門学術上の
詳しいことは分らぬ
故、学者等の
力量を自身で
判断することが出来ず、たゞ世間の
評判を聞いて
其の通りに思うて
居る。
而して世間の
評判なるものは決して、真の学力を見た
結果ではなく、多くは
学位を有するとか、大学
教授であるとか、
学士院(注:研究者に対する
顕彰等の事業を通じ、日本の学術の発展を図る目的で設置された)の会員であるとか、何々
賞(注:
例えば文化
勲章やノーベル
賞)を
貰うたとか
云ふ
如き
人為的の
差別に
基いて
居る
故、
最も
優れた人が
何時も
必ず
最も
評判が高いと
云ふ
訳ではない。
又その反対に新聞紙上に
隠れたる
篤学者(注:
熱心に学問に
励む人)とか、
無名の大学者とか、
大々的に
広告せられる人物が実は
法螺吹きの名人に
過ぎぬことも
屡々ある。後から見れば全く
誤りである様な
説を
唱へても、
其の当時
非凡な大
偉人である
如くに思はれた人もあれば、
存命中は世間から少しも
顧みられなかつた人が、死んでから大学者と
見做されるに
至つた
例も
相応に多い。
若しも
適当な
位地に
置かれたならば
一廉の発明、発見を
為し
得べき
頭脳の持主でも、一生
不遇のために、本来の
能力を
発揮する
機会を
失ふこともあらう。他人よりは少しく早く
或る
専門学を
修めたと
云ふだけの理由で、
凡庸の者が
其の道の大家と
成り
済ますこともあらう。されば
学術界に
於て、
偉人と名づけられる人々の中には、
随分種々の人物が
含まれて
居る
故、よくよく
吟味してからでないと、大に買ひ
被る
虞がある。
毛虫の中に行列毛虫と名づける
一種がある。
卵から同時に
孵化した
何千疋もの毛虫が、
偶然先に立つた
一疋を先頭として、長い行列を
造つて
匍うて行く
習慣が有るので、
斯様な名が
附けられた。
誰が先頭に立つかは全く
偶然であつて、先頭に立つ
一疋を後の方に
置き
換へれば、
新に先頭となつた
一疋が先に立つて進み、前に先頭であつた
一疋は
残余のものと
共にたゞ後から
随うて行くだけである。
即ち
此の毛虫には
同僚と行列して進むと
云ふ
本能が
先天的に
備はり、
各自は行先を知らず、たゞ多数の者の行く通りに進み行く
一種の
自働器械と
成つて
居る。
或る
昆虫学者が
試に
此の毛虫の行列を
導いて、丸い
植木鉢の
縁に
移らせた所が、
円周には始めも終りも
無い
故、同じ所を
何時までもくるくると
匍ひ
廻つて、数日の後には
終に
疲労して
皆倒れた。先年日光の有名な
眠り
猫を、
案内人に
連れられた多数の見物人が立ち止まつて、
感服して
眺めて
居るのを見て、
我らは
此の行列毛虫のことを思ひ出さずには
居られなかつた。
世間の人々が
眠り
猫に
感服するのは
何故であるかと
云ふに、決して自分の
鑑定力によつて、
之を
非凡な作品であると
判断した
結果ではない。自分には何だか少しも分らぬが、他人が
皆これは
左甚五郎と
云ふ
偉い
彫刻師が
造つた天下一品の
宝物であると
云ふ
故、それに
盲従して
頻りに
感服して
居るだけである。
若しも
之が名もない古道具屋の店先に出してあつたならば、
之を
見附けて
感服する人は
極めて
稀であらう。
総べて
斯様な
次第で、世人が
芸術上の作品に対する
態度は、
恰も行列毛虫の心理の
如く、
全然雷同(注:自分自身の考えをもたず、むやみに他人の
説や行動に
同調すること)ばかりで、
独立自尊の
精神が少しも
無い
故、この方面の
偉人と
云はれる人々の真の
力量を
評価するには、世間の
評判を一時
度外視して、根本から調べ直して見なければならぬ。
芸術作品の売買
値段は時によつて
非常に
違ふもので、はやらぬ時は
只の様なものが、
一朝はやり出すと、何百円にも何千円にもなる。
之は
其物自身に定まつた
価がなく、相場は全く買手
次第であることを
示して
居る。
而して、
流行するかせぬかは、中に立つ商売人の
操り様によつて
如何様にもなる。二百円と
云ふ
札を
附けた
丸帯が
店曝しに
成つて
居たのを二千円と
価を
附け
換へたら
即日売れたと
云ふ様な世間を相手にしては、
如何な
劣等品が
如何な
高価に売れるやら分らぬ
故、作品の売れた
値段によつて、作者の
腕前を
評価すると
飛んだ
誤に
陥るかも知れぬ。また高く売れる品には
必ず多くの
贋物が出来て、
大概の人は
贋物を
掴まされて知らずに
居るが、
斯様な
贋物が出来ると
云ふことは、
即ち、本物が他人にも
真似が出来ると
云ふ
範囲を出ぬからである。
鑑定者に見せれば
真偽は一目
瞭然のことも有らうが、大多数の
普通の人間が見て
相違が分らぬ
位ならば、両者の
差は
極めて
微であると
見做すのが公平であらう。ミケランジェロとかラファエルとか古来有名な人々が、
其の
芸術に
優れて
居たことは、
素より
疑ふべからざることであるが、
総べての画家、
彫刻家を
悉く集めて、
腕前の
優劣の
順序に
並び立たせたならば、次に
位する人々との間の
距りは
恐らく
極めて
僅少ではなからうか。
以上の
如くに考へて見ると、
芸術方面に
於ても、他の方面に
於けると同様に、
偉人を
造り上げたのはやはり、人間の
奴隷根性である
如くに思はれる。
奴隷根性とは
即ち
独立自尊の
精神の
欠乏であるが、
独立自尊の
精神が
無ければ、
万事他人の
指図に
盲従するの外はなく、他人が
感服せよと命ずる物は直に
感服し、他人が
崇め
奉れと命ずる物は
直に
崇め
奉る。
而して多数の人々が打ち
揃うて
崇め
奉れば、
其人は
無論、
忽ち
偉人と
成つてしまふ。
若しも今日名人として名を
伝へられて
居る人々の中から、
斯くの
如くにして
造り上げられた名人を
悉く引き去つたならば、
残りは
幾何も
無いのではなからうか。
右に
続いて
胸に
浮ぶのは、
所謂名勝旧跡のことである。
大概の名所とか
旧跡とか
云ふ所は、
皆、
世人の
崇め
奉つて
居る
英雄豪傑、
名僧名人などと
関係したもので、
例へば
秀吉が
腰を
掛けた石とか、
家康が茶を飲んだ寺とか、何
大師が足を
洗うた池とか、何
上人が
袈裟を
掛けた
松とか
云ふ
類が多い。
此等は
何れも
斯様な人々を
崇拝する心を
以て見る
故、
其所に
興味を
覚えるのであるが、
斯かる話を少しも聞かず、
単に通り
掛かつただけでは
別段他に
比して、
特に
優つた点が有るとは
覚えぬ。
英雄でも、
豪傑でも、
其の時の人間の
奴隷根性が
造り上げた
産物で、
其の
実質に
至つては、人間の
平均を去ること決して
余り遠くはなかつたらうなどと考へる者から見れば、
彼等が何を
為た
跡であらうとも、
特にそれを
有難がつて大切に取り
扱ふべき理由はない。
馬琴(注:
曲亭)が
小説を書くときに用ひた
硯の水を
汲んだ
井戸と
云ふ
立札を、
何所かで見たことがあるが、
斯様なものまでを
古跡としたら、実に
際限は
無い。京都でお
上りさんが
拝観料を
払うて見物して歩く
名勝旧跡の
如きも、
英雄や
名僧との
因縁を
絶つたならば、
態々見るだけの
値打の
無いものが
頗る多数を
占めるであらう。
風景で名高い所にも同様なことがある。有名になる
位の所ならば、
無論景色の悪からう
筈は
無いが、
其所よりも
優つた
風景の所が
余所には
無いかと考へて見ると決して左様ではない。左ほど
名高くない所にも
随分景色のよい所がある。
然るに日本の
三景とか
近江八景とか、
誰かが
云ひ出すと、多数の人々は
之に
雷同し、
斯くて世間からの
相場が定まると、見ない中から
之に
優る
風景の所は他に
無いと
信じてしまひ、
斯様な頭を持て見物に
出掛ける
故、実物を見れば
忽ち
魅せられて
極度に
感服する。
斯くして有名な所は
益益有名となり、他所の
景色とは、全く
飛び
離れた
絶景の
如くに
評判せられる様になるが、実の所はそれ
程のものではなく、たゞ、
比較的によいと
云ふ
位に
過ぎぬ。
「名物に
甘いもの
無し」と
云ふ
諺があるが、
之は前とは反対に世人の
雷同心を
嘲つた
痛快な言葉である。
元来名物なるものは、
甘いと
云ふ
評判のために名物と
成つたのであつて、
初めから
不味いことを
看板に
掲げた名物が有るべき
訳はない。
然るに名物に
甘いもの
無しと
云ふのは
何故かと
云ふに、
之は実地
経験の
結果、世間の
評判なるものの少しも当てにならぬことを発見し、今まで
瞞されて
居た
意趣返し(注:仕返しをして
恨みを
晴らすこと)に、名物全体に対して
罵りの
叫び声を上げたのである。名物に
甘いものが全く
無い
訳ではなく、時には
実際甘いものも有るであらうから、名物に
甘いものなしと、
総括的に
云はれては、
随分迷惑を感ずる名物が有るかも知れぬが、多数の物が
甘くなければ、
斯く
云はれても
致し方はない。
而して、世間の
評判なるものが当てにならぬのは
何故かと
云へば、人間に
独立自尊の
精神が
無く、何事でも聞いたまゝを直に
信じて、事実に合はぬ
評判を
造り上げたからである。されば、
評判に
瞞されぬためには、一時
評判に耳を
貸す事を止めて、
直接に実物を調べて
掛かるの外はないが、
斯くしたならば、
所謂偉人なる者の、実は左まで
偉人でもないことを発見し、今まで
瞞されて
居た
鬱憤を
晴らすために「
英雄に
偉い者なし」とか「
聖人に
聖い者なし」とか「学者に
智慧のある者なし」とか「名人に
上手な者なし」とか
云ふに
至るやも知れぬ。
以上述べた
如くに考へて見ると、
偉人なるものは、人間の
奴隷根性が
寄つてたかつて
築き上げたもので、
其者自身には
別段、他の人間から遠く
距たるほどの
不思議な力が有つた
訳ではない。されば、人間に
奴隷根性のある間は
偉人は引き
続き生ずるであらうが、
此の
根性が
次第に
減少すれば、
偉人は明け方の
幽霊と同じく
段々と出にくゝ
成るのではあるまいか。
然らば今日は
如何と
云ふに、
現代は少しづつ
奴隷根性が
退化し始めたとは
云へ、前
世紀よりの
遺物なる階級
的精神が、なほ
極めて
多量に心の中に
残つて
居る
故、
偉人崇拝は
容易には
衰へぬ。
奴隷根性が今日なほ
頗る
盛であることは、
何れの方面を見ても
明であるが、
試に二三の
例を
挙げれば次の
如きものがある。
毎日の新聞記事を見るに下級の者が
為たならば、一二行にも書かれぬ
筈の
事件でも、知名の人の家庭に起ると一週間も十日も絵入りで
盛に書き立てる。
例へば、
若い
妻が他人と
情死を
仕損じて
怪我をしたとか、自由
結婚をした
娘が
毒を飲んで死んだとか
云ふ
如きことは広い世間には
幾らも有り勝ちの
事件で、
無名の者がしたのでは
碌に新聞にも出してくれぬ。
然るに
事件は全く同一であつても親が
何爵であるとか、何十万円の
財産があるとか
云ふと、
之を重大
事件ででも有るかの
如くに紙面の大部分を
裂いて
詳しく
掲載する。新聞紙は
素より売り物である
故、売るためには客の
好みに
随はねばならぬが、
斯くの
如くに、同一
性質の
事件を
単に社会上の
地位が
違ふと
云ふ理由だけで
取扱ひを
異にするのは、全く
奴隷根性を有して、上級の者の事ならば、何によらず
重大視する読者の
要求に
応じて
居るのである。
奴隷根性の
消滅した者から見れば、同一
性質の
事件ならば
無論同一
価値のもので、
伯爵であらうが、
平民であらうが何十万円であらうが、
無一物であらうが、それによつて
区別すべき
筈はない。また知名の人には
諸方から
書画の
筆蹟を
頼みに来る者が
絶えぬが、これまた世間に
奴隷根性の
充満して
居る
証拠である。上手な
画かきの書いた絵をほしがるならば、絵その物を見て楽しまうとするのである
故、
奴隷根性とは
云へぬが、何がし
大臣の書いた
拙劣な絵を
所望するのは、
其の絵を通して筆者を
崇拝するためである
故、
無論奴隷根性の明かな
曝露である。
但し
直に他の
奴隷根性の所有者に売り
飛ばして
儲ける
積りならば問題は
別である。
其の他
銅像を立てるとか、
遺跡を
保存するとか
云ふ
如きことも、多くは
奴隷根性から出て
居る。今日の世の中には
奴隷根性即ち階級
的精神の
実例は
数限りなくあるが、他の
例を
挙げることは一切
略する。一言で
云へば
現今の社会は、なほ、火を
附ければ直に
燃える
木造家屋の
如き人間や、
何所へ行くか知らずに、たゞ他人の後に
附いて行く行列毛虫のやうな人間、または
学位の有る人は
無い人よりも
智慧があり、
学位を二つ持つた学者は、一つより持たぬ学者に
比べて、学力が二倍あると思ふ
如き、
人為区別に重きを
置く人間や、
高位高官の主人を
戴くことを何よりの
名誉と考へる、
晏子の
御者の
如き人間で
充ちて
居る
故、
偉人の
続々と出るべき
条件は
充分に
備はつて
居る。
併し、
奴隷根性の消え
掛かつた人間も少しづつは生じて来た
故、他の人々の
崇拝する
偉人に対して
敬意を表せぬ者が、時々
現はれることは何としても
避けることは
出来ぬ。
然らば今後は
如何に
成り行くべきかと
云ふに、
我らの考へによれば、階級
的精神なるものは、
階級的団体生活に
必要なもの
故、
団体間の
生存競争が
盛に行はれて
居る間は
益益完全になつて行くが、今日の人間は
団体が
余り大きく
成り
過ぎて、
団体間の
勝敗が
緩漫になつた
為に、階級
的精神は
最早次第に
退歩するの
外は
無くなつた。
而して階級
的精神が
退歩すれば、
人為的の階級
別を
認めぬ様になり、それだけ自主自由の心が進んで来る
故、他人が何んと
云うても自分で考へて、
成るほど、
尤もであると合点の行く事でなければ決して
信じなくなる。世の中が
斯様な人間ばかりと
成れば、同時代に生活する目前の人間を
偉人として
崇拝することは
素より
出来ぬに
違ひない。
何故と
云ふに、
何人と
雖ども
実際を調べて見たら、少くとも一人前の
欠点や弱点は
必ずある
故、
到底一段上の
別階級の者とは考へられぬからである。また
従来偉人として世間から
崇められた者も、
奴隷根性を
失うた人間から公平に
観察せられたならば、
忽ち
箔(注:人が重んじるように外面的に付加されたもの)が
剥げて、
偉人でも何でも
無くなるやも知れぬ。
下等動物から人間までに進化し来つた
幾千万年間の
歴史を
背景として
眺めれば、
普通の人間と、
所謂偉人との間の
差の
如きは、実に
僅少なものである。それを
非常に大なる
相違である
如くに思うて
居たのは、
奴隷根性を
以て
之に
臨んだ
故であつた。人間なるものは
無論悉く平等ではない。生れながらの
賢愚強弱の
差別もあれば、生まれた後の
境遇に
基づく
差別もある。今後とても、一人一人の
実質に
優劣のあるべきは
云ふまでもないが、
奴隷根性から
解放せられた者から見ればたゞ有りのまゝの
優劣が知れるだけで、決して
従来の
如くに、
平均より少しく
優つた者、または
平均より少しく幸運であつた者を、
恰も
普通人とは全く
別の世界に
属する
優秀人種として、
其の足の下に
平伏する
如きことは
無いであらう。
所謂偉人に
関する
我らの考へは、先づ
以上述べた通りである。
(大正十年六月)